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仕事帰りに買い物をする本日。レジ袋5円も取られるのは、癪なので、無理やりビジネスバッグに詰め込む旦那。買い物籠からネギが出ている懐かしいどこかの昔の奥さんではなく、どことなく、侘しい気配も漂うのだが、それは、多分、愛嬌というものだろう。今夜は、生野菜定食だ!以上!作り方。1.野菜を切る。2.野菜を盛り付ける。3.テーブルのスペースを無理やり空ける。4.皿を置く。以上で出来上がり!食事を終えたところで、我がトラベルグッズを紹介。航空券入れ。三口財布だ。今は上からドル、中段はタイバーツ、下のチャックにはユーロが入っているのだ。何を隠そうドルは4000円分ぐらいバーツは1万円分ぐらいユーロは2000円分ぐらい入っていることは、家内も知らない。(但し、家内はいない)旅行カバンは、酷使しすぎたので新たに、新調しているのである。その名も、トラベル素人。ポケットが無尽蔵にあるのが憎い。何をどこに小物仕舞ったか分からなくなったぐらいだ。先日火山を見たからって、食後に、噴火漫画だ。小学校の時、読んでて怖かった思いでもしばし。特に意味なし。ちなみに、昨日は、食べに出かけるの夕食であった。すだちそば1300円。ちなみに自宅野菜定食は、2日分で240円である。明日も、野菜定食である。何せ、日本は世界から健康食の国と思われているが、外食に関しては、なかなかそうともいえない面もある。前菜に食べ放題のキムチ類がでてくる韓国のほうが、野菜は多く採れる。蟹を丸ごと、揚げても結構いけます。バキバキ感が多少お洒落。先日鉄板妬きにも行きましたわ。勿論、野菜炒めである。あとは、ベッドに水置いて、夜中目がさめると、トイレに行き、水を少し飲みます。(毎晩2回ぐらい尿意で目が覚めます)こんな家にすんでいま・・・・せん。水の惑星に住んでます。
2009.10.31
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カメハメ、ハッは見てる。俺の妹は、恥ずかしいことなのだが、ヴァンクーバーのツナミという寿司屋で働いてました。う、津波避難場所として、海に逃げる?砲丸投げカトチャンのイエーイエーを勉強中。トイレも家族で行けます。マイクルジャクソンか。オー、マイコーォォォォ~。あ、違った。このような調子に乗ったおちょけた感じの踊りなかったすか。男の人が携帯持っていちびっとるのが気になりました。怖くないけど。メーンメーン、メニメニメーン。(意味なく吠えました)波矢印を泳ぎなさいという意味でしょうか。酸素ボンベかついでおじいさん、せよ。PLACEオブREFUSEハワイ島コナ空港のハワイアン航空カウンターは、ハッピーハロイン直前。骸骨の人に、チェックイン頼みました。オメー、スワットって書いておきながら、実弾射撃かよ。(しまった!また花嫁花婿見てもた、たたりじゃ)アイスクリーム歓待されて食べました。日本語の勉強が私もまだまだあるよ。チケッティングにパソコンをカタカタ鳴らしていると思ったら、骨がカタカタ鳴った。石鹸カタカタ鳴った。 2009年秋のハワイ旅行 パールハーバー再訪 オアフ島、この木何の木気になる木 ワイキキボヤボヤ オアフ島ナイトクルーズ オアフ島右回り オアフ島ノースショア ハワイ島にGO! ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう1 ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう2 ハワイ島にチンスポありません サーストン・ラバ・チューブ 熔岩の通り道 ハワイ島 キラウエア ハワイ島 マウナケア ハワイ島 ハワイの生き物
2009.10.30
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ベリーサンシリーズである。この危機何の危機?特に、いうことがない・・・そうだ。芝生の成長速度が速いのか、まるで絨毯の上を歩いているようで、その当たりはキムチいい。やけに、明るい退屈な天国で、裸足で立ち尽くしたり、ウロウロ意味なく暫く歩いてみたりすると、これも、意味なく、何か既視感のようなものが浮かび上がるかと思えば、それもない白痴状態であるった。 そういえば、思い出したのだが、以前、カウンセリングで、子供時代に虐待を受けていて、その記憶を呼びおこし、親を訴えるという事件が多発したことがあった。しかし、綿密な調査の結果、そのほとんどは、カウンセラーが誘導して作り上げられた記憶であることが判明し、逆にカウンセラーが訴えられるという事件があったなあ。あれ、何がいいたかったのかな。ハワイのいいところは、気候ぐらいかなあ。健康的だなあ、考えれば、にほんでは、医療費の半分は、常迂10パーセントの患者さんが使っている。そんなものなのか?アメリカは、。医療費の7割を5パーセントの人が支払っている。高額医療が、多くを占めているのだなあ。何だっけ、何がいいたかったんだったかな。ハワイも、高校生は私立以外は私服なのだが、草履で学校に行く姿を見た。日本を含め、アジアは、反面、なんだか、制服好きなんだよなあ。でも初めて行ったフィリピンでは、排気ガスが凄くて、白い制服の女子高生が口にハンカチを抑えていて、いたたまれない気になったなあ。そういえば、先生が最近ストかなんか知らないけど、なんらかで、金曜まで小学校が休みになって、共働きの親は大弱りだと聞いている。あ、何の話だったかな。忘れた。そういえば、昔から、事故とか起こしたら、決して謝ってはいけないぞ!と脅され続けた。勿論、肩が触れたとか程度であれば、日本異常にどの国も、簡単に謝ってくるが、訴訟大国では、事故なんか起こせば、もうお互いが訴えられないように敵対意識を持ってしまうギイスギスした社会になっちまったのだが、やはり、人間、まずは、謝ってほしい、謝りたいとは思うものだ。 多くの州では、アイムソーリー法というのが情けなくも、1980年代に制定されたようで、医療ミスや交通事故でも、人間はミスをするもので、まずは、すみません、と謝ってもそれは非を全面的に認めて裁判で不利な条件にはならないことになった。勿論、謝る以上に、あまり飲酒運転しててとか、手術する箇所間違えましてとか、証拠になるようなことまで言わなくても良い。しかし、ココロから謝られたら人も悪い気はしないので、訴訟自体は減ったということである。みたいよ・・・ソーリー、何の話しようとしていたか忘れてしまったよ。ところで、3人いればキューを作るといわれるイギリス人に負けず、アメリカ人も結構並ぶのが好きなんだなあ。これは、移民時代の影響なんだろうか。金持ちも貧乏も若いも年よりも、平等に並び、移民局に並ぶという伝統かい?と思ってしまう。 あの中国で、席は指定だというのに、列車が入ると、停車する前から我先にと入っていこうとする中国メインランドの人々の光景を同時に思い出してしまったよ。そんなに先に車内にはいってどうすんだよ、といったら、飯食ってたりなんかして、なんだおまえら、と思うのだが、まあ、席はあった。 席がなくなるのが、インドであった。指定でそこは、俺の席だといっても、半分開けてあげるから、ケツ半分すわってもいいよ、と不法で座っているインド人がいうのだから、まあ、泣かされたわ。ああ、何の話だったかな。実はアメリカは、オーストラリアと並び、検疫が厳しい国だ。そういえば、ハルじさんにもらったビーフジャーキーも今は日本と共に、持込ダメである。日本の持ち込み対策として、ブタジャーキーならOKよ。ところでハワイ島の火山の石は別に持って帰ってもいいのだが、神様の罰が当たると流布され、人々を恐怖のどん底に落とし入れているのだよ、何の話かな。ところで、日本は、海の国で山の国であるんだなあ、といろいろ回っていて思うのである。国土の森林を占める割合も、海岸線の長さも、世界のトップ10に入っているのである。だから、ぼくらは、レジャーは海か山に行くのか?都市には緑はないけど、特に大阪は悲しくなるぐらいにないけれども、森林割合はヨーロッパではフィンランドに負けるぐらいである。何の自慢だ?パイナッポ。やっぱ、いたたまれない?ところで、ドールやデルモンテは民衆の敵。昔、鶴見先生の名著、「バナナと日本人」を読んで、いたたまれない気持ちになったことをハワイで思い出してしまう。一面に広がるドールのパイナップル畑の横にある広大な敷地が荒地になっていた。2,3年前にデルモンテが撤退したのであった。 2009年秋のハワイ旅行 パールハーバー再訪 オアフ島、この木何の木気になる木 ワイキキボヤボヤ オアフ島ナイトクルーズ オアフ島右回り オアフ島ノースショア ハワイ島にGO! ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう1 ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう2 ハワイ島にチンスポありません サーストン・ラバ・チューブ 熔岩の通り道 ハワイ島 キラウエア ハワイ島 マウナケア ハワイ島 ハワイの生き物
2009.10.29
