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業種を特化した 商店街と云うのが在ったが、最近は色褪せていると思う街並みが有る。 先日 丸太町通りの本屋さんの事を 地元紙の 樺山記者が書いておられたが 川東 マキムラ書店は懐かしい店名 寺町六角下がる西側にお婆さんが一人 古書店の店番をされていた、寺町と言えば 三条・四条間は 洋服屋さんの街 夷川は 家具屋街 京の台所を自認していた 錦小路 寺町四条下がるは 電化商品街 等 他にも室町の呉服店街も おおきく変っている様に思う。 取り扱う商品が 時勢に合わない 販売の絶対数が少なくなって 業者数が減少するとか 物流のシステムの変化 何よりも自分の眼で確かめなくても 商品情報が満ち溢れ わざわざ足を運ばなくても買い物が出来る時代 同業相い寄って 客の選択肢を広げることが 客寄せに繋がらない時代の到来と言う事だろう。百貨店も広義には、商店街と云えるかと思う 客を寄せる効果が大きかったのだが 大都市の百貨店の存続は 可能性があるが 地方都市出店の百貨店は 撤退が続いている。何故ならば 商品ショールーム化しているのではなかろうか 値段 商品の確認には出掛けるが 地元百貨店では買わずにメーカー直販とか配達時間指定も出来る そういう時代の到来は、商店街の衰退とか変化に繋がっているのだと思う・ 錦小路は、外人観光客専横されていると 嘆く人も居るが、 若しこの外人客が誰も来なくなった事を想定すると 古の京の台所 昔と同じ様な買い物客が復活するか 今の賑わいを上手にコントロールして 売り上げの確保を図るアイデアの出しあいが 大事な事と思うのだ。
2024.11.27
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中学校を卒業して 直ぐ親の仕事である理容の業に就いたのだが、親から小遣とか 給料と言われる金を貰った記憶が無い。 毎晩仕事が終わった頃 やって来る町内の骨董屋さんは、大きなレートでは為かったのだが 麻雀が目的。 小遣を頂いていた。大きな手を上がっても 喜ばないし 打ち込んでも悔しがらないと言われた。 少し長じて、 店の西 烏丸に出るまで北側 店の御常連だったが 奥さんが麻雀覚えたて 毎晩のように麻雀興じたいタイミングで 麻雀を教えに出掛けた。流石に毎晩と言う回数では無かったが、当時としては結構なお小遣いを頂いていた。 柳居子の雀歴は、小学校時代まで遡る事が出来る。 中学校の試験の答案の裏に 一から九迄 どの数字が出ても 和了(上がれる)する 図解を書いて、先生にこっぴどく怒られた。 答案書き終えてからの落書きだから 堪忍と言ったら 余計怒られた事を覚えている、中学校を卒業するころには 一介の雀師になっていた。骨董屋さんでの稼ぎは 、娘婿さんを迎えられた時に終わった、 半荘戦 四回が決まりだったが 初回は必ず負ける様に心がける。 連戦連勝すると お呼びが掛らなくなると思ったからだ。一日の結果 プラスになればそれで良し 勝金と タクシーのチケットを頂いてお開きになる 帰りに木屋町か先斗町で 散らす事も有った。 二十歳過ぎ 誘われて、日本麻雀連盟の会員になった。 全国組織で連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんが就いておられた。毎年のように昇段して 四段になったのだが 五段昇段のお許しが出たのだが 昇段の際 二万円徴収と言われ 一辺に気分が醒めて 公式には四段止まり 昇段基準は 勝率だった 大勝しなくても負けない麻雀 柳居子風掛け麻雀ガ ご法度で有る事は 充分承知していたが、文化的社会的 最小限の生活の糧だった柳居子の若かった時は 誰に迷惑を掛けた訳でも無し 許される事だったと思う。
2024.11.26
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五線紙の上に躍る楽譜を全く読めないのに 文化の月(音楽)のタイトルは 烏滸がましいが 生活の身近に 11月は 喉と耳を愉しませる音楽が有った。 カラオケ二度と リサイタル・ライブショー・そして昨日はコンサート こんな月は余り記憶にない。FB繋りも有る 柳居子よりは年若い女性と どちらから誘ったかは覚えてないが カラオケに出掛けた事から始まって 87歳のシャンソン リサイタル 地元紙電子版には記事が載っている。 世に数多く居られる87歳の何某励みになればと判断しての ニュース取上げだろう。 ライブショーは 水谷啓二君のライブ 京都での開催には必ず参加している。柳居子の東京での京語りの会には 来てくれたから、不参は義理を欠く事になると思うのだ 93歳の女性 娘さん連れてのカラオケは 前に記事としてアップした そして昨日は 大津管弦楽団のコンサート 出掛ける事の出来る日は 参加と決めている。バイオリンを弾くOさんが出演 いつも彼の目線の一番近い 最前列一つ後ろの席に座る。拝聴と言うより拝見 指揮者が譜面を度々捲るのが気になって仕方無かった。リサイタルと ライブショー コンサート 如何違うのか リサイタルは独唱・独奏 ライブは客席との一体感 ステージが低い コンサートは 最前列近くに座ると 見上げる舞台だった。ベートーベン ドボルザーク シベリウス 過去に一度は聞いた事が有るかなという曲を聞かせて貰った 大津管弦楽団定期演奏会 何と百四十六回目の開催だったそうだ。
2024.11.25
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毎朝 一緒に珈琲飲む九十二歳のGF曰く『なんで 京都の町に こんな沢山観光客が來るの?』と、空席待ちの観光客の前を通り過ぎて 店が其のお婆さんの爲準備した席に座るなり尋ねられた。 その席には 大分前から柳居子が先に座っていて お話の相手をするのが 習いになっている。 『街の歴史が古くて お寺や神社とか 建物遺跡等 見るモノが沢山 あちこちに在って 京都の町は戦争で空襲が無かって 燃えてないから 市内あちこちに名所が在るから 何度来ても見るところが有るから 何度も来る観光客が多いのと同時に 季節季節て゛春は桜 今の季節は紅葉と 春夏秋冬 どの季節に来ても見るところが有るから 観光客の絶え間がないのや 他所の観光地は 一度出掛けたら二度三度 同じところへ行く人は居ないけど 京都は特別や』 ゆっくりと 判り易く 喋った心算だったが 九十二歳は〖そうか〗と一言発して直ぐ別の話 〖あんた いつまでも若々しい 一寸も年取らへんな―』と言われた。 まあ 若い男と毎朝一緒に珈琲飲んでいると 思ってくれているのなら 良しとするか。
2024.11.24
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柳居子の世代になると、街の風景 これから何が建つのか という事より 以前何が建っていたか どの様な人々の営みが有ったのか そう云う事を思いだす事の方が愉しい 過ぎ去った過去が戻る事は無いのに。 店(生家)から 一歩も離れず 八十年近く過ごし 又 近隣の情報を色々と聞かせて頂く職域でもあり 町内会長の役や 小中学校の同窓会の世話役等も務めた経験も有るから 縦横に交差する京都の町の どの辻に建っても 定点患側記が書ける様な思いがする。 生家 姉小路柳馬場東入る 柳馬場姉小路下がるの交差点で 南面 南の通り筋を見ると 郵便番号も柳八幡町 604 101から松下町 604 8093に変る。 西南角は 橋本さんが居られた。 料理屋さんが在った様に覚えている 橋本氏の経営だったかは 定かでない。 隣は鈴木さん 幼稚園の保母さんをされていた、。母親と同じ学校堀川高女出身だった 其の隣は本井さん 兄妹三人の末っ子の操江ちゃんが小学校の同窓生だった。 実家が無くなった後 操江ちゃんは 京都に来るのは 柳居子の店だった。 店の掃き掃除等を手伝ってくれて 御礼代わりに 食事を奢るのが恒例になっていたが 早逝された。 寺町三嶋亭の肉の捌き場は 本井さんの隣だった 南隣接の母屋は 今三嶋亭が料理屋に使っているが、元は 市田か千切屋か 呉服屋さんの店跡 京風の仕舞屋 後の世に残したい建物である。 三嶋亭の隣は 川瀬徳之さんの家 広大な敷地だった。今裏の堺町通り迄抜ける大きなマンションになっている。 川瀬さんの隣は 中華料理屋さんと麻雀荘だった よく食べに行き 長時間過ごした場所である時代が相前後するのだが 日本生命ビル 三条角までに 印刷工場が在ったのを覚えている。 日生ビル 今四条に有っ時計屋さんがテナントで買いっているが 子供の頃はアメリカ文化センターがあり 終戦間もない頃 日本とアメリカのレベル差を植え付けられた思いがした。柳馬場通り 東側に移って 三条柳馬場東北角は 竹内電気店 北隣は まる二運送店 国鉄の貨物輸送が 物流の中心だった時代 遠方に物を送るのは この運送店に持参した。 所長さんだった 竹井知空さんは 店の御常連だった 陽の隣 遠藤写真印刷の店が在った 三条通りに抜ける露地挟んで わたつね は中塚栄蔵さんの創業だったかな其の隣は 丹後出身の堀さん系列の お店だった堀さんの北は大阪瓦斯の営業所だったが 長く使われていなかった 上の建物を撤去した跡 防空壕が出てきて 格好の遊び場だった。 今は大阪瓦斯の子会社がマンション運営をしている 大阪瓦斯の隣に 岩崎さんが住んでおられた。柳居子に麻雀の手ほどきを受けた人だった。余りに卑近 ローカルな事だから 掲載を躊躇ったが まぁいいかとアップする
2024.11.23
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徒然草の一節に『是なる時は喜び 非なる時は恨まず』という下りが有る。【是】とは、正しい事とか 理屈に叶う事を指す一字かと思う。 国是という言葉も使われなくなって久しいが、国が是と認めた事 絶対主権の時代から 近代国家に移り変わる時代の国歌理性と位置付けたら良いかと思う。我が国で この国是をモデルに 近代産業を起した人が居た。 京都府(現)綾部市に 明治の初めから 自分達の住む町 村と言えば良いのか 郡という行政企画の中で 郡を正しく良くするという〖郡是〗を掲げて起業した人が居た。地場産業の養蚕を大きく育て 又 事業主と従業員との関係が 明治時代には考えられない程 フラットと言うのか 共に生きる事 郡を良くする目的に沿って 社名を郡是と名乗ったのだ 創業者の精神は後の世に脈々と引き継がれ 大阪に本社機能は移したが、登記上の本社は 創業の地という 社風とか会社の様子を、伺い知ることが時々ある。其れは郡是に長く奉職され、退職されてからも随分と歳月が流れているにも関わらず 絶えずご自分の出身の会社に思いを馳せ 柳居子のこの記事を書く契機となった【郡是創業者 波多野鶴吉】伝 明治期 京都最大の近代的製糸会社を起し 綾部を発展させた もう一人の渋沢栄一」という本をご恵送頂いた。 又 毎年 寒くなってきたなと思ったころ 郡是の暖かくなる肌着を届けて頂いている 柳居子徒然プリント版配達の御礼と言って。 郡是を退かれてから 歳月が経つにも関わらず ご自身の居られた会社と途切れずの関係 其れが一方通行で有ったとしても 郡是の社風を表している様に感じられるのだ。頂いた物 身につけて 体も心も温かくなる。Nさん 有り難うございました。
2024.11.22
