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毎年、憲法記念日になるとメディアが発表する世論調査の結果について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は6日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 憲法記念日の恒例行事となった全国紙ほか報道機関各社の世論調査。この種の調査で必ず設けられているのが「憲法を変えたほうがいいと思いますか」という質問だ。 結果はたいていYESがNOを上回る。 今年の調査では朝日新聞は49%、読売新聞は57%が改憲に賛成で、それぞれ反対より多い。他社の傾向もほぼ同じ。 でもさ、こういう質問って「引っ越しをしたほうがいいと思いますか」くらい無意味なのよね。引っ越し先がどこかも提示されていないのに、賛成もヘチマもない。 実際、質問が「憲法9条を変えたほうがいいと思いますか」に変わるとちがった結果が出る。朝日は「変えないほうがよい」が63%で「変えるほうがよい」は30%。読売は「これまで通り解釈や運用で対応する」が43%で「憲法を改正する」の38%を上回った。 改憲派はよく「時代に合わなくなった」という理由をあげる。「日本国憲法の改正実現に向けて」と題された今年の自民党の資料にも「国家の基本は維持しつつも、時代の変化に応じてアップデートしていかなければならない」とある。 選択的夫婦別姓も同性婚も認めないのに、憲法だけはアップデートが必要って笑わせるわ。「時は来た」と首相はいうけど、時って何? 「今の家にも飽きたでしょ」みたいな話なんですかね憲法は。(文芸評論家)2026年5月6日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-アップデートの謎」から引用 大手新聞社が憲法改正について、漠然とした表現で憲法改正について質問するのは、自民党政府の意向を忖度した結果だと思います。何か具体的な「問題」があって、それが憲法を変えなければ解決できないという事態が、国民全体の認識として存在しているのであれば、そのような表現でも質問者の意向が回答者へ正しく伝わって、調査結果には正確な「世論」が示されるはずですが、自民党政府は自分たちが抱えている「問題」は、国民と共有できる問題ではなく、国民は「出来れば回避した問題」、すなわち「増税」とか「兵役義務」とか、そういう「問題」を解決するために「憲法改正」が必要と思っているが、それを直接国民に訴えて賛同を得るのは不可能だから、何食わぬ顔で「憲法も、時代に合わせてアップデートが必要ですからね」と、「憲法改正」に対する国民の警戒心を和らげることに熱心なのが、戦後の自民党の姿勢であり、それに歩調を合わせていけば「新聞売り」の商売も順調にいくはず、という大手新聞社の目論見が、「憲法もアップデートが必要」などという「記事」になっているのが現状というものだろうと思います。メディアのあるべき姿は、地方紙のように、一人一人の国民の生活を重視する立場からの世論調査であり報道だと思います。
2026年05月24日
日米同盟の強化が最も現実的な安保戦略であるとする日本政府の姿勢について、東北大名誉教授の大西仁氏は7日付朝日新聞で、次のように批判している; 敵対国との間で「力」の均衡を保てば戦争を抑止できるといった発想のもと、各国は競い合うように軍事力増強に取り組む。安保3文書改定に着手した日本も防衛力と日米同盟の強化が現実主義的な安保戦略だとして力を入れる。 ◇ 世界はここ数年間で劇的な変化を遂げ、平和な時代から戦争の時代へと転換しつつあります。今日の世界には三つの特徴があります。 第1に「弱肉強食」。勢力圏争いを展開する米中ロの大国が中小国に過大な要求を突きつけ、軍事力の行使も排除せずに実現を図る状況です。第2に各国家が戦争を行う際、国際法や普遍的倫理を軽視し、民間人・民間施設を標的にする「掟(おきて)なき戦闘」が常態化しています。第3は「仁義なき戦い」。同盟の性格が根本的に変わりました。価値観を共有する同志の集まりではなく、自国の損得で不利と判断すれば義務を果たさず離脱する関係になりつつあります。 このような劇的変化の結果、日本の軍事力と日米同盟の強化こそが現実主義的な安保戦略だとする主張は、世界の現実に合わなくなっています。 まず、抑止で戦争を防止するのが難しくなりました。協議中のイランへの米国の奇襲攻撃を目撃した中国は、日米の抑止力強化を見て、威嚇ではなく、日米が先制攻撃をする準備だと判断する可能性が高くなっています。中台危機などに際し、状況が不利になる前に在日米軍や自衛隊基地を先制攻撃しようとする恐れは増しています。 さらに現代戦では相手国の継戦能力をそぐため重要インフラへの攻撃が常態化していますが、日本は発電所や新幹線、港湾などに完璧な防衛体制を整えることはできません。そして、日中戦争が起きた場合、米国が必ず日本のために戦ってくれるという期待は幻想に近いものになりつつあります。米国が対中戦争という膨大なコスト(代償)を負うのは日本のためではなく、米国が中国とのパワーゲームで有利と計算した場合だけです。 では日本はどうするべきか。私は、非軍事的パワーを最大限活用する「スマート戦略」に取り組むべきだと思います。 具体的には、政治指導者は、政治的に対立している国が挑発と受け取る言動を厳に慎み、米国抜きの国際共同安全保障体制を整え、外交や経済による関係の深化で戦争を最大限回避することです。戦争の時代こそ、外交を軽視してはいけません。日本から戦争を仕掛けることはないという平和国家の原理を、今後も維持する姿勢を見せることは重要です。 バランス・オブ・パワー(勢力均衡)による安全保障は、大国同士が戦争を起こさない前提で成り立ちますが、その前提は崩れています。現在の世界は、至る所に大量の火薬がばらまかれているような状態です。これからは軍事力強化による勢力均衡ではなく、デタント(緊張緩和)を追求するべき時代なのです。(聞き手=編集委員・園田耕司) *<おおにし・ひとし> 1949年生まれ。専門は国際政治、特に国際体系の変容と安全保障の研究。東大法学部卒。米カリフォルニア大学バークレー校博士課程単位修得。2026年5月7日 朝日新聞朝刊 14版 3ページ 「この国のゆくえ-非軍事的パワーで緊張緩和を」から引用 世界がここ数年間で劇的な変化を遂げて、戦争の時代になったかのように言われるのは、冷静に見れば、これまでアメリカ帝国主義が秘密裏に世界中の気に入らない政府を、CIAを使って転覆させて来たものが、最近ではそれが「秘密」にできなくなって、なんでもすぐに報道されて世界中に知れ渡ることになっただけのことではないかと思います。上の記事だけでは、ロシアが理由もなくいきなりウクライナに襲い掛かったかのような言い方ですが、あれはアメリカとNATOが冷静終結当時の「ソ連」との約束を守らずに、米軍基地をどんどん東へ移動させて、遂にウクライナにまで米軍基地を置く寸前までいって、プーチンが「待った」をかけただけのことで、ロシアの軍事力を見くびったNATOとゼレンスキー大統領の責任は免れません。また、上の記事が指摘するように、日本政府が「安保3文書」の改定だの、継戦能力の向上などと言って余分な武器を買いそろえるのは、無駄に近隣諸国を刺激するだけで、安全保障どころかかえって戦争勃発の危機を高めるだけだと思います。戦後永らく日米安保条約で日本の安全が守られてきたような気分でいても、そういう時代は東西冷戦の終了と同時に終わったのであり、その後時間が経過して、アメリカはもはや太平洋の向こうの日本や韓国を防衛する力は失いつつあるのですから、日本はもはやアメリカ依存の路線をやめて、中国との友好関係構築に邁進するべきであり、そのような政策に不向きな高市早苗は早めに交代させるべきです。
2026年05月23日
政府が「昭和の日」に開催した昭和100年記念式典について、元文科官僚の前川喜平氏は3日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 4月29日の昭和の日に日本武道館で、天皇と皇后のご臨席の下、政府主催の昭和100年記念式典が行われた。前半は国歌斉唱と三権の長の式辞。天皇の「お言葉」はなく、後半は海上自衛隊の音楽隊による「昭和歌謡ショー」だった。 高市早苗首相の式辞の前半は、昭和天皇の巡幸と戦後復興、その後の経済成長、1956年の国連加盟や冬季五輪での猪谷千春選手のメダル獲得などの話。軍国主義や侵略戦争への反省の言葉は一切なく、昭和時代の称賛に終始した。後半は「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」「挑戦しない国に未来はありません」「日本列島を強く豊かに」など、所信表明か選挙演説のようだった。 僕が最も危険性を感じたのは「日本の誇るべき国柄」を次の世代へ引き継ぐ責任という件(くだり)だ。 「国柄」は「國體(こくたい)」と同義であり、天皇制に依拠した戦前の国家主義を示す言葉だ。個人の尊厳を根本的な価値とする日本国憲法とは相容れない。 そもそも昭和は1945年8月15日で断絶している。祝うなら100年ではなく80年だ。この式典は、天皇と元号を政治利用して大日本帝国への回帰の機運を作り出す企てではないのか? 参列させられた若者たちは、これが何のための式典なのか考えてみただろうか。黙って座っておられた天皇と皇后は何を思われただろうか。(現代教育行政研究会代表)2026年5月3日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-昭和100年記念式典」から引用 昭和100年記念式典は問題の多い式典であった。この記事が言うように、明治維新をきっかけに始まった大日本帝国は1945年8月15日の当時の天皇の「敗戦の宣言」によって終焉を迎え、その後は占領軍(GHQ)の統治が始まり、やがて国民主権、三権分立、平和主義の民主主義の国家に変貌したのが事実であり、天皇主権の戦前と国民主権の戦後ではまったく異なるのが「日本」なのであり、その「事実」をなかったものであるかのように演出したかったのが、高市早苗の「本音」であったと考えられます。天皇のご一家の隣席を得ながら、一言のあいさつもさせなかったのも、高市早苗の「本音」のなせる技で、東南アジアのかつての激戦地を訪ねて慰霊する皇族の発言を、できるだけ国民には聞かせたくないのが高市早苗の本音です。こういう人物を首相にしておくのは、将来の日本にとって実に危険なことですから、可及的速やかに政権交代をするべきだと思います。
2026年05月22日
3日付神奈川新聞の「特集『憲法こそ未来』」で、東京都立大学教授の木村草太氏は、戦後の80年間にわが国の憲法がどのような役割を果たしてきたのか、次のように述べている; 戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた憲法9条は、日本をどう平和国家たらしめてきたのか。東京都立大教授の木村草太さんは「9条は二つの役割を果たしてきた」とし、政府と国民の意識に根付いた「自己拘束」が今も効いていると説く。(聞き手・松島佳子)――憲法は武力行使をどう定めているのか。 「9条の前提として98条2項があり、前文がその意義を示す。前文は憲法全体の趣旨や理念を示したもので、『なぜ憲法に従って統治すべきか』を説明している。戦前の大日本帝国憲法は『神様の子孫である天皇が定めた』ことを憲法に従うべき理由としたが、戦後の日本国憲法は『国民主権の原理により定められたこと』を憲法の正統性の根拠にする」 「国内向けの正統性を示すのとは別に、国外向けに正統性を示すことも大事だ。前文は『国際協調主義』を示し、これを受け、98条2項に国際法を遵守すると書いている。ここまではどこの国でも当たり前だ。その上で9条は、過去の大戦を反省し、侵略を行わず、平和主義を実現することをうたっている。9条は侵略の反省を踏まえ、『国際法で認められた範囲よりも、武力行使の幅を狹めた規定』と解釈されている」――国際法と憲法はどう関係するのか。 「国際法のルールは憲法の前提にある。現在の国際法は武力行使を原則禁止しており、行使が認められるのは国連の安全保障理事会が決議した場合と、個別的自衛権ないし集団的自衛権で正当化される場合だけだ。日本政府は『日本への武力攻撃があった場合、防衛のために必要最低限度の武力行使は例外的に許容される』という立場で、個別的自衛権の行使を認めている。一方、集団的自衛権は、国際法上は主権国家として行使が認められているが、9条によって禁じられている」――日本が平和を構築するために、9条はどんな役割を果たしてきたのか。 「二つの役割を果たしてきた。まず、国外での紛争に武力を行使させなかったことが、法的に一番大きな役割とされている。9条がなければ、ベトナム戦争で米国や韓国と一緒に地上軍を派遣し、イラク戦争でも米国や英国と共に空爆するなどしていただろう」 「もう一つは理念の部分。戦争や武力行使は何らかの自己拘束をかけないと拡大しがちだ。例えば1970年代、冷戦下にあった米ソの緊張が緩和し、核軍縮が進んだ。具体的な脅威が想定しにくい時代には、あらゆる事態に備えようとかえって軍拡が進むことがある。そういうときでも日本は『備えは必要最小限でなければならない』と防衛費を国内総生産(GDP)1%にとどめ、武器輸出も禁止してきた。それらが9条に具体的に書いてあるわけではないが、政府も国民も『自己拘束が必要』というルールを作ってきた」――自己拘束は今も効いているのか。 「効いている。今回の米国やイスラエルによる武力行使は国際法違反だろう。米国もイスラエルも正当な自衛権を行使していないとなると、それらの国と共に武力行使をすれば国際法違反の侵略になってしまう。日本政府を国際法の遵守に向かわせたのは、武力行使に極めて慎重な国民の意識で、それを象徴するのが9条なのだろう。ロシアも米国も憲法に国際法を守ると明記しているが、遵守しているとは言い難い。平和主義の条文は存在するだけで効果を発揮するのではなく、『条文を真剣に受け止めるべきだ』という認識が浸透して初めて機能する」――立憲主義を支える仕組みとして9条が果たしてきた役割はあるか。 「戦争をしないことが立憲主義の前提にあるというのはその通りだ。平気で戦争をする国は統治が乱暴になり、人権は弾圧されるようになる。戦争は、外国に兵隊を派遣して爆弾を落とすだけでできるものではない。反戦運動やデモを抑圧したり、徴兵しやすいように職業選択の自由を制限したりするなど、国内のあらゆる権利や自由を制限して戦争を遂行する。立憲主義と戦争は非常に相性が悪い」――国際社会が「法」から「力」による支配へと傾きつつある。 「現状を認識するのは大事だが、『国際秩序を回復させるのは無理』と諦めるべきではない。認識と放置は別だ。私たちの選択一つ一つが重大な意味を持つことを認識し、正しい情報を入手し、日本、米国、イスラエルが行っていることをきちんと評価することが重要だ。私たちの選択が10年後、20年後の日本の姿につながっていく」<きむら・そうた> 東京都立大教授、憲法学者。著書に「憲法という希望」(講談社現代新書)、「自衛隊と憲法 第3版 危機の時代の憲法改正11の論点」(晶文社)など。 この記事は普段なかなか気づかない点を指摘しているので、何か新しい発見をしたような楽しい気分になる。戦前の憲法は「神様の子孫である天皇が定めたものだから、国民は従うように」とのことだったが、現代日本の憲法は「国民主権の原理によって定められたものだから、国民が従うのは当然だ」という理由は、文句のつけようがない「正論」です。また、憲法の条文に書いてあるわけではないが、「憲法が軍隊を否定してるのだから、自衛のための武力は必要最低限にするべきだ」と政府も国民も「自己拘束」のルールを作ってきたのだ、という指摘は新鮮な感じがします。近年の自民党政治は、「自己拘束が必要」という国民の意志を無視して、一片の閣議決定で「GDP1%」のルールを変更しているが、これも遠くない将来に是正して、元の1%ルールに戻すべきだと思います。
2026年05月21日
3日付神奈川新聞の「特集『憲法こそ未来』」で、弁護士の福田護氏は「安保法制違憲訴訟」を闘ってきた10年を振り返って、次のように述べている; 集団的自衛権行使を認めた安全保障関連法(安保法制)は憲法違反だとして、横浜など全国22地裁で25件起こされた「安保法制違憲訴訟」は提訴から10年がたつ。訴訟弁護団を務め、「安保法制違憲訴訟の会」共同代表の福田護さんは問い続ける。「権力による憲法規範と立憲主義の蹂躙は今も続いている。訴訟で培った理論の蓄積をいかに生かせるか、だ」(聞き手・竹内瑠梨)――裁判で何を訴えたか。 「安保法制の一番の問題点は、歴代政府が憲法9条の下では集団的自衛権行使は許されず、容認するには改憲が必要との解釈を確立してきたにもかかわらず、閣議決定だけで変更し、強行制定したことだ。海外での武力行使を認め、日本が戦争当事国となる危険性が高まり、恒久平和主義に反する。放置できない憲法違反、立憲主義の蹂躙は明らかで、『戦争ができる国』に変わることへの危機感は相当に大きかった」 「違憲性を忘れず追及し続けなければ、世の中のありようも物差しも流される。意志をつなぎ、権力の横暴を食い止めようと、全国的な訴訟が10年にわたって進行した。自衛隊の防衛出動などの差し止めを求め、平和的生存権や人格権の侵害を訴えた。国民は憲法96条の改正手続きを通じて憲法の形を自ら考え決められるのにその権利も奪われ、『憲法改正・決定権』の侵害も問題提起した」――憲法判断を示さない判決が続いてきた。訴訟の意義や役割をどう考えるか。 「戦争経験者ら原告や、解釈の核心にいた内閣法制局元長官、憲法学者らの証人が違憲性を指摘したが、神奈川など23件は最高裁の上告棄却などで終結した。2件は審理が続いている。『現に武力攻撃を受けておらず、その恐れも認められない』から『生命・身体の安全が侵害される現実的・具体的な権利侵害が認められない』などとする紋切り型の判決が続いた。『戦争が起きてから裁判所へ』という非常識だ。『明白な違憲とまでは言えない』とした2023年12月の仙台高裁判決を除き憲法判断も示されず、立憲主義と民主主義のとりでであるべき司法は責任を放棄している」 「だが得られた財産はある。神奈川訴訟の一審判決は、集団的自衛権を行使できる『存立危機事態』の範囲は明らかと言えず、国民の理解や共通認識が不十分と付言した唯一の判決だった。存立危機事態の不明確性は今に続く問題で、判決の意味は存続している。証人の長谷部恭男・早稲田大教授は、甚大で不可逆的な被害が発生する問題には抽象的な危険の段階から『予防原則』に即して違法性を認定すべきだと証言した。今後も自衛隊出動が具体的に浮上すれば差し止め訴訟の提起なども考えられる。そのたび『安保法制とは何か』に立ち戻り、危険性を考え、議論する必要性は続く。培った理論の蓄積をどう広げ、生かすかが課題だ」――安保法制成立後の社会、平和憲法の果たす力をどう見るか。 「9条を中心とした憲法の基本的原理は掘り崩され、国の在り方が変えられていくスタート地点が安保法制だ。集団的自衛権行使を容認した安保法制という器に、戦争をするための体制・装備という中身を盛り込んだのが安保関連3文書。敵基地攻撃能力(反撃能力)保有も始まり、日米の軍事一体化は進む。高市早苗政権は、防衛装備の輸出について閣議などで決定し、殺傷能力のある武器も原則可能にした。平和国家としての日本の姿は大きく変貌しかねない。政府が軍事力強化の理由とする台湾有事も、仮に起きた場合に安保法制がどう適用されるのか。戦火が及ぶ可能性や切迫性は不透明な上、有事回避の議論はすっ飛ばして防衛力強化か進められていく、ゆがんだ状況下に私たちはいる。米国とイスラエルによるイラン攻撃では、日本はホルムズ海峡への艦船派遣をしていない。『憲法も含む』国内法上の制約があると米側に説明したとされるが、防波堤の役目を果たしたのは9条だろう」 「国の在り方、憲法の在り方を考え、決めていく権利は私たち一人一人にある。立憲主義や平和主義といった憲法の本道をもう一度捉え直し、再生させる方向で考えるのか、平和憲法から離れていく方向で進むのか。政権が安保3文書改定や改憲に前のめりになる中、国民にその選択が迫られている。憲法の規範力を取り戻す努力や運動を続け、平和主義とは異なる方向に進む権力には絶えず異を唱え続ける必要がある」<ふくだ・まもる> 神奈川県弁護士会所属。 1974~79年に衆院法制局。82年に弁護士登録。日弁連憲法問題対策本部副本部長。共著に「安保法制の何が問題か」(岩波書店)など。2026年5月3日 神奈川新聞朝刊 特集「憲法こそ未来」 2ページ 「対米従属から脱却を」から引用 戦後の長い間、戦争放棄の憲法の下、自国の防衛のための一定の武力行使は認められるという憲法解釈があり、同盟国であっても自衛隊が集団的自衛権の発動として武力を行使することは憲法違反である、というのがわが国政府の見解であったが、これを180度ひっくり返したのは第二次安倍政権で、国会での審議もなく国民的な議論も素通りして一片の閣議決定で、「国の存立が危機にさらされた場合は自衛隊が集団的自衛権を行使することが出来る」と方針を転換したのであったが、話はそこまでで、どのような場合が該当するのかという具体論はオブラートに包まれたままであり、高市早苗のような好戦的な政治家は「台湾有事は日本の有事」だから自衛隊の出番になると言いたいらしいが、このような問題は「憲法記念日」にならなくても、平時のときから「安全保障政策がこんなことでいいのか」という議論は、積み重ねていくべきだと思います。
2026年05月20日
3日付神奈川新聞の「特集『憲法こそ未来』」で、フリージャーナリストの布施祐仁氏は日本国憲法がわが国と東アジアの平和維持に、どのように貢献してきたか、次のように述べている; 「今ほど戦争の危機を感じた時はない」。安全保障を専門に20年以上取材を重ねてきたフリージャーナリストの布施祐仁さんは、日本の現状に危機感を募らせる。軍備拡張にかじを切り、殺傷能力のある武器の輸出解禁にも踏み切った政府に警鐘を鳴らす。「軍拡では、平和は守れない」(聞き手・佐藤弦也)――米国とイスラエルによるイラン攻撃を巡り、憲法9条はどう機能したか。 「自衛隊の派遣を食い止める『縛り』として効力を発揮したのは間違いない。2014年の閣議決定で集団的自衛権の行使が限定容認されたとはいえ、国家の『存立危機事態』が認められない限り武力行使は許されないという解釈が依然として残っているからだ」「歴代政府は、9条の下で許されるのは自衛のための必要最低限度の武力行使に限定されるという解釈を堅持してきた。だからこそベトナム戦争時、米国と同盟を結ぶアジア・太平洋地域の各国が軒並み軍隊を派遣したが、日本だけは自衛隊を送らずに済んだ。韓国が延べ30万人以上を送り、5千人近い犠牲者を出した歴史と比較すれば、9条の存在がいかに具体的かつ強力な抑止力として機能してきたかが理解できる。今回のイラン攻撃でも、トランプ米大統領から要請されながら、日本は武力行使の渦中に巻き込まれることを回避できた」――自民党の改憲案は、日本の防衛にどのような変化をもたらすか。 「現在提示されている改憲案、特に戦力不保持を定めた9条2項を削除する方向性は、日本の安全保障の在り方を根底から覆す。削除されれば、14年の解釈変更後も辛うじて残った『通常の集団的自衛権行使はできない』という縛り自体が消滅してしまう。そうなれば、日本への直接的な影響や脅威の有無にかかわらず、同盟国の米国が世界中のどこかで始めた戦争に参戦することが法的に可能になる。これは、自衛のための実力組織という自衛隊のアイデンティティーを根本から変質させる」 「また9条を変えるという行為は周辺諸国に『日本は戦後の平和国家としての出発点を放棄するのではないか』という疑念を抱かせる。日本はかつての侵略戦争の反省に立ち、軍事力ではなく他国との信頼関係構築によって安全を確保することを憲法前文で誓った。この国際的な信頼こそが最大の安全保障にもかかわらず、自らその基盤を崩すことはマイナスでしかない」――軍事的一体化や防衛費倍増による「抑止力強化」の妥当性をどう見るか。 「高市早苗政権が進める『米国との軍事的一体化による抑止力の強化』というロジックには重大な欠陥と現実的な限界がある。一体化を強めれば日本の主体的な判断は失われ、米国の好戦的な判断に引きずられる危険性が高まる。今回のイラン攻撃で、米国が国連憲章のルールを破って先制攻撃する国であることが改めて浮き彫りになった。そのような国と一体化すれば、日本はおのずと望まぬ戦争に巻き込まれるリスクを背負うことになる」 「戦争に負けない備えをするのが『抑止力』の考え方だが、食料やエネルギー自給率が極めて低く、島国である日本は戦争に耐えられない。今の政府は『抑止力の強化』という言葉を安易に使うが、抑止に失敗して戦争になったら国民がどのようなリスクにさらされるかという議論を置き去りにしている。米国が中国との決定的な対決を避ける中で妄信的に軍備増強に走るのは、かえって日本を戦争による破滅に追い込む結果を招きかねない」――日本が進むべき道は。 「米国に追従すれば安全だという神話を捨てなければならない。米国が同盟国の防衛コストを嫌い、中国との『G2』による取引に傾く可能性もある中で、日本に必要なのは米国以外との重層的な連携だ。具体的には、ASEAN(東南アジア諸国連合)の外交努力が手本になる。彼らは中国を単なる脅威や仮想敵として排除するのではなく、経済的な相互依存関係を深め、対話を粘り強く続けることで戦争を予防する関係性を構築している」 「日本も韓国やオーストーフリア、そしてASEANと連携し、大国が他国の主権や利益を無視して横暴に振る舞えないような多国間の枠組みをつくることに力を注ぐべきだ。相手を敵視して強硬な手段で対抗するだけでは、軍拡競争と不信感の連鎖を生むだけだ。日本が培ってきた信頼という外交資源を再評価し、大国間のパワーバランスにのみ込まれないための知恵を働かせること。それこそが、政治の示すべき道だ」<ふせ・ゆうじん> フリージャーナリスト。「日報隠蔽(いんぺい)」(共著、集英社)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。近著に「従属の代償」(講談社現代新書)など。2026年5月3日 神奈川新聞朝刊 特集「憲法こそ未来」 3ページ 「対米従属から脱却を」から引用 この記事の主張は大変わかりやすいと思います。それは、実際にあった「事実」をそのまま述べているからだと思います。ベトナム戦争は正義の戦争ではなかったにも関わらず、韓国はアメリカの同盟国だからとの理由で延べ30万人もの軍隊を派遣し、5千人近い犠牲者を出したという「事実」と、日本は「自国防衛のための必要最小限の武力行使」以外は認めないという憲法9条があったが故にアメリカの戦争に加担することなく済んだという「事実」が示す説得力は大きいと思います。また、日本が憲法9条を堅持しているという「事実」が日本の近隣諸国にとって、余分な警戒心を持つ必要性をなくしているという「効果」も、大局的観点から東アジアの平和に大きく貢献しているという点も、日本国民はしっかり認識して、わが国の進むべき「道」を選択するべきなのだと思います。
