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この前、日記書いたの いつだったっけか~?あまりにも久しぶりで、カビが生えてるかもお~?じゃなかったら、消えてるか~?と思って、恐る恐る開いてみたけど、、、、なんとか生きてました。あっという間に、3月も半ば、、、うちの村では、いちごの収穫真っ盛り!うちでも10年以上いちごの栽培をやったらしいが、義父母が高齢で、今はやっていない。だいたい3日に一回収穫をする。今日はその収穫の日。夕方、発砲スチロールの箱にきれいに並べられた摘みたてのつやつやいちごは、村の各地にある集荷場に集められ、トラックで都市へと運ばれていく。出荷が終わってしばらくして、近所のおばさんたちが余ったいちごを持ってきてくれた。あっちこっちからおすそ分けのいちごが来て、洗面器3杯!ありがたい。ここに住んでいると、いちごを作っていなくてもタダでいちごがたらふく食べられる。子どもたちも大好きで毎日のように食べている。日本のいちごもおいしいが、韓国のいちごも日本産に負けず劣らず甘くてとてもおいしい。日本で品種改良された種を使っている、とちらっと聞いたが、、定かではない。韓国に来られる際は、ぜひ いちごをご賞味下さいませ。保育所のほうは、相変わらず騒がしい。 私の担当、黄色組は13人。青組、緑組あわせても50人。子供数が少なくて、園の運営が難しいので小学生の放課後の塾も兼ねることになった。塾に来る児童は今のところ8人。保育所の先生たちが交代で授業を担当する。私も英語をみることになった。その外に、、、緑組の書道まで教えることに、、、あ~~~この先、一体どうなることやら。不安-----
2003年03月13日
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昨日から、雪がしんしんと降り積もった。田舎道は危ないので、保育所は休園になった。今日は、前々から計画されていた “村の温泉旅行”の日。インスハラボジの息子(ソウルに住んでいる)が“村のお年寄りに温泉沐浴をさせてあげよう”と、150万ウオン出資してくれたらしい。この雪で延期するかどうか、村長さんも悩んだらしいが、前日から準備した大量の食料や、バスの予約のために、行くことになった。参加者は、50代から80代の年配者。行き先は、バスで4~5時間もかかるキョンサンドー。うちからはお義母さんが参加し、私たちは留守番。ところが、、、、楽しいはずの慰安旅行が、大変なことになってしまった。ここからは、お義母さんから聞いた話。昼食を食べて、温泉に入ったのだが、、、ハンジュンイアボジが、温泉の中で倒れた。暑いお湯の中で、うつ伏せになって浮かんでいるのを発見され、すぐ救急車で運ばれた。館内放送が流れ、他の人たちはまだ洗い終わらないうちにあたふたと服を着て出た。温泉場は大騒ぎとなり、警察が調査にやって来た。ハンジュンイアボジは、帰らぬ人となってしまった。行きのバスの中ではとても元気で、冗談なども言ってみんなを笑わせていたというのに、、、、“人のあした”というのは本当に分らない。村長さんやハンジュンイオンマ、他数名を残して他の人たちは午後8時ごろ帰ってきた。遺体は、明日の明け方帰宅になるらしい。可哀想なのはインスハラボジだ。みんなの為に、と思ってプレゼントした旅行がこんなことになってしまって、胸を叩いて悔やんだという。私もその話を聞いて、胸が痛んでどうしようもなかった。ハンジュンイアボジ。68歳でありながら、オートバイに乗って毎日イチゴ畑に行き、仕事もバリバリしていたのに、、、、まだ信じられない。
2003年01月28日
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保育所に通いはじめて、二週間目。この月曜日から、送迎バスにも乗り始めた。朝8時までに子どもたちを連れて、当園。すぐさま、送迎バスの後ろに乗り込み、出発。運転手は、女性の園長先生。停まる度に、ドアを開けて 子どもたちを引っ張りあげる。マイクロバスなので 横に引っ張るタイプなのだが、このドアがまた重いのなんの、、、閉める時もバーンと思いっきり音がするほど引っ張らないと、キチンと閉らない。二日目、火曜日。子供をバスの上から引っ張る時、グキッ、、、、あ~~~腰が~~~ぎっくり腰になってしまった。要領を得ないと、こういうことになる。園長先生には、ぎっくり腰と言うに言えず、数日間湿布を貼って通園。金曜日。疲れがたまり 唇の上に水脹れのような“けんびき”(うちの日本の田舎ではこう呼ぶのだが、標準語は知らない)ができた。相変わらず、悪ガキどもは言うことを聞かない。“ヤン スヒョン”という、とにかく手におえないガキ大将が特に問題である。先生という威厳を、まだかもしだせずにいるので、あいまいな立場である。どんどんスランプに落ち込む毎日、、、ふうどんな仕事でも慣れるまで最初は大変だと思うが、本当にやっていけるか、とーっても不安である。
2003年01月25日
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前の日記から、早くも10日たってしまいました。みなさん、おひさしぶりでございます。急に生活に変化があり、慣れるのに大変な今日このごろ、、、実は私、この月曜日から、仕事に行き始めました。就職先は、うんじ、うんぎょんの通っていた保育所。辞めると宣言した数日後、園長先生から“合意点を探そうじゃないか”と声がかかった。その相談に行く為に車を走らせていて、事故ったのだが、、園長先生の提案は、うんじ、うんぎょん、うんひょの3人を保育所に入れて、私が保育を手伝うということ。条件は、3人分の保育料免除+月30万ウオン。 保育に携わった経験もないし、どうすべきかさんざん迷ったが結局、受けることにした。ノランパン(1~3才のクラス)を園長先生と一緒にみることになった。約17人ほどいるのだが、これがタダモノではない。四六時中、叩いた、引っ掻いた、噛んだ、オモチャを取られた、で泣き声が絶えない。うるささに、気が狂いそうである。一日中、怒ったり、なだめたり、すかしたり、私もクタクタ、、、ガキ大将が1人いるのだが、その子は私の言うことなど聞かない。もっと厳しくすべきなのか、なにしろ経験がないというのは困り者である。どうしていいか、わからない。自分の子供とは違い、他人様の子供を預かるというのは、本当に神経を使う。とにかく、、今日で1週間が終わった。ほっ、、、また来週から、あの悪がきどもと、どう闘うか?頭が痛い。
2003年01月18日
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みなさま、いろいろとご心配いただきましてありがとうございます。おかげさまで、なんとか復活しつつあります。あっ、たたたたっ、、、、、、まだ 後遺症は少しありますけど。昨日から “湿布” 貼りまくってます。道の凍った雪も、しつこいぐらい まだとけてませんね。おそるおそる、チョーシム、チョーシム(注意)、、、一度事故を経験すると、またやってしまいそうで恐ろしい。愛車のテイコは今日夜、退院してきたのだが、なんと右側のドアが開かない。明日、再入院かいな?はやく元気になっておくれよ~。
2003年01月09日
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今日、わたくし“事故 ”ってしまいました。愛車の軽四テイコは“入院中”。私は、、、というと、事故当初は何でもなかったが、じわじわとお尻や腕、足に筋肉痛のような痛みが出てきた。昨日、保育所の先生から電話をもらったので保育所へ行こうと1人で愛車に乗って出たのはいいのだが、、、隣りのトンネー(部落)を通過中、アイスバーンになってる三叉路を曲がろうとしてスリップ!1、5メートルほどの溝に転落し、横倒しになってしまった。。。あ、、、、目の前まっくら。とっさに頭に浮かんだのは“どーしよー、アッパに怒鳴られるう~!”このところ毎日、口がすっぱくなるぐらい言われていたのだ。“雪道は危ないから、気をつけろ!お前みたいに 雪道を運転したことのない者は、恐れを知らんから、なおさら危険なんだ!凍ってるところでは、絶対ブレーキを踏むな!踏んだらそのままハンドル取られて、溝に突っ込んでおしまいだぞ!”アッパの言葉が、頭の中でぐるぐるまわっていた、、、、横倒しの車の中で電話しようとしていると、村のアジョッシやアジュンマが窓の外から覗き込んで、ドアを開けて引っ張りあげてくれた。電話してみると、案の定 “イ サラマ!” (このやろうー)と怒鳴られた。アッパが来るのを待って、レッカー車を呼んで引っ張り上げた。溝に落ちた右側は 無残にもサイドミラーが吹っ飛び、ドアの取っ手も壊れ、ドア自体も凹んできっちり本体に合わなくなっていた。もちろん傷だらけ、、、私は幸いにも左側の運転席にいたので、それほど負傷は無かった。なにより 私の独り舞台で、相手がいなかったのが 幸いである。しかし、子供を乗せてなくて ホンットよかったあ~乗せてたら、絶対頭打ってるよ。私たちが車の前で すったもんだしている途中、村の人たちが横を通り過ぎながら、その度に驚きと慰めの言葉を残して行った。しばらく 村中の話題に上ることは間違いない。レッカー代、3万ウオン払った。車の修理代、いくらかなあー。ドアが問題だわ、、30万ウオンくらいかかるだろうか。金欠に、さらに追い討ちをかけられたようなショックである。ほんと、今日はついてないなー、、、、グスッさらにもう一つ、悲劇が待っていた、、、なんとこの極寒の中、オンドルのボイラーが故障してしまった!午後11時ごろ、修理に来てくれるという。どんどん冷たくなってくる床、、、、直るまでに凍死しそうである。修理のおじさんたちが来て、一応の応急処置をしてくれた。なんでもスイッチのマグネットが壊れたらしい。明日また来て、修理するとのこと、、、これまた修理代が相当かかりそうである。“泣きっ面にハチ”とは まさにこのことなのね、、、としみじみ実感した一日であった。。。明日からは、心を入れ代えて、 、、頑張ります!
