全29件 (29件中 1-29件目)
1
こんなことをいうのも何だが、地震直後に写真撮りに来る野次馬に被災者である私たちは怒っていた。マスコミに対しても同じ思いだった。自分自身、カメラを持つことができなかった。バイクや歩きで、直後から歩き回ったのであるが、手ぶらであった。そのくせ、お金を落としていく、多少お手伝いさせてもらう、程度で、カメラを押す。押すたびに、悪い気がする。所詮物見遊山、そういわれたら、その通りだ。それにしても、局地的な場所や都会は別にして、残念ながら今のままでは復興はないと思う。今のところ、仮に金かけて復興させたとしても、1,2世代のうちに朽ち果てていく可能性が高いような気がする。それは、もう日本の問題であるところの人口激減だ。ふるさとは大事だが、住み慣れたところは大事だが、私には、20年から50年後の先の過疎地を見ているような気がする。 あまりにも広範囲だったことに加え、半年たっても瓦礫撤去が進むぐらいで、阪神地方の地震とは違った。ビルが倒壊した前で、すぐさまバーも開かれていた神戸は、やっぱり、人がいたから。 おまけに、原発、近づけば近づくほど、土地の価値はなくなり、要は安くなっていくだろう。ただであげる、税金もなしといわれても、誰も住まない、農作物、飼育もできない生産性0の土地。恐らく各地の汚染物質は、持って行き場がなく、仕方なく、一番の策が、原発近くにどんどん持って行くしかないというのが、一番の選択にならざる得ないだろう。何キロか分からないが、その周辺は、もう土地を捨てるしかない。 百尺観音 南相馬 立入 被災地のあと1 被災地のあと2 被災地のあと3 被災地のあと4 震災
2011.09.30
コメント(14)
会社の帰りに空港に向かい、機内軽食が21時22時頃に出るのを見計らいながら、おにぎり2個を空港行バス車内にて、胃に収める。暗い中ではあるが、それでも旨さは脳に染みる。乗り継ぎのための待機中の主食は、大きな声では言えないが、大人だから胸を張って言えるビールである。本来、このあたりの料理といえば、タロイモ、パンの木の実(やっぱりイモみたいな味)に調理用バナナ、その他魚やロブスター、エビ、イカなどのシーフード。パッションフルーツやパパイヤ、パイナップル、アボカド、バナナといったフルーツ。パンの実はココナッツミルクで煮込んで食べ、魚や肉はローストしたり、バナナの葉で蒸し焼きする。チャモロ料理の特徴は、かんきつ類(レモンやシークワーサーのようなもの)で酸味をきかせ、しょうゆやココナッツミルク、ピメンタというとうがらしで味を調えることが多いようだ。といいつつアメリカン料理というか、ツナステーキの下に米を敷いたものに野菜をまぶしたものを食べる。これ結構いける、といいつつ、アメリカンな味か。恥ずかしい話だが、夜19時頃から、昨日徹夜したので、眠ってしまい、12時に起き、飲んで朝方に寝て昼前に起きたので酒が残っていたってな感じで、コカコーラ頼んだら、結構デジャインが面白い。ブリート頼んだ!あ、メキシコ料理じゃん、ってなかなかうまかった。ロバートレイマーズホテル2階レストランにて。おまけにレストラン入った瞬間に大雨となり、食べ終わったら雨が止んだ。普段からいいことするものだねえ。普段から徳を積むものだなと思う。思うがしみじみは思わない。イカでも鯖富士山。マグロバーガーを最後に食べる。しょうゆは、一般的だ。ラーメンの食べ方、ほんまか?ここでも紹介されてる。グアムから日本への帰りだけは、ちょと豪華にしてみた。しかし、ほとんど寝てた。この朝食も無理矢理起こされただけ。隣は高校生の太った女の子。家族でやってきていて、隣の二席には父母、その前の二席にはじいさんばあさん。英語でチョイス尋ねられて、母になんていってるの?と尋ねている。高校生の分際で生意気だ。おれなんか、40歳からだぜ。まあ、生まれながらにして、人生は半分決まってるけどな、どこで誰の元に生まれたかで。ところで、でかいことはいえないけど、ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアの分布図ほんま、20年前はこんなことでさえ、調べるのに時間かかったよな。小学生のとき、ポリネシアの歌を皆で歌ったのだが、それがよく分からない。おはようおはようグーテンモルゲン、てドイツ語だし。 グアム乗継 アイランドホッパー マジュロ到着 マーシャル諸島共和国マジュロ観光案内 マジュロ看板 マジュロgourmetの旅 マジュロのテレビ放送 帰国に向けて、マジュロ最大の危機 グアム→関空
2011.09.29
コメント(13)
ヴァレンス水道橋 1600年前の作られたもの。グランドバザール地下宮殿 当時、水はヴァレンス橋から注がれていたとのこと。宮殿というか貯水池なんだろうな。まだまだ多く貯水池があるらしい。そうか、公開は1980年代後半みたいだから、昔行ったときなかったわけだ。メドゥーサ これも1984年に泥をすくって発見されたそうで、昔は宮殿自体発見されてない頃は、家をその上に建て、地下に穴を開けて魚釣りしたり、水を汲んだりしてたそうだ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.28
コメント(10)
もう人生の折り返しのあたりをうろうろしているような30歳以降のものは、体の反応も鈍くなっており、どこでもいいいなら、放射能濃度が高いところのほうがいいだろう。(10代20代なら、逆に、どこでもいいなら、できるだけ離れたところで活動すべきであろう)20キロ、この区分けは何なんだ。ここから先は、汚染進入禁止地域。半年たっても、こうやって、片付けられてもないのかも知れない。 百尺観音 南相馬 立入 被災地のあと1 被災地のあと2 被災地のあと3 被災地のあと4 震災
2011.09.27
コメント(8)
新聞紙「マジャール諸島ジャーナル」発行は週1回だそうだ。まあ、それは良いとして、ホテルでは夜暇だったので、ずっとテレビを見る。この国では、地上波放送局はない。衛星放送、ケーブルテレビなどしかなく、CNNアメリカテレビ局ABC、CBS、CNN、英国BBC以外にも音楽、スポーツ、映画などの専門チャンネルが入り、日本語のNHKも入る。面白いのは、1チャンネルがフィリピンのタガログ語のメロドラマであり、4がNHKである。CNNやABCやBBCはそのあとでくる。そして、地元が無理矢理、画像のみの宣伝番組がひとつ、というか、3分ぐらいの案内を繰り返しているのみ。やはり、フィリピン人が多いのか、バリックバヤンボックスとは、フィリピン向け船便輸送物サービスである。タガログ語でバリックは戻る、バヤンは祖国とかいう意味だったと思う。ガソリンスタンドの宣伝これも送金だな。ジュースの宣伝かなロバートレイマーズホテルの宣伝。小さなホテルは多少あるようだが、大きなホテルは3つだけだ。結局映画を3本見てしまった。この国では公的なものは英語だが、住民は現地の言葉で話している。それで、英語の映画に英語の字幕。そして、NHKみたら、つるべと飯島直子の旅番組。久しぶりに飯島直子見たら年齢的に肉付きもよくなって健康そうに見えた。ガイドブック販売されてないので、いくつかの情報をコピペして、紙につめて枚数減らしたものを読み込む。この人みたいにならなくて良かったホテルかのバルコニーから見える風景。 雨上がりには、海も濁る(出かけようとして雨が降ったので、また部屋に戻った)環礁(アトール)では、円状の島が広がり、内海(ラグーン)を囲んで180度向こう側の島が見える。やがて夕刻となる。夜、対岸の村と船の明かりが見える。しかし、このホテルにチェックインするときも、まあ、適当振りを発揮というか、予約はされてなかったようで、でもまあ部屋なんぼでもあるよ、ってな感じで、まあ、いいよ、ってな感じで、鍵くれて、OK行け、だった。よっし、普段ならどちらだ、と聞くが、こちらも南国ムード、反対方向に歩き出したが、まあ、知ったこっちゃない。そのうち部屋探したってな感じであった。 グアム乗継 アイランドホッパー マジュロ到着 マーシャル諸島共和国マジュロ観光案内 マジュロ看板 マジュロgourmetの旅 マジュロのテレビ放送 帰国に向けて、マジュロ最大の危機 グアム→関空
2011.09.26
