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報われない仕事として変に憂鬱を感ずるものがある。全く観点の相違から来る一の錯覚だよ。考え直して見たまえ。世に偉大なる仕事ほど必ず時人に報われないのが常則だよ。寧(むし)ろ報われないのが直ちに誇るべき栄冠ではないか。若(も)し報われたら其れで決算済みだ。決算を過ぎた仕事に前進があるか、縁の下の力持はそれ自体既に大なる意義があるのだ。無名に朽ち果てても敢えて他人を見ず、自己に生きる男は厳然として男である。
2026年01月31日
健全なる頭は常に忘る。決して必要以外の何物をも覚えていない。故に多くの場合に「昨日」なし。唯(た)だ今日一切を清算し去って残影を留めない。忘るるが故に常に新しい。九点を抹殺し去って初めて一点は光るのだ。
2026年01月31日
毀誉褒貶(きよほうへん)は空気のようなものだ。生きてる間は吸うたり吐いたりせねばならぬ。
2026年01月31日
知識として知ってることは余り力のないものだ。それが実験として味われた時に初めて活きて動くのだ。食えない苦しみや失業の悩みや重病の難や、みんなそれだ。
2026年01月30日
自ら同情を解せざるものは他に同情を求む。同情はもと要求すべきものにあらずしてしかも常に連続して要求さる。而(しか)して若(も)しそれに充分に応じ得ざれば則(すなわ)ち怨磋(えんさ)来る。同情要求は弱者の叫びにあらずして強者の更に強ならんとする野心に外ならず。
2026年01月30日
人は常に素っ裸で劍 ( つるぎ )のトンネルを抜ける覚悟でいなければ何一つ大成されるものではない。 純真の一路は細く長く白く光る。闇を通しての明、死を透しての生だ。唯(た)だ自己を信ずるもののみが強い。大生命に生きるものは枝葉末節を顧みるの暇がない。「ぬかしやがるなら勝手にぬかせ」 俺は俺の俺だと、こう行くのだ。
2026年01月29日
極寒につぶやきながら身震いす
2026年01月29日
昨は昨、今日は今日だ。過去は過去として意味あるが如く現代は亦現代としてのみ意味がある人の向背(こうはい)を怒ったり、コセツイた、下らないお芝居を観せられて不愉快を感じたりするのは愚かだ彼は彼で我ではないのだもの、我は我で彼ではないのだもの、自脈さえ時としては緩急がある人の心に冷熱のあるのは却って面白い。
2026年01月29日
行詰まった時には技巧有害、手段無用、ただ黙って成行に任すのが第一だ。実際として人間生活の経緯はそれより外に安住点が無いようだ。
2026年01月28日
思うても全身振動を感ずる程の飛沫的大奇禍が、或る天の配列に依って免れ得たと知った時の茫然自失、畢竟(ひっきょう)じて人間の苦楽浮沈は、一に自然の力の動くがままに忍従するの外はない。徒(いたずら)にアセルも無用、徒にモガクも無用、唯(た)だジーツと黙って辛抱するだけが人間に興えられた試練だと思わせられる。
2026年01月28日
この道に何かありしや日脚伸ぶ
2026年01月27日
同情もされる。慰められもする。泣いてもくれる。声援もされる。けれども、けれども、「解決」は他から興えられない。結局は唯(た)だ自己の力だ。自己の力は必ず分相応に使用するを要する。力の濫費(らんぴ)は自己の破滅だ。
2026年01月27日
勉めて世間と絶ち人に忘れられんとするものと、自ら広告に忙わしく人を忘れられざらんとするものと、初中老期に於ける二種の悲哀なり。
2026年01月27日
咳払い一ツでも時と場所に依っては終生の怨を買うの原因となる。片頬に含まれた微苦笑の小波にも一家惨殺の禍根を孕(はら)むことがある。小心なれ。 而(しか)して大胆なれ。
2026年01月26日
初場所や優勝みごと安青錦
2026年01月26日
明確に「事実」を知る。その時は心の去就を決する決定権の動く時だ。ああだろう、こうだろうと疑っている間は舊路(きゅうろ)に迷っているのだ。我は裏切られている。全く無視されているとハッキリ「事実」が掴めたら初めて大悟徹底の境に入るのだ。復讐よりも「恩」に感謝する、憤怒よりも「愛」に転向する。そして自他が救われて行くのだ。