2003年01月07日
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今日は日曜。朝、外に出ようとしたが、、、、、玄関のドアが凍りついて、開かない!窓は二重になっているのだが、外側の窓はやっぱり凍りついて開かない。とうとう監禁状態になってしまったか、、、玄関のドアに生じた露がしたたりおち、その水が壁とドアの間でびっちり凍りついてしまっている。押したり引いたり、いっくら頑張ってもびくともしない。だあ~めだ、こりゃ!ドアの内側も、冷凍庫の中のように真っ白に凍っている。家の中の温度も、相当ひくいのね~。アッパがバーナーの火でドアの氷を焼いたり、やかんに湯を沸かしてドアにかけたりして開けたが、溶かした氷もまたすぐ固まってしまった。外に出しておいた飲み水もカチンコチンに凍っていたので、台所に取リ込んだが、一晩置いてもまだ溶けてない。いつもなら、兄弟たちが集まってうるさいくらいなのだが、、、おとといから降り続いた雪のため、道が危ないということでみんな田舎まで来れない。“今日は、家で静かにしていろ”ということだろう。
2003年01月05日
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もうすでに年も明けて4日め、遅ればせながら“おめでとうございまあ~す”昨日からしんしんと降りつづいた雪、、、今日もまだまだどんどん空から落ちてくる。アッパが、庭にごっそりたまった雪をかきながら、巨大ヌンサラム(雪だるま)を作った。子どもたちも大喜びで、外でしばらく遊んだ。アッパの友達のT氏と近所のアジュンマがふらっとやってきた。アジュンマがT氏に言った。“トッキ チャバソ ナ チョヨー(うさぎ捕まえて おらにくれー)”こんな雪の日はうさぎを捕りに行くのが、ここの田舎の常識である。T氏はうさぎ捕りの名人で、昔は1人でうさぎを捕まえまくったそうだ。雪が積もると、うさぎの逃げ足が鈍るので捕まえやすいらしい。アッパとT氏は、山へ出かけたかと思うと、うさぎではなくピドウルギ(ハト)を4羽捕ってきた。T氏の空気銃で、、、いつのまにか もう一人の友人P氏も加わっていた。庭で火をおこして、ハトを焼いて食べることになった。耳がちぎれそうな寒風の中で、、、男達は軍隊を経験しているせいか、寒さに強い!私と子どもたちは耐え切れず、家に入った。T氏は慣れた手つきで、ハトの毛をむしって炭火にのせた。まるで絵に描いたような野生児だ、と感心する。そういや“Tは豚をほふるのも上手いんだ”とアッパが言っていたな、、私たちも ハトの焼き肉を少しおすそ分けしてもらった。ピドウルギコギ、初体験!塩を少しつけて食べてみたが、鶏肉によく似た味でおいしかった。うんぎょんはあまり食べなかったが、うんじは“マシイッター”と言って、よく食べた。その後サムギョプサルも焼いて食べたあと、アッパたちは夕食を食べに出かけた。夜11時ごろアッパは帰ってきたが、T氏は1人で釣りに出かけたと言う。ビニールハウスのような寒さしのぎの囲いの中で、釣りをしながら夜を明かすらしい。“野生児T氏”の体力は計り知れない。田舎で暮らすにはとても頼りになるオススメのT氏なのだが、なかなかお嫁さんが見つからない。アッパも“はやくTを婿にやらないとなア、、”と言いつつも、いつもP氏と3人でつるんで遊んでいる。釣り好きで、豚をつぶすのを見ても気絶しないお嫁さん、、、どっかにいないかしらねえ~。
2003年01月04日
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今日は、いよいよチェロンチャンチ。市の文化芸術会館で午後6時から、、、、これまで子どもたちが制作した 作品展示会も同時に開催。ハルモニと伯父さん、伯母さん、従兄弟たち、うんひょも含めて8人で見に行った。“うちは出させません!”などと言っておきながら、見物客が一番多い。先生もあきれてるだろう。絵や陶芸、穀物のモザイク画の合作、などなど、、子供にしてはとてもよくできた作品がたくさんあって、感心した。発表会は、チョロクパン(緑組、満5歳以上)、パランパン(青組、満4歳)、ノランパン(黄組、満3歳以下)の子どもたちが出演。うんじはパランパン、うんぎょんはノランパンである。雇われ司会の男性が、面白おかしくプログラムを進行していく。23ものプログラムがあり、次々と衣装を替えて出て来るので子どもたちは忙しい。チョロクパンは、さすがにうまい!英語やちょっとした劇など、セリフもよく覚えたと感心する。1人ずつ 聖書の句も暗証して発表。さすがキリスト教の保育所だ。うんじは、舞台の上でも時々隣りの子に話しかけたり、私たちの方に手を振ったり、、、、落ち着きがない。踊りは、、、というと一応やってはいるが、あまりうまい方ではない。ただきれいな衣装を着れて、とても嬉しいみたいだ。うんぎょんは、配列が常に後ろ。それでも、日頃先生から“うんぎょんは、お遊戯の素質がないみたいねえ”と言われていたわりには よくできたほうかな?プログラムの場つなぎに、司会者が客席の父母たちを舞台に上げるのだが、舞台の前でカメラを撮っていた私たちも抜てきされた。1人ずつインタビューを受ける。以下、司会者と私の会話。私:"日本から来ました”司:"おー、日本から!オットッケ(どうして)?”私:"ピヘンギ タゴ(飛行機に乗って)”司:"ご主人とはどうやって知り合ったの?”私:"キルコリ エソ(道端で)”こんなアホなやり取りで、会場の笑いを取ってしまった。あー、はずかし、、、うんじ、うんぎょんが出るたびに私は、カメラを持って前で走り回って撮影したので、すっごく疲れた。最後に先生たちが舞台に上がって、花束贈呈。子どもたちも1人1人 バラの花をもらった。最後にみんなで合唱。この歌がまた とてもよかった。あなたは 愛を受けるために 生れた人、今も その愛を 受けているでしょう、 太祖から 始まった 神さまの愛は私たちが 出合って 実を結ぶ、あなたが この世に 存在するから 私たちにとって どんなに大きな 喜びでしょう、あなたは 愛を受けるために 生れた人、今も その愛を 受けているでしょう あなたが 生きる中で その愛を 受けているでしょう子どもたちが小さな体で一生懸命がんばったことも感動的だったが、これで保育所ともお別れだと思うと、なんかジーンときた。午後9時をすぎて終了。帰りに村の食堂でご飯を食べて帰ると、もう11時になっていた。子どもたちはぐったり疲れて、すぐに寝てしまった。グーグーいびきをかきながら、、、、、、、ほんと お疲れさま。
2002年12月27日
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いつから降り出したのか、今朝は真っ白の雪景色、、、まだまだドンドン降りますよ~、って言わんばかりに絶え間なく空から落ちてくる。朝ご飯の途中、電話が鳴った。“あの~、ポシンウオンですけど、、、、この雪で 持っていくのがちょっと遅くなりそうです”そうだった、、、、昨日の朝早く、トンケはポシンウオンに連れていかれ、ケソジュの釜に入ったのだった。以前チンドッケにやられた首の傷もすっかり癒え すこぶる元気だったのだが、ついにクリスマスイブをもって 帰らぬ犬になってしまった。昨日、トンケについて行ったシオモニの話では、銀杏やら鹿の角やら何種類もの材料を一緒に入れて 仕込んだという。しめて12万ウオンのところを、10万ウオンにまけてくれたらしい。また昨日、最近交流を始めたL.Mさんから“HPを閉じます”というメッセージが送られて来た。これからもっと仲良くしたいな、と思っていた矢先だったのでとっても残念、、、お体に気をつけて、がんばって下さいね。犬にしても人にしても、周りからいなくなるというのは寂しいものである。-----------話を戻そう。さて、、、めったに降らない雪が、積もってる!っていうことで、子どもたちは大喜びだ。“ヌンサラム マンドウロ ジョー”とうるさい。アッパが手のひらサイズの赤ちゃん雪だるまと、パガジサイズのオンマ雪だるまを作った。忘れず、記念撮影もした。昨日の残りのケーキもたいらげた。もう夕方5時になろうとしているのに、まだトンケソジュは やって来ない。生誕節、、、そういやMさんちも今日、ワンコギ(犬肉の洒落、ハングルじゃありませんよ~)食べたって日記にあったなー。ケソジュは漢方薬だから、食べるわけじゃないけど、、、あ~~~なんでもいいから オイシイ“ニク”食べたい!
