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昨日の日記を書きながら改めて思った。いろんな場面で「時間がナイ」「お金がナイ」と口にする人が、世の中に大変多い。…ところで先日、久し振りに『ドラえもん』を読んだ。登場する小学生「野比のび太」クンは、いつも「眠い眠い」と言っている。しょっちゅう寝坊し、遅刻もする。遊ぶ事も好きだが、昼寝も大好き。夕食後は宿題に悩まされながら、ウトウトしたり、諦めて寝てしまったり…。まさに四六時中、眠がっている印象なのだ。小学生の子供って、そういうイメージだったろうか?のび太クンは幼くて、幼稚園の延長でお昼寝の時間が抜けないという設定??私の記憶を辿ると、中学~高校に上がってから、深夜ラジオを聞いたり、遅くまで手紙を書いたりして、いつの間にか夜更かしするようになってしまった。その為に翌日の授業が眠くなる、という事はあったが、小学生の頃は朝起きる時は辛くても、起きてしまえば、昼寝したいと思ったり授業中ウツラウツラしたりする事はなかったと思う。………想像するに、のび太クンは大人になっても「眠い眠い」と言いそうだし、その上「時間がない」「お金がない」もプラスされそう?…困ったもんだ。
2004/01/31
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「時間がない」という言葉は、よく考えると不思議な表現だ。時間はあるのだ。一日24時間。変わりなく。365日。それなのに、何かやりそびれたり、やり残したり、やり切れなかったりすると、「時間がない」と思ってしまう。これが「お金がない」だと、また違ってくる。本当に「ない」場合もあるからだ。でも、実は少々共通する部分もある。本当は「ある」のに、ムヤミに「ない」と言ってしまいがちなところだ。自分が必要とする部分で「時間」も「お金」も使って生きている。どうしても必要であれば、なんとか捻出する筈だ。それでも「ない」「ない」とばかり言って、「時間がある」「お金がある」という人をあまり見掛けないのは何故だろう。ない、という方が美徳なのか?謙虚で。慎ましそうで。こうなってくるとあくまで表現方法、自己アピールなのかも知れない。「多忙」で「貧乏」な自分をアピールしたい人が多いという事か?………不思議だ。
2004/01/30
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昔から、古本屋に本を売りに行く時に考えてしまうのだが…。古本屋の前で、この本を欲しい人を待っていようか、と。そういう人が現れたら、買取価格より高く、販売価格より安く、お互いにトクして取引できるのになぁ~(笑)。目に見えない仲介料や、銀行の手数料など、どうももったいなく思ってしまう。トラブルを避ける為、迅速で判り易く誤解を招かない取引の為なのだろうが…。少し前に、任天堂のゲームボーイ・カラーを中古ゲームショップへ売りに行った。販売当初の定価は8000円程だが、今は新品でも半値位になっているだろう。果たして私のG・B、箱&説明書付で買取価格は800円であった。店のオタク風なオジサンが、ショーケースに並ぶ同じ機種を指して、「イヤ~、中古はあの金額(1980円)で売ってるからねぇ。任天堂アドヴァンス(G・Bの次世代機)が出ちゃってるし。元祖のファミコンみたいに、将来なぜかまた需要が出れば値段も上がるかもねぇ」G・B用のACアダプターに至っては「価格がつかないけど、いいですかね?」。もちろん、不燃ゴミにする気はないので、引き取って頂いた。リサイクル推進の世の中ではあるが、なかなか中古販売品への風は厳しい。売っていても売れない可能性も多分にあるのだから、業者も大変だ。そういえば、高校の部室に古い先輩が置いていった漫画本を数冊古本屋に持参した時にこう言われた。「男の子向けのマンガはいいよ。少女マンガは売れないからねぇ。女の子は、欲しかったら綺麗な新品を買うでしょー」別の店では、「そんなちょっとじゃ買えないよ。ダンボール一箱とかじゃなきゃ」と、追い返された事もあった。本音を言えば、どうしても買い取って欲しいワケではなく、もったいないので、誰かにもらって欲しいのだ。ただの紙の塊が、そこに何かが印刷してあるために、人によってはとても大事な宝物だったり、貴重品だったりするのだから。図書館への寄付も聞いた事があるが、例えば現存する同じ本は二冊もいらないので、まずリストにして教えてくれ、と言われて実行に移さなかった。ちょっとイイ事を思い付いても、その後の厄介さに凹んでストップしてしまう。自分のパワ-不足なのだが、もったいない話だ。
2004/01/29
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二年前、新古車で「HONDA・クレア・スクーピー」を買った。なんでも、止めておいたらトラックに踏まれた?とかで、フレーム部分を丸々新品に取り替えた為、試乗した数m以外は新車同様と言われた。だが、ここ半年程乗る機会が非常に少なく、ただ置いておくのもカワイソウで、思い切って三月に保険料を払う前に売ろうかと検討している。確か購入価格は二年前に十万強、雑費を含めて十五万弱。バイク屋の兄ちゃん曰く。「スクーピーは新型が出ていないので他のスクーターより買取率はいいですよー。これが、全国共通の中古車買取価格表でー。ま、安くなっちゃいますねぇ」…去年で四~五万、一昨年や一昨々年で二~三万との事。一年後でも、そんなに長距離乗らずに、傷も増えなければ買取価格はさほど変化無。「この先、8000円程の保険料と税金1000円とガソリン代を考えても、一年一万かからないなら、手放さない方がいいんじゃないですか?置き場所に困ったのでなければ。あれば便利でしょうー」うーむ………再検討。店頭に全く同じスクーターの中古車が十万円で販売されていたが、買取は二万円…。欲しい人がいたら五万位で譲って差し上げるのが、一番いいかも~?(笑)
2004/01/28
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カラダにいい「食べ物」や、天然素材の「化粧品」。新鮮で美味しい有機/オーガニック農産物&加工品の直売!試食?!天然酵母のパン、コーヒー、おでん、雑穀料理ー。エコロジーな生活雑貨、フェアトレードなエスニック雑貨の紹介&販売。藍染め体験、蜜から作るローソク、子供も遊べる自然派おもちゃ積み木コーナー。農家の人と話せたり、食と農についてのいろんな話が聞けたり。農業へ就農・就職を考える人への、ガイダンスコーナー。毎日の食べることを中心とした、そんな当たり前の事を楽しくするにはどうしたらいいのかなー?と、改めて考えられる入場無料のイベントです~♪『オーガニックショー・ポラン広場』日 時★2月21日(土)~22日(日)11:30~17:00場 所★東京都立産業貿易センター 浜松町館 ※JR浜松町・地下鉄都営大江戸線の大門駅から徒歩5分。 ※JR浜松町駅を東京方面へ出て右へ進み、海岸通りの下をくぐって、 まっすぐ、ゆりかもめ線の竹芝駅方面へ。竹芝駅が一番近い。☆詳しくはHPへGO!→→→http://www.e-pod.jp/ ……私は日曜のみ参加、ボランティアでうろうろしている予定(笑)。
2004/01/27
