フリーページ
憲法改正を唱える椒拠に、立党以来の「党是」を持ち出している。だが、首相のこの主張は事実なのか。党の基本文書で確認する。
1955年11月15日の自民党立党時に、「立党宣言」「綱領」「党の性格」「党の使命」および「党の政綱」という五つの文書が採択された。
「使命」と「政綱」に「現行憲法の自主的改正」が謳(うた)われた。つまり 立党当初、最上位文書の綱領には憲法改正は盛り込まれなかった。
その後、綱領改定の気運は10年ごとの立党の区切りが近づくたびに党内で高まる。 1965年1月制定の自由民主党基本憲章には、憲法改正への言及はない。 1975年の立党20年に際しては、綱領・政綱の見直しが2回試みられた。一つは1974年11月に党綱領委員会がまとめた新綱領草案であり、もう一つは党政綱等改正起草委員会によって1975年11月に示された新政綱草案である。前者は憲法改正に触れていなかったため、改憲派からの異論が強く決定は見送られた。後者はその前文、に「国民の合意を得て現行憲法を再検討する」と入れた。改憲派は「再検討という表現では弱すぎる」と批判し、これも頓挫(とんざ)した。
立党30年に当たる1985年には、4月に党政綱等改正委員会が設置された。同委員会は10月に新政策綱領の原案を明らかにする。そこでは、「絶えず厳しく憲法を見直す努力を続ける」と記された。 政綱にある「現行憲法の自主的改正」という表現は削られたのである。 改憲派は猛反発し、新政策綱領でその文言が復活する。
1995年の立党40年のときは、前年発足の党基本問題調査会が党綱領などの見直しに着手する。憲法問題をめぐって護憲派・改憲派の問で激しい綱引きがなされた。その結果、1995年3月の党大会で決定した新宣言ではこうなった。「21世紀に向けた新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民と共に議論を進めていきます。」
ついに、「現行憲法の自主的改正」が党の公式文書から消えた。 「党是」ではなくなったのである。
しかし、立党50年に至って扱いは逆転する。2004年9月に新理念・綱領に関する委員会がつくられた。当時の安倍晋三幹事長がその職を辞するまで委員長を務めた。そこで詰められた新綱領が、2005年11月の立党50年記念党大会で発表された。その第一項は「私たちは近い将来、自立した国民意識のもとで新しい憲法が制定されるよう、国民合意の形成に努めます」と誓っている。
ところで、自民党は立党からこれまで5種類の党史を刊行している。最新のものは、安倍総裁下で2006年に出された『自由民主党五十年史』である。同書で、 立党時を記述した節は「憲法改正を党是に」と題されている。それ以前の4種類の党史にはなかったタイトルだ。安倍史観というべきか。
憲法改正をめぐっては激しい党内対立があった。なのに、憲法改正を立党当初からの「党是」と言い張るのは虚偽とまでは難じないが、神話に近い。あるいは、首相が忌み嫌う「レッテル貼り」だろう。
にしかわ しんいち・明治大学教授
アベノミクスは、隠れ蓑!?(30日の日… 2016年07月30日
大橋巨泉の遺言(29日の日記) 2016年07月29日
憲法と違う回路で進む恐ろしさ(23日の… 2016年07月23日
PR
キーワードサーチ
コメント新着