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  ★ ヴィットリア・モンガルディ ( Vittoria Mongardi

1926年2月26日~1975年11月26日ボローニャ生・没、歌手、女優、モデル。

彼女は1940年若くしてリア・アルディ(Ria Gardi)の芸名で女優とモデルの仕事を始めます。

48年テディー・レーノ(TEDDY RENO)と同じくトリエステで進駐軍のショーの仕事をし48年グイド・チェルゴーリ(GUIDO CERGOLI)のトリエステ・ラジオの番組で歌手デビューをしました。

1950年カルロ・ブーティ(CARLO BUTI)が歌った"SAPEVI DI MENTIRE"をカヴァーし初ヒットとなりました。56年チェトラからミーナがデビューする前のイタルディスク(ITALDISC)に移籍、61年スポーツ・ジャーナリストのピエロ・フィリッピーニと結婚しました。サンレモ音楽祭は第4回4曲を歌ったのみです。

国内盤は発売されていません。

フランコ・リッチ (Franco Ricci)

本名サルヴァトーレ・セバスチャン(Salvatore Sebastiano)、1916年2月18日~1997年3月18日ナポリ生・没、歌手、俳優。

幼い頃から力強いソフトで美しいテノールの声が評判で、ディミトリ・ミトロプーロスから早々と明るい将来を予測され、サン・ カルロ劇場でコンサートとオペラのキャリアが始まります。 彼の父チロは家族のために家業の工場を継いで欲しくて、当初歌手になる事に反対していました。彼の母親メアリーに援助され、ナポリのサン・ピエトロ・マジェッラ音楽院に入り、1940年リリコの声楽家として卒業しました。

 しかし第二次世界大戦中は軍隊に召集され、戦時高揚ショーに出演し本来の歌手活動が出来ませんでした。1945年終戦となり、彼は経済的理由からオペラを諦めフランコ・リッチという芸名で軽音楽を歌うようになります。グロリア劇場のヴィンチェンツォ・アカンポーラ楽団(Vincenzo Acampora)に入り大変な成功をします。そのおかげでアメリゴ・エスポジートのレコード会社のフォノ・エレクトリコ(Phonoelectro)・レーベルでレコードを出し、ラジオ・ナポリで歌えるようになりました。

 1952年第1回ナポリ音楽祭でニラ・ピッツィをパートナーに"太陽が欲しい(DESIDERIO 'E SOLE)"で優勝、"ナポリ人の手紙(LETTERA NAPULITANA)"、"ナポリの鐘('E CCAMPANE NAPULITANE)"を入賞させた初代ナポリの王者なのです。

 54年ナポリの「爆笑王子」トト(TOTO')ことイタリア世紀の喜劇王アントニオ・デ・クルティス(ANTONIO DE CURTIS)の要請で、フランコ・リッチがナポリの歌手を避けてきたサンレモ音楽祭に1曲だけ、たった一度の出場できました。トトはこの年9位になった"君と共に(CON TE)"を作詩作曲し出品もしています。フランコ・リッチはこの年の第2回ナポリ音楽祭では"三羽の小つばめ(TRE RUNDINELLE)"が第2位、"閉ざされたバルコニ-(BALCONE CHIUSO)"、"二つの涙(DOIE LACREME)"が入賞しています。

その後、映画出演もし歌手を続けますが、1980年代に入り音楽コンサルタントとなり歌手を引退しました。

フランコ・リッチの国内盤はこのサンレモの曲、1曲だけしか出ていません。

GXF-  81~90 (1979年 2月5日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)

1-10. 舟は一艘で戻る (...E LA BARCA TORNO' SOLA)

          GXF-  81~90GXF-  81~90a

ナタリーノ・オット (Natalino Otto)

本名ナターレ・コドニョット(Natale Codognotto)、1912年12月25日~1969年10月4日ミラノ生・没。歌手、レコード・プロデューサー、イタリア・ジャズ・ヴォーカルでスイングの創始者。

 最初の音楽活動は戦後ジャズ・ヴォーカルのジョー・センティエリ(JOE SENTIERI)やジェノヴァ派自作自演歌手が排出される港町ジェノヴァでした。その後、ジャズの修行のため、大西洋航路で不自由しながらも北米大陸に渡り、35年ニューヨークのイタリア系ラジオ局で働きました。

37年イタリアにもどります。日本と同様アメリカ色の強い歌は禁止となり、ユーラ・デ・パルマ(JULA DE PALMA)も歌っている"ミスター・パガニーニ(MISTER PAGANINI (IF YOU CAN'T SWING IT))"は"MAESTRO PAGANINI"の題に変えざるえず、彼の活動は制限されていきました。

終戦後、アメリカ進駐軍が来ると、ジャズ・ヴォーカルの彼の仕事は忙しくなり、「スウィングの王さま」と呼ばれます。サンレモ音楽祭には第4回4曲、第5回4曲、第7回5曲、第8回3曲、第9回3曲歌い、50年代を代表する歌手の一人となりました。彼は55年フロー・サンドンス(FLO SANDON'S)と結婚しました。

60年代に入ると自分のレコード会社テレ・レコード(TELERECORD)を興しプロデューサーの仕事が中心となります。彼は多作な人で2000曲ほど録音しています。彼の最大の功績はクレモナでミーナを発掘したことでしょう。

ナタリーノ・オットの国内盤はGXF-  31~5"カンツォ-ネの歴史"の非売品特典盤と準国内盤(輸入盤に日本のレコード番号やタイトルをつけ、帯や解説の付属品を装備した盤)のみです。

GXF-  31~5GXF-  31~5aQ-41Q-41

Q-41 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング)  カンツォ-ネの歴史 非売品 特典盤 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)

5.雨にやむ恋 (NON SI FA L'AMORE QUANDO PIOVE)
※全曲ご覧になりたい方は私のブログ「 サンレモの歌手たち 3 オスカー・カルボーニ、ジーノ・ラティルラ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/7732932.html )」をご覧ください。

KIL-1002(MED・BAR- 002) (CD 2006年MEDIANE - キング・インタ-ナショナル (MEDIANE,Italy)) バー・ローマ (BAR ROMA)

2.僕だって婚約者がほしいよ!母さん (MAMMA VOGLIO ANCHE'IO LA FIDANZATA)

KIL-1002(MED・BAR- 002)KIL-1002






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Last updated  2013.03.24 21:13:30
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