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ウミウシ親子魚を狙うウミネコご飯を食べていると、鳥が寄ってくるので、ご飯を落とす。ノラ亀。ハワイ島のほうでは見ることができた。火山灰で黒いビーチ。(バリ島の北部ビーチもそうだったなあ)そういえば、うさぎとかめだけは、子供心に、何だか変だなあと思ったのだなあ。ウサギの挑戦を受けた亀は、それなりに、戦略がなければ明らかに負けるのに、策略があったに違いない。チーターに100メートル走を挑まれて、堂々戦って勝てると思う人間はいない。きっと、走る前に睡眠薬を盛ったのであろう。でなければ、スポーツマンシップのかけらでもあれば、そこでウサギを起こすはずである。どうやら、ギリシアにいるウサギは夜行性で、昼間に勝負して、眠くて仕方なく寝てしまったウサギを横目にゴールするというカメの勝算があったともいえる。教訓は、勝てば官軍、でしょうか。釣り。海沿いのため池の魚(見えないジャン)。ゲッコまたホヌ。4.5メートル以内ではないか?逮捕。ハワイ島のネネ。州鳥であり、絶滅寸前、現存300羽、まず見ることができないと思われたが、偶然発見。これを車ではねると、罰金3000万円(1ドル100円換算)。危うく6000万円失うところであった。犬、あ、普通か・・あ、アメリカおっさん類、オス科。人間、あ、普通か・・・日本人類、メス科。牧場の牛、てか、広すぎて、島の溶岩と町以外は全部牧場じゃねえか?イソギンチャック・・・磯辺で、思いのほか、大幅に時間を超えて、戯れるのであった。オッサン、やっと、自分のゆったりできる時間と場所見つけたね! 2009年秋のハワイ旅行 パールハーバー再訪 オアフ島、この木何の木気になる木 ワイキキボヤボヤ オアフ島ナイトクルーズ オアフ島右回り オアフ島ノースショア ハワイ島にGO! ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう1 ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう2 ハワイ島にチンスポありません サーストン・ラバ・チューブ 熔岩の通り道 ハワイ島 キラウエア ハワイ島 マウナケア ハワイ島 ハワイの生き物
2009.10.28
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ホノルルから2時間最北端にあるタートルベイホテルがある。いいホテルだが、特に特徴があるようには思えない。私は、バブル時代を謳歌していないが、取引先のおじさんの話である。バブルを謳歌した20年前、日本の企業がアメリカ本土やハワイのコンドミニアムやホテルを買いまくった時代があった。ニューヨークのロックフェら^センターもほとんど騙されて購入大損売却って感じであったことも、まだ記憶に新しく、あのたった数年の後遺症が20年たっても、まだ響いている。 このタートルベイホテルを所有していた某朝日住建の社員だったそのおじさんは、このホテルの担当者であった。某○日住建は、関西では大京に継いでマンションを大量供給していたが、バブル崩壊後、3500億円の負債を抱えて倒産したのだが、当時は、イケイケドンドンの一生に一度あればラッキーな時間であった。ハワイのホテルといっても、そんなに満室御礼というわけではなく、接待で、ハワイに日本から客を運び、ホノルルから面倒なので、ヘリコプターで往復するのである。出迎え送り迎えの繰り返しばかりの日々で、ハワイってどんなところですか、と聞くと、いや、トータルベイホテルとヘリコプターとホノルル空港しか知らないんですよははは。と懐かしそうに自嘲気味に笑うのであった。途中、亀海岸に行ったが、100中95回見れるのに見ることができませんでした。ところで、チップ制度は、私は結構好きで、ふと思ったことがある。いつも20蚊ら0まいぐらい1ドルを持っていく。世界の潮流はドル離れしていく傾向にあるのだが、旅行者や庶民の間では、ドルは強いのだ。1ドルというのは、価値がある。ちょうど貧しい人々が日々、1ドルや2ドルで暮らしているというが、札でチップというのが、いいのだ。多分、アメリカは1ドルみたいな小さな金を、チップ制度のために札にしているのではないかと思ったのであった。(100ドル札は偽札が多いので、持ったことがないし、50ドルを渡したときも、やたら店員がチェックしていた)ユーロでも最低の札は5ユーロ(600円)で日本円でも1000円であり、チップにしては大きすぎる。この1ドル=100円というのが、貧しい人々には、もらって嬉しい金額であり、先進国の普通の庶民には100円は安くも高くもなく、チップ中心で働く人々にも、10人、20人からもらうとちょっとした金額になるのである結構等身大的な使い勝手のいい金である。ユーロも基軸通貨を目指すなら1ユーロ札を作るべきかも。日本は100円札作っても、チップ制度がないからなあ・・・。ちなみに、エルサルバドルは、米ドルが国内通貨なのだが、1ドルコインは見たことがないと受け取ってくれなかった。ところで、ぼくはインドにかぶれてイージーな人生選択でした。 2009年秋のハワイ旅行 パールハーバー再訪 オアフ島、この木何の木気になる木 ワイキキボヤボヤ オアフ島ナイトクルーズ オアフ島右回り オアフ島ノースショア ハワイ島にGO! ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう1 ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう2 ハワイ島にチンスポありません サーストン・ラバ・チューブ 熔岩の通り道 ハワイ島 キラウエア ハワイ島 マウナケア ハワイ島 ハワイの生き物
2009.10.27
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夜は、星を見るのは、暗いところがいい、山の中か、その前に、道を歩きながら海からもいいなと感じた次第である。 遠くで、ホノルルの夜景やダイヤモンドヘッドの山影を暗がりから眺め、流星を見る。いいんじゃないか。昔、奄美大島からの夜行フェリーで鹿児島に向かう中、デッキに寝転び、流れ星が流れていくのを眺めていたことを思い出した。5分でも空をじっと眺めていると、一瞬、流れ星が、どこかに落ちるのが見ることができるのだ。アロハタワーの前に停泊するクルージング船1500人乗りを見ると、それが間違いであることが、約0.1秒で判明した。95パーセントがカップルで、その多くが新婚旅行ぽいのである。まるで合同結婚式であり、私は、そのスタッフか世話人か?とビビルのであった。席に着いても、周りはオールカップルであり、かろうじて、私は、ダンス席最前線を陣取るぐらいで、いたたまれなくなり、デッキに出た。おまけに、クルージングディナーは名も名だけであり、まずく、ほとんどを残してしまったのである。画像は、食事が終わった皿の上である。ビールをお代わりしているような人間は、ほとんどおらず、最近の新婚さんはビールヲ飲まないのかと危惧しつつ、反面、ピッチャーの薄いビールを何度もお代わりして、早めに酔っ払って誤魔化そうという、居場所のない私であった。 そのうち、盛り上がり、皆が肩を組んで、ダンスパーティのようになり、私は、呆然と脇に立ち尽くすの孤高の人であった。ナンパでも娼婦でも、連れて行くべきだったのか。あ、オリオン座に流れ星・・・なし・・・ 2009年秋のハワイ旅行 パールハーバー再訪 オアフ島、この木何の木気になる木 ワイキキボヤボヤ オアフ島ナイトクルーズ オアフ島右回り オアフ島ノースショア ハワイ島にGO! ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう1 ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう2 ハワイ島にチンスポありません サーストン・ラバ・チューブ 熔岩の通り道 ハワイ島 キラウエア ハワイ島 マウナケア ハワイ島 ハワイの生き物
2009.10.26
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ホノルルから、40分のフライトで、南下し、ハワイ島。島全体が火山なので、コナ空港が溶岩の中にあるのが、ちょとスゴイ。ハワイ島は、ハワイ諸島で最大で、四国の半分程度、ジャマイカと同じ、バリ島の2倍といったところの火山島。空港出ても、GOしても、溶岩の中にを走り出す。皆さん、珊瑚を海から拾ってきて、道沿いの溶岩に置いて文字や絵を描いているようです。忙しい人は、他人のを壊して作っていると思います。生えているのは、ススキのみです。溶岩にはバホエホエ溶岩とアア溶岩があり、名前がコミカルだが、早い溶岩と遅い溶岩で、アアは歩くより遅いのだが、バホエホエは時速30キロ、自転車なら逃げられるが、走っては短距離では少しにげることができても、飲見込まれるしかないと思うと、どうやって海まで逃げるのか、想像してしまった。キラウエア。今は、何と、ガスが出て火口まで行けません。ここが限界です。このガスで、ずっとハワイ島は海のほうは曇っており、4000メートルを越える山も、裾野しか見えないのですわ。疲れてるから終わり。 2009年秋のハワイ旅行 パールハーバー再訪 オアフ島、この木何の木気になる木 ワイキキボヤボヤ オアフ島ナイトクルーズ オアフ島右回り オアフ島ノースショア ハワイ島にGO! ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう1 ハワイ島コナ到着、ヒロ方面に向かう2 ハワイ島にチンスポありません サーストン・ラバ・チューブ 熔岩の通り道 ハワイ島 キラウエア ハワイ島 マウナケア ハワイ島 ハワイの生き物
2009.10.25
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いいかね、朝目覚めると、頭が痛い、インフルエンザか、と思いきや、二日酔いであることが判明したのであるが、たまに、風邪なのか発熱なのか二日酔いか判断できない日もあることを明言しておこう。いいかね、今回のインフルエンザ騒動どうよ。ワクチン受けろ受けろ、足りない足りない、と報道されるが、何となく、危ない気がする。政府と製薬会社のマッチポンプのような気がしないか。何かがおかしい。 世界人口を誰かが減らしたいのか。何だか、エイズと同じ臭いを感じるのだが。神戸ちんけ市民だからいうんではあるが、なんで神戸大阪にあのとき大量発生したんだ。罹患者が。それも、海外渡航とは関係ない人たちが。いいかね、最近もそうだ、何の説明もなく、2回が1回で摂取が良くなりましたよ、ニュースは、それだけを伝えて、よく分からない。怖いのは、インフルエンザよりも、ワクチンのような気がしてならない。そもそも、俺の場合、インフルエンザ注射受けたことがない。小学校などで、一人だけ、教室に残っているんだなあ。なぜなら、あんなもの効かないとう妙な確信があったからだ。いいかね、世界の食糧総生産は、世界中の人々を養うのに十分な量があるというのに、政治的経済的なことで、偏在している。餓えている人と同数の肥満な人がいるんだぜ。 いいかい、それにしても、私たちは、陰謀や、破滅や終末感が好きなんだなあ。それには、なんだか、甘い夢があったんだなあ。今は、何だか刹那だなあ。未来の破滅については、漠然となったなあ。いいかい、子供時代、日本珍ぽつと、ノストラダムス大予言が世間を席巻した。子供心に、本気で、空から降ってくる大王にビビリ、富士山の大爆発にびびったよな。当時は、ちょうど、米ソの世界戦争の核戦争を彷彿させ、考えれば、まだ戦後30年たっていない生々しい敗戦の記憶が人々の中にあったのだろう。子供時代のことで、世間のことはあまり覚えてないのだが、75年までベトナム戦争やっていたし、アメリカは金ドル交換を停止した。金本位制をやめると、これ、兌換性がなくなり、これ、信頼だけの紙くずになったわけで、すよな。それから、オイルショック。懐かしいね。 いいかね、最近は、最終論好きな宗教関係は、健在としても、あまり、世界の終わりについて、一般的にはいわれないのは、マジだよ、マジなので、言えないよ、てところもあるのか?不安は、エンターテイメントにはもうならないのか。うう、まだ頭が痛い。悪いかね、でも、これから、オリオン座流星群を、満面の星空の中、見に行くのだ。マウイのホノルルを経由して、ハワイ島へ。じゃね、暫くバイバイ。Price is high but the end is near(代償は大きかった、でも、もうそれも終わりだ)会社からのコメントを通り越して会社からアップ、今から空港へGO!オー