2026年05月19日
神奈川新聞は憲法記念日の朝刊に「特集『憲法こそ未来』」と題した特集版を挟み込んで、国会における改憲論議に関する有識者の見解を掲載しているが、その中で学習院大教授の青井未帆氏は、記者の質問に応える形で次のように述べている; 自民党が大勝した衆院選を境に改憲議論が加速している。委員の約8割を与党が占める衆院の憲法審査会では前のめりな発言が相次ぎ、高市早苗首相(自民党総裁)も4月の党大会で、今後1年で国会発議のめどを付けたいと意欲を示した。学習院大教授の青井未帆さんは「改憲ありきで不誠実」と批判する。(聞き手・柏尾安希子)――衆参両院の憲法審査会で議論が始まった。 「前のめりで、十分に議論されているとは思えない。改憲ありきで、改憲後の姿を見せないまま期限を切ろうと主張するなど非常に不誠実だ。憲法は中長期的に国の骨組みを作るもので、このようなやり方で変えていいわけがない。目隠しをして国民投票をさせることと同じだ」――そもそも改憲は必要か。 「全くそう思わない。理由が見当たらない。先の大戦で多くの犠牲者を出したことを出発点に、紛争を力で解決しないと決めた憲法9条の価値を考えた時、改憲で何をするのかこそ問われるべきだ」 「米国とイスラエルが攻撃したイランに自衛隊を派遣しなかったことで、9条が米国への最後の防波堤のように効いている現実が見えた。なぜ変えるのか」――衆院憲法審査会では「条文起草委員会」を設置しようとの発言もあった。 「後先が逆では。何か問題で、どうしたいのかをあらかじめ示さずに条文を書けるのか。法律を作る場合、まず立法事実があり、その目的のために規制を作る。憲法も同じはずだが、改憲を支える事実が何なのかが提示されていない。自民党党大会で首相が示した意欲も漠然としていた。もっと具体的に示すべきだ。知りたいのは、どういう法改正が関連して必要となり、将来的にどのような義務付けや権利制限がされるかという全体像だ」――それほどまでに、なぜ改憲したいのだろうか。 「理解しようがない。日米同盟が背景にあるだろうが、今や多くの人が『米国との関係はこれでいいのか』と思っている。改憲すれば米国の要求を断れなくなり、鉄砲玉のように使われ、国家全体が兵站化するだろう。中露との関係で米国が関わり続けるために必要という発想かもしれないが、世界の少なくない国が米国にしらけた視線を送る中、いまだに米国を世界の中心のように見ているだけでいいのか」――自民党が優先と考える改憲4項目(たたき台素案)の一つで、自衛隊明記をうたう。 「軍と書くのも自衛隊と書くのも基本は同じ方向で、自衛隊を特別扱いすることになる。今は他の行政組織と同等に扱わなければならない。それは軍を動かす権力をうまく統制できず、多くの命が失われた第2次世界大戦後、憲法の下で実力を保持する知恵だった。だが自衛隊が明記されれば、国民に義務を課す強い根拠となり得る」 「例えば、有事にはマンパワーが不足する。自衛隊のなり手が少ないなら国民の権利制約は正当だという議論に当然なるだろう。医療従事者に自衛隊・国防軍を優先的に救助させたり、港湾労働者に物資を運ばせたりと、国民に義務付けする根拠になる。徴兵制とは言わずとも、人員確保とも関わってくると思う」――緊急事態条項も取り沙汰されている。 「自民党が2012年に機関決定した改憲草案は主権制限に歯止めがかからない状態だったが、その点がどうなるかは不明だ。内閣にどれほどの権限を持たせるかがポイントになるだろうが、現時点でも内閣の総合的判断に任される重要事項は多い。それを憲法レベルで、民主主義的な過程を止めることまでも行政権に許し、仮に9条の改定や削除などが行われるなら、戦後の日本国憲法下での在り方の断絶と言えるだろう。もはや『平和国家』という旗を降ろさざるを得ないのでは」――今後、求められることは何か。 「諦めず、改憲はどのような射程を持つ話か、私たちから問題提起する必要があるだろう。国益や国防、安全保障という抽象的な概念が私たちの生活、権利にどう影響するのか。表現の自由などにも関わる。集団的自衛権の行使を容認した14年の閣議決定以降、情報、宇宙、経済など安全保障という言葉が至る所で使われている。それらは平時の安全保障に見えて、武力攻撃と密接につなかっている。遠い国の話に見えるだろうが、仕組みはできており、あっという間に生活に関わってくる」<あおい・みほ> 学習院大法務研究科教授、憲法学者。著書に[憲法と政治](岩波新書)、「憲法を守るのは誰か」(幻冬舎ルネッサンス新書)、「憲法I人権」(共著、有斐閣)など。2026年5月3日 神奈川新聞朝刊 特集「憲法こそ未来」 3ページ 「改憲理由見当たらず」から引用 この記事で青井氏が述べているように、高市氏もその他の自民党員も「なぜ今、憲法改正が必要なのか」という点について、明快な理由を説明してはいない。そうなると、この記事で青井氏が言っているように、表立っては言えない(やましいから)理由を持っていて、それは今さら言わなくても分かる人には分かってもらってるはずだから、だから今は勢いで改憲してしまおうというのが高市政権の魂胆であろうと想像するほかはないわけです。国民の立場からは、この記事が指摘するように、この度のアメリカとイスラエルが仕掛けた「イラン戦争」に、自衛隊を派遣せずに済んで自衛隊員の命を危険にさらすような事態を避けることができたのは、憲法9条のおかげであり、「わが国憲法は本来の機能を発揮している」ことを確認できたのですから、改正しなければならない「問題点」など一切ない、というのが現実であることを確認するべきだと思います。
2026年05月18日
現職自衛官を呼んで君が代を歌わせた自民党大会で、高市首相は憲法改正について「時は来た」と演説したと聞いた東京新聞読者は、2日付同紙に投書して、次のように述べている; 高市早苗首相は4月の自民党大会で憲法改正について「時は来た」と威勢良く発言した。2月の総選挙における圧勝、高市内閣の高い支持率に自信を深め、自民の党是である改憲を一気に推し進めようとしているようだ。 敵基地攻撃能力(反撃能力)保有に伴う長射程ミサイルの配備、殺傷・破壊能力のある武器輸出の解禁、国家情報会議創設法案は、平和と民主主義を脅かすものであり、心がざわつく日々である。 そんな折、改憲反対の声を届けようと請願署名運動が始まったことに共感を覚え、勇気をいただいた。また「村山談話」を読み直す4月17日特報面の記事は目を引いた。当面、国政選挙がない現状ではあるが、改憲に反対する人たちと連帯し、自分ができることを考え、行動していきたい。2026年5月2日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「発言-憲法を守る『時が来た』」から引用 この投書を書いた読者が言うように、私たちは「村山談話」を読み直してわが国憲法の本来の主旨をもう一度学習しなおす必要があると思います。わが国は村山談話を出した時点までは、経済運営が順調であったのに対し、その後の自民党政治は経済政策を誤ったために「発展」は挫折し、その後は「失われた30年」と言われる時代になりました。それを挽回するために日本の大企業が今目指しているのは「武器」の製造販売で景気を回復しようという「路線」らしく、そのような路線を好む高市早苗のような政治家は「チャンス到来」と手ぐすね引いているわけです。しかし、「武器によって平和を構築することは出来ない」ことは、これまでの人類の歴史が証明しているのであって、私たちは同じ過ちを繰り返してはなりません。実際のところ、今日の核兵器の破壊力は日本のような国土の狭い国は瞬時に人が住める環境を破壊してしまうのであって、そんなもので戦争をしてその先に明るい未来が来るわけがありません。日本が将来にわたって生き延びる道は、平和外交しかないのだというコンセンサスを、護憲運動を通じて広めていくのが、私たちの行くべき「道」なのだと思います。
2026年05月17日
79回目の憲法記念日を翌日に控えた今月2日の毎日新聞は、専門編集委員・伊藤智永氏の次のようなコラム記事を掲載した; 正体不明の芸術家バンクシーの新作が4月末、ロンドン中心部に現れたのをニュースで見た。 高さ5メートル以上の立体像らしい。前を閉じたスーツにネクタイの男性とおぼしき体格のいい人物が、右手で大きな旗のポールを掲げ、勇ましく行進している。旗が顔にまとわりつき前が見えないのに、拳を握った左手を大きく振り、いかにも確信ありげだ。 国旗だろうか。スーツ姿の女性なら、高市早苗首相がモデルだと言われても違和感はない。 同じ立像が100体、大通りに並んだら、かなりの威圧感と不穏な空気が立ち上るだろう。 世界とそこに生きる私たちは、今どんな姿をしているか。黙って突きつけられた気がする。 4月27日に首相官邸で「新しい戦い方有識者会議」の初会合が開かれた。外交・防衛・経済の最高指針を定める国家安全保障戦略など安保3文書を年内に改定する。高市氏のあいさつ要旨。 「比較的安定した国際秩序は過去のものとなった。地政学的な国家間競争が激化している。我が国の平和と独立を守り抜くには、防衛力の抜本的強化を主体的に進めなければならない。総合的な国力を徹底的に強くする。新しい戦い方への対応や長期戦への備えを進めなければならない」 実は近衛文麿元首相、いや東条英機元首相のあいさつです、と混ぜっ返しても、誰も笑えない。 2022年に岸田文雄内閣が、反撃能力(旧・敵基地攻撃能力)の保有を認め、27年度までに防衛費をGDP比2%にするための改定を行ったばかり。当時の会議名は「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」。 改組された今回の正式会議名は「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」。消えたコトバは「防衛力」。高市氏の「主体的に」とは、守るばかりが能じゃないよという意味だろう。 「新しい戦い方」の主な論点は、最新型ドローン兵器の大量生産体制、サイバー戦争の能力向上、何年も戦い続ける弾薬・部品・燃料の調達網、初の原子力潜水艦保有、核兵器の日米共同管理に向けた非核3原則見直し・・・。 よし、戦闘準備万全。いや、まだ大事な論点をお忘れでは。 「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文) 安保3文書より上位の最高法規の書きっぷりが、どうも古臭い? いっそ憲法改定も「主体的に」議論なさったら。明日は施行79年の憲法記念日。(専門編集委員)2026年5月2日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-新しい戦い方と憲法79年」から引用 日本政府が「新しい戦い方有識者会議」という名称の会議を開くのは、憲法の主旨に照らして言語道断であり許されないことです。これは高市内閣が、何もない所からいきなり始めたものではなく、第二次安倍政権が国会に無断で「安保3文書」などというものをでっち上げてから始まった「憲法違反政治」であり、本来は国会と裁判所が立法府の「憲法違反路線」を断罪し止めさせるべきであったものを、テレビも新聞も異議申し立てをせず、国民に警鐘を鳴らすことも怠り、ただ傍観していたために、今日このような事態になったもので、これでは戦前に皇軍が中国大陸を侵略して、捕虜も一般市民も皆殺しにするという暴虐を働いても「勇敢な皇軍兵士」などと持ち上げて、日本国内の新聞発行部数を伸ばして利益を上げた、あの当時の反省をまったく忘却していると言わざるを得ません。この狭い日本列島で、ドローンを大量生産すれば継戦能力が向上するなどという愚かな発想で国を守ることが出来ると思い込んでいる人間の知能指数を疑う。
2026年05月16日
国家情報会議設置法案を衆議院が賛成多数で可決したことを、文芸評論家の斎藤美奈子氏は4月29日付東京新聞コラムで、次のように批判している; 政府のインテリジェンス(情報収集・分析)機能を強化する国家情報会議設置法案が23日、衆院で可決された。高市首相が自ら「国論を二分する政策」と位置づけた重要法案なのに特に紛糾することもなくである。 何より驚いたのは共産党などが反対したものの野党第1党の中道は賛成に回ったことだ。何というていたらく! 国家情報会議、および同法案の問題点はかねて指摘されていた。 (1)情報を客観的に評価する会議なのにトップが首相で構成メンバーは閣僚である(政治的中立性が確保できない)。 (2)個人情報やプライバシーを保護する条文がない(表現や思想の自由などの基本的人権が侵害される可能性がある)。 (3)国会や独立した第三者機関が会議をチェックするしくみがない(政府のやりたい放題)。 (1)(2)は付帯条件に入ったが、付帯条件に法的拘束力はないからね。 そもそもこの法案は国民に十分周知されていたとはいえない。時事通信4月の世論調査では法案に賛成が39・1%、反対が19・0%だったが「どちらとも言えない・分からない」が41・9%で、半数近くが態度を决めかねているのである。 安全保障強化の名目で国民監視を強化する法案であるのはほぼ自明。でも中道は賛成なのよね。君たちはもういいよ。せめて参院での論戦に期待する。(文芸評論家)2026年4月29日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-中道の迷走」から引用 いくら国会で賛成多数だったからと言っても、憲法に違反する法律は無効なのだから、政府が特定の政治思想を持つ者を拘束する目的で「国家情報会議設置法」を運用した場合は、被害を受けた者は直ちに憲法違反の容疑で政府を告発するべきである。それにしても中道改革連合という政党には、失望する。この政党は、かつては政権交代を実現したこともあるという「誇り」を捨てて、維新の会をお手本にして自民党を模倣する路線を選択したのだと思います。与党が提案した法案に対して、安易に「反対」を唱えるのでは国民に与える印象が悪くなるから、選挙でも票が伸び悩む、とでも考えているのでしょう。しかし、「いつも反対ばかりで印象が悪い」などという程度の政党観を持つ人というのは、多分選挙があってもいちいち投票所に足を運ぶようなことはしない人なのだから、そんな「目線」などは相手にしないで、地道に「自民党政治の問題点」を説明し、より良い選択肢を理解する有権者を地道に増やしていく努力で、真の野党勢力を増やしていく以外に道はないものと思います。
2026年05月15日
近代フランスの思想家ルソーについて、東京大学教授の宇野重規氏は4月26日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 18世紀フランスの思想家、ジャン=ジャツク・ルソー。多くの人がその名前を聞いたことがあるだろう。「人間不平等起源論」や「社会契約論」、あるいは「エミール」の著者で、近代の政治学や教育学を打ち立てた偉大な思想家というのが、最も一般的なイメージかもしれない。 しかし、経歴を見るとトラブルの連続である。故郷ジュネーブを離れて各地を放浪し、やがては教会との対立からフランスにもいられなくなる。ようやく英国で受け入れてくれた哲学者とも衝突してしまう。恋多き男であったが、子どもを育てることはなく、現代でいえば養育放棄(ネグレクト)の批判を免れない。音楽、文学から政治学まで幅広いジャンルで活躍したが、いわゆる専門家の枠に収まる人物ではなかった。 そのルソーの著作として最も有名な一冊が「社会契約論」である。難解な著作として知られるが、よく読んでみると、現代でも響く言葉をたくさん残している。このたび筆者は「ルソー『社会契約論』」(中央公論新社)という小著を上梓した。 ◇ ◆ ◇ ルソーが本の冒頭で強調しているのが「力による正義は認めない」という決意である。なるほど、確かに世の中を見れば、強者が弱者を踏みにじる現実があることは否めない。だからといってそのことが正しいわけではないし、強者に弱者を支配する権利があるわけでもない。それなのに政治の言説は事実上、「強者の権利」と「力による正義」を容認してしまっているのではないか。大国の横暴を前に声を上げることのできない21世紀の私たちに「刺さる」言葉であろう。 ルソーが生きたのは戦争の時代でもあった。ひとたび他国に占領されれば、敗戦国の民衆はあたかも「奴隷」のごとき扱いをされることも珍しくなかった。これに対しルソーは、戦争はあくまで国と国の関係であり、個人と個人が戦っているわけではないと考えた。戦争が終われば、人と人とが憎しみ合う理由などないと説いた彼の主張は、理想論にも聞こえるが、憎しみの連鎖が支配する現代世界において、意味のある考え方とも言える。 「社会契約論」を読んでいて、悩ましいのが「一般意志」という概念である。ルソーによれば、一人一人の個人にはその人に固有な特殊意志がある。とはいえ、特殊意志をいくら集めても、社会の共通の意志、すなわち一般意志にはならない。バラバラな意志はどこまで行ってもバラバラなままである。現代でも各種の世論調査が行われているが、単に個別の意見を集計しただけでは、社会として進むべき方向性は見えてこない。 ◇ ◆ ◇ もちろん、各人の思いや利害はある。それでも、自分も社会の一員である以上、社会全体にとって何が望ましいことなのかをいま一度、じっくり考えてみてほしいとルソーは説く。例えば、一個人として税金を払うのは嫌であっても、共に社会を営む上でのコストを公正に負担するのならば、考える余地はあるはずだ。 社会として共有すべき意志があるとすれば、それは何なのか。孤独に陥りながら、他の市民と対等に協力することを夢見たルソーの一般意志論は、分断の時代にあって、あまりにも現実離れした学説なのか。あるいは民主主義の対話を取り戻すヒントなのだろうか。2026年4月26日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-現代に『刺さる』ルソーの言葉」から引用 王権神授説などという権力者に都合の良い「思想」がはびこっていた西欧で、「力による正義は認めない」と宣言したルソーの「社会契約論」は、その後の西欧社会に民主主義の思想を広めて社会の発展を促進したのでしたが、それから300年ほど経った現代は、「社会契約論」とは縁のない不動産屋上がりの「大統領」が「世の中には力による正義以外は存在しない」とでも言うかのような暴虐な政治を行っているが、これは落ち目の軌道に入ったアメリカ資本主義が進む「宿命の道」なのであって、日本はこういう落ち目の国とは早めに縁を切って、今のうちに「社会契約論」を勉強し直して、まっとうな国家体制の立て直しを考える時期に差し掛かったと考えるべきだと思います。
2026年05月13日
川崎市で4月25日に開催された「外国人差別に反対する」シンポジウムについて、翌26日付神奈川新聞は次のように報道している; 政治が推し進める排外主義を押し返し、共生社会を実現する道筋を考えるシンポジウムが25日、川崎市川崎区の市労連会館で開かれた。ジャーナリストの中村一成(イルソン)さんは「地域を耕す~『共生』を造り直すために」と題して講演。川崎市に続く第二、第三の差別禁止・罰則条例をつくり、差別のない社会を足元から築いていこうと呼びかけた。(石橋 学)◆共生社会実現、足元から 昨年7月の参院選で極右・参政党が差別スローガン「日本人ファースト」を振りかさして以降、与党から一部野党までが外国人排除政策を競い合う事態となっている。中村さんは「加速度的に排外政策が打ち出され、『ここは日本人の国だ』『共生は認めない』というむき出しの凶暴性が発揮されている」と断じる。 展望を見いだすのは地域における差別との闘い。京都朝鮮学校をレイシストが襲撃した事件で裁判に打って出た在日朝鮮人の覚悟、全国で初めてヘイトスピーチに刑事罰を設けた川崎市条例を制定せしめた市民運動の歩みを振り返り、差別禁止法・条例制定へのエールと先例になったと評す。 国から地方へ広がる劣化を映し出すように、三重県では外国籍職員の採用中止が検討されているが、中村さんは「反差別条例があるため庁内から異論が聞こえてくる。制度が意識をつくる」と規範となる条例の意義を強調した。 「外国人だから仕方がない」と諦めさせられてきた在日コリアンの先人たちの声が忘れられないという。ヘイトスピーチを投げつけてきたレイシスト議員と民事訴訟で闘っている大阪在住の李香代(イヒャンデ)さんの「差別を差別として認定することは同じく不安の中で暮らす多くの在日コリアンの希望の光になる」という言葉を引き、「差別が許されない社会に生きたいという夢に連なりたい。遠い夢を見ることで足元の現実は変えられる。進歩とは、闘いによってつながった者たちの想像力の集積だ」と結んだ。 シンポは人権ネットワーク団体「外国人人権法連絡会」が主催した。同連絡会の弁護士や研究者でまとめた人種差別撤廃法と外国人人権基本法の両モデル案も紹介。共同代表の丹羽雅雄弁護士は「高市早苗政権が進める戦争遂行国家の基盤となるのが外国人政策と称する差別・排外主義だ。二つのモデル法案は多民族多文化共生社会を具体的に実現する手段として今まさに求められている」と訴えた。2026年4月26日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「共生社会実現、足元から」から引用「ここは日本人の国だ」という主張は間違いです。細かいことを言えば、「ここは日本人が始めた国だ」というのは「事実」として間違いありませんが、「国」というものは誰かが所有するものではないので、「日本人の国」という言い方は言語学的には意味のない表現、すなわちナンセンスというものです。「国」とは一つの行政単位であって、その中の行政機関が定めた法律に則って働いて、税金を納めれば、国籍の有無を問わず、誰でもが平等の権利が保証されるのが私たちの社会なのです。そのような社会の原理をわきまえずに「ここは日本人の国だから、外国人は出ていけ」などという野蛮な発想は、文明人の面子にかけて解消していかなければなりません。
2026年05月12日