2002年12月25日
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今日はケーキを食べる日、じゃなくて“クリスマスイブ”!昨日からアッパは チョナンに行っている。故障続きの携帯電話が ついに再起不能となり、“やっぱり安物じゃーだめだ”とサムソンのHPに買い替えたという。24万ウオンも払ったという、サムソンのHP。果たして、いつまでもつだろうか?帰りに、ケーキを買って来てくれるように頼んだ。チョナンのEマートには、31があるらしい。、、、が、、、ウオンビンのポスターはとっくの昔に品切れで、変わりにアッパが選んだのは13000ウオンの“朝鮮ホテル”の生クリームケーキだった。子どもたちにはこないだピアニカを買ったので、“クリスマスソンムルは、もうないよ”と言ってあったのだが、全く何にもないとガッカリするだろうと思いアッパに“何でもいいから、安いもの見繕って来てよ”と頼んだ。アッパはこのソンムルで悩んで、1時間以上かかったらしい。安くて、3人で喧嘩せず仲良く遊べて、喜ぶもの、、、そんなウマイ物は なかなかない。結局、“キテイ-ちゃんの料理時間”という台所セットを買って来た。夕食後、ケーキをかこんで お誕生会を開いた。ろうそくに火をつけて、部屋の電気を消した。“センイルチュッカ ハムニダ~ センイルチュッカ ハムニダ~ サランハ~ヌン イエス~ニ~ム センイルチュッカ ハムニダ~”と歌っていたのだが、、、、子どもたちは“イエス~ニ~ム”のところを“ハラボジハルモ~ニ~”と、勝手に変えて歌っている。いつのまにか ハラボジハルモニの誕生会になってしまった。まっ、いっか、、、、ケーキを食べた後、アッパサンタがソンムルを持ってくる、と言うので 部屋の電気を消して待っていた。ジャジャーン! 電気をつける。“うわあー!!!!キテイ-ちゃんだあー!”と、大喜びのうんじ。たちまち3人が キテイ-ちゃんに群がった。1時間かけて選んだ甲斐があったようだ。“待て待て!”と制するアッパ。“アッパガ マンドウロ ジュッケー”と、説明書を見ながら組み立てた。もう夜中の12時を過ぎた。子どもたちは、まだキテイ-ちゃんに夢中である。まあ 明日は“ソンタンジョル(生誕節)”で休みだから 大目に見るか、、、 !!!ヨロブン メリークリスマス!!!、
2002年12月24日
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今日、やっと決断を下した。保育所に見切りをつけることに、、、月々24万ウオンの保育料と2万ウオンの英語授業料、加えて各種イベント費、、、家計に負担が大きすぎるので、アッパと相談し来月から家でみようということになった。実は去年入園する時も、高額保育料のためどうするかさんざん迷ったのだが、3番目のお兄さん夫婦が“これで保育所に行かせなさい”と300万ウオンくれたので、それでこれまで通っていた。私たちはいつも親兄姉にすがって、生き延びているようなものだ。今やそのお金も尽き、またお兄さんにねだる、、、というわけにもいかないので私たちだけで決めて、今朝さっそくアッパが園長先生に申し出た。“2、3ヶ月、日本に行く予定もあるし、私も町に出て仕事しようと思うので、今月で辞めます”ちょっとあんた、もうちょっとウマイ嘘はないのか?2、3ヶ月どっか隠れてなきゃなんないじゃないのよ。先生は、“うんじ、うんぎょん、日本に行けていいねー”と 退園を認めてくれた。ほっ、、、結局、行かないことにしていたチェロンチャンチは、“練習に組み込まれているので、絶対出て下さい”と言われ、6万ウオン送るハメになった。この金曜日、チェロンチャンチが終わると、保育所は12日間の冬休みに入る。うんじ、うんぎょんにとっては、永遠の長~~~~い冬休みになる。まだ子どもたちには保育所を辞めることを、ハッキリ伝えていない。どう言おうか、、、、また悩む。“行きたい”って泣かれたら困るな~。仲のよい友達に会えなくなるのは可哀相だが、再来年になったらまた考えよう
2002年12月23日
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昨日今日と、久々に誰も来ない週末。なので、午後から子どもたちを連れて散歩に出た。軽四に3人を載せて、まずは近所のシカを見に行った。次に、川のほうへ、、、川辺で黒ヤギが日向ぼっこをしていた。今日は、一匹しかいない。“ウエ ハナバッケ オプソ?”と、うんじ。“やぎさんも、寒いから きっとお家にいるんだよ” 土手にあるちょっとした遊び場で、ままごとをした。次に、ちょっと離れたところにあるスンマジャン(乗馬場)へ行って見ることにした。馬場があるというのは聞いていたが、場所が定かでない。道すがら農作業をしている人に尋ねながら、やっとのことでこぎつけた。うんひょは、車に揺られているうちに眠ってしまった。乗馬場といっても、それほど大きくない。馬小屋には、馬が10頭いた。至近距離で見るナマの馬はハクリョクがあった。“ウマって、思ったよりデカイのねえー”それぞれ名前と年齢、出生地が書かれてあった。ロシア産にオーストラリア産。ほとんどが5歳、6歳だ。あんたたち、私よりも遠いとこから来たんだねー。“ここの馬たちは競馬場で走っていた馬なんだ”と、馬場の主人がおしえてくれた。引退後、馬好きの現在の主人に買われ、ここの主人が管理を任されているように見えた。町から来た乗馬服に身を包んだ馬主らしい女性が、“ウリ ヒョンジュニ オデイ イッソヨ?”と探している。ヒョンジュニとは、馬の名前らしい。主人が“さわってもいいよ”というので馬の長~い鼻に触ってみた。生暖かい感触、、、馬の息吹きを感じる。“ヌ二 チャム イエップジョ”と主人。ほんと、真っ黒なガラス玉のようなクリクリしたかわいい目である。うんじは馬の鼻に触るのが気に入ったらしく、次から次へとなでてまわった。馬も、なでられて嬉しそうである。“うんじやー、もう帰ろうよ~”と言っても“もう一回!”うんぎょんは、ちょっと怖いらしい。やっとうんじが帰る気になってくれたので、“また今度見にこようね”と、車に乗り込んだ。うんひょは、まだ寝ていた。
2002年12月22日
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今日は大統領選挙の日。会社も学校も、もちろん保育所も休みである。 3番目のお兄さんの家に行って、子どもたちを風呂に入れ、ついでにEマートで買い物をして来よう、ということになった。わたしと子どもたちは、一足先にお兄さんの車で出発。アッパと両親は、後から投票を済ませて来ることになった。お兄さんの家は、アパートの10階だ。日当たりがよく、とってもあったかい。バスタブつきトイレ以外にも、もう一つトイレがある。入浴中に“はやく出ろー!”とドアを叩かれなくても済む。あー、うらやましー。バスタブに湯を張って、子どもたちを風呂に入れた。田舎の家の冷たいトイレでは、いくらこすっても出なかった垢が、あったかい湯につかってふやけたのか、出るわ出るわ、、、デカイ垢のかたまりがボロボロ落ちた。3人も垢すりをしてやると、汗びっしょり。ついでに私もシャワーをして、あ~すっきり!Eマートへ行くと、人人人の洪水!みんなちゃんと選挙行って来たんだろうか?あまりにも混んでカートがぶつかってしかたないので、今日は買い物はあきらめて、退散することにした。お兄さんの家で出前を取って、夕食を済ませ、帰宅。すでに夜9時半をすぎていた。すぐにPCをつけてみたが、Mさんちの3万キリ番はとっくに終わっていた。残念、、私が一生懸命アカこすってた時に、やられちゃったんだろうね~。大統領選は、ノ・ムヒョン勝利!ノのドキュメンタリーをテレビで放映していた。5人兄姉の末っ子、、、“おっ、アッパと同じね!”無職のため結婚反対される、、、、" おっ、無職!アッパと同じね!”“クローム!ナド ナジュンエ テトンリョン テルッコヤ”“、、、、”はいはい、期待しないで待ってます。
2002年12月19日
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うちのシアボジ(お義父さん)、名前を“ウオンボン”という。まわりの人たちからは、田舎のサトリ(訛り)で“ウオンビン”と、呼ばれている。今日もまた PCの前に座っていると、アッパがやって来た。大学院の宿題がなかなか進まず、ちょっと一休みだという。わたしのHPにだけ画像がないのを見て、“デジタルカメラ、欲しいかあー?”と聞いて来た。わたし、、、“そんな高いもん、どうやって買うのよ”アッパ、、、“インターネットに広告載せろ!「ウオンビンよりハンサムなうんじアッパの顔を見たい人は、デジタルカメラを送ってください。送ってくれた人には、ウオンビンのサインを差し上げます。」ってな!”どうも“ウオンビンのサイン”というのは、うちのシアボジのサインらしい。ってことは、“ウオンビンよりハンサム”ってのもシアボジより、ってことか?それなら納得できるが、、、、“ホッソリ ハジマルゴ スクチェナ ヘ!(たわごと言ってないで、宿題でもやったら!)”ちなみに、うちのお義姉さんの名前は、アンジョンファンによく似た安貞順(アンジョンスン)である。お義姉さんのサインも、つけた方がいいかナアー?
2002年12月16日
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昨日、夕方からまた兄弟が集まっている。夕べは庭でたき火をしながら、海の幸を焼いて食べた。今日は、朝から雨である。農協スーパーに買い物に行く途中、シカを飼っている家の前に人が集まっていた。サスムプル(シカの角)を食しに 来たようだ。シカの角は、乾かしたもので漢方薬を作ったり、切りたての角から出る血を飲んだりするらしい。しかし とても高価なものなので、私はまだ飲んだことはない。帰り、またその家の前を通ると、数人が何やら囲んで集まっていた。車の窓越しに覗くと、まるまる太った“黒焦げのブタ”だった。どっかで、宴会でもあるのだろうか?----------現在のコミン(悩み)今わたしは、子どもたちが保育所から持って帰ってきた週間計画案を見て、悩んでいる。このところずっと、保育園でチェロンチャンチ(おちゃめ祭)の練習をしているようなのだが、その連絡であった。1年の成果を見せる 発表会のようなものらしい。27日金曜日夜6時から、市の文化会館にて、、は良いのだが、“1人当たり3万ウオン持ってこい”と書いてある。、、ってことは、2人で6万ウオンじゃないのー?たっかーい!うちの保育園は、1人月12万ウオンも払っているのに 何かある度ごとに 金を持ってこいと言う。運動会にも、1人1万2千ウオンづつ払った。見学、遠足、etc,,,数えたら きりがない。それも月に2、3回はあるので、出費が ばかにならない。アッパは いいかげん切れて“そんなもん送るな!チェロンチャンチなんか休ませろ。6万ウオンもあったら、相当いい物を買ってやれるんだから”と言う。実際、月々の保育費だけでも苦しくて もう辞めさせようか、と思っているところなのに、、、、6万ウオンはひどすぎる。というわけで、なんとかその日休ませる口実を考えなければならない。アッパは“金がないから休みます”と言え、というが、先生からぜったい 何か言われると思うので、頭が痛い。一生懸命練習している子供たちには可哀相だが、、、
2002年12月15日