2009.10.21
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病気自慢は中年と特権、醜い骨肉の自慢の言い合いと思われるが、先日、数少ない大学の友達で集合したので、ちょと、学生時代の病気を列挙しておく、ただの記録である。知らない人には、すみません、全然面白くないです。 同級生O君・・・特になし。せいぜいジャンキー。バンコク滞在2ヶ月、バラナシ滞在1ヶ月沈没。トイモイ君・・・ボルネオでデング熱。二日酔い多数。1年上の先輩Mさん(別名○虫ケンチャン)・・・特になし。パキスタンで40度の原因不明の熱に2週間冒され、完治した頃に、帰国イヤイヤ病発病し、帰国は6ヵ月後、即留年。Mさん(性格HOMO)・・・ナイジェリアで人種差別病。Mさん(猿知恵病)・・・タイのコサムイでマレー半島本土に戻る船の中で、偶然、発見されてしまう。その後、チェンマイトレッキング旅行を無理やり引きずり回される。船で出会ったときに、○ンコが痛いのだが、病院ついて来てくれやセービョーかも知れんと、いい、病院にまで引きずり回された。結果、病院から満面笑顔で出てきたM氏「いやあ、単なるコスリスギやったわー」擦りすぎ病。Kさん(通称ガリバー先輩)・・・タイで詐欺に合い、2000ドル捕られただけで病気なし。2年上の先輩Uさん・・・人の実家で勝手に冷蔵庫を開け、料理を始める病。硫黄島遺骨収集で月夜に丘の上で裸で中森明菜を踊る病。Kさん・・・難聴。3年上の先輩Tさん・・・フィリピンのパラワン島奥地で、マラリア。1年後輩H・・・大使館迷惑かけ病。マニラ日本大使館で金を取られて大使館員からカリパチしたまま病。バンコク大使館でテンぱって、電子音が鳴り、監視されていると訴える病。2年後輩K・・・パキスタンで、変な薬を飲まされ、フライングスネークがいる復讐の村に出かけ、帰りのタイでまた変な薬を飲まされ、ルンピニ公園で裸で発見され、ケツの穴が異常に痛かった病。帰国後肝炎発症(最初、痩せたと自慢していたら、翌日から入院)みんな、あまり大した病気に罹らずということが、改めて判明した次第です。めでたしめでたし
2009.10.20
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でかい大仏については、まあまあ、この前の旅行で飽きているのは、仕方ない。しかし、見学が終わって、帰りに無料駐車場に戻ると、男女若者7人組を乗せたバンが、窓を開け、「すみません、大仏見学されましたか?駐車場はここでいいのですか?どこにあるのですか?」との質問を受けた。グループ交際、晴れた日には、大仏って感じなのかい?勿論、元来の老人たちの集団もお参りしている。長いパネルのはめ込まれたトンネルを抜けると、そこは、既に、南蔵寺の中であった。トンネルの途中には7副腎がいた。アンバランスを笑うな。うっ、この色付きコンクリート系は、ヤバイキッチュ印の不動明王。また出たか、羅漢。ぱなしである。結構皆さんコマメに賽銭しているのに、感心します。勿論、私は1銭もしてないのですが、写真を撮り巻くって居るのも私だけです。洞内はお香で煙くて、咽ます。後ろから付いてきていた爺さんは、流石に崖の道を鎖を使ってでも登ってくることはありませんでした。自分だけが特別な地蔵と思うなよ。もっと金が必要です。もっと金が必要です。やはりもっと金が必要です。大仏とパンチパーマ。出た、手軽なイッキお遍路オメエ、動物か?愛玩か?最近、こんなマヌケな犬、見たことないです。絶滅したのか?謙虚である謙虚であるが、一応、ブロンズ像として41メートルの涅槃像では、世界最大ということである。ここの住職は宝くじ1等に当選し、ポーンと全額福祉団体に寄付してしまいました伝説も流布している。ピップエレキ版貼ってます。何か、冒涜しているようなゲームです。自らの手で目潰ししてみました。まねきねこ賽銭落ちず。レモン?帰るアジアで見かける足裏。
2009.10.19
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仕方ないので、ここで、マイガイドブックをチョット作ってみることにしました。なぜなら、バガンのガイドブックで団体旅行以外であるものといえば、地球の騙し方が中心なのだが、いまさらなー若者向きのガイドブックもなあ、という人向きです。(最近は若者向きでもなくなっているんだよなあ、後半に記述)。対象者は、勤め人中年男性1人、海外回数2回以上の人向きです。<入国>飛行機で ラングーンからの飛行機自体は、3社ほどが同じ頃の時間帯に飛んでいます。どれかが欠航した場合に振り替えするためだなと想像されます。ラングーン空港の出発ロビーで待っていると、電光掲示板も何もなく、プラカードを持った人が、出てきて、「エアーマンダレー!」とか「エアパガン!」とか「ヤンゴンエアー」空港会社名を告げるだけで、どこに行くか告げません、行き先が決まっているからです。なかなか不安になるシステムです。でもみんなこの時間はパガンに行くのデス、すべての飛行機は。ガン経由マンダレー経由またラングーンに帰ってくるという1週コースを3社とも同じような時間帯で繰り返しているのです。飛行機は、是非進行方向左側の窓側に座りましょう。空からの見れます、無数の仏塔が、ジャングルの中に。パガン空港には滑走路で、降りる人だけが降り、マンダレーに行く人は座ったままですので、遠慮なく下りましょう。(帰りは、ヤンゴンエアでなく、エアパガンに乗ったのだが、コンピュータがないのか、自由席です。)機内に1番に入ったものの、機内には、ボーっとした人々が約3分の1程乗っていた。逆にマンダレーに着くと、私を含め、4,5人残して全員降りていったので、マンダレー観光しなくてすみません、という感じになります。パガン空港を出ると、荷物を預けてある場合、コンベアはなく、暫く待っていると、おじさんが、バッグを持って現れます。荷物一つ一つを何故か、多くの人間が運んでくるとうシステムです。パガン入域料として、10ドルを支払い、外に出ると、いつものように何人かが声をかけてきます。いつものように様子を伺ったが、どうやら看板に書かれている通り、人が住む街平野部nyaung Uニァゥンウー(これがカタカナであっても発音できないし、打ち込むのもまあまあ大変)が5ドル、オールドパガンは6ドル、ニューパガンが7ドルです。公共機関のバスはありません。タクシーのみです(そういえば、カンボジアのプノンペンも空港バスがない)。ここがインドなら、掲げられている料金表は信じないし、更に交渉するが、まあ、ここは親切なビルマですので、安心しましょう。詳細<入国>陸路でサラリーマンで休日の少ない人には、お勧めできません。半日かかりますから。しかし、関空がオープンした頃には、ビルマに日航が乗り入れてたようです。<入国>川路でマンダレーに行けますよ。サラリーマンで休日の少ない人には、涙を飲んでお勧めできません。半日かかりますから。<見所>観光地については、ここに網羅しておきます。それから、こんなところもあります。<宿泊>バガンでは、そのままのバガンホテル4000円に宿投。バリテイストコッテージ型ホテルでした。バガンは、ニニャウウー村と、オールドバガンとニューバガンに分かれ、オールドバガンには高級ホテル数件しかなく、民家は既になく、あとレストランが2,3件あるのみの閑散とした、夜は寂しいところですので、それでもいいならオールドパガンをお勧めします。でも、オールドバガンは遺跡の真ん中にあり(正確には、川沿いなので遺跡の端)、夜の散歩も、いい雰囲気ですが、誰も散歩してません。但し、電力不足で、遺跡をキレイにライティングというわけにはいかないですよ。とにかく、今の時代、宿泊はネット予約しかしません。よさげなホテル見つけたら、他のネットのサイトを見ながら価格比較して、一番安いところで予約すればいいのではないでしょうか。だいたい、私の場合、5~6の格安料金ホテルサイトからの予約です。オークションサイト(最高値をつけた人がその価格で泊まれる)までありますので、それもチェックしてます。予約は、だいたい、3日前から当日に予約しています。<食事>参考ちなみに、両替も空港ではできません、というかしたらだめです。レートが半分です。両替はホテルか、ラングーンのボーチョーアウンサン市場でしましょう。<アルコール>この地方では、マンダレービールが飲めます。もう勤め人なんだから、2,3本ぐらい飲んでも、体勢に影響はありませんが、基本的にクレジットカードはこの国では使えません。ビールの値段は、大ビン1.5ドル。<ドープ>短い間の滞在では分かりません。が、はっきりいって、ヤンゴンでは、マリワナ売りが私の雰囲気をみて近づいてきました。そんなに俺がドラッグ好きな顔みみえるのか!ちなみに、安いです。<喫煙>タイは、いまや、コンビにでも隠れてでしか、タバコを売っていないのに、どこの店に行っても、日本の90年大ぐらいまでと同じで、灰皿置いてます。世界の潮流、禁煙志向を全く無視しています。<ミャンマー人について>はっきりいって、世界で有数の親切な国民です。<マッサージ>バガンでは知りません。ラングーンは、多分、今までで一番安いです。<ショッピング>してません。<治安・気候>悪くないでしょう。<地図>空港で、1ドルで地図を買えます。<ナイトライフ>真っ暗です。<美術館博物館>1軒あります。やっぱり、ガイドブックを作るのは向いてません。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.10.18