コメント(8)
散歩に行くかと外に出るが、まあ端的に言うと一本道で寂しい。国で一番でかいスーパーマーケットに入る。のんびり一巡する。野菜はそう安くない。ほとんどの食料品が輸入品である。これまで大半はアメリカからの輸入であったが、中国、台湾などアジア地域からの輸入商品も見受けられる。しかし、缶詰の賞味期限は結構適当だ。地元商品は、多分魚とバナナやココナツぐらいじゃないか。島には、フィリピンのサリサリストアのような万屋が100メートルおきぐらいにあり、商品引渡し窓口が小さく、店名の看板もない店が大半だ。 グアム乗継 アイランドホッパー マジュロ到着 マーシャル諸島共和国マジュロ観光案内 マジュロ看板 マジュロgourmetの旅 マジュロのテレビ放送 帰国に向けて、マジュロ最大の危機 グアム→関空 アルコール度数の高さと値段でビールを購入。不良と間違われた困るので、歩きながら隠して飲む。舗装された国のメインストリート、日本も協力か。10パーセントが日系マーシャル人だというが本当か。国旗メインストリート、少し向こうを覗くと海見える。内海側 道から15秒外海側 道から15秒時間にもよるが、2,3割ぐらいがタクシーだが、概念は、バスを細切れにばらした公共乗り物的雰囲気。0.5ドルとか1ドルであった(通貨はUSドル)。バスはあるらしいのだが、見なかった(バスといってもワンボックスタイプなので、多分見分けられなかったのであろう)。乗り合いタクシーの乗り10分程走り、他の乗り合いの人が渡す金額やおつりを注意深く見ていると50セントのお釣りを渡していた。私も5ドル渡して、2,3ドルのお釣りを期待すると、4ドルのお釣りをくれ、「ドモアリガト」と日本語で言われた。しかし、不思議なことに、バイクが走っていない。国のサブストリートに入った。とにかく、ミクロネシア地域では、基本男女とも太った人が多い。ほとんどが肥満だといってもいい。太りやすい体質に、缶詰ばかりに、運動とは無縁、道端に意味なく座っている人が多い。そんな感じで3時間ぐらい歩いたら夕暮れ夜中は、昼間寝ぼけていた犬が、凶暴になる。チベットみたいである。一応、狂犬病は報告されていないのでその心配はなさそうだが、破傷風とかの心配は残す。昼間働いていないからか、夜中3時でも、音楽をかけて外でブラブラしている者がホテルの開放廊下側から見えた。
2011.09.25
コメント(8)
噛み砕いて言えば、キリストは、自分がされたいことを他人にしてあげなさい、といい、孔子は、自分がされたくないことを人にしてはいけない、と言った。同じように見えて、その後、その言葉通りに布教という名のもとにキリスト教徒がやった歴史をみれば、その違いは言うまでもない。噛み砕いて言えば、キリスト物語はビジュアル系で、孔子物語は読書系である。それは、聖書やキリストの周りには、女、子供がふんだんに出てくるが、孔子は登場人物は基本弟子だけであり、映画や漫画にするには、イマイチである。噛み砕いて言えば、キリストは、現在風に言えば、ニートであり、孔子は現代風にいえば、就職浪人である。キリストは、あくまで仕事に関しては、自分が労働しようとは思わなかった。孔子は、失脚して、部下ごと、どこかの国に登用されようとしていた。噛み砕いて言えば、キリストは、ピチピチの服というか、上半身裸(磔)のイメージがあり、孔子は、ダボダボの服のイメージがある。その後、何だか、西洋人はムキムキを強調するが、中国は諸葛孔明しかり、ダボダボ服イメージのままである。噛み砕いて言えば、キリストは、皆にスピーチするが、孔子はまあ、弟子にボソボソしゃべるだけである。その後、西洋では将軍やTOPの言葉や何を考えているかはスピーチによって残されているため、東洋ではトップも黙って決める。知っているのは回りだけ。結局、歴史の結果は分かっていても、何故そうしようと思ったのが分からない。噛み砕いて言えば、キリストはアチラ(天国)を向いて、孔子はコチラ(現実)を向いていた。まあ、ゆうても、世界宗教で古い経典で教祖自身が書いたとされるものはマニ教だけだからねえ。はよ、帰えらな、もう前見えん、俺たちの先行きみたいだぜ。まだ、見えないから面白い年頃のまま。
2011.09.24
コメント(12)
肌を出すな、上着を着ろ、イラン側でそういわれた。イランの国境の町マクには、テヘランからバスで14時間後に着いた。そこから国境まで20キロの間、乗り合いタクシーに乗り、国境へ。アララット山が見えた。人の噂は分からない。荷物検査はゆるく、イラントルコ同じ建物内の税関を90分かけて抜けると、何の交通機関もなく、どうしようかと思っていると、1本道の荒涼地帯、遠くからタクシーが1台だけやってきた。降りてきたのは日本人だった。ナイロビからやってきたとのことで情報交換した。荒涼地帯で、西と東から日本の若者がポツンと出会ってしまう面白さ。後ろにアララット山が聳え、15分ほど話をして、トルコ最初の街35キロ離れたドグバヤジッド(トルコから見たら最東端)までタクシーは折り返した。ずっと、5000メートル超えのアララット山が美しく見えていた。それ以外は、イランと変わらぬ風景が続く。最果てという感じのところから、街に着くと、空気は澄み切り、女の子が街中で見られるようになり、西洋人旅行者がイランに入国できず、糞詰まりのように、多くたむろしていた。(1980年代当時、ノービザでイランに行ける国は日本ぐらいだった)背広人間も見るようになった。英語よりドイツ語が通じるようだ。早速、トルコ語を20ほど覚える。イメージ的には、日本でいえば、高山のコテージという感じである。当時は分からないが、リーバイスのジーンズが世界一安いとの噂で、早速少ない予算の中から501を3000円ほど出して購入だ。パンがうまい。フランス風パン(エキメキ)のみになり、チャパティ、ナン類が消えた。今ならタクシーをチャーターしてイサクパシャ宮殿やノアの箱舟伝説のアララトの麓に行っただろうが、ゆっくり茶を飲んで、私は西へ行くバス(エルズルム、アンカラへ)に夕方に乗った。イサクパシャ宮殿はクルド人のものだろう、というか、クルド人は世界最大の国家を持たない民族だ。それが国家のエゴだ。とにかく、おそらく、イイ戦争中の戦時中の訪問でノー天気を装いながら緊張していたのだろうか。トルコに入り、空気が透明に見えたのであろうか。一般的には埃っぽい町といわれて入るのだが、そうは見えなかったのだ。少し自由な感じがしたが、少し寂しい気もした。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.23
コメント(4)
海沿いをぶらぶらしたあと、夜中0時にチェックアウトした。メールで1泊いくらか問い合わせたときには125ドルである、高いなあと思っていたが、まあ、ホテルは3,4件しか主だったところはなく、アウトリガーマジュロのここにしたのだが、チェックアウトしたら2泊で90ドルであった。よく分からない。よく分からないが、あまり、従業員もやる気なさそうな気の抜け方がよろしかった。 昨晩、夜中にタクシー走っているのかと0時頃外を見たら結構走っていたので、今夜も安心して外に出るが、10分ぐらいはタクシーが来なかった。日曜だからだろうか、分からないが、止まったタクシーは、(基本タクシーは乗り合い)「空港か?」というと、空港とは逆方向に走り出した。客も乗っているのに、私も心配になり、空港とは反対に走っているじゃないか、暗闇に連れて行く気か!と多少興奮して尋ねるも、「大丈夫」を繰り返す。結局3,4キロ先のガソリンスタンド(夜遅くまで営業しているのはここだけか)に寄った。ガソリンは7,8リットル入れていた。なんだ、ガソリン入れるためかよ、とほっとし、途中、また客を乗せた。空港までの道のり、運転手は、「どのくらい待った?」と聞いてきたので、今夜はタクシーは少なかったのであろう。「ダイブ?シュノーケリング?」と聞いてきたので、しまった海水パンツ忘れた、(ホテルではなく自宅に)と思い出し、「ノー」というと「ナンダオメ」、と思われるのも面倒なので、「その通りだ」と答えておく。「この時間なら2時のコンチネンタルだな」といわれ、そうだよというと、いきなり日本語で、「イマナンジ?」と聞いてきた。1時頃だよと答えておく。