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仕事に必須の 手持ちのヘアドライヤーの電源差し込み口のソケットの元が 長年の使用に耐えかねて、+ - どちらかのビニールの被膜が破れて、電源剥き出しの状態になった。 もう一方が同じ様に破れたら 完全にショート 危険ら状態になったから 買い求めた 理容器具材料商に 修理を頼もうと差し出したら 修理代とほぼ同じ金額で 新品を買う事が出来ますよと言われ 昨夜新品を買いに出掛けた。 修理をお願した本意は、後どの位 仕事が出来るか判らない。 新しいドライヤー買求めて 直ぐに仕事が出来なくなったら 無駄な出費になると思ったのだ。 考えて見ると 仕事する柳居子本人だけが 年取って弱るのでは無く 頼りにしている 仕事上の部下 道具類 設備についても 皆 老兵になっていた。 遠来の客人の書いてくれたメッセージをしっかりと読むと 「日本の伝統を守る古風 クラシックな店 タイムスリップする様な体験等と 先ずは褒め言葉がちりばめて有るが 時代遅れにの体験でも有ったと 正鵠をついている。 毎朝 配達された新聞を。珈琲屋へ持参して 折り込み広告を小さく折り畳んで折り目に差し込んで 手札型位の大きさにするのが日課 指先と眼の仕事前のトレーニング 上手に折り畳めたら ウエイトレスに『はい ゴミ』と言って手渡す。 最近は 折込み広告の枚数も減ってきて トレーニングにならない 先日も本紙の広告に 葬儀会社 二社だけの広告が載った。葬儀会社が無くなるとは思わないが 春の来る見込みのない 冬の時代なのか 多分柳居子よりは長く生残る事になるだろう。
2024.11.21
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その時 そのタイミングで、受け答えが出来なければ、後から幾ら悔やんでも間に合わないと言う事がある。 ああ言えば良かったとか もつと良い話しが有ったのに と言う事の繰り返し 加齢が進むと特に其れを思う事が多い。 先日の日曜日 華道 池坊の年中行事の最大の催事 旧七夕会に お誘いを受けて出掛けた。 名の高い大先達の生けた花 ご自分で生けた花 自分が教えを乞うている先生の生けた花 所狭しと並べて有る。全国から大勢の人が集まる。 大丸百貨店でも日を変えての展観も有った。 大勢の人の移動とか宿泊という事だけでも 大きな経済波及効果があるなぁ 等と考えながら 案内に従って 上の階から 四階会場の展示を見始めた時 突然 背の高い女性が柳居子の姿見て駆け寄ってきて 『下前先生ですね、美無沙汰です』と声掛けられた、柳居子の名を知っておられるのだが 覚えが無い 『失礼ですが どちら様でしたか?』と尋ねた『〇〇〇です』と言われたが 雑踏の中 よく聞こえなかったし 直ぐに忘れた。『柴田先生が お元気で 若かった頃は 毎年この会には伺っていました。』と言うと 『柴田先生は 車椅子ですが 今も京都へはお越しになってます 娘さんが何時も傍に付いておられます』と言われ 下前先生とも直接お話を交した事も有ります。」と言われた。自分を良く知る人を 此方は全く判らない。耳と頭が弱ったから お名前書いて頂けますかとか 貴女の展示作品は何処に展示か案内してくれますか? 咄嗟にそういう言葉が出なかった事が悔やまれる。一縷の望みは ブログのプリント版を一枚差上げた事 親しくの声掛けは若しかしたら記事を呼んで頂いているのかも知れないと思ったりするのだ。投稿者下前 國弘今朝の珈琲屋で 池坊の関係者が 柳居子に引きあわせた人と判った。
2024.11.20
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昨夜は,どちらから誘った訳では無いのだが カラオケに出掛けた。コロナ禍前は、店の有る町内の御婦人たちと時々ご一緒したのだが このところ無沙汰気味又 八十歳後半とか 九十を越える年輩になられると お誘いする事に憚りを覚える。 還暦になられる様な年代の娘さんと 九十三歳になられるお婆さんと三人で出掛けた。 声が出るやろか? 柳居子八十歳手前でも 若い時に比べると息が続かず画面の歌詞字余りになる事が有るから 九十三歳の心配はよく判る。同じ唄うのなら 上手に唄って聞かせたいという思いも判る。 自分の唄える曲を書いてきた手帳持参 娘さんが最初 柳居子が二番手 九十三歳が 選んだ曲は『荒城の月』 高い声が出ない 娘さんがトーンを低くすると 息が続かない。 カラオケに連れてくるのは 気の毒だったかなと思ったのだが 持参の手帳に控えて有った 唄える可能性のある曲 皆 柳居子り唄える曲ばかり。一人で唄うのが無理なら 一緒に唄ったらよいと気付き 手帳記載の曲を次から次に一緒に唄う事になった 『湖畔の宿』を始め数曲一緒に唄ったら 帰り際には 一人で一曲歌いこなしていた。 出掛ける時は 僅かな距離だが娘さんが 河原町三条 カラオケ店まで車で送ってくれたが 唄い終わって元気が出てきたのか 歩いて帰ると言うから 腕を組んで体を支える様に一緒に歩いた。娘さんが傍に居なかったら 町内で噂になるかも知れないと 言ったら 大笑い カラオケ403号室 三人ご利用で合計年齢230歳越え 次は全員シニアカードを作って貰おうと思って居る。
2024.11.19
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文化庁が 今年一月から三月にかけて、十六歳以上を対象として 3559人から 読書に関する調査をして、回答の有った人の結果を報じていた。 アンケート方式か 直接聞き取りか 判らないし 業種とか地域等も勘案しない 要するに調査書類を 送って解答の有った分だけの分析で有ろうと思われる。 アンケート調査と云うのは、自分自身に直接関係のある 得失の有る問題とか 仕事離れて時間に余裕のある人とか 自分の見解を 書き送ると言う事に思い入れの有る人も居る。 調査の本題は、文字通の『本を読む 読まない人の比率』 過去十五年 一ヶ月に一冊も本を読まない人は 全体の四割台だったのが 今回の調査では 六割を越えたと云う。SNS ネット記事で、情報取得の機会が多く、 そちらの方は毎日 かなりの時間を割くが 本を開けて見ることは少なくなった 一カ月に一冊の本も読まない人が 六割越えとは 驚きの数字である。身近に居る友人 十人中六人 一カ月一冊も本を読まない人は居ない。読書 本を読む事が少なくなって SNS ネット画像で情報取得が 増々進む事で 柳居子が 危惧するのは 眼の弱体化 子供の時から 目の前に光源が有る画像とか動画ばかり一日中見ていると 若くして眼鏡無しでは過ごせなくなる 毎朝出掛ける珈琲屋のウェイトレスも 殆どが眼鏡 コンタクトレンズを装着している,一億総眼鏡時代が來るのでは無いかと 憂う
2024.11.18
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少女達と掲げたが、如何見ても少女に見える女性 キャリアのある女性かも知れないと断りおく 毎朝 四時から五時に掛けてが、柳居子が自宅を出る 出勤時間 前照燈を付けて行き交う自転車やバイクは。全部新聞配達の車 朝刊は行き交う車も少ないから徒歩配達では無い様だ。 柳居子の眼から見て、少女達に出逢う事が多い。連れの男なり女が居れば、遊びの帰りだなと見過ごすのだが。若い女性が一人 其れも結構ケバケバしい服を纏いフラフラと歩いているのに出会うと。大丈夫かいな と 老婆心ならぬ老爺心が起こるのだ 年頃の娘を持つ一般的な 親なら 夜明け前の娘のご帰還は有り得ないだろう。年若い娘の稼ぎに依存している事も考えられる 学生の身 下宿なら何時に帰宅しても咎めだてする人は居ない。結構若い男を挑発する様ないでたち 柳居子が関心を持つのは 夜明け前の若い女性の 『独り歩き』である。 若い男達に取り囲まれたり 逃げ出したいと言う様な思いをした事が無さそう 治安が良いと言うのは 男の本能が撤退気味なのか 海外事情では 真夜中・夜明け前 若い女性が 一人歩きなんて 考えられないと思う。観光客の訪れない 平和の国の 真夜中の京都の町歩き 結構印象深い体験になると思うのだ、
2024.11.17
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昨日お越しの客人との会話は、同世代の思う事がほぼ一致する様な思いがした。『年取って いいなぁと思う事は、皆無ですなぁ』 という事から始まった。『若かった時の一日と 年取ってからの一日 同じ二十四時間如何違うのか? 若い時は 人生初体験と言う部分が有るから 一日の出来事 印象深く覚えているが 年取ってからは 常の積み重ね 流れる様に月日が経って行く』と、言われる 何か柳居子が 以前アップした記事を 其の侭言葉変えて言われている思いがした。『年取って月日が早く過ぎるという思いは、 生物個体として 年取れば何れ死ぬという 無意識の恐れの表れの表れかも知れませんね。』と言うと、どれだけ手厚い介護を受けても百才は寿命 三笠宮の話しに移行した。 娘さんが嫁いだ 茶道裏千家の前家元 百才を越えても元気な方 この人の話題 未だ鵬雲斎を名乗っておられた時代、文芸春秋社の企画で 『思い出に残る美女』という表題で 名の有る人の出稿を求めた時 殆どの人が 映画俳優や 名の高い美女を掲げた中で 正興玄室大宗匠は、 亡き私の妻 早逝の奥さんの名前を掲げた。裏千家は女性の嗜み 社中は女性が多い 亡き妻の名を掲げるとは何と見事な対応と 話しが盛り上がった。 昔は良かったと言う人には 何も言いませんが 若い時良かった 今の若い人は可哀そうだと言う人には 『今の若い人には 昔が良かった事は知らないから 可哀そうと思う事は有りませんよ 昔の悪しき事は忘れる様に出来ている様ですよ』と言うと『私もそう思うョ』と話しが一致した。
2024.11.16
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先日 朝から遠来の客人が続いた日の事 午前十時過ぎ 夫婦連れと思しき二人が店に入って来た。 いきなりスマホの日本語表示のメッセージを見せられた。 「私達は メルボルンから来ました。 床屋を営業しています。 ヘアーカット ハリーさんのユーチューブ動画を見て 日本観光の機会が有れば、是非このお店を訪ねようと思って居ました。念願が叶いました。』と言う表示同業者の来店は ニューヨークからの一人 二人目 否 父親が散髪屋というカナダ人の若者も居た、『上唇の伸びた髭を切り揃えて頂くだけで結構です。』という注文 ものの三分も有れば出来る仕事 料金の取り様が無いなぁ等と考えていたら 遅れて入って来た二人連れ 親子か? ]息子の方が 頭 丸剃りにして下さいという注文 オーストラリアから来た床屋は、柳居子の 丸剃りの仕事を直ぐ傍て 立ち見と言うのか 見学と言うのか、日本式の頭髪剃りの一部始終を興味深げに見守っていた。 最初 後頭部 順剃りをして 左側頭部に取り掛かった時 剃刀渡して『君も剃って見るか』と言ったら 飛んでもないという仕草 後で話しを聞くと 自分の髭を剃るのが 精一杯 カットはするが 人の顔剃りは営業科目に入って無いと言う。 逆剃りをして 文字通りツルツルに剃りあげた頭を触らせた。ユーチューブの動画の実演を見学する事が出来て 有意義な日になりました。次々入って来る客人と お昼過ぎまで店に居た、帰り際 『私は 幾らお払いすれば良いのか』と聞かれ 『料金は要らない 又日本に来る人か居たら この店に行くようにと 声掛けしてくれたら良い 又 私がメルボルンへ 出掛けた時 歓待してくれたら良いと言って送り出した 名前も 店の所在地も 電話番号も 聞き忘れた。
2024.11.15
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スマホの扱い方や 機能が、よく理解出来ていないと言うより殆ど何も判らない。仕事に必要なものなら 無関心でいられないと思うのだが、スマホが使いこなせて無くとも 仕事に障りが有ったとは考えない。 何よりもお粗末と思うのは、自分のスマホの番号を忘れたか 覚えていない。スマホで相手に電話を掛けた事も無い。二日も三日も鞄の底に仕舞い忘れが時々ある。 近くに置いていて 着信音が鳴り 何処をクリックしたら会話が出来るのかな?と 戸惑っていると発信が途絶えて 直ぐに固定電話が鳴り響く スマホが無くても 問題無く渡世の出来るという証人役を果たしているのか スマホだけでなく テレビも このところ二十年近く見た事が無い。 覚えが悪いお粗末譚も 枚挙に暇なし 先日店の前で自転車に乗ろうとしたら 妙齢の女性に声掛けられた 『今 お帰りですか? いつも有り難うございます』『??? マスクを取って頂いたら 何方か判るのですが』と言ったら 『いつもマスク付けて お目に掛かっています』と言われ 『失礼ですが どちら様でしたか』と尋ねたら 『〇〇新聞社の受付に居ます』と返ってきた プリント版発刊毎 三部 届けているのだが 貴女方が読んだ後指定した人に届けて貰った良いと言って有るので 先ずは読者と言う事か。世の中 変化のスピードが加速傾向にあると思う、最先端を行く人 其れに続く人 変化に付いていけない柳居子の様な人間 其れでも其々の立場で頑張って生きているのだと思うのだ。時代遅れの床屋では無く 時代に取り残された床屋だと思う。
