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夕方,母の様子を見に行くと部屋が変わっていました.あんまり母がよくしゃべるので,レベルが近いヒトがいらっしゃる部屋へと移されたのでしょう(父が入院したときのことを憶えていてくれたらしい古参の看護師さんが配慮して下さったのかもしれませんが.).母はゴキゲンで担当の先生に退院の許可をねだっていました.発症後約48時間経ったあたりからスーッと,左半身の麻痺がとれていったとのことで,顔つきも引き締まってきていました.担当の先生が仰るには,本日のMRI検査では梗塞巣が確認できなかったとのこと.24時間以上症状があったのでTIAではないし,従来TIAとされていたモノでも最近のMRIでは小さな梗塞巣が見つかることが多いので釈然としないが,本人の希望通り早期に退院できそうだということでした.特に治療せずに48時間程度で回復した場合はリンドー病とかいう診断になるんだったっけな.最近は流行らない用語なのかな? いずれにしても母の場合は,発症後30分で開始できた血栓溶解療法が奏効したにちがいありません.血圧は,まだ200前後だそうですから.血圧をコントロールして,血栓の再発を予防するような内服薬が処方されることになるでしょう. でも,前とまったく同じ生活(=海外旅行で時差ボケが苦になったことがないという不規則なハチャメチャ生活のこと)は,させたくない気がします.母の住みかが寒くなりすぎないようにもしなくては. こっちの気も知らずに母は,嬉しそうに来週の年賀状教室の段取りなどをあれこれと考えている様子でした.毎月のように海外旅行に出かけ,合間にも国内旅行や版画や俳句の活動に明け暮れ,毎日プールに通って水泳を欠かさないという74歳としては異様にアクティヴで,まったく元気そのものだった母ですが,CTやMRIで見た脳は年齢相応より以上にしなびていたのも事実です.親孝行は出来るウチにしておかなくちゃ(10年くらい前には,もう十二分に親孝行したゾと思っていたのですが,いざ倒れられてみると,まだまだ孝行し足りない気がしてくるのも不思議なモノです.)
2004.11.29
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昨日のこと,ジャムを瓶に詰めてから外出の予定があったのですが,なんだかその気になれなくてウダウダとしていたら,母の携帯から電話がかかってきました.珍しくめかしこんで「ホテルでフランス料理のマナー講習会があるから行って来るね.」と出て行ってから,約3時間たっていました. 「アノネ,フランス料理を食べていたら急に左手が動かなくなって,顔も左半分がなんだかヘンになっちゃったの.どうしたらいいかしら?」とのたまいます.ゲゲゲゲゲゲゲと思いましたが,こういうときがいずれ来るのではないかとわかっていた気もしました.ついに来たゾ!「そりゃあ,脳の血管が詰まったんだわ.とにかく救急車を呼んで,中央病院に行かなきゃダメだわ.」「そんな,大げさな.じゃあ,自分で運転していくわ.」「だめ!ナニ言ってんの!絶対ダメ!じゃあ,ホテルまで迎えに行くから,待っていて!」慌ててクルマをとばしました. とにかく,脳出血か脳塞栓かを確認して,後者ならば一刻も早く血栓の溶解療法を受けさせなくては. ホテルに着くと,母のBF(というより弟分かな?)のIちゃんの姿が見えました.たまたま彼が仕事で近くに来ていたことを思い出して電話したのでしょう.こういうときにはanother personの存在ほどありがたいモノはありません.母の左手の握力の低下を確認して,ワタシが病院に電話する間にIちゃんが母のクルマを運転して病院へと出発してくれました.1分でも早く治療を開始してもらいたいところなので,大助かりです.数分遅れて救急外来に行くと,既にIちゃんが受付を済ませていてくれました.母は診察室からCT検査に行ったようでした.母の息子と間違えられたIちゃんは,苦笑いしながら仕事の残りを片づけに戻っていきました.