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百万遍は、決して難読ではないが 其の名が地名若しくは特定の場所を示す言葉とすれば、少々解説説明の要る地名かと思う。 親しくご交誼の有った 賀茂別雷神社の社家で、『賀茂神主補任録』を著された藤木正直さんの本には、百万遍辺りは往古 賀茂神社の社領で、葬送の地神宮寺を構えていたと伝える。後に元弘元年 後醍醐天皇の命により 疫病封じの『七日念仏百万遍』の修法をして『百万遍』の寺号を受けたという。時代が下がり 明治期 旧制第三高等中学校が1889年 吉田二本松に開校 遅れて 京都帝国大学が1897年に開校して、学生の町としての体裁が整ってくる。 三高に因んだ『三高餅』と言う店も在った。柳居子の知る範囲で百万遍界隈で一番古い人は 交差点西北に今も在る理髪店の先先代になるのか 橋詰武夫翁 息子の昌徳君とも親しく言葉を交わした事がある。日の出薬局を挟んだ東側 以前パチンコ屋だった前 ふたば食堂を経営していた山西さん この人は子供の頃小児麻痺を患い足の具合が悪かった、 百万遍から山科に引っ越してからは 毎朝新京極の桜湯の朝風呂に見えていてよくご一緒した。阪神タイガースの大ファンだつた。フレッシュランチの桑原さんも 堺町イノダ珈琲の常連客 時々食事をご一首したり 一度だけ旅行も仲間大勢と出掛けた事も有った。イノダ珈琲創業の猪田七郎氏は 百万辺知恩寺の山内墓地に眠っている。 学生の町だから 書店・古書店が多いのは当然の事だが、「吉岡書店」が現在営業している場所は「浜野書店」という岩波の本だけを扱う店跡へ越してきたという 建築関係の専門書ばかりを集めた書店は 『駸々堂珈琲』の近くに在った。医学系とか人文科学系 物理系とか特化した書籍を扱う本屋さんが沢山在ったがいまは無い。 一時期17軒を数えたという古書店は今5軒にまで減ってしまった。 これは学生さんの資質が変ったとかインターネットの検束で物事を済ませるようなご時勢 古書店では喰っていけないという事だろう。ガソリンスタンドの西村君 東映の岡田さんの所へ出入りしていて若い時は随分派手な事をしていたが、最近は年を喰らったがそれでも 好々爺とは言い難い強面の感じがする。百万遍と言えば 第一勧業銀行百万遍支店の銀行強盗事件を思い出す。確か昭和50年7月の事 数人の強盗団が行員二人を襲い多額の現金を強奪して 西へ逃げた。襲われた行員の記憶を頼りに直ぐに西に非常線を張ったのだが、実際には東大路の直ぐ西の鞠小路南下して又現場近くを通過して 大津方面へ逃げた。柳ケ崎の水泳場に現金を全部抜き取ったケースが後日発見された。犯人は捕まらずに時効を迎えた余りに手口が巧妙 内部に手引きをした者が居ないか 内部調査をしている内 幹部行員と窓口勤務の行内で一番の別嬪さんとの不倫が明るみに出た。かなりの年齢差が有ったのだが 二人とも銀行に居辛くなって退職 紆余屈折が有って 正式に夫婦となり 祇園の馬券売り場の北側に料理屋を開いた。柳居子は何度か其の店に連れて行って貰ったが、銀行強盗事件が無ければ 単なる不倫で明るみに出るような事でも無かっただろうに 事件のお蔭とは言わぬが店を構え 結構繁盛して真向かいに立派な店を建てた 劇的に人生の変った人を見た。 御主人は多分もう鬼籍の人だと思う。第一勧業銀行の跡はビルを其の侭100円ショップと薬局と進学予備校が使っている。東大路上がる西側には 江崎グリコの社長誘拐犯が立ち寄ったという店も在った 毎日新聞と朝日新聞の販売店が向かい同士に在った 其の辺りに千里という食堂も在った。旧い記憶は、概ねうろ覚えである。印象強く残る事は付け加えられる事も有る 断片的に想いだす事 美の美という出版関係の店を開いていた田中さんとか 白川書店の臼井喜之助さんとか お話を交した事が有っても其のお顔を思い出せない人も沢山居られる。
2018.01.17
