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昭和21年の春、あたりは焼け野原。そんな中で、靖国神社をたずねた。だが、そこに兄貴はいなかった。「~春の宵に咲いて会おう」(同期の桜)を本殿で歌う同期生とその遺族の目はうるみ、うちふるえていた。
毎年10月になるとさまざまな思いがよみがえってくる。昭和18年10月21日、雨ふりしきる神宮外苑での学徒出陣壮行会。翌年の10月25日には、神風特別攻撃隊の先陣がフィリピンで突っ込んで行った。以後、終戦まで、3000人を超える若者たちが帰らぬ空に飛び立っていった。そのなかに兄貴もいた。
鹿児島県知覧町の「知覧特攻平和会館」で若き兵士たちの遺影を前に立ちすくみ涙した小泉首相。「ああ同期の桜」(第14期海軍飛行予備学生)という遺稿集に感動し、「鎮魂の思い」で首相は靖国に行くという。
「いろいろ」が口癖の小泉さん。靖国への思いは一つでなくてもいい。ただ一つ同じでなくてはならないもの、それは本当に「もう二度と戦争はしない」だ。先の大戦で多くの日本人は肉親をなくし、日本軍は数多くのアジアの人々を殺し、傷つけた。
今月にも出されるであろう自民党の新憲法草案には、憲法九条にある「戦争の放棄」について「武力行使」が可能になるような文言が入ってこないだろうか。仮にもそのようなことがあれば「靖国の英霊」たちはなんと言うだろうか。
今年は戦後60年、春の例大祭には必ず靖国に行く。そして胸に刻み込、九段坂を下りながら思う。庭に咲く桜はいつまでも「反戦の花を咲かせつづけよ」と。
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