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辛 私は2002年の小泉訪朝と日朝平壌宣言に、ものすごく大きな希望と夢を持ちました。だけど、その後実際に訪れたのは地獄でした。それは私の友人も一緒で、あれは、日本で生きていくということが希望から絶望に変わっていく瞬間だったんです。
蓮池 相当なショックだったとおっしゃる方が多いですね。自分の祖国が拉致なんてしないと信じていたけど、蓋を開けてみたら本当だった。その痛い傷に塩を塗り込むようなことを、私が煽動してやってしまっていたのかもしれません。
辛 拉致を実行した人たちをきちんと処罰することが大事なのであって、足もとにいる在日を、同じ朝鮮人だからということで叩くことは間違っている。 あの当時、私の講演先に 青いリボンをした人たち が来て、私が話をしているあいだ、ずっとコールしていたことがあります。「らーち」、「らーち」って、一時間半ですよ。会場にいた人たち、みんな凍りついていました。そのときに思ったのは、この人たちは拉致を使って楽しんでいるんだろうなってことです。 拉致された被害者の思いはこの人たちには関係がない。被害を受けた当事者ではない人たちが、快楽のために拉致を利用して攻撃をするんです。
蓮池 そういうことはありますね。北に強硬な姿勢で経済制裁などを叫ぶ資格があるとすれば、被害を受けた当事者の弟たちでしょう。でも、彼らはそんなこと一言も言わないですよ。意味がないということをわかっているし、はっきりとは言わないけれど、経済制裁をして苦しむのは普通の市民だという思いもあるのだと思います。
辛 小泉訪朝後の暴風の中で、私はアジアプレスの石丸次郎さんと一緒に記者会見をやったんです。在日に対する暴行を止めてほしいと。その時、今でも覚えていますけど、「辛さん、今まで何をやっていたんですか」と話者の一人に言われたんです。自分への脅迫や嫌がらせを受け止めながら、あっちこっちで上がる悲鳴のケアに駆けずり回っていたんですよ。記者会見に出てくれるよう、在日の名前の知れた人たちや、自分の知っている人たちに声をかけました。そのとき、女の友人たちは、皆が本当に口を揃えてはっきりと言った。「怖くて出られない。いま出たら殺されるかもしれない」って。男の有名人は、「他に誰に声かけているの」って聞いてきて、この人とこの人と・・・と言うと、「じゃあ僕が出なくてもいいね」って。こんなときに朝鮮人の大人が出ていかずにどうするんだという絶望感。・・・でも、みんな本当に怖かったんです。唯一出てくれたのが(作家の)金石範さんと友人のルポライター。それと、日本の大学教授とキリスト教の活動家。その時、日本の先生が泣きながら、「日本人はどうして朝鮮人をいじめるんだ」と言われたんです。だけど、その場に百数十人も記者やジャーナリストが来ていたのに、一社も一行も取り上げてくれなかった。
蓮池 拉致問題で在日の皆さんを攻撃するのは、八つ当たりとしか言いようがない。まったく関係ないですから。朝鮮学校に通っている生徒たちへの嫌がらせも、補助金を止めるというのも、これは何なんだろう、何がそうせるんだろうと考えてしまいます。ヘイト・スピーチというのは愚かさの極みだと思うけれど、 その中で在日コリアンの人たちに対して、「帰れ」とよく言いますよね。そう言う前に、なぜそういう人たちが日本にいるのかを考えてみろ、と私は言いたくなります。なぜ日本で生活しているのかを勉強しろと・・・。 やっていることは憂さ晴らしにすぎません。
辛 変な言い方だけど、蓮池さんが「弟を返せ」と言うのを聞いた時、私も一緒に「私の親族を返せ」と言いたかった。だけど、口が裂けても言えなかった。だから蓮池さんがうらやましかったんです。薄地さんは、明るい、陽の当たるところにいて、何にも臆することなく「弟を返せ」と言っていた。私もそう言いたかった。本当にそう言いたかった。
だけど、私がそれを言えば、北朝鮮に渡った親族は殺されると思った。直接手を下されなくても、配給を減らされるとか、生きていくことがより困難になると思った。その時、日本は絶対に私たちの側にはついてくれない。北朝鮮を批判すれば同胞からも叩かれる。いま思えば、もっと早く北朝鮮難民が出てきてくれていれば、金で解決できる方法があるとわかったのに・・・。でも、そんな知恵もなかったから、ひたすら我慢して、朝から晩まで働いて、北朝鮮にいる身内に物を送る。送ったうちの何分の一しか届かないけれど・・・。
だから私は、あなたがうらやましかった。私も吠えたかった。でも、できなかった。そうやって、被害者が分断されたような気がするのね。
私たちは、拉致ということに対して正面から向き合うことができなかった。それは、それを言っている人たちがあまりにも私たちを叩いたから。そして、被害者の悲しみを共有できなかった。
拉致の問題をめぐって不幸なことだと思うのは、本当に問題を解決したいと思っている人が、私の目にはあなた以外に映らないことです。当事者が拉致問題の解決を求めるのは絶対的に当然です。だけど、当事者以外で目に映るのは、上も下も右も左も、拉致問題を利用している人たちばかり。
まだ北朝鮮が事件を認める前に、私も何回も聞かれました。まるで踏み絵のように、「拉致はあるのか」と。私はそのたびに、「在日に聞くなよ」と答えました。加害者に聞け、と。 これは、「朝鮮半島と日本が戦争になったらどちらにつくか」という質問と同じです。私たちはどっちについても殺されるんです。 それは拉致被害を受けた人たちも同じ。 これが国をまたいで生きた人たちのリアルです。
蓮池 ポジティブに考えれば、私は、在日の人たちにしても、弟たちにしても、そういう存在こそ、国をまたぐ架け橋になれるのではないかと思っています。
辛 そう。ポジティブに変えていかなければいけない。私たちはそういう社会を作らなければいけないと・・・。
蓮池 本当にそうですね。
辛 あなたに会えて、語り合えて、同じ空間を共有できて本当に良かった。
--今日は長時間にわたってありがとうございました。
司会・構成 熊谷伸一郎(本誌編集部)、中山永基(岩波新書編集部)
▼編集部より:今年4月中旬、辛淑玉さんと蓮池透さんは3回にわたり12時間以上、小社で対話の時間を持ちました。本稿はそのうち初回の一部を整理したものです。対話の全内容は近日、小社より刊行予定です。
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