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真弓定夫先生との出会い、そして内山葉子先生のご紹介『子ども達に贈る12章』を全12回にわたってご紹介してまいりました。今回は、私が真弓定夫先生を知るきっかけとなった一冊と、その流れの中で出会った内山葉子先生の書籍をご紹介したいと思います。鎌倉温泉で手にした一冊私が初めて真弓定夫先生のことを知ったのは、宮城県蔵王町にある鎌倉温泉に泊まりに行った時のことでした。何年前だったかは記憶があいまいですが、お部屋に小さな本棚があり、その中の一冊に何気なく手を伸ばしたのがきっかけです。その本のタイトルは『子どもは病気を食べている』。タイトルを見た瞬間、心がざわつきました。普段、調剤薬局で患者さんに薬をお渡しする仕事をしている私ですが、薬物治療そのものよりも「いかにして健康を築くか」のほうにずっと関心がありました。だからこそ、このタイトルが妙に引っかかったのです。ページをめくるうちに、心に響く言葉が次々と現れてきました。子どもの不調は薬で抑え込むものではなく、日々口にするものや生活環境を見つめ直すことで防げる――。そう静かに語りかけてくる本でした。真弓先生はすでにこの世を去られていた「この本を書かれたお医者さんは、いったいどんな方なのだろう」そう思って調べてみると、真弓先生はその少し前にお亡くなりになっていたのです。お会いすることが叶わなかったことが、今も胸に残っています。真弓先生のように、自然治癒力や生活習慣の側から病気の成り立ちを語ってくださる医師は、なかなかいらっしゃいません。新潟大学の安保徹先生もそうした稀有なお医者さんのおひとりでした。安保先生はかつて、こんな言葉を残されています。「お医者さんの仕事は、病名というラベル貼りだ」病名をつけて薬を出す。それが今の医療の主流です。しかし真弓先生も安保先生も、その先にあるもの――なぜその病気が生じたのか、どうすれば防げるのか――に眼を向け続けた方々でした。真弓先生のドキュメンタリー映画 『蘇れ 生命の力~小児科医 真弓定夫~』【セット割引20%OFF】美健ガイド社 マンガ冊子まるごとセット全64冊 真弓定夫先生監修内山葉子先生の書籍と出会う楽天で真弓先生の書籍を検索しているうちに、もうひとり、共鳴できる医師の存在を知ることができました。葉子クリニック院長・内山葉子先生です。内山先生の『子どもの病気は未然に防ぐ 今からできる!食と習慣』。タイトルそのものに、真弓先生と同じまなざしを感じます。「治療」ではなく「未然に防ぐ」。「薬」ではなく「食と習慣」。内山先生は西洋医学を学ばれたうえで、漢方や機能性食品などの自然医療を取り入れた「全人的な医療」を実践されている方です。免疫力を整える食事、季節に合った食べ方、妊娠中に気をつけたいこと、環境毒との向き合い方――真弓先生が『子ども達に贈る12章』で語られた内容と、驚くほど重なる部分があります。楽天では真弓先生の『子ども達に贈る12章』は手に入りませんが、内山先生の書籍は購入することができます。真弓先生の教えに共感された方には、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。子どもの病気は未然に防ぐ 今からできる!食と習慣 [ 内山 葉子 ]治療思考から予防思考へ薬物治療には、どうしても限界があります。一方で、自然治癒力を引き出す生き方には、それぞれの個性に応じた可能性が広がっています。両者は単純に比べられるものではありませんが、私はこれを「治療思考」と「予防思考」の違いと捉えています。私は治療よりも予防に関心のある薬剤師です。しかし現在の医療は出来高払い制度のもとで動いており、「何もしない」という選択肢はほとんど用意されていません。自分で治せるはずの不調にすら、薬があてがわれてしまうのが現状です。真弓先生の書籍、内山先生の書籍。どちらも、その流れに静かに「待った」をかけてくれる本だと感じます。脱薬薬剤師より真弓先生にお会いすることはもう叶いません。けれども、書籍を通してその教えに触れ、また内山先生のような志を同じくする医師の本に出会えたことは、私にとって大きな励みになっています。一日も早く、予防が当たり前になる日を願って。 そして、薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。本記事でご紹介した書籍楽天で購入できる書籍子どもの病気は未然に防ぐ 今からできる!食と習慣 [ 内山 葉子 ]楽天では取り扱いのない書籍真弓定夫『子どもは病気を食べている』真弓定夫『子ども達に贈る12章』※真弓先生の書籍は、図書館や古書店などでお探しください。
2026.04.26
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脱薬薬剤師がおすすめする「命の塩」―沖縄宮城島のぬちまーす『子ども達に贈る12章』の連載を終え、これからは真弓定夫先生の教えを日々の暮らしに活かすために、私が長年使ってきた商品をひとつずつご紹介していきたいと思います。第1回は「塩」です。なぜ最初に塩なのか。それは、塩は生命体の維持に欠かせないものであり、しかも終戦後の日本で最も大きく姿を変えられてしまった食品のひとつだからです。今日ご紹介するのは、沖縄県宮城島(みやぎじま)で作られている「ぬちまーす」という塩。私自身、20年近く使い続けている命の塩です。ぬちまーすとの出会い―かんてんぱぱの店長さんから私がぬちまーすの存在を知ったのは、いまから20年近く前のことです。当時、私は実家で薬屋を営んでいました。ある日、どこの団体だったかははっきり覚えていないのですが、「お店で健康イベントをやりませんか」と声をかけられました。日取りを決め、当日になると数名の方がお見えになりました。その中に栄養士さん、そしてかんてんぱぱの仙台市泉区にあるショップの店長さんがいらっしゃいました。店長さんは、かんてんぱぱで取り扱っている糸寒天をお持ちになり、その場でお味噌汁に入れて配ってくださいました。私はここぞとばかりに、マイキュレーターという微小循環観察機を使って、来店された方の毛細血管の状態を一緒に観察しました。実家が観光地ということもあり、地元の方より遠方から来られた方のほうが多かったように記憶しています。微小循環の状態が良い方にはそのまま維持していただきたいと思いましたが、中にはこのままだと先行きが心配な方もいらっしゃいました。イベントが終わったあと、かんてんぱぱの店長さんとお話しする時間がありました。そこで、お味噌汁に入れていた糸寒天と、かんてんぱぱで扱っているそば茶をいただきました。そのそば茶は中国産だそうですが、「かんてんぱぱが取り扱っているのだから間違いない」とお客様から信頼を得ているとのこと。実際とても美味しいお茶でした。そして、そのありがたい食品とともに、もうひとつ手渡されたものがあります。「命の塩 ぬちまーす」と書かれた小冊子でした。私がぬちまーすを知ったのは、この時が初めてだったと思います。その時に味見をさせていただいたかどうかは記憶が定かではありませんが、いただいた小冊子だけは今も手元に残っています。真弓定夫先生も警鐘を鳴らした「塩」の問題ここで、12章を読んでくださった皆様にお伝えしたいことがあります。私の手元には、ぬちまーすの本体3本と並べて大切に保管している一冊の本があります。タイトルは『塩が泣いている』。表紙には、桝の中で涙を流す塩のキャラクターが描かれています。