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今日、13時からアッパの知り合いの結婚式に出席した。村には結婚式場がないので、市の一番大きな式場で行われた。子ども3人も、イッチョウラを着せて連れていった。式場に着くと、今日結婚するカップルの名前がガラスに張られていた。10組ぐらいあったか、、、受付に ご祝儀を出して、食券をもらった。新郎41歳、新婦38歳。少し遅い春を迎えた2人だが、花嫁さんはとっても奇麗だった。(韓国式化粧のせい?、、だけではない)韓国の農村には、結婚できない男性がたくさんいる。女性たちはほとんど 学校を卒業すると、村を出て 都会で就職する。男性もそうなのだが、農業を継いだり、父母の面倒をみなければならない立場(長男)にあると、家に残らなければならない。女性に会う機会もなく、農作業に明け暮れている間に結婚の時期を逃してしまうのだ。女性にしてみれば、田舎、農業、舅姑つき!という家に嫁に行きたがるだろうか?朝暗いうちからどっぷり日が暮れるまで、真っ黒になって働くよりサラリーマンの妻になる方がよっぽど楽である。かくして、、、40歳を過ぎても お婿に行けない農村“チョンガ”が 各村々にたくさん存在するのである。アッパの一番の友達も34歳になるが、まだお嫁さんが来ない。今まで 何十回とお見合いをしたらしいが、長男、姑つき、仕事は土方、加えて、、チャルセンギョッタ(ハンサム)とは言い難い、ので なかなか難しい。人柄はとってもよいんだけどナアー。今日の新郎は、五男でマンネ(末っ子)なのだが、家で両親の面倒をみている。両親は2人とも、もう80歳を超えている。80を過ぎて やっと親の責任を終え、どれほど肩の荷がおりただろう?結婚式は30分ぐらいで終了。親戚と一緒の写真、友人と一緒の写真を撮り、解散。韓国の結婚式は、いたって簡単、シンプルである。その後は、もらった食券を持って地下の食堂へ、、、プッペ(バイキング)である。10組の結婚式の祝賀客は、みんなこのプッペを食べるので ひっきりなしに皿に料理が追加されていく。アッパが、“はやく食え!いいかげん食ったら 帰るぞ”というので、ゆっくり腰を据えて 食べることもできない。それでもネバって“そりゃあんたは、外食ばっかりしてて 珍しくもないだろーけどあたしゃ久々なんだから、ちょっと待っててよ”と言って、何度かリピートした。そろそろ帰ろうか、、、、と思った頃 インジョルミ(韓国の餅)が 追加された。これ、うちのシオモニが好きなんだよネー。小皿に山盛り よそって、テーブルへ、、、アッパが、“またそんなにいっぱい取ってきて、どーすんだ!”と言う。わたし、“家に持ってかえる”と テーブルの下に隠しながら、ビニール袋に入れた。アッパは、呆れていた。家に帰って、両親にインジョルミを出した。シオモニは、“プッペだと持って帰れないのに、コマプタ(ありがとう)、マシッタ(おいしい)”と言ってくれた。アッパには ブツブツ言われたけど、持ってかえって来てよかったー。
2002年12月14日
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今日も寒かった。一日、PCの前に座って いろいろ見ていると、“アンジョンファンの軍隊行き”のニュースに遭遇した。しかし、こないだ友達から聞いた情報と“違っていた”。“すでに入所した ’のではなく“入所予定”の記事だった。友達も日本人なので、錯覚したのだろう。みなさん、お騒がせしました。正確な記事(12月6日付sports today)によると、-----------“防御の帝王”アンジョンファンが、早ければ1月に論山軍事訓練所に入所する。アンジョンファンのマネージ社であるeプレイアの一関係者は‘現在、1月ヨーロッパ移籍市場の規模がとても小さく、ヨーロッパ進出を壮語することができない’として、‘ヨーロッパ移籍が来年8月に延期されれば、1月に基礎軍事訓練を受けるため、訓練所に入所するだろう’と明らかにした。1月1日の天皇杯決勝戦を最後に、すべてのシーズンを終えるJリーグは、1月の1ヶ月間休暇期間に入るため、軍事基礎訓練を受けるのに一番よい時間である。アンジョンファンは去るワールドカップにおいて16強に進出し、兵役特例を受けた状態。4週間の基礎軍事訓練を終えれば、軍服務がすべて終わる。兵役特例者は、特例申告をした日から1年以内に基礎軍事訓練を受けなければならず、その期間兵役特例に該当する種目(アンジョンファンはサッカー)に従事しなければならない。その間、清水エスパルスで走っていたアンジョンファンは、去る11月11日、兵務庁臨時召集に代理人が参席。特例申請書を提出したため、来年11月11日までに、基礎軍事訓練を受ければよい。しかし、この1月移籍市場(Transfer window)においてヨーロッパ行きが決定すれば、1月入所は難しい。eプレイアは“ヨーロッパ進出が確定すれば、1月はヨーロッパリーグのシーズン期間であるため、私用で動くのは難しい”として、“ヨーロッパ進出が確定すれば、シーズンの終わる8月頃訓練所へ入所しなければならないだろう”と伝えた。現在アンジョンファンは、スペインプリメラリガ(1部リーグ)バレンシアエスパニョールなどから肯定的な反応を得ている。まだ具体的な交渉に入ってはいないが、11月20日ブラジルとの親善戦を観戦した国際サッカー連盟(FIFA)エージェントたちが、eプレイアの委任を受け、アンジョンファンのヨーロッパ行きの為に東奔西走している。いつもゆらゆらしたパーマ頭とさっぱりしたユニフォーム、長い指、サングラスなどがトレードマークだったアンジョンファン。短く切った軍人頭に軍服を着た姿は、すぐに想像がつかない。---------- この記事には、軍服姿のアンジョンファンの写真が載っているが、これって本物?、、、、じゃないとしたら合成写真か?アンジョンファン パーマ頭ちょきん 軍隊へ行く 今日は、日記を書くのに すごく時間がかかってしまった。
2002年12月13日
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朝、外を見ると うっすら雪化粧。今日は12日、村のチャンナル(市の立つ日)。うちの村は、5日市なので 2と7のつく日がチャンである。余談だが、“チャンナル”と“チャンナラ”って 似てないかい?Sさんの日記のタイトルが“ヂャンナラ”、、とあったので、“おっ、今日は、市場の話題かー?”と思ったら、歌手の“チャンナラ”だった。こんな間違いをするのは、私だけか?さて、、、久しぶりに シオモニと シジャン(市場)に出かけた。田舎道は 車どおりが少ないので、カキンコキンに凍っている。手がかじかむー!手袋してくるんだったなー。この寒さの為か、見物人はもちろん チャンサクン(商売人)もあまり出てきてない。見物していると、何やら 宣伝カーがやってきた。“サランウン アームナ ハーナー、、、、”と 軽快な音楽を鳴らしながら。何だろう? と思って見てみると 選挙カーだった。“記号1 イフェチュン”の顔がデカデカと車に張られていた。最近は、選挙活動も 歌謡曲で するのねえー。選挙動員された人たちが、タスキをかけてシジャンを まわっていた。“よろしくお願いしますね”と言われ、“私、選挙権 ないんです”というのも めんどくさいので、“イエー”とニッコリ笑って うなづいた。オジンオ(イカ)、ニンニクの芽、ミナリ(芹)、干し海老、ソフトさきいか、餅、etc,いっぱい買い物をして 帰った。夕飯。イカとミナリのチョコチュジャン和え、ソフトさきいかの炒め物、オジンオチゲ、干し海老とニンニクの芽の炒め物。今日は“オジンオ三昧”だ。子どもたちは、ソフトさきいかの炒め物が大好きで、そればっかり食べた。食後、子どもたちは ママゴトをしていた。うんぎょんが いろんなオモチャとビデオテープを持って行こうとするので、“ビデオテープは必要ないでしょ!。置いて行きなさい”と言うと、“アニヤー、イゴ クリョ モゴヤデー”(あんたたち、ビデオテープを煮て食うのか?)
2002年12月12日
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朝起きると、外は真っ白の銀世界だった。そんなに たくさん積もったわけではないが、めちゃくちゃ寒いので外に出る気もしない。なので、今日は一日中 家の中に閉じこもっていた。Mさんの日記を読んで、アッパに言った。"31でアイスケーキ買ったら、ウオンビンのポスターくれるんだって。日本じゃすごいウオンビン人気で、ポスターだけ持ってっても、1000円ぐらいで売れるらしいよ。" アッパ いわく、"そうか、じゃ ポスター10枚ぐらい 調達して来てやろーか?ブロマイドも文房具屋行ったら 山ほど売ってるはずだ。ウオンビンチャンサ(商売)でも するか?"私、、、、"テッソ!"いつも、こういうショーもない会話をしている わが家である。
2002年12月11日
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うちの3女、うんひょ 21ヶ月。誰に似たのか、くっきりふたえで まつげはバサバサ、お目めはクリクリである。早朝、金曜日から出かけていたアッパが ひさびさに帰宅した。久しぶりに うんひょの顔を見て、、、“うちのうんひょは まつげが長くて、お人形さんみたいに かわいいじゃないかー?”、、私“そうねー、鼻は“ブタ”だけど、、、”鼻は、ハラボジ+アッパ似で みごとに押しつぶされている。お姉ちゃん2人もそうだが、鼻を見ただけで うちの家系だ!と わかる。“嫁に出す時は、鼻から下を 隠して行かせろ!”とアッパ。どっちにしても今から 鼻の整形費を貯めておかなければ、、、3人分はキツイナー。夜、子供たちと私の会話を聞いたアッパが、、“オンマとは日本語で話しなさい!”と言った。日ごろ、日本語で話しかけてはいるが、本人たちの口からはほとんど出ない。アッパに言われてしかたなく、“おかあしゃん”、、しかし その後が続かない。うんぎょんは、ストレスを感じてか“ナー、イルボノ モッテー!(私、日本語できないー)”と怒り出した。なにごとも、強制は いけませんな。
2002年12月10日
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朝から、さむーい北風がビュービュー。今日は うんひょが大学病院へ行く日である。アッパがいないので 私が車を運転して行くことになった。道は凍りついているので、思わず肩に力が入る。お義母さんも、心配なのか“着いたらすぐ 電話しろ”と言う。“正しい信号”のある道を運転するのは、ドキドキものである。だってうちの村には 点滅信号しか ないんだもん、、、うまい具合に うんひょが後ろの座席で熟睡してくれたので、運転に集中でき、無事に大学病院 到着!10時半、小児科に行くと、“X線写真撮って来てください”と言われ、放射線科へ。うんひょは 慣れない雰囲気に 顔が凍りついている。そこでは、、入院患者が次々とレントゲンを撮りに来るので、1時間もかかってしまった。再び小児科へ行って、“写真を撮った ”と伝えると“なんだ、来ないから 帰ったかと思いましたよ”と看護婦さん。(そりゃ、帰りたいのは やまやまだったけど、、、)また小児科でしばらく待って、診察室へ。心配された肺炎は 左の肺に少しあったが、薬を飲めば大丈夫と言われた。よかった、入院じゃなくて、、、ほっと一安心。お義母さんにもアッパにも 電話で伝えた。近くのお兄さんの家に寄って、お昼にうどんをご馳走になった。帰りもうんひょは 熟睡、、、親思いの子だ。 -------------話は変わるが、友達からの情報によると“アンジョンファンが軍隊に入った”らしい。それがまた うちの近くの軍隊なのだ。ワールドカップで貢献したおかげで、本来2年のところ“1ヶ月”に免除になったらしいが、、、アッパは、“面会にでも 行くか?”などと言っている。絶対に 会わせてくれないだろうが、、、
2002年12月09日
