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検見川送信所イベントの感想が続きます。日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。外は台風、にも関わらずイベントに参加された多くの方が車に分乗して見に行かれた。僕も行くつもりだったけれど、車の台数も限られていそうだったし、ものぐさも手伝って、なんとなく懇談会の準備を手伝うふりをしながら残った。さて、懇談会。自分を含めて20名ほどが参加した。自分以外の皆様は、建築や行政を専門とする方々ばかりで「それでは自己紹介でも」と久住浩さんが仰った時は、腹痛でも訴えて帰ろうかと正直思った。自己紹介とはいえ、そこは皆様専門家。送信所保存へ向け、それぞれの分野から貴重な意見を発表する場だった。私にとっては、ただただ勉強になるのみ。ここで、市議のある方の発言を聞いて、勝手に「保存は結構いけるのでは?」という気分になった。多くの建造物では、所有者が個人(公共団体以外、という意味)なので苦労されるらしい。それはそうだ。「あなたの所有する建物は歴史的価値があるので、取り壊しはやめて下さい」と言っても、簡単に「はい分かりました」とはいかないだろう。その点、検見川送信所は国が建築し、現在も市だか県だか国だかの管轄下にあるので、そのステップは考慮しなくて済む。賛否はあるのかもしれないが、何人かの方が述べていた「保護(文化財指定)の手続きだけでも、ひとまず進められるかもしれない」という意見には、ちょっと安心もした。もちろん、建物が残ったとしてもその後も大事なわけで、ただ「文化財として残しました」という事になっても、極端な場合、また風化してしまうこともあるだろう。やはり地元の理解というのは外せない。ただ、方略として一手あるというのは、希望の見えることだと思った。実際には来年度か再来年度の予算に計上する必要があり、それほどのんびりした話ではない様子。手続きを進める上では市議の方はじめ色々な人たちが協力する必要があるのだろうが、ひとまず残すための明確な方向性がひとつでも見つかったのは喜ばしい。席順の関係で私の自己紹介は最後。あーどうしよう、なんて思ったりしつつ、皆様のご意見を聞いていた。(たぶん続く)
2007年10月31日
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なんだか、気がつくと検見川送信所のことを考えてしまう。「保存活動、かくあるべし!」なんて強い主張も、知識も、なにも無いのだけど、先日のイベントは刺激的だった。昨日の日記でイベントについて書くのは終わりのつもりだったけど(ほとんど書きなぐりメモだし)、やっぱり思ったことはつたないなりに書いてみようと気が変わった。もう数回、続くかも。#あくまで個人の意見と感想に過ぎない事は、念のため記しておきます。■質疑応答から建築家の方と送信所OBの方、お二方からお話の後は、質疑応答があった。質疑といいつつ、市議会議員や産業考古学会の方など、驚くほど多彩な専門家の方がいらしていて、実際はその方々の意見を短いながらもお聞きする感じだった。一番印象に残ったのは、産業考古学会の方が述べられた「保存運動がうまくいくために必要な五つの柱」とでも言うような内容だった。おそらくは色々な保存運動を目にされてきたのだろう、その場で「そんな視点も必要なのか」と思った。ただただ「保存しましょう!」というだけでは市や県、国は動いてくれることは少なく、5つぐらいの観点から意義を訴えていく必要がありますよ、というお話だった。以下、うろ覚えなのだが、だいたいこんな内容だったと思う。・建造物としての価値・設計者(吉田氏)の作品としての価値・検見川送信所自体の業績(送信所としての働き)・検見川町の中における価値・地元住民の保存への意向特に四番目などは記憶が怪しいのだけど、大体こんな視点を述べられていた。ついついまとめてしまいがちだけど、私には十分整理されていたように感じられた建築家の方のお話を聞いた後でも「もっと整理して行政に訴えていきましょう」と仰っていた。分類すればいいというものでもないのだろうが、時間のない行政に対する効果的なアピール方略を伝えてくださったのだと思う。確かに、私のように、興味深い話だったなぁ、で終わっては実行には結びつきがたい。全国の各所で、こういった活動が行われている事が伺われた。今回の件では、なぜか私の視点は「保存してどうするか」にばかり向かってしまう。もともとこういった活動に知識はなにも無い。でも、残せばいいだろう、では何もならないという事を、専門家の方が述べられる意見を聞くたびに強く感じた。市民運動(?)に参加したのはこれが初めてだけど、こんなにも専門家や行政の方が参加してくれるものなのだろうか、というのは常々感じた。もしイレギュラーな事なら、それは久住浩さんはじめ、主催者の方々の尽力によるものだと思う。「お客さん」的な参加だった自分が、色々と得るものがあった。これはひとえに主催者の準備によるもので、とても感謝している。
2007年10月30日