そしてこの本の監修者は、なんと**『子ども達に贈る12章』の著者・真弓定夫先生**なのです。ぬちまーすという特定の商品とは関係なく、真弓先生は「塩そのもの」に強い問題意識を持っておられました。終戦後に日本人の食卓から本物の塩が失われ、ミネラルを抜き取られた精製塩が国民の健康を蝕んできた――この事実に医師として警鐘を鳴らされたのが『塩が泣いている』という本です。第8章「食物とは何か」で先生が説かれた「腐るものを腐る前に食べる」「年間1500種類のクスリを食べものから口にしている」という警告。その文脈において、毎日口にする調味料である塩こそが、もっと早くから見直されるべきだったのではないでしょうか。なぜ普通の塩ではいけないのか―塩の暗黒時代ここで少し、塩の歴史を振り返らせてください。日本ではかつて、海藻を焼いた灰を海水に入れて濃い塩水を作り、それを煮詰めて塩を取る「せんごう」という製塩法が行われていました。江戸時代になると、砂浜に海水を引き入れて天日で乾燥させる「入り浜式塩田」という日本独特の製法も発達します。これらの昔ながらの製塩法では、ミネラルを完全に取り除くことは不可能でした。だからこそ、塩の中にミネラルが「不純物」として少量残っていたのです。そして、その残っていたミネラルこそが、日本人の健康を支えていました。ところが昭和47年(1972年)、塩を取り巻く環境は大きく変わります。イオン交換膜による製塩法が大々的に採用され、それまでの伝統的な製塩法は廃止されました。なぜか。塩には工業原料としての需要が急増していたからです。ティッシュペーパー、アルミホイル、新聞、接着剤、CD、鏡、合成ゴム、電車のレール――私たちの身の回りのありとあらゆる工業製品に、塩が使われています。現在では、生産される塩の70%以上が工業用です。工業用としては、ミネラルが「不純物」として混じっていると製品の品質に支障が出るため、純度の高い塩化ナトリウムが求められたのです。問題は、その工業用と同じ「塩化ナトリウム純度99.5%」の塩が、家庭用の食塩としても国民に売られ続けたことです。1967年から1997年までの30年間、日本人はミネラルを徹底的に取り除いた塩を毎日口にし続けたのです。「塩は血圧に悪い」と言われるようになったのは、まさにこの時期からです。塩そのものが悪いのではありません。ミネラルを抜き取られた精製塩が悪かったのです。ミネラル不足が招く現代型栄養失調私は薬剤師として薬屋にいた頃、総合ミネラル剤を取り扱っていました。お客様の体調の変化を間近で見るうち、ミネラルというものの重要性を体感していきました。一昔前の栄養失調は、ビタミンCが欠乏して壊血病、ビタミンB1が欠乏して脚気、というように、単一の栄養素の欠乏が原因でした。ところが現代の栄養失調は違います。複数のビタミンやミネラルが同時に欠乏する「複合型」「新型栄養失調」が主流なのです。人間に必要とされるミネラルは多数ありますが、その代表的な働きを少し挙げてみましょう。骨や歯をつくる:カルシウム、リン、マグネシウム体液の浸透圧を調整する:ナトリウム、カリウム神経や筋肉の働きを支える:カルシウム、ナトリウム、カリウム酵素やホルモンの成分:マグネシウム、鉄、銅、ヨウ素、マンガン、コバルトそして特に重要なのが、活性酸素を無毒化するために必須となる鉄・亜鉛・銅・マンガンの4つのミネラルです。これらが不足すると、SOD(スーパーオキシドジスムターゼ)という酵素を体内で作れなくなり、動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞、がん、糖尿病、アトピー性皮膚炎、関節リウマチ、アルツハイマー型認知症など、活性酸素が関与するさまざまな疾患のリスクが高まります。これらのミネラルを、現代の食生活でバランスよく摂取することは、ほとんど不可能と言われています。しかし、たった一つだけ、これらをバランスよく含んでいる存在があります。それが「海水」です。ぬちまーすには、その海水のミネラルが21種類もそのまま閉じ込められています。これは「ミネラル含有種類世界一」としてギネス認定されているほどの含有量です。ミネラルは「大工道具」である栄養を考えるときに、私がいつも参考にさせていただいているのが、中戸川貢先生の分かりやすい例えです。私たちが毎日とっている栄養素を、家を建てる現場に例えてみると――炭水化物・タンパク質・脂肪は「材料」。木材や石材といった、家を建てるための素材そのものです。酵素は「大工さん」。材料を組み立てて、形にしていく職人です。そして、ビタミンとミネラルは「大工道具」。のこぎり、鉋、ドリルといった道具がなければ、どれだけ良い材料があっても、どれだけ腕の良い大工さんがいても、家は建ちません。現代日本人の食卓を見ると、「材料(三大栄養素)」は十分に足りています。むしろ過剰なくらいです。けれど「大工道具(ミネラル)」が圧倒的に不足している。だから材料があっても身体がうまくつくられず、不調や病気を招いてしまうのです。ぬちまーすが「命の塩」と呼ばれる理由は、まさにこの「大工道具」を一度に補給できる希少な調味料だからです。沖縄県宮城島の海水を、「常温瞬間空中結晶製塩法」という特許技術で結晶化させ、海水中のミネラルをそのまま塩の中に閉じ込めることに成功しています。しかも一般的な食塩と比べて塩分は約25%も低いという特徴もあります。「塩分のとりすぎ」が気になる方にも、安心して使っていただけるお塩なのです。高くても、健康への投資として使い続けたいぬちまーすをどこで買い始めたのかは、はっきりとは覚えていません。でも、いちばん多く購入したのは楽天市場です。スーパーに行っても、ぬちまーすはなかなか置いていません。ぬちまーすほどではありませんが、雪塩などミネラル豊富な塩なら売られていることはあります。それでも種類は限られています。ぬちまーすは、正直に言って高い塩です。スーパーの食塩と比べたら何倍もします。しかし考えてみてください。総合ミネラル剤として売られているサプリメントは、もっと高価です。それを毎日飲み続けるのと、毎日の料理に使う塩をぬちまーすに替えるのと、どちらが続けやすく、どちらが自然でしょうか。ヒポクラテスの言葉が思い出されます。「食で治せない病気は医もこれを治せない」。第2章でご紹介した「家庭の台所こそが薬局である」という真弓先生のあの教えとも、深くつながってきます。健康への投資、という言葉があります。私はぬちまーすへの出費を、薬代や医療費を将来減らすための投資だと考えています。同じ「塩」という名前で売られていても、中身はまったく違うもの。だからこそ、毎日口にするものくらいは、本当に身体が喜ぶものを選びたいのです。脱薬薬剤師より20年近く前、かんてんぱぱの店長さんからいただいた一冊の小冊子が、私とぬちまーすとの長いお付き合いの始まりでした。当時はまだ、ミネラルというものの本当の大切さを、私自身も完全には理解していなかったかもしれません。しかし薬剤師として何千人もの患者さんと接してきた今、はっきり言えることがあります。薬で症状を抑えることはできても、身体そのものをつくり替えることはできません。 身体をつくるのは、毎日の食事であり、その食事に使われる調味料です。中でも「塩」は、毎日必ず口にする最も身近な調味料。だからこそ、ここを変えることが、健康づくりの最も確実な第一歩になるのです。真弓先生が監修された『塩が泣いている』というタイトルには、深い意味が込められています。