はじめにお読み下さい・・・Read Me 携帯用 0
全6件 (6件中 1-6件目)
1
文字数が、オーバーしたようで・・・続きです。天の橋立から丹後半島をぐるっと回って山道を走ると、「兵庫県」の看板が見えてきます。「こっち(日本海側)も兵庫県なんやなぁ。」と実感しつつ、本日始めてのピットイン(ガソリン補給)です。「RZ350」は、燃料タンクが16リットル程です。燃費が「13km/1リットル」ぐらいですので、1回の給油で、最高200kmそこそこしか走れません。一方、「GSX250L」は、タンク容量11リットルながら、燃費が「30km/1リットル」以上ですので、最高で、330km~350km走行可能です。実際は、全行程を通じて「低燃費走行」に徹していたので、「RZ350」は、全行程平均で「17km/1リットル」「GSX250L」は、なんと「37km/1リットル」この数値は、実際に「RZ350」に乗ってた人には「驚異」・・・むしろ「脅威」の数字だと思います。・・・というより、「RZ」の特徴を生かしていない。“ナナハンキラー”の異名を持つ「RZ350」が、「燃費走行」をしている姿は、ちょっと情けないもんが有ります。昨日の記事のコメントで「MoToDAMMさん」が指摘しているようにそもそも、この2台が、併走してのツーリング自体に相当無理がある構図なのですから・・・その後、海岸で昼寝をしたり、名所旧跡でもなんでもない所や風光明媚でもなんでもない所で休憩しながら二人とも来た事がない 「鳥取県」へ 入ります。鳥取県は、「桃太郎電鉄」というゲームでしか馴染みが無く「鳥取砂丘」と「梨」ぐらいしか知りません。とりあえず、道端の露天で売っていた「21世紀梨」を食べて鳥取砂丘へ行ってみました。(店のお姉さんが、梨の皮を剥いてくれました。)・・・・・・なあぁんにも有りませんねぇ。最近は、「棒の上に立つお姉さん」が評判のようですが、当時は、・・・・・・なあぁんにも有りません。400km近く、黙々と走破してきた疲れと慣れない砂地を海まで歩いた筋肉疲労とで海辺で腰をおろすと、もう立ち上がれません。だんだんと夕闇が迫る中、ようやく立ち上がって、再び砂の上を歩いて戻ります。バイクに戻った頃には、すっかり日が暮れていました。そうです。大切な任務が残っています。「ねぐら探し」です。昼間に、持参の「おにぎり」を食べてから「梨」以外何も食べていません。「もう、帰ろうぜぇ~」面堂君が、ぽつりと漏らしました。「どこへ帰れって言うのよ!?」私の答えに面堂君も、「ねぐら探そっか・・・」バスセンターのようなところを見つけてすぐに、シュラフ(寝袋)を広げて横になって、ほっとした途端にメチャメチャ腹が減ってきます。もう動く気力も有りません。「ハラ減ったよぉ~」面堂君が、叫ぶと近くに人がいたようで、「お兄ちゃんたち、ここで何してるの?」どうやら、バスセンターの事務員さんのようです。かくかくしかじか・・・「ここで寝るの?」「蚊が多いよ~」「気をつけてね~」など言葉をかけてくれました。事務員さんが帰ると、あたりは静かになりました。 ・・・・・・「お兄ちゃん!!!」完全に寝入っていた私を揺り起こすのは、さっきにの事務員さんです。あろうことか、「おにぎり」と「桃の缶詰」と「みかん缶詰」と「虫除けスプレー」を手に持って「これ食べて、明日から頑張ってね」あぁ。何ということでしょう。わざわざ家に帰って、わざわざご飯を炊いて、わざわざ新品のスプレーを調達してわざわざここまで戻ってきてくれました。放浪初日から、人様のお情けをいただきました。この日の支出 なんと、ガソリン代と、途中休憩時の缶ジュースこれだけでした。かくして、二人で12個も「おにぎり」をいただき缶詰は、非常用に保存して、虫除けスプレーを浴びるほどかけて眠りに付きました。