自分の政策に反対意見を唱える国民は全員「スパイである」と決めつけて収監することが可能になる法律の制定を目指す高市政権に対し、当然のことながら反対を唱える国民が、4月17日夜に国会前で集会を開いたことを、4月24日の「週刊金曜日」は、次のように報道した; 高市早苗政権が制定を進めるスパイ防止関連法制に反対するペンライト行動が4月17日夜、国会前で行なわれた。前回2月に約900人だった参加者は約3500人まで増加。市民のプライバシーを侵害し表現の自由を奪う戦争法制への反発は高まりをみせている。 今国会で審議入りした国家情報局設置法案を皮切りに、外国との政治・経済・文化活動の登録を義務付ける外国代理人登録法案、諜報(ちょうほう)活動要員を養成し仮装身分でスパイ活動を行なう対外情報庁法案が秋の臨時国会、来年の通常国会と相次いで提出される見通しだ。 海渡雄一(かいとゆういち)弁護士は「戦争に反対すること自体に『スパイ』『非国民』とレッテルを貼り黙らせようとしている」、立憲民主党の岡本優子(おかもとゆうこ)・千葉県松戸市議も「『日本はスパイ天国』という説明はまったくの墟。インテリジェンス(情報活動)の強化という言葉に惑わされてはいけない」と訴えた。「政府の政策に反対するデモや集会が調査対象になることは想定し難い」という首相答弁に対しても、新聞労連委員長で日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)の西村誠(にしむらまこと)議長は「人権侵害の歯止めとなる外部の監視機関をつくるつもりがない。民主国家のやることではない」と批判を強めた。 参加者はペンライトを手に「市民監視の法律いらない」と声を合わせた。K-POPのリズムに乗せた「アジアの市民は連帯しよう」「日中友好」「日韓友好」というコールが、世界をスパイか否か、敵か味方かに二分する戦争準備の企てに「ノー」を突きつけた。<石橋学・『神奈川新聞』記者>2026年4月24日 「週刊金曜日」 1566号 9ページ 「今週の巻頭トピック-『民主国家のやることではない』」から引用 戦後の80年間にスパイ防止法案が何度か国会に提出されて、そのうちの何件かは賛成多数で法律となったものもあるが、実際には、上の記事でも触れているように「日本はスパイ天国だ」というのはウソであり、そのような法律が摘要された事件は一度も起きてはいないのが実態である。しかし、高市早苗のような統一協会の操り人形のような政治家は「スパイ防止法の拡大強化が必要」と、暗示でもかけられているのか、あるいはメディアが驚くようなことをしでかして世間の注目を集めるのが目的なにか、敢えて目立つような言動をしたがる政治家が出て来て、余分な法律を作って悦に入るというのは、国民として迷惑であり、わが国の民主主義の発展を阻害するものであり、「断固反対」の声を広げていく必要があると思います。
2026年05月11日
高市政権が国家情報局を設置する法案審議を始めたことについて、これを「戦争準備の始まり」と見た学者と弁護士の団体が同法案に反対する署名運動を開始し、4月4日の時点で2万6千余筆の「法案反対」の署名を高市首相と森衆院議長宛に送付したと、4月24日付「週刊金曜日」が報道している; インテリジェンス(情報の収集・分析)活動の司令塔役となる国家情報会議と国家情報局を設置する法案が衆議院内閣委員会で審議されている中、122人の学者と弁護士が「私たちは戦争のための国家情報局創設に反対します」と題する署名運動を実施。4月4日に9806人の賛同者名簿を、高市早苗首相と森英介衆議院議長に送った。賛同者は4月12日時点で約2万6400人に増えた。 この署名運動の趣旨を説明する文書によると、今回の法案は2022年12月に岸田文雄首相(当時)が決定した国家安全保障戦略に記されている「多様な情報源に関する情報収集能力を大幅に強化する」「統合的な形での情報の集約を行なうための体制を整備する」などについての具体策を実現するものだと指摘。「『国家情報局』創設は、戦争準備をさらに大きく進めるためのものにほかなりません」と述べ、「戦争には絶対反対であること、高市政権にすべてを白紙委任していないことをはっきり示しましょう」と呼びかけた。 4月13日、東京の参議院議員会館でこの署名運動を提起した3人が記者会見を開催。その一人の澤藤(さわふじ)統一郎弁護士は、今回の法案の問題についてこう語った。「(政府が)『戦争準備ではありませんよ』と言っても、こんな法律を作らせれば、いろいろな市民団体の活動が全部、合法的に国家権力の情報ファイルの中に吸い込まれてしまう。国家権力が今何をしようとしているのか、危機感を感じてもらいたい」<佐藤和雄・ジャーナリスト>2026年4月24日 「週刊金曜日」 1566号 9ページ 「今週の巻頭トピック-『これは戦争準備にほかならない』」から引用 私たちの日本は、戦後の80年間、戦争放棄を定めた憲法の下、平和に経済活動を発展させて暮らしてきましたが、低賃金で労働者を酷使するという資本主義経済システムの欠点を補正できずに、経済力の低下を招いたため、これを打開する策として日本の資本主義推進陣営は武器輸出三原則を打ち破って、輸出を拡大し、もっと儲けを増やす手段として、国を挙げて戦争を始めるための算段を始めた、そのことを端的に示すのが「国家情報局」設置の準備です。国民の中から沸き起こる「戦争反対」「武器輸出反対」を声を事前に摘み取ってしまうことが目的の「国家情報局」創設には、断固反対の声を挙げていくことが、わが国の進むべき道だと思います。
2026年05月10日
ピアニストで「週刊金曜日」の編集委員も務める崔善愛(チェソンエ)氏は、4月24日付同誌の巻頭コラムに、次のように書いている;「わたしの母は中国のハルビンで育ち、入植者だった祖父は敗戦時に殺されました。母の弟は、長崎の原爆で即死でした。軍医だった父方の伯父は中国で生きている捕虜の解剖をしたと、わたしにもらしました。戦争で人間は残酷です」 東京都立高校元教員の池田幹子さん(78歳)が4月8日、「平和憲法を守るための緊急アクション」の呼びかけで国会前に集まった約3万人を前に、マイクをにぎった。音楽教員として学校の式典で「君が代」の伴奏を拒否し、裁判で「思想・良心の自由」を訴えた人だ。彼女はなぜ「君が代」をうたえないのか。 大人だけでなく子どもたちも、自分の考えや疑問を口にすることができなかった時代。「思想統制と戦争はセットだった」。だからこそ、「今の憲法の『思想・良心の自由』『表現の自由』は、9条の『戦争放棄』とともに平和憲法の要です」と池田さんは言う。 スパイ防止法、国旗損壊罪の制定を高市早苗政権は進めるが、それが社会に何をもたらすのか。国家の戦争責任を問う人物をあぶりだし、まるで犯罪者のように孤立させるのか。 「君が代」をうたわなければ処分するという教育委員会を相手どり闘いつづける教員らに対して、社会の視線は冷たい。その視線に耐えながらもなお、教員らは踏ん張っている。 ファシズムへの道は、高市首相やトランプ米大統領の強引さだけでなく、「普通の人びと」の無関心と冷たさに支えられ、進められてゆく。 池田さんとわたしは20年前、「君が代」問題を通して知り合った。そんななかで、「君が代」に抗う教員らとともに、音楽のよろこびを取り戻したいと「コンサート・自由な風の歌」を毎年、開催してきた。コンサートでは林光作曲「日本国憲法・前文」「第9条」をうたいつづけている。 ある日、池田さんから「崔さん、『日本国憲法・前文』をうたうとき、『国民』という言葉が崔さんたち外国人を排除していないか気になっています。それでも一緒に演奏してもらっていいのでしょうか」と言葉をかけられた。 憲法は日本人だけのものなのか。わたしがずっと抱いていた疑問を日本人から聞かれた、初めてのことだった。 4月17日、与党は改憲に向け、条文起草協議会を開いた。なぜ人間は戦争に突き進んできたのか。過去の歴史が実感として、迫ってくる。2026年4月24日 「週刊金曜日」 1566号 3ページ 「風速計-憲法は日本人だけのもの?」から引用 憲法はすべての法律のよって立つ基盤であり政府や国会が制定する法律に違法性がないかどうか判断の基準を示すものであって、日本国籍を所有する者にのみ摘要されるなどという排他的な意味合いは存在しないのだから、「日本国憲法は日本人だけのもの」という発想は間違いである。したがって、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」という憲法前文も、つまらない誤解を避けるためには、冒頭の「日本国民は」という文言は「この国に居住するすべての人間は・・・」という風に改めるのが適切だと思います。しかし、今は、高市政権が自衛隊を「軍隊」にして天皇を元首にして、大日本帝国を復活させようとする姿勢をあらわにしている状況に鑑み、憲法の条文を改変する話は、もう少し先にした方が良いように思われます。
2026年05月09日
アメリカのトランプが卑劣な手段でイランと戦争を始めた煽りで石油を輸送する船舶がホルムズ海峡を通過できず、そのため建築資材や日用品の材料となるナフサの輸入がストップして国内の産業が停滞し市場では商品がなくなる危険性が出てきた。高市政権は中東以外の場所から輸入する目途がたったので心配はないと言ってるが、業界の専門家は「大量のナフサを中東以外の場所から調達するのは無理で、このままでは6月には、日本は詰む」と発言して物議をかもしていることを、4月25日の東京新聞「こちら特報部」は、次のように報道している; 中東情勢の悪化で、建築資材や日用品など幅広い製品に使われるナフサの供給が不安視されている。そんな中、資源エネルギー庁の有識者委員を務める「コネクトエネルギー合同会社」の境野春彦氏(57)が、テレビ番組で「このままでは6月に詰む」と発言すると、高市早苗首相がX(旧ツイッター)で「事実誤認」と反論した。政府は国内の必要量が「足りている」とするが、依然として不安の解消までは至っていない。境野氏に発言の真意や政府の対応に対する考えを聞いた。(山田雄之、福岡範行)◆統計基づく想定 「統計の数字に基づく想定を話した。エネルギー資源に対する危機意識を多くの人に持ってほしかった」。 「こちら特報部」の取材に境野氏は21日、こう思いを述べた。「原油もナフサも他の地域からの代替調達では賄いきれる量ではない。相当にタイトだ」と現状を語る。 世界が消費する約2割の原油がホルムズ海峡を通る。多くのエネルギー資源を輸入に頼る日本は、中東からの原油が輸入量の9割以上を占める。中東情勢が緊迫化する中、米国とイランの協議は難航している。 ナフサは、原油から精製される石油製品の一つ。「石油化学のコメ」とも呼ばれる基礎原料でペットボトルや衣料、医療器具など身の回りの多くの製品に姿を変え、暮らしを支える。 境野氏は大学卒業後、石油元売り大手に20年以上勤務し、石油精製の現場を学び、国内の燃料販売の業務などに携わった。2025年に独立し、現在は液化石油ガス(LPG)の取引適正化を推進するための資源エネルギー庁の有識者グループの委員も務める。 政府統計などによると、国内消費量の約4割を中東から輸入し、国内生産が約4割あるが、原料となる原油の大半が中東からの輸入。計約8割のナフサが中東由来とされる。 3月以降、ナフサの供給状況を懸念する発信をXで始めた。境野氏は「イランへの攻撃が始まった当初の報道は、ガソリンや軽油など燃料が足りなくなる恐れを伝える内容が多く、原料として『物づくりができなくなる』との危機感が世間に伝わっていないように感じた」と振り返る。 4月4日放送のTBSテレビの「報道特集」に専門家として出演。経済産業省が示した中東以外からの輸入を倍増させる見通しでは国内需要を賄うことが難しいとして、「間違いなく今の状況が続いたら6月には詰むんですよ、日本。もうホルムズ海峡を通る一択しかない」とコメントした。◆ 高市氏Xで反論 これに対し、高市首相は翌5日にXで、番組名は出さなかったが「少なくとも国内需要4ヵ月分を確保している」などとして、境野氏の発言を「指摘は事実誤認」と断じた。◆ 批判意見100件超 その直後から、境野氏のXには「デマをまくな」「詰まなかったらどうするんだ」との意見が100件以上寄せられたという。番組側もXなどで「『需要に供給が追いつかなくなり、日本にとって深刻な影響が出る恐れがある』という趣旨での発言でした。趣旨を適切にお伝えすることができなかった」などと補足する事態となった。 境野氏は、3月公表の政府統計の国内需要や輸入量、在庫などの数値から「3ヵ月後に供給が需要を賄えなくなる」と想定し、危機感を訴えるために「6月に詰む」という発言に至ったと説明する。高市氏の「国内需要4ヵ月分」との発信について「ナフサから分解された基礎化学品以降の『川中製品』の在庫2ヵ月分をナフサ自体の2ヵ月分に単純に加えており、正確な表現ではない」と指摘。その上で「いまでは『詰む』という表現では甘かったと思っている。既に現実として現場に不足が生じている」と強調する。◆首相は「事実誤認」と言うけれど 政府は「年明けまで石油の供給を確保できるめどがついた」「(ナフサは)必要な量は確保」と不安を打ち消す発信を続ける。ただ、ナフサを使う現場の企業では製品の新規受注の停止や値上げの動きが広がる。日本塗装工業会は14日、シンナーなど塗装資材の急激な品薄と価格高騰が起きているとして、国土交通省に供給確保を要望。「政府発表と現場のサプライチェーン(供給網)には大きな乖離(かいり)が生じている」とした。 だが、赤沢亮正経産相は会見などで供給が不安定な理由を「流通の目詰まり」「供給の偏り」と表現し、「連絡があればただちに解消する」と強調する。 境野氏は、有機溶剤の不足でユニットバスを入れられずリフォーム工事ができなくなったり、運送会社のインタンク(自家給油設備)への供給が途絶えたりと現場から「悲鳴のような声」が届いているとし、こう訴える。「不安にさせないためにあいまいな発信を続けるのではなく、国民に正確で丁寧に説明して、節約や省エネを呼びかけるべきではないか」 高市首相がXで「事実誤認」と打ち消したのは、不安に駆られた人々が関連商品を慌てて購入する事態となることを避けたいとの思いが背景にありそうだ。官邸関係者は、新型コロナウイルス禍を「トイレットベーパーがうわさで一気になくなった」と振り返り、ナフサ関連でも「買い占められたら困る」と警戒する。 現状では「パニック買い」の動きは、限定的だという。第一ライフ資産運用経済研究所の星野卓也・主席エコノミストがスーパーやコンビニなどの売り上げデータを分析したところ、「洗濯用洗剤類」などで伸びは見られたものの、新型コロナ禍でのトイレットペーパーなどの駆け込み購入と比べると小規模だった。 星野氏は、コロナ禍では外出自粛などの影響が広かった一方、今回は国内の石油備蓄かおり、政府が、事実を踏まえて「落ち着いていい」と発信できた効果があるとみる。ただ、もし混乱が長引けば供給不足が現実味を帯びてくるとし、「(備蓄で)ある程度、時間を稼げる。その間に代替調達を確保することが一番求められている」と語る。 日本総合研究所で原油価格の見通しを担当する栂野(とがの)裕貴研究員は、5月末までにイランでの戦闘が終わってホルムズ海峡が徐々に正常化すれば、高止まりする価格が「6月以降、緩やかにじりじりと下がる」と想定する。だが、先行きは不透明だ。戦闘が泥沼化して供給不足が進み、価格が高騰する「リスクシナリオ」も十分あり得るという。 「不確実性が晴れない限り、(メーカーが)少しずつ生産を落とす動きは止まらない」と栂野氏はみる。こうした抑制が連鎖すれば、流通の川下で供給不足が顕在化する。目詰まりの把握についても、石油製品の供給網は複雑であるとし、「どこで何か起きているのかを特定するのは、かなり難しい」と語る。 栂野氏は「経済を回しながら省エネする施策が次にやるべきこと」と説く。車通勤の人の在宅勤務推奨や高燃費車への買い替え支援といった対策で、景気を悪化させずにガソリン消費を抑え、石油製品依存の低減につなげることができる。 政府の情報発信のあり方に問題はないのか。麗沢大の川上和久教授(政治心理学)は高市氏のX投稿に「国民の不安を抑えたい気持ちは分かる」としつつ。「事実誤認」という言葉がバッシングや分断を招くことを懸念する。「資源を大事に使うことは、政治的な立場を超えて一致すると思う。先行き不透明な時代には、対立しないコミュニケーションが大事だ」<<デスクメモ>> 赤沢経産相は24日、「ホラーストーリーを語るべきではない」と石油の供給不安を否定したが、境野氏の「詰む」との警鐘は「ホラー」なのだろうか。既に現場で影響が出ているのは、先行きを不安視して抑制する意識が各所で働いているからでは。政府の説明との乖離が気になる。(祐)2026年4月25日 東京新聞朝刊 11版 16ページ 「ナフサ供給『6月に詰む』・・・境野氏の真意」から引用 70年代の石油ショックのときは、本当にスーパーの店頭からトイレットペーパーが姿を消すという現象を見たのであったが、あの時は「たかがトイレットペーパー」であったが、ナフサの場合は建築資材も無くなって建設業も仕事ができなくなるという大規模なダメージが予想されて、国内経済はかなり大変なことになるかもしれないという不安が過りますが、高市政権の説明は具体的な根拠を示して「大丈夫」と言ってるのとは違って、単なる「大丈夫」という言葉だけだから、専門家にしてみれば「年間これだけのナフサを消費しているのに、それをそっくり代替してくれる供給源が、世界のどこにあると言うのか」という基本的な「疑問」に応えていない点が、大きな問題だと思います。しかし、これは日本にとって大問題には違いありませんが、トランプ氏にとっても、秋の中間選挙へのダメージを少しでも軽減するためには、一日も早く「イラン問題」を解消しなければならないという「切実な問題」であるため、昨日今日のニュースでは「停戦期間を、条件を付けずに延長する」などと言い出しているから、ひょっとすると6月になる前に「ホルムズ海峡の正常化」が実現するのではないか、という可能性が見えてきたような気がする今日この頃です。
2026年05月08日
日本が先の大戦で敗北して、それ以降軍隊を持つことを放棄した経緯について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、4月26日付同紙コラムに、次のように書いている; 小津安二郎監督の遺作「秋刀魚の味」(1962年)で、笠智衆演じる元駆逐艦艦長は、トリスバーのカウンターで威勢のいい元部下を穏やかに諭す。「けど負けてよかったじゃないか」 吉田茂は「負けっぷりをよくする」気で戦後外交をやった。証拠はないが、昭和天皇も「敗戦は悪くなかった」と思っていたフシがないわけではない気がする。 敗戦の決断が遅れたのは、連合国に国体維持を約束させようとあがいたからだ。そのための本土決戦・一億玉砕は本気だった。 米国の占領政策で国体すなわち天皇制は残った。条件として「元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ」「陸海軍ヲ統帥」していた天皇は、元首の地位と国政に関する権能を手放し、軍隊を解体して戦争する手段も権限も差し出した。 日本国憲法9条「戦争の放棄」は、第1章「天皇」規定とのバーターで成り立っている。 だが、元首から象徴になる憲法草案を、昭和天皇が進んで受容したと長く信じられてきた美談は、実は疑わしいようだ。 昨年出た小宮京著「昭和天皇の敗北」は、参議院に埋もれていた憲政資料の緻密な分析を通じ、昭和天皇が象徴制に納得せず、外交大権を持つ英国王のような「国家元首として君臨する天皇」になることを望みながら果たせなかった内幕を論証する問題作だ。 象徴になっても昭和天皇が、軍事・外交に戦前と変わらぬ意欲を持ち続けたのは周知の通り。 占領期に本土の安全と引き換えに、側近を介して連合国軍総司令部(GHQ)に沖縄の米軍統治と基地の長期使用を極秘に要請。朝鮮戦争が起きると再軍備のための憲法改正を唱え、独立後も占領期に続き米軍駐留を望んだ。 天皇制存続の証文である9条体制が、日米安保条約とセットでなければ成り立たない現実を吉田以上に確信し、旧軍を嫌悪しながらも国防強化とその中心となる元首の必要を疑わなかった。 私たちが9条を議論するには、天皇制と日米同盟についても意見を持たなければならない。 高市早苗政権が米国追従と武器輸出解禁を進め、現実離れした養子縁組で皇室を存続させるとする皇室典範改正を急ぎ、1年で憲法改正発議にめどをつけるのは、つながっている。(専門編集委員)2026年4月26日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-象徴天皇制と戦争放棄」から引用 この記事の冒頭に紹介されている小津映画の、元駆逐艦艦長の「けど負けてよかったじゃないか」というセリフは、戦後の多くの国民の「実感」がこもった言葉のように思います。もし負けていなくて、継戦中だったり勝利していたりすると、戦争のために駆り出された数百万人の日本人は、そのまま中国大陸や東南アジアに居残って、それらの地域を占領地として管理する仕事に従事させられて、そのうちに現地住民が武装して反乱に立ち上がるなど、様々な混乱がまだ続いた可能性があり、そういう「災い」から解放されたのは、良かったことだったと思います。昭和天皇は幼少のころから軍人として教育を受けて、地政学的なものの見方を習得した人物だったのに比べて、上皇と今上天皇は戦後の民主主義教育を受けたという事情もあり、特に上皇は子ども時代に戦争を体験しており、戦後はかつての戦場を訪れては戦争犠牲者を弔うということを熱心に実行した人だったので、おそらく日本が再軍備をして戦力を保持するような国になってほしいなどとは考えていないと思います。客観的に考えても、かつて日本軍に侵略された中国は、はじめは北京にあった政府を南京に移し、南京が攻略されると次は重慶に移すという具合に対応したので、終に日本は中国政府を降伏させることは出来なかった。広大な国土があってこその戦略であるが、日本のような狭い国土の場合は、いくら高市首相が「継戦能力」などと言って国家予算をつぎ込んでも「継戦」などは不可能なのであり、国家を発展させようと思えば、ただひたすら平和外交に徹するのみであり、武力で国を守るなどという「絵空事」は唾棄すべきものと知るべきです。
2026年05月07日
異教徒の宗教施設に酔っ払いが乱入して暴れた事件に心を痛めた少年が、その宗教施設に手作りのケーキを持って慰問に訪れたというイギリスのエピソードについて、文筆家の師岡カリーマ氏は、4月25日付東京新聞コラムに、次のように書いている; ヘイト(憎悪)でなくケイク(ケーキ)を。英国東部ピーターバラで、12歳の自閉症の少年ジョシュア・ハリスが父親と始めた運動だ。地元のモスクに酔った白人男性が乱入し、「白人がおまえたちを滅ぼす」と叫んで信者を襲った事件に心を痛めたジョシュアが、カップケーキを焼いてモスクで配ったのがきっかけ。「言葉でなく行動で連帯を」と父親のダンさん。 その後も父子は英国各地のモスクを訪問、投稿された画像の視聴数は100万を超える。言葉を話さないジョシュアは、通常どのモスクにもあるミンバル(階段状の説教壇)が大のお気に入り。初めて行くモスクでも、自ら扉を開けて、ミンバルめがけて一目散に走っていく。礼拝にも参加。排外思想や反イスラム主義が広がる中、心ないコメントも寄せられたが、父子は活動を続け、ジョシュアがモスクで歓迎されて楽しそうに過ごす動画を次々と発信、さらにユダヤ教やシーク教など他宗教の寺院も訪ねて、連帯の輪を広げていく。 ダンさんがテレビの取材で語ったように「私たちを繋ぐものは、隔てるものより多い」ことを、同じくムスリム男性が言ったように「分断を煽る人たちは実は少数派」だということを、そして何より、一市民の小さな行動の威力を、一言も語らずに示した少年の姿に、口先勝りの政治家の方がよほど、「ごっこ」に見えてくる。(文筆家)2026年4月25日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-C a k e No t Ha t e」から引用 日本のSNSは、自治体首長の疑惑を追及する百条委員会委員を務める議員を脅迫するような画像が投稿されて、なぜかそれが受けて、脅迫された議員は心身に異常をきたした挙句に自死するという事件にまでなったが、さすがに英国の場合は、日本よりは少し先進国であるせいか、異文化の外国人とも良好な関係を築いていこうという「前向き」な投稿が人々に支持と共感を得ているのは素晴らしいことと思います。遠からず、日本もそういう社会になってほしいものです。
2026年05月06日
