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今頃の時候の挨拶は、残暑という言葉が相応すると思うのだが、体感温度は、盛夏其のもの 体験したことが無い様な暑さが続く。気候気温の話題だけでは無く 国際情勢 戦争で傷つき 落命 又 食べる物が無く餓死する気の毒な人々が沢山居ると報じている反面 日本はオーバーツーリズム 外国人の観光客の絶え間が無い。大きな世の変化に我々の世代は、ついて行けない様な変り様である。 柳居子が一番不思議に思うのは、トランプ米大統領の一言 個人プレーの様な発言で 国際社会が動いている事である。其れはロシアのプーチン大統領にも言える事で 生与活殺が 少数の指導者の手に握られている事が正しい事なのか 議を尽くさず個人の思いつきで世の中が廻って良いのだろうか 極限られた 狭い世界で、生きている我々庶民は 何も判らない事が多すぎる。あっという間に 米露首脳会談が開かれる 政府発表より先にトランプ大統領が自分で発表する事等 従前は考えられない事なのだ 議を尽くすというプロセスが見えてこない。 もうそういう昔には戻らないのか 若しくは繰り返しサイクルの一つと見れば良いのか トランプ以降を見据えている人も居る筈と思うのだ。
2025.08.16
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先祖の御霊と共に過ごすとか 墓参り 御霊を送る送り火 因習とが時代が変って姿を変えている。例えば菩提寺の墓標 〇〇家の墓という表記が 新しく建碑の時 少なくなっているという。新しく墓を作る人は個人名が多く 又樹木葬とか 石屋さんには冬の時代か。 お盆の帰省と言うのも 今年辺りは 熱中症対策とか 大雨の交通の乱などから お参りに出掛けるのを躊躇う人も沢山居ただろう。 海外に 生活拠点を移した人達 盆や正月毎 帰国して墓参りという訳にはいかないだろう。家という感覚を昔の人ほどには 強く意識する人は少なくなった様だ、さりとて 先祖の墓参りに 出掛けられない事を、先祖に対して申し訳ないと心に負担を覚える人も沢山居られると思う。墓参の形式化 形骸化の一つとなるのが 代参 遺家族に成り代わって墓参りをするという仕事 需要が右肩上がりに増えているという。 何故こういう仕事が成り立つのかと言うと これも現代の時代背景が有っての事 墓参り 代参の注文を受けると 寺なり墓地に到着した時から 注文主に動画配信が始まる。墓石を綺麗に洗い出し 指定の花を供え 遺家族に成り代わっての代参拝 注文主が納得する間合いの礼拝 遺家族は 画像に礼拝するこういう時代になったから 代参の需要とか 制度への理解が進んだのか?先祖の霊が この代参を どの様に見たか そういう事は論じる事では無い。墓参はおろか代参も託さぬ 輩が沢山居るのだから。
2025.08.14
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈琲屋で 柳居子が、常連席に座る前 二番テーブルでご一緒する 九十三歳の老婦人は ひ孫が次々出来て彼女曰く 孫が出来た時の感覚とひ孫とでは 全く感じる事が違うと言う 孫の時は可愛らしいと思ったのが ひ孫の顏を見ると 何か不思議な生き物を見る様な感じが すると 言っていた。 孫娘のバージンロードで手を繋ぐのが 目下の目標とする 未だ母親の居る男と 孫が生んだ子 ひ孫が可愛いとは思えない老女 今から数十年前の日本では 考えられない事だと思う。昔のお年寄りの認識を知る唄に『村の 渡しの 船頭さんは 今年六十のお爺さん 年は取っても お船を漕ぐときは 元気一杯 櫓がしなる。・・・・・』こういう話題が出るとこの歌を引き合いに出す、この歌が流行った時代 皆がこの歌を知っていたから 六十はもう先が短いとか 無いと思う時代だったのだ。『渡し』も『櫓がしなる』も若い世代には 説明の要る言葉となった。いつの時代も 幾つになっても特別元気な人は居る 其れでも大方の六十歳は、ぼちぼち命尽きる頃の自覚も有ったのだろう。古稀という七十歳を表す言葉 多分 生きている事が古来稀 という意味では無いかと思う 喜寿 傘寿 米寿 卒樹 白寿と年を重ねる人用に 言葉の準備は出来ているが 其の年を実体験しても 何一つ変わる事は無い 貝原益軒は 養生訓を八十三歳で 上梓されたそうだが かの有名な戒 『接して洩らさず』は どの年代を想定しての話しか判らない まさかご自身の事とは思われない。
2025.04.25
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昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難く嬉しいのですが 私の指先と手が 今日は疲れたと私の命令を聞いて呉れないのです。』と両手合せて御免のポーズをとった、判ったと笑いながら階段を降りて行った。 手早く一日の売上集計をして 明日の釣銭準備も済ませ 少し離れた駐輪場へ自転車を取りに行こうと 階段を降りていくと 入口で先程の髭面がスマホと対峙していた、ホテルに戻って、この髭を如何剃るのかの思いが廻り タオル蒸し機のタオルも未だ熱い筈 もう一度二階へあがってと『指先が貴方の髭をみて 仕事がしたいと言いだした』と言うと『有り難う』と二階の店に戻り 難儀な髭と取り組む。数センチ伸びた髭は バリカンで一度短く刈り落してから剃る人が多いのだが 拘りの、柳居子は 剃刀だけで剃り落す ほぼツルツルに剃り終って 『何処から来たの?』と尋ねたら 『クロアチアからです』という 古いメッセージ帳に載っている筈の クロアチアからの客人のコメントを見つけだし 『クロアチアからは貴方が二人目ですとメッセージを見せると この人の紹介で此処の店に来ましたという。日本に行って 京都と言う町に行ったらこの店に行けと勧められたそうだ。 営業終了と帰って貰ったら其れまでの縁 柳居子が 仕事終えて階下に降りた時 未だスマホで話し込んでいた 偶然が重なっての髭剃り仕事になった。ご来店の契機が判り 先にお越しの紹介したくれた客人への義理も立つ思いがした。最近はつくづく人と人との繋がりを感じる事が多い 昨夕昨日の売上はレジを閉めたから 今日の売上とする
2025.04.24
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大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付けねばならない様だ。会場に行き着くまで,の壁が 高いのだから 出掛けて行って感動を覚える様な展示物が有るのかな? という気分になるのだ。若い人に連れて行って貰う意外 自分から 出掛ける事は無いだろう。 55年前 1970年の前回大阪万博は 三波春夫の『こんにちは こんにちは 世界の国から』という 万博音頭と言う様な曲が流行った。三波春夫大好き人間だった 父 柳居のお伴で出掛けたが パビリオンとか 展示物等 何一つ覚えていない 月から持ち帰ったという月の石を見る行列が 延々と続いていた事だけは よく覚えている万国とは銘打ってないが 京都は博覧会の常設地だつた様だ。 最初の博覧会は、京都御苑 富小路辺りで開催された様だ、東京に都を移して 京都の衰退を防ぐ意味も有ったと思うが 博覧会の開催には 多額の御下賜金も出た様だ。当初 大極殿の在った故地に神社を建てる心算が 土地買収が進まず 洛東 岡崎村に平安神宮が建てられた。氏子の居ない新説の神社は 平安講社という組織が受け持っている京都と 大阪 少し離れているだけだが 全く馴染みのない土地 展示物とか入場料とかは 関係なく体力の落ちた身には京都のまちをウロウロするだけで精一杯と言う事だ。
2025.04.23
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あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精一杯頑張るというのは 不器用と言われる時代になったのかと思う事が起こる。会社員の身で サイドビジネスで 何億 何十億の金を動かしている男の事が ニュース種になっていた。本職会社員の仕事はちゃんと果たしていたのだろうか 同輩 社員仲間と連れだって 一杯飲みに出掛けて 上司への愚痴を言い有って憂さ晴らしをするシーンなんてもう無いのではと思う。 柳居子の同業でも 床屋だけでは食扶持頼りないと思うのか 現役世代でも 多業種掛け持ちも多い そういうスタイルを次の世代に継がすとは思わないから 同業は次々閉店している。 何時まで仕事が出来るか 判らないのだが 自分に出来る仕事を精一杯頑張るというスタイル ラジオのトーク番組に出た時、『限定現役』柳居子の造語か大受けした事があった。遠来の客人に書いて貰っているメッセージ 伝統的な昔の日本の理髪店 八十歳の老人に 任せきりにする安心感 と言う内容のメッセージが掃いたりすると 床屋を目指すことを決めた 一番大きな後押しの言葉『手に職付ける』 を今更のように自分自身に似合った言葉 未だ実践している言葉 今日 今も通用する言葉と思うのだ 何時まで続くかは判らない。
2025.04.22
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日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽重が関係ない 何よりも嬉しいのは 走行のスロー感が 車やバスとは違う 又 何処で止めても 知ってる人と出逢ったりすると話し込んだり 以前は落ちていた鞄とか財布を拾う事も 一再ならず 三条寺町に在った交番へは四度落し物の財布を届けた事がある。 配達中の昨日のトピックは 錦小路の鰻屋さんの女将さんとの会話 日曜日の昼 日本語を話す人は少なく 外国人に串ものと言うのか 買い喰いの売物か 土産物として 全国発送するようなお店とか 従前の商店街の雰囲気とは全く様変わりしている 『貴女のお店の前には 外人客は立ち止まらないね。』から始まって現況を色々と聞かせて貰った。以前にも本サイトに載せた事が有るが NHKアーカイブス『新日本紀行』というタイトルの 錦市場を取り上げた 今から五十年位前の画像 京の台所と言われた時代 午前中は料理屋さんへ卸しの値の張る商い 昼過ぎから 買い物籠を下げた近隣の主婦の登場 夕暮れはその日仕入れた物を売り尽くす爲の廉売 食べ盛りの子供の多い世帯とか 安く食材を買い求めたい人達で 常に賑わっていた。 買い求める量の単位も大きく 又 色々な店で買い物をしなければ為らなかった。 今の 食品に特化したスーパーの出現は 時代が下る 冷蔵庫に冷凍スペースが無かった時代 そういう時代ににはもう絶対戻らない『若し 買い喰いの外国人観光客が 戦争とか何かの理由で 来なくなっても 日本人の客が以前の様に戻って来る事は無いね。』と言うと 『それも判っているのですが うちの店目指して遠くからお越しのご贔屓の御客さんも居られるので まあ 私の店の誇りの様なものも有るから 買い喰し商品はおかないのです』と言う様な話しを交した 誰かに訴えて 解決策が出てくる事では無い、又誰にでも話す事でも無い柳居子は 聞き留め役 大変ですねと言う役どころだと思う。
2025.04.21
