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それから1週間足らずで母は亡くなったのだが、部長先生とお会いする機会があり、その時に先生がおっしゃってくださった。「いやじゅびあ先生、あの時おっしゃってくださってよかったのだよ。言われなければ、Sはずっと自分の間違いに気づかなかった。彼女はきっと、先生に教わったことをこれから先、いい経験にしていくと思う。」実は主治医の女医さんにもちゃんと謝礼を送ったのだが、「私のような未熟な者に、ご丁寧にしていただいて」というような返事の葉書が来た。ただ、字がすごく悪筆で(笑)びっくり。最後にもうひとつだけ、私が母の頼みを守らなかったことがある。母が亡くなった時休日だったので、死亡確認してくれたのは、主治医ではなくて、どこかの科から来た当直の若い男性医師で、これがチョーイケメン(爆)。すぐナースがぞろぞろ来たし、死亡確認の後、私が自分でもう一度対光反射診たり、頚動脈確認したりさすがにしなかった...。まあ、いいじゃん、若くてチョーイケメンの先生に確認してもらったんだからさ、お母さん。姉も同じことを言っていたっけ。尊厳死、というととかく在宅での死とか、無駄な延命治療をしない、病院で点滴やら呼吸器やら管だらけで死なないこととか、とイコールに捉えられがち。でも、母のように、とにかく1日でも1時間でも1秒でも長く、この世の空気を吸っていたい、と思うのもひとつの自分で選ぶ終わりの形。長くなったけど、そういうことが言いたかったのです。
2012年10月15日
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いつ亡くなっても不思議はない、と言われてから、母は約1ヶ月頑張った。それでも亡くなる1週間前ほどからはみるみる弱ってきて、眠っている時間が多くなっていた。その頃、おそらく最後になるであろう主治医面談に呼ばれた。私は、指導医の先生(その先生は呼吸器科の部長で、癌が見つかる前から世話になっており、外来ではずっと主治医だった)に同席してもらえるかどうかを尋ねた。同席してもらえる、とのことだったので、私はまたもや万障繰り合わせて、姉と一緒に出向いた。あとわずかの間なら、せめて主治医を替えて欲しい、と掛け合うつもりだった。姉が「医者のあなたより、私が言うほうがいいと思うから」と言い、一通り説明を聞いた後で切り出してくれることになっていた。これ、改めて考えると、「主治医を変更する」って発想がすごく精神科医的。後にも先にも、あの有名総合病院で「主治医だけ替えてくれ」って頼んだの、私たちくらいかもしれない。説明は、あと1週間以内だと思う、という、予想通りのものだった。というよりその後切り出すことばかり考えて、ほとんど頭に入っていなかった。姉が、交代要求をした途端、主治医の女医さんが固まった。姉の話を聞いた部長先生が「どうして、あなた、そんなことをカルテに書いたの?」と若い女医さんに言った。「僕は長くお母さんを診てきたけど、いつも旅行に連れて行ったり、受診に連れて来たり、本当によくやってくれるお嬢さん方でお母さんは幸せだと思っていた。そんなこと一度も思ったことないよ。」「いつも患者さんが、娘さんが来てくれなくて寂しいと言っておられました。私が自分の親だったら、こんな風にはしないと思ったし、いつも施設に入れることばかり言って胃ろうを入れろとか、そんなの家族のエゴイズムだと思いました。」精神科の病棟は、出入りにチェックがあるから、家族の面会は逐一フローシートに記録されている。だが面会時間内であればそのまま素通りで出入り可能な一般の身体科の病床では、誰がいつ面会に来たかなど、各患者のカルテや看護記録に記載されていない。母は、午前中に面会に行っても午後にもう「面会に来て欲しい」と電話してくるような人だったし、昨日面会に来たばかりで続けて来ても「ああ、やっと来てくれた」なんて言うものだから、姉はよく腹を立てていた。私が耐えかねてそれを言うと、主治医の女医さんは「お姉さんはよくいらしていると思いますけど、妹さんはそんなに来てないですよね」と言い放ったのだった。同じ女性医師で、子どももいて(あちらのほうがお若いので、子どもは乳児だが)、分かっていそうなものなのに、そんな言い方をされると思わなかった。ひょっとしたら精神科医なんて、内科医に比べれば暇だと思っていたのかもしれない。