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先日、次女のミンミが新聞の懸賞でチケットを当てた劇「わらいのまち」を観に行きました。私はうちのトイレの改修工事の打合せをしてからだったので、ちょっと遅れてしまいました。受付ミンミがチケット受け取った際に、私の分のチケットだけそのまま置いてもらってたので、後から案内してもらい、無事入れました。あらすじを前もって読んでおいたし、コメディと分かっていたので、少し遅れてもいいかな?と思ってしまった。つい招待券でタダだと思ってしまうからかも。キャストは割と豪華で、知ってる人が多い。ミンミは、ラーメンズのファンなので、片桐仁が観たかったらしい。途中まではドタバタのコメディで、あまり笑えず、面白くはなかったけど、後半はシリアスな場面もあり、問題児の長男が、反抗していた父親を庇って、土下座して議員に頼むところなど、思わず涙が出てしまった、、、、まるで現代版寅さんだなと思いつつ。笑いあり涙ありというところなのだろう。あまり笑えない私は、周りの笑いについていけなかったけどね。ミンミもラーメンズのシュールな笑いが好きだから、笑いのツボが違ったと言っていた。でも、思わずクスッと笑ってしまうところもあったから、私にしては笑った方かな?笑うと幸せになれると言ってたけど、そうなれるといいけどね。パンフレットもミンミが買ってました。同じ劇を一緒に見て、感想言い合えるのはいいですよね。ミンミも劇見るのが好きなのです。おやこ劇場で劇見てたせいもあるかな?にほんブログ村
2011年09月17日
DVDで「レオン」、「リトルランボーズ」を、次女のミンミに勧められて観ました。TSUTAYAで安かったからと何本も借りてきてそうです。「レオン」は有名だから、私もなんとなく知ってましたね。ナタリー・ポートマンは、「ブラックスワン」も映画館で観て、演技が上手いなあと思っていたから、子役時代も見たかったのですよね。。やはり上手いですね。それに12才とは思えない色気、、、最後のテーマ曲のギターの調べが切なくて合ってましたね。レオンはトニーに金を騙し取られているのでは?と思ってたけど、マチルダに小遣い程度でも、渡し続けてくれると聞いて安心しました。レオンの死も無駄にはならなかったんだなと、、、、下のサイトにも書いてあったけど、レオンが大事にしていた植物を、マチルダが大地に植えてあげる場面は良かったなあ。「レオン」また、「リトルランボーズ」も、ミンミお勧めなだけあって、ファンタジーでユニーク。だけど、結構現実的でシビアな面もあり、考えさせられてしまいました。兄役が、ドラマ「ゴシップガール」のチャック役のエド・ウエストウィックで、ワルだけど、根はいいやつという同じような役でしたね。弟が兄を庇って、兄への愛情を叫ぶところがジーンときました。男の子の友情にも感動。先日私が借りて観た「ボックス!」も、男同士の友情でよかったなあ。谷村美月も可愛かった。女の友情の映画も観てみたいかも。「アメイジンググレイス」は、歌が好きで借りたけど、奴隷制反対をイギリス人が叫んでいたとは知らなかった。南北戦争のリンカーンの奴隷解放も、それが布石だったのですね。「アメイジンググレイス」の歌を奴隷船の元船長が、懺悔を込めて作詞したのは知ってたけど、その牧師の弟子が議員になり、奴隷解放したとは感激。無力感に苛まれながらも、達成した時は嬉しかっただろうなあ、、、この歌がますます好きになりました。映画はいいですよね。映画館で見る方が好きだけど、なかなか観られないから、DVDで我慢するかな?にほんブログ村
2011年09月17日
次女ミンミが、朝日新聞のマリオンで応募した劇「わらいのまち」のチケット当選!9/17(土)18時からの回で二名様だそう。シアタークリエ(JR有楽町下車、日比谷シャンテなどの近く)ミンミも元おやこ劇場会員で、劇を観るのが好きなのです。先日はこまつ座の「父と暮らせば」を観に行ってきました。映画を見て、脚本も読んで、気に入っていたのですよね。もちろんそれは自分で払ってだけど。私が当選の電話を受けて、ミンミにメール。後から電話きたけど、喜んでました。良かったね!大好きなラーメンズの片桐さんが出てるらしい。ダメ元で応募してみるものですね。私も一緒に連れて行ってくれるらしいから、ラッキー!にほんブログ村
2011年09月12日