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日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を言っても通用すると勘違いしているのかと思われる。 対応した日本の大臣は 即座に この会談の場で出されるべき話題では無いと 其の話しを遮った様だが メディアに洩れて記事になった様だ 何となくトランプ大統領の限界とか 終焉を感じさせられる。トランプ時代が終わったら 一体如何いう時代だったのか? と世界中が 思い返す事だろう 思い付いた事 何を喋っても良いと言うのは 外交の世界で通用する筈がない。最親善国と思われる日本に対してすら アメリカは日本を守ってやっていると 大上段に構える事を思うと 他の国に対する°ランプ氏の言動とか 提案は 世界中で 怨嗟の声が上がっていると思われる トランプ氏の年齢を考えると 米大統領の重責其の事が問題になるかと思う、何時まで続く政権かは判らない 関税騒動が終ったら 世界中に 緊張緩和 束の間の時代が来ても 恒久平和なんで絶対やって来ない 地球上は生存競争の大きなステージと考えるべきと柳居子思う。
2025.04.20
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何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。盛田氏は 技術系の学部の出身で 名を為した人 ご自身の専門分野への 新入生とか 若い人の 不甲斐性に業を煮やし 学歴を付ける事より 早く世に出て 己を磨けと言う様な本の趣旨だったと思う、 学歴の無い人が 学歴無用論等 書く筈がない 学歴が有るのに 余りに用立たすだからこそ 無用論が飛び出したのだと思う、いま このタイトルは点ける事は出来ないと思う 世の中寛容の時代の本 無学歴の柳居子思うに 学歴が実社会で役立ったとか 何の役にも立たなかったと言う様な事とは別に 自分の出身校の校名だけで 見ず貼らず無関係と思って居た人と 同じ学校に通っていたというだけで 直ぐ繋がりを結ぶ人が 見鹿に居て これは実に羨ましい事 一から人間関係を築き上げるよりも 手短に人と人が繫がる事が出来るのも 学歴は一つの要素 学歴は 便利重宝論とも 言えるのかな。
2025.04.19
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今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事である。朝 起きて ベッドから離れるまでが一騒動 ボタンスイッチを押したら 起き上がれる装置の付いた 介護ベッドを月 千円で借りているのだが 靴下を穿くのが難物 簡単に穿ける道具も有るそうだが 足を折り曲げて自分で履いている、足の指先の爪を切るのは もっと難儀大層な事になっている。最近は伸びきる前に 爪切りのハンドルの裏に付いている 鑢(やすり)で削りとる様にしている。老人の爪だけ切るクリニックも有るそうだ亡母と同居を始めた時 予算が付いて バリアアリーとか 多少造作を変えたのだが 便座の横に 縦長の手摺を付けてくれた 未だ五十歳台 何故此処縦の手摺が要るのか理解出来なかったが 今は重宝している。ブランド物の靴を沢山持っているのだが 長く穿いた事が無い。靴を磨くという事も出来なくなった。 今も 靴磨きという職は有るのだろうか 自転車でウロウロしていると 繁華街に行く事も無いから 靴磨きのオジサンを見た事が無い。朝起きて 靴を履い出掛けるまでだけでも 老いを感じる事が次々捲る 昨日地元紙夕刊の 『現代の言葉』欄に 佛教大学教授 香西豊子氏が『つながりとしての病』という一文を寄せておられた「同病相哀れむ」病の本当の理解者は同じ病を持つ者同志 新しく出来る繫がり 若い時から親しく繋がっていても 大きな個体差が出てくる。 小学校時代の同級生が 重篤な病に罹ったとき 皆で見舞いに行こうという話しになったが 柳居子は 皆で行く事反対した。 皆で見舞いに来てくれて有り難うと言うと思うが 本音の部分 先に逝く私に暇乞いに 連れだってやって来たと思うかもしれない 我々の元気を見せつけに行く事は無いと思ったのだ。
2025.04.18
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歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物とは比較にならない程 自由に操る人が出来る様になり 決定的に差が出たと思われるのは 物事を言い表す言葉を数多く知った事かと推測する。 有史以前とか 以降と言う言葉が有るが 有史と言うのは 後の世の人に伝える言葉を皆が 使いだしてから以降を有史と言うのではないかと思う 伝わってきた歴史と言うのは 其れが事実か如何かを確認する事は絶対出来ない。今現在起こっている事でも裏と表が有る 後の世 後の権力者によって都合よく書き直されていると見るべきだろう 知識 情報を敢えて伝えないと言った事も為される。例えば戦後の歴史教育 明治維新まではしっかり教え込んでも 明治から 太平洋戦争の終結までの 正史 本当の歴史と言うのは 我々の世代含めて 興味の有る人だけの研究対象になっている様に思う 多分GHQの思惑通り動いた結果と思う、作家の 司馬遼太郎さんが 『坂の上の雲』という作品の 映像化を禁止する事を遺言として残した。戦前・戦中の本の多くが禁書となり 司馬さんの本だけが戦後に出たので 其れが正史としてよまれもことを恐れたのだろう 読む事と 映像化 摺りこみが違うと思われたのか司馬さんの作品 徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜の事 名君と書いた本と 暗愚の人と書いた二冊が有る。史書で 特に秀でていると 想うのは 司馬遷の『史記』取り上げた人物を『太史公思う』と 其の時代の評価では有るが 著者自身のコメントを残している事である。この様な類書は無い その時代の人々の考え方 物事の捉え方が 添えられた司馬遷のあとがき 感想文で 判るのだ。式亭三馬は江戸時代の 滑稽本の作者だが 庶民の暮らしを克明に著わしている浮世風呂 浮世床の作者で 床屋稼業がよく判る本。今の時代にも通用する共通項も有る。柳居子は 時々 今どき珍しいオーラルヒストリーの担い手と言われる事がある 学歴は全く無い中卒 他人に聞いた話し 読んだ事 自分で考えた事だけを論拠に毎日一文を書いているのだが 書いた事で 大問題が起こるという事も無く 無責任に続けている゜、オーラルヒストリーと無責任に 何でも書けるねと羨ましく思われているのかなと 思ったりする、
2025.04.17
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京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては 歴史の生き証人と位置付けて良いだろう 洛中洛外の時代による線引きの変化 変更を以前載せた事も有る、 身近に見る遺物として、街の辻とか 軒先の様な所に 石碑が数多く残っている。近隣の石碑を以前調べた事があった。明治時代 『京都教育會』の建碑が多いのだが 明治以前から 建っているのも 決して珍しくは無い。 道路案内で 行先 何里 何町の表記は 明治以前と思われる。明治以前 濁点を打たない碑も有る『ひだり きんかくし』左銀閣寺の事 左右反対表記は 天使南面 天皇が南剥いて左側が行政区の左京として残っている 世界地図の普及する前の伝統を踏襲しているのだろう 母校 京市立柳池中学校の前に、見真大師遷化地という石碑が照っている。地域の歴史に詳しいと自慢の年嵩の男が 『見真大師遷化地 の石碑は。明治以前から建っている』というから 『そんな事は無いと』言ったら 明治以前からだと 言い張るので 『見真大師は親鸞上人の事ですよ』 と言ったら『そんな事は知っとる』と言うから 見真大師の 大師号は 明治天皇から頂いた物ですよ明治新政権が 本願寺の勢力を半分に削ぐ目的で 蓮如と同時に 見真 恵灯り大師号を与え 毎年大師号を交換する『宣旨捧送迎』という行事も有った様でよと説明を終える前に 自慢の訳知りは 眼の前が消えていた。
2025.04.16
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1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を決めて 自転車を 少し離れた駐輪場に置いて 店を出ようと一歩踏み出したが 別れ物を思い出した。 久し振りのバスに乗っての帰路 『腰の曲がった爺さんがのってきたなぁ』と 不憫に思って 自分の座わっている席を譲ってくれる 若者が居るかも知れないと 飴玉何個を取りに二階の店まで戻ったのだ 急な雨 市バスは満席 立錐の余地なしという状態では無かったが 立っていた吊り革持つ人も多い 乗り込んで三・四歩歩みだしたら 若い男性が 『どうぞ』という声掛けは 恥ずかしかったか 無かったが 柳居子の顔見て この席どうぞと眼で合図して 自分は立って柳居子はそこへ座る事が出来た。直ぐ前に立ったから ポケットから飴玉一つ取り出して 手渡す 笑いながら受け取ってくれた 謝意は伝わったと思う。 帰路 市バスだと 朝の往路も当然 市バスの始発になる。顔馴染み ご無沙汰の人から声掛けられた 『お久しぶり こないだ《この前》テレビでお顔見ましたよ』と言われ その人にも飴玉一つ 差上げた。 飴玉一つから 繋がったカテリナさんの事を思い出す 眼の前に起こるだろうと席譲られが 実際実現すると 一瞬先が見えたという事だろう 取るに足らない話である。
2025.04.16
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日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属売り場に 京都から出店していた貴金属商の社長を訪ねて 食事と一杯飲みの御馳走になった事が有った。 岡山のクラブで伺ったお話は 新幹線の開通で岡山での事業展開は 先が見えたという想像も出来ない事だった。 『完全に 大阪の商圏に入ったという事だよ』 岡山と大阪の品揃えとか 価格の差 大阪に対抗する事は出来ない 其れで無くても岡山は購買力全体が小さい 高額商品は大阪まで買いに走るだろう 岡山大阪の距離感 所要時間の短縮が 岡山で店を張り続ける事が出来なくなる理由と説明されて 新幹線の開通が手放しに喜んでいる人ばかりでは無いと知った。 その後の新幹線の延伸とか新設は 必ずしも地域の役にだけでは無いと考える様になった。 社員旅行とか 大勢が誘い合わせて旅に出る事も少なくなり 新線を敷いても乗る人が少なければ便数も少なくなり 又 道路網の整備は 自働車での移動も多い 桜のシーズン 京都以外 他府県ナンバーの車が溢れ返っている 北海道から 沖縄までの 津々浦々 新幹線を使っての家族移動より 自家用車の方が安上がり 積み込みさえすれば 直ぐ出掛ける事も出来る 新幹線の 強力なライバルは 自家用車だと 新幹線の延伸を考える人は 判っているのかな?
