フリーページ
軽々しく「もしも」などと言うべきではないが、今でも思うことがある。もしもあの時、東京電力福島第一原発の事故がなければ、と。
この国で暮らす人たちは、地震災害も心のどこかで覚悟しているだろうし、大津波だって頭のどこかでは警戒しているはずだ。
実際にそれが起きた時に身を守れるかどうかは別だが、わが身を襲う危険の一つとして想定しているだろう。
しかし、想定外のものがある。それがあの福島第一原発事故だった。
僕は長崎市出身で、原子爆弾が投下されてわずか7年後に爆心地近くで生まれていることもあり、放射能災害は決して「人ごと」ではない。
そして、かつて長崎でそうだったように、 最初は強い怒り、悲しみを持って心を保つことができても、やがて心は折れ、諦め、それを「人ごと」と思っている人々の心ない差別を恐れて、「その町の出身であること」を隠すような悲しいことが起きる。
これほど悔しくて切なく、腹立たしいことはない。
原子力発電が行われるようになった40年以上前のこと、僕のラジオ番組で日本のロケット開発の父、糸川英夫先生に原子力発電とはどういうものなのかうかがったことがある。「ざっくりとおおらかに説明します。仮にスイカを想像してください。核分裂というのは、丸い核の球を、つまりスイカを包丁で割るとイメージしてください。割る前の重さより割った後の方が、切られた分、ほんのわずかに軽くなっているはずです。その減った量がエネルギーとして取り出される」
糸川先生はさらに続けた。
「ただし、このスイカを割る前のようにきちんと閉じる技術がまだありません。 この開いたまんまのスイカ、つまり核廃棄物が放出する放射能は半減期までに数十万年かかる。その処理方法を持たない以上、原子力発電は不完全な技術です 」。心に残る言葉だ。
大地震や大津波は抗(あらが)いようのない自然災害だが、原発事故は防ぐことが可能な「人災」だろう。
原子力発電については利害、利得を超えて賛否さまざまなご意見もあるだろうが、 こういう事故が二度と起きない、と安心できる材料が僕にはまだみつからないでいる。
糸川先生の言葉を思い出すまでもなく「人が制御できないもの」を、人が動かすべきではないと素朴に思う。
大災害から数年をへて着々と復興する町もあり、まだまだ手つかずの町もある。地震や津波の心の痛手から立ち直ろうとする人もあり、いまだに痛み続ける人もある。
ただ「人災」だけは二度と起こしてほしくないと、震災5年の春に心から願う。
(シンガー・ソングライター、小説家)
PR
キーワードサーチ
コメント新着