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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 日本全域の気象観測を開始(1875年)。9年後のこの日は朝6時に日本初の天気予報を発表=警察署・派出所に掲示=するが、全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ。これで人々が信用すると思う? ◆ イギリスでしぶとく逆らい続けているデブを抹殺しようとしたナチス・ドイツが、手違いで二枚目の映画俳優を血祭りに挙げる (1943年=英国首相チャーチル暗殺が、映画俳優R.ハワードが犠牲となる) 。 ◆ 警察捜査の攪乱・妨害を繰り返す迷探偵の排除が目的として、探偵業規制法が成立 (2007年) 。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年06月01日 】 「ひまわり運動」の再来...頼清徳・新総統が「3万人以上の大規模デモ発生」 に触れたくない理由とは? =後節= =NewsWeek_ コラム/ 新政権の台湾.... / 2024年5月29日/ ブライアン・ヒュー(ジャーナリスト)10年前の教訓はどこへ反対派は、国民党と民衆党が改革案を利用して政敵を攻撃したり、機密情報の開示を強要して国の安全保障を危険にさらすことを恐れている。台湾では昨年秋、国民党が立法院国防委員会の共同委員長に指名した馬文君(マー・ウエンチュン)が台湾製潜水艦プログラムに関する情報を中国と韓国に漏らしたとして告発された。国民党は今回の法案を提出する前にも、賛否両論のある司法院の特別捜査部門(SID)を復活させ、法執行機関ではなく立法院の直接の支配下に置こうとしていた。SID復活の試みが物議を醸したのは、この部門が国民党政権下で政敵を攻撃するのに利用されていたためだ。例えば国民党政権当時に馬英九(マー・インチウ)総統と対立していた王金平(ワン・チンピン)立法院長が盗聴された問題や、民進党出身の初の総統になった陳水扁(チェン・ショイピエン)が2期目を終えた後に汚職に問われた件には、SIDが関与していた。問題が大きくなったため、蔡英文(ツァイ・インウェン)が総統に就任するとSIDは解体された。国民党は立法院の権限拡大を狙う今回の改革法案を、行政部門に対する政府の監督能力を強化するための手段と位置付けている。だが反対派は、国民党が権威主義的な過去を思い起こさせる手法で、再び権力を掌握しようとしているとみている。市民をさらに怒らせたのは、国民党が賛否両論のある新たな法案について、またも委員会審議を行わなかったことだ。ひまわり運動のきっかけとなった貿易自由化協定の強行採決と同じやり方に、国民党は10年前の教訓を何も学んでいないという批判の声が高まっている。ひまわり運動は、台湾の社会運動史でも有数の、あるいは最も重要な出来事と考えられている。14年3月30日に台北で抗議デモに参加した人は、推定50万人に上った。 5月21日のデモ参加者には、かなりの数の若者が含まれている。彼らは10年前にはまだ若すぎて抗議デモに参加できなかったが、ひまわり運動の精神を受け継いでいると語った人たちが多かった。ひまわり運動にも参加していたという人たちは、10年たった今も当時と同じような問題ばかりが論争の的になっていると嘆いた。改革法案に反対する人々が特に怒りを向けているのが、民衆党の黄国昌(ホアン・クオチャン)院内総務だ。黄は10年前にひまわり運動を率いたリーダーの1人だった。しかし黄が民衆党および同党の柯文哲(コー・ウェンチョー)党首、さらには国民党とも手を組んで以降、多くの人が彼を「裏切り者」と見なしている。民衆党は今回、単独では立法院の過半数に届かない国民党に協力し、共同で改革法案を支持した。民衆党は自らを、台湾の2大政党の対立・分断を超越する第3の選択肢として位置付けている。だが今回の改革法案のような物議を醸す問題で国民党と連携したことにより、民衆党には「国民党を支援するが立場は下の政党」というイメージが強まりそうだ。21日夜、デモ参加者が膨れ上がるなか、立法院庁舎の周りには4つの特設ステージが組まれ、参加者がそこで自由に発言を行った。このとき多くの若者が「若い世代は一様に黄国昌と民衆党を支持している」というイメージを覆したいと訴えた。民衆党は、頼が総統に就任する前日の19日に民進党本部前で抗議デモを展開。立法院改革の一環として、改革法案への支持を呼びかけた。屋外でデモが行われていたとき、立法院の中では民進党と国民党の議員たちが改革法案をめぐる議論を続けていた。改革法案をめぐる投票は50回以上行われ、翌20日の朝までに議員同士の衝突が何度も起きた。立法院では17日にも民進党と国民党の議員の乱闘騒ぎが発生しており、民進党議員4人と国民党議員1人がけがをした。17日は深夜0時頃に立法院の審議が一時中断となり、抗議デモも同時に終了した。 5日間で爆発した憤り17日には立法院での乱闘騒ぎの後、改革案に反対する抗議デモも自然発生的に行われた。このときの参加者は、数百人にとどまった。台湾で21日のような大規模な抗議デモが行われたことは、ひまわり運動以降の10年間で数えるほどしかない。17日には数百人だったデモ参加者が21日には数万人に増えたという事実は、つい最近までほとんど議論されなかった問題が、わずか数日で何万人もの人を抗議行動に駆り立てるほど大きなものになったことを示している。デモ参加者を駆り立てた主な要因にも変化が見られる。17日のデモの参加者が主に訴えたのは、民進党と国民党の議員が改革法案をめぐって暴力を繰り広げたこと、とりわけ偽情報や市民防衛の専門家であり、若者の間で人気が高い民進党の沈伯洋(シェン・ポーヤン)議員が負傷したことへの怒りだ。しかし21日のデモで聞かれた主な訴えは、改革法案の潜在的な影響への懸念と、国民党が台湾の政治的自由を中国寄りの勢力のために再び弱体化させようとしたことへの怒りだった。17日の自然発生的なデモから21日のはるかに大規模な抗議行動までの間に、立法院での乱闘騒ぎを捉えた画像や動画がインターネット上で広まり、事態はさらに注目を集めた。頼も就任演説でこの問題に暗に触れ、与野党の融和を呼びかけた。だが頼はその後、一連の騒動に直接には言及していない。抗議行動が民進党の仕組んだものだと思われないよう、一定の距離を置こうとしているのかもしれない。それでも立法院での一連の衝突は、今後4年間の立法院での議論の流れを決める可能性がある。国民党と民衆党は過半数の議席を握る強みを生かし、頼政権を弱体化させる方向で法案を可決させようと試みるだろう。台湾の総統は拒否権を持たないため、民進党は憲法解釈によって改革法案を阻止したい考えを示唆している。一連の抗議デモが今後、10年前のひまわり運動に匹敵する規模にまで広がるかどうかは分からない。しかし21日のデモが今後の流れをある程度つくったとするならば、今後4年間は政府の各部門の間で対立が繰り広げられ、主要政党がそれぞれの主張を通すためにデモを画策する未来が待っている。From thediplomat.com ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405310000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/06/01
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 数学者のガロアが自分の数学的知見を説明してる最中に決闘して死亡(1832年)、あまりに端折った説明だったため後世の学者の苦悩の種となる。がしかし、恋愛を巡る決闘で死亡と史実は言う。 ◆ 第一次世界大戦で変態紳士の艦隊と技術大国の艦隊が双方で撃ち合いを始め、あまりの激しさに双方で何隻か沈んだため、参加した誰しもが今日の我が艦隊はなにかおかしいんじゃないかと呟いたという(1916年=ユトランド沖海戦が始まる)。 ◆ 33年の時を経て、リチャード・ニクソンのスキャンダル絡みでぴーしたディープ・スロートが名乗り出る(2005年)。 おオ---今日は、拝火教信者にとっては地獄の一日とも言うべき世界禁煙デーであった。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月31日 】 習近平はなぜ長期政権を目指すのか... 中国共産党「非公開内部資料」から読み解けること =後節= =NewsWeek_ コラム/ 2024年05月25日(土) / 大熊雄一郎 (共同通信社記者) 「私は自分が中国で綿々と続いてきた『文字獄』(言論弾圧)の最後の被害者となることを期待する」かつてこう訴えたノーベル平和賞受賞者の民主活動家、劉暁波は2017年7月に当局の拘束下で"獄中死"した。劉を追悼する写真などをSNSに投稿した中国の活動家らは拘束された。共産党は自由な発信の場となる可能性があったネット空間を裏切り者をあぶり出し、摘発する手段へと変えた。人工知能(AI)やビッグデータといった最新技術を駆使して約14億人の国民の言動を監視、コントロールし、共産党の一党支配を半永久的に持続させる構想だ。「デジタル独裁」の権力乱用に懸念が強まる。「あなたの行動はすべて把握していた」。私が2018年に新疆ウイグル自治区西部のカシュガル地区を訪問すると、公安当局が取り囲み行動を阻止した。流ちょうな英語を話すウイグル族の警察官は、監視カメラ映像や携帯電話の通信記録を基に追跡したと誇らしげに話した。中国政府はウイグル族など少数民族が多く住む同自治区で「AI統治」を全国に先駆けて導入した。2017年には、区都ウルムチ市にビッグデータを活用した治安維持を推進する「国家工程実験室」を設立。公安省、学術機関などが連携して「ビッグデータによる立体的な治安と防犯システムを構築する」(実験室主任)ための拠点だ。同自治区では至る所に監視カメラや顔認証の機器が置かれ、当局はSNSのやりとりも監視。地元の男性は「当局の悪口を書き込んだら数分以内に警察が来る」と話した。習指導部は新型コロナウイルス流行をきっかけにこうした統治を全国に広げた。政府は企業とも連携を深めている。テンセント、電子商取引(EC)最大手のアリババグループ、音声認識技術大手の科大訊飛など、党に忠実な企業を支援。企業側は膨大な量の個人情報を当局の求めに応じて提出しているとみられている。 微信や電子決済の利用者は、知らないうちに通話や購入の記録、資産運用などの情報が国に吸い取られる可能性を常に抱えている。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは、中国政府が国民の生体認証のデータベースを構築するため企業を通じて個人の音声認証データを集めているとして「歯止めなき監視」に懸念を示す。強大な監視網を構築した結果、新疆ウイグル自治区では拘束者が急増。当局による個人情報の収集、保存、利用を監視する法律やメディアは事実上存在しない。大熊雄一郎(おおくま・ゆういちろう)共同通信社記者。2009年共同通信社入社。社会部、外信部を経て11年〜15年、中国総局で反日デモや党幹部失脚、香港「雨傘運動」などを取材。17年再度中国総局に赴任し米中貿易摩擦、香港大規模デモ、武漢新型コロナ流行、中国共産党結党100年、北京冬季五輪等を取材。第20回党大会を巡るスクープなどが国際報道に貢献したとされ、「ボーン・上田記念国際記者賞」(2022年)を受賞。「ひまわり運動」の再来...頼清徳・新総統が「3万人以上の大規模デモ発生」に触れたくない理由とは? =前節==NewsWeek_ コラム/ 「ひまわり運動」の再来.... / 2024年5月29日 / ブライアン・ヒュー(ジャーナリスト)抗議デモは朝9時に始まり、終わったのは深夜、日付が変わった頃だった。5月21日、台北の立法院(国会)周辺には、主催者側発表で3万人以上が集まった。民主進歩党(民進党)の頼清徳(ライ・チントー)が台湾の新総統に就任した翌日のことだ。デモを組織したのは40を超える市民団体。その多くは2014年の「ひまわり学生運動」で主要な役割を果たしたか、この運動をきっかけとして結成された団体だ。 ちょうど10年前のひまわり運動では、対中融和路線を進めた当時の与党・国民党が中国とのサービス貿易自由化協定の採決を強行したことに学生らが抗議し、1カ月近くにわたって立法院を占拠した。「ひまわり」の名が付いたのは、生花商が連帯の意思を示すために、ひまわりを差し入れたことがきっかけだった。このとき問題がそれほどまでに拡大したのは、中国との貿易自由化協定が台湾の政治的自由に影響を及ぼす可能性だけでなく、立法院での審議の「黒箱(ブラックボックス)」的な手法のためでもあった。国民党は法案の委員会審議を全く行わないまま(つまりブラックボックスの中で)採決を強行し、一方的に可決を宣言したのだった。21日の抗議デモは多くの意味で、ひまわり運動の再来だった。大勢の台湾市民が、国民党の手法に再び強い怒りを表明した。今回、市民の怒りに火を付けたのは、国民党および同党と同盟関係にある台湾民衆党(民衆党)が提出した立法院の改革法案だ。この法案が通れば、立法院が民間人や政府当局者を召喚して尋問することが可能になる。召喚に応じない場合は、「立法院侮辱」の罪で3年以下の懲役に処せられる可能性がある。召喚されて尋問を受ける場合には、外交協定や武器取引などの国家機密、あるいは企業機密が含まれる内容であっても、回答を公開することが義務付けられる。しかも「反問」(定義が曖昧だが、おそらく質問に対する何らかの反論を意味する)をすることは許されず、これを行った場合は20万台湾ドル(約97万円)の罰金を科される。各市民団体はこの法案を、東南アジア諸国や香港の政府が19年以降に可決した国家安全維持法に類似していると指摘しており、台湾弁護士会などもこの改革法案を非難している。法案に反対する意見書には、米国在台協会(事実上の在台湾米大使館)の元理事長2人、香港立法院の元議員1人、カンボジアの野党指導者を含む外国の専門家30人が署名した。・・・・・・・・明日に続く・・・・・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405290000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/31
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 聖女ジャンヌ・ダルクが汚染されたので、焼いて消毒した(1431年)。百年戦争: ジャンヌ・ダルクがピエール・コーション司教による異端審問により火刑。 ◆ 全米の自動車バカがインディアナポリスに集結し、500マイルのチキチキマシン猛レースを挙行(1911年)。 ◆ 全国の名無しさんのパラダイス「2ちゃんねる」が開設。その影響によりネット中毒が急増(1999年)。仕掛け人は西村博之。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月30日 】 習近平はなぜ長期政権を目指すのか... 中国共産党「非公開内部資料」から読み解けること =前節= =NewsWeek_ コラム/ 2024年05月25日(土) / 大熊雄一郎 (共同通信社記者) 独裁色を強める、習近平政権。その習近平は「毛沢東の夢」に言及したことがある。その「野心」の原動力とは何であり、毛時代と大きく異なる点は何か?党・国家の中枢から翻弄される市井の人々まで、一人ひとりの声に耳を澄ませながら、幸福な全体主義国家を描いた...。中国取材の第一線で活躍する気鋭のジャーナリスト・大熊雄一郎の『独裁が生まれた日』(白水社)より一部抜粋。 長期支配の理由習近平はなぜ長期政権を目指すのか。公に説明したことはない。その動機を探るヒントが、中国共産党の非公開の内部発行資料にあった。資料によると、党は2018年1月に党中央委員や閣僚を集めた会議を開いた。習はその場で演説し、「毛沢東の夢」に言及していた。習は「共産党が何をなすべきか」と問題提起し、1956年8月の毛の言葉を引用した。「世界最強の資本主義国家、すなわち、米国に追い付く」「もしそうでなかったら、われわれ中華民族は全世界の各民族に申し訳が立たないし、人類への貢献も小さいものになる」習は偉大な社会主義国家を築けば「他国に見下される不運な状況を変え」られると力説した。この発言は、党が国家主席の任期制限撤廃の方針を決める直前のものだ。最強の資本主義国である米国に追い付いて「強国」を築くためには長期安定政権が必要だと主張し、終身国家主席を可能にする重大決定の支持取り付けを図る狙いがあったとみられる。習は本気で国際秩序の主導権を握ろうとしている。中国が14億人を抱える大国にふさわしい地位を得られていないとの不満が背景にある。 最高実力者だったトウ(登+阝)小平は経済成長に必要な国際環境を維持するため、能力を隠して国力を蓄える外交戦略「韜光養晦(とうこうようかい)」路線を取り、対米関係の安定を最重要課題に据えてきた。 一方、習は対米戦略を転換し、米国主導の秩序を突き崩す意図を隠さなくなった。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」を後押しするとして「グローバル発展イニシアチブ」を提唱。 ロシアや北朝鮮など反米国家との連携を深め、中国、ロシア、インドなど新興国でつくる「BRICS」の枠組みを軸に影響力を高め、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の取り込みを進めている。 国家主席任期撤廃は、米政権が中国の民主化に見切りを付け、台頭する中国を「挑戦者」と位置付けるきっかけにもなった。 野心的な中国に日米欧は警戒を深めるが、習は西側先進国との関係悪化は国際社会での主導権を握るまでの一時的な痛みだと判断しているフシがある。 中国共産党の性質は毛沢東時代から変わっていない。習は路線を転換したというよりも、むしろトウ(登+阝)小平時代に進んだ"脱毛沢東化"の流れを食い止め、元に戻そうとしている。 毛時代と大きく異なるのは、党の支配下にある中国がその野心を実行に移すための能力を、飛躍的に高めた点にある。 監視網 中国共産党が神のように崇めるロシア革命の指導者レーニンは、秘密警察「反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会」(通称チェーカー)を利用し、政権を脅かす「反革命」を取り締まった。 この警察機構は数々の悲劇を生むことになるが、中国共産党はこれよりも効率的に、かつダイナミックに「人民の敵」を捕捉するシステムを構築しつつある。中国でインターネット検閲制度を創設し、「検閲の父」と呼ばれる方浜興は2011年、ネット検閲と、検閲を逃れようとする人々の「戦いは永遠に続くだろう」と指摘した。習近平指導部はネット空間に照準を定め、独裁体制を揺るがしかねないと認定した言論を取り締まるため監視範囲を歯止めなく広げた。中国でネット利用者は10億人を超える。短文投稿サイト「微博」や通信アプリ「微信」など独自の交流サイト(SNS)が次々と登場し、かつては厳しい言論統制下にある中国で、一人ひとりが発言権を持つ時代が到来するとの期待も一時的に膨らんだ。中国政府は自由な言論空間を放置すれば、共産党の独裁体制を否定する「西側の価値観」が氾濫するとの危機感を抱き、当局に批判的な利用者を摘発するなど徹底的に取り締まる方向にかじを切った。2017年にプロバイダーに対しネット利用者の実名登録や公安当局への協力を義務付ける「インターネット安全法」が施行されたほか、SNSの限定された仲間内でつくる「グループ」のやりとりを監視し、警察を侮辱するなどの投稿をした場合に法的責任を問う制度が導入された。微信を運営するIT大手、騰訊(テンセント)の関係者は「公安当局の指示があれば誰のチャット記録でも提出しなければならない」と話す。指導者を皮肉る投稿などを通報するシステムも導入されているという。・・・・・・・・明日に続く・・・・・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405290000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/30
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 1000年以上も続いたローマ帝国の命脈がイスラム教徒によって絶たれてしまう(1453年=東ローマ帝国滅亡)。このため誰もが戸締りに気をつける様になったとか。 ◆ エベレストが人類に凌辱される(1953年)。この壮挙が自然破壊と揶揄する社会問題となり、翌5月30日は「ごみゼロの日」となった。 ◆ イギリスのフーリガンがベルギーに乗りこんでイタリアからの観光客に殴り込み、同時開催のサッカーの試合よりも視聴率を稼いだ(1985年=ヘイゼルの悲劇)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月29日 】〈トランプ&米共和党、「捕まえて殺す」流儀への謎の執着で自滅を繰り返す =NewsWeek_ コラム:Superpower Satire (USA) パックンの風刺画コラム/ 2024年05月25日(土) ロブ・ロジャース(風刺漫画家)/パックン(コラムニスト、タレント) Catch and kill!(捕まえて殺す!)なんて、狩人が動物に対してやることを指しそうな表現だが、そうではない。これは政治家など権力者の息のかかったタブロイド紙などがproblematic(問題となるような)事柄の情報源に取材と称して接触し、お金を払って独占契約を結んだ末にその情報を一切報じず握りつぶすことだ。タブロイド紙National Enquirer(ナショナル・エンクワイアラー)の元CEOが2016年の米大統領選前、当時盟友だったドナルド・トランプ候補の不倫などの情報をキャッチ・アンド・キルしたと、裁判で証言したことが注目されている。皮肉にもこの証言で殺したかった醜い話題が蘇生してしまったわけだ。ほかにも共和党のさまざまな行動にこのcatch and killを当てはめて、風刺画は遊んでいる。まずは、保守強硬派で知られるMTGことマージョリー・テイラー・グリーン下院議員が、同じ共和党のマイク・ジョンソン下院議長を解任させようとした案件。面白いことに、同じ共和党の多くの議員から阻止され失敗に終わり、共和党内の不協和音が浮き彫りになった。次は不法移民問題だ。民主・共和両党で周到に交渉を重ね、共和党待望の国境管理強化を盛り込んだ超党派の法案の可決寸前に、トランプが反対を表明し可決を阻止。この問題が解決したら、政敵のバイデン大統領にプラスになるから反対したようだ。つまり、国の問題を解決することが問題だと、利己的な判断をした。だからキャッチ・アンド・キルで解決を阻止することが問題解決だと......もう訳分からないね。最後は誰にも阻止されずに成し遂げた例。サウスダコタ州のクリスティ・ノーム知事が飼っていた子犬の猟犬、クリケットちゃんは、興奮して走り回り狩りを台無しにした挙げ句、地元の農家の鶏を数羽殺してしまった。だからノームはクリケットを捕らえて射殺。文字どおりにキャッチ・アンド・キルした。はい、狩人が動物に対してやることを指す表現でもあるのだ。たまにね。もうあり得ないが、この話が出てくるまで彼女はトランプの副大統領候補として有力視されていた。しかし本来封じ込めたいはずのこの情報を、本人は新発売の自伝で自ら暴露してしまった。捕まえて殺すのではなく、解き放って自殺した感じだね。風刺画ポイント : THE REPUBLICAN SOLUTION...(共和党式の解決法...) / PROBLEMATIC SEX SCANDAL? (問題のあるセックス・スキャンダル?) / TRUMP IS AWESOME! (トランプは素晴らしい!) / PROBLEMATIC SPEAKER?(問題のある議長?) / PROBLEMATIC WIN FOR BIDEN? (共和党にとって問題となるバイデンの勝利?) / BIPARTISAN BORDER BILL (党派の国境法案) / PROBLEMATIC PUPPY? (問題のある子犬?) ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405280000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/29
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ パリを占拠していたアカどもを約3万人ぶっ殺してフランス政府が鎮圧に成功(1871年=パリ・コミューンが瓦解)。 ◆ 田中角栄の剛腕によって山一證券に日本銀行が金を融通することが決定(1965年=無制限・無期限の日銀特融)、それにも関わらずその32年後に同社は涙ながらに自主廃業に追い込まれた。&so、その角栄の剛腕を記念して、この日は角栄が愛したゴルフの日。 ◆ あまりにあれな王様に国民が愛想尽かしして、240年も続いたネパールの王制=ゴルカ朝=がこの日を以てお仕舞いに(2008年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月28日 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405270000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/28
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 大日本帝国海軍がロシア帝国海軍と日本海で砲戦を開始。結果、何千㎞も航海して草臥れていた当時最強だったロシア帝国海軍をフルボッコすることに成功(1905年)。◆ サンフランシスコの入口にデカい吊り橋が架かり、太平洋をはるばる横断してきた人たちを感動させ始める(1937年)。◆ ドラクエ(1986年)・ときメモ(1994年)など神ゲーにとっての特異日。&so、小泉純一郎内閣総理大臣が、痛みの伴う聖域なき優勝を遂げた貴乃花に感動した(2001年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月27日 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405260000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/27
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 日蓮が、房総半島の山の上で初のストリート説法を行いデビューする(1253年=立教開宗)。◆ 迫りくるナチスドイツに対し、イギリス・フランス・ベルギーがタッグを組んで戦いを挑む(1940年=ダンケルクの戦い)が、結局1万人の人命と3万人の捕虜を差し出してヨーロッパから逃げ出した。&so、ニクソンショックのあおりで、米ソ競演花火大会も縮小の方向へ(1972年=「弾道弾迎撃ミサイル制限条約」に調印)。 ◆ とある炭坑夫の絵日記や落書きが、日本で初めてユネスコ公認の歴史資料となる(2011年=山本作兵衛作の「筑豊炭鉱画」)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月26日 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405250000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/26
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 三等客用の駅弁には満足できない明治の貴族たちのために、一等車専用食堂車がオープン(1899年)。山陽鉄道(現・山陽本線)での出来事。・・・・どうでもいい話ですが ◆ 陸軍記念日に続いて米軍が空から山の手を襲ってきたので、ドサクサ紛れに捕虜の米兵を火あぶりにする(1945年)。 ◆ 殆ど使う機会が無いものの本棚にあるだけでインテリゲンチャな気分に浸れる置物が、岩波書店から発売される(1955年=『広辞苑』初版)。 &so、とある歌謡曲のプロモーションとして、有楽町に大阪の百貨店が店を出す(1957年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月25日 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405240000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/25