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御厨貴氏が 地元紙の 現代の言葉欄に『ストマと杖』という一文を寄せておられた。 五年前の膀胱癌の手術の跡 転移藻無く一応の寛解 という医師の診断結果から文が始まっている。寛解という診断を下すのは 白血病とか 精神分裂症などの特定の病に下すものと聞いていたが 今は全科的に使われる言葉になっている様だ。 経年で劣化するのは、あらゆる事物に当て嵌まる事だが、人間も含めてあらゆる生物は 個体の死滅が劣化のコールと言えるのかも知れない。 御厨氏の場合 排尿の管理が大変な状態の様だ。若い時と変わらず同じというのは 誰も居ない、我々の眼にする老人達は 元気そうに見せる事の出来る元気が残っている人と見たらよい。御厨氏程 重篤な病名では無かったが 母親が転んで手首に傷を負った時 整形外科に一年程毎日の様に通い 手首を動かす毎 ホッキと音がする 其れを医師に訴えたら 『あっ それはもう気にしない様にという御託宣』母は翌日から病院へはいかなくなった。「病院へ行かないの?」と聞いたら 『気にしないでと言われたが 行っても行かなくても同じ 医者が匙投げたから行くのを止めた』 これも寛解の話しかと思う。 柳居子も骨密度が下がり 腰椎と胸椎の圧迫骨折を三ケ所お越し 喧嘩的には背中と腰の曲がった完全老人になり果てたが 自分で注射を一年程続け その後月一回の注射も無くなり 今は毎日一錠飲み薬だけになった。それでも三月に一度 骨密度の検査が有る 検査結果を見て 先生はいつも同じ事を言う『大分数値が良くなってきましたね 手抜きせず頑張りましょう』『先生 骨密度の数値が上がったとは言っても 同じ年の平均値に近付いてきたというだけですね 決して若い時の様には戻らないのですね。』患者や看護師が沢山居る前で尋ねた、先生は何も言わず貴方の言う通りです と 苦笑い顔で返事をして入れた。「現代の言葉」欄に 己の病気とか 対応について書かれた文と言うのは 記憶にない。 何一つ隠し立てせずの一文 『同病 相憐れむ』という言葉が有る。 この文を読んで 病とか杖が必要と言うのは 誰にでも起こる事 御厨さんの様な人にも 自分と同じ病とか 老いが迫っている人を自覚した人は多いはず 自分を晒す事が多くの人の爲になっていると 私は思うのだ。
2023.12.29
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名誉教授と二人だけのクリスマスイブは、創業130年程経つおでん屋へ繰り出した。南座南の角店へ着いた時は満員札止め 寒空の下待つこと暫し 思い切り体を冷やして、熱燗 温かいおでんも良かろうと、普段食い物の店で並んで待つという事をしない柳居子年寄りに倣う。 其の店へは 随分昔出掛けた記憶が有る 自分から出掛ける店では無いから 誰かに連れて行ってもらった筈。その時は南側に出入り口が有った。『この前 お邪魔した時はこちら側に付いていた引手の戸から入って来たよ』130年4代目の主人曰く 親父(3代目)の頃は南側にも入口が付いてましたと一気に話が盛り上がる。常連客では無いが一見客でもない。まあまあ陽気になる酒だから特に隣に座る人とは 直ぐに親しくなる。 おでん屋の出し物 メニューが手練れの字 全て漢字で書かれた木札が板に嵌め込んで有る。蛸(店名蛸長だった) 鴨捏 飛竜頭 蒟蒻 難読字が出てくる。隣のアベック(旧い表記か?) 『巻甘藍』で詰まってしまった。この品書きの板を見た時 これは寺島良安の『和漢三才図絵』からの引用と気付いた。『甘藍はキャベツの和名 巻キャベツ多分あれはロールキャベツですよ』と教示を垂れる 店主遣り取り聞いていて 『これロールキャベツと言い当てる人居ませんのや』柳居子少々得意顔 クジラの『コロ』これは判らなかった。コロも何十年ぶりかで食す。おでん屋へは余り足を運ばないが、昨夜は難読漢字を読み解く一刻だった。
2012.12.25
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長居の客 京都ではお尻の重たい客に、帰宅・退出を促す言葉として使われていると思われている『お茶漬けでもどうぞ』という言い廻しは、全国 津々浦々まで知れ渡っている様だが、実際我々京都人の生活や営みの上で使った事も無ければ、言われた事も無い これは大方の京都人のもつ実感で、世上の認識とは著しく乖離している そういう事を以前にも書いた事がある。相手に悟らす 言外に意味が有るという言葉の言い回しは結構多い。 京言葉と一括りに考えると無理が出てくる様だ。花街で着物を着た芸・舞妓やお姐さん達の使う廓言葉と、市井の人が使う普段の京言葉 加えて昔都が在った頃 室町時代からの伝統的な御所の中で女官達に使われた女房言葉 そして皇族・公卿等大宮人の使った言葉など 幾つもに分かれるのだ。