※、当時の缶詰は「缶切り」なしでは空けられません。なんと、「缶切り」まで持って来てくれてたのです。この後の行程で、この缶切りは大活躍でした。・・・本当に、「シュラフ」「着替え」「地図と磁石」ぐらいしか持っていない「ド素人旅行者」です。【47都道府県走破チェックリスト】 ※頭のコード番号は、 「日本工業規格(JIS X 0401)」による。 本日までの走破・・・『5/47』 残り42 1:北海道 2:青森 3:岩手 4:宮城 5:秋田 6:山形 7:福島 8:茨城 9:栃木 10:群馬 11:埼玉 12:千葉 13:東京 14:神奈川 15:新潟 16:富山 17:福井 18:山梨 19:長野 20:石川 ○21:岐阜 22:静岡 23:愛知 24:三重 ○25:滋賀 ○26:京都 27:大阪 ○28:兵庫 29:奈良 30:和歌山 ○31:鳥取 32:島根 33:岡山 34:広島 35:山口 36:徳島 37:香川 38:愛媛 39:高知 40:福岡 41:佐賀 42:長崎 43:熊本 44:大分 45:宮崎 46:鹿児島 47:沖縄スクロール
2008年07月07日
昭和58年(1983年)7月7日 木曜日 晴れ岐阜市金公園(こがねこうえん) 朝6時45分頃「・・・ホンマに来るやろか?」昨夜、集合時間と場所を確認してお互いの「決行」の意志を確認したものの、お坊ちゃん育ちのRZ君が、土壇場になって尻込みするんじゃないか?・・・と心配しつつ待っていると、RZ350の排気音が遠くから聞こえて来ました。RZ君は、私と同い年です。色白の端正な面持ちで当時テレビで人気のあった高橋留美子の「うる星やつら」の「面堂 終太郎(めんどう しゅうたろう)」に似ています。(キャラ的にも似ていました。)・・・以後、彼の事を「面堂君」と表記します。コンビニも無く、平日とは言え、朝7時では、どの店も開店前です。お互いに、「おにぎり」を持参です。「・・・んじゃ、行こか・・・」普通の一言で、いざ出発です。普段走りなれた、国道21号を西に走ります。大垣から、関ヶ原を抜けると滋賀県に入ります。伊吹山を右手に見ながら走るとやがて、米原に着きます。ここで、一服しつつ、本日の作戦会議です。「全47都道府県走破」という事しか決め事がないので、毎日、「体調」「天気」「道の込み具合」「目に付いた看板」などで、気ままに走ります。お互い田舎育ちですので、「都会を避ける」という共通のコンセプトが有り、何故か全行程を通じて、「山の中」へ進む傾向が有りました。そして、「岐阜県生れの岐阜県育ち」という事で、山以外は、「海沿いへ海沿いへ」と走ります。山と違って、海沿いを走るのには利点が有ります。 「方向を間違えない」という事です。又、海沿いを走るときは、 「海を左手に見ながら走る」という暗黙の基本ルールが有ります。これは、「海を右手に走る」と、道路の構造上、反対車線越しにしか海が見えないからです。左手に海が有れば、ダイレクトに海が見えます。(あんまり海を見ながら走るのも危ないんですが)とは言え、気ままに走っているので必ずしも、「海を左手に」というわけには行きません。米原・・・かつては、「まいばら MAIBARA」だったのに最近、いつのまにか「まいはら MAIHARA」になってます。 一服しながら、 ◎「京都・大阪方面」に進むか ◎南下して、「伊賀・甲賀」方面へ行くか ◎北上して「日本海」へ抜けるか海を持たない岐阜県民は、夏場の海水浴は北陸へ行きます。敦賀方面、水晶浜あたりが定番です。この日の最高気温は、30度ぐらいで、梅雨も明け、じわじわと暑くなる頃です。当然のように、北上ルートを選択しました。琵琶湖を左に見ながら、国道8号線を走ります。