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ アメリカ大陸に入植していたオランダ人が、インディアンから60ギルダー分の品物と等価交換で不動産を入手(1626年)。300年以上経つと、其処はマンハッタンと称される世界的な摩天楼と化していた。 ◆ 片山哲が、エクストリーム・組閣作業において1人で全ての閣僚を兼任する荒業を繰り出すも、1週間でギブアップ(1947年) 。 ◆ 世界最速の超音速旅客機「コンコルド」が大西洋横断の定期運行を開始(1976年)。しかし肝心の太平洋は越えられず、運航計画は停止され退役した。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月24日 】〈【1位はやっぱりあの国?】プーチンの賀詞メッセージ単語数から分かる、ロシアの仲良し度ランキング =後節= =Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年5月20日】 / 佐々木正明( ジャーナリスト、大和大学社会学部教授) 貿易を意識した関係強化 2つ目のデータは、侵攻後、プーチン大統領がどの国のリーダーと首脳会談を重ねているかの状況だ。 昨年2月に発表した記事「プーチンはどの国の首脳と会談しているか調査してみた」で、 侵攻後1年で、プーチン氏は、主要7カ国(G7)とは距離を置く、アフリカやアジアなどの「グローバルサウス」の国々に狙いを定め、積極外交をしている構図が浮かびあがってきたことを指摘した。 2年目もその構図は変わらない。 23年は63回の直接会談と84回の電話会談、13回の国際会議・サミットを通じて、各国リーダーと交渉を重ねたが、上位はCIS諸国やBRICS諸国、トルコ、イランが入った。 22年の状況と違うのは、プーチン氏はアジア・アフリカ・中近東諸国のリーダーと積極的に会って、貿易面などの関係強化を話しあっていることだ。 7月27日にサンクトペテルブルクで開催されたロシア・アフリカサミットの期間中には、南アフリカ、コンゴ、エジプト、エチオピアなど17諸国と直接会談を行った。 さらに10月13日にはCIS首脳会議が開催されたビシュケク(キルギス)へ、10月17日には一帯一路フォーラムが行われた北京へと外遊も果たした。北京では、タイ、ラオス、モンゴルなどのアジアのリーダーとも直接会談を行っている。 プーチン氏は中国やインドを交渉相手にする際、格下の外相や国防相とも直接面会を果たし、役職として相手と釣り合わない会談を実施するパフォーマンスを示している。 大量のエネルギーを購入してくれる中国とインドだけは特別視していることが、この点からもうかがえる。 プーチンと仲良くしたい国は? 3点目のデータは、10月7日のプーチン氏の誕生日にどの国が祝福のメッセージを送ってくるのかの比較だ。 クレムリンは毎年、この日に寄せられた各国リーダーからの祝電や電話会談などを行ったリストを公開している。プーチン氏の1年の最も大きな記念日に、個人的なメッセージを送る間柄は、特別な関係といって良いだろう。ロシア側も祝意を伝えた人物や国家には、最大限の便宜やもてなしを図っていることが想定され、貿易取り引きや政治的結びつきも深いことがうかがえる。プーチン氏誕生日の2023年10月7日のクレムリン公式声明。祝賀メッセージを送った各国首脳のリストが掲載されている プーチン氏と「相思相愛」ともいえる状況に、ウクライナ侵攻後、誕生日祝福メッセージを寄せているのはどの人物なのか? プーチン氏が70歳となった22年10月7日に、モスクワへ祝意を伝えたのは以下の国のリーダーやVIPたちだ。【CIS】カザフスタン前大統領のヌルスルタン・ナザルバエフ氏▼キルギスのサディル・ジャパロフ大統領【中南米】キューバのミゲル・ディアスカネル・ベルムデス大統領【アフリカ】南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領【中東】トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン大統領 さらにこの日にはロシア第2の都市、サンクトペテルブルクでCIS非公式首脳会合が開かれており、アゼルバイジャン、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンの計7カ国のリーダーたちが、プーチン氏に直接、祝意を伝えている。 さらに、翌23年10月7日にモスクワへメッセージを寄せたのは以下のリーダーやVIPたち。【CIS】アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領▼アルメニアのニコル・パシニャン首相▼ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領▼カザフスタン前大統領のヌルスルタン・ナザルバエフ氏▼キルギスのサディル・ジャパロフ大統領▼タジキスタンのエマモリ・ラフモン大統領▼トルクメニスタンのセルダル・ベルドイムハメドフ大統領【中南米】キューバのミゲル・ディアスカネル・ベルムデス大統領 この日、モスクワ近郊ではロシア、カザフスタン、ウズベキスタンの「3カ国ガス同盟」の供給開始を祝う式典が開かれており、出席したカザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領とウズベキスタンのシャフカト・ミルジョエフ大統領がプーチン氏に対して「個人的に祝意を表した」とクレムリンの公式サイトは伝えている。 プーチン氏誕生日メッセ―ジだけの軸を見れば、カザフスタンのトカエフ大統領は2年連続で10月7日にモスクワを訪れているし、プーチン氏と関係が深いナザルバエフ前大統領もこの日に電話をしている。カザフスタンは表向き、CIS諸国の中でも最もプーチン氏への親密度を示している、と言える。 またCIS諸国以外では、キューバがウクライナ侵攻前の21年には祝意を伝えなかったのに対し、22年、23年と2年連続で祝意を伝えており、キューバ側にもロシア接近を促す背景があるのではないかとうかがえる。・・・・・・・・おわり ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405230000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/24
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 好き勝手放題やっていたボニーとクライドが警察によって包囲された挙句、エクストリーム・死刑に(1934年)。英雄は不滅、銀幕に蘇る。 ◆ キスの日。日本の銀幕に初めてキスシーンが登場した(1946年=『はたちの青春』)ことから。おまけにこいぶみの日でもある。 ◆ 日本の高感度の地震計でわずかに観測される程度の地震に気がつかないまま遥か太平洋の向こうから巨大な波がやって来て、142名の死者を出す(1960年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月23日 】【1位はやっぱりあの国?】プーチンの賀詞メッセージ単語数から分かる、ロシアの仲良し度ランキング =中節==Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年5月20日】 / 佐々木正明( ジャーナリスト、大和大学社会学部教授) 一つ目のデータは、プーチン大統領が毎年12月30日に関係国へ送っている賀詞メッセージの単語数比較だ。当然、ロシアと親しい国々や関係重要国に向けたメッセージの単語数は多くなり、ただの新年あいさつだけでなく、首脳外交の成果や今後の期待を盛り込むなど内容も充実させている。 年末の公式声明に賀詞を送る全ての国へのメッセージが掲載される形式で、内容を一つひとつの国ごとにわけている。侵攻開始前までは毎年、40カ国以上に送っていた。 ドイツのように宛先を「大統領」と「首相」の2人にしている国もあるほか、国ごとのメッセージと分けた個人宛欄には、プーチン氏と良好な関係を構築した安倍晋三元首相、ゲアハルト・シュレーダー元独首相、シルヴィオ・ベルルスコーニ元伊首相ら各国VIPの名前も挙げている。 メッセージの単語数の比較から、侵攻開始前とその後でどう変化したのかを示したい。 侵攻前の20年12月30日と21年12月30日の賀詞メッセージ単語数の上位国には、現在は対露制裁国に加わっている欧州の国も含まれている。 20年のベスト5を挙げると、1位中国(145語)、2位カザフスタン(106語)、3位イタリア(104語)、4位インド(102語)、5位トルコ(101語)。 21年のベスト5は、1位中国(150語)、2位ベトナム(119語)、3位イタリア(114語)、4位インド(110語)、5位カザフスタン(109語)。 それぞれ、微差に止まる単語数の増減やランクの上がり下がりがあるものの、上位の顔ぶれは変わっていない。ランキング下位国は欧米諸国が占めており、この状況にも変化はない。 アジア方面に目を移すと、この2年、文在寅大統領(当時)宛だった韓国はいずれも13位(20年82語、21年86語)。日本は韓国より下に位置し、菅義偉首相(当時)宛の20年が61語で28位。21年には宛先が岸田文雄首相となり、16位にランクアップして、語数も85語に増えた。 岸田首相は就任直後の21年10月7日のプーチン氏の誕生日に電話を入れて挨拶をしたことがプーチン政権内で評価されたとみられ、日本との今後の関係発展への期待を賀詞に含ませたことがうかがえる。 興味深いのは、20年と21年の送付宛先数が42と変わらないことだ。ローマ法王や国連事務総長などのVIPが含まれるため、単純に国数の増減を比較することができないが、21年に増えた国はモンゴルのみ。米国については、20年に大統領任期終了が近かったドナルド・トランプ氏と次期大統領のジョー・バイデンの2人に賀詞を送っている。侵攻後に変わった上位の顔ぶれ ところが、大規模侵攻開始後10カ月が経った22年12月30日の賀詞メッセージでは、状況が一変した。 ランキング上位は1位中国(126語)、2位インド(105語)、3位キューバ(104語)、4位トルコ(102語)、5位カザフスタン(101語)。これらの国々は、欧米主導の対露制裁網に加わらず、エネルギー分野や食糧分野での取引を継続し、「プーチンの戦争」を間接的に支えた。キューバはソ連時代から続く伝統的な友好国でもある。 送付相手は22と侵攻前の21年に比べ約半数に半減した。 上位はCIS諸国で占められ、欧州では9位セルビア(85語)、22位ハンガリー(39語)の2カ国のみ。ブチッチ大統領(セルビア)やオルバン首相(ハンガリー)はいずれもプーチン氏と築いた個人的な関係をにじませ、欧州連合(EU)の対ウクライナ支援で足並みがそろわぬ原因となっている。 一方、22年には南米の2カ国、ニカラグアとボリビアが新たに送付先に加わった。両国はともに反米路線を歩み、ロシアとも武器取引や自国の共同資源開発を行い、関係が深い。22年に行われた国連の対露非難決議でも、賛成国側にまわらず、投票を棄権している。 23年の賀詞メッセージにもプーチン政権の「秋波」度合いの微妙な変化が読み取れる。1位中国は変わりないが、単語数は153と前年比で大幅に増加した。メッセージには、習近平氏との2度の首脳会談で関係強化を促進したことが盛り込まれ、両国の貿易売り上げ高が2000億ドルを超えたことが強調された。 やはり、CIS諸国が上位を占めるが、4位ウズベキスタンは単語数95で順位も前年11位(70語)から大幅にアップした。17位のハンガリーは単語数で16語アップ。同国のオルバン首相は10月中旬に北京で行われた一帯一路フォーラムに駆けつけ、プーチン氏とも直接会談を行った。ウクライナへの支援疲れが浮かびあがる中でのEU諸国の一角との首脳会談は、ロシアで大々的に報じられた。 10位のブラジルは、反米色の強い左派のルラ氏が大統領に返り咲き、前年よりも大幅にランクアップした。ルラ氏はかつて、BRICS首脳会合などでもプーチン氏と連携強化を図ってきた人物。右派ボルソナロ政権だった前年には40語しかなかったが、31語増加の71語となり、24年に主要20カ国・地域(G20)の議長国を務めるブラジルへの調整力に期待をにじませた。 一方、アルメニアは22年の77語から23年は41語と大幅に順位を下げた。同国のパシニャン首相は、係争地ナゴルノカラバフ問題をめぐる、隣国アゼルバイジャンとの戦闘敗北について、ロシアが同盟国としての義務を果たさなかったと非難しており、ロシア・アルメニア関係が悪化していることが反映された。・・・・・・・・明日に続く・・・・・○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405220000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/23
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ ある高校生が華厳の滝からダイブ、現場近くに書かれていた文章から中二病だったと判明 (1903年)。後を追うものが続出す。 ◆ 「我が国は紅茶のオマケではない!」と、セイロンがスリランカに改称(1972年)。&so、東京23区で発生するゴミの最終的処理をめぐって、江東区と杉並区が内ゲバ (1973年) 。 ◆ 部族やら首長や王様やらが群雄割拠していたアラビア半島の南部一帯がようやく一つに (1990年=イエメン共和国が成立)。しかし、その後も紛争が収まらず・・・・・・・【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月22日 】【ロシアの“旧態依然戦車”が戦場へ】質よりも量を優先、 戦車供給から見るプーチン・ロシアの今 =終節==Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年4月19日】 / 服部倫卓( 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授 新型戦車アルマータに見る内情 ロシアという国の特徴として、国家主導で高度な製品を開発・設計することはできても、それを安定した品質と許容可能なコストで量産することが苦手という傾向がある。 戦車もその例に漏れない。最新鋭戦車T-14アルマータが、15年の戦勝記念日軍事パレードでお披露目され、20年までに2300両を生産するという構想が示された。しかし、その生産は軌道に乗っていない。ちなみに、15年の軍事パレードのリハーサルでアルマータがエンジントラブルで停止してしまい、他の戦車に牽引され撤収する羽目になって、関係者が顔を青くしたのは、有名な話だ。 ウラル工場では、アルマータを組み立てる最新の作業場を建設するはずだったものの、まったく進捗していない。購入した設備や高価な輸入機械は、何年も木箱の中で死蔵されている。 アルマータがより重く大型のモデルにもかかわらず、それに対応した設備はない。結局、アルマータはウラル工場の既存の建屋で、T-90やT-72と同じラインで、ごく少量が試験的に組み立てられただけのようである。現時点で、アルマータはウクライナ戦線には一切投入されていない。 ウクライナの「ディフェンス・エクスプレス」というメディアによると、23年には29両のアルマータが生産されるはずであったが、結果はゼロであったという。24年には同じく29両の生産を計画しているが、ウラル工場がT-90MやT-72B3Mの量産を求められている中で、実現するかは不透明だ。 ロシアでは、「ロステク」という国営コングロマリットが、ウラル工場を含む軍需工場を束ねている。そのロステクのチェメゾフ総裁は先日、「言うまでもなくアルマータは、既存の戦車よりもはるかに性能が高い。だが、価格が高すぎるので、ロシア軍が使うことはあるまい。お馴染みのT-90を買う方が簡単である」と、何やらサジを投げたような発言をした。 かくして、ロシア軍需産業の粋を集めた最新鋭戦車アルマータは、実戦用ではなく、軍事パレード用の出し物に留まっているわけである。幸い(というか何と言うか)、16年以降の軍事パレードではエンジントラブルは起きていないようである。 ・・・・・・・・おわり 【1位はやっぱりあの国?】プーチンの賀詞メッセージ単語数から分かる、 ロシアの仲良し度ランキング =前節= =Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年5月20日】 / 佐々木正明( ジャーナリスト、大和大学社会学部教授) ロシア軍によるウクライナへの大規模侵攻からまもなく2年。戦争終結への道筋が見えない中、プーチン政権は各国との外交関係を劇的に変化させている。戦争継続のためには、友好国との貿易促進や武器供給を受けることが不可欠。今後も外貨や物資が必要で、ロシアがどの国と関係強化を図っているのか? クレムリンの首脳外交の記録を基に各国との友好度を数字データで検証してみた。3つの指標の比較から、ロシアは伝統的な友好国や、独裁者がいる国々との関係を強化し、難局を乗り切ろうとしている姿が浮かび上がった。欧米主導の制裁網に対抗するため、新興5カ国(BRICS)ではブラジル、欧州ではハンガリー、旧ソ連諸国で構成する独立国家共同体(CIS)諸国ではウズベキスタンへの秋波を送り、切り崩しを図っている。 賀詞メッセージの単語数で分かる親密さ ロシア大統領府(クレムリン)は公式サイトで、プーチン大統領の日々の動静や公式声明の内容などを詳細に発表している。ロシア軍による人道犯罪が国際社会で非難を浴びる中で、プーチン氏がその包囲網を潜り抜け、どの国と活発な外交を繰り広げているかを調べた。 ロシアが付き合う相手国やプーチン氏の交渉相手は大規模侵攻開始の2022年2月24日を境に大きく様変わりしている。アフリカ、アジア方面のグローバルサウス諸国への接近や、イラン、北朝鮮、ベラルーシなどの反欧米連合との関係強化の実態はその都度、報道ニュースで伝えられているが、今回示すデータは、その変化を裏打ちするものと言ってよい。 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405210000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/22
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 雲仙普賢岳がトンデモないくらいの△▲△を放出、ひり出た勢いで対岸にまで被害が及ぶ(1792年)。 ◆ 岡山県の山奥で八つ墓村の呪いからか、△▲△ △▲△(1938年)。 ◆ 岡山県の山奥で八つ墓村の呪いからか、ある自宅警備員が30人ばかり血祭りに挙げて自殺(1938年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月21日 】【ロシアの“旧態依然戦車”が戦場へ】質よりも量を優先、 戦車供給から見るプーチン・ロシアの今 =中節= =Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年4月19日】 / 服部倫卓( 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授 新車か旧車か、それが問題だ 22年2月24日にプーチン体制のロシアがウクライナへの全面軍事侵攻を開始して以降、ロシアの軍需産業の稼働状況につき、さまざまな憶測が語られてきた。当初は、国際的な制裁で、半導体をはじめとする重要部品を入手できず、開店休業状態に陥っているといった見方が優勢だった。 しかし、ここ半年ほどは、ロシアの政権幹部が軍需の増産に関し手応えを口にする場面が増えてきた。たとえば、昨年12月にロシア国防省で恒例の拡大幹部評議会が開催された際に、ショイグ国防相が軍需産業の成果を列挙している。 国防相によれば、22年2月の開戦後に各品目の生産は、戦車:5.6倍、歩兵戦闘車:3.6倍、装甲兵員輸送車:3.5倍、ドローン:16.8倍、弾薬:17.5倍に拡大したという。また、23年に軍に納入された兵器の数は、航空機・ヘリコプター:237機、ミサイルシステム:86基、近代的な多目的潜水艦:4隻、軍用艦:8隻、戦車:1530両、歩兵戦闘車・装甲兵員輸送車:2518両に上ったとのことであった。ただし、ここで注意すべきは、ショイグ国防相が戦車に関しては、「新規の、そして更新された戦車が1530両」という微妙な言い回しをしていることである。 情報筋によると、ウラル工場は22年2月の侵攻開始直後に、国防省から400両の戦車の発注を受け、可及的速やかに納入するよう求められたとされる。しかし、同社の新規生産能力はせいぜい年間200~250両止まりである。こうした事情から、ロシアは大量にストックされている旧式戦車を修復・更新して、戦場に送り出すという作業を強化することになった。 ウラル工場は、新規生産と並行して、旧戦車のリストア(修復)も手掛けている。それ以外に再生作業に従事している代表的な工場としては、前出のオムスクトランスマッシュ、サンクトペテルブルグ近郊に所在する第61装甲戦闘車修理工場、極東のザバイカル地方にある第103装甲戦闘車修理工場が挙げられる。 これらの工場は、それぞれ年間200両ほどの旧戦車のリストアをこなすことができるようだ。また、22年9月には、ロストフ州カメンスクシャフチンスキーとモスクワ州ラーメンスコエに新たに装甲戦闘車修理工場を建設する計画も明らかになった。 ちなみに、オムスクトランスマッシュは、10年にウラル工場の傘下に入っている。また、第61、103をはじめとする7つの装甲戦闘車修理工場も、プーチン大統領の決定により13年にウラル工場系列に入ったということである。 これは後述の最新鋭戦車アルマータT-14がロシアとしては画期的な長いライフサイクルの利用を想定していたことから、そのサービス体制を充実させるための措置だったと言われている。もっとも、ウクライナ侵攻が始まると、実際には装甲戦闘車修理工場は、新型戦車アルマータの整備という当初の想定とは異なり、廃戦車の復元を生業とすることになったという逆説がある。ゾンビ戦車の供給源 そして、ロシアには何箇所か、退役した戦車が解体されるのを待つ戦車の墓場のような場所があり、旧戦車の供給源となる。中でも最大と言われる極東のブリヤート共和国ウランウデ郊外のヴァグジャノヴォ保管場には元々、3840両の旧戦車が保管されていた。それが、衛星画像の解析によると、23年5月には2270両にまで減少しており、この時点までに1570両ほどが再利用のために運び出されたとみられている。 ちなみに、ウクライナ侵攻以前は、ロシアは保管場に置かれていた旧式戦車を定期的に解体処理していた。14年から22年までに、35件の解体処理契約が締結された。 ところが、契約数は17年に減少し始める。国防省の担当者は当時、計画されていた1万両ではなく、4000両のみが解体されることを明らかにし、残りの戦車は「国際情勢の変化次第で」役に立つかもしれないと含みを持たせた。そして22年、国防省は戦車解体の契約締結を全面的に停止した。 上述のとおり、ショイグ国防相は誇らしげに、23年に1530両の戦車が納入されたと語った。しかし、そのうち新車であるT-90M「プロルィフ」、T-72B3Mは、どんなに頑張っても300両くらいであろう。残りは、廃戦車が保管場から運び出され、甦って、現役復帰したものと考えられる。 廃戦車を再生するにしても、新たに据え付けるコンポーネントの調達は必須であり、国際的な制裁網に直面するロシアにとっては試練となる。『日本経済新聞』の調査報道により、19年にロシアがミャンマーに輸出した戦車用の照準望遠鏡6775台とカメラ200台を、ウラル工場が22年12月に2400万ドルで買い戻したことが明らかになった。こうした事例を含め、おそらくロシアはあの手この手で、コンポーネントや部品をかき集めているのであろう。 現場からの証言によると、戦場に引っ張り出されてきたアンティーク戦車には不具合が目立ち、役に立たないことも多いという。しかし、今のロシアは質よりも量を重視している。また、旧式の個体は主力戦車というよりも、歩兵戦闘車的に使われることが多いようだ。 廃戦車が大量にストックされているロシアとはいえ、年式の比較的新しいもの、状態の良いものには限りがある。1970年代のT-72はまだいいが、ロシア軍は22年末には60年代のT-62をウクライナ戦線に投入し始め、さらに23年夏以降は50年代のT-55すらも戦場に引っ張り出しているという。 ロシア軍はウクライナでの戦闘で、23年末までに2500両以上の戦車を失ったと言われ、その後も損失は続いている。旧態依然戦車の投入作戦により、「量」の面ではある程度補充できても、「質」の面では劣化が進んで行く公算が大きい。 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405200000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/21
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ ヴァスコ・ダ・ガマ、海には涯がないとインド西岸のカリカット(コーリコード)に到達(1498年)。知るや知らずや大航海時代の幕を開けた。 ◆ デトロイト生まれの青二才が飛行機でアメリカ合衆国から大西洋の遥か彼方へ飛んで行って、翌日にはパリに到着し一躍ヒーローに(1927年)。5年後には飛行機バカの三十路女が同様の快挙を成し遂げヒロインとなった。 ◆ 岸信介が、アメリカ合衆国からの独立を図ろうと従属色の強い日米安全保障条約の改定を強行採決。しかし愚民たちはハンタイを叫ぶだけだった(1960年)。ゴッドファーザー岸が一門だけでなく日本を仕切っていく。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月19日 】【牙を剥くロシアへの二次制裁】「プーチンの戦争」支えた対中貿易に異変、禁輸分野からふさがれる“抜け穴” =後節= Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年5月8日】 / 佐藤俊介( 経済ジャーナリスト) 2000年代の原油価格の世界的な高騰を受けてロシア経済を潤したが、安易に外貨が稼げる構造は、ロシアの製造業の発展を阻害した。 結果として、ロシア経済は完成品を輸入に頼る構造となっており、輸入の停滞は物価上昇を引き起こしやすく、政権の中心的な支持層である年金受給者らをはじめロシア国民の生活に打撃を与える。 インフレが引き起こす市民生活への打撃は、ソ連崩壊後のハイパーインフレの記憶を持つ人々に強い心理的影響があり、過去にも繰り返し政権への脅威となっていた。プーチン政権が最も注意せねばならない経済指標とされる。米政府は攻勢を強める 金融分野だけではない。米政府は5月1日には、ロシア軍がウクライナ侵攻で化学兵器を使用したと正式に表明し、ロシア政府の3機関と企業4社を制裁対象に加えた。ロシアが化学兵器禁止条約に違反して、化学兵器のクロロピクリンを使用したと断定したという。 実際にロシアが化学兵器を使用したかをめぐっては、ロシア側が認める可能性は極めて低く、確定的な結論を得ることは困難だ。しかし、米政府が正式承認したことは、米国以外の国々も、同問題をめぐり米国と歩調を合わせることを意味する。ロシアの軍事産業に対し、制裁を通じた国際的な締め付けが、さらに強化されるのは必至だ。 米議会は4月、ウクライナに対する約610億ドル(約9兆円)の支援を含む追加予算案を、超党派の賛成多数で可決した。約半年にわたり停滞していたウクライナに対する軍事支援が再び本格化することになる。 欧米諸国の対ウクライナ軍事支援はこれまで、中国などによる貿易を通じた事実上の対ロシア支援により、十分な戦果につながらなかった。新たな支援にもかかわらず、戦況を好転できないような事態になれば、11月の大統領選で再選を目指すバイデン政権にとり、取り返しのつかない打撃になる。そのような事態を避けるためにも、制裁の抜け穴を徹底的に塞ごうとする米政府の意図が浮かび上がる。・・・・・・・おわり 【ロシアの“ゾンビ戦車”が戦場へ】質よりも量を優先、 戦車供給から見るプーチン・ロシアの今 =前節==Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年4月19日】 / 服部倫卓( 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授) 「ガールズ&パンツァー」、通称「ガルパン」という日本のアニメ作品がある。ウィキペデイアの説明を引用させていただくと、「戦車同士の模擬戦が伝統的な女性向けの武道として競技化され、戦車道と呼ばれて華道や茶道と並ぶ大和撫子の嗜みとして認知されている世界を舞台に、戦車戦の全国大会で優勝を目指す女子高生たちの奮闘を描くオリジナルアニメ。兵器である戦車を女子高生たちが運用するという、男性のアニメファンにアピールするようなミリタリーと萌え要素を併せ持ちつつも、死者の出ない戦闘とスポーツものの約束事を踏襲した物語が描かれ、戦争と死といった背景から切り離された戦車戦を描いている」。 個人的には、この作品をごく断片的にしか観たことがないのだが、戦車同士が実戦さながらに砲撃を交わしながら、不思議と死傷者は出ない設定になっているようである。 思えば、我が国においては、戦乱の時代が去り、太平の世となった江戸時代以降に、戦闘の技術や精神を純化・様式化させる形で、武道が確立されていった。それと同じように、ガルパンも戦争のない平和な世界を前提として、殺傷を伴わない武道としての戦車競技を描いているのだろうと、推察する。 逆に言えば、今日のように、戦車による破壊と殺戮が毎日のようにニュースで流れる時代状況だったら、ガルパンのような作品は生まれていたかどうか。いや、実際には戦争はいろんな形でずっと続いてきたわけだが、少なくとも、戦車同士が正面からぶつかり合って命をやり取りするような古典的な戦争は過去のものというイメージが、しばらく前まではあったように思う。だからこそ、ガルパンの世界観は成立していたのではないか。 ロシア・ウクライナ戦争には、二面性があると思う。確かに、ドローン戦など、「新しい戦争」の要素も重要になっている。その一方で、「古い戦争」、すなわち戦場で野戦軍同士がぶつかり合うという古典的な戦争の様相も、非常に色濃い。 ウクライナをルーツに持つロシアの戦車工場 かつて社会主義の超大国ソ連で、3大戦車工場と呼ばれたのが、ロシア・ウラル地方のスヴェルドロフスク州ニジニタギル市に所在するウラル鉄道車両工場(以下では単に「ウラル工場」と略記)、ロシア・シベリアに位置するオムスクトランスマッシュ工場、そしてウクライナのハルキウにあるマルィシェフ記念工場だった。このうち、今日でも戦車の新規生産を続けているのは、ウラル工場だけである。 ウラル工場は、鉄道車両工場と銘打っているだけあって、1930年代に元々は純然たる鉄道貨車の生産企業として発足した。しかし、第二次世界大戦中の1941年にナチス・ドイツがソ連への侵攻を開始すると、ソ連政府はヨーロッパ地域から多くの企業を内陸奥深くに疎開させ、その一環としてウクライナのハルキウにあった前出のマルィシェフ記念工場が当地に疎開してきて、それによりウラル工場での戦車生産が始まったのだった。 ハルキウから機械設備が運び込まれただけでなく、技術者・労働者も家族とともに移住し、戦後も多くがこの地に留まったという。そうした来歴を持つ工場が、現在はロシア唯一の戦車工場として、ウクライナ侵略に加担しているのだから、歴史の皮肉としか言いようがない。 ウラル工場は、以前からプーチン政権との繋がりが深い企業だった。同工場で技師としてたたき上げたホルマンスキフ氏が、2012年大統領選で下からのプーチン支持運動を組織すると、プーチン大統領は再選後の12年5月に、同氏をウラル連邦管区大統領全権代表として大抜擢した。 そして、22年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始すると、政権幹部がしばしばウラル工場に出向き、戦車の大増産を求めて檄を飛ばした。今年2月には、大統領選に向けた行脚の一環として、プーチン大統領も直々にウラル工場を視察している。 ちなみに、16年の時点では、ウラル工場の生産に占める民需・軍需の割合は、2対8であるとされていた。同社としては、民需生産を拡大し、30年までに民需・軍需を半々にしたいという意向であった。しかし、ウクライナ侵攻で戦車増産の大号令が国からかかり、現状ではますます圧倒的に軍需に傾斜していることだろう。・・・・・・・・明日に続く・・・・・○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405190000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/20