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我が家に唯一ある植木「幸福の木」。最近、元気がない。直径25センチ位の鉢に、直径8センチ位の太い幹が二本。長い方の幹には、短い芽のような枝しかなく、短い幹に、二つの枝が伸びている。鉢も含めて、背丈は1メートル強。放射状に広がって生えている長い葉が、先端を中心にところどころ枯れてきているのだ。本名は『ドラセナ・マッサンゲアーナ』。夏はたっぷりと水を与え、葉にも霧をかけ、湿度を保つべし。秋から冬にかけて水の量を徐々に減らし、明るい室内へ置くべし。初夏に多少の肥料を与えると、尚良し。我が家にやってきたのは、ちょうど十年前の3月。新卒で就職した広告会社を円満退社した時に、一足先に辞めていた営業の兄貴分と、その同僚氏から退職祝いに頂いたのだ。それまでも観葉植物に興味はなかったが、『幸福の木』という名が嬉しく、またその兄貴分は少々思い入れのある存在だった為、4月に上京する時、わざわざ連れてきた。必要最低限の荷物で住まうべき狭い学生寮だったにも関わらず、同室の相方に断って置かせてもらった。以来、3回の引越を経ながら共に暮らしている。今までも多少枯れ気味の時期はあったが、栄養液を与えたり、百円均一で買った霧吹きで丹念に葉に水をかけたり、日光に当てたりして、元気を取り戻していた。実は、ずっと疑問だったのだが………。黄緑色の新しい葉が中心部から一枚一枚現れてくるのと同時に、下の方の大きくくすんだ古い葉の先が、茶色く枯れてくる。ある程度、古い葉の周囲がカラカラに枯れてきたものは、その葉を引き抜いているのだが、手入れの仕方としていいのだろうか?他の植物は、新芽を生かす為にも枯れた部分はとってしまった方が良いと聞いた事があるので。だが、そうすると、枝がどんどん高く伸びてしまい、ひょろ長い枝の上の方にだけ、葉がバサバサしてしまう。そこで、数ヶ月前に枯れた葉を引き抜かずに、中心に近い部分で切ってみた。すると葉に直角に真っ直ぐ切れたカタチのまま、葉が伸びてきた。この先、この葉はどうなっていくのだろう…?さて、今回は下の方よりむしろ生え出した若い葉が、ちょこちょこ茶色く見え、いつものような自然な枯れ方と少し違い、葉の中央が筋の様に枯れる。どなたか、幸福の木の上手な育て方を伝授して下さいませ。
2004/01/26
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デモ行進とか、ピースウォークとか、座り込みとか、どうも性に合わない気がしていた。「えっ。本当に日本から、戦争している場所へ何か作業しに行くワケ?」…私がモヤモヤしているうちに、あれよあれよと事態が進んでいる。一応、ちゃんと選挙して選ばれた、私たちの代表者である政治家達がたくさん話し合って決めているのだろうが、なんだか様子が変??例えば大勢でプラカード持って歩くのは、立派な自己表現の一つだが、私はずっと何か違う、別のもっと良い方法はないものかと思っていた。…そうだ。反対の人達が、一生懸命こう訴えている。「イラク派兵は憲法違反!平和を約束した第九条に反する!違憲である!」世の中、憲法に違反しているなら、訴える事ができるのではないか?弁護士を立てて、裁判所に。どうして誰も、それをやらないんだろう?と、思っていた。他力本願で申し訳ないが、法律も裁判も、中学の教科書位でしか知らない。先日の友人の突然の不倫騒ぎも、交通事故や業務上過失も、今の日本では、一番効力があるもの…憲法をよーく紐解いて、みんなで調べて答えを出してくれる裁判所。ボンヤリとそう思っていたら、とうとう同じ考えの賢い人達が声をあげてくれた。「裁判の判決が出るまで、時間がかかるかも知れない。 今の派遣には、間に合わないかも知れない」そんな知人の意見も、重々承知。今の私の一番行動したいカタチ、期待するやり方なのだから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・←←←詳しくは、左の★自衛隊イラク派兵差止訴訟原告になろう★を読んで下さい。HPはこちらです→→→http://www.haheisashidome.jp/index.htm ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2004/01/25
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帰宅中、商店街に一軒あるパン屋のチェーン店で夕飯に数個の調理パンを購入。(…パンを夕食にするなよ?)午後十時、チーズ入りのパンや、タラコがのったパンを食べる。食後のデザートは、アイスもなか。結構、満腹。(…遅い上に、アイスまで!おいおい)午前三時、HP日記を書きながら小腹が空いたので、夕飯で食べなかったタマネギとチーズのかかったぶ厚いピザ・トーストを食べる。いつもより、なんだか美味しくない。少し残して袋に入れておいた。(…深夜に高カロリーなもん食うな!)明け方の六時半、何かを感じて目が覚めた。なんだ、なんだ?と思うと同時に、胸の辺りがゾワゾワしてくる。何が起こったのか、何をしたいのか判らず、布団で数分経ったろうか…。下っ腹が急に思いついたように「WC!」(…ん?WC?)←この時点で何事か、まだ判っていない。詳細は自主規制するが、上へ下への大騒ぎ。ちなみにWCに駆け込んでスグ、六時三十五分頃、妹が帰宅したのが聞こえた。(…不良娘め。連絡もしないでドコにいたのだ!)←頭は働いている。(…朝帰りでも八時には起きて、シャワー浴びて化粧して出勤するんだから凄い…)(…しかし、苦しい。やはり、あのパンか~?確かに味が悪かった!)どうやらもう大丈夫だろう、とWCから這い出たのが七時十分。こんなに長い時間こもっていたのは、初めてかも知れない。☆数年前、大きなトマトの痛んだ部分を包丁でカットして残りをそのまま食べた時も、寝ていたところ急に目が覚めてWCに駆け込んだが、ものの一分程で収まった。十年程前に、冷蔵庫にあった牛乳を「これ、濃いねぇ」と飲んでいたら、母に「いつの飲んでるの?!ソレ、古いわよ!」と驚かれてしまい、慌てて赤玉(下痢止め薬)をすぐ飲んだ。その後、なんともなかった。☆それにしても、カラダって凄い。無頓着なワタシが、目と舌でちゃんと確認できず、食道も通過してしまったのに、「妙なモンは受け付けられません!」と、返却してくるんだから。それも「寝てる場合じゃないッス!」と、起こしてくれるのだ。「消化できません!体外へ緊急放出します!」「了解!」「まだ、毒素が残っています!やむを得ません、逆流させます!」ワタシのカラダの中の小人達が、頑張ってくれているのが目に浮かぶようだ。これからも頼むよ、と言いたい。
2004/01/24
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人生の伴侶の事を、どう呼ぶか?「ご主人が」「旦那サンが」「カミサンが」「奥様が」「うちの人が」「宅の主人が」「パパが」「ママが」「お前が」「アナタが」「ウチのが」「女房が」「嫁サンが」………結婚のカタチも様々だが、一応、法律上の契約をしているそれに於いて。新婚の頃は、「彼が」「××サンが」と言っていたが、「うちのダンナが」に変わり、子供が出来て「お父さんが」に変化したりもする。最近は「パートナーが」という横文字もよく聞く。事実婚だったり、同性同士だったり。もしくは従来の呼び方に違和感を覚える人達や、二人で起業しているカップル等があえて使っているようだ。古くから当たり前の様に存在している言葉とはいえ、「ご主人様」「奥様」とは、いかがなものだろう?接客用語では、敬語としてこの言葉を利用せざるを得ないのだが、言いながらどうも妙な言い方だ、といつも思う。「奥様」は、奥の方(お勝手、台所?)にいる人?「ご主人様」は、アラジンの魔法のランプの精とか??うっかりすると妖しい趣味の世界とか?!が、出てきそうだ。………そろそろ、もっとピッタリくる新しい言葉が必要なのだろう。カタカナで表記する不思議な新語や造語、じわじわ耳に馴染んでくる様々な外来語や、その時代の高校生の間で流行る俗語や、奇妙に短縮した言葉は増えてくるが、こういう生活に密着した良い言葉も、ぜひ作って流行らせて欲しいと思う。作られた言葉といえば、青年を越えた世代の呼び名を、「中年」では聞こえが良くないので「壮年」にしよう、という話があった。あまりポピュラー化されていない気もするが、なんとか市民権を得ている。………私は結婚暦もなく、今後予定もなく希望もしないが(笑)、もし人生の伴侶のような存在に巡り合い、その人の事を誰かに話す時、どんな言葉にして言うのだろうか。年齢も性別も出身地も、名前さえも「その人」を表現するには足りない。「彼」「彼女」でボヤかしておくか。「相棒」「合い方」で漫才コンビのように収めるか。…誰かの事をそういうのも申し訳ないが、自分の事をそう言われるのも良い気がしない。
2004/01/23
