はじめにお読み下さい・・・Read Me 携帯用 0
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大作執筆中に、携帯の電池が切れて始めから書き直しております。(T_T)2003年4月7日が『鉄腕アトム』の誕生日です。今年で、満6才という事になります。ご存知のように、『鉄腕アトム』は、日本初のテレビアニメーションです。昭和35年生まれの私は、幼少の頃よりテレビ漫画…殊に「手塚漫画」に囲まれて育ってきました。私の育った時代は「高度経済成長」の頃で昭和39年には「東京オリンピック」が開催され「名神高速道路」「東海道新幹線」が開通。昭和45年には「EXPO’70大阪万博」がありました。『20世紀少年』の浦沢直樹さんは、同世代ですので、漫画の中の時代は、私の世代の人間にとっては『時代の反芻』のようで、他の世代の人達よりも“しっくり感”があります。古くは、「日米初衛星中継」があり、その最初の中継が「ケネディ大統領暗殺」でした。(リアルタイムの記憶はありませんが…)「ソユーズ有人宇宙飛行」「アポロ月面着陸」「浅間山荘連合赤軍事件」「よど号ハイジャック」(“ハイジャック”という言葉が一般に使われ出した最初か…?)「沖縄返還」「田中角栄ピーナッツ事件」「ニクソン大統領ウォーターゲート事件」『公害』…四日市喘息、水俣病、イタイイタイ病、光化学スモッグ(“公害”という言葉もこの頃から認知された。ちなみに「スモッグ」は、「スモーク」と「フォグ」を足した造語。)「ひ素ミルク」「サリドマイド」「チクロ」・・・。特に「チクロ」と称する“化学物質”は『人工甘味料』・・・後に『“合成”甘味料』と名称を変えましたが正真正銘の「発癌性物質」です。当時は、人工甘味料が日常的に口にされていました。子供が買う駄菓子屋さんのチョコレートは、ほとんどがチクロ入りだったと思います。成分表示にも堂々と「チクロ入り」とありました。私などは、「チクロ=舶来の砂糖」ぐらいに思っていたほどです。インスタント食品やレトルト食品も私の世代と共に、誕生し発達してきました。「ラジカセ」から「ウォークマン」パソコンなどの初期タイプは私の世代が最初に飛び付いたはずです。「高度経済成長」の名のもとにあまりにも“文明”を追い求め過ぎた末に人類の歴史上、他に例を見ないほどの劇的かつ急速な発展を遂げた日本ですが、その渦の中で、「食文化」や「自然環境」はては「家族や地域の在り方」まで破壊され、千年二千年かけて育まれてきた「繊細な文化」や「もののあはれ(哀れ)」も失われてしまったような気がします。昭和から平成に変わる歴史を体感しながら文明や経済の発展を見て聞いて読んで感じて食べてきました。そうして、自分の身体を作る細胞ひとつひとつに栄養も毒も蓄積し、考え方や感じ方や価値観にも影響を与えてきました。初めて『鉄腕アトム』を見た時の「未来」が、21世紀初頭…まさに“今”です。アトムが誕生する2003年が「果てしない未来」だと思っていた頃を懐かしく思い出します。漫画の中の“未来”は今となってはそれほど突飛な事もなくコンピューターなどは、むしろ空想よりも発達した部分もあります。私は、生き様の多くを本から学んで来ました。特に「漫画」から吸収して、今でも自分の生き様の根幹に影響を与えている事が沢山有ります。『鉄腕アトム』を初めて見た幼少の頃に自分の将来・未来を、どんなふうに思い描き設計したのか…全然覚えていませんが、アトムが生まれ、6才になる2009年の今「俺は今、こんな事してる。こんな事考えてる。」と、いつでも『あの頃の自分』に目をそらさずに言えるよう生きて行こうと思います。記憶の端に辛うじて引っ掛かっている何か大切な物を、しっかりと拾い上げて綺麗に額装して胸の内に飾っておきます。
2009年04月08日
←“勝負”を左右する「フェルメール図書カード」と「和三盆糖」 日付が変わりましたが、4月5日に、我が父(昭和58年に48歳で他界)の「二十七回忌法要」を行いました。命日は、1月31日なのですが、 一周忌 三回忌 七回忌 十三回忌 十七回忌 二十三回忌と行う内に二十七回忌・・・ともなると「あ、忘れとった!」と、おかんが言うまでも無く私たち兄弟も全然気が付きませんでした。お寺に相談したところ 「特に何月何日・・・と拘らなくてもOK」との事で、皆の予定も鑑みてこの日になりました。 (この後は、 三十三回忌・三十七回忌・四十三回忌・四十七回忌・五十回忌 ・・・と続くようです。)以前は、神仏や先祖にはそれほど感謝の念を抱いていなかった「かむ太郎一族」ですが、最近は、父親の「位牌」を預かる三男の弟も毎日仏壇に御仏飯を供え、子供にも、「お爺ちゃん(我が父)に手を合わせる」という事を躾けているようです。私自身も、大人になったせいか、墓参りに行っても、ちゃんと手を合わせる事ができます。(若い頃は、そんな事もできませんでした。) そして、4月5日は、「おかん」の誕生日です。法事が終わってから、その足で「お祝い」の食事会をいたしました。「かむ太郎一族」以外にも、◎弟の嫁さんの両親◎私の嫁様の母と妹一家が参加して、大人数になりました。嫁様の妹の娘が、先日、高校に合格した姪っ子です。「二十三回忌」と「誕生日」と「合格祝い」を兼ねての「飲み食い会」です。父親の供養には、皆「甘いもの」を買ってきています。 (他の地方や、他の宗派の法事の事はよく知りませんが 当家では、持ち寄ったお菓子を皆均等に分けて それぞれが持って帰ります。 ですから、必ず、 「1個1個分けて持ち帰る事が出来る」ものを用意します。 ヨウカンやら、カステラなどは どうしても持ってくるなら、「一世帯一本」です。 事前に何世帯来るのかを把握しておかないと、 お菓子が足りなくなります。)そして、おかんには、兄弟三人からの「特製巨大バースデイケーキ」を用意しました。 ※70歳を過ぎて、ようやく“人並みな”幸せを 味わいつつある“おかん”ですが、 寄る年波と、長年の「不幸癖」のせいか、 ちょっとでも、良い事が有ると、 すぐに泣きます。 法事の話から、一転して隠してあったケーキを出すと 数秒で涙ポロポロ流しておりました。 「不幸」な頃は、 ほとんど涙を見た事がなかったのですが・・・。姪っ子の、「入学祝」に、私は小遣いをはたいて「10000円」の図書カードを持参しました。デザインも、あちこち探して「センスの良いかむ太郎」らしく“フェルメール”を選びました。食事も終わる頃に、姪っ子が「ありがとう」を言いに来ました。・・・ところが、私の弟にも「ありがとう」を言ってます。どうやら、ヤツも「図書カード」を贈ったようです。ヤツが、「10000円」以上の図書カードだったら・・・どないしよう!?他の品物なら、いざ知らず「図書カード」・・・って、当たり前ですが金額そのまんま表示してあるから、「勝負」がはっきり付いてしまいます。