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私のやることは、結構、時代の先端を行くことも多々あるのであり、それが先端過ぎて、10年後でないと流行らないという現象が時々出現するのである。例えていうと、カメラ持ち歩き、数珠、ピアス、サンダル、水筒、破れたジーンズなどである。20年前、カメラを常日頃持ち歩き、何かあれば写す人間は少なかったが、最近は鬼畜ブロガーが増えたり、手軽に撮れるデジカメが主流になったために、普段から持ち歩いている人間は多い。残念ながら、私も、未だ、持ち歩いているのである。20年前、ちょとだけ、インドかぶれしていたので、髑髏ヤシバの指輪を両指のうち3つも4つもつけて喜び、t坊主でもないのに数珠を首からジャラジャラ下げていたのだが、当時は、奇異の目で見られていた。しかし、10年もたつと、一時、数珠が流行り、今では、何故か、腕に数珠を巻いているリーマンまでいるのが驚きである。俺は、もうそんな恥ずかしい真似はしねえ。髑髏の指輪は、今でも、岡崎市一帯で大ブレイクしっぱなしである。 20年前、海外旅行なんかしちゃったりなんかして、50円で耳に穴を開け、5円のピアスをして喜び嘯いていた私も、日本に帰れば、改札を通る時、国鉄職員に汚いものを見る軽蔑の目で見られていたのだが、今では、ナンパな野郎たちがヘーキでピアスをしているのを観察することができる。私は、立派なお茶汲み剣コーヒー作りに励むサラリーマンとなっているので、もう大昔に穴は塞がり、当時の真面目で豊かな青春時代を彷彿することができない耄碌ジジイ状態ではある。 20円前、4月から11月まではビーチサンダルで過ごしていた。こいつの難点は、満員電車に乗るとたまに踏まれて足が痛むことと、真夏だというのに、革靴なんか履いているDCブランド全盛期の我がお洒落母校大学のバカご学友に奇異の目で見られることぐらいであったが、最近では、時代もアジア化し、お洒落系サンダルも登場して、結構夏場には見かけるようになった。勿論、少数派ではあるが、ゴムのチープビーチサンダル青年もたまには見かけて、影ながらエールを送る、エリートロマンスグレー中年の私なのである。 20年前、まだ、水を買って飲む習慣もなく、ペットボトルも最低2リットル以下のものは許可されていない時代から、インド製弁当箱 とかポリタンクに入れた水を持ち歩いていたのである。まるで山に入るかのごとくであったが、2リットル入るのだから仕方ない。しかし、今は持ち歩いていないが、多くの人が、今、ペットボトルを持ち歩いている。みんな500ミリのペットボトルは不買運動して欲しいなあ。 20年前、ジーンズには、穴が開いていた。初めから開いているものを買うというナンパモノではない。使い続けてはき続けて激しく酷使した結果、ひざやケツ下部分が割けて来ただけで、たいした問題ではなかったのである。まるで、貧乏に見られたぐらいである。 まあ、そんな訳で、紹介してきたのは、ただ観察や調査をして、今後の流行を予測したわけではないのだが、今回は、福岡県も福岡空港から10キロ少々の地にある、ブッグスリーピンブッダの南蔵寺に行ってきたのであるが、これがまあ、カップルや若い女性のグループの多いことに、衝撃を受けたのである。そういえば、阿修羅像に女性が群がっているとうニュースも見たことがある。いやあ、純粋に仏像が好きになって、檀家や坊主丸儲けの俗世間から離れていくことは、なかなかいい傾向であると、頷く私なのであった。しかし、スピチュアルブームとかパワースポットとかオーラブームの延長だったらちょと残念だ。(このお寺については次号を待て!あ、誰も待ってないか、てかオメエ、珍スポ卒業したんじゃねーのか?)
2009.10.17
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スカ○ロ洞どんぶりとか、カス○ロとか一瞬にして読み間違えました。ほっぺを真っ赤にしたおなごが通り過ぎるのはそのせいでしょうか。大真面目にフザケテイルように思われました。この富士山は、体力ある放浪さんでも、登山靴では無理だぜ、アイゼンがいるぜ。霊的なものは認めるが、それを言いふらしたり、特に金目当てにする人は信じられませんな。人生滑りで、入れないようにしているほうがいいと思います。五月雨誤伝 おれのことか。一瞬勘違いした。観光土産物屋の常套句軍団。マセガキの俺は、小学校のときからケッと思ってた。努力や根性は、キライだ。痩せても枯れても、白鳥だ!優雅に泳いでいるように見えるが、水面下では高速で水を漕いでいるガチョウだ!努力や根性はキライだ!好きなのは、必死のパッチだ。けんじ!この浮気性めが!鬼笑亭でメシ食って、次に行くことにしよう。カストロ地形でなく、スカトろ地形の草原は、これは、最高に気持ちのいい道路である。この辺りの道路は、追い越し禁止だけではなく、ガードレールも黄色いので、目が痛いです。やがて、おれも、禿げ上がり、一人、こうやって、旅を続けるのか?いや、違う。遺伝的に俺は禿げない。この前、「ジーンズをはいている中年は金持ちになれない」というようなバカなタイトルの本を見つけた。でも、一瞬立ち読みしそうになった。ほっとけや。な href="http://www.youtube.com/watch?v=YAg_dGbKYeo&NR=1">ほっとけや。大仏でないわな。なんとかドルゲだよな、ああ、ミイラルゲとかフランケルゲとかゲジゲルゲとかクチビルゲ怖かったな。バロムワンの友情クロス美しかったなあ。あのまま大人になったらどうなるのかなあ。スパイゾルゲの名前を知った時ドルゲを思い出してしまったぞ。原作はゴルゴのさいとうたかをだぞ。 今宵はこれを聞いて寝るぜ。 ついでにキカイダー。 福岡から山口へ2009年 下関へ 秋芳洞再訪 秋芳洞再訪2
2009.10.16
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恥ずかしながら、不肖、私の属する大学のクラブは、毎年、大学1年生は、韓国に出かけた。それも、自転車に乗って、関西から下関まで行き、韓釜フェリーに乗り、釜山に到着後、北を目指し、ソウルに至り、その後、板門店ツアーに参加するというのが、常道であった。 私の1つ先輩も4人(5人目のガリバー先輩身長2メートルを除く)、徒党を組んでノソノソと韓国に出かけ、そこで、出あってしまった当時5回生にして休学中にして、オペレーションローリーに参加、オーストラリアで1年間ワーキングホリデーで働き、帰りにストップオーバーしたフィリピンで、1年貯めた金を全て費やしてしまったという伝説の両刀使いの人である。ちなみに顔は黒光りしている。ちなみに、お父さんは某大手商社の役員であった。その先輩に出会ってしまった後輩4人は子羊のように、連日ソウルの街を連れまわされ、悲惨な目にあったのである。良い子の日記には書けない惨状なのである。 1つ下の後輩2名も、颯爽と、自転車で釜山まで行ったのだが、1日にして、サイクリングが嫌になり(実はフェリーで関西から下関に行っていたことも判明)、自転車ぱくられたことにして、嗚呼、堂々の痰なる観光旅行をして帰ってきたのである。記念写真が道の途中で途切れていたことに疑問を持った私たちが弾劾裁判の結果、驚愕の事実が判明したのであった。最後の写真は、田舎の路上の貼りついたアイスクリームの薄いビニルパックであった。 2つ下の後輩2名も、颯爽と、大陸を再び目指し、韓国入りし、釜山で二人は別れ別行動したのであるが、数日後、何故か、パスポートを見ると、お互いのパスポートが入れ替わっていたことが判明。びびって急いで釜山に戻り、唯一の手がかりであるホテルに戻った2年後輩のSは、そこで驚愕の片割れKを発見したのであった。知り合った韓国若者にカメラと現金とパスポートを盗まれ、窓から逃げられたのであった。無責任はKは、それが自分のパスポートでなかったことに、安堵し、やがて手違いに気が付きやってくるSを蟻地獄のように、ただひたすら、元の宿で待っていたのであった。パスポートの再発行やらなんやらで、学生初めての夏休みは、釜山とその近郊だけに出かけたことになった有意義な夏休みとなった二人であった。 我々の年だけは、恒例の韓国旅行を無視して、先輩たちの非難の絨毯攻撃を右往左往避けるべく、できるだけ学校に行かないように、部室に近づかないよう、最新の注意を払い、フィリピンに敵前逃亡したのであった。凱旋帰国した暁には、先輩一族郎党に、1回生のくせに観光旅行なんかしてるとは何事だ!と粛清されたのであった。当時、4回生だった先輩には、俺は、フィリピンに行ってマラリアに罹ったんだとお門違いの非難まで浴びたのであった。それは、パラワン島の山奥に行くからです。船がマニラから出るときに、ロッドスチュワートのアイアムアセーリングなんか口ずさむからであろうと想像するのであった。 そういう前置きが長くなってしまったが、そういう事情もあり、下関を通過することは、今までに4,5回あったが、観光してみるのは初めてであった。観光したのは、鯨公園と、コリアンタウン(下関駅前北部に広がる)だけであった。対岸の門司レトロにも行ってみようかと一瞬思ったが、20年前に一度車でぐるぐる回ってみたことがあるので、まあ、フジワラシンヤ先生の故郷であることを差し置いても、今回は、レトロレトロとなんだかうるさい感じがしたのでパスである。関門大橋沿いのパーキングには何故だか、ランボルギーニーカウンタックが5,6台に加え、スーパーカーらしきものが、20台ぐらい集まりいちびっていたぐらいで、レンタカーの軽自動車を再び走らせたのであった。それにしても軽自動車ってちょとした上り坂でもベタ踏みしても120キロでないんだねえ、とても追い越し車線を走るのは怖かったです。結構なめられるし。俺は、本人である人間自体がなめられキャラなので、中身がないので、持ち物で舐められないキャラを満載しているのだが、さすがにレンタカーまでは、迂闊にも、当日軽自動車しか貸し出しがなく、諦めた次第であったのであった。 前置きは長くなったが、そういう訳で、下関の紹介や印象や旅行記は終わるのであった。福岡から山口へ2009年 下関へ 秋芳洞再訪 秋芳洞再訪2