わが国の売春防止法は「売春をしてはならない」と規定しておりながら、実際に「売春」が摘発されると売春をした女性側は処罰されるのに、売春の相手側の男性には何のお咎めもないのはおかしい、との声に押されて、法務省で売春防止法見直しの議論が始まったことについて、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏は、4月19日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 法務省は3月24日、売春防止法見直しの議論を開始した。従来は処罰がなかった買春者への処罰を検討するためだ。 売春防止法3条には「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」とある。つまり買春も禁じている。しかし、5条では「公衆の目に触れるような方法で、人を売春の相手方となるように勧誘すること」「勧誘するため、道路その他公共の場所で、人の身辺に立ちふさがり、又はつきまとうこと」「公衆の目に触れるような方法で客待ちをし、又は広告その他これに類似する方法により人を売春の相手方となるように誘引すること」とある。これらの文言を読むと、売春する方が一方的に悪い、とはっきり言っている。そして「相手方」である買春者には、何の罰則もない。高市早苗首相が心変わりしなければ、ようやく罰則の検討に入るはずである。 2024年に施行された女性支援新法は、さまざまな事情により困難な問題を抱える女性の支援を目的にした。しかし状況は変わっていない。未成年との「せい行為」は犯罪であるにもかかわらず、依然として放置されている。12歳のタイ人女性の性的労働は加害者側が逮捕されたが、日本人女性は補導される。 上野千鶴子氏は3月31日の朝日新聞紙上のインタビユーで、「援助交際」という言葉で、売春が女性自身の選択や自己決定とされ、男性が免責されてきたことと、それが「資本主義市場では何もかもが商品になる」という考えに由来することを指摘した。臓器売買や人身売買は犯罪である。しかし、性売買は「誘惑」という名で責任転嫁がなされ、買う側の犯罪と認定されない。圧倒的に買う側が男性だからである。 ◇ ◆ ◇ この不均衡は至る所にある。強制的夫婦同姓制度のもとで約94%は女性が改姓する。不自然だ。「痴漢は犯罪です」は駅でよく見かけるようになったが、少し前までは犯罪だと思われていなかった。セクハラという言葉も存在せず、私の世代は多くの不快な思いをしながら、生きていくために口をつぐみ「自分に非がある」と思っていた。 性売買は、そういう女性の責任感や道徳観を利用して成り立ってきた。NHK大河ドラマ「べらぼう」に見えた公認遊郭の女性たちは、親兄弟、夫、子供の生活のために借金をし、返すために売春をした。ある戯作は「女は仁」、つまり人間性にあふれている、と書く。父母兄妹の貧を救うからである。おだてられ自らも信じ、しかし実際には多くの遊女が新たな借金を抱えて落ちてゆく。売春を仕事として認めるべきだという人々は、これを自ら望んだ選択だ、とでも言うのだろうか? ◇ ◆ ◇ 今年1月、「Colabo攻撃-暴走するネット社会とミソジニー」(地平社)という本が出た。私も執筆者の一人だ。編著者の仁藤夢乃さんは、一貫して「買春は性搾取だ」と声を上げてきた。「売る側と買う側を同じように罰すれば『平等』になるわけではない。買う側を罰すると同時に売る側は非処罰とし、性売買の権力構造を変える必要がある」と指摘する。仁藤さんのような主張は攻撃の対象になる。その攻撃と闘いの日々を、事実に沿って書いたのが前掲書だ。一般社団法人「Co1abo」の次の目標は、市民による女性人権センターの設立である。2026年4月19日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-性搾取は犯罪」から引用 この記事が紹介している市民団体「Colabo」は、生活苦のために風俗業に取り込まれる若い女性を救済する事業に取り組んでいる団体で、その活動の意義が認められて一時は東京都から助成金も支給されていたのであったが、それを快く思わない男たちが、「Colabo」の活動を妨害する事例が頻発したため、あろうことか東京都は助成を打ち切るという「本末転倒」の対応をして、現在は「Colabo」は自力で資金集めをして活動を継続している。「Colabo」に対するいやがらせ行為をする男たちの中には、埼玉県のとある自治体の市議会議員を務める者もいて、こんなことをする輩がなぜ市議会議員になれるのか、日本人社会の「レベル」が知れるというものであるが、多くの人々の善意と勇気を寄せ集めて、すべての人々の人権が尊重される社会を作り上げていきたいものでございます。
2026年05月05日
現職自衛官が自衛隊法を無視して自民党大会に出席し国歌斉唱した事件について、元文科官僚の前川喜平氏は4月19日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 12日の自民党大会で陸上自衛隊中央音楽隊の陸曹が、演奏服装を着用し「陸上自衛隊が誇るソプラノ歌手」と紹介されて登壇し、大会次第の「国歌斉唱」をリードした。 この行為は自衛隊法61条が禁じる政治的行為、具体的には同法施行令86条および87条に規定する「特定の政党を支持すること」のために「官職、職権その他公私の影響力を利用すること」および「国の資材を利用すること」に該当すると考えられる。政府は「私人としての行為」だと説明するが、もしそうならこの陸曹は自衛隊法46条1項により「職務上の義務に違反した」として懲戒処分にしなければならない。 しかし、演奏服装は陸上幕僚長の指示で着用するものだという。党大会には音楽隊の副隊長も同行していた。陸曹の出演については陸幕長も事前に了解していた。ならば陸上自衛隊は組織として自民党に奉仕したのではないか。処分すべきは陸幕長ではないのか。小泉進次郎防衛相も監督責任を免れない。 自民党の萩生田光一幹事長代行は、事前に防衛省に確認したら「問題ない」という回答だったと説明した。自民党も防衛省も問題意識が麻痺しているのだ。高市早苗総裁も「知らなかった」では済まない。ここには自民党と自衛隊の抜き差しならない癒着がある。自衛隊を自民党の私兵にしてはならない。(現代教育行政研究会代表)2026年4月19日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-自民党と自衛隊の癒着」から引用 この記事が述べるように、自民党の萩生田光一幹事長代行は現職自衛官の自民党大会出席について、自分も立法府の議員でありながら自衛官の政治的行為が違法かどうか、自分では判断しないで防衛省に確認したというのは、あまりにお粗末な話だ。おそらく内心では「違法性」を分かっていながら、責任を他者に転嫁する手段として「防衛省に確認したら、問題ないとのことだった」と一人芝居を打っているのかも知れないが、いずれにしても、「知らなかった」だの「あの人が問題ないと言った」だのと言ってごまかすのではなく、実際にあった「事実」を確認した上で、違法行為についてははっきりと当事者に責任を取らせるべきであり、幕僚長、防衛大臣、総理大臣の監督責任も、この際はっきりとさせておかなければ、この先の日本は戦前の過ちを再度繰り返す羽目になると思います。
2026年05月04日
アメリカでトランプが大統領になると、大統領権限ですべての輸入品に基本関税10%とそれにプラスして「相互関税」も課すということになり、日本などはその「相互関税」を少しでも下げてもらう代わりに「原発建設」や「メキシコ湾石油ターミナル建設」に巨額の投資をする約束をして、その一部が実行に移された本年2月に、アメリカ連邦最高裁は「トランプ大統領が議会の承認なしで勝手に始めた『相互関税』制度は憲法違反である」との裁定を下し、無効となったため、現在はトランプ大統領以前の、通常の関税にもどっている。ところが、それにも拘らず、日本政府は「相互関税」が消滅したにも関わらず、その「相互関税」を少し安くしてもらうための「条件」であった米国内に対する「巨額の投資」を断ることをせず、消滅した「約束」を守っていこうとしている。そのような日本政府の妙な「弱腰」を、明海大学准教授の宮崎礼二氏は、4月19日の「しんぶん赤旗」コラムで、次のように批判している; 米トランプ大統領が、全輸入品への一律10%の基本関税と「相互関税」を打ち出した2025年4月2日を「解放の日」と宣言してから1年。宣言は、一方的に貿易ルールを改変させ米国第一主義が支配する国際秩序の象徴となりました。 トランプ氏は相互関税で巨額の貿易赤字を解消し、製造業の雇用を国内に取り戻すといいました。関税を「交渉の武器」として振りかざし、不法移民対策や薬物密輸阻止といった要求をのませる強権的な「ディールの手段」としたのです。 ◆ ◇ ◆ しかし、現実は大統領の期待通りには進んでいません。25年の米国のモノの貿易赤字は1・24兆ドルと過去最高を更新し、輸入抑制の思惑は外れました。さらに、高関税は輸入コストを押し上げ、インフレ再燃で自国民の家計を直撃しています。25年の消費者物価指数(CPI)は一時3・0%まで上昇しました。部品や原材料を輸入に依存する製造業ではコスト増が収益を圧迫し、工場閉鎖やレイオフ(一時解雇)が相次いでいます。報復関税による農業などの輸出産業の市場喪失も深刻です。 こうした逆風の中、日本が関税引き下げの対価として約束した総額5500億ドル(約87兆円)の対米投資は、実行段階に入りました。2月には、オハイオ州の火力発電所やメキシコ湾の石油ターミナルなど、約360億ドルの「第1弾」案件が発表されました。3月には、高市・トランプ日米首脳会談に合わせて、テネシー州やアラバマ州での小型モジュール炉建設を含む、約730億ドルに及ぶ「第2弾」計画が具体化しています。投資先の地域は、中間選挙や大統領選挙での「激戦州」に加え、共和党の強固な支持基盤の「赤い州」にも集中しています。日本の富がトランプ氏の権力維持に動員されている形です。 しかし、2月に米最高裁が「相互関税は違憲」との判決を出し、日本が結んだ投資約束の前提は崩壊しました。日本は当初通告された「24%」の理不尽な高関税を免れるため、巨額投資を条件に15%への引き下げを「勝ち取った」はずでした。ところが、違憲判決で日米合意の枠組み自体が法的に消え去りました。現在は通商法122条に基づき、実効税率は11~13%程度で推移しています。日本が巨額投資の約束で「勝ち取った」15%の合意よりも低いという逆転現象が起きているのです。 ◇ ◆ ◇ 巨額の投資を継続する正当性は存在しません。投資の進ちょくに不満があれば課徴金を上限15%に引き上げるというトランプ氏の脅しは、関税を「人質」にした身代金要求に等しいといわざるをえません。 違憲判決で根拠を失ったディールに固執し、国民の血税や民間資金をトランプ氏の選挙対策へと献上し続ける日本の姿は、「対米従属」の極みです。国富を流出させるだけでなく、国際社会における日本の地位を「米国の属領」へと失墜させるものです。今こそ日本は、崩壊した合意の無効性を堂々と主張し、属国的な盲従から脱却する矜持(きょうじ)を示す時ではないでしょうか。(みやざき・れいじ 明海大学准教授)2026年4月19日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何?-トランプ関税1年」から引用 だいたい、トランプは誰に吹き込まれて、アメリカは貿易赤字だからこれを黒字にすれば国としても強くなれるなどと思ったのか、あまりにも考えが足りない。関税を上げれば輸入量が減るから、その結果、貿易赤字も緩和される、という理屈も「勉強のできない子ども」が考えそうな理屈で、現実には、輸入品にとって代わりうる製品が、国内で生産されているのなら問題ないが、実際にはアメリカの国内産の日用品はあまりにもコストが高く、富裕層を除いた一般庶民の経済力では、輸入品なしでは生活が立ち行かないのが実情なのであって、少々値上がりしても庶民は生活のために輸入品を買わざるを得ない、そういう「現実」が、トランプの目には見えていないわけです。経済の理論も実社会の現実も知らない者が、生半可な知識で関税率をいじったりするから、世の中はますます困窮する人たちが増えている。これじゃあトランプ・共和党の支持率は上昇どころか、低下する一方だと思います。11月の連邦議会中間選挙は、民主党にとって有利な戦いになりそうだから、民主党としては周到に準備して、トランプの後半2年をレイムダックしてやるべきだと思います。
2026年05月03日
憲法改正を党是に掲げた自民党でも、なかなか実行できずに80年も経ってしまった日本国憲法について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、4月18日付同紙コラムに、次のように書いている; 昨年まで駐日韓国大使だった朴喆熙(パクチョルヒ)氏が15日、日本記者クラブで印象的な話をした。韓国有数の日本政治専門の学者として安倍晋三元首相の側近に「安倍さんは憲法の何を変えたいのか」と尋ねたときの返答だ。 「憲法を変えられるということを見せたい」 中身は二の次で「改憲する感覚」を国民に味わってもらうのが本音だったという。得心がいく。 8年余の長期政権の間、安倍氏の改憲戦略は迷走した。憲法をいじるのが目的と誰にでも分かる。本人も自認していたのだ。 これは、日本国憲法を、占領期の連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」だから、自主憲法に改めるといった古い議論とは、似ているようで違う。 「強い日本を取り戻す」の標語通り、安倍氏は「失われた30年」で低下した日本の存在感を高め、国際的プレーヤーとして輝きたいという願望が強かった。 それには軍事活動の質と範囲を拡大する必要がある。憲法9条改定が正攻法だが、安倍氏は内閣法制局長官をすげ替え、集団的自衛権行使を一部容認する解釈改憲のからめ手で安全保障関連法を作り、正面突破を避けた。 同法成立後「米国が改憲する必要はなくなったと言うんだよ」と評論家に漏らしている。 だが同法施行の翌2017年、憲法記念日に改憲派集会へのビデオメッセージで、9条の戦争放棄・戦力不保持・交戦権否定の規定は変えず、自衛隊の存在を明記する「9条の2」を追加する独自案を突然発表した。 安保法成立に尽力した高村正彦自民党副総裁(当時)も寝耳に水で「安倍改憲はこれでいいのか」と驚いたという。またしても正面突破回避だったからだ。 これをもとに自民党案4項目が作られ、与党が条文化を主張する緊急事態条項はその一つ。名称は大仰でも、緊急性は疑わしい。 「安倍後継」を名乗る高市早苗首相が12日、党大会で述べた。 「どのような国をつくりたいか。その理想を物語るのが憲法だ。私たちの物語を歴史という書物の新たなページに刻もう。立党70年、時は来た。改正発議にメドを立てて来年の党大会を迎えたい」 権力者が自作の憲法で権力を乱用するのを防ぐため、国民が国家権力(政府)を縛るルールを作る。それが立憲主義である。 その近代憲法原則を無視し、安倍・高市改憲は憲法の画布に自分たちの夢みる「強い日本」の自画像を上書きしたいらしい。どうせ改憲するなら、もっとましな絵にしてもらいたい。(専門編集委員) ◇ 4月18日に配信した記事に「安倍晋三元首相に『憲法の何を変えたいのか』と尋ねたときの返答だ」との記述がありました。しかし、朴喆熙氏は安倍氏から直接ではなく、周辺の関係者から話を聞いていましたので、訂正しました。2026年4月18日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-かわいそうな日本国憲法」から引用 安倍信三が憲法改正に前向きだったのは、多分、自民党政権として自分が長く担当していくための方便と考えていたのではないかと、私は思います。アメリカはアフガニスタンやイラクを侵略するに際して、日本にも自衛隊を派遣するように「圧力」をかけてきており、その都度日本は「憲法の制約」を口実に断ってきており、そのような日本の対応にアメリカ政府は大きな不満を持っており、そのことは安倍信三もひしひしと感じていて、しかし改憲は困難だから、憲法はそのままで、とりあえず自衛隊を米軍と一緒に戦闘参加できるように、高村正彦自民党副総裁(当時)に頼んで、それまでは「不可能」とされていた「(自衛隊の)集団的自衛権行使の戦闘行為も合憲である」という「こじつけ」の憲法解釈をでっち上げて、安全保障関連法を成立させたので、それでアメリカからは「改憲の必要はなくなったよ」と言われたのでした。それにしても、高市早苗が呪文のように唱えている「どのような国をつくりたいか、その理想を物語るのが憲法だ」との言説は、立憲主義に照らして見るに、ほとんと寝言のようなレベルであり、一度精神科を訪れて精神鑑定を受けるべき「容体」ではないかと思われます。こういう政治家に国政を任せるのは、実に危険な事態であると言わざるを得ません。
2026年05月02日
現役自衛官が自民党大会に出席してステージで国歌を斉唱した問題で、記者会見に応じた荒井正芳陸幕長の発言からどのような問題が明らかになったか、4月16日付け「しんぶん赤秦」は次のように報道している;◆政治的行為を禁止 12日の自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊の現役女性自衛官が国歌を歌った問題を巡り、自衛隊施行令に反した利益提供にあたる可能性が浮上しました。 陸自トップの荒井正芳陸幕長は14日の記者会見で、「あくまで『私的行為』」であり自衛隊法の「政治的行為の制限」規定違反にあたらず「不適切だったとは考えていない」と述べました。その上で、当該自衛官が、大会を企画したイベント会社から謝礼や車代など金銭を受け取ったのか問われたのに対し、「受け取っていない」と答えました。 記者から、本来支払われるはずの歌手などへの出演への依頼料が今回かからなかったとすれば、イベント会社の利益になっていると指摘されたのに対して、荒井氏は「あくまで私人としての行為なので、詳細は差し控える」として明白な説明を拒否しました。 自衛隊法第61条1項は、投票行動を除いて隊員の政治的行為を禁じています。同法施行令87条は、自衛隊法61条で定める「政治的行為」の一つに、自衛官が「政治目的を持つ行為で利益を提供」することを挙げています。 また荒井氏は、自衛官が歌唱時に演奏用の制服を着用していたことについて、本来は自衛官服装規則第13条で陸幕長が必要と指示した場合に着用することができるとしたうえで、今回は私人としての行為で「私の指示を受けたものでない」と説明。職務外での着用は禁止されておらず、私的な場面での演奏服着用が「規則違反ではない」などと述べました。この見解通りであれば、陸幕長の指示に基づいて着用できる制服を、「私人」であれば好き勝手に着用できることになり、服装規則自体の意味がなくなってしまいます。 さらに、小泉進次郎防衛相が14日の記者会見で、「(制服は)常時着用義務がある」と述べましたが、「指示」に基づいて着用するという陸幕長の見解と真っ向から矛盾します。2026年4月16日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「規定違反、利益提供の可能性」から引用 現役自衛官の自民党大会出席問題で記者会見に応じた陸幕長は、政府から「何が何でも、『私人だから違法性はない』で押し切れ」とでも言い含められていたのか、自民党大会に出席したのはこれはどこからどう見ても政治的行為に違いないので、これは「自衛隊員としてではなく、私人として出席した」というのは、選挙の際に「投票行為は私人としての行為」という文脈で、誰でもが認めるところですが、イベント会社が自民党から「大会運営」を請け負った際には当然の対価が請求されているわけで、その請求額には当該自衛官への国歌斉唱の謝礼も含まれていたはずで、それを自衛官が受け取らなかったのであれば、その分はイベント会社の「利益」となってしまっているわけで、君が代を歌って自民党大会を盛り上げて、その謝礼はイベント会社の利益になるという二重の自衛隊法違反が疑われます。また、演奏用の制服着用は陸幕長の「許可」が必要ということも自衛官服装規則第13条に規定されているのに、でも私人であれば勝手に着用しても別に問題はないなどと、まるで落語の台本のような話になってしまう。しかし、これは笑って済ませられる問題ではありません。非は非として、しっかりけじめをつけることが、自衛隊の組織としての健全性を確保する上で必要と思います。
2026年05月01日
現職の自衛官が自民党の党大会に参加してステージで国歌を歌った事件を批判する記事が、18日付東京新聞に掲載された; 12日に行われた自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊の隊員であるソプラノ歌手が壇上に上がり、制服姿で国歌斉唱をリードしていました。 東京新聞は15日の社説「自民大会で国歌 自衛隊の政治利用慎め」で「特定政党の行事への参加は党勢拡大への協力を疑われ、政治的中立性に疑念を抱かせる。自民党はこれまでも党所属議員が自衛隊を政治利用する発言を繰り返してきた。党大会で自衛隊員に歌唱させたことを猛省し、再発防止に努めなければならない」と批判しました。 読者からは本社に「いいじゃないの。なぜ言い掛かりをつけるのか」との意見も届きますが、別の読者は「国歌を歌ったことが問題なのではなく、特定政党の党大会で歌ったことが問題だ」とします。当論説室の問題意識は、後者の読者と同じです。 自衛隊法は「隊員は選挙権の行使を除き、政治的行為をしてはならない」と定めています。 総裁の高市早苗首相は「自衛官は職務ではなく、私人として旧知の民間の方から依頼を受け、国歌を歌唱した。自衛隊法違反には当たらない」としますが、党大会は総裁が招集する党の最高機関。国会議員や都道府県連代表が一堂に会する場での国歌の歌唱に政治性が全くないと言い張るのは無理があります。 木原稔宣房長官も「政治的に誤解を招くことがないかは別問題で、その点はしっかりと反省すべきだ」と国会答弁するなど、政治的に問題があることは認めざるを得ませんでした。自民党による自衛隊の政治利用は明白です。 より深刻なことは、一政党による自衛隊員の政治利用を政府や自民党内で誰も止める人がいなかったことです。 さらに、自衛隊の最高指揮官である高市首相や、指揮監督する小泉進次郎防衛相は党大会まで自衛隊員の参加を知らなかったと主張していますから、防衛省・自衛隊の統制の問題も指摘せざるを得ません。私人だから、という言い訳は通用しないのです。 自民党議員は以前から選挙応援の際、自衛隊に言及するなど政治利用を繰り返してきました。自衛隊に政治的中立を求め、政治利用を戒めているのは、軍が政治への関与を強め、国民を無謀な戦争に導いた反省からです。忘れてはなりません。(と)2026年4月18日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ぎろんの森-自衛隊の政治利用を戒める」から引用 この度の事件に関するメディアの報道は「現職の陸上自衛隊音楽隊の隊員が礼装の制服を着用して自民党大会のステージで君が代を斉唱した」という文面であったため、ことさら「君が代を歌ったのがいけない」と言ってるようにも受け取られ、人によっては「また左翼が騒ぎ出したか」と理解したケースもあったかも知れないと思いました。しかし、事実としては自衛官が立場を利用して特定の政治勢力を有利になるようなことをしてはならないと規定した条文が、自衛隊法に明記されているのですから、その点をこそメディアは取り上げて追及し、それぞれの地位にある自衛官、幕僚長、防衛大臣、総理大臣に対し、相当な処分を下して責任の所在を明らかにすると共に、再発を防止する旨を政府与党内に徹底するのが、正しい対処法であったはずです。その辺をはっきりさせずに、通り一遍の「批判記事」で終わりにしたのでは、似たようなケースの再発は防止できず、何度も繰り返すうちにやがては大政翼賛会が出てくる危険性は避けられないと思います。
2026年04月30日