前述の『お茶漬けでもどうぞ』と言うのは今でも花街ではよく使われる営業用語なのだ。誰が広めたかは判らぬが 大方の京都人は使わぬ言葉だと覚え置かれたい。 言外の意味を考えねばならぬ一例だが、相手の言っている事が間違っていると思った時、『それは 貴方の間違いだ』とは言わない。程々の距離のある関係なら『そうでしたかいなぁ』と此方は違う意見 解釈をしていると相手に悟らす言葉を使う。『そうでしたかいなぁ』と言われたら要注意 京言葉のルールである。『ほんまどすか』と言われたら相手は疑っているのでは無く感心・感嘆しての そんな事信じられへん『ほんまどすか』になる 言葉面 疑問詞の様な感嘆詞です。 京都人でも殆ど使わぬが挨拶言葉として『ごきげんよう』が有る これは、おはよう・こんにちは・こんばんは・さようなら・おやすみ 色々な場面で使われる公卿独特の言葉と考えられる。使う人が極端に減ったが今でも使う人が居る。親しくしている友人川本卓史さんの従兄妹 冷泉貴美子さんのところへ行くとこの『ごきげんよう』の連発に遭うそうだ、自分までいつの間にか『ごきげんよう』と返しているという。 そういえば知人の佐藤八寿子さんの著した『ミッションスクール』という本の中にも、良家の子女を集めたクリスチャンの学校でないミッションスクールの下り ゴッドとブッダの握手 共存の中で『ごきげんよう』の挨拶言葉の事が出てくるが、箱が変わっても時代が変わっても 中身は変わらぬ人間の本質的な部分に言語生活は位置するのかも知れない。京言葉が難しいと脅しているのでは有りません。
2014.04.20
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歳月の刻みは、人選ばず別け隔て無く 一年は365日一日は二十四時間 等しく皆同じと言う事 皆が判っている様だが忘れている事も多い。 前途洋々の若い人と 加齢の進んで老いたる人の時間・歳月の捉え方も同じでは無い。同じならおかしい それは自分の前途に思いを馳せる事が出来るか 出来ないかの差だと思う。年寄は自分が辿って来た道以上に此の先が有る訳では無い。何となく此の先という不安感が過ぎった時 どの様に向かい合えば良いのかと考えた時、『今日一日 今を愉しく大事に過ごす事が一番と気付いた。 後期高齢者二年目にもなると 自分中心自分だけで生きると言うのが 出来なくなるのを周囲見回してよく判る。柳居子は 幸いな事に 未だ現役の様な顔をして 人を迎え入れる仕事をしている。これは退職金を沢山貰って線引きをされた人に比べると、ある意味幸せだと思う。如何に客人と仕事を介してだけでは無く 一緒に愉しく時間を過ごす事が出来るかと言う事を考える。こちらが愉しく仕事に掛かると客人にも確実に伝わる。仕事中だけでなく絶えず愉しく過ごす事を心掛けている。 客人ばかりでは無い、始発バス仲間だったカテリナちゃんから柳居子の誕生日に添えられていたメッセージ 刺繍された布 一針毎の文は 『下前さん お誕生日おめでとうございます。その優しい笑顔で ずつと元気でいて下さいね。 ハッピーな一年になりますように。』 P・S このポストカードの意味は『彼らは 人の美しさを引き出す ヘアスタイリスト 幸せな人です。』 ユーチューブに柳居子の仕事振りを載せてくれた ヘアカット ハリーさんは冒頭 次の様な文を載せてくれている昨Last year, we filmed a traditional Japanese wet shave video in Kyoto with Mr. Shimomae Kunihiro who is 75 years old. 下前理容室 Shitamae Barber Shop is tucked away on the second floor of a building not too far away from the very popular Shinkyogoku Shopping Street. What makes the experience fun is that he is really friendly and loves all the people from around the world who visit his shop, and he has everyone