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自衛隊の歴史を振り返ると、日米安保条約の改定を巡る安保闘争があった1960年から米ソ冷戦が終結する90年ごろまで、防衛問題に関して国民が非常に反発するので、防衛政策にほとんど進展はなかった。
それが90年代以降、自衛隊のカンボジアへの国連平和維持活動(PKO)派遣、2003年のイラク戦争における復興支援と称した自衛隊の現地派遣など、海外での任務や活動範囲が広がり、変質してきた。
安保法制も含め変化の根底にあるのは、米国にとって軍事行動を共にする使い勝手の良い同盟国にすることだ。 今回の敵基地攻撃能力の保有も、 打撃力を持つ「真の独立国家」になりたい自民党と、米国の利害が一致した産物で、政府が合理的に冷静に必要性を検討したのか疑問だ。 米国次第で次の戦争に日本が加担しないか危惧している。
日本は先の敗戦を受け、政治学者も憲法学者も一般国民も戦争体験があり、志のもとで平和憲法を持ち平和国家を目指していく方針を選んだが、各分野で戦争を知らない世代が大幅に増えた。国民も含めて「もうあんな思いをしたくない。戦争は嫌だ」との意識が希薄になってしまった。
日本が敵基地攻撃能力を持てば、中国がおののき抑止力となるというのは楽観的すぎる。中国は経済力も資源もあり、日本が軍拡してもすぐ上回ってくる。 むしろ「北京に`ミサイルを撃ち込む準備をしているのか」と中国のナショナリズムを非常に刺激する。 相手を刺激してなぜ抑止力なのか。 米国と一緒に戦えば怖くないから、いざとなったら米国と戦うという属国としてのあり方でいいのか。日本は別の生き方があるはずだ。
(聞き手・川田篤志)
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