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■後半のお話前半のお話は、建築家の先生から建造物としての検見川送信所について。後半は、まだ送信所が閉局される前に実際に働いていた方から、当時の様子についてお話があった。私が生まれてたのは、ほとんど検見川送信所が閉局されようとしていた時。当時の風景は、私の知っているものと全く違ったようだ。周囲は一面が畑で、独身の局員は食事や買出しにも苦労したらしい。OBの方のお話で、華々しいものは何一つ無かった。その根底にあったのは「検見川送信所を動かしていたのは、人だ」という、言ってしまえば当たり前の事だった。■鍵OBの方は購買部(といっていような気がする。近くに店など無いので、まとめて品物を買ってきて、局内で売ったりしていたんだと思う)などを作られたそうだ。「鍵をね、かける必要がなかったんですよ」そう言っていた。物資が置いてある部屋に鍵をかけなくても良い。信頼関係がないと成立しないのは、すぐに分かる。触れれば手に穴が開く高圧電流の流れる局内での作業。無線の事は全く分からないが、当時の機器は、今と比べたらはるかに不安定で整備も大変だったのだと思う。国の送信所という重要な施設の中で、その職務は責任と緊張を伴っただろうと思う。でもそこで必要だったのは、軍隊調の杓子定規な関係ではなく、緊張感を包み込む、言うなれば家族のような信頼関係だったのではないだろうか。■指導OBの方のお話は、そのほとんどが数十年前の話だ。おかしな表現だが、鉄拳制裁は当たり前だったろうと思う。実際に、仕事を「教えてもらえる」ことはなかったと言っていた。でも、検見川送信所はちょっと違ったらしい。オブラートに包んだ言い方をされていたので、上記のような「指導」も、皆無ではなかったのだろう。でも、次のような言葉が印象的だった。「ちゃんとね、教えてくれたんですよ。だから資格のない私でも、ずっと勤めていられたんです」OBの方のお話には、検見川送信所で働いた、その事に対する誇りと喜びがにじみ出ていたように思う。
2007年10月29日
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つらつらと「ほぼ満月ただの月見@検見川送信所」の様子と、その時に考えた事など書いてみようと思います。■当日の趣旨は、ひとまず「保存運動」とこぶしを突き上げる前に、少しでも検見川送信所について知りましょう、ということだったと理解している。お話は二部構成で、建築家の方による「建造物としての検見川送信所」のが最初だった。その歴史的意義と、設計者の吉田鉄郎氏について、建築家の先生が資料も交え、30分ほどお話してくれた。この説明がまず素晴らしかった。ご本人が「私も建築史の専門家ではないので」と仰っていたが、僭越ながらそれが良かったのだと思う。建物を見る目は我々よりもある方が、素人(失礼!)目線で送信所について、建築としての特徴を説明してくれる。配布資料の中に、時系列に並べられた、吉田氏設計の建造物と、同時代の日本と世界の建築物をまとめたものがあった。分かりやすいのはもちろん、吉田氏のデザインが世界の先端を捉えつつ、そのどれとも同じではないことに、素直に感銘を受けた。設計者の吉田鉄郎氏は、大阪中央郵便局や東京中央郵便局も設計された方だそうだ。どちらも取り壊し危機にあるそうで、保存と開発の兼ね合いがいかに難しいか、その一端を垣間見た思いがする。この先生のお話で印象に残ったのは、次のようなセリフを仰った時だった。「大阪中央郵便局、これは建築の教科書の『近代建築』という章があれば、その扉絵に間違いなく使われるくらい素晴らしい。私は間違いなく傑作だと思います」このお話をされたときの表情は、本当に素晴らしいものへの感嘆と、それが失われようとしている事への、忸怩たる思いのようなものが混じったようで、とても印象的だった。■吉田鉄郎の言葉この先生が紹介された吉田鉄郎氏の言葉をいくつか紹介された。その中に、次の言葉があった。「デザインにはトラがある」この「トラ」は、いわゆる虎の巻を指すらしい。秘伝のようなものがあり、決して建築家の頭の中でひらめきから生まれるわけではないのだ、という事がその心のようだ。実際、吉田氏の建造物写真には、氏が敬愛したらしい北欧の建築物へのオマージュと見られる建物があった。先人への敬意と、創造への挑戦。当時の建築デザイン界で最先端に居た人間の言葉だと思うと、私などは分かったつもりで全然わかっていないんだろうと思う。そんな人が実際に手がけた建物が見られなくなるというのは、単純に寂しい事だと思った。
2007年10月29日
