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あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願い申し上げます今年は午年、皆様にとりましてすべてに 馬が三本の矢を馳駆しうまくいく年にな ることを願ってやみません。 ★ 老馬の智紀元前662年、斉の桓公は兵を率いて孤竹を征伐した。出兵した時は春であったが、凱旋する時は冬になっていた。一面冬景色の中地理不案内で斉軍は道に迷ってしまった。夜になり真っ暗闇の上霧も発生、山や谷は深く至る処で断崖絶壁がある。西も東も判らなく危険を感じた管仲(名宰相)は全軍を停止させ、やむなく野宿させ早朝出立したが通れる道が見つからない。桓公が困っていると管仲が提案した。「こんな時は老馬の智は役に立つでしょう、年老いた馬は本能的感覚で道を探し当てるものだ」と一頭の老馬を放ち、一行はその跡に付き後を追った。やがて老馬は元の道を探し当て兵達は無事行軍する事が出来た。(経験を積んでこそ状況を適切につかみ判断が出来るの譬え、優れた知性を持っていると思っていても、つまらぬ人間と思われている人や老馬にも劣る事も有る。人それぞれ得手や特徴を持っていて人は皆、素晴らしい)管仲=唐の杜甫が漢詩「貧交行」の中で「管鮑の交わ り」といって管仲と鮑叔牙の貧富変わらぬ友情を 讃えた詩が有名。
2013年12月14日
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ふねあんもん しゅく かつ かくん したがい ここ はく いま ねん らいさんよう 舟暗門 に宿す。曾て家君に従い、此処に泊す。今11年なり。 頼 山陽 ほうそう つきくら じゅけむり ごと きし う はせい かくみん おどろ 篷窓 月暗くして樹烟 の如し 岸を拍つの波声 客眠を驚かす。 もく かず ふちんじゅうねん こと へいこう とうか ふたた ふね つな 黙して数うれば浮沈十年 の事 平公 塔下 両 び船を繋ぐ ○暗門=音戸。 ○今11年=文化11年(1814)9月11日。 安芸灘より呉湾に通ずる水道で、海辺には平清盛の塔がある。と地の人々は、 この瀬戸を清盛が拓いた際、経石を埋めて鎮護のしるしにしたと伝えている。 詩文説明船の窓から外を眺めると、月影は暗く岸の樹木は煙のようにおぼろ気である。船べりをうつ波の音が、枕に響いて眠られぬまま、既に過ぎ去った10年の身の上を考え、浮き沈みの跡を数えると、かつて父と共に、この平清盛の塔下に舟を繋ぎ留めて泊まった昔が思い出されてならない。 (頼山陽詩集)1、舟の窓から外を眺めると月影は暗く樹木もどんよりとしていた。(橋が架かっている処が瀬戸の音戸の大橋で850年前は、入口の幅は1m程でほぼ陸地続きのようであったといわれてます。平清盛が宮島へ行くのに行路をを短縮、1日で土地を削り清盛の大きな船が通れるようになったように伝えられている様です。2、船べりで波の音が響き、眠られぬまま10年前父に伴い訪れたことを思いにふける。3、頼山陽の父、頼春水画像。1、高烏台の平清盛の日招像。 (清盛が沈む夕日を扇で招き返したといわれる伝説の場所。日没の方向に 扇を向けて立ち海上交通の安全を見守っているといわれます)。2、3、平清盛の供養塔。(頼山陽が舟泊まりしたのはこの辺りのようです。4、清盛の供養塔の近くに音戸の舟歌の説明の碑が建っていました。 (碑文:今も去る八百余年平清盛公が1日で開削したと伝えられるここ音戸の 瀬戸。往時幾多の暗礁と渦巻く流れは内海でも屈指の難所であった。逞しい 中にも素朴で哀調のこもった子の舟歌は何時の頃から歌われたものか乏し い帆綱とたたかいながらこの瀬戸を上り下りした船頭衆の間に生まれ今日の 歌に継がれたもので今では日本の民謡「音戸の船歌」として良く親しまれてい る。音戸町船歌保存会)。1、音戸大橋を渡る手前に音戸ロッジという名の小高い山の食事処があります。 現在地を示したマップです。2、音戸ロッジから音戸大橋を見る。私が訪れたのは丁度つつじの花が綺麗な真 っ盛りでした。3、撮影した場所(食事処)より階段を上るとますます視野が開け音戸の絶景に魅 了されます。
2013年12月13日
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