2026年01月26日
無妻を誇る禅僧あり。無妻なるが故に疑われる聖者あり。人間として地上に棲息するからは、ヤハリ持つべきものは持ち、食うべきものは食った方が自他を苦しめない生活だろう。
2026年01月25日
優秀なる人は、必ず環境より忌まる。焼餅だなどと自惚れてはイケない。卒業生として現在員より除外されたのだ。
2026年01月25日
冬深し何もせずして顎に手を
2026年01月24日
今の世には厚ケましい奴が最後の勝利者なんだ。押の強い奴の無理は結局通るのだ。なまじ自省心など持合せ過ぎると他人の債務を背負い込まされたり、十年前の戀(こい)にまで血税を絞られるものだ。
2026年01月24日
「どうにかなるでしょう」と語尾に残る軽い一句、当人としてはさして責任ある意味もなかったそれがグーツと深く弱い人の頭脳中にこびり着いて此の一語に生きようとする。悲しむべきは弱い人間の依頼性だ。
2026年01月23日
大寒や曇る窓にも空の青
2026年01月22日
人を過信することは自ら破滅を招く源だ。他人の口から濫発(らんぱつ)される言葉を信じて苟(いやし)くも依頼心を持っていたんじゃ、忽(たちま)ちにして九尋の底に蹴落されるに定まったものだ。
2026年01月22日
常に不安に襲わるるは一種の長寿法なり。人生安心すれば則(すなわ)ち停滞す。病茲に兆し、禍比に生る。不安は即(すなわ)ち緊張なり。緊張は即ち健康なり。
2026年01月21日
人は相場の下落したる時にモガキ出すものなり。踠(もが)けば踠くほど相場は下落するものなり。名画は値を付けざる処に真価あり。黙って時を待つものは必ず価貴し。
2026年01月20日
風鈴文楽短歌集解散か女性首相決断に吉兆なるか誰も知らぬよ
2026年01月20日
芸術を以て世に立つものが時人に飽かれることは即(すなわ)ち死である。そして飽かれまいとする焦燥は却って飽きられる度を深める。みじめなる芸実家の末路などを考えさされる。
2026年01月20日
泥に坐った舟でも湖の満ちて来る時を待てば独りでに浮び上がる。焦らず騒がず、成るがままに任せて行く。そこに人生の潮時があるのだ。
2026年01月20日
風鈴文楽短歌集良き日あり悪き日もあり人生は未知なる道を乗り越え行かん
2026年01月19日
蒔直しだ、然らずんば死だ。踏み過(あやま)った人の行くべき道は是よりない筈だ。 心得て置け。
2026年01月19日
引返すことだ。如何に無目的の旅人だって平坦々たる長路の無意義を悟った時には、直ちに踵(きびす)を廻らして引返すに何の逡巡を要しよう。
2026年01月19日
病人は病人となり、医者は医者とならざれば決して病気は治らない。病人が医者となって自ら診断し自ら投薬するに至れば、完全に病人自ら不治に陥っているのだ。
2026年01月18日
「困った」と云うは他人を依頼するより発する失望の声なり。如何なる場合に於ても自ら責任を帯びて起つの決心あれば世の中に困るべき一事あることなし。困るは決心の弱き故なり。若(も)し難局あらば直ちに身を挺して之に当れ。百の問題は快刀を迎えて解決さるべし。
2026年01月18日
ヒネてよいのは医者坊主南瓜というが、つまり病人心理を吞み込んで虚々実々の秘法を施すコツを知っているからだろう。匙以外、技術以外、病人及び家族の心を掴むのが治療の第一条件だろう。相当教養あるもの程神経は徒(いたず)らに過敏に流れる。医師の来る日、来ている時には来ない日、来ていない時よりも熱も脈も低いのは何よりの証拠だ。そこの呼吸を呑みこんでそこのコツを握って和顔愛語する「慕われる人徳」は診察以前既に治療の半ばを遂げている。所謂(いわゆる)無効用の効用、治療以外の治療というもんだろう。流行(はや)る医者は家を建て、はやらぬ医者は病を治すいうのは半以上の真理だ。
2026年01月17日
首足処を異にするのが現代人の姿だ。つまり「 呼吸せる死人 」だネ。「頭」では新時代にめざめていても「脚」は古い因襲に引きずられて歩まねばならぬ。理想では食って行けないし、安らかに生活せんとすれば生き甲斐のない人間に墮せねばならぬ。