2025.04.16
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3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶という感じの店 二階は純喫茶だった タバコ屋の御隠居にもお目に掛かった事も覚えているが 小柄だが中々の男前だった、 長男『清』君は、余り売れない映画俳優だったが 河原町四条 人の一番集まり易い場所 映画俳優が沢山 やって来た。 柳居子の店へも 当時 東映京都撮影所長をされていた 岡田茂さん(後東映社長)がお越しになっていて ご贔屓頂いていた。映画制作の話しも盛りあがた事もあった。 大映の俳優さんだが 船越英治さんもお越しになっていた。適役と取り上げられても その役が嵌まり過ぎると それ以降の役にも触りが出てくる。同じく大映俳優だった『丸井太郎』さん 『図々しい奴』の主役抜擢までは良かったが 元々俳優というタイプでは無い 肥満体 人気を得たのが災いしたのか゜ 当時は五社協定という制度も出来て 殆ど仕事無しの飼い殺し状態 葛藤の末 自死した。 タバコ屋の長男 清君も泣かず飛ばす 泣かされ 飛ぶ事湯もされず 御池東洞院の公団住宅に住んでいたが 早逝した 二階で喫茶店をしていた弟は、一筋北の通の東に入った北側 ミュンヘンビアホールの向かい辺りに 『彩めし』いろめし黒川という店を開いていた。カメラが普及する前 何かの折 新年とか入学 卒業の時 写真を撮って 記念写真を飾る事が多かったのか 街中に 何軒もの写真館が 並んでいた。河原町絡みの有人知人は 他にも沢山居る と言うより 居た 鬼籍に友が多いのは 成り行きとして当然の事と心得ている。
2025.04.16
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3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な店が在ったのか 思い出す術すら無くなっている。 仕事終わって 街中徘徊が愉しかった時代 河原町通りの第一歩は 不二家洋菓子店 ペコちゃん ポコちゃんを撫ぜ廻す子供の頃からの馴染み 不二家は一族が資産家だったのか 長者番付に名前が連ねてあった年も有った、不二家の隣の角店は 和菓子屋さんだった 河原町引き払って 三条御幸町で営業していたが それも無くなった 東に渡る信号前には 間口の狭いカメラ屋が在ったと思う、アサヒビヤホール 大きなガラス窓越しに 知人 友人をよく見掛けた。アサヒビールの直営店だったが 今 アサヒはビヤホールの業務からは 撤退している本屋・古書店は河原町通りには 沢山在った 短い小説なら 立ち読みのハシゴで 読了と言う事も有った 京都宝塚映画館 略して京宝 京宝の敷地は木屋町に移る前の立誠校跡だった。 バブルの頃 京都で 名の知れ渡った親分が 武威を楯に河原町 六角間 裏の誓願寺の末寺の敷地も含めて 大規模な 地上げに取り掛かったのだが 墓石の中の一基 出自が畏き辺りのお坊さんが居たとかで 其の土地買収の沙汰は 直ぐ取れ止めになったと聞いている。 河原町六角少し西に進み 松竹座と京都座の間の狭い更け路に金内性病皮膚科の病院があり 院長先生に可愛がって貰った 興行組合発行の 業務視察証 映画を只で見る券 柳居子に 預け放ちだつたから 映画のハシゴ 少し見て面白く無かったら隣の映画館に出掛けるような事を繰り返し 或る日 とうとう誰の視察証を使ってるのや と誰何された 。準備していた申し開きが奏効した 『堪忍 堪忍 もうこの券使わないから お父さんには 言わないで お願い』 懐かしい話し 明日も続きを書く。
2025.04.16
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5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種とは思えない程 開花状況が解かう。、 蕾膨らむから始まって 散り果て 新芽若葉が出てくる 半月余りの期間が 桜の花の一生 花が若葉に替わる事は無い。桜の樹の一生 枯れ果てるまでを 人の一生に例える事は無理があるが 毎年新しい花芽を付けて 若葉青葉を見に纏う 老いに 一途に向う人間とは少し違う、若いとか 若々しいという言葉 桜の若葉 の芽が出てきたついでに 少し推敲してみる、『若い』と言うのは 年齢を重ねてていない 幼いと言う意味も有りそうだ。『若々しい』と繰り返すと これは若く見える事を言い表わしていものだから 年を重ねた人に言う事 入社式や 入学式の時節 若者 新人は 経験不足を 若いと表現する事も有る、元気溢れる血気盛んな状態も 若いと言われる、 年を喰らうと絶対言われない成句 『若気の至り』一度は失敗を許される様な『若』の使われ方も有る様だ。来年も 同じ様に 桜にお眼に掛りたいと念じている。
2025.04.16
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4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判らない程 人気タレントの世界の事は疎テレビを全く見なくなって 随分久しい。テレビ桟敷の砂被りだったのは モンゴル出身の白鳳が 横綱を張った頃まで 今は相撲の番付表を貰っても 全く知らない四股名ばかりが並ぶ。アメリカ セントルイス出身の黒人力士広末『戦闘竜』が 極端な縮毛 無理して髷を結っての登場に熱が一気に冷めた。相撲を国技と言う人も居なくなった。上覧相撲も途絶えていると思う。加齢が進むと 世間の事は 自分に関心が向く方だけに限定されてくる。仕方のない事だが 現役 現職の間は やはり 他人の話しを聞き 然るべきプロセスを経て 為さねばならないと思う事がある、今全世界を巻きこんでいる 米トランプ政権の唱える関税問題 トランプ政権の発表する 重要事案 殆どが 彼自身のSNSで発せられる。議を尽くした等とは到底思われない 彼自身の思いつきで 世界が動いている様な感じがする タレントの不祥事がメインニュースになる我が国の平和ボケとか 本当に伝えねばならない事は、国民にとりこし苦労させるだけと考えるのだろうか
2025.04.16
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4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて わざわざ京都までやって来た。今以って夜の神戸の街を徘徊して 道に迷って救急車に乗った話もしていた。もう同じ年代の人と 夜の街で 出逢う事は無いと言うから 年取るのを忘れたのかなと言っておいた・ 店にやって来たのは 営業中の時間帯 丁度 ドイツからやって来た顔剃り二人組と鉢合わせ 柳居子が仕事をしているところを沢山見て 先に顔剃り仕上がったドイツ人と英語で楽しそうに話が弾んでいた。 NHK BS放映 録画を撮ろうと思って居たのを忘れて 見ず仕舞い 全国放送は当初断ったったのだが 実際には放送を認める経緯を話した。老いの身で 客人が増えても仕事が出来ないと思ったのだが 毎日拙い書き連ね 仕事もせずブログ記事の更新が一日の大仕事 本職等閑(なおざり)お留守と考える人も居ると思ったから 仕事もちゃんと頑張っている事をNHKが取上げてくれたら ブログ記事だけに問酔惑わされているのではないと判って貰えると思ったのだよと話した テレビ見なくても 仕事の実際見て貰えた ドイツ人二人が帰って 昼食の時間 手も空いたから堺町五番テーブル 柳居子のお勧めメニュー 食べて貰って支払いは柳居子がした。 今度 神戸に出掛けた時 どんな御馳走がでるか 愉しみにしているよ と言って先に店を出た。 松長の客人へ 親分とか西の親分と呼ぶ 八十路の お爺さんたち 二人とも元気ですよ。今のところ・
2025.04.16
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4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく様になった ウクライナのカテリナさん ご主人が仕事先を 埼玉県の理研に移されて暫くご無沙汰だったが 東京で『京語り』の会』を開いた時 丁度ロシアの侵攻が始まったと ほぼ同時 講演会場に彼女を呼び寄せ 出席者全員で ウクライナ国旗と 国歌を奏でて 敬意を払う行事を柳居子が企画して 彼女涙して喜んでくれたが その後の消息を何一つ聞いていない。 電話番号も知っている FB繫がりも有るのだが 何となく その後の事を聞き辛 定点観察という言葉も知らなかった中学生の時 新京極に在った 桜湯という銭湯に毎晩 ほぼ決まった時間に出掛けて 出逢って親しくなった ウィリアム T フルブッシュさん 京都女子大と 工芸繊維大学の講師をしていた。馬町に在った家にも再々お邪魔したし 度々旅行にも連れて行って貰った。伊勢志摩半島に出掛けた時 帰路の電車待ちで 駅前の寿司屋に立寄った時 板場に居た大将に『ムラサキ頂戴』と彼が言った『ビルさん むらさきて何の事?』と柳居子が尋ねたら 『お醤油の事だよ』と教えてくれた。ムラサキは醤油の事と 外人さんに教わったのは 柳居子くらいだと思う。定点観察の結果として 親しくなった方々 何か前世の因縁が働いているのかなと思ったりする。
2025.04.16