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 地球にお星さまが衝突(861年)。この時は神様の授かりものとして歓迎されるが、1000年以上も後にハレー彗星が毒ガスを放出しながら異常接近した際には全世界が恐慌状態に陥った。デマでパニックに1910年)。 ◆ 某国天皇、不敬なる臣民を「朕ハ タラフク食ッテイルゾ ナンジ人民 飢エテ死ネ」と強く戒める(1946年=食糧メーデー)。 ◆ 数々のスパイ映画や推理小説の舞台となった豪華国際列車が、1977年のこの日を限りに店仕舞い。即ち、オリエント急行の最終便がパリを出発。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月19日 】【牙を剥くロシアへの二次制裁】「プーチンの戦争」支えた対中貿易に異変、禁輸分野からふさがれる“抜け穴” =前節= Wedge_Report 【プーチンのロシア 2024年5月8日】 / 佐藤俊介( 経済ジャーナリスト) ウクライナ侵攻を続けるロシアを経済面から支えてきた中国との貿易関係に異変が起きている。米国のバイデン政権が昨年末、対ロシア貿易にかかわる中国の銀行に対する制裁圧力を高めたことをうけ、彼らがロシアとの取引から次々と手を引き始めているためだ。同様の動きは、経済面ではロシア寄りだった中国以外の第三国にも広がっている。 バイデン政権は金融分野以外でも、5月にはロシアによる化学兵器使用を認定するなど、対露制裁圧力を高めている。米議会でようやく巨額の対ウクライナ支援が可決され、停滞していた軍事支援の再開にめどが立つなか、11月の米大統領選に向けて、戦況でも確実に成果を出そうとしている米政権の狙いもうかがえる。「中国との取引が止まった」 「昨年12月、浙江省の銀行が、制裁対象である〝一部の物資〟の支払いを止めたと通告してきた。しかし数週間後には、通貨や商品の種類にかかわらず、ロシアの(企業による)すべての取引を止めたと通告してきたんだ」 中国から機械製品を買い付けていたというロシア中部イジェフスクの同国企業関係者は、中国からの商品購入が突然困難になった状況を、ロシアメディアに打ち明けた。商品の支払いなどの取引を仲介していたのは、中国・浙江省の銀行だ。 このロシア企業関係者によれば、ロシアとの取引を止めたのは、同銀だけではないという。「中国のほかの大手銀行も、私たちの会社の外貨建て口座を凍結した」。浙江省は、中国企業の対ロシア輸出の拠点とみなされていた地域で、打撃の深刻さがうかがえた。 2022年2月に始まったウクライナ侵攻以降、欧米や日本などはロシアの戦争継続能力を削ぐために、経済、金融分野で大規模な対ロシア制裁を科した。しかし、それらは当初狙った成果を上げることなく、ロシア経済は地盤沈下を避け、さらに成長軌道にすら乗りつつある。中国やインド、トルコ、アラブ首長国連邦(UAE)などが、ロシアの主力輸出品である原油を大量に買い付けたためだ。 特に中国は、原油の大量購入のみならず、ロシアに対し半導体や電子回路、工作機械など、軍事転用が可能な民生用製品の輸出を継続したとされる。結果、ロシアは防衛産業の立て直しに成功し、ロシア軍の戦争継続能力は維持された。中国とロシアの貿易額は、ウクライナ侵攻がはじまった22年に、輸出入ともに実に、前年比で二桁増の伸びとなっていた。制裁を強化 そのような状況に変化が起きたのは昨年12月のことだ。米バイデン政権は新たに、ロシアによる制裁回避に関与した第三国の銀行に対して、二次制裁を科す方針を表明。ロシアの軍事産業を支える個人や企業との取引を行ったなどと判断される金融機関を対象とした。 米国内などで事業を営む第三国の金融機関には命取りとなる制裁で、これが対ロシアビジネスを事実上支えてきた中国の銀行の動きを封じ込めた。ロシア企業は、中国からの製品購入で支払いを行うことができなくなった。 ロシア側の報道によれば、米国の制裁導入後、中国の銀行は相次ぎロシアビジネスの見直しを開始した。取引に関与している人物や企業がロシアと関係を持っているかどうかが詳細に調べられるようになり、ロシアの市民権を持つ人物が社長を務める中国企業なども、銀行口座を開設できないなどの事態が発生した。2月ごろからは、中国の銀行から「この取引は当行の内部規定に反している」などと理由で、ロシア側からの支払いが返金されるケースが相次いだという。 米政府は手を緩めていない。4月中旬にイタリアで開催された主要7カ国(G7)外相会合に出席したブリンケン国務長官は、工作機械や半導体など軍事転用が可能な物資が中国からロシアに流入しているために、ロシアの軍需産業が制裁による影響を免れていると、中国を名指しで批判。「中国が、欧州と肯定的な友好関係を築きたいのであれば、冷戦終結以降、欧州の安全保障上の最大の脅威となっているロシアを支援することは許されない」と断じた。 4月に北京を訪問したイエレン米財務長官も、中国の企業や金融機関がロシアによる軍事物資の調達に関与しているとし、制裁を発動する可能性を示唆した。米財務省は5月1日には、ロシアに対し赤外線探知機やドローンの部品など、軍事転用が可能な物資の輸出に関与したとして、中国やトルコ、アゼルバイジャン、UAEなど約300の企業や個人に制裁を科すと表明した。 一連の事態は中国以外の国の金融機関にも当然、影響を及ぼしている。米シンクタンクによれば、バイデン政権の制裁導入を受け、トルコの銀行は24年初頭から、ロシアとの金融分野でのつながりをほぼ完全に解消したという。UAEの銀行も、ロシアからの撤退を開始した。 多くのロシア企業のビジネス拠点として知られるキプロスも、米連邦捜査局(FBI)と金融分野の調査で協力を開始したという。インドも、ロシアからの原油輸入の減少が指摘されている。ロシア経済への影響は ウクライナ侵攻開始以後に導入された欧米諸国による数々の対露制裁にもかかわらず、中国などとの貿易拡大を通じて収入を得て、さらに物資の流入により経済を安定させてきたロシアだが、今回の制裁強化により変化が生まれる可能性がある。特に輸入の停滞は、ロシア国内のインフレ懸念を高める。 ソ連崩壊以後も、ロシアはエネルギーや鉱物、木材などの資源輸出型の経済構造から抜け出すことができていない。それは、2000年代の原油価格の世界的な高騰を受けてロシア経済を潤したが、安易に外貨が稼げる構造は、ロシアの製造業の発展を阻害した。 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405180000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/19
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 一斗缶の日。1斗=5ガロン=18リットルだとか、ハイお一つ賢くなりましたネ。 ◆ 中野区在住の阿部定さんが、アーン♥♥でのぴー&ひーがエスカレートして大騒動に(1936年= 阿部定事件)。 ◆ アメリカ合衆国のセント・ヘレンズ山で大規模な花火大会を開催したところ、手違いで山が吹っ飛び猛暑が世界中から無くなった(1980年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月18日 】【中国の偽善が許されるのはなぜ?】GDP世界第2位の大国がWTOで“途上国扱い”され続ける理由 Wedge_Report 【世界潮流を読む 岡崎研究所論評集 2024年5月8日】 / 岡崎研究所 中国は一方で自国経済の保護に汲々としながら、他方で米国を保護主義だと世界貿易機関(WTO)に苦情を提示する。フィナンシャルタイムズ紙のコラムニストで副編集長も務めるラナ・フォルーハーは、4月1日付けの論説‘China’s hypocrisy on trade’で、中国の態度は偽善でありWTOは新たな制度を構築すべきだ、と論じている。要旨は次の通り。 中国政府は、バイデン政権の看板政策であるインフレ抑制法に異議を申し立てるためにWTOに提訴しているが、正気なのかと言いたい。なぜなら、中国の経済モデル全体が二重基準の恩恵を享受しているからだ。 他の国々は、中国の特異で野卑なまでもの差別的な対外取引政策を甘受させられているからだ。にもかかわらず中国は、米国政府がクリーンエネルギーの生産者に対し税額控除という支援策を実施すれば、それをWTO規律違反だと言って反対の狼煙を上げる。そんな中国の偽善に気付かない者はいない。 中国経済は結局、クリーンエネルギーにせよ、電気通信にせよ、人工知能にせよ、そうした戦略的産業に対しては数十年にわたり補助金と保護主義的な囲い込み政策を実施してきている。それらを中国は、ひた隠しに隠してきている。 中国が「保護主義」を問題視するのは、米国や欧州が自国の産業を支援するために関税や補助金を課そうとするときだ。これは、気候変動への対処や労働者のためのグリーン経済への移行といった正当な理由があっても問題視する。 ところが、中国の保護主義政策は、単なる現状維持だと大目に見られている。中国の国家資本主義の出発点だと単純に理解されている。西側諸国は、切歯扼腕(せっしやくわん)しながら、この構図が変わるのを待っている。 新たなアプローチがなければ何も始まらない。中国の政治経済の全体像は、WTOの自由貿易の前提に反している。新興国も自由市場の規律にきちんと従うべきだというワシントン・コンセンサスにも反している。 漸く最近になって、西側諸国の政策立案者は、事実をありのままに見つめ始めることが重要だと考えるようになった。われわれは今、転換点に立っている。 WTOのルールは多くの場合、中国を除くすべての国にとっての束縛であるという真実が、益々明瞭になりつつある。 この事態を改善する方策は、現在のWTO制度の中には存在しない。ゼロからスタートし、米国、英国、カナダ、豪州、中国、ドイツ、韓国、台湾といった大きな赤字国と黒字国の中核グループを結集し、確固とした目的に立って紛争を処理できる制度を構築するべきだ。 新しい制度の規律は、多様な政治経済主体を許容するものでなければならない。各国は世界貿易に従事している一方で、自国の経済的政治的安定を守る必要があり、権利があることへの理解がなければならない。 この原則は普遍性がなければならない。それこそ中国の発展過程から得られる最大の教訓だ。 従来の制度は既に崩壊している。安い資本がコストを度外視にして安い労働力を探すという経済モデルは限界に来ている。医薬品不足とWTOの檻の中の戦いが延々と続くだけだ。 当然のことを当然と認めようとしない政府や産業界に対する国民の不信感は高揚している。やはりわれわれは別の道を模索すべきだ。 * * *加盟国の3分の2が「途上国」を自称 東西冷戦が終了した1990年代初め、それまで西側諸国を中心に深化、拡大してきた関税貿易一般協定(GATT)の枠の中で国境措置を引き下げて世界貿易の活性化を図る制度は、東側諸国や途上諸国に拡大される機運に乗って、WTOが成立した。 中国をはじめとする大きな市場の開発途上諸国をその枠内に迎え入れるべく、それら諸国の主張を容れて優遇制度が導入された。これは「特別かつ異なる待遇」(Special and Differential Treatment 〈S&DT〉)と呼ばれる。発展段階の異なる国々は先進西側諸国と一律の規律を受け入れることは困難だという主張を踏まえた制度だ。 その時の合意として、WTOでは、「途上国」であるか否かは、加盟時の自己申告で決まる。一旦「途上国」だと宣言すれば、その地位を返上しない限り、未来永劫「途上国」に留まることができ、卒業する必要はない。164あるWTO加盟国のうち、約3分の2が今でも「途上国」を自称し、国内総生産(GDP)世界第2位の中国や第5位のインド、 1人当たりのGDP世界第6位のカタールや第22位のアラブ首長国連邦が,「途上国」扱いを受けている。経済規模や生活水準に照らし、真の意味での後発の開発途上国の多くには不満が鬱積している。気候変動の交渉でも中国を利する形に とりわけ中国はその原則が自国にも適用されることを、臆面もなく、いやむしろ胸を張るばかりに主張してきた。その態度はWTOなどの貿易交渉だけではない。気候変動交渉の場でも同様である。 中国は、日本のような先進国は二酸化炭素排出の削減義務があり、一旦達成した暁には更に高い目標を宣言しそれを達成する義務があるとする一方、途上国である中国にはそんな義務はなく中国は益々発展成長する、と豪語した。 気候変動の交渉で中国が一貫して主張してきたWTO類似の表現は、「共通だが差異のある責任」である。いずれもわが国を含む先進西側諸国の成長の芽を摘み取りつつ、中国には成長の機会を確保し、それから必然的に生じる成長速度の相対的差異を外交戦略的に活用しようとする中国通商政策の狙いが感じられる。西側諸国は、中国の大きな市場規模に目が眩み、国際的レジームへの取り込みの過程で条件交渉に甘さがあったということなのかもしれない。 いずれにせよ、WTOは深刻な機能不全にある。それは今に始まったことではなく、今世紀の始まりの頃には既に腐食が始まっていた。紛争処理機能の麻痺が最近よく指摘されるが、決してそれだけではない。上記記事の中でラナ・フォルーハーは、現在の枠組みを抜本的に見直すべき時期に来ているとの主張をしている。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405170000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/18
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 保守分裂から日和見を決め込んでいた参議院議員58名が緑風会を結成、自分たちを良識の代表と自惚れ始める(1947年)。 ◆ 兄貴のアーン♥♥小説の映画化で、石原裕次郎が脇役ながら銀幕デビューを飾る(1956年=映画『太陽の季節』が封切り)。 ◆ 睡眠薬サリドマイドがようやく出荷停止(1962年)。しかし前年の11月に奇形児を出産する恐れがあると指摘されていたが、製造元はダンマリを決め込んで今まで売っていた。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月17日 】〈子どもたちに大谷翔平のスイング〉“常識外”のアッパースイングに指導者との軋轢も、スイング革命に挑む「根鈴道場」 =後節= Wedge_Report 【人口減少社会とスポーツと子どもと / 2024年5月4日】 田中充(スポーツライター、尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授) マシン相手の練習でも、本塁打性の当たりが次々と施設を覆うネットを直撃する。打ち損じてもボールはゴロではないので、ファールゾーンに鋭く切れる。根鈴さんは「打ち損じがゴロだとアウトになりますが、この打ち方ならタイミングが遅れても打球はライナー性のファールで逃れることができます」と利点を挙げる。 幹大さんは身長160センチ、体重60キロ。身長は学校のクラスでも前から3、4番目と小柄だが、所属する硬式のシニアチームでは長打を期待される4番を打つ中心打者だ。 大きな当たりを打ちたくて中学入学時から根鈴道場へ通う。章仁さんは息子の野球に労力も金銭面でも協力を惜しまなかった。 成果もあって、中学で最初に入った硬式のチームでも練習で大きな当たりを連発した。しかし、年配の指導者から打撃フォームで目をつけられ、ストップがかかった。 「なんだ、そのスイングは。体が小さいんだから、ゴロを打て。そんなスイングをしている間は試合では使わないぞ」 章仁さんは「まるで脅迫だった」と振り返る。幹大さんも「どんなに練習をしても、この打ち方なら試合で使ってもらえないと言われて、打撃フォームを変えようかと思った」と打ち明ける。それでも、自分の理想に近いフォームを変えたくなくて、最終的には数カ月で退部を選んだ。 目標は「甲子園」ではなく、海の向こうへ 幸いにも、父が練習に付き合ってくれ、根鈴道場にも通い続けた。数カ月が経ち、現在のチームに入ることを決めた。 入団の際、チームの監督には「打撃フォームを変えたくないんですが、大丈夫ですか」と伺いを立てた。「うちのチームは自主性を重んじています。自分のフォームで勝負してください」と言ってもらえた。 新天地で野球に熱中する幹大さんのもとには、すでに甲子園出場経験のある高校から声がかかっているという。しかし、将来はメジャーリーガーを夢見る幹大さんの目標は「甲子園」ではない。中学を卒業したらカナダの高校への進学を目指しているという。あこがれの存在は、根鈴さんの長男で昨年秋からカナダへ渡り、現地の高校に通いながら野球を続けている風大くんだ。 根鈴さんは「野球をやっている子どもたちの夢がプロ野球選手ということは変わらなくても、それが日本のプロ野球ではなく、最終的にはメジャーという流れになっている」と指摘する。 従来は高校野球で甲子園を目指し、その後に最短なら高卒でドラフト指名を受け、大谷選手のように日本のプロ野球で活躍をしてポスティングシステムでメジャーへ行くというのが理想的なモデルケースだろう。一方で、この春からは大谷選手と同じ岩手・花巻東高から米スタンフォード大学へ進学する佐々木倫太郎選手が注目を集める。さらには、日本の高校で「甲子園」を目指すのではなく、将来につなげるために「高校年代」を海外でプレーするケースが出ているという。根鈴さんは「私の息子だけでなく、そういう選手はすでに一定数、います」と話す。もちろん、金銭的な負担もあって誰もが目指せる道ではないが、風大くんも奨学金によって道を切り開いた。 大谷選手のスイングも「やってみよう」 日本の少年野球人口は減少傾向にある一方で、熱心な保護者に恵まれた子どもたちは小さいころから高価な用具を手にし、野球のアカデミーに通うケースもある。両親が共働き、シングル世帯などは、親が少年野球の係などに負担を感じて入団を躊躇するのとは対照的で、少年野球の世界が「二極化」と指摘される所以だ。しかし、根鈴さんは野球の「英才教育」には懐疑的な一面も持つ。 「例えば、卓球やバドミントンなどは、10代半ばで世界のトップ選手になるケースを目にします。しかし、野球では10代前半の選手が20代以上の大人の選手と同じカテゴリーで勝負して圧倒するということは、まず起こりえません。それは、野球は技術ももちろん、パワーやフィジカルも求められる競技だからです。 ですから、小学校のときに目立っていない選手でも、年齢が上がるにつれて体が大きくなって頭角を現すケースもたくさんあります。小学生の間は、まずは野球を楽しめばいいと思っています」 このため、根鈴道場でも、直近の大会のためなどの目的で小学年代の子どもたちの個人指導の依頼があっても受けていないという。一方で、子どもたちが楽しむ環境を、大人の指導者が奪うことには警笛を鳴らす。 「子どもがスポーツニュースで見た大谷選手のスイングをマネして、『次の試合はこのスイングでホームランを打つ』って言ってきたら、少年野球の指導者なら結果的に打てなくても『じゃあ、やってみろ』と背中を押してあげるべきです。そこで、『お前にはそんな打ち方は無理だ』とか否定する指導者がいると聞きます。 彼らはボランティアで指導をしているので、親御さんも面倒をみてもらっているという後ろめたさから苦情を言えない。ボランティアという耳あたりの良い言葉で、子どもたちが抑圧されてしまっている。そういうことが野球人口の減少にもつながっているのではないでしょうか」・・・・・おわり ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405160000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/17
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 松尾芭蕉が庵を引き払って、奥の細道への長い旅に出る(1689年)。という理由で本日は旅の日。なんでゴールデンウィークの後やねん! ◆ スターと称せられる男女が赤絨毯の上を歩いて品定めされ、オスカーと称する裸のオッサンのオブジェを貰うイベントが、ハリウッドで初開催される(1929年)。 ◆ 上九一色村で春眠していた麻原彰晃が、警察によって外に引き出されるも、直ぐに牢獄の中に入れられる(1995年)。ポアの予定日でもあったが、50日後に延期された。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 /令和5年05月16日 】〈子どもたちに大谷翔平のスイング〉“常識外”のアッパースイングに指導者との軋轢も、スイング革命に挑む「根鈴道場」 =前節= Wedge_Report 【人口減少社会とスポーツと子どもと / 2024年5月4日】 田中充(スポーツライター、尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授) 少し前なら「アッパースイング」とダメ出しの対象にすらなっていただろう。しかし、実際には大谷選手だけでなく、ヤンキースで2022年にア・リーグ最多記録を更新する62本塁打を放ったアーロン・ジャッジ選手や、大谷選手のエンゼルス時代の同僚であるマイク・トラウト選手らも同じようなスイングで柵越えを連発する。 近年のメジャーではデータ解析が進化する。その中の一つに打球速度と角度による「バレルゾーン」と呼ばれる領域があり、打球速度が時速158キロで打球角度が26~30度だと安打率や長打率が高くなるとされる。こうした背景もあり、日本の野球少年たちのスイングにも変化が見てとれるが、長く現場を預かる指導者とは打撃フォームを巡って軋轢が生じるケースもあるという。本塁打王を生んだ道場 神奈川県横浜市の田園地帯の一角に「根鈴道場」はある。現役時代にメジャー経験こそないものの、マイナー3Aをはじめ、国内外の独立リーグでもプレーした根鈴雄次氏が主宰する打撃に特化した野球塾だ。 打撃マシンやティー打撃を行うためのスタンドが置かれる施設には、いくつか形状が独特なバットも並ぶ。根鈴氏が考案した練習用のバットで、近年はプロ野球選手も愛用している。実はこのバットこそ、大谷選手のような打撃フォームを意識するためのものだという。 根鈴氏が提唱する打撃は、ボールに対してバットの「面」を立てて捉えるというものだ。バットをゴルフのスイングのように縦回転で振り下ろし、地面に対して20~30度の角度までふり上がったところでボールに当たると、ボールはバレルゾーンの範囲で飛ぶという理屈である。オリックスの杉本裕太郎選手が根鈴道場に通った後、本塁打王を獲得するなど打撃を開花させたことで、一気に注目が集まった。 現役時代の根鈴氏も決してこの打ち方ができていたわけではないという。大谷選手がメジャーへ移籍した近年、日本でもメジャーの選手たちの練習がインターネット上などの動画で見られるようになってきた。 根鈴氏はその中で、ジャッジ選手が、ボールに対して、立てたバットを時計の7時角度に傾けて当てることをイメージしているシーンを目の当たりにして衝撃を受けたという。従来の打撃フォームはバットを上から振り下ろしてボールの中心のやや下に当てることでバックスピンがかかって飛ぶ打球を放つことが良いとされてきた。ジャッジ選手のように縦にバットを入れて、7時の角度でボールに当てる打ち方は「アッパースイング」と呼ばれ、悪い打ち方の典型のように指摘されてきた。 しかし、根鈴さんは現役時代からボールに対して100%のパワーを伝えるにはボールのやや下ではなくて、中心にレベルスイングで当てないといけないはず。バックスピンを加えるという発想には違和感があったという。ボールに対してレベルスイングで当たっても、打球は正面にしかはじき返せず、ホームランボールにはならない。一方、ジャッジ選手の打ち方だとバットのフェースに対して100%でボールに力を伝えられ、角度も長打を狙える。根鈴氏は「これだ」と、我が意を得た感覚になったという。効果はホームランだけではない 根鈴さんはゴルフのスイングを例にこう話す。「ゴルフのドライバーやアイアンで打つとき、ボールに対して縦に振り下ろして打ちますよね。ボールを飛ばした後のフォロースイングの軌道はアッパーになりますが、あれをみてゴルフのスイングはアッパーだとは誰も言いません。それなのに、野球の場合はボールに当てるまでの軌道ではなく、その後のフォロースイングだけを切り取って『アッパーだからダメ』という指導が当たり前のようになっていたのです」 本稿③ / さらに根鈴さんは「杉本選手が本塁打王を取ったから、この打ち方はホームランを打つためのフォームと言われていますが、実はアベレージ(打率)にこそ、良い影響が出ます」と力説する。 どういうことか。 「100%ヒットになる打球は柵越えですよね。つまりホームランです。では、次にヒットになる確率が高い打球はどういう打球ですか。それは、内野手の頭を確実に越えて、外野手の前で落ちるライナーの打球だと思います。ゴロの打球は内野手の間を抜ければヒットですが、抜けなければ内野ゴロです。ライナーなら内野の頭を確実に越える。つまり、ゴロにならない打球を飛ばせることがヒットへの近道だと考えます」 ゴロになりにくい打球はイコール、上向きの打球でかつ凡フライではないライナー性の打球ということになる。そのボールをいかに打てるか。突き詰めていった結果、やはりボールに対してゴルフの軌道のようなスイングで7時のところでボールをぶつけるというフォームにたどりつく。 実際、根鈴さんが考案したバットを練習で使用しているプロ野球選手は全員がホームラン打者ではない。実は昔からホームラン打者のバットの軌道は、この形に近いことも動画を解析すると分かってきた。「上から叩く」というのはあくまで意識にすぎないのではないか、と根鈴さんは言う。「そんなスイングでは試合に出さない」 3月15日夕、親子が「根鈴道場」を訪ねてきた。森田章仁さん(42歳)と中学2年の長男、幹大さんだ。 2人は愛知県豊橋市から新幹線を使って週1回、練習に訪れる。約1時間の練習で、座位のティー、立った状態のティー、正面からのトス打撃、最後はマシンを相手に根鈴さん仕込みのスイングを繰り返す。・・・・・・・・明日に続く・・・・・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405150000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/16
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 勝手に押しかけてきた兵隊さんに時の総理が説教しようとしたところ、銃弾をお見舞いされ軍人のDQN振りが問題化(1932年、五・一五事件)。 ◆ マクドの第一号店が開店(1940年)。当初は兄弟で細々とやっていたが、出入りのセールスマンが経営権を買い取り今では全世界を席巻するエサの供給業者に。 ◆ 沖縄県が、27年ぶりに日本領土となる(1972年)。とは言いながら、県の11%は今もなお米軍の占領下にある。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月15日 】〈物流2024年問題〉物流コストの上昇は本当に物価高騰の主要因なのか? =後節= Wedge_Report 【「最後の暗黒大陸」物流の〝今〟 / 2024年5月7日】 田阪幹雄( NX総合研究所リサーチフェロー) JILS「物流コスト調査」が示す売上高物流コスト比率の動向 そのように申し上げても読者の中には、荷主の販売価格に占める物流コストの割合が大きければ、いくら物流コストの値上がり率が大きくなくとも、影響は大きいのではないかと考える方もいらっしゃるかも知れない。 そのような疑問にお答えするために、公益社団法人日本ロジスティクスシステム協会(JILS)が毎年発表している「売上高物流コスト比率」についてご紹介しておきたいと思う。 JILSでは、毎年、荷主企業を対象に「物流コスト調査」を行い、各社の詳細な物流コストを把握し、売上高物流コスト比率の推移、荷主企業の物流コストの業種別動向、日本全体のマクロ物流コストなどを報告書として公表している。下図は、その中の18年度から23年度の間の売上高物流コスト比率の推移を物流機能別に示したグラフである。 ご覧の通り、直近の6年間については売上高に占める全物流コストの割合は約5%前後、その内数であり「2024年問題」の主役である輸送費の割合は3%前後、保管費の割合は1%未満、その他については1.5%前後といったところである。 売上高に占める割合がこの程度のレベルであるコストが一桁台前半の割合で値上がりしたとしても、荷主の売値を二桁の割合で値上げしなければならないような影響は、一般的には現出しないことはご理解頂けるのではないだろうか。 しかし筆者は、冒頭で取り上げた物流コスト増の影響で二桁の割合の値上げを実施すると表明している荷主企業が嘘をついていると言っているのでは断じてない。繰り返しになり恐縮だが、筆者は物流コストが売上高に占める割合は企業により異なるものであり、場合によってはこのような企業があっても不思議ではないと考えているからである。 筆者が指摘しておきたいのは、このような話題を取り上げる際に、ここまで筆者が述べて来たような客観的データにもとづく一般的トレンドを把握せずに、特定の企業の動向に焦点を当てた報道をアウトプットすると、国民をミスリードすることになるのではないかということである。 恐らく物流関係者の中には、商品値上げの理由として物流コストが悪者のように取り上げられることが多いと苦々しく感じている人たちが、さらにこのような記事が「2024年問題」に伴って予想される物流コスト増を抑え込もうとするプロパガンダではないかとさえ考えている人たちが、少なからずいるのではなかろうか。 目指すべき本質的な物流コスト削減 いずれにしてもわれわれはまだ、「2024年問題」に足を踏み入れたばかりであり、どの程度の物流コスト増が発生するかについては、今後注視して行くしかないであろう。 しかし、荷主企業は、これまで享受して来たサービス役務が受けられなくなることを想定した対策を取る必要があるであろう。例えば、手待ちの削減・解消のために庫内作業の改善を図ったり、荷役時間を削減するためにパレット化を図ったり、ドライバーに替わって荷役を行う従業員を採用したり、それら荷役作業の自動化・省人化・無人化を図ったりすることに新たなコストが発生する可能性は高いであろう。 上図は、先に取り上げた図が売上高物流コスト比率を物流機能別に示していたのに対し、売上高物流コスト比率を支払形態別に示した図であるが、トラック運賃を中心とする輸送費を含む「対専業者支払分」のみならず、この図では1%に満たない割合の「自家物流費」や「対物流子会社支払分」のコストが増える可能性があるということである。 しかし、このコスト増により、例えば従来一運行当たり2往復しかできなかった輸配送ルートを3往復できるようになるというような、物流事業者側の生産性向上が実現できれば、中長期的にはより本質的な物流コスト削減が可能になるのではないのではなかろうか。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405140000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/15