岐阜から、大垣~関ヶ原~長浜~賤ヶ岳この一帯は、「信長・秀吉・家康」をはじめとする戦国時代の歴史を物語る土地のオンパレードです。隊列は、前方に「RZ」後方対角線上に「GSX」です。具体的な目的も無く、走っているので、ひたすら走ります。敦賀から、国道27号に入り三方五湖から、小浜を経て舞鶴方面へ向かいます。舞鶴あたりで、海沿いに「軍艦製造工場」みたいなのが見えました。ホーンを鳴らして、面堂君を止めます。軍艦(らしきもの)を眺めながら「お互いに、興味が有るものがあったら止まってよし!」「ルートを迷っても問題なし。 (そもそも決まったルートがない)」「ガソリンは、早めに補給する。」などなどを再確認しました。ここまで、ず~っと、ただひたすら走り、信号待ちなどで、横に並んでも特に何も話もしてません。走行中に意志の疎通を図る方法が後方車は、「ホーン」前方者は、「手の合図」と「ウィンカー」ぐらいですので、「阿吽の呼吸」が求められます。スクロール
2008年07月07日
25年前の事を書くにあたって、ひょっとすると、これを読んでいる人の中には「まだ生れてない!」という人も居るかもしれません。昭和58年(1983年)がどんな年だったか・・・豆知識です。2月4日 アメリカの人気兄妹歌手グループ、 カーペンターズのヴォーカリスト、カレン・カーペンターが 急性心不全のため死去。32歳だった。3月24日 中国自動車道が全線開通。4月4日 NHK朝の連続テレビ小説第31作『おしん』放送開始。4月15日 東京ディズニーランド開園。5月9日 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、 地動説を支持したガリレオ・ガリレイに対する 宗教裁判の誤りを認める。7月15日 任天堂がファミコンを発売。7月21日 南極・ボストーク基地で観測史上世界最低となる -89.2℃を記録。8月21日 第65回全国高校野球選手権大会は大阪・PL学園高校が 桑田真澄・清原和博の1年生コンビの活躍で5年ぶり 2度目の優勝。前日の準決勝で池田高校の史上初となる 甲子園3連覇を阻止。10月12日 ロッキード事件の裁判の第一審で、田中角栄元首相に 懲役4年、追徴金5億円の有罪判決。11月11日 劇団四季のミュージカル「キャッツ」の公演が、 新宿のキャッツ・シアターで始まる。 日本で始めてのロングランミュージカル。 11月12日 この日放送のNHK朝の連続テレビ小説『おしん』が 視聴率62.9%(ビデオリサーチ関東)を記録、 現在に至るまで同テレビ小説の歴代最高視聴率となる。11月13日 ミスターシービーが菊花賞を勝ち、シンザン以来 19年ぶり、日本競馬史上3頭めの三冠馬となる。【大相撲】 3月場所後に朝潮、5月場所後に北天佑がそれぞれ大関に、 7月場所後に隆の里が第59代横綱に昇進。【プロレス】 世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ(ミラクルパワーコンビ)組 【アニメ】 4月3日 - 『キン肉マン』が放映開始 7月11日 - 『キャッツアイ』が放映開始 10月13日 - 『キャプテン翼』が放映開始 ・・・こんな感じの年でした。
2008年07月07日