ワタシは独りで待合室で坐りながら,患者の家族という役回りが一番イヤだなあなんて思いながら小一時間.ようやく呼ばれて行くと,母が点滴を受けていました.CTでは,やはり脳出血ではなかったとのことでした.マイクロカテーテルの適応となるほどの血管の閉塞も確認されないので,脳外科ではなく神経内科に入院して治療していただくことになりました.ヘパリンやらなんやらいろいろと良さそうなクスリが入った点滴のおかげか,既に先ほどよりも左手の麻痺が改善しています.でも,顔左半分がヘンにたるんでいつもと違います.血圧も200近いとのことです.「えー!入院?もうさっきよりも治ってきているし.明日から中国に行くことになっているし.」と悠長なことをいう母.「ナニ言ってんのよ.海外旅行になんて行かせられるワケないでしょ.」と言いながらも,大事にいたらずにすみそうで口調は優しいσ(^^) ワ・タ・シ?.「でも,わたしがみんなの切符を預かってるし.来週は,年賀状教室もあるし.」「あなたは病人です!あきらめて下さい.」そう母は10年近く前から毎秋,日中の文化交流とかいう文化庁がらみの展覧会で訪中することになっていたのでした.担当の先生は,アホな母娘のボケとツッコミに呆れ顔です. ICUに入るまでもないので,病棟に移動となりました.ふと見ると12年前に父が脳出血で亡くなったときに,まず入った部屋でした.あのときは今回と違いICUに空きが無くてこの部屋に入ったのでしたが,深夜帯にけいれんを起こし一気に悪化していったのでしたっけ.脳血管障害の急性期の治療は,この12年間に随分と進歩しています.それに医者の不養生を地でいっていた父と違い母は健康オタク(ややピントはずれなところもありますが)です.それでも心の中で『オトウサン,オカアサンヲマモッテアゲテ』と念じてしまいました. その後は家に戻り,Iちゃんといっしょに母の部屋を探索し保険証やら,みなさんの切符やらを見つけだし(いつも混沌としている母の部屋の探索にはえらく時間がかかりました.),同行する予定だったHさん宅まで切符を届けなくてはなりませんが,あの家に行く道はややこしくて思い出せないのです.電話で妹をつかまえて事情を説明し,妹の家に行って助手席に乗ってもらいました.Hさん宅まで切符を届けた後は,深夜スーパーで前あきのシャツ(診察には便利なモノですが,病気でもしなければ着ることってないでしょう.)を買い込んでから入院生活に必要な物品を届けに姉妹で病院に戻りました.あいかわらずむくんでたるんだような顔つきの母は以外に多弁で隣りのベッドの方がうるさそうにしているのもおかまいなしです.やっぱ,ヘンだなと姉妹で顔を見合わせました. さて母は,既に交換してあった中国元の札束をHさんに預けてゴオウとローヤルゼリーを買ってきてもらうように頼んでくれとのたまいます.そういうモノを愛用していたのに病気になったのかと思ったのですが,このところ丁度切らしていたのだとのこと.本人はそれらが切れたから病気になったと思っている様子でした(実際,それらが欠けていたここ数日は血圧が170ほどに上がっていたらしいのですが,訪中やらフランス料理やらで浮かれてワタシに言いそびれていたようなのです.).再びHさん宅に戻り,妹には「これでやっと,道を憶えたでしょ.」と励まされ,Hさんご夫妻には「飛行機に乗ってから発症されなくてホントに良かったわよネエ.」と慰められました. 妹を送ってから家に着いたら,もう11時近くなっていました.子どもたちの夕食は夫が面倒を見てくれていました. まったく人騒がせな母ですが,ゴールデンタイムの3時間よりもはるかに早い30分で治療を開始できたのですし,きっと復活してくれるでしょう.ワタシが予定通りに外出していなくてヨカッタ.頼りになるIちゃんがホテルの近くにいてくれてヨカッタ(これは新潟の地震でIちゃんの業務内容が変更になったおかげなのでした.).実績のある病院がすぐ近くにあってヨカッタ.半年ばかり前に職場の脳外科の先生に最近の治療の概要を教えてもらっていて本当にヨカッタ.幸運なタマタマがたくさん重なったことに感謝です. 考えてみれば,母はかなりの強運の持ち主には違いありませんね.