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「恋人」という響きは、私にはなんとも気恥ずかしい。ボーイフレンド・ガールフレンドは、直訳で男の友達、女の友達だと思えるし。やっぱり「彼氏・彼女」というのが、そこらへんをボヤかして言い易いので使用頻度も多いのだが、自分にあてはめると、またこれもしっくりこない。「今つきあっている彼女」だの「元カレ」だの、他人事のように聞こえてしまう。また、人と深く付き合えば付き合う程、その人の「名前」までしっくりこなくなる。特定の相手を呼ぶ時に、その名前がどうしても必要なので使うが、私の中では、「名前=その人」ではなくなっているのだ。私にとって「その人」は、「ぼんやりとした、その人だけの、言葉にできない感覚」というような存在。だから、出来れば第三者に「その人」の事を伝える時にも、名前や肩書きを紹介するよりも「こんな感じの感覚を芽生えさせてくれる人」というような言い方をしたいのだが、それは非常に厄介なのでつい簡略化してしまう。本当はそれでは、「その人」にも第三者にも、自分自身にも失礼だと思っている。「私の元カノが」とか「友達の今の彼氏が」とか、そんな言葉でまとめられても、なんだか内容が通じていないような気がするのだ。ましてや、もし「僕の恋人が…」なんて話したら、別世界の話みたいだ。イヤ、「恋人」という言葉にもっと自分なりのいい解釈やイメージがあって、納得して使う人は何ら問題はない。あくまで私だけの個人的な問題。「恋人」なんて聞いたら、他人はこんな風に想像するんだろうな、といろいろ勝手に思い巡らしてしまうのが、気恥ずかしい。言葉なんて、大なり小なり捕らえ方が違うのだから、自信を持って、自分のイメージで使えばいいのはわかっているのだが…。
2004/01/22
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「自分の人生を、自分らしく生きる」とは、どういう事だろう?☆公演の迫った役者の友人が「役者は今回限りで辞める」と言った。ここ数年、年に何本もの舞台に立ち、多方面に知り合いが出来、出演の声がかかるようになりだしていた。本人も「こんな生活を夢見ていたんだ!」と、精力的にシゴトをこなしていたのだが…。☆日常生活から、なんでもかんでも役者に繋げて考えるようになり、本当の自分が何をどう感じたいのか、素直に思えなくなってしまったから、との事。例えば、転んで泣いている人を見た時。思わず駆け寄って助けたり、なぐさめたりする前に、「転ぶ状態とは、どんなものか?」「泣き方はどうか?」「そういう人に対しての駆け寄り方は?」と、すべて演技に役立てる為の引き出しに収めようと、情報収集に貪欲になってしまうのだ。例えば、好意を寄せる相手とちょっと手が触れた時。ドキッとする自分と同時に、「あ、私は今ドキッとしたな」「こういうシチュエーションって、こんな感じなんだ」等と、考えてしまう。それは、自分の人生に対しても、自分に関わる相手に対しても、不真面目でイヤらしい行為なのではないか?と。「私は、素直に物事を感じられる自分でいたい。 こんな風に考えられる様になったのは、役者を真剣にやってきたから。 だから続けてきて良かったと思っている。でも、もう離れたい」☆…俳優も、お笑い界の人も、ネタは日常から拾ってくるものだし、大真面目に24時間アンテナを張って、物事を見逃さないようにしている。人によって、こんな風に考えない人もいるだろう。でも「私は、本当の自分の人生を大切にして過ごしていきたい」という友人の言葉に、とても共感した。☆………一昨年に演劇界から脱した30代後半の女優サンに、この話を聞いてもらった。「私は23歳頃から、ずっと演劇の世界に没頭していた。 仕事やプライベートは二の次。もちろん、それで満足していたしね。 でも、考えてみたら、今の私は23歳の頃のままだ。 自分の人生この15年間、何もなかったような気さえするよ」………役者って、不思議なシゴトだ。ソレをやっている時は、紛れもなく自分が命をかけてやりたい事=演じる事なのに、ちょっと離れてみると「自分の人生がなかった」とまで言えるなんて。
2004/01/21
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誕生日だ。年に一回、365ぶんのいちにち。電気屋店頭で、以前から気になっているケータイの新機種を見かけて、自分への誕生日祝いに贈ろうかと思ったが、最近はなんだかんだと自分にプレゼントしているので、やめた。プレゼントとは、もちろんモノだけではない。楽しい時間、嬉しい感動、充実したシゴト、満ち足りたココロ。美味しいモノを美味しく食べられること、健康なカラダ。大切な友達、頑張れる環境、繋がっている家族。一ヶ月前のNZ旅行も、近年にない大きなプレゼントだったし、安定して働ける職場や、今年に入って時給が50円UPした職場も、無事に2年過ごして、今月更新料を払ったこの部屋も…。こんなにイロイロ与えてやっている自分に、365分の一日が来たからといって、わざわざ贅沢させる事もなかろう。★「鉢植えの自分」を想像する。せっせと水をやる。枯れた部分は、取ってやる。毎日、目をかけて、異常がないか確認する。時々微妙な変化を見逃して、反省する。果たして、ホントウの自分は、与えられているだけの鉢植えの方なのか?せっせと手塩にかけて世話をする方なのか?鉢植えの方ならば、何か世話をする方に、恩返ししてくれるのか??★他人と話していて、盛り上がって饒舌になって語っている時、ふと、もう一人の自分が、冷静に斜め上から見下ろしているような気になる時がある。パクパクと口を動かしながら熱弁する自分に、よくしゃべるなぁ~コイツ、と思うのだ。しかし、あまりこの「もう一人の自分」に比重を置き過ぎると会話が途切れてしまうので、「いかんいかん」としゃべっている方の自分に戻るのだ。もちろん一人でいる時なら、戻る必要はないのだが、会話している相手がいる場合は、勝手にそんな自分を持ち出すのも迷惑だろう。★干からびて、底辺を這いつくばっていた自分を覚えてから、「世話をする自分」は「鉢植えの自分」に優しい事が多い。すっかり甘やかしている。甘やかし癖がつくと、他人にも甘くなる。思考回路も余裕が出てきたし、プレゼントもしまくりだ。…好きなように、自由におやんなさい。 もう、干からびた人を見るのはイヤだよ。凹んだ人の相談に乗りながら、実は自分が救われている事に気付いている。
2004/01/20
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私は普段TVも見ないが、音楽もかけない。音楽は頭の中で好きな曲をかけるので、時たま「リアルな音」を欲する以外は、わざわざホンモノの音を聞かなくても、事足りてしまうのだ。頭の中で流れる音楽はとても便利。好きなフレーズを何度も繰り返しても、違和感ないし。別の事に夢中になりだしたら、自然にフェードアウトしているし。ON/OFFもボリュームも自由自在。電気代もかからない(笑)。…それに比べ、実際にCD等をかけると厄介だ。自分の気持ちのペースに関わらず、どんどん流れていくし。途中で耳障りになってきたら、わざわざ止めなくてはいけない。歌にしろ演奏にしろ、途中で止めるのはいくら耳障りでも少し抵抗がある。TVの映像も同様だが、懸命にアピールしているものを、こちらの勝手で「プチッ」と切断するのは、なんとなく申し訳なく思えてしまう。せめて、その曲の終わりまで、聞き届けなくてはならないような気がするのだ。その思いと、逆に早くその音から逃れたい気持ちとがせめぎ合い、ストレスを感じてしまう。…と、いうワケで、音楽は頭の中で流している。
2004/01/19
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昨夜17日に雪が降ったので、中止かと諦めていたが、起きたら突然晴れていた。代々木公園で、初フリーマーケット出店。助っ人は三人、シフト制?9時半~12時半はYさん、12時半~2時半はKさん、2時半~4時はMさん。営業下手な私と正反対で、三人共売り込み上手!非常に、ありがたかった。衣類・雑貨の販売で収入は1万円程。出店料が、3200円。暖かくていい天気!フリマ終了後は、Mさんと一緒に友人のライブへ。サックスが三名の迫力のあるバンド。