2024.11.14
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今の季節 朝晩と昼間の温度差の大きい時は、着る物にも体感温度を考えねばならない世代になった。 朝 夜明け前自宅を出ての自転車通勤の往路 店まではほぼ完全に冬装束 マフラー巻いて 手袋嵌めてほぼ下り坂 上りが有るとペダル踏んで体を動かすから暖かくなると思うのだが 自転車のサドルに鎮座するだけだから 風が無くても風に吹きさらされている気分。 復路 夜も朝と同じ衣装で 何等問題無い。只 道行く人 いつも出会う人 人其々に体感温度がちがうのか 未だに半袖 散歩か トレーニングか 頑張っている人も居る。 昔は、衣替えと言って 単衣(ひとえ)と袷(あわせ)の使い分け 結構厳格に皆が守ったか従った様だ。季節外れの単衣で 北島三郎の歌【破れ単衣に 三味線抱けば よされ よされと・・・・】を想いだす 門付け芸人 目の不自由な 『ごぜ』をモデルにした曲だが 多分単衣をよくご存知ない作詞家の作ったストーリと思う、海外から見える客人の中には 本当に薄着の人が居る 概して太陽光を浴びる機会の梳きない緯度の高い 北欧系のひと 11月に入ってからでも Tシャツ一枚に 上 軽いジャンバーといういでたち で見える人がいる 彼らにとっては 今の日本は 夏の名残の季節かも知れない 何を着ていても とやかく言われる事の無い 今の時代結構な事と思う。
2024.11.13
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途切れることなく やって来る遠来の客人の数は、この四年間ほどで 施術後のメッセージを残してくれた人数だけでも 800人を越える。メッセージを書いて貰えずに送り出す人数も結構多いから 1000人は越えると思われる。 遠来の客人の頭を刈っていて思う事は、鋏を使って刈り込むという 柳居子が若い時から身に付けたカット技術は、時代遅れなのか 鋏で刈り込むという技術は身に付けず、電動バリカンを使っての仕事とか技術が席巻している。バリカンを使わずに 鋏だけで仕事をはじめると 不思議な顔をされる、 バリカン主導でカットをすると 如何しても上の長い髪との接合線が問題となる 少し長めに刈れるバリカンを使い 我々世代がトラ刈りと言うスタイルが 世に拡がっている。理髪師がそういうスタイルしか出来ないと 被技術者 客も其のスタイルに納得する様だ。 柳居子は、先ず頭髪を 熱いタオルで濡らして その人が本来持っている 髪の生え方とか 量を 漉き鋏で刈り込み 何も整髪剤を付けなくも左右均等 シンメトリーに納まる様に 粗くカットする。 ゼスチャーは言葉が通じ無い人には大事な事で 客の髪の上部の髪を捌いで 出は上がりのラインを確認すると 『よし これで良し』 という顔やポーズをとって 相手に無言の同意を得る、細かく切り揃える仕事に入ると 相手は全幅の信頼を寄せてくれている事が判る。 日本人の客人との 仕事のプロセスが逆になるのだが、一寸手間を掛ける事が 始めて入った異国の床屋が 愉しく 緊張がほぐれる場所になったら良いと思うのだ。スマホの画面を見せつけられて この様にカットしてくれと迫られても {全く同じようには刈れないが 60年以上のキャリアが有り 貴方に似合う髪型に刈る自信はあるが 任すか?}{任す}の言質を取ってから仕事に取り掛かる。 自分のやり方 自分のスタイルを貫いている。 又日本に来たら必ず此処へ伺いますと言うメッセージに対しては 次来る時は指を天井指し示し 多分 上の世界に居る 今回限りと伝える。
2024.11.12
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このところ 少々オーバーワーク気味 昨日も定休日だったが 頼まれて仕事をして その後は恒例のプリント版の配達や 訪ねてきた人と昼食を共にしたりで 自宅に戻ったのが午後五時少し前 昼寝の時間では無かったのだが ベッドに横になると其の侭寝入ってしまった。 枕元には時計が置いてある。 24時間表示で無いと 今の季節は 朝と宵の見分けがつかない。 17時(午後五時)過ぎに寝入って 最初に目覚めたのが 20時(午後八時)起きて家の中の掃除でもしようと思ったのだが もう少し寝よう横になって 次目覚めたのは、23時半 何時もなら完全寝入っている時間だから 其の侭横になる 日付変わって 午前2時に目覚めて ラジオ点けると3時から 銀幕スターの歌唱特集 森繁久弥が登場と伝えていた これを聴かいでかと目覚める。ベッドに横たわって聴くのだから 身の養生になるか等と思いながら。 『銀座の雀』 この曲はカラオケで唄えるように練習しなければならない。唄って聞かせて喜んでもらいたい人が居る。森繁の歌唱は。彼独特の節回し 楽譜は読めるのだろうか 聞く度 変っているし 無伴奏の部分も有る・知床旅情の元歌 『オホーツクの舟歌』は彼の作詞作曲 森繁が プロダクションを作って最初の映画を作った時 地の果てに生きる人 と言う様な題名の映画だったと思う。ロケの終りの日 宿に帰って 作詞作曲を始めて 真夜中12時に曲が出来上がって 撮影に全面協力してくれた町長に電話して スタッフで押しかけ 午前4時間まで 曲の披露兼ねて ドンチャン騒ぎをしたと言う。 今の時代 考えられない事が 昔は通用 皆が認める時代だったと思うのだ 午前四時完全起床 小間切れ睡眠なんて言葉は無いのだが 昨日から今朝に掛けては長時間ベッドの上に居た。
2024.11.11
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昨日 午後 四国電力の配電先 三十六万世帯に電気を送る事が出来なくなるという椿事が起こった。 地震とか台風という天変地異が原因では無く 安定供給の目的で設置された 本州と四国間の連絡送電システムが 誤作動を起こして 本来四国側に供給すべき量が、本州側にご配電されたという。 午後二時からの停電で 四時頃には全面回復した様だが、電車の信号灯とか滑走路の誘導灯とか 一般家庭用以外にも 大きな影響が出たそうだ有る欠『衣・食・住』は 人間の存続の根本では売るが、水とか電気も 現代生活には欠く事の出来ないもの 『衣・食・住・水・電』という述語出来る程重要な事と考える。 政府は 電気代抑制の爲 原発の活用を明記していた。今後の方向性の提示である。水力・火力・原子力 其々に初期投資 一酸化炭素排出 廃棄物の処理 が大変な費用が要ること そういう事実は我々は何も考えずに日常を過ごしている。 以前 化石燃料(原子力)も含めて 開けてはいけないパンドラの箱を開けたという記事を書いたので 再録する2010.05.31パンドラの箱 ギリシャの神々が最初に人類に送り込んだとされる女性パンドラは、災いが一杯詰った箱を持ってきた。断り置くが女性パンドラが持ち込んだのではない 神々のご意思である。 ギリシャ発の経済不安はEU欧州全体を巻き込んで、経済統合のメリットを謳うつもりがデメリットを呼び 尚暫くの不安定要素をギリシャの神話が暗示するように全世界に撒き散らす。 米 ルイジアナ沖の石油掘削現場での原油流出事故も、パンドラの箱を開けて災いが飛び出してきたという感じがする。 何が凶暴かと言って 人類ほど質(たち)の悪い邪悪な種は他に類例を見ない。原油流失によって『生態圏への影響が懸念される』というコメントに人類以外の生き物という奢りが出ている。深刻な海洋汚染は、数多くの生物の直接生命や種の保存ための環境全てを奪う事になる。 地表に住むものは地表で採取できるもので命を繋ぐのが正しい方法 今流行の地産地消 エネルギーも然り 膨張し続ける人口を養うには海底深くの資源にも頼らねばならない。地下資源は我々の子孫も当然使う権利があると思うに 枯渇する其の日まで使い尽くす事だろう。 原油掘削のプラツトフォームでは、流失防止に懸命だが実効が上がっていないし失敗の報もある。開けたパンドラの箱は誰かが閉じねばならないが開き放ちの状態。 ギリシャの神々もまさか海底深くに置いたパンドラの箱まで開けると想像もしていなかったと思うに。 地球人口が 膨張すればするほど 人類滅亡は有っても シンプルな昔が戻ってくる事は絶対無いと思うのだ。
2024.11.10
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昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯前 主賓二人の挨拶の内の一人に 柳居子が指名された。『おとつい(一昨日) 六日 今日は 三木貴子さんの誕生日だな 彼女は幾つになったのかなと考えていたら 突然彼女が店に入って来ました。二日後リサイタルは出席と伝えて有るのに 何用かと不思議な顔をすると、会の乾杯の前 一言喋って下さいと頼まれました。 お偉い祝辞を述べるのに相応しい人が沢山おせれるのに 何故私がと思いましたが 私自身も結構な老いの身となり 何より八十七歳になられた人が 二階に在る店の階段を上がって来てのお頼み 僭越であることは判ってますが、一言お話させて頂きます。 三木家と私との関係は、貴子さんの旦那さん 敏弘さんの弟さん 正和君と小学校が同級生だった事から記事まります。 只弟さんとは話しを交した記憶が無い様な関係でしたが 兄上敏弘氏とは 毎朝出掛ける珈琲屋で御一緒して仲良くなり 度々 先斗町や木屋町の シャンソンの流れる店へ出掛けると言う関係が 奥さん貴子さんに引き継がれ今に至ってます。 ご自宅でシャンソン教室を開かれ 本日の企画 伴奏をされている 斉藤信之さんとも ながい付き合いと聞いています。 京都は 変る事無く長く続くと言う事に 値打ちを覚える町です。女性の年齢をバラすのは良くない事と判っていますが 八十七歳で開くリサイタル 二日遅れの誕生日祝いも兼ねて今宵は愉しみましょう 世の中にはこんな元気な八十七歳も居るという我々は目撃者でもあります 広く世間に知って貰いたい催しだと私は思います。 ご挨拶になっていたか判りませんが 終わります・』 67歳でも引退と考える人が居る 77歳は今の時代平均的な引退の年か87歳の シャンソン リサイタルの主催 お話を聞いて元気を貰う人も多いかと思う、 地元紙も取材に来ていた、
2024.11.09
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東一条通り 吉田神社参道 京都大学正門前を 通勤路として往復する日が多い。大きな時計塔が建っている。柳居子の通過する時間帯は、夜明け前とか陽がほぼ沈みかけている頃だから 時計塔の表示は煌々と輝いている。東一条通り南面している表示を見るのだが 塔の東側 西側にも同じ大きさの時計が 灯りを点している事は 知っていたのだが いつも見る 時計塔の反対側北向きにも 夜になると点灯する時計の表示盤が有るのか如何か 疑問に思って居た。 先日お越しの客人の頭を刈っていて 京都大学に以前席の在った方だから ご存知と思い尋ねてみた。『先生 東一条の時計塔の表示 いつも見る南側の反対側 北も有るのでしょうね 東も西も在るから 北側も有るのでしょうね?』と尋ねたら『東側 西側にも時計有ったのですか』と思いも掛けない変事 『知りませんでした。 只 京大敷地内の道路は 全て公道ですよ』と教えて貰った そう言えば常時門は開いているし 門の無い建物群の有る場所も有る。 公道なら 時計塔北側の確認が出来ると 陽の沈んだ頃 正門前受付に声掛けた。煌々と灯の点った南側の時計塔指して 『この反対側も電飾が点っているのか?』と聞いたら 『さー 知りませんなぁ』と言われ 『確認に行ってもよろしいか』と言ったら『どうぞ どうぞ 結果教えて下さい』と受付の人に言われた。確認の爲 入る事を拒まれたら 天下の公道と開き直る事も準備していたが 仕事場 現場の人も知らなかったのだ。東西南北 時計塔は同じ仕様になっている事は判ったが 東一条通りに面した時計以外 内部の人も知る事も無い 見る人も居ない 特に北側は ビルの壁が迫っていて 窓から見る人だけの時計だった。 公道ですよと教えて頂いた方は ゴリラの研究と 人間関係に粉骨砕身されていたから 時計塔には視線が 向かなかったと思われる。