後は、「フェルメール」の評価次第です。頼んだぜ!フェルメール様!そして、カロリー摂取を控えなければならない私は目の前の大量の甘いものや、ビールやご馳走をセーブして食べなければなりません。法事前に、「お供えの和菓子」を買う店で「和三盆」のお菓子をみつけて「お供え」とは別に買ってきたので、これだけは、こっそりと独り占めです。どうしても、甘いものが欲しい時には少しずつ頂きます。(和三盆のお菓子が大好きなのです。)かむ太郎の「おかん」は、こんな人物です。⇒「こちら」 そして・・・「おとん」は、こんな人物です。⇒「こちら」血を分けた一族は勿論の事、自分の周りにいる人の笑顔を見るのは嬉しいものですが、何とか、生活も仕事も一人前に営む二人の弟に比べ、長男である私を気に病む母親の気持ちが私にはひしひしと伝わります。「あんたの死亡診断書は、俺が書く。」と、私に(勝手に)宣言されたおかんは、「死ぬにも死ねない。」立場に置かれています。10年ほど前から、体調が思わしくないおかんですが、私が、仕事を辞めた頃が最悪でした。その上、「医者になる!」と言い出してからは、入院もしましたが、「他の医者には“死亡診断書”は書かせん!」と言ってからは、以前よりも免疫力が高まったようで、血色も良くなっています。以前の仕事先からも、時々応援を頼まれるようで同世代の人よりも若く見えます。「頼むから、私が100歳になるまでには、医者になってくれ。」と、おかんは言っております。来年、医学部に合格するつもりの私は、「あほぉ!7年後には医師免許取るんやから、 最低でも、“医者になってから10年”じゃ!」と言っております。 ※おかんは、今年74歳ですので、 74+7+10=91 91歳までは死なせません。 年齢詐称の常習であるおかんは、 バースデーケーキの「7」と「4」のろうそくを 「4」と「7」に逆に刺して、 「47歳」とぬかしております。 ついに、年齢詐称も、「息子より若い」という 由々しきレベルにまで高まりました。 ↑ ↑ ↑ 勝ち癖を付ける為に、自ら「かちっ(勝ち!)」とクリックしてます。 皆さんの、「勝ち!」のお裾分けを頂ければ百人力! 今までの瞬間最高順位は、「4位/630サイト中」です。 ヽ(゚◇゚ )ノ
2009年04月05日
野村忠宏1996年アトランタオリンピック2000年シドニーオリンピック2004年アテネオリンピック前人未到のオリンピック三連覇を成し遂げた男です。一口に「オリンピック三連覇」と言っても実に最短でも足掛け9年間、世界のトップに君臨するのですから、まさに「キング・オブ・キング」です。2008年の北京には出場できませんでした。前年に右ひざ靭帯を断裂し2008年4月に手術をしました。普通なら、こんな偉業を成し遂げれば日本では、悠々自適に生きていけそうですが、彼は、何と!「もう一度闘う!」というではありませんか!「もう十分やったから、いいだろう」という気持ちも起きるそうですが、それよりも「闘いたい!」という気持ちの方が大きいそうです。三連覇した時も「すごい!」と思いましたが、そんな偉業を持っているのにボロボロの体で「もう1度闘う!」という言葉に真の「闘う男の姿」を見ました。彼も、また「死ぬ時は、たとえドブの中でも 前のめりに死にたい・・・」という男でしょう。 ↑ ↑ ↑ 勝ち癖を付ける為に、自ら「かちっ(勝ち!)」とクリックしてます。 皆さんの、「勝ち!」のお裾分けを頂ければ百人力! 今までの瞬間最高順位は、「4位/614サイト中」です。 ヽ(゚◇゚ )ノ
2009年03月30日
92000アクセス ありがとうございます。 92000 2009-03-26 23:48:02 *.ocn.ne.jp さん のランキングも、先程、瞬間的に 「4位」 v(^.^)にランクアップいたしました。 ※その上の「TOP3」は、ケタが違うので 「4位」当たりが上限のようです。 「BEST4」「4強」と言う事で・・・さて、よく野球のインタビューで、「観客の皆さんの応援で勝てました。」とか「スタンドが“10人目”の選手です。」などという言葉を耳にします。マラソンや駅伝、他の競技でも同様のコメントを聞きます。私はその事に関して、常々「へん! どうせ好感度アップの為の“おためごかし”やんけ!」と、ひねくれた感想を抱いておりました。このブログを綴り始めて、1年と10ヶ月になりますがもし、このブログを始めてなかったらおそらく今回の受験で(去年は受験していない)自分なりに満足してしまい、「よっしゃよっしゃ!よ~頑張った!」・・・で、お終いになっていたと思います。毎日、好き勝手なことを書いていますが、深夜に綴る事が多いので、結構「ハイ」な状態の時が有ります。自ら、言葉(文字)にして衆人環視の元に曝け出す事によって己を律する・・・という効果もありますが、何と言っても、一言一言のコメントや、アクセスの数などが確実に私を鼓舞し、後押ししてくれる・・・という感覚が日増しに実感できるのです。「スタンドが10人目の選手」というコメントもスタンドの応援が“今、この瞬間のプレーに直接関与する”という意味ではなく日ごろの鍛錬の積み重ねと、それに対する応援の積み重ねが「いざ!」という場面で一気に吐き出されてそれが、起爆剤となりあたかも「10人目の選手の後押し」のように結果に結びつく・・・と解釈しております。元来、私は 「飽き性」で 「根性が無く」 「諦めが早く」 「言うだけでなかなか腰を上げない」 「妄想壁のある」 「屁理屈野郎」 「しかも、すぐにへこたれるヤツ」なのですが今回、受験に失敗したことであらためて「応援」という目に見えない「エネルギー源」の存在を認識して本気で (今までが“本気じゃなかった”という訳ではないのですが)「絶対に、医者になるぜ!」と決意を新たに抱いておる次第です。ブログ上では、この数日前向き強気の発言をしてはいますが、正直なところ、それなりに へこたれております。「これ以上、いつ勉強せぇ!って言うのよ。」「昔みたいに記憶が定着せぇへん。」「眠てぇ時もあるぜ!」などなど、白旗を掲げる口実はいくつでも有るのですが、あいにく、私の人生では、若い頃、とっくの昔に「白旗」は捨てております。「勝ち負け」ではなく「如何に自分の舞台を劇的にするか?」を今後の人生の指標としていますので、窮地に陥るたびに「よっしゃ、ドラマのスパイスが増えたぜ!」と泣きながらも、前向きに捉えていますが、今まで、スパイスばかりが蓄積していますので、どこかで帳尻を合わせないと全然ストーリーがまとまりません。今の所、脚本は「医学部合格」が、50年近くに及ぶ長い長い「かむ太郎劇場~第1章:疾風怒濤編」のエンディングです。 (「ガラスの仮面」よりも長いぜ!)その後に「第2章」が始まります。