sign a map and guest book 💈❤️ Visitors from the Netherlands, France, Nepal, and Canada have stopped by his shop. S P E C I A L T H A N K S Shimomae Kunihiro, Barber and Owner Shitamae Barber Shop 下前理容室 Japan, 〒604-8101 Kyoto, Nakagyo Ward, 姉小路柳馬場東入柳八幡80−3洋の東西 関係なく 柳居子の後期高齢者ライフを 認めて頂いている様な感じがする。
2021.02.11
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先日 東京在住の書家との会食の席で。随分久し振りに漢字学者『白川静』先生の名前が話題に登った。教えを受けると言うより感覚的には 謦咳に接する と言う様な関係では有るが、色々と薫陶を受けた人だった。 白川先生が亡くなってもう 十五年の歳月が流れた。ご一緒に写した写真の柳居子は髪黒々 勿論染めていたのだが 若かった。市民対象の講演会 九十歳を過ぎてからも演壇に立たれて 滔々と興味尽きない話の出てくる事自体が不思議と思える存在だった。 先生の活動の実質的な取り纏め役の 文字文化研究所の理事 宇佐美公有氏とも親しくしていたから 先生の日常の事や知る機会も有り 一掃身近に居る人の感覚になっていた。 本サイトには 白川静先生の事を何点かの記事にして 載せている。久し振りに名前を聞いた事も有り 先生に付いて書いた事を何点か 一部分抜粋して再録する。泉下の先生が苦笑する話題も有る。2006.08.20 素読・暗誦カテゴリ:カテゴリ未分類 中教審の教育課程部会が、小学校の国語の授業に『暗誦・音読』を重視して古文 漢文等の古典指導を盛り込む方針で検討に入った事を新聞が伝えている。小学校の現在の古典学習は俳句・短歌・古諺の音読が主で 古い時代の漢文漢詩は、学ぶ必要の無い『発展的内容』扱いという。素読・暗誦に付いて 漢字学者 白川静先生の文字講話に参加した折の感想文 京都新聞投稿欄『窓』平成16年1月23日掲載の拙文を挙げさせて頂く。白川静先生 文字講話最終回京都新聞の夕刊に事績やお人柄の紹介を連載された漢字文字学の 白川静先生の「文字講話」シリーズ最終回が宝ヶ池国際会議場で開催されました。何度か通った講演会の中でも今回は特に印象深いお話がありました。ご自身の経験を踏まえた 素読。暗誦の大切さのご指摘です。段階を追って判ることを教えていく事だけが唯一の教育法ではない。社会に出て行く幼少期に生きていく基本的な材料を頭に入れておく素読の偉大な効果を説かれます。漢字にルビを打つことで漢字を知らない世代でも、書に親しむことが出来る。日本人の識字率の高さも漢字から派生した かな カタカナに拠るところが大きく 中国は、もとより旧漢字圏の朝鮮ベトナムなどの現況を比較してのお話しは、心に染入る思いがいたしました。93歳の碩学のお話し皆がどの程度理解できたのか判りませんが、「謦咳に接する」親しくお目にかかれたことが私にとっては 至福の一日だったと思いました。中教審の検討案は 音読・暗誦重視を強調している 実際の授業がどのような形になるのか こなすのは容易だが生かす方法が示されてないと紙面解説があるが 素読・暗誦は 耳・体で体得するもの 長じて内容が判り生かされると白川先生のご意見。2010.11.21 説文解字 12月5日 楽しみだが 一寸空恐ろしい会合に出ておいでよと 案内を貰って出席の返事を届けた。 笠川直樹先生ご夫妻を囲んでお喋りの会(出席者15人限定)とだけ往復はがきの案内には記されている。 例によって幼馴染絵具屋の築チャンのお招きだ。彼は、がさつなのに知ったか振りの柳居子の性格をよく見抜き、直截な物言いはせぬが、何処の美術館の催事が良いとか、茶花の宗家のような麗人を紹介引き合わせてくれたり 又 本サイトに度々出てくる 漢字学の泰斗白川静先生の九十歳過ぎてからの講演会 文字講話も彼の勧めで最初出かけた。 京都の旦那衆と呼ばれる人達は、自分の本職以外に何か一つ二つライフワークの様な趣味・教養を身につける事が当然・自然と云う独特の雰囲気のようなものがある。