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くまもとじょう はらうじょう 熊本城 原 雨城 そがく ひがし のぞ にし ひ うみ しらかわ みなみ くだ みず せんかん 蘇岳を東 に望み 西は火の海 白川 南に 下って水 潺湲 とうこう いぎょう しろ とも さかん しゅうう しゅんぷう ゆうこん とむろ 藤公の偉業 城と偕に熾 に 秋雨 春風 勇魂 を 弔 う 詩文説明阿蘇山を東に望み、西は洋々たる不知火の海である。白川を南に下って行き、水はさらさらと音を立てて流れている。加藤清正公の治水など偉大なる業績は、お城と共に永久に輝くことであろう。しとしとと降る秋雨も、そよそよと吹く春風も、共に清正公の猛き魂を慰めているようである。 1、熊本城より東に阿蘇山を望み 2、西に火の海を望む(不知火海) 3、関ヶ原合戦図 (合戦では石田三成,小西行長等との確執があり,仲悪く徳川方に属した)1、白川(大雨の度に氾濫を起こしていたので治水と利水を考え灌漑工事に取り組む)2、鼻ぐり井出公園から一部見る事が出来る鼻ぐり井出3、鼻ぐり井出(白川の流域では火山灰の土砂が多く、加藤清正は土砂が溜まらないように、白川 沿いの馬場楠村に大きな堰を造り用水路を堀り、川底に仕切り岩盤を残し水の通る下辺には 穴が左右交互に刳り貫かれ一つの穴から出た水は必ず壁に当たって渦巻き火山灰は渦を巻い て舞い上がり勢いよく次の漕へ噴出し土砂を巻上げ、次々と下流へ押し流して底に堆積する ことなく下流に流れる仕組みを作った。1、加藤神社と熊本城(清正は城主となり隈本城を熊本城と改名) 2、加藤清正像 加藤清正 (1562~1611)永禄5~慶長16。安土桃山時代の武将。熊本城主)尾張愛知郡中村に生まれ幼名虎之助、母が豊臣秀吉の母親と従姉妹の関係で幼少より秀吉に仕える。賤ヶ岳の戦いをはじめ九州征伐など多くの戦功有り、1588年熊本城主となる。文禄・慶長の役には大いに奮戦、中でも蔚山の戦いで武名を挙げた。関ヶ原合戦では徳川方に属したが秀吉の旧恩により豊臣家との関係も断たなかった。築城、治水、干拓の名手。1611年熊本で病死。享年50歳。熊本市花園町、日蓮宗本妙寺に祀られる。 ※ 治水を施し田畑は潤い豊かにして、その施政は「せいしょうこう様」と崇められています。作者 原 雨城(1884~1971)大正・昭和の漢詩人。画家、書家。名は篤。雨城は号。肥後国し鹿本郡八幡村に生まれる。祖父は肥後藩士原彦次郎元重。元重は歌人でもあり、白露仙桂舟と号した。父、敬五郎も春渚と号し田能村直人に南画を学んだ。一家そろって芸術に対する理解があった家の長男に生まれた。享年89歳。詩集は「以文抄後編」がある。
2014年08月15日
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