2024.11.08
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専業主婦 家事は嫁さん任せという旧い時代とは 隔世の感が有る。 家庭内の仕事は、今は夫婦協働で果たすのが当然とされている。 家事とは どの様な仕事の事を言ったのか 思いつく事は。家の中の掃除 洗濯 家族の食べる料理作りくらいしか思いつかないが 最近はこのうち 洗濯を家でする人が無くなって来たのか コインランドリーと言う全く新しいビジネスが、次から次にオープンしている。 メインストーリー 地価 家賃も髙そうな場所に 大層な自働洗濯機を何台も備え 24時間営業の店が 柳居子の通勤路線にも 四軒稼働している。 初期設定費用は 大きな金額が動いても 24時間稼働 どの店も無人だから人件費も不要 一回のクリーニング代 幾ら掛かるのか知らないが 機械が動いている間は 売上金と言う事になる。 料金とか器械にも興味が有って、見に店内に入る勇気が無い 無人だから 監視カメラの設置は当然の事 其れより 己の洗濯事情に心が向く。 店で使うタオル等 全て家に持ち帰って洗濯機に入れて洗い終わりには 皺を伸ばし 陽光に干したり 冬場は灯油ストーブの近くで乾かして 店で使えるように綺麗に折り畳む。 家庭内での洗濯 家事では無く 本業の仕事 何故家で洗濯かと言うと 基本量にも満たない水道料金 店で洗濯より家の方が安上がりと言う事 コインランドリーは 全く縁のない業種 時代遅れの床屋の考えることは みみっちい けち臭く しみったれているのだ。
2024.11.07
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寺院の門を山門と書くのが正しいのか 三門 三つの門と書くのが正しいのか判らず 随分前 親しくしていた郷土史家の田中緑紅さんに尋ねた事が有った。お年を召されていて ご子息の泰彦さんも同席されていた。三門と書くと 仏教でいう 三解脱門の事 『智慧門・慈悲門・方便門』の事を言い また 『空門・無相門・無作門』とも言い 三つの門を集めたから 『三門』 これが 三門これが先ず正式名やと思うと言われた只 左程大きな寺で無くとも お寺には山号が有るから お寺の入り口 結界の意味 山内に入る入口の意味で 山門が使われているという説明を受けた。 馴染みの深かった大徳寺の山門 金毛閣に付いては 又例によって 本サイトの古い記事の一部分再録する。 ・・・・余り馴染みが無いかも知れないが『猊下』という尊称も有る。『猊(げい)』とは、獅子の事を言い 人中の王という意味が有る。『下』はお傍に居るという意味だが。有徳高僧の傍に居る事が、高僧其の人を指す言葉となった様だ。各宗各派の官長の事を猊下という。 獅子の言葉が出てきたついで 横道に逸れるが、紫野大徳寺の方丈の前に『金毛閣』という楼閣が在る。利休が草履ばきの自像を楼閣の上に置いて 秀吉の勘気を招き 切腹に至ったいわくつきの楼閣だが『金毛閣』の扁額が挙がっている。50年以上前 大徳寺の寺内町に暫く住んだ事が有り、この金毛閣の下を通って市電の停留場まで通った。禅刹に何故金毛 金髪 如何いう名付けかを不思議に思っていた。 「茶や禅」に造詣の深かった 野村証券の役員さん 後に大阪証券取引所の理事長になられた 保田茂さん 店に見えていたお客さんに 『何故 金毛閣 金髪が出てくるのですか?』と散髪屋らしい質問をしたら『それはね、碧巌録の中に金毛の獅子が出てくる。名付けは其れに由来していると教えて頂いた。・・・・ 元々大徳寺の三門は 単層だったのを 利休が金を出して天正年間に複層の楼閣にしたと言う経緯があり 利休の行脚姿 草鞋履きを楼閣の上に納めた 其れが秀吉の勘気に触れ 利休切腹 大徳寺取り毀ちの大問題が起こったが 古渓同仁和尚の取りなしで 大徳寺が残ったという 秀吉は絶対権力者 信長の弔い葬式も 大徳寺山内で行った 葬式跡地は 総見院という塔頭になっている 三門を論じていたが 脱線した様だ。
2024.11.06
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昨日は 振替休日の定休日だったが、旧い御常連の予約を頂いてたから 客人お越しの準備をして 朝の珈琲屋へ出掛けた。 次々と 空き席待ちから招じ入れられる客人の内 外国人の多い事 十人入って来る客の内 半数以上が異国の人だった 色々な言葉が飛び交う。店に戻って ご予約の一人を済ませたら 次は何をしようか 何処かへ行こうかと思って居たが そういう展開にはならなかった。 クルクル回るサインポールあめん棒は廻さず 入口の戸も鍵はかけなかったが 戸をあけて入って来た客人は 予約の人意外に日本人もう一人と 海の向こうからの遠来四人 結局六人の仕事をする事になった。チェコスロバキア イタリー ベルギー スイスからやって来た人達。 ベルギーからやって来た若者 肩口にまで30センチ以上伸びきった髪を 予めスマホ画面日本語表示 『あまり短くせず 短くカットしてください。』意味不可解なコメント 柳居子の一番苦手の客 「貴方のお気に入りにカットする自信が無いと言ったのだが 「貴方にお任せします」言われて取り掛かった。 二度とやって来る客では無いと思ったから 取り敢えず適当にブロックした髪を鍬ばさみで30センチの紙を全体15センチに切り揃え 髪の毛が納まりよく左右シンメトリーになる事だけを考えてカットを終え とてもいつもする仕事とは程遠い出来上がりを 合わせ鏡で見せたら 『貴方は私の欲する ヘア―カットを完全に果たしてくれました 有り難う と スマホ画面を介して言われた。 濃い目の髭もツルツルに剃りあげたら 『必ず又 此処へ戻ってきます』と言われたので 齢を明かした 次は無い 今日限りの散髪と顔剃りと入ったら一緒に写真撮らせて下さいと言われ 写真に納まった。振替休日なんて 通用しない人達 自分の手や指先だけで 国際親善の出来るのは結構な事だが 昼食が午後四時になった まあ何処に出掛けるという予定も無かったから イタリーからの客人は 頭髪と髭 全部剃り落しの注文 首から上 Skinhead Skinface 剃刀持って剃り落ししたこちらが ツルツルも頭 撫ぜ廻して心地良かったから ご本人は生涯一度の体験 ライフタイム ワンスオンリー 吃驚した事と思う。 朝の珈琲屋の外国人来客率と 柳居子の店の外国人来客率が 同じだなと思ったのだ。
2024.11.05
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日本人が、自分の名乗りをする時、先ず最初に氏(うじ)姓を名乗り次に名を告げるのが常識 当たり前過ぎる話しだ。 名刺の名前 漢字表記には 必ず氏を最初に書き 名前が後に書いてある。名前が上 逆表記の漢字の名刺は未だ見た事が無いのだが。 フェイスブック繫がりの有る 名乗り 表記は 英文表記の名前は、名前が先 姓の方は名前の後ろに書いてある。何故この様な表記になってい居るのが ご存知の方は教えて頂きたい。 海の向こうの国では 名前表記が先 氏が先 色々な国が有ると言うが。伝統的な姓と名を逆転して使う事に少々抵抗が有る。海外の人と親交の有る人が相手に合わせたのか? 氏素性と言って 昔は名より氏を貴ぶという歴史も有るというのに。 最近頂いた名刺の漢字表記の裏側の多くは 全て名前が先 氏は後になっている 表の表記と同じく 例えば KOJI MATSUIを『 MATSUI KOJI」と書けば 何か 問題トラブルが 怒るだろうか? 姓を先に書く事が その国古来の文化と捉えたら 漢字表記 其の侭洋表記する人が出て来ても良いと思うのだ。
2024.11.04
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今日 十一月三日は、文化の日 旧明治節 明治天皇の生誕日を『明治節』言っていた。 皇位継承が、巷でも大きな問題になっている様だ。我々の世代 昭和・平成・令和の御世を過ごしてきた者にとって 次の代の継承は。関係が無いと市えばそれまでだが、昔から皇位継承については表に表れない確執が在った事は間違いない。 文化の日 明治節に因んで 明治天皇の事でも書くかと思ったのだが 以前『明治節』のタイトルで書いた事が有ると思いだして 検索すると 十八年前の今日 しっかりと 明治天皇の事 皇位継承の事 女官の事等を詳しく書いていた。 同じ様な事を書く心算だった 十八年経った今より 昔の記事の方が上手に書いてあるから 再録する。2006.11.03明治節 日本の皇室が連綿と続いてきた大きな要因に、かって女官制度というのがあった。尚侍・典侍・権典侍・掌侍・権掌侍・・・・と呼ばれた女官は、皇室の奥向き 天皇・皇后の居住域が其の職場で、本人たちは皇居内で生涯を過ごした。公卿堂上の未婚の女性が任じられた。近世に於いて天皇の生母は全てこれら女官の中から出ている。皇后が生母となるのは大正・昭和になってからの事である。 血脈・種を残す事は、今の我々には想像の付かない一大事。子が成人に育つ事が当然とされる現代と違い 多くの畑を得て数を作り 皇統譜の絶える事が無かった。 明治天皇は一代六人の女官との間に十五人の皇子女を得た。皇后との間には子が無い。『柳原二位の局』権典侍 柳原愛子が大正天皇の生母になる。女官制度の大改革をしたのは昭和天皇である 奥居住の女官を通勤制にせよと 悪弊四ヶ条を 宮内大臣牧野伸顕に改革を求めた。牧野は仰せご尤もと言いながら困惑 当時宮中祭祀は 元始祭・紀元節祭・春秋二季の皇霊祭と神殿祭・神武天皇祭・神嘗祭・新嘗祭・先帝祭 全て女官の手を借り執り行われていたと言う。種を得るための畑の確保まで考えていたかは知る由も無いが、種を絶やさずという皇室の絶対要件の安全弁として存在した女官制度は、今の倫理感や社会制度の中では認められるはずが無い、憲法第一条 皇室典範第一条 成年男子の践祚の規定がある。天皇制が続く限り 典範が有効な限り後継を巡る議論の果てる事は無い。明治天皇も孝明天皇と権典侍中山慶子との間に嘉永五年九月二十二日に生誕 陰暦二十二日は、陽暦十一月三日 長く明治節と呼ばれたが今は 文化の日になっている。 改めて思うに 制定時の憲法 皇室典範と 時勢が おおきく変っている。国民の象徴に相応の人と多くの人が認めたら男女の取り決めは関係が無いと思うが 当事者の確執は大変な事と思う 我々と変らぬ人間だから。
2024.11.03
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自宅庭 背の高い樹木の枝払いは、腰が曲って上を向いての作業が出来なくなってからは 伸びるに任せ、ご近所から声が掛ると 業者に頼んでいるのだが、地表近くの雑草は、比較的こまめに曳いていた。しかしこの夏 熱中症で倒れてからは,庭の雑草曳きは全く手付かず 一時は柳居子の背丈を越える様な状態になっていた。 仕事終えて店から戻る時 家に帰り着いて 未だ陽が残っていたら 庭の雑草曳きをしようと 帰路の自転車をこぎだすのだが 家に帰り着いた途端 あーしんど 一寸横になろうとベッドに横たわると 其の侭夜の眠りに入ってしまうのだ。 やはり帰り道 上り坂一方の自転車 電動アシストがついているとは言っても オーハーワークになっているのだろう。 毎年庭の同じ位置に 綺麗に彼岸花が 咲くべき日に必ず咲くのだが 今年は取り囲まれた雑草の中で咲いていた。雑草でふと思い出したが、昭和天皇が 戦後の混乱で 手入れがされていなかった吹上御殿の前庭をご覧になっていた時 侍従の一人が『庭の雑草を綺麗に処分致しましょうか』と奏上したら 陛下は『雑草という名の草花は無い』と窘められた 自然学者である 天皇陛下だから 重い言葉と侍従は受け取ったと思う。