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4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き誇っていた。 偶然満開当日の思いがした。 朝 自宅を出る時は、未だ夜桜の囲気。哲学の道沿い 滋賀越え古道を東一条 京大時計台までは ペダル漕がずに一気に運んでくれる 大勢の桜見物で賑わうのが 早朝夜明け前 誰一人いなくても 桜は見事に咲いている 鴨川 荒神橋の東側 少し北に 柳居子が毎年桜の開花状況を見定める一本の桜が有る 柳居子の肩口辺りから 太い二本に枝分かれして 其の真ん中あたりから 毎年同じように花芽が出て、綺麗に咲くお気に入り 今年も綺麗に咲いたね と声掛けたい気分になる。 左京から始まって 上京 中京 下京 東山区 五区の桜見物をした。京都御苑内の桜 満開時に見るのは初めて 桜見物の大名所として お勧めする。 未だ 陽の高い内に自宅に戻ったのだが 琵琶湖疏水 哲学の道沿い 疏水 水の流れに接するほど 深く垂れた枝に咲いた桜が 川面に映って映える様 今年の桜見物で 一番印象深かった。もう少し経つと 花筏 蕾 膨らむから始まって 散り果てを表す 花筏までを言い表す言葉を持つ国 そう多く有るとは思えないし 若しかしたら日本だけの事かもしれないと思うのだ。
2025.04.16
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4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだが 日本に来る毎立寄ってくれるリピーターも増えてきた。 昨日お越しの 日本人の客人は ラフな格好で、ご近所にお住いか お仕事が有るのかなと思いながら 理髪の椅子に招じ上げた。『顔剃りだけお願します。』と言われた。一見しただけで大変なツルツルに剃りあげる事の難しい髭と判った。 白と黒の入り混じった 何よりも髭の生え方流れがまちまち 柳居子が名付けた『八方美人髭』色々な方向に向いてお辞儀をしている様に生えているから 剃刀の運行が手際よく動かせない 一気に剃り落そうとすれば 逆剃りになる部位 血まみれになる難しい髭 根気の要る作業 熱いタオルで何ども顔面を温め 髭を柔無く 皮膚を弛緩させて ほぼツルツルに剃りあげた後 顔剃り専用のシェービングソープを泡立てて 仕上げの剃り これは剃りの越した柔無い産毛を剃り起す目的柳居子のなす事 全て任せきり 剃り終って倒した椅子を本にお越し 柳居子が 開口一番『私には 誇る事と 感謝すべき事が有ります 八十になった今も 眼鏡も掛けず鋭利な刃物を突き付けて 人様の髭の生え方の確認を する事が出来ます これは誇る事 こういう眼に生んでくけた母親にはいつも感謝しています。」と言ったら 『仕事の業を誇るのでは無く こういう仕事の出来る眼 生んでくれたお母さんに感謝しは 本当に惧れ入りましたと言われた NHKのテレビ放送を見て 京都に行く機会が有れば訪ねてみようと思ってました 何処からお越しと北たら 横浜ですと言われた 一緒に記念写真を撮らせて下さいとも言われた 、柳居子徒然ブログの話しも出て 結構長逗留された。
2025.04.16
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4月5日 6:50 · 柳居子自身は、名詞を持たない 作らないから 差上げる事も無い。コロナ騒動がおこる 大分前から身内を送る葬送の儀式は 家族だけでという流れになって来て このところ 親戚縁者以外の葬式に出た記憶が無い。葬式会社の家族葬の新聞折り込み広告が盛んに出だした頃と一致する。 葬式には 名詞に香奠を添える。柳居子の唯一の名刺使用は 香奠と一緒に遺家族に差し上げるだけの物 それ以外に使い道が無かった 名詞と共に顔を覚えて貰う仕事では無い。肩書は理髪店店主 肩書きとは言い辛いし 店に来てくださいと渡す事もしないから 名刺配りは一度もした事が無い。 只 戴く名詞の 多様性とか 特に印象深く目立つ名詞には 如何いう意図が有るのか 裏面を色物の柄だったり 又 肩書きにカタカナ書きが目立つ。社内で如何いう仕事を担当しているのか プロジェクトとか アドバイザーとかアルファベット大文字 CEO という肩書きと思しき三字は、傍に居る人に聞いても理解出来ない肩書きだった。 世の流れ 名詞の肩書は 床屋稼業 実際仕事をする身には全く無関係 唯我独尊 我が指と手先頼りの独りよがりと言う事と 思って居る。
2025.04.16
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4月4日 6:07 · 昨年十一月九日 掲載の記事を、お読み頂いた後 今日のブログ記事とする。2024.11.09リサイタル 昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯前 主賓二人の挨拶の内の一人に 柳居子が指名された。『おとつい(一昨日) 六日 今日は 三木貴子さんの誕生日だな 彼女は幾つになったのかなと考えていたら 突然彼女が店に入って来ました。二日後リサイタルは出席と伝えて有るのに 何用かと不思議な顔をすると、会の乾杯の前 一言喋って下さいと頼まれました。 お偉い祝辞を述べるのに相応しい人が沢山おせれるのに 何故私がと思いましたが 私自身も結構な老いの身となり 何より八十七歳になられた人が 二階に在る店の階段を上がって来てのお頼み 僭越であることは判ってますが、一言お話させて頂きます。 三木家と私との関係は、貴子さんの旦那さん 敏弘さんの弟さん 正和君と小学校が同級生だった事から記事まります。 只弟さんとは話しを交した記憶が無い様な関係でしたが 兄上敏弘氏とは 毎朝出掛ける珈琲屋で御一緒して仲良くなり 度々 先斗町や木屋町の シャンソンの流れる店へ出掛けると言う関係が 奥さん貴子さんに引き継がれ今に至ってます。 ご自宅でシャンソン教室を開かれ 本日の企画 伴奏をされている 斉藤信之さんとも ながい付き合いと聞いています。 京都は 変る事無く長く続くと言う事に 値打ちを覚える町です。女性の年齢をバラすのは良くない事と判っていますが 八十七歳で開くリサイタル 二日遅れの誕生日祝いも兼ねて今宵は愉しみましょう 世の中にはこんな元気な八十七歳も居るという我々は目撃者でもあります 広く世間に知って貰いたい催しだと私は思います。 ご挨拶になっていたか判りませんが 終わります・』 67歳でも引退と考える人が居る 77歳は今の時代平均的な引退の年か87歳の シャンソン リサイタルの主催 お話を聞いて元気を貰う人も多いかと思う、 地元紙も取材に来ていた、昨秋 十一月八日のシャンソンリサイタル 主賓の挨拶として 二日遅れの八十七歳の誕生日祝いの口上を述べたのだが 又 次のリサイタル開催を愉しみにまっていると結んだのだが 彼女は 僅か四か月後 既に雲の上の人 暫く入院加療中とは聞いていたが それ以前の彼女しか知らないから晴天の霹靂長いお付き合いだった 決して順風万班の人生では無かった事を良く知っている。特にこの二十年程は 柳居子のブログ記事の愛読者で ほぼ毎週のようにお目に掛かる機会が有った。全日空ホテルと 会場を定めた シャンソンリサイタルへは 欠かさず参加した 前々回 ステージから足踏み外し 客席の前に転げ落ちるという奇禍にも遭ったが しっかりと最後まで唄い納めた 少々体調が悪くても 必ず復活する人だと思って居た。寿命が尽きれば 天に召される事は 誰一人逃れる事は出来ない事だが 亡くなる僅か四か月前 大勢の人を集めての個人リサイタル 死と言う到達点への 道筋は 色々なケースが有ると思うのだ 合掌
2025.04.16
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4月3日 11:30 · 若い時は空の色 夜明け 夕暮れ 月の満ち欠けとか 空を見ることに無関心だったのが 最近は空を見る事愉しみを見出してきた 満月の異名とか月ごとに表わす色の名前など色々と知るにつけ 色々と奥深い世界が有るのだと思う。 只 菅原都々子の歌唱の 歌詞『月がとっても青いから 遠回りして 帰ろう。』の 月が青いという表現 未だに青いと思った月にお目に掛かった事が無い歌詞の流れの中で 月が 赤いとか 黄色いと歌うと歌詞の後が続かなかったのかなと思ったりする。 去年の春先の事 雲一つない快晴 青空 春の好天は少し日差しも霞んで見える事が多いのだが 珍しく晴れ渡った青い空だった。 向こうからやって来た 和服姿の若い女性に すれ違い際 『突然て 失礼ですが お召しのお着物は、今日の空の色に合わされたのですか_?』と声掛けた。突然の声掛けでも 女性が警戒する様な素振りは見せない これは腰の曲がった老人の余禄と言う事だろう。『これから お茶の会に出掛けるのですが お声掛け頂いた事を 皆さんにお話します。』と お褒めと取って喜びを表してくれた。自然からの働き掛け 今も昔も変わっては居ないと思うが 現代は自然無視では無いが 自然界なんて言うのは 事改めて構える様な事では無くなったという感じがする。昔はもっと自然の中での営みの部分が大きかったと思う 月も陽も雨も雪も 全て生活密着 夜になったら寝る 鶏が鳴いたら起きる もうそういう人種が居なくなり 今の若い人が昔の生活に戻る事は無い 自然の営みは変る事無く続く 改めて 空の色 雲の色 等の 諸相を見て楽しむ。若しかしたら 西方 西空に戻る日が 近づいているのかなと思ったりする。
2025.04.15
