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今日は、以前の日記にも書いたぶどう畑に、ぶどう達を見に行って来ました。こちらは赤いぶどうの「安芸クイーン」。まだ色があまりついていませんが、これからもっと赤く色づいて、糖度も上がって甘くなっていくそうです。こっそりと味見をさせて頂きましたが、今の時点でも十分に甘くて美味しく食べられるほど。これがさらに甘くなると聞くと、今から楽しみ。そしてこちらは皮が薄く、種もないので皮ごと食べられる青いぶどう「ロザリオビアンコ」。今でも十分立派な「ぶどう」の姿ですが、こちらは9月中旬以降の収穫で、まだ大きくなって行くそうです。ちなみに前回、6月末に畑にいった時点ではこんな感じの「ミニサイズ」のぶどうでした。少し見ない間に大きくなったなぁとしみじみ。まるで子どもを見ているよう?手塩に掛けて、大切に育てた娘(?)の嫁入りまでもう少し。のま果樹園でも、この「赤」「青」の美味しいぶどうを、今年はお届けできそうなのでもう少し待ってて下さいね!
2006年08月18日

こんにちは、のま果樹園の越智です。のま果樹園(株式会社乃万青果)は創業して30年以上が経つわけですが一体どういった経緯で設立される事になったのか?今回はその謎に迫ってみたいと思います。題して「のま果樹園物語」、少し長いですが、どうぞお読み下さい。創業32年それは、ひとりのみかん農家から始まった......。株式会社 乃万青果(のま果樹園)創業者(現会長)(きはら ひでお)木原 英男 大正13年3月28日、水田、野菜畑、山林が収入源の山間の静かな部落で兄弟6人の長男として、現のま果樹園会長木原英男は生まれました。そのころ、近隣ではみかん栽培の導入が始まり、昭和10年頃には英男の父も3反ほどのみかん畑を持つことになりました。 16歳で今の埼玉県川口市で「月賦販売」の店員となり(今治は月賦販売発祥の地)生活耐久財や着物などをセールスを始めまし。そのころの川口は周辺には鋳物工場が並び、その工場相手に販売や集金をしていました。 そこで3年勤めた後、徴用で軍需工場に3年勤めました。その後5ヶ月の兵隊生活の後、満州で終戦を迎え、22歳(昭和20年)で愛媛に帰りました。食糧不足の時代であった当時の背景から、やがて世間の経済的水準が上がれば果物の需要が伸び産業として栄えると思い、父のやっていたみかん畑3aを引き継ぎみかん農家となりました。 27歳頃(昭和25年)から徐々に規模を拡大し、水田、野菜畑を統合・交換などして集合化を計りました。昭和37年には1.8haとなり、20年後(昭和44年)には構造改善事業により山林を造成し3町(3ha)のみかん園となりました。みかん作りを始めた頃からすると10倍の規模になったわけです。 そのころ、乃万地区柑橘同志会、部落自治会、農協理事、今治市農業委員として地域の世話役を行い事業などを進めていました。しかし、昭和46年頃にはみかんの生産量は全国的に大幅に増加し、これまで不作年には相場高騰していた市場が、今後不作年でも値上がりが望めない状況になってくると不安を感じるようになりました。そこで、自分で販売を勉強しながらやってみようと組合の脱退を決断しました。 昭和47年から自分で販売を開始(創業昭和47年)しましたが、予想通り、生産量は360万t(現在は120万t程度)にまで膨れあがり、生産過剰となったみかんの市場相場は大暴落してしまいました。翌年(昭和48年)株式会社乃万青果を設立し本格的な販売に乗り出しました。 当時、今治市近辺でもまだ多くのみかん畑があり、乃万青果の販売に活路を見いだした農家からの売り込みも多く、設立当初から100軒ほどの農家から委託販売を請け負っていました。 やるべき仕事は、販売だけというわけではなく、農家からみかんを荷受けし、大きさ・品質を選果し箱詰めして出荷する、選果場ということになります。 今と比べると規模は格段に小さかったが、忙しい事この上なく、朝の6時から晩の11時まで仕事をするという日々が10年ほどは続きました。しかし、慣れてしまえば辛さは感じず、それよりも、自分たちで生産から販売までをやるおもしろさの方が先に立っていました。会社設立からしばらくして、販売体制が整うと、販売は他の者に譲って自分は生産者の対応を担当することにしました。 越智今治地域だけでは集まる品種の種類・量に限りがあり、選果場の稼働時間が限られてしまう為、柑橘の集荷事業所も広げ、昭和55年までには、松山・八幡浜・宇和島に集荷の拠点を広げて愛媛県内の柑橘を集荷する体制を整えました。 また、品質の良い商品を集める為に生産者を指導し、品質の安定に努める仕事をしました。 こうして、生産技術の向上、新品種の開発・育成、仕入先の拡大を新しい道を作り上げながら開いてきました。卸売販売、選果場の設備や技術の向上、産直通販事業の展開など、それぞれの担当者もまた日々挑戦し地道に仕事に取り組み続け、今日では、愛媛県はおろか、全国でも有数の民間選果場にまでなることができました。 現在では、経営からは離れ、みかん栽培と生産者との交流を行う日々。長年みかん作りに関わっているにもかかわらず、みかんの樹は毎年すばらしい感動や期待と夢、また反省を与えてくれます。 「もっとああすれば良かった。こうすればうまいみかんができるかも。」と期待と夢でいっぱい。この道一筋、まだまだ頑張ります。木原英男
2006年08月03日
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