無実の人を58年間も牢獄に閉じ込めた「袴田氏冤罪事件」を反省して、再審請求が出た場合には迅速に対応できるようにする目的で、刑法改正の声が高まり、その声に対応するつもりで出してきた法務省の改正案が、まったく改正する意図が見られない愚案だったため、法務省の与党に対する説明会が紛糾した様子を、16日の東京新聞はトップ記事で報道し、現場の批判派、推進派の議員の様子について次のように書いている;◆自民反発、了承見送り◆自民部会怒号飛び交う 再審制度を見直す刑事訴訟法改正案を審査した15日の自民党部会は、法務省が示した修正案を巡って紛糾した。会議室の外まで響く怒号が飛び交い、予定した1時間を大幅に超える4時間15分にわたる議論でも結論は持ち越しになった。 「これでは第2、第3の袴田さん事件が起こってしまう」。鈴木宗男参院議員は、1966年の静岡県一家強盗殺人事件で逮捕されてから再審無罪確定まで58年を要した袴田巌さんの名前を挙げ、検察官抗告による審理長期化の弊害を訴えた。 今国会への提出期限が迫る中、最大の焦点は検察官による不服申し立て(抗告)を認める規定の扱いだった。冤罪(えんざい)被害者の迅速な人権救済を図るため、禁止を求める声が高まり、法務省は譲歩したが、踏み込み不足の内容に「全く修正されていない」(閣僚経験者)とむしろ反発は拡大。党内の意見を軽視するような法務省の姿勢に対して「不誠実だ」という声も上がった。 「制限と禁止では天と地の差がある」。抗告禁止を訴える井出庸生衆院議員はそう語った上で、「冤罪被害者が人生を棒に振ってきた歴史を直視した議論のはずなのに、検察による検察のための法改正と言わざるを得ない」と断じた。党内では影の薄い法務省擁護派の議員は「無制限には不服申し立てができないようになっているが、なかなか理解されない」と肩を落とした。(長崎高大)2026年4月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「検察抗告禁止、盛り込まず」から引用 検察官は犯罪捜査のプロとして決して間違いのない証拠をそろえて、裁判に臨むべきであって、十分な証拠がそろえられないのであれば、軽々に人を裁判にかけたりしてはならない。ところが、実際の検察官は「こいつが犯人だ」と見込んでしまえば、証拠をねつ造してまで「犯人」を仕立て上げる事件が、袴田事件以外にも埼玉県狭山の女子高生誘拐殺人事件などがあり、これまで何百人の無実の人が、検察のそのような横暴で犠牲になったかはかり知れません。法務省には、その辺の「反省」がまったく欠落しており、自民党議員が納得しないのは、人間として当然の対応だと思います。検察は犯罪捜査のプロとして裁判に臨み、判決の後に数年経ってその判決に疑義が出た場合は、潔く己の「欠点」を認めるのが「人の道」であり、再審請求に対して検察が不服を申し立てるなど言語道断です。法務省のこの度のいい加減な改正案を承認しなかった自民党議員は、珍しく良い仕事をすることもあるのだなあと思いました。
2026年04月29日
現職自衛官が上司の許可がないと着用できない自衛隊の礼服を着て、上司と共に自民党大会に出席しステージで国家を斉唱した事件について、国会でどのような与野党の議論があったのか、16日の東京新聞が次のように報道している; 木原稔官房長官は15日の衆院内閣委員会で、陸上自衛官による自民党大会での国歌歌唱に関し、自衛隊法に抵触しないとした上で「政治的に誤解を招くことがないかは別問題で、その点はしっかりと反省すべきだ」と述べた。野党は自衛隊の政治的中立性に疑義を生じさせたとして追及。与党の日本維新の会も「不適切」と苦言を呈しており、政府として事態収拾を図る狙いとみられる。 自衛隊法61条は、選挙権の行使を除き、隊員の政治的行為を制限している。最高裁は1995年に自衛官の表現の自由を巡り、国民全体の利益を守るため「必要で合理的な制限を加えることは、憲法が許容している」との判断を示している。 木原氏は、長期休暇中だった自衛官が私人として関係者から依頼を受けたと経緯を説明。党大会のイベント会社が防衛省に問い合わせたところ、自衛隊法に違反しないとの回答を得たため出演に至ったと述べた。 党大会への出演が事前に防衛省の政務三役や宣房長、事務次官まで上がっていれば「別の判断があったかと思う」と語り、省内の報告体制に「問題がある」と言及した。 維新の藤田文武共同代表は15日の記者会見で、法的に問題ないとしつつも「政治的には抑制的にすべきだった。不適切との評価を下さざるを得ない」と指摘。自民の意思决定が「うかつだった」とした。 中道改革連合の小川淳也代表は会見で「なお政府側に説明責任が残っている」と主張した。立憲民主党の斎藤嘉隆国対委員長は記者団に「自衛隊法に照らし、大きな問題があったのではないか。あり得ない」と自民の対応を非難した。国民民主党の古川元久国対委員長も会見で「非常に軽率だ」と強調した。2026年4月16日 東京新聞朝刊 3ページ 「自衛官が自民党大会で国歌」から引用 この記事が指摘するように、法律は自衛官の選挙権の行使を除いて、隊員の政治的行為を制限しているのであるから、木原官房長官の「自民党大会で国歌を歌っても自衛隊法に抵触しない」という発言は虚偽である。党大会の運営を請け負ったイベント会社が、念のため防衛省に問い合わせた時に「自衛隊法に抵触しない」との回答を得たと、官房長官は説明しているが、イベント会社が本当にそんな問い合わせをしたのかどうか、本当であるなら、「抵触しない」と回答した防衛省職員とは誰だったのか、彼を監督する責任者は誰なのか、警察は捜査して事実を明らかにし、立件するべきである。さらに上位の責任者である幕僚長も防衛大臣も、首相も、「事前に知らされていなかった」から「しかたがない」と言い訳して過ごそうとしているが、そんな言い逃れを許すことなく、しっかり責任を取らせて、「減給30%、6か月」くらいの処分をしないと、似たような事件が繰り返されることになると思います。
2026年04月28日
10年前に古舘伊知郎氏が出演するテレビのニュース番組で「ドイツ・ワイマール憲法の教訓」を特集したことについて、元文科官僚の前川喜平氏は、12日の東京新聞コラムに、次のように書いている: 10年前の2016年3月18日、テレビ朝日「報道ステーション」が「独ワイマール憲法の教訓」という特集を放送した。ヒトラーが国家緊急権を濫用して独裁者になったことを教訓に、緊急事態条項の危険性を訴える内容だった。松原文枝氏が制作し、キャスター降板直前の古舘伊知郎氏がドイツまで行って収録した。今こそこの特集を再放送してほしい。 緊急事態条項の条文化はいよいよ現実味を帯びてきた。9日の衆院憲法審査会では自民党、日本維新の会、国民民主党が同条項の条文化と条文起草委員会の設置に前向きの方針を表明した。 緊急事態条項は、衆院選が行えない緊急時に衆院議員の任期を延長して国会の機能を維持することが目的だとされるが、緊急時の国会の機能維持のためには、参院の緊急集会の規定がすでにある。緊急事態条項は衆院選を行えなくする条項なのだ。国民は衆院議員を選び直すことができなくなる。もし衆参両院で与党が絶対多数を握る時に緊急事態条項が発動されれば、権力は固定化され、与党はどんな立法もどんな憲法改正の発議も容易に行うことができる。国会の機能はむしろ死んでしまうのだ。 都合のいい時に選挙をし、勝ったら緊急事態条項で権力を固定化する。かくして民主制は独裁制に変貌する。まさにナチスの手口である。(現代教育行政研究会代表)2026年4月12日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-独ワイマール憲法の教訓」から引用 この記事が主張するように、緊急事態条項というのは独裁政権を目指す政治家の「隠れ蓑」のような「仕掛け」であり、議員任期が過ぎても衆議院選挙を実施することが困難になった場合、衆議院議員がいない状態になって、国会機能が停止して、それが原因で国家が機能しなくなることを防止するのだ、というのが表向きの理由ですが、実際には、現行憲法でもそのような事態を想定して、その場合は参議院が衆議院の代役を果たすということが定められているわけで、現行憲法で十分に「危機的状態」に対応ができるようになっているのですから、「衆議院議員の任期を延長する」などというロクでもない条件を付加するのはやめたほうがいいと思います。維新の会とか国民民主党という政党は、人権尊重の精神に乏しく、国会議員の立場を私腹を肥やすために利用することばかり考えている政治家の集団ですから、こういう政党に投票するのはやめるべきだと思います。
2026年04月27日
国会が開かれていても、なかなか審議に参加しようとせず、記者会見も極力避けてばかりいる高市早苗首相について、朝日新聞編集委員の高橋純子氏は11日付同紙朝刊コラムに、次のように不審の念を書いている; 高市早苗首相に聞きたいことがある。 先の総選挙で歴史的大勝を収めたからこそ、依然として高い支持率を維持しているからこその純粋かつ単純、そして根本的な疑問。感情的にならぬようゆっくりと、腹に力を込めて、聞きたい。 どうしてあなたは、なんのためにあなたは、首相になったのですか? * これほど「現れない」首相は前代未聞だろう。新年度予算案をめぐる参院集中審議への出席は10時間弱。石破茂政権の4分の1。おきて破りの型破り。この国に住まう人びとが必死に働いて納めた税金をどう使うのか。この国が抱える多くの課題に、どう対処するつもりなのか。首相たるもの、国権の最高機関である国会で説明し、できるだけ多くの納得を得るよう力を尽くすのは当然のことだ。イロハのイ、50音ならア、アルファベットならA。そこから始まる。そこからしか始まらない。 中東情勢の緊迫化は、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか。情報が入り乱れ、日に日に増す人びとの不安をなだめられるのは、政治リーダーの明確なメッセージしかない。ただし、メッセージとは単なる言葉ではない。思いの乗った、身体性を宿した言葉だからこそ人びとに届き、刺さる。ゆえに政治リーダーは「現れ」なければならないのだ。 ところが高市首相は記者会見を開かない。ぶら下がり取材もごくまれ。言いたいことがある時はXに投稿し、終わり。 たとえば4月4日夕の投稿は「中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します」と、○○を実現した、××を進めていると日報のごとく細かく列挙したうえで、「繰り返しになりますが、原油及び石油製品の『日本全体として必要な量』は確保されています」。そして最後は「高市内閣の総力を挙げて、きめ細かく対応してまいります!」 “日本全体として必要な量”をカギカッコでくくる「大本営発表」ぶりも鼻につくが、それよりなにより、供給不足や値上げに頭を抱えている業者、人工透析が続けられるのかと不安におびえている患者らへ向けた、いたわりやねぎらいがひとことも、ただのひとこともないことには驚きを禁じ得ない。そして最後、突如として繰り出される「!」。私はやってる!私は間違ってない!――どんな局面でも「私」が前面に出てくる、この感じ。私はシンプルに、こわいと思う。 智恵子は「東京には空がない」と言ったが、私は「高市首相には『畏(おそ)れ』がない」と言いたい。多寡はともかく安倍―菅―岸田―石破首相には確かにあった、国民の命を預かっているという、畏れ。 想像してみる。権力者が極限状態に置かれ、「玉砕せよ!」と命を下さねばならぬ局面を。高市氏はとても滑らかに命じてみせるのではないかと、危惧する。 * 「戦争反対!」「憲法守れ!」「高市政権いますぐ退陣!」。コール&レスポンスが夜空に響く。歩道を埋め尽くす色とりどりのペンライトがそのたびに揺れ、美しい波となる――。8日夜、国会前で開かれたデモに、主催者発表で3万人が参加した。「国民なめるな!」のコールも聞こえる。この国の主は主権者ひとりひとりであることを、主権者にはパワーがあることを、光の波は教える。畏れを知らぬ首相もいずれ、この波を見るだろう。畏怖(いふ)せずにいられないはずだ。まともな権力者であるならば。2026年4月11日 朝日新聞朝刊 13版 11ページ 「多事奏論-主権者のパワー、畏れぬわけには」から引用 この記事の筆者は高市氏に対して「あなたは何のために、首相になったのですか?」と問いかけているが、高市氏が首相になった目的は、中東情勢に不安を抱える国民を安心させるためなどではなく、単に子ども時代に右翼思想に凝り固まった親から吹き込まれた皇国史観を実現することしか考えておらず、スパイ防止法を制定して反対意見を言う者を片っ端から逮捕投獄し、日の丸に最敬礼しない者も厳罰に処すというようなことにばかり関心があり、庶民の生活を慮る気持ちなどは微塵も持ち合わせていないのが実態なのだから、この先は朝日新聞も、コラムで批判的な記事を書く「時期」はそろそろ終わりにして、本腰を入れた倒閣キャンペーンを始める時期に差し掛かっていることを自覚してほしいと思います。
2026年04月26日
ネタニヤフの口車に乗せられて交渉中のイランをいきなり空爆して指導者を殺害するという犯罪に手を染めたトランプは、秋に予定されている米議会の中間選挙が不利になることを恐れて、これ以上紛争を拡大したくない様子であるが、一向に解決の目途が立たない状況について、文筆家の師岡カリーマ氏は11日付東京新聞コラムに、次のように書いている; イランの理工系大学生のうち、女性は約7割だそうだ。米国はその半分程度。女性医師もイランは約5割、米国は4割に満たない。個人的にイラン政府には毛ほどの好感もないが、1979年の革命以降、女性の高等教育が拡大されたことは否定できない。ベールの強制さえ近年は渋々だが緩和され、都会では着用しない女性が増えている。 「彼らにお似合いの石器時代に戻す」と脅したトランプ大統領はじめ、米政権はイランを中世的で不合理な「神権政体」と位置付けることで軽んじてきた。確かにイランは「イスラム共和国」を自称し、宗教学者を最高指導者とするが、少なくとも米国よりは合理的な戦略で体制存続に成功したように見える。世界経済の要衝であるホルムズ海峡の管理権を恒久化してしまう可能性も取り沙汰され、劣勢だったはずのイランがこの非対称な戦争を経て、ステータスを上げた感さえある。 米国こそ、ヘグセス国防長官が「米軍はキリストの代理で戦っている」と言ったり、イランで撃墜された米兵の救出劇をキリストの復活にたとえたり、トランプも執務室で彼を救世主のごとくたたえる牧師らに囲まれて祈禧したりと、勝るとも劣らない神権政治ぶりだ。その彼らが目指す「パラダイス(天国)」は、「塀に囲まれた庭園」を意味する古代イラン語が語源だというから、皮肉である。(文筆家)2026年4月11日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-『石器時代』の傲慢」から引用 イランの理工系大学の学生の7割が女性であるとは驚きである。多分、日本でもアメリカでも「理科系は男子」という認識が常識となっているのかも知れないが、その認識には科学的根拠がなく、それこそ石器時代からの伝統(?)で「力仕事と理屈は男子」という迷信がまかり通っているだけに過ぎず、「理科系は男子」説に科学的根拠はないのが実態である。しかし、資本主義経済で発展した社会に暮らすアメリカも日本も、いまだにその「迷信」ははびこっており、さらなる発展を阻害する要因になっているのではないかと思います。ところが、厳格な戒律に支配されたイスラム圏でも、イランほどの大国になると、根拠のない迷信にはこだわらず、性別に関わらず能力のある人材を登用する社会であれば、将来発展する可能性は大きいと思います。それにしても、大統領執務室に牧師を呼んで、お世辞を言わせて悦に入っているトランプ氏の態度では、「神の加護」は期待できないのではないかと思います。
2026年04月25日
高市政権がアメリカから高額の武器輸入のために法外な予算を準備し、財源確保のために「高額医療費補助」の予算を減らすという「人道に悖る方針」であることが明らかになり、国会前には3万人ほどの抗議の人々が集まったほか、全国各地でも抗議集会が開かれたのであったが、テレビも新聞もニュースとして報道することはなく、自民党広報班のような活動をしていたのであったが、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、11日付同紙コラムに、次のように書いている; 国会前に約3万人が集まった。8日夜。若者が歌い踊り、参加者はペンライトや思い思いの標語を掲げ、声を上げる。共通の主張は「戦争反対」「憲法守れ」。同時に全国137カ所で、大小の連帯するデモや集会が開かれたという(いずれも主催者発表)。 2月の衆院選で、与党は憲法改正発議に必要な3分の2を確保。危ぶむ20~40代の有志がデモを呼びかけた。2月以来この日は4回目。米・イスラエルのイラン攻撃もあって、回を追うごとに参加者や開催地が膨れ上がり、9日午前にはX(ツイッター)のトレンド1位にもなった。 地下鉄の出口が混んで進まない。子供連れの女性がいる。見たことある俳優や学者の顔。トランプ米大統領に怒る男性。声をかけた1人は自衛官の家族だった。 皆いい人ばかり。わざわざ駆けつける志も尊い。何より人出の多さに驚く。でも、新聞もテレビもほとんど報じなかった。ニュースと判断しなかったのだ。 「戦争は嫌いだ。平和を愛す」ならトランプ氏でも言う。驚くことに本音だろう。なのに、違法で非道な残虐行為を命じる。それが政治であり、権力である。 戦争は指導者の悪意や人格で起きるのか。そうも見えるが、軍事力の性能・数量、背後に絡む利害・打算、己と国家の名誉と地位、文化や歴史や人権を敬う価値観などの方が、判断に与える影響は大きい。経済や社会の仕組みと変化が、それをのみ込む。 「反戦平和」と一口につなげても、反戦から平和までの道筋は、とても入り組んでいて遠い。 戦後日本は、その道筋を米国に丸投げしてきた。「反戦」と「護憲」の直結は、第二次大戦後の国際秩序と価値を米国が担保してくれる冷戦構造に、自ら組み込まれたからこそ可能だった。 冷戦後、一極化を諦めた米国から日本は相応の負担を求められ、安倍晋三政権は解釈改憲の禁じ手を使う。反戦を「積極的平和主義」と言い換え、集団的自衛権や敵基地攻撃能力に踏み込んだ。 第二次大戦後秩序と価値を米国が自ら壊す今、日本で反戦と護憲は昔のようにつながるか。 平和の実現には反戦と護憲、それぞれの中身を鍛え直す勇気と知恵が必要なのではあるまいか。 もはや戦後ではない。1956年の経済白書が、復興の終わりと高度経済成長の始まりを告げた希望の流行語だが、今や別の文脈で同じ言葉を引き受けなければならないようだ。戦後はもう終わった。81年以後の戦後を数えても平和は近づかない。(専門編集委員)2026年4月11日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-もはや戦後ではない」から引用 高市早苗という政治家は、以前から「国家というものは、武装して外敵の侵入を防ぐのが当たり前で、そのためにどの国にも軍隊がある。そして国民の中でも特に男子は、いざという時は命を捨ててでも国を守るという重大な使命を持っているのです」という演説をすることを「仕事」と心得ている人物であったが、このような国家観はわが国憲法が規定する国家観とは著しく趣を異にしており、公務員の憲法順守義務の観点からも、国会議員の資格が疑われるというものである。毎日新聞なども、そのような問題意識で高市首相の言動を逐一点検するべきなのに、高市氏の性格からして下手に批判記事などを書けば、新聞印刷用のロール紙の出荷停止とか、どんな仕返しをされるか分かったものではない、というような恐怖心があるのか、高市政権の問題点などは「X」には毎日山のように書き込まれるのに、新聞テレビではめったにお目にかからないというのは、新聞・テレビ業界の「日和見主義」のせいであり、そのために、人々の政治意識は希薄になり、選挙になっても「押し活選挙」しかできなくて、問題のある人物が総理大臣になったりするという「間違い」がまかり通ってしまうのだと思います。この記事では「反戦と護憲は昔のようにつながるか」などと、自分は「高みの見物」でもする立場であるかのように書いていますが、私たちは「反戦」と「護憲」をつなげて仲間を増やし、「戦後」を終わらせないための努力を積み上げて行きたいと思います。
2026年04月24日
国会議員選挙の投票結果と選挙中のユーチューブに放映される「投稿」内容の関係について、5日付神奈川新聞は、次のように報道している; 2月の衆院選中、動画投稿サイト「ユーチューブ」で大量の選挙関連動画が投稿された。再生数は9億回以上。動画を生成人工知能(AI)で解析すると、多くが、高市早苗首相率いる自民党に肯定的な内容だったことが分かった。専門家は「投票行動に少なからず影響した可能性」を指摘する。誰が、どのような理由で投稿するのか。ユーチューバーヘの取材と動画の分析から、対象を次々と変えながら「バズる」動画が増産されていく構図が見えてきた。 ▽こつ 「衆院選の収益は計約7万円だった」。ユーチューブで「ちんあなご」というチャンネルを運営する東京都の男性(60)が明かす。自ら撮影したり提供を受けたりした自民の動画を多数投稿し、再生数は投開票日までに計約700万回。名古屋駅で高市氏が手を振る動画は30万回を超えた。「都知事選は石丸伸二さん、参院選は参政党。今回は自民を取り上げた。共産党や社民党では当たらない」 動画の広告収入は再生数に対応する。増やすこつを「視聴者がどの政党や政治家を見たいのか、見極めが重要」と語る。 「国政選挙は国民の半数が投票するため関心が高い。バズる動画が必然的に生まれる」。政治動画はもうかるとの認識が広がっている。「否定的に扱う内容も含めバズつた動画をまねて同じ対象を扱う投稿が次々に増えていく」と説明した。 ▽怖さ 収益化を目的としない人もいる。自民を支持する九州地方の50代男性は「純粋な応援」として広告収入がない方式で投稿。高市氏が街頭演説で救急車に配慮し「マイクは使いません」と声を張り上げた場面に、「神対応」とテロップを付けた動画は100万回近く再生された。今回は「高市氏が桁違いにバズった」。 一方で、昨年の参院選では自民に否定的な投稿が多く見られた。男性は選挙ごとに批判の対象が変わる現状には複雑な心境だ。「いつ、どの政党や政治家が矛先になるか分からない。怖さを感じる」とも話した。 インターネット選挙に詳しいJX通信社の米重克洋代表は「ネットで選挙情報を得る層が増えユーチューブの動向が投票行動に影響したことは否定できない」と語った。 ▽吟味 共同通信は昨年の参院選と今年の衆院選でユーチューブに投稿された選挙関連動画のうち、それぞれ再生数が上位の千件を分析。政党や立候補者、報道機関などの投稿を除き参院選で814件(再生総数9億813万回)、衆院選で882件(同9億40万回)を対象とした。 動画名や説明文、音声を書き起こした文章に使われている単語などを対話型生成AI「チャットGPT」で解析した。政党の扱いを「肯定的」、「中立」、「否定的」に分類。正確かどうか目視で全データを確認した。 参院選は814件のうち、自民に否定的な投稿が最も多く395件だった。肯定的は16件。当時の石破茂首相が険しい表情で話す姿を「態度が悪い」とするなど政策と無関係な内容も多かった。 衆院選では結果が逆転した。882件のうち自民に否定的な投稿は84件と激減。肯定的は324件と最多だった。高市氏の演説に集まった聴衆を写して人気をアピール、討論会を短く編集し他党党首を論破したように印象付ける投稿もあった。 法政大大学院の白鳥浩教授(現代政治分析)は「数十秒の動画で称賛や批判が大量に展開され、視聴者が政党や政治家に抱く印象に影響した」と指摘する。その上で「投票する際には複数のメディアから情報を集め冷静に政策を吟味する必要がある」と語った。2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「対象変え『バズる』増産」から引用 ユーチューバーと言われる人たちは、政治について何か特定の信条を持っているわけではなく、特定の政党を応援する意図もなく、単に「自分が投稿した動画が人目を引いて、再生回数が多くなれば収入も増える」という考えで、「今は、選挙期間中だから、誰をどのような表現で取り上げれば、再生回数を稼げるか」という観点からのみ考えて、前回は「石破氏は、仏頂面で小難しい理屈を偉そうに言ってる」というネガティブな取り上げ方をしたので、自民党は得票数を減らしたが、今年の衆議院選挙は、なんといっても「日本初の女性首相」だから、受けるはずと狙いを定め、「通りかかった救急車に配慮して、街頭演説はマイクを使わないで、地声でやります」などと大衆受けするシーンを流したところ、これが狙い通りにバズった、ということのようで、政治家高市早苗の政治信条とか、スパイ防止法で自由な言論を抑圧するとか、憲法改悪で戦争をする国に変えようとしているというような「視点」は完璧に抜け落ちている点が、重大な問題だと思います。また、このような「重大な問題」が発生する「土壌」として、「野党はいつも与党の悪口を言うだけ」という低レベルの野党認識が、野党の真剣な「問題アピール」に耳をふさぐ結果をもたらしており、このままでは日本社会は自民党の悪政を止めることができず、没落していくだけだと思います。
