Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年09月21日
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カテゴリ: 夢有無有
仏教概要九(日本寺院の総本山)天台宗延暦寺
 京都の都の鬼門・北東に位置し、世界文化遺産にも選ばれているのが天台宗比叡山延暦寺で伝教大師・最澄がによって開かれたす天台宗本山です。その天台宗は、クチャ出身の僧・鳩摩羅什が漢訳した「法華経」を至上の教えとして隋の天台智者大師・智ギ(ちぎ、Zhi-yi)(538年~597年)が、法華玄義・法華文句・摩訶止観をあらわしたのを実質的な開祖とする大乗仏教の宗派です。龍樹を初祖とし、龍樹による大智度論と中論に依って「一心三観」の仏理を無師独悟したとされる慧文を第二、慧思を第三、智ギを第四祖とする場合もあります
 奈良時代に律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入ります。次いで、平安時代に伝教大師・最澄が延暦24年(805年)に唐に渡り天台山にのぼり、天台教学と戒律(菩薩戒)、更には帰り際には密教を授けられますが、空海とは異なり派遣僧の制約があり、翌年、僅か一年間の在唐で帰国し伝えたのが日本に於ける天台宗の始まりです。その後、密教・禅・戒律の教えを融合(四宗相承)させて日本独自の天台宗を成立させます。
 最澄は、皆平等に仏心を有し、すべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起きます。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名です。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇を設立し、大乗戒を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めました。当時は、大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは認められておらず、南都の学僧が反論したことは当然でしたが、当時の朝廷は奈良仏教の法相宗などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安時代の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあり、論争の末、最澄の没後に大乗戒壇の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派として確立します。
 また、入唐の際、最澄は密教を学んではいましたが、派遣僧の制約から期日的にも制約を受け不十分なものであり、後には、空海に密教の教えさえ請いますが、その後に破談、弟子の円仁等により本格的な密教が取り入れられて、以後天台宗の総合仏教としての教義が確立されます。この最澄と弟子たちの事績により、比叡山は平安時代の最高学府としての地位を確立します。平安末期以降は鎌倉仏教の開祖として登場する法然、栄西、道元、日蓮などは比叡山から輩出されます。

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最終更新日  2012年09月21日 07時12分11秒
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