本来、命を支えるはずの塩が、ミネラルを奪われ、工業製品の副産物のような存在に成り下がってしまった――そのことを塩自身が泣いている、というメッセージです。子どもたちの未来のために、今日から塩を見直してみませんか。 台所の塩を、命の塩に。楽天市場で購入できるぬちまーすぬちまーす 塩 250g×3袋セット 沖縄の海塩 ぬちマース メール便 送料無料 熱中症対策 むくまない塩ぬちまーす クッキングボトル 150g×3本 /沖縄の塩 お土産【LP】※ぬちまーすはマグネシウムを多く含むため吸湿性が高く、固まることがあります。これはミネラルが豊富である証拠です。気になる方は顆粒タイプ(ぬちまーすK)をお選びください。【食育シリーズ 塩が泣いている【美健ガイド社のマンガ】現代人を救う 塩健康革命【電子書籍】[ 高安正勝 ]塩の真実 ルネ・カントン博士が教えてくれた最強の健康回復法 [ 工藤清敏 ]スープ用糸寒天 15g【メール便送料無料】韃靼(だったん)そば茶 2袋 かんてんぱぱ韃靼そば茶ken次回は、ぬちまーすと並んで私が長く愛用している、かんてんぱぱの商品をご紹介したいと思います。治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。 子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.23
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『子ども達に贈る12章』第12章―「死」とは何か真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、いよいよ最終章となる第12章をご紹介します。※本章で真弓先生は、「生老病死」ではなく「生老病生」と記し、「死」という言葉をあえて使わず、すべてを「生」と表現しています。原書では傍点の数(・ひとつ=死を意味する「生」、・ふたつ=生きることを意味する「生」)で区別されています。本記事では、生(いのち)=生きる意味の「生」、生(し)=死を意味する「生」と括弧で表記します。生命は繋がっており、絶たれることはない死について語り合う時、生命に関する考え方は大きくふたつに分かれます。ひとつは、生命は死によって絶たれ、自然に還ることでおえるという考え方。もうひとつは、生命は繋がっており、死によって形は失われても生命が絶たれることはないという考え方です。前者は科学者に多く、後者は宗教家に多く見られます。真弓先生は医者という科学者の立場にありながら、後者にきわめて近い考え方を持っています。「見えないものが見えるものをつくり出す」――これはアインシュタインの言葉です。眼に見えないものは、現代社会に生きる人間の視野からはずれたものとも言いかえられます。それらを「存在しない」と決めつけるのは、ある意味では非科学的とも言えるのではないか、と先生は問いかけます。臨死体験により、見えない世界を重視する最近話題に上がることが多くなった臨死体験や霊魂といった問題も、眼に見えない世界、つまり現代人の視野からはずれた世界に属するものです。真弓先生がこうした問題を身近に感じるようになったのは、中学校時代の体験がきっかけでした。柔道の授業中、先生の締め技でいわゆる「落ちた」状態になった時のこと。気がつくと、武道場の天井近くの空間から、床に横たわった自分自身の身体をぼんやりと眺め下ろしていたといいます。密閉されていた武道場の壁は一切取り払われ、三百六十度にわたって見渡される天空の間にありました。映画と同じように、ものが見え、人の声や物音が聞こえている。しかし肉体を通じて感じていたわけではない。すべての感覚を持って眼下の光景を認識していたのは、空中に浮かんでいる自分自身の意識だった――。やがて活が入れられ、するっと肉体に戻ったそうです。肉体を離れた時に感じた心地よさ、至福の状態は何だったのか。同じことは多くの臨死体験者が語っているところでもあります。この体験によって、先生は見えない世界をいっそう重視するようになり、それは医者になってからも「気を重視する」という形でしっかりと根づいているのです。相田みつをと北山耕平の言葉生命が見えるものと見えないもので繋がっていることを考慮した場合、生命には「生老病死」というものはなく、「生老病生(し)」であると真弓先生は考えています。生(いのち)は見えるものの誕生、生(し)は見えないものの誕生です。宮沢賢治は「生命はひとつの見えるものと見えないものの多重構造によって構成されている」と表現しています。いま、私どもはそれぞれの生(いのち)を生きています。現生(いのち)の生をおえて、見えない生(し)をおえた後の次の生(いのち)は、数知れない多重構造の中から、たったひとつが選ばれるのです。とすれば、それがどんな生になるのかは、現在の生(いのち)をいかに有意義に送るかに関わっているのではないでしょうか。どんな人生を送るかは、ひとりひとりがそれぞれにもっとも合ったものを自分自身で選択すればよいのです。現在八十歳の真弓先生が歩んできた人生の基本は、結果的には次の相田みつをの言葉にもっともよく表わされているといいます。「生まれた時(生(いのち))はまるはだか、死ぬ時(生(し))はそれさえ捨ててゆく」もっともよい生(いのち)は、生(し)を迎えた時に見えるものを無にしておくことではないか、と先生は考えています。ところが、生(し)を迎えた時に無であるのは、実はかなりむずかしいことです。そうなるために先生が心しているのは、北山耕平さんの次の言葉です。これは金銭についてのものですが、すべての物質的なものについて当てはまると先生は考えています。「正しいことをしていれば、金は必ず入ってくる。正しいことをしていれば、それはすべて失われる」生と死を同じように考え、今を大切に生きる横道にそれますが、ここで見えるもの、見えないものの境界にあるものとして「脳死」「植物人間」について考えてみたい、と先生は言います。不幸にして、自分と繋がりのある人が植物人間になってしまった場合、多くの人々はその人は意識がなくなって、まわりのことは見えなくなっていると考えています。しかし先生の小さな臨死体験から考えてみても、意識のないその人はまわりの人と同じように見えている、むしろ意識のあるまわりの人々以上に見えているのではないでしょうか。そうした人に接する時には、意識のないその人が周囲の人以上に見えていることを認識することが、まわりの人、家族や医療従事者に望まれるのです。そして自分の愛する人が生(し)を迎えた時、残された私どもはどのように対応するのが望ましいのでしょうか。平成18年7月13日、真弓先生は50年以上にわたって生活をともにしてきた妻・斐子さんを失いました。その後、欠かすことなく仏壇に花を飾り、ごはんと日本酒を捧げ、般若心経を唱えているといいます。実は次の荘子のような心境になりたいものと考えてはいるが、凡愚の悲しさ、なかなかなれない。あるいは、先生自身が生(し)を迎えるまでなれないのかもしれない、と。荘子の妻が死んだ時のことです。友人の恵子が弔問に訪れると、荘子は両足を投げ出して盆を叩きながら歌っていました。恵子が「一緒に暮らして子を育てあげた妻が死んだのに、泣きもしないどころか盆を叩いて歌うとはあんまりではないか」と言うと、荘子はこう答えました。「始め死んだ時はわしも身にこたえた。しかしそもそもを考えてみれば、本来、生はなかった。形もなく、気もなかった。