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 碁石の日。だがサブカル大辞典のウィキペディア5月14日には、フィクションでの出来事には詳しくても碁石の日については触れられていない。碁石が砂浜一面に敷き詰められている海岸を擁する岩手県大船渡市がこの日の存在を知らしめようと躍起なのに。 ◆ 4歳のガキがフランスの国王に。分別が解る年頃になるまでローマ教皇から派遣されたお守り役が実務を担うことに (1610年) 。 ◆ パレスチナに居座っていたユダヤ人が勝手に国を創ったので、周りのアラブ諸国がタコ殴りするものの逆に返り討ちの目に遭うばかりか土地を余計に奪われる破目に (1948年=イスラエルが建国を宣言) 。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月14日 】〈物流2024年問題〉物流コストの上昇は本当に物価高騰の主要因なのか? =前節=Wedge_Report 【「最後の暗黒大陸」物流の〝今〟 / 2024年5月7日 】 田阪幹雄( NX総合研究所リサーチフェロー) 物流の「2024年問題」に突入して1カ月が経過した。その前後から物価の高騰の主要因のひとつとして、物流コストの上昇を取り上げる報道が目立つようになっていると思われる。 例えば、「総合エネルギー企業大手、15〜25%値上げ、物流コスト増で」、「飲料製造・販売大手、値上げ、物流費高騰も影響 - 小売店の実質店頭価格は、20〜30%程度上昇する見込み」、「乳製品メーカー大手、6月1日出荷分より一部飲料を値上げ(価格改定率8.3%)、物流費上昇も影響」などである。 物流コストが売上高に占める割合は企業により異なるものであり、恐らくはこれら特定の企業の物流コストは、売上高を二桁の割合で値上げしなければならないほど上昇したことは事実なのかも知れない。しかしながら、このような報道は、現在世の中で顕在化している物価高騰の主たる要因が、「2024年問題」に端を発する物流コストの上昇にあるという認識を、一方的に消費者にインプットしてしまっているのではないだろうか。本当に、物流コストの上昇は、一般的に物価高騰の主たる要因と考えて良いのだろうか。 そのような疑問を念頭に今回は、さまざまなデータをもとに“物流コスト上昇”の実態に迫ってみたいと考える。 「NX総研短観」から見るトラック運賃指数 NX総合研究所では、企業物流の最新動向を把握することを目的に、四半期ごとに製造業、卸売業の主要2500事業所を対象に業況判断指数(DI、Diffusion Index)調査を行い、700~800社から回収した回答をもとに「企業物流短期動向調査」(NX総研短観)として、以下のコンテンツを発表している:① 国内向け出荷動向② 輸送機関別利用動向③ 輸出入貨物の動向④ 在庫量と営業倉庫利用の動向⑤ 運賃・料金の動向⑥ 物流コスト割合の動向 上記の⑤のうち19年1~3月から24年1~3月の間のトラック運賃指数の動向を追ってみたところ、上図の通りとなった。 調査対象の各事業所には、過去3カ月間のトラック運賃が値上がりしたのか、値下がりしたのか、現状維持だったのか、向こう3カ月に値上がると予想するか、値下がると予想するか、現状維持と予想するかを回答してもらい、値上がりと回答した事業所の割合(%)と値下がりと回答した事業所の割合(%)を差し引きした数値がトラック運賃指数である。 上図を見る限り、ドライバー不足等を背景に元々明確な値上がり傾向を示していたトラック運賃は、新型コロナウィルスの感染拡大により一旦その傾向が鈍化したものの、21年に入ってからは再び明確な値上がり傾向に転じている。これを見る限り、トラック運賃を中心とする物流コストが値上がり傾向にあることは事実のようである。 しかしながら、「NX総研短観」は、景気ウォッチャー調査と同様にDI調査であり、傾向を示すことはできても、その傾向の大きさを、例えばトラック運賃が何パーセントくらい値上がりしているのかを示すことはできない。日銀「企業向けサービス価格指数」の動向 トラック運賃を含む物流コストのようなサービス価格の動向を示す指数として日本銀行が毎月発表している「企業向けサービス価格指数」という指数がある。上図は、日本銀行の「企業向けサービス価格指数」の前年同月比の推移を、総平均と道路貨物輸送(トラック輸送)を対象として19年4月から24年2月まで示し、更に消費者物価指数の動向と比較したグラフである(上図)。 ご覧の通り、コロナ禍以前には道路貨物輸送の企業向けサービス価格指数は、総平均も消費者物価指数をも上回る強い値上がり傾向を示していたが、コロナ禍による荷動きの減少のためか鈍化に転じ、以降漸次上昇に向かってはいるものの、総平均も消費者物価指数も大幅に下回っているのが実態である。 すなわち、現在のトラック運賃は、一般的には前年同月比で1%を若干超える程度しか値上がりしておらず、荷主企業の販売価格を二桁の割合で上げてしまうほどの影響を及ぼすようには見えないのである。 図には示されていない他の物流サービス価格の本年2月時点の対前年比を見ると、鉄道貨物輸送と内航海運輸送が共に2.9%、倉庫が1.3%と、これまたいずれも荷主企業の販売価格を二桁の割合で上げてしまうほどの影響を及ぼす値上がりは見られない。・ ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405130000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/14
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 少し遅れたくらいで刀の鞘を放り投げる等ブチ切れまくっていた佐々木小次郎に、宮本武蔵が巌流島で激しいツッコミを入れる(1612年=『二天記』による)。◆ 仲間と強盗しようとしたがドジ踏んで警察から逃げ回った果てに瀬戸内海で客船を乗っ取った20歳の青年が、ライフル銃で銃撃戦を展開した挙句大阪府警察の狙撃手にバキューン!!されて死亡(1970年)。 ◆ JR東日本が、鉄道史に燦然と輝く名言「E電」を発表する(1987年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月13日 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405120000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/13
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 年増の人妻と駆け落ちした兄貴に代わり今の女王様の親父がイギリス国王になる(1937年=ジョージ6世の戴冠式が行なわれる)。 ◆ 世田谷区民が米よこせと赤旗を振りながら、畏れ多くも有史始まって以来最初に宮城に押しかける(1946年)。 ◆ 四川大地震で中国の人口が0.007%減少する(2008年)。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月12日 】 ◎◎希少なイルカを探知、「イルカ犬」がウォッチング船で活躍中 ◎◎--イルカの鳴き声を聞き取る優れた聴覚、ツアーに欠かせない仲間に、NZ -- =National Geographic Journal Japan 〉旅&文化〉 文=Natasha Bazika/訳=三好由美子 大海原を見渡すようにボートの右舷側をゆっくりと行ったり来たりしていたイヌの「バスター」。その耳が突如ピンと立つ。何かが見えた、というより何かが聞こえたのだ。 「イヌは優れた聴覚を持っています」と、ニュージーランドでネイチャークルーズを催行する「アカロア・ドルフィンズ社」の共同オーナーで、クルーズ船の船長を務めるジョージ・ワグホーンさんは説明する。「イルカが仲間同士で会話する時に出すクリック音やホイッスル音が聞こえるんです」 バスターは集中した面持ちで頭を海の方へ傾けた。まるでイルカたちの会話を立ち聞きしているかのようだ。彼が滑らかな海面を見つめていると、2頭のイルカが深みより現れた。ツアー客が歓喜の声を上げ、急いで右舷に集まる中、ひと仕事終えたバスターは静かにたたずんでいた。 「イルカ犬」のバスターの任務は、最小のイルカの部類で、非常に希少なセッパリイルカ(Cephalorhynchus hectori)を見つけることだ。セッパリイルカは、ほっそりとした体に丸みのある背びれと、体全体にある白と黒と灰色が入り組んだ模様が特徴で、ニュージーランド南島の町アカロアの沖合50キロほどまでのところにしか現れないと、ジョージさんは説明する。現在、この海域に7000頭ほどが残っているだけだ。 独特な雰囲気が漂う小さな町 ツアーでは、ジョージさんはアカロアの歴史にもふれる。ワグホーン家が7世代前から暮らしているアカロアは、マオリ語で「長い港」という意味で、バンクス半島の火山のクレーターが海とつながってできた形に由来する。細長いアカロア港を取り囲む急斜面の山々をジョージさんは指さし、「もしぜんぶの山をぴったりくっつけたら、一直線に並びますよ」と言った。 アカロアはクライストチャーチから車で1時間半ほどの距離にあり、週末は都会から遊びに来る人々でにぎわう。 独特な雰囲気が漂うわけは歴史にある。1840年代、フランスがアカロアからニュージーランドの植民地化をもくろむなか、英国が先んじて先住民族であるマオリ族とワイタンギ条約を結び、ニュージーランドを植民地にしてしまった。町にフランス風と英国風の名前をもつ通りが混在するなど、今もフランスと英国からの入植者の影響が残っているのはそのためだ。町は小さく、端から端まで15分ほどで歩ける。 フランス人と英国人の両方を祖先に持つワグホーン家。ヒューさんとピップさんのワグホーン夫妻が農場を売り、アカロア・ドルフィンズ社を始めたのは20年前のことだ。 イルカウォッチングツアーを中心にネイチャークルーズを提供してきたが、趣味の延長線上で始めた仕事であり大きな成長は期待していなかった。今日、アカロア・ドルフィンズを運営するのは子どものジョージさんとジュリアさん、そして人とイヌの頼もしいスタッフたちだ。 「イヌたちもスケジュールに沿って仕事をします」とジョージさんは言う。愛犬であるイングリッシュ・スプリンガー・スパニエルの「アルビー」は成犬になるかならないかの頃からツアーに同行している。「イルカの出す音を聞き分ける能力が優れています」とジョージさんが説明する間、アルビーは腹ばいになり、デッキから精一杯首を伸ばし、海を眺めていた。 「魔法でも見ているようでした」 イルカ犬たちは空港探知犬などとは異なり、最低限の訓練しか受けない。「生まれながらの本能を伸ばすことがより重要なのです」とジョージさん。吠えるとイルカをおびえさせてしまう恐れがあるため、吠えないことを教えるのが訓練の主な目的だ。訓練中のイヌには指導役の先輩犬が付く。 クルーズに同行するようになった初めてのイヌはヒューさんとピップさん夫妻の愛犬でケアーン・テリアの「ヘクター」だった。船に連れて行くうちに、イヌにイルカの鳴き声が聞こえていることに気付いたのだ。 「ヘクターは船の中を走り回り、まるでイルカと追いかけっこをしているようでした」とピップさんは語る。「動物には人間にない能力があるのですね。魔法でも見ているようでした」 イヌの特異な能力を偶然に見出して以来、イヌは家業の一員となった。それは運命に導かれたかのようだった。 アルビーが家に来た日のことをジュリアさんはよく覚えている。ある地元住民が、プライベートなツアーの対価にアルビーを持ち掛けてきたのだ。オーストラリアン・ケルピーの「ジェット」は、オーストラリアのアウトバック(内陸部の砂漠を中心とする広大な地域)で暮らしていたジョージさんが母親のピップさんに説得され、アカロアに戻ってきた際、一緒に連れてきたイヌだ。ジェットが家業に加わったのは幸運だったとピップさんは言う。 ペンギンやオットセイにも セッパリイルカが大きな注目を浴びるようになり、イルカウォッチングツアーを催行する旅行会社も増える中、アカロア・ドルフィンズは観光系の会社としてはニュージーランドで初めて環境や社会に配慮した公益性の高い企業として「B Corp認証」を獲得している。 「イルカと泳げるツアーなどを手掛ける会社もありますが、私たちは賛同できません」とジュリアさんは言う。「私たちは教育者としての役割を大切にしています。ツアー参加者にはまたとない体験をしてもらう一方、環境への影響は最小限にとどめるよう努力しています」。それがアカロア・ドルフィン社の理念のようだ。 2014年、ピップさんとヒューさんはイルカだけでなく、ハネジロペンギンやニュージーランドオットセイなどを保護するためのアカロア海洋保護区の設置に尽力した。2時間のツアーの間、こうした生き物たちの群れにも出会うことができた。湾の出口付近ではシロビタイアジサシが荒波の上を軽やかに飛んでいるのも目にした。 港への帰り道、バスターが誇らしげに船内を歩き、乗客からなでられたり、ほめられたりしていた。船の周りにはイルカがいたが、この時ばかりはバスターが注目の的だった。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405110000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/12
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 日本最初の男性アイドルグループ「新撰組」副リーダー、土方歳三が函館で死去 (1869年) 。 ◆ 大阪のキタとミナミを貫く大通りが完成し、ナニワっ子がぶらつき始める(1937年)。 ◆ 現世利益を謳った新興宗教・ねずみ講が非合法化 (1979年=無限連鎖講の防止に関する法律施工) 。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月11日 】◎◎【動画】魅惑のナスカ地上絵 空から堪能 ◎◎--未だ解明されない考古学における大きな謎。地上絵の概要と観光ポイントを紹介-- =National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉 2018.08.09 ; ABBY SEWELL/訳=鈴木和博 ペルーの赤茶色の大地を上空から見下ろして初めて見ることができる、白い線で描かれた幾何学模様や動物――これがナスカの地上絵だ。 ナスカ川流域の不毛の地に描かれたこの地上絵は、「ナスカの地上絵」として知られ、考古学における大きな謎の一つだ。地上絵が描かれた目的は、長年にわたって議論を呼んできた。いわく「異星人の着陸場所」「巨大なカレンダー」「聖なる儀式を行う場所に向かう道」はたまた「地下水源の目印」など、それこそ枚挙にいとまがないほどだ。 ハチドリ、クモ、サル、樹木、台形、螺旋。これら幻想的な地上絵は、酸化して赤くなった岩や表層の土を取り除き、下にある明るい色の土をむき出しにすることで描かれている。むき出しにされた石灰岩が豊富に含まれた層も、時間とともに固くなる。この一帯が、極度に乾燥していて、しかも風もほとんど吹かないことも手伝い、ナスカの地上絵は長い間にわたって、とても良好な状態で保存されている。 地上絵を巡る様々な学説 現在、地上絵は世界各地でも見られるが、ナスカの地上絵の種類と数は群を抜く。1994年には、考古学的、文化的な重要性が認められて、ユネスコ世界遺産に登録された。 地上絵は、800平方キロメートルの範囲に描かれており、数十種の動植物と、数百種の線や図形が確認されている。絵のほとんどは、あまりに巨大で、上空から見下ろさないと何が描かれているのか全容がわからない。そのため、人の目ではなく、神の目から見ることを意図したものだという説もあるほどだ。 これらの地上絵は、紀元前500年から紀元500年ごろにかけて、何段階かに分けて作られたと考えられている。描いたのは、ヨーロッパ人がやってくる前に、ペルー南部の海岸近くに住んでいた人々だ。ナスカ人と呼ばれる彼らは、インカ文明が登場する数世紀前の紀元700年ごろまで、この地方に住んでいた。地上絵が知られるところとなったのは、飛行機が発明され、1930年代になって人がペルー上空を飛ぶようになってからだ。それ以来、地上絵に隠された謎は、多くの研究者を魅了してきた。その研究に一生を捧げる研究者もいる。 初期の研究者として知られているのが、地上絵は「世界最大の天文学書」だという説を提唱した米国人大学教授のポール・コソック氏だ。この説は、ドイツ人研究者マリア・ライヘに受け継がれた。彼女もキャリアのほとんどを地上絵の研究に捧げ、「地上絵の貴婦人」と呼ばれることになった。 その後の研究者たちは、天文学的な説明を嫌い、さまざまな説を提唱した。ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであるヨハン・ラインハルト氏は、地上絵は儀式を行う場所を指すものだと考えている。また、研究者のデビッド・ジョンソン氏とドン・プルー氏は、地下水系の目印として作られたものだという説を唱える。 新たな地上絵の発見も続いている。最近では、2018年初めにパルパ地方で50個の絵が見つかっている。踊る女性やクジラなど、多くの絵はナスカ人以前にこの土地に存在していたパラカス文化やトパラ文化に由来するものと考えられている。ナスカ観光はチャーター機がおすすめ ナスカの地上絵を見たいなら、2つの方法がある。空から見る方法と、展望台から見る方法だ。「神の視点」から地上絵を見たいという人は、ナスカ空港から小型飛行機をチャーターするといい。100ドルほどで30分の遊覧飛行を楽しめるが、間違いなく、一生の思い出に残るものとなるだろう。飛行機でのツアーを希望する場合は、事前に運航会社の安全記録を確認してから予約することをお勧めする。 予算が限られているという人も大丈夫。パンアメリカンハイウェイの近くにあるエル・ミラドールという展望台から、いくつかの地上絵を見られる。https://youtu.be/Kb5cEmP9Zs4 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405100000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/11
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 五月病の流行が始りだす220年前、ルイ16世がフランス王に即位(1774年)。マリー・アントワネットとの結婚4年目であった。が、子作りの方法を知らなかった国王・王妃は祝賀に表敬した義兄・ヨーゼフ2世より子作りの仕儀を授けられたという。 ◆ ドイツ各地でナチスの気に入らない国民にふさわしくない本を薪代わりにしたキャンプファイヤーが開催される (1933年=焚書が公開=) 。 ◆ 平沢貞通が、刑の確定32年と2日で幽体離脱して刑務所を出る1987年) 。【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月10日 】◎◎誰が、いつ、何のために? 今も解けない巨大な古代遺跡の謎5選 ◎◎-- イースター島のモアイ像と文字、ヘビ形の巨大塚、ナスカの地上絵など -- _立石(りっせき)、得体のしれないマウンド(塚)、地上に描かれた線。古代文明は、その存在の痕跡を残して滅びた。当時の人々にとっては深い意味があったに違いないこのような遺跡に込められた思いを、現代の私たちが知ることは難しい。その後の地球に生きる私たちは、「誰が? 正体は? いつ? なぜ?」と思いを巡らせるしかない。 考古学者たちは、こうした重要な意味がありそうな遺跡の調査を進めてきたが、いまだにその謎が解明されていないものもある。ここではその一部を紹介しよう。 ナスカの地上絵は何のために? 約2000年前、ペルー南西部の海岸沿いの砂漠で、人々は1000点を超える巨大な図形を描いた。乾燥した高原の数百平方キロにわたって、四角形や台形、渦巻、細い線、さらには巨大な生き物の形をした線が残っており、こうした地上絵は、ナスカとパルパの町の間に集中している。 1920年代、アンデス山脈上空を飛行していたパイロットたちが、この巨大な地上絵を発見した。いったい何のために描かれたのか? その謎を解き明かそうと数十年に及ぶ調査が始まった。 いくつもの答えが浮上しては消えていった。わかっているのは、こうした地上絵が主にナスカ文化の人々によって描かれたということだ。ナスカ文化は、紀元前200年~後600年頃に栄えた文化だ。地上絵の正体について、研究者たちは、灌漑(かんがい)用水路、天文暦、インカの道路、原始的な熱気球から展望する図形など、さまざまな説を提示してきた。宇宙人が飛行体を着陸させるための基地という奇想天外な説も、根強く支持されている。 現在の有力な解釈はもっとシンプルで、神聖な土地に描かれた儀式用の道と推定されている。地上絵の多くが雨や豊穣に関連する図形で、線に沿って今も足跡が残っているのがその根拠だ。 ナスカの地上絵(Nazca Lines)は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠の地表面に、砂利の色分けによって描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称であり、古代ナスカ文明の遺産である。ナスカの図形群が描かれているエリアは縦横30kmもある非常に広大な面積があり、全体に千数百点もの膨大な数の巨大な図形が描かれている。あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎の一つとなっている。また、ナスカの地上絵のエリアから川を挟んですぐ南にはカワチの階段ピラミッド群があり、その関係性は深いと予想されている。 ナスカの地上絵のエリアのすぐ北には、川を挟んでパルパの地上絵(パルパのちじょうえ、Palpa Lines)[注釈 1]と呼ばれる同じぐらい広大な山岳地帯の地上絵のエリアがあり、ナスカの地上絵の1000年前パラカス文化の時代に描かれたとされる数多くの幾何学図形と地上絵が描かれているが、観光地化されていないので一般にはあまり知られていない。 ナスカの地上絵とパルパの地上絵はともに世界遺産に登録されている。 エルドラドは実在する? もともとエルドラド(黄金郷)は、町ではなく人間を指していた(スペイン語のEl Doradoは「黄金の人」)。1500年代の初め、南米を訪れたスペインの探検家たちがその伝説を耳にした。彼らが聞いたのは、アンデスのどこかにいる先住民のムイスカ人は、新しく即位する首長の全身に金粉をまぶし、聖なる湖に金とエメラルドを奉納する、という話だった。 この話を知って欲に目がくらんだスペイン、ドイツ、ポルトガル、英国の冒険家たちは、謎の財宝を手に入れようと、コロンビアやガイアナ、ブラジルの過酷な自然に足を踏み入れた。そのほかにも、見込みがあると思われる場所ならどこへでも行った。やがて、人間だったエルドラドは、転じて金で覆われた秘密の谷を指すようになった。 エルドラドを目指した探検家のひとりが、英国人のウォルター・ローリー卿だ。1617年の遠征では息子のワットが死亡し、ローリー卿自身もヨーロッパに帰還後に、王の命令に背いた罪で処刑されている。こうした強引なエルドラド探索で多くのアメリカ先住民やヨーロッパ人が命を落としたが、目当ての黄金は一度も見つからなかった。 しかし、この伝説がまったくのウソというわけでもない。ムイスカ人の伝説に登場する湖は、コロンビアのボゴタに近いアンデス高地にあるグアタビータ湖かもしれないのだ。 この湖や周辺では、複数の金製品と宝石が見つかったことがある。しかし、湖の水を抜いて伝説の財宝を回収しようとする試みは、すべて失敗に終わった。湖に沈められた財宝があるとすれば、今も水中に眠っているはずだ。 コットランドの巨石遺構研究者のアレクサンダー・トムが提唱した古代の天文学装置であるとする説や、ヘルムート・トリブッチの提唱した蜃気楼の観測所であるとする説などが主流である。カルナック列石に関連のあるとされる古墳が近辺に多く見られ、聖ミシェル古墳などが知られている。☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ エル・ドラード(El Dorado)とは、南アメリカに伝わる黄金郷にまつわる伝説である。転じて、黄金郷自体や理想郷を指す言葉としても使用される。大航海時代のヨーロッパ、特にスペイン人の間で広まり、新大陸進出の動機の一つとなった。エル・ドラードとはスペイン語で「金箔をかぶせた」、または「黄金の人」を意味し、16世紀頃までアンデス地方に存在したチブチャ文化((ムイスカ文化)の儀式が基になっている。 この地方では金の採掘と装飾技術が発達し、コロンビアの首都ボゴタより北に57キロメートルの所に、山に囲まれたきれいな円形の湖がある[2]。 このグアタビータ湖では、その土地の首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習をもっていた。 大航海時代にスペインのコンキスタドール達がこの噂を聞き、この話に尾ひれがついて、アマゾンの奥地には黄金郷があるという伝説となった。また、スペイン人たちは当時黄金並みに価値があったシナモンの木がエルドラードの土地に自生しているとも信じていた。 エルドラード発見を目指した探検家たちは、死亡、飢え、共食い、発狂、破産などの状況に陥った。 1541年ゴンサロ・ピサロによって初めてエルドラード探索が行われた。彼は首長やスペイン人から聴取した話に触発され、200人の武装兵からなる隊を率いてキトから東に向けて出発した。アンデスを越えてアマゾン盆地に到着し、ジャングルを切り開いていったところシナモンの木を発見したが伝説とは程遠い量だった。ピサロは森の中で出会った先住民がエルドラードの情報を持っていなかったので拷問にかけたり犬に食わせたりした。 大河に辿り着いたピサロは隊を探検を続行する組と川を下っていく組に分けた。ピサロの副官フランシスコ・デ・オレリャーナは川を下るグループを率いて史上初めてアマゾン川を横断する偉業を達成した[6]。その事実を反逆と判断したピサロはアンデスを越えてキトに戻ったが、間も無く家に引きこもってしまった。 1545年にはオレリャーナが全財産を使って探検隊を組織しエルドラード発見に挑戦した。スペイン当局はオレリャーナ隊に航海の許可を与え無かったが、出港を強行してアマゾン川河口に辿り着いた[7]。隊は川を進み続けたが、病気や飢え、先住民の攻撃などに苦しめられ、オレリャーナも熱病に罹ったことから退却を決定したが、オレリャーナは熱病に侵されて命を落とした。 エル・ドラード伝説の噂はドイツにまでおよび、噂から端を発した推測から、1500 年代後半にはパリメ湖またはパリマ湖のほとりにあるマノアと呼ばれる都市がエル・ドラードと解釈された地図が作成され、数々の探検隊が黄金を求めて南米大陸へと渡った。○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/20240509000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/10
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 出来て間もない銀座・松屋の屋上から地上へダイビングした奴が出現(1926年)。無茶しやがって・・・ ◆ 女王エリザベス2世からMBE勲章を授与されたリヴァプールの悪童グループが最後のアルバム『Let It Be』発売(1970年)。 ◆ 350年前にガリレオ・ガリレイを地動説を唱えたことで有罪にした件に関してローマ教皇がエクストリーム・謝罪(1983年)。)【 彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月09日 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405080000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/09
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 神憑りに遭った一少女が率いるフランス軍が、海峡の向こうからやって来た野蛮人を撃破しオレルアン市を解放 (1429年) 。 ◆ オタクの痛い言動・行動を「イタイイタイ病」として公害病に認定 (1963年) 。 ◆ 労働者からも資本家からも疎外されがちなサラリーマンよ団結せよ!とサラリーマン新党が結成される (1983年) 。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月08日 】◎◎誰が、いつ、何のために? 今も解けない巨大な古代遺跡の謎5選 ◎◎-- イースター島のモアイ像と文字、ヘビ形の巨大塚、ナスカの地上絵など -- 立石(りっせき)、得体のしれないマウンド(塚)、地上に描かれた線。古代文明は、その存在の痕跡を残して滅びた。当時の人々にとっては深い意味があったに違いないこのような遺跡に込められた思いを、現代の私たちが知ることは難しい。その後の地球に生きる私たちは、「誰が? 正体は? いつ? なぜ?」と思いを巡らせるしかない。 考古学者たちは、こうした重要な意味がありそうな遺跡の調査を進めてきたが、いまだにその謎が解明されていないものもある。ここではその一部を紹介しよう。 カルナック列石の意図は? フランスのカルナック村の近くには、風雨にさらされて摩耗した3000点以上の巨石が列をなす。単体の石を立てた「メンヒル」と、複数の石を組み合わせた「ドルメン」が、約3キロにわたって続く。これらの石は数千年前に立てられたが、その目的や起源はいまだにわかっていない。 巨石群は、その後の変遷するブルターニュの文化において神聖視されてきた。古代ローマ人は、花崗岩にローマの神々を彫った。のちにキリスト教徒たちは独自のシンボルを加えた。一説によれば、異教徒の兵士たちによって海へ追い詰められた聖コルネリが、兵士たちを岩に変え、それがメンヒルとして残ったとも伝えられている。しかし、実際には、これらの巨石群はキリスト教の発祥よりもはるかに古い。ブルターニュ地方のケルト人以前の新石器時代の人々によって、紀元前4500年~前2000年頃に作られたとされている。カルナック列石は古代の神々をたたえるためだったのか、祖先を敬うためだったのか、太陽や星々の動きを示しているのか。灰色の巨石群の秘密は、いまだに明かされていない。カルナック列石は、ブルターニュ地方最大[1]の巨石遺構で、巨大なメンヒルが総延長およそ4kmにわたり数列に並んでいる三つの列石群からなる。紀元前5000年[2]あるいは、紀元前3000年から紀元前2000年頃に造られたとされるが、その目的は精霊や巨人が建てたとする伝説の他、戦士の墓、種族の記念碑、天文学上の目的等、あるいは生命の起源と関連付けたようなオカルト系学説など諸説があり、はっきりしていない。 スコットランドの巨石遺構研究者のアレクサンダー・トムが提唱した古代の天文学装置であるとする説や、ヘルムート・トリブッチの提唱した蜃気楼の観測所であるとする説などが主流である。カルナック列石に関連のあるとされる古墳が近辺に多く見られ、聖ミシェル古墳などが知られている。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405070000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/08