2026年04月23日
日本で働く外国人でイスラム教徒の人たちの団体が横浜市に建設中だったモスクが完成し、地元の横浜市民も招待されて盛大なオープニング・セレモニーが開催されたことを、5日の神奈川新聞は次のように報道している; イスラム教徒の礼拝施設で地域の交流拠点になる「横浜アッソーリヒーン・マスジド(モスク)」が横浜市旭区上川井町に完成し、オープニングセレモニーが4日、近隣住民を招いて開かれた。コミュニティーの一員として共に歩みたいムスリムの願いに、地元の人々は対話と信頼、差別の否定で応じた。(石橋学) モスクを巡っては、卑劣なレイシストが妨害を繰り返しているが、差別にくみしないマジョリティーの態度があるべき共生を示す。 モスクを建設運営する一般社団法人「アッソーリヒーン・ヨコハマ・ファンデーション」の代表理事、アリエフ・ジュナイディさんはあいさつの冒頭から語った。「さまざまな意見や不安が地域に生じているのは承知している。率直なコミュニケーションで説明責任を果たし、調和の取れた関係を築いていきたい」 この間、周辺の団地や家々に「巨大モスク建設」「知らない間に」「治安悪化の恐れ」などと差別を煽るデマちらしがまかれた。レイシストが入れ代わり立ち代わり現れ、建物の動画を無断で撮影しては交流サイト(SNS)で拡散した。 あいさつで強調された「地域の秩序と快適さを最優先する」「日本の法令、規範を遵守(じゅんしゅ)する」「駐車、清掃、安全面で適切に対応する」という約束は、いつ排斥の矛先が向くかも知れないマイノリティーこそが抱く不安の裏返しだった。 地元の若葉台連合自治会、菅尾貞登会長の祝辞にはそうした恐れを打ち消す響きがあった。「インターネットではモスクを不安視する声が聞かれ、トラブルの前に対処すべきだという意見も一部にあった。だが、はなから問題があるかのように話すのは間違い。理解するところから始めないといけないと諭した」 対話を重ねてイスラムについて学び、断食明けの食事をともにし、確信を深めた。「ビラがまかれたりしたが、大ごとにはならなかった。若葉台はそもそも全国からいろんな人が集まっているまち。オープンな気持ちの人が多いと思う」 隣接の横浜若葉台団地に住む円谷弥生さんはそのあいさつに「私たちはデマなど相手にしないと、差別を煽る一部の者を歯牙にもかけない態度が頼もしかった」と話す。妨害者がやって来るのではないかと心配で足を運んでいた。招待されたわけではなかったが、式典に招き入れてもらえたこともうれしかった。 モスクを建てたのは経済連携協定(EPA)で来日したインドネシア出身の市民で、看護師・介護士として働く。アリエフさんは「私たちの願いはモスクが受け入れられるだけでなく、地域にとって価値のある存在になること」といい、高齢者の健康に関するイベントも計画する。円谷さんは「文化を知るイベントなども楽しみ。今日見聞きしたことを近隣に広めたい」とうなずいた。2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「時代の正体・差別禁止法を求めて-『地域と共に歩みたい』」から引用 横浜市のモスク建設が順調に進んで、めでたく落成式の日を迎えることが出来たのは、地元の自治会のバックアップと住民の理解の賜物と思います。宗教施設として礼拝のためにモスクを訪れる人たちも、閉ざされた宗教施設ではなく、地域の一員としての自覚を持って、「地域にとって価値のある存在になりたい」という気持ちをはっきりと表明できるのは素晴らしいことで、生活文化の違いを乗り越えて、相互理解を獲得していくのが私たちの社会の発展する方向性なのだと思います。
2026年04月22日
最近訃報が伝えられた児童文学作家の山中恒氏について、共同通信編集委員の福島聡氏は5日の神奈川新聞に、つぎのように追悼記事を書いている;◆平和への執念に敬意 人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの原作者である児童文学作家の山中恒さんが死去した。軍国主義一色に染まった戦前に少年時代を過ごしたことから、その検証をライフワークとし、収集した膨大な資料を基に著書を次々に刊行した。 平和の尊さを訴え続けた執念に深い敬意を表するとともに、東アジアの安全保障環境悪化がしきりに叫ばれる今こそ、次世代として遺志を継承したい。 戦前の歴史、特に子どもの教育や人々の暮らし、言論統制、メディアの状況を調べていると、必ず山中さんの著作に行き当たる。関連の著書は30冊以上。徹底した資料集めと綿密な分析に舌を卷く。 満州事変が起きた1931年に生まれ、37年に始まった日中戦争、41年開戦の太平洋戦争を少年時代に経験した。「私の子ども期は、べったり、戦争におおわれていた」と著書で回顧する。 当時の子どもは「少国民」と呼ばれ、学校では徹底した軍国主義教育を受けた。海外侵略を正当化する標語だった「八紘一宇」の精神をたたきこまれた。「疑うことは許されなかった。疑うこと自体、非国民的言動とされた」と記す。 「(敗戦時)負けたら国民全員が切腹して天皇陛下におわびしないといけないと教えられていたから、どうやって死ぬかを考えた」と共同通信のインタビューで語っている。 しかし友人に「先生たちが死んでからでも良い」と止められた。それまで「天皇陛下万歳」と叫んでいた先生たちは「民主主義万歳」に、がらっと変わった。このとき大人に抱いた強い不信感が、その後の旺盛な著述活動の原動力になった。 手元に著書「新聞は戦争を美化せよ」がある。古書店で入手した本には「日の丸と神の国とをたたえたる あの日の我は今は悲しも」という歌とともに、本人のサインが記されている。千ページ近い同書で、山中さんは当時の徹底した情報統制を詳述し、新聞社の対応も掘り下げている。 軍に批判的なスタンスも見せていた大手紙は、満州事変を境にナショナリズムを鼓吹し、軍を後押しする論調に一変した。29年の世界恐慌以降、販売・広告収入が伸び悩んでいた新聞界はこれで息を吹き返した。報道・言論への政府の統制が本格化したのは38年の国家総動員法施行以降だが、その前から新聞は軍の「応援団」になっていた。 山中さんは「あまりにも権力に唯々諾々、ほとんど抵抗らしい抵抗も示すこともできなかった。そればかりか積極的に権力の意を迎えにいくかの如く、お先っぱしりに精を出したとしか思われない部分もあった」と記す。 この指摘をメディアに身を置く者として重く、切実に受け止めたい。世界で戦禍が絶えず、国際秩序も大きく揺らいでいる。メディアは何を伝えるのか。山中さんは冥界から目を光らせているように思う。(共同通信編集委員・福島聡)2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「核心評論-平和への執念に敬意」から引用 山中氏が著書の中で子ども時代を振り返って話しているように、昔の学校教育の現場は教員が生徒を「体罰」と称する「暴力」で支配し、教員の言うことに対して疑問を呈するような発言は現に禁止されていたのが現実であった。なにしろ武士が人殺しの道具を携帯して往来を闊歩している時代から、さしたる社会教育の機会もなく近代国家になってしまったので、「人権思想」などというものが育つような余地もなく、「将軍」の代わりに「天皇」が支配する社会になっただけだったので、どの新聞社も始めのうちは、侵略戦争に批判的な姿勢だったのに、「日本軍が優勢」とか「勝った」と報道すると新聞が売れるというので、戦争批判は次第になくなるという状態であった。そんな調子でやっていくうちに、日中戦争は泥沼状態となり、太平洋戦争では米軍が優勢になり、ついに敗戦となったのであったが、このようにして「敗戦」を経験してもなお、日本人社会はまだ、「戦争は間違い」であることに気付かずに、戦争を放棄した「憲法」をもう一度改悪して再武装しようとする勢力に政権を任せているのは、あまりにも不勉強というものです。自民党の党大会に、現職の自衛官が制服着用で参加し、ステージで「君が代」を歌うというのは、自衛隊の中立性を規定した自衛隊法に違反する事例であるにも関わらず、幕僚長も防衛大臣も、さらには首相まで「自民党大会に現職自衛官が出席して君が代を歌うというのは、事前には聞いていなかったので、まったく知らなかった」などと言って、「知らない」と言えば責任逃れできると踏んでいる。そんなでたらめでいいのかという声がメディアから上がらないという現実は、戦前と何も変わっていないことを示しており、実に危険な状態に私たちの社会はあるということを自覚しなければならないと思います。
2026年04月21日
今から70年前と言えば、私が小学校1年生になった年であるが、その時はまだスエズ運河は英国とフランスが支配して運営していたもので、独立して間もないエジプトが国有化を宣言すると英国とフランスと、それに加勢するイスラエルが軍隊を差し向けて第2次中東戦争が始まったのであった。そしてこの紛争を解決するために尽力したのが当時のカナダ外相、レスター・ピアソンであったが、当時の経緯を中央大学教授の目加田説子氏が、5日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 70年前の1956年。英国とフランスが事実上配下に置いていたスエズ運河の国有化をエジプトが宣言した。反発した英仏にイスラエルも加わって軍事介入し、第2次中東戦争が勃発した。国連安保理では米国がイスラエルの撤退を求める決議案を提出したが、英仏が拒否権を発動して危機対応は行き詰まった。 結局、和平に向けた議論は国連総会の緊急特別会合へと移り、そこで活躍したのが当時カナダの外相だったレスター・ピアソン(後に首相)だ。総会がいくら停戦・撤兵を決議したとしても、「単なる決議では平和的解決に必要な措置を欠いたままだ」として、停戦監視と当事者を分離するために「国連緊急軍(UNEF)」の創設を提案した。 「戦闘当事者でも大国でもない中立国部隊を国連の下で派遣する」。ピアソンの案は、全面屈服ではない撤兵の体裁を英仏に与え、エジプトには大国支配の継続を防ぐ手だてとなり、米国にとっては英仏の行動を抑えつつ戦争拡大を防げるという「三方よし」の打開策になった。 ◇ ◆ ◇ UNEFは、のちの国連平和維持活動(PKO)の制度化と発展の礎となった。ピアソンは、「国際紛争に対して新しい多国間安全保障の実践モデルを示した」として翌年のノーベル平和賞を受賞した。スエズ危機を通じてカナダは、「帝国でも超大国でもないが、国際秩序の仲介者として貢献する国」という自己認識を強めることになったのである。 その後、時代は大きく変化した。地域紛争や対テロ戦争でPKOの任務が多面化し、カナダの参加率は低下した。それでもカナダでは「平和維持アイデンティティー」が重要な価値として残り続ける。 世論調査では、6割を超える人々が平和維持を「カナダの最も重要な国際貢献」と認識し、約7割が米国主導の単独主義より国連主導の多国間主義を支持していることが明らかになっている。 ◇ ◆ ◇ ピアソンは「外交の人」として語られることが多いが、首相としては「福祉国家を整備した人」としても知られる。給付水準が低かった年金制度を整備し、皆医療保険制度を実現させた。 晩年には、「平和は外交だけでは維持できない。相互理解を進める人間を育てる必要がある」として、「教育による平和」にも力を入れた。「異なる国・宗教・階層の若者を一緒に学ばせることで紛争を防ぐ」ことこそが「国際秩序の長期的安定装置」につながると、ピアソン・カレッジの設立を目指した。完成を見ずに亡くなるが、その教育精神はピアソンの「遺志」として現在も同校に受け継がれている。 半世紀近く国際人道支援に携わるカナダの友人は、「(同校の)地元に住んでいると話すと、自分もそこで学んだと言う人が多くて驚く。直近では、昨年の国連総会で会ったナミビアの外交官がそうだった」と語る。 マーク・カーニー首相は今年1月、ダボス会議で「米国主導の国際秩序は崩壊しつつあり、中堅国が連携して新しい秩序をつくるべきだ」と提唱して脚光を浴びた。人権・法の支配を遵守しつつ現実のパワー政治にも対応するという、ピアソンのレガシーを引き継ぐ新たなリアリズムとして歴史を刻んでいくのか。要注目だ。2026年4月5日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-ピアソンのレガシー」から引用 この記事を読むと国連PKOの基になる組織の創設を提案し実現したレスター・ピアソン氏の活動は、正にノーベル賞に値する重要なレガシィであったことが分かります。当時はアメリカはまだ若い国で、英国・フランスが国際社会で大きな顔をしていたことが分かり、新興国のイスラエルはどこか大国が自分の味方になってほしいので、英国・フランスがコトを起こすとすぐさま助太刀に参上するという「姿勢」は今も同じで、今では英国・フランスに代わってアメリカがその「地位」にいる、というのが実情かと思います。しかし、そのアメリカも、上の記事が末尾で触れているように、アメリカ主導の国際秩序は崩壊しつつあるので、これから先、中堅国が連携して新しい秩序を作った場合、イスラエルは現在のようなアメリカとの「悪事も共有する」ような関係を、アメリカ以外の国と構築するのは難しくなるのではないか、そして、その方が平和で平等な世界を築く上で環境が整うというものではないかと思います。
2026年04月20日
市民団体が設置した「憲法九条の碑」の除幕式に出席した元文科官僚の前川喜平氏は、5日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 4日午後、東京都町田市に完成した憲法九条の碑の除幕式が行われ、僕も参加した。設置されたのは野津田公園南口付近。社会福祉法人「共働学舎」が場所を提供した。 碑に描かれた絵は、町田市在住の絵本作家・長谷川知子さんの作品だ。背中に葉っぱの羽根を持ち、ほうきに乗って空を飛ぶ少女たち。「ほうき」は戦争の「放棄」を意味している。とても明るく可愛い絵なのだが、少女たちの表情には不退転の決意が宿っている。 絵の下には憲法第9条の条文が書いてあり、右側のもう一つの碑には、設置者「町田に憲法九条の碑をつくる会」のメッセージとともに、町田市在住の音楽家ひろこさんが詩と曲を書いた歌「ほうきの約束」の歌詞が刻まれている。「放棄の約束をわたしは守る。わたしたちは守る」。とても易しくて優しい歌なのだが、その歌詞にも不退転の決意が込められている。 記念講演をした国際ジャーナリストの伊藤千尋さんは全国の九条の碑を見てきたそうだ。1985年に沖縄県那覇市に建てられたのが最初で、町田の碑は79番目。近年急速に増え、おととしは15力所、去年は25カ所にできたという。世界で起きている戦争と9条改変に向かう政治の動きへの危機感の表れだろう。九条の碑は、戦争を憎み、改憲に反対し、人類の理想を追求する人たちの拠り所なのだ。(現代教育行政研究会代表)2026年4月5日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-町田憲法九条の碑」から引用 町田市に設置された「憲法九条の碑」が79番目とは驚きの数字であるが、最初の「碑」が沖縄県で設置されたときはメディアも取り上げて、それなりに世間の「話題」となったのであったが、なぜかそれ以降はニュースとしての「価値」がないと見なされたのか、そんなにあちこちに設置されているとは知らなかった。憲法順守が義務付けられているはずの高市政権は憲法改正の準備を着々と進めており、それを問題視して報道するメディアは「しんぶん赤旗」くらいのもので、他の商業新聞は論説でこそ一応は批判的な文章を掲載しているが、憲法改正は戦争への準備であり、阻止するべきだという「論調」を前面に堂々と表明する新聞がないというのは、結果的に「改憲派のやりたい放題」をいう状況を作り出してしまう。この先、「憲法九条の碑」が100個になり、120個になっても、果たして「改憲勢力をしのぐほどの多数派」を作り出せるのかどうか、甚だ疑問に思う次第です。
2026年04月19日
原子力発電で使用した核燃料は火力発電で使用した燃料と違って、使用後も数千万年にわたって熱や放射線を出し続けるので、使用済みと言ってもその辺に放置するわけにはいかず、すべて水槽に入れて加熱しないように対策を施して保管する必要があり、全国の原発の工場内には使用済み核燃料の一時保管プールが用意されているのであるが、その一時保管プールが数年以内に満杯になるという問題について、2日の朝日新聞は次のように報道している; 原発を動かした後に生じる使用済み核燃料が各地で増え、燃料プールなどでの保存可能量の上限に近づいている。国内最多の3カ所7基の原発を動かす関西電力は状況が厳しく、このままいくと2028年度にも一部の原発で満杯となる恐れもある。◆関電、28年度にも上限の恐れ 原子炉から取り出された使用済み核燃料は熱を持ち、放射線量が高い。そのため、近くにある燃料プールの水の中につけ、冷やしつつ放射線を遮るかたちで保管されている。 電力大手でつくる電気事業連合会が2月に出した、25年末時点の実績によると、廃炉が決まっている東京電力福島第一などを含む国内の17カ所の原発にある使用済み核燃料は、すべての燃料プールなどの保存可能量の78%に達した。 原発ごとにみると90%超が福島第一、関電大飯(福井)、80%超は関電の高浜(同)と美浜(同)、九州電力の川内(鹿児島)と玄海(佐賀)、東電柏崎刈羽(新潟)など8原発だった。約5年単純に運転したと仮定した場合、大飯、高浜、柏崎刈羽の3カ所が上限に達するとした。 このうち、柏崎刈羽の分については、冷めた使用済み核燃料を原発の敷地外で一時的に保管する「中間貯蔵施設」が青森県むつ市にあり、東電は搬出を始めている。 ただ青森県の宮下宗一郎知事は3月31日、中間貯蔵施設からの最終的な受け入れ先となる同県六ケ所村の再処理工場の完成が遅れているとして、現時点では26年度の使用済み核燃料の受け入れを容認しないとの考えを示した。 関電は、搬出ができずにいる。冷めた使用済み核燃料を、水を使わずに保管できる「乾式貯蔵施設」を3原発内で計画中だが、完成していない。このまま原発を運転しつづけると、高浜で28年度ごろ、美浜で29年度ごろ、大飯が30年度には施設が満杯になり、運転できなくなるとしている。 約10年前の電事連の15年9月末のデータと比べると、関電の3原発はいずれも、保存可能量に対する実際の貯蔵量が20ポイント以上上がっている。増加幅は17カ所の中で最も高かった。◆再処理計画進まず「目詰まり」 各地でこれほどたまっているのは、使用済み核燃料を再利用しようとする国の計画が順調に進んでいないためだ。 国や電事連は、使用済み核燃料を、六ケ所村の再処理工場に運び、再び原発で使えるようにしたいとする。だが、工場は93年の着工後、完成の延期を重ねている。行き先がなくなり「目詰まり」が起きている状態だ。 関電は28年度からその工場に、福井の原発の使用済み核燃料を運び入れる計画を立てているが、工場の完成や処理の開始が少しでも遅れれば、その分だけ影響が出る。 関電はまた、27年度から再処理を委託するフランスの原子力企業へ搬出するほか、30年ごろには福井県外に中間貯蔵施設をつくって操業させるとしている。 山口県上関町で中国電力が計画している施設が有力視されているが、周辺自治体などから反発が起きている。(野口陽)2026年4月2日 朝日新聞朝刊 13版S 7ページ 「核燃プール、近づく満杯」から引用 原子力発電は未来を拓くなどという宣伝文句があったが、これは根拠のないデマのようなもので、火力発電や水力発電に比べて素人目には高度な科学技術を応用したように見えて、実はまったく効率の悪い発電装置であり、その上、使用後の燃料物質が無害化するのに数千万年かかるという「大問題」を抱えた発電方法である。60年代70年代に原発事業をスタートさせた頃は、使用済み核燃料の問題はそんなに遠くない将来に新しい技術が開発されて、すべて解決されるはず、という安易な見込みでスタートしたのが間違いの始まりであった。その後、確かに使用済み核燃料を再加工して新しい核燃料にする工場を青森県六ケ所村に建設し、20年ほど前に一端完成したと言われたのであったが、試運転の度に不具合が出てきて、以来数年置きに「完成」の予定が先延ばしされて、今もまだ未完のままであり、その再加工燃料を燃やして発電するはずだった「もんじゅ」も、いろいろな不具合が続出していつの間にか廃炉になってしまっている。電力会社は、このようにして原発事業に多大な資本を投下しているが、その「資本」とは我々消費者が支払った電気料金である。無駄な原発などにつぎ込まずに、堅実な再生可能エネルギーに投資していれば、今頃は電気料金もかなり安価になっていたはずなのに、よくみんな、おとなしくしていられるなぁ、と思います。
2026年04月18日
もともとはテレビ・タレントだったラサール石井氏は、自民党政治を批判する発言が祟って、どのテレビ局も出演させてくれなくなったため、タレント業を辞めて参議院選挙に出て、今は参議院議員になっている。その石井議員が70年代に流行った反戦歌を歌ったことについて、元文科官僚の前川喜平氏は3月29日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「X」を見ていたら、ラサール石井さんがギターを抱えて「戦争は知らない」を歌う動画があった。僕も高校生のころよく歌った。石井さんの歌は決して上手とは言えないが、気持ちが伝わってきて不覚にも涙が出た。 明日結婚する20歳の女性が戦死した父を想う反戦歌。歌詞を書いたのは寺山修司だ。「戦で死んだ悲しい父さん」。そうなのだ。戦争で死ぬことは悲しいことなのだ。 石井さんや僕の高校生時代、アメリカはベトナム戦争という愚かな戦争を続けていた。「風に吹かれて」「花はどこへ行った」「悲惨な戦争」「イマジン」などの反戦歌が世界中で歌われていた。 25日に2万4千人が国会前に集まったという「平和憲法を守るための緊急アクション」。僕もペンライトを持って参加したが、石井さんもその中にいたそうだ。心強く思ったのは若い人たちがたくさん来ていたことだ。 各地の「九条の会」は今かつてない危機感を抱いて活動しているが、共通の悩みは若い世代と繋からないことだ。しかし国会前では世代を超えて「戦争反対。9条守れ。戦争反対。過去に学べ」と声を上げた。僕の世代も戦争は知らないが、学ぶことはできる。学べば反省と決意が生まれる。それは世代に関係ない。 歌には世代を繋ぐ力がある。一緒に「戦争は知らない」を歌ったらきっと楽しいだろう。(現代教育行政研究会代表)2026年3月29日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-戦争は知らない」から引用 「戦争は知らない」という歌が流行ったとき、私は秋田の高校を卒業して、東京都練馬区の下宿から神田神保町にある大学に通っていた。その下宿というのは、当時の国鉄を定年退職した人が、大学生の下宿用に自宅の二階に三畳間を三部屋作ってあって、私の隣の部屋の学生はギターを引きながら「戦争は知らない」をよく歌っていたのを、上の記事を読んで懐かしく思い出した。あの頃は、日本大学では経営陣の不正な経理問題とか、東京大学医学部の学生の政治運動に対する不当な弾圧問題などが火種となって、全国の大学に全共闘運動が広がったり、毎週日曜日の公園は「べ平連」の集会があり、集会の後は明治公園から日比谷公園までデモをするのが「お決まりのコース」だった。私は、あの頃の学生運動が憲法9条を今日まで守り通すことに貢献したと思うし、現代の若者もこれからの数十年間、憲法を守り通していくために力を発揮してほしいと思います。
2026年04月17日
