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2024年02月08日
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テーマ: ニュース(100432)
カテゴリ: ニュース
中国東北部を侵略した日本軍がでっちあげた傀儡国家「満州帝国」には、帝国としての体面を保つ目的で日本政府が国内の自治体に「満州への移民」を奨励し、「奨励」だけでは足りないと分かると農村部を「満州に移る人と地元に残る人」に分ける「分村移民」などという妙な標語を作って「満州」への移民を義務付けたりしたのであったが、敗戦直前の1945年春に長野県河野村から移住した95人の村民は、移住後数か月でソ連が参戦することとなり、その時点では「満州帝国」の「国民」を守る「軍隊」は存在せず、移住して間もない河野村から来た人々は逃げることもできず集団自決したという「事件」があった。戦後そのことを知った河野村村長は責任を感じて自死し、その後生まれた村長の孫は、つい最近になってそういう「歴史」を知ったといういきさつを、1月24日の東京新聞が、次のように報道している;





 「幼いころ、祖父の盛(もり)は戦争で死んだと聞かされていた。けれど、近所の子に『おまえのおじいちゃ(祖父のこと)は自殺した』と突然言われたことがあって」。胡桃沢少年は尋ね返せなかった。親にも聞けなかった「真相」を知るのは37歳のときだ。

 一つの記事が地元紙に載った。大戦中に農業移民や青少年義勇軍などとして渡満体験を持つ人に聞き取りを進めていた飯田市歴史研究所に、父が盛さんの遺品の日記を寄贈したことを伝えていた。「君のおじいさんのことでは」と言って友人が記事を送ってくれた。 1932年、中国に傀儡(かいらい)国家「満州国」を建国した日本は、農村部などから移民を送り出し、その数は敗戦までに27万人。 日米開戦後は、町村単位で地元に残る人と満州に送る人を分ける「分村移民」を推進し、各自治体に送り出し人数が割り当てられた。当時河野村長だった盛さんは分村移民を決断した一人だった。45年春、27世帯、95人を吉林省に送り出している。

 しかし開拓団の成人男性は敗戦直前に徴兵され、村に残った女性や子ども、高齢者73人は、ソ連軍侵攻時に日本人に土地を奪われた中国の人たちに襲われ、帰国をあきらめて集団死。翌年、悲劇を知った盛さんは村民を送った罪責から自ら命を絶った。42歳だった。

 「悩んだ末の決断とはいえ、村民を送り出し、死に追いやった責任を感じて祖父は生きていけなかった」。事実の重さに打ちのめされながらも、胡桃沢さんは事実から学ぼうとした。

 河野村と同じ下伊那内の阿智村にある満蒙開拓平和記念館に足を運び、河野村の集団自決をただ一人生き延びた男性に会った。中国の河野村開拓団入植地も訪ねた。盛さんの日記からは、国策にのまれていく祖父の姿を見た。

 「くるみざわしん」の名で戯曲を発表してきた胡桃沢さんには、日本軍慰安婦など戦時性暴力や、町おこしのために放射性廃棄物の処分場誘致を画策する男を扱った作品などがある。

 戦争の加害や国家の欺瞞を見つめてきた劇作家は今、祖父の過ちや故郷の悲劇も自ら語ろうとしている。

 「厳しい言い方だが、祖父は村長として甘かった。 国に協力しない者は非国民と非難された時代、国策に従わない選択はなかったと言う人もいる。けれど、僕はその声にうなずきたくないんです 」と胡桃沢さん。

 身内の痛みをもあえて語る。なぜか。「次の新たな戦争に加担しないためです。祖父の誤りを語るのは孫である僕の役割。僕が言わなくて誰が言えますか?」

 講演会を三鷹市と共催するNPO法人「中国帰国者の会」の前身は、旧満州に放置された「中国残留婦人」の一人、鈴木則子さんら十数人で1982年、産声を上げた。事務局次長の橋本美緒さんは「胡桃沢さんの講演を通して満蒙開拓とはなんだったのかを考えたい」と話す。

 会場は三鷹駅前コミュニティーセンター。開演は午前11時半(開場同11時)。胡桃沢さんの話のほか、信越放送制作ドキュメンタリー「決壊 祖父が見た満州の夢」の上映などがある。定員60人。参加無料、事前申し込み不要。


2024年1月24日 東京新聞朝刊 11版 20ページ 「国策に加担、祖父は誤った」から引用

 戦時中の日本は軍部がでっちあげた「満州帝国」を、あたかも支援するかのような演出をして、始めは「満蒙開拓団」などと称して、いかにも未開の地を日本人の力で「開拓」するのだというふりをしていたが、実際のところはその「満州」にも何千年も昔から住んでいる中国人がいたのであり、その中国人の家屋と田畑を軍が武力で威嚇して奪い取り、それを日本からきた「移民」に分け与えるという「暴挙」を行っていたために、ソ連が参戦するらしいと知るや、「満州帝国」の官僚も軍隊も「国民」には知られないように、あっという間に逃げ出し、実際にソ連軍が侵入して来たときには、日本軍がいなくなったことを知った中国人が、自分たちの家と田畑を返せとばかりに日本人に襲いかかるという場面も多くあったということのようです。元から住んでいる人々を追い払って自分たちのものにするというやり方は、現代のイスラエルがパレスチナに対してやっていることであり、日本が中国でやったときは英米が「やめろ」と言い、それを聞き入れなかった日本と戦争になったのでしたが、現代では戦後数十年にわたって、イスラエルのパレスチナ侵略を欧米が「支援」するという歪んだ世界になっているのが、大変残念な点です。





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最終更新日  2024年02月08日 15時35分09秒


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