フリーページ
班さんが中国人「慰安婦」被害者の存在を初めて知ったのは1992年12月でした。 きっかけは「日本の戦後補償に関する国際公聴会」(東京)に、中国山西省から参加していた万愛花さん(2013年死去)との出会いでした。
万さんは10代で日本軍に拉致され、ヤオトン(横穴式住居)に監禁されました。拷問と性暴力を繰り返し受け、背中や骨盤を骨折。体が変形し、身長が20センチほど縮む被害を受けました。戦後、絶望し、殺虫剤を飲んで自殺を図ったこともあります。
「私は日本軍のせいで家も何もかも失った。うらみを聞いてもらうため日本に来た」
万さんは公聴会でこう訴えた直後、失神し、演壇に倒れました。
班さんはこの光景に「圧迫された女性の姿」を見た思いでした。当時、日本に留学していた班さんは、万さんと出会った衝撃が忘れられませんでした。95年8月、真相を調べるため山西省の省都・太原に住む万さんに会いに行きました。
それから約20年間、斑さんは毎年のように万さんや他の被害女性を訪ね、聞き取り調査や医療費支援などをしてきました。その数80余人に上ります。
映画「太陽がほしい」には7人の被害女性が登場します。班さんは「多くの女性が恐怖の情景と被害の瞬間を鮮明に語る一方、時期や場所など客観的な情報は不鮮明だった」と振り返ります。
劉面換さん(12年死去)は銃床で左肩を強打され、日本軍の拠点に運行されました。劉さんは当時についてこう証言しました。
「真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られた。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。太陽の光がほしかった」
班さんはいいます。
「『太陽がほしい』というタイトルには、苦しい監禁状態のなかで発した『太陽の光を浴びたい』という劉さんの心の叫びと、日本政府を相手に裁判をたたかった『正義を取り戻す光がほしい』という万さんの心情がある」
◆正しい歴史認識
13年夏、斑さんが危篤の万さんを見舞うと、万さんはうっすらと目を聞け、班さんに消え入るような声で話しました。
「(日本政府は)罪を認め、頭を下げて賠償をするべきです。・・・何といっても真理がほしい」
被害者の願いは、日本が加害の事実を明確に認めることです。ところが13年、当時の橋下徹大阪市長が「慰安婦制度は必要」と暴言を吐きました。翌年には過去の「慰安婦」報道の一部を取り消した朝日新聞を攻撃し、歴史を偽造する動きが起きました。
「歴史を覆すことは新たな犯罪」と危惧した班さん。 20年かけて撮りためた400時間に及ぶ証言を1本の映画にすることを決意 し、製作支援を日本の市民に呼びかけました。映画は15年夏に完成し、現在800人近くが賛同。 上映会は全国に広がっています。
映画で日本軍の元兵士も証言しています。登場する被害女性は全員亡く在りました。
班さんは「当時の話に触れるたび、手が震えるほどの恐怖に襲われるおばあさんもいた。多くが健康被害を訴えていた。 映画を通して事実を明らかにし、若い人たちが正しい歴史認識をもつ手助けになれば 」と話します。
◇
自主上映の問い合わせ=「ドキュメンタリー映画会・人間の手」電話080(9374)1294
各地の上映予定
▼5月15日=ニ松江市市民活動センター。監督トークあり。主催=アムネスティ・インターナショナル松江グループ
▼20日=東京・牛込箪笥地域センター。監督トーク。主催=上映実行委員会
▼21日ニ=つくばイノベーションプラザ。監督トーク。主催=実行番員会
▼6月11日=北九州市生涯学習総合センター。監督トーク。主催=日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州
▼9月10日=盛岡市プラザおでって。主催=岩手からアジアを考える会
▼詳しくは human-hands.com
はん・ちゅうぎ=ドキュメンタリー映画監督。1958年、中国・撫順市生まれ。『曽おばさんの海』(朝日新聞出版)で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賀受贅。監督作品に「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」「亡命」
戦時下の強制労働動員の原型(29日の日… 2020年03月29日
子どもは人類の根幹-「たいまつ」から(… 2016年07月26日
ナショナリズム復活の根 2016年07月24日
PR
キーワードサーチ
コメント新着