空港に着いたら、現地の人が交代で乗っていったので、ああ良かったと思う。マジュロ国際空港建物全景土産物売り場には、免税品はなく、貝で作られた装飾品、そしてバーが1件、営業が終わった食堂。チェックインしようとしたら、誰もいない。よくよく見たらおばちゃんが一人後方で座っている。覗きこんで「チェックインカウンター?」と聞くと、そうだよ、といわれ、手続きしてくれる。「隣でTAX20ドル払って、あそこのセキュリティ通って待合室で待ってなさい」といわれ、ハイと答えたもののまだ出発までにまだ90分あり、飛行機もないので、ブラブラ外を歩いてみる。空港の滑走路の一番奥に、平和公園があるらしく、日本兵の慰霊塔などがあるらしいが、夜中真っ暗な中空港の横道で反対側までいくのも、慰霊をみるのも、ちょっとなあ、と思ったのでやめた。やめたといいながら、ちょと空港を覗く。ちょこちょこ、迎えに来る人がやってくる。ホノルルからやってくるようだ。マジュロの滞在時間は60分で、客を降ろして、新しい客を乗せてグアムに飛ぶ。裏の駐車場に行くと、外交官専用の駐車場外務省専用駐車場出た!大統領専用駐車場まったく、やることがなく、海沿いで45分ぐらい、ぼーっとした。やがて、出発の2時40分の55分前に飛行機がやってきたので、セキュリティとイミグレに向かって建物に入ると、何とセキュリティが閉まっている。誰もおらず錠がかかっている。うわ。そして、格子の向こう50メートルほど先に飛行機が止まっている。飛行機から客が降りてきて、イミグレに並び始める。こいつはやばい!私は歩く人を捕まえてあけてくれというと、空港職員じゃないといわれる。税関の人をみつけ、ここあけてくれというと、大丈夫といったきり、ちっともなんともしてくれない。悪い予感がした。壁に貼っている時刻表を見た。これを逃せば、今日の夜までまで18時間待って、ホノルルにいき、そこから日本に帰るか、明日今から32時間待って、3島経由してグアムに帰り、グアム夕刻便で日本に帰るか、いずれにせよ、会社は1日ずる休みせなあかん。それも逃したら木曜までない。Majuro, Marshall Islands (MAJ)-Guam (GUM) 1,854 マイルの時刻表2:40A 4:35A 156 73G 0 D 3:55 --M----月曜のみ、直行便なので3時間55分(時差2時間)9:30A 3:55P 154 738 4 8:25 S--T---火曜のみ、3島経由なので8時間25分10:35A 3:55P 154 738 3 7:20 -----T-木曜のみ。これも経由便なので7時間20分。この3便でグアム行きは終わり。というか、1週間で出発する便は7便でコンチだけである。まあそんな訳で、こいつはやばいと、ドアをたたく。さっきのコンチのおばちゃんがやってきて、「あんた!私、さっき、セキュリテイ通って待合室で待ってなさいって言ったでしょ!」と怒られた。まさか、セキュリティが閉まるなんて思ってもなかったのだが、何故かカンボジア人かタイ人みたいになって、おばちゃんに両手を合わせて拝むのであった。開けてください!と。「他の客を誘導してるから、そこで待ってなさい!乗れるか分からないよ」といわれ、ガビバーンとなりながらも、どんどん、ハワイから来た客は向こう側の税関を抜けて出て行く。おじさんがやってきて、パスポート貸しなさいと言われ、格子の向こうに渡すとパスポートを持って消えた。5分ほどすると、おじさんは戻ってきてパスポートを返してくれた。そこには出国のスタンプが押されていた。しかし、わたしは、まだ通れず、夢遊病のように3メートルぐらいのところを行き来する。やっと離陸10分前に、3人セキュリティ室に入ってきて、鍵を開けてくれて、コンベアを動かしてくれた。おお!神は存在した!そして、何故か丹念に荷物を全部開けて総チェックしていただき、走る。走る前に、イミグレを済ませてないとまた止められるが、いいや、さっきスタンプ押してもらったというが、無視される。ほらこれここ、とか3分ほどやり取りしていると、さっきのおじさんがやってきて、ああ、もうこいつのは押したといい、50メートル先の飛行機を目指す。皆さん、すみませんとノコノコ一人飛行機に入って行くと思いきや、まだタラップにマジュロから入ろうとする客がいて、安心。ご協力皆様に感謝であった。席に座ると、隣の太ったおっちゃんが、おお、細い国に行ってたんだねえ、と笑いながら話しかけてきた。ドアは閉まった。
2011.09.22
コメント(6)
グアム - チューク(トラック)- ポンペイ(ポナペ) - コスラエ(クサイ) - クェゼリン - マジュロ - ホノルルと、コンチネンタル航空は太平洋路線で国をまたいでいくという面白い路線がある。マーシャル諸島マジュロまではグアムから2011年夏現在週4便あるが、1便だけが、直行便である。マーシャルについてはこの方のHPが詳しい。マジュロ空港(トリップアドバイザーから無料提供されています)まったく、その地図を見たときは、これは、ぜひ行ってみたい国だと思い(思ったのは1週間前だが)、こりゃ、国が、紐だ、ヒモ、面白いじゃないかと感じ、調べてみたのだが、格安ネット予約できるホテルはなく(直接ホテルに問い合わせての予約はできる)、ガイドブックらしいものもないことが分かった。日本からグアムに行くのと同じくらいの時間、つまり3時間半程度で、マジュロに到着する。到着前に、海上をずっと飛んでいた飛行機も、ついに、ヒモ状の珊瑚礁が盛り上がってできた陸地が見えた。この細いのが国だと思うと、世界は愉快だと思う。この細い陸地の幅を目一杯使い、滑走路を作っている。両脇は海である。正確には、車道が一本通っている。面白いよなあ、と思う。そして、飛行機でチョッチョイとやってきたのに、こんなところまで日本軍はやってきたのだなあ、太平洋にポツンとあるような諸島にやってくるって不思議な話である。両脇が海。124席ある小型飛行機は、まさしく、イミグレ建物横付け。何せ1日、2,3便だからね、それも国際線のコンチネンタルと国内線の自国便のみで、自国便も置いてないので、基本空港に飛行機はない状態。前の方に座っていた私は、我先にと飛行機を降り、歩いて50メートルほど先のイミグレを目指す。イミグレは外にあり、列が長くなると後ろの人は、滑走路(ランウエイ)にまたがっちまうぞ、という「勢い」であった。私が並んだのは4番目であった。そしかし、窓口はひとつ。1番目の人は3分ぐらいかかった。2番目の人は日本人男性であった。帰りのチケットの提出を求められたり、聞こえてくるのだが、知り合いを訪ねてやってきたみたいで、住所や名前まで聞かれ、結構厳しい感じがする。5分ぐらいかかり、このままでは最後の人は3人×124人=どんなけ時間かかるねん、と思って後ろをみると、10人しかいない。あ、何故だと思った瞬間にその後ろの飛行機が動き出し、爆音上げて飛んでいった。(後で気が付いたが、ホノルル行きであった。残り100人はハワイに行く人たちだった)後ろを見ると、トイレにいるときに見かけた日本人女性3人組がいて、ダイバーかなあ、という感じはしなかったのだが、マジュロで降りたのは、15人いなかったことが判明する。判明する間に3人目も3分ぐらいかけて終わり私の番であり、イーチケットと称してプリントアウトしたもの、ホテルのバウチャーと称して単に問い合わせたメールの文章プリントアウトしたものを手にしながら、いざ望むと、イミグレーションオフィサー、私には30秒程度で無言のまま、ポンとスタンプ押して終わり。あれれ?3人も質問して飽きたのか?税関も紙を渡すだけ、とうか、税関を出て10メートル歩けば、建物の外に出てしまう。チェックインカウンターが横に見えたが、ハワイ島の空港と同様、建物の壁がないね。屋根はあるけど、外にむき出し。外に出ると、タクシーが1台停まっていて、おばちゃんが乗ったので、私もすぐさま乗せてもらう。よかったと思うが、どんどんタクシーとすれ違う。ああ、細い1本道の島をタクシーはピストン運転してるんだなあ、と分かる。中心部まで5ドル(中心部内の移動は1ドルとか)。完全バスを分解した感じである。いくらか聞くと、おばちゃんが5ドルと言った。両脇に海が見えて、これが国? グアム乗継 アイランドホッパー マジュロ到着 マーシャル諸島共和国マジュロ観光案内 マジュロ看板 マジュロgourmetの旅 マジュロのテレビ放送 帰国に向けて、マジュロ最大の危機 グアム→関空