2024.11.02
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七月末 回春ボランティアという一文を本サイトに載せた 書き足したいと思う事が有るので 背景省略の爲 七月の記事 一部再録する 〖・・・・毎朝 珈琲屋の常連席 五番テーブルの座る前 三番テーブルに座る。 店が其の老人の爲 準備している席で 九十二歳の老婦人の座る席だが 柳居子が 先に座って老人がお越しになると暫く同席する。注文のケーキが出ると 食べやすい様に 型崩れしないようにと撒かれたポリ包装を外し お手拭きティシュを袋から取り出し 準備完了ですと言って食べ始めて貰う。 ほぼ独居 息子が週に一度 冷凍の御馳走を運んでくるのだが 珈琲屋から帰ると 夜寝るまで誰とも言葉を交わさないというのを聞いて、なんとか 少しでも若返って貰おうと 色々と画策している。『もう私は 死ぬのを待つだけの身や』と言うから『ちゃんと自分の状態を認識出来てるから 死は訪れないよ 自分が如何言う状況か判らなくなってから死は訪れる』と言うと 『そうやろか』『そうや』と言った。・・・・・〗 最近は、身を乗り出して、柳居子に訴える様に話し込む姿や 声を上げて笑う様を見て 『よく あのお婆さんと 毎日お話が出来ますね』と声掛けられて、『会話の成立では無く 会話の復唱です。』と言うと怪訝な顏をされた。 相手は同じ話しを何度もする。又同じ話かとは思わずに 其の話しをしっかりと覚えておいて 会話の中でチラリと漏らす息子と週一回出掛ける 大丸の向かいの寿司屋 通に面した階下に在る なだらかな坂道が地上から寿司屋の入り口まで続いている『あの坂道降りた先の寿司屋ですか?』と言うと 『何処でも知ってるのやね』近々 孫の結婚式に参加するという話しは 何度も聞いた『結婚式が近づいてきたから パーマあてて 染めて 綺麗にセットせんと あかんね』と言ったら 『これから美容院に行くのや あんた人の心まで判るのやねー』と言われた。 既にひ孫が居る身 『ひ孫見ても 可愛らしいとは 思えへんのや』と聞いていたから 孫・ひ孫の話題が出た時 『孫の時に比べるとひ孫が可愛らしいとは思えませんね』と言ったら 『そうや 私もそう思う。』と返ってきた。 最近では 珈琲屋で 隣に座った人にも 自分から声掛けて 会話が成立している様だ。
2024.11.01
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柳居子の店へは、散髪・顔剃り等の理容業務を施して。料金を頂く客人と、理容の業とは 全く関係の無い客に非ず 『非客』と云うのが結構数多くやって来る。 通っていた 少・中学校の同窓会の幹事を永久当番の様に果たしていた 場所を動かず 又仕事の性質から 地域情報を聴く機会も多い 同窓生の消息は誰よりも良く知っている。「ご無沙汰」と言って久しく合わない友がやって来る事も多い 同窓の仲間談議が始まる。 昨日やって来た同窓生 ミヨちゃんは、ずっとご亭主の散髪をミヨちゃんがしていたが 八十近くなって。亭主の散髪が煩わしくなって柳居子に振って来た。何時までも元気で主人の頭刈ってね と言いに来た。散髪から帰ってきても 何一つ喋らないから どんな会話を交わしているのかも聞きに来たようだ。寡黙な人で 帰り際 必ず 『又 お願いします』と言って帰られると言っておいた。 地元紙の記者も ほぼ定期的にやって来る 記者の見る世間と 床屋の見る世間 立場変えるというより 両方の見方が出来たら良いと思って居るのだろう。一度昼飯でも食べに行こうと約束した。 昨日の非客三人目は、秋尾沙戸子さん『京都で きもの修行』という本を上梓出版された 世界文化社刊を一冊頂いた。「55歳から 女ひとり住んでみて」のさぶタイトル 京都に住んでみて人間が大きく変った様な事が書いてある 掲載画像の 着物の帯は母上の形見とかで 思い入れが有る様だ 京都の人でも 気付かない 又 外に居た人が京都に来て住んで判る事が書いてあるようだ 未だ頁をパラパラ捲っただけ 理容の仕事で客人を迎える事は この年になると嬉しい事だが 仕事以外の非客を 迎える事も 未だ社会に些かの存在感を持って頂いているのか等と思うのだ。
2024.10.31
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宛名の住所 郵便番号はしっかりと書き込まれているのだが、下前理容室 柳居子徒然様の書き込まれた 封書が届いた。 発送元は何も書いていない。 取り合えず 開封した。 お目に掛かった事は、無かったが、送り主は柳居子が親しくしていて ブログ記事のプリント版を差上げていた 野村俊子さんの弟さんからだった。柳居子の店の近く 高倉姉小路上がるに 母と姉が住んでいたのですが、寄る年波で 時々姉の様子を 京都まで神奈川県の茅ヶ崎から見に行っていたのですが 独り住まいはもう無理と判断して 弟さんの家に引越された。 色々と紆余屈折が有り 今は富士山の見える 介護施設で過ごしています 姉は九十六歳になりましたと書いてある。 ご自身 弟さんも八十五歳 終活に取り掛かられたが、妻君を亡くされ 終活に弾みが付き 目途が付いて来たのだが 姉の終活に取り掛かったら、柳居子さんの記事掲載の紙や冊子が出てきて 『諸事雑感』という冊子を自分も作っているからと 同好の仲間と見て 副題「おじいちゃんの知恵悪路」を一冊送って頂いたのだ。 九十六歳になられる野村俊子さんとの最初の出逢いの事は よく覚えている。昔 毎夜通っていた 河原町三条下がる 六曜社珈琲店が言葉を交わした最初 柳居子は高倉の野村さんと知っていたのだが 彼女は柳居子の事は全くご存知無かった。 ある夜 近くに座って声掛けして吃驚された。目付きの鋭い柳居子のことを 刑事さんだと思い込んでいたという。 身元素性が判ってからは何でも親しく話し掛けて来られた。市立堀川高等女学校出身は 柳居子の母の五年程後輩だった 京都文化博物館になる前 日本銀行京都支社に長年勤めておられた。当時の銀行員仲間の話しもよく効かせて頂いた。 柳居子の知人が 強制疎開をテーマに博士論文を書く時 野村さんを紹介して 旧御池通りの事等丁寧に教えて頂いて喜んでいた。 お目に掛からなくなって随分歳月が無かれたが ご存命と知って嬉しい事だった。
2024.10.30
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若い時は親に従い、人生の盛りは夫に従い、年取ってからは、子に従う事を、『三従』と云う。 女性への性差別表現になるが 「女 三界に家無し」という言葉も残っている。 三界とは 過去・現在・未来を表す宗教用語でもある。 こういう言葉が何の躊躇いも無く使われていた時代はほぼ完全に過去の事となっていると思う。六十三年間以上 毎朝通い続けている珈琲屋での定点観察でも感づく事がある。通い始めた頃 珈琲屋は男の世界だった。女性客は数が少なかった事に加えて 男性に付き従う形で 店頭の長暖簾を割って入るのは男性と決まっていた。女性は男性の後ろに従うように店に入って来た。女性連れで コソコソと話しを交している二人は、夫婦関係以外の同伴客と見ていた。家庭の主婦が毎朝の様に珈琲を飲みに来る事は無かった。 今 暖簾を割って最初に入って来るのは 女性 そのあとを付き従う様に男性が 重い荷物を持って入って来る。女性だけのグルーブとか お独り様も 女性客で溢れている。 時代劇映画の 時代考証をされていた人に 昔聞いた事がある。 夫婦が並んで歩く様になった嚆矢は、土佐の坂本龍馬が最初 新婚旅行に出掛けたのも最初只 時代考証で 妻が夫と並んで歩くのは無かったと 正しく考証をしても 性差別の声が上がり 時代考証の役割は、昔の常識を如何に今の人に判って貰えるように処理する仕事になってますという話しだった。 性差別が良くない事は 判っているのだが こういう記事を書く事自体が 時代遅れ そう 柳居子は 時代遅れの床屋なのだ。
2024.10.29
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若い時は親に従い、人生の盛りは夫に従い、年取ってからは、子に従う事を、『三従』と云う。 女性への性差別表現になるが 「女 三界に家無し」という言葉も残っている。 三界とは 過去・現在・未来を表す宗教用語でもある。 こういう言葉が何の躊躇いも無く使われていた時代はほぼ完全に過去の事となっていると思う。六十三年間以上 毎朝通い続けている珈琲屋での定点観察でも感づく事がある。通い始めた頃 珈琲屋は男の世界だった。女性客は数が少なかった事に加えて 男性に付き従う形で 店頭の長暖簾を割って入るのは男性と決まっていた。女性は男性の後ろに従うように店に入って来た。女性連れで コソコソと話しを交している二人は、夫婦関係以外の同伴客と見ていた。家庭の主婦が毎朝の様に珈琲を飲みに来る事は無かった。 今 暖簾を割って最初に入って来るのは 女性 そのあとを付き従う様に男性が 重い荷物を持って入って来る。女性だけのグルーブとか お独り様も 女性客で溢れている。 時代劇映画の 時代考証をされていた人に 昔聞いた事がある。 夫婦が並んで歩く様になった嚆矢は、土佐の坂本龍馬が最初 新婚旅行に出掛けたのも最初只 時代考証で 妻が夫と並んで歩くのは無かったと 正しく考証をしても 性差別の声が上がり 時代考証の役割は、昔の常識を如何に今の人に判って貰えるように処理する仕事になってますという話しだった。 性差別が良くない事は 判っているのだが こういう記事を書く事自体が 時代遅れ そう 柳居子は 時代遅れの床屋なのだ。
2024.10.29
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枕許に有るラジオから、 流れている総選挙の開票速報を聴きながら 何と平和な国なのかと云う思いがした。国防とか憲法等の難しい論議は全て先送りにして、政治資金の不明朗な事が 大きな争点となり 保革逆転に繋がるかも知れないという話は、他所の国ではあり得ない事の様に思う。国の存亡をかかけて 命を張る政治家 権力者が居るかと思うと 全てを我が懐に入れるという政治家も 世界には沢山居る、日本のスタイルが理想像とは思わないが 日本にだけ通用する論理は有ると思う。 例えば 石破総理大臣が、もう少し穏やかな女性受けするマスク 声のトーンで 弁舌爽やかだったら 話しの内容は関係なく 選挙結果は どうなって居たか判らない。選挙と云うのは 直接 政治に関わる事の出来ないから 代理を立てる事 自分の利得を代弁して貰うという輩も沢山居ると思う、新聞紙面には 過半数という字句が躍っている。政治資金不明朗で党員資格を外したり 停止された人達の出番が廻って来た。 何もかもが 茶番の様に見えるのだ。 身を退いた 総理とか首長が 退任の時 着任の時の志と 退いた時の 任期中どれだけの仕事が出きたか 反省する事 何を考えて身を退いたのか 実に下らない事に興味が有る。そう云う事を聞く記者は居ない 聞かない事も日本人の思いやりと云う事か。
2024.10.28