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今日は朝から雨、、、いつまでたっても 薄暗いので、子供たちもなかなか起きない。9時近くになって、そろそろ朝ご飯の準備でも、、、と思っていたところ、門の前に車が止まるのが見えた。なんと、3番目のお兄さんの車!“えー、今日来れないって言ってたのに、なんで?”不意打ちを食らってとまどったが、とりあえず ボサボサ頭のまま 急いで門をあけた。義父母もびっくりしていたが、うれしそーに“週末 おまえたちが来ないと 変な感じだよ”と言っていた。昨日今日と同窓会の予定だったが、昨日だけで終わったのだという。“2番目のお兄さんたちもいる”と思って来たらしいが、昨日帰ったとわかって 電話してみると、“今から 行くから”との応え。静かな日曜、、、のはずが、、、いつもどーりの“うるさい”日曜に一変した。まー、お兄さんたち来なくっても、うちの子らだけでも ジュ-ブンうるさいのだが、姪が加わると さらに輪がかかる。今日もやりたい放題、ちらかした。みんな帰った後 ひととーり掃除をして、子供たちを沐浴させようと思ったら、うんぎょんとうんひょは 眠ってしまっていた。しかたないので、うんじだけシャワーをした。うちには浴槽がないので、この時期はヒジョーに不便である。韓国の田舎で 浴槽のある家は めったにない。家では簡単にシャワーをするぐらいで、週に一度ほど銭湯に行って、じっくり湯につかり、思いっきり あかすりをする。最近の都市のアパート(日本でいえばマンション)にはほとんどユニットバスがついているが、、、うちの村にも銭湯があったのだが、不況でつぶれたらしい。銭湯に行こうと思えば、車で30分ほど走らなければならない。夏、子供たちは頭から汗びっしょりになるので、トイレでたらいに水を溜めて 毎日沐浴させていたが、冬になるとそうもいかない。トイレはとっても冷えるので、すぐに風邪をひいてしまう。だから 最近は日曜日だけシャワーをさせる。“えーっ、週に1回だけー?”と白い目で見られそうなので、ナイショなのだが、、、(ここに書いちゃったら、ナイショになんないねー)こんど“大統領選挙の日”にでも まとめて銭湯連れてくっかー。保育所、休みだし、、、今日の日記のタイトル、○○の中に入る文字は“沐浴”です。
2002年12月08日
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今日は土曜日。保育所も昼まで、、、朝9時に家を出たと思ったら、もう12時に帰ってきた。“保育所で 何した?”って聞いたら、“ククス モゴッソ(そうめん食べた)” 土曜日は、保育所で麺類を食べることになっている。園児がみんな揃うのが10時過ぎで、11時半にはおしまい、となると ククスを食べにだけ行っているようなものである。夕方、2番目のお兄さん夫婦と甥っ子(次男)がやってきた。今日は“ヤクパプ”を作って食べることになっている。栗は シオモニが前もって皮をむいて 冷蔵庫に入れてあった。もち米も 昼から水につけておいた。いつも料理は お義姉さんまかせである。私はずっと横でみているだけだったが、これなら私にもできるかな?というぐらい 簡単そうにみえた。---作り方---1.水に浸けておいた もち米を ふかす。2.だいたい火が通ったら、たらいにあけて 黒砂糖、醤油、むき栗、テチュ(なつめ)を入れて よーく混ぜる。3.再び 蒸し器にもどし、加熱。4.蒸しあがったら ごま油、干しぶどう、松の実を入れて混ぜる。-- これで、できあがり!--分量は、、、、、テキトー。ちなみに今日うちでは ふやかしたもち米-たらいいっぱい、黒砂糖-1Kg1袋、醤油-ドボドボ、その他はお好みで、、って感じだった。これがまた “ウマイ!”の一言だった。お義姉さんは 料理が上手である。こうやって横で見てて、たまに私も同じようにやってみるのだが、どーも うまくいかない。なんでかなー?やっぱりプロの“テキトー”と、素人の“テキトー”の違いだろうか?日本では味わえない味!もち米と黒砂糖のハーモニーが絶妙である。いつもは泊まっていくお兄さん達だが、今日は長男が試験中だということで 帰って行った。あしたは、誰も来れないらしい。静かな休日になりそうだ、、、、、
2002年12月07日
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昨までは暖かかったが、今日からまた寒さ到来。朝、外に出て見ると 霜で まっしろだった。子供たちを保育所におくって、テレビをつけた。この一週間、EBS教育放送で“スジチム”の特集をやっている。手のひらのツボにお灸をしたり、鍼をしたり、針でついて血を出したり、テープを貼ったり、、、足の裏健康法ならぬ 手のひら健康法である。日替わりで、子供、女性、男性、老人、、と それぞれによくある病気に効くツボ療法を紹介。今日は、“老人編”である。痴呆症や、高血圧など、、、“ふーん、なるほどー”アッパはさっそくお灸を持ってきて、アボジには痴呆に効くツボ、オモニには頭痛に効くツボに置いて、火をつけた。何でもすぐに感化されてしまう私たちは、インターネットでスジチムを調べて、本と道具を注文してしまった。韓国人は、健康にはヒジョーに関心が高い。うちにも ありとあらゆる健康器具が揃っている。マッサージ椅子、振動マッサージ機、遠赤外線治療器具、プハン(吸引治療器)、オク(玉)マット、電熱腰ベルト、などなど、、。すべてお父さんお母さんのために、兄弟たちが買ってあげたものである。健康に良いと言われる食品。これまたテレビや くちコミで聞いてきては、さっそく買ったり、作ったりして 両親に、、、父母のためには、金に糸目をつけず投資するのは日本よりも うわまわっているように思う。日本では、大人より子供を重んじる傾向があるが、韓国は断然!大人(特に老人)が尊重される。たとえば、食べ物、、、、親は食べなくとも、子供に食べさせるのが日本。子供は将来いくらでも食べられるので、子は食べずとも親が食べるのが韓国。そう考えれば、この先食べる機会の少ない老人が一番良いものを食べるべき、というのも納得できる。うちでも、何か食べる時はかならずハラボジからである。子供のチョコレートもアイスクリームも、ハラボジに持って行くようになっている。私も韓国に来た最初は“こんな子供の食べ物を?”と思ったのだが、今はそれがフツーになっている。何事においても、常に尊重されるお年寄り。私たちが年老いても、そうであって欲しいと願うものだ。
2002年12月06日
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今朝になっても、うんひょの風邪が思わしくない。夜中にまた熱が出たし、咳も吐きそうになるぐらい、、、ずーっと村医者に通っても、いっこうによくならない。今日は思い切って、テジョン市にある大学病院に行くことにした。うんぎょんも咳がひどいので、一緒に連れて行った。本来は、当日予約というのはできないが、知り合いに頼んで受け付けをしておいてもらった。おかげでスムーズに診てもらえたが、、、、、うんひょは“肺炎になりかけ”、うんぎょんは“中耳炎”。うんひょはとりあえず薬を飲んでみて、月曜日もう一度来て、胸の写真を撮るように言われた。ついでに アッパも咳がひどいので診てもらった。こっちは受付してなかったので、ソートー 時間を食った。診察料、薬代、5人で5万ウオンほどかかった。“殺人的な金額だ!”とアッパは憤慨していた。村医者と違い、大学病院はバカ高い!、、、が、、、高いだけあって それだけ薬もいいのをくれるし、診察も信用がおける。きのう、今日と出費が続き、我が家は火の車である。これでまた月曜日、うんひょが写真撮ってみて、“入院!”なんてことになったら どうしようー!毎日、ご先祖様にお祈りしなくっちゃ。
2002年12月05日
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“ふーするピアノ、買って来てくれた?”このところ毎日、保育所から帰ると同時に飛び出す うんじのせりふである。ふーするピアノ、、、、とはピア二カのことである。こないだテレビに出て来て、アッパが買ってくれると約束したのに、今日も買って来てない!と不服そうである。しかたなしに シンドアンという軍人アパートの立ち並ぶ町まで買いに出ることにした。ショッピングタウンの文房具屋で、全くおんなじピアニカを“3つ”買った。(3人で取り合いのケンカになるのは目に見えているので、、、)しめて6万ウオン、、、痛い出費である。“これで、クリスマスプレゼントは終わりだよ”と言うと、うなずいていたが、、、、地下の食料品売り場へ行くと、ナ、ナント!、、“かつおうどん”が置いてあるではないの!ハングル表記は“カスオうどん”であったが、、、2人前、2740ウオン、、、日本の味は高いなー!でも ここで出会ってしまったからには、素通りできない。2袋、買ってしまった。夜、さっそく“カスオウドン”を おしょうばんした。ダシがちょっと甘かったが、日本の味としては まあ合格かな?シオモニは、、、お気に召さなかったよう。シアボジは、無言でズルズルッとすすり、最後の汁一滴まで飲み干した。気に入ってもらえたかな?アッパは、また友達のお誘いで外食、、なのでノーコメント。ピアニカは、とっても気に入ったよう、、、、。さっそく うんじがカバンにクレヨンで名前を書いた。ウンジは合ってるけど、ウンギョンがウンジンになってるー。うんぎょんも プープー鳴らして喜んでいる。私が片づけようとすると、“オンマー、ネッコ マンジジマー(私のさわらないでよー)!”と怒られた。しばらく ピアニカの騒音に悩まされそうである。
2002年12月04日
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今日は、友達と出かける約束だった。、、、が、、、うんひょが 朝からひどく咳こみ、おまけに鼻血まで、、、朝一で医者へ。8時に行ったのに、すでに患者がいっぱいだった。またまた、お尻に注射をして 薬をもらって 帰宅。今日はアッパが家にいる日なので、うんひょを頼んで 出かけようと思ったが、“おれは 山登りに行く”という。“山登りって、3日前行ったばっかりじゃん。1ヶ月に1度くらい、預かってくれてもいいんじゃない?アンタはいっつもフラフラ出歩いてるんだからさ、、ふん”それでも“1時間以上は見ないぞ”というので、しぶしぶ諦めた。アッパは山登りに行くかわりに、トンカツを食べさせてくれると約束した。薄暗くなってアッパが帰って来た。“アッパー、トンカツは?”“イ サラマ (こいつ)、、、おれは風邪でしんどい”やっぱり、、、今日の約束も口だけだったか、、、しかし、、、、トンカツがどーしても頭から離れないので、パン粉をつけて冷凍してあったトンカツを揚げることにした。韓国では、風邪をひいている時は、揚げ物や、炒めもの、とにかく油の匂いを嗅ぐと 風邪が悪化すると言われる。日本でもそーなのかなあ。聞いたことないけど、、、なので 外の軒先にカセットコンロを置いて、トンカツを揚げた。夜になって、雨が降り出していた。とりあえず、念願のトンカツは食べられたが、、、、今度アッパと約束する時は、誓約書を取っておかなくっちゃ。
2002年12月03日
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12月になったので、また保育所のバスの送迎時間が変更になった。1ヶ月ごとに早行きと遅行きが変わるし、夏時間、冬時間でも変わるので ひじょーにややこしい。朝、そのことをすっかり忘れてて いつもどーり のんびりしていたが、トイレの中で はっと気がつき 大急ぎで子供たちを起こした。帰ってくるのも また早かった。3時半をちょっとすぎると、もうバスがプップーとやってきた。家での遊びは、ぬり絵や切り絵である。ぬり絵はいいのだが、切り絵はどーしたものか、、、絵本やノートをかたっぱしから切ってしまうので、まともな絵本は1つもなく、すべて“虎刈り”になって本棚に立てられている。うんじは、絵本の中の絵をきれいに切り取って、得意げに私に見せに来る。“絵本は見るもんなんだから、切っちゃー駄目だよ”といくら言っても、ちっとも耳に入らないようだ。 教育のためには 絵本を買い与えるべきなんだろーけど、どうせまた切られると思うと、もったいなくて買えない。新聞や広告なんかが あればいいんだけど、うちの村には新聞屋がないので 当然配達もない。お姉ちゃんたちが はさみでキリキリしているので、うんひょも“カーウイ、カーウイ(はさみ、はさみ、)”とうるさい。しかたないので与えたが、自分の髪を切ってしまい、うんひょの頭も“虎刈り”状態である。遊んだ後は、山のような切りくずを掃除するのが一苦労、、、でも最近は、うんじもうんぎょんも率先して片づけてくれる。“片づけないと、今度からハサミあげないよ”という 私の一言が効いているようだ。こんなに好きなハサミを取り上げるのもかわいそうで、、、、なんか いい方法ありませんかねえ?