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4月2日 11:46 · 家の中で孤立 家族誰とも一日中喋らない 庭掃除だけが仕事と 愚痴をこぼしにやって来た友が居た、 細君が長い患いで介護施設に入ってからでも 二十年とか三十年経つ、稼業は息子に託しては居るのだが 息子のする事 為す事 自分の気に入らない事も多く つい口が出る様だ。 息子とも親しく 一緒にラーメンを食いに行くような仲だが 自分のスタイルでそれなりに頑張っていると思うのだが 親の眼から見ると何時までも 頼りなく見えるようだ。伝統産業と言われる分野の家業は 新たなビッグビジネスに繋がる様な事も無く 家族と食卓を囲む様な事も無いらしい。 柳居子の様に 後継者も無く 独居だと 家に居ても誰とも会話を交わす事も無いが 其れにストレスを感じる事も無い。友の立場もよく判らぬが 何かアドバイスとか 元気づける様な事が喋れないかと頭を回らした時 ふと 何十年も前 柳居子の店にご贔屓頂いたj〇〇氏 お年召され 病が出て 府立医大病院に入院中 乞われて出張の散髪に出掛けた時の事が思い浮んだ。大変な苦労人で 六条堀川辺りで 創業され のち 〇〇という間口の広い店跡に引越され真向かいにも自社ビルを構えておられる 出張の散髪の最中 何を話せばよいのか戸惑って『最近は どんな事を考えてお過ごしですか』と伺った。 〇〇氏は『若い者の邪魔をせずに 若い者の手本になる様な事を絶えず考えているよ、「と 実に重い話を受け取った 若者の邪魔せず手本 言うは易し 行うは難し 『これが なかなか難しいのだよ。』と仰った。本サイト披見の 大方諸賢の高齢者 若者の邪魔にはならなくても 手本になる様に振舞っている人は 少ないと思う。
2025.04.15
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丑三つ時 ふと眼が覚めると。スイッチ切り忘れのラジオから、懐かしい『マントヴァーニオーケストラの、水の流れる様なメロディが流れ出ていた。何十年も前の昔 よく聞いた曲は 全力傾廰のモードになる。 最初流れていた曲は チャーリー・チャップリンり『ライムライト』 チャップリン自身の作曲となっいているが 彼は作曲と言うより 譜面が読めず 皮が口ずさんだメロディを、楽譜に移すアシスタントが 五線譜に採譜したという。 戦後 チャップリンは レッドパージ対象になったのか 米国国外退去を命じられ 確かスイスに移住したと思う、モノクロ・トーキー時代の映画を思い出す,『町の灯』も良かった。ムーラン・ルージュは、何作か作られているが 画家ロートレックが出入りしていた事を題材にした映画 パーシ・フェイス楽団の音源も覚えている。 旅情 原題は記憶にないが キャサリン ヘツブバーン ロッサノブラッテイの主演 新京極 松竹座で見た事を 思い出した、 曲名が判らなくても 流れ出るメロディで曲の展開が甦る。曲が終わってアナウンサーから 曲名を知らされると ああ そうだったと 流行った時代の事まで甦てくるのだ。サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』は以前このサイトで取り上げた事も有るが SPレコードを聴く会を開いた時 サラサーテ本人の演奏を聴いた事が有った・ラジオ番組 マントバニー特集の 殿(しんがり)は ミュージカル 映画 南泰平洋 の主題曲『魅惑の宵』音楽の事は よく判らないが 主旋律が時として、流れるような脇のメロディに取って替わったり 印象に残る曲が多い
2025.04.01
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三寒四温の時期と言うのは、丁度今頃の事を言うのだろうか? 地球温暖化とやらで、今年は三月中頃 記録的な高温 夏日を迎えた地域もあったが 今は三寒寒中である。 昨日も 早朝 春衣装纏って 表に出て自転車に乗って漕ぎだした途端 未だ冬だと 着替えに戻った、 自宅前哲学の道沿い 桜が満開で 自宅の庭には 梅が未だ花をつけていた。 日曜日は恒例のブログプリント版配達を兼ねて 桜見物兼ねて方々巡ると決めたが 日差しは暖かく感じるのだが 気温低く寒風吹き ゆっくり桜見物でも無かった。 柳居子が 小学校に上がった頃の記憶 入学式とか始業式が 四月十日辺りが桜の満開と重なっていたと思う 開花時期は昔に比べると年々早くなっている様に感じる。 一気に咲いて パッと散る 散り際を美と感じる精神性は 日本独特のものかもしれない。播州赤穂藩主の 時世の歌 「風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」 を思い出しながらの桜巡りをした、六角通り 西から東見て 新京極誓願寺前の桜 何時も見る風景が 薄桃色の満開の桜が閉ざしていた、円山公園の枝垂れも 人が一杯で 自転車では近づけなかったが今が盛り 先代の枝垂れ桜の写真が手許にあるがもっと大きく 育つのだろう。松長の若女将のサイトを見ていて 誘い合わせて 和服着用で 花見に出かけると載っていた。別嬪さん揃いだから 息する名花を見に行こうと 桜見物が終った頃見計らって 松長に出掛けたら 皆 和服から洋服に着替えた後だった 残念な事。今日も三寒四温の中の 寒中である
2025.03.31
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京都の旧市内 洛中の其のまた中心部 其の辺りに昔から住む人だけが判る 瑣末な話題で 掲載が憚られる思いがするのだが、住所表記とか 所在地表記に。東西 南北に交わる辻を上がる(北行)下がる(南行)東入る(東行)西入る(西行』の表記が付く事で どの辺りと言うのが 点として捉えるのではなく 面として捉える事が出来る様に頭が出来上がっている。 今は スマホの検索を掛けたら 即時に道筋案内 所用時間まで教えてくれるが それは目的地を点 地点として教えてくれるが スマホの馴染めない年寄には 上がる 下がるの表記の無い町名だけの表記は 目的地が判らないケースも出てくる。通りの向かい合った家が 同じ町内 両側町が多いのだが 道路の北端 南端の大きな家は 分筆されて番地に枝番が付いても町名は変らない。柳居子の店は 姉小路通りに面しているのだが 登記簿上では柳馬場通りに面した柳八幡町○○○番地三という枝番が付いている そういうケースは沢山有る。柳馬場通りの話題だが 三条下がるの両側町 「槌屋町」と言うのだが 槌屋町の最南端の東側 百均ショップか゜六角通りに入口二十四時間開けている。 六角柳馬場東入るとか 柳馬場六角上がるが 交差する辻の極近で相応しいと思うのだが 先日買い物をしたレシートには ショップの所在地が 柳馬場三条下がる槌屋町となっていた。 ちょつと可笑しいなぁと 朝の珈琲屋で 議を尽くしたら 訳知りが三条通りは 全国的に知られた昔からの京都のメイン通りだが 六角は大昔 六角獄舎が在った場所 通り筋名 イメージが悪いから 三条下がるにしたりだろうという話しも出たが 六角獄舎が在った事等 知る人も少ないから 賃貸の契約書の住所 所在地を其の侭書き写したのだろうと 結論が出た。
2025.03.30
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売家・貸家 店舗のテナント募集広告が、やたら目に付く。買い手 借り手 余程借り手の条件に叶わないと店開きも無い。同業 理髪の業界だけ取り上げても 店を疊むケースが続出している。理髪店 散髪屋という呼び方も 今の若い人には通用しない業名か カット・ハウスに取って替わっている。 理容と美容の境界が有ったのは 柳居子が理容師の免許を受けた頃の話し 美容では 剃刀を持つ仕事は出来ないとか 理容では パーマを掛けてはいけないとか仕事の区分け 法が仕切っていた。また 理容は男の領域 美容は女の女性の仕事と決まっていた。 昔 子供のころ男の子は 散髪屋へ連れて行ったのが 母親が自分の行く美容院に男の子の 髪の毛切る事託す 成人して男が美容院に出掛けるのに 何の抵抗もなく常態化した、 美容室を外から覗いて 男性客の多い事 髪を切るのは美容院と決めこんだ人が世代が今後も増え続けるだろう 男性美容師の数も激増している 只世の動きは 個人が年取る事より 早く進むことを見こして 男性美容師はその仕事が 自分生涯の仕事とは考えていない様だ。 流行の仕事 いち早く身に付け 若いうちに稼げるだけ稼ぐ そういう気風の様に見える、理容・美容の業界だけの話しでは無い あらゆる業界 世の動きが余りに早く ついて行けず 商いをたたむ業種も多い 家が売れない 借りる人が居ない 高齢少子化 色々な分野で AI人工知能の活躍領域が増々大きくなる。もう先の事は考えない事にしている 昨日出来た事 今日も出来る筈 明日も同じ事が出来たら嬉しいなぁ 当然の事ながら進歩は無い。
2025.03.29
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何処の何方か判らずに お声掛け戴く方が 相変わらず多い。相手は確実に柳居子と判ってのお声掛け 何となく何処のどちら様と聞くのが憚られる。 記憶の減退も考えられるが それだけでも無さそうだ 七十五歳までの七十五年間と それ以降 八十までの伍年間 何もかもが劇変している。先日松井孝治さんと街中で出逢っての立ち話だが 氏が慶応大学で教鞭を取っておられる時に 『東京で 京語りの会を催して頂いて 人前で喋る事の体験を五回も積ませて頂き 私は大きく変わりました他人に一方話しをする体験は 話題を予め纏める事て自信がつくとか 又五回の京語りの会を介して出来た 知己友人も数多く 交遊の途切れがない。 未だ現役で仕事をしていて 又海外から柳居子の店を目指してやって来る客人も絶え間がないと言う事 以前は考えられない事 SNS・ユウチューブの影響大である 柳居子の顏剃り動画をアメリカでアップしてくれた ヘアカットハリーのサイトは 顔剃り本編 続篇 シャンブー編を足すと 1000万を越えるアクセスが゛ある様だ。新聞やラジオ テレビにも 何度か登場して 柳居子の顔をご存知のお声掛けも有るかもしれない 『この前テレビ見ました八十になられたのですね』と言われたから 『昨日出来た事は 今日も出来る筈 明日も同じ事が出来たら嬉しいなぁ。と思って毎日過ごしています。』と返しておいた 有名人ですねと言われると 決して有名人では有りませんが 全く無名でも無いというレベルですと言っておく。
2025.03.28
