Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2013年02月07日
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カテゴリ: 夢有無有
はじめに神は(一)時制と神
 旧約聖書は「第1章1:1はじめに神は/天と地とを創造された。」創世記第1章第一節第一項から、突然に神の世界創造が唄われています。凡そ多くの人がこの天地創造の由来を単純に読んだら、天地の始まり以前に、神の存在があることを理解されるでしょう。創世記の著者(確定的ではないもののモーセ)は、世界を地球及び可視出来得る世界をイメージしていた筈ですから、此処には大宇宙論は馴染めません。それ故、神が内宇宙存在として大宇宙の霊的存在であったとしても矛盾は生まれません。また、「はじめに」という言葉の背景には、既に、時制が侵入していることにも注目する必要があります。このことは、宇宙論的にみれば、空間及び時制無しのビッグバンの核には物体もエネルギーも運動さえも存在出来得ずBUNGEを起こす起爆剤・触媒としての絶対存在及び絶対意志の存在を予定してはおりません。為に「はじめに」という言葉には神が内宇宙存在として大宇宙の霊的存在としては認められるものの、そこには二つの永遠の存在があると考えられます。一つは無限の持続であり、不朽の時間的偏在です。片方は数学的な捉え方、数学的真理を永遠の真理と表現する無時間的な永遠。過去・現在・未来と云った分節がない無時間・超時間性が著わされてはいません。一応、旧約・新約・イスラムの教えは無時間・超時間の永遠、言い換えれば、世界時間の垂直的な姿を「神」に、水平的に流れる時間線、いわば時間的無限を世界に帰して両者を区別していますが、それを数学的真理を基本に絶対的な過去・現在・未来と云った分節を超えた永遠の瞬間と捉えれば、永遠の真理(絶対存在・神)の相貌が浮かび上がってきます。ところが、著者は神を霊的存在としての人格神と捉えているため「神」に、水平的に流れる時間線、いわば時間的無限を与えています。また「神は」は、神を霊的存在としての人格神と捉えています。言い換えれば、世界存在外のロダンの「考える人」的存在、何しろ、人間が神に似せて創造されたのなら、此れを認めないわけにはいかないでしょう。しかし、絶対「有」として神を観想するならば、存在以前ににあって、宇宙の存在そのものと不可分なもの、あらゆる事象の根拠となって、しかもその事象のうちに顕現しているものと捉えるべきでしょう。この神の属性は理念的には必然性をあらわし、存在性格としては永遠性という形をとる。だから我々が神について想念するとき、我々は永遠の相の下に世界を見ることになります。ところで、普通我々は、永遠を時間と関連付けて考える。一つには始めも終わりもない無限の時間といったものがある。それは過去、現在、未来からなる線的な時間の流れを前後に無限に引き延ばしたものといえる。反対にこうした時間の流れを超越した無時間的なものを永遠と考えることもあるが、これも時制が入り込み、時間に関連付けて永遠を定義していることには変わりはない。

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最終更新日  2013年02月07日 06時39分13秒
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