何ともいえないものの中に混ざっていたものが変じて気ができ、気が変じて形ができ、形が変じて生ができた。それがまた変じて死になったのであって、春夏秋冬四時の移り変わりと同じことだ。妻は安らかに天地の間に寝ている。わたしがやかましく嘆き悲しむのはどうも命の道理に通ぜぬことだと思って、やめたのだ」(荘子外篇至楽)生死一如と言います。永遠に繋がっている見えない生(し)の合間に時折訪れる生(いのち)を、いかに楽しく、明るく、有意義なものにするか。そしてそれを自分をめぐるまわりの森羅万象に及ぼしていくかが、生(いのち)の者から生(し)の者へ向けての勤めではないでしょうか。逆に、最近触れる機会が多くなった「千の風になって」(作者未詳)は、生(し)の者から生(いのち)の者へのメッセージといえるのではないか、と先生は語ります。いま、私どもは現世で生(いのち)を送っています。やがて必ず生(し)が訪れます。生(いのち)と生(し)を同じように大切にして生きることをつねづね心がけておくべきであると、先生は考えています。老子の言うような生(いのち)の者と、千の風になった生(し)の者があいまって、「永遠の生命」が形づくられていくのではないでしょうか。脱薬薬剤師より全12章にわたってご紹介してきた真弓定夫先生の『子ども達に贈る12章』。最終章のテーマは「死」でした。しかし真弓先生は、この章で「死」という言葉をあえて使わず、すべてを「生」と表現しました。「生老病死」ではなく「生老病生」。死もまた、見えない世界への誕生である――。その深い哲学に、胸を打たれます。この12章を通して一貫しているのは、「見えないものこそ大切にすべきだ」という真弓先生のまなざしです。医療の本質、病気の意味、生命の尊さ、自然との共生、食の原点、家族の絆、愛の力……そしてこの最終章で、生と死さえも繋がっているのだと先生は教えてくれました。薬剤師として日々感じるのは、薬で治せるのは目に見える症状だけだということです。しかし人の健康を本当に支えているのは、目に見えない部分――心の持ち方、生活環境、家族の愛、そして生命に対する畏敬の念――ではないでしょうか。真弓先生の言葉を胸に、これからも「治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を」という信念を伝え続けていきたいと思います。全12章のご紹介はこれで終わりますが、次回からは、真弓先生の教えを日々の暮らしに活かすための具体的なご提案をしていきたいと思います。楽天で手に入る、健康な毎日を送るために役立つ商品もご紹介してまいります。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.22
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『子ども達に贈る12章』第11章―「愛」とは何か真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、今回は第11章をご紹介します。**無私の気持ちで子どもと接する**ひととして生きていく上で、日常生活すべてについて日本の気候風土に合った環境をつくり上げていかなければならないのは当然のことです。しかしそれ以上に気を配らなければならないのは、心の問題です。育児においてもっとも大切なのは、親と子の間にかけられる愛のかけ橋だと真弓先生は説きます。すべてのひとと接する上で言えることですが、とくに親として、子どもに対しての無私の気持ちを持ち続けていなければならない。子どもに何らかの報いを求める心が生ずると、愛のかけ橋はゆらぎ、虹もその美しい姿を消してしまう、と。逆に無私の心を持ち続けて子どもに接していれば、子どもの方もそれを察知して、有形であれ無形であれ、必ず親に愛のよろこびをもたらしてくれるものだと先生は確信しています。次に大切なのは、常に子どもと同じ眼の高さで接することです。「眼通し、鼻通し、肩通し」という言葉があります。対等な立場にある者には眼を見て、目上の人には鼻を見て、雲上の人には肩を見て話すとよい、ということです。人間として親子は常に対等であるべきですから、いつも同じ眼の高さで愛のまなざしを送り続けていかなければならない、と先生は言います。親子間に何か問題が生じた時には、親のほうが自らをふりかえって、それぞれの子どもたちと同じ年齢の時には自分がどうしていたかを謙虚に思い返した上で対応してほしい。こうした姿勢がとれることは、親としての大切な資質であり、子どもが小さい時から眼通り適わぬ親子になっていただきたくない――先生はそう願っています。**覚他の精神をふまえ、愛のまなざしを送る**こうした親子の愛情や交流は、受胎した時から始まります。子どもたちに胎児期・乳幼児期のうちから限りない愛情を注ぎ続けてこられたすばらしい医師がいます。三宅廉さんです。三宅さんは1951年10月24日、47歳の時に京都府立医大小児科教授の要職を放擲し、神戸市生田区の原っぱの一隅に、日本で初めて小児科と産婦人科を一致させた周産期教育病院「パルモア病院」を創設しました。他者の気持ちを察知することを根底として、ひたすら新生児と産婦のための医療に献身された方です。愛を考える時、もっとも大切なことは、いつも自分のことばかりではなく、他者への思いやりや心配りを欠かさないこと。そのことを、真弓先生が子どもの頃には「覚他の精神」として徹底的に教えこまれたといいます。たとえばお産の重要さ、大変さは誰しも理解できるでしょう。しかし、その労苦の対象として、ともすれば産婦のほうにばかり眼が向けられていて、新生児のほうがあまりにも軽視されてはいないでしょうか。産みの苦しみを訴えることができる産婦にくらべて、生まれる苦しみを訴えるすべを持たない新生児のほうは、どうしても顧みられることが少ないと言えます。これは「赤ちゃんを産んだ」という出産に対するわが国の一般的な表現にも表れています。日本以外の多くの国では「赤ちゃんが生まれた」と、新生児に主体性を持たせて表現することが多いのです。考えてもみてください。胎内では子宮の中で羊水に包まれ、暗い液体の中で過ごしてきた胎児が、明るい気体の世界に出た時の著しい環境の変化。それ以前に、狭い産道をくぐり抜ける時の圧迫がどれほど想像を超えたものか。そうしたことを思う時、生まれたばかりの赤ちゃんに対して、覚他の精神をしっかりとふまえた上で愛のまなざしを送ることこそ、親としての愛の原点と言えるのではないでしょうか。逆に、生まれた赤ちゃんが大きいとか小さいとかで一喜一憂するのは、親の身勝手と言わざるを得ません。生まれた赤ちゃんが小さいと、三宅さんはいつも母親にこう言っていたそうです。「小さかったからお産が軽かった。これからはたっぷりと母乳を出すことで赤ちゃんに恩返しをしないといけませんよ」と。**パルモア病院に込められた両親への愛のメッセージ**パルモア病院の玄関には山本恪二製作の乳児を抱えた「母子像」があります。そのパンフレットにはこう記されています。「臍帯によって結ばれ、感覚によって連なる母子の関係はまことに不分離である。このふたりの間にすばらしい交感がある。しかし、そのままで終わってはならない。私どもはその背後にあってこのふたりの関係を暖かく見守り、これを正しく愛へ導く。これがこの病院の指導理念である」母子像の向かいには和田真澄製作の「父子像」が対をなして飾られています。そこにはパウロの言葉が引かれ、「父たるものよ、神の薫陶と訓練によって子らを育てなさい。