2009.10.15
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朝、順調に寝過ごした、といっても、ほんの8分である。8分といっても、電車は1本後のものになるのは、仕方ない。仕方ないので、TVをつけてみると、森田健作千葉県知事が前原国交相大臣が羽田をハブ空港にするという発言に烈火の如く怒っている映像が出た。役者やのう・・・あ、役者だった。失笑である。千葉県地元民以外、日本国中の人々が、間違いなく、羽田の国際化、ハブ化に喜んでいるというのにである。失笑しながら、着替え、駅に出ると、これはよくあることなのだが、私が寝坊すると電車が遅れるという法則があり、やっぱり、電車が遅れており、更に、会社に行くのが遅れるという悪循環に陥ったのであった。 予算予算といって金がないのだが、金は税金がメインであるが、日本は、金持ちに優しく貧乏人に厳しい税金体制となっており、実は、車検だの、NHKだの(払ったことないけど)、公共料金の異常な高さや,社会保険など、税金と言っていない税金であり、サラリーマンにとっては3分の1ぐらいが税金なのである。それに、支出は、公共工事と公益法人にメスを入れないと、ダメである。税金を払う奴はバカだ、と金持ちに笑われているのは貧乏人であり、サラリーマンであるのだ!と何故か車内で怒っている自分が、流れ行く風景を見ていたのであった。 午前中は、事務作業や報告や依頼やアポイントや交渉や評価表の作成や予算の作成やアイスコーヒーの作成などに従事し、650円の飯屋で11時半にはゆったり早飯を食った後は、またアイスコーヒー作成や銀行に自分の金を下ろしに行ったり、交渉したり、激怒のフリをしたり、仕事に依頼をしたり、飛び込み訪問に来た売込みを無視したり社印を回したり、交通費及び交際費の清算提出したりしているうちに、出かけるのであった。出掛けるといっても、京都である。京都といっても山科区である。山科区、滋賀県の大津市と県境にしているが、京都の中心とは山越えである。勿論、本を開くと目が閉じるの法則である。仕事が終わり、またもや、本を開くと目が閉じるで、京都府を出たと思ったら、大阪府を無視して、兵庫県に入った。目がカッと開き、途中下車し、今日オープンした尼崎駅前の元キリン工場に行ってみる。新し物好きなのは、仕方ないとして、この尼崎に・・・意見はいわないでおこう・・・。よおこそココヘクックククー。ああやたら日記というのに、個人的な部分を暴露してしまうつまらないツブヤキになってしまったわい。
2009.10.14
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10月1日、まだ、室内ではTシャツとパンツ1丁でくつろいでいる。寝るときも、そのまま。10月7日頃、急に寒くなり、室内ではTシャツとパンツ1丁ではあるが、バスタオルを肩にかけて、肩とおなかをガードして眠る。しかし、10月10日、たった3日しかたっていないというのに、室内でジャージ上下をつける。寝るときはバスタオルそのまま。10月12日、寝るときに遂に、掛け布団を床からほじき出してくる。そしてくるまって寝る。たった1週間ぐらいで、それまで6月頃からずっと、Tシャツとパンツ1丁でくつろいでいる。寝るときも、そのままだたのに、いきなり、1週間ぐらいで、冬のようになってきた。室内の唯一の俺の貨幣価値のありそうな低反発ベッドがうなる。シーツも、ばっちり代えたし、枕カバーも代えたよ。まあまあグッドだ。バッドはこんなときだ。あたりはもうまっくらになっていました。空にはほしがかがやいています。あれほどいっぱいいた虫は、どこに行ってしまったのか、どこにも見あたりません。手のひらとひさこぞうのきずは、むらさき色になっていました。 →先程まであった出来事を、瞬時にして遠く昔に体験したことのように思う。そんなことより、今、ここにある夜空などが素晴らしい。 なんぷんくらいあるいたことでしょう。てつやちゃんには、まるで2じかんも3じかんもあるいたようなかんじがします。 →30分も経過していないはずなのだけど、生まれてからずっとフラフラヘロヘロしているような錯覚に陥り、もしかしたら、死ぬまでこの精神状態か?と思ってしまう。 どうしたことでしょう、おとうさんもおかあさんもおねえちゃんも、しらんかおで、テレビを見てニコニコしています→頭の中が、溢れ出す光景や文字や情報で忙しくパンクしそうなのに、ふと、周りを見渡すと、まったくの普通で、自分の行動や頭の中が超多忙なことに気が付いていないのが不思議。 まっくろでギョロ目のインド人の人たちに見つめられて、それいじょうなにもいえなくなってしまいました →インド人に睨まれたら、二重になって潤んだ泳いでいる目を見破られそうな気がして恐怖。 さいしょ、見たこともない虫にかこまれて少しこわくかんじました。でも、ラッパ虫たちにひざこぞうや手のきず口をペロペロとなめられるのが、なんだかきもちいいような、こそばゆいような、ヘンなかんじがして、さっきまでいたくてないていたこともわすれていました →気持ち悪きもい気持ちいい状態、ウネウネのモヤモヤのニュルニュル状態。あ、なんだ、バッドトリップでもねーなこりゃ。
2009.10.13
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小中学生を通して、2泊3日ぐらいの車での旅行を4,5回家族旅行の一員として、連れて行ってもらったことがある。10歳の夏の行程。神戸から下関まで夜行フェリー。関門大橋及びトンネルで往復し、山口県、秋芳洞、岩国で1泊、広島を経て、地道を通って帰ってくる(中国道の完成は1983年)という行程であった。 小学生4年の私としては、帰ってから、当時流行の模造紙に、行程、地図、写真、感想などを書き込み、毎日、お土産に買った秋芳洞の絵葉書を眺めながら、カッコイイナアと贅に入っていた幸福な小学校4年夏時代であった。どうやら、紙上旅行部はこの頃から芽生え始めていたのかも知れない。 しかし、細部に至っては30年も経過すると、あやふやなものとなっており、ましてや自分で運転した訳でも調査して行った訳でもないので、旅行の醍醐味、移動部分がすっぽり抜けているのであった。 特に、駐車場からお土産参道というのを全く覚えていない。子供ながらに、洞内の方向というものを持っていて、何故、黄金柱がこちらに、向いているのか!と思った。こんなガキ向けのコースはなかった。これは、確かだ。新しいアトラクションである。それに、記憶の順番が違う。百枚皿は、もっと奥にあったような気がしていた。洞内の一番奥が、岩窟王だと思い込んでいたが、まだ奥にあった。マリア像なんか、なかったぞ。多分、絵葉書になかったのであろう。この柿やマッタケももっと光っていたような気がしたが、多分、それは、帰ってからの絵葉書の記憶だったのだなと思う。小学生時代は、千町田は、他のアトラクションに比べて、地味で、シーンという感じであったが、今見ると、なかなかこれはこれで、味わいのあるものであった。しかし、大きく変わったのは、観光客に韓国人や中国人が多数を占めるようになったことだ。それにしても、小学校の時、初めて鍾乳洞に入ったからかも知れないが、カイイイイ、シブイ、カンドーした!という意見を持ったが、モウロクジジイ間近の今となっては、そしてその後の人生で、20近くの洞窟に入ったわが身としては、記憶は美化されていたのだなあ、と感じるのみであった。初めて感はなかったが、懐かし感もなかったというのが正直な感想。そして、今や、私も、一家の大黒柱になっているということだ。鍾乳石と石筍が一体化したってことだろう。(コレができるまで1万2000年)参考画像福岡から山口へ2009年 下関へ 秋芳洞再訪 秋芳洞再訪2
2009.10.12
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一度書いているが、ビルマのことを調べていると、腹を壊します、誰でも腹を壊します、絶対壊しますというようなコメントやブログを散々目にしながらも、腸のなんとなく、ヨワッチイ私ではあるが、そう気にすることもなく、まあ、5文字ぐらいでいうと、なめていた。 ビルマ最後の日、メシを食い、そのとき、いつもの様にビールを頼んだのだが、何故か、その店には置いてなかったので、迂闊にも、アイスコーヒーを頼んでしまったのであった。アイスコーヒーには、間違いなく、氷が入っている。これが、タイとは違う。一瞬、テーブルに、そのブツが置かれたとき、脳裏に、数々の忠告が浮かび上がったのであるが、もうここまできてしまった、エエイママヨ、と邪悪な悪魔というより、出されたものは飲み食いてしまう貧乏神が、私の脳裏を支配していたのであった。 やがて、飛行機に乗る時間が近づいたが、私と共に、ウイルス君が同伴していたことに、愚鈍な私でも気が付きつつあった。国内線とは打って変わって、国際線ヤンゴン空港は、まあまあ綺麗で、トイレも、とってもウエルカムな状態であった。ホテルから、タクシーに渋くエリートサラリーマンのように乗った私はやがて、30分で空港に着く頃には、ミャンマーすべてのボロボロのタクシーと同様に、私の下腹は、もうろくジジイと化していた。それでも、私は、まだ楽観視していた。大抵の腹痛は、その液体を体外に排出すれば、すべては、収束を向かえ、やがて、ウイルス君は死滅し、ビルマの地に残るであろう、と想像された。 タイ航空の機内のオレンジや紫の色が、ミャンマーの街中の暗さを跳ね除け、私は、機内に入った瞬間に、マブシイ、と目を抑えそうになったのだが、何故か、腹を押さえた。 シートに、深々と身を沈め、タイの入国カードが配られ、隣の太った若い白人がアメリカのパスポートを取り出した。