私がバツイチで、医師をしながら女手ひとつで双子の子どもを育てていることなど、精神科医のように家族歴など見ないので、彼女は気づいていなかったのだ。「仕事が終わってから、子どもの送迎もあります。それでもその合間や、子どもを迎えに行った後、そのまま来たりして。洗濯物などは姉に任せていましたが、施設の頃から最低でも週に1回は必ず来るように、危なくなってからは週に2~3回来ていますよ。だからここのところ家では夕食を一度も作れず、連日外食で子どもにも我慢してもらっていました。転院の検討を指示された時、先生は自分の病院にまたとってもらえばよいと思ったと思いますが、前の勤務先では、家でどうにもならなくなった母を一時入院でお願いしたことがきっかけとなって退職に追い込まれました。あなたは覚えていらっしゃらないようですが、あなたがローテート研修でいらした精神科病院です。私は今度の病院でまた退職するわけにはいきませんので、身体管理がメインになった母をもう一度とってくれと言うことはできませんでした。かといって、精神症状のある患者を、一般の内科病床しかもたない後方病院が、いかに受けてくれないかということを、私は常日頃から知っています。だから施設にお願いするしかなかったですし、医学的に胃ろうなど無駄だと分かっていてもお願いするしかありませんでした。施設に入れることばかり言う、とおっしゃいますが、先生はカルテをご覧になっていますか?病歴が何年あるか、ご存知ですか?私、夜中に泥棒が入ったと騒いだり、医師としてどう見ても緊急性がないのに、早朝から救急外来へ行くと言って聞かなかったりする母を4年、仕事と育児をしながら自宅で看ました。なのにこの1ヶ月ちょっとだけ診ている先生から、どうしてそう言われなくてはならないのですか?」彼女は胃ろうなど造って、管だらけにして、無駄な延命をするのも、苦しみを長引かせるだけで、家族のエゴだと言った。しかし、母がまだ元気な頃に私は、延命治療について話したことが何度もある。私が自分には無駄な延命治療をして欲しくない、というような事を言うと、また、テレビで尊厳死などを取りあげた番組があるたびに、母は言った。「あなたたちは若いから、平気で自分には延命治療をしなくていい、なんて言う。でも私のように年をとって、だんだん死が近づいてくると、そんなことは言っていられなくなる。」「私はたとえ癌の末期だろうと、もう治らない病気だろうと、一日でも長く生かしておいて貰いたい。医学は常に進歩しているから、今日なかった薬が、明日はあったりする。一日長く生きていたら、治療できる病気になるかもしれない。いくら医者に勧められても、絶対に延命治療を断らないで欲しい。」「もし病院で、私のことを死んだと医者が死亡確認しても、すぐに信じて火葬したりしないで欲しい。本当に生きていないのかあなたが何度も確かめてちょうだい。世界には死んだと思っていたら生き返ったっていう例がいくつもあるんだから。」ここまで世間体?を気にせず、生に執着できる母を、すごいと思ったものだ。「そうですか、お母さんはそこまでおっしゃっていたんですね」と部長先生が頷いた。「だから、私は、ここへ入院する時に、延命治療について『人工呼吸器を使わない』というところに丸をつけるだけでも、母の意に反しているという罪悪感にさいなまれました。」「いや、もういいと思います。ご家族はやれることを全てされた、そう思って頂いていいと思いますよ。今回のことは完全にこのS(女医さん)が悪い。私も指導医として、心からお詫び申し上げなければなりません。」「もうあとたった1週間なら、せめてその1週間だけでも、母との最後の時間の共有に集中したい。母の亡くなろうとしているこの時にまで、他の余計な辛い思いを入れたくないので、主治医を替えてほしいとお願いしたのです。」ここで若い女医さんも、涙を流しながら言った。「私の思い込みで、本当に申し訳ありませんでした。もしお許し頂けるのなら、最後まで私に診させてください。」「もし少しでもお時間がありましたら、カルテを読んでやってください。それでいいです。」と私は答えた。
2012年10月15日