今までの人生のやり直しは出来ませんが、過去の全てがストーリーのスパイスです。 良い事も、(一見)悪い事も 嬉しい事も、(一見)悲しい事も (一見)苦しい事も、(一見)辛い事も何もかもが、「かむ太郎劇場」の伏線であり感動のエンディングを盛り上げる為の「外伝」であり、「布石」なのです。エンディングを迎えた時点で全ての過去が、ひとつになり(一見)悪い事も(一見)悲しい事も(一見)苦しい事も(一見)辛い事もオセロゲームの大逆転のようにパタパタと、裏返って「ハッピーエンド」になります。来年は50歳になってしまいますが、区切りの良い所で「かむ太郎劇場~第1章:疾風怒濤編」を完結させたいと思います。(「小泉劇場」よりは、良い作品にしたいですねぇ。)・・・う~ん、眠くて、何言ってんだかわからなくなってきたぜ。 ↑ ↑ ↑ 勝ち癖を付ける為に、自ら「かちっ(勝ち!)」とクリックしてます。 皆さんの、「勝ち!」のお裾分けを頂ければ百人力! 今までの瞬間最高順位は、「4位/602サイト中」です。 ヽ(゚◇゚ )ノ
2009年03月27日
今夜も、ガソリンスタンドの夜勤をしております。昨日、 開設666日 777件の記事投稿 88888アクセスという縁起のよい数字が並びました。思えば、666日前に、やり方も良くわからないまま「ぶろぐ」というのを綴り始め、途中、「意図的短期閉鎖」や、心理的ダメージを負っての「療養閉鎖」などが有りながら、「飽き性の俺様が、よくもここまで続いたなぁ」と、率直に感心しております。666日で、88888アクセスですので、1日平均「133アクセス」ほどですが、センター試験前後から、昨日まではその2倍(1日250アクセス)程になります。途中1ヶ月ほど、「書けない」時期も有り、決して平坦では有りませんでしたが、最近は、携帯からも投稿する術を心得て、日に2回ほど投稿する日も増え「投稿数」でカバーしているような感じです。のらりくらりと、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくって、あやしうこそものぐるほしい・・・うちは良いのですが、本題となる「試験」のシーズンとなり今まで訪問してくれていた方々が今までの「2倍」の頻度で訪れている・・・と思っていました。ところが、そういう理由も有るようですが、よくよく「足あと」を見ていると、「楽天」に登録している方以外の訪問者が最近多いのが目立ちます。 ※「キリ番」も、そういう人に当たる確率が高くなってます。 2009-03-15 00:53:25 119.63.*.* 2009-03-15 01:36:24 *.infoweb.ne.jp 2009-03-15 01:11:33 202.248.*.* 2009-03-15 01:10:42 *.ucom.ne.jp 2009-03-15 00:46:03 *.gyao.ne.jp 2009-03-15 00:22:47 *.plala.or.jp 2009-03-15 00:16:43 *.dion.ne.jp 2009-03-15 00:08:05 *.yahoo.co.jp 2009-03-15 00:04:57 202.248.*.* 2009-03-14 23:58:24 iモード 2009-03-14 23:52:50 202.248.*.* 2009-03-14 23:51:54 ***.yahoo.net 2009-03-14 23:37:14 ***.ad.jp 2009-03-14 23:26:57 *.vectant.ne.jp 2009-03-14 23:09:56 iモード 2009-03-14 23:05:41 ***.nasicnet.com 2009-03-14 22:53:14 ***.bbtec.net 2009-03-14 22:35:16 *.yournet.ne.jp 2009-03-14 22:33:52 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 22:22:14 *.plala.or.jp 2009-03-14 22:21:45 119.63.*.* 2009-03-14 22:20:52 *.plala.or.jp 2009-03-14 22:18:25 Yahoo!ケータイ 2009-03-14 22:14:48 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 22:11:24 *.gyao.ne.jp 2009-03-14 22:01:42 *.dion.ne.jp 2009-03-14 21:53:48 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 21:51:17 ***.ad.jp 2009-03-14 21:44:43 iモード 2009-03-14 21:44:23 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 21:43:37 iモード 2009-03-14 21:39:21 ***.ad.jp 2009-03-14 21:36:04 Yahoo!ケータイ 2009-03-14 21:30:21 ***.ad.jp 2009-03-14 21:24:26 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 21:17:58 *.zaq.ne.jp 2009-03-14 21:09:22 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 21:03:46 iモード 2009-03-14 20:58:19 *.ocn.ne.jp 2009-03-14 20:57:38 119.63.*.* 2009-03-14 20:50:05 *.home.ne.jp 2009-03-14 20:40:08 iモード 2009-03-14 20:33:29 ***.ad.jp 2009-03-14 20:30:31 *.eaccess.ne.jp 2009-03-14 20:24:29 Yahoo!ケータイ 2009-03-14 20:04:59 ***.mediatti.net 2009-03-14 19:28:41 iモード 2009-03-14 19:27:20 ***.ad.jp 2009-03-14 19:21:23 *.gyao.ne.jp ・・・こんな感じで、色んなところからアクセスして頂いているようです。その一因(か、どうか定かでは有りませんが)に「三ツ星パワー」さん のように、自分のブログ内で私の紹介をして下さっている方も存在します。