ノー天気で陽気でおしゃべりなステレオタイプのアメリカ人だったらどうしよう、俺に話しかけるな、これから気圧が変わり、俺は、きっとこれから体内から輩出されそうな気体を押し止める崇高な作業に忙しいのだ。 しかるべきときにのために、高度1万メートルのトイレにすぐ、決死隊は行く覚悟を決めていたのであるが、しかし、何故だか、下腹部が軋むだけで、下へ下へとウイルス君が突進していかないのだ。 90分で、遂に、わが身に離れないままウイルス君はバンコクに到着してしまった。しかし、夜10時、この期に及んで、まだ私は、バンコクの夜を飲み明かすという安易な考えを捨てきれないでいたのであった。 大人は大人しく、明日の朝8時のシンガポールへの飛行機に備えて、空港近くのホテルのトイレで格闘すべきだったのだが、私は、空港トイレでも、何故か体外に生まれないまま、タクシー乗ったのであった。もうバランプーの到着した頃なら、深夜を越えてしまった。タクシーから見える風景と道順で、変なところに向かってないか、いつもは、監視しているが、今晩は、下半身の監視に忙しかったのであった。 アルコールを飲む気がしないどころか、食欲もなく、おまけに、インターネットカフェでネットをしなければならない用事を終えると、その間、ずっと格闘しているうちに、悪寒と冷汗まで出てきたのであった。カフェの時間が終わりそうになり、1時間のネット時間が切れそうになって、途中、重要文章が、電子の嵐の中に埋もれて、消えてしまいそうになった。急いで、レジに行き、追加の金を出しながら、この汗は、焦っているからだ、決して腹から来る物ではないと自分で誤魔化しつつ、遂に作業を終えて、ホテルに戻り、服を着替えるまもなく、ベッドにウズクマル。起床まで、もはや3時間しかなく、ぐっすり眠ってしまうものだと思いながら、まだ楽観視していたというのに、1時間おきに目が覚め、トイレに行きたい気分にはならないのであった。 6時、シャキーン、と起きたといえば嘘だが、また空港に行き、シンガポールにウイルス君を運んでいった不詳、わたしであった。(いつ治ってん?) 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.10.11
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ハルジさんが私の良好な親子関係を羨んではいる様子が微笑ましい中、しかし、考えれば、やはり世代が違うのであり、急速に高度成長期を経て、生活から考え方まで変わってしまって、親の世代を見習う、真似するというのは、難しい世代なんだよなあ。今の新しい親は、どうかな、20~30年前と、今と、そう変わらんでしょ?俺のオトンなんか、月給が1万円で、家が300万円で、エアコンもテレビもなかった青年時代だぜ。30年前で、今あるといったら、大きくはパソコンと携帯ぐらいじゃん。物価も収入も変わらないし。何の話だ?そんな訳で、個人的な話をすると、高校で学業トップだった母は、兄が大学も行ってないのに、おまえが行く必要はないということで、高卒である。そんな訳で、私が当たり前のように大学に行こうとする姿を、ただ呆然と眺めていただけというか、高校3年の終わり寸前に、「あんた、どこの大学、受けるの?」と聞かれた程度であった。俺の大学のご学友お母は、父親が亡くなって急に元気になり、50を越えてから旅行に行きまくっている。同じく、子供が働き出してから、もう、親父ほったらかして、3ヶ月に1回海外旅行に行くおばちゃんもいる。自分の母も50ぐらいから急にマッターホルンじゃ、カナディアンロッキーじゃ、チョモランマベースキャンプじゃ、ニュージーランドトレッキングじゃ、である。そんな、わけで、今回、ご招待旅行って感じではあったが、とにかく、話題がない。3日前まで行き先を黙っている(というか、俺の方では行き先が決まっていない)状態のまま、さぞかし、誘っただけで行く気ナーシと思っていたに違いない。ところで、帰ってから、全くオトサタナーシ、の状態で、うっとうしかったのかなと思ってたら、愛想の葉書が届いた。オカンは、絵手紙の先生であり、多分、月収それで3万円ぐらい稼いでいると考えられる。「この前はどうもありがとう。1泊でもアメリカは広いと分かりました(ほんまかいなー。初日、よく考えたらアメリカは始めてだわといってたのに、2日目にそういえば、カナダに行く前にどこかに寄ったわ、どこかな、というのに、シアトルに寄っていたことが判明、一体、60歳越えるともなると、世界中どこにいるのだか、分からなくなるものらしい)帰ってからいろいろ調べたら、アジサイの咲くぐにゃぐにゃの道はロンバートストリートって有名らしいねえ。(連れて行って、そう説明したのですが・・・)お土産のチョコレートってギラデリって有名らしいねえ(そう説明したんですが・・・)。お土産ばかりで、まだ自分では食べてないけど・・・(さすが、お土産をだれかれなしに渡しまくる世代か・・)でも一番印象的だったのが、エコノミーじゃなかったのが、とても移動が楽でした。」(でも、リクライニングしたらよかったのに・・・そういえば、葬式のとき、雑魚部屋で、おばあちゃんとオカンだけが、座って寝ていたなあ。)次は、アジアでも考えるか。何て親切なんだ、おれ。P.S. 仕方ないので、一口ぐらいは食べてもらおうと、オカンに、チョコレート送りました。送ると返事が来ました。チョコレートありがとうねえ、教室のみなさんに食べて貰いました。
2009.10.10
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仕方ないので、ここで、マイガイドブックをチョット作ってみることにしました。なぜなら、シンガポーは、買い物とか、メシとか、そんな不要なものしかなかなか日本のガイドブックには載ってないからです。対象者は、勤め人中年男性1人、シンガポ2回目以上の人向きです。考えてみれば、考えなくても、現在、ただ一人の指導者が国を興してから経済発展してしまうところまで持ってきた人物は、リークワンユーだけかもしれない。その1党独裁、言論封鎖のおかげで、そして、対外的には、誘致しまくり、いい顔をして、要は、いい顔しているのである。そんな彼の国がシンガポールです。<入国>飛行機でシンガポールのチャンギ空港に着くと、当然、タクシーでしょ、と考えるのですが、バゲッジくるくる回るところに、街までのタクシーの目安が書いてあり、3000円ぐらいと書いてあるので、怯むことになるでしょう。やめて、さっさと、地下に下りて、電車に乗りましょう。<入国>陸路でマレーシアのジョホールバルから簡単に入ることが出来ます。昔は歩いていけたのですが、今はバスしかダメです。乗ってきたバスをイミグレで降りて、マレーシアの出国、シンガポールの入国を果たせば、バスが待ってますから安心です。もし、都市バスで、バスが行ってしまっても、次に来る同じ番号のバスに乗れば、問題ナシです。チケトを見せるだけです。場合によっては見せなくていいです。注意せなあかんのは、私の体験談ですが、酒タバコは1ミリグラムや1本でも、税金がかかり、速攻で別室行きと言うことです。私の失敗談としては、マレーシアを出国すると、1件だけキオスクがあり、そこにタバコが売っています。そこで、うっかり、マレーシアドルが余っているからといって、タバコなんか買ってしまうと、シンガポールの入国の際にX線で見つかり、マッチポンプ的に別室に連れて行ってくれます。<入国>海路でインドネシアからは船で入ることが出来ます。<見所>観光地については、ここに網羅しておきます。ここのシンガポールの欄をご覧下さい。ちなみに、チャイナタウンやオーチャードなんか行っても仕方ないですよ。、アラブ人街はこちら。 <国内の移動> もう中年だからよ、タクシーでいいんじゃね?バスとか、、もう調べるの面倒なんだよ。地下鉄は、調べなくていいから、乗ればいいんじゃね?<宿泊>ベンクーレン通りには安宿がそろってましたが、最近ではシティホテルになっちまったようです。宿泊の少ない勤め人中年には、安宿は厳しいけど、一人高級ホテル泊まってもしゃあないで、という方は、ネットで予算とエリアを決めて検索すると、良いでしょう。2,3000円では、なかなかキレイで清潔なホテルは難しいですが、倍出すと、まずまずのホテルにめぐり合えることができます。間違っても、ラッフルズとか、泊まらないことです。カップルで行ったときにしましょう。一人旅行の場合の楽しみに、あまりホテルと食事はありません。その2つを除くともう何もありません、という方には、旅行は控えるか、誰かと行きましょう。<食事>2人以上での旅行の楽しみは、ご飯がありますが、一人の場合は、メシにはそんなに興味がわくわけではなく、せいぜい郷土料理ってところでしょうか。そんな訳で、私も、どんな富豪になろうと、一人のときは、メシは、アジアでは屋台がメインです。シンガポールならさしずめ、ココナツベースのラクサでしょうが、屋台の鉄則は、周りを見渡して、おいしそうなものを食べている人の皿を、失礼にも指差して、頼むことです。勿論、金額に糸目をつけることはないでしょう。一番高いのは、ビール大瓶ですから(蟹とか海老とか除く)。そういえば、学生時代、いつもタイでは、カオパッ(ヤキメシ)を1日一回は食べていたのですが、たいてい当時は10バーツ50円でした(20年前、今は、30バーツはします)が、一度だけ、ロイヤルリゾートのホアヒンの屋台で、迂闊にも、蟹カオパを頼んでしまい、請求が、80バーツだったことを思い出します。夢にまで見ます。そんな訳で、ナシゴレンやミーゴレンでも、具には注意しましょう。あとは、インド料理は、インドと同じく、何度でもお代わり自由で、死ぬまでお代わりできます。インド料理なら、混んでそうなレストランを目ざとく見つけて行くと良いでしょう。リトルインディアに行くといくらでもあります。憶測ですが、あまり辛くないのは、インドの南部の人が移民や出稼ぎで多いからかも知れません。インドカレー=辛いはインド北部のことであり、単なる伝説です。多分ね。ちなみに、今度、2人以上でいくとしたら、スペインのエルブリじゃないけど、アジア唯一の分子料理行ってみたいです。 <アルコール>値段は、日本並みです。加工貿易といっても、ビール工場はシンガポールにあるのであよ。<ドープ>死刑です。いつだったか、オーストラリア人がヘロイン持ち込んで、イギリス女王の嘆願を蹴って死刑にしてましたね。