Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年10月23日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」聖王以降の王達36 (列王記下)忍び寄るアッシリアの影
 ユダの王アザルヤの治世第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカルヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月間王位にあった。彼は先祖たちが行ったように主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。ヤベシュの子シャルムが謀反を起こし、民の前でゼカルヤを打ち殺し、代わって王となった。ゼカルヤの他の事績は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。主はかつてイエフに、「貴方の子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく」と告げられたが、そのとおりになった。ユダの王ウジヤの治世第三十九年に、ヤベシュの子シャルムが王となり、一か月間サマリアで王位にあった。ガディの子メナヘムは、ティルツァからサマリアに上って来て、そのサマリアでヤベシュの子シャルムを打ち殺し、代わって王となった。シャルムの他の事績、彼が起こした謀反のことは、イスラエルの王の歴代誌に記されている。そのとき、メナヘムはティフサとそのすべての住民、領地をティルツァから攻撃した。彼らが城門を開かなかったのでこれを討ち、そのすべての妊婦を切り裂いた。ユダの王アザルヤの治世第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を一生離れなかった。アッシリアの王プルがその地に攻めて来たとき、メナヘムは銀一千キカルをプルに貢いだ。それは彼の助けを得て自分の国を強化するためであった。メナヘムはアッシリアの王に銀を貢ぐため、イスラエルのすべての有力者に各人銀五十シェケルずつ出させた。アッシリアの王はこの地にとどまらずに引き揚げた。メナヘムの他の事績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。 メナヘムは先祖と共に眠りにつき、その子ペカフヤがメナヘムに代わって王となった。ユダの王アザルヤの治世第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。彼の侍従、レマルヤの子ペカが謀反を起こし、サマリアの宮殿の城郭で、五十人のギレアド人と組んで、アルゴブおよびアルイエと共にペカフヤを打ち殺した。こうしてペカが代わって王となった。ペカフヤの他の事績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。ユダの王アザルヤの治世第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、およびナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った。エラの子ホシェアはレマルヤの子ペカに対して謀反を起こし、彼を打ち殺し、代わって王位についた。それはウジヤの子ヨタムの治世第二十年のことであった。ペカの他の事績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王の歴代誌に記されている。イスラエルの王、レマルヤの子ペカの治世第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。彼は二十五歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった。彼は、父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。ただ聖なる高台は取り除かず、民は依然としてその聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた。彼はまた主の神殿の上の門を建てた。ヨタムの他の事績、彼の行った事は、ユダの王の歴代誌に記されている。そのころから、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに差し向け、これを攻めさせられた。ヨタムは先祖と共に眠りにつき、父祖ダビデの町に先祖と共に葬られた。その子アハズがヨタムに代わって王となった。レマルヤの子ペカの治世第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王位に就きます。
 旧約聖書はアッシリアについて著述された文献のうち、後代まで継続して受け継がれた数少ない文献の一つです。旧約聖書の中ではアッシリアは主なる神が送られた外敵として描かれます。取り分け列王記の中の記述では、アッシリアがイスラエルに攻め込んだ模様、そしてイスラエル王国やユダ王国がそれにどのように対応したかが、主の預言を通して宗教的修飾を伴うものの詳しく叙述されています。始めてアッシリアの王プル王(ティグラト・ピレセル三世)がイスラエルに侵攻して以来、イスラエルとユダの王が時に貢物を贈って災禍を免れたことや、アッシリア統治下でイスラエル人達が各地に強制移住させられたこと、そして元の土地には入れ替わりにバビロニアなど各地の人間が入植させられたことが記述されている。アッシリアは帝国を維持するために各種の方策を講じますが、最も有名なものの一つが大量捕囚政策としてしられる被征服民の強制移住である。強制移住自体はオリエント世界に広く見られた手段ですが、アッシリアのそれはその組織性と規模において史上例を見ないものでした。特にティグラト・ピレセル三世の治世以降は、急激に拡大した領土での反乱防止と職人の確保を目的としてたびたび行われました。旧約聖書のアッシリア観は近現代の研究者達にも多大な影響を与えましたが、現在、アッシリア学の進歩に伴って旧約聖書的理解はもはや一般的ではなくなりました。それでも旧約聖書が極めて重要な史料であることに関しては疑いを入れる余地はない。またアッシリア王の名前は旧約聖書のヘブライ語表記に基づいたものが広く普及しています。

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最終更新日  2012年10月23日 06時41分59秒
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