ここのブログは、「楽天ブログ」では有りません。従って、「三ツ星パワーさん」のブログを読んだ方がリンクから、私のブログに来てくださった、と思われるアクセスもたくさん有ります。 ※「三ツ星パワーさん」・・・勝手に紹介してしまいましたが、 ・・・「OK」・・・ですよね!?!?!?他にも要因は有ると思いますが、ブログを開設した初日のアクセス数が、 「6件」 ・・・しかも、この内、3件は「エロサイト誘導コメント付」でした。それを思うと、日々訪れて頂いている方にはただただ 感謝 です。特に、開設の黎明期から懇意にしていただきコメントなどを頂いた方には筆舌に尽くしがたい感謝の気持ちで一杯です。・・・漠然としたイメージですが、「アラフォー」の“見目麗しき女性方”と ↑「あら、私の事?」と思った貴女の事ですぜ!貴女!「アラフィー」の“酸いも甘いも噛み分け過ぎたおっさん方” 「俺の事じゃねぇな」と思った貴方ですぜ! ↑が多いような気がします。特に、昭和30年代生まれの方とは「阿吽の呼吸」で理解していただける事も有り、綴りながら、一人勝手にテンションが上がる時も有ります。「漫画を語る」「日本一周放浪記・・・勿論貧乏漫遊記(TへT)」「最近読んだ本」などは、未完成ですので、おいおいと綴って行きたいと思っております。さて、「合格発表」まで、あと数日ですが、参考書や問題集などは、すべて段ボールに詰めて片付けました。「合格」の暁には、4月から医学生です。このブログも 「かむ太郎の【臥薪嘗胆】絵日記」~医学生編と改題する予定です。同時に、今のブログを 「かむ太郎の【臥薪嘗胆】絵日記」 疾風怒濤 編 ~シュトルム・ウント・ドランクと名付けて「保存版」とする予定です。「かむ太郎の【臥薪嘗胆】絵日記」新たなタイトルで始まるのか、それとも「続行」か?4月からのブログタイトルや如何に・・・ どど~ん・・・ ↑ ↑ ↑ 「“見目麗しき”女性」 「“俺は、おっさんじゃねぇ!”という男性」 ・・・是非とも、「勝ちっ!」とお願いいたします。 今までの瞬間最高順位は、「10位/542サイト中」です。 ヽ(゚◇゚ )ノ
2009年03月15日
身体も心も緩み気味の一日でしたが、何とか無事に終える事が出来ました。一日中雨に打たれた身体が電車の座席の暖かさで、じんわりと解凍されるような感じです。どんなに眠い時も、疲れた時も、心配事が有る時も“形”だけでも本を広げる癖を付けていましたが、今日は、ぼんやりと車窓から外を眺めて帰宅します。今夜はガソリンスタンドの夜勤です。久しぶりに「ねっと・さーふぃん」でもしますかね…v(^^)ネット環境が劣悪ですので、“サーフィン”などというカッコイイ状態では有りません。(-.-)私は「ねっと・犬かき」と呼んで日頃から、「我慢する事」を学んでいます。(-.-)とにかく遅くて、いらいらします。
2009年03月13日
「Google」のトップページが何だかいつもと違うな・・・と思ったら、 そうです。本日2月11日は、私の敬愛する 伊能忠敬(いのうただたか:敬称略)の誕生日です。 伊能忠敬を敬愛する理由は、⇒こちらをお読み下さい。今から200年以上も前「人生50年~♪」の寿命の頃に何と!50歳にして隠居し、「1から」測量を学び、自分より20歳以上若い「高橋至時」に師事して、死ぬまでの20年以上を測量に費やしたカッコええ男です。「人生、何事かを為すに、年齢は関係なし!」と学んだのも、この人の生き様からです。今夜も、夜勤の合間をぬって勉強するぜ! ↑ ↑ ↑ 勝ち癖を付ける為に、自ら「かちっ(勝ち!)」とクリックしてます。 皆さんの「勝ち!」のおすそ分けを頂ければ幸いです。 今までの瞬間最高順位は、「10位/542サイト中」です。 ヽ(゚◇゚ )ノ
2009年02月11日
昨日のコメント欄に、一瞬意味がわからないコメントを見つけました。よく読むと、「きどやまBOY」さんの訃報でした。最初は、何かのいたずらか?と思いましたが、どうやら事実のようでした。(TへT) (TへT) (TへT) (TへT) (TへT) (TへT)きどやまさんとは、会った事も無ければ本名も、正確な年齢も背格好も何にも知りません。数回、ブログ上でコメントをやりとりした事が有るだけです。お互いに、「お気に入り登録」をして、互いのブログを読む程度でした。きどやまさんの毎日の日記は、おそらく介護現場で働く人をはじめ介護される人たち、そして経営に携わる方々にもかなり参考になる内容だと思いました。「いつか、医師として、 きどやまさんのいるディに行ってみたい!」というメッセージも送った事が有ります。かなりの高齢のはずですが、ブログのページも日進月歩でいろんな技が盛り込まれ素人の域を越えています。常に工夫をし、新しい事を学び何とか周りを少しでも良くしたい・・・そんな前向きな姿が好きでした。職員の待遇改善や、利用者の利便性や、孫のことや、奥さんのことやそんな事ばかりを考えている素敵な「おじいちゃん」でした。「きどやまBOY」の名前からも、若々しい意気込みが伝わってました。医師として、きどやまさんと会う・・・叶わぬ夢となってしまいましたが、きどやまさんが願う「介護の形」「福祉の形」・・・少しでも、具現化できるよう、この訃報を、私の新たなエネルギー源とさせていただきます。 きどやまさん!絶対医者になるぜ!心から、ご冥福をお祈りいたします。
2009年01月27日
↑バイク屋さんでオイル交換して、満足げ(に見える)な流星号奥には同タイプのスクーター達本日は風も無く、お日様も照ってぽかぽかの陽気です。(^.^)昨日と一昨日は寒くて身体を丸めながら一日中移動してました(+_+)が、今日は、日光をたっぷりと吸収して身体中にエネルギーを充填しています。(゚-゚)暖かいと、自然に手足が広がります。ミーアキャットの気持ちがよくわかります。通りすがりにバイク屋さんを見つけたので、流星号のオイル交換をしました。(^.^)走行1000kmを超えてからず~っと気になってたのですっきりしました。(^-^)後は、事故と風邪に気をつけて本日の任務を遂行します。 「(・_・)
2009年01月16日
お昼ご飯に買ったパンを流星号の前かごに入れたまま走り回ってました。(-_-)きんきんに冷えた「頭脳パン」です。「頭脳パン」とは…金沢製粉の「頭脳粉」を原料として作られたパンを「頭脳パン」といいます。「頭脳粉」はビタミンB1を加えた小麦粉です。(袋裏面の“博士”の説明による)…らしいのですが、果たして効能や如何に!表の博士の絵の上には「祈!合格」の絵馬が描かれてます。絵馬の横には「桜」の花びらです。(^.^)この絵馬も期間限定なんでしょうねぇ。温かいコーヒーと、「冷やし頭脳パン」でめちゃめちゃ遅い昼ご飯をいただきます。もう夕方6時半やんけ~(T_T)
2009年01月15日
