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2005年08月25日
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テーマ: ニュース(100341)
カテゴリ: ニュース
東京都杉並区の教育委員会が「つくる会」の教科書を採択し、それに関する報道がにぎやかな昨今を評して、きょうの東京新聞に読者が次のような文章を投書しています;



 そもそも一冊の教科書だけで歴史観や思想が固定化されてしまうほど、人間はやわな存在ではないはずだ。子どもたちの歴史への関心は、現場の教師の指導、広範な読書や芸術鑑賞、旅行などによっていくらでも開かれうるものである。
 自らの信条に反するものは、何としても排除しようとする行動は、正義は自分たちのみにあると信じるおごりに通じる。古来、正義のもとに多くの流血がくり返されたが、「戦前への回帰」を防ごうとするあまり、道がそちらに行ってしまっては何にもならない。
 子を持つ親としては、どんな教科書が自治体で採択されようと大した問題ではない。ただ、わが子が偏狭で独善的な人間にだけは育たぬよう、心がけるのみである。この事態が不毛の争いにならぬよう強く望んでいる。


2005年8月25日 東京新聞朝刊 12版5ページ「発言-教科書だけで思想固まらぬ」から引用

一見して正論が述べられているように見えますが、私は少し意見が異なります。

> そもそも一冊の教科書だけで歴史観や思想が固定化されてしまうほど、人間はやわな存在ではないはずだ。

私もそうであってほしいと願っておりますし、歴史や思想に興味を感じる人は、学校の教科書だけで満足せず、さまざまな本や情報に接してより大局的な視点から客観的な認識を持つに至ることと思います。しかし、そういうことにあまり興味を感じない人は、ある時、いきなり太平洋戦争の話題に遭遇した場合、「ええと、確か、教科書ではこうだったな」というふうに、かつて学んだ教科書に思いを馳せるのではないでしょうか。そのときの「教科書」が古色蒼然とした右寄り偏向教科書では、結局その人の認識はその「教科書」で決められるということにもなりかねません。
その良い(?)例が、一国の首相にまでなった優秀な人物が、戦後、民主主義と平和主義の国として50数年もたったというのに「わが国は天皇を中心とする神の国だ」と公の場で堂々と発言する。これなどは、普段あまりものを考えず、とっさのときには子どものころ叩き込まれた「皇国史観」がモロに出てしまったものと考えられます。
そういうこともあるので、中学や高校という多感な時期の生徒には、あまり変な教科書をすすめるべきではないと思います。






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最終更新日  2005年08月25日 21時21分18秒


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