この訓練と教育こそ父独自の世界である。そこに父存在の意義がある」と書かれています。さらに正面には田畑一製作の「生誕」の像があり、「これはまさしく人生の序幕であり神秘な愛の結実でもある。生命の畏敬もここから始まる」と刻まれています。これらはすべて三宅さんご自身が心をこめて書かれたものです。**胎児期から乳児期はもっとも大切**私どもには、胎児期・乳児期の記憶はほとんど残っていません。しかし、それらは潜在意識の中に得がたい体験として刻みこまれています。「三つ児の魂、百までも」と言われる所以です。そうした認識からしても、胎児期から乳児期にかけてもっともっと大切にしなければならないと真弓先生は説きます。3000年以上も前の中国の古典医学書「黄帝内経素問」には、妊婦が驚いたり逆上したりすると胎児は怯え、気の弱い子どもになってしまうので、妊婦は気をしずめなければならない、という趣旨のことが記されています。元禄時代の漢学者・柳生正治は「懐胎とおぼしき月より、よろず心のつつしみ深く、露ばかりも悪念なきようにたしなみ、手足わざいずれもあやまちなきようにして出産を待つ、これを胎教というなり」と、その大切さを強調しています。江戸時代の柳生恒軒はその著書『いなご草』の中で、「それ、人の子胎内にありては母と一気なり。母の心のさまを子の心に移し、母の身のはたらきを子の身に移す」と記しています。胎児と一緒にいる母の気の持ち方次第で、胎児がよくも悪くもなる。その「一気」とは、母の愛情と言いかえてもよいのではないか、と真弓先生は語ります。**望ましいのは、おおいなる愛**その愛を、長野県伊那市で漢方思之塾を開設されていた伊藤真愚さんは、移り変わってゆく4つの形としてとらえていました。まず「狭く小さい愛」。これは一対一の極限の中にあり、自分だけは、わが子だけはといった利己的な愛です。これは逆転すると嫉妬や憎悪に変わってしまいます。次に「教える愛」。親子の愛、師弟の愛などで、真に人を生かし、生命を全うする愛でなければなりません。伊藤さんはつねづね、親子の愛・師弟の愛は教える愛だけであってはならないと言っていました。さらに「許す愛」。知性や努力だけでは制御できなくなった時、それをうち超えた許す愛が必要になってきます。そして最終的に望ましいのは「おおいなる愛」です。その人がそこにいるだけでまわりがほのぼのと暖かくなる、いわば太陽のようなおおらかな愛。育児の最終的な目的は、自らもおおいなる愛を持ち、その継承者をこの世に生み出すことなのです。小児科医として50年あまりの診療生活を送る中で、真弓先生にもご自身なりの愛に関する考え方が育まれました。「他者に送る愛は無限大であることが望ましい。一方、他者に求める愛は無でなければならない」そうした気持ちを持ち続けていると、無限大と無は表裏一体であることが自然にわかってくる。こちらがそうした気持ちで接していれば、いつの日か、相手もそれを理解して同じような気持ちを抱いてくれるようになる。そこから円滑な人間関係が熟成され、豊かな心温まる毎日の生活を送ることができるようになる――先生はそう確信しています。そしてこのことは、そっくりそのまま育児という親子関係にも当てはまるのではないか、と。**脱薬薬剤師より**この第11章を読んで、「愛」と「健康」が切り離せないものであることをあらためて感じました。無私の気持ちで子どもに接すること。覚他の精神で新生児にまなざしを送ること。胎児期から愛情を注ぎ続けること。どれも目に見えないものですが、子どもの心と身体の健康を根底から支えているのだと思います。「他者に送る愛は無限大、求める愛は無」。薬剤師として日々患者さんと向き合う中でも、この言葉は深く胸に響きます。薬で身体を整えることには限界があります。しかし愛のある環境で育った子どもは、自ら健やかに生きる力を身につけていくのではないでしょうか。次回はいよいよ最終章、第12章をご紹介します。治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.20
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『子ども達に贈る12章』第10章―「子ども」とは何か真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、今回は第10章をご紹介します。**子どもと眼の高さを同じにする**小児科医になって55年。その間、真弓先生が終始一貫して心がけてきたことがあります。子どもを診る時に、いつも眼の高さを同じに保つということです。しかし、その「保ち方」には大きな誤りがあったと、先生は深く反省しています。最初の6年間は大学病院で研修を兼ねた診療、その後13年間は総合病院の小児科医長として子どもたちを診てきました。しかしその20年近く、流れ作業的な診療に追われ、ひとりの子どもを経年的に診る機会にも恵まれなかったため、子どもの能力の高さをしっかり把握することができなかったといいます。当時、「眼の高さを同じにする」とは、4歳の子どもを診る時には自分が4歳だった頃を思い出し、6歳児を診る時には6歳の自分を思い返す――つまり、自分の眼の高さを「下げて」子どもに合わせることでした。ところが、組織を離れて自分なりの診療を始めてから36年。ひとりひとりの子どもの心身の全体像をとらえ、その成長に寄り添って観察するうちに、子どもの能力の高さをはっきりと認識できるようになりました。いまは逆に、4歳児に接する時には4歳児のレベルにまで、6歳児に接する時には6歳児のレベルにまで、自分の眼の高さを「上げて」接するようにしている。すると子どものほうも大人の姿勢をよく理解してくれて、勤務医時代とは比較にならないほど親密に接してくれるようになったそうです。**子どもの能力の高さ**その能力の高さを示す2つの例があります。まず、言葉の習得力。ほとんどの3歳児は、家族や周囲の人々とごく当たり前に日本語で会話を交わしています。では、父親がフランス語を、母親が中国語を3年間勉強したとして、3歳児が日本語を操るレベルにまで到達できるでしょうか。先生は「私には無理です」と率直に語ります。もうひとつは、元ソニー会長・井深大さんの才能教室で行われたテストです。新体動の青木宏之さんを招き、3歳児・4歳児・5歳児を後ろ向きにして、背後から丸めた新聞紙を黙って振り下ろしました。結果は驚くべきものでした。3歳児は100%よけた。4歳児は88%、5歳児でも68%と半数以上がよけたのです。考えてみれば当然のことだと先生は言います。ヒトも4000種を超える哺乳動物の一員であり、野外で暮らす動物が背後から襲われた時によけられなければ命を失う。その本能的な能力を子どもはまだ持っているのです。ちなみに成人でよけられるのはわずか3%。この能力をそのまま維持し続けた人が「超能力者」と呼ばれたり、暗闇で斬りかかられても身をかわす「剣豪」と讃えられたのではないか、と先生は語ります。**子どもは親の後ろ姿を見て育つ**こうした子どもの能力の高さを踏まえた上で、真弓先生は親に「言ってほしくない言葉」を2つ挙げています。「しなさい」と「してはいけない」。中でも最も言ってほしくないのが「早くしなさい」です。子どもは親の言うとおりにはならない。親のするとおりになる。子どもに何かをしてほしければ、親がそれを根気よくし続け、黙って見せ続ければよい。してほしくなければ、親がそれをしなければよい。「子どもは親の後ろ姿を見て育つ」という言い伝えは、育児において言葉よりも行動が大切であることを示しています。