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史上最低カルト映画として有名な映画を思い出してしまった。 というか、もう、最後に犬の糞を食うシーンしか覚えていない。 ピンク色しているのってのは、そういう色素のものを食べているから、動物園ではオールピンクってのを聞いたことがある。 今回、初めて野生のフラミンゴをチュニスで見た。列車でチュニスに入る頃、車内から見えたのだ。次の駅で降りて後戻りして見に行った。何となく見てみたかったのだ。意味はないが、考えたらなかなか自然に出会う動物というのは少なくて、日本でも山でカモシカに会ったときも不思議な感覚であった。向こうもこっちも、ホゲーっと見つめ合っているのであった。1人では生きていけない都会に住む人間としてはあの巨体をどうやって食糧を摂取して維持しているのか、不思議に思うのであった。案外、山は豊かなのか、それは分からないが、今でも、何年か前に見た六甲山系で見た野生のタヌキ、生きているのだか時々思い出すことがある。あの寒空の中、毛が抜けまくり、トボトボ車道を歩いていた。家畜やペットでない哺乳類を見ることは、日常生活において、まれであり、不思議である。汚いと思えるところに、フラミンゴが集まっているって栄養過多なんであろうか。心なしか、汚い場所を縄張りにしているフラミンゴのほうがピンク色に近くなっていた。僕は、こんな映画を小学生の時に見たことを思い出していた。 つくづく、思い出と憧れで生きているんだな、と思う。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.31
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中国の怒りの宿のことを思い出していたが、それと無理矢理絡めて、最近読んだ本からピックアップ。最近、お金持ちになった中国人が来日して買い物をするような光景がよく報道されているが、もう少し小金もちに落として、日本にはこの先旅行に来ることができるか分からない層の日本だんがんつあー(というか一般的な団体旅行ルート)1日目 上海-東京。お台場。2日目ディズニーランド。3日目浅草、皇居、銀座、秋葉原、河口湖。4日目箱根、芦ノ湖、京都。5日目金閣寺、大阪城、心斎橋。6日目関空-上海。すごいのは、京都大阪を新幹線で自分で行けというものであった。しかし、この間にショッピングや食事やっ睡眠も込みである。それにしても、誰かのノンビリツアーに似ているような気がしないでもない。ああ、頭の中に、座席が決まっているのに、我先にと乗り込む人民や、無視されたことを思い出した。 そういえば、西寧からゴルムドに向かう列車の中で、チベットのラサ行きのバス切符を売りに来た服務員?がいて、皆が買ったのだが(勿論正式なもの)、いざ、ゴルムドのバスステーションで出すと、そんな切符知らないと、バス切符売り場らしいところでいわれ、人民と私を含む観光客が暴動を起こし、締め切られたバス切符売り場窓口を叩きまくると、切れた女性の切符売りが出てきて3、40人相手に唾を飛ばしまくり、激高。それにまた人民が激怒。いいぞいいぞ、私は暴動の一番後ろで応援する。 結局バスのチケットは交換してもらえたのだな。2日後のバスに。彼らの名誉のためにいっておくと、個人的、ひとりひとりはすごくいい人たちだったんだ。仲良くしてくれたんだ、親切にしてくれたんだ。でも仕事や、団体になると・・・
2011.01.30
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近年、私の脳内では、直行で行き帰りできるところは、12時間かかろうと、感覚が国内と変わらなくなってきている。かつてはバンコクまで帰ってきたら日本近いなという感じであったが、今は、ドイツやオランダにいると、ああ、もう日本すぐだなあ、という感覚に陥る。距離ではない。乗り継ぐと、何だか遠く感じてしまう、さすがに、韓国乗継なら、すぐそこではあるのだが。 今回もフランクフルトの乗り継ぎが3時間ぐらいあり、1時間程度ブラブラ散歩に出かけるのであった。ギョエーテドイツのスーパーでビールが30円だったので、寒いのに、飲み歩き。あ、おなじようなやつがいたんだ、この寒空の中。普段、旅行にいっても買い物はあまりしないが、背広とかネクタイとかまあそういうものは買うこともある。今回は、必要に迫られカバンを買ったらタックスが5000円も返ってきた。どんなけ税金とっとんねん、て。3年連続同じ新聞読む、値段変わらず 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.29
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それは、中国のチベット、ラサからネパールに向かう2泊目の宿であった。軍の野営地といった感じの宿であり、泊まるならとまってもいいよという共産圏の時代、更に、泊める気もなさそうな宿であり、800円払えば、まあ空いているところとめたるよ、え、ごはんは、一種類、学食のようなところ。宿は、なんと3000メートルの高地から、ベッドに寝転がり、満天の星空が見える。そこから冷たい風が吹く。それはまあ、悲しきかなではあるが、許せる。許せないのは、何年も洗いも干してもなさそうな布団。湿気を十分に吸い込み、それが何十人何百人も泊まった人の湿気だと思うと気色悪くなる。それでも、寒くて仕方ないので、無理矢理寝る。おまけに食事は、カスみたいな料理に500円ほどいわれ、食べるのをやめた。腹が減ひもじい感じがするが、あんな傲慢かつまずそうな飯食うぐらいなら文句言って我慢する。厨房の人間も怒ってからの皿を下げた。私の後続隊も、続々と、文句をいい、文句を言われたら皿を下げられた。今となっては思い出せないが、空の食器を持って順番並んでたのだが、何かで切れて、文句言って、もういらねえと列から離脱したのであった。 普段、ビスケットなんか食べないのに、非常食があんなに美味かった夜はねえ。 翌日、ネパールに入り、そこから大雨による地崩れで道は寸断され、40キロ先のバスが来られるところまで民家に泊めさせてもらい1泊2日、カトマンドゥに夜、到着して、安宿なのにホットシャワーが出て、「ここは天国か!」と叫んだ。
2011.01.28
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ビルヂングが大きく資本主義に洗脳されされつつあった。チュパチャップスってスペイン名産で、デジャインはダリなんだよねえ。当時30円で30分舐められたなあ。タブークラブで何行われているんだか・・・このお客さんたちは、近道しているのでしょうか。ホテルのプールで泳ごうと、水着を物色しに来たのであるが・・・癌はあかんテ、この国にあるのか・・・従順な犬、信号を守る。信号が横断中に赤になり、道の真ん中で立ち止まる犬。車運転中の人も、苦笑しつつ、ゆっくり走り抜ける。信号が青に変わり、犬はまた小走りに走り出した。この銀行のトレードマーク、やけに凛々しい。桜10本ぐらいしかないです。出た、マトリシカ。触ったら怒られた。これも巨大なマトリシカか。チュニジアとエジプトの違いであるが、チュニジアには教育に少なくともお金をかけていたのか、子供の労働者や物乞いは見受けられなかった。ソフィアにも、子供の物乞いは見なかったが、老人の物乞いは多く、社会福祉が壊れているなと思わざる得なかった。寒いのに、広告は元気に見える。寒い踊りです、南国用ですね。各国、こうやって、人のベンチを占領している微笑ましい光景に時々出会います。マックだよね。男女、ダンジョではなく、オトコオンナ、そんなあだ名の子が小学生時代にはいました。何かが違う。ANAアカシヤ秋刀魚を思い出す人もいるだろう、ナンデスカ。
2011.01.27
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こういう事情があって空港近くのホテルに泊まることにした。といっても、市内のまで30分程度1000円もタクシーでかからないのだが、空港近くの郊外にぽつんと1件だけあるホテルまで300円のタクシー代、10分程度の距離。タクシーが到着した時は、海外の知り合いの家に行ったような気がした。まず、行くことのないエリアである。おそらく、空港狙いの宿としての機能なのだろうか。ついつい、中学校の時に読んだゴルゴ13シリーズの1話を思い出した。ロシアの寒村の民宿にゴルゴ以外に2組ぐらいの客が泊まり、食事は、居間で家族のように、皆そろって同じテーブルで黙々と食べるシーン(てか、ゴルゴ13は喋らないけど)、外は深々と雪、そんな何十年も変わらぬ寒村にゴルゴのいるとこ、事件あり・・・確か、商用というところで東郷はやってきたと思うのだが、まさにそんな感じであった。フロントで、青年が親切にいろいろ説明はしてくれるのだが、何となく、青年も何でおれこんなところでこんなことしてんだ、あ、ここの民宿の息子だからしゃあないか、はあ、という感じで、最後に、もしよかったら、隣はレストラン併設しているから寄ってってよ、と遠慮気味にいじけ気味にいうのが微笑ましかったのであった。というか、食べるところ、外見ても全くなく住宅街の中にポツンとある民宿、ここで食べるしかないなという感じであった。それでも、レストランはロックンロールレストランであり、ド派手な女性がウエイトレスをしていたが、多分、娘さんなのであろうか。終始客はいないというか、夜、外に出ると、全ての照明が消えており、誰も泊まっていないのだなということが想像されたのであった。荷物を置き、行くところがないので、タクシーが通ったところをチェックしていたスーパーまで歩いていくことにした。歩いて20分の距離であった。車が高速で走りぬけ、側道を歩いている人間はいなかった。(スーパー近くには流石に人がまあまあ20人ぐらいはいた)スーパーといっても、3列ぐらいの棚があるだけの小さな店舗であったが、怪しい東洋人が2周も3周も回っているのを、誰も関心なさそうにしてはいるものの、結構目立っていたかも知れない。夜のビールやつまみを買い込む。買い込んだ!と思ったら2,300円であったように思う。(2リットルビーう瓶買うか迷いましたが重いのでやめました)来た道を戻り、レストランに行くと、やはり客はおらず、いや、先程オヤジを見かけたなと思いきや、多分ここのオーナーであり、フロント青年の父であり、ウエイトレスの父であることが想像されたのであった。