2002年12月02日
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今日から12月。ついでに日曜日、、、なので またきのうから兄弟たちが家族連れで遊びに来ている。ついでに親戚の人たちも来て、総勢16人。“今日の昼ご飯は、パッククスにしよう!”とお義姉さん。“えーー!!パッククスウーーッ!!!”と内心で叫ぶ私。韓国ではパッチュクという“おしるこ”があるが、パッククスは、白玉のかわりに ククス、“うどん”が入る。あまーいおしるこの中に ちょっと塩味のうどん、、、、なんともいえない 中途半端な 奇妙な味である。日本人感覚では、ゼッタイ食べたくない!とゆーよーなシロモノ。辛い物好きの韓国人の口にも合いそうにないのだが、義母やお義姉さん、お兄さん、親戚の人もみんなおいしい と言っていっぱい食べた。辛いものに対する味覚の違い、は納得できるのだが、パッククスに関してはどう解釈すべきか、まだ私の頭の中では整理がつかずグルグルまわっている。、、、しかし、、、、アッパだけは“ 食った気がせん”と言って、ご飯にキムチを混ぜて真っ赤ッ赤にしたビビンパプを たいらげた。“イゴシ パビジー!(これが メシだぜえ!)”と 満足そうであった。やっぱ韓国人でも 口に合わない人はいるのだ。うんぎょんもカルグクスは大好きなのに、今日は一口 くちに入れただけで吐き出してしまった。うんじも食べず、うんひょは汁だけすすった。別居になったら、パッククスは作らなくてもよさそうである。うどんはヤッパリ“正統派うどん ”でなくっちゃネ。パッククス、、デジカメがなくてお見せできないのが残念です。機会があれば 一度ご賞味下さいませ。
2002年12月01日
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キテイちゃんの "ぼろぎれ”うんじの お気に入りである。寝る時はもちろん、牛乳を飲む時も かならず片手でにぎりしめている。まだ日本にいた時、アッパがベビー布団のカバーとして縫ってくれたもので、うんぎょんにオンマをとられた うんじのオンマ代わりになった。色も鮮やかできれいだったが、、、いつのまにか中の布団は捨てられ カバーだけになってしまった。うんじは年がら年中これをひきずり回しては、端っこを噛んで遊ぶので、今は 色あせ 穴だらけで、くたびれはて ぞーきんよりもボロボロである。“あたらしー、もっとかわいー キテイちゃん買ったげるから これ もう 捨てようね。”と いくら言っても“ポリミョン アンデー!(捨てちゃだめー!)”と大泣きする。しかたなしに 今日も何度目かの補修をした。繕うたびに 周りのすだれのようにぼろぼろになったところを切り取っていくので、だんだん小さくなる。また一回り小さくなった“ぼろぎれ”に うんじは満足そうであった。オンマはいなくても、これがなくては眠れない。うんじや、オンマは ぼろぎれよりも劣るのかい? 、、、、さみしー、、、、来年は うんじも満5歳になる。ぼろぼろキテイちゃんを卒業できるのは いつのことだろう?
2002年11月29日
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きのうの夜。またアッパは友達に呼ばれ、出かけて行った。そして、、、今日の朝帰ってきた。私が韓国に来て、深刻に悩んだことの一つ。それは、アッパの友人関係であった。生活において、友人の占める割合がヒジョーーに大きい。友達と出かけて遅く帰ってきても、またすぐ出かけるという。“今会ってきたばかりじゃないの”というと、 "ト ポゴシッポ(また会いたいんだ)” なんで? そんなに友達が好きなのか? まるで "愛人”である。ソル(旧正月)やチュソク(旧盆)で、兄弟がみーんな集まって楽しくしていても、友達に誘われるとほいほい出て行ってしまう。いつもアッパだけ抜けるので、当然私は面白くない。こういう時ぐらいは、家にいてくれてもいいんじゃないの?アッパの性格をよく知っているお兄さんやお姉さんは“あの子を出さないようにしても無駄だよ。ほっときなさい”と慰めてくれる。 、、、、が、、、、毎日のように友達から電話があり、断りきれないといいながらも嬉しそうに出て行く。 "ちょっとー アンター! もう独身じゃないんだから 友達と遊びまくらないで、 家族の面倒もみてよーッ!”と、大ゲンカしたことも1度や2度ではない。 、、、、しかし、、、、今はもうあきらめている。私がナンダカンダとわめいても、アッパの放浪癖は一生直らないと悟ったので、、、最近知り合いの旦那さんの話をきくと、うちのアッパとおんなじ。韓国人ってみんなそーなのかもしれない。アッパや、気がねせんで思いっきり出かけて下され。
2002年11月28日
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今、風邪が全国で大流行している。うちでも被害者が続出、、、、先週末からシオモニ(義母)とうんぎょんが、今週に入ってうんじとうんひょが風邪に倒れた。 今年の風邪は 高熱が出るらしい。39度から40度の熱で、夜も苦しくて寝れないようだ。夜中の2時、4時に起きて座薬を入れたり解熱剤をのませたり、、、それでも熱が下がらない。毎日かわりばんこに医者に行って、おしりに注射を打った。 韓国では 風邪を吹き飛ばすために“からーい”ものを食べる。シオモニも食欲がないのに、コンナムルクッ(豆もやしのスープ)にコチュカル(唐辛子の粉)をドバドバ入れて真っ赤っ赤にして飲んだ。“目のさめるような辛いものを食べると、風邪が逃げていくんだ”という。 本当だろうか? とっても胃に悪そうだけど、、、 日本人感覚では、風邪で弱っている胃腸にはおかゆのように消化のよいものを食べる、というのが正しいような気がする。 しかしここで私の理論を説いても、周囲は韓国人だらけなので私の見方になってくれる人はいないだろう、と思い 何も言わなかった。(たぶん韓国の人はみんなそう信じていると思うので) あしたは、みんな よくなって 医者に行かなくてもすみますように、、、、
2002年11月27日
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明日は雨、、、という天気予報なので、キムジャンを今日することになった。毎年兄弟たちの家族が集まって、一緒に何十株もの白菜を漬けるが、キムジャンにおける私の出番はない。 今回も子守りであった。せまい家に大人だけでも窮屈なのに、子供までぎゃーぎゃー騒ぐと目がまわりそうなので、お姉さんが5万ウオンお金をくれた。“子供らを連れて、外で遊んできなさい。ノレパン(カラオケ)に行ってもいいし、欲しいものも買ってやりなさい。”というので、私の軽四にのせて連れ出した。 まず、ノレパンで1時間。高校生の甥っ子らは最新曲、私と子供たちは童謡を歌った。 次に、甥っ子たちが漫画の本を借りたいというので、漫画とビデオを借りに行った。 それから、子供たちにお菓子を買いにスーパーへ。欲しいものを買ってもいい、という事なので子供たちはドンドンかごに入れていく。 ちょっとー、多すぎるんではないの? 、、、、、、、案の定、レジで4万110ウオンにもなった。残金3万5千ウオンしかない。5千ウオン分戻そうとしたら、おばさんが“5千ウオンは今度来た時でいいよ”と言ってくれたので、5千ウオンつけにした。帰ろうとしたら、お姉さんから甥の携帯に電話があった。“ピザを2つ買ってくるように” 、、、お金ないんだけど、、、ピザ屋に行くと、配達もしてくれるというので道案内の為 甥が残って、私たちは先に帰った。家に着くと、キムジャンは終わって片づけをしていた。なーんにもしなくて、申し訳ございません。しばらくして甥が配達の車にのって帰ってきた。久しぶりに食べるピザはうまかった。
2002年11月23日
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今日、ケリョン山で“南北統一を祈願する平和大使和合大会”があり、参加してきた。 韓国動乱で南と北が分断して以来、半世紀以上が過ぎ 涙の歴史が綴られてきたが、2002年ワールドカップやアシアンゲームなどの応援風景から見ても、民間レベルでの南北統一は もう目の前に来ているように思う。 韓国内では南北統一に尽力する平和大使が各地で任命され、北韓を訪問したり、さまざまに活動しているらしい。 うちの村でも村長さんや婦人会長さんが平和大使になっている。今回はソウル地域と忠清圏の平和大使が姉妹血縁を結んで、共に南北統一の祈願登山をするというものだった。 祈願文を小さな筒に入れて、大きな風船につけて空に放った。風船は、みるみる空高く舞い上がっていった。だんだん小さくなって豆粒ほどになり見えなくなった。 どこの誰が見つけて拾うのだろう。 北までとどくだろうか? 北韓の人たちに拾って欲しい、、と思った。
2002年11月20日
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今度の日曜は“キムジャン”(キムチを大量に漬ける)の予定。なので 今日はチョッカル(塩辛)を買いに出かけた。カンギョン(江景)は有名なチョッカル市場である。 ここでも行き付けの店は決っている。ミョルチジョッカル(片口いわしの塩辛から絞り取った汁)に、セウジョッ(おきあみの塩辛)、ミョンランジョッ(辛子明太子)、 総額16万5000ウオンにもなった。いっぱい買ったので、おまけもイッパイしてくれた。イカの塩辛や、あさりの塩辛、大根の醤油漬けなど、、、おまけの方が多いンじゃないの?ってぐらいサービス満点。 以前親戚の人に連れられて違う店に行ったが、おまけをチョビットしかしてくれなかったようだ。“やっぱりタンゴル(行き付けの店)にかぎる” とシオモニ(義母)も大満足していた。 夕方は、パンアカン(製粉所)へ行って、コチュ(トウガラシ)をひいて粉にした。 キムジャンをするのには、すさまじい量が必要である。 今年は何株漬けるのだろう?