習い事をする子どもが増えていること自体は悪いことではありません。しかし、結果にとらわれて執着しすぎてはいないでしょうか。競うことは構わない。ただし、それはあくまでも自分の子どもの「以前の状態」とくらべて進歩しているかどうかを見ることであって、他の子どもと比較することではありません。親は他人と比較されることを嫌います。それでいて、つい子ども同士をくらべてはいないでしょうか。ここでも子どもの能力の高さを思い出すべきです。子どもには言葉はいりません。物事を察知する能力は大人よりもはるかに高い。親が心の中で思っていることを、子どもは肌で感じとるのです。だからこそ、第9章でもご紹介した「競わない、くらべない、争わない」が大切になります。「早くしなさい」ではありませんが、いまの親は子どもに即効的な結果を求めすぎてはいないか。「継続は力なり」「大器晩成」という言葉を、先生はあらためて思い起こさせてくれます。それぞれの子どもが必ず持っている長所を見出し、歳月をかけてじっくりと育てていくことが親の務めなのです。**会話に「い」を付け加える**子どもは本来、明るく天真爛漫な性格を持っています。そうした子どもに接する時には、つとめて笑顔を浮かべてほしい、と先生は言います。先生の好きな言葉に「鏡は先に笑わない」というものがあります。笑顔で接するには、こちらが先に笑顔を送ればよいのです。そのための簡単な方法があります。会話の末尾に、無言で「い」と付け加えること。「おはようございます(い)」「今日のごはんおいしかったね(い)」「学校でどんなことがありましたか(い)」。末尾に「い」を添えることで自然にほほえみが生まれ、会話が和やかになります。集合写真で「いち、に(い)」と言う、あの応用だと思えばわかりやすいでしょう。**育児は生まれる20年前から**この章の最後に、真弓先生は子育てにおける究極のひと言を伝えています。「親は子どもの親である。子どもは親の子どもではない」それぞれの子どもには、父母、祖父母、曽祖父母、そして代々の祖先という血縁の縦糸が通っています。その家の「戸性」に育まれて子どもの個性が生まれる。一方で、向こう三軒両隣から広がっていく他人という横糸も張りめぐらされています。家系の縦糸と他人の横糸によって織りなされた「あやもよう」こそが、子どもの本質だと先生は考えます。「子どもは親の子どもではない」とは、「親だけの子どもではない」ということ。子どもは天からの授かりもの、預かりもの。その認識を親がしっかり持てば、自己中心的な育児や虐待など考えられないはずです。そして、そうした親の姿を見て育った子どもが、自己本位の異常行動や犯罪に走ることもないのではないでしょうか。「育児はその人が生まれる20年前から始まる」――しっかりした育児のできる親をつくるには、子どもの時から20年かけて、それにふさわしい親に育てることが必要なのです。ネイティブアメリカンの人々は、7代先の子孫のことを考えて育児にあたっているといいます。現在の自分があるのは7代にわたる先祖の育児の積み重ねによるもの。その重さを深く認識しているからです。日本でも、わずか60年ほど前までは同じような考え方で育児にあたっていました。いまこそ伝統の育児を取り戻すために、知識ではなく親ゆずりの智慧によって次の世代を育てていきたい――先生はそう願いを込めてこの章を結んでいます。**脱薬薬剤師より**この第10章を読んで、最も心に残ったのは「眼の高さを下げるのではなく、上げる」という真弓先生の気づきです。子どもの能力は、私たち大人が思っている以上に高い。3歳児が100%背後の気配をよける話は衝撃的ですが、それほどの力を持って生まれてきた子どもたちの能力を、大人の都合や薬で抑え込んでいないか。薬剤師として、あらためて考えさせられます。「鏡は先に笑わない」。まず親が変わること、親が見せること。それが子どもの心身の健康を育てる一番の処方箋なのかもしれません。次回は第11章をご紹介します。治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.20
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『子ども達に贈る12章』第9章―「家族」とは何か真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、今回は第9章をご紹介します。**義父母から学んだこと―血のつながりを超えて**この章は、真弓先生ご自身の生い立ちから始まります。1931年3月6日、東京・日本橋に生まれた真弓先生。父は文化3年(1806年)から続く由緒ある鶏肉問屋「伊勢岩」で家業に励んでいましたが、先生が2歳の時に37歳の若さで胃ガンのためこの世を去りました。事情により真弓先生は、京橋で内科医院を経営していた真弓家に養子として引き取られます。2歳にして父と死別し、母と妹(津留子さん)とは生き別れ。「お父さん」「お母さん」と呼んだ記憶は一度もないといいます。しかし先生は、この境遇をむしろ「一生の大きなプラスになった」と語ります。血縁という垣根が取り払われた環境の中で育ったことで、身内と他人を分け隔てしない心が自然に養われたのです。その根底には、養父母が実の子ども以上に愛情を注いで育ててくれたことがありました。先生は「いまは亡き養父母への感謝の念でいっぱいになる」と振り返っています。**ひととひとの間の垣根をなくす**1958年、真弓先生は生涯の伴侶・斐子さんと結婚し、次々と子宝にも恵まれます。斐子さんもまた小学校4年生の時に母を亡くしており、「他人を大切にする」という先生の気持ちを素直に受けとめ、その姿勢は子どもたちにも自然と伝わっていきました。夫婦が家族のあり方として真っ先に大切にしたのは、ひととひとの間の垣根をなくすということでした。この考え方の根底にあるのは「ひとは本来平等である」ということ。福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と軌を一にするものです。垣根をつくってしまうと、その枠内のことばかりを考えるようになり、かつての日本人の美徳であった「覚他の精神」が失われてしまう。自分だけよければよいという自己中心的な風潮は、そこから生まれるのではないか、と先生は問いかけます。印象的なエピソードがあります。次男が高校3年生の時、自宅を出て自立したいと意思表示をしました。家を出る際に告げた言葉は、「これからはお父さんともお母さんとも思わないから、そのつもりでつき合ってほしい」。言葉だけを聞けば冷たく感じるかもしれません。しかしその真意は「これからつき合っていく人たちと同じように、お父さんお母さんのことも大切にしますよ」ということ。血縁という垣根を越えて、すべての人を等しく大切にする――先生が育児を通じて伝えてきた姿勢を、次男はしっかり体得していたのです。実際、それから現在に至るまで、心優しい次男は両親に細やかな心配りをし続けています。**「き・く・あ」の実践―競わない、くらべない、争わない**真弓先生は、小林正観さんの「き・く・あの実践」という本に深い共感を覚えたといいます。「き」は競わない、「く」はくらべない、「あ」は争わない。それはまさに、先生ご自身が家族やまわりの人々に接する上で重要視してきたことそのものでした。競わないといっても、自分の成長において競うことは必要です。ただしそれはあくまでも「自分の過去」と競うこと。