やらないほうがいいし、死ぬ気でないと買えないと思いますよ。<喫煙>シンガポールでは、タバコの吸殻やゴミのポイ捨てや地下鉄の飲食やトイレの水の流し忘れや、ボウフラを発生させると、多大な(10万円以上)罰金が課される国です。でも、ここ5年ぐらいで、10~20カ国ぐらい行ったけど、外でタバコ吸っている人がやたら目につくのは、シンガポールとサンフランシスコでした。<シンガポール人について>運がよければシンガポール人とも知り合いになるでしょう。シンガポール人はイングリッシュならぬシングリッシュをたくみに操り、マレー系の2回言語を繰り返すことを癖でやってくれるので、ニホンジンには分かりやすい部分もあります。(ジャラン=通り、ジャランジャラン=散歩になってしまいますが)。ちなみにシンガポー人は、もう一般的に通称名を持っています。中華系のチャンチュンシャさんも、多分、ジュリアさんとかいうのです。多民族国家でクリスチャンネームみないなのを名乗るのです。騙されてはいけません。ちなみに、ビルマ人と同様、マレー系には、性がありませんから。マハテール・ビン・ラディンさんは、ラディンさんの息子のマハティールという意味ですから!ビンディは娘ですから!<マッサージ>ANCIENT CHINEISE WELLNESS CEBTRE タンジョンパガ通り、70A 泣きたくなかったら行くべきではありません。但し、院長のソウ先生に受けましょう。悪いところをピタリと当ててくれるというのですが、何してくれんねん!でOKポンチ。<ショッピング>タイガーバームのシップぐらいか。オリは思うんだけど、日本でも売っているか日本でも知っているブランドを探したり、多少安いからって探し回るって、貴重な時間がもったいなくないか。まあ、価値観だけど。何のために旅行しているの?の1番や2番にショッピングが来る(仕事除く)ようであれば、時間と交通費考えたら、この時代、絶対ネットショッピングしたほうが、安いです。保証します。旅行はやめましょう。<治安・気候>悪くないでしょう。<地図>何より歩くのに大事なのが地図です。街を歩いていて、こそっと立ち止まってこそっと見るのが地図です。ホテルにたいてい置いてあるから貰いましょう。眺めましょう。○をつけましょう。時間があるなら、自分で地図を書いてみましょう。以上。<ナイトライフ>未公開<美術館博物館>ずばり、たいしたところはありません。(写真はイメージオブシンガポーでした) 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.10.09
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昨日、韓国屋台でスンドゥブチゲとジャガイモチヂミを食べているときに、韓国語も少しは勉強せなあかんな、ということに相成り、そのまま、紀伊国屋に直行し、2200円の大枚をはたき、韓国人の書いた本を購入したのである。部屋もきれいになったことだし。中が見えそうな服を着ています。 私は、内臓が見えそうな服は今のところ持ってません。明日までに解決してくれたらと思います。 そんなに他力本願なんでしょうか。勉強すればするほど分かりません。 この参考書を読めば読むほど分かりません。食べれば食べるほどおいしいです。 私は、1口目が一番おいしいと感じる小心者です。よく耐え切れるのかな。 ゴルゴ13みたいですね。自分を常に第3者としてみていはる。昔が今よりもっと住みやすかったようです。 微妙だよねえ。ギリギリこういう言い方はしないよねえ。昔のほうが、とか、昔は、何だよねえ、でも、がとはをどう使うか説明できないんだよねえ。もう雪が降り止んで欲しいです。 そんなに強く希望されましても。知ってみると、私も悪い人ではありません。 私もです。知らなくても、いい人です。女に比べて男が早く死にます。 参考書にしては、ドギツイ例えです。男性と比較すると、女性は長生きする傾向があります。始まりの時間にはるかに先立って着くでしょう。 直訳しました!って感じです、というか、韓国語があり、それを日本語に直している参考書なので、こうなっているのですね。噂をして歩き回っています。 すごく忙しいイメージです。他の女と付きあおうともつきあなくとも・・・ つきあっててもつきあってなくても、何なのでしょうか?そちらが気になります・・・声から見ても顔から見ても女の人です。 ニューハーフに向かっての発言なのでしょうか。これから来るなと言えば来ません。 じゃあ、行きません!昔、虎がタバコをすっていたとき・・・ もはや何だか分かりません・・・虎と俺の誤植???やっぱ、やめようかな・・・
2009.10.08
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USAってスゴイ国だよね。アメリカンドリームという幻想について、今日は、突っ込みを入れてみたい所存です。えーっと、一言で言って嘘です。一代で一般平民からトップに上り詰めた世界1,2位の大富豪マイクルソフトの創始者やバクーシャーの創始者をはじめ、立身出世のオンパレード、まさに、アメリカンドリーム・・・・はあ、嘘だね。ロスチャイルド家やロックフェラー家のように、本当の金持ちは、他にいるでしょ、というのは、置いといて、並外れた努力と才能と幸運を発揮した人たちは、置いといて、現実のアメリカは、貧富の差とその生まれながらの境遇の差が激しい国ですよね。ごくごく限られた人のことをアメリカンドリームっていうのなら、まあいいかも知れないけど、一般アメリカ人は、不可能なことはないぞという幻想に洗脳されているのではないか。いや、アメリカ人にズバリ聞いたことがないから分からないけど。統計的に、社会の所得分布図を見るとですね、下から5パーセントに属している人が、それ以上に這い上がる確率は、ヨーロッパやカナダより低いですし、上位5パーセントの収入に属する人が、それ以下になってしまう確率がヨーロッパやカナダより低いのです。つまり、流動性に富んでいないのですね、あの、保守的と思われるヨーロッパ社会より。つまり、ビンボーニンのほとんどはビンボーンのまま、金持ちは、だいたい金持ちのままなんですよね、アメリカ。立身出世を果たした人の子供時代のエピソードは、たいてい、貧乏人に生まれてとか、貧困地域に生まれてとかの形容詞がつくのだが、ああ、アメリカンドリーム語るなら、アメリカで生まれ、だけでいいし、子供時代は10年20年であり、その後、50年、60年の成功へのステップの家庭からは時間的に短すぎないか。このまえ、マイクルムア(マイクル好きだな)監督の映画みたら、ブッシュだけど、アメリカンドリムの元凶は、ある作家に行くつくらしい、名前忘れたけど、まあ、書いて書いて書くまくったがほとんど内容が、貧乏人が決意して金持ちになるだけの物語らしいんだけど、今、そんなの誰も読まないよな。 しかし、何でもいいけど、収入だけ年収1億とか儲けて逃げていったやつ等が何の責任も取らないし、シャチョーの年収が平社員の100倍も1000倍もあるってさ、おかしくないか。貧富の格差よりも、普通のアメリカ人はそれを許容していることがおかしい。アメリカンドリーム幻想の洗脳を受けているとしか思えない。あいつらわしが年収300万やのに、30億ももらいやがって死刑じゃ、と思わないのは(思っているのか?)、いつか、おれもそうなりたい、そうなることもある、と思ってしまう洗脳所以の優しさではないのか? 優しい気持ちで見ると、でも、これは、一般アメリカ人にはプレッシャーにもならないか?頑張れば、生来の才能を生かせば、あのような金持ちになり、アメリカンドリームを体現できる!そう思わされながら、そんな可能性のない人々が大半である。大半が当たり前と思うのではなく、自分は失敗者、落伍者と盛ってしまうのではないかと、いじけてしまうのではないかと。 それから、アメリカの政治って何だか、ヨーロッパ的でなくで日本的だねえ。ブッシュ家とかクリントン家とか古くはケネディ家とか。ヒジョーに簡単に考えると、ヒラリー大統領落選候補ちゃんってさ、エスタビリッシュに登りつめた末に!ではなく、ビルと一緒になった、ただそれ1点でしょ? 私は、チャーチルの息子が、サッチャーの子供が、ミッテランの子供が、コールの子供が、ドゴールの子供が、ゴルバチョフの子供が、またその国を担うような地位や立候補したんあて聞いたことがない。(議員とかにはなっているけど) ああ、政治も保守化だよなあ。カックンって感じで。 2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.10.07
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床に寝ているわけでは有りません。こんな感じの飲んでますってことで、紹介したまでです。久米仙には、オキナワ島の久米仙と久米島の久米仙がありあります。泡盛ってますね。あと、ウオッカは、ロックでズドンと飲むのですが、生牡蠣があれば、あとレモンとタバスコで、シューター作って、ウォッカ漬の生牡蠣をゴックンの飲み込むと最高だぜ、ベイビィ。 マドンナも愛用 チャイテを時々飲んでいますが、この前、サンフラシスコのホテルで持って帰ってきたスタバクスコーヒー。サンフラシスコ名物のギラデリチョコをかぶりつきながら、コケコッコー共和国で買ってきた玉子スープで勝負する予定。 パソコンの裏側に移動しましょう。パソコンは、いつも高速回転しているので、出火に気をつけている次第です。 自宅愛用のペンは書いて圧力がかかると、ドタマが光る優れものです。 奥の部屋は、3年ぐらい前から変わりなしです。行くこともないです。 掃除が難しいので、まずは、パソコン内の掃除からです。 しかし、そのうち、こんなことにならないか、心配です。 いっそのこと、自宅倉庫にちゃんと保管しようかな。それが大変なんだ。 私の体自体もぼろっちくなっていってまして、20年前は、こんな感じでしたが。今はこんな感じです。 或いは、こんな感じで凹んでいます。
2009.10.06