SUZUKI 「GSX250L」 ↑ YAMAHA 「RZ350」 ↑昭和58年7月6日(水曜日)翌日に「日本一周バイク走破」を控えちょっぴり興奮の夜でした。その年の2年前、昭和56年3月~4月にかけて「北海道ヒッチハイク放浪」をしました。 ※詳細は、「カテゴリ」から「北の大地・・・貧乏漫遊記」 を選択して、ご覧下さい。(全12話)その時に、放浪の魅力に取り付かれ加えて、「移動の不自由さ」を痛感し、「いずれは、“自転車”で日本一周!」と決意したものです。北海道から帰って、曲がりなりにも学生生活を送っている中で「マイカー」など持てぬ貧乏学生故に「オートバイ」が日常の「足」となりました。そうなると、「この愛車で日本一周!」となります。私の愛車は、 SUZUKI 「GSX250L」です。同型の「GSX400L」を諦めて250ccにしたのは、「車検を受けなくてもOK」という事と、「低燃費」に尽きます。 ※実際、このバイクは、カタログ値「45km/1リットル」のところ 実測で「42km/1リットル」を叩き出したスグレモノです。当時は、バイクブームの黎明期でこの年あたりから、4大メーカー(HONDA、YAMAHA、SUZUKI、KAWASAKI)が次々と新車を市場に投入してました。GSXシリーズも「E」「T」「L」と有って、「E」は、スタンダードなヨーロピアンタイプ (レーサータイプのようなヤツです。)「L」は、「Limited」の略で、アメリカンタイプです。 (「イージーライダー」とまでは行きませんが、あんな感じ)「T」は、トラディショナル・タイプ です。この頃は、日本でのアメリカンバイク全盛の頃でYAMAHAの 「XJ Spesial」KAWASAKIの 「Z400 Ltd」など各社が競って生産していました。冒頭の画像は、ネットから引っ張ってきたヤツですので、実際の私の愛車とは、若干イメージが違います。私は、後部座席に「背もたれ(“シーシーバー”といいます。)」を付けてました。もう1台の 「YAMAHA RZ350」は伝説のバイクです。「サーキットの狼」の作者、池沢さとしが「街道レーサー GO」という漫画の中で“ナナハンキラー”として描いていたバイクです。・・・レアですかね?当時、バイクに興味が有った人でこの「RZ」を知らない人はいない! ・・・ハズです。とにかく、軽くて速い!まさしく「飛ぶように」走りました。当然、燃費はかなり悪かったと記憶してます。 (15km/1リットル 走れば上出来・・・?)バイク仲間は、沢山居ました。この年の初めごろには、8人が、「日本一周ツーリング」に名を連ねました。日が経つにつれ、「学業」「資金」「日程」などなどの都合が付かず少しずつメンバーが減っていきました。全行程(全47都道府県走破)参加は出来なくても途中参加、途中帰還も含めて「7月1日出発」の予定でしたが、最後まで「行けるか否か」が決まらないまま最終的に、私と「RZ」の二人になりました。この日までに (1)2ヶ月の休み確保 (2)最低20万円の資金確保を目指して年頭から準備してきました。二人とも学生でしたので、何とか(1)はクリア。資金も、アルバイトを増やして何とか二人で40万円作りました。前述しましたが、私の「GSX」は、平均で 33km/1リットルしかし、「RZ」は、良くても 15km/1リットル・・・つまり同じ予算でも「RZ」は、「GSX」の2倍の燃料を食います。思案の結果、二人分の40万円を「財布をひとつ」にして、そこから、すべての費用を賄う。・・・としました。夫婦よりも固い絆で、2ヶ月間苦楽を共にします。すべての準備を整えて、・・・と言っても、お金とわずかばかりの着替えぐらいですが、いよいよ出発の日が迫ります。7月6日(水曜日)「ホンマに行くんやな!?」という確認を兼ねて、昼食を取りながら、初日のルートを決めました。行き当たりばったりの2ヶ月でしたが、岐阜県から出発するので、「最初は、西へ向かうか?東へ向かうか?」が唯一の大きな選択です。東から向かって、北海道⇒南下⇒西へ⇒九州・沖縄のルートでは、8月の暑い頃に南に向かうので、結局、西へ向かう事になりました。「初日は、とにかく西へ!」と決まった頃には、すっかり夜になっていました。携帯電話も、コンビニも、道の駅も、ない頃です。地図だけは買いました。(1冊で、日本中が載っているので詳細がわかりません。)カーナビも当然有りません。小学生の頃の学研の付録の「磁石」だけを頼りに「陸地を走っている限り、帰って来れるでしょ」かくして、「RZ350」と「GSX250L」対照的な2台のバイクで、「日本一周、全47都道府県巡り」の前夜は更けていくのでありました。・・・つゞくまだ、写真の整理が付きません。(TへT)続きをちゃんと掲載できるかどうかわかりませんが、頑張ってみます。スクロール