2026年01月16日
先輩に頭を撫でられるよりも後進に臀(しり)を叩かれる方が生存上の意義あり。寧(むし)ろ青年に頭を撃たるるものにして辛くも老いざるを得るか。血の漲(みなぎ)る拳骨は柔かき人蔘錠なり。
2026年01月16日
唯(た)だ自然の儘に、黙って首を垂れて自己の業に専念する。それだけが偉大なのだ。沈黙の働きそれは声色を大にした宣伝に幾層倍した宣伝なのだ。細く長い一條の白道、トボトボと一人で歩む旅人の姿が尊く拝まれるのだ。毀(こぼれ)か誉か、褒貶(ほうへん)自在、それは路傍の雑草にしか過ぎないのだ。
2026年01月15日
銅は磨けばとて金(きん)にはならぬ。それを知りつつ磨く人の愚かさ。ナゼ銅は銅の儘でいないのか金(きん)は尊しとは云え亦銅の用をなさぬ。自重し給え、銅位の諸君と言ったものがある。そう言う彼は金位級の人間と思っているのか。
2026年01月15日
子守女は子供と共に遊んでさえいれば自他共に安全なのだ。ところが青春の焰(ほのお)に燃ゆる彼女は必ず別の事を考えている。そこに自他を損う危い空虚が生れる。世の子守役たるものは正に省察を要する。
2026年01月14日
安全人とは去勢されたることだ。善人なることは無用物となることだ。
2026年01月14日
世俗に謂(い)う涙もろい人、慈悲深い人には必ず近い仇敵の多いものだ。
2026年01月13日
誤解の底に安らけく眠るもの、怒罵(どば)嘲笑に包まれて沈黙の眼を閉じるもの、人間の大事這裡より成る。
2026年01月13日
全く闘志を失った時に「紳士的」と巧みに弱い自己をボカす。敵の罪悪すら鞭つ勇気のない時に「人道的」と言って自ら徳化の陰に隠れんとする。昨日まで口のものを食べ合った程の親友でも、一朝の利害関係に依って平気に裏切って行く。巧妙に似て、而(しか)も拙劣極る遊泳術、危いかな夫れ溺れんとする。
2026年01月12日
学問がいかに専門的に秀でていたって、言論文章がいかに巧妙を極めたって「人物」が既に問われ終った以上は決して誰も読まない。ことほど左様に「人の價(あたい)」は尊いものだ。節義や友情やを利害関係の前に没葬することは自殺以上の自殺だ。
2026年01月11日
至誠の寵(めぐま)れる失敗は美しき人生の花なり。たとい眼前に善果を収むる能わざるも、千歳を通じて達観すれば慥(たし)かに大成功の基を作れり。要するに至誠の中に失敗なし。
2026年01月11日
人のために一の恩義を施せば、終生幾度となく折に触れて之が利殖償却を強ゆるものあり。旧恩の前には一生頭を上げしめざるなり。不廉なるは恩義なり。
2026年01月10日
侮辱されても忍ぶ、無視されても忍ぶ、罵られても忍ぶ、嘲られても忍ぶ、熱湯を浴せられても忍ぶ、単唾を吐かれても忍ぶ、忍び得るだけは忍ぶ。「 忍耐の強行 」。それが現代に生きる戦術の一つだ。
2026年01月10日
若(も)し地上に「あきらめ」という信念なくば殺伐争闘の絶ゆる時がないであろう。「あきらめ」か「あきらめ」か、何という無気力なイヤな言葉であろう。しかも、そのイヤな言葉の中から美しい或物が生れ出るのだ。
2026年01月10日
甘んじて犠牲たらんと云う。苦しんで犠牲たらざる反言なり。自ら犠牲たるを知らざるものにして初めて犠牲たるを得べく、之を知るはやや背反を意味し、之を語るは正しく無意識を表白するに近し。而(しか)して今の犠牲は舌頭(ぜっとう)に咲ける理解の花なり。花は愛すべきも決して頼るべからず。
2026年01月09日
故(ことさ)らに「 鞭を垂れて見逃してやる 」態度があって欲しい。公私の敵に対して一から十まで厳密に裁かんとするは寧(むし)ろ明断に失する。「 見て見ぬ振り 」はイヤ味らしきも、暫く鞭を外して「 敵の罪を見のがす 」は人間の温かい情愛だ。鞭は寧ろ打たざるに於て威力を含むのだろう。
2026年01月09日
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