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2009年9月30日、インドネシアのスマトラ島の首都機能を持つパダンが地震で壊滅的になったという。パダンは、夜行バスで到着し、その日の夕方にまたジャワ島に向かって2泊3日のバスに乗ったので、これといった思い出は、数える程しかなく、パダンから2,3キロ離れた無人ビーチに出かけた。 パダンに朝、バスで到着した頃には、インドネシアルピアの持ち金が少なくなっており、両替の必要があったのだが、観光客も見当たらないこの場所にそんな両替所なんかあるのか、不安になり、バスステーションの喧騒と照りつける太陽と肩に食い込むザックが、私を虚しくした。すると、通りを渡ったところに1件チェンジマネーと書かれている事務所を発見し、入ってみた。冷房が効いていた。だだっぴろい事務所には机が1つあっただけで、そこに座っていた係員が、アツーといって入ってきた汚れを怪訝な目で見た。事務所は外と違って静かであった。何か、外界から閉ざされた安心感が漂った。バンカメのトラベラーズチェックを切った。すると、もう何もすることがなくなり、何だか、冷房の静かな事務所から出て行くのが嫌になった。 パダン料理。 旅行に出かけると、長いバスや長い飛行機で、散々、早く着けと祈っていても、いざ、着く間際となれば、怠け者の習性か、今後の楽しみより、何だか今からまた面倒だなあ、と思うことも結構多いのである。え、もう着いてしまったのか、どうしよう、と。 私は、顔だけでなく、尻の皮も薄く、バスに長時間乗ると、もう尻が痛くて仕方なくなる。映画館でも、3時間となると、もう大変である。そういうこともあり、パダンからは、ジャカルタまで、船で行くことを所望し、港に行ってみたものの、3日に1回しか出ていないことが分かり、またバスステーションに戻り、あらゆる客引きから出発時間と値段を確かめて、バスに乗り、パダンを去ったのであった。そのバスが、地獄の苦しみであった。中国のジャンピングバス・スーダンの炎熱列車・パキスタンのバイブレーションバス、に加え、スマトラの圧力バスという世界の最悪交通機関の始まりであった。(スーダンの経験は無) そんなことは、どうでもいいけど、一度でも行ったことある地ならなおさら、心配なのであった。天災の唯一のメリットは、政治経済思想対立の枠を超えて協力するという可能性がある点だ。祈ります。きみたちは、どのくらい寄付するかな
2009.10.05
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大阪から時速140キロで車を飛ばし、自宅最寄インターを通り過ぎ、そのまま、新長田に入った。新長田は、何を隠そう、高校の途中下車駅であり、20年以上留守番勤務をしたオカンの店がある駅であった。理由は、ナッチーさんが行け行けと私の頭に電気を送るからである。ほんの、制作費13500万円である。ボランティア代は、0万円のはずである。今日が、正式オープンだったとのことで、シチョーまでが参加したとの噂であった。(帰ってからニュースで知る)道理で、やたらめったら人が多いと思ったわけだわ。後ろに見える建物は、ジョイプラザといって、昔から、この辺りの高層建築物として、結構、シンボリックな建物であったのである。隣では、運動会が催されていたが、何故だか、オキナワ民謡が流れていたのである。そばめしの発祥と目される長田には、ベトナム人やオキナワ人や韓国人が多い地でもあり、そんな訳で、オキナワなのか。オキナワのでっかい店もあり、サンピン茶じゃなくてゴーヤ茶などを買って、サーターアンダーギーを噛み千切るぜ。中華の看板も発注ミスしても、何のその。駅前では、達人28号(英語で言うと、アイアンマン)の説明コーナー。パンタロン履いております。ベリベリー放浪大学からご苦労さんです。ビブレのパチモンですか。こんなんもやってたようです。長田は何を隠そう、靴の街。ケミカルな街。ナチュラル派もどうぞ。燃えた後、区画整理され、空き地がポツポツ。菅原地区も。オーストリア取材チームの運転手として、燃えた翌日訪問すると、逆に、心配されて、報道頑張ってくださいとリンゴを貰いました。オカンの店があったところ。菅原地区もあの地震でなくなった。何度か、書いたが、震災の数ヶ月前に、家賃値上げを家主に言われて、店舗を移転したばかりだったのだ。後で入った中華料理の店は、開店直前に壊れてなくなった。おかげで、中華料理屋には申し訳ないが、手前どもの商品は、1000万円以上損害を免れたのであった。その前年にオカンの兄が亡くなっており、オカンは、兄のおかげだと、言っていた。
2009.10.04
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頭痛が痛いのにも関わらず、頑張って、皆さんの希望に添えるよう、というか、掃除も人生のうちと心得え、シンガポール人の頭痛軍団の強い見方、パナドールを大量服用して、頑張りました。気持ちだけ。パナドールと、それを置いてある本をのそのそ退けると、この前行ったサンフランシスコの1日ケーブルカーやバス乗り放題券11ドルが出てきました。コインで、月日を擦って使うのです。当たりはありません、削ったら終わりです。オカンは、いらないものなので、ホテルで捨ててました。代わりに、これからも使えるホテルの備品をカバンに入れてました。サンフランシスコの1日乗車券と、それを置いてある本をのそのそ退けると、その前行ったシンガポールのセントーサ島の地図と、その前に行った香港のクーポン券付地図が出てきました。また、高崎で有名なだるま弁当(貯金箱になる)も出てきました。貯金箱の中を見ると、まだ1円も入ってませんでした。なかなか貯まりません。シンガポールのセントーサ島の地図と、その前に行った香港のクーポン券付地図と、それを置いてある本をのそのそ退けると、その前行った仙台方面や石川県方面や奈良方面の案内図が出てきました。今では、懐かしい思い出だなあ、と、思いました。何だか、ここ2,3ヶ月で、3年ほど続いた国内爆裂旅行の気持ちが萎えてきたからです。地図はスロバキアのブラスチラバのものと判明しました。各種案内図と、ブラスチラバの地図を退けると、ブラスチラバの1日前のオーストリアのコースターが出てきました。真冬なんだけど、やっぱり、一杯目はビールを飲んでしまうものなんだなあ。コースターと筑波案内図をのそのそ退けると、カンボジア、プノンペンの長距離バスの時刻表が出てきました。当時バス停では、でも、時間が全然合わないことに、気がつきましたが、行き先もどれに乗っていいのか、全然分からないことに気がつきました。1箇所だけでも、めくっても、めくっても何かが出てくるので、まるで金太郎飴ゴミのようです。嫌になったので、今日は、掃除準備編で終わりとします。本格編或いは、本編はいつだか、期待できません。発掘は続くのか。
2009.10.03
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今頃であるけど、世界で一人当たり一番米の消費量が多いのは、ビルマであります。ビルマの主産業が農業で、軍事政権の経済制裁状態では、空腹を満たすのは、米を食うしかないからです。以上。 ところで、ビルマは軍事政権になってミャンマーと国名を変えたが、西洋諸国は軍事政権を認めてないので、今も、ブルマあるいは、バーマと呼んでいる。ビルマは、多民族国家なのでビルマ族の国ではないから、ってことで、昔の呼び方にしたというのだが、日本は経済的につながりも多く、軍事政権を政府が認めているので、追従いして、ミャンマーと呼んでいる。以上。 タイの徴兵制はくじ引きだ、以上。 シンガポールは、おそらくアジアで、一番人口当たりの死刑率が高い、以上。あかん、頭痛が痛いので、おわり以上。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.10.02
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いろんな名前を書いて、出す書類があって、氏名の上にひらかなとかカタカナとか、氏名の漢字の読み方を書く欄がある。何故ひらかなやカタカナを書かせる意味が分からなかったので、いつも、それは、無視してカタカナで書いていたが、要求されたとおり、自分の名前をひらかなかカタカナで書けばいいではないか、と思った今日。就職活動の時にある企業で履歴書を出した後、人事担当者から、君、履歴書で氏名の上はひらかなと書かれているからカタカナで書いてはいけないよ、と指摘され、そのとき初めて、そこに、ひらかなとカタカナの違いがあることに気がついた。見たいものしか見えない、注意していないと分からない、何て散漫なんだ、と思った記憶が蘇ってきた。 常識とは、難しいものだ。学生時代、アフリカを休学して旅行している先輩からの手紙であった。あれだけ、アフリカに憧れていたとうのに、手紙の内容は、アフリカ人は人間じゃない、であった。なんて、差別的な人になっちゃったんだ、とそのときは思った。 しかし、それは、常識や教育なのである。その辺をいささかの本で知ったのであった。例えば、難民の多くの人が、「半分」という概念を持てないのだという。10キロも20キロも離れたところから薬や食糧を貰いに、子供を背負って歩いてくる人々に、来るのは、大変だから、2週間分薬を持って帰ってくださいといっても、また来週来ますというそうである。で、来週かと思えば、3日後ぐらいに来たり、2週間ぐらいして来たりするそうである。10キロ20キロもまた適当である。私たちの感覚では、100メートルがあの辺りだから、あの10倍歩けば1キロだなと頭の中で分かるが、或いは、100メートル1分かかると、10分歩いたら1キロ歩いたかなと分かるものだが、地図も定規もそのた文房具もないここでは、それが、何のことか分からないのである。字が懸けないどころか、簡単な足し算引き算も分からない、衛生もムチャクチャ・・・そんなところに、投資によって工場が作られたとしたとしても、労働力にならない。よわっちい国に成り下がっても、教育が一番大事だ、と思う。 でも、自分も、人のことは言えない。良く分からないことをベラベラ喋ったり、誰が何といおうと俺はこうだ、はいいのだが、それで人に不快な目に合わせたり、先進国に居ても恥ずかしいのである。気をつけます。
2009.10.01
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