スポーツの記録でも、前の自分の記録を超えることが大切であって、他人の記録とくらべても意味はない。そうした生活を続けていると、毎日にゆとりと落ち着きが生まれ、「我唯足知(われただたるをしる)」という心境に至ります。競わない生活からは、当然、他者とくらべないという考え方も生まれます。先生はこう述べています。子どもたちはそれぞれ生まれながらに異なる優れた能力を持っている。その持って生まれた良さを自然に引き出し、伸ばしていくことこそが親の務めではないか、と。**お互いを尊重して語り合う習慣**そして究極に大切なのは、争わないということです。家族同士でも、他者とも、同じ目の高さで意見を交わすことは重要です。しかし、それを争いに持ち込んではなりません。物事に執着したり、相手の意見に真摯に耳を傾けないところから醜い争いが生じます。まずは家族の中で、親子きょうだい分け隔てなく、お互いの意見を尊重して語り合う習慣を身につけたいものです。先生はこの「き・く・あ」の考え方を、人間同士だけでなく、生きとし生けるものすべてに広げるべきだと言います。さらには土地・家屋・物品にまで。もともと先生は、「私のもの」「私だけのもの」は存在しないと考えています。物品とは生きている間のわずかな期間に仮に与えられたもの、天からの預かりものにすぎない。この世の生を終える時に、すべて失われていくものだ、と。**見えないものの大切さ**この世には「見えるもの」と「見えないもの」があります。家族にとって本当に大切なのは、見えないもののほうだと先生は言います。「貸家と唐風に書く三代目」という川柳があります。物に恵まれ何不自由ない暮らしに慣れ親しんだ者は、やがて怠惰に流れ、他者を思いやる心を失い、ついには家屋敷まで手放すことになる――そうした戒めです。日本最初の民芸研究家・柳宗悦さんは、還暦祝いの席で子どもたちを前にこう語りました。「私は還暦の祝いの返礼として、わが家の財産すべてを民芸館へ寄付することにした。お前たちには一銭も残さないからそのつもりでいてほしい」親としてのこの厳しさの裏にある深い愛情が、心温まる民芸研究家・柳宗民さんらを育てたのではないでしょうか。古来わが国に伝えられてきた「子孫に美田を残さず」という至言は、ほとんど死語になってしまいました。子どもに物質的な何かを残そうと汲々としている親の姿を多く見かける現状を、先生は嘆きます。真弓先生の家には書斎もなく、子どもたちの個室もなかったそうです。いくばくかの書籍以外、残せるものはない。しかし、と先生はこう結んでいます。「人間本来無一物。数々の想い出に織りなされた心の鏡こそ、私ども家族にとって何物にもかえがたい宝物である」**脱薬薬剤師より**この第9章を読んで、「家族」と「健康」の深いつながりに気づかされました。競わない、くらべない、争わない。この「き・く・あ」の実践は、心の健康そのものです。薬剤師として日々感じるのは、心が穏やかであることが身体の健康の土台になるということ。家族の中で安心して自分を出せる環境があってこそ、子どもは心身ともに健やかに育つのではないでしょうか。物質的な豊かさではなく、目に見えない絆や精神を次世代に受け継いでいくこと。それもまた、薬に頼らない健康づくりの大切な一歩だと思います。次回は第10章をご紹介します。治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.20
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『子ども達に贈る12章』第8章―「食物」とは何か真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、今回は第8章をご紹介します。「食は生命なり」―崩れゆく日本の食文化「食は生命なり」という言葉があります。その生命を支える食文化が、終戦後のわずか60年あまりで大きく崩れ、それが国民の健康を損ねる要因になっています。終戦前の状態に戻すのは容易ではありません。しかし少なくとも、日本食の原点をとらえ直す努力は怠ってはならない――真弓先生はそう語りかけます。この章では、食の原点を3つの視点から見つめ直しています。三里(四里)四方の食べものを食べる地球上に生活するすべての動物は、自分で食べものを集め、自分の行動半径内のものを口にするという原点に則っています。人間も例外ではありません。終戦前には「三里(四里)四方の食べものを食べれば病せず」という言葉がありました。食料自給率が41%にまで低下した現代では、そのままを実践することは難しい。けれども、その基本的な考え方は大切にしたいと真弓先生は言います。 たとえば東京都の食料自給率はなんと1%。東京都で採れる食べものだけで生きようとすれば餓死するほかありません。ならば隣接地域に目を向け、まず千葉・埼玉・神奈川の産物を、それでも足りなければ茨城・群馬・静岡へと少しずつ範囲を広げていく。「地産地消」の精神は、現代にあっても大切な指針です。四季にあった食べものを選ぶ日本には四季があります。その季節の変化に応じた食べものを選ぶことが、健康の基本です。真弓先生が外来で出会った母親の話が印象的です。冬のさなか、トマトや胡瓜を食べながら授乳し、子どもにグレープフルーツジュースを飲ませていた。そこで先生はあえてこう聞きました。「お宅ではクーラーをかけていませんか?」母親は「そんなものはかけていません」と答える。しかし、トマトや胡瓜は暑い夏に身体を冷やすもの。グレープフルーツやパイナップルは熱帯の食べもの。それらを冬に口にすれば、身体を冷やすのは当然のことです。食養家・石塚左玄の言葉は、今も色褪せません。「春苦味、夏は酢のもの、秋辛味、冬は油(脂)と心して食え」春にはふきのとう・菜花・せりなどほろ苦いものを食べて冬に蓄えた脂をそぎ落とし、夏は酢のものであっさりと、秋はさんまにおろし醤油のように辛みで身体を引き締め、冬はすき焼きや水炊きなど脂ののった動物性食品で寒さに備える。そして春が来たら、また魚介類中心に戻す。昭和20年代まで成人病・生活習慣病がなかったのは、こうした食の智恵が生活に根付いていたからなのです。年間1500種類のクスリをとっている⁉食べものを考える上で最も大切なのは、「生きものを食べる」ということです。4000種類を超える哺乳動物は、生きもの以外のものを一切口にしません。生きものは死ねば腐る。つまり「腐るものを腐る前に食べること」が食の本質なのです。ところが終戦後、腐らない食べものが氾濫するようになりました。なぜ腐らないのか。食品添加物を加えて加工しているからです。いま平均的な食事をとっている日本人は、食べものを通して年間1500種類ものクスリを口にしているといわれています。これでは病気にならないほうがおかしい、と真弓先生は言い切ります。消費者保護の立場で活躍するケヴィン・トルドーも、その著書の中でこう断言しています。「株式上場した会社で製造販売している食べものは食べてはいけない」と。かつての八百屋・魚屋・果物店に、上場企業などひとつもありませんでした。よく噛んで、唾液の分泌を盛んにアレキサンドル・デュマはこう言いました。「ひとは食べもので生きるのではない、消化されたもので生きるのだ」と。どんなによい食べものを口にしても、しっかり消化吸収されなければ身につきません。自分の意志でできることは、食べものが口の中にある間だけです。つまり、小さいうちから「よく噛む」習慣を身につけることが非常に大切なのです。