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 新治県であるチバラギが分割され、茨城県と千葉県による搾取が始まる(1875年)。◆ 聖徳太子が役人の体たらくに我慢出来ず、「十七条憲法」で生活習慣の改善を求めた(604年)。◆ ソビエト連邦を文字通りぶっ壊した酔っ払い親父の後始末を行うため、スパイ上がりの男がロシアのトップに(2000年)。酔っ払いおやじのお友達は当初与し易しと思っていたが、何時の間にか自分たちが粛清されました。=ウラジーミル・プーチン外伝=【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月07日 】◎◎誰が、いつ、何のために? 今も解けない巨大な古代遺跡の謎5選 ◎◎-- イースター島のモアイ像と文字、ヘビ形の巨大塚、ナスカの地上絵など -- 立石(りっせき)、得体のしれないマウンド(塚)、地上に描かれた線。古代文明は、その存在の痕跡を残して滅びた。当時の人々にとっては深い意味があったに違いないこのような遺跡に込められた思いを、現代の私たちが知ることは難しい。その後の地球に生きる私たちは、「誰が? 正体は? いつ? なぜ?」と思いを巡らせるしかない。 考古学者たちは、こうした重要な意味がありそうな遺跡の調査を進めてきたが、いまだにその謎が解明されていないものもある。ここではその一部を紹介しよう。 __イースター島の石像と文字に秘められた謎とは? イースター島(現地語では「ラパヌイ」)は、地球上で最も隔絶された有人島のひとつだ。1000年以上前、この島の住民たちは数十トンもある一枚岩を加工して、数百体のモアイ像を作った。これらは300年ほど前に発見されて以来、考古学者たちを魅了してきた。 人々は手工具を用い、主に火山性凝灰岩からモアイを彫りだして、何らかの方法で石の祭壇まで運んだ。その目的は何だったのか。どのようにして石像を移動させたのだろうか。 この島には、「石像が歩いた」という伝承がある。モアイは知られざる文明または宇宙人が移動させたに違いない、と主張した作家たちもいた。もっと学術的な観点から、台に乗せて運んだという説もあった。 島の人々の「モアイ像は歩いた」という言い伝えが正しかった可能性が、近年、考古学者たちによって示された。ロープを使い、数十人で底面のカーブに沿ってモアイ像を左右に揺らすと、石像は前に「歩く」ことができるのだ。 ヨーロッパの探検家たちが島にやってきた頃には、モアイ像の多くが倒れており、モアイ像を作った目的も島の伝承から消えていた。モアイ像は、対立するグループ間の権力の象徴だったのかもしれない。あるいは、平和な宗教的意図があったのかもしれない。 この島で発見された木や石の文字板も謎だ。こうした文字板にはロンゴロンゴ文字が書かれているが、解読できていない。この不思議な象形文字は左から右に読み、次の行は板を上下逆さまにして読む作りになっている。モアイ像とおなじく、この文字の謎も解明できないままだ。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405060000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/07
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ ゴムの日。ゆえにおそらくコンドームの日であろう。 「may(5)ロ(6)」の語呂合せから“迷路の日”でもある。いや、立夏である。 ◆ 聖徳太子が役人の体たらくに我慢出来ず、「十七条憲法」で生活習慣の改善を求めた(604年)。 ◆ 英仏トンネルの完成により、イギリス国民は再びコルシカの山師やら逆卍の独裁者やらの脅威にさらされることになった日(1994年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月06日 】○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405050000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/06
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 夏の始まりであるからして、田植えの前に身を清めるから女の日だ、いや菖蒲=尚武だから男の日だ、と散々揉めて今では子どもに全権がある日に。 ◆ 殺されたナチス活動家を顕彰した客船ヴィルヘルム・グストロフが、ハンブルクにて進水(1937年)。その8年後に1万人近くの乗客を乗せて、本人の許へ最後の航海に旅立った。 ◆ 日本から飛来した風船爆弾の不発弾がオレゴン州で爆発し、民間人6人が死亡。第二次大戦でのアメリカ本土での唯一の死者となる。(1945年)。なお第二次大戦でのアメリカ本土での唯一の死者となる。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月05 】 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405040000/- --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/05
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ ミシェル・ノストラダムスが100の自作の詩を収録した詩集を刊行する(1555年)も、後になって大予言だと勝手に騒がれ1999年を過ぎた後もその余韻は残っている模様だとか。 ◆ 女性の社会進出がエポック、日本人女性登山隊がマナスルの登頂に成功(1974年)。五年後の1979年、“鉄の女”大英帝国を行事ることに・・・・ ◆ 寺山修司、田園に死すの望みが叶わず病院のベッドの上で死す(1983年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月04 】◎◎世界的冒険家のディーン・ポッター氏が墜落死 ◎◎--米国ヨセミテ国立公園で何が起きたのか-- 2003年、ベースジャンプ歴わずか1年足らずだったディーン・ポッターは、メキシコシティ近郊にある深さ約400メートルの竪穴洞窟ゴロンドリナス(Cave of Swallows)の崖っぷちに立っていた。その穴へ向かって身を投じ、183メートルを自由落下した後、パラシュートを開こうとした。ところが、前日の夜に降った雨のせいで装具が濡れてしまい、パラシュートが開いた時に紐がねじれ、傘の部分はポッターの頭上で潰れてしまった。 しかし運良く、着地したジャンパーたちが帰りに登る時に使用する太さ10ミリのロープがすぐそばに垂れ下がっていた。 洞窟の底までわずか61メートルという空中で、ポッターはとっさにロープを掴み、全身の力を込めてしがみついた。 ポッターのパートナーであり、ベースジャンプの指導をしていたジミー・パウチャートは、その少し前にジャンプを終え、洞窟の底から全てを目撃していた。「絶対に離すなよ!」と、ポッターに向かって叫んだ。 「絶対に離すな!」 文字通り、死のグリップだけに頼ってポッターは落下速度を落とし、地面へ叩きつけられるという事態を免れた。ポッターの頭からパラシュートを取り除けたパウチャートは無事な姿を確認すると、思わずおでこにキスをした。 文字通り、死のグリップだけに頼ってポッターは落下速度を落とし、地面へ叩きつけられるという事態を免れた。ポッターの頭からパラシュートを取り除けたパウチャートは無事な姿を確認すると、思わずおでこにキスをした。 ポッターのこのような数々のエピソードから、フリーソロ(ロープなしのロッククライミング)やハイライニング(地上数百メートルの高さにロープを張り、時には命綱なしで行う綱渡り)、ウイングスーツベースジャンプ、それにヨセミテの巨大な岩壁を登るスピードクライミングといった死と隣り合わせの行為の限界を押し広げて見事生還するとしたら、彼の右に出るものはいないだろうと、世界のクライマーたちが信じている。身長196センチ、体重82キロ、堂々とした風貌のポッターは、同世代の中では最も影響力のあるクライマーであり、ジャンパーの1人として広く認識されていた。 その彼の最大の恐怖であった死への落下が、先週ヨセミテ国立公園で現実のものとなった。ベースジャンプ中の事故によって死亡したのだ。43歳だった。ヨセミテ公園で何が起きたのか 5月16日午後7時30分過ぎ、ディーン・ポッターとグラハム・ハント(29歳)は、ヨセミテ国立公園内にある高さ約900メートルの崖タフト・ポイントから「ウイングスーツベース(ウイングスーツを着用したベースジャンプ)」を行い、岩に衝突して死亡した。 ウイングスーツベースの歴史はまだ10年余りと浅く、地上で最も危険なスポーツと言われている。例えば、2008年のある統計によると、建物、アンテナ、橋、崖などの固定物からパラシュートを着けて飛び降りる普通のベースジャンプだけでも、60人に1人が命を落としている。 ウイングスーツベースはそれよりもはるかに危険とされている。ウイングスーツとは、腕と足の間に帆布を張ったムササビのような全身スーツのことで、これを着用して行うベースジャンプは高度な飛行操作能力が要求される。時には、建造物や岩肌のすぐそばを時速160キロ以上の猛スピードで下降する。 米国の国立公園では、安全上の理由からいかなるタイプのベースジャンプも禁止されているが、実際のところ、意欲満々のジャンパーたちを取り締まることはほとんどできていないのが現状だ。 人々の安全を守るはずの連邦法が、正反対の効果をもたらしているという指摘もある。米国の高い崖のほとんどは国立公園内にあり、ベースジャンパーたちは姿を見られないように視界の悪い夜や夕暮れ時にジャンプしがちだ。 確証はないものの、視界の悪さがポッターとハントの事故に繋がったのではないかとも考えられている。タフト・ポイントでは、以前にもウイングスーツでジャンプした人はいたが、ポッターとハントの取った滑空ルートは新しく、あまり知られていなかった。ポッターが今回、ペットの犬ウィスパーを連れて行かなかったのもこのためだ(ポッターはしばしば、背中にウィスパーをくくりつけてジャンプすることでも批判を受けていた)。 ヨセミテ公園捜索救助隊(YOSAR)の初期報告によれば、2人は滑空中に岩と岩の間を通過しようとして失敗し、激突してしまったのではないかという。 2人が予定の時刻を過ぎても戻らなかったため、友人らはヨセミテ国立公園長でポッターの友人でもあるマイク・ガウシアー氏に連絡を取った。 ガウシアー氏はYOSARの出動を要請したが、土曜日夜に急遽行われた徒歩での捜索では何も成果が得られなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=hO7dEOHlh4I ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405030000/ - --------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/04
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 明治政府軍が、徳川幕府に「お前はもう、死んでいる」と宣告(1868年=無血開城=)。 その79年後に、メリケン様による占領軍が「国民が主人公」の憲法を施行し、明治政府に「お前はもう、死んでいる」と宣告(1947年)。因果は巡る。◆ ネットを通じて誰もがスパムを食べさせられる事件が発生(1978年=スパムメール=)。犯人はスパム帝王と呼ばれたデブではないので念のため。◆ 朝日新聞が天皇陛下のために記者一人を生贄にささげる(1987年=赤報隊事件=)【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月03日 】◎◎ 「天空の寺院」も、カンボジアの知られざる古代遺跡4選 ◎◎-- 2023年に登録された世界遺産ほか、見どころはアンコール・ワットだけじゃない -- 900年前に建造されたカンボジアのアンコール・ワットには、2024年はおよそ140万人が訪れる見込みだという。しかし考古学者のサラ・クラッセン氏によると、そこから北東へ110キロほど離れた場所にも、一時クメール王朝の首都だった遺跡がある。コー・ケー遺跡だ。 カンボジア最大のピラミッドを含むこの遺跡群は、2023年にユネスコの世界遺産に登録された。カンボジアには、このように歴史的価値が非常に高いものの、旅行者にはとかく見落とされがちな遺跡が数多くある。9世紀から15世紀にかけて繁栄したクメール王朝と、あまり知られていない遺跡を4カ所紹介しよう。 クメール王朝の興隆とアンコールの繁栄 802年ごろ始まったクメール王朝は、その後現在のベトナムからミャンマーに及ぶ領土を支配し、東南アジアで最も有力な国の1つとなった。 強大な権力を持つ君主は神と崇められ、首都はアンコールに置かれた。現在ここには広さ約1.6平方キロメートルに及ぶアンコール・ワットが残っている。 12世紀に建立されたこの大寺院は、緻密なレリーフ彫刻が施された高くそびえる尖塔、屋根付きの回廊、広々とした中庭などを特徴とした世界最大級の宗教的建造物だ。カンボジアを代表する聖地として、国旗にも描かれている。 「アンコールに残っているような巨大建造物を造るには、膨大な労働力が必要です。それだけの数の人々を動員できた王朝の力には驚かされます」とクラッセン氏は言う。カンボジアの古代遺跡をレーザー技術を使って調査するCALI(Cambodian Archaeological Lidar Initiative)プロジェクトの共同ディレクターで、コー・ケー遺跡考古学調査プロジェクトのディレクターでもあるクラッセン氏は、こうした遺跡は文明の「富と権力の証し」だと付け加えた。 乾期が長い東南アジアを統治するには、高度な貯水と用水路のシステムが欠かせない。「水の管理と王権は密接に結びついていました」と言うクラッセン氏は、治水を適切に行えなくなったことが王朝の滅亡へとつながっていったのではないかと指摘する。 アンコール・ワット以外のおすすめの遺跡 コー・ケー遺跡群 カンボジア最大のピラミッド「プラン」は、コー・ケー遺跡群の中心的存在だ。 コー・ケーにはクメール王朝の首都も置かれたことがあり、「地位的にもアンコール遺跡に匹敵する唯一の遺跡です。しかし、ここが首都だったのはたった16年間でした」とクラッセン氏は言う。首都がアンコールに戻された理由は、クラッセン氏などコー・ケー遺跡を調査する研究者が解き明かそうとしている謎の1つだ。コー・ケー遺跡群は10世紀、ジャヤバルマン4世によって築かれ、リンガの彫像が多くあることで有名なヒンドゥー教の寺院跡だ(リンガは男性器をかたどった円柱状の像で、シバ神の象徴)。プレア・ビヒア国家局で記念碑・考古学部門のディレクターを務めるエア・ダリス氏によると、この遺跡群では、リンガはピラミッドだけではなく、20以上の寺院に置かれている。 採石場から近かったこともあり、高さ35メートルのピラミッド、リンテル(窓や出入り口などの上に水平に渡したブロック)、像など、コー・ケーの建造物はアンコールのものより精巧にできている。 「巨大な一枚岩が最初に使われたのもコー・ケーでした」とダリス氏は言う。コー・ケー遺跡群は、アンコール・ワットと似た造りをしている12世紀のベンメリア遺跡と一緒に訪ねることも可能だ。 サンボー・プレイ・クック遺跡 サンボー・プレイ・クック遺跡群は、カンボジア東部の深い森に点在する180以上の寺院跡から成る。これらの寺院はレンガ造りで、ヒンドゥー教図像が彫刻されている。サンボー・プレイ・クックはクメール王朝以前の遺跡で、当時はここを中心にして、各地の集落が水路によって結ばれていた。寺院が集中しているエリアは3つあり、寺院はすべて中央の台座にのった塔を小さな建造物が取り囲む形になっている。「レンガ造りの塔としては高さにおいても大きさにおいてもカンボジアで最大級です」と、ダリス氏は言う。 プレア・ビヒア遺跡、断崖の上に建つ「天空の寺院」 タイとの国境にあるダンレク山脈の、高さ500メートルを超える断崖の上に建つプレア・ビヒア遺跡。このシバ神をまつる寺院は10世紀から12世紀にかけて建立され、クメール朝の王族たちにとっての巡礼地だった。 「地理的な環境によって、この遺跡は独特なものになっています」と、シェムリアップを拠点に研究する考古学者デイビッド・ブラザーソン氏は言う。 遺跡の見どころは800メートルのまっすぐな参道でつながる5つの楼門だ。「楼門はすべて山中にある採石場から切り出された砂岩でできています」とダリス氏は説明する。入場券売り場から寺院までは6キロ以上あり、見学者はバイク(約800円)か四輪駆動車(約3800円)を借りることができる。 バンテアイ・チュマール遺跡 バンテアイ・チュマール遺跡は12世紀にジャヤバルマン7世が創建した寺院跡で、カンボジアの寺院の中で最大級の広さを誇っている。バイヨン寺院を思わせる四面仏の塔、タプローム寺院のガジュマルの根を彷彿とさせる巨大樹の根、プリヤ・カーン遺跡を思い起こさせる欄干、西側の壁を飾る32本の腕を持つ菩薩像のレリーフなどが見どころだ。 ブラザーソン氏によると、カンボジア西部にあるバンテアイ・チュマール寺院は、元々敵対する勢力に王権の力を見せつけるためのものだったという。「遺跡の大部分は未修復で、映画『トゥームレイダー』を地で行くようなジャングルの中の寺院を体験できますよ」 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/20245020000/---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/03
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 明治政府軍が、徳川幕府に「お前はもう、死んでいる」と宣告(1868年=無血開城=)。 その79年後に、メリケン様による占領軍が「国民が主人公」の憲法を施行し、明治政府に「お前はもう、死んでいる」と宣告(1947年)。因果は巡る。◆ ネットを通じて誰もがスパムを食べさせられる事件が発生(1978年=スパムメール=)。犯人はスパム帝王と呼ばれたデブではないので念のため。◆ 朝日新聞が天皇陛下のために記者一人を生贄にささげる(1987年=赤報隊事件=)【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月02日 】◎◎ 岩に残された、太古の物語 ◎◎ 何千年もの長きにわたって、先住民の人々は現在の北米各地で、自分たちの物語を岩や大地に刻みつけたり描いたりしてきた。多くの芸術作品の存在が明らかになるにつれ、先住民と非先住民の両方の専門家たちが、豊かな文化遺産を紹介しようと努めている。 古代の先住民による芸術作品に関しては、わかっていないことが非常に多い。正確にはいつ作られたのか? 作り手にとって、その作品はいったい何を意味していたのだろう? それでも私たちは、岩に彫られ、石に描かれ、泥に刻まれ、大地に築かれた作品から、多くを学び取ることができる。おそらく最も重要な点は、何万年にもわたって、米国先住民の豊かな社会が「カメの島」(多くの先住民は北米大陸をこう呼ぶことを好む)に存在してきたということだろう。 精巧なペトログリフ(岩に刻まれた絵)やピクトグラフ(岩に顔料で描かれた絵)、地上絵は、過去を現在へ、そして未来へとつなげる役割を果たす。こうした芸術は、先住民の血を受け継ぐ共同体にとって、植民地主義によってほぼ完全に破壊された伝統的な生活様式の復活を象徴するものだ。○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202405010000/---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/02
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 郵便物を贈る際に貼る収入印紙をイギリスが時の女王をモチーフにして発行し、利用者にご理解とご協力を強制お願いさせる (1840年) 。◆ アメリカ合衆国はシカゴの労働者の不満が爆発し、ストライキに (1890年) 。 これが今に続く労働者の祭典・メーデーの起源だったりするが、時には当局によって中止に追い込まれたり血を流すほどの事態になったり(1952年=血のメーデー事件=)もした。◆ 2019年のこの日から令和である。あくまで「令和」であって、平成の失われた30年を取り戻してゼロ=「零和」にした訳ではない。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年05月01日 】太古の中央アジアで生まれたゾロアスター教は今、信者の数を著しく減らしている。新たな価値観の下、再興を試みる人々の現状を追った。 2023年12月のある朝早く、インド西部の海に面した小都市ウドバダで、アーリア・ブームラは宿泊所の硬いベッドから起き上がった。 服を着て、歯ブラシを手にし、欠けた2本の前歯の周りを念入りに磨きながら、何カ月もかけて暗記した祈りの文句を頭の中でおさらいする。7歳のアーリアは2人きょうだいの長女。彼女はこの日、家族が信仰する世界屈指の長い歴史をもつ宗教の一つに正式に入信することになっていた。 日が昇り、熱い日差しが照りつけるなか、アーリアは家族や友人たちと未舗装の道を歩いて、高い壁で囲まれ、石と木材でできた白い大きな神殿の建物群、イランシャー・アタシュ・バフラムに向かった。翼の生えた巨大な雄牛の人面像が両側に一体ずつ置かれた入り口に立つと、教えに従って十分に身を清めた者でなければ境内には入れないと、係員に促された。ここはインドで最も神聖な場所の一つなのだ。 言い伝えによると、その昔、ゾロアスター教徒だったアーリアの先祖たちが暮らしていた土地に、イスラム教徒であるアラブの軍勢が攻め入ったという。先祖たちはアラブの支配者の宗教的な迫害から逃れるため、1300年前にインド西部グジャラート州の沿岸部に移り住み、アラビア海に臨むこの地でゾロアスター教の教義と儀式をよみがえらせた。 鍛冶をするときに出る火花や稲妻など、16種の火元から集められた火を守ることもその一つだ。以後、その火は「モウベド」と呼ばれる白装束の神官たちの手で手厚く守られてきた。 境内に入ると、アーリアは聖水で身を清め、浄化された雄牛の尿を3回すすり、真新しい白い服を着て、銀のつぼの中で燃えさかる火の周りに集まったモウベドたちに加わった。祈りの言葉が空へと立ち昇る。「私は創造者アフラ・マズダーをあがめ、預言者ザラスシュトラの教えに従います」。3500年前まで日常語として使われていた言葉でモウベドたちが唱えると、アーリアもそれを復唱した。 ゾロアスター教が最初に現われ、広まった地域の片隅には、アーリアとその家族をはじめ、今も細々と信仰を守り続けている正統派の信者たちがいる。だが、その数は減少の一途をたどっている。かつてのペルシャ帝国とその周辺、つまり今のイランとインド、パキスタンに、10万人足らずの信者が残っているだけだ。 しかし過去100年ほどの間に、この宗教は発祥の地から遠く離れた米国ロサンゼルスやメキシコの首都メキシコシティ、スウェーデンの首都ストックホルムなどに広まった。そこでは、はるか昔に現れた預言者ザラスシュトラの教えに従うのなら誰でも信者と認めるという、新しい進歩的なコミュニティーが生まれている。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202404300000/---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/05/01
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ チンコ屋のテーマが初演奏される(1900年= 神戸の観艦式=)。◆ 昨日、エヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンと結婚したアドルフ・ヒトラーが夫婦揃って心中。結婚した二人を労農赤軍がモスクワへ新婚旅行に招待させようとしたが、そうはさせじと遺言によって二人の遺体は徹底的にローストされた(1945年)。◆ ポケットに入るサイズのラジオをソニーが発売。ポケットに入らないと言う苦情に対しては、ポケットをラジオに合わせれば良いとした(1960年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年04月30日 】 エジプト、アビドスの警備員が、神殿の柱に光が差し込む様子を見ている。アビドスは人里離れた渓谷にある古代エジプトの埋葬地兼礼拝所で、略奪と都市開発の脅威にさらされている。(PHOTOGRAPH BY GARGOLAS, GETTY IMAGES) / アビドスは、エジプトの首都カイロから南に400キロ余りの干上がった渓谷にある。神殿とネクロポリス(大規模な墓地)が無秩序に広がっており、古代エジプト初期のファラオたちが埋葬されている。 アビドスの建設が始まったのははるか5900年前だ。現在、訪問者は石柱が立つホールを歩いたり、エジプト王セティ1世をたたえる精巧な壁面彫刻を見たり、古代エジプトの死の神オシリスをまつっていたと思われる石造りの地下建造物オシレイオン(オシリス神殿)をのぞいたりできる。 しかし、この遺跡は略奪者に荒らされてきた。古代には宝物が盗まれ、近年も違法な発掘が続いた。今や、アビドスはエジプトで最も厳重に警備され、最も訪問者が少ない遺跡の一つだ。「警備が厳重で、訪問者用の設備が整っていないことが、(アビドスの)訪問者の少なさにつながっています」と文化遺産を守るNGO「ワールド・モニュメント財団(WMF)」のプログラム担当バイスプレジデント、ジョナサン・S・ベル氏は話す。 アビドスの衰退を食い止めるため、エジプト政府やWMFなどによって、いくつかの保護プロジェクトが立ち上げられている。カラフルな壁面彫刻を丹念にクリーニングしたり、オシレイオンの弱い箇所を補強するため、鋼鉄製のアンカーを打ち込んだりしている。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202404290000/---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/04/30
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ ライト兄弟の初飛行に先立ち、二宮忠八が烏型飛行器(プロペラ式模型飛行機)が飛行に成功(1891年)。以降、金なくスポンサー無きままに開発断念・・・・・。◆ おめでとう!五目並べはオセロに進化した(1973年)!!◆ シンボリルドルフが天皇賞で優勝を飾って五冠馬となり、「第2のシンザン」と呼ばれることに(1985年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年04月29日 】大きく枝を張った大木に、今を盛りと満開の桜がこぼれんばかりに咲き誇る。「日本で最も美しいと評判の桜」と、ナショナル ジオグラフィック英語版1914年7月号で紹介された、金沢・兼六園の「旭桜」だ。○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202404280000/---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/04/29
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★ ◆ 有名人が産まれる特異日。この日産まれたのには秀吉を苦しめた朝鮮人・孤独好きなアメリカ大統領・ポルトガルを長らく統治した経済学者・女の絵で有名な二科会のドン・神を証明しようとした不完全性定理で有名な数学者・名簿でユダヤ人を救おうとした方・イラクの血生臭いヒゲの親父・平和の船でワイワイやろうと言い出した張本人等々・・・・・◆ スイスへ逃亡中のベニート・ムッソリーニがパルチザンからリア充ぶりを指弾され、爆発させられる。(1945年)。◆ ダグラス・マッカーサーが「僕は死にましぇん。ただ消え去るのみです。」と言い放ち、日本を去って美しい国に帰還(1952年)。 【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年04月28日 】2019年5月、写真家のライトが現場に到着したとき、スーパーセル(超巨大積乱雲)は稲光を放ち、1軒の農家に襲いかかろうとしていた。この瞬間に立ち会えたのは「まったくの幸運」だったと彼女は振り返る。コロラド州で雹(ひょう)の襲撃に遭い、ネブラスカ州へ逃げてきたところで、この荒れ狂う積乱雲をとらえることになったのだ。 ○◎ ○◎ ◎ ◎ ◎ ◎○ ◎○ ◎○ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202404270000/---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/04/28
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★忘備忘却録/きょう(狂)の過去帳★◆ 「よ(4)いつ(2)な(7)」ということでロープデーだが、「し(4)に(2)な(7))」とも読めることから暗に首吊り自殺を薦めているのかも??◆ 金大中が朴正熙をあと一歩のとこまで追い詰めるが敗北(1971年)、恐れを為した朴は側近を使って2年後に仕返しする。◆ 4年前まで塀の中で臭い飯を食っていた黒人の爺さんが、長らく白人が我が物顔で支配していたアフリカ某国の支配者となる(1994年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年04月27日 】古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202404270000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/04/27