休みも、思った通り「あっ!」と言う間に過ぎて本日仕事始めです。センター試験を二週間後に控えながらつくづく、普通の受験生との違いを痛感します。年末に入院した母親の事や、我が家の家計の事や、年始のご挨拶などなど…30年前の受験生時代なら、「受験生だから…」で許して貰えた事も、今では避けて通れません。当時は、母親も今の私より若く、健康の心配などした事も有りません。30年の歳月は、頭で考える以上に自分を取り巻く環境を変化させています。(-.-)幸か不幸か、私には子供がいないので、こうして窮々しながらも「受験」などと言っていられますが、子供がいたら、そんな事も出来ないでしょうねぇ…(-.-)甥っ子やら姪っ子を見ながら「こいつらが将来何かを成したいと思った時手助け出来るぐらいの存在になりたいよなぁ」と、思いました。
2009年01月05日
急性腎不全で急遽入院して、昨日検査結果がわかり少し元気になったおかんに電話したら、予想以上に元気な声で一安心です。(^.^)検査結果が出る前は、今にも死にそうな声でしたが、結果が良好…とわかった途端にめちゃ元気になってます。(゚-゚)「まだまだ七十歳そこそこで、寝込んではおれんわ。」と言うております。(-_-)「今風に言うと、“あらうんど・せぶんち~ん”やから」… (^_^;)… (-.-;)… (-_-)おかんよ、“てぃ”が発音出来ずに“ち”になるのは百歩譲るとしても、それを言うなら「せぶん“ち~”」や!“ん”まで付けたら…あんた、女子高生か!?(TへT)(TへT)(TへT)…そう言えば、一番下の弟が十歳の頃おかんに歳を聞いてた時にいけしゃあしゃあと「28歳や」と答えてました。一番下の弟が生まれた時、おかんは37歳で、この質問をされた時は既に47歳。この時私は22歳です。(-_-)※一番下の弟と私はちょうど一回り違いです。「じゃあ、18歳の時に僕が生まれたんか~」と、最初は気付かずに信じていた弟ですが、私が「おまえの兄の俺が22歳やで!さあ問題です。…28ひく22は?」…数秒後に、おかんの年齢詐称は発覚しましたが、我が家では、その後数年間おかんは「28歳」でした。(-_-)
2008年12月24日
本日は祝日出勤です。めちゃめちゃ寒くて、「うわ~こんな日は外は嫌やなぁ」と、びびっていたら「かむ太郎さん!」と、声がかかりました。相変わらず、声をかけられると「びくくっ」と反応してしまいます。(-_-)人手が足りないので、本日は事務所で事務仕事をお願いしたい…との事でした。「わかりました。そういう事情でしたら…」と勿体ぶって快諾いたしました。(゚-゚)既にラッキーな一日が確保されました。そこへ、実家の義理の妹から連絡が入り入院中の“おかん”の検査結果を教えてくれました。数値は良好で、順調に快復している…との事です。(^.^)早速退院…と行きたいところですが、今度は、弟の一家がインフルエンザで、寝込んでしまい、こちらが快復するまで、おかんの退院はお預けとなりました。今週中には、皆元気になれそうです。(゚-゚)文字通り「祝日」となり、今日のお昼ご飯は、赤飯のおにぎりにしました。(^。^)v
2008年12月23日
先日、実家の母親が入院しました。「急性腎不全」との事です。土曜日、夜勤明けに見舞いに行ってきました。母親は、昭和10年生まれ、73歳です。私の記憶に在る限りでは、父と結婚して「幸せ」は、おろか「平穏無事」な時期も有りません。 ※文字通り「修羅場」の時期も有りましたし、 言葉や文字にすると、当時の事を思い出し、 当時子供で、直接矢面に立たなかった私でさえ 堰を切ったように泣き出してしまいそうで、 幼少の頃の記憶は、「封印」しています。父は、私が23歳、すぐ下の弟が21歳一番下の弟が11歳の時に他界しました。享年47歳でした。当時は、あまりの悲惨な家庭事情故に、私が「離婚届」を偽造してまで、父を家から追い出す形で別居させました。その後1年以上音信普通でしたが、「虫の知らせ」か・・・「脳卒中」で倒れる1週間前に父から電話が有り、顔を合わせています。葬式の時は、複雑な気持ちで、「母親の為には、父の死は、良かった・・・はず」と自分なりに受け止めていました。一時は、「こいつ(父)が生きていたら、 世のため人のためにならん!」とまで思いつめた事が有るぐらい、我が家は荒んでいました。 ・・・それでも、今となっては、 その父の言葉や姿から多くの事、 しかも、私の生き様を決めるような 本質的な事や、根幹を成す事を学んでいた 自分に気がついているんですが・・・父が死んだ頃は、私と、すぐ下の弟はまだ学生で、それぞれ家を出ていました。一番下の弟と、母が一緒に住んでいました。小学生だった一番下の弟は、その後中学、高校、と年を重ねるにつれ俗に言う「グレた」状態になり、リーゼント、剃り込み、裏地に竜虎の刺繍が入った学ラン・・・と、絵に書いたような感じでした。 (このヤンチャな弟とは、当時も今も 何故か気が合うのです。)私と、すぐ下の弟は学校を中退し、働き始めました。母親も、慣れない仕事をしながらも、何とか生活をしていましたが、時々、「もう死んだほうがましや。」とか、泣くばかりで、言葉にならないという電話がかかってきたり、親父が生きてた頃とは違う心労が有りました。そんな母親も、今では当時グレて、悩みの種だった一番下の弟と同居しています。嫁さんと、3人の孫に囲まれて(私が記憶する限りでは)初めて「平穏無事な」生活をしています。70歳過ぎまで働いていた仕事も昨年ようやく辞めて、幸せな「おばあちゃん」になっています。あちこち「ガタ」が来ている事も否めませんし、元々、それほど丈夫な訳でもないので、「入院」と聞いても、私は、それほどビックリした訳でも無かったのです。見舞いに行くと、はっきりわかるほどやつれていました。母親と話をする中で、 「いろいろ有ったけど、 今は、幸せやから満足やわ。」とか、 「最後の方で、夢みたいな暮らしができて 私の人生も捨てたもんじゃなかった。」とか言うので、私は以下のような“叱責”をしてきました。 「あほぉ! 今は確かに、“平穏無事”かもしれんが、 今の生活は、“当たり前”の事や! あんたは、ず~っと、えらい目にばかり遭って 親父にも泣かされっぱなしやったやんか。 そりゃぁ、あの頃に比べれば、今は 幸せの絶頂かもしれん。 でも、あくまで“あの頃に比べれば”の話や。 今は、ただの当たり前で、俺に言わせれば “幸せ”なんていうのには全然足りん! むしろ、あんたの人生、トータルしたら、 あの頃のマイナスが有る分、 めちゃめちゃ「不幸」なんやで! その分、取り返してはじめて “トータルで、プラマイゼロ”や! その上更に、もう一発何かええ事でも無けりゃ あんたの人生“負け”のまんまや! 俺が20代の頃までは、多分あんたの子供3人の中で 俺が、一番“ええ子”やったやろ・・・ で、一番下が“どうしようもない奴”やったはずや。 