2011.09.21
コメント(10)
廃墟を覗くと、足あり。靴屋の店員。カダフィ大差。道端にビニルでぐるぐる巻きにされた人あり。目つき悪い女性目つきの悪い子供たち。セクシーショット。モスクやバザール脇には公共水飲み場がある。子供専用中二階のあるモスク内人は並べたくなる。鳩へばりつく。空港にはスルタンアメンフット駅から路面電車乗って乗り換えて地下鉄で空港まで行く。空港に着くと、前回同様地下スーパーで買い物。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.20
コメント(4)
グアムに到着したのは夜中1時45分であった。入国審査も、グアムはエスタ免除申請用紙というのがあって、全員が書いており、私も訳のわからぬままそういうものかと書いたのであった。入国審査官は、何故か若い美人の女性で、「エスタは2年間有効よ、あなたエスタ持ってるじゃない、この紙いらないわよ」といわれ、(ここは英語であった)「どこ泊ま るの?」と日本語で聞かれ、「トランジットです」といい、「あなた一人?」といわれ、「はい」というと、何だか、美人に同情され「カワイソネー」とまで日本語で言われたのが、ちょとだけカワイソな感じになったので、「今回は私ヒトリネ」と追加しておいた。(考えてみれば、オッサン審査官に同情されても同じ感情を持ったカモシレナイ。しかし、その女性審査官のちょっとイントネーションのおかしい日本語が妙にメローな感じであり、ちょっと違うが桃井かおりみたいな甘ったるい声なのであった、すみません。)トランジットは、税関を抜けずに左側に行けばいいのだが、トランジットの時間は6時間あり、一旦外に出るのであった。夜中にも日本や韓国から続々とグアムに飛んでくる。それを尻目に、ただ単純に座っている。私のは、計画があった。日の出は6時であり、5時頃には明るくなるものと思われた。そしてグーグルアースなどで綿密な独自調査を行った結果、一番大きなタモン湾のビーチまで徒歩でも1時間もかからないことが判明。7時頃に帰ってくるとして、空が白み始める5時頃に空港を出発、テクテク3時間無限の旅にでるという壮大な計画である。その時刻まで待て。待っている間に、そういえば、レオパレスホテル(メインのホテル街とは全然違う方向、山の中)がネットで優待宿泊券が100円で売り出していたことを思い出し、しばし、しまった!100円なら行って、2,3時間寝て、また帰ってくるというのでもよかったとしきりに悔しがり、歯軋りするのであったが、それは後の祭りである。空港での時間潰しの一環として週刊グアム新聞調査に突入する。両氏は当社を退社したが、当社の名を語ってビジネスを展開して迷惑被っている、ということを新聞を通じてアッピール。 横井庄一の住まいに行くのは大変厳しい試練で、友達は山の中をガイドと共に3時間歩き、ここまで来る人イナイネと呆れられたそうである。でもこの看板見たら、道路際に車を停めてチョチョイと見学できそうな勢いである。時代は変わったか、英雄。本を読み読み、ついに5時前となり、軽く屈伸などして、荷物も手提げバッグ1つでよかったねえといいながら、外に出ると、街が見える、近い、しかし、歩道がない。これはなかなか、真っ暗な中歩くのは厳しそうだなあ、と思っていると、雨。壮大な計画は即中止され、もう寝るかと、セキュリティを通って中に入り、グアムビールを2本10ドルも払ってのでしまい、読書する。この無国籍という本、むっちゃ面白い。モロゾフとかゴンチャロフ、野球のスタルヒンって亡命ロシアの無国籍だったらしいねえ。娘さんは国籍取得したのだろうか調査の結果、以下のことが判明。ヴィクトル・スタルヒン・・・ロシア革命の際、一族の中に王党派がいたため革命政府から迫害され、1925年、一家で日本に亡命。日本では無国籍の「白系ロシア人」となる。上村けい・・・1990年にエーブイデビュー。ロシア系のハーフで、ショートカットとハスキーボイスが特徴だった。1991年頃に引退。(てか知らないけど)大久保 清元・・・死刑囚。窃盗や強かん、恐喝等。末っ子に生まれた大久保は、ロシア人の血を引く母親に溺愛され、成人してからも「ボクちゃん」と呼ばれ子ども扱いされていた。太田莉菜・・・ファッションモデル。夫は松田龍平。父親は日本人、母親はロシア人。幼少期に2年間モスクワで過ごす。喋れる言語は日本語、ロシア語、英語(現在も母親との会話はロシア語)。龍平との会話は多分日本語。東山 紀之・・・父方の祖父がロシア人の血を引いていることを明かしている。愛称はヒガシ。布袋寅泰・・・自身の著書『秘密』によると、父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だったとのこと。貿易商であり1年の大半を国外で過ごしていたため、日本に戻る事はほとんど無く母子家庭同然だったという。母親は、ロシア(樺太)生まれの日本人とロシア人とのハーフで、日本国籍とのこと。かつて高崎駅前にてクラブを経営していたとのこと。フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ・・・1917年、ロシア革命が勃発すると、家族を連れてハルビンへ逃れハルビンを拠点に貿易を行い、白軍を支援しようとしたが計画は頓挫。1923年、家族とともにハルビンを離れアメリカ合衆国のシアトルへ移住したが生活が成り立たず、1924年にシアトルを離れ日本の神戸へ移住。お菓子屋さんをする。優木まおみ・・・佐賀県佐賀市出身。中国・日本のハーフの父と、ロシア・中国のハーフの母のもとに生まれる。東京学芸大学卒。入江美樹・・・横浜市に生まれる。父親は大連育ちの白系ロシア人で不動産業者。母親は茨城県出身の日本人で料理研究家の入江麻木。家庭では母が日本語を話さなかったため、ロシア語で育てられる。指揮者の小澤征爾と結婚。小澤ヴェラとなる。ローラ (モデル) ・・・父はバングラディシュ人、母は日本人とロシア人のクウォーター特技はベンガル語と英語を少々。話した後に舌を出したり頬を膨らませたり、敬語が苦手なために芸能界の大御所に対してもフランクな口調で接するキャラクターで知られる。 好きな男性のタイプは、藤岡弘(って仮面ライダーか?)。とにかく、30分ほど記憶を失っていたようであり、出発の時間は急遽迫ったのであった。 グアム乗継 アイランドホッパー マジュロ到着 マーシャル諸島共和国マジュロ観光案内 マジュロ看板 マジュロgourmetの旅 マジュロのテレビ放送 帰国に向けて、マジュロ最大の危機 グアム→関空
2011.09.19
コメント(4)
あまり大きなことはいえないのですが、また今年の3月だか2月だか4月に義弟が家を買ったみたいです。そこで、震災日に生まれた子供がいるのですが、意思疎通もできないその子供に、もしかしると、回りまわって私のハナクソみたいな財産が行くかもしれません。まあこの家だけで1億円以上なので、その1000分の1か10000分の1ぐらいは彼女に与えられるかもしれません。でも私は自分勝手で、死んだら何でもいいので、国家収用される以外だったら、今までお世話になった人と、国(国に直接寄付したらえらい目にあうので直接お金を持っていってもらえる大使を任命せなあかんな)に寄付できたらいいよね。まあ、財産といえるようなものも、名誉も地位もないが、まあ、名誉や地位は継承できない。ところd、バッチって格好悪いよね、醜いね、何で、国会議員とか弁護士とか恥もなく、選民意識か知らないけど、馬鹿でかいバッチつけてるんだろうね。卑しい印ってこと分からないのかな。ところで、会社にも社章を付けさせるところあるよねえ。私も昔、新入社員のとき配給されたのだけど、すぐに一度もつけることなく無くしてて、何年かして正式な何かのとき(写真撮影か?)つけろといわれて、そんなのとっくにないですとうと、あれって、驚き、始末書なんだねえ。今は、もうないね(多分)。ちなみに背広の襟に穴が開いているのは、薔薇とかを刺すためなんでしょ?あ、違う?ズボンのぽっけに穴が開いているのは、10円を逃すためでしょ?あ、違う?