2008年07月07日
を書いてから、暇をみつけては25年前の写真の整理をしてます。思えば、当時は携帯電話も無くコンビニも有りません。友人と、2台で走っているわけですが、当然途中ではぐれたり、間違ったルートに入ったり・・・今では、「電話」か、「メール」で簡単に済む事も、あの頃は、結構「大変なこと」が毎日起こりました。毎朝、出発時にその日その日の「目的地」を決めてから発車します。途中ではぐれても、お互いに、自力で「目的地」を目指します。途中途中で、食事をする時にその日の「目的地」の修正・確認をします。午後6時を過ぎると、そろそろその日の「塒(ねぐら)」を探さねばなりません。狙うのは、「駅」「ガソリンスタンド」「バス停」など、“雨風を凌げる”場所です。何とか「ねぐら」を見つけても、終電後に、駅員さんに追っ払われたり、「不審者」として、尋問を受けたり、毎日毎日、平穏に眠りに付くのは至難の業です。本物の「不審者」が出没したり、気が付くと、雨でズブ濡れだったりします。なんせ、宿泊、食事、ガソリン代、フェリー代などなど総額で1人あたり「20万円」しかないので、とてもお金を出して、宿泊する事など出来ません。 ※最近は、「野宿」が流行っている・・・との事ですが、 好き好んで「野宿」する人もいるんですねぇ。当然、風呂も満足に入れません。狙うのは、トラック用のガソリンスタンドです。長距離運転の人のために「シャワー」完備のスタンドが時折存在するので、その情報を得て、なるべくその近辺に「宿泊」するように毎日のプランを立てていました。そこで、ついでに「洗濯」もします。 ※心なしか石油臭いのは、我慢です。あとは、海岸沿いを走破しつつ海水浴場あたりを宿にします。公園と同様に、屋根付きのベンチなどが有って一夜の「リビング兼寝室」に最適です。水道も有るので、「シャワー」も完備です。コンビニが無いのも、当時は当たり前で、とにかく、日が暮れるまでに「ねぐら」と「めし」を確保するのが、毎日の日課でした。さて、今年も、 あっ と言う間に半分が過ぎてしまいました。昭和58年の夏学生であった私は、名古屋に住んでました。その年の1月に親父が他界し、母親と、一番下の弟(当時小学生)を岐阜県の田舎に置いておくのも気がかりになり、かと言って、実家に戻って、そこから毎日大学に通うのは大変・・・などなど色んな問題が山積していて鬱屈した毎日を送っていました。その年も、「あっ」と言う間に半年が過ぎていました。 そんな時に、「バイクで日本一周」という、まぁ“ありがちな”事を思いついたわけです。同行した友人も、まぁ色々有った時期で・・・今から思うと、ちょっと「逃げ」も入っていたような・・・その25年前に、「何かを求めて・・・」旅立った日が、7月7日です。先日発掘した写真の整理をしつつ、25年前とシンクロさせながら、若き日の気持ちを思い出して少しずつアップして行こうと思います。
2008年07月01日