2002年11月19日
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今朝起きると、雪が降っていた。うっすらと積もり、すぐに溶けてしまった。 シオモニは美容室へパーマをかけに行き、私とシアボジはキムジャン(キムチ漬け)用のマヌル(にんにく)の皮剥きをした。 たらいにいっぱいのマヌルをむいていると、シオモニから電話がかかった。“お父さんも頭をカットした方がいいから、一緒に車で来なさい。 ついでに 昼ご飯も食べて帰ろう。” 最近は 男性も美容室でカットするらしい。しかし理髪店より はるかに安かった。お義母さんはカット&パーマで13000ウオン(1300円)、お義父さんはカットのみ3000ウオンだった。 理髪店だと7000ウオンなのに、、、今度からは美容室に行って下さいね。 昼ご飯は、行き付けの店で カルビタンを食べた。他のいろんな店でもカルビタンを食べてみたが、やはりここのが一番オイシイ。 夕方、知り合いの夫婦が来た。3時半頃来て、夜9時半まで、、延々としゃべり続けた。旦那の方が私に向かって機関銃のようにしゃべるので、身動きもできなかった。 なので夕食もシオモニが準備してくれたのを食べ、片づけもシオモニがしてくれた。申し訳ございません。 疲れた、、、、とにかく、げっそり。 人の話を聞くというのは、とっても体力を消耗するものだ。
2002年11月18日
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おととい。夕方、うんひょが高熱を出した。 信用できない体温計なので定かではないが、39度以上はあっただろう。 おまけに胃の中のものも全部 吐いてしまった。きのう。医者に行っておしりに注射をしてもらうと、熱は下がった。 1日中機嫌が悪かったが、夜になって今度は下痢が始まった。今日。朝から下痢と嘔吐の おう襲である。飲ませても、食べさせてもすぐに上から下から出てしまう。薬も吐いてしまうので、また 医者に行った。 “しばらく おかゆと下痢用の粉ミルクだけ与えて、薬も飲ませないように”と言われた。 調子が悪いと、ずーっとぐずって おんまから離れようとしないので、抱っこしたまま なんにもできない。 それでもお姉ちゃんたちが帰ってくると、一緒に遊んでくれるので、ちょっとは機嫌が なおったみたい。 が、、夜になってまた下痢が、、あーーーもう おしりも真っ赤になって痛々しい、、、 はやく治ってくれるといいんだけど、、。
2002年11月16日
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最近めっきり寒くなった。いたる所にプンオパンやおでんの屋台が見られるようになった。 今日、今年初めての プンオパンを食べた。 日本でいえば“たい焼き”だが、こっちでは“ふなパン”である。 たい焼きほど大きくなく、まさしく“ふな”サイズの大きさでかわいい。 5個で1000ウオン(100円)なので、高校生や子供たちがよく学校の帰りなど屋台の前に むらがっている。 あんこのビッチリつまった たい焼きは、胸焼けがして1個食べるのも大変だが、プンオパンはさほど甘くもなく、無理なく胃袋におさまる。 でもやっぱり日本人としては、たい焼きより たこ焼きが食べたいと思う今日このごろである。 お好み焼きでもいいけど、、、
2002年11月13日
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今週は なにかと忙しくて 日記を書く暇がなかった。やっと 今日木曜日、パソコンに向かった。 またパソコンの機嫌が悪くならないうちに、早く日記を書いてしまおう。 この日曜日だあれも来なかった、と思ったら、、、、月曜日、、まとめていっせいに来るという。 2番目のお兄さん夫婦、3番目のお兄さんと家族、ソウルのお姉さんにその義理の妹、、、 2、3日休暇を取ったらしい。 朝 電話を受け取ってから、ひーっしに片付けまくった。なんせ昨日 広げ放題広げて そのままだったもんで、、、 みんなが集まって この日は夜遅くまで、子供たちも寝なかった。 火曜日、、私は用あって一人ソウルへ、、、家族と客人たちはケリョンサンへ山登りに行った。 水曜日、、客人たちが帰るので、柿やサンチュ、コドルペギなどを採り、米も車に積んだ。 木曜日、、今度はアッパの友達が日本から来た。ちょっと顔だけ見て、すぐソウルに行くという。1週間ほど滞在するので また会いにくると言って、別れた。 明日は 誰が来るだろうか?
2002年11月07日
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ひるどき、雪まじりの雨が降った。 久々に だあれも来ない日曜だった。週末はいつも兄弟の誰か彼か遊びに来るのに、、、みんな忙しいんだろう。 たまには ゆっくりと静かな休日もいいかなっ、、 って思ったが それどころではなかった。 うちの3人娘。 おもちゃを部屋中ひっぱりだすわ、家の中をそこいらじゅう走り回るわ、叫びまくるわで、こっちが気が狂いそうだ。 おやつにポンテギ(蚕のさなぎ)と、鶏卵をゆでた。韓国の鶏卵は肌色である。ふつう30個単位で3000ウオン(300円)から3500ウオンで売られてる。卵の相場は日本とあんまり変わらない。 白い卵って見たことないなあ。 そういやニワトリ自体 白いやつ(ホワイトレグホンだっけ?)がいない。 こないだもタクチャンサ(ニワトリ売り)が、軽トラックにいっぱい 茶色のニワトリを積んできた。“ニワトリ 買ってくださあーい! 4羽でマノン(1000円)、5羽でマノン、6羽でマノンだよーッ” とスピーカーで叫んでる。 このオジサンからニワトリを買うと、その場で絞めて羽をむしってくれるらしい。一度アッパが買ったことがあるが、私はその現場を見なかった。 、、今度見た時レポートすることにしよう スーパーの鶏肉は一羽単位で売られていて、必要に応じてその場で ぶつぎりにしてくれる。 以前、サムゲタン用の鶏を買ってこい、と頼まれ "そのままください" と注文した。 帰って見てみると ,,,,,首までついていた。 (さすがにそこまでは予想してなかったなあ) そんなことを思い出していると、、 夕方、偶然にも 裏のハルモニの家に来た末娘が、うちにも鶏を一羽買ってきてくれた。 タクチプ(鶏の店)で買ったらしい。そこでは、生きた鶏を機械にかけて絞めてくれる。 絞めたてほーやほやで、まだ鶏のぬくもりがトウックントウックンしていた。
2002年11月03日
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最近、、どうもインターネットの接続が悪い。苦労してやっと書き終わった日記。 さてと、、書き込み書き込み、、 むむっ?"日記を書き込む"を押しても、画面がすぐに変わらない。ずーっと待って、やっと変わった! と思うと"ページを表示できません"というメッセージ、、、 なんで? と"戻る"キーで戻ってみると き、消えてルー! いったい どれだけ時間がかかったと思ってんダー はかりしれない脱力感がドッとやってきた。、、、 思えば インターネットを設置するときから問題だった。アッパが何度も申し込みの電話をしたが、この地域はまだ開通していないからできないという。"でも近所の友達は使ってる"そういっても"その家は電話局が近いから"とふざけた答え。うちとは100mも離れてないよっ!アッパの従兄に相談した。その道に知り合いがいるという。すると、、、すぐに電話がきた。設置してくれるという。 開通してねえーんじゃなかったのかよーっ。よくよく従兄に聞いてみると、単に"めんどくさい"っつう理由で"できない"と断るらしい。 へっ? そんなのあり? 日本じゃとっても考えられない、、、、 その後もトラブル続発!アッパは間違ってインターネットのプログラムを削除するし(2回も)、、、遊びに来た甥っ子が接続できないと言うので、問い合わせたら、"その地域は需要が少ないので、元を切ってます。"だって、、、 まったく、、、何を考えてんだか。 ハングクトンシンさん しっかり たのんまっせー!