2004/01/18
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まるで、スペクタクル映画を見ているような世の中。市民が政治の動きに参加できないでいるのに、その情勢に翻弄されてしまう社会。それが『スペクタクル社会』。昔、フランスの思想家が使った言葉だそうだ。…言い得て妙だなぁ、と思った。今の世の中って、多分にそういう性質がある。………マスコミが、絶大な力を持っている情報社会。TVや雑誌から流れる言葉や映像に、いとも容易く翻弄される我々。本当の本当の、本当の自分が何を求めているか、それが見えなくなってしまう怖い世界。良い物と悪い物との判断が、個人で出来ない。コメンテーターが「可哀相ですね」と言えば、可哀相だなぁと思い、有名人が「これで痩せたんです」と言えば、「あれで痩せるんだな」と思い、司会者が「酷い事件ですね。では、続いて天気予報です」と言えば、「酷いな。さて、天気予報だ」と思う。私は普段TVを見ないが、職場の休憩室でたまに昼の情報番組を見ると、ビックリしてしまう。人間の心はTV番組のように切り替えられるものではないのに、きっとしょっちゅう見ている人は、自然とそういうクセがついているのだろう。「酷い事件ですね。では、続いて天気予報です」……私の心の中はその「酷い事件」の事でいっぱいで、司会の言葉についていけず、「オイ!天気予報どころじゃないだろ!?」と、激しくツッコミを入れていた。ましてやTVや新聞で取り上げられない事件だってあるのに。マスコミ社会の関所をくぐって選ばれた、偏った情報なのに。司会とコメンテーターが意見を簡単に述べて「それだけ」のモノになってしまう。まさに、スペクタクル社会。一般人は、主役でもなく、脇役でもなく、スクリーンの外の傍観者。現実が、TV番組化されている。戦争も、教育も、ズルイ言い方かも知れないけど、私達の手の届かないところで、妙な流れが出来ていて、それを見せられているような気がする。
2004/01/17
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戦争反対のデモ行進や国会議事堂前の座り込み等に時々参加している知人が、昨秋の選挙結果を新聞で見た時、嘆いていた。「みんな、わかってないよー!」…嘆くというより、ガッカリしていた。実際、私も政治の詳細には疎いし、よくわかっていない部分も多い。戦争が良くなくて、自然環境が大切で、地球上の人間や動物が皆仲良く平和に暮らせればいい…と思っている程度でしかない。なんで「よくわかっていない」のか?と考えると、責任転嫁な言い方になってしまうが、受けてきた教育が教えてくれなかったからだ。選挙とか税金とか、オトナになって密接に個人に関係してくる部分を、学校では詳しく教えてくれない。なんとなく、誤魔化されてきたような気さえする。選挙や政治の仕組みや、税金や保険等について、全員に詳しく知られては困るのだ。学校教育の問題点の中で、教員へ正式にこんな指導が出ているという話を聞いた。『授業は、上位3割の「エリート候補の生徒」だけが理解できればいい。 残りは頭が悪いままで構わない。一般労働者として必要なのだから。 無理に教える時間も無駄。個性を伸ばして専門職に就かせればいい…』聞いた時はゾッとしたが、よくよく考えてみると、おかしなくらい様々な場面で、この構図を確認出来てしまう。いわゆる「資本主義の社会の図」だ。儲けて裕福になる一部の人と、その人達の為に働いて、消費してまた働くその他の人達。三割の人が金持ちになれて、七割はいくら働いてもレベルが変わらない。それは、世界地図を広げても似たような事が言える。三割の先進国が金持ちになれて、残りの国は賢くしてもらえないままで貧しい。七割が賢くなると、三割がトクする部分が減ってしまうから、操作されているのだ。…わからなくさせられている教育を受けた7割部分の人は、自分の投票権の価値さえ実感できない。なんとなく名前を知っているから、とか、会社の浮き沈みに関わってくる人物なので、とか、誰に投票しても大して変わらないから、知り合いに頼まれた人に、とか。ガッカリされても仕方ないような、投票基準なのである。………こんな世の中の矛盾、いつになったら解決するのだろう??
2004/01/16
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子供の頃からずっと「オトナはオトナなんだろうなぁ」と、思ってきた。自分も「オトナになったら、今よりはオトナになるんだろうな」と、思ってきた。しっかりしていて、我慢できて、問題があったら賢く解決する術を知っている、オトナ。ところが、そうでもなかったのだ。例えば「小学校の廊下に貼ってある注意書きを、オトナは守っているか?」。廊下は走らない。挨拶をしよう。人の迷惑になる事はしない。ゴミは拾いましょう。…なんと、情けないかな。世の中にオトナは何人いるのやら。年齢だけ重ねて、学校の勉強だけして、人間的な中身は一体いくつなのだろう?
2004/01/15
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個人の尊重と言えば聞こえが良いが、例えば「戦争賛成!」という意見に「ま、人それぞれだよね~」なんて、尊重してはいられない。遠い場所での、映画の様なTVの画像で見ても、なかなか実感は湧かない。でも、ハッキリしている。人同士で威嚇し合い、殺し合うなんて、愚かで、馬鹿馬鹿しくて、情けなくて、悲しくて、苦しい。理由?原因?だから何?結局、弱い心を制し切れない人間が、責任転嫁しているだけだ。
2004/01/14
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いろんな人がいる。いろんな考えがある。その様々な考えを「みんな違って、みんな良い」と、一概には言えない。でも、そう言いたい自分がいる。平和が好きだと言って摩擦を避けて、嫌なモノや悪いモノにさえ、愛想笑いをしてしまう。怖い。
2004/01/13
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「自分」と「他人」とは、様々な関係で繋がっている。その様々な関係は千差万別であって、第三者には理解し難いものもあると思う。だが、その第三者に、「私」にとって「その人」がどんな知り合いかを説明しなくてはならない場合があり、そういう便宜上、大まかに分類分けする事になってしまう。例えば、単純に「母です」と言っても、どんな親子関係なのかは計り知れない。「友達です」「いえ、ただの知り合いです」「同僚です」………突き詰めて考えると、人をそんな分類分けした表現をする事自体ナンセンスだ。□中でもとくに「恋人同志」という関係は、輪郭がハッキリしなくて非常に困る。そうは言っても、世間一般の常識として、大まかな意味があるって?せいぜい「他の人に比べて少し特別な一人の人」という所だろうか。何故なら、友達の一人一人を想像しても、やはりそれぞれに「特別な人」である。どの友達に対しても、同じ話題で通じるワケではないし、その相手によって、自分自身もいろいろ変化する。もし、誰とも同じ話しかせず、自分も全く変わらないという人がいたら、よほど頑固でマイペースな困り者だろう。□「恋人同士」という関係上で、一番問題になるのが「一人」かどうか?かも知れない。義理も含めた親兄弟と大きく違うのは、その二人の意識上だけでの、深い関係という事。書類にサインしたり、教会で誓いのキスをしたりはしない。「僕は君の恋人!」と言えば関係が始まるのだから、なんとも簡単だ。そして信用と愛情で繋がっていくのだが、なんの保障もない。すると、時に自分が「恋人ではなく浮気相手」になっていて驚く事も起こり得る。(参考例↓9日の日記)□「恋人は通常一人である」という定義は、かなり有効なのだ。ある友人の持論では「万一、二人になる場合は、必ず隠し通す事」だそうだ。万一なんて、こんな所で使うのはオコガマシイ気がするが(笑)。