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 薩長の攻撃で焼け野原となった寛永寺の敷地の相当部分が、動物たちのパラダイスになる(1882年)。 ☆ 同志麻原コショウ氏により、千代田線・丸ノ内線・日比谷線を用いた霞ヶ関攻撃作戦が実行される(1995年)。 ☆ 湾岸戦争で親父が果たせなかったサダム・フセイン打倒を、12年目にして倅がリベンジ戦を開始(2003年)。 第一回ワールド・ベースボール・クラシックでイチローが世界の野球国を向こう30年敵に回す(2006年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月20日 】焦点:中国、昨年は温暖化対策の重要目標が未達 実行力に疑問の目=Reuters / 中国・こらむ / 2024年3月16日 / David Stanway Reports on climate and environmental topics, including the state of the oceans and the long transition to clean energy.[シンガポール 12日 ロイター] - 中国は昨年、温暖化対策の重要な指標が目標を達成できなかった。このため政府が取り組みを大幅に強化し、対策を再び軌道に乗せなければ、気候変動を巡る国際協議の場で中国に対する信頼が揺らぎかねないと専門家は指摘している。中国はこれまで目標を達成できないことがほとんどなかった。しかし最近では主にエネルギー安全保障への懸念から、目標達成に向けた政治的意志をほとんど示していないと、アナリストは指摘する。中国国家発展改革委員会(NDRC)は先週、2023年に温暖化対策の主要指標が「見通しを下回った」ことから、今年は「省エネと二酸化炭素(CO2)削減の努力を倍加する」と表明した。アナリストによると、21─25年にエネルギー強度(一定の国内総生産を創出するために必要なエネルギー量)を13.5%、炭素強度(一定の国内総生産を創出するために必要なCO2排出量)を18%引き下げるという目標は進展が大幅に遅れている。エネルギー強度と炭素強度の目標は、30年までにCO2排出量をピークアウトさせ、60年までに実質ゼロにするという政府公約の柱だ。コンサルタント会社ウッド・マッケンジーのシニア・リサーチ・アナリスト、ジョム・マダン氏は「目標を達成するには、目標値とのギャップを埋めるために全部門が協調して取り組む必要がある」と述べた。しかしNDRCが打ち出した24年の目標は、エネルギー強度が2.5%の引き下げで、炭素強度については新たな目標が設定されず、いずれも必要な水準に遠く及ばなかった。また最も温暖化の影響が大きい化石燃料である石炭も使用の抑制に向けた新たな動きがなかった。マダン氏は中国の省エネの取り組みについて、「目標に近づくが、達成には至らないだろう」と予想。25年の目標を達成できなければ、排出量を抑制に向けた中国の実行力について世界中で疑念が広がると懸念を示した。センター・フォー・リサーチ・オン・エナジー・アンド・クリーンエアの首席アナリスト、ラウリ・マイリビルタ氏は「中国が外交面の信用を著しく損なう」リスクもあると指摘。「中国は長い間、自国の公約実行能力を強調する一方、他国が高い目標を掲げていることを批判してきた」と言う。NDRCはコメント要請に応じていない。世界最大のCO2排出国である中国に対しては、気候変動問題でもっと積極的な姿勢を見せるよう求める国際的な圧力が高まっている。しかし中国は、既にほとんどの急成長国よりも多くの対策を実行していると主張し、圧力に抗ってきた。中国は排出量が増えており、全世界の年間総排出量に占める比率は35%に達している。国際エネルギー機関(IEA)の先週の発表によると、中国は国民1人当たりの排出量が経済協力開発機構(OECD)加盟国平均より15%多い。マダン氏によると、中国が目標を達成するためには、鉱工業と建設業における省エネに重点を置き、老朽化した施設の建て替えや改修を行う企業に対してより多くの財政支援を行う必要がある。また炭素市場の拡大も有効だという。<新たな現実>中国の統計局が先月発表したところによると、2023年のエネルギー強度は0.5%の低下で、目標の2%低下に届かなかった。しかし中国は先月、化石燃料への取り組みに焦点を当てるため、原子力や再生可能エネルギーといった非化石燃料をエネルギー強度の算定から除外している。マイリビルタ氏によると、中国は昨年のエネルギー強度算定の際にこの手法変更をさかのぼって適用している。変更がなかったとすればエネルギー強度は0.5%の上昇だった。マイリビルタ氏の試算によると、中国が21─25年の目標を達成するためには、24年と25年にエネルギー強度を6%引き下げる必要がある。しかし北京に拠点を置く公共環境問題研究所のマー・ジュン所長は、エネルギー強度は将来的にはそれほど重要でなくなるかもしれないと、算定手法の変更を擁護。変更は中国の「新しい現実を反映したもの」で、経済成長のけん引役は再生可能エネルギー部門へとますます移り、化石燃料に依存する産業はエネルギー効率を高める必要性に迫られると予想。「つまり、炭素強度がより重要になる」と主張した。中国は炭素強度について新たな目標を設定していないが、経済成長に伴って炭素強度は今年約3%低下すると専門家は見ている。しかし20―23年にかけて4.6%低下した炭素強度を25年に目標に乗せるためには、今年と来年で約7%低下させる必要があると、マイリビルタ氏は指摘した。中国は強度目標達成を従業員や機関に奨励するため、環境面の取り組みを昇進の条件にしている。中国の汚職監視機関は22年に、一部の地域がエネルギー強度と炭素強度の数値の改善を過大に見せかけていると警告した。10年には、強度目標の順守を求める圧力が経済混乱も引き起こしており、この時は当局がエネルギー消費の多い産業への電力供給を抑制し、一般家庭への供給も制限された。アジア・ソサエティー政策研究所のリー・シュオ氏は、今から気候変動対策を大幅にてこ入れしなければ「25年までに5年間の強度目標を達成するのは非常に難しい」と指摘。「今年の政府報告からは目標達成の決意が全く読み取れない」と手厳しい。古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403190000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/20
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ はとバスの1羽目が出発する(1949年)。 &so、 西宮市の山奥で幼児2人が誤って浄化槽へ落ちて亡くなり、監督不行き届きだとして保育士が殺人鬼扱いされる(1974年)。 ☆ 大陸の沖合の島々に牛喰らいのタンゴ好きが無断で上陸、ブチ切れた変態紳士が赤道を越えて殴り込みを起こす切っ掛けに(1982年=フォークランド紛争)。 ☆ 1997年- 東電OL殺人事件発生。 2008年- 土浦連続殺傷事件の最初の事件が起こる。 &so、2018年- キタシロサイ最後のオス、スーダンが死去し、絶滅が事実上確定。x【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月19日 】ロシア人はなぜプーチンを支持するのか? 元商社マンが見たプーチン誕生後のロシア社会見聞録(下) =後節==Wedge_Online 【古希バックパッカー海外放浪記】 2024年3月17日 高野凌( 古希バックパッカー) ゾルゲはロシア系ドイツ人。1933年~1941年までドイツの新聞社の東京特派員という身分を使ってソ連共産党の司令の下で諜報活動をした伝説のスパイである。最後は特高警察に逮捕され処刑された。 ゾルゲが日本にはソ連侵攻の意図はないという情報をスターリンに送った結果、ソ連はシベリア・極東の師団を対独戦線に送って勝利することができた。ちなみにソ連邦時代から現在に至るまで駐日大使が東京に着任すると東京多磨霊園にあるゾルゲの墓に墓参するのが習わしとなっているという。 日本人は自虐的歴史観の影響があるのか、政治家が愛国心を語るとネガティブに受け取ることが多いが、ロシア人にとり愛国心=祖国愛である。例えばプーチンは、モンゴル訪問時に真っ先にノモンハン事件で日本軍を駆逐したジューコフ将軍記念館(ウランバートル市の高台にある)を訪れている。ジューコフ将軍はロシア人2000万人(一説には2700万人)が犠牲になった独ソ戦を勝利に導いたソ連邦国家英雄である。プーチンは意識的にロシア人の愛国心を煽り自ら愛国者であると印象操作をしているのだ。ノーメンクラツーラ(赤い貴族)が牛耳るロシア行政とプーチン政権 しばしばプーチン政権は、治安機関や警察などを掌握して、経済的にはオリガルヒと結びついているので、政権基盤が安定していると言われる。筆者はさらにノーメンクラツーラ(ソ連邦時代の行政機関の特権的エリート階級。赤い貴族とも呼ばれた)の末裔がソ連邦からロシアに変わっても実権を握りプーチン政権を支えていることも指摘したい。 2003年夏、債権回収のために接触を重ねていた某銀行頭取から大蔵省高官を紹介したいと提案があり頭取・高官と勤務先商社のモスクワ支店長と日本料理レストランの個室でランチをした。 当時債権回収交渉は行き詰まっていた。そんな中で大蔵省の実務担当者から紹介されたのが某銀行である。頭取は50歳前で若く風貌がクリントン大統領に似ておりロシア人には見えない。彼の経歴を調べても金融関係の経験はない。そもそも某銀行は職員が数名しかいない幽霊会社のような組織だった。 紹介された高官は40代前半のガガーリン少佐を彷彿とさせる金髪碧眼のハンサム。ロシア人にしては珍しく完璧なキングス・イングリッシュ。聞くと英国の寄宿学校を卒業してモスクワの国際関係大学を卒業という。外交官だった父親が英国大使館勤務時代に寄宿学校に入学したという。出された名刺の肩書は次官級。 高官一家はスターリン時代の祖父の代からモスクワの一等地のゴーリキー通りの高級アパートで暮らしてきたノーメンクラツーラだった。国際関係大学卒業後はソ連邦対外貿易公団で海外勤務を経験という超エリート・コース。その間にギリシアの海運王オナシス一族、スペインの元国際オリンピック会長のサマランチ始め各国の有力者と人脈を形成。ソ連邦崩壊後は国際経験を買われて大蔵省に移ったという経歴。 高官は「某銀行頭取を通じて債権回収申請手続きを完了すれば、大蔵省内の許可は問題なく下りますよ」と何事でもないように明るく微笑みながら請け負った。直感で高官の言葉の意味が理解できた。祖父の代からのノーメンクラツーラの高官はプーチン政権上層部と利権で繋がっていたのだ。白夜に聞いた美男美女カップルの描く未来 2003年夏、投宿しているホテルの隣の公園のカフェテラスで夕焼けを眺めながらビールを飲んでいた。ふと気がつくと奥のテーブルに若いカップルがいた。2人とも思わず振り返ってしまうほどのブロンズの美男美女である。なにか映画のワンシーンを見ているようだった。 男性は若き日のアラン・ドロンを彷彿とさせる美貌でちょっとワルそうな感じもする。女性は典型的ロシア美人で彼に首ったけという恋愛オーラが漂っていた。当時のモスクワの状況から考えて夜の女とヤクザのヒモのようにも思えた。 しばらくすると女性が筆者のテーブルに来て「失礼ですがあの男性が貴方とお話ししたいと言っています」とキレイな英語で話した。やはり想像どおりだったと思ったが、話を聞かずに断るのは紳士道に反すると思い直し女性に勧められるままに男性の前の椅子に座った。「彼は英語が全く話せないので私が通訳します」と女性は男性と筆者の間の椅子に腰かけた。彼はロシア語で自己紹介を始めた。彼女が必死に単語を探しながら筆者に顔を近づけて通訳する。ビールを飲みながら黄昏時に甘い発音の英語を聞きながらブロンズ美女と至近距離で会話するというのは当時50歳のオジサンにとり至福であった。 あらましは以下のようだ。「自分はIT関係の事業を友人と2人で立ち上げたばかりで毎日睡眠時間を削って仕事をしている。女性は婚約者で事業が軌道に乗ったら結婚する予定。今日は久しぶりに時間が取れたのでデートしている。貴方は日本のビジネスマンとお見受けした。われわれは世界に関する情報も少なくビジネスの経験もない。お時間を頂けるならご教示を賜りたい。 そして、“ロシアの現状を世界はどう見ているのか”、“ロシアの未来について世界はどう予測しているのか”、“日本はなぜ高度経済成長して短期間で先進国になれたのか”というような質問からどんどん話が広がり白夜が終わる深夜3時まで徹底討論してしまった。将来の夢を持った若い人と会話をするのは間違いなく楽しく心が弾む。 あの白夜から21年が経過した。果たして2人は3月17日までのロシア大統領選挙でプーチンに対してどのような審判を下したのだろうか。古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403180000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/19
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ オラガ大将の新居が完成するものの、僅か4ヶ月で昭和天皇に追い出される(1929年)。 ☆ 明治村が開村し、明治時代にタイムスリップが可能になる(1965年)。 &so、識者よ、視野を広く!!! この年に、ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオノフが宇宙船ヴォスホート2号から離れて、史上初の船外活動を行った。 ☆ 名古屋で勝手に帝王切開をされた妊婦が死亡、執刀医が失踪したまま事件は迷宮入りに(1988年=名古屋妊婦切り裂き殺人事件)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月18日 】ロシア人はなぜプーチンを支持するのか? 元商社マンが見たプーチン誕生後のロシア社会見聞録(下) =前節==Wedge_Online 【古希バックパッカー海外放浪記】 2024年3月17日 高野凌( 古希バックパッカー) =前節(上)=に続いてプーチンがなぜ多くのロシア国民から支持されているのか考えてみたい。 2002年10月、ロシア初のミュージカルという触れ込みの『ノルド・オスト』を鑑賞。当時モスクワ市内ではミュージカル『シカゴ』も上演されていたがロシア初に惹かれて『ノルド・オスト』に決めた次第。第二次大戦中の北極圏での飛行機冒険談というようなストーリーだった。 劇場は1000人近い観客で満席。欧米先進国に劣らない純ロシア国産本格的ミュージカルであるとして観客は大いに愛国心と栄光のソ連邦へのノスタルジアを掻き立てられたようだった。終演後のカーテンコールも万雷の拍手だった。 そのわずか1週間後の10月23日に『ノルド・オスト』上演中の劇場はチェチェン独立派武装勢力により占拠され900人以上が人質となった。最終的にはプーチンの決断により特殊部隊が強行突入して人質を解放。犯人42人は全員射殺されたが人質129人が犠牲になった。 その後2004年にも学校占拠事件が起こり銃撃戦で約400人(半数は子供)の人質が犠牲になった。度重なるチェチェン独立派のテロに対してぶれずに強硬策を継続したプーチン政権は最終的に治安を回復した。 事件当時プーチンの強硬策には賛否両論あったが、時の経過とともに治安を回復したプーチン政権の功績のみが一般ロシア国民の記憶に残った。家族がプーチン流強硬策の犠牲になった不幸な人々はロシア国民全体からみれば数字的には極めて少数だ。それゆえ泥沼のチェチェン紛争とテロ事件からの短期間での治安回復だけがプーチンの功績として広く記憶されているのだ。米国映画のハリソン・フォードに嗚咽するモスクワっ子 2002年冬。新作米国映画『K19』の看板に惹かれて映画を見ることにした。モスクワ市内の映画館はほぼ満員で意外にも中高年の姿が目に付いた。 物語は1961年東西冷戦の最中、潜水艦からの弾道ミサイル発射実験をするためにソ連海軍の最新鋭原子力潜水艦K19が処女航海に出て原子炉事故を起こした実話であった。 ハリソン・フォードが艦長役の原潜はカナダ沖で原子炉事故を起こす。しかし艦長は機密漏洩を恐れて救援を求めず、自力で修理することを決断。修理チームの決死の作業で応急修理に成功したが、放射能被曝によりチームメンバーは次々と死亡した悲劇だ。 この決死隊の作業が始まるころから映画館内は異常な雰囲気に包まれ、あちらこちらですすり泣く声が聞こえ始めた。原子炉修理のクライマックスでは観客席から悲鳴や応援するような掛け声が相次いだ。 映画が終わってからもハンカチを握りしめて嗚咽している人々が残っていた。軍隊だけでなく役所や職場など様々な立場でソ連邦を支えてきたであろう中高年の人々の複雑で鬱屈した感情、ノスタルジックな愛国心を感じた。プーチンは巧みにこうしたロシア人の愛国心に訴えて求心力を保っているのだ。クルーズ船の名前はソ連のスパイ『リヒャルト・ゾルゲ』 2003年初夏、週末のモスクワ川クルーズを楽しんだ。当時はプーチン大統領の剛腕により治安も回復し経済も漸く安定し始めた時期であった。モスクワ川のクルーズ船発着ターミナルには大小様々なクルーズ船がひしめいていた。 金曜夕刻出発して日曜日午後モスクワに戻る2泊3日のクルーズ。金曜日夕食から日曜日昼食までのフルコースの食事つきで二段ベッドの4人部屋でクルーズ代金が100ドル弱であった。これは外国人料金なのでロシア人客は半分以下であろう。 モスクワ川と運河や湖沼をつないでボルガ川支流に至るルートでありスズタリ、ウラジミールなど『金の環』と呼ばれる美しい古都に寄港する。ロシア正教をロシア国民統合に政治利用せんとするプーチン政権の支援で古都の由緒ある教会・聖堂・修道院は金ぴかに修復されていた。 クルーズ船は500トンくらいで上甲板デッキでは夕刻になるとバンド演奏に合わせてロシアンダンスが始まる。初夏の白夜の森林や湖沼を眺めているとウオッカの酔いも手伝ってロシアの大地に溶け込んだような夢心地となった。 至福のクルーズが終わって下船する時に、船長室の横に飾られている真新しい1メートル四方もある肖像写真に気付いた。横に掲示されているクルーズ船の命名の由来(ロシア語と英語の併記)を読んでビックリ。なんとクルーズ船の船名は『リヒャルト・ゾルゲ号』で立派な肖像写真はゾルゲであった。 ゾルゲはロシア系ドイツ人。1933年~1941年までドイツの新聞社の東京特派員という身分を使ってソ連共産党の司令の下で諜報活動をした伝説のスパイである。最後は特高警察に逮捕され処刑された。 ゾルゲが日本にはソ連侵攻の意図はないという情報をスターリンに送った結果、ソ連はシベリア・極東の師団を対独戦線に送って勝利することができた。ちなみにソ連邦時代から現在に至るまで駐日大使が東京に着任すると東京多磨霊園にあるゾルゲの墓に墓参するのが習わしとなっているという。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403170000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/18
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 今や読者層に於いて少年より青年や中年が多数派だったりする『少年マガジン』『少年サンデー』が創刊する(1959年)。 ☆ アサヒビールが麦芽をケチった辛口のビールを売り始め、日本のビールの流れを変え始める(1987年)。 ☆ 巨人真理教が、長らく使われていた神殿に代わり全天候型の新しい神殿を完成(1988年)。更なる全国民への洗脳布教を図るも、この頃からその教勢に翳りが出てくる。理由は簡単明白、教主・監督の体質。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月17日 】ロシア人はなぜプーチンを支持するのか? 元商社マンが見たプーチン誕生後のロシア社会見聞録(上) =後節==Wedge_Online 【古希バックパッカー海外放浪記】 2024年3月10日 高野凌( 古希バックパッカー)コンサートのクライマックスで聴衆が挙って退場 2002年の秋、モスクワ市内のチャイコフスキー記念音楽院(コンセルバ―トリア)大ホールのコンサート。チャイコフスキー音楽コンクールの舞台でもありスクリャービン、ラフマニノフ、リヒテルなどロシアを代表する音楽家を生み出した歴史を感じさせる音楽堂である。 当日は若手指揮者が地元の楽団を指揮するため入場料が安く日本円換算1000円くらいであった。聴衆は8割くらいの入り。 コンサートの後半のクライマックスに入った瞬間であった。突然数人の観客が一斉に立ち上がり無遠慮に靴音を立てて退席した。それが合図のように三々五々と観客が退席し始め場内は騒然となった。舞台上の指揮者とオーケストラは粛々と演奏を続けていたが、残った聴衆は収容人数の2割程度であった。演奏後の拍手はまばらで、アンコールもなくコンサートは終了。 聴衆が非礼な態度でなぜ退席したのか。プログラムで確認すると、多くの聴衆が拒絶したのはフィンランドの国民的作曲家シベリウスの代表作『交響詩フィンランディア』であった。20世紀初頭帝政ロシアの領土となっていたフィンランド民衆を独立に向けて鼓舞したのが『交響詩フィンランディア』なのだ。ソ連邦崩壊後の混乱の中で自信喪失していたロシア民衆にとり反ロシアを象徴する楽曲に我慢ならなかったのだろう。ロシアにとり隣国フィンランドとは? フィンランドでは日露戦争後に日本の勝利に触発されて独立運動が盛んになったがロシアの支配は続いた。第一次世界大戦の戦後処理の結果ようやくフィンランドは独立したが、第二次世界大戦が始まるとソ連軍に侵略され領土を奪われた。独ソ戦が始まるとフィンランドはナチスドイツに同盟してソ連と戦った。 第二次大戦後、ソ連はフィンランドに多額の賠償を課したが、フィンランドは戦後復興を遂げ、1952年にはヘルシンキオリンピックを開催。その後フィンランドはソ連邦及び東欧諸国への工業製品輸出により経済成長を続け、ソ連邦崩壊後は1995年にEUに加盟して世界トップレベルの豊かな国に変貌した。イラスト:露人社会-5フィンランドの中年男性に群がるロシア人女性 フィンランドは2002年当時のロシア庶民からすれば面白くない隣国であろう。当時のサンクトペテルブルクで忘れられない光景がある。夕刻ホテルのロビーで新聞を読んでいたら盛んに妙齢のロシア女性に声を掛けられた。ロビーを見渡すとそれらしき女性がロビーのあちこちで客探しをしていた。 ホテルのマネージャー氏に聞くと、「週末になるとフェリーや車で大挙してフィンランド紳士が泊りがけでロシア人女性を目当てにサンクトペテルブルクに遊びに来るのです」と苦々しく語った。 おそらくロシア人としては、フィンランドがナチスドイツに加担した仇敵なのに、ソ連邦崩壊後の困窮のなかで経済格差を見せつけられて面白くない隣国なのだった。それがコンサートでの中途退場の背景なのだったのだ。ロシア人女性の出稼ぎ、日本でのお仕事は? サンクトペテルブルグのホテルのマネージャーの話で思い出したのが出張の往路で乗った東京発モスクワ行きのアエロフロートの隣席のロシア人女性。明るいブロンズ美人の彼女は日本での仕事を終えてシベリアの故郷に戻るところだった。 仕事を聞くとダンサーと答えたので「バレーのダンサー?」と聞くと大笑いして「裸のダンス」とカタコトの日本語で答えた。ヌードダンサーだったのだ。 半年ほど静岡、愛知、三重、岐阜あたりのロシアン・クラブや温泉地のホテルなどを巡って稼いできたという。沢山稼ぐためにアフターで酔客のオジサンに付き合うこともあったようだ。モスクワに着くと両手いっぱいに機内持ち込み手荷物を抱えた。家電製品・衣類・医薬品等など全てシベリアの家族から頼まれたお土産だった。以上 (下)に続く・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403160000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/17
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 『ウォーリーをさがせ!』の影響により第1回バビロン捕囚が始まる(紀元前598年=バビロン捕囚)。 &so、時が下り 鈴木梅太郎が米糠からオリザニンと称する栄養素を抽出する(1910年=ビタミンB1)も、全世界からスルーされた挙句ビタミンと勝手に名づけられてしまう。 ☆ 日本中から有名な景勝地三か所を国立公園に指定(1934年)。但し富士山は指定されず2年経ってようやく箱根一帯と一緒に指定されることに。 ☆ 千葉県は佐倉市の城跡に国立歴史民俗博物館が開館(1983年)、流石にお城風の建築ではなかった模様。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月16日 】ロシア人はなぜプーチンを支持するのか? 元商社マンが見たプーチン誕生後のロシア社会見聞録(上) =前節==Wedge_Online 【古希バックパッカー海外放浪記】 2024年3月10日 高野凌( 古希バックパッカー)プーチンがなぜ高い支持率を継続しているのか3月17日のロシアの大統領選挙を前にプーチン政権がなぜ高支持率を維持できているのか、専門家がこぞって指摘しているのが、ロシア人の大多数がプーチン政権下での安定したロシアを望んでいるという点である。筆者も全く同感である。 ソ連崩壊後からエリツィン時代を通じて十数年続いた経済破綻(マイナス成長+人口減)とチェチェン独立派テロによる社会不安を剛腕により短期間で立て直し、安定して強い新生ロシアをもたらしたというプーチン神話である。 筆者は商社勤務時代の2001年~2003年、つまりプーチン政権の初期の時代に数カ月に1回程度の頻度でロシアに出張した。ソビエト連邦時代に輸出した機械設備などの債権回収が目的であった。1回の出張は10日から数週間程度であったので、平日の夜や土日の自由時間を利用して見聞を広めることができた。おそらくガイドブックに載っているモスクワ市内や近郊の名所・旧跡の大半は踏破したのではないだろうか。 筆者が垣間見たロシア社会の断片を振り返って現在のプーチン政権とロシア国民の意識について考えてみたい。物売りで糊口を凌ぐ年金生活者 2001年春の最初のモスクワ出張ではソ連崩壊後の悲惨な日常生活に驚いた。第一印象は街なかに“ホームレスが多い”。そして商店にほとんど商品がない。ガラガラの陳列棚が並ぶモスクワの目抜き通り。地下鉄や近郊電車の車内ではホームレスが各車両をまわって物乞いし、失業青年が入れ代わり立ち代わりボールペン、小型懐中電灯、カッターナイフなど安物中国雑貨を持って売り歩いていた。 町中に雪が残り日中でも零下になる季節だが地下鉄入口や高架下やビルの軒下など多少でも風雨が防げる場所は物売りの人々で占拠されていた。茣蓙やビニールシートに雑多な品物を並べている。ハイパーインフレで年金生活が破綻した高齢者が大半だ。自宅から骨董品・絵画、家電製品、文房具、鍋釜包丁に至る生活用品まで売れそうなモノを全て持ち出して路上で物売りしている。ソ連邦時代に授与されたメダルや盾の類、毛皮のコート、本・古雑誌も定番だ。生まれたばかりの子猫すらも売られていた。ブレジネフ時代が私の人生で一番幸せだった 2001年春。当時筆者が勤務していた商社のモスクワ支店長は、彼の秘書は機転が利いて仕事が早いと評価していた。支店長が仕事の問題点について説明すると、秘書は関係政府機関に片っ端から電話してキーパーソンを見つけ出してアポを取ってくれるという。支店長によると秘書の中年女性は以前KGBで働いていたので政府機関に伝手があるとのことだった。 女性秘書と雑談していたら、彼女の旦那も元KGB職員で電波通信関係の技師だった。ソ連邦時代のKBGはエリート組織で給与・住宅などの待遇もよかったらしい。モスクワ市内の職員アパートは設備が良く快適だったと懐かしんだ。そしてブレジネフ書記長時代(注:1964年~1982年)は経済が安定し生活も豊かだったと回想。 特に1970年代後半のキューバのハバナ駐在時代が最高だったようだ。週末にはハバナ近郊のビーチのソ連邦職員専用クラブで夢のような休日を過ごしたと語った。ちなみに旦那は米国の電波傍受をしていたようだ。 女性秘書は2001年当時のプーチン大統領の精力的な仕事ぶりを大いに評価してプーチンがブレジネフ時代の栄光を再現することを熱望していた。ロシアの世論調査では『尊敬する偉大な政治家・指導者』としてピョートル大帝、スターリン、プーチンと並んで必ずブレジネフが上位に入る。いずれにせよ長期安定政権を担った強権的独裁的政治家がロシア人のお気に入りなのだ。制服警察官には気をつけろ 2001年から2002年冬頃までは毎回出張するたびに制服警察官のタカリ・強請りにあった。警察官もインフレ下で生活が苦しいのだろう。夕暮れ時に人通りの少ない道を歩いているとどこからともなく警察官が近寄って来てカタコト英語でパスポートを出せという。パスポートを渡すとドル紙幣を握らせるまでパスポートを返してくれないので渋々20~30ドルくらい渡す。 パスポートを持参してなかった時は警察署まで連行すると脅された。相場があるらしく50ドルを要求されたが40ドルで簡便してもらった。昼間でも人通りの少ない道では制服警官が待ち伏せしているので人通りのある道を選んで警察官を避けて歩いていた。缶ビールの空き缶に群がる老人たち 2002年秋、休日に公園で同僚と缶ビールを飲んでいた。飲み終わって缶ビールをゴミ箱に投げ込んだ。その瞬間、突如3人の老人が茂みから飛び出してきて2本の空き缶の取り合いになった。我々が缶ビールを飲み終えるのをじっと近くの茂みから覗いて待っていたのだろう。 2人の老人が一缶ずつ手にして去って行ったが、缶を取れなかった老人は諦めきれずゴミ箱の底に他に缶がないか探していた。空き缶を集めて業者に持って行って小銭と交換してもらうのだ。年金制度の破綻は惨めなものだと骨身にしみた光景だった。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------前日記載への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403150000/】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/16