よく噛むことで唾液の分泌が盛んになります。唾液には抗菌作用・抗がん作用があり、免疫力を高め、病気の予防にも役立ちます。またパロチンという老化防止ホルモンも含まれており、よく噛む習慣は長寿にもつながります。よく噛む力を育てるには、食材はなるべく固いものを選ぶことが大切です。柔らかい食べもの、とくにジュース・ミルク・ヨーグルトのように噛まずに熱量が体に入るものは避けるべきです。終戦後に広まった「軟食文化」が、日本人の健康を静かに蝕んできたのです。「食は生命なり」―感謝の気持ちを持って食卓へ私たちは、地球上に生きる植物や動物の生命をいただいて生きています。だからこそ食卓に向かう時には、感謝の気持ちを忘れてはなりません。「いただきます」「ごちそうさま」――この言葉を家族全員が心を込めて口にすることの大切さを、真弓先生は説きます。この感謝の気持ちが薄れるところから、食べ残し・偏食・日用品を粗末にする習慣が生まれ、やがては環境破壊にまでつながっていくのではないか、と。真弓先生はこう締めくくっています。「かつて日本人が持っていた森羅万象をいつくしみ、大切にする精神を取り戻していただきたい」と。脱薬薬剤師よりこの第8章を読んで、食と薬の関係をあらためて考えさせられました。「年間1500種類のクスリを食べものから口にしている」という現実は、薬剤師として衝撃的な数字です。処方箋に書かれた薬だけではなく、食卓そのものが薬漬けになっているとしたら――。三里四方のもの、四季の旬のもの、生きているもの。それを、よく噛んで、感謝していただく。その積み重ねが、薬に頼らない身体をつくる土台になるのではないでしょうか。次回は第9章をご紹介します。治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.06
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『子ども達に贈る12章』第7章―「生きる」とは何か真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、今回は第7章をご紹介します。生きる原点は、出産のその瞬間にある真弓先生はこう語りかけます。「一度しかない人生を、それぞれの個性に応じた主体性を持って自主的に送ることが望ましい」終戦(昭和20年)前まで、そうした生き方をしている人は多かった。しかし終戦後65年を経た今、年とともに自主性・主体性を持って生きる人が減ってきている――その原因を先生は、乳児期の育児の変化に見ています。「生きる原点は出産時にある。出産において主体性を持つのは子どもの側である」この一文が、この章全体の核心です。「生まれる」から「産む・産ませる」へ真弓先生は「啐啄(そったく)」という言葉でこれを説明します。鳥の雛が殻の内側をつついて孵化の合図を送り(啐)、それを受けた親が外側から殻を割る(啄)。人の出産もまったく同じで、子どもの側から「もうすぐ生まれますよ」という合図が発せられ、それを受けた母親がホルモンや自律神経のバランスを整えて産む態勢に入るのです。終戦前、出産数は曜日を問わず一定で、時刻も明け方(午前4〜8時)がわずかに多いという自然なリズムがありました。ところが今はどうでしょうか。病院出産が主流となった現代では、土・日・祝日の出産数が平日より明らかに少なく、午後1〜4時の出産が増えています。子どもの「生まれる」が、大人の都合による「産む・産ませる」へと変わってきているのです。真弓先生はこう言い切ります。「子どもの生きる力が、人生のスタートから減弱させられている」と。母乳でなく「他種の動物の乳」で育てることの問題地球上には4000種を超える哺乳動物がいます。「同種の乳で仔を哺育する」というのが哺乳動物の鉄則であり、ネズミの子に最も合う乳はネズミの母乳、ライオンの子にはライオンの母乳です。終戦前まで、日本人の子どもはほとんどが母乳で育てられていました。しかし終戦後、GHQの占領政策を契機に牛乳哺育が広まり、今や母乳よりも牛乳(人工・混合栄養)で育てられる子どものほうが多いという、自然の摂理に反する事態が生じています。さらに先生が憂えるのは、断乳後も牛乳を飲ませ続けることです。ヒト以外の哺乳動物は断乳とともに二度と乳を口にしません。しかし日本の母親の多くは、断乳後も牛乳を与え続ける。それが母親からの自立を遅らせ、ひいては無気力・無関心・無感動の若者やニート族を生み出す一因になっている、と真弓先生は指摘します。おんぶ・抱っこが「生きる力」を育む母乳哺育から人工哺育への転換は、母子の触れ合いの機会をも大きく減らしました。母乳を抱いて飲ませることで、子どもは胎児期から慣れ親しんできた母親の心音に触れ、心の安定が得られます。一方、寝かせたまま哺乳瓶を与える人工哺育では、この接触がほとんどありません。終戦前、日本はおんぶ・抱っこをよくする国として世界に知られていました。来日したスウェーデンの小児科医リンド氏はその光景に感銘を受け、帰国後に「KODOMO」の商標でおぶい紐を市販したほどです。おんぶ・抱っこは心の安定だけでなく、手の力や器用さを育てる上でも重要であり、近年増えている「手の不器用な子ども」の多くが人工哺育児であることは注目すべき事実です。吸う力に60倍の差母乳と哺乳瓶には、吸う力の面で大きな差があります。母親の乳首は固く、孔も小さいため、飲むには相応の力が必要です。それが吸啜力を鍛え、将来の咀嚼力の土台になります。一方、哺乳瓶の乳首は柔らかく、孔も大きく開けられています。楽に飲めるよう設計されているのです。ある小児科医によれば、母乳哺育児と人工哺育児の吸啜力の差は60対1にも達するといいます。真弓先生はかつて看護学校で「母乳哺育と人工哺育の相違点」を卒業試験に出題していました。多くの生徒が免疫・栄養・衛生面を挙げる中、ある女子生徒はただ一言「容れ物が魅力的で優れている」とだけ書いた。当初は拍子抜けしたものの、先生は今になってこう思うといいます。「あれこそが最も大きな相違点であり、情緒面も含めて子どもの生きる力を育む礎だったのかもしれない」と。遅すぎることはない終戦後のアメリカ主導の育児が、日本人の心身の健康をどれほど歪めてきたか。この章を読むと、それがいかに根深い問題であるかがわかります。すでに子どもが成長してしまった方は「もう遅い」と感じるかもしれません。しかし真弓先生はこう言い切ります。「決してそのようなことはない。思い立ったが吉日なのです」そして、先生が外来で親御さんたちに伝え続けてきた言葉で、この章は締めくくられています。「育児はその人が生まれる20年前から始まる。わが子を、しっかりとした孫育てができる親にするためには、20年の歳月が必要なのです」脱薬薬剤師よりこの第7章を読んで、あらためて「育てる」の起点がどこにあるかを考えさせられました。出産の形、授乳の方法、抱き方……どれも「今どきの当たり前」として疑いなく行われていることが、実は子どもの生きる力に深く関わっているのです。特別なことは何もいりません。かつての日本人が当たり前にしていたことを、少しずつ取り戻していく。その積み重ねが、お子様の自主性と生命力の土台になるのではないでしょうか。次回は第8章をご紹介します。治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。
2026.04.02
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