でもな、今は、 そのどうしようもなかったあいつと暮らして あんたが求めてた平穏無事な家庭が有る。 あいつは本当に親孝行な奴だと思う。 それに引き換え 傍から見れば、 下二人の弟は、マイホームも、子供も 人並みに手にして「親孝行」や。 結局、一番上の俺は あんたに何にもしてやってない。 たかだか3人だけの兄弟やけど、 俺は俺で、一番悔しい思いをしてるんやで。 今までも、何とか“ええかっこ”したいと思って いろいろやってきたけど、 結局、何も身にならんかった。 今の俺は、一番憎み嫌っていた 親父以下かもしれへん。 暴力振るったり・・・は流石にせぇへんけどな。 だからな・・・ あんたの、最後の「もう一発何かええ事」は、 俺がやってやらんと、格好がつかへん。 だから、前にも言ったけど、 あんたが死ぬ時は、 俺が主治医として看取ってやるから、 それまでは、“もう満足”とか “十分幸せ”とか、ぬかすなよ。 おばあ(祖母)は87歳まで生きたんやから あんたは、88歳までは生きろ。 あと15年や! これからが、ほんまの「幸せな余生」やで! それまでは、気の弱いことを口走るのは まかりならん!」・・・途中から、おかんは泣き出してしまい、話を終える頃来た、事情を知らない看護婦さんに「見舞いに来て、病人を泣かせるような事を してたんじゃ駄目でしょう。」と、叱られたのは言うまでも有りません。以前、「あんたが、医者になるまで待ってたら 100歳まで生きなアカンやんか。」と、言ってたおかんですが、今回「88歳」と聞いて「それなら何とか・・・」と少々ほっとしたようです。上方修正、という事にしておきましょうか。物心ついた頃から私が苦境に立つ度、 「ケツまくるのはいつでも出来る。 アカン!と思った時から、ホンマにアカンようになる」 (おかんは、大阪人です。 「ケツまくる」⇒「投げ出す」「逃げる」「あきらめる」 ・・・という意味ですかね?)と、常々言ってたおかんですから、私の真意も、理解してくれていると思います。 憎かりし頃の親父の話は・・・ ⇒「我が父を、ちょっぴり語る」 ⇒「さっきの続き・・・我が父をちょっぴり語る」 ⇒「ちゃぶ台返し」 ⇒「25年・・・四半世紀 今日は命日です。」 ⇒「ついでに思い出したこと・・・」我がおかんの話は・・・ ⇒「10月の憂鬱」幼少時代の苦い記憶の一部は ⇒「巨人の星」は、最終回を最近初めて見た! スクロール
2008年12月23日
土曜日の晩、 「K-1 WORLD GPシリーズ」を見ました。今回で、もう16回・・・16年にもなります。初めて見たのは第2回(1994年:平成6年)です。ビデオテープで見たような記憶が有ります。「20世紀最強の暴君:ピーター・アーツ」と「佐竹雅昭」が決勝戦で戦いました。当時のピーター・アーツは、まさに「最強」で「俺様もこいつには勝てそうにないなぁ。」と、感じたモンです。 (私は、格闘技をやってるわけでもなんでもないので、 常に「こいつには勝てそうにないなぁ。」 と、呟いています。)翌年(1995年:平成7年)、彗星の如く現れ、後に「K-1の番長」「無冠の帝王」の異名を冠するジェロム・レ・バンナが怒涛の強さを見せつけ決勝でピーター・アーツと戦います。この年は、「アーネスト・ホースト」と「マイク・ベルナルド」が、この二人に準決勝で負けたほどですので、如何に凄かったか・・・想像できる事でしょう。 ※因みに、この翌年“あの”アンディ・フグが優勝。あれから、13年・・・ピーター・アーツも、ジェロム・レ・バンナも当然のように全盛期を過ぎています。ところが、今年もこの二人は決勝トーナメントに名を連ねてきました。ピーター・アーツは、38歳ジェロム・レ・バンナは、35歳です。アーツも、バンナも初戦で敗れベスト4に上がる事が出来ませんでした。二人とも、相当なダメージを被りました。二人とも既に体はボロボロだと思います。それでも、常に闘志を剥き出しにして全盛期ををも髣髴とさせる闘いの姿勢は見習うべきものがたくさん有ります。引き際の華麗な人もいれば、ボロボロになるまで引退しない人もいます。それぞれに、「美学」が有ると思いますが、ボロボロになるまで続ける人にどうしても、より多くの拍手を送ります。バンナには、どうしても1回優勝して欲しいのですが、当然、他の選手だって必死ですので、そう簡単にはいきません。それでも、前に進むバンナの姿が大好きです。また来年も、決勝トーナメントで彼の勇姿を見たいものです。今回優勝した「レミー・ボンヤスキー」が初戦でバンナの左腕を破壊した時は、「バンナ~!俺の左手を貸してやりてぇぜ~!」と叫んでいた かむ太郎です。(骨折したバンナの腕の方が はるかに破壊力が有るのは言うまでも有りません。)・・・それにしても、16回の大会の内第1回の「ブランコ・シカティック(クロアチア)」第4回の「アンディ・フグ(スイス)」第9回の「マーク・ハント(ニュージーランド)」を除いて、「ピーター・アーツ」・・・3回優勝「アーネスト・ホースト」・・・4回優勝「レミー・ボンヤスキー」・・・3回優勝「セーム・シュルト」・・・3回優勝この4人は、すべて「オランダ国籍」です。 (ホースト、ボンヤスキーは、「スリナム」出身)オランダ・・・って、チューリップと風車のイメージでしたが、強烈な格闘家を輩出してるんですねぇ。歴代の「ベスト4」をはじめ、K-1の“イロハ”はこちら⇒「K-1のイロハ」
2008年12月08日
阪神タイガースの下柳投手が、子供向けのインタビューか何かで語った言葉です。「(自分がやりたい事を)辞める理由を考えないで、続ける理由を常に考えてほしい。」40才を過ぎて尚、現役投手としてチームの大黒柱に君臨する男の言葉は、深く心にしみ込みます。(゚-゚)大きな目標に立ち向かう時、様々な障害や、困難が待ち構えています。その度に、諦める理由が百でも二百でも浮かんできます。どれを取っても、その場から逃げ出し、目標に向かわなくても、「決して負けた訳じゃない。よくやった。」…と、体裁を繕うには充分な理由ばかり…。それでも、そんな誘惑に負けずにたった一つで良いから、「諦めない理由」「進み続ける理由」を見失わないようにしたいものです。(*_*)
2008年10月28日
本日は、昼から川越市内で研修です。「東京近郊路線図」を手にしながら電車に乗っています。平塚、根岸、菊名、韮崎、武蔵境、桶川、上尾、久喜、古河、小山、赤羽金町、松戸、船橋、稲毛、君津、日立JRの駅だけでも、記憶している地名が沢山有ります。これらの土地は、借金返済の為に、全国あちこち走り回っていた頃に訪れた土地です。地名を見ると、当時の事が思い出されてつい感傷的になってしまいます。今となっては、当時の苦い経験が自分を支える原動力の一部になっていると思います。今回、たまたま東京近郊の地名で苦い記憶を喚起しましたが、他の土地土地に、同じような記憶が有って日本全国どこへ行っても「当時の苦い記憶」⇒「今の原動力」と変換されて、エネルギー化されてます。