2011.09.18
コメント(10)
2時8月10日 18時~23時 移動 23時~2時 散歩 4時半~8時半 睡眠18時8月11日 10時~21時 散歩 21時~21時半 移動 23時~2時 散歩 4時半~8時半 睡眠17時8月12日 10時~13時 散歩 13時~23時 移動 23時~2時 散歩 3時半~8時半 睡眠14時11時17時19時8月13日 11時~17時 散歩 17時~23時 移動 3時半~9時半 睡眠11時16時8月14日 11時~18時 散歩 23時~24時 移動 3時~7時 移動 (4時から6時睡眠、時差有。実質1時間)11時16時17時21時8月15日 8時~21時 散歩 21時~ 移動 (3時から15時睡眠、時差有。実質6時間)0時8月16日 ~19時半 移動 22時~11時 睡眠(まじ13時間も寝てしまった。自宅)19時8月17日 日本 13時~21時移動 6時~7時 睡眠(昨日寝すぎた)8月18日 8時~21時 会社 22時~0時 睡眠
2011.09.16
コメント(4)
うっかり、えらい寝すぎた。ところで、全然関係ないが、浅間山荘はいまも存在しており、こともあろうに、中国企業のものになっている。皮肉だねえ。大人になってから、高校生時代とは違い、寂しいとか空しいとう立派な感覚が鈍り、ここ数年はもう少ししたら(あと人生折り返したから)死んでしまうのだなあ、と漠然と考える。最近、益々、他人と話すのが億劫になっている。ごく親しい数人以外は俺を飲みに行こうとか誘わないでくれと思ってしまう。もしかして、最近は、旅行に行っても誰とも話しないのが、気が楽になってしまっているのかもしれない、しかし、反面、他人と新たに話すのは面白いという感覚は昔から残しているのだが。ああ、もしかしてカジュアルなスタイルと格好で、適当に切り上げてもう寝るわといえる状態ならいいのかもね。でも、楽天の皆さまも、(というか覗きに来てくれる方々)元気だよね。いいことだよな。増税の前に税金払ってない人減らしてくれ、不公平だ。本当のお金持ちの権力者が反対するだろな。そうやって背伸びしたら肋骨の下あたりがひきつけをおこした。苦しいものだった。そういえば、学生の頃、洞窟で垂直でチムニーしながら、足をガクガクいわせながら岩の割れ目を登っていたときに、太腿の付け根が普段使わないものだからつった。引きつりながらも、足を閉じると下に垂直に落下する。足を開いたまま、両足を反対の方向にある岩にぐっと更に力を入れながら、手で、太腿をガンガン殴った。
2011.09.15
コメント(2)
昨晩遅く到着、翌朝、ホテルで目が覚め、外を見ると驚いた。昨晩、不良警察に金を取られたので、おとなしく目立たない服装で歩くことに決定。外に出て、後ろを見ると、宿泊しているホテルがポツーン。キルギス人帰国してから、どこ行ってきたのと最低10人聞かれて全員がキルギスという名前を知っていましたが、どこにあるか、ましてや首都は一人も知りませんでした。緯度は札幌ぐらいです。また高校の歴史を参照して済まないが、このあたりに出てくる歴史的キーワードは、匈奴(中国も無茶苦茶な名前つけよる)による支配、三蔵法師玄奘が通った地、西遼(カラキタイ、耶律大石)、チンギスハン、清、コーカンドハンのそれぞれの支配。そしてロシアの支配、トルキスタン自治区、そしてそこからキルギス自治区に分離。国として、ついに1992年、独立。といっても、キルギスという名前は9世紀、キルギス人が勢力は東、南方向に向かって拡張し、モンゴル高原のウイグル・カガン国を倒して、キルギス・カガン国を創建し、それから百余年は繁栄したらしく、キルギス史上の唯一?の繁栄時代であり、人口は百万を超えたということなので、そこから1000年、独立できなかったということか、遊牧民たるもの、国や独立とかあまり関係ないのか、分からない。首都ビシュケク、歩いている人少ない。5,6階以上ぐらいの建物は見当たらない。中国大使館マナス王の像。ここより空港名もマナスである。近年、空港をよく利用するが、人名空港が多く、割とうっとうしい。ここ3年ぐらいでも、トルコイスタンブールアタチュルク空港、パリシャルルドゴール空港、フィリピンニノイアキノ空港、ワルシャワショパン空港、ワシントンDCダレス空港、イスラエルベングリオン空港とかあるなあ。メインストリート、チュイ大通りのオシュバザール近くには、ネットカフェやカジノが並ぶ。キルギス人の歴史は紀元前だが、ビシュケク自体は15世紀以降に作られたようで、コーカイドハン国が要塞を作ったとのことだ。1800年後半郡都となり、ロシアがやってきて、この地出身のロシア革命の司令官フルンゼの名前をとり、フルンゼという名前に都市名が変更になり、1991年ビシュケクという名前に戻った。ちなみに、郊外にロシアのパイロット養成基地があり、エジプト独裁から追い出されたムバラク大統領もここの卒業生ということだ、パイロットやってんねえ)去年、大統領が追い出されて、キルギスは世界中で一時期ニュースになったね。そしてその後も、くすぶってはいる。国土の面積は日本の半分だが人口は500万人と日本の20分の1以下であり、ビシュケクは6,70万人もいるのだが、中心部も人はまばら。(市場はさすがに多い)スンニー派だが、あーんまりイスラムしとらんという印象だ。日本人みたいな顔してる人もイスラムなんだろーか。ちなみに、中央アジアスタン国家では、ここだけ日本人ノービザOKだ(2011年8月)。難しいのが、旅行日程やホテルや全部ロシアなみに、予約バウチャー、ガイド予約のいるトルクメニスタンだが、見所は多いようだ。ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンはまあビザも簡単にとれそうだ。結婚しそうな人もいます。あとおもろいのは、せっかちなのか、信号はやい。直ぐ変わる。直ぐ変わるので車も黄色で直ぐ停まり、直ぐ青になりよる。あと、洋式トイレの穴が逆についていて、手前に流れていくところがあるのが、不思議な感じだ。うんちべちゃっとつくのではないか?(写真撮るのを忘れた)その後いろいろな事情があって夕方から部屋にいました。といっても8時になってもまだ明るかったです。綿花とタバコが農産物の主要輸出品で、水銀は世界第3位の産出量を誇っている。レアメタルや放射性元素も産出されてはいるが、貿易赤字です。隣国カザフスタンに比べ、かなり所得は低く、物価も安い。これで、ビシュケクの全てをご紹介いたしました。この頃に行こうと考えたんだなあ(おわり) 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.14
コメント(4)
蛭 食べるか?ロクム最近どこへ行っても聞かれるボヤキ「いやー、ニホンジンですか?一生懸命日本語覚えたのに、国が没落して全然来てくれなくなりましたよー。なんで中国語や韓国語、勉強しなかったのでしょうねー。」と嘆く商売人。つい最近までニーハオって声掛けられることまずなかったんだけどな、国力低下というより、相対的に海外が力つけてきた。日本のもう勉強してない若い奴らは駄目だ。俺のために頑張ってくれ。もう20年物価が変わっていない。(ごめん、幸福な時代のサラリーマンなので、年収2,3倍になったけど)市場に行ったら、楽しいな~。でも何も欲しいものがないな~。どこ行っても欲しいものがないな~。隣にモスクがあるのだが(それもイエニジャーミイ、新しいモスクという「意味」)、だいたいこういうのを維持するために敷地内の一部を使って賃料せしめて維持しているという按配だ。もう言うことなくなりました、おわりトルコもクルド人迫害しとる昼 食べるか 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.13
コメント(4)