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受診を終えて帰ってきた姉が、私のところへやってきた。わあわあ泣きながら、だ。姉の話はざっとこうだった。受診の付き添いのために少し早く余裕を見て呼吸器の病棟へ行ったら、主治医の先生が詰所の中にいるのが見えたので挨拶をしようとした。主治医の先生は看護師相手にブツブツ文句を言っており、その一部「ほんっとにあの家族!治療をするだのしないだの、胃ろうだのなんだのグジャグジャ言いやがって!」がばっちり聞こえてしまった。すぐにうちのことだと分かったので、声をかけられなくなってそっとその場を離れ、5分くらい時間を潰してから、改めて詰所へ行って知らないフリをしなければならなかった。泌尿器科の先生は部長のようだったけど、親切な先生で、説明もよく分かった。主治医の先生が、カルテに書いてたの、見えちゃったんだけど、何て書いてあったと思う?「家族が自己中心的で自覚・認識が無さ過ぎる!」って書いてあったのよ!...聞いた途端、私もどっと涙が出てきた。その後、また主治医の面談(むろん、平日昼間)に呼ばれ、腹膜転移が広がっており、もうイレッサは効いていないと思われるので中止すること、転院や施設への退院は難しいと思うので、このまま当院で看ることにします、というような説明を受けた。最後まで診てくれる、ということだったので、「ありがとうございます。よろしくお願いします。」とぐっとこらえたが、面談に臨む私の顔は、相当引きつっていたと思う。それでもその時「母はずっとこの病院ならば助けてもらえると信じて、治療を続けてきました。転院しないで最後まで置いてもらえるのならば、安心すると思います。母はイレッサのおかげで、遠隔転移があっても、4年間生きることができ、自宅で生活を続けることができました。副作用の足の潰瘍はきつかったですけど、母はイレッサを命の綱と思って、『副作用が辛いと言って、中止されると困るから』と黙ってのんできたのです。どうか母には、イレッサを中止したことを伝えないでください。母には最後まで、治療を継続している、まだよくなれると思ったまま逝って欲しいのです。新しいもっといい薬が出たから、と胃薬でも何でもいいので、出してやってくれませんか?」というようなことを、言った記憶がある。まだ生きると思うので胸膜癒着術をするかしないか、という話をし、その後すぐに半年くらいは生きるからと転院を指示され、転院先が確保できず施設の好意を受けて胃ろうを頼み、尿閉が出て泌尿器科を受診し、転院は無理といきなり撤回されるまで、たった1ヶ月ほどだった。結果だけ見ればあれだけ言われて悩んだ末に、本人の今後の苦痛を和らげるためだからとトライした胸膜癒着術も、転院先を当たったことも、施設ともう一度掛け合ったことも、主治医によい印象を与えないのを承知で頼んだ胃ろうも、みんな無駄だったことになる。その後1週間ほどで、母の呼吸状態が急に悪化し、もう経口では何も受けつけなくなり、いつ亡くなってもおかしくないという連絡を受けた。不思議なことに母は自分が何も食べていないことに気づいておらず、私が何か食べたいか尋ねると、思い出したように「そういえば今日何も食べてなかった」と言うのだった。母が食べたいというので、よく一緒に泊まりに行った旅館に急遽頼んで、名古屋コーチンの卵でできたカステラを取り寄せ、持っていった。事情を話すと本来料金前払いなのに、私が振り込むより先にお送りくださったI旅館さん。病院には許可を得て、もちろんそれで誤嚥して、死亡する可能性があることも承知の上で、小指の先ほどのサイズにちぎって口に入れてやった。「このカステラ、どこのか分かる?福●屋とか、文●堂とかじゃないよ。」「そりゃわかるさあ、Iの。」「当たり!また元気になって一緒にみんなでIへ行こう。牛ヒレの塩釜焼を食べようよ。露天風呂付きの一番いい部屋をとってさ。ここで治療してもらってるんだから、間違いないよ。」「そういえば昨日東京のお兄ちゃんが急に来たのよ。出張だったので帰りに寄ったって。」私はボロボロ泣いていたのだが、声だけは震えないようにこらえていたので、意識の混濁した母は私が泣いているのに気づいていないようだった。そのふたかけほどのカステラが、母の口にした最後の食べ物になった。「神様のカルテ」でカステラの話を何回読んでも泣けるのは、そのせいかな、と今急に思い当たった。
2012年10月15日