絵具屋の主人は、中国後漢時代の世界最古の字形辞典『説文解字』を読み説く会の幹事役を設立の時から努めている。 毎月2回 白川先生の教え子でもある、精華高校の笠川先生を囲んで文章読み下し一字づつ議論を交わし甲骨文から金文への推移の時代の考察を重ねる。其の時代の背景を僅かな資料を深く渉猟しながら、こつこつと積み上げ二十余年の間に三百数十回の会合を持ち 全体で九千字ある説文解字の三千数百字を踏破した。 正誤を正すと言うのでは無く二千年前に書かれた文字を今の解釈を付けると言う例によって一銭にもならない学道楽とも言える集まりで 成果を残すといっても古字を活版の活字を作るのに一字が何千円もかかるので侭ならぬそうだ。 京都の町衆と言うのは一筋縄では括れぬ猛者が何食わぬ顔して常日頃を過している。築チャンは柳居子が猛者に囲まれて餌食にならぬと判断して会合に呼んでくれるのだと思っている。・・・・ 服喪に付いて、旧い印象に残っている話しが二つある。 漢字学者の白川静先生が文化勲章の栄に浴され、宮中での親授式にお招きが有ったが、丁度其の年の春だったか 先生の奥さんが亡くなった。配偶者の喪中に畏れ多くも陛下の御前に罷り通る事など出来ぬと辞退された。喪に服す 外出を控えるを実践されたのだが、前例のない事。其の日だけ徐喪 喪を外しでもという周囲の説得にも頑として首を振らず欠席された。新聞発表 公式には 病気療養中の白川静博士は欠席と伝えていた。・・・・・・・・講演会の前 国際会議場の食堂で 満席状態 お年寄りの座った席に空きが有ったので 失礼しますと座ったら 白川先生だった 先生九十を超えたにも関わらず ビフテキ一枚ペロリと食べたよ。と文字研の宇佐美さんに 話したら『家で常肉を食べさせてもらって無いから 外食は肉が多いですよ。』という話し 何時までも元気な人は肉好きなのだ。・・・・
2021.04.20
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先日 『七十七歳の所感』のタイトルで載せた記事の中 法衣商 細野福蔵氏の戒老録 事業継承 次の代に委ねた後の身の処し方を『若い者の邪魔にならぬ様 それでいて 手本になる様に。』この部分に付いては多くの人が感想を送って頂いたり 店にお越しの客人の間でも度々話題に登った。 昨日朝の珈琲屋でも この三月に自分の起こした会社を息子に譲るという御仁が『あの記事ね、』と声掛けられた。遣り取りが有って 今の時代は世の中非常に早く動くし こういう時代の流れの中で 年寄は付いて行く事が出来ない。しかし 事業や生活 営みの根源的な部分はどれだけ時代が変わっても不変動かない事もある。若者 次の世代が迷ったり 立ち止まった時 必ず年寄の知見 経験智等は生きてくる 役柄が果たせるうちは果たすべき 出番が廻って来ぬ様なら 其れは其れで 目出度い事と言っておいたが 本当に難しい事ですね 特に若者の手本になる事がと言っていた・ 柳居子の店へは 二代・三代 続けてお越しの客人が居られる。当然の事ながら事業の継承に付いては現場の直ぐ傍から見て来た 立場が逆の双方の話を個々に聴く事もあったのだが、 最近は息子に店を継がさないというケースが増えてきている様に感じる。 特に京都の伝統産業 和装関係の事業は もう先が見えていると考える人も多く父親とは別の仕事 大手企業に勤務の人も多い 一人だけ例外が居た 売り上げが落ちる一方で もう自分の仕事は先が見えていると盛んに愚痴ていたのに どういう風の吹き回しか 息子が自分の仕事の後を引き継いでくれる事になったと嬉しそうに話すものだから 『何故 息子よりうんとキャリアの君が先が見えている言う仕事を継がすのや?』と聞くと『自分から継ぐと言うてくれた』という 『息子さんは先の長い身 先の無い仕事を継いで 行き止まって 再スタートをさせるより 自分の仕事は自分で見つけだせと 何故言わなかったのだ 我々は君の愚痴ばかり聞かされてきたから 息子さんのため言いたい 親父の仕事継ぐ事は無いと思う』 言葉が過ぎたかも知れないが 何等理屈 条理に合わない事を言ったとは思わない。 何年間か顔を合しても知らん顔 全く言葉を交わすような事も無かったが 最近『おはよう』『御先に』と言う会話だけは復旧した。
2022.02.17
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