Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年09月19日
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カテゴリ: 夢有無有
仏教概要八(日本寺院の総本山)律宗唐招提寺
 奈良市の西ノ京に位置する唐招提寺は、日本の戒律制度を整えた鑑真の律宗の総本山ですが、その鑑真は、中国東部・江蘇省揚州江陽県の出身で、仏教徒の家庭に生まれ、西暦708年、21歳のとき長安で受戒し正式に僧侶となると、その後40年に渡り、読経や寺院・仏像の建立に携わります。彼が授戒した僧侶の数は4万人を超え、なかには著名な高僧となった者もいます。中国東部における授戒大師と称えられ、その地位は高く、仏教宗首とされています。 743年、日本人僧の栄睿と普照は揚州に赴き、日本で仏教を広めるよう鑑真に要請しました。鑑真はこれを快諾し、航海の準備に入りました。彼の呼びかけに対し、21人の弟子が随行しましたが、1回目の航海は、政府の干渉を受け失敗に終わりました。 2回目の航海では、軍艦を購入し、仏像や仏具、薬品、食料などを調達。弟子などの随行人員は85人となりました。しかし、中国大陸を離れてまもなく、嵐によって船が破損。帰港し修理せざるを得なくなりました。修理が終わり3回目の航海を試みましたが、沖合いで座礁し、またも失敗に終わりました。 3度の失敗にもかかわらず、鑑真はあきらめませんでした。744年、彼は再び航海の準備に入りましたが、唐朝の反対により帰還。748年、61歳になった鑑真は楊州を出発し、4回目の航海を試みます。しかし、台風に遭い、中国南部・海南島に流されてしまい、やっとのことで楊州に戻り、再び5回目の航海に出ましたが、これも失敗。この5回目の航海は損失も大きく、日本人僧の栄睿と鑑真の弟子である祥彦が前後して病死して、鑑真自身も過労により両眼を失明してしまいます。5年の年月が流れ、66歳になった鑑真は、失明という困難にも負けず再度日本へ向かいます。753年10月19日、彼は楊州を離れ、12月20日、ついに日本の土を踏みました。そして、朝廷から庶民まで、人々の歓迎を受けたのです。日本朝廷は鑑真をねぎらい、授戒の権利をさずけるとともに、戒台寺を建立し彼にまかせました。756年には大僧都にも任命しています。こうした待遇は、かつてないほど厚いもので、その後、鑑真は弟子たちとともに「唐律招提」を建立。現在日本では「唐招提寺」として親しまれています。763年5月、鑑真は76歳で円寂。日本で埋骨されました。
 鑑真は日本で10年間生活していますが、日本文化の発展や中日文化交流に大きく貢献しています。鑑真が日本へ来た頃、中国ではちょうど唐朝文化が繁栄していました。鑑真も来日の際、刺繍職人や画家、玉職人などを同行させ、絵画や刺繍、玉器、銅鏡などといった工芸美術の珍品や、大量の真筆法帖(ほうじょう)を持ち込みました。鑑真が伝えた中国の文化芸術は、日本で吸収され、天平文化に影響を与えました。鑑真はまた、中国医学を日本に伝えています。自ら、光明皇太后の治療にもあたりました。両眼を失明していたものの、薬の知識は確かなものでした。鑑真和上は、中国医学の正しい伝統を継ぐ医学・薬学を、日本にもたらした最初の現身の人である。現代の日本において、治病効果に威力を発揮する漢方医学の鼻祖として崇められる所以です。鑑真和上と関係ありとする漢方医学は、唐時代から現代まで、医療に重用されています。また、食品では味噌に始まり、絶妙の味月餅に至るまで枚挙に暇がありません。鑑真和上なしには、現代日本が文化国家気取りでいることが出来なかったと言っても過言ではないでしょう。
 天平文化の核心にあるのは仏教文化ですが、鑑真はこの仏教分野において、日本に対し最も貢献しています。来日後、東大寺で聖武上皇以下400人に菩薩戒をを授けた鑑真が、その5年後に新田部親王の旧宅を譲り受け、戒律修行の道場としたことに始まります。当時は、唐律招提と名付けられた私寺でしたが、その後、8世紀に金堂が設けられるなど、鑑真没後に伽藍が整備されていきます。
 律宗の「律」は、釈尊の悟りに境地に到達する修行法「三学」で、仏道を修行する者が必ず修学すべき戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三つがありますが、律宗の「律」はこのうちの戒学、身(しん)口意(くい)の三業による一切の不善を禁制し、善を修する戒律に由来し、律蔵に相当します。定学とは、禅定を修めることで、心の散乱を防ぎ安静にするための方法を修すること。経蔵に相当します。慧学(えがく)とは、智慧を修めることで、煩悩の惑を破って、すべての事柄の真実の姿を見極めることで、論蔵に相当。これら三学の相互関係は、戒律を守ることによって禅定を得、禅定を得ることによって智慧を発し、智慧を発すことによって惑を破して仏道を証得する、という関係にあり、不要なものとして除くべきものは一つもありません。戒定慧の三学は不即不離であり、この三学の学修をとおしてこそ仏教は体現されます。
 鑑真が伝えた律宗は部派仏教の一派である法蔵部が伝持した「四分律」を重視する南山律宗で、以来、日本では仏教の実践においてもっとも重要なものとして継承されていきます。

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最終更新日  2012年09月19日 06時26分26秒
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