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幸い、母は、胸水を抜いたチューブから胸腔へ炎症を起こす薬剤を入れても、高熱も出さず、大して苦しむこともなく、いつの間にか終わった、というような感じで胸膜癒着術の治療を終えることができた。私も姉もほっとしたものだった。胸膜癒着術を終えると、次に提示されたのは「当院は急性期に対応する病院なので、後方病院に転院を検討してください」という指示だった。平たく言えば、「まだ死ぬまでに半年くらいはあると考えられるので、うちの病院には3ヶ月以上はいられません。うちでできる治療はもうありません。」ということだ。残念ながら私が医師なので、その意図するところはよく分かってしまう。後方病院、というのはいわゆる「老人病院」のようなところで、そこで死を待て、ということなのだ。「老人病院」で、母のような末期の患者に何をしてくれるかというと、そんなにしてくれるわけではないということは分かっている。「老人病院」であっても、助かる可能性のある患者さんなら手を尽くしてくれるだろうが、母の場合はもう死を待つだけなのだから、正直それほど一生懸命延命してくれる、ということはないと思えた。何と言ってもああいったところは、入りたい患者(入れたい家族)が順番待ちなのだから。主治医の指示通り、いくつか高齢者対応の病院に当たった。ひとつは医師の知人の親が経営している病院でコネもあったが、姉が私の名前を隠して相談員に話したところ、「当院は精神症状のある患者さんはお引き受けできません」だった。実は、そうなることを予想していたので、姉が私の名前を出すことを憚ったのだった。母の昔からの知り合いでもあるので、断られることが分かっていて、いたずらに母の名誉を傷つけることもないし、私の親だからと無理に受けてもらって迷惑を掛けては、後々私の仕事にも支障が出る可能性があったと思った、と姉は後で話してくれた。母は、肺がんが脳に転移しており、時として幻視(熊がタオルをくわえて室内に立っている、バッグからネズミが顔を出しているetc.)の訴えや、被害妄想などに代表される、せん妄という意識障害があった。今回全身状態が悪化する前にも精神症状が強くなり、施設で若いスタッフとトラブルを起こしたため、その時も入院先を探していた。あちこち断られた末に、1ヶ月ほどうちの院長が保護室で預かってくれたのである。院長不在時に呼吸状態が一気に悪化し、もう限界と判断、もともと治療していた総合病院へ転院依頼をし、母を送り出したのは、ほかならぬ私自身の手によってだった。入居して3ヶ月ほどで看られないと一度叩き出された(数ヶ月でも100万円単位のお金が償却で消えた...)施設だったが、そこの施設長が、それまでの対応を謝罪して「そんな状態とは分からなかった。自力で食べられるか、胃ろう(※)が入っていれば、(最後まで)看てくれる」と言ってくれた。施設ならば、面会時間も夜遅くまで融通が利き、子連れでも許される。母が食べたがるものを持っていって、いつでも一緒に食べることもできる。いよいよ危ないとなれば、母の居室に一緒に泊まることもできる。在宅医療を手がける先生を紹介してもらえば、「後方病院」で施される医療と大差があるとは思えず、私と母には施設のほうが合っているかもしれなかった。そのことを主治医に相談した。主治医は、「このような癌の末期患者に対し胃ろうを行ない延命することには意味がない」と否定的だった。私も医学的に分かっているが、何しろ私の母は三途の河原のススキの先1本にしがみついてでも、この世に一日でも長く留まりたい人である(そのことはまた後で詳しく述べる)。それに何より、一般の後方病院は、「精神症状のある」母のような患者を受け入れてくれないのが現実なのだ。そこを説明すると、主治医も胃ろうについては検討してくれることになった。数日後、母は尿の出が急に悪くなり、院内の泌尿器科へ受診することになった。受診には姉が付き添って行ったのだが、対応してくれた泌尿器科の部長先生は難しい顔をして言った。「もう癌は腹膜じゅうに広がり、そこから膀胱に達しています。そのために血尿が出たり、尿の出が悪くなっているのです。」姉は、主治医に転院を求められていること、転院先確保が難しいので施設へ戻すために胃ろうを検討してもらっていることを話した。泌尿器科の部長先生はかなり驚いた様子だった。「この状態で、転院しろ、と言われているのですか?もうこの状態だったら、最後までうちで診ますとお話しするのが普通だと思いますが...いや僕だったら、ですけど。もし胃ろうを本当に検討するのなら、すぐにやってもらわないと、時間の問題で、もうできなくなると思いますよ。」泌尿器科の部長先生は、姉に見えるように電子カルテの画面を向けていたので、姉はカルテの内容を見てしまった。