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朝の珈琲屋で、席を同じく交遊の在った人の事 想いだしながら書いた記事 前回は、駒井・野村両氏の事を書いたが 「次回は カタログ販売のニッセン 創業の 川島さんと おたべの酒井さんを取り上げる」と、予告も載せていた。 『おたべ』創業の 酒井清三さんとの交遊で、一番印象深く覚えているのは、未だ一人身だった五十数年前の事 未だ父柳居が 現役で頑張っていた頃 朝の珈琲屋で 珈琲飲み終えて 店に戻ろうとした時、酒井さんに声掛けられたた。『儂の車に乗り』と言われ 店まで送ってくれると思ったら 御池通りをどんどん東に進む ふと気が付くと 車の前後珈琲屋仲間の車が連なっていた。『何処へ行くのですか? 』と聞いたら 『これから 皆で加賀の温泉に行くから付いといで』と言われた。『珈琲代だけしか持たずに出てきたのですが』と言うと『言わんかて 若っとる』と店の電話番号を聞かれた、番号教えると 路傍のタバコ屋前の公衆電話から 父柳居に電話して『一寸 息子一日連れて行くで』ち了解を取られた。未だ携帯電話の普及前の話しである。 アイデアを即実行に移す人だった。銘菓『おたべ』命名の由来は、枚方に出掛けた時「くらわんか」命名の菓子が在り くらわんかとは如何いう意味かと傍に居た人に聞いたら 文字通り喰らわんか 食べてご覧と言う意味と言われ 京都なら『おたべ』という商品名が思い浮かんだのだと云う。色々なところ 主に食べる所へ連れて行って貰った。最後の散髪は病院への出張だった 『長い間 世話になったなぁ』と言われたが 聞き洩らしたと言う様なタイミングで『次はいつ散髪に参りましょうか?』と尋ねたが 程なく亡くなった。ニッセン創業の川島さんの事は 以前にも取り上げててるので全文再録する2017.06.05 交遊録交遊と書くと、交わって一緒に遊びに出掛けるというイメージが有るが、店に迎えたお客様と書くと、一過性のそれだけの関係の様に見える。押し並べて深いご縁の有ったひとを「交遊」というジャンルに入れると、枚挙に暇がない。 カタログ通販の「ニッセン」の創業社長だった川島達三さんも交遊のあつた縁の深い人だった。最初の出会いは、当時朝六時頃から営業をしていた新京極の銭湯「桜湯 彼は出社前朝風呂に行くのが習わしだつた。柳居子も時々朝風呂へ出掛けていたのだが、ある朝 風呂屋を同時に出て〖これから出勤か?〗と尋ねた。〖そんなに早く行かなくても良いのだが 癖でねェ〗と言う。〖時間有るのなら 一緒に珈琲でも飲もうか』と誘い柳居子の座る毎朝の常連席の左隣に座る事になった。暫くして朝風呂珈琲が朝の日課になった頃 彼が柳居子に聞くに〖何処でどんな商品扱ってますのや?』柳居子〖?〗彼には我が仕事の名乗りをしていなかった。同じ卓には、新谷・小谷・篠田・佐伯・・・・等 呉服関係の者も沢山居たから てっきり柳居子の事を呉服屋と思っていた様だ。職と仕事場を明らかにした翌日から死の床に臥すまでずっと柳居子を贔屓にしてくれた。元々 朝の日課を此方が変更させた経緯も有る。大きな会社の社長とて彼との関係には遠慮が無い。創業社長と言うのは独断専行がエネルギーとして有効に機能するから会社は大きくなるのだが、誰も逆らう者が居ないのは或る意味危険なことでもある。誰も何も言わないから。抱腹絶倒の話も幾つか有るが、彼を諌めた話 二十五年近く前 皇居に新宮殿が出来て 陛下が移られたことを報じる新聞を読んでいて 〖国民の税金を使って贅沢な事やねェ〗と柳居子に声掛けた。彼の声掛けには返事を返さず〖今 あんた以外に客が居ないから何を言っても構わないが、心で思っても口に出さない方が良い。誰が聞いているか判らない。上場会社の社長の心得事だと一喝した、バツの悪い事を聞かされると彼は直ぐ話題を変える 其の事が仰ることよく判りましたと阿吽の呼吸で判り合えた。彼 の娘が幼い頃 妻の実家で鍋をひっくり返し大火傷を負い 首。背中に掛けてケロイド痕が出来た事を聞いて、今は形成外科が当たり前に恩恵に浴する事が出来るが 当時は東京の警察病院にその道の泰斗が居る事を友人から聞いて、一度訪ねてみよと勧めた事があつた そこで手術を受けて予後も良く大変喜ばれた。柳居子とのご縁が無ければ娘さんの一生も少し変わっていたかも知れない 今は結婚して子供にも恵まれていると聞く。御縁と言うのはつくづく不思議なものと思う。これは日本人が独自に持つ精神世界の思考領域かも知れない。縁 えにしに関する格言成句も数あるし 仏法の説く因果と言うのも縁から始まる事 〖御縁〗この言葉何所の国の言葉にも訳せない様な思いがする
2024.10.27
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色々な国から、柳居子の店を目指してやって来る客人 今月は未だ営業日を四日残しているのだが 既に六十三人を数える。 丁寧に仕事をする事は、理容師としては当然の事だが、やって来た客人 日本の京都の理髪店での 散髪・顔剃り体験に加えて どの様に印象深く愉しい時間を過ごした 散髪顔剃り プラスアルファ―を考えている。 語学が堪能なら もっと喜ばす事も出来ると思うが 相手のスマホの画面に日本語で話し掛けるだけで ある程度の意思が伝えられる時代が來るなんて 想像もしなかった。 アメリカから来る客が一番多いのだが、ドイツ・カナダ・オーストラリア・英国・フランス・スイス・ブラジル・ルクセンブルグ・ノルウェーも有った。 最近交した会話の中で、面白かったのは、ルクセンブルグからの客人 発音が判らなかったから 小さな英文表記の地球儀を廻しながら フェア アー ユー フロムと尋ねてたら こんな小さな地球儀には 私の国は載ってないと言われた。もう一度確かめる様に尋ねたら ベルギーとオランダが隣接する ベネルックス三国の一つ ルクセンブルグと判った。ブラジルからやって来た客人には ネット情報で大きく取り上げていた アマゾン川の水位が低下して 大変らしいですねと問うと 遠く離れた所ですから、如何なっているのか知りませんという返事だった。自分の住むところから遠く着慣れた場所 同じ国内と言っても 日本で通用する国内感覚とは全く違うのだと理解した。 俗に言う開発途上国 悪しく言うと未開の国からやって来た人、本当の未開の国から観光で日本にやって来る人は居ないと思う。開発途上国と我々が認識していても その国の主導者的立場の人 日本に観光旅行に来るような人は 飛びっきりエリート 途上国と知って 料金の値引きでもするかと 思ったが定額請求したら 料金以外に過分のチップとお土産まで頂いた。 世界は 広いと感じたのだ。
2024.10.26
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毎日する事がある。しなければ為らない事が有るのは、負担を感じる事も有るが 柳居子の年になると有り難い事だと思う。 先日 ラジオのトーク番組生放送に出演した時の録音音源をKBSさんが届けてくれて、改めて自分の喋った事を聞いた。自分自身の声と言うのは、久しく聴いた事が無いか 初めて聴く様な感じがした。柳居子の紹介の時 略歴や今の事を尋ねられた時『七十九歳で今も現役でお仕事をされているのですね』という問いに対して 限定現役の話しをして 驚かれた。『年取って 若い時と同じ事が出来る筈が無い 時間もかかる 自分に出来る事を精一杯する事を 限定現役 私の作った四字熟語ですョ。』と答えた 『毎朝出掛けられる珈琲屋さんのお話ですが、余程珈琲がお好きなのですね?』という問いには 『いいえ 珈琲の味なんて 何も判りません。何も言わず 所定の席に座ると、自働的に珈琲が出てきます。他所で頂く珈琲の味はよく判ります。六十七年間通い続けて 飼いならされた舌です。 珈琲屋通いは 朝の〖居場所〗ですと答えた ブログ記事の六千七百回越えに付いても 政治と宗教の話しは避けていると言ったら 心得て居られるのですね と言うから 色々な客人を迎える床屋の常識ですよとかわした ブログは、自分自身の忘備録ですよ 画像無しの漢字多用の長文は 炎上除けに効果が有ると思いますよユーチューブの 外人の髭剃りの動画を見ての質問は 一言も喋る事無く仕事をされてましたね。と考えられない様な下らない質問には 答えなかった 顔剃りの最中に会話は無い。 日本人の客人には 又お越し頂く様に色々と気遣いが要るが 外人客は皆 一期一会 気楽に仕事が出来ますよ 質問内容に対して 相手が予想もしなかった対応をしたので 柳居子の紹介だけで 準備していった『京ことば』の本題を喋る時間が無くなった様だ。
2024.10.25
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今から 十八年前の2006年6月22日 本サイトに載せた記事に『サルコイドーシス』という病に付いて書いた一文が有る 十八年前と今とでは この病に対する研究とか治療に付いては。大きな進歩が在った事は疑う余地は無いと思うのだが、医療に携わる人たちに対して。医学・医療情報の敷衍に付いては 遣り過す看過できない様な 書き込みを 朝の珈琲屋のメンバーでもある 長井苑子先生のFB記事を読んだので 一文載せる 2006,年の記事を先ず 再録するラテン語で『肉のようなもの』と表現される病は、顔面や目リンパ腺肺などに瘤のような肉腫を形作る事に名前の由縁がある。日本人には10万人中2・3人の発症率がある。癌のように早く進行はしないが 遺伝か感染か 発症のメカニックが解明されていない。副腎皮質ホルモン剤の連用が健常部位への負担が論議の対象となっているところを見ると根源的な治療法は確立されていない難病の様である。本題は サルコイドーシス友の会ホームページにある。http://www.ne.jp/asahi/h/sato/呼吸器内科の権威 泉 孝英京都大学名誉教授のサポートを受けて知己の京大医学部 長井苑子助教授と患者達が立ち上げたサイトのようで長井氏の友人近藤美佐子氏もスポンサーと記載がある。何がし 体調の不良を覚え 診察の結果 聞きなれない病名を告知され 患者の思う事は直接自身に告知を受ける事が先ず一安心と思うようだ 病に付いて医師に根堀り葉ほり聞いても心安まる事はない。古諺に言う『同病 相 憐れむ』同じ病で闘病する人の存在を知り 心落ち着く そのような時 このホームページの果たす役割は 単なる情報ツールを遥かに超えた存在となる。医師に聞き漏らした情報は、100のQアンドAが網羅している。 資料室なるコンテンツは、多くの患者や家族などから寄せられた問い合わせ 心情を綴ったもの、不安、安心、感謝、喜び およそ病を得た人の全てが所狭しと書き込まれている。 ネットで得られる情報はあくまでバーチャル 幻影と見る向きもある。しかし本ページを次から次へと開けていくと 仮想病院の存在の重さすら覚える。何かと患者がこの頁を頼りにしているのである。 サルコイドーシス 健常者がまず開く事の無いサイトへのアクセス(訪問者)数が30万件に近づいたヒット数が何より如実に語っている。先日 明石大橋近く舞子で開催された日本サルコイドーシス肉芽腫性疾患学会に参加された 長井先生は学会の副理事長をされていた この病に対する指導者出来立場で 会長講演の司会をされた。 サルコイドーシスの現れ方の多彩な事とか AIによる分析の話し等 学会の目指す事が確実に 果たされつつあると 感じた反面 サルコイドーシスという病気を見た事が無いという意思が結構数多く居るという現実を 患者から聞かされたと書いておられた・ 患者は 全幅の信頼を以って医師の門戸を叩く 発症のメカニックすら判らない難病で 又どの部位に症状が出るか判らない病故 全科的な情報伝達とか 直接指導の出来る様なシステム作りも必要な事かも知れない。 本稿執筆には 長井先生から 資料提供を頂いた。
2024.10.24