2002年11月02日
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今日から11月。 ずいぶん 日が短くなった。保育所の保育時間が また短縮される。真夏は 午後4時半までだったが、10月になって 30分短縮。11月は 更に朝の送迎バスも30分遅く出発し、夕方は3時半まで。 そんなに早く帰って来られちゃ 何にもできないよー。 朝、送り出すまでは戦争だ。毎日のことだが、、、 なんせ 起こすのが大変だ。夜 なかなか寝ないので朝起きられない。寝たまま服を着替えさせ、むりやり体を起こして 頭をとかす。 女の子は髪を結ぶのが面倒だ。 朝ご飯、、食べたくないというのを無理矢理 口に押し込み,飲みたくないという薬を ムチを片手に飲ます。 私は 食べたくないんだったら食べずに行けっ!と思うがハルモニが許さない。朝は絶対ご飯を食べさせなくてはいけないと、茶碗を持って子供たちの口に運ぶ。ありがたいが もうバスが家の前に来てても“あとひとくちー”と頑張る。 顔を洗って、挨拶して! 10月はここまでを 8時までにしなければならなかったが、今日からは余裕がある。 、、、というより ありすぎだ。 早くバス 来ないかなあ。 朝9時半。やっと保育所のバスが迎えに来た。お姉ちゃんたちが出て行くので、うんひょも一緒に行こうとする。“あんたはダメだよ”というと、大泣きに泣いてとりつくシマがない。 2人を送り出しても....... まだ手のかかるのが いた。 毎日がこのパターンである。
2002年11月01日
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今朝、シアボジが“家に帰る”と言う。“家って、、お父さんの家はココですよ” と、シオモニ。お義父さんは 痴呆症ぎみで、うつ病も少しあるので、毎日薬を飲んでいる。 たまに あさってのことを言い出す。 が、、、家といえば、、 お義父さんは若い頃、おじさんにあたるこの家に養子に来た。 年を取って、自分の生家が懐かしいのかもしれない。 お義父さんの生家に行くことにした。 お義父さんは三男で、長男が後をとっているが今はお兄さんも亡くなり、クノンマ(お義姉さん)が独りで暮らしている。 行って見ると、庭に豆が広げて干してあるが、クノンマはいない。 しばらく待っていると、クノンマが帰ってきた。 クノンマも 腰が曲がって、もう80歳を超えているだろうに、山へ仕事に行っていたらしい。私たちが“すぐ帰るから”と言っても、“飯を食ってけ”と テキパキと準備してくれた。 クノンマも忙しいので、すぐに おいとました。これからも何回か来ることになるだろうから、、、 うちの裏の家で一人暮らしをしているハルモニも80歳を超えているが、ヤッパリ痴呆があるようだ。 この間もうちに来て、チョーマジメ顔で言った。“夜逃げする時は、絶対ワシも連れて行け!”“誰も どこへも逃げやしませんよ”と言うと、“ワシは何もかも知っとるぞ”と ますます怒るので“分った、分った、必ずお連れしますよ”と言うと安心して帰って行った。昔 ユギオ(6.25動乱)時代、逃げ回った頃と錯覚しているのか?、、、年をとると、とにかく昔の事ばかり頭に浮かぶらしい。 他の家に行っても おんなじ事を言ってるらしい。 早く誰か同居してあげないと、かわいそうだ。 今日も、夜遅くまでシアボジ、シオモニは畑仕事をしていた。足腰が痛い、と言いながらも せずにはいられないのが 昔の人の悲しい性分である。
2002年10月31日
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今朝は大霜だった。車も 真っ白に凍りついている。“これは動くまで時間がかかりそうだ。”と思っていたら、電話が鳴った。 朝7時半。保育所からだった。“バスが動かないので、連れてきて下さい” 保育所のバスは たびたび故障する。まあ、田舎のでこぼこ道を 酷使して走らせてるから仕方ないと思うが、、、後ろのライトは壊れて電球が見えている。 今日は 寒さに負けたか? アッパが車で連れて行った。 子供たちはアッパの車で行くのが嬉しいらしい。 帰りはいつもどおり バスで帰ってきた。保育所のバスが来ると、きまってうちの犬が吠える。 塀に さえぎられて見えないのに どうしてわかるんだろう?ほかのトラックは いくら通り過ぎても知らん顔なのに、、、子供たちのにおいを 嗅ぎつけるんだろうか?クンクン いつ見てもバスの中は子供がぎっしりつまっている。“これって定員オーバーじゃないの?”と思うぐらい、小さなマイクロバスに20人以上は乗っている。 日本だと ぜーったい 問題になるはずだが、韓国では文句を言う親も いないのだろうか? そう思いながら 何も言わない私も すでに韓国人か、、、? バスは 次の子の家へと 走り去って行った。 ごくろうさま。 明日は故障しないでね。
2002年10月30日
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今朝、うんぎょんが“耳が痛い”というので保育所へ行く前に 医者へ連れて行った。 田舎の個人医院なので朝8時から診療してくれる。 それでも ちょっと遅く行くともう ハラボジ ハルモニで座るところもないぐらいごった返す。 電話で受付をしてから行ったので早く診てくれた。 中耳炎、薬を5日分出してくれた。うんぎょんは 風邪をひくとすぐ中耳炎になる。困ったものだ。 診察料3000ウオン、薬代5000ウオン。 普通の風邪薬だと 1500ウオンだが、中耳炎の抗生剤は高い。 韓国には 乳幼児医療制度がないので病院通いも度重なると、負担が大きい。 夕方、2番目のお兄さん夫婦がソンジヘージャンクッを買ってやってきたので、 この間刈り入れをした新米を ついて炊いてみた。今年は 不作であったが、サレギ(欠けたコメ)もあまり出ず、質はよかった。 これもアッパの苦労の賜物!感謝。 新米はつやがあって モチモチとしてうまい。ソンジクッは味噌味ベースに牛の血の塊を入れて煮込んだ汁である。 シオモニは 肉は牛肉、魚はタラ以外食べない人だが、これはよく食べる。 ソンジはレバーに似ているが、臭みがないので、私も大好きである。 子供たちには“チョコレート”を煮込んだものだ と言ってある。 真に受けているかどうかは 疑問だが、、、、 うんじとうんひょはよく食べた。
2002年10月29日
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うちには ケ(犬)が 3匹いる。2匹はお姉さんのシテク(嫁ぎ先)からもらった 由緒正しい 血統書つきの メスの チンドッケ で、 あと一匹は 近所からもらったオスの 雑種である。 チンドッケには ファング、ペックという名前があるが、雑種は“トンケ”と呼ばれている。“トン”はハングルでウンチのことだから、訳せば “クソ犬”になる。 今朝、このトンケの犬小屋の前でメジュ(味噌のもとになるもの)の仕込みをする為、薪で大豆を煮ていたシアボジが、 "犬のくびが腐ってる。”と言うので、見て見ると あごの下がえぐれて肉が見え、確かに腐っていた。 犬は全く弱った様子もなく、すこぶる元気である。トンケは強い! 首輪を外して薬を塗り、そのまま放し飼いにした。治るだろうか? "早く薬にしてしまおう” と シオモニが言った。 韓国では犬は食用だが、ケソジュという薬(漢方薬)も作る。 以前、私がポシン(ポシンタンという犬肉のスープの名前からとった)と名づけて 可愛がっていた犬が、 ある朝突然 いなくなったかと思うと薬になって帰ってきた。 遠吠えをするという理由で、、。 かわいそうだったが、(犬=家畜)という観念のシオモニには、何も言えなかった。 夕方、メジュ作りを少し手伝った。 茹で上がった大豆を 臼に入れてつく。 だんだん粘り気が出てくるので、けっこう重労働だ。 明日、筋肉痛にならないだろうか? 子供たちが帰ってきて、うるさいのでメジュの形作りは シオモニに任せて家に入った。 トンケは 自由の身になって 嬉しそうに遊んでいた。
2002年10月28日
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今日も寒い一日だった。近所の アッパの幼なじみが来て柿を摘んで行った。奥さんの実家にあげるらしい。 どうぞどうぞ なんぼでも 摘んで行ってええでー昨晩から 3番目のお兄さん夫婦と姪っこが遊びに来ている。姪はうんじと 同い年。 プラスうちの 子供たち3人。 キーチベ(女)ばかり4人でお医者さんごっこや お母さんごっこをして 遊んでる。 “ヨボー(あなたー)”なんて言って。 ヨボなんて言葉 おしえてもないし 私も使ったことないのに、、アンタラ イッタイ ドコデ オボエテキタノ? 夕方うんじは疲れて ご飯も食べずに寝てしまった。うんぎょんとうんひょもご飯を食べて風呂に入れると すぐに寝た。 ひさびさに自分の時間を持てそうだ。 、、、、と思ったら アッパが友達4人連れてきた。“屋上でサンギョプサル(豚バラ)焼いて 食うから、マヌル(にんにく)と テンジャン(味噌)とサンチュ (サニーレタス) 準備して!” なにー?この寒いのに 畑まで サンチュ むしりに行けって? おまけに電気もないし、暗くて 見えもしない。 “悪いけど アッパ 行って!” アッパがむしってきたサンチュを洗って 屋上に持ってあがった。 薄暗い光の下で 男5人が 炭火に のせた肉を囲んで うずくまっている。 このクソ寒いのに、、、 男どもの思考回路は 理解し難い。 "マシッケ トウセヨ(おいしく召し上がれ)” と言って そそくさと階段を降りた。
2002年10月27日
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今日は柿の実を取った。うちの村には柿の木が くさるほどある。 ほとんどが しぶ柿だが、、この季節、どこを見ても柿の実が鈴なりになっていて、初めて見る人はびっくりして空いた口がふさがらない。 うちの家にも、柿の木が3本ある。庭にある一本は、夏には日陰を作ってくれてとてもありがたい。 去年はこの木に2千個ぐらい実ったと思うが今年は不作である。 台風や大雨、日照不足の為 柿に限らず農作物はすべて被害にあった。 くだものは べらぼうに高い。そういやうちの畑に30本ほどある梨の木も今年はただの一個も取れなかったなあ。 親戚の人も来て、一緒に摘んでコッカム(干し柿)を作る為, むいてつるした。 “ホンス(完熟柿)がウマイ”とみんなよく食べた。トローリとしてとても甘い。 、、、が、私はあんまり 好きではない。 柿の木のない家にとっては、買ってでも 食べたいらしい。 柿の木がとても大きくて高いので全部は取りきれない。 それに今日は北風がふいて異常に寒い。また来週にしようと、適当に終えた。
2002年10月26日
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今日は保育所の遠足。朝早く起きて弁当を作った。韓国の弁当! といえば決ってキムパプ(のり巻き)である。ご飯とおかずを別にいれるのではなく、キムパプだけ!ハムやたくわんやほうれん草、にんじんなどを巻いて作るので 栄養的にはOKである。 でもこれって作るのがけっこーめんどくさい。で、私はいつも市販のユブチョバプ(稲荷寿司)のもとを買って作る。ご飯を炊いて、混ぜて、稲荷に詰めるだけ、の手抜き弁当だ。 でも日本人のコダワリでおかずはきちんといれる。 イカのフライ、トンカツ、うずらのゆで卵、 プチトマト、ふかしたサツマイモ、うんぎょんは、キムパプが いいという。 チング(友達)のをちょっともらって食べなさい、と言い聞かした。 水筒に麦茶を入れて、おやつも持たせた。 帰ってきて、、、うんじは弁当を全部食べたが、バスに酔って吐いてしまったらしい。 うんぎょんは、ほとんど残してる。その残り弁当をうんひょが引っ張り出してむさぼっていた。 うんじいわく。 “オンマー、友達が水筒の水、オジュンムル (おしっこ)だっていったー。” おしっこではなく麦茶だ、ときちんと訂正 したが、、、 何はともあれ、一つのイベントを無事終え、 ほっとした・
2002年10月25日
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