例えば、どちらかと婚姻関係にある場合、片方にどんな理由があろうと、不倫した方が100%悪い事になるという。そういう自己防衛も含め、隠し通すのが礼儀だ、と。□前述は、あくまで自分が「二人以上の恋人」の存在を認めた場合の話。これが、俗に言う「友達以上恋人未満」の様な「親友」だと更に厄介だ。第三者から見た二人の印象と、本人達の意識が微妙に相違する場合。友達と恋人との違いで、よく言われるのが「恋人はいずれ別れるか、結婚して夫婦になるかしかないけど、友達同志は別れる事はあまりないし、つかず離れず一生つきあう事もできる」。こんなパターンの恋人未満な関係は、本当に十人十色だ。□本命以外の人とも、まるでつきあっているかのように親しくする人がいる。周囲は、あれは浮気じゃないのか?とか、八方美人だとかヤキモキしてしまう。本人達にその自覚が全くないのなら、余計なお世話だ。だが、二人のうち、片方は本気で好きだったら…?………なんて、窮屈なのだ。人間関係に説明付けをするというのは。まして、自分の気持ちさえ自分でハッキリわからない時もある。恋心なんて、尚更だ。「恋人は一人」と決まっているからといって、友好関係まで狭めるのもつまらない。自分が出会うたくさんの人の中から、この人、と選ぶものだし。他の人を知ってやはり本命はこの人だ、と思えるかも知れない。もちろん、いつの間にか本命と浮気相手が逆転する事もあるのだが…。□私の古傷は、まさに逆転されてしまった例だ。その経験上、周囲の浮気や二股といった状態に物凄い嫌悪感を感じる。一方で、いろいろあるさ人間だもの、と懸命に飲み込もうともする。その為、未だに時たま吐き気がする。そんな恋愛で苦しんでいる人を聞くたびに。そんな関係で楽しんでいる人を見掛けるたびに。告白されようものなら、「君と、いつか別れるか、結婚するかしかない関係になんてなりたくない」と断る勢いだ。□しかし、そんな苦い思いとまた別のところで、フラフラと他人に惚れて歩く自分がいる。誤解の無いよう説明しておくが、あくまで心の中で一人で楽しんでいるだけである。「この人のこういう部分は、とてもイイな」「この人と一緒に生活したら、こんな風で、楽しいだろうな」「この人、好きだなー。なぜだろう?」等々。きっとこの部分に貪欲な人は、たくさんの恋愛や友達を得るのだろう。少し角度を変えれば、私も浮気者に成り得るかも知れない。ごめんなさい(?)。
2004/01/12
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脱サラ?後、サービス業ばかり職にしてきた私には、お正月はすっかり勤務体制。普段より時給が良かったり、休日手当てやお茶菓子が出たりして、お得感も倍増。フツーの就職している会社員の「年末年始休暇」の感覚がわからない。ふと今年周りを見回すと、皆様5日から初出勤。通常は4日からですとー?…冬休みの気分で、7日位からかと思っていた。三が日迄しか休めないとは。さすが、日本の人は働き者。生き甲斐も、楽しみも、自己表現も、友情を育むのも、全部シゴトの中にあるのだなぁ。それならもっと楽しそうに、喜んでシゴトすればいいのになぁ、とよく思う。学校に通っている時は「明日は勉強だ、イヤだな~」。会社勤めの時は「明日からシゴトだ、イヤだな~」。本気でイヤがってるのではなく、そういう方がしっくりくる、みたいな…変なクセだ。★毎年徐々に、年賀状を書く人が減っている。私にとっては年末の恒例行事で、年に一回必ず絵筆を握る楽しい作業なのだが。それでも、あまり広範囲に出しても逆に迷惑かも知れないな、と思い、リストを少々削減。毎年80枚前後のところを50枚に限定した。ところが、まさしくマーフィーの法則、というやつで…。出した人からは届かず、出さない人からチラホラ舞い込む、という具合(笑)。当然、手描きの分は足りなくなり、私製葉書で補填した。結局70枚弱。やはり来年は、ケチらないで用意しよう。★しかし、電話だメールだチャットだ、とこれだけコミュニティ材料が溢れていると、年一回の年賀状のありがた味も、薄れてくるというものだ。その昔、各家庭に電話が普及した頃、その手軽さに警鐘を鳴らす流れがあった。用もないのに電話でダラダラしゃべるな、と怒る場面もあった。手紙を書く、受け取って読む。その良さを再認識しよう、と言われていた時代。その後あっと言う間にポケットベルが消え去り、そして21世紀到来。中高年世代も携帯電話でメールのやりとりをするようになり、PC教室に行かなくても、多くの人がなんとなくNETサーフィンをこなす。チャットに至っては、わずかな通信料で世界中の人と瞬時に文字で会話が出来る。物凄い勢いではびこり出したIP電話は、加入者同士は常時無料で会話出来る。こうなると「用もないのにダラダラしゃべるな」どころの話ではない。今や、用件は後からついてくるオマケのようなもので、適当な無駄話から真剣な人生相談まで、四六時中、メールやチャットや電話でダラダラやらねばいけないような時代になってしまった。★シゴトや勉強の他に、電話やメールやネットをする時間、TVや雑誌を見る時間、それに食事、睡眠、風呂、家事を足したら、24時間なんて非常に短い。手紙を書く時間はおろか、落ち着いて手紙を読む時間もない。それこそ『源氏物語』の頃は、恋しい人の一編の歌を心のよりどころにして、愛を育んでいたのだろうに…。婚前交渉が当たり前となり、小中学生にも性教育が必要だと言われる昨今。心身諸共コミュニケーションだらけだが、それでも何か満たされない、と不安を抱える人のなんと多いことか。ここで「スローな生き方をしよう」なんていうと、完全に流行のキャッチコピーみたいで、薄く聞こえてしまいそうだが。でも、やっぱりそうなのだと思う。生き物としてのペースが、今の速さについていけないのだと。鉛筆のお尻をかじりながら文章を考え、やっと便箋の行間を埋め、ノリで封をして、ポストに投函する。数日かかって受け取った相手は、ハサミを用意して封を切り、何か期待を込めて、便箋を広げる。これくらいの速さが、書く方も読む方も、一番心地良いのではないだろうか?
2004/01/11
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人は何故、ケッコンするのだろう?ケッコンする時に、それをどの位考えているだろう?ケッコン相手と、その事について話し合っているだろうか?お互いに何を求めて、そのカタチを欲するのか。また、自分の人生が、どう変化するのか。未婚の友、曰く。「なんとなくずっと一人じゃ寂しいし。してみたらその意味が解るかも知れないし」なるほど。………女優で主婦で保育士をしている、40代後半の知人がいる。「私は田舎育ちで、いわゆる適齢期…20代半ばを迎えると、自然にその頃好きになった人と結婚していくのが当たり前だった。その時代にしては新しい考えを持っていた母親から、「女でも手に職を付けなさい」と教わり、なんとなく保母の資格を取ってみた。でもいずれ結婚して、子供ができて、仕事は辞めて家庭に入るものだと思っていた。何の疑いもなく、不自然とも思わず、川が上流から下流へ流れるように。だけど、私には子供ができなかった。大学病院へも数年通ったものの、大変なばかりで子供は授からなかった。そしてもう20年近く、演劇の世界にいる。保母の仕事もずっと続けている。始めの頃は、まさかこんなに長く続けるとは思ってもみなかったのに。結婚した事を後悔はしていない。でも、なぜ私は結婚する時に、自分が人生で何をやりたいか、をもっとよく考えなかったんだろう?と思う。恋人と違って、結婚すると「私一人の人生」ではなくなる。夫と、夫の両親が、必ず人生に絡んでくる。今もし結婚していなかったら、全国を周る劇団に入って各地で芝居する事もできるのに。子供がいたら、仕事も役者も続けなかった。ダンナも、私が家事も仕事もキッチリやっているから芝居を続けさせてくれている。私の出演する舞台は必ず観に来てくれる。今、そのダンナが糖尿を患って退職し、自宅療養中。たまに義父母がくる時には、私はさらに良い嫁を演じなくてはいけない。ここまできて離婚しようとは全く思わないが、自由に全国を旅して芝居のできる人たちが少し羨ましい…」………この彼女の話を聞いて、30代後半の未婚の女優サンが驚いていた。