2008年09月17日
三連休初日です。普段から限られた「隙間時間」に集中して細切れ勉強をしているせいか長時間集中できません。それでも、細切れ時間を積み重ねればそこそこの勉強時間を確保できる…などと言う戯言が吹き飛ばされました。今テレビのニュース番組内の特集で「雷に打たれた少年」というのを見て己の甘さを痛感しました。学校のサッカーの試合中に落雷を受け瀕死の状態から立ち上がろうとする少年の話です。詳細はここでは綴りませんが、今なお、リハビリを続けながら、片足の靴を履くにも数時間かかる…そんな状態の彼が「今度は自分が誰かの車椅子を押してあげたい。」との思いで、福祉の学校へ行くのです。こいつ(親愛と畏敬の意を込めて、敢えて「こいつ」)がこれだけの思いで努力してんのに俺の今の状態は、こいつから見れば「ぬるま湯」やんけ~。とかく自分の事は「人より苦労してる」とか「結構頑張ってる」と評価しがちですが、私の場合は、如何なる時も「まだまだ甘い!」「まだまだ足りん!」ぐらいの自己評価でないとあきまへんこういう特集番組や、スポーツ選手の人知れぬ舞台裏の話などを見る度に、決意を新たにするのですが、裏を返せば、決意が長続きしてない…って事です。怠け者の「かむ太郎」ですが、特集番組やスポーツ選手の話を聞きながらでも、自分の尻を叩いて行こうと思います。
2008年09月13日
七月十日に「仮眠中」の投稿をして以来気が付いたら、かれこれ五週間も経ちました。「まだ仮眠中?」というツッコミや、メールを通じての安否確認などいろいろと御心使いを頂きまして感謝しております。(TへT)昨年九月に、「お休み宣言」して、しばらく筆を置いた時ですら四週間程でしたので今回の五週間は、その時以上の断筆期間です。予め、期間を決めて「お休み宣言」をする律義な私のはずですが、今回は、私の人生の根幹を揺さぶる事が有り相当なダメージを受けてしばらくは「頭の中が真っ白」な日々でした。かと言って、そんな状態でぼけ~っとしているわけにもいきません。仕事に行かねば、おまんまの食いあげです。操られるように起きて、這いつくばるように仕事に行き、潜在意識下だけで職務を全うし、夜勤明けの身体を湯舟に浸けて、くたくたなのに眠れないので、無理矢理アルコールを喉に流し込んで、浅く短い眠りを得て、また仕事に行く…「寝る」事と「起きる」事にエネルギーのほとんどを消費してました。気が付いたらもう五週間です。毎日が、朦朧とした中で、淡々と過ぎて行きました。ここのところ、弱音や泣き言を、ちらほらと綴っていたので歯車がおかしな方向に噛み合ってしまったんでしょう。人生設計の修復を余儀なくされるまでになっしまったぜぃ。(…と言っても、医者になる!事は変更無し。)さてそんな事ばかり綴っていても何にも良くならないので、本来の「面白くて、為になる かむ太郎日記」を再開いたします。力石徹が死んで、抜け殻になった矢吹丈がカーロス・リベラやホセ・メンドーサに挑んでいく場面。美奈さんが死んで、抜け殻になった星飛雄馬が、大リーグボールを編み出す場面。そんな所に今の自分を置いています。頭の中には、勿論ロッキーのテーマです。いろんな壁にぶち当たったり、人生の大きな岐路に立った時に、いつも決め手になるのは、偉人の言葉でも無く、難しい本の理屈でも無く、文学や哲学の思想でも無く、漫画のヒトコマや台詞なんです。(-.-)(しかも梶原一騎がほとんど…)朦朧とした毎日の中でも、通勤の往復三時間半は、しっかりと「数研出版 チャート式数学」を毎日開いておりました。頭に入っているかどうかは別として、我が姿勢に…あっぱれ六月に受験した「個人情報保護士」の試験は、“当然”合格してました。
2008年08月13日
新聞に女子バレー五輪の出場選手が載ってました。セッターの竹下選手は、身長が159cmなんですねぇ。女子でも2メートルを超える選手がいる中で高さのハンディをものともせず「世界のセッター」として活躍する様はとても感銘を受けます。「世界のセッター」と言えば男子バレーの猫田を思い出します。東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール四大会に出場して、銅・銀・金・四位彼も160cmそこそこしかなかった。身長のハンディ克服も凄いですが、年齢のハンディ克服も凄い!テニスの伊達公子の復活は、素直に「すげぇ」と思います。野球では、工藤投手サッカーでは、三浦カズ今日の日本のサッカーが、ここまで強くなったのもカズの存在が在ればこそ…です。カズも、工藤も、クルム伊達も現役にこだわっているのが凄い!心から応援させていただきます。
2008年07月09日
今日(17日)は、久しぶりの休みです。元来、人より多くの睡眠時間を要するのですが、最近は、不規則な上に1日平均4時間ぐらいの睡眠時間でしたので、頭がすっきりしません。4時間の睡眠も、「2時間×2回」とか「1時間+3時間」とかとぎれとぎれの日が多いので、ますますスッキリしません。今日は、「寝るぞ!!!」と、気合を入れて寝たので、(携帯も、家の電話も、玄関チャイムも「OFF」です。)実に、15時間寝ました。受験生にあるまじき行為ですが、この辺で、調整しないとカラダが続きません。15時間も寝ると、返って頭が「ボ~ッ」とするのですが、ここ数年、こうして月に1回ぐらいは睡眠時間の帳尻を合わせる生活が続いてますので慣れたものです。(以前は、連続25時間寝てました。)頭がスッキリしたところで、今夜も、「勉強」と「新規事業の作戦立案」です。最近、テレビや、雑誌で「脳細胞は、年を取ってからでも活性化する。」とか「脳細胞は、訓練すれば増える。」という研究結果が報告されてるようで、40代後半の受験生としては、「ふっふっふっ・・・ ようやく時代が俺様に追いついてきたか。」と、喜んでいます。
2008年06月17日
昨年五月十九日に「ぶろぐ」というのを綴り始めて本日で、丸1年が経過しました。この間、四万を超えるアクセスを頂き、時には、叱咤激励時には、賛同時には、「そりゃ違うぜ!」などなど幾多の書き込みを頂戴しました。1年を振り返ってみると結局は、能書きを垂れるばかりで何ひとつ満足に前進していません。かろうじて、月々の食い扶持を確保しているぐらいで情けない限りです。…と、「反省は手短にして先を見る」という癖だけは付きました。今日から成すべき事はまず「出来ない理由」をすべて排除する。毎月の到達目標を明確に書き出す。「数年後」では無く、「来年」のセンター試験に向けて勉強する。(かと言って他の事を手抜きしない!)以上、(何度目かの)「新たなる決意」です!