2004.11.28
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食器洗い機は,まともに作動したりしなかったりですが,止まれば手動で切り替えればなんとか洗い物はできています.それでも,今日は貴重な休日なので,ちょっとキッチン仕事がしたい.冷凍庫の片づけができて,美味しくて楽しいことがしたくなり,冷凍庫にあるベリーたちをジャムにしようと思い立ちました. 5,6年前に北海道に行ったとき,富良野ジャム工房のラズベリージャムが気に入った長男が「ウチにもラズベリーの樹を植えてジャムを作ろうよお.」と言いだして,ラズベリーとブラックベリーの苗を3本ずつ植えたのでした.しかし,なかなかジャムを作れるほどの収穫はなかったのでした.今年はようやく,100グラム単位の実が摘めるほどになり,数週間に渡り,以前からあった苺にラズベリーとブラックベリーの実を少しずつ摘んでは冷凍保存していたのです. 苺が200グラム,ラズベリーが220グラム,ブラックベリーが240グラムで併せて660グラム.これに市販の冷凍ブルーベリーを40グラム足して700グラムをポリ袋に集めて,三温糖200グラムも入れてよくまぶしました.あとは,リーガルブレッドメーカーにセットしてジャムボタンを押すだけです.レモンの切れっ端も入れました. 1時間57分後,甘い匂いをプンプンさせながらジャムができあがりました.冷めたら電子レンジで殺菌した瓶に入れます.トーストもいいけど,ヨーグルトに添えると美味しいだろうなあ.ルンルンルン.
2004.11.27
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今夜こそはと,意を決して食器洗い機の裏側にもぐり込み排水ホースを排水パイプから引っぱり出しました.予想通りヘドロまみれのホースを雑巾やワイヤつきブラシでキレイにし,排水パイプの方には重曹と酢によるブクブクジュワーン操作を行いました.さて,どんなもんじゃろ?食器洗い機を作動させてみました.残念ながら,やはりピーというアラームとともに停止してしまいました.ドライバーで前面のパネルを外し,半年前に電気屋さんに12年分のヘドロを掃除してもらったあたりを点検しました.やはり,その辺はまだヘドロは溜まっていません. とすれば,何処なのでしょう? これまで,食器洗い機が不調になったのはヒーターのスイッチが入らなくなったときと,排水スピードが遅くなったときの2通りです.今回はヒーターは入っているし,排水についてはできる限り改善したつもりです.別の要因かなああ? なんとか電気屋さんをお願いせずに,解決できないかと思うのですが,今のところ良い考えは浮かびません.ワタシが家に居られる時間帯と電気屋さんが来られる時間帯を合致させるのは,本当に面倒なのです. でも,ピーと云うたびに電源を切って,次ぎの段階にセットしなおせば洗えるだけマシではありますが. 寒くなってから使えなくなると困るなあ.
2004.11.25
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このところ,子どもたちが生意気でイライラしていたら片づけや洗い物が全くはかどりません. しかも,昨日から食器洗い機が不調です.洗いからすすぎ,またはすすぎから乾燥の切り替わりで止まってしまいます.ピーというアラームを聞こえるとうんざりです. 原因は排水路のどこかにヘドロが溜まっているせいなのだということは,12年になるこの機械とのつきあいで見当がつきます.半年前には,けっこう複雑なところがヘドロでつまっており,電気屋さんに来てもらいました.今回は,長いワイヤーの先にブラシの付いた道具で,排水ホースを逆からブラッシングすれば良いのではないかと思われます.ただ,ヘドロ掃除にかかる気力がありません.食器洗い機の裏面に達するには,たくさんのモノを撤去しなくてはならないのですもの.この辺も改善しなくちゃなあ.ふうううう.めんどくさいよおおおおお. で,排水孔に重曹をたっぷりとぶちまけてから酢を注いでジュワーンといわせてみました.ナチュラルクリーニングの本などには,この手でけっこう上手くいくようなことが書いてありましたので.でも,敵は手強かった.さんざんジュワジュワしましたが,十分な排水スピードは回復しませんでした. 今度気力のあるときにブラッシングをやることにします.全く洗いモノができないわけではないので.でも,ゴハン作るのがイヤになりますねえええ.紙のお皿でも買ってこようかなあ.
2004.11.24
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映画スウィングガールを見てきて以来,「Take The A Train」が耳についています.特に味気ない洗濯作業の際に,BGMとして欲しい.そんなことを思っていたら,壁掛け式の小さなCDプレイヤーを見つけました.キッチンと洗濯室の境に作った棚の側面にプレイヤーをくっつけて,夫のジャズコレクションの中から A Trainが入っているCDを捜しました.A Trainはスタンダード中のスタンダードって感じの曲ですから,すぐに3,4枚のCDが見つかりましたよ.でも,夫はビッグバンドは好きではないので,A TrainはA Trainでもちょっと違うのですよね.洗濯作業にはずみがつくような小気味よさが足りない.ゆったりとくつろぎたくなってしまうのですよ. というわけで,洗濯作業BGM専用にビッグバンドのCDを買おうと思い立ちました.朝,子どもたちが起きる前に起きて,景気の良いテンポのA Trainを聴きながら,洗濯やらお弁当作りやらをパッパパッパとこなしていくのがいいな.ひょっとしたら,片づけなんかもはかどるかもしれない.なあんてね.