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錦小路の 鰻屋『のとよ』の三田さんから 例年滋賀県湖西に在る別荘の庭に実を結ぶ柚子を、結構大きな袋一杯頂き 知りあいに配り 残りを『柚子味噌』に仕立てて沢山の人二配るのが 恒例行事になっていたのだが 今年は柚子が大不作で 小ぶりの柚子を僅か貰っただけ 恒例の柚子味噌 期待している人も居られると思うから 市販の柚子を買い求めて柚子味噌造ったのだが 柚子が市場に出回って無い程不作 たまに見つけると一個が 四百円も五百円もする 今迄考えられない様な高騰 当然の事ながら差上げる人の数も限定された。品薄だが需要が大きければ価格は上がる 柚子味噌以外には『ちりめん山椒』これも沢山作って大勢の人に差し上げる。ちりめん雑魚と 実山椒を和えたモノだが結構手間のかかるもの 実山椒のシーズンから外れているから 真向かい乾物屋の冷凍実山椒 毎年頂く値段の倍近くの四千円にお釣少々 これも恒例行事だから造って差し上げねばならない。世帯が細分化して、個々に 買い求める量が小さくなっきた事も有るが、食品スーパーの価格表示 販売体裁も大きく変っている。財布から金を出しやすい金額設定 食べきりサイズとか 百グラムあたりの価格表示とか 昔に比べて値が上がって事を客に感じさせない智慧を振り絞っている様に感じる。 昔の店頭販売の 魚には 必ず骨が有ったが、今は食べやすいように骨抜きの処理がしてある 一旦中国に陸揚げして 骨抜きの処理を施して 食べやすくして販売しているのだそうだ。価格には中国人の骨抜きの費用も含まれている 日本人が骨抜き作業など する筈がないと思うのだ。
2025.03.27
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経済という言葉が、中国の古典籍『礼記』の中に 国を治め人民を救う『経国済民』が典拠で有る事を 其の道に詳しい方から教わった事が有った。 漢とか唐の時代に掛けて 編纂された 世の決まり事 国を治め 民を救うと言う内容だが 広大な版図の国 中国以外の国は、『西戎、東夷、南蛮、北狄』 未開人に囲まれた獣たちが住んでいるという認識 その当時としては理に適って言葉だったが 千年 二千年経って意味が変って来る、経国に自国と他国との バランス取りが必要となって来たのだ。群雄割拠の難しい時代 自国民だけを済民する事は出来ない。 地球上に住む人 全てが救済されるべき人達と考えると 自国だけのエゴイズムは 問題が有る。今朝がた トランプ米大統領が 日本車に対しての関税の話しをしていた。トランプ氏は 経国済民をしっかりし理解して 米国 米国人の利になる事を強力に推し進め 米国民も支持している。千年も二千年も前に定まった原理 〖経国 自国民済民』は 何時か何かが起こると思うが 経済という言葉は 不死鳥の如く残るだろう。
2025.03.27
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7325と言う数字は、365日×20年+5日 一年365日 20年間の間には、2月29日有る年が 5回有るから 7325日 ブログ記事の連載日数の数字である連載5周年『柳居子徒然を読んだ』のタイトルで連載を祝ってメッセージを頂いた 10周年も同じく 15周年は コロナ禍で叶わず替わりに 6000連載を祝って頂いた。 二十周年を如何するか 続いているのか 途切れて終わっているのか心許ない 或る日突然 ネタ切れで書く事何も無いという状況になっても何等ふしぎで無い年になり果てた 其れでも何か目標を設定するのは良い事かと思い 7325 目指す事とする。数多くの人の サポートを受けて続いている事を感謝している、 本にしろ 新聞にしろ 著者や記者を直接知っているケースは少ないが 柳居子のブログは 書き手 読み手が直接繋がっている様に感じる事がある 『あんたは、ああ書いていたが 私は・・・・・・』とコメントとか お声掛け戴くと書き手 読み手 同席と言う感じがするのだ 今暫く頑張ろう 書く事無いと今日の様な記事になるのだ
2025.03.26
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殆ど毎日 世界中の何処かからやって来る客人に対応していて、今迄持っていた常識とか 思い込みが 大きく遅れていると思う事が多々ある。米国・豪州・独・英・加・仏・伊 辺りからお越しの方々が多いのだが 、ペルー・コスタリカ・インド イスラエル モンゴル パーレン辺りの国からもお越しになる。所在地の判らぬ国は 備え付けの地球儀をクルクル廻して尋ねるのだが 其れでも判らない国も有る 『こんな小さな地球儀には 私の国は書き込まれては居ないと言われたのは ルクセンブルグ この国の国民数の何倍もの人が 国境線を越えて毎日通勤してると言う。 アメリカ合衆国 我々の認識は、東海岸寄り ニューヨークとか ワシントン辺りか 東海岸 カルフォルニア辺りが アメリカという狭い認識が有るのだが 東西に挟まれたアメリカの中程から来る客人も結構多い 何処からお越しと尋ねても unitedstate America と答える人は誰も居ない、必ず州名か都市名を名乗る、 合衆国で有る事の認識が進む我々の世代が持つ世界観は、先進国・後進国 今は開発途上国と言うのだそうだが 其々の国には 貧富の差が厳然とあって 支配 被支配と階層の判れている国も沢山有る ペルーからお越しの客人は 発展途上国の富裕層と思ったのだが 我々の考えるレベルの富裕層とは 違った。顔剃りだけ四千円を請求したのだが 顔剃り料金以外に チップ二千円 手渡す時『愉しい想い出を作ってくれて有り難う』と言われぬ、毎日の様にお越しの 外人客を介してでは有るが 柳居子も毎日 少しずつ国際人になりつつある、
2025.03.25
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加齢が進むと、当然の事ながら聴力が落ちてくる。相手の喋る事 碌々聞かずに自分の喋りたい事だけを喋るのは 会話では無い。朝の珈琲屋でも そういうシーンが時々ある。 本当に久しぶりにやって来たE君 東寺近くの古書店主だが 歴史の造詣の深い人 空海の話しが盛り上がって以来の五番テーブルの友人だったが このところ体調が悪く 誰かと見誤る様な 弱り様だった。 鎮守の森 という様なタイトルの一文を柳居子の爲に書いて届けてくれた。一冊の本にするほどの頁数に相当するのだが、本にしても絶対売れない本と 本人が一番判っている 手書き原稿本 同席しての会話 ずっと彼一人が喋っていた。耳が全く聞こえないのか 私が声掛けて口を動かしているのが見えている筈だのに 喋り続ける。彼が暮れた一文 其の内容と、彼の体のオンバランスを感じるのだ。午後 ブログプリント版 配達の帰路 背中が大きく曲がった女性と目線が会って 向こうが先に柳居子と気付いて呉れて『ご無沙汰しています』と言われた。小。中学校の同級生 確か銀行勤務だったが 今は一人身の様 トラブルが起こって動けなくなった時 弟が車で駆けつけてくれて助かった腰椎を酷く痛めたそうだ 病院まで運びこんでくれたが その時だけと言うから お姉ちゃんもう大丈夫と思ったのと違うか 自分で出来る事は自分でさせないと 弱る一方 と考えたのかもしれないね 『そうやろか?』と言っていた。 喋る相手が居ないのなら このブログ読んでかと一枚差上げたら 読む事は好きですと言うから 毎週届ける事にした。露地奥のどちら側の家か 確認も出来た。
2025.03.24
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昨日 午後やって来た遠来の客人と思しきは、背の高い若い白人 肩口まで伸びた髪は 髪質も有るのか 綺麗に納まっていた。招じて理容椅子に゜座るなり スマホの音声通訳を介して応答が繰り返された。『後ろの長い髪は、触らずに横と上の髪 フェードを掛けて・・・・・と長い文章が続いた。 幾ら指示を受けても 実際髪の毛を短く切るのは 理容師の仕事 頭刈る準備は整っていたが 如何にこの客人のご機嫌損ねる事無くお引取り頂くかに頭が 頭が切り替わった。 『私は 今年八十歳になりました、六十三年間この仕事を続けていますが 長く伸びた髪を短く切るのが 仕事と続けて来ました 貴方のご指示のトレンディな髪型は もう上手にご期待に沿える自信が有りません 貴方のご指示自体がよく理解できない、自分に出来ない仕事を引き受けて、後からご不満を感じられるより 最初から 私には無理と貴方のカットを辞退致します゜折角お越し頂いたの二申し訳ない もう二十年前にお越し頂いたら 頑張っていたと思う』 と言って首に巻き付けた 刈布を外した、思わぬ展開に戸惑った様だが 彼は『よく 判った』と笑顔で答えてくれた。頭刈る 直前の仕事の辞退 八十歳なら 許されるだろう お詫びの印と飴玉一つ差し出した、其れも笑いながら受け取って
2025.03.22
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NHKラジオ深夜便に 山極寿一氏が、地方の復活 過疎地対策に、廃小学校を使うという活動を 側面支援を剃れている事を知った。柳居子は本来 其の事にも関心が有るのだが 発信されたその言葉に成程と共感する言葉が有ると 本題外れて思索が進んでしまう、『普通』何気なく使っている普通という言葉 一体如何いう意味か 十人十色という言葉が有るが 普通と認識する共通項の多い人の間では 普通が通用しても、少し離れた場所では その場所の普通という価値観が存在する。京料理は出汁を取って微妙な味付けを凝らすのが普通 美味しい魚が絶えず入手できるところは 鮮度の良い食材調達は 料理が進歩しないのが 普通 限りなく普通の世界が有る。 普遍性と言う同類の言葉も有るが 普遍性は偏りのない全国一律を制度などが 馴染み易い 例えば小学校六年間 中学校三年間は 義務教育期間とされている。子供に義務を課しているのではないが 親 親権者の義務 これは全国一律過疎で廃校になった小学校に 又 小学校を作る 全国から小学生を集めるという。 如何いうシステムで実現が可能なのか 廃校を使うとは言っても 取り巻く環境は 一切『無』からのスタート 夢の実現に何の制 約も無い『無』から始めるのは責任も有るが 遣り甲斐の有る事と思うのだ、今度散髪にお越しの時 山極先生に 番組で話された事 詳しく聞いて 再アップする心算だ
