うきよの月 0
全12件 (12件中 1-12件目)
1
さて最終回20年3月号です。表紙絵タイトルは「防空敢闘」。空襲時や生活に役立つ体験談を募集してます。正直内容もこの二つが中心です。記事配分に関する考察はまた別項で。で本文最終回。読んで「都合のいい話だー」と思うかもしれませんが、そらそーです。婦人雑誌の大衆小説ってのは基本そういうものです。ただその「都合のよさ」というのは、当時「読者に望まれている」ことでもあったわけです。だとしたら、この話の中で鉱山とか半島出身者とかどういう位置づけだったのか、一つの参考にはなるんじゃないかと思うのです。それと、堤千代という作家が「伝聞によってしか情報を得られない作家」であったことも。彼女は自分で取材に行くことが叶わない、身近な情報を膨らめるストーリーテラーでした。また、自身が基本病床にあったことから、ともかく傷病兵や、怪我をした人達に最も寄り添える作家だったと思います。弱者目線です。できるだけこのひとの作品を紹介してから手放そうと思ってます。既に著作権切れてますのでテキストにするのもありなんですが、何せ量が多い。今後彼女の「自伝小説」も上げて行こうと思います。亡くなる前年あたりのものでしたし、あれは殆ど単行本が見つからないものでした。ので主婦之友を探してコンプリートしたんですが、知られなくては意味が無いんですね。こういうものは。ということで、一端幕。
2019.02.10
コメント(0)
さて20年2月号です。飛行機の整備なのか組み立てなのか、完全に一線に出ている女性の姿ですね。それまでその資格がなかった半島出身青年朴に召集令状が来た、というのは時勢に沿ってますね。さて次が最終回です。つづくっ。
2019.02.08
コメント(0)
はい(10)12月号はちょっと欠番のまま昭和20年1月号(11)です。この号から二色です。朱と藍。二色鉛筆のあの色。だんだんクライマックスに近づいてきますね。つづくっ。
2019.02.05
コメント(0)
さて昭和19年11月号です。稲の収穫の季節ですね……そろそろ記事に激しいものが増えてきますが、それはまたいづれ。ところで次の12月号だけが入手できません。で、この小説のコピーは石川武美記念図書館で入手しているのですが、……ちょっと埋まっているようです……ので、次の回は欠番で、見つけたら加えることに。なので次は20年1月号につづくっ
2019.02.04
コメント(0)
19年10月号です。だんだんまじで空襲が。で、この回は「俘虜の米兵に対してどう振る舞うか」が堤千代視点/だいたい当時の女子はかくあるべし姿が。ちなみにこの時期に出来る広告なんて↑のようなものくらいですな。普通の広告は無いです。つづくっ。
2019.02.02
コメント(0)
はい19年9月号です。今回は絵のタイトルがついてました。「敵機必殺の機関銃を造る―――」。捕虜の米兵が脱走した、というとこで続く!おまけで「保存食料」として干飯、炒米を作っておくといい、とか飲料水の確保!とか野菜でソースを作って、とか。……まあウースターソースもいろーんな野菜から出来てはいるんですが。果してどういうものができたのかな。
2019.01.31
コメント(0)
はい8月号です。戦ふ育児生活です。というかまあやることは平和な時と基本的には変わらないんですよ。ただ非常時にはどうするか、というのが「加わる」のがこの時期と言っていいと思います。……この時期の表現云々はページ数/紙の配給との関係があると思ってるので、またそれはこの話が終わったあとで。ちなみにこの号は「表紙ぬき60ページ」です。ですちなみに↑は昭和12年7月号の奥付なんですが、ページ数を見ればわかるように「528ページ」です。19年8月が40銭なのに対し、このぶ厚い本が60銭。無論広告も多いです。そのぺらっぺらに薄くなった中で、どれだけ「読者の役に立つ情報を載せられるか?」なんですね。ワタシはこの「ともかくひたすら根性で続けていく姿勢」に感動しているので、後に「昭和19年12月号以降はページ上にとんでもない文句をつけておかしくなってる」という言い方が気に食わないんですな。何せもう20年なんていうのは「本文50ページ」が基本、表紙ボール紙が無くなってからはもう全部わら半紙の様な紙質で総32ページですよ。そんな中で続けていくためにやらなくてはならないことは何パーなのか?とか考えた場合、単にその時代そういうフレーズを出したからって気が**ってるとか言われたくねえんですね。という前振りをおきつつ。Wヒロイン(やや区別がつきづらいけど)のそれぞれに弟がいて、片方が……(泣)さて。つづくっ。
