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2010年07月16日
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テーマ: ニュース(100336)
カテゴリ: 文化
 大相撲の力士や関係者が賭博をしていた問題について、精神科医の斎藤学氏は6月30日の東京新聞コラムにユニークな持論を披露している;






 ところでこの問題、日本中で連日騒ぎ立てるようなことだろうか。国技などと言うから御大層なものに見えるが、元々(もともと)歌舞伎などの音曲と並んで 「興行」の世界 の話。 この世界は昔から堅気でない人々がたつき(生計)をたてるための道だった。 つい最近まで人糞(じんぷん)を肥料にした野菜を食っていたわれらが父祖が、平気で腹に回虫を飼っていたようなもの。「道はずれ」にもそれなりに生計の道を用意してきたのだ。


 元来相撲はスポーツではない。われわれ、表も裏もある日本人の伝統文化だ。国民放送(NHK)はそれを「健全市民」の競技会にしてしまったのだが、この興行で食っている人々の中には 昔ながらの道はずれも 交じっている。 このことを知る人は知っているのに言わない。 世を覆う「無菌志向」と「不潔恐怖」が事の本質を語らせない。


 折から政治は選挙の季節。ここでも人々は清潔を求めている。「沈香も焚(た)かず屁(へ)もひらず」の台詞(せりふ)は忘れられ、 なるべく無能な無菌者(というイメージ)が選ばれる。 そうすることで有権者は、自らの「ねたみの心」を宥(なだ)めている。それこそ不潔な心だ。 (精神科医)



2010年6月30日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-無菌求める不潔」から引用


 相撲や歌舞伎などというものは堅気の仕事ができない半端者が生計を立てるための仕事だったというのは、多分江戸時代までのことで、近代市民社会はそのような半端者にも一市民としての権利を認める、その代わりに法律を守る義務を課すというのが現代の世の中ではないかと思います。相撲の世界に、まだ近代市民社会になじめずに昔ながらの半端者気分で博打をやってる者がいれば、それなりの法的制裁を受けるのはやむを得ないところです。しかしながら、たかがお相撲さんの博打に世間が騒ぎ過ぎるというのは、私も同感です。その上、なぜそんなに大騒ぎするのか、それは人々の「無菌志向」が原因で、選挙でも、清潔であることだけを選択条件にすると、能力の無い政治家を選ぶ結果になるという、なかなか含蓄のある考え方です。確かに市民派といわれて首相にまでなりながら、選挙運動中に突然消費税のことなどを言いだして肝心の選挙にボロ負けした例もあり、多少汚れはあっても実力のある元幹事長が取り仕切った方が勝っていた可能性が大と思われます。それにしても、斎藤氏の文章はいつも含蓄に富んでいて、この記事の最後のフレーズも、私は常々世襲の議員候補に人々が喜んで投票する姿に疑問を感じていたが、この一文がするどい回答を与えてくれました。








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最終更新日  2010年07月16日 18時57分41秒


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