4半世紀ぶりのガラタ橋何故だか分からないのだが、1980年代当時、イスタンブルに行った友達は、皆が皆、ガラタ橋ガラタ橋といっていたような気がする。新市街と旧市街を結ぶ400メートル程度の2重橋(2階道路、1階食堂街)どこへ行った、サバサンド・・・トルコにはイメージ的にハゲが多い。ビール飲む。 1987年、トルコの情報がなかったので、日本人のたまり場であるホテルモラで情報をとろうと行ったが満室(今はない)で、近くをうろうろしていて、小さな安宿にチェックインした。今回、名前を覚えてないが、だいたいの場所を覚えていたので歩いてはみたが、分からなかった。小さな女の子が部屋まで案内してくれた。扉を開けるとベッドに当たった。パキスタン、イラン以来久しぶりにビールを飲んだ。今は、短期旅行で、恥ずかしいのも加わり、海外では、できるだけ、日本人と話をしないようになっている。確かに、10数年前にスエーデンのマルメからドイツのベルリンまでの夜行列車で隣り合わせた日本人と話してから、ゆっくり話したことがないような気がする。飛行機でさえ、ここ数年一切話していない。(日記にはあほみたいに書いているが、日常生活で、最近、旅行のこと聞かれても、なんだか、これまたはぐらかしているなあ)1992年、木製だった橋は火災で作り直された。それを新聞で見たとき、目を閉じた。(新しい橋ができてから古い橋が火災にあったそうだ)橋に入ると、魚臭さがツンと鼻をついた。それはすぐに慣れてしまった。風任さんがいっていたのはゲネルエブのことだと思う。藤原信也先生の全東洋街道にも出ていたと思う。いつも興味本位だ。1987年イスタンブールを訪れた時と変わらぬ魚釣りの光景だった。懐かしさでほっとするなんて、単なる感傷、ノスタルジーに過ぎない。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.12
コメント(4)
半球電車 昔の兵隊の服 つうてんかくばらばらになりました。せんとくん蟹道楽、大阪城 ケロスカイビルくいだおれ去年と同様、今年も、今も秋の虫が部屋の中で鳴き始めました、風流・・・とにかく新しいエネルギーとか言う前に、原発全部止めて、火力発電の稼働率を電力供給十分までアップさあせろよな。今直ぐに原発を止めることはできないが、ってほんま信用できないな。ただし、電力会社も報道には素人だ、萎縮させてはいけない。それにしても、震災前はアップされていた、稼働率、どこいったんだろうね。悪意だね。火力の稼働率が4割じゃ6割じゃってアップされてたら、原子力の分、稼働率アップさせるだけじゃん、って言われかねないからね。
2011.09.11
コメント(8)
キルギスの方々の間では「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。」と幅広く言い伝えがあるようで、そのとおり東洋系キルギス人と日本人は顔が、そっくりである。突厥族やモンゴル族のアジア系の遊牧民族の末裔のようだ。大きな声では言えないが、魚が好きって、淡水魚だったんだろうか。バイカル湖の魚?まあそんな訳で、肉は当然キロ売りだ。(南米でもそう書いたな)キロ牛は、5,600円だね。イスラムなのに、豚肉も売っている。10ソムと書いているのは、まあ15円ぐらい。ビシュケク(旧名フルンゼ、ロシア革命時の将軍の名前)の街が切れる西端にそのバザールはあり、急遽、人呼密度があがり始める。 カザフもキルギスも、東洋人が多いのか排斥運動やネオナチのようなものもおらず(なんだか、活気もないけど)、、あまりイスラムという感じも薄く、結構親日的だという。悪いのは警官だけだ、きっと。私は、カッターシャツ(会社用)を買おうとしたが、何故だかなく、その後、最大のツム百貨店やBATAを覗いてみたものの着る人が少ないのかノーブランドで2000円。ようやく、ホテル近くの小さなバザールでKENZOのシャツを購入。800円。その店だけ、客が3人ぐらいかたまってたので、優良店だろう。そういえば、バザールにはジュースの自動販売機があり、前に立つ店員が料金を受け取り、お金を入れてジュースを出してくれる。学生時代、興味そそられるものは何でも試してみた。今は、腹を下す訳にはいかない。もう、すぐ、移動したり、帰国したり、仕事しなければならないんだ。ましてや、ビシュケク発モスクワ行き5泊6日なんか、、無理。まあ、加熱されたものやアルコール消毒されているものなら大丈夫なのだが。バジャールはかなり広く、迷い始める。もうモノを見て感動する年齢ではなくなってから随分時間がたった。迷子になるよう歩いているだけだ。民芸品コーナーには土産物屋もあり、人はほとんど歩いていなかったが、韓国語が聞こえてきた。そういえば、日本からウズベキスタンには飛行機が直行で出ているが(ほとんどの方が飛行機が安いので経由で利用)、カザフスタンには韓国から出ていて、結構、韓国人が乗っている。日本人はあまりいないようだが、通路挟んだ向こう側の親子は父日本人母カザフ人、子供日本語うるさくしゃべるという感じであった。韓国から6時間、映画2本見たらすぐ着いてしまったなあ。放射能は分けてやるは、まずいけど、死の町のどこがまずいのだ。いったい死の町にしたのは誰だ?マスコミの聞き方がまずいな(前後を省略して死の町だけいえば、反発されるだろう) 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.10
コメント(4)
町は新しく、旧ソ連の中心部から遠く離れた画一的衛星都市公園都市のだだっぴろい名残があり、その典型が国立歴史博物館。首都ビシュケクの町の風景の救いは、街中どこからでも南側に見える天山山脈の支脈アラトー4,5000メートル級の万年雪であった。8月、さすが海抜750メートル、空気は乾燥しているので日陰は涼しく、日向は避けて歩きたい。町は碁盤の目で街路樹に溢れ、通りのどちら側か歩けば、結構日光を避けることができる。しかし、盆地なので、京都みたいな特性はあるのだろう。キルギスは意外と山岳国家で8割は標高1000メートル以上である。わ、博物館前の自由の女神、撤去されとる。建物の横は、軽く石の落書き公園。この石人像というのが有名らしいが、まあ、長い年月がたてばそれも遺跡、それも芸術。まあ現代風にいえばバスキアみたいなものか。何だかVIPが来ているのかテレビクルーいっぱいで、一般人はお昼からだと言われ、後回しとする。歴史博物館は3階建てで、展示品の入れ替えあるのか?という感じの陰気さが素敵な博物館である。陰気なのは、美術館博物館のよさは無駄な空間が素晴らしいのだが、ここは無駄に無駄な空間で、昔造った時に贅を尽くして、大理石張りにしたのはいいが、そのままかび臭く古くなってきましたという感じである。英語の説明はないので、何か良く分からない。やたら、あちこちに、このような連座の椅子があり、昔は多くの人が訪れ座って見学したのかもしれないが、座って前見ても、何だよこれって感じ。(観光客は行くところがないので、結構入場は多い)2階は、いまどき珍しい、レーニンをはじめとする革命家たちのブロンズ版の像ばっかりである。ソ連が崩壊した今、このあたりはまあまあ珍しい陳列物になっておると考えられる。この構図いいねえ。展示品を監視する係員も随分古くなってきており、60歳以上の方々のように思えた。中央はウラジミールです。レーニンは後継者にスターリンではなく、トロツキーにしたかったという噂もある。1階にはまた石のコーナー。期間催し物は、キルギスの英雄チンギス・アイトマーフ。ほとんど写真での紹介であったが、世界各国から彼について書かれた本が陳列されており、日本語の本も2冊あり、1冊は某SGIの親玉との対談集であった。何でもいいけど、ロシアやチェコとかとにかく共産圏って文学者や哲学者が政治をするって多い。政治を形而上に上げてしまうのだろうか。チンギス・アイトマーフ、すごい人物である。なんだか、時代にほっとかれたイイモノ見せてもらったぜ、ってな感じであった。こんな感じで。失礼しますこんな感じで。失礼しますこんな感じで。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.09
コメント(10)