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先週土曜日、「ほぼ満月ただの月見@検見川送信所」というイベントに参加してきた。こういうイベントに参加するのは、実は初めて。それでも台風の中出かけていったのは、まず主催者のお一人がいつもブログを拝見している、久住浩さんであること。それから、自分がこの送信所のある検見川周辺で約20年育ったのに存在すら知らなかったことが残念でならなかったから。検見川送信所は、日本初の国際放送を行った通信所だという。写真で見るだけでも、直線と局面で構成されたシンプルな建物は美しい。建築の事は良く分からないが、会で伺ったOBの方の「我々は、ドイツ人が設計したと聞かされていました」というお話は、なんだか納得させられてしまった。(写真などは久住浩さんのページに多数掲載されています)保存運動自体に私が何か貢献できる事があるかといえば、たぶんほとんど無いと思う。でも自分のように関心を持つ人間が一人でも増える事は、きっと会の運動に、たとえささやかでもプラスになるのでは、と虫のいいことを考えないでもない。■第一の目的今回は、送信所はもちろん、久住浩さんにお会いしたいというのが一番だった。大変な思いをされて会を主催された久住さんが聞いたら気を悪くされるかもしれないが、でも正直なところ、そうだったんですよ(笑)台風の中、開始五分前に会場に到着。新検見川駅に降り立ったのは、恐らく10年ぶりくらいだと思う。いくつかお店などは変わっていたが、基本的にそのままだった。会場に入ると受付が。そこに久住さんが立っていらした。何故か分からないが、一目見て分かった。不思議なほどイメージどおりで、すぐに名乗り出ようと思ったものの忙しそうだったので記帳だけ済ませて席に座った。久住さんは会の進行役もやられていて、終始忙しそうだった。建築家の方と、送信所OBの方のお話が終わった後、少し間を見て挨拶。忙しいのに時間を割いてくださり、少しだけ二人でお話も出来た。ブログなどでお顔を知らない方とお会いするのは、初めての経験。それなのに、違和感無くお話できて、不思議な感じだった。なんか嬉しかった。
2007年10月29日
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ひとまず。
2007年10月29日
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先週、生まれて初めて牛の革一枚を購入した。「1枚」というのは、どうやら牛を頭からしっぽまで縦に切った、一頭の半分をさすらしい。この単位で購入するのが(特に職業とされている方は)一般的らしい。教室でつかっているのと同じような質感が欲しかったけれど、とても高くて買えない。購入したのは秋葉原にあるお店。なぜ秋葉原で革? と疑問はつきないが、一般的な価格の三分の一程度で購入できた。お店の方はとても丁寧に説明してくれて、それも満足。で、下の画像が購入した革。真ん中に置いてある茶色の革は、以前ハンズで買ったもの。これが30センチ×40センチなので、これと比べると一枚の大きさがお分かり頂けるでしょうか?しばらくはこれで小物を作って練習してみるつもり。色々と楽しみな一方、置き場所にちょっと困っている。
2007年10月19日
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カードケースの次の課題である、ペンケースが完成した。今回は「すくい縫い」を習った。恐ろしく難しくて、写真ではあまり目立たないけれど失敗している。その他にも結構なミスがあり、先生は最後の方、ちょっと呆れ気味だった(ような気がする。想定外のミスだったんだろうなぁ。自分でもびっくりしたし・笑)それでもそれなりに見えてしまうのが不思議で、きっと先生が用意してくださる革が良いからだと思う。教室に行くたびに、自分の不器用さを痛感する。でも楽しい!
2007年10月18日
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高校生の頃、書店で見つけてそのタイトルに思わず手が伸びたのが、花見川のハック。いやぁ、いくら何でもあの花見川のわけないよなぁ、と思ったが、あの花見川だった。エッセイでなく小説の舞台になっていたので、本当に驚いた。この本を書いた作家が、稲見一良(いなみいつら)氏。大好きな作家だったが、残念ながら13年ほど前に亡くなられた。稲見氏は兼業作家だった性か、非常に寡作だ。でも、特にリアリズムをメルヘンで包んだような短編の作風が大好きだった。あまり本を読まなかった高校生の自分は、この作家に短編の面白さを教えてもらった気がする。「花見川のハック」も短編集で、表題作であり花見川が舞台となっている作品は、SFとメルヘンとが混ざり合った不思議な作品。好みは分かれるかも知れない。ただ、稲見氏の作風はかなり多彩だ。氏は猟銃による狩猟が趣味であったらしく、他の作品には豊富な銃の知識や、ハードボイルドで不器用な男達が出てくるものが多い。個人的にも、そっちが好み。残念ながら絶版の作品が多い。でも山本周五郎賞を受賞した「ダック・コール」をはじめ、文庫で入手出来る作品も多い。読み終えた後、優しい気持ちになれる作品が多いです。
2007年10月17日