昨年11月に、「北の大地・・・貧乏漫遊記」を連載いたしました。 ※カテゴリー「北の大地・・・貧乏漫遊記」に編集して有ります。今から28年前、まだ20歳の頃の記録ですが、その3年後に、友人と二人(北の大地編とは別の友人)でオートバイで、日本一周した時の写真を発見しました。「北の大地編」は、記録のみで写真が有りませんでしたが、今回は、写真付きで、連載しようと思います。・・・ところが、今度は、「記録」が見当たらず、膨大な数の「未整理」の写真を整理しなければなりません。なんせ、25年前の写真です。当然、デジカメなどは無く、通常は土地土地で、「撮影」⇒フィルムを使い切ったら「現像」というパターンですが、現像に出しても、「即日仕上げ」という店はまだまだ少ない頃です。十数本のフィルムを、「防水」「防熱」しながら日本中を持って回り、最後に帰還してからまとめて「現像」に出したものです。カメラも小型の安いヤツですので、画像自体があんまり綺麗ではありません。しかも、日付も入っていないので、時系列を「髭の伸び具合」で類推するしか有りません。今になって客観的に写真を見ると ◎景色(バイクで走りながら・・・ 時折、バイクを止めて撮影。) ◎名所などの「看板」(“行ったぞ!”という証拠) ◎食い物 ◎ねぐら(当然、全行程“野宿”が基本) ◎可愛いお姉ちゃん ・・・こんなんばかり写っていて、200枚ぐらいの写真のほとんどが「何が写っているのかわからん!」状態です。(T△T)それでも、貴重な写真ですので、機を見て、順次発表して行こうと思います。題して、 「日本一周オートバイ放浪記 ・・・勿論、貧乏漫遊記(TへT)」 副題 ~バイクの似合う “momoka1583さんの旦那”に捧ぐ ↑迷惑でしたら、改題いたします。勝手に付けてすみません。 昭和58年7月7日岐阜出発~9月9日帰還 (全65日) 47都道府県+佐渡島走破 総走破距離・・たしか13000kmぐらい 燃料代、修理代、有料道路代、フェリー代、宿泊費、食費・・・ すべて「込み!」で1人あたりの予算「20万円」 相棒:YAMAHA RZ350 SUZUKI GSX250L 何というアンバランスな2台! うろ覚えのおおよそのルート 岐阜⇒琵琶湖の北から山陰地方⇒秋吉台のあたりから、中国山地縦断 広島あたりから⇒フェリーで四国⇒松山あたりから高知へ縦断 ・・・しようとしたけど、道が途中でなくなって崖っぷちを ⇒なんとか、高松あたりへ出て⇒時計回りに足摺岬 ⇒室戸岬⇒愛媛県の左端の方の岬からフェリーで九州へ ⇒長崎⇒三角半島(やったか?)あたりから熊本 ⇒一路鹿児島⇒フェリーで沖縄⇒フェリーで鹿児島 ⇒宮崎から北上⇒関門橋⇒一路山陽道で京都 ⇒奈良、和歌山、三重を経て北陸道へ ⇒滋賀を経て日本海を左に見ながら⇒福井、石川(輪島まで)、富山 ⇒新潟⇒佐渡島⇒新潟⇒山形、秋田、青森・・・めちゃめちゃ遠かった ⇒フェリーで函館⇒札幌⇒旭川⇒網走⇒知床 ⇒途中で、知り合った人の経営する宿(サロマ湖)で充電 ⇒美幌峠をうろつきながら、稚内⇒旭川⇒釧路 ⇒えりも岬⇒洞爺湖⇒この辺ぐるぐる⇒苫小牧からフェリー ⇒八戸⇒奥入瀬⇒盛岡⇒仙台⇒福島⇒茨城⇒九十九里浜⇒ ⇒千葉県をぐるっと回って⇒東京、横浜⇒富士山⇒浅間山、群馬 ⇒47番目の長野へ行く前に「あ、埼玉行ってないやんけ!」 ⇒埼玉⇒ビーナスライン目指してフルスロットル ⇒長野県から安房峠(まだトンネルが無い頃)⇒高山⇒岐阜 構想1年。決行65日。 今、25年の眠りから覚めた 「かむ太郎」の原点に迫る一大スペクタクル 男のロマンを求めて旅立った「かむ太郎」だったが 旅を終えて帰ってきた部屋には 待っているはずの同棲中の彼女の姿は無く 「ロマンだけでは暮らしていけません。」 という置手紙と、布団だけが「かむ太郎」を迎えた。 その年の秋は、身も心も寒かった・・・ 全米が泣いた! かむ太郎は、もっと泣いた! ・・・おかげで、今の嫁様に拾われる・・・ という「幸運」に巡り合えた。
2008年06月26日
全6件 (6件中 1-6件目)
1