事実上の同性婚で暮らす人たちはパートナーが病気で入院したときに家族としての見舞いを病院が認めようとしないとか、パートナーと死別した際の遺産相続が認められないという「不当な差別」があるため、近年では日本中のあちこちの自治体で、「パートナー制度の導入」というような「工夫」が試みられているが、それと同時に現行の民法が「同性婚を正式な婚姻関係ではない」としている部分は憲法違反だという観点からの訴訟も、全国各地で起こされて、次々と勝訴している。ところが、唯一、東京高裁だけは「同性婚を認めない現行の民法は合憲である」との判決を出したため、全国の法学者60名がこの東京高裁判決に対し抗議声明を出したことを、3月29日の東京新聞は、次のように報道している; 同性婚を認めない民法などの規定は憲法違反だとして、2019年以降に全国の同性カップルらが国を訴えた「同性婚訴訟」。計6件の控訴審判決で唯一「合憲」とした昨年11月の東京高裁判決に、60人の法学者有志が連名で抗議声明を出した。最高裁は、26年度中にも初の憲法判断を示す見込みで、声明の呼びかけ人の一人で愛知大の大野友也教授(憲法学)は「当事者の思いをくんだ判断を」と話す。(奥野斐) 声明は大野教授に加えて、いずれも憲法学が専門の室蘭工業大大学院の清末愛砂(あいさ)教授と東海大の永山茂樹教授の3人が呼びかけ人となってまとめ、法社会学や刑事法など幅広い分野の50人以上の法学者が賛同。3月に公表した。大野教授は、本来人権を保障するための憲法の前文を、逆に人権を制限する方向で用いた判決だとし「憲法に対する侮辱だ」と憤る。 札幌や名古屋など先行する5高裁判決で違憲の判断が続く中、東京高裁は昨年11月、同性婚を認めない現行制度について高裁初の合憲判断を示した。「ちゃぶ台返しみたいな判決で驚いた。違憲判決を前提に、どの論点で違憲を導くのかが焦点だと考えていたので、合憲判決は想定外だった」 声明では、合憲とした理由付けに問題があると指摘。特に、憲法前文の使い方に疑問を投げかける。 判決は、同性婚を認めなくても、法の下の平等を定めた憲法14条1項に違反しないという文脈で、憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)この憲法を確定する」とする箇所を引用。国家は世代を超えて維持されることを前提とするため、男女の夫婦とその子どもの家族を想定して婚姻制度を設計することが合理的だ、との結論を導いた。 同様に前文を用いて、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」などと定めた憲法24条の「婚姻の権利」の射程を狭めていることも、看過できないという。憲法24条は同性同士の結婚を、男女の結婚と同じ制度で保障することを予定していないのだから、差別的な取り扱いにならない、との主張だ。 大野教授は「都合のよい解釈で、怒りや失望がわいた。憲法は人権を保障するためのもので、憲法で権利を制限するというのは本末転倒だ」と語る。 また、判決には「論点ずらし」もあると指摘する。「同性婚を認めないこと」の合理性を問う裁判なのに、異性婚制度の合理性を逆に強調している点だ。男女の結婚を前提とした規定について、「一の夫婦とその間の子」の結合体を、社会の基礎的な構成単位となる基本的な家族として想定するものだとしている。 大野教授は「あたかも原告らが異性婚制度自体を違憲と主張しているかのように述べ、当事者の主張と向き合っていない」と批判。実際の社会にはすでに多様な家族が存在しており、「判決はこうした人たちを突き放しているように見える」と話す。 最高裁は今月25日、審理を15人の裁判官による大法廷に回付し、早ければ26年度にも統一判断が出る見通しだ。大きな節目を前に、大野教授は「最高裁が合憲判決を書くハードルはかなり低くなったと思う。だが、他の5件の高裁判決が違憲としている事実を見てほしい」とくぎをさす。 提訴以降、自治体の「パートナーシップ」制度は広がり、複数の世論調査でも同性婚への賛成割合は高まっている。「東京高裁の合憲判決でさえ、今の憲法で同性婚を認めたら憲法違反だとは言っていない。憲法学者の大半は憲法改正せずに、同性婚の法制化は可能との主張だ」と説明。「同性婚を認めても誰かが損することはなく、幸せな人が増えるだけだ」と強調した。2026年3月29日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「同性婚認めぬ判決『憲法侮辱』」から引用 同性婚の問題が裁判沙汰にまでなった原因(?)は憲法24条の条文が「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」となっているため、同性婚を認めないという従来の「考え方」の根拠は、「憲法に『両性の合意』と書いてあるから、これは『男と女』という意味なのだ」というものであったが、ほどなく「正しい憲法解釈は昔の、親が承諾しない婚姻は無効という古い制度を否定することが目的の条文であって、同性婚を除外したり差別するのは現行憲法の意図するところではない」という真面な憲法解釈が、広く世間に行き渡った結果、各地の自治体窓口で「パートナーシップ制度」の導入が行われたというのが現状であり、同性婚を認めていない現行の民法は速やかに改正するのが国会の仕事であることを、私たちは理解し国会議員に民法改正を働きかけていく必要があると思います。
2026年04月16日
元外交官で駐イラン大使の職歴を持つ斉藤貢氏は、イラン vs アメリカ・イスラエルの紛争の解決に向けて日本がどのように行動するべきか、3月9日付け東京新聞で、次のように述べている;■米・イラン双方のメンツ立う仲介、準備を 米国とイスラエルがイランに先制攻撃してから、28日で1ヵ月となった。今後の戦況の見通しや、期待される日本の役割について、斉藤貢・元駐イラン大使に聞いた。(聞き手・近藤統義) 米国は、最高指導者を殺害すればイランのイスラム革命体制はすぐ崩壊するとみて、拙速に攻撃を始めたと言わざるを得ない。軍事衝突でかなわないイランは、ホルムズ海峡の事実上の封鎖など「石油カード」を切った。米国内のガソリン価格は高騰し、11月に中間選挙を控えるトランプ政権への圧力になっている。 現状では米国とイスラエルは手詰まり状態で、イランは自らが優勢とみているはずだ。双方が戦闘終結に向けた条件を提示したが、互いにのめる内容ではなく、継戦宣言にも読める。中東政治ではメンツが重視される。イランは、つぶされたメンツを回復させない限り抵抗を続けるだろう。 トランプ米大統領は5月14、15日に延期した訪中までに戦争を終わらせたいだろうが、停戦交渉が難航すれば米軍の地上作戦もあり得る。イランの原油積み出し拠点であるカーブ島の占領などが考えられるものの、イラン側の徹底的な反撃でかえって戦況が泥沼化するリスクもある。 日本は厳しい東アジア情勢を踏まえ日米同盟強化を重視しているため、近年はイランとの関係は薄まっている。それでも、イランにとって西側先進国で頼れるのは日本くらいだ。年明けに会ったあるイラン政府関係者は、米国との緊張緩和に日本への期待を語っていた。日本が動けば、イランは余計なお世話だとは言わないはずだ。 米・イランの緊張が高まった2019年、トランプ氏の依頼で安倍晋三首相(当時)がイランを訪問し、ハメネイ師と会談した。私も大使として携わった。結果としてうまくいかなかったが、日本独自の外交努力だった。現在は戦争のさなかで当時より難しい状況だが、米・イラン双方のメンツが立つような頭の体操はしておくべきだ。<さいとう・みつぐ> 1957年生まれ。80年、外務省入省、2015年に駐オマーン大使、18~20年に駐イラン大使を務めるなど、駐在した中東の国は7力国に上る。24年から関西学院大客員教授。著書に「イランは脅威か」がある。2026年3月29日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「西側でイランの頼りは日本」から引用 斉藤氏はさすがにイランを含む中東諸国の大使を務めた人らしく、中東の人々の気風やもの考え方をよく理解できている様子で、イランが多少とも日本を頼りに思っているのであれば、日本からも何か気の利いた言葉でもかけてあげれば良さそうなものだが、訪米から戻った高市早苗氏は、イラン政府に電話をかけて、何を言うのかと思ったら「ホルムズ海峡を通過する船舶から通行料を取るのはおかしい。公海なのだから、どこの船舶も無料で通れるはずだ」などと、アメリカと戦争状態にある国の政府に、わざわざ電話して、中学生の屁理屈のような話をするというのも、いかにも高市早苗氏らしい知的レベルのお粗末さを露呈していた。この調子では、この先もろくなことにはならないのだから、適材適所の観点からも早めの政権交代が、国のためだと思います。
2026年04月15日
アメリカとイスラエルが3月にイランを攻撃する陰謀は、1月に既に出来上がっており、イランに隣接する湾岸諸国に「安全保障」の名目で駐留していた米軍は、イスラエルと組んでイラン攻撃した場合、これら湾岸諸国に駐留している米軍が仕返しの標的になることを計算に入れて、早々と1月半ばにはこれら湾岸諸国の基地からアメリカ本国に撤退していたのであったが、そのような米軍の行動について、文筆家の師岡カリーマ氏は、3月28日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「何の権利があって、我々を戦争に引きずり込んだのか」。UAEの億万長者ハラフ・ハブトウールはSNSの投稿で、トランプを名指しして強い言巣で非難した。米国とイスラエルがイランを攻撃した結果、米軍基地があるクウェートやカタールなどの湾岸諸国がイランの「報復攻撃」にさらされ、エネルギー産業をはじめとするインフラが重大な被害を受ける中、人々の怒りはイランだけでなく「米国の裏切り」にも向けられている。 すでに1月には、米軍が一部人員を湾岸の基地から撤退させていると報じられていた。いざという時には抑止力にも盾にもならない米軍に、湾岸諸国は巨額の富を浪費してきたのかという声が広がるのは当然だ。ある識者は、「米国の裏表外交を熟知するはずの湾岸諸国が、愚かにも米国の冷たい胸で暖を取っていた」と指摘。さて私たちは「日本は別格」と自信を持って言えるだろうか。トランプにとっては湾岸諸国の方がずっと儲かる同盟国だ。彼らを二重に裏切ったトランプの胸に飛び込んで(ハグとは呼べない)ご機嫌を取っても日本の安全保障にはならないというのが今回の教訓ではないか。米軍の盾を自らの力と錯覚し、財力と人口と軍事力で敵わない隣国を刺激するのが「したたかな外交」か。誰も攻める理由がない日本の確立こそ「したたかな外交」ではないのか。(文筆家)2026年3月28日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-米軍は守ってくれない」から引用 日本のあちこちに点在する米軍基地は、本来「東西冷戦」の頃にスターリン主義のソ連が共産圏と称する地域を拡張する政策をとっていたことに対抗して、韓国と日本を「防波堤」とするために軍事基地を置いたのであったが、その東西冷戦が終わった今となってはせいぜい活動範囲を広げたがっている中国の海軍に睨みを利かせる程度の意味合いしかなく、日本を防衛するために米軍基地を置いているなどというのは、勝手な独りよがりであり、何か東アジアの雲行きが怪しくなれば、米軍は中東と同じように、さっさと撤退するであろうことは容易に想像できます。高市首相は就任早々に「台湾有事は日本の有事」などと失言したが、その言い訳に「台湾有事の場合は、台湾在住の邦人を救出する必要があり、その業務を米軍に任せきりにして自衛隊は派遣しないなどというわけにはいかない」とも発言していましたが、その発言に対して新聞は、数か月前の米国防総省の高官の発言として「台湾有事の際に米海軍の艦船が民間人の安全確保に協力することは、米軍人の安全が損なわれる危険があるので、そのような協力はあり得ない」と言明したことを報道していた。したがって、高市首相は台湾有事の際に自衛隊を出動させるつもりかも知れないが、米軍の協力は一切当てにならないのが「現実」であることを私たちは認識するべきです。高市氏のような軽率な認識では、この先の日本の舵取りはかなりの「危険」がともなうことも、国民は深刻に考えるべきです。
2026年04月14日
80年代に人気を博したテレビドラマ「北の国から」の再放送を機会に、シリーズ全話を鑑賞した毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、3月28日付同紙コラムに、次のように書いている; テレビドラマを見る習慣がない。昨年、フジテレビが不祥事の埋め合わせか「北の国から」を再放送し、途中の一話を偶然見た。 それで思い立ち、子供たちの成長につれ数年おきに放映されたスペシャル編を含むシリーズ全話を、数カ月越しで鑑賞した。 初見なのに懐かしい。まさに国民的ドラマ。登場人物たちの育ち老いる歳月を、視聴者が共に過ごした希少な実験的放送である。 連続ドラマの開始は1981年。シリーズ打ち切りが2002年。バブル経済前夜から「失われた30年」の前半に当たる。 バブル自体は描かれず、都会に背を向けた家族の原野暮らしが、この国で起きたあらがいがたい変化を映し出す。時代の構造と心。その陰画を見るようだ。 登場人物一人一人も「国民」だ。数えると、純と蛍は団塊ジュニア、就職氷河期世代。就いた職業はゴミ収集と看護師。汚れた町と病んだ人の世話をする。 ドラマは今やタブーの男らしさや女らしさが当たり前。今の若者は変に思うだろう。でも心なしか人間関係に潤いがある。社会は進歩すると干からびるのか。 全編を通じ正直さが、物語の重要な推進力になっている。黒板五郎も純も蛍も、正直であることを大切にし、でもウソをつく。気に病み、言動がもつれ、誤解と争いと和解が劇を織り成す。 共感されたのは、正直さがそれだけ規範力を持っていたわけだ。政治指導者への評価やSNSの交信で、今の私たちはそんな正直さをとうに手放している。 進歩により得るものと失うものは釣り合っているだろうか。 脚本家の倉本聰氏は、ライフワークで書き継ぐつもりだったから、放映打ち切り後も方々で、その後の構想を明かしている。 蛍は消防士の夫と福島県に住み、東日本大震災に襲われ、夫は行方不明になる。純は福島第1原発事故のがれき処理に従事し、国家の後始末に組み込まれる。 五郎はますます社会から離れ、自然と一体化して姿を消す。もはや国民でもない存在か。 幻の「北の国から」も、個人と国家の関係を、原野の家族の小さな人生が問いかけてくる。 倉本氏はドラマの舞台の地で、俳優・脚本家養成の「富良野塾」を四半世紀運営した。塾生にアンケートで生きるのに必要な物を尋ねたら、上位は水・ナイフ・食料。数人が「人」と答えた。 テレビ局が東京・渋谷で都会の若者に質問したら、カネ・携帯電話・テレビだった。今は三つ、スマホ1台で済む。(専門編集委員)2026年3月28日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-45年目の『北の国から』」から引用 ドラマ「北の国から」が人気を博した時代は、まだジェンダー平等などと問題提起がなされておらず、一つ家の中では「夫唱婦随」が常識としてまかり通っていたのであったが、ドラマを鑑賞してそういう時代を思い出した筆者は「社会は進歩すると干からびるのか。」などと書いている。しかし、それはとんだ勘違いというもので、男が威張って女を自分より下に見る社会の「潤い」などというものは幻想に過ぎないと思います。そして、ドラマを見て共感したのは、正直さがそれだけ規範力を持っていたわけだ、と過去形の表現にしているが、「正直さが規範力を持っている」のは今も昔も変わっていないはずであり、現代の社会で「ウソ」がまかり通っているのは、メディアが政治家の「ウソ」を追及しないでお追従してきた結果、そうなっているだけであり、私たちはいつまでもそのような「不正」を放置しないで、いつかは人々が不正な政治家を追放する闘い立ち上がるときが来ると、私は期待しております。
2026年04月13日
高市首相がトランプ大統領に「自衛隊をホルムズ海峡に派遣すること」を約束させられることもなく訪米を終えたことを、文芸評論家の斎藤美奈子氏は3月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 日米首脳会談を終え、高市首相はホルムズ海峡への自衛隊派遣をひとまずトランプ大統領に(表向きは)約束させられることなく帰国した。 現地での首相の言動は褒められたものではなかったが、この会談の注目ポイントは平和憲法の価値が爆上がりしたことだろう。首相は「日本には憲法9条の制約がある」と説明したそうで、要は憲法が日本を守ったという話。9条久々のクリーンヒットである。 それで思い出すのは、1990年の湾岸危機の際、憲法9条の制約を掲げて中東への自衛隊派遣を拒否した海部首相だ。日本は多国籍軍に巨額の資金援助をしたが、後に人的貢献をしなかったことが批判され、停戦後、自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣。結果的には自衛隊の海外派遣への道が開かれた。しかしともあれ海部氏は真正面から9条を盾にした。 高市首相の場合はどうか。「今は憲法9条の制約があるが、近いうちに憲法は必ず改正するから期待してくれ」。これが彼女の発言意図ではなかったか。トランプ氏が上機嫌だったのも、米国連大使が「日本の首相が自衛隊による支援を約束した」と述べたのも、ならば一応辻褄は合う。 実際、日米会談後、自民党は改憲への動きを加速させている。焦るのは勝手だが、誰のおかげで最悪の事態を回避できたのか、よーく考えてもらいたい。(文芸評論家)2026年3月25日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-9条の制約」から引用 この記事が言うように、高市訪米が「自衛隊出動」の約束をさせられることもなく済んだのは事実であるが、その裏側では、高市氏自身は訪米に当たって「自衛隊をホルムズ海峡に派遣するべきだ」と本気で考えおり、その旨トランプ大統領に約束するつもりで、首相官邸で取り巻きの官僚にその旨相談したところ、今井補佐官から「そんなことは、あってはならないことだ。何を考えているんだっ!」と一喝されたのだったという「内幕」を月刊誌「選択」が報道しており、高市早苗という女は自分の保身のために自衛隊の隊員の命など歯牙にもかけない非常識な人物なのだという「実体」が明らかになったのであった。このような人物を首相の座に置くことは、この先日本にどのような「災い」がもたらされるか分からない、実に危険な状態になっていることを、私たちは真面目に考えなければなりません。一日も早く彼女を首相の座から引き下ろすべきだと思います。
2026年04月12日
新年度の予算編成期という貴重な時間をつぶして、さしたる争点もないのに衆議院を解散した高市政権は「たなぼた」式に獲得した戦後最多の議席数にものを言わせて、記録的短時間で政府案の衆議院通過を実現し、あわよくば年度内成立を目指す姿勢を見せていることについて、神奈川大学教授の大川千尋氏は、3月22日付神奈川新聞に、次のように書いている; 戦後最短の短期決戦で自民党が圧勝した衆院選後の特別国会が、前半のヤマ場を迎えている。高市早苗首相は来年度当初予算案の年度内成立にこだわり、与党は衆院の審議時間を大幅に短縮、論戦の場は参院に移った。「数の力」を推進力とする政治に、どう向き合うか。神奈川大の大川千寿教授(政治過程論)に解散総選挙や国会運営、有権者の持つべき視点について聞いた。(構成・竹内瑠梨)■ぼやけた争点 高市首相は高い支持率を背景に、衆院議員任期の3分の2を残して解散総選挙に踏み切り、野党側は慌てて中道改革連合を結成した。争点がぼやけた中、有権者にはプロセスが見えず、政策評価よりも「高市首相に任せてみよう」という形になったのではないか。 首相に関する投稿や動画が数多く発信され、イメージや印象が選挙戦で大きく左右した面もあっただろう。政治不信が強まり、国や世界の先行きが見通せない中、「期待感を持てること」を有権者がポジティブに評価した面がある。 有権者が十分な判断材料を持ち、熟慮の上で貴重な一票を投じることは健全な民主主義に不可欠だ。しかし、今回の衆院選では、その機会が十分に与えられなかった。与党も野党も反省すべき点だろう。 自民は神奈川や東京など31都県の小選挙区で全候補が勝利し、新人議員も多く誕生した。与党が圧倒的多数の議席を獲得した事実は重いが、数の多さだけで計れない多様な利害を調整し、社会全体の利益・結論を見いだすのが政治だ。民意をどう受け止め、政策や法案につなげていくか、より重い責任を負っている。■審議時間短縮 高市政権は来年度予算案の年度内成立を目指し、審議時間を短縮した。国会日程は与野党合意を基本としてきたが、衆院予算委員長は12日間の日程のうち7日間を野党の合意を得ずに職権で決め、質疑時間も昨年の92時間から59時間に減らした。首相に代わり閣僚が答弁する場面も多かった。 これまでの与党は少数派に配慮しながら国会を運営してきた面があった。そもそも予算案の審議入りが遅れたのは、首相が衆院を解散した影響だ。一般会計が総額122兆円と過去最大となった予算案は熟議がより必要で、首相が丁寧に語ることが重要だ。圧倒的多数を得て、政治的責任がより増している中、議論を短縮させる振る舞いが、健全な民主主義という観点から妥当なのか。有権者はバランス感覚を持って注視していることを忘れてはならない。■政治と推し活 高支持率の高市内閣は、世論が今まで以上に政治を左右するとの見方もできる。有権者が果たすチェック機能は重要性を増している。選挙だけが政治参加の機会ではなく、日常的に政治のプロセスをチェックし、身近な人と政治を語り、考えを持つことが重要だ。 考えたいのは「政治と推し活」だ。選挙を「推し活」と重ねる言説があるが、アイドルなどの推し活とは異なる。「推した人」の政策や政治の結果が、有権者の暮らしに直結して返ってくるからだ。 特に若年層は目の前の生活や将来の不安が根本的な問題としてあり、政治に現実的解決策を求める価値観が強まっているのではないか。その中で野党の批判が揚げ足取りのように捉えられている風潮も感じる。だが、批判なき自由な社会はない。相手を尊重し、臆せず議論することで良い道が見えることもあり、健全な批判のあり方を有権者も政治家も改めて考えたい。 多くの有権者の情報源となるSNS動画の収益化規制も課題だ。フェイクを含めた内容が収益目的で発信されることを防ぐ選挙期間の規制には賛成だが、大切なのは有権者が十分な判断材料を得られる環境づくりだ。選挙期間中のマスメディアの情報発信のあり方も含め、総合的に考えていく必要がある。<おおかわ・ちひろ> 1981年生まれ。神奈川大学教授。専門は政治過程論。熊本大学特任教授などを経て現職。著書に「つながるつなげる日本政治」など。2026年3月22日 神奈川新聞朝刊 2ページ 「衆院選後の政権運営-有権者の役割、より重く」から引用 衆議院選挙が自民党をダントツの最大与党にする結果になった後、高市政権についてメディアは「予算の年度内成立にこだわっている」と盛んに報道していたが、あの報道は知らない者には「高市首相は国民のためを思って、予算案の年度内成立を実現したいと熱心なのだ」ととんでもない誤解を招く報道だったと思います。高市氏が年度内成立にこだわるフリをしていたのは、「高市のせいで、予算成立が年度をまたいでしまい、暫定予算のせいで中小企業はこんなに困っている」という風評が広まることを警戒して、先手を打つつもりで「予算の年度内成立」などと心にもないことを言い立てているに過ぎない、という「ポイント」をこそ、メディアは批判するべきだったと思います。それにしても、上の記事では「特に若年層は目の前の生活や将来の不安が根本的な問題としてあり、政治に現実的解決策を求める価値観が強まっているのではないか」と、大学生相手に政治過程論を講義している先生らしい見解が述べられているが、私は、目の前の生活や将来の不安を抱えて政治に現実的解決策を求める若者が、選挙に当たって「押し活」投票をするとは考えられず、むしろ、「押し活」投票をするような人たちに対して、「自分たちが抱えている問題を解決してくれるのはどの候補者か、を考えて、この人だと思った人に投票するのが『選挙』なんだよ」という「教育」をしてあげるのが、先に大人になった我々の役目なのではないかと思います。
2026年04月11日