宿は、ソ連崩壊後に出来たものであったが、建物自体は昔からあり、部屋は広く、そして寒いのであった。広すぎて、ヒーターが十分に行き渡っていないので、急いで厚着しながらも、アルコール摂取にて体を温めるのであった。部屋が寒いホテルというのもなあ・・・といいながら、フロント青年の顔を思い出すと、何となく文句をいいたくもなくなってしまうのであった。おまけに明日はもう朝3時半に出ちゃうし、23時ころには眠る準備をしなければ、と思うのであった。風呂も寒いけど、日本に帰るまで24時間以上次に入らないし、飛行機にも乗るので、震えながら裸になり、熱いシャワーを浴びるのであった。ビールも飲み尽くし、何となく、ロビーまで降りていくと、オヤジが手招きするので、レストランに入ると、ウエイトレスも出てきて、なんか飲むか聞いてきたので、またビールを頼み、最近買ったと思われる大型テレビを見るのであった。(部屋にもテレビがあったが壊れていた。テレビといっても、どの国に行っても、頑張ってコマーシャルを探して見るのが好きである。コマーシャルみるために、チャンネルを代えまくるのである)ベッドの布団はこれ1枚じゃ寒いだろうと思いきや、部屋の外にリネン室があり、開いていたので、布団をさらに勝手に追加して、眠るのであった。タクシーは頼んでいたが、モーニングコールは頼んでいなかったのに、夜中の3時15分電話をくれた。チュニジア塩をぢつと見る。早朝、真っ暗な中外に出ると、郊外の幹線道には、ほとんど車が走っておらず、タクシー頼んでおいてよかったなあと思ったのであった。(去年、オマーンもチェックアウトが3時半頃で、フロントでタクシー頼めば高いので、外に出ると、あまり車が走っていなかったが、客を乗せたタクシーが停まり、乗ってけ、この客送ってから送るから大丈夫と乗せてくれ、値段もその分か、フロントより随分安かった) 夜明け頃には、ようやくドイツの郊外上空を飛んでいたのであった。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.26
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渋い(やばい)名前のホテルであったが、いいホテルであった。1泊延ばしたのが仇となったのではあるが、それは愛嬌、トラベルイズトラブルのお約束事。彫刻ホテルである。 考えれば、ここ5年ぐらいで一番よかったホテルは、グアテマラのカーササントドミンゴかなあ。見て、ここに泊まりたいと、思わず、その場で正規料金で翌日予約入れたものなあ。 でも年をとってくると、不思議なことに雰囲気+清潔さを求めてしまうようになるんだなあ。でも、その清潔さが、新しさとか、チェーン店ぽくなってしまう面もあるような記もするのであった。部屋の広さや立地より。あ、でも、立地はネットで選ぶ時も結構、マップを見るんだなあ。そういえば、ブルガリアはチップ制度がなくて、久しぶりに感動したのが、荷物を運んでもらい、部屋の説明を受け、50円ぐらいを払おうとしたら、ノーと言われたことだ。日本のホテルでも、基本チップは断るらしく、無理矢理以外は受け取らずということになっている。ンデモ、チップ当たり前の国から来たら結構感激するんじゃねえか。そういえば、ミャンマーもチップを受け取らず、トレイダーズホテルというのがかなり快適であった。勿論、値段との兼ね合いもあり、7000円の価値ありとみた。コストパフォーマンスとの兼ね合いから行くと、多分、エルサルバドルで一番いいホテルのひとつインターコンチはその清潔度と4000円の兼ね合いが、すんごくお徳感があった。これ日本じゃ、3万ぐらいの価値ありだったわ。そんなこんなで、最近軟派になって、コストパフォーマンスが高い綺麗なホテルに陥るアタシでした。Hotel Consul bulgaria 1/2/2011 - 1/3/2011 $53.46 Hotel Anel sofia bulgalia 12/31/2010 - 1/2/2011 $235.77 Africa Hotel tunisia 12/29/2010 - 12/31/2010 $236.03 Ruwi Hotel oman 9/20/2010 - 9/21/2010 $100.16 Marseille des Anges Hotel argentina 8/19/2010 - 8/21/2010 $200 Golden Beach Hotel israel 5/2/2010 - 5/3/2010 $109 Belle Vue Hotel jprdan 5/1/2010 - 5/2/2010 $107.35 Plaza Hotel lebanon 4/30/2010 - 5/1/2010 $92.01 Fryderyk Chopin Warszawa 12/27/2009 - 12/28/2009 $70.65 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.25
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大きな声では言えないが、ブルガリアは農業国である。ヨーグルトでの下ごしらえや、味付け、ソースなど、幅広く使われている、というのは事実だが、そういわないと、コラア、ヨーグルトはどないなっとんじゃい、と多くの苦情が寄せられそうなので、本当のことを書いておく。さすが、スーパーの惣菜コーナー、ヨーグルトベースだらけだ。といっても、ヨーグルトは、トルコからもたらされたもの、さすがトルコ世界3大料理のひとつとされているだけある。ん、何がさすがだ、だ?1個ずつたのんだつもりが、コリャ多いわ。ケバブチェかキョフテか、いやロールキャベツかセルミっていうやつかな・・・大晦日、店がほとんど閉まっている夜、ここは賑やかな開いている数少ない店であった。見た目で、食べるが、塩辛の味、東北の雪国にいる気分となる。お菓子食べて、ビール飲んで寒い部屋をやり過ごし、ぶっ飛ばす、最後の夜。ショップスカ・サラダ・・・ブルガリアのサラダ。トマトやキューリピーマンキャベツにヤギチーズでやっつけたウメエサラダ。よく分からないが、スープとヨーグルトベースの何かと、ミシュマシュ(ぐちゃぐちゃという意味)をツーゴーにして、正月の瞬間に備えるのだが、途中寝てしまう。起きたのは11時59分でった。マイナス11度だが、アイスクリーム食べるのは乙なものであった。それより、何だ、この果物、今まで珍しくも食べたことがなく、そして、癖になるほど美味かった。アジアなどの南国で散々果物食べてきたのに、知らない味に思わずであったことに、びびりもったのであった。朝食は、間違いなくヨーグルトてんこ盛りセットと思いきや。・・・この色を何処の国でも見ることが出来、心のどこかでほっとする。スーパーでバンザイですから。タラトール・・・ヨーグルトを何だか水で薄めてなのか、それにキューリが入った冷たいスープ。ニンニクで多少味が添えられているが、味があまりないのが、難点と思うのだが典型的ブルガリア料理。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.24
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西宮の韓国料理の店に行ってきた。つまりは、今、フリーのプータローになった大学の同級生Oの帰国記念パーティであった。参加者は、O以外に後輩のYとSであった。 その中で、かつて学生時代に後輩のKが行ったと豪語していたところに同級生も行ったというのだが、まったくいい所であった、彼は一体何をいっていたのか、という話題になり、ま、私のためだけに、大学後輩(K)のことをまとめておきたいと思った次第である。(他の昨晩飲んだメンバーの見聞もプラスしておく) 今から21年前の夏8月、バンコク、チャイナタウン、ジュラホテルに宿投していた私を発見し、訪ねて来たのが、後輩Kであった。やせ細り、言動がおかしい状態であった。パキスタンの山奥でえらいことになった、今金が全然ない、バンクオブアメリカのせいである。とけたたましく一席ぶって、話が終わらない。こいつ頭いかれたな、とんでもないヤク中になっとるな、と私は平和に思ったものである。(その少し前に同輩Oにもカオサンで出会い、ネパールでえらい目にあった、金が全然ない、バンクオブアメリカのせいだと、言っており、詳細は若干違うものの、痩せたなというと、ダイエットして格好良くなったでしょ、とのことであった) 彼は一足早く、帰国していたのであるが、そのまま肝炎と判明、岸和田病院に入院していたのであった。見舞いに行くと、病院内を猫が走っていた。一応、えろほんを差し入れしておいた。バチェラーなんとかという洋モノであった。 話をすり合わせると、YもSもパキスタンに行っていたという話であった。パキスタンにトレキング当時簡単にできるところなんかあったか、ネパールの間違いじゃないかという話にもなったが、フンザ近くじゃないか、クンジュラブ峠越えて中国から入った形跡はないからな、という話で落ち着いたのではあるが、とにかく、そのパキスタンでの話というのが、復讐の村というのがあって、村人が何かに対して復讐を誓う者達が集まる怖い村に潜入したということと、フライングスネークという空飛ぶ蛇がいるという村があるということであり、その話はバンコクで散々聞かされたのだが、要は、その夢のような村で金を取られたということであった。というか、おそらく何かを飲まされて、気がつくと、日にちが2日進んでおり、異常に腹が減っており、お金が無かったという話であった。 その後、バンコクでも、何か知り合った人にジュースを奢ってもらい、飲んでから記憶がなくなっており、これまた2日後、バンコクルンピニ公園に直射日光に当たりながら素っ裸で倒れており、また異常に腹が減り、体中蚊に刺されまくったどころか、コーモンを随分やられていたという泣くに泣けない状態にて自己発見したようである。勿論身につけていた衣類どころか、持っていた金もなくなっており、何故か、それをバンクオブアメリカのせいにしていた。とにかく、TCの再発行が遅いバンカメはおかしいの一点張りで、ルンピニ公園丸裸コーモン開き事件についての詳細はそれ以上、硬く口を閉ざすのであった。 Kが大学1年のときに後輩Sと一緒に韓国自転車旅行したときの話である。私と同輩Oが聞いた話では、釜山で、知り合った日本人に気を許してしまい仲良くなり、Sは先に次の町まで自転車で行ってその町で待っているということになったのに、その謎の日本人に寝ている間に壁がパコッと開き(どうやって?)