2025.03.21
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二十四節季の春分 春たけなわの語感感じるが 今朝の京都市内は寒かった。節季のの一つまえ 啓蟄は土中に居た虫が ぼちぼち春かと地上に顔出す季節だが 一寸顔だけ出して 余りの寒さに又 地中に戻ったかもしれない。 地球温暖化の、逆の様な今朝の冷え込みだったが 陽暦・陰暦のずれと言うのも頭に入れねばならない。化石燃焼(原子力)も含めて 依存の時代 何某地球に影響を与えていると思うが 本来地表だけで産する物だけで種を繋いで行けば 人間だけが 70億とか80億も存在していることが不自然とも言える。営みの質的変化も大きい。北海道産のコメ 昔は北海道はコメの採れないところだったが 今はブランド米に出世している。 海から上がる漁獲も 水揚げの港がどんどん北の方へ移っている。気候変動に関係なく時を刻むのは 月の満ち欠け 最近は月見る事が一つの愉しみになっているのだが、陰暦 月に依存の仕事もあると聞いた事が降る カレンダーに陰暦とか 月齢が書いてあるのは 漁業関係者が対象と聞いた事がある。煌々輝く月の下では 魚は獲れないという・
2025.03.20
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表題の 柳居子徒然は、改めて書くまでも無く 兼好法師の徒然草から 名付けているのだが、筆の滑り出し 〖つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』 本サイトを開けて間もない頃は 徒然なるままに 日暮し パソコンのワードを開け よしなし事を書き綴ってます。と自己紹介をしていた。「そこはかとなく」という言葉 柳居子は 『とりと取り留めなく。』と解釈した。主義・主張を述べているのでは無い。書いた物が何某影響が有るとか 及ぼすと言う様な事は全く心中に無い。余り意味なく書き連ねた事を 言い表すのに 『そこはかとなく』という言葉に 魅入られたと思ったのが 柳居子徒然名乗りの由縁 多分 やまと言葉と分類されるだろう。何となく含蓄が有る 長く書き続けていると、兼好法師と同類と言うと失礼だが よく似た因子を持っているのかと 思ったりする。
2025.03.19
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朝の珈琲屋の常連席 5番テーブルの客人の年齢構成は、柳居子含め 八十歳台が三・四人 後七十歳台 平均年齢は 若い医師の座る事も有るが 七十歳台中程と言ったところ 時どきゲストとしてやって来る若い人には、『このテーブルは 死後ならぬ死語の世界ですよ』と説明する。 交される会話の中では、今の若い人には判らない様な言葉が ポンポンと飛び出す。死語の中には、今は使ってはいけないとか 控えねばならない言葉もよく出てくる、 乞食(こじき)今はホームレスと言うと差別用語にはならない様だが 乞食は、乞食(こつじき)という仏教用語 食を乞う事は修行の一つと説明する人が居た。差別の本質に話題が移る 世の中差別が無ければ成り立たないという展開になった。 努力して結果を出した人と 何もせず人に遅れを取る人 差の出る事が当然の事 大学入試の合格発表の時期 大して頑張らなくても良い結果の出る人 これは個体差という領域 性別 性の差 思わぬ所に話しが飛ぶ 何十年も前の事だが 中東の有る王国の王妃が 子供に恵まれず 三年子無きは去れ というしきたりで 国を追われたという事件があったが 妊娠しなかったのは 女性だけに原因が有ったとは思えないし 女性は子供を産む機械と考えるのなら 完全な差別二なると話しが進む柳居子の店に初めてお越しの客人に お近くですか ご遠方からですかと尋ねて 何処何処と仰る方には 話しが続くのだが 北の方 東の方 西とか南と仰る方にはその話題はアウト 歴史の長い京都には 被差別居住者ゾーンと言うのが有って 他人の出身 出自を聞く様な事は タブーとなっている 本来人々の和合を目指したネーミングが 同和という言葉自体が 被差別其の事を表す様に感じられるのだ。 身体的欠陥とか 特定の病に対する偏見とか 一寸法師の活躍なんて 今の子供は 知る由もない。法会で使う御詠歌等も差別を是正した御詠歌 字余りで御詠歌にならないそうだ
2025.03.18
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腰椎の圧迫骨折をしてから、柳居子の弱点は 腰に集中している。寝るとき以外 常時コルセットを巻き付けていないと 何所まで腰が曲るか判らないという不安感が有る。腰が砕けるとは よく言った言葉だと思う。 途中放棄とか 限定現役の様な床屋稼業を続けているのだが、遠来の客人は。洗髪(シャンブー)はしない事を決めている。腰を曲げてする仕事が結構負担になるのだ。『腰』 は 体の部位としても重要 大切なところだが 単に体躯の一部分を表すだけでは無く腰が折れるは骨折を言うだけでなく 挫折とか 意地を張り続ける事が出来ないとか 一貫性のないことを 言い表わす様だ。 腰が落ち着くという言葉も有る 柳居子の場合は 一業専一で 幾つものしごとを経験した人の事は理解する事が出来ない。 腰は据わっている方だと思う。 理容という職域は 誰彼なく色々な人が対象になり 客の首根っこて 刃物を振り回す仕事 名前や職に怖気づくと仕事にならない 昔話と言っても 血気盛んな若い時の話しでは無いのだが 夏の或る日 店の前に派手な外車が止まった、車の中から 店の中の様子を眺めいている感じ 客人かと思ったのだが 発進して居なくなった ものの十分程゜して その車が戻ってきて 二人の男が店に入って来た、全身刺青を施した二人 他に客は居なかったが『チョッと待ってや』 と言って 冷たく冷やした番茶を湯呑に注ぎ 客に出すのでは無く 柳居子が飲み干して 二人の客に『どっちが 先や?』と声掛けたら 『私が先にお願します』と刺青の一人が名乗った。 思い出しても 痛快事だが 腰は据わっていたと思われる腰は 高さ 低さで 他人にへり下る事の出来る人 とその逆の人が居るという表現にも使う。腰巾着 「こしきんちゃく」常に特定の人から離れないのを 腰巾着と言った 殆ど死語化している言葉 たかが『腰』されど『腰』 大事な部位である。。
2025.03.17
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昨日は 嬉しい客人が続いた。オランダからやって来た客人は リピーター 十日程前に、髪の毛刈って 髭剃って送り出した人 『又 来たよ』友人一人伴って『この人の髪の毛 髭剃りもお願いします。』 自分が体験した事 其れがお気に入りなら 他人にも勧めたいという心裡は、全世界共通の様に思った。 友人の散髪・顔剃りが終わって 友達の紹介だけかと思ったら 入れ替わり理容椅子に座り 『未だ散髪して間も無いから、髭だけ剃って下さい』という注文十日か二週間程の日本旅行で 同じ理髪店で、二度の顏剃り体験 国に帰ったら周りにどの様に伝えるのだろうか 二人を送り出す少し前 若い黒髪の 日本人かと思う男が入って来た。椅子に座ると スマホの画面を見せてこの様に刈ってくれという注文か?『私はもう八十歳になるから この画面と同じ様に刈れないかも知れないが 自分の出来る限り頑張りますが 任せてくれますか?』英文翻訳で伝えたら 日本語で『お任せします』と言われた。クラシックなロングカット 首筋に近いところは『暈(ぼかし)』と言って鋏を多用して 少し細かい仕事だが 先ずはお気に入りの髪型に刈り上げる事が出来た 客人は中国香港から来た人 そこそこ堪能と思われる日本語で 『鋏だけ使っての散髪 懐かしいし 技術の確かな事カットと髭剃りでよく判りました。子供の頃に体験した散髪 今はバリカンだけを使うのが主流です』という 中国での理容事情の 判る話だった。カットも顔剃りも 両方も 遠来の客人は一律 四千円頂いている シャンプーは無し チップ足して五千円頂く事が多いのだが 若い中国の人にも四千円請求して料金を頂き 漢文のメッセージを書き込んでくれた、「日本語が上手ですね」と言ったら 『京都大学に留学しています』『学部は?』『経済学部です。』と言うから 『一寸待って』とレジから400円硬貨とりだして 『学割』『学割』と言って手渡したら 大喜び 仲間にここのお店の事話しておきますと言って帰って行った。オランダ人 中国人に 体験して紹介して貰える日本の理髪店 INTERNATIONAL BARBER SHOPと 言うべしか。
2025.03.16