野田め、法人税は減税、消費税はあげる 経団連の要求丸呑みしてるだけカザフスタンのアルマトイ、数少ないそれなりの観光してもいいよの場所がコクトベ。つまらないことだが、KOK-TOBEが、KOBEの友達に見えてしまうだけなのだ。それに、何か、カタコンベを思い出してしまい、少しおどろおどろしいという感じが、それなりに風味を増していた。まあ意味は、非常に単純、緑の丘、だそうだ。どうせ誰も来ないような場所だろ、と思いきや娯楽が少ないのか、20分程度待たされる。親子連れ、恋人同士、女友達同士、シングル同志。そうやって、やっとロープウエイに乗るのだが、添乗員の親父が、制服でなく、私服であり、パリのエッフェル塔のエレベーター操作親父を思い出す。毎日観光客の横でエレベーターガールならぬエレベーター親父、しかし、少し着崩した渋いジャケットを羽織る親父。たった150メートルか200メートルのなだらかな丘を目指す。ちなみに、市自体が海抜800メートル程度なので、5度は0メートル地帯より低いわけだ。途中、ガッタンと満員のロープウエイは止まり、皆がびびるが、案内の親父は、無言。車内放送で、英語もあり、初めて英語を聞いた。カザフスタン国旗。このあと、キルギスに行くためバスターミナルに行くと、乗り合いタクシーに乗れ乗れと運転手が言ってほんまにビシュケク行くのかと思っていると、車の後ろに貼り付けられた国旗を見せた。まあ、それがキルギスの国旗とは分からなかったのではあるが。ロープウエイを降りると広場になっている。見渡すと、だだっ広い街だが、そう大きいわけではないことが分かる。田舎モノみたいなこというが、20年ほど前東京墨田区のマンションの非常階段から見た東京、大阪と違ってでかい、地平線のかなたまで人工物で埋め尽くされている・・・大丈夫なのか、と思った記憶がある。初めて土産物屋を見つけて、コレクターでもあるマグネットを買った。アメリカ人かと言われた。アルマトイはアルマアタからきており、アルマはリンゴである。結婚式もあった。ところで、ロシア系も多いのだが、まったく日本人的な顔立ちも多く、服装や化粧の違いで分かるのだが、たまたま、この後姿の二人は、ナチュラルメイクで、日本人旅行者?と一瞬思ってしまうほどであった。声かけようか迷っていると、よくよく聞き耳をたてると、日本語ではなく、現地のひとであった(声かけなくてよかった)。あれは、基地なのか?(答え、スキージャンプ台) 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.08
コメント(8)
カザフスタン、アルマトイの朝食。部屋まで運んでくれた(食堂がないため)。世界で二番目に肉食うのはカザフ人、一位は狼だというのがカザフ人の言い分。なんだか、アルゼンチンでも聞いたような気がする。キルギス、ビシュケクの朝食。部屋の隣が、部屋を1室潰してレストランとする。キルギス、ビシュケクのホテル内で夜食(24時間スーパーで購入)ビシュケクの昼食。中央アジアというと、羊肉ぶった切ってぐつぐつ煮て食らうといったイメージがあるが、羊とニンジンの炊き込みご飯であるプロフとかシャシリク、麺のラグマン、油ギッシュだぜ。イスタンブル、ガラタ橋の下で。ジジイ店員にそそのかされ、シーバス(鈴木)頼んでしまう。歩きながらビール買ってしまう。公園で座って飲む。ケバブ食う。学生時代、アジア各国から遂に、ギリシアに入り、一日の予算が厳しすぎて、1日1食のケバブが無茶苦茶にうまかった。さすが世界3大料理といわれるトルコ料理だ。空港でビール飲む。またですか・・・レンズマメスープ、ブルスケッタ、キャビアパン。(トルコではキャビアやからすみ安くて、土産物屋でも売っている)フムススモークサーモン、マリナド手長海老、ズッキーニ、ルッコラハタ。何故、飛行機にコックが乗ってんだ?気合入っているのか、でも夜中便だったから成田イスタンブールのほうが随分飯はよかったなあ。ビスキーコニャック、チョコムース、トルコワイン、エクメクカダイフ。朝食、カルヌヤルク(オリーブ肉入りナス巻き)トリビシ(グルジア)上空、まだ行ってない。以上、しょぼい、中央アジアグルメの旅でしたてか、肉食ってないじゃ。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.07
コメント(6)
アルマティといえば、実は、正直、トロツキーが政的にやられ、失脚後最初に放り出された地である。ここで「永久革命」を書かれたと言われる。結局一極革命を選択したスターリンにやられた形であり、最後は亡命先のメキシコで刺殺された。 小さなことだが、大学時代も、私は○○(先輩の実名)-リン政権に、永久部活革命を唱える○○(私の本名)ツキーは破れ、酔っ払ったときに、馬乗りにされてさんざん殴り倒されたという記憶もある。(翌日、ごめんなさいと先輩は一升瓶持って自宅まで謝りに来たが、またそこで飲んで暴れた) マルマティは近年までカザフスタンの首都であったが、多分、隣国まで近いから、国の中央部のアスタナに移されたが、経済の中心地のままで、人口も一番多いのであった。アスタナは、まあ、世界で一番海から離れた水族館があるということだ。 カザフスタンといえば、ロシアが租借を続けるバイコヌール宇宙基地がある。正確な場所は、昔は秘密にされていたが、広さは福岡県ぐらいあって、アルマトィから車で18時間かかるそうだ。1951年、ガガーリン少佐が、人類初めての宇宙飛行をした場所だ。ボストーク1号、つまり征服1号だ。秋山さんもこっからソユーズに乗ったのだろうが、印象的だったのが、世界で初めて宇宙に行った民間人と名前も国籍も書かれてなかったスミソニアン航空博物館であったなあ。 昔はアルマティはアルマアタといわれ、リンゴの父という意味らしく、リンゴ畑が多いらしい。リンゴの形を市形がしているとも。 街の風景は、まったく、想像通りの、(どんな想像だ)ロシアの計画的一地方という感じで、広い道に街路樹(これは次のキルギスのビシュケクも同じ印象)で碁盤の目に整備されている。なだらかな坂の町であり、天山山脈の支脈がそびえる。街行く人はロシア人も多いが、東洋人も多く、服装や化粧の何となく違うを除けば、日本人か?と思われる人も多く歩いている。市場には、キムチを売る朝鮮系のおばちゃんもおりよるのである。 意味のないところを歩き続けたために、疲れたのでビールを飲む、いくらか忘れたが100円前後だったか、少し大きめの金を出すと、困りますと冷たくロシア娘の店員に言われた。昨日からニエットばかり聞いているような気がするが、それしかロシア語が分からないからかもしれない。町中に両替所が溢れていて、どちらかというと、財産を分散しているという感じであり、気軽に両替しているが、ほとんどどこもレートは同じ。最近、国民一人当たりのGDPが1万ドルを超え、マレーシア並みになり、物価もその分キルギス、ウズベクなどの近隣スタン国家より、かなり高めだ。まあ、経済は天然資源輸出型ではあるのだが、それだけ国力を持ているようだ。いやはや、特に何もないところであったわ。これでアルマトゥの紹介を終了します。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.06
コメント(6)