、カメラと金を盗られたというのであった。オマケに何故か自転車も盗られ、次の町にバスでやってきたとのことであった。おまけに、私とOが聞いた話では、Sと別れてからKとSのパスポートが入れ替わっていたとのことで大慌てだったそうであるが、昨晩Sに確認すると初耳とのこと。コンクリートの壁がどうやって外からパッコっと開くのか不明であるが、Kはやたらその知り合った日本人を犯人扱いして、結局、韓国自転車旅行は釜山に自転車を持っていって盗まれて終わりなのであった。 その後、彼も一流商社に入社したものの、理由は分からないが自宅謹慎を受け(会社で自宅謹慎なんて「初耳であった」)、自宅謹慎中に川下りに行き、骨折して、首になりかけたというのであった。その後、無事結婚し、超カカー殿下となり、3日に一度はキッチンのヌメリチェックを受け、配管掃除しているのであった。おまけに家はいらないというのに、蒲田で家を買わされ、最近大損こいて、家を売り、武蔵野市の億ションを大幅値引きしてもらい購入したようである。 会社もおれなくなる状態となり、上司と共に、会社を立ち上げ、兵器産業(死の商人、ヘリコプターの特殊部品)として3人ぐらいでほそぼそやっているそうで、家庭と仕事でストレッサーな日々のようであり、頭は禿げたどころか、今は、神経性からくる顔面神経痛で、顔の半分が動かず、よだれを垂らしながらもがんばっているそうである。そうのよであったので、東京までその場で電話し、「今西宮で皆で飲んでるから来いや」と労いの電話をしたのであった。 その後、西宮北口でクリーム(勿論、エリッククラプトンがいたバンド名)という店に行き(偶然発見)、60年代70年代80年代のビデオを見まくりいやはや懐かしかったなー。勿論、Kの話題はもうでなかった。心の中で、小さく、ガンバレ、それだけだ。(どうでもいいけど、翌日、しこたま飲んで、いつものように目覚ましがなって、寝ぼけてて、もう会社にいかなくっちゃ、いや、待てよ、今日は休日だ、ゆっくり寝てもいいんだ、すがすがしい二日酔いをものともせず、また2度寝に突入できると思った時、幸せを感じる至福の時間である) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.23
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ホテルの机に座って、ビールを飲みながらモノ書いてたら、机の角っこのシールが。ああ、メッカの方向か。即座に酔っているのに、机を頑張って動かす。時々、何気に撮った写真に笑顔でちょっぴり「登場する親父」ってのが時々写る。卵売って楽しいな。屋上の別室に憧れるのは少年の夢。でもそれは本宅に帰る場所があるからなんだ。昔、インドでぼっと道端に座っていたら、脇の靴磨きのおっちゃんの所にピシッと決めたおっさんが来た。ふんぞり返って足を差し出すと、靴磨きは、フンフンフンと鼻歌を歌いながらスムースに靴を磨き出したのだが、不快に思ったおっさんが、うるっさい!と怒鳴った。靴磨きは静かに靴を磨き続けた。水パイプを思い切り吸うと、まあ、大きな声では言えませんが、結構ハイになります。多分、酸欠です。死ぬほどの勢いで水パイプを吸っている人みたことないですから。ちび黒サンボ、インドだろ原本は。父ジャンボ母マンボ、主人公サンボ、双子の兄ウーフ、ムーフ。ま、いいんじゃないか。店は開いてないが店番、朝から散歩してるもんでな。ヒトコブラクダのほうですね。ちょっぴり東村山一丁目のワーオとかガブラッチョを思い出しました。コレは何となく心引かれて写しただけのただの看板。木が不必要に太った感じ、嫌いじゃありません。ポルトガル領事館、お前だけ感がお得感だね。ペヨーテだったらどんなけ、むしるねん、どんなけまずいねん。ウイリー、する?学校寄って見たんだけど?中国?昔、共同募金の羽というのを小学校とときだったな、やったんだよな、儲かったねえ、寄付多いねえとオカンにいうと、あんた羽飼うのに、ナンボ払った思ってるの。と呆れられたな。何と詠むのか、哲学的である。ファストフードババクラブもあって、先程、バクダッドカフェ、間違えて画像消して死もた。看護婦コスチュームってか同じですね。ほんと、まあ、チュニジアってこんな感じ? 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.22
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ローマ人の住居・・・といっても、広範囲に広がる廃墟。その向こうに近郊列車が走る光景がシュール。カルティエマゴン・・・最近掘り出されたようで入場もできないよ。古代カルタゴ軍港・・・平和な感じそのものの穏やかな入り江。陸地ならぺんぺん草一本生えてないというのだが、海沿いでは、きれいな色の海が見え、魚が一匹も見えない。トフェ・・・生贄になった子供たちの墓。さすがに2000年以上たつと、霊的な反応さえなくなる。怨念、信じないが、あるとしても数百年の単位か。ローマ劇場 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.21
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古代スーパー銭湯である。鼻の穴全然話は関係ないけど、先日先日、大阪の亜米利加領事館の前を通った相変わらず物々しい雰囲気であった。何年か前に、用事でいったことがあるが、本当にアメリカ以上にアメリカ。自分から壁を作って、壁の外は全て敵という感じにしている。ここは日本かというぐらいに、人が一回に溢れ、ビザであろうか、すごい列になっていた。戦争に敗れてまるでベトナムを脱出するアメリカ大使館みたいだ。私は別件だったので、横道であったが、それでも、セキュリティを通り抜けて、エレベーターを降りるとピカピカの国旗に、大統領や国務長官のでっけえ全身写真があった。アメリカ人の対応も、ガラス越しであり、物々しさは最後まで消えなかった。考えたら、日本で行った大使館や領事館といえば、インド、タイ、フィリピン、韓国、のビザ申請ぐらいか。(韓国って年ぐら10数年前くらいまで観光ビザ必要だったんだよね。トランジット72時間のみビザ不要で、アジアンゲームのあった87年だったか、はその期間1週間不要となり、私は1週間滞在した。) タイも2ヶ月、フィリピンも2週間不要であったが、それ以上いたので。インドは、そら1日でも、ビザいりまんがな。 おもろかったのは、バブル全盛のフィリピン領事館、私はビザ申請にいくと、国民的演歌歌手の位置つけであるフレディアギラのバヤンコ(我が祖国)(何を隠そう、私のカラオケ18番、しかし、ほとんどどこにもない)が流れており、フィリピン人が踊っていた。杉田二郎の息子も。そこに、フィリピン人女性が気の弱そうな板前さんのような人を連れて、入ってきて「結婚ビザくださいー」と大声で叫んでいた。 あの領事館が入っていたビル、震災で使用不能になっちゃたんだよな。見張りもいた。囚われの身だったんだ。(というか、隣が大統領官邸なもので、というかとか10日後には略奪の場。)まさに、、ちょっぴりチュニジアの夜子供オブジェ群いろいろ埋め込んでますなあ。世界遺産割りました。上って崩れても知りませんよっと。上って泣きべそかいている微笑ましいガキ。Gメン75地面はタイル張りだったところとおもあるといいつつ、ほんの端っこに少しだけあり、これがそうですよという看板もなかった。西洋人がガイドブックを見ながらこれだこれだといいながら唸っていたので気がついた。自分が休憩している前だった。昔のタイルか。10日前に通った道ひええ、といいつつ、冷静になれば、やっぱり正月とかクリスマスとかラマダンの月とか、そういった時期って皆さん個人的に忙しいので、まあ、確率的には安全な日だったんだなと思う。個人的な元旦革命は多そうだが(2日に最も革命失敗する日)、元旦政権崩壊革命とか、元旦クーデタ、さすがに、なかなか、ないねえ。・・・グぐって調べてもないねえ。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.20
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今日、仕事先の4件向こうが火事となった(動画アップしたけど、1分もみなくていいよ)19日昼前、大阪市中央区の住宅で火事があり、隣の家や倉庫に燃え移りました。 けが人はありませんでした。午前11時15分ごろ、大阪市中央区谷町6丁目の住宅から煙が出ているのを通行人が見つけました。 消防車36台が出動し消火にあたりましたが、火の回りが早く隣の家や倉庫に次々と燃え移りました。 「いったん収まった火は、また再び燃え出しました」(記者リポート) およそ2時間後にようやく消し止められましたが、木造2階建ての住宅1棟3世帯と隣の倉庫合わせて420平方メートルが焼けました。けが人はありませんでした。原因は調査中ですが、大阪を含む近畿各地では雪が降った日曜日以降、大気が乾燥する状態が続いていて、消防などは火の取り扱いに注意を呼びかけています。(01/19 19:09) ニュース。煙臭い臭いが鼻を突き、消防音が鳴り響いたので外に出ると、10メートル以上の炎が、数えて4件向こうで燃え上がっている。こんな炎は子供時代ぶりだな、と思いながら、中学校の時、放課後火事があり、急いで走って火事現場まで行こうとすると、私の前に懸命に走っている男がいた彼は1つ上の不良で、その後893になり指が10本なかったのであるが(落とした理由は落とし前でなく、食品工場で不注意でベルトコンベアに指を挟んだらしいかららしいが、893になる前に一回就職したようでありm893デビュー時には指が足りなかったということであろう)、陸上部長距離の私より察知能力が早かったようであった。ぜいぜいいいながら、「すごいですね」と私は言った。炎がすごいのではなく、火事場を近くで見たいという彼の情熱に感心していたのであるが、彼は、自慢すべく、すごい炎だな、とぜいぜいいいながら贅にはいっていた。 少し待てよ、その間にすごい炎を見た、阪神淡路大震災のときだ。地震の翌日、私は三ノ宮や元町にいた。地震直後ではなく、その後もガス管が破裂したのか、電気の関係か、翌日でも火災は発生した。翌日、私は、元町にいた。火の手が上がり、それを見ていたのだ。(前にも書いたが、地震報道で、オーストリアテレビクルーの運転手をしていたのだ。しかし、その放送を私は見ていない。報酬も渡すといっていたがそれは貰っていない、貰わなくていいから、そのドキュメンタリーを見たい) そこに大阪から自転車でやってきた夫婦が私の目の前で自転車を放り出し、男がうずくまって泣き出した。女性は冷静である。女性の妻は、私に向かって、「3日前に神戸に店を出したのです。そう、いま燃えているここ。明日から火災保険適用日でした・・」と冷静に言った。男はうずくまったまま、泣いていた。私はオーストリア人クルー(インタビュアー)に、そう伝えた。インタビュアーはいつも返す質問は同じだった「これからどうしますか」私は、彼らの代わりに行った。「日本人は状況に流されるんだ。明日からどうしていいか分かりません、みんな言うことは同じだ。その質問はもっと時間がたたないと答えられるはずがない」と。
