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公示10日前の6月14日には、下村博文・総裁特別補佐が自民党県連の選挙対策会議に乗り込んできて、「50万票」目標という大号令をかけ、業界団体に割り振りし、地方議員のノルマも決めました。自公が猛然と組織を締めて首相先頭にのべ約100人の幹部などがきました。安倍首相夫人までね。
◆個人攻撃
デマ、ウソを含めたビラや街頭演説が激しくて、私を東京から来た「落下傘だ」と攻撃して、「落下傘より健太さん(自民の若林健太候補)」なんていう。自民党議員らはそれが”選挙の大争点”と演説し、安倍首相も繰り返しました。 そんなことがありえますか。憲法とか安保法制とか、アベノミクスと格差の問題とか、TPP(環太平洋連携協定)とか、そういうことに全く触れずに個人攻撃が選挙の「大争点」なんて。 そんな選挙があるのか、と心の底から憤りました。だから”絶対に負けられない。こんなのに負けたらだめだ”と奮い立ちましたね。
こういう攻撃をはね返して当選できた最大の要因は、県民が選挙に行ってくれたことです。長野県の投票率は62・86%で全国一でした。無党派層・支持なし層といわれる人たちが多く投票に行って、出口調査ではその層の6割超が私に投票してくれました。 まさに長野県民の良識が勝った と思っています。
そういう状況をつくることができた大きな要因が「市民と野党の共闘」だったと思います。
市民グループの人たちがいろんなところで「勝手連」を立ち上げ、電話かけとか集会を開いたりしてくれました。それが県民のみなさんに浸透して、「激戦区だ」とのメディアの報道と相まって、全国一の投票率に結び付いたのです。
◆支援呼ぶ
無党派層からの支援を呼び込んだのは、市民の運動とともに野党間の共闘でした。 民進党、共産党、社民党、生活の党との野党共闘 がなければ、私の当選はありえませんでした。とくに長野県の共産党の比例代表選挙得票は13万5千票。私と自民党候補の得票差は7万4000。共産党などの大きな支援がきわめて重要でした。
次は衆院選です。私は、自分の選挙を市民と野党の共闘で勝ちました。ですから衆院選でも野党共闘の路線はぜひ進めてほしい。それが長野県民の負託にこたえる道だと思っています。
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