2004.11.18
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かれこれ5ヶ月になりますが,レシピカードのファイリング作業をぼちぼちと継続しています.新婚の頃に,ふと思いついてB6カードに雑誌のレシピを切り抜いて貼り付け初めてから,早18年.千枚単位となったカードは山根式袋ファイルを応用して,キーワードをラベルした角7号の封筒に入れて保管してありましたが,100円ショップでこれらがピッタリ納まるプラスチックケースを見つけちゃったのです.これまでの,なんとも貧乏くさい牛乳パックから自作したケースとはおさらばです.白と茶色のケースを交互に白いワゴンの棚に並べると,これがなかなかの見栄えです. 更に,100円ショップでは,小さなダブルクリップも発見.突然ひらめいたのは,料理中に見たいレシピのカードをこのクリップで角7号封筒に留めてしまうこと.これまでは,見たいレシピを1枚だけ取り出していたのですが,料理が終わった後にもとの封筒に戻すのが,かなり面倒だったのです.そのために,キッチンの調理台にカードが散乱しがちでした.でも,クリップで見たいカードとその他のカードが入った封筒を常に合体させてしまえば,カードを封筒に戻す面倒さが軽減されるというものです.封筒を立てて入れるプラスチックケースも牛乳パックケースよりはるかにしっかりしているので,封筒を戻す作業も以前よりスムーズになることでしょう. 嬉しくなってしまったので,レシピの索引をファイルメーカーで作ることも,ばかに楽しくなってきました.ただ,キッチンのシンクやら調理台やらをキレイにする作業の方は,ますます嫌いになりつつあり,今のところ我が家の食生活は殆ど向上していないような気がしないでもない.うーーーーーん`s(・'・;) エートォ... でも,楽しいからいいっか!
2004.11.05
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次男の買い物につきあって,2人で出かけました.おしゃべりをする内にワタシの亡くなった父のことになりました.「爺ちゃんが死んだときは,オレ小さかったからよく憶えていないんだけど,お母さんの話を聞いていると,すごく悪いヒトだったみたいな印象を持ってるんだけど.」と,次男に言われて焦りましたね. 確かに父が倒れてからというもの,ワタシはことあるごとに自分の両親への不満を口にしていたに違いありません.時代の波に乗りきれなかった家業の収拾をつけるために,ワタシは母親としての役割を放棄せざるをえなかったし,医者としてのキャリアもパーになった上,心ない親戚縁者たちに罵詈雑言を浴びせられました.最終的に,「イヤなモノはイヤ.できないモノはできない.」を押し通したものの,ワタシは黙って耐えられるタイプのオンナではないのです. 次男が不登校という状態に陥ったときには,生まれてから何年もまるで里子に出したような有様だったのが悪かったに違いないと,悔やみ呪いました.「他にどうしようも無かったのだから,息子さんもわかってくれますよ.」とカウンセラーの方に言っていただいたときには,涙がポロポロとこぼれました.この頃の次男は,あの1年半のことがウソのようにしっかりしてきていますが,ワタシはまだ,どこか腫れ物に触るような危うさを拭いきれずに,ぎくしゃくしています. さて,父は医者としてはソコソコの技量を持っていたと思います(同業者のご家族を診て欲しいという依頼が頻繁でしたから)が,とにかく世渡りが不器用で算盤勘定ができないヒトでした.「死んだ爺ちゃんは,ある意味では立派な人物だったよ.とにかく絶対に,キライなことはしない.間違ったことはしない.トクすることはしない.というヒトだったよ.」と言うワタシに,次男は呆れたように「損ばかりしてるんじゃダメじゃん.」とこたえました.そう,事業家として,家庭人として,父は甲斐性なしでした.それどころか,金儲けが下手なことを自賛しているフシすらありました.今の世の中は,好んで貧乏くじをひくようなことは評価されなくなっていますから,次男の感想はごもっともです.でも,自分にウソをつくことだけは絶対にしないヒトでした.人間として,一番大切なのはそういうことではないでしょうか. 父の死後,たっぷり残してくれた負債のことでさんざん苦労をさせられて随分愚痴りましたが,それでもワタシは父の子であることを誇りに思っているのです.そのことが,自分のこどもたち伝わっていなかったなんて,迂闊でした.今からでも取り返しをつけなくてはね.
2004.11.02
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