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ イギリスの映画なのに何故か日本ではこの日がサイコの日。サイコーですか~!? ☆ 最初の普通選挙でオラガ大将の党がライバルに1議席差にまで迫られ、加えてカマトンカチまでもが議席を獲得したのに恐れを為してコミンテルンの日本支部を徹底的に駆除(1928年=三・一五事件)。 ☆ 東の国から西の国から世界中からの来客が大阪府は千里丘陵でこんにちわし始める(1970年)。&so、カスラックによるカラオケにかこつけた搾取行為に、お上のお墨付きが出る(1988年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月15日 】【プーチンが支持される理由】「エリツィンは欧米の手先」GDPマイナス14.5%の経済崩壊でロシア人が抱いた民主主義への失望 そして「独裁=安定」のプーチン登場へ 【連載第6回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』 =後節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月05日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員)2005年、再びロシアへ ロシアの地を再び踏んだのは、1996年に帰国してから9年後の2005年だった。産経新聞の姉妹経済紙、「フジサンケイビジネスアイ」の記者となり、ワールドビジネス面を担当していた経緯から国営ロシア通信などと仕事上の付き合いがあり、ロシアの産業事情を広範に取材するプレス・ツアーの申し出があったためだ。 決して、宣伝めいたことを書くつもりで行ったわけではないが、街の激変ぶりに度肝を抜かれた。 モスクワ市内には欧米やトルコのスーパーマーケットの進出が相次ぎ、市民の携帯電話保有率は100%を超えていた。日米の自動車メーカーが工場建設に動き出し、家電店は主に韓国メーカーの家電であふれかえっていた。モスクワでは、1台十数万円もするテレビが売れ筋となるなど、新興経済国としての勢いに満ちていた。日本企業もロシア市場の開拓に本腰を入れ、さまざまな企業がロシア進出を推し進めていた。 信じられない変化に愕然とする私を見て、通訳を務めた国営ロシア通信の若い記者の方が驚いていたほどだった。 私は帰国後、「ザーフトラ(ロシア語で明日の意味) ロシア経済の明日」と題した6回の連載企画を執筆した。当時の記事には、そのような強い驚きが文章にあふれている。「トヨタ自動車が日本の自動車メーカーの先陣を切ってロシアへの工場建設を決めたのを機に、対ロシア進出に慎重だった日本企業が熱い視線を送り始めた。ソ連崩壊から15年、原油や天然ガス、希少金属(レアメタル)などの資源輸出で経済発展を遂げるロシアは今、世界の一大消費市場に変貌しようとしている。欧米企業などに比べ〝出遅れ〟が指摘される日本企業の今後のビジネスの展開と、ロシア経済の明日の姿を現地に探った」「強い指導者」プーチンの登場 ロシア経済の急激な変化は、どのようにしてもたらされたのか。この9年間で起きた変化にはふたつの要素があった。ひとつは、エリツィン氏からプーチン氏に大統領の座が引き渡されたこと。そしてもうひとつは、原油価格の高騰だ。 1990年代の混乱のロシアを率いたエリツィン大統領は、1999年12月31日に、突如辞任を表明した。エリツィン大統領のもとで、いったんは回復の端緒を見せたロシア経済だったが、1998年8月にはデフォルト(債務不履行)に陥り、街には再び失業者があふれた。 しかしエリツィン大統領は、サンクトペテルブルクで副市長を務め、1996年にクレムリン(大統領府)のメンバーとなっていたプーチン氏をひそかに後継者と定め、権力の移譲に向け入念な準備を進めていた。大統領代行となったプーチン氏は2000年3月の大統領選で圧勝する。その背景には、エリツィン陣営による徹底的な選挙キャンペーン、メディア戦略があったが、いずれにせよエリツィン氏と異なり健康的で、精力的に業務をこなすプーチン氏は強い支持を受けた。 エリツィン政権下でプーチン氏が首相に就任する直前の1999年には、ロシア南部チェチェン共和国の過激派が隣接するダゲスタン共和国に侵攻したが、これに対しプーチン氏は大規模な攻撃をかけるなど、「強い指導者」としてのイメージを国民に植え付けた。 プーチン氏はさらに、モスクワで相次ぎテロ事件が発生したことを受けて、チェチェン共和国への軍事侵攻に踏み切る。過激派に対し、汚い言葉も使いながら徹底的な制圧を約束するプーチン氏の姿は、人々の心をとらえた。 プーチン氏にはさらに、決定的な追い風があった。ロシアの主要輸出品である原油価格の高騰である。1990年代は1バレル=10~20ドル程度で推移していた原油の国際価格は、世界的な金融緩和を背景にした原油市場への投機資金の流入や、顕著となっていた中国の急激な経済成長による石油需要の増大、さらに2003年3月のイラク戦争の勃発などを背景に急騰。リーマン・ショック直前の2008年には一時的に約147ドルにまで上昇する。 私が訪露した2005年は、依然としてロシア経済は回復途上であったとはいえ、急激な原油価格の上昇で急成長を見せていた。ロシアはそもそも、膨大な資源を保有する国家である。その国際価格が上昇すれば、経済が上向くのは当然だった。 そして、国民はプーチン大統領を経済成長の〝立役者〟とみなした。これは、決して彼が成し遂げたことではなかったが、その恩恵に最大限あずかったことは明白だった。「もう二度と、あのような混乱はごめんだ」「民主主義」を旗印にロシアの初代大統領の座を射止め、国民生活を大混乱に陥れたエリツィン氏に対し、多くのロシア人は「二度と、あのような混乱はごめんだ」と胸に刻んだ。そして、エリツィン氏が頼ったのは西側諸国である。ロシア人の心には、欧米への拭い難い不信が植え付けられていた。 そこに登場したのが、ソ連国家保安委員会(KGB)出身という肩書きを持つプーチン氏である。大統領就任当初は、欧米との連携も是々非々の姿勢で進めていたプーチン氏だが、次第に欧米との対立を深めていく。さらに、国内においては独裁的な姿勢を強め、メディアへの支配強化などを通じ、ゴルバチョフ氏が実現させた「言論の自由」に対する制限を加えていく。 しかし、ロシア人の大半は、そのようなプーチン大統領の姿勢に強い疑問を持たなかった。「民主派」と呼ばれる勢力は排除され、ついには公然と〝西側のスパイ〟などとみなされるようになっていく。しかし、多くのロシア人はそのような事態に直面しても、プーチン大統領を支持しなくなることはなかった。 前述のグレンコ・アンドリー氏はそのようなロシア人の心理を「独裁=安定と考えている」と断じる。その背景には、1990年代の強烈な原体験があり、「民主主義になれば、社会がどうなるかわからない」とロシア人が考えている実態がある。 欧米に騙され、その手先となったエリツィン大統領はわれわれの生活を破綻に追い込んだ。二度と、そのような轍は踏まない──。 そのような考え方は、今回の〝ウクライナ=欧米の傀儡〟とみなし、〝ナチス〟とまで言い切るプーチン大統領の発言と、強く同調していると感じられてならない。////// 了 ///////古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403140000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403160000 /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/15
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ バレンタインに続き、女子同士で「バレンタインでもらったから~」なんて言ってお互いチョコレートを交換するホワイトデー。かくして、この日は全国の男子校が白けたりする。 ☆ カール・マルクスが逝った日(1883年)。後には家族と『資本論』の読み取ることが難し過ぎるくらい下手っぴな文字で書かれた草稿が遺され、さすがの同志フリードリヒ・エンゲルスも草稿の解読には苦労したとかしないとか・・・・・ ☆ 川口市のアパートで熟睡していたブクロ派のトップが、早稲田界隈からやって来た連中に過激な方法で叩き起こされた挙句に永遠に就寝させられる(1975年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月14日 】【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代 / 【連載第5回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月05日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) 正確性を欠いた判断と行動は、ちょっとした親切心から出たものであっても、当時のロシアの市民には何の助けにもならないほど、彼らの生活を取り巻く状況は悪化していた。 道路で、うつぶせで突っ伏している老人の姿も何度か見た。何が理由かは知らないが、おそらく息絶えていたのだろう。ただ、誰かが助けるわけでもなく、社会が殺伐としている状況だけは見て取れた。 目立つ服装で街中を歩くことも厳禁で、外貨を持っている外国人の学生であればなおさらだった。親が大手商社に勤めていた日本人学生が、現地でできた友人の家を訪問すると、相手の親に「今すぐ、父親に連絡をして私の会社と契約させろ!」と言って友人宅で監禁されたなどというエピソードも耳にした。曲がりなりにも社会の統制がきいていたソ連時代には、考えられない出来事だったに違いない。 警察官などによる賄賂の要求も深刻だった。彼らも公務員であり、給料だけでは生活が成り立たない状況だった。 1996年2月、シベリアのイルクーツクに日本人の友人らと思い切って旅行した。凍り付いた、世界最深のバイカル湖を見たかったからだ。 その夢はかなったが、帰りのシベリア鉄道に乗る直前、若い警官に「あなたは、国内を旅行する正式なビザを持っていない」と突然問いただされ、鉄道が出発する直前の夜中に、貨物列車の裏に連れていかれ、賄賂を要求された。 真冬の、しかも夜である。鉄道が出発する直前に、シベリアで放置されるわけにはいかなかった。「正式なビザ」というのも、そのようなものは必要ではなく、当然言いがかりだった。しかし、命があっただけでも良かったというのが、率直な思いだった。【プーチンが支持される理由】「エリツィンは欧米の手先」GDPマイナス14.5%の経済崩壊でロシア人が抱いた民主主義への失望 そして「独裁=安定」のプーチン登場へ 【連載第6回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』 =前節= 私がモスクワに滞在していた1995年、大統領の座についていたのはボリス・エリツィン氏だった。 ソ連共産党書記長だったミハイル・ゴルバチョフ氏を追いやり、ロシア共和国のトップとして、ウクライナ、ベラルーシとともに「独立国家共同体」を創設してソ連邦を崩壊に追い込んだエリツィン氏。改革派の旗手と目され、国民の絶大な支持を集めてロシアの初代大統領となったが、その成果は惨憺たるものだった。 多くの国民は、ヨーロッパのような豊かな暮らしが間もなく実現すると信じて疑わなかったが、エリツィン大統領らが1992年1月に導入した、「ショック療法」と呼ばれる急激な市場経済化は、ロシアの人々の暮らしを大混乱に陥れた。 商品価格を一気に自由化したため、ロシアの消費者物価は1992年だけで2600%も上昇するという「ハイパーインフレ」が発生。実質国内総生産(GDP)は14・5%もの下落を記録した。ロシアの通貨ルーブルは紙くずとなり、外資系企業や、エネルギー資源などの貿易に携わることができたごく一部の国民を除けば、先に指摘した年金生活者や公務員などを中心に、その生活は崩壊した。 エリツィン大統領はさらに、エネルギー関係を中心とした国有企業の資産の民営化に手を付けた。「バウチャー」と呼ばれる、実質的にそれらの企業の株式である〝小切手〟が国民に配られた。ウクライナに侵攻をしかけるロシア経済が現在も維持されているのは、ロシアが保有する莫大な資源と、その資源を海外に売る巨大企業があるからだ。しかし、多くの国民は、その意義を理解しなかった。 バウチャーを手にした国民は、その重要性がわからず、次第に道端に現れるようになった「バウチャー買います」との看板をぶら下げた人々に、数千ルーブルのはした金で自分が保有するバウチャーを売り払った。こうして、破格の値段で有望な国営企業の株式を買い占めた層が、のちにロシア経済を牛耳ることになる。国民はまたしても、だまされたのだ。 当時の私の周りにいたロシアの学生らは、いわばその〝上層〟に住む人々の子弟だった。中には、西側から輸入されたばかりであろうスウェーデン製のボルボの中古車を乗り回す知人もいた。寮は2人部屋だったが、最初に相部屋になった青年は、大学に通いながらアメリカの重工業メーカーのモスクワ支店で働いていた。彼らは間違いなく、特権階級だった。そのような知人らの大半は今、ロシアを去っている。 日本や西側で報道されていた、ソ連崩壊後の壮大な民主化のうねりに感銘を受けてロシアに来た私のような学生は、その改革をリードしていたはずのエリツィン大統領の人気が凋落し、さらに目前(1996年)に迫った大統領選を前に、ロシア共産党を率いるゲンナジー・ジュガーノフ氏に大統領選で敗れる可能性が実際に浮上していた事実を、信じられない思いで見ていた。 ただ、それは多くのロシア人にとって、当然の結果だった。大統領選では最終的に、新興財閥の助けを得て、アメリカ流の選挙戦略を導入した結果、かろうじてエリツィン大統領は勝利したが、それでも多くの人々の目には、エリツィン大統領は欧米の手先と映り、彼が推し進めた「民主化」に失望した。 ウクライナの国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏はエリツィン大統領の手法をめぐり「ロシアの民主主義というものは、ソ連末期に当時のゴルバチョフ・ソ連大統領との対立軸を作ろうとしたエリツィン・ロシア共和国大統領が、その理論武装のために掲げ、生まれたに過ぎない」と断じている。 当時は、多様なテレビ番組や新聞が現れてさまざまな勢力が主張を戦わせていたが、実際にはエリツィン大統領のもとで国家資本を牛耳ったオリガルヒ(新興寡占資本家)が政党やメディアを抱えて勢力を競っていたのが実態で、そのような「民主主義」に人々は失望した。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403130000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403150000 /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/14
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 大阪が初めて空襲されて地下鉄が防空壕代わりに (1945年=大阪大空襲)。&so、事件は起きているけど『見てるだけ~』になる現象を、強▲殺人鬼の某と被害者、その現場の周辺住民38名が身を以て証明する(1964年=キティ・ジェノヴィーズ事件)。 ☆ 親方日の丸の日本国有鉄道にブチ切れた乗客が、上尾駅等の主要駅で一斉蜂起(1973年=上尾事件)。 ☆ 感動映画の超大作『生還トンネル』が上映開始する(1988年)。 &so、ブルトレは衰退しました(2009年)。2015年のこの日 - 寝台特急「北斗星」がこの日発の運行限りで廃止。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月13日 】【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代 / 【連載第5回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=中節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月05日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) ロシアでは大衆紙やインターネット上で、ウクライナに対する理解に苦しむ批判が飛び交っているが、特にウクライナ人が非人道的であると強調する内容が多い。 戦時中、敵国の市民を人間扱いせずに〝鬼畜〟などとのイメージを刷り込むことは常に行われるが、多くのロシアの人々も、そのような情報に繰り返し触れるなか、次第に信じ込むようになっていると感じられた。それがまた、今回の戦争を多くのロシア人が実際に支持することの理由になっていた。すべての始まりは貧困の1990年代 現在のウクライナは、欧米の傀儡国家である。そのウクライナは今、ナチスと同じ道を歩み始めている──。 プーチン大統領が主張するこのようなウクライナ像は、国際社会だけでなく、本来はウクライナ人と接する機会を持つ多くのロシア人にとっても、理解し難いものであるに違いない。 しかし、そのような主張が実際に多数のロシア人に受け入れられ、さらに年齢が高い層を中心に、国民の大多数が政権による軍事作戦を支持している。この事実は、ソ連崩壊からロシア人が置かれてきた社会の状況と、その変遷を見ると、理解ができると感じている。 私はソ連崩壊から約4年後の1995年8月にロシアに渡り、現地の大学で約11カ月間の語学研修に参加する機会を得た。新聞記者になって以降も繰り返しロシアを訪れ、現地の実情を見る機会があった。現在も少なくない友人、知人がいる。 彼らが約30年にわたりどのような人生を歩んできたかをつぶさに見れば、ロシアによるウクライナへの全面侵攻が起きたことも「決して不思議なことではない」と感じている。なぜそう感じるか。当時の状況を少し紹介させていただきたい。氷点下20度の真冬のモスクワで 立ち並ぶ老人たち 1995年のモスクワの冬は、高校時代に地理の授業で習ったとおりの極寒の世界だった。10月ごろから気温が急激に下がり始め、12月にはマイナス20度ほどまで下がった。大学の窓から見える、モスクワの中心部から北西部をつなぐレニングラード大通りを見ると、そこは常に雪景色だった。 しかし、それは多くの市民が現在のモスクワのように暖かい家やオフィスにいて、仕事や生活をしていることを意味してはいない。「お兄さん、このブドウ買わないかい。〝氷菓子〟にはなっていないよ」「黒パンはどうだい。安くしておくよ」「キャベツならうちだって売っているよ。買っておくれ」 大学から最寄りのベラルースキー駅に向かう途中には常に、極寒のなか、何十メートルにもわたって立ち並び、道端で物を売る老人たちの姿があった。 風よけもなければ、椅子があるわけでもない。吹き曝しのなか、薄汚れた分厚いコートや帽子をかぶり、お世辞にもきれいとは言えない袋に入れてきた、いつ売れるかもわからない〝商品〟を両手に持って、道行く人々に声をかけていた。中には、家財道具や、どこから仕入れてきたのかまったく不明の家電のリモコンやコンセントなどを売る人もいた。 彼らがこのような〝商売〟をせざるを得ない理由は明白だ。年金がもらえないか、もらっても生活できるレベルではなかったためである。 ソ連時代は、曲がりなりにも食べることには困らない程度の年金が支給されていたが、ソ連が崩壊すると、その社会保障システムも大混乱に陥った。年金の支給は遅滞が続き、仮に支払われたとしても、急激なインフレでその価値は消えた。 最低限の生活を賄うこともできない年金額を前に、彼らは極寒の中でも、わずかな収入を求めて路上で物を売るほかなかった。「日本での職を紹介してくれないか」 唐突に持ち掛けてきたグルジア人女性 公務員や、教員といった職業でも事態は同様だった。私には、忘れ得ない光景があった。「私は、あなたを3日間待ち続けたのです。あなたは私に、ウソをついたのですね」 大学のすぐ近くの路上で、私を見つめる50代前後の女性の目は、怒りに震えていた。それには、このような経緯があった。 大学から寮に戻る途中、外国人留学生とみた私に声をかけてきた女性がいた。旧ソ連グルジア(ジョージア)出身という彼女は、ある大学で理工学の教授だったが、職を失ったという。彼女は私に「あなたの国の大学で、職を得られないか」と唐突に持ち掛けてきたのだ。 私自身もあまりに軽率だったが、「何かないか、探してみます。明日また、ご返事します」と、人助けのような思いで答えてしまったのである。 ソ連時代、学校教員や病院の医師などは、社会から尊敬される仕事だった。国家の発展に尽くすという意味でも当然だった。しかし、ソ連崩壊は前述の年金受給者と同様に、公務員の生活も奈落の底に落とした。外国の学生に、職を紹介してもらおうなどという考えは非常識極まりないが、それほど必死だったのだろう。 ただ、私はすぐに、自分の言葉があまりに軽はずみだったことに気が付いた。グルジアという国が当時、ソ連崩壊に伴い大きな混乱に陥っていたこともあり、「これ以上、関わらない方がいい」とアドバイスしてくれた先輩もいた。そのため私は、彼女と出会った道を通ることをやめたが、3日後、再び同じ道を通ると、そこに彼女は待っていたのである。 私が「すみません。私はただの学生なので、何もできません」というと、彼女は私を激しく非難しながら「I understand, I understand!(わかった、わかったわ!)」と英語で言って立ち去った。どれほどの思いをもって、そこに立ち続けていたのかを考えると、今でも申し訳ないという思いに駆られる。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403120000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403140000 /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/13
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ スイーツの日。この日の存在自体がスイーツ (笑)だと思う。 冗談は置くとして、死刑が戦後憲法の下でもO.K.というお墨付きが最高裁判所で下る(1948年)。 ☆ 「モスバーガーがいいね」と君が言ったから3月12日はモスの日(1972年)。 &so、 「三蔵法師が妖怪に食べられる」ドラえもん映画が封切り(1988年)。 ☆ バーミヤーン巨大石仏の破壊(2001年)でターリバーンの悪名は世界にとどろき、へきへきしたヤンキーたちが故郷に帰る道を探り始めた。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月12日 】「ブチャはフェイクだ」陰謀論に染まったロシア人の30年来の友人、彼とともに現れた〝特務機関員〟らしき男……ロシア社会が「ウクライナ=ナチス」論を受容する背景とは / 【連載第4回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月04日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) ステパン・バンデラ(1909~59年)とは、第二次世界大戦期間中から1950年代まで、対ソ連のパルチザン闘争を行った「ウクライナ蜂起軍」の指導者のことだ。バンデラは一時期、ナチス・ドイツと協力関係にあったとされる一方、現在のウクライナではウクライナの独立を目指した人物として再評価を受けている。ロシア政府は、このバンデラを引き合いに、「ウクライナの現政権はナチズム」との主張を繰り返している。 友人はここで、私にスマートフォンの動画を見せた。ウクライナ人の子供たちが、バンデラを賛美する歌を歌っている内容だと説明を受けた。ただ彼の説明は、どうしても結論ありきの、極端な内容だと感じられてならなかった。 時間は瞬く間に過ぎた。用意された食事にも、ほとんど手を付けられなかった。私は別れ際に「ふたりはどこで知り合ったんだい」と聞くと、「いつも行っている、ロシア正教の教会で出会ったんだよ」と友人は答えた。 友人が、熱心なロシア正教の信者であることは知っていたが、ふたりの関係は、どこかいびつに感じられてならなかった。率直に言って友人は、この男性に洗脳されているようにすら感じられた。 ロシアの教会は、特務機関員の活動拠点として利用されていると、専門家から言われたことがある。男性はやはり、特務機関員だったのではないか。そのような疑問が拭えなかった。 ただいずれにせよ、ロシアのウクライナ侵攻は、私と30年来の友人との間に、埋め難い溝を生みだしたことは間違いなかった。「ウクライナはナチス」と信じる背景は? 政権が活用する独ソ戦の記憶 ウクライナを率いるゼレンスキー大統領は、ユダヤ系である。ナチス・ドイツのホロコーストに最も苦しめられたユダヤ系をリーダーとする国とその国民を〝ナチス〟と呼び、さらに全面侵攻を仕掛けるプーチン大統領らロシア指導部の言動は、国際社会ではとても受け入れられるものではない。 ウクライナのNGO「ディテクター・メディア」のクセーニア・イリュークによれば、ウクライナを「ナチス」と批判するロシア国内向けの論理は国際社会には十分には受け入れられなかったため、ロシア政府はその後、ウクライナを「ナチス」よりも、「テロリスト」と非難する戦術に切り替えているという。論拠として薄弱であることを、ロシア当局が暗に認めている格好だ。 ただ、それでもこの主張が一定程度、ロシア国内、またウクライナ東部で機能していた事実を見逃すことはできない。 ウクライナ人がナチス──という論法をロシアが展開した背景には、何があるのか。 それは、前述したバンデラのような人物がウクライナ西部を中心に高く評価されている点や、そのような現実がウクライナ東西の対立を引き起こしている実態がある、といったウクライナ国内の事情だけではない。ロシア国内では、第二次世界大戦でのナチス・ドイツとの戦いの悲惨な記憶が繰り返し強調され、〝ナチス〟という言葉に国民の多くが敏感に反応するほど意識が掻き立てられている。その心理を、ロシア当局は巧みに突いている。 第二次世界大戦でナチス・ドイツと戦った旧ソ連は軍人、民間人を合わせて約2600万人もの死者を出したとされる。ロシアのあらゆる家庭において、第二次世界大戦により自分の祖先やその周辺で家族や友人を失っている。一方でロシア政府は、そのナチスと悲惨な戦争を行い、かつ勝利したという記憶を、国威発揚の手段として最大限に利用し続けている。 その最たるものが5月9日の「戦勝記念日」だ。ソ連がナチス・ドイツに勝利したことを祝う日で、ロシアで最も重要な祝日として位置付けられる。5月9日には、恒例の大規模軍事パレードがモスクワ市内で行われ、赤の広場ではプーチン大統領ら政権幹部らが一堂に出席して記念式典が行われる。2005年の戦勝60周年では、アメリカや日本、ヨーロッパ各国の首脳が一堂に集まるなど、国際的な行事としても認知されていた。 5月9日にはさらに、独ソ戦で犠牲になった家族や親類の写真を掲げて住民が行進する「不滅の連隊」と呼ばれる行事も実施される。この行事には、近年はプーチン大統領も一般市民とともに参加するようになっており、政権がいかに重要な行事ととらえていたかがわかる。学校などでも、このナチス・ドイツに対する戦勝の記憶は繰り返し教えられている。 そのようなロシア人にとり、〝ナチス〟という言葉がウクライナを否定的にとらえる上でいかに重要な役割を担うかは想像に難くない。ナチスという言葉を全面に出すロシアの戦略は、開戦当初は特に、多くのロシア国民を反ウクライナに仕向けるのに十分な役割を果たした。【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代 / 【連載第5回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=前節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月05日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) ウクライナ人を「彼らはずっと、ナチズムだった」とロシアの小学校教員が真顔で語ったように、多くのロシア人との会話の中で感じたのは、ウクライナ人に対する差別意識ともいえるゆがんだ認識だった。 そのような認識は、時に荒唐無稽としか言いようがないデマをロシア人に信じ込ませていた。「ウクライナでは〝死んだロシア人の子供の肉〟っていう料理が、レストランで出されていたんだよ。テレビで見たから間違いない。本当に恐ろしい話だ……」 モスクワの日本企業で社用車を運転しているという70代のロシア人男性は、私が「ウクライナとの戦争について調べている」と説明すると、神妙な表情で語ってきた。 彼は本当に、その話を疑問にも思っていない様子だった。 彼の発言に根拠があるかを知人のロシア人の手も借りて入念に調べたが、何も見つからなかった。仮に男性が本当にテレビで見たのだとしても、その後インターネットのニュースにすらならない根拠のない情報だったということだ。そのような料理がまともに提供されるはずもなければ、一般の人々が受け入れる理由もない。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403110000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403130000 /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/12
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 『風の谷のナウシカ』が封切られ、風力発電の騒音問題と野生生物との共存に一石が投じられた(1984年)。 ☆ ソ連歴代指導者が遺したツケの後始末役に禿げ頭の若僧がなり(1985年=ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長就任)、結局8年後に連邦を潰してしまう破目に。 ☆ 茨城空港の開業1周年記念として、茨城県沖と宮城県沖で相前後して激震が走り、以後数日もの間に数えきれない程の緊急地震速報が鳴り出す(2011年)。 【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月10日 】「ブチャはフェイクだ」陰謀論に染まったロシア人の30年来の友人、彼とともに現れた〝特務機関員〟らしき男……ロシア社会が「ウクライナ=ナチス」論を受容する背景とは / 【連載第4回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=前節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月04日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) 私は1990年代にモスクワの大学で約11カ月間、ロシア語の語学研修を受けた経験を持つ。その大学に通っていたロシア人の学部生らとは、今も友人関係にある。 ソ連崩壊後の経済混乱や、プーチン政権の抑圧的な政策に嫌気が差した大半の友人らは、今回の侵攻のはるか以前にロシアを離れ、ヨーロッパで結婚生活を送ったり、ビジネスを営んだりしているが、ロシアにとどまり続けてビジネスを営む友人もいる。 いったい、彼は今回の事態をどう思っているのか。どうしても知りたく、コンタクトをとると、急な申し出にもかかわらず、時間を割いて私の宿舎近くのレストランまで来てくれた。「急な話なのに悪いな。時間を割いてくれてありがとう!」となつかしさも込めて声をかけたが、彼はひとりでは来なかった。私には面識がない、同年代の男とふたりで来たのだ。 レストランの2階に席をとった。挨拶をすると、男性は「軍事ジャーナリストへのコンサルティング業」を営んでいると明かした。「本当に、そんな仕事があるのか?」という思いに駆られたが、友人は現在の戦争をめぐる状況を正確に伝えたいと思い、その男性を連れて来たのだという。友人がプーチン政権を強く支持している事実は知っていた。 しかし、その男性の話の内容は、私の想像を超えた陰謀論の数々だった。 男性はこう切り出した。「知っているかい。(住民が虐殺されたウクライナ北部)ブチャの映像はね、いわば〝ポルノ〟なんだよ。すべて、作り話なんだ」 愕然とした思いに駆られた私をよそに、彼は言葉を続けた。「ブチャの映像は、ロシア側の占領地ではなかった場所で撮影されたものなんだ。ウクライナでは、アメリカの専門組織が活動している。いわば、情報戦の専門部隊だ。(ブチャの映像など)すべての情報の拡散を計画、実行している」「(イギリスを拠点とする、インターネット上の軍事情報分析を手掛ける民間組織)べリングキャットなどもそうだ。彼らは、4つの戦略で情報拡散の戦略を構築している。それはつまり、対ロシア、ウクライナ、ヨーロッパ、その他の国々の、4種類だ」 慣れた口調で話し続ける男性に続いて、友人が「私にも言わせてくれ」と言わんばかりに、口を挟んできた。「ロシア軍の戦車にZ(ゼット)マークが描かれているのは知っているだろう。ある時、Zマークを付けた戦車がウクライナの街の通りを撃ったんだ。しかし、その戦車には海外のジャーナリストらが乗っていて、彼らはそこで写真を撮っていったんだ」 ウクライナ側が、ロシア軍の戦車を偽装して街中を攻撃して、その様子をあえて撮影することで、フェイクニュースを作っているとの主張だった。私は日本、またヨーロッパのメディア機関でも勤務した経験を持つが、そんなことが起きることは100%あり得ない。 聞くに堪えない内容だったが、男性は話を続けた。「(アメリカの富豪が創設した)ソロス財団や、アメリカ政府の傘下にある財団が、背後にいる。ロイター通信や、(ロシアに批判的な主張を展開する)メデューザ、エホ・モスクブイ(モスクワのこだま)もそうだ」と断じてみせた。 友人が再び口を開いた。「ウクライナ人は、例えば近隣で火事が起きても、〝私の家は離れているから大丈夫〟と考える(火災にあった隣人を助けようとはしない)メンタリティを持っている。つまり、ウクライナ中部、西部の人間は、東部のことは何も考えない。これに対し、ロシア人はすべて、ウクライナ人の親戚がいる。日本なら、東京と大阪程度の違いしかない」。ウクライナ人に対する、激しい憎悪が感じられた。 彼は、自分の私財を使って繰り返し、ウクライナ東部に支援物資を送っていた。その活動において、ウクライナ軍のロケット砲が自分の車のすぐ近くに着弾した経験も教えてくれた。彼が義憤に駆られる気持ちはわかったが、それ以前に「外国」の土地であるウクライナ東部に入るという行為に何ら問題を感じていないことに、困惑せざるを得なかった。友人は続けた。「ウクライナは今、ソ連時代の記念碑をどんどん取り壊している。ロシア正教の教会すら破壊しようとしている。これは、常軌を逸した行為だ。なぜ、第二次世界大戦で、ロシア人がウクライナにまで行って戦ったのか。これは、ユーゴスラビアが置かれた状況と似ている」 ユーゴスラビアが置かれた状況というのは、おそらく、今日の旧ユーゴスラビア構成国の多くで、ナチス・ドイツから同地を解放したチトーのユーゴスラビア時代が否定的にとらえられ、その時代の記念碑などの遺棄・解体が進んでいることを指していると思われる。ステパン・バンデラが「ウクライナ=ナチス」論の「根拠」? 私はあくまでも、記者として彼らの意見を聞くためにここにいた。自分の意見を言うためではない。戦争当事国に行って、一般市民に対して〝敵国〟の立場に立つような発言をすることは、あまりにも無意味だからだ。 ただ、ウクライナ国民が置かれた惨状について彼がどう思うのか、これだけは友人として聞いておきたかった。 私は、「ひとつだけ教えてほしい」と言って、尋ねた。「東部でどういう経緯があるにせよ、ロシア軍が全面侵攻したことで、1000万人のウクライナ人が避難民になって故郷を追われた。彼らの多くは財産を失い、仕事を失い、家族も失った。これは、正当化できるのかい?」 友人は一瞬、険しい表情を見せたが、すぐに話を続けた。「いや、戦争前から、すでに膨大な数のウクライナ人がロシアに逃げてきていて、ロシアは彼らを受け入れていた。そのような行いがなければ、事態ははるかに悪化していたはずだ」 彼は続けた。「ウクライナをロシアと完全に離別させることは簡単なことだ。ウクライナに、ナショナリストの部隊を作ればいいだけだ。それは、簡単なことだ。ステパン・バンデラがやっていたことだからだ」・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403100000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403120000 /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/11