2011.01.19
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チュニジア新政権「変化」アピール 野党指導者、ブロガーも入閣 2011.1.18 19:01 【カイロ=大内清】民衆の抗議行動で政権が転覆したチュニジアで、メバザア暫定大統領から組閣要請を受けたガンヌーシ首相が17日、新内閣の布陣を発表、複数の野党指導者のほかベンアリ前政権で拘束されていた著名ブロガーが政権入りするなど、新政権の「変化」をアピールした。その一方で主要ポストには与党・立憲民主連合(RCD)の閣僚が留任しており、反RCD感情が強い国民の信頼を得られるかはなお不透明だ。世界遺産の置物が寒そうだったから。今から、首チョンパ画像撮るぞ。世界遺産がなんぼのもんじゃい。ポーズ俺が決めちゃるから動くでないぞと注意されてた老人。そして、女性に弄ばれる。世界遺産の上でスタチューになってもよし。ポーズ決めても座ってもよし。それいちゃついてるだけで、正式首ちょんぱになってないです。太っている人に首ちょんぱ向いてません。それにしても、首がない石像ばかりです。おっと、グレイトスタチュー!石柱で平均台、10点!アチョー!世界遺産割りました。カルタゴ博物館の紹介です。これはなに?ローマ時代のモザイクが発見され、展示されています。さすがにその上に座ってコーヒー置いたら、監視員に怒られ、苦笑いしている女性。か、勝った!しかし、展示物触るぐらいお茶の子サイサイ。多少、鼻に押し込んでも問題ない。口に突っ込むのもそう問題ない。おっと、預けたまま帰るところだった。チュニジア:首都、緊張と静寂 中心部は兵士だけチュニスの中心街で警戒にあたるチュニジア国家警備隊=2011年1月16日、ロイター 【チュニス和田浩明】大通りをにらむ戦車や装甲車、自動小銃を構えて政府施設の警戒に当たる兵士たち--。全国規模の反政府デモで23年に及んだベンアリ独裁政権が崩壊したチュニジアの首都チュニスに16日入った。休日の日曜だが出歩く人も少なく、シャッターを閉めた商店がほとんどの市中心部は、奇妙な静寂と緊張感に包まれていた。 朝に到着した国際空港では、観光が主要産業のチュニジアだけに、リゾート地の動画や高級腕時計の広告が出迎えてくれ、政変がうそのようだ。 だが、車で目抜き通りに入ろうとすると、「POLICE」と書かれたベストを着込み、黒い警棒を携えた目付きの鋭い男たちが出迎えた。「どこから来たか」「何が目的か」。記者の荷物を調べながら矢継ぎ早に質問を繰り出した。 近くに配備された、迷彩を施した戦車や装甲車。背後にそびえ立つのは、ベンアリ政権の抑圧の象徴として大規模デモの標的となった内務省ビルだ。14日の政権崩壊前に集まっていた数千人の群衆の姿はない。周りには鉄条網が敷かれ、自動小銃を持った兵士が警戒に立つ。 夜間外出禁止令は出されたままだ。14日に出された非常事態宣言では、治安部隊は命令に反する国民への発砲を許可されている。チェックインしたホテルでは「夜はバルコニーにも出ないで」とクギをさされた。夕食は出ず、宿泊客は別のホテルのレストランに行く必要があるが、「軍に話をつけて通行許可を得ないといけない」(ホテルスタッフ)。 仕事で旧宗主国フランスに滞在中に政権が崩壊し、帰国便の欠航などでパリの空港で2日間を過ごしたという米系企業勤務のサルマンさんは「チュニスに妻子を残していたので、戻れるまで眠れなかった。10日前はこんなことになるとは想像もしていなかった」と虚脱したような表情を見せた。 今回の政変について、一部で「民衆蜂起が独裁を崩壊させた」との声が上がっており、インターネット上ではチュニジアを代表する花のジャスミンにちなみ「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。国際線の運航は再開されたがダイヤは乱れている。在チュニジア日本大使館によると日本人観光客は15日夜までに新たに確認された分も含めて約200人がホテルで足止めされているらしい。記事には10日前が信じられないと語る店を壊された店主の談話があった。いやはや2週間前にそんな雰囲気は何も無かったねえ、確かに。【チュニス共同=土屋豪志】23年に及ぶベンアリ前大統領の強権政治の抑圧から解き放たれたチュニジア。デモ隊鎮圧で流血の舞台となった首都チュニスは16日朝、主要な官庁前を戦車や装甲車が固める物々しい雰囲気で、略奪を受けたスーパーは白煙を上げ続け、政治の混乱がもたらした暴力の傷痕をさらす。市民たちは流血の事態再燃におびえていた。 チュニス西郊、ブドウ畑が広がる丘のふもとにあるフランス系大型スーパーは、15日に略奪を受けたが、一夜明けてなお白い煙を上げ続けていた。周囲にはビニールを燃やしたような臭いが充満し、鼻を突く。 割れたガラスやショッピングカートが散乱する別のスーパーの前では、従業員とみられる人々が、やるせなさそうにたたずんでいた。近くにいた女性ニズマさん(50)は「ベンアリ時代は最悪だったが、今もその悪影響が続いている」と吐き捨てるように言った。 チュニス国際空港から市内に向かう幹線道路沿いの小高い丘には、外務省の建物が見えた。庁舎前には戦車と装甲車が配置され、装甲車に乗った兵士の銃が記者の車の動きを追う。 市内に住むモハメド・アスカリさん(40)は「軍隊に不安は感じていない」とクーデターなどへの懸念は打ち消したが、各地で続く暴力に不安を隠せない様子だ。 空港にあるレンタカー会社のブースには、前大統領の肖像が残り、夜間外出禁止令で足止めされた欧州からの帰国者ら数百人が朝を待った。耳に入るのは治安悪化の情報ばかり。「明日のことどころか、今日のことすらどうなるか分からない」。チュニス郊外に住む男性は「せめて早期に情勢が安定してほしい」と切実な心情を語った。 「腐敗した政権」として長年市民の怒りの対象だった前大統領は国外に逃れた。だが就職難と食糧高騰が重くのしかかる生活向上の見通しはなく、膨大な数の警官や治安組織を誇ったベンアリ体制支持者の抵抗も必至で、市民の不安は募る。 スーパー略奪や銃撃は、ベンアリ体制の支持者が社会不安をあおるために実行しているとのうわさも流れ、ある男性は「ベンアリ前大統領を再び国内に呼び戻そうとの企てだ」と語った。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.18
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友達の猫が死んだとのことだった。16年前と少し前、京都の祇園で捨てられていた子猫を拾ってきて、下宿先で飼っていたのだが、1日実家に帰ることにした友達は、まあ一晩ぐらい大丈夫だろうと、食糧と水を置いて実家に帰る。 1月17日早朝。日本は終わった・・・そう思う揺れの中、下宿先は半壊となった。 猫は、死んだかもしれない、何とか、救出に向かって欲しい、そういう依頼を受け、生後2週間の猫を探しに原付を飛ばす。焼け野原となった菅原市場を抜け、鍵が不要になった部屋に入る。 シーンとしていたが、そこに、押入れから猫が跳び出て来た。全く人懐っこくない猫が、私の足元に絡みつき、顔を足に擦り付けてくる。 (そのことを死んだ時、友達に話したら、聞いてなかったと驚いていた)無理矢理、ボストンバッグに子猫を突っ込み、バイクに乗った。カバンの中からミャーミャー聞こえてくるが、外は、風は寒く、バイクは逆走、原付の2ケツ、問題なし、警察もそれどころでなく、まさしくカオス、煙が漂い、一方で人がコレだけ亡くなっているのに、何でオレは猫救ってんだ・・・という気も正直、ないでもなかった。 家に着き、猫をバッグから外に出すと、何事もないように、外に出て、そして、先程とは違い既に私を無視状態。おもろいな、私は思う。 1週間、猫を自宅で預かると、何故か、親父が一番仲良くしていたからおかしなものだ。名前まで呼んで仲良くやっている。猫も自分の居場所を見つけたようで、2,3箇所同じようなところにいる。引っかいてソファが破れる。知らなかったけど、ちゃんと用意したトイレで用を足す。 しかし、一番興味深かったのが、ふと立ち止まり、どこか遠くをじっと見つめると、暫くしたら余震が来ることだった。そして、余震が来たら、やはり、怯えているのであった。 それから16年、猫は、老衰で亡くなった。
2011.01.17