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愛用の電動アシスト付三輪自転車に乗って、 自宅から店までの通勤往路は、ほぼ経路が決まっているのだが、 仕事終えての帰路は、直進か左折を信号に従っているから 毎日コースが変る。 しっかりと覚えていた町並みが大きく 崩れつつある。建て替えでは無く 建物の跡地の ガレージ化が進んでいる。特にメインストリート 河原町の西側等 僅かな軒数の町内に 大きな有料ガレージが並んでいる図は。何となく町弁体の崩壊の前触れの様な感じがする。 少子高齢化は、今に始まった事では無い 将来を想定は出来ても 手が打てる事は無い。流れに任せて 其の場限りの対策しか出来ないのだろう。又 ガレージ以外 さしたる投資もせずに 当座の売上確保の出来る事業が無いと言うのも 時代世相を表している。 昨日午後お越しの客人は、『久しぶりに錦小路を歩いてきて 吃驚しました。 日本人なんて 全くと言ってよい程 居ませんね』という話しをされた。 『昔は 京のお台所と言う キャッチフレーズで。午前中は 料理屋さん向けの専門職の仕入れの場 午後は近辺の奥さんたちが 籐編の買い物籠 下げて 夕食の食材仕込み 夕方閉店間際 子供の多い実入りの少ない世帯を支える人が 売れ残り 残個を冷蔵庫に戻すより 捨て値の商品を買うという時間帯による棲み分けが出来ていました 今一般家庭用の店は影が薄い 所帯が高齢化 少子化 住込み店員と言うのも居なくなった。錦小路は 今 海外からの観光客が 串刺しの料理を食べ歩く町になった。当初は行儀が悪いとか 街が汚れるとか 着物に滲みがが付いたとかで 食べ歩きを止めさせる話もあったが 益率の高さとか 専門知識を問われるような事も無く アルバイトだけで事が足る どの店も串刺しを競うようになって 買い食いはしないでのアナウンスは 『アルコール類を飲みながらの食べ歩きはやめましょう』に変った。潰した建物跡を ガレージにすると言うのも 住む人が少なくなれば当然の事 コミュニティの輪が狭くなる事でもある。 伝統・伝承は増々難しくなるのだと思う。 先の事等 知ったことかと 開き直りの世代になってしまった。
2024.10.23
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先々週 祇園町のお茶屋の 大女将達が集う珈琲屋へ 柳居子がラジオの生番組に出演した時の評判を聞きに行った。色々な話題も出て、朝の珈琲屋の卓話が 其の侭 場所を移して昼の珈琲屋の卓話になった。 店内に居て 少し離れた席に居た 長髪の風体の判らぬ男二人も 会話に加わるため席を移してきた。 誰彼なく 同じ様に話しをするのが柳居子の流儀 名刺を呉れた テレビかラジオの番組制作ディレクターと書いてあった。話しを交すうち 一度お店に行って散髪をして貰います。と言うから 両膝穴の開いたデニムのズボン指さして『こんなズボン穿く人の頭はよう刈らん』と言ってお断りしたのだがやって来た 色々と情報仕入れて 外国人客が絶えずやって来る店 何となく目新しい番組作りのイメージが湧いたのか 連れの男の散髪 顔剃りをさせて 仕事の出来映えを確認したのか 昨日 番組を作りたい 撮影にご協力をと言われ 外国人に対応で 語学に堪能な女性も連れてやって来た。 昨日も朝から外人客の多い日だったが そのうちの一人が 番組制作スタッフに掴まった雇われ顔剃りのモデル 顔剃りの一部始終を撮影して 髭剃り後の外人にインタビューも撮っていた。 番組作りに必要な画像を撮り終って、「放映の時は 事前に連絡します。』と言うから 『テレビ番組なら 連絡呉れなくても良いよ』と言うと怪訝な顏をされた。『家にも店にもテレビが無い家ら 見ないし見られないのだよ』と言って 帰した。
2024.10.22
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どちらから誘うという事でも無かったのだが 昨日昼はカラオケに出掛けた。お相手は 柳居子よりは年若い女性 随分前からのお知り合い 朝の珈琲屋へも時々やって来て 柳居子の隣に座る。ブログ六千連載の記念コメント集にも一文寄こして貰っている。 前日のお互いのメッセージには お上手な喉を聞かせて頂くのを 楽しみにしています ほぼ同文の遣り取り 腹が減っては戰が出来ぬとばかり 珈琲屋で 観光客が何時も食べているのを眺めていた 煌びやかな肉を使った料理を食べた。 唄う先 順番を譲りあって 埒が明かないから 柳居子が先発 高橋真理子の『桃色吐息』 競うのでは無くお互いの歌唱に拍手をしますと 言ったものの 上手に唄えるに越した事は無い。 リズムとり我ながら上々の滑り出し 相手は眼を白黒 まさかこんな曲が出てくるとは思って居なかった様だ。相手さん 都はるみの『北の宿』を唄われたのだが 声量が低いので 唄の上手が判らない。高橋真理子の『蜃気楼』を連発 森昌子の『愛傷歌』ちあきなおみの『矢切の渡し』『紅とんぼ』と続き 昨日は 女唄が多かった。 大月みや子の『女の港』『女の宿』という旧い曲も唄った。森昌子の二曲め『悲しみ本線日本海』を歌い終わったころ 相手さん 気おくれの感あり 自分は謳わず 盛んに曲のリクエストをするようになった。『新宿情話』を唄った時 どんな曲でも唄えるのですねと感心された。 ブログで柳居子がシャンソンが好きを読んだから 『愛の賛歌』お願いと言われ岩谷時子 越路吹雪のバージョンを一曲 おまけにアダモの『サントワマミー』も唄った。 最後に男歌一曲と映画居酒屋兆次の挿入歌 高倉健の 『時代遅れの酒場』を唄ったら 準備もされていなかったと思う 聞き惚れるという顔をされた。 お互い 食うに困る訳ではないし 奢られたら お返しをせねばと考える年代の様に思うから 勘定は全て割り勘しようと提唱したのだが カラオケ二時間半ほど 七割以上柳居子が唄ったから彼女に負担を掛けたかなと思って居る。
2024.10.21
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おぼろげな記憶では有るが、今『土下座前』と言って、若い人の待ち合わせの目印になっている 高山彦九郎像は 三条大橋南側を渡り切った角に在ったそうだ。駅舎までは広場の様な空間が有った。未だ奈良電と言って近鉄買収前の鉄路 乗客少なく「ナラ電 カラ電」と揶揄されていた。 高山彦九郎の事を随分前に 調べた事が有ったが 確か 上野(こうづけ)の国の生まれだが 十八歳の時 学を志し 置手紙一枚残して 京にやって来た。『皇居はどの方角か』と近くに居た人に尋ね その方角に土下座して遥拝したという。 京都に身を置く間 土下座の遥拝は 続いたという。如何見ても十八歳の少年象には見えない。戦中金属供出で一旦像は無くなったが 戦後復活した。 駅舎の東側は、軒並べてお寺が幾つか建っていた。高樹院という塔頭を覚えている 今は幾つか在ったお寺は移転して大きなガレージになっているが 昔は バスターミナルになっていた 歩道橋の直ぐ傍 立ち退きを拒否したお菓子屋さんが バスターミナルの真ん中 陸の孤島の様な感じで営業を続けていた。高樹院は洛北に移転したが 三条通り北側に高樹会館というテナントビルを建て その中にテナントとしては居られた『杉浦貞以』さん 丸物の美術部を退いて 画廊を始められた 画家 山根須磨子さんの夫君である ナイトクラブベラミでの 山口組田岡組長への 発砲騒ぎで 女給の一人の犯人の証言が 会津小鉄会の構成員と極似と言った事から 無関係小鉄の子分は身の安全の爲 暫く外出禁止の令が出たという 当日昼 東映の撮影所でのボヤ騒ぎが在り 火事見舞いに田岡組長が駆け付けたと言う事 東映の社長さんに聞いた事がある。
2024.10.20
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昨年十一月 イタリア ローマから車で五時間掛かる片田舎から 一組のカップルが、日本にやって来た。男性の旅行鞄の底の方に婚約指輪が入っていた。 京都での 日本語の通訳は、柳居子のFB繫がりも有る 小島淳さんが担った。外資系の会社で活躍され イタリア語が堪能 小島さんは 贔屓にしている 高倉御池上がるに在る 京料理の『松長』へ二人を連れて行った。菜食主義の二人に精進料理を作ったら良いのだと頑張り 和服を着つけるという日本体験に感激した二人 男性は鞄の奥から指輪を取り出して 松長店内を プロポーズの場にした。 その場に居た皆が、感激の涙 涙 涙 話しはこれだけでは終わらない 四か月後 松長女将 長谷川真岐チャンと小島さん宛てに 結婚式の招待状が届いた。 こんな機会でも無ければイタリア旅行なんて 行けないと 小島さんと相談して 出掛ける事にした。『まさか 本当にイタリアまでやって来るとは思わなかった二人を 大歓待されたという。 『インバウンドがもたらした福音』のタイトルで 今日の京都新聞市民プラス欄に四段 写真三葉添えて載っている。小島・長谷川両氏に取材されての記事は 読み応えありますよ。 体験型日本旅行が 本流となりつつあると思う。観光公害と言われるオーハーツーリズムが おおきく取り上げられるが 体験型観光で日本という国を深く知って貰いたいと頑張っている人も居ると言うのが 今日の記事の本意です。
2024.10.19
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相変わらず 柳居子よりは 年若いと思われる女性から お声掛け頂くのだが、何処の何方だったか 思い出せないケースが続いている。相手の間違いはあり得ない。 声掛けられて後の言葉が『もうすっかり元気になられましたね。』とか 『北白川のご自宅までどの位掛かりますか?』等と問われると、完全に柳居子の日常をご存知の人達である。 拙い書き連ねでは有るが 楽天のブログサイトに駄文を載せ始めて十八年を越え 延べでは二百七十万のアクセスを頂いている。漢字多用のそこそこ長文の記事画像も載せない記事は 見るモノでは無く 読むモノ 日常の些末な事でも 記事ネタと考えて載せてしまうから 読者は戸惑いながらも 書き手 読み手との一体感を感じて頂くのだと思う。 朝の珈琲屋で 突然柳居子の隣りに座り『この前の 尖閣諸島の記事ね・・』と突然声掛けられて吃驚した事も有った。書かれた物を一緒に読んでいる様な感覚は本来なら名乗りから始まる会話が 前置き省略になる様だ、誰からも声掛けされる事の無い 老人よりは有り難い事だと思う。腕を組んで年若い女性と歩いていても 女性を見る眼は 腰の曲がった柳居子さんに 支え歩きをしている親切な人と言う事になるのだろう 道を歩いていて 柳居子に 声掛けして『大分 涼しくなったね。』とか『寒くなった』『春めいてきた』等と言ったら『何処の どなたさんでしたか?』という意味と受取って頂けると有り難い。
2024.10.18
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総選挙と同時に行われる 最高裁判所 裁判官の国民審査への投票は、〇×の印も付けずに投票箱に入れる。真面目に下した判決事例を読みこんで 裁判官に相応しい人を 自分の価値感と似た人に〇印 駄目と思う人に✕印をつける人に対して 訳判らずに○×を書き込むのは失礼という意味も有るが、こういう男達を裁判官にしたが、国民は何の文句もないなぁ 威嚇を感じる思いも有る。どの様に最高裁の判事が決まるのか 一切判らない。 戦後の国民主権の提唱の下 立法とか行政は 国民が直接選挙によって 関わりを持つ事が出来るが 司法 司直の世界は 国民とどの様な関わりを持たすことが出来るかと考えた時 最高裁の判事の適性を問うという 審査制度が考え出されたのだと思う。 ある一定の適正不可の×印が集まると 三十日以内にその裁判官は 罷免されると決まっている様だが 免官された人の話しも聞かないし 若し国民審査で罷免になると その人の下した判決そのものにも 問題が出てくる。 想定されない事には 決まりが無いのか? 先日朝の珈琲屋で アメリカの最高裁の判事の事が話題に上った 終身制とか 女性の裁判官も居ると言う話だった。。
2024.10.17