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 大日本帝国陸軍の記念日をお祝いして、美軍機が帝都・下町の紙と木と土で出来た軍需工場群を綺麗に消毒してくれた(1945年=東京大空襲)。 ☆ “恥ずかしながら”とルバング島に残留していた陸軍少尉の小野田寛郎が救出される(1974年)。ああああああああ!大日本帝国陸軍/中野学校の教育は・・・・・・・。 ☆ 1985年の阪神タイガース日本一の際に道頓堀川に投げ込まれ、その後もタイガーズを呪縛し続けていたカーネル・サンダース像が、24年の時を経て引き揚げられる(2009年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月10日 】なぜロシア人は「ウクライナはナチス」と信じるのか? モスクワで見た、プーチン政権の「歴史」と「戦争」の歪んだ教育……ソ連の栄光を学ばせられる小学生 / 【連載第3回】『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月03日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) 常設展示を行う巨大な部屋の奥に、特別展を行うための小規模な展示会場があった。 掲げられたタイトルは「そこにあるナチズム」。入口には、ワイシャツ姿の普通の男性が立っていることもあれば、なぜか防弾チョッキを着た治安機関員の女性が立っていることもあった。緊張感が漂っている事実は、覆い隠しようがなかった。 中には、年齢層もさまざまな多くの人が来場していた。「取らざるを得なかった手段」と題した入口のパネルには、ウクライナ東部の住民がロシア軍兵士らを歓迎している写真が何枚も添えられ、こう書かれていた。「2022年2月24日、ロシアは特別軍事作戦を開始しました。その目的はウクライナの〝非軍事化と非ナチス化〟にあります」「プーチン大統領は作戦の目的についてこう語っています。〝キエフ(キーウ)の政権によって8年間にわたり嘲りを受け、集団虐殺の危機にさらされてきた(ウクライナ東部の)人々を救うためだ〟と」「8年間」とは、ウクライナ東部での紛争が始まった2014年から、2022年までの期間を指していた。〝ウクライナ東部に住むロシア系住民が、ウクライナ政府により非道な扱いを受け続けてきた。その住民を救うことこそが、この特別軍事作戦の目的だ──〟。この主張こそが、プーチン政権が自国内でウクライナ侵攻を正当化する、最大の根拠になっていた。「ウクライナはナチス」と信じて疑わない ロシアの小学校の教員 東部紛争とはどのようなものだったのか。その始まりは、プーチン大統領がクリミア併合を宣言した直後の2014年4月初旬にまでさかのぼる。 ロシアとの国境に接するウクライナ東部のドンバス地方では、「親ロシア派武装勢力」と呼ばれる身元不詳の武装集団らがドネツク州などの行政庁舎を次々と占拠し、それを排除しようとしたウクライナ政府軍との間で、戦闘が激化していった。親ロシア派武装勢力は5月には、東部のドネツク、ルハンシク両州で「独立」をめぐる住民投票を実施するなど、両州をウクライナから引き離そうとする動きを強めていった。 激しい戦闘が続いていたが、当初は親ロシア派の勢いは弱く、ウクライナ政府軍が制圧するとの見方が強まっていた。 しかし8月、今度は親ロシア派が大規模な反転攻勢に打って出る。親ロシア派は突然、ロシア軍も装備する戦車などで高度に武装してウクライナ軍を撃破していった。この時点で、ロシア軍が実質的に親ロシア派を支援していることは疑いようがなくなっていたが、ロシア側はあくまでも「ウクライナの住民が蜂起した」との主張を曲げなかった。 2015年2月にはようやく、ベラルーシの首都ミンスクでウクライナ、ドイツ、フランス、ロシアの首脳が和平合意をまとめたが、実際にはその後も戦闘は繰り返された。そのような状況が8年間も続いていたのだ。 私がモスクワ特派員を務めていた2014年以降、ロシアの国営メディアでは、「東部住民がウクライナ政府により抑圧されている」との報道が繰り返し行われてきた。実際に国土を侵略されたのはウクライナ側だったが、双方の戦闘が激化すれば現地に住む民間人が巻き込まれるのは必然だった。 ロシア国内では、あくまでも〝東部ではウクライナ国民が政権に反旗を翻して蜂起した〟との立場で物事が語られており、ウクライナ軍は〝自国民を攻撃する非道な軍隊であり、ナチスと同等〟と位置付けられた。「そこにあるナチズム」展では、住民が戦闘に巻き込まれた凄惨な写真や彼らの遺品、さらにロシアが「ナチス思想を持っている」と主張するウクライナの軍事組織「アゾフ大隊」の旗や資料などが置かれていた。 展示ではまた、ウクライナ国内の一部の勢力が第二次世界大戦中に「ナチス・ドイツに協力した」と指摘し、それ以降、ウクライナにはナチズムが浸透したと主張。そして2014年には、〝ナチス〟の影響下にある政権が登場し、東部住民が厳しい抑圧にさらされることになった──というストーリーが展開されていた。 展示会場には、戦闘に巻き込まれた公園のブランコが置かれ、天井からは、子供が亡くなったことを思わせる、小さな天使の紙細工がいくつも吊り下げられていた。〝ウクライナ軍の非道さ〟を繰り返し強調する内容だった。 展示場を出て、ベンチに座っている女性に声をかけた。モスクワの南東にあるリャザン市から児童らを引率して来たという、小学校の先生だった。「本当に、あの展示のようなことが起きているのでしょうか」と尋ねると、彼女は痛切な表情を浮かべ、私に言った。「見ていて、本当につらいです。私たちには第二次世界大戦の記憶があります。あのころを繰り返しているような気持ちになるのです。子供たちには、まだわからないでしょうが」 そして神妙な表情を浮かべつつ、こう断言した。「ウクライナにはナチズムが広がっています。彼らは第二次世界大戦以降、ずっとナチスだったのです」・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403090000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/2024020 xxxxx /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/10
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ バービーの誕生日。ちなみに生まれたのは1959年だが、実年齢は非公開。 史実では、ナポレオン・ボナパルトがジョゼフィ ーヌ・ド・ボアルネと結婚(1796年)。“恋多き女”で年下のナポレオンは手玉に取られたとか・・・・。 ☆ 寺田屋に投宿していた坂本龍馬が伏見奉行の襲撃を受ける(1866年= 寺田屋事件)。 ☆ 日本初の記念切手発行(1894年)。 &so、どさくさ紛れに、日本で商法公布(1899年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月09日 】【戦時下のモスクワ】国外脱出でしぼむ若者の声 開戦4カ月で市内の反戦ムードが沈静化した理由 根強い中高年層の「戦争賛成、プーチン支持」の現実 / 【連載第2回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月02日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員)「ロシアは生き抜くために戦っているんだ」 プーチン支持の声を上げる中高年層 徴兵という形で戦争に直接巻き込まれる可能性がある若年層は、ウクライナ侵攻への不安を強く感じていた。しかし、モスクワの街中で人々の意見を聞くと、むしろ声を大にして侵攻への支持を訴える世代があった。40代以上の中・高年層の人々だ。「私は戦争に反対で、プーチン大統領を支持する。なぜならプーチン大統領は、戦争には反対だからだ!」 新緑が美しいモスクワ市内の公園で、娘とともに散策していたナターリアと名乗る60代前後の女性は、「この戦争についてどう思いますか?」との私の質問に、怒気を含んだ声でそう答えた。娘も、「まったく、その通りだ」という表情で母親にあいづちを打っていた。 ノートを手に彼女の説明を書きとろうとする私に、彼女は勢い込んで語った。「わかっているのかい。2014年(ロシアがクリミアを併合し、ウクライナ東部で紛争が激化した年)からね、プーチン大統領は誰も侮辱してこなかった。しかしウクライナの特務機関には、どこにでも〝ナチス〟が侵入している」 ナターリアは、元警察官だという。職業柄でも、もともと政権寄りという部分はあっただろうが、彼女の意見はほかの同世代の人々とそう大きく変わってはいなかった。 彼女はさらに続けた。「欧米はロシアの政権を交代させたいのだろうが、そのようなことは決して起きない。大統領は、これだけ支持されている。ロシアは今、〝生き抜く〟ための戦いをしているんだ」 彼女は、戦争行為に賛成しているのではないという。しかし、ロシアが生き延びるために〝やむなく〟戦争に打って出たプーチン大統領を支持するというのだ。さらに、ロシアが戦っている相手であるウクライナ軍は、ナチスと同類だという。 このような論理の組み立てで、彼女の心には「戦争には反対」しつつ、戦争をしたくないが、ロシアを守るために〝やむなく立ち上がった〟「プーチン大統領を支持する」という、現実的には大きく矛盾したふたつの事柄が併存していた。なぜロシア人は「ウクライナはナチス」と信じるのか? モスクワで見た、プーチン政権の「歴史」と「戦争」の歪んだ教育……ソ連の栄光を学ばせられる小学生 / 【連載第3回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=前節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月03日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) 私がさらに強い印象を受けたのは、ナターリアがインターネット経由で情報を集めていた事実だった。 日本を含め西側諸国では〝ロシアの高齢者は、国営テレビを見続けているから、政権寄りの考えを持つようになる。若い人はユーチューブなどインターネット上で情報を収集するため、より西側に近い、リベラルな考えになる〟という説明がよくなされる。これは決して間違ってはいないが、現実には高齢者もまた、インターネットから情報を収集している。 ナターリアはさらに、「これを見なさい。あなたも、本当のことがよくわかるはずだ」といって、私のノートに、あるユーチューブ番組のタイトルを書き込んだ。 番組名は「ベソゴンTV」。どんな番組かと思って後で見てみると、「太陽に灼かれて」などの作品で日本でも知られるロシア人映画監督、ニキータ・ミハルコフがホストを務めていた。ミハルコフはソ連崩壊直後にはスターリン体制を批判する作品を作り、海外でも注目されたが、その後は次第にプーチン政権寄りの姿勢を強めていった人物だ。 ベソゴンTVを視聴すると、ミハルコフはやはり、「ウクライナが東部住民に攻撃を仕掛けようとしていた事実を、ロシア軍の特殊部隊は間違いなく察知していた」などと、プーチン政権の主張に沿った話を展開していた。 しかし番組全体では、例えばイギリスの歴史家、アーノルド・トインビーの言葉を用いて番組を進行するなど、単に〝ロシア寄り〟ではない視点であることを強調していた。世界の歴史を踏まえた、国際的な視野で語っているという印象を与えていた。 インターネット上には、政権支持者が好む、ロシア政府の主張に沿った番組があふれているのも事実だ。それらの情報もまた、どこにいてもスマートフォンからアクセスすることができる。政権寄りの考えを持つ人々は、自分の考えに沿う情報を、インターネット上からいくらでも集めることができるのが実態だった。「そこにあるナチズム」展に見た プーチン政権による「ストーリー」 なぜ、多くのロシア人がプーチン大統領の言うことを信じて、ウクライナ人を〝ナチス〟だと言ってはばからないのか。ソ連時代は同じ国の国民で、多くの人が相手国に親類がいる。そのような間柄で、なぜそのような考えに至るのか。日本人の私には、理解しようとしても、どうしても不可解に感じられてならなかった。 そのような疑問を抱いて取材を進めるなか、ロシアに滞在する日本人のビジネスマンから「これを見ると、ロシア人がなぜそのような考えに至ったのか、よくわかると思う」とアドバイスされ、5月下旬にモスクワ市内で開催されていた、ある展示会を訪れた。 場所は、市の西部にある「戦勝記念公園」にある博物館だった。地下鉄駅からタクシーに乗り換え、公園を訪れると、壮麗な噴水の先には天を突くような巨大なモニュメントがそびえていた。 この博物館は、普段は第二次世界大戦におけるソ連軍のナチス・ドイツ軍への勝利をたたえる内容の展示を行っている。その目的は「歴史の真実を守る」ことだという。 チケットを買って中に入ると、多くの小学生らの姿が目に入った。引率していた教師に聞くと、新型コロナウイルス禍の行動規制がなくなり、政府が補助金を出して地方から子供たちを招いていたのだという。「こんなに小さな子供たちが、ソ連の〝栄光〟を学ばされているのか」と、無邪気に古い戦車の展示の周辺で騒ぎ立てる小学生を見て、複雑な思いに駆られた。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403080000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/2024020 xxxxx /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/09
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ ソビエトロシアでは、二月があなたを革命する!(1917年) ☆ 牟田口廉也の個人的なプライドのためにインパール作戦が開始(1944年)。お陰で2万人以上の兵士が生贄となり撤退時の悲惨さはぴー。 ☆ NYSE創立190年を前に、NYSE自身がNYSEに上場(2006年)・・・・・ややこしい。 & マレーシア共和国の飛行機が突如として行方不明になる(2014年)21世紀にもなって破片や遺体すら☆見つからないので異世界へ飛ばされた可能性大。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月08日 】【戦時下のモスクワ】国外脱出でしぼむ若者の声 開戦4カ月で市内の反戦ムードが沈静化した理由 根強い中高年層の「戦争賛成、プーチン支持」の現実 / 【連載第2回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=前節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月02日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) 国外脱出者や、政権に批判的な行動をとる自国民に対し、プーチン大統領は極めて冷酷な対応をとった。侵攻開始から約3週間後の2022年3月16日には、プーチン大統領は政権幹部に対しこう語ってみせた。「(西側は)当然、いわゆる第五列、つまり、裏切り者たちに期待をかけているのだろう」「ロシア人は、常に本当の愛国者と裏切り者を峻別することができる。そのような者たちは、口に偶然飛び込んできたコバエのように、吐き出してやればいい」「(彼らの)目的はただひとつ。ロシアの破壊だ」「(裏切り者の海外脱出は)ごく自然なことであり、社会の浄化には必要なことだ。その結果として国家は強化され、人々はさらに団結し、あらゆる挑戦に対する準備が整えられるに違いない」 第五列とは、自国にいながら敵に通ずるとされる〝裏切り者〟のことを指す。プーチン大統領はここで明確に、たとえロシア国民であっても、欧米諸国に共鳴する者らは裏切り者だとし、徹底的に排除する姿勢を鮮明にした。 さらに〝ハエ〟などと最も侮蔑的な言葉を使って彼らを形容し、叩き潰す考えすら示唆した。自国民に対し、このような発言をする最高指導者の姿勢に、ウクライナ侵攻を少しでも批判的な視線でとらえていたロシア人は、絶望的な思いを抱いただろう。 プーチン大統領はハエという表現を、ウクライナ南部マリウポリでロシア軍に徹底抗戦していた軍事組織「アゾフ大隊」にも使っていた。そのようなレッテルを貼られることがどのような意味を持つか、ロシア国民は正しく理解していたに違いない。 開戦当初、私にはひとつの疑問があった。ロシア政府がなぜ、このような若者たちの国外脱出の動きを強く阻止しなかったのかということだ。隣国ジョージアとの国境で検査を強化したという話は耳に入ったが、モスクワ市内で航空会社のオフィスの前で人々が列をなすという行為は、明らかに政権には目障りだったに違いない。 この疑問に対しては、前出のプーチン大統領の発言がほぼ答えを出した。プーチン大統領は反体制派、また積極的な反政権活動をしていなくとも、国外脱出をしてまでロシアを離れようとする国民については、むしろ国外に退去してもらった方が、その後の国内を統制しやすいと考えていたと推察される。 もちろんこれは、海外でも仕事を得られるほど有能な自国民の頭脳流出が起きるという点で、ロシア経済には大きなマイナスであることは間違いない。ただ、中長期的な国内産業の発展と、目前の戦争勝利のための国内の引き締めのどちらを選ぶかで、プーチン大統領は間違いなく後者を選んでいた。こうして、戦争に疑問を持つ若者たちの声はさらに弱くなっていった。地方の貧困地域に偏る動員 モスクワと最大100倍近い死亡率の差 戦争に反対するモスクワの若者らの思いは、厳しく抑圧されていた。しかし、開戦から約4カ月という短期間ですでに、市内の反戦ムードが沈静化した背景には、もうひとつの理由があった。それは、ウクライナの前線に送られる兵士らが、圧倒的に地方に偏っていたという現実だ。「3人もの子供がいた私のお父さんがなぜ、戦争に連れていかれて、死んでしまったのか理解ができない。だって、子供がいる家庭の父親は、動員されないって説明していたじゃない」 ロシア極東のブリヤート共和国の寒村、ウスチ・バルグジンから2022年9月22日に出征し、11月に戦死したドミトリー・シドロバ(享年46歳)の娘、エレーナは地元メディアにそう訴えた。彼女の家族は、途方に暮れたに違いない。しかし、ブリヤート共和国では、このような理不尽な状況に追い込まれた家族があちこちに現れ始めていた。 ブリヤート共和国は、バイカル湖の東岸に位置するロシア国内の共和国で、モンゴル系のチベット仏教徒らが多く住む場所としても知られる。しかし、ウクライナ侵攻開始以降、同共和国はロシア軍の戦死者に占める割合が最も高い地域のひとつとして知られるようになっていった。 ロシアの独立系ニュースサイト「メディアゾーナ」や、イギリスBBCのロシア語版サイトなどが共同で実施した調査によれば、2022年10月21日時点で、ブリヤート共和国からウクライナ戦争に参加して死亡した兵士数は305人にのぼった。 ロシアが併合したクリミア半島に隣接するクラスノダール地方や南部のダゲスタン共和国に次ぐ多さだった。 若年層の、人口1万人あたりに占める戦死者の割合でいえば、ブリヤート共和国は28.4人でロシア全土で首位となり、続いてブリヤート共和国の西にあり、テュルク系のチベット仏教徒が多いトゥバ共和国(27.7人)などとなった。上位のほとんどは、少数民族が多く住むロシアの地方が占めていた。 これに対し、首都モスクワの人口1万人あたりに占める戦死者の割合はわずか0.3人で、モスクワ州全体でも1.7人だった。ロシア第二の都市であるサンクトペテルブルクも1.4人で、モスクワとブリヤート共和国の死亡率は、実に100倍近い差がある。 ブチャに駐留していたロシア軍の兵士らも、ブリヤート共和国やチェチェン共和国から来ていたことがわかっている。バハというまだ20歳の若年兵士は、「ウクライナに来なければ、殺されていた」と語っていた。彼もその名前から、少数民族の出身だと推察される。メディアなどの目が届かない辺境の地で、無理な動員が行われている実態が浮かび上がる。 広大なロシアの国土の辺境にある地方都市は、経済的にも大都市の住民より困窮しており、当局による動員を避けることは容易ではない。さらに、これらの地方自治体には、中央政府から派遣された元官僚などがトップに座り、中央政府に忠誠心を見せることで昇進を狙う動きもあるとされ、動員が苛烈になるとの指摘もある。 いずれにせよ、地方の若者を取り巻く環境との〝差〟をつけることで、モスクワ市民の不満のガス抜きがなされている側面が否めない。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403070000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/2024020 xxxxx /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/08
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ 花粉症の日。この日がスギ花粉のピークらしいが、なぜ3月6日や3月8日ではいけないのか不明。特異日?なにそれ、おいしいの? 今日はミンチの日やで~。 ☆ イライシャ・グレイが満を持して電話機の特許を出願するが、わずか2時間の差でグラハム・ベルに先を越されてしまう(1876年)。 ☆ 大阪電燈を脱サラした松下幸之助君(19)が、大阪市東成の長屋で電器部品の工場を始める(1918年)。これが後のパナソニックだったりする。 【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月07日 】【ロシア人の本音】「戦争賛成が8割」の裏で動員に怯える18歳、国外脱出する人々、圧殺される反対の声 ……記者は戦時下のモスクワへと飛んだ / 【連載第1回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月01日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員)母国を脱出するため、航空券を求め長蛇の列 ロシア国内ではすでに、戦争反対の声を上げることは困難になっていた。そのようななか、ロシアの先行きに絶望的な気持ちになった若者らの多くがとった選択肢のひとつがある。国外脱出だ。 モスクワ市内で、車が行き交う大通り沿いに、早朝から何重にも曲がりくねった長蛇の列をなす人々を見た。2023年12月現在も中東行きの路線を運航する、外資系航空会社のオフィスだ。市民のひとりは列を見つめて「ウクライナに侵攻した直後は、この何倍も人がいたよ」と教えてくれた。彼らは、航空券を買おうとしていたのだ。 列に並んでいた人のどれくらいが旅行やビジネス目的なのか、どれくらいが国外脱出目的だったのかはわからなかった。しかし、その一定数はウクライナに侵攻した現在の政権に嫌気がさし、ロシアから離れようとする人々であることは疑いようがなかった。 ウクライナ侵攻を受けてロシアで始まったのは、数十万人もの若者たちが国を去る動きだ。私の知人にも、そのような人が何人もいた。ビザなしで出国できる旧ソ連諸国を経由して、数カ月をかけてヨーロッパに脱出した人。あたかも旅行者のように、東南アジアに家族で滞在し続ける人。または脱出がかなわず、静かにモスクワで働く人──。 その形はさまざまだったが、ロシアから逃げ出したいという気持ちは一致していた。「侵略国家の国民ではいたくない」 祖国ロシアに対する絶望の声「人間らしく生きていきたかったから、ロシアを去った。プロパガンダはロシア国民、そして私の隣人からも、理性を奪ってしまった」「ロシアは今後、20年間は普通の世界の仲間入りはできないだろう。僕はまだ若い。20年間も、無駄に生きたくはない」「私の子供たちには、開かれた世界で成長してほしかった。〝侵略国家の国民〟として、生きてほしくはなかった」 ロシア人の海外移住を支援する非営利団体「OK Russians」(2023年8月時点でサイトは閉鎖)が、ロシアを脱出した若者らを対象に実施した調査を見ると、祖国であるはずのロシアに対する絶望的な気持ちであふれていた。 一体、どれくらいの人々がロシアを離れたのか。オンラインメディア「ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」は2022年5月に、同年1月から3カ月間で、ロシアを離れた国民の数が388万人にのぼったとの統計を報道した。これは、ビジネスや観光目的で国を出た人の数も含まれているので、単純に国外脱出者の数とみなすことはできない。ただ、ウクライナ侵攻への懸念がロシア国内で急激に高まっていた時期であり、一定の参考にはなる。 また、前出の「OK Russians」は3月中旬に、ウクライナ侵攻を理由に国を去ったロシア人約2000人を対象にオンライン調査を実施した。その結果、その期間に少なくとも30万人のロシア人が国を脱出したとの推計を発表した。 衝撃的だったのは、脱出した人々の特性だ。脱出者の57%が34歳以下の若者で、さらに職種では、全体の3分の1がIT関連人材であることがわかった。それ以外の人々も、企業経営者や医師、コンサルタント、デザイナーなど、いわゆる頭脳産業に従事する人々が集まっていた。 出国者のうち「一時的な出国」とする回答は全体の12%にとどまり、「帰国しない」が27%、「長期間離れる」が41%と、大多数がロシアに事実上、戻らない決意を固めていた。【戦時下のモスクワ】国外脱出でしぼむ若者の声 開戦4カ月で市内の反戦ムードが沈静化した理由 根強い中高年層の「戦争賛成、プーチン支持」の現実 / 【連載第2回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=前節==Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月02日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) 多くのロシア人の若者らにとって、国外脱出は決して容易な決断ではなかった。 ウクライナ侵攻を受けた欧米諸国による経済制裁により、ロシアから海外に向かう国際便の数は激減した。ロシアでは、侵攻前は1日あたり約210便あった国際便は、侵攻直後の2022年3月上旬には約90便に減少した。 航空券の価格は高騰し、私財を投げうってチケットを手に入れても、突然の飛行キャンセルで出発できないケースもあった。脱出した人々に、高所得者や子供を持たない若者らが多いのは、これらの問題をクリアできる財力があったためだ。 中には、自分の子供が将来徴兵される事態を懸念して、親が子供だけを国外に脱出させたケースも報告されている。 私の知人にも、国外脱出を目指したものの「お金がない。どうしても出国できない」との理由で、やむなくロシアにとどまった人もいた。 そのような人々は、本音を包み隠しながら、ロシア国内での生活を続けているのが実態だ。 さらに、脱出できたとしても、海外で長期間生活できる十分な財産を持っているとは限らず、職が見つからなければ、帰国を余儀なくされる可能性もある。 しかし、国外脱出者や、政権に批判的な行動をとる自国民に対し、プーチン大統領は極めて冷酷な対応をとった。侵攻開始から約3週間後の2022年3月16日には、プーチン大統領は政権幹部に対しこう語ってみせた。・・・・・・・・明日に続く・・・・・古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- 【前節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/202403060000/】【後節; https://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/diary/2024020 xxxxx /】---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2024/03/07
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