2008年05月19日
↑熱海駅の芸妓はん京都以外で見かけたのは初めてです。一泊二日の「合宿」が終了しました。一路岐阜へ向かい、夜勤のアルバイトに直行です。
2008年05月18日
「合宿」の初日のプログラムは終了しました。百人以上の参加者の前でも「これから医者になる、かむ太郎です。」と宣言してしまいました。ますます本腰入れねば…
2008年05月18日
生まれて初めて降り立った熱海の夜景です。
2008年05月17日
相方のお誘いで、今日、明日と「合宿」に行ってきます。学生の頃から「体育会系」の雰囲気が苦手な私にとって「合宿」という言葉が重くのしかかります。実際は、「勉強会」のようなものらしいのですがびくびくしながら一人新幹線の中です。相方は、昨日東京に行ってるので、そちらから直行です。「合宿」は、熱海です。何故、熱海?新幹線に乗り慣れない私は「上り」「下り」を間違えずに乗るのが精一杯で「指定席」「自由席」の事まで頭が回らずどっかりと座って缶コーヒーを飲んでる所へ外人さんが「いっつ、まい、しーと!」と言ってくるまで、ひと様の指定席でくつろいでいました。岐阜羽島の時点では、空席だらけだったのに名古屋を過ぎた今となっては自由席は、ほぼ満員です。結局、熱海まで座れそうに有りません。
2008年05月17日
48歳8ヶ月で他界した「我が親父」は私が小学生の頃から 「人間は、いつ死ぬかわからない。 これだけは、“年の順番”ってわけじゃねぇ。」 「夜寝て、朝目が覚める・・・ これが“当たり前”だと思うな。」と、「世の無常」を語っていました。朝、目が覚めなければ・・・永遠の眠り となります。近頃、細切れに睡眠を取るので車の中、椅子に座ったまま、入浴中、・・・いつでも、どこでも「がっ」 と寝て「むにゃむにゃ・・・」と起きます。たまに、布団で寝ると、まるで布団がカラダの一部のように熔けるように、一体化してしまいます。そして、どんな時も“当たり前”のように目を覚まします。私は、生まれてから48年と3ヶ月生きてきました。親父が他界した年齢まで、あと5ヶ月です。この先、やらねばならぬ事がごちゃまんと有ります。少なくとも、親父よりは長い人生を送り、己の脚本を演じたいと思っています。父方の爺様は、99歳で大往生。父方の婆様は、若くして他界。(親父が小学生の頃)母方の爺様も婆様も、90歳ぐらいまで生きてた。母方の伯父は、50歳で他界。・・・血統だけでは、判断できないなあ。血統といえば、父方も母方も「近視」の親族は皆無なのに、私は小学生の時から「メガネ族」「血統の影響が大きい」といわれる糖尿病すら親族一同誰もいない。頭髪に至っては、「あんた、ホンマに70歳か?」と言いたくなるほどフサフサ揃い。どうも、親族の中でDNAにズレが有るようです。※もっとも、メンデルの法則によれば、「3:1」の1「9:3:3:1」の1が出現するので、誰かがかぶらねばならんのだろうが、何だかワリに合わないような気が・・・ 真面目でお人よしで小心者・・・の母方一族 山師で何者をも恐れぬ大胆・・・な父方一族DNAは、どういう配分で私の所に来てるのでしょうか?これらの一族、ひいては御先祖からいろんなものを頂いて我が身ができてます。頂いたものは、精一杯大切にしていこうと思います。とにかく、健康で長生きして、30年分ぐらい遅れを取り戻さねば・・・120歳ぐらいまで健康で生きてれば回り道をした分も取り返せるでしょう。スクロール
2008年05月03日
今の仕事先営業所が、来月閉鎖します。当然のように、皆、今の仕事には前向きになれず次の仕事探しに心がシフトしています。私も、何とか次の収入源を確保せねばなりません。(今の会社は、本部が名古屋にあるので次の仕事を紹介してもらっても遠方ばかりなので皆さん自分で探してます。)そんな状況の時に限って今まで、アプローチしてきたお客さんから問い合わせや、注文が来ます。車を走らせながら、正直「面倒臭いなぁ~」と思ってました。ぼんやりと運転しているうちに「このお客さん…一ヶ月前に行ったとこだよなぁ」「あの頃が一番しんどかったなぁ」「考えて見ればあの苦しい時に、いやいやでもお客さんとこを回ったから今になって結果が出て来たんやなぁ」と気が付きました。何事も、種を蒔いて 水や 肥料や 日光を与えて、時間と手間をかけて初めて花を咲かせ、実を付けます。苦しい時期に、苦しさに押し潰されて何もしない(種を蒔かない)と その次の月も、当然結果(花や実)は出ません。その又次の月も、結果は出ず、ますます悪い状況になります。苦しい「今」こそ、苦しさに押し潰されている暇は有りません。常に、「今こそ」 「種」を蒔く時です。種を蒔けば、「必ず」花が咲き実が付く…というわけには行きませんがそれでも「蒔かない種は、実も付かないし、花も咲かない」何だかわからんけど今日も、前進するぜ!
2008年04月19日
溜まっていたビデオを見ました。「ザ!世界仰天ニュース」の全米を動かした少女アレックスに感銘を受けました。 ↑ ↑ ↑ 番組を見てない方は、是非読んでみて下さい。特に、彼女の好きな言葉 「人生が酸っぱいレモンをくれるなら それで甘いレモネードを作ればいい…」この言葉が、心に響きました。アレックスは、わずか8年の人生でしたが、普通の人生よりもはるかに“濃い”生涯だったと思います。こういう番組を見る度に心に感銘を受けますが、一晩寝たら、すっかり忘れてしまいます。四六時中、自分を鼓舞し続けるのも難しい事ですがせめて、自分の心に響いた瞬間の事は忘れずに日々過ごしたいものです。
2008年04月13日
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