会社の帰りにソウルに着いたのは、22時頃だったと思う。去年末頃に、インチョン国際空港、GIMPO国際空港経由でソウル駅まで行く電車ができ、金浦空港からは、2,30分でソウル駅に着くのだが、これが、新幹線駅あたりで、地下鉄の乗り場まで10分程度ゴロゴロして歩いて行ったので、汗がドビュバーンと出た。今回は、明日、ロッテホテルに行かないといけないので、その近くのホテルでリーズナブルなところを予約したんである。(前日だけど、直近で済みません)ちょっとブラブラした後、ホテルで酒盛りを始めるのであるが、このホテルクロス張り替えたらピカピカになるのに、の惜しいホテルであったが、広く快適であった。調子のって洗濯したら下着破れた(パンツでないほう)。夜中、ドースト食べるか、ポーチトエッグ食べるか迷った。結局何だか分からないのでヤメ。すみません。プルコギ。わざわざ、プルコギを頼むことはないが、板門店ツアーの昼食であった。バスが出たときに、この中で肉が駄目な人いますかとガイドさんが言ったが、誰も手を挙げないというか、先ほどまであちこちで昨晩の焼肉の話していたので、まあ、ベジタリアンでもないし、いいか、と皆さんに迎合しておいた。30人ぐらいのグループで一人参加は3名、一人参加は鉄板でないですからねー、一人用のなべですからねーと端っこに案内される。「お一人さんですかあ」と3人が話することもまったくなかったが、それは、多分、日本がすぐそこだからわざわざ話することないしーってな感じだったんだろうか。まあ、私も過去どこでも積極的に話かけたことそんなないぐらいのナイーブさなものですみません。ほんま、看板も日本語多いけど、日本語より、写真は重要だねえ。どの国行っても写真で触手を感じることができる。夜中の1時に飯を食いに行く。結構、まっこりそれまでに飲んでいい感じになっちまってる、すみません。豆のチヂミ(ピンデトック)と何を食べたのだろう。センパンマックスという、ちぇんばんめんの一種か。夜中の2時前。店の人も、もう店終りなんだけど、という感じだったが、まあ客も3組いたし、まあいいよ。で追加でアルコール頼んだら、もうレジ閉めちゃったよ、と笑いながらいい、断られたと思いきや、どうぞ。会計しに行くと、あれ、追加アルコール代が入っていない。もうレジ閉めたから、いいです、だって。豪快である。チェーン店なのにである。ナイスである。昼過ぎ、あと、1食しか食えないというか、飛行機の時間が近づきつつあった。魚とキムチチゲおいしいよ、とおっさんの声がかかる。ここはオフィス街であり、満席であり、1席空いたところを案内されたが、会社員やOLぎしぎしに混ざって食べるのはおもろかったてか、昼間から皆なべつついてるんだねえ、いいなあ。うまそうだな。非常に遠慮しながら、チョギヨーと、ちょとビール下さい、と小さくアジュマに頼む。ケランチム(150円)、隣の人が頼んでいてうまそうだったので追加であれくださいちゅうと、ケランチムゆうとった。うまかった。600円分も飲み食いしたわ。ははは。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.05
コメント(8)
入場は、ドドーンの14,000ウォンであり、生粋のデートコースである。私以外に1組しか見ないほど、大賑わいである。追加参加選手が増えたので急遽紹介である。まあそんな感じでした、選手権予選は終わりましたと。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.04
コメント(6)
歴史の陽は落ちたが、歴史の残した遺産は残る。何か不思議なことなんだが、オスマントルコ(最近ではオスマン帝国っていうらしいね)が世界第一次世界大戦に参戦したときに、まあ、瀕死の状態だったけど存在していたというのが不思議な感じである。一時はアゼルバイジャン、ウクライナ、チェコ、ハンガリー、チュニジア、サウジ、イエメンまで領土を広げた帝国であった。800年続いた帝国であるから、ちょい高校で歴史を勉強した私には、大昔の帝国だよなと思ってしまう次第。しかし、100年前にはまだ斜陽ながら存在していたんだ。斜陽の国、オスマン帝国は第一次世界大戦、ドイツと同盟。ユダヤ人たちもロシアに主に迫害されていたので(現在はロシアとイスラエルの関係は凄く深いのにね)、ドイツの同盟国を最初、支持していた。そこで、ユダヤの金に目をつけた有名な3枚舌外交、前にも書いたけど、ユダヤ人にはうちについたらオスマンのパレスチナあげるよ、といい、アラブ人たちにはオスマン潰して、中東をアラブ人国家作ってあげるよ、といい、フランスとは、戦争に勝ったらオスマンを2分しようぜと約束しよった。結局、イギリスたちが勝ってしまい、混乱を招いた。多分、一番割りを食ったのは、国家を最終的に得られなかった国家を持たぬ最大の民族クルド人ではないだろうか。オスマンは、削りに削り取られ、アナトリアだけとなり、そして、それもケマルアタチュルク(パシャ)によって、トルコ共和国が成立。しかし、イスタンブールより西のヨーロッパ部分は、国土の5パーセント以下であった。 それにしても、ガラタ橋の見えるガラタ塔(入場料は必死の11トルコリラ550円)、いつまで見ていても飽きない光景である。歴史は2000年以上と長く、ローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国とその首都機能を1600年も続ける(ついに今の首都はアンカラ)。日本では、オスマンの前はコンスタンティノプールという言い方が一般的だ。大昔はビザンチンという名前だったよな。ガラタ塔、12階建て60メートルとはいいながら、いまや、10階ぐらいまではエレベーターでビュンと行き、そこにはちゃんとトイレもあるわけだ。だいたいモスクにはチップを払ってトイレに行けるシステムなので、途中でチャしばきしたりビールグビグビしても問題ない。まあそんな感じでした、と。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.03
コメント(8)
入場は、ドドーンの14,000ウォンであり、生粋のデートコースである。私以外に1組しか見ないほど、大賑わいである。63ビルの最寄り駅は地下鉄5号線のヨイナル駅、あるいはヨイド駅などだが、63ビルまで徒歩で行くには遠いので63ビルが運行しているシャトルバスを利用すべし。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.02
コメント(6)
俺は、あまりすることがないので、ま、仕方ねえなという感じで木造の民族楽器博物館の前に立った。中身の様子を伺うと、誰もおらず、後ろから西洋人観光客が来て、有料なのを確認して、入らずしてその場を去った。少し受け付けの人が悲しそうな顔をした。仕方ないので、入ると、1組だけ客が出て行くところであり、楽器演奏者のおばちゃんが、聴く?と聞いてはきたが、いや俺はいいですと、答えた。なかなかマニアックな世界で、観光客には興味の薄いものなのかもしれない。でもまあ、予想に反して、おもろい楽器があり、どうやって奏でるのかいなという代物も多数。習慣の癖ってやつか、楽器の説明が英語もないことからか、写真とっていくだけーな感じ。夕方に、女性社員に呼び止められ、「ズボンにクリーニング」タグ付いてます、と言われた。その日、私の後ろを歩いた何百人は何故、指摘しない?私はゴルゴ13。小学校のときは、毎年音楽会というのが、あったなあ。ある年の担当はカスタネットだ。初めてインド行ったとき、何でか知らないけど、みーんなシタールシタールといって、あんな馬鹿でかい楽器買ってたなあ。それに、私も、何でかタブラー教室なんか俄かインドで通ったりして、すぐやめよったな。 韓国、板門店ツアー 韓国ドルメン ソウル、警察博物館 ソウル、警察博物館2 ソウル、農業博物館 ソウル、教育博物館 ソウル、63ワックスミュージアム ソウル、63ワックスミュージアム2 韓国gourmetの旅 韓国・ソウル→カザフスタン・アルマトイ カザフスタン・アルマトイ、合同結婚式 カザフスタン・アルマトイ、民族楽器博物館 カザフスタン・アルマトイ、中央バザール カザフスタン・アルマトイ、コクトベ カザフスタン・アルマトイ観光案内 カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク キルギス・ビシュケク、で警察の暴漢にあう。 キルギス・ビシュケク、オッシュバザール キルギス国立博物館 キルギスの歴史、特徴 中央アジアgourmetの旅 キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで キルギス・ビシュケクチェクアウトからイスタンブールまで2 25年ぶりガラタ橋 ガラタ塔 イスタンブル、ドームの イスタンブル・イエニジャーミー イスタンブル・スルタンアメフット イスタンブル地下宮殿・水道橋・グランバザール 飛んでイスタンブール とるこから帰国 おまけ、1987年トルコ旅行 帰国後
2011.09.01
コメント(8)
全29件 (29件中 1-29件目)
1