「私の方こそ、彼女がとても羨ましかったのに!適齢期で結婚もして、子供はいなくても優しいご主人がいて、仕事も芝居も充実していて、なんて幸せなんだろうって。私はずっと20代から演劇一筋で、結婚なんて全く考えなかった。稽古も劇団の雑用も、家庭のある役者は多少の免除がされていたけれど、私のような独り身は、それこそアルバイトの時間を削って作業しなくちゃならない。自分が苦労するのは本気で芝居が好きだったから構わないが、だんだん腹が立ってきた。「家庭があるから」「仕事があるから」と言い訳して、本気で芝居に取り組まない態度の人達と一緒にやっていく事に対して!決してそういう人達も片手間に役者をやってるワケじゃない、と思う。でも結局、環境がそう出来ない。ハッキリ言えば、そういう人はやらないで欲しい。そんな風に、多忙ながらも優雅にいろいろこなしている様子が羨ましくも思った。そして近年になって、自分の両親が年老いていくのを見て、親を安心させる為に結婚したい、と思うようになってきた。忙しい演劇の世界で20年近く突っ走ってきたけれど、もうそろそろ仲良くのんびり出来る人とゆっくり過ごしたい。20代後半で適齢期を焦っていた友人たちの気持ちが、今やっと理解出来た。「どこかに良い結婚相手はいないかしら?」って。激しい大恋愛とかじゃなく、お互いに穏やかでいられる人に巡り会いたい。なかなか見つからないのであれば、両親に一度会ってくれるだけでもいい。極端な話をすれば、両親が亡くなったら離婚してもいいくらい(笑)…」………当然、隣の芝生は青く見えるものだ、と解っている。一人の人生は、一つの道しか歩めない、のも承知の上。もちろん、羨んでいるばかりではない。自分の人生に誇りを持っている。誰もがそうやって揺れながら生きている。こと「ケッコン」は、人生の中で揺れの大きい部分である事は確かだ。
2004/01/10
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「『恋愛』とは、誰もが自分で逆らえず抗(あらが)えない、どうしようもないモノ」昨秋あたりに立ち読みした雑誌に、フランスの女優さんの言葉として載っていた。その人自身、19歳で未婚の母となり、その後も様々な恋愛を経て、トップ女優として仕事を続けている。日本だったらなかなか理解が得られないだろう、と思う。事実婚、夫婦別姓、結婚お試し期間の同棲などについてもフランスは恋愛先進国らしい。…恋愛って、なんなんだ?…ここ数年の私の疑問に対し、この女優サンの言葉が一番しっくりくる答えだった。「子孫を残そうとする動物的本能の、より良い遺伝子を求める活動である」等と言われても、どうにもピンとこない。同性への想いや、カラダ抜きの感情だってある。例えば、ピラミッドや馬に本気で恋してしまう人だっている。○最近、周囲で友人の恋愛沙汰が相次いで起きた。とても苦しい。一番ショッキングなのは、まだ完全に解決していないが、離婚したと思っていた彼のツマから、損害賠償を請求された、というものだ。友人にとっては、二年前に出会った時点でまだ籍が入っている事を知っていたが、その後すぐ正式に離婚したと聞かされていたし、気に留めていなかった。離婚届を確認せず、恋愛関係を結ぶのは、不倫の罪に当たるというのだ。もちろん、何か理由はあるにせよ離婚手続きを怠っていた「彼」が一番悪いという話になるのだが、ツマとコドモとはとっくに別居し、事実上離婚状態だったので、当の本人もまさかこんな展開になると思わなかったらしい。…友人にとっては、唯一の心の許せる大切な人の存在。その人をこんな形で失うとは。加えて、三ケ所もの興信所に細かく個人情報を調べ挙げられていたのを知らされ、家にいても道を歩いていても、とても怖い、という…そりゃそうだ。アイドルやどこぞ名家のお嬢サマならいざ知らず、一介の市民なのだ。しかも巨額な請求額を突きつけられた。私も出来る限りの協力をしたく、無料法律相談所等を調べたが、「正式なツマ」の力は強く、法律上ある程度の抵抗しか出来ない。こちらが弁護士を雇って裁判に持ち込んでも、多少の額が取り戻せるだけだという。また、友人としても「彼」を訴える事は忍びない。落ち着いて事実を紐解けば、そういう手順になるのは理解出来るが、昨日の恋人を、こんな理由でどうして今日すぐ敵にできようか。…もともと勉強家で努力家な友人なので、きっと頑張って対応していくだろうが、どうか頑張り過ぎないで欲しい。とても心配だ。○恋愛とは、人が成長していく上で、必要なものなのだろうか?…と、こういう壁に当たると真剣に考えてしまう。人生に何か壁がある方が、努力するし、喜びや幸せを感じる事も多いかも知れない。しかし恋愛を経験して、他人の痛みや自分自身について勉強できる、と言われても、私にはその必要性がわからない。ならば、山にこもって孤独に耐え、心身を鍛えてから恋愛した方がいい(笑)。○遠距離と近距離で二股をかけてしまい、悩んでいる友達。親の為に結婚したいと思うが、相手にその気がなく困っている知人。嫉妬深い恋人に振り回され、それでも続けていこうとする友人。………数々の問題はあれど、楽しい部分があるから恋愛をする。第三者から見たら、ずるい、都合がいい、楽してる、遊んでる、無駄な努力?どうとでも言えるが、いざ当事者となると…↓↓「『恋愛』とは、誰もが自分で逆らえず抗(あらが)えない、どうしようもないモノ」………うーん。
2004/01/09
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地元の雑居ビルの古本屋で、面白い本を2冊発見!『ゾマホンの本』と『沖縄オバァ列伝』。どちらも、今の私の心にとても響く雰囲気が漂っていた。★『ゾマホンのほん』は、ご存知TV「ここが変だよ!日本人」で、しょっちゅう怒って怒鳴っていた上智大学に通うアフリカ人、ゾマホン・ルフィン氏の本である。定価1000円のところが100円。印税は全て、ゾマホン氏の夢である祖国ベナンの学校設立の資金に当てられるという。私の100円は、なんの役に立たないのが申し訳ない。ご存知、と書いたものの、私は例の番組をほとんど拝見していない。西アフリカの『ベナン』という国も、初めて知った。「日本人は、欧米の真似ばかりしていてはイケナイ。 私の国・ベナンも、長い間フランスの植民地だった。 公用語はフランス語。子供が生まれると、教会へフランスの名前をもらいに行く。 手で食べるのは野蛮だ、と言われ、ナイフとフォークを持たされた。 朝食がトウモロコシのスープでは栄養が無い、とカフェオレとチーズに変わった。 地面にひざまずく挨拶はおかしい、と相手の目を見て握手するよう教わった。 仕事に行く時は、暑いのにネクタイを締めるようになった。 植民地化とは、そうやって相手の文化をどんどん失わせていくのだ。 日本も戦争に負けて以降、欧米の文化に染まっていった。ある程度は仕方ない。 そういう教育を受けさせられ、そういう流れが作られてしまうのだから。 でも、そのうち日本語がなくなって、お箸もなくなるかも知れない。 現に、着物を着る人はとても少ないし、歌手も英語の歌ばかり歌っている…」……私が随分前に、HPに書いたこの話を思い出した。外国の人と話す時に、自分の名前を「苗字」で言うのはおかしいのだろうか?例えば日本で出会ったのなら尚更、日本の常識を先方にも知ってもらいたい、と。そうしたら海外に詳しい方々から、このようなコメントを頂戴した。多くの外国に根付く常識として、一般的にフレンドリーな自己紹介は「名前」を言うもの、そうでないと親しい間柄を拒否した事になり、うっかりすると敵対心を持たれる、と。それでも、と私は個人的に疑問が残った。そこで、世界で大きく強い常識に合わせるしかないのですね(笑)…というようなコメントをしたら、そういう意見は良くない、常識知らずと公言するようなもの、国際人として勉強して欲しい、とばかりにお叱りを受けてしまった。なるほど、私も年末のニュージーランド旅行で実感させられてきた。名前だけで宿泊やバスの予約が取れ、名前だけで初対面の人が親友に変わる。日本では考えられない。良い文化だなぁ~、と思う部分もある。…だが、ゾマホン氏は心配して言う。「植民地化された経験のある国の私は、先輩だと思って聞いて欲しい。 