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少子化 高齢化が進むと。 年寄も何時までも 頑張らねばならない時代の到来。年取る事がある意味 値打ちが上がるという職域が有る。 宗教法人の事を職域と言うのは 憚りも有るが、我々と特別変った生活をしている訳では無い 祇園や宮川町の花街では、 僧服を纏ってないが、京都市内以外 他府県からやって来た僧侶と出くわす事がある。 檀家筋がよいと言うより 観光収入が、考えも及ばない程の額 税免除である、参拝者用と銘打って 参拝者数を大きく上回る車の駐車料金を徴収するのは ふに痾ちない。 最近気付いた事だが 無住の寺とか 教会 神社が在ると判るのは 敷地内の手入れ 掃除の出来てない所が沢山有る。草茫々は、神父・牧師の居ない教会お寺も 無住職 本山内の塔頭も無住の寺は 幾つもの寺の住職を兼ねたり 教会も よく似た状況だと聞く。 僧侶の前職 何となく組織から外れたとか 外された ドロップアウトを感じる人が居る 母方の菩提寺 先の住職は食わせ者だった。 先年回忌法要の時『私は 伝法潅頂を受けた身です』と言うから 『何処の寺 師は何方から』と聞いたら無視 法会の始まりには 五体投地をした。それ以前には見た事の無い所作に戸惑った。 真言宗の訳知りに尋ねたら 真言の末寺金回りの悪い寺は 伝法潅頂の大安売りをしていて 金額まで聞かせて貰った。箔がつくと演じたパフォーマンスも 通用しない人も居るのだ。 宗教界人材払底状況の様だ
2025.03.15
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『近世藩医の学問と 医療環境』と言う発刊間もない本を 謹呈された人を差し置いて借覧して 読ませて頂いた。 全ての内容を理解するには 余りにお粗末な読者では有るが、若し載っていたらという言葉 随分前から知っている言葉だが『糸脈』 若しこの言葉が使われ出した時代とか 廃止になった時代 其の時代の医師の社会的位置とか 諸々が判るかなと期待をしたのだ 高貴な特に女性の場合 脈を測るのに、医師が直接 貴婦人の手や肌に触れる事が惧れ多いと 患者の手首に糸を巻きつけ 其の反対側に伝わってくる微細動で脈を測る事を糸脈と言ったそうだ 今の常識では考えられない様な 診察が為されていた様だ。只 目撃談とか糸脈診断の現実の記録などが無いにも関わらず 糸脈という言葉だけが残っている。広辞苑には 《患者の脈所に糸の一端を繋ぎ 他端を医者が持って糸に伝わる脈拍を測ること 昔 貴婦人の病を診察する時 その人の体に直接触ることょ避けた診察方法》という説明がされている。医師の社会的立場を象徴する言葉として 残っているのかもしれない。医師と理容師と 並べ論じるのは烏滸がましいが 柳居子の子供の頃 理容師を目指す若者は 徒弟制度が色濃く残っていた。親方の仕事を見て覚える 実地体験を積み重ねる事で 育っていく事に変りは無さそう 医学の道は 先人達の血の滲むような努力 成果の上に 後に続く人のスタートラインが有ると考えられる。
2025.03.14
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若かった時の 記憶に有る 京都の街並と言うのは、 急速に様変わりしている様に感じる。 間口の広い 大店に限らず 普通の民家でも 道路に面した二階家は 虫籠窓で 虫籠窓の内側は、天井低く居住空間では無かった。家具調度を置いたり 商品を置く場所だった。 皆が虫籠窓にしたのは 京都の街は 貴顕が絶えず行き来をするから 上から見下ろす事は失礼 虫が住んでいる事にしたのだと 推察する法に制定された建築制限は ある意味私権に対する侵犯とも考えられる。又 相続税対策とか 諸々の事情が重なって 街並みの連続性が潰れていくのは 仕方のない事だが 柳居子の店の前『姉小路通り』は 二十年程前 町内在住の人が寄って 街並み保存の爲 江戸時代の在ったと思われる『町式目』 を復活して 建築協定 新しく建てる建物の高さ制限を申し合わせて 今も機能している、 只 住む人が高齢化して 数も減り 新たに住む人はそう云う協定の有る事もご存知ない人も増えて来ると 式目 申し合わせも実効が軽くなってくる。 最近気付いた事は、ガレージ 駐車場 駐車スペースである。 居住している人でも 建物をセットバックして立てて自家用車の駐車場として ご自分は髙く建てた階上に住まれると町内との関係は希薄になる 又売却された敷地は、貸ガレージにされる事も多い。 特にメインストーリから 一筋入った所は、貸ガレージ需要も多く 客寄せの意味も有って 眩しく明るい 空車 満車の青・赤のけばけばしい色と捉える。ガレージの敷地内の事だから 誰も口出しは出来ないのだが 静かな京都の街並には 似つかわしく無い 柳居子は 車に乗らないから 偏見を持つのかも知りないが やはり京都の駐車場は 他の町とは違うという基準が有っても良いと思うのだ。
2025.03.13
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先日お越しの客人との会話は 面白かった。 柳居子と同年代 ブログのプリント版を ご来店毎 何枚か纏めて差上げている。「この前 頂いた新聞に 歌手の 岸洋子の歌を唄ったと載せて有りましたが 懐かしく読ませて戴きました」から始まって 若くして亡くなった岸洋子の闘病の話し オペラ歌手を目指したが病(膠原病)で挫折 ピアフのレコードを聞いて 自分の目的の変更 と仰るから 大ファンだったと思われる。 岸洋子の話しに留まらず シャンソン話題が続く 東京にスタ時は 銀巴里にも通いましたよ 円山明宏がおさえていたいた頃も有りましたよ゜ 芦野宏 高英夫 深緑夏代 越路吹雪 ・・・・ シャンソンは 今の若い人は唄わないから カラオケでは 老人向けジャンルに入りますね 一度唄いに行きましょうかと誘うと 私は聞く一方で 自分は全く唄いませんから 一方的ファンですと 仰った。岸洋子の 『希望』という曲の 唄い出しを覚えておられますか?と問われ 他に客人も居なかったので 希望の歌詞一番を店で唄った。 店内で客人相手に 唄って聞かせたのは始めての事 記憶にない。希望の歌詞は 決して 希望溢れる様な歌では無く どちらかと言うと 失望の繰り返しの様な歌ですよ と話しておいた。Bing 動画
2025.03.12
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何面も有る 店の鏡で、最近は 如何いう顔付き・目付きをして他人と接したら良いのかを研究して トレーニングをしている。目付き顔つきが悪い事は自分でも充分に自覚している、第一印象が良いなんて 今迄聞いた事が無いから 八十の手習いならぬ 顔つき目付きを改めようと考えているのだ。 初めて見えた 外人客に対しては 先ず 怖い人で無いという印象付け リラックスして貰える顔付きはどういう顏か 顔付き目付きを 矯正しようと思い立って 街ですれ違う外人に ≪ようこそ 日本にお越し 京都の町は楽しいですか?≫ 言わずがな語らず そういう思いを込めた顔付きをして 相手の顔を見ると 誰彼 男女別無く 笑顔を返してくれる 言葉は通じなくても良い 柔かな目付き笑顔は 大袈裟だが 人類共通の意思伝達手段 少なくとも相手と敵対する関係で無い事を伝える手段だと 八十になって気付いた。
2025.03.11
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昨日は 随分久し振りに 小・中学校同窓 度々同級にもなった 松下隆夫君に偶然出会った。一瞬 松下君によく似た人だなと思ったが 相手も同じ様に吃驚した顔をしたので 松下君と確信して声を掛けた。『お互い見違えるほど 年取ったなぁ』が柳居子の開口一番 彼は『最近君を テレビで見たから 未だ元気に仕事しているのだと判っていたよ。白髪になったなぁと 』と言われた NHK BSの余波は未だ続いている。 同窓生の消息で 話しが弾んだが 内容は 死んだ 未だ生きている 病の話しが主流 彼自身は医師 滋賀県で開業していたが、退役して 未だ元気だが 何もする事が無いから ブラブラ京都の懐かしいところ街歩きをしているのだよ。』と言った【君に二十年程前 下前君 何でも良いから 一日何か一文欠くと 惚けが先送りになるよ】柳居子徒然連載の動機の一つの話しと思い出したのだが 何もせずブラブラしているという話しを聞いたから、手許のブログプリント版を差し出して 『毎日何か一文を書くと 惚けが先送りになるよ』と二十年程前に言われた事を其の侭返しておいた 君に聞いた話だよと 言おうと思ったが そんな事言ったかなと思わすと止めた。
2025.03.10
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アナウンスの語意は、告知 知らせる 広く語りかけるという意味が有ろうかと思う。 相手が居る対話とは 明らかに違う。又多くの人に 言い聞かせるアナウンサーという職域は 広報・伝達の社会的意味も有る。 毎日 NHKラジオ深夜便 二時とか三時のリスナーとして 番組の進行役のアナウンサーの 定められた時間内に番組を納める 時報から時報までを 一区切りとして番組を移行させる技に感心する。 プロフェッショナルの為せる事と思うのだ、 時間内に納める しかも時報を打つ直前に喋り納める至難の業 深夜 殆ど人のいないスタジオで 時間と孤独の戦い。 絶対伝えねばならない天気概況の話し 時報前微調整が出来る様だ 『今日は お天気が変わり易いから お出掛けには 傘をお持ちになられると良いかと思います。』時間が充分ある時は、天気概況の余禄 付録である 今朝は午前三時の歌番組『其れでは 今日最後の一曲』と紹介された途端、此処でニュースを挟みますのアナウンス ニュースは時報の後と一瞬思ったが地震報道 津波は無しという事を 二度繰り返した 臨時ニュース 元番組に戻ったら 天気概況を伝える時間帯に大きく食い込んでいる。分秒争う 最大省略のピンポイント情報 伝え終ったら 直ぐに時報を打った どれだけ省略しても聴く人に 伝えねばならない 分・秒時間との闘い 誰もが出来る事では無い プロの出来る事であるどの世界にもプロと言われる人が居る NHKラジオ深夜便を仕切るアナウンサーは 場数を
2025.03.09
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