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千葉で育った。生まれてすぐに越してきたのは、稲毛というところ。当時はまだ政令指定都市ではなかった。海沿いで、歩いて三十分ほどで「稲毛の浜」という海辺に出る。幕張メッセなんかもあるが、当時はただただ空き地が広がっていただけのおぼろげな記憶がある。小学校の時に越して、JRの線路を挟んで内陸よりに住むようになった。最初に住んでいた稲毛は埋め立て地なので、ほとんど坂が無かったのに、こっちは坂が多かったのに驚いたことを覚えている。別にたいした坂ではないけど、自転車にのっていると高低が体感できて、子どもとしては大変だった。すごく狭い範囲の引っ越しだったが、どちらに居たときも自転車でいける範囲に、一本の川が流れていた。花見川。印旛沼から東京湾に流れ込む、小さな川。上流の印旛沼に近づくと、途中で新川(しんかわ)と名が変わる。タイトルに書いた「花見川、岸辺の緑」は、通っていた中学校の校歌の出だし(その後は完全に忘れました)。初めて海で釣りをしたのは、花見川の河口だった気がする。中学校の夏休みには、友人と毎年「印旛沼まで自転車で行って戻ってくる」という壮絶なエネルギーの無駄遣いを毎年やっていた。小さな、そしてお世辞にも綺麗とはいえない川だけど、川沿いの風景は海から印旛沼まで変化に富んでいて結構楽しい。中でも一番好きなのは、花島観音という神社の近く。久住浩さんの日記に写真が掲載されている。緑が深く、木々が川面に映っていてとても綺麗な場所。子どもの頃、船を浮かべて川から岸を眺めてみたいと何度も思った。中学生の時、部活で「ハナシマ」といえば、川沿いに走って神社にタッチして帰ってくる地獄のランニングコースだった。川沿いの風は気持ちいいけど、花島観音近くには急な坂があり、これがしんどかった。今はもう、絶対に走れない自信がある。大きな歴史上の出来事に出てくるわけでもないし、小説の舞台になるほどの清流や絶景があるわけでもない。知名度はないけど・・・・・・と思っていたら、高校生の頃にこの川の名前がタイトルになった小説を見つけて、とても驚いた。
2007年10月17日
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教室に通うようになって、少し革製品を見る目が違ってきたような気がする。といっても「見る目がある、違いが分かる」というわけではなく、これまでとちょっと違う角度から見るようになりました、というだけ。これまでは、自分の使い勝手にどれ位合っているか、という視点でしか見ていなかった。具体的には・入れたい物が入るか・重さ・大きすぎないか・何より丈夫かどうか・小物が入るポケットがあるか(鞄とか)・値段といったところばかりを見ていた。買い物する時の商品の見方としては、一般的かなぁ。気に入ったら長く使いたいので「丈夫さ」はどうしても譲れないポイント。デザインより丈夫さを選んでしまう。最近は「技術」に目がいくようになった。といっても自分の想像をはるかに超えた技術なので何も分かってはいないんだけど。どちらかというと、感心してばかり。昨日、書店で見つけたこちらの雑誌が革特集だった。(楽天にリンクがなかったので、他のサイトです)写真で見ていても、革の質感が素晴らしく、技術もやっぱりすごい(様な気がする)ので、ため息をつきながらページをめくった。全部欲しくなってくる。物欲も刺激されるけど、いつか自分でも作れるようになりたい。
2007年10月17日
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通っている教室で、公式的には最初の課題であるカードケースが完成した。「公式的には」というのは、一応カリキュラムが組んであってその最初がカードケースになっているのだが、その前にごくごく基本的なことを習うための包丁カバー作りがあったから。初めて作ったのだけど、初めてらしい作品になった。つまり、決して上出来とは言い難いと言うことです。(ちょっと恥ずかしいので、微妙に見にくい角度で撮影)ポケットが二つだけのシンプルなものだけど、その過程は複雑だった。簡単に見えるけれど、色々な作業によって出来上がっていることが分かっただけでも本当に勉強になった。「ああすれば」「ここが上手くいってれば」を言い出せばきりがないけれど、記念の作品。
2007年10月12日
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このところ、仕事の方がトラブル続き。ひとつ片付いたと思ったら次が出てきて、なかなか落ち着かない。少しずつでも解決しているのは良いことだと思うけど、なかなか本来やるべきことに時間がかけられず、ちょっと苦しい。立場がないので、どうしても上の人に判断を仰がなければいけない。一度しびれを切らして「僕がやってもいいですか?」といったら、それはダメと。それは越権行為で、確かに君がやれば早いけど、後でネチネチ言われる可能性がある。そう説明してくれた。仰るとおりなんだけど、なんかもどかしい。「後でネチネチ言ってくる」可能性の人がトラブルの原因だったりするので、余計もどかしい。誰かの性にせず、ただ目の前に仕事に没頭するのが一番いいと思う。少なくとも、そうできる自分になりたい。かばん教室は次の課題が一つ終わった。落ち着いたら書くつもり。
2007年10月12日
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