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とっさに思い浮かんだのは5月3日、東京湾岸の有明防災公園。仮設舞台に車イスで登場、マイクを握った右手を振りまわしている雄姿だった。
「憲法9条が平和の武器だ」と語った。その大音声はマイクがなくとも、会場を埋めた5万のこころの隅々にまで届いているようだった。
その日は自宅のあるさいたま市から、大策さんが混雑を避け、車イスを押して電車でやってきた。帰りもだったから、無理をお願いしたわたしは不安だった。案の定、体調を崩されてお茶の水の病院に入院、回復することなく、他界された。
集会のあと、故郷秋田県横手市で、旧制中学の恩師、石坂洋次郎の没後30年の集いに出席するのを楽しみにしていた。石坂さんにはかわいがられた、とむのさんは少年のような笑顔になった。
「憲法を守れ」は5月3日大集会での101歳のアピールだった。敗戦を迎えたあと、大本営発表を記事にしていた自分を恥じ、朝日新聞を退社。帰郷してローカル紙「たいまつ」を創刊し、反戦を訴えつづけた。
9条破壊が叫ばれ、たいまつは一段と輝く。相手に負けない考えをつくれ。むのたけじの遺言である。
(ルポライター)
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