2019.01.30
コメント(0)
さて7月号。絵のタイトルが見えません~状態がこの号はちょっと悪く、抜けているページもありやして。まあ海員学校の記事とかは見られて良かったけど……ということで続き。ところでこの号、この小説のあとにこういう記事。夏野菜はここまで食べよう、捨てるとこは無い、という……もう涙ぐましくなってくる記事ざんす。特にカボチャとなすとトマト。と言っても現代でも自家菜園とかやってる人は覚えておくと便利かもしれない。
2019.01.29
コメント(0)
さて19年6月号。タイトルは「炭坑に戦ふ婦人」。半島出身の青年の過去に少年と書いてチョンガーとルビを振っているのが当時の感覚なのかなあ、と。つづくっ。
2019.01.28
コメント(0)
昭和19年5月号。ちなみに「銀翼に日の丸を描く女子挺身隊」。だから挺身隊ってのはそういう普通に工場とかに徴用された女性だってば。赤文字で書かれているのは「必ず回覧してください」「一冊の主婦之友を十人二十人で読み合ひませう」という回覧促し。部数もページ数も減りに減ってる時期。文中でも「さき山」の説明がありましたな。ここで出てくる朝鮮人朴さんは「元ヤンバン」堤千代は典型的イメージ+優しい視線で描いていると思うので、だいたい当時の人の認識はそんなものかなと。一方で「八尺近い」金髪青い目の捕虜にはああいう反応を見せるという。つづくっ。
2019.01.26
コメント(0)
昭和19年4月号。前回のあらすじ。なお「あと山」は「後山」。「さき山」は「先山」。つまり後輩先輩。先輩が一番奥で難しい仕事をし、後輩はその後ろで補助的に働く。ちなみに。連載直前の主婦之友2月号にこういう記事もある。言っておくが19年2月号なんだから、もう無茶苦茶うっすい冊子になっているし、総力戦体制なんだから、それはそれとして記述のフィルターがかかってるのは確か。ただしいちいち嘘を記述するほど紙があるわけでもないことを一考しつつ。今度全文のせるざんす。設備の充実。後山と先山の説明。半島人の一人の説明。「ほとんど後山」というとこがポイント。ちなみに炭鉱跡地を訪問した方のブログを見ると確かに当時、福利厚生的には無茶苦茶良かった様子が。https://blogs.yahoo.co.jp/takesima_0206/66707735.htmlその一方で昭和14年に事故があったとかという話も。炭坑記念館だけならともかくまた何とやらの手がそろそろと入ってきているのが不穏なんだよなあ……というわけでそういう前提のもとつづくっ。
2019.01.25
コメント(0)
「あと山さき山」は最初の女性直木賞作家である堤千代が「主婦之友」昭和19年3月~20年3月の約1年連載した作品でして。ただこの時期に書かれた小説にありがちだけど「単行本化されていない」。そんでそもそも堤千代自体が昭和十年代半ば~三十年までしか活動していない。何せ若くしてお亡くなりになってるんだから。ちなみにこの堤千代という作家は先天性の心臓病を抱えておりまして、人気作家であるにも関わらず、軍部要請の慰問とかでももの凄く近場の少年航空兵の学校くらいしか行かせられなかったというくらい。炭鉱に関する知識は妹と結婚したひとからのものからと思われます。で、当初はテキスト化しようかと思ったけど、正直その労力は…… 無理す。ということでもう写真!ちょっと今コピーな12月号のぶんだけ捜索しなくちゃならないけど、あとは確実にあるので載せる。つかワシは主婦之友に載ってるものというものは一つの歴史の証拠としてもっと評価されていいと思うのよね。今の婦人雑誌より「必要な情報」の密度というか、切実さが違うというか。そんな「この時期」「普通の主婦が」「違和感無く」読んだ話/背景という。ということで第一回。ということでつづく。なおこの方がお亡くなりになったのは昭和30年あたりなので、著作権は既に切れてます。……どんどん研究する人出てきてほしいざんすが!
2019.01.24
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1