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てかその前に、チュニジア、大統領追放ですなあ。現地では気がつかなかったけど、空港も閉鎖されてたんだねえ。危なかった・・・。飛行機が乗れるかどうかどころじゃない事態に巻き込まれるところだったわ。また無意味に全国の読者さんに心配させるところだったわ。といもい政権崩壊の暴動に巻き込まれるとか。【カイロ=2011年1月15日22時53分】在チュニジア日本大使館によると、15日現在175人いる在留邦人は全員の無事が確認された。一方、団体観光などの日本人旅行者が14日午後11時現在で約130人確認されている。けがなどの報告はないという。 チュニジア政府は14日夕にチュニスなどの空港を閉鎖。15日午前に空港の再開を発表したが、航空便の乱れが続く可能性がある。日本人旅行者からは、「空港に行ったら出国便がキャンセルになっていた。次の便は18日まで飛ばない予定で、足止めを強いられている」といった相談が寄せられているという。しかし、旅行者って、130人か・・・ショウガツだから2,3倍としても、日本人でチュニジアえってたの500人くらいなんかねえ。2011.1.15 21:53 (AP通信より) 【カイロ=大内清】大規模な反政府デモが続いている北アフリカの国、チュニジアのベンアリ大統領(74)が14日、出国した。親欧米的な経済運営を行う一方、23年間にわたり強権支配を敷いてきたベンアリ政権は崩壊した。ベンアリ氏は15日未明、サウジアラビアに到着した。事実上の亡命とみられる。 ロイター通信によると、サウジは同日、ベンアリ氏と家族の滞在を受け入れたと公式に発表し、同国当局者は、同氏は紅海沿岸のジッダにいると述べた。 チュニジアのガンヌーシ首相は14日、テレビ演説で暫定大統領就任を宣言したが、同国憲法会議は15日、憲法規定に従い下院議長が暫定大統領となり、大統領選が60日以内に行われると発表した。 各地では商店が略奪に遭い、鉄道駅が放火されるなど混乱した。北東部モナスティルの刑務所でも15日、火災が発生し、フランス通信(AFP)によると42人が死亡した。受刑者が脱走を試みて放火したという。 チュニジアでは昨年12月、中部シディブジッドで警察の取り締まりに抗議する若者が焼身自殺を図ったことなどをきっかけに、高失業率や物価上昇に不満を抱く市民のデモや暴動が拡大。ベンアリ政権の退陣要求に発展していた。 ベンアリ氏は今月13日の演説で、次の大統領選に出馬しないことに加え、言論の自由の拡大や民主化の進展を約束し事態の収拾を図った。しかし、14日も多数の市民が大統領の即時退陣を求めて首都チュニスの内務省付近に結集、治安部隊と衝突した。同日夜、全土に非常事態宣言と夜間外出禁止令が出されたが、統制がとれない状態となった。 当局はベンアリ氏が出国するまでの1カ月で、暴動により23人が死亡したと発表したが、人権団体の調べでは、60人以上が犠牲になったという。 軍部出身のベンアリ氏は1987年11月に大統領に就任。ブルギバ前大統領が創設した「終身大統領」の称号を廃して任期を3期までに制限し民主化を進める姿勢を示した。しかしその後、再選規定を改正して2009年には5選を果たしており、国民の間に失望感が蔓(まん)延(えん)していた。 アラブ諸国ではエジプトのムバラク大統領が約30年、スーダンのバシル大統領が20年余にわたり権力を握るなど、独裁的な長期政権がいくつも存続しており、チュニジアの政変が周辺諸国に波及することへの警戒感も広がりそうだ。 チュニスからカルタゴにはTGMという近郊列車で出かける。12キロという近さである。始発駅、マリン駅を出ると、直ぐに左手にはチュニス湖、右手にはチュニス港となり、水に囲まれた土手のような細い一直線の陸地を進む。やがて20分でカルタゴハンニバル駅に到着(写真は帰りのカルタゴデルメッシュ駅)。駅員は1人。あまり皆さん切符買っている雰囲気もないまま、結構暇にしている。歴史とは別に、今は、高級住宅街であり、住宅街の中にポツポツと遺跡が存在するというイメージである。皆さん、団体旅行のバスで来るのか、観光客らしい人が1人も歩いていない(歩いていないが、遺跡には大量の観光客、前にバスが連なる)途中で気がついたが、大きな道を通らなくても、民家をショートカットすれば、遺跡に近いことが分かる。そのためか、遺跡への標識が少ない。あまり、うろうろ歩かれたくないからか、民家の横を。やがてビュルサの丘という一番高いところに到着し、新しい教会や博物館も併設しておる。シチリア戦争とかポエニ戦争とか習ったよなあ。ポエニってローマ人がフェニキア人のことを呼んだ名前らしいね。世界史習った最初のころに出てきたのがフェニキア人とかだったよなあ。しかし、今は鳥のさえずり、のどか。ローマとアレキサンドリアがまだ現存するのに、この3番目の都市は、気のいい高級住宅街。しかし、カルタゴの説明は面倒なので、ここのサイトでもみてくれ。(興味があれば) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.16
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ネパール アイランドピークより寄稿。そして、ヴァラーナスその後アイランドピークはここです。大学時代の同輩アイランドピークに行ってきた報告を受け、まだ帰国飲み会をしていない状態であるが、とりあえず、緊急報告である。何か一瞬で登頂したみたいに見えますね。続いて、インドの聖地、ヴァラナシからの報告である。バングについてはハルジ氏のここに詳しく書かれてあるが、当時知り合いでもなかったのに、ここに勝手に「後輩Kはインド通の男を友人に持つ放浪野郎」と悲しいかな私が出てくるのであった。(恥ずかしいねえ、通でなく、ただのアデックトだったのにね)確かにバングのことは、一番最初のことも忘れてしまったけど、同じガンジャ成分でも体内に完全注入してしまうので、精神的な規制を効かすのは難しく、例えグルがいても、いって仕舞うかもしれない。しかし、何故あれがおおっぴらに売られていたのか未だによく分からないのであるが、毎日飲んでいると、そこそこに耐性もできてくるのか、最後まで楽しめるようになってしまうおかしさがあった。もう、毎日、フラフラしている日々から人生は倍も過ぎ去り、すっかり落ち着いたと思われた大学の友人もドロップアウトし、インドはすっかり変わったと昔ナツカシズムの身勝手なカナシズムメールを送ってきて、ああ、そうか、もうバングラッシー屋もなくなってしまったかと、私も、いつまでも自分の思い出は無くなって欲しくないと言う身勝手な妄想が駆け抜けたのであった。 その四つ角にあったバングラッシー屋さんは今は普通のジュース屋さんに成り下がったとのこと。「バングはないのか」と質問すると、「少し顔をしかめ、あれは、もうないんだ」と言われ、ジュースを飲んだらしいが、「ちょっとこそっと出してくれよ」というと、「本当にないのだ!」と一喝されたそうである。そんでもってOMロッジ(1泊40円)も、もうやっていないらしく、迷路の奥にある自宅は美容師や美術の専門学校を娘さんが開き(あのジャリがいまや30歳)、毎日150人ぐらいの若い女の子がやってくるそうだ。彼が行くと、よく覚えてくれていたそうで(何せブラウンシュガー中毒の2人組が1ヶ月も滞在したので)、マスターに「もう1人はどうした?」と尋ねられ、面倒なので、「死んだ」と答えたら、「ウム、そうか、シリアスプロブレム」と合唱したそうである。名物マスターも、もう20年前とは変わって白髪の男となっているが、いまだに、ノープロブレムを連発していたそうである。(写真を見ると、マスターの顔をはっきり思い出した)マスターは20年ぶりの訪問者に、即席でベッドを作ってくれて、タダで泊めさせてくれたとのことであった。 路地を回って回って辿り着いたOMロッジであるが、ときどき、この道標があって、行けるのだが、バングやって、路地で立ち止まった瞬間にどちらから来たかどちらに向かっているのか分からなくなり、2時間迷い、辿り着いたという思い出も、もうイニシエの話である。19歳の時、初めて印度に行く前に、伊丹国際空港で缶コーヒーを買って飲みそびれて、印度に持って行き、カルカッタとかでも飲まないままザックの底で眠り続け、ヴァラナシのこのOMロッジに向かう路地で飲んで、空き缶を置いて、OMロッジに戻り、10分後、また通ったら、その空き缶がなくなっていたことを思い出す。 屋上の部屋が空いたから移動しなさい、ドミトリーと同じ値段でいいから、といわれたことも懐かしい。その部屋でぼんやり、「暗夜行路」を読んでいると、洗濯物を猿に持って行かれたのも懐かしい。マスターにいうと、「ノープロブレム」といわれたのも懐かしい。ガンジャやると、マスターに見つかって「オー、ノープロブレム、でも、それはいけません、私から買いなさい」とアドヴァイスされたことも懐かしい。宿の記帳が超適当で、部屋番号にイニシャルを入れるだけ、というのも確かに妙に懐かしい。OMロッジマスターが死ぬまでには再訪してみたいものだわ。オリジナル版
2011.01.15
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固有名詞としてのメディナは現サウジアラビアにあるメッカと並ぶ聖地であるが、アラビア語一般名詞では、町、そして北アフリカ一帯マグレブ地方では旧市街のことを指す。世界一の迷宮であるモロッコのフェズやバロウズも住んでいたタンジールには是非、訪れたいが、ここにも大規模なメディナがあるとは、到着の前の飛行機の中で知った。 ここに来て、また高校の時の世界史を思い出してしまう。ウマイヤ朝がビザンチンからカルタゴを奪取してからカルタゴに変わる町として建設されたチュニス。迷った時には、少しでも高いところに行って俯瞰する。何故、迷路が好きなのか。迷うのが好きなのか。インドのヴァラナシ、スペイングラナダのアルバイシン、チェコのプラハ・・・管理社会の中で姿をくらませたい欲求か、子供の時の記憶か、何かを発見しそうなワクワク感か、それとも大きく路地裏に魅力を感じる延長か。土産物屋通りはそれなりに賑やかで、多少、観光通りは鬱陶しい部分はあるのだが、一歩外れると、スペインのアンダルシアの静けさと寂しさはないのだが、 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.14
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Tunisia tunis musee dar ben abdallahチュニスの世界遺産メディナ(旧市街)の迷路の奥にダル・ベン・アブダラー博物館はある。元オスマン時代の200年前に建設された宮殿は、ブルジョアや庶民の生活が人形によって再現されている、そこまでの情報を得た私は、急ぎ、そして、珍しく細い迷路を一度も迷うことなく、到着したのであった。到着したのは16時であった。 門は閉まりその前に、初老の半笑いの男が1人立っていた。男は、半笑いのままクローズといった。ええっ、せっかく遠いところから来たのに、それにまだ16時だぜおかしくないか・・・私は少し悲しそうな顔をして男を見ると、まだ半笑いのままであった。すかさず、私は1000チュニジアディナール硬貨をそっと握らせた。 男は、少し困った顔をしたのだが、少し怪しげに周りを確認すると鍵を開けてくれた。5分間だけだぞ、何かそんなことを言ったような気がする。 5分間の間に西洋人が見学にきたようであったが、クローズ(クローズの時間じゃないじゃん)とまた断っていた。西洋人女性は、そのまま、アーアというよな感嘆の言葉を残し去っていった。 どうみても、庶民やブルジョアの生活ではないような気がした。人形って、民族衣装着た人形じゃなくって骨とゴミのサイボーグとかじゃん、アートじゃん、こっちのほうがいいじゃん、デカダンじゃん、エセヴァンダーカマーじゃん、東京弁じゃん。中庭も訳が分からんじゃん。サテ、いくぞと思ったら、親父が、もう終わりだと言ってまだ1階しか見てないのに、追い出されたのであった。親父はもうちょっとチップをくれと相変わらず半笑いでいうので、100ディナールを上げると、少し不満な顔をしたが、もうないというと、これでタバコが1本買える、先程のお金でカフェにいけると飲む真似をして、そのあと、2本の指を突き出し、タバコを吸う真似をした。そりゃよかったな、親父、じゃあな。(もしかして、毎日、早目に閉めて、次に来た観光客から毎日お遣いをせしめているのではないかという疑念が、帰り道すがら頭をよぎった) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.13