先進諸国の技術は真似した方がいいと思う。でも、文化まで真似る必要はない。 そもそも相手の国の文化を、否定したり奪ったりするのはおかしい」………ほんの数年前、香港やマカオが返還され、『植民地』は世界中からなくなったという。…その昔、資本主義の国が発展していこうとすると、何かを生産できる土地と、それを買う人、そして地下資源がたくさん必要だった。それでちょっと力をつけた国は、あっちこっちに戦争をふっかけて植民地を広げていった。インド、アフリカ、オーストラリア、そしてNZ(ニュージーランド)も。NZには、もともと羊なんかいなかった。今や人口より羊の数が多いのだが、あれも「外来種」だとは!なんとも奇妙だ。…国境なんかなくなればいい、と思った事もあるが、果たしてその志の示す意味はどういう事なのだろう…?幸福の価値観や風土・習慣・宗教の相違、そんなものを全部含めて、「みんな違って、みんないい」と、人類全員が笑顔になれるものなのだろうか??それとも、地球上全て同じ言葉と宗教で包まれない限り有り得ないのか?そしてそれを成し得る為に、結局戦争をふっかけて回ろうとするのか?…我々は、なんて愚かなんだろう。………以上。まだ完全に読み切っていないのに、コメントを書くのもどうかと思うが、現時点での『ゾマホンのほん』から受けた、個人的な感想である。『沖縄のオバァ』も少し読みかじっているが、とても興味深い内容だ。こちらの方はまたいずれ~。
2004/01/08
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勤務先の寿司屋の売上が、一月二日から見事に「斜め右下がり状態」である。元旦は休業。二日は、年間通して最高の売上であった。2位が大晦日、3位が12月23日(天皇誕生日…冬休み前…クリスマスの前々日)。そして、七草粥の今日。夕方の時点で二日の3分の1という寂しさ!お刺身も、ウニもイクラも、散らし寿司も、太巻きも、飽きてしまったのか。最近は、御節(おせち)料理を真面目に用意する家庭もほんのわずかだろう。買ってきた刺身や寿司の盛り合わせが、お正月料理となるらしい。★お正月のショッピングセンター内は、冬休みの為普段見掛けない家族連れで賑わう。そしてたびたび、ギョッとするような母親達に出くわす。超過保護?だったり、汚い言葉使いだったり、目がテンになってしまう。「○○ちゃん、どれがいいの~。中トロ食べる? それともエビ?ホタテにする~?」「これじゃ嫌なの? じゃあ、カッパ巻?納豆巻?やめる?」「ふにゃふにゃ動くんじゃねえよ!しっかり立ちな。 で?イクラがいいの?じゃ、イクラだけ4カン。わさび抜きで」普通イクラにわさびは入らないが(苦笑)…しかし、それにしても。将来を担うコドモ達の行く末に、非常に不安を感じる。まるで風邪をひいた時に、特別に甘やかしてもらっているような感じ!汚い言葉も、自分でなんでも自由に選べてしまう選択権も、こんな風に当たり前に覚えていったらどうなる事やら。良いも悪いも解らず、身に染み付いていってしまうではないか…!?かわいそうに………。
2004/01/07
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rauhinnの、行ってみたいな…その①●●●●●●●●●●●●●●●●●● エクアドル スローツアー vol.3人と人、人と自然のつながりなおしの旅●●●●●●●●●●●●●●●●●●ナマケモノ倶楽部のスローツーリズム、エクアドルへの旅第3弾。日本の地球の裏側、南米エクアドルという小さな国。エクアドルに住む彼らの自然とのつながり方、コミュニティとのつながり方、それらで成り立ち形つくられる文化、そして平和。そんな中で、私たち自身のつながり方を、もう一度感じてみませんか。5周年を迎えるエコシティ、バイア・デ・カラケス。先住民の人たちが中心となって作る平和の街コタカチからみる平和のかたち。人でつながるお金・エクアドルのスローマネーシントラル(地域通貨)、そしてたった一杯からたくさんのことを発信し語りかけるコーヒーの生まれるインタグ地方のコーヒーの森とその生産者たち。フェアトレードを体感します。水に溢れる雨季の原生林、オルタナティブな村・小さな、しかしとても大きくて深いサリナス村(プラン2の場合のみ)、と盛りだくさんです。●プラン①:14泊17日間 \320,000-2月25日(水)日本発~3月10日(水)現地発(12日(金)日本着)(お詫び)一部チラシには13日(土)日本着となっていますが 上記が正しい記載となります。申し訳ありません。●プラン②:18泊21日間 \370,000-2月25日(水)日本発~3月14日(日)現地発(16日(火)日本着)●主催:㈱風の旅行社 ●企画手配:ナマケモノ倶楽部●詳細日程、訪問先、参加料金、旅行条件などは、ナマケモノ倶楽部ホームページを是非ゆっくりご覧下さい!http://www.sloth.gr.jp/top/top.html ご質問、不明な点等ありましたら、何でもご連絡下さい。●渡邉由里佳:yurikasloth@hotmail.com//////////////////////////////////////////////////////
2004/01/06
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いかん、今年3個目の福袋に手を出してしまった。今度は文房具類。先日のマフラーその他の福袋もそうだったが、一つ透明な見本袋が置いてあるのだ。やはり確認できると安心する。その見本だけ特別に良い物ばかりという訳でもないようだし、コレくらいなら損はせぇへんやろ~と手に取ってしまう。●結果、今回のも上々であった。小さなメモ帳二冊、ノート一冊、レターセット、B2鉛筆三本組、便箋、シール、筆入れ、クレヨン12色、キーチェーン、ストロー付き水筒、ボールペン・シャープペン・2色シャーボペン、合わせて七本。税込み2000円で、3倍相当分の詰め合わせとか!なかなか使い出がありそうで、嬉しい。定価では、よほど必要に迫られない限り買う気になれず、必要な時につい100円均一で買うと、質が悪くてガッカリする事も多いのだ。●思い起こせば、去年は福袋を買わなかった。一昨年は、文具&雑貨の福箱(立派なケースに入って3000円)を一つ。ここ数年で他に覚えている物は…。ミスタードーナツの、1000円で千円商品券&ドーナツ10個&オマケ沢山詰め合わせ。中華街でエスニック雑貨(カバン・帽子・写真立て・風鈴・アクセサリー等々)。靴下の福袋(2000円で靴下・タイツ・レッグウォーマー等、山ほど!)。更に昔、メンズショップの5000円の福袋を買い、家族五人で分けた事があった。ジャンパー、マフラー、手袋、トレーナー、Tシャツ等々で、無駄にならないのだ。●福袋にそそられる、思わず買ってしまう、とは、どういう状況なのだろう。ある程度フトコロが暖かく、気持ちにも余裕がある状態?何か切羽詰ったような、すがるような思いの時には、手を出しにくいし、買ってもガッカリして余計沈んでしまう場合がある。逆にヤケクソな気分で、パーッと気晴らしに一攫千金(にしては、規模が小さいが…)を狙って、意識的に無駄遣いする時もある。帰り道に鼻息荒く「どうだ、買ってやったぜ!」と、自分に言い聞かせるパターン(笑)。●ところで、私には福袋に対する弱点がある。慎重に吟味して選び、開けて喜ぶ迄はいいのだが、「もったいなくて使えない」事が非常に多い…正直、文字通り、押入れの肥やしになってしまう。時々引っ張り出して、自分で使ってみたり、包装し直してプレゼントにしたりする。が、とくに新品のモノを自分で使い始める事に対して、なんだか申し訳ないような、臆病な気持ちにかられてしまい、使い始めてからも、そのモノが薄汚れていく様に、なんとなく悲しくなってしまうのだ。…こんな風になるなら、使い始めなければ良かった、とか。…私よりももっとコレを気に入って大事にしてくれる人にあげれば良かった、とか。…いや、モノは使ってもらって初めてその価値が生まれ、その生涯を まっとうするのだから、私が最後まで見届けてやらなくては!とか。私の歴史を細かく紐解けば、この性質の謎が解決出来るかも知れない。小学校の頃、給食を食べるのが遅く、また残す事も多かった時、このオカズをアフリカの難民のコドモ達に届けてあげられたらどんなにいいか、何故モノやコトはいい方向へだけ動かないんだ?と、本気で思った。それに近いような気がする。思えば、その時に浮かんだ疑問は、そのまま自分の中に沈殿して解決していない。社会に対する疑問は、今や自分の中にもシッカリ反映されていて、そのギャップや歪みにストレスを感じつつ生きている。……なるようになるんだから、仕方ないさ。考え、悩み、楽しい方に転がり、思わぬ落とし穴に落ち、ウロウロしていくしかない。そんな中の、ささやかな楽しみの一つが「福袋を買う」である。しかし私の場合、完全にその行為そのものだけを欲しているのだなぁ(笑)。