核兵器開発を止めるための話し合いを継続すると見せかけながら、突然イランを空爆したアメリカとイスラエルの仕業を一向に批判しようとしない高市政権を、日本のメディアはどのように論評したか、弁護士の白神優理子氏は3月22日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; アメリカとイスラエルによるイランへの先制攻撃について、高市政権は評価を避け、批判していません。各紙社説は-。 「日経」(6日付)は「高市早苗首相はベネズエラのときと同じく、今回も法的評価を避けている・・・ルールに基づく秩序の維持を訴えてきた日本が、国際法違反の疑いがある今回の攻撃を支持するわけにはいかない」と批判します。 「読売」(3日付)も「世界各地で力による衝突が繰り広げられかねない。・・・米国の振る舞いが『法の支配』を傷つけ、国際社会を不安定化させることへの日本の憂慮を伝えるべきだ」とします。 一方「朝日」(2日付)は米国を批判はしますが、高市政権は批判せず「邦人保護に全力をあげるとともに、戦争を終わらせるための外交努力も怠ってはならない」というだけです。「毎日」(10日付)も「早期収拾を働きかけるべきだ」とするのみです。 「産経」(3日付)は「米国を指弾するより、イラン攻撃が世界情勢や日本の安全保障に与える影響を分析し対応したい」と米国擁護の姿勢です。 地方紙は多くが明確に高市政権を批判。「トランプ氏の暴走を戒め、平和的解決に力を尽くすことこそ、首相の掲げる『責任ある日本外交』ではないか」(北海道新聞3日付)、「このままトランプ政権の身勝手な武力行使を許し続ければ、二重基準のそしりを免れない。・・・それは日本の国益に反するのではないか」(山形新聞4日付)、「米国の一方的な攻撃に沈黙を守れば、世界で頻発する『力による現状変更』を非難する根拠を失い、いずれ日本に被害が及ぶ危険性もある」(「東京」5日付)。「武力に訴えた米国を批判もいさめもしないのは理解に苦しむ」(京都新聞2日付) 世界大戦への痛恨の反省から定められた国連憲章、国際法と憲法9条に立脚した報道こそ求められています。(しらが・ゆりこ=弁護士)2026年3月15日・22日 合併号 35ページ 「メディアをよむ-先制攻撃批判こそ必要」から引用 日本が以前から国際社会においてはルールに基づいた秩序の維持を訴えてきたとは、私はあまり聞いたことがない気がします。そう言われれば、時々は聞いていたのかも知れないが、聞いても「外交辞令であり、いつもの決まり文句に過ぎない」といった認識だったせいかと思います。しかし、外交辞令であっても、いつもそのように発言していたのであれば、筋を通すことは必要だと思います。それにしても、新聞各紙が上のような論調の記事を掲載して2週間ほど経ってから訪米した高市氏は、「法の支配」の「ほ」の字も言わず、それどころか「世界に平和をもたらすことが出来るのはドナルドだけ」などと、事実とまったく反対のことを口走る高市氏の異常な言動は、メディアは問題視する必要があると思います。高市氏があのようにトランプに媚びるのは、そうしないとかつての田中角栄氏のように、一度睨まれると首相の座から引きずり降ろされるという「恐怖」を抱えているからなのではないか、という「観点」から論評する記事もあっていいのではないかと、私は常々考えてしまいます。
2026年04月10日
消費税は社会保障費の財源だから引き下げは出来ないという説はデマであることを、立正大学法制研究所の浦野広明氏は、3月22日の「しんぶん赤旗」で、次のように説明しています;◆「社会保障のため」は机上の空論 消費税は「社会保障に使われる」から引き下げはできないとよく言われます。 2022年6月のNHK「日曜討論」で、自民党の高市早苗政調会長(当時)は「消費税が法人税の引き下げに流用されているかのような発言があったが、全くの事実無根。消費税は法律で社会保障に使途が限定されている」と述べました。 政府は消費税が社会保障に使われていると国民に宣伝するため「消費税収は年金、医療及び介護の社会保障給付、少子化に対処するための経費に充てる」と規定しました。(12年改定消費税法1条2項の概要) ◇ ◆ ◇ しかし、こんな規定は何の足しにもなりません。税は普通税と目的税とに区分されます。目的税は特定の経費に使う税ですが、普通税は特定の経費に使うのではなく、経費一般に使う税です。消費税は普通税ですから、「年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するため」という規定を付け加えたところで、机上の空論にすぎません。 日本共産党の小池晃書記局長は「これまでの消費税収が539兆円となる一方で、法人3税(法人税、法人事業税、法人住民税)は318兆円、所得税、住民税は295兆円の減収」だと指摘し、化けの皮を剥いだのでした。(参院財政金融委員会、25年3月) 消費税・地方消費税は、租税分類上「一般消費税」といいます。一般消費税は、広範囲な商品販売・サービスに課税します。この税の最大の欠陥は、高所得者には軽く、低所得者に重く負担させること(=逆進性)にあります。 月5万円の収入の年金者、月50万円の給与者、月200万円の役員報酬者がそれぞれ1万円の買い物をしても払う消費税10%は同じ1000円です。月収に占める支払い消費税額の割合を計算すれば、年金者は2%、給与者は0・2%、役員は0・05%です。高所得者よりも中・低所得者が重い負担です。これが逆進性であり、消費税の避けがたい欠陥です。 石破茂首相(当時)は「お金持ちほどたくさん消費するので減税額が大きい」といいましたが、消費税の逆進性を打ち消すことにはなりません。 ◇ ◆ ◇ 消費税については、表舞台のかけ引きだけをとりあげるマスコミやネットからの知識ではわかりません。そんなことにまどわされず、あるべき税制をつくるのは私たち一人ひとりの行動であるという原点に立ち返り考えることが重要です。 日本国憲法を根拠とする課税の指針は応能負担原則(応能原則)です。応能原則は、財産運用・不労所得に重く、勤労所得に軽く、大所得に重く、小所得に軽く、最低生活費は無税などを内容とします。その中心に位置するのは所得を対象とする法人税、所得税、住民税です。 消費税減税の財源はあります。総合累進所得課税により、65兆6580億円の財源が生まれます。(不公平な税制をただす会編『福祉と税金』25年10月1日)(うらの・ひろあき 立正大学法制研究所特別研究員)2026年3月15・22日合併号 28ページ 「経済これって何?-消費税導入から37年」から引用 政府は2012年に消費税法を改正して「消費税収は年金、医療及び介護の社会保障給付、少子化に対処するための経費に充てる」という条文を追加したにも関わらず、「消費税は普通税である」という規定は変更しておらず、従って事務処理の現場では税収として入金した「消費税」は自動的に「普通税」として処理され、法人税の減税や高額所得層の減税に対する「財源」になっているというのは、デマどころか現実にそのように扱われているのが事実です。したがって、2022年のNHKテレビ討論における高市早苗政調会長(当時)の発言は虚構であったわけで、そういうことを、メディアは無視しないで「あの発言は虚構であった」ということを、もっと世間に知らしめるべきだと思います。
2026年04月09日
先月の日米首脳会談に於ける高市首相の言動について、元文科官僚の前川喜平氏は3月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 僕は、日本という国と僕という個人を一体視していないので、日本人が金メダルやノーベル賞を取っても、受賞者は称賛するが「日本人として誇らしい」とは思わない。逆に日本人が悪事をしでかしても「日本人として恥ずかしい」と思うことはほとんどない。しかし日米首脳会談での高市早苗首相の言動には、久しぶりに「日本人として恥ずかしい」と思った。いきなりトランプ氏に抱きついたこと。相手が自分を名前で呼ばないのに勝手に「ドナルド」と呼んだこと。聞き取りづらい英語を話そうとして失敗したこと。トランプ氏の子息を「イケメン」と言ったこと。ご主人様を見る犬のようにトランプ氏の顔色を窺うこと。バイデン前大統領の肖像の代わりにトランプ氏が置いたオートペンの写真を見て楽しげに笑ったこと。トランプ氏が真珠湾攻撃に言及した時、何も言えずに固まったこと。 何より恥ずかしいのはイランでの戦争を始めた張本人に「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と言ったことだ。お追従にもほどがある。中国と対話しようとすると「媚中」と叫ぶ連中は、なぜこれを「媚米」と言わないのか。 僕が「日本人として恥ずかしい」と思うのは、ここまで愚鈍で下品で卑屈な首相を持つ国の主権者だからだ。なんとか早くこの首相を辞めさせなければいけない。(現代教育行政研究会代表)2026年3月22日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-日本人として恥ずかしい」から引用 この記事が言うように、日米首脳会談に於ける高市首相の言動は「恥ずかしい」の一語に尽きる。相手が相手だけに、彼女としては「日本を代表して」、決して大統領の機嫌を損ねるような失敗は許されないという「覚悟」をもって臨んだであろうことは疑う余地もないが、それでも精一杯努力した結果があれでは、やはり日本人としては、あのような外交の舞台に日本を代表して出ていただく人材としては、もう少しレベルの高い人材がいるはずだと思うのは私一人ではないと思います。努力する姿勢に好感を持つ人たちの「推し」もあるとは言え、政治判断は一つ間違えばそれによって生じる国民の被害は、場合によっては想像を絶する事態にもなり兼ねないのであり、日本があまり深刻な事態にならないうちに、適材適所の観点から首相を選びなおす必要があると思います。
2026年04月08日
ベネズエラに対して宣戦布告もせず議会の承認を得ることもなく勝手に軍隊に命令して攻撃してベネズエラの大統領を拉致すると、予想通りの人物が次の大統領職についたケースとは違って、イランの場合は最高指導者を殺害してもイランの体制はびくともしない「現実」と、同盟国であるはずのNATO諸国からの積極的な支援がまったくない状況について、東京大学教授の宇野重規氏は、3月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 米国とイスラエルによる対イラン戦争は、泥沼化の様相を呈している。2月28日、突如トランプ大統領が攻撃に踏み切った際には、最高指導者ハメネイ師を殺害すればイランの体制を覆すことは容易で、事態は短期間に収束するという見通しがあったはずである。しかしながらイランの反撃は続き、ホルムズ海峡が封鎖されることで世界的なエネルギー危機が起きるなど、状況は混沌としている。 欧州諸国との足並みもそろわない。スペインのサンチェス首相は米軍の基地使用を拒否した上で「一方的な国際法違反」と公然と米国を批判する。トランプ氏と親しいはずのイタリアのメローニ首相までが「イタリアはこの介入に参加しておらず、参加する意思もない」と発言。3月19日に日英独仏伊蘭加でイラン非難の共同声明を発表し、その後、参加国は増えているが、具体的な協調行動が実現するかは不明である。 ◇ ◆ ◇ いら立つトランプ氏は、「われわれはもう助けを必要としていない」と、北大西洋条約機構(NATO)と日本、豪州、韓国を名指しで不満を示すが、対イラン戦争はいよいよ「トランプ大統領の戦争」であることがあらわになっている。イラン高官に対する暗殺作戦を強化するイスラエルのネタニヤフ首相と合わせ、世界はますます大義なき戦争に厳しい目を向けている。はたしてトランプ氏はどのようにこの戦争を終わらせるつもりなのだろうか。 米政権内も一枚岩ではない。1月のベネズエラのマドゥロ大統領拘束の際には直ちに作戦の合法性をXに投稿したバンス副大統領も、今回のイラン攻撃に対しては公の場での支持表明が遅れた。さらに国家テロ対策センター所長のショー・ケント氏が、トランプ氏の対イラン戦争に抗議して辞任している。右派政治家からの批判は、トランプ氏を熱狂的に支持するはずのMAGA派にある不満を示すものであろう。トランプ氏の狙いは、イランにおけるイスラム革命体制の転換と、核開発による安全保障上の脅威の除去にあったとされる。体制の転換と脅威の除去のいずれも失敗しつつあるトランプ氏に、もはや戦争を継続する大義も意味も残されていない。この間にトランプ氏は、ロシア産石油への制裁を一部解除しているが、無謀で戦略を欠いた戦争は、世界の秩序をさらに不安定化させている。 ◇ ◆ ◇ 3月19日に日米首脳会談を行った高市早苗首相は、ホルムズ海峡への貢献を要請された。安全保障において米国に、石油エネルギー資源において中東に依存する日本は、一つハンドルさばきを誤ればトランプ氏とともに奈落に落ちかねない。一日も早く戦争を終わらせることは、日本にとって至上命令である。 トランプ氏は、ベネズエラでの「成功」につまずいたと言える。外国の首脳を力ずくで拘束し、かつ意のままに後継体制を築いたことで、トランプ氏とその周辺に「傲慢」が生まれたのかもしれない。イランという人口約9300万人、面積において世界17位、軍事力において16位の大国に対して、あまりに安易かつ無戦略なまま攻撃を開始した米国は、その代償を払わされるであろう。大国の指導者が「傲慢」によって滅びるのは歴史の教えるところである。トランプ氏に振り回される2026年の世界は、漂流し続けている。2026年3月22日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-米国が払わされる代償」から引用 そもそもトランプ氏が大統領になれたのは、ラストベルトと呼ばれる地帯で生活苦に追われる労働者たちの「期待」があったからだったのに、その「期待」に応えるような政策は行われているのかどうか定かではなく、ネタニヤフの口車に乗せられてイラン攻撃に乗り出したのはトランプ氏自身の意思だったのだから、それが原因で世界の経済がガタガタになれば、そのしわ寄せは世界中に及ぶのですから、「代償を支払う」ことになるのは当然であり、こういう人物を大統領にしたのは大きな間違いであったことを、アメリカの人たちはよく考えてほしいと思います。今年の11月に予定されている連邦議会の選挙では、トランプ氏の路線では自分たちの暮らしは良くならない、という意思表示をしっかり行い、よりましな政治が行われるきっかけを作り出してほしいものです。
2026年04月07日
アメリカとイスラエルの戦争犯罪によって政府指導者層を殺害されたイランは、今どのような状況か、文筆家の師岡カリーマ氏は、3月21日付東京新聞コラムに、次のように書いている; アメリカとイスラエルの無法で無謀な軍事攻撃を受けたイランによるホルムズ海峡の事実上封鎖が、世界の市民の生活に重くのしかかろうとしている中、テヘラン大学のイザディ准教授がアルジヤジーラ放送に語った言葉になるほどと思った。 アメリカ研究が専門で修士・博士課程で教鞭(きょうべん)を執る同氏によれば「学生たちは1979年の革命時には生まれておらず、それ以前の状況、すなわち(アメリカの傀儡(かいらい)だった)パーレビ王朝時代を知らないため、親の世代がなぜこれほどアメリカを嫌うのか、理解できない。トランプは、私が言葉を尽くしても教えられなかったことを一発で学生たちに理解させた」。 そして「制裁下で苦しむイランを尻目に周辺の湾岸諸国が豊かになっていく中、ホルムズ海峡を利用して世界経済に打撃を与えるという戦略的選択は常にあったが、それをしない自制心がイランにはあった。でもその抑制力を持っていた指導陣はもういない。イスラエルが攻撃初日に殺してしまったのだ」。確かに、過去の抗戦の仕方はしたたかに計算されていたが、そのタガは外れた。 イランという大国を崩壊・孤立させ、地域に混乱をもたらすことで自らの覇権を広げようと目論(もくろ)むイスラエルのネタニヤフ首相と、その口車に乗せられたトランプ。彼らに好き勝手を許してきた世界が、その代償を払わされている。(文筆家)2026年3月21日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-ホルムズ海峡」から引用 ネタニヤフは今までパレスチナへの軍事侵攻を継続する必要性を口実に首相の座に居座ってきたのだが、パレスチナに対する軍事行動はもうこれ以上は無理というところまできたので、もしここで「一段落」ということになれば、自分の任期も満了だからということで首相の座を降りた途端に、在職中の数えきれない「疑惑」の追及が始まることになるので、それを先延ばしする格好の口実が「イラン侵攻」だったと推察される。ことがここまで来たのであるから、もう「ナチスのホロコーストの被害者」だからといってユダヤ人のやること為すことを全部許すという態度は、改めるべきだと思います。80年前のホロコーストは反省するにしても、現代の「犯罪」は「犯罪」として厳しく規制していくのが、これからの人類の進むべき方向性であることを、私たちは自覚する必要があるのだと思います。
2026年04月06日
外国の国旗を損壊した者を処罰する規定があるのに、日の丸を損壊した者を処罰する法律がないのはおかしいという子ども並みの理屈を主張する高市首相について、3月19日付の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」は、次のように批判的論評を掲載している; 高市早苗首相は国旗損壊罪の制定を繰り返し強調し、自民党・日本維新の会は17日、党首会談であらためて今国会での成立を確認しました。 国旗損壊罪は「侮辱を加える目的で国旗を損壊し、除去し、汚損した者」を拘禁刑、罰金に処すものです。 高市氏の執念には強いものがあります。みずから国旗損壊罪法案を起草、2012年に議員立法で提出(廃案)、21年にも法案提出の動きの中心になりました。 高市氏の主張は、国旗の損壊は「国家の存立基盤を損なうもの」「国民が抱く尊重の念を害するもの」であり、外国旗の損壊は刑法で罰せられるのに、「日本国旗を損壊しても全くお沙汰なし」でいいのか、というものです。■成り立たない主張 しかしこの問題は決着済みです。国旗国歌法の制定(1999年)にあたって、小渕恵三首相(当時)は「国旗に対する尊重規定や侮辱罪を創設することは考えていない」と答弁しています。 その理由として「(外国旗損壊罪は)刑法第4章の『国交に関する罪』の中に置かれているとおり、我が国の外交作用の円滑、安全等を考慮して」設けられたものと説明。一方、国旗損壊罪の規定がないのは「国家の威信の保護の在り方として刑罰をもって強制することが適当かという根本的な問題がある」ほか、国旗損壊には器物損壊罪が適用されることをあげています。(政府答弁書) つまり外国旗の損壊罪は外交上の国益を守ることを目的としており、「尊重の念を害する」などの見地から設けられたものではない、それを日本国旗にも適用するのは筋違い、ということです。 そもそも国旗損壊罪については、必要性がありません。岩屋毅前外相も「(あちこちで日の丸が壊されるなど)社会問題化しているわけでない。つまり立法の根拠となる『立法事実』がなく、その必要性が高まっているとは思えません」(「毎日」1月1日付)とのべています。 にもかかわらず国旗損壊罪を持ち出すのはなぜか。 公的施設に掲示された国旗を損壊すれば器物損壊罪で処罰されます。ところが国旗損壊罪では自分が所有する国旗を抗議の意思表現や芸術表現などで使うと処罰されうることになります。国旗の扱いを警察が取り締まる―それは思想・良心の自由、表現の自由を奪う違憲立法であり、社会を萎縮させるものです。 国民の思想を監視する「戦争する国」づくりの一環といわなければなりません。■広がる懸念と批判 こうした動きに懸念と批判が広がっています。 「窮屈な社会が待っていないか」(「朝日」)、 「表現の自由や思想の自由が脅かされる可能性がある」(「毎日」)との社説が出されました。日本弁護士連合会はすでに2012年の法案に対し国家の威信や尊厳を刑罰で強制することは国家主義を助長し、表現の自由を侵害しかねないと反対を表明。今回も札幌や広島弁護士会から「憲法違反」との会長声明が出されています。 国旗損壊罪を許さない世論と運動を強めましょう。2026年3月19日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「主張-国旗損壊罪の危険」から引用 この記事は論理が明快で、読んでスムーズに理解できる構成になっているように思います。「外国の国旗を損壊したら処罰されるのに、日の丸にはそのような規定がないのはおかしい」という屁理屈は、「言い訳」のようなもので、国旗損壊罪の必要を感じている政治家というのは、江戸時代のように大名や将軍のような「権力者」が通行するときは、一般庶民は地面に正座して「絶対服従」の意思表示を強制させて「国家権力」の偉大さを庶民に確認させる、というような社会を目指しているのだと思います。しかし、そのような社会は、市民の自由を著しく束縛するものであったから、市民社会の発展とともに廃れてしまったものと考えて間違いないでしょう。そして、上の記事で、もし国旗損壊罪などというものが刑法に追加されれば、芸術上の表現の一つとして「日の丸を燃やすシーン」なども処罰の対象となり「表現の自由」が侵害されるという大きなデメリットが生じます。高市氏や維新の会の政治家の本音は、自分たちが権力者として国民の「表現の自由」を束縛したいというのが「本音」なのだろうと推察されますが、私たち国民はそのような愚劣な政治家の野望を許してはならないと思います。
2026年04月05日
先月の日米首相会談の顛末について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は3月21日付同紙朝刊コラムに、次のように書いている; あれもハグ(抱擁)ではある。訪米した高市早苗首相は、ホワイトハウスに到着し車を降りると、両手を挙げて出迎えたトランプ大統領に足早に近づき、高い肩に腕を伸ばして抱きついた。 握手しようとしていたトランプ氏は、2、3度背中をたたいて体を引き、身ぶり交じりで話し始める。と、高市氏は2、3歩にじり寄り間合いを詰める。あのトランプ氏が思わず後ずさりするのを見て、つい笑ってしまった。 さすが高市氏。今度は抱きつき戦法か。毎回、誰もまねできない見せ場を作ってくれる。 国際法違反の先制攻撃で破壊と殺りくを尽くし、世界経済を混乱に陥れているトランプ氏を「世界中に平和と繁栄をもたらすことができるのはドナルドだけだ」と持ち上げ、「私は諸外国に働きかけてしっかりと応援したい」と約束した口上にもうなった。 お追従に、現実主義に立脚した同盟国の苦い同調と、ちょっぴりの皮肉と、大国の責任を遠回しに促す工夫が練りこまれている。 ただし、明言を避けてきたイラン攻撃への法的評価は、これで事実上の容認へ傾いた。日本は高市氏のエエカッコしいに引きずられ、後戻りできない一歩を踏み出しつつあるのかもしれない。 トランプ氏の見せ場は後味が良くない。会談前、記者が、なぜイラン攻撃を同盟国に事前通告しなかったか質問。「奇襲したかったからだ。奇襲について日本ほど詳しい国があるか」と答え、高市氏に向き直り「なぜ日本は真珠湾攻撃を知らせなかったのか」と当てこすった。奇襲解散で大勝したばかりの高市氏は黙っていた。 残念だ。すかさず、静かに、毅然(きぜん)と諭すべきであった。 「だから、あなたの大好きな安倍晋三元首相は10年前、オバマ元大統領と並んで真珠湾で献花しました。戦争の惨禍は二度と繰り返してはならないと誓って」 これは無いものねだりか。 トランプ氏と高市氏には共通点が多い。大衆人気、ハッタリ屋、自分勝手、議会嫌い、経済最優先、軍事力信奉。気が合うわけだ。 とりわけ似ているのは、歴史への無関心である。二人とも、過去との不断の対話を通じ、未来と向き合う姿勢がほとんどない。 高市氏の台湾有事失言は、日中戦争から戦後の国交回復、四つの重要文書の蓄積を軽んじる人だから起きた。靖国神社の歴史や日本とイランの特別な外交関係にも関心がなさすぎる。 そんな二人でめざす「質を高めた同盟の更なる高み」。そこで何が待っている。(専門編集委員)2026年3月21日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-サナエ・ドナルド同盟」から引用 この記事にも書いてあるように、先月の日米首脳会談における高市氏の言動はあまり褒められたものではなかったが、高市氏自身は一応、彼女なりのベストを尽くしたようだから、国民としても「彼女なりの努力の結果」というものを、認めてあげるべきなのだろうと思います。あれが高市流の「トランプ対応法」で、少しどうかと思われるような点もあったが、曲がりなりにもトランプ氏の口から日本に対する法外な要求を言わせなかったという「結果」は、「是」とするべきです。しかし、高市氏の本質は「ハッタリ屋、自分勝手、議会嫌い、経済最優先、軍事力信奉」であり、自分の発言が相手にどのような「負の印象」を与えるかという神経がまったく働かないという致命的欠陥があり、そのために不用意な「台湾有事は日本の有事」発言が飛び出すようなことが、いつまた繰り返されるかも知れないというリスクを、国民はひしひしと感じているわけで、あまり大きな失敗をしでかさないうちに退陣してほしいものでございます。
2026年04月04日
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