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ミントティー。既に甘いのに、これ以上砂糖入れろというのは酷であった。サラダ、メシュイーヤ。焼き野菜にオリーブオイルを絡ませたもの。こういうのが好きなんだけど、野菜の種類チョイ少ないか。とにかく、ツナが好きな国みたいで、スーパーマーケットではツナの缶詰コーナーが充実、どんなけ食べるねんと思わせられた。セルティアビール。国産ビールは、ほとんどこれ一種のナショナルフラッグビール。瓶を持っていかれそうになったが、おいといてよ、と懇願す。オジャ。炒めピーマンと魚介類をトマトソースで煮込みよって半熟卵をぶちまけたズッペ。クスクス。日本でも時々食べられる店がある北アフリカ(マグレブ)の代表料理(2回ぐらい食べてそのときは美味かったのだが)。少しクスクス自体が脂ギッシュ過ぎて、サラダとスープのあとは、もう厳しい状態。乗っている肉一式と7割ぐらいのクスクス(細かい小麦粉部分、実はパスタの最小形)を残してしまうとう失態。朝食は、フランスの影響もあってか、カフェが多いのだが、そうではなくて、ファストフードというか、大衆食堂へ行く(なかなか早朝店が開いておらず、開店間際の店に入ると、おじさん、非常に興味深そうに、美味しく食べてくれてるかなあと何度も笑顔でチラ見される。サラダチュニジアン、今回最高に美味かった(何て安上がりなんだ俺?30円)のだが、青タマネギを調理室で切っているのを見かけ、皿ごと調理室には持って入って行き、それも入れてよとと懇願すると、どばあと入れてくれた。今回のひとつに、この安食堂に来るためにここまで来たのかなと思った次第。毎朝これでもいいよ。そして、カフェオレを立ち飲みで飲んで、一旦ホテルに戻る。カップヌードル、60円なかなかの高級品。コーンから生まれました。機内に液体持ち込めなくなってからこういうの買わなくなりました。ファストフードとする。結局、魚を揚げたサラダを食べるが、この魚、まさにマクドのフィレオフィッシュと同じ味・・・ウーン。夜は、惣菜をスーパーで購入。ビールもスーパーで購入。イスラムの国だからか、アルコールコーナーは別のレジに並ばされるが、そこは男たちの強烈な列。6本で240円。しまった、のんでいるうちに、料理が進まなくなってきた。明日、1時半に起きないといけないのに、もう22時だ・・夜は更けてゆく。機内で盗んできたポーっプコーンで仕上げ・・。おあ、オジャ。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.12
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携帯電話を確認すると、こんな具合になってました。この携帯電話もノラWIFIを拾うはずなのですが、拾ってくれるのに、つながりません。会社支給なんで、何か細工されておるのでしょうか。最後の2席といわれていたのが気になってパソコンつけてシートマップ確認すると、全306席で305番目でした。自宅で冷や汗かきました。 まあ、いつまでも冷や汗かいてられないので、一通りメールなどチェックして、日記を1本だけ作成しアップすると、実家に時速140キロで飛ばしていきました。 実家に帰ると、親父はナンプレ(スウドク)にはまってました。すぐ近くのスーパーが潰れて不便になったとのことでした。もうかつての新興住宅街も老人の町となっています。母親は、あんた捨てたと思ったレコードの一部がでてきたよ、といわれたので見に行くと、何と、外で野ざらし、ビニル袋にぐるぐる巻きにされたものがありました。 随分少ないのですが、中を開けると、中3、高1のときに買ったと思われるものが出てきました。重い思いをして持って帰ってきたので、一部写真でご紹介します。しかし、ネットオークションで見たら、100円でも売れていませんでした。どうしましょうか、また在庫を増やしました。勿論、当時あった山水の大型ステレオはもうないので、聴くこともできません。 ハードロック、ヘビメタやったんじゃなあ、ってな感じですね。それでも当時2000円とか2500円とかしたレコードを皆さん、身を切る思いで買ったりしてましたね。レコードレンタル店も出て来たのかまだだったのかの時代で仲間内で必死こいてダビングブームというか、つてのつてのつてのまったく知らない人があのレコード持っているといえば、東に走り、いついつにFMでこんな音楽が流れるといえば、西に一直線で家に帰り録音するという世界でしたね。30年前、どのジャンルにせよ、音楽に目覚めた少年少女は、そうやって人脈を築いていった一面もあったのかも知れませんね。なんたって一番強いのは、大学生ぐらいの年の離れたお兄ちゃんのいる友達とかで、噂さけに聞いていたビートルズとかストーンズを録音してもらい、おまけにいつの間にやらプログレ講釈まで聞きに行くという有様でしたね。勿論、オフコースとかサザンオールスターズも集めたりなんかしながら、徐々に単純に五月蝿いだけの音楽にのめりこんで行く時代でした。
2011.01.11
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共産党本部の前にドデカイ女神。フレディマーキュリーがこんなところに。いきなりサービスショット、ちょっとケツ割れとう。共産党のエライサン的な顔。人生、人背負ってます。ブルガリアの運動会ではこうやって走ります。口だけクラブの皆様。まあこれはえらいひと。雪には鹿の像が似合います。ソフィア金蝿。ツッパリ。みんな悩んで大きくなったという感じで。閉じ込めないで下さい。神様!お願いです、宝くじが当たりますように。神様いわく、願う人よ、お願いです、宝くじを買ってください・・・自分の人生のようで笑うことができない。お恵みを、か水を飲んでいるかどちらにしようか迷います。どちらかというと、第3の足というか、服で立ってます。ちょっといじけ顔をして通り行く人眺めてもいいですか。人生、寒くないですか、私は少し痛いです。マフラーキャリアウーマン。男ベックの細マッチョ。嘆きの痩せ女。心臓持ってます。ちょっとだけよー。おお、お!あれなんだ?何て言ったの?の皆様。背筋伸ばして、お恵みしてます。友情クロスで合体しました。石を抱いて何をする。太ったり子供抱いたり、人生いろいろ。溶けて合体して下半身が鼻になりました。開けてくれえ、ってもう出られるよ。私お気に入りのポーズ。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.10
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首都と国名が酷似しているのは、チュニジアの意味が、「チュニスのあるところ」という意味だからである。カルタゴ国際空港を出ると、アフリカの風、か、シロッコか・・・いや、日本の秋のような気温と湿度であった。幾つかの両替所を見て、レートのよいところで換金し、タクシーに乗り込む。タクシー運転手は、「ジャパン、オー、ハイテクの国、トヨタ日産ホンダの国」と一昔前なら第三国でよく聞いた懐かしい言葉を聞き、少し恥ずかしくなった。ふと、目を横にすると、巨大なサムスンの工場を通り過ぎるところであった。「安いホテル紹介するよ」とまた懐かしい言葉が飛んできたが、ネットのできる中心街のカフェの前で下ろしてくれと適当なことをいうと、自分の知るネットカフェの前まで連れて行ってくれた。 ネットカフェに入り、ディスカウントホテルサイトにアクセスし、予約を取り、その他なんだろう、これをする度に世界は狭くなったという錯覚に陥る。日本を離陸してから30時間が経過し、シャワーを浴びたい気分満載となり、しかし、電子はリアルタイム。 1時間程度ネットをして30円を払い、外に出て、地図を見間違えたのか、1キロ程度先にあるホテルに荷物もあるので、タクシーを止めて、荷物をトランクに入れ、後部座席に座り、「ホテルアフリカ」といった。運転手は、「そりゃすぐそこだよ、この時間道が込んでいるし反対側の車線だよ」といった。まあでも行ってもらおうかというと、くるっとまっすぐ100メートルぐらい走り、反対車線に引き返して、300メートルぐらい走り、また反対車線に引き返して50メートルぐらい進んで「着いたよ」といった。「あ、カフェから直線でみえてるじゃん、それも150メートルぐらいじゃん」と照れた。おまけに交通渋滞で10分近くかかった。何だか、恥ずかしかったので、お釣りはいらないと倍の料金を払う。運転手も何だか苦笑いしている。 先程、予約したばかりなのに、予約は受けていると返事があり、チェックインする。窓からの風景は町の中心街で、最も高い建物の一つのようで、概ねの建物が眼下にあった。何故、ホテルアフリカなんだろう・・・ずっと予約したときから疑問に思っていたが、ふと、つまらないことに気がついた。ああ、ここはアフリカ大陸だったんだと。アラブ人とアラブ化したベルベル人と西洋人が多少といった感じで、髪を金髪に染めた女性も多く(地毛かもしれないが)、いわゆるアフリカ人というか黒人はほとんどいないか、掃除夫ばかりで、気がつかなかったのであった。 シャワーを浴びる前に、やはり散歩であろう、と通りに繰り出す。少し肌寒い。何度も茶を飲もうとか、声をかけられるが、大きな悪意は感じられない。昔なら暇に任せて着いていき、エライ目に合うか非常に貴重な体験ができるかであったが、会社員たるもの、そこまで暇な時間がないのが、悲しい。いや、悲しくないか、そういう年齢は終わってしまったような気がするのみか。 そうやって、ぼやぼや歩いている。そうやってぼやぼや生きているのは、どこかしら、親が裕福で、周りの友達に成功者(金銭的に、安定度的にという意味で)が多い知人がだいたいぼやぼや生きているなあ、と思いながらも、結構人種が交じり合っていてもよく争うごとにならないな、混血が進んでいるからなのか?宗主国の影響を受けすぎていじけてしまったのか?と思う。それにしてもフランスの影響か、女性も多く街を歩き、洋服化している。 2時間ほど歩いた。ホテルに戻りシャワーを浴び、またビール飲みに出かけるか。頭の中はずっとコレが流れていた。何年やられてるんだ。何故か頭の中はずっとコレが流れていたんだ。The Great Gig In The Sky 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.09