2004/01/05
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伯父のスケッチ画のグループ展へ出掛けた。☆銀座はあまり縁のない街だが、いつ来ても通りが綺麗で嬉しい。ゴミが落ちていない。人も転がっていない。ブランド店や、デパートやブティックのショーウィンドウには辟易するが、まぁ、商売絡みとは言え、真面目に街を愛する態度が伝わってくるので良しと思う。駐車してある車も行き交う人々も、高級志向ではあるが、ひけらかす事はしない。金持ちぶる方が、逆に格好悪いのだろう。☆兄弟と、銀座4丁目交差点の三愛ビル前で待合せをした。六本木のアマンド前や、渋谷のハチ公前並みに、コテコテな待合せ場所である。ところが、どうも昔の三愛の面影が薄い。地下道の地図にも、三越しか表示がない。私の記憶では、巨大な『三愛ビル』という縦書きの文字があったのだが、そういえば数年前に来た時に既になくなっていたようだった。我が兄弟、三愛前から携帯で、「サンアイって、どれ?今、ドトールの前にいる。三越の斜め向かい」…。現在、確かに三愛の一階がドトールとなっていた。☆久し振りに、伯父と伯母に会った。数年前の従姉妹の結婚式以来である。前の母の兄に当たる人で、祖父母と母が亡くなって以降の十年来、我が家に次の母を迎えたり、家が遠かったりした為、少々疎遠であった。東大卒後、大企業に就職し、社交的な奥様と華やかなお嬢様お二人に恵まれ、孫も女の子二人…という中で、穏やかで優しいマイペースなオジサンとなった(?)。数年前から本格的に描き始めたスケッチ画も、そんな穏やかさの表れた作品郡だった。国内外の建物を中心にしたB4程の絵で、一時間半程で仕上げるという。柔らかく太い鉛筆の線、淡い透明水彩での彩色。戦前の古い家屋が好きで、藁葺きや寺、大学校舎等をよく題材に選ぶそう。☆ゆっくり拝見させて頂いた後、流れで、伯母の兄夫婦と6人でスペイン料理を頂いた。輪切りトマトに巨大なホワイトアスパラがのったサラダ。魚介類のパエリア。オレンジのプリン。カタラナ(クリームブリュレ)…等々。チョリソーの香辛料が強く、サラダの酢も強く、デザートは甘く、濃い目の味だった。☆そういえば、伯母の義兄上に6歳下の兄弟と順番を逆かと思われてしまった。丁度2年前に不動産屋巡りをしていた時も、営業の人によく間違われたものだ。ニコニコして挨拶してきたが、義兄殿、我々兄弟の実年齢をいくつに思われたろうか…。伯父と伯母は、もちろん知っているけれども。
2004/01/04
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サンガニチが今日で終わる。と言っても、二日からスーパーやデパートが営業しているので、なんだか意識が薄い。普段出歩かない人も、景気が悪くボーナスが侘(わび)しかった人も、こぞってショッピング。初詣(はつもうで)の流れで、初売り、新春セール、福袋…。お正月マジック、とでも言おうか。それにしても、モノを買う人々のなんと楽しそうな事か。消費大国。愛情表現、自己顕示欲、ストレス解消。せっせと財布を開き、お金とモノとを交換する。そして、せっせと働いて稼いで、また買い物にくる。□誰でも子供の頃は、お金に対する価値観がよく解らない。我が家は、何もせず毎月お小遣いがもらえるような環境ではなかった。何か家の手伝いをした時にだけ、そのお駄賃が手に入るシステム。その後、アルバイトをし、就職し、好きな職しか選ばなかった為、なんと手軽にお金が得られるのだろう、と思ってしまった。家へ入れる他は、全て自分個人の財産となる。それを大事に貯め、上京や勉強に充てた。なんとシアワセなのだろう。□ところで、先日書きそびれた『今年の抱負』の一つに「身軽になる」というものがある。今まで以上にモノを減らし、心身共にこざっぱりと生きたい、と。しかし、新年さっそく、福袋を二つも購入してしまった。いかにも!という赤い紙袋を下げて、新宿南口を歩いていたら、「アタシ、福袋って買ったコトなぁい~なんか怖くってぇ~」という声がした。福袋マジックに容易く屈した我が身を叱咤。だが、前後のワクワク・ドキドキ感に、すぐ帳消しされた。ちなみに、一つはカエルマークのブランド。蛙の柄の七分袖Tシャツとトレーナーが良い感じ。蛙に関係ないバッグに不満。もう一つは、無難に服飾雑貨店で。マフラー3本、ショール、折り畳み傘、手袋、靴下、タイツ、ハンカチ、タオル、等々。しめて、2000円也。なかなか満足である。あーぁ(笑)。
2004/01/03
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『2004年』なんて聞くと、未来にいるような気がする。去年はアトムが誕生した年、だったし。地球滅亡の予言の1999年も、2001年宇宙の旅も、通り過ぎてしまった。未だに「えーと、今年はせんきゅうひゃく…何年だっけ?」と言ってしまう私。さすがに「今って、昭和何年だったっけ?」とは、言わなくなったが。しかし、時間に取り残されているような思いは否めない。…私は一体、本当に『2004年』なんかに生きているのだろうか?
2004/01/02
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「今年の抱負は?」他人にはズケズケ聞けるものの、我が身に問うと容易でない質問だ。▲二つの職場は、現在なんとか安定しているので、継続したい。春に勤続二年を向かえる寿司屋は、以前よりずっと環境が落ち着いてきている。夏に勤続三年となる電話受付の方は、今年から時給が50円UP。その分勤務時間が増えたので、ミスのないよう、体調もより気をつけていこう。▲芝居は、去年の反省を肝に命じ、役者稼業から足抜けする(女郎か忍者か?)。ただし宣伝美術関係は、腕を衰えさせない為にも続けたい。他にこんなフィールドは滅多にないのだから、大切にせねば。▲友人関係は、去年の様々な活動で広く浅い新規開拓に繋がった。種蒔きを大切にして、徐々に掘り下げていきたい。また長い友達らとも、もっと深く関わり合える時間が作れるといい。自分の視野が結構狭い事に気付かされてきたので、その修正の糸口になれば、と。疎遠になっている人とも連絡をとりたいと年の初めにいつも思うのだが、今年は意識して上記二つが最優先、と割り切るべし。▲あえて『抱負』を言葉に表現するならば、「生きること」である。ここ数年の年賀状には、似たような言葉を書いた。「スローに視野を広げて」「ゆっくり、しっかり、自分らしく」「マイペースに生こう」もちろん今年に限らず、生涯のテーマであると思うが、ただ「生きる」事に疑問を持ち、際までいくと嫌悪まで感じてしまう。自分の命を粗末にするとは、自分が食べた生き物を無駄に殺す事。自分を取り囲む家族・友人・知人を無下にする事。自己表現とはいえ、この上なく無責任で、失礼な事。…だから、死なないで生きている。ヒトの人生には理由等ないと言われるが、自分なりの価値観を見出したい。永遠に平和な地球を思い描いて、我々ニンゲンの子孫を残していく事?とてもとても、そんな風には思えないから。▲ところで、昨年9~10月にPCが故障して以来の日記を完全に埋めていない。11月より酷い虫食い状態だ。遡って日記を書く事、これも抱負の一つである。
2004/01/01
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