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十七歳の時の アルバムの中の一枚。 朝の珈琲屋で一杯飲み干している正面から撮った写真が出てきたから 六十二年間以上 毎朝の珈琲屋通いの証しの様な写真 誰に撮って貰ったかは 判らない。 最初に其の卓に座り出した時 同席の人は、殆どが明治生まれだった。それでも孫より年若い柳居子を 卓話の中に入れて貰えたのは。 今 考えても有り難い事だった。 大人の世界の 大人の会話に 十七歳の小僧が加わるというのは 今の時代でも 稀有な事だろう 想いだす侭 印象深い人 柳居子が 生涯忘れ得ぬ人名録は 数え上げると膨大な数になるのだが シリーズ化して何回か書いてみようと思う。〖駒井さん〗と『野村さん』 駒井富太郎さんは 宮川町検番の理事長を連れていた。お茶屋『駒屋』の御主人息子さんが 二条の薬屋さんにお勤めで 会社まで車で送りついでに珈琲屋にやって来て 柳居子の隣りに座られた。宮川町《京おどり》の命名経緯については 本サイトに古い記事が載っているが 色々な経験を積んだ身で 若者を諭す言葉を色々と承った。 『國弘はん 競馬や競輪の 馬券や車券は 買うたらあかんえ。競馬新聞 予想紙だけ買って 本券を買った心算で 金額や馬番を予想紙に書き込んでおく 一日のレースが全て終わって 無駄遣いせずに済んだなぁと思うよ』至言 名言 競馬で家を何軒も飛ばしたという人の言葉は 説得力が有る。 寺町 ノムラテーラーの先々代か 同じ席に座っていた。守銭奴と陰口たたく程倹約家だった。細君はご亭主が亡くなった後 其の弟さんが後添え《男性の》 として夫婦になられた。昔はそう云う事例が沢山有ったという。 何十年も前の夜 河原町蛸薬師の東側に在った志津屋パン店の前を歩いていたから 後に付いて店内に入ると アンパン二つ手に取って レジ前に並んだ 『おやつですか?』と尋ねたら『嫁はんと二人の夕食だ』と言われて吃驚した。 ある年 珈琲代が 一割ほど値上げになった。 『値上げになりましたね』と言ったら『一割上がったななら 十日に一回飲みに来なかったら ええだけの事やと 実際 十日一回 野村さんの休みの日が続いた。金を残す人の 心掛けは違うと感心した。 しかし柳居子の結婚の時は 広蓋に入れた 目録も認めた お祝いの品を持参頂いて これも吃驚した 次回は カタログ販売のニッセン 創業の 川島さんと おたべの酒井さんを取り上げる
2024.10.16
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夜半 目覚めてラジオの深夜放送にスイッチを入れると、懐かしいと言うのか その曲を始めて SPレコードで 聞いた頃にフィールドバックした様な感じがして 完全目覚めの 覚醒状態。エディット ピアフの特集を組んでいた。 何故ピアフの古いレコードが我が家に有ったのか判らないが 新京極から四条に抜ける 花遊小路に 星野レコード店が在って 店長をされていた山上敏夫さんが柳居子の店の御客さんで 母が聴きたい曲の話しをすると 必ず次の散髪の時 そのレコードを持ってきて頂いてたようだ。ナットキングコール・ペリー・コモ ビング・クロスピー・フランクシナトラ ・・・・・ 母は高等女学校卒業後 幼稚園の保母をしていて 実家にはオルガンが在り ピアノも弾く事が出来た様だ。母のお好みでこれ等の洋楽に 子供の頃から親しんでいたから ピアフの歌唱を聞いた途端 甦る物がスパークしたのだ。 ピアフの出自は、よく判らないそうだが 『愛の賛歌』は 彼氏だったプロボクサーが、航空事故で亡くなったのを悼む曲 彼女自身の作詞 事故の翌年リリースされた大勢の人の心を 鷲掴みする様な 独特の歌唱は 彼女だけの世界 其の後彼女の様な歌手の出現が無い。決して美声とは思わないが フランス語を全く理解出来ない柳居子でも 言葉の隅々にまで丁寧に発言している様な歌唱である。『パリの空』 同名セーヌは流れるという映画の挿入歌だったが ピアフのこの歌唱を聴くため 映画館に出掛ける人が沢山居たという。『ベニスの恋人達』は。ベニスに憧れる恋人たちのベニスへの想像の旅を唄っている。1959年の『ミロール』は 失恋した男を慰める女の歌 男女逆転だが 高橋真理子の「フォーユー」の歌詞も一脈通じている。馴染みの深い曲ばかり 12曲流れた。破棄した覚えのない旧いレコードは 一体何処へ消えたのか/? 探そうと言う気力も失せた、ピアフの事を書いて 忘れてはいけない事を想いだした。其の後の歌手に与えた影響力の大きさ ピアフ自身が自覚していたとは思わないが シャンソン歌手を目指したり クラシック畑から方向転換をしたり 越路吹雪 岸洋子等 生き方其の物を変える様な影響力の大きい ピアフの歌唱だったのだ。
2024.10.15
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ラジオのトーク番組 生放送への初出演 お喋りの相手 『妹尾和夫』氏の好リードを頂き、無事果たす事が出来た。ラジオやテレビ番組は 公開番組以外は、視聴者の姿が全く見えないから 体験の無い者には勝手が判らない。 東京での京語りの会は、 大勢の人前でのお喋りだから 何となくお喋りの反応が判る気がしたが ラジオ放送は全く未知の世界。出来・不出来は、聴いて頂いた方々の御批評でわかると 昨日ブログ プリント版配達を兼ねて、恐るおそる 出掛けて聞こうと思って居たのだが、 相手さんからの声掛けが多く 『何時もの柳居子さんから 何一つ変わる事無く 愉しく聴きましたよ』という多くの講評を頂き 胸を撫ぜ下ろしている。 番組名もよく判らずの出演だったが、『妹尾和夫のパラダイス京都』が番組名ゲスト紹介の 妹尾さんの問いかけに 舌が廻り出して 床屋歴とか今以って現役の内容とか ブログ記事の連載の契機等を説明する内 一人舞台の様に舞い上がり 肝心のトーク内容 『京ことば』は。ほんの触りだけを喋る事になってしまった。 昨日 祇園町のお茶屋の女将さんたちが集う珈琲屋で『上手に喋れてたがな』と言われて一安心 『東京で五回重ねた 一方話しでは無く 相手が有っての語りは。朝の珈琲屋の卓話とよく似た物』と 昼前お茶屋の大女将相手の卓話が始まり 偶然遣り取りを聞いていた二人連れの客が 会話に加わるため 席を移してきた。テレビ番組の取材に偶然来店していた番組ディレクターと名乗り名刺も頂いた。『是非 一度散髪にお伺いします』と言うから、両ひざの辺り デニムのズボンが八クリ口を開いている ズボンを指さして こういうズボンを穿く人に似合う散髪は 出来ないなぁと お断りした。が 若しやって来たら 売り上げになる。
2024.10.14
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盲導犬とか 介護犬の様に、特別訓練を受けなくても、犬は人間に従うのは、大昔の突然変異種が広まったのか 狼の亜種か 等と考える。そもそも訓練をすれば人間の生活に役立つ事の出来るのが 多の動物とは違う特別の種と言える。 餌が貰えるから動くと言うのでは無く、人間社会の一部分として働く事の出来る動物なんて 犬以外に思い浮かばない。 子犬の時は野放図でも 少し大きくなると飼い主の顔色を見る様になるし 親愛の情を表わす 尾を振る所作も母犬が教え込む訳でも無い。 先日も 散歩中の大きな犬を連れたお婆さん 犬の首輪に付けた少し長めの鎖が 絶対地面に落ちない様な距離感を以って 決してお婆さんを引っ張るという事も無く 時々振り返ってお婆さんの様子見ながら歩いているのをみて まるでお婆さんを 散歩に連れている様に感じたのだ。種が変っても助け合いの図の様に見えた。 未だ幼い犬は 他の犬が近づいてくると、騒ぎだすが 成犬は直ぐ近くに他の犬が近づいてきても お互い無視する事が出来る様だ これも人間に付き合うようになった知恵か?-ほぼ100% 人間に従っている犬たちの排便の処理 公道での跡始末は、飼い主人間がする。 この時だけ主従関係が変る様に思う。 排尿跡にも 水掛けする人も居る。日本以外では考えられない 清潔の国のシンボリックな話である。
2024.10.13
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月初め 中秋の残暑なんて言っていたが。多少の遅れが有ったとしても 確実に季節は移り替わる。 今朝は四時過ぎに家を出たが、自転車での下り坂 体動かす事も無く 両指はおろか 拳の辺りまでが 寒さで固まっている様に感じた。 都会は眠らないと言われるが。 柳居子の通勤路でも 午前四時 仕事の真っ盛りと思われる仕事場も有る。お年寄りの三食を作って自宅に届ける仕事 毎日香ばしい焼きたてのパンを提供する仕事 早朝でも焼き上がりを待つ人の列が出来ている。道路とか橋梁等の深夜通行車両の少ない時間帯に建築とか修復に携わる作業員の現場事務所の様な建物 防水の長靴が玄関に並んでいて 絶えず人の出入りが有る 終日 朝から翌朝まで 電気点け放ち 朝昼と 夜が 完全に逆転した営みの人が 沢山居られるのだ。 其の繰り返しがどの位の歳月続くのか等と想像すると 仕事の遣り甲斐などはどの様に感得されるのか? 等と考えるうち、朝の珈琲屋で出た 『地球時間』の話しを思い出した。 地球が出来て、何十億年かの歳月が経ち 生物が現れ進化して 人間が出現したのは、地球の歴史の中の最期の百万年程度の期間 百万年がほんの僅かな期間と言う様な話し。 大陸の隆起については 最高峰エベレスト山の麓に 海底遺跡が出てきたとか 我々の実生活とは 大凡掛け離れた内容の話しだったが、地球の大きな歴史の中では 生命種の一つとしての人類は 何れ滅亡するという話しは 甚く説得力のある話の様に思った。
2024.10.12
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夕方六時前後に 営業終了を知らすため。階下に在るクルクル回るサインポール(あめんぼう)の 電源ソケットを抜くため 下に降りて 其の侭道路上で 西空を見る。 飽く事無き雲の動きや夕暮れの西山の稜線を見るのは、雨の降らぬ日の一日の日課になっている。店の前姉小路通リは、 二十年ほど前 地域協定として余り高い建物が建てられない 建築協定を結んでいるから 夕暮れの景色も ビルの谷間という感じでは無く V字形に空が見える様に 家並が揃うから この景色を見るのが お気に入りなのだ。 道行く人にも『夕焼け空が 綺麗ですよ』と言うと 皆『本当ですね』と声掛けを喜んでくれる。 先日 柳居子をよくご存知の近所の女性から『毎日の様に お天気の日は、西の空見たはりますなぁ』と声掛けられた。〖あの空の向こうに在る 西方浄土に出掛ける時 夕焼け空が綺麗な日に出かけたいと思ってます』と言ったら 即座に『雨降りよりよろしいなぁ』と言われた。 何となく話しが噛みあって無いと思ったが 些事である。
2024.10.11
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京都府警の本部長が、部下の幹部に『殺すぞ』という発言を繰り返していたとかで 更迭に処された。 地元紙が第一面に取り上げた記事を読んで 余りの過密スケジュールを部下に説明され 他府県の取り組みの説明を求めたら 言葉を濁されたて つい かっとなって『殺すぞ』と言ってしまったと陳述しているのだが。 どの職員とも日頃親しく接しているから 甘えが出たとも言っている。 柳居子の関心が高いのは 府警本部長職と言えば。任務が過重になる事は 当然求められる資質 何故この様な考えを持つ人が 本部長に任官出来たのか 職責に相応だけの識見を持っているか如何かのチェックなどは一切無しで 序列を外す事無く本部長になったのだろう 任官のシステムにも メディアは眼を向けて頂きたい 警視庁の見解説明は、『本部長は 日頃から 自身の言動が 組織全体に与える影響に 配慮に欠けるところが有った』 欠けるところのある欠陥人間を 本部長に任じた人の事は 一再お構いなしと言う事の様だ。一般社会とは掛け離れて居る事は判るのだが 府警本部長になられた人を 二人 散髪にお迎えした事が有ったが お二方とも 我々の話しもよく聴いて頂き この方が京都の警察の一番偉い人なんで 感じなかった。 スケジュールが過密と言っても 他府県の取り組み事情の説明を求める事自体京都府警本部長職責の放棄の様に感じられるのだ。 更迭の因となった 『殺すぞ』と脅された幹部職員の今後も気になる。 警察の体面を おおきく傷つけた男となる可能性も有る。 更迭の〖迭〗の一字は かわる という意味 役目職分が 新しい人に変るという意味で 処分すると言う意味では無い 更迭本部長のこの先に付いても少し興味ある。
2024.10.10
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