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ぐうせい にいじまじょう 偶 成 新島 襄 やま み たか ぎぎ うみ み ひろ ようよう 山を見れば高きこと巍々たり 海を観れば広きこと洋々 たり あじ え ぞうか みょう しょうしん すこ はつよう 味わい得たり造花の 妙 なるを 小心 少しく 発揚 す (承句の広き=原文文字は、「門」の中に「活」 詩文説明 山を見ればどこまでも高く、険しく、海を見れば、洋々として広く限りがない。この大自然の素晴らしさを心ゆくまで味わえば、人もまた、山のように高く、海のように広々とした心になる。小さなことにこだわっていた私の心も、少しは活気を取り戻し、大きくなったような気がしてくる。 (大自然の偉大さに比べて、人間の存在、営みがいかに小さいものか痛感され、大自然の中に身をおいているうちに、自然と心もほぐれ元気が湧いてきた)。 1、山は気高く何処までも気高く聳えている 2、海は広々として広大無限に限りない、大自然から見ると人間は、小さなことにこだ わって如何にも小さい。 3、新島襄画像。(大自然を眺めると心も大きくなり活気が甦る)。 作者 新島襄(1843~1890)天保14年1月~明治23年1月。 明治時代の宗教家・教育者。名は襄、初めの名は七五三太夫。天保14年上州(群馬県)安中藩板倉家の江戸一ツ橋邸で生まれた。襄は幼時から漢学を修め、さらに藩主の命により杉田玄白に蘭学を学ぶ。16才の時、海軍伝習所に入り志を世界に馳せる。元治元年(22歳)アメリカの汽船ベリソン号にて上海に密航、ワイルド・ローバー号の給仕としてアメリカに渡る。船中ジョーセフの名を与えられ、略して襄と名乗った。渡米のち、ボストンのアマースト大学に入学、ついでアンドヴぁ―神学校に学ぶ。明治4年岩倉具視が大使として訪米の折は案内役として欧州に赴き、後帰米、神学校に復学、7年卒業。牧師の資格をとり、日本にキリスト教主義の学校を作るため帰国、京都に同志社を創立、西欧文化の開発に多大の貢献を成した。同志社を大学に昇格する為奔走中、病に倒れ、明治23年1月23日、48歳で神奈川県大磯にて没す。門下に徳富蘆花、浮田和民らがいる。
2014年07月18日
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