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前回までの粗筋(帰国編前編) 用意周到沈着冷静しか取り得のない私は、ソフィアのホテルが良かったので滞在を1日延ばし、フランクに戻り、韓国に寄ってからたらふく韓国料理を食べて一泊して翌日、1月4日に凱旋帰国する綿密かつ緻密な変更計画を立てていたのだが、それは甘く酸い夢であり、飛行機欠航のため、1泊延泊が2泊延泊となり、再び1月3日、私は驚くべきか焦りも含めて3時に何とか目覚めるのであた。遠く郊外の安宿のため、車は走っておらず、それでもフレンドリーな宿屋のニイチャンに、勝手に電話でモーニングコール頼んでないのに起こされ、タクシーが5分遅れると2度目の電話も受け、フロントに降りる。昨日夜に見たら、建物は真っ暗で、どうやら泊っているのは他にいないようであった。タクシーを真っ暗な中進み、3時45分に300円で空港に到着したのであったが、昨日に聞いていた通り席は満席のままで、1時間後にもう一回来て下さいといわれる。 どうか神様、朝6時に間に合わず寝過ごしてしまう暢気でいい人がイッパイいますように、と願うのであった。なんと、そう願っている待ちぼうけがカウンターの前に4人。皆で合唱、来るな来るな寝過ごせ寝過ごせと歌いたくなるのをぐっと我慢しつつ、出発40分前になり、カウンターに並ぶ人がいなくなった。カウンターの向こうの社員の一頭一投足を眺め、渋い表情をすれば泣きそうになり、意味不明に笑顔になると、ことらも希望が芽生えるのであった。 そして、遂に私は、乗ることができたのであった。搭乗口では誰かがアップグレードされたのであろう、多分私と同じ席を持った人に違いない。私は、座席に着き深い眠りに陥ったのであった。フト目覚めると、6時発というのに、まだ翼に液体を拭きかけ雪を溶かしている。まさか欠航になるってことはないだろうな。・・・・不安になる。しかし、無事7時半、機内に1時間半閉じ込められたあと、無事離陸したのであった。夜明けは遅く、8時を過ぎてようやく、明るくなりかける。フランク郊外にきて朝日が昇り始めた。意味なく、昔イタリアで見たリーバイスの面白いCM思い出して笑ってしまう。(探したら出て来た。すごいなネット時代) フランクからは、もう、関空に直行である。さっきのユーチューブみたら、次に推薦されてたのが、ニッサンのCMそのついでにトヨタのCMみつけたBMWもまけてないぞ、さすがイタリアtoyotaもいいぞシュールtoyotaはやっぱいいぞシュールtoyotaトラップtoyotaのことはもうまかせた。何故か、先程爆眠したので、映画を3本も見てしまう。ウラル山脈を超え、中国上空辺りを飛び、やがて淡路島100メートルの淡路の珍スポが見えて終わりとする。家に帰ってから座席数(シートマップ)ホームページで確認したら、306席だった。私のチェックイン番号は305番だった。最後の2席だよ、と言われたときボーっと聞いていたが、実はムッチャ危なかったことに気がついて、背筋がぞっとしつつも、これで今回の旅行は大きな問題もなく、多少の予定変更はやむなく、結果的に無事帰ってきたのであった(全5回シリーズ終了)。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.08
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前回までの粗筋(ブルガリア編) 用意周到沈着冷静しか取り得のない私は、ソフィアを早々に切り上げ、翌日、ドイツに戻り、チェコのプラハを1日再訪して、韓国に寄ってからたらふく韓国料理を食べて一泊して翌日、1月4日に凱旋帰国する綿密かつ緻密な計画を立てていたのだが、うっかり、1泊9000円(定価33000円)のホテルが、何故か準スイートで、ベッドルームとリビングルームが別であり、風呂もジャグジー付でありウエルカムフルーツが置いてあって、値段の割りにビビッてしまい、温水プールどころか、2、3000円で1時間のマッサージが受けられるということで、翌日の昼でフランクに戻る予定を、翌々日の朝一(午前6時)の飛行機に変更したのであった。何せ朝早くの便でガラガラなのである。ホテルアネルでゆっくり過ごすことにした。 早速サウナである。 そして、1月2日、私は驚くべきか3時に何とか目覚め、HOTEL ANELを順調にチェックアウトし、タクシーに乗り込み、4時に空港に到着したのであったが、そこに地獄が待っていた。欠航・・・ 昨晩の飛行機がフランクから飛んでこなかったようである。雪ではなく、エンジントラブルだったらしく、一旦飛んだものの、引き返したのよ、という説明であった。 仕方ない、8時間後の次の便にしますというと、次の便は既に満席よ、との席。それに、この便がキャンセルになったことを事前に知った連中が続々と次の便に乗り換え予約を入れたそうだ。飛行機は50席ぐらい大きなクラフトに代えられていたが全然足りないじゃん!またしてもキャンセル待ちジャン!キャンセル待ちのためにここで8時間じゃん! (中略7時間。文庫本1冊読破、てか、ノラ電波を拾えたため、パソコンでWIFIやり放題であった) さて、再びカウンターに並ぼうとすると、既に長蛇の列と化しており、何故か、飛行機も遅れており、出発時間になっても、まだ列はなくならず、ベルトコンベアーが荷物が多すぎて止っており、何もチェックイン手続きが行われていない。そして2時間も列を待って、やっとカウンターの前に立つと、たった一言、英語で「FULL」そして、振り替え便ないか、あっちのカウンターに聞きにいけと言われ、涙ながらに向こうのカウンターに行く。幸いにも4人しか並んでいないが、一番前の人が、電話やなんやらして30分が経過するというのに、まだその人のままで、ほんの爆発寸前状態に陥ったのであった。遂に隣のカウンターも開けてくれ、選択の道は、今から夜便の満席のミュンヘン行にチャレンジするか、明日早朝の6時の満席のフランクフルトにチャレンジするかどちらかであるということであった。少し考えますと、再び、野良WIFIを拾って、研究した。それも、沈着冷静に沈思彷徨にである。プランA・・・ミュンヘンにトライして乗れたら・・・乗れると、夜ミュンヘンで高い料金で泊り(物価が全然違う)、翌朝フランクに飛ぶか、電車で向かうか、夜行列車に乗るか?乗れないか・・・プランB・・・翌朝フランクにトライして、安いホテルでこちらで泊るか、しかし、乗れなかったら、その次の昼便にチャレンジして、夜便で日本に向かうか、それも逃せば、会社は遅刻というか欠勤である。熟考の上、プランBを選択し、午後16時空港を離れ、空港近くの寝るだけ安いホテルを、ネットから選び出し、えらく郊外で何もなさそうな宿屋に入る。部屋が寒い・・・。明日大丈夫だろうか・・・寒さが身に沁みてくる。不安と共に、明日どうなんだ!明日最終編を待て!(あ、結局誰も待ってない) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.07
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前回までの粗筋(チュニジア編) 正月は何処で迎えるのか、何せチュニジアはやはりサハラ砂漠でしょ、と思いきや、サハラまではかなり遠く、サハラ1泊というのはないでしょ、ということと、出発を31日から延ばすと、正月で次の飛行機が3日までなく、それでは日本に帰って仕事に間に合わないと判明し涙を飲んでサハラを見ずして、チュニジアを去るのであった。それにしても、何しにチュニジアに日本人が行くのか知らないが、ヨオロッパ在住の日本人が暖かいから行くのかもしれないが、いきなり、チュニスの街中で、日本人に二回も声をかけられたのであった。「あ、空港におられましたね」と。あの搭乗していく行列の横でカウンターで死んだ目をしていた4人組はわりかし目立っていたのかも知れないと意識したのであった。 そんな訳で、31日については、何と1時半に起床し、2時に出発、タクシーに乗り込み、2時15分ぐらいには空港に到着し、順調に4時の飛行機に乗り、時差なしで6時頃にはフランクフルトに戻ってきたのであった。順調すぎて、空港できついエスプレッソを飲んだぐらいである。それに、チュニジアでは、貨幣価値がカスなので、使い切らなければ、と残ったお金を意味なく散在するため、チュニジアワイン等を免税店で買う。私は一番後ろの席に座っており、順調にフランクフルトに戻ったはいいが、後ろ側もタラップが回ってきたたので、一番に降りたら、クルー専用バスが来ていただけで、まだバスが着ておらず、地上にはみ出た数人だけが、ぶるぶる震えながら迎えのバスを10分以上待たされ、凍死しそうになった。しかし、まだ31日である。用意周到沈着冷静の私は出発前日にカリブ海の国々というガイドブックにチュニジアというガイドブック、そして一昨年ウィーンやハンガリー、去年ポーランドで使った中欧編のガイドブックもゴロゴロに忍ばせていたのであった。しゅっといってしゅっと1泊で帰られる東欧はどこかいな・・・・。その前に行ってみたい東欧は、一番東欧で田舎である鎖国同然だったアルバニアか、ボスニアヘルチェゴビナの首都、スナイパー通りがあるサラエボに行って見たかったのであるが、飛行機が飛んでいないとか、便が少ないとかいった理由で、ガイドブックをペラペラめくるのである。そして、私の頭の中に音楽が流れるのであった。「明治ブルガリアヨーグルト」「明治ブルガリアヨーグルト」「明治ブルガリアヨーグルト」「明治ブルガリアヨーグルト」「明治ブルガリアヨーグルト」「明治ブルガリアヨーグルト」「ヨーグルトだ!」(しかし、意味はイマイチ分からない、しかし、毎日2便往復している。ここがミソだ!)という形で、ブルガリアのソフィアまで2時間飛びました。(イスタンブールに近いので、トルコ経由で帰ったらよかったと先程気がついた)おお、またチュニジアと同じ搭乗口だ・・・。しかし、今日は悪夢どころか、ガラガラであり、席は空きまくり。乗車率50パーセント程度の飛行機は順調に飛び立ったのであった。やがてガイドブックをチェックしたり、寝ぼけてた間にブルガリア上空に辿り着いた模様であった。パスポートにスタンプを押す時間は3秒。ページをめくるだけ。グアテマラ並の速度であった。両替は、1箇所しかなく、高いんだか安いんだかも分からず、両替。市内も近く、ネット予約したホテルに順調にチェックイン。ああ、楽チンだ!(という楽観がドンデンガエシを喰らうのは次回を待て、いや、誰も待ってない) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.06