泌尿器科部長は、説明をするのに行き違いがあっては困るので、主治医の先生に来るよう呼んだのだが、その返事は「今忙しいので行けません」だったそうだ。そのこともあって、おそらく医師としてかなりの先輩であるところのその部長先生は、内心ご立腹だったのもあると思う。だからこのような説明をされたのかとも思うし、姉にもわざと見えるように、電子カルテの画面を向けていたのかもしれない。カルテの中には、本当に驚くようなことが書かれていたのだ。胃ろう(※)=身体の外から胃に直接穴を開けてチューブを通し、その管から流動食を入れて栄養を維持すること。中期的に経口摂取ができなくなりかつ経腸的には栄養を摂取できる患者さんに対し、生命と身体機能を維持する目的で行なう。
2012年10月15日
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母が肺がんで亡くなって年単位の時間が経った。ずっと温めていたこの話題に触れても、そろそろ許してくれるだろうと思う。突然だが、久々の更新をすることにした。亡くなる3ヶ月前、母の呼吸状態は悪化して、再び総合病院へ入院となった。その時まず、胸水がかなり溜まっているとのことで、それを抜く治療が行なわれた。次に主治医(後期研修医で、内科になって1年目。もちろん上に指導医はついている)から勧められたのは、「胸膜癒着術」という治療だった。肺とそれを包む胸膜の間に薬を流し込み、人工的に炎症を起こさせて、肺の外側と胸膜を癒着させ、物理的に胸水の溜まるスペースをなくしてしまう、という説明を受けた。もちろん大手の総合病院なので、説明は書面で行なわれ、様々な合併症についても聞かされた。「この治療をやらないと、また短期間で胸水が貯留して呼吸困難になり、抜く治療を行なわなくてはならない」、「やっておけば今回のような呼吸困難は起こしにくくなる」、「ただ、この治療をしても十分に癒着しなかった部位に部分的に貯留することはある」、「炎症を起こすので、発熱、場合によっては高熱が出ることもある」「もちろん体力的に治療に耐えられない場合もありうる」云々...。現在の医療は訴訟に対して常に防衛的にならなくてはいけないので、とにかくマイナス要因について一通り説明しなくてはならない、というのがある。このような大手の総合病院では、きっと説明のマニュアルも決まっているのだと思う。私も医師の端くれなので、胸膜と肺をくっつければ胸水が溜まりにくくなるというのは分かる。そしてもちろん、それが姑息的な治療(一時しのぎ)でしかないということも分かる。だが、決めかねた。これが医師である私でさえそうなのだから、一般の「素人」だったらどうなんだろう、と思った。まず、母の余命はどれくらいと予想されるのか。短期間で胸水がまた貯留する可能性がある、と言っても、もうそこまでももたない可能性が高いなら、何も高熱など苦しい思いをして、そんな治療を受ける必要はないと思えた。それに体力的に耐えられない可能性がある、というのは「防衛的な説明」としては分かるが、実際のところ、そんなに危険を冒してするような状態なのか?また、その治療は実際かなり苦しいのか?主治医の説明は「とりあえずすぐに今の状態が生命を奪うということはないが、急変すれば分からない」「すぐに亡くなるような状態ではないので、数ヶ月から半年単位で考えてもらいたい」「高熱は出る人と出ない人がいるし、苦しい程度には個人差がある」「もちろん人工的に炎症を起こすし、合併症もあるので絶対安全とは言い切れない」...全然答えになっていない。そんなことは分かっているのだ。この先生はわざわざこの治療の説明で私たちを呼んだのだから、多分やりたいのだろうけど、やったほうがオススメなのか、危険だということを前もってやたらに念押ししておきたいのか、さっぱり掴めなかったのだ。私は仕事を急に早退してまで、指定された日時に姉と主治医面談に出向いたのだが、どうしても即決できなかったのである。数日後改めて主治医に面談をお願いして「先生のお考えは、色々な合併症も考えられるが、本人の呼吸困難を考えると、やったほうがベターということですね?」と念押しして、書面に署名をし、治療の同意をした。しかし主治医の先生にとって、この時の私たち家族の印象は、どうもサイアクだったようだ。
2012年10月15日
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