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前回までの粗筋(アメリカ編) 私は、決断力がないので、そのまま、大雪で超オーバーブック状態のまま、私が搭乗するはずであったカリブ海行きの飛行機を優雅に見送り、2時間後には、かくかくしかじか走り回りまくり、私は北米大陸を離れ、遠くイスカンダルではなく、そのまま大西洋を渡りヨオロッパに向かうの心であった。カリブ海まで3時間のフライト予定が、ほんの2、3倍延びただけというか、行く方向が90度程度折れ曲がったという状態であった。うん?アメリカ国内は旅行しないのか?お、それは思いつきもせなんだ・・・。 翌朝、ドイツに順調に入国し、マイナス11度の中、空港出口で腕を組むのであった。勿論、思い付きではなく、用意周到沈着冷静の私は出発前日にプランBを組み立てていたのであった。過去に、行こうとしてまだ行けてないのに行けると思って買ってあったガイドブックが数冊あり、そのひとつが何を隠そうモロッコ、ではなく、チュニジアであった。暖かそうだし、サハラ砂漠まだ見てないから見に行こうという魂胆であった。カリブ海のホテル予約してなくてよかったあ。私は、少し安堵するとともに、すぐさま、チュニジアの首都チェニス行きを手配を画策! 「帰りの席は余裕がかなりあるりますが、今からの2時間後の席は満席です、そして、あさってまで年末なので飛行機自体が飛んでません!」 私は、「大丈夫です常にトライします。」そう答えた。何故なら用意周到沈着冷静な私は出発前日にプランCまで組み立てていたのであった。プランCは、4時間後に飛ぶローマ行きにするのであった。何を今更ローマ?それは、驚く泣かれローマには珍スポ満載なのである。実は、出発前夜2時から4時まで2時間ローマの珍スポ調べまくりの、ノートに住所や見所や地図を写しまくりのクラッカーだったのである。 そういう訳で、プランBのチュニジアに行けなくても、ローマに行くつもりだったのである。何たる寛大な心。(それも乗れなかったら?プランD?ごめん、そこまでは考えてなかったよ) それにしても、フランクフルトもアムステルダムやパリロンドンと同じように超ハブ空港なんで、満席でも、分からないのである。どこかから乗ってくる飛行機が順調に遅れてくれたりする可能性が結構あるからである。何せ、私もフランク出発を10回ぐらい経験したように思うが、一回として乗れなかったことないぐらいだからさ、と楽天日記主義が蔓延しているという事情もあり、シートナンバーがないまま搭乗口でボサーっと待つのである。やがて、搭乗が始まり、ヒタスラ、乗れますかと言いに行ったら嫌われるので、1回聞いた後は目の前でボサーっと亡霊のように、搭乗していく乗客を恨めしそうに待つのであった。やがて、全員が乗り込み、私以外に3人、ボーっとしている人間と共に、名前を呼ばれ、やった!というと、席をもらえた。どうやら乗り継ぎ失敗が4人以上いたみたいだ。乗ったら、チェックすると、あと2席ぐらい空いてたからねえ。いやはや悪運が強いわと喜ぶ。やがて、アルプス山脈を越えた。やがて、イタリアを超え、地中海に突入。そして、地中海を超え、2時間少々で、チュニジアのカルタゴ空港着。ポルトガルより近いアフリカ。まずは、タクシーで町の中心のネットカフェ(珈琲無いけど)に行って、ホテルを予約するのであった。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.05
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私は、既に、12月27日に残業に次ぐ残業を終え、まだやり残した仕事があるのではないかと危惧しながらも、その日を終え、明日の旅行の準備、すなわちパッキングをするために、急いで家に帰ったのであった。しかし、あまりに、急いで家に帰ったため、自宅にて背広のポケットに手を入れると、会議室の鍵が入っていたのであった。明日は、私は有給を順調に取得しているので、他の多くの従業員の方々がさぞかし、困る事を想像して、8時半ころに会社前に行き、出勤してくるであろう誰かを会社付近で探し出し(私服なので)、鍵を託すという悪い予感のする使命を与えられたのであった。おまけにである、前日の時点に於いて、北米北部、詳しくはシカゴ空港とニューヨークの空港が大雪のため閉鎖されているという全く暗い情報を本日付で得ていたため、大いに、1日後に再開するのか、不安を抱えつつ、その本拠地に、嗚呼堂々の凱旋入国を自ら果たしていくというダブルで悪い予感がする、アプリオリ、恐慌前夜の静けさであった。 12月28日に相成り、パッキングの後、ネット検索を繰り返しつつ、情報を拡散させながら、とにかく、まずは、大阪駅のコインロッカーで400円の大枚はたいて荷物を預け、満員電車の御堂筋線に乗るのであった。会社最寄り駅で降りると、すぐさま従業員の方に遭遇し、鍵を託し、そのまま伊丹空港に行くのであったが、9時半には着いてしまい、早朝なので、まあ10時はやり過ごして、11時の乗っていくかと、スターバックスにて綿密な計画を建てるのであった。というか、このまま、アメリカ経由で、カリブ海のリゾート(クルージング含む)に行けるのであろうか、ただただ天候の成り行きに任せるしかなかったのであった。 さて、国内線であるからして、10時半頃にチェックインしにでかけると、11時が欠航になっており、12時のに乗るとすれば、微妙にギリギリセーフという、いきなり出だしからやばい状態になっていた。何故、いきなり、11時の便がキャンセルなんだ?(伊丹羽田は1時間に1本飛んでいる)微妙に、悪い予感がしながらも、コレって、日本語でいうオーメンって言葉なのかと危惧するのであった。 12時の飛行機の機内に乗ると、11時の便の人も乗ってきているというのに、ガラ空きであった。機材の関係なんていってたけど、これって、仕事の人がいないので、空席すぎてキャンセルしたのちゃうの?と疑惑の目を向けるホドであった。オマエラ、俺の都合ってものを知らないのか?あ、知らない・・・小刻みに震えながら、私は、羽田成田のバスを1本でも早く飛び乗れるように、屈伸運動などを機内でするのであった。 羽田に到着し、バスは、あと3分後に出るので、急いで焦ってトイレに行ったら、焦りすぎてちょっと引っ掛けたのは、大人の矜持といわせてもらうが、ともかく、そんなことは気にせず、バスの飛び乗ったのであった。1本予定より早く飛び乗れて15分のいう時間の短縮に成功したのであった。 バスは順調に、渋滞もなく、無事成田に到着し、無事チェックインまで果たし、何故か、イミグレも空いていたので、出発予定時刻1時間ぐらい前には何故か搭乗口に到着してしまったのであった。(あ、飛行機が30分遅れていたからでもあったんだった。) (中略) さて、アメリカに到着したはいいが、私の予定は、このままカリブ海のアメリカ準州であるプエルトリコに飛び、そこからドミニカ共和国に飛び、そこからマイアミに飛び、余裕があれば、ジャマイカをそこから往復してから、帰国するという優雅なプランなのであった。 しかし、プランは優雅過ぎた・・・というか、空港はオープンしたのだが、前日からの大雪でスタックしていた乗客達の絶望的な溢れる人数でタジタジであった。タジタジというか、正直いうと、超オーバーブッキングというか、明白にいうとそういうことなのである。ああ、俺のクルージングが・・・。 どうする!といもい、ガンバレ、俺!チェレンジ精神だ!カリブ海行きの飛行機は満席、怒涛の中、漏れた人間を沢山残し、順調に飛び立って行ったのであった。 あ、俺、漏れたその他大勢の沢山の1人。急いで、明日、明後日のフライトを確認するも、フルフルフル!英語で言うとFULL。急いでそうする、俺、明日の日記を待て!(あ、誰も待ってない) 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.04
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あけましておめでとうございますなんだかニコチャンライオンだね。毎年同じ事やってます、すみません。毎年酔ってますの正月。何故か、外はマイナス11度の東欧というのに、カリブ海のガイドブックが・・・(後日を待て)何故か、外はマイナス11度の東欧というのに、アフリカ大陸のワインが・・・(後日を待て)新年早々サービスショット。 出国アメリカドイツ ドイツ、フランクフルト→チェニジア、チュニス チュニジア、チュニス到着 チュニジア、チュニスのメディナ チュニジア、チュニスのメディナ musee dar ben abdallah チュニジアここが変だよ チュニジア、カルタゴへ チュニジア、カルタゴの首チョンパ広場 チュニジア、カルタゴのアントニウス共同浴場 チュニジア、カルタゴその他の観光案内 チュニジア、チュニスのピンクフラミンゴ チュニジアgourmetの チュニジア去ったら革命 チュニジア、チュニス→ドイツ、フランクフルト→ブルガリア、ソフィア ブルガリア、ソフィア、ホテルアネル ブルガリアの歴史 ブルガリア、ソフィア観光案内1 ブルガリア、ソフィア観光案内2 ブルガリア、ソフィア風景 ブルガリア、ソフィア偶像 ブルガリア、ソフィア、ニューイヤー ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト、フライトキャンセル ブルガリア、ソフィア、ホテルコンソール ブルガリア、ソフィア、gourmetの旅 ドイツ、フランクフルト ブルガリア、ソフィア→ドイツ、フランクフルト→帰国 帰国後 帰国パーティに寄せて
2011.01.01
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