入間おやこ劇場の例会部員なのですが、招待券を使って、劇の下見に行ってきました。前進座の「夢千代日記」です。新宿の隣、初台駅直結の新国立劇場。初めてでしたが、駅からすぐなので分かりやすい。オペラシアターも併設されてるので、オペラの衣装も展示されてました。魔笛など他にもいろいろありましたが、写したのは、アイーダです。二時から開演で、お昼食べずに来たから、待ち時間にロビーでサンドイッチを食べました。招待券はA席で、買ったら7000円です。しかも、パンフレットまで貰えて、サービスがいいですね。他にもおやこ劇場・子ども劇場の招待券が見えたけど、前進座のこんな大きな高い劇を取れるのかな?うちのおやこ劇場では無理だろうけど。私も招待券でなければ来ないかな、、、でも、流石に見応えはありましたね。アンコール公演で、今日の昼のみという一回きり。平日の昼間だから、あまり人が来ないのでは?と思ったけど、年配のご夫婦や若い人など、いろんな人が来ていました。夢千代日記は以前、吉永小百合主演のNHKドラマで見たことがありますが、親が見ていたから私もついでに見たという感じで、あまりよく覚えていませんでした。暗いドラマという印象でしたが、劇では、割と明るく始まりましたね。でも、震災で原発の問題があってアンコールになったのか、やはり胎内被爆した夢千代が、被爆手帳をもらうために、広島へ証人探しに行く場面など、原爆について、考えさせられましたね。「戦争を早く終わらせる為だけでなく、原爆の人体実験のモルモットにされた。研究に来ただけで、治療はせずに帰ったアメリカの医療団。人間が人間にすることじゃないよね。」と言ってました。被爆手帳だって、2人証人が必要と言われても、身近な人がみんな亡くなっていれば証人は見つけにくい。黒い雨に当たって被爆した人は認められない、ピカの被害者なのに、差別され、二重に苦しめられる。被爆手帳を貰うのに躊躇する気持ちも分かります。原爆のことだけでなく、中国残留孤児や、捨て子など、親子の愛情を試される?ような場面がいろいろ出てきた。また、生徒を救えず、溺死させてしまった教師が、ショックで記憶を無くし、過去を思い出したがらない。いくら嫌な過去でも、自分の過去には違いないし、やり直しはきくのだから、捨てることはないのですよね。原爆症の白血病で余命いくばくもない夢千代が、逃げようとしていた原爆に立ち向かい、残り少ない命を精一杯生きようとしている。あと一年しか生きられないではなく、一年も生きられると思う。「今年も桜の花を見ることが出来ました。ありがとうお母さん」と。桜吹雪が幻想的で綺麗でしたね。やはり桜は日本人の心に沁みます。花火ではないけど、儚いからこそ尊いのですよね。命も限りあるからこそ、大切にしないといけない。自殺なんてして欲しくないと思いつつ、自殺が罪とは言いたくないけれど。また話が飛びましたが、いろいろ考えさせられる劇でした。帰りはラッシュにぶつかったので、また池袋駅構内のドトールで抹茶ラテを飲みながら、特急待ちをしてしまった。今、特急の中でこの日記を書いてます。パンフレットの中から共感したコメントを引用します。照明の森脇清治さんのコメント。「私も広島出身で被爆二世です。毎年8月になると、広島・長崎と世間は大騒ぎします、まるで風物詩のように。彼らは年一回の事でしょうが、私達胎内被爆者、被爆二世・三世、勿論被爆者の方も毎日が恐怖なのです。・・・ほのかな恋あり、日本舞踊あり、楽しいドラマになっています。どうぞ最後まで楽しんでください。ちょっとだけ被爆の事も頭に入れて帰ってください。」今は過去の原爆のことより現実の原発のことの方が痛切な問題かもしれませんが、唯一原爆を落とされた国の日本が平和利用の名のもとに、全国に原発を造ってきたのは、歴史から何も学んでなかったからかも。これを繰り返してはいけないですよね。にほんブログ村
2011年08月31日
銀座シネスイッチで、映画「人生、ここにあり」を観てきました。ここでしかやってないのですよね・・・せっかくいい映画なのに、なかなか見る機会が無いのは残念・・・娯楽映画は他で山ほどやってるのにね。おやこ劇場のSさんも、この映画館はいい映画をやってるからと贔屓にして来ているらしい。朝日新聞の映画評論を読んで、珍しく主人と意見が一致し、観に行きました。★09年イタリア・ゴールデングローブ賞受賞★★08年ローマ映画祭招待作品★これは、イタリアで始まった本当の“しあわせ革命”―舞台は1983年のイタリア。型破りな活動で労働組合を追い出された熱血男・ネッロが行き着いた先は、精神病院が閉鎖されて一般社会に出された元患者たちの協同組合だった。全くオカド違いの組合の運営を任されたネッロは、精神病の知識などゼロにも関わらず、持ち前の熱血ぶりを発揮。個性が強すぎて社会に馴染めない元患者たちに、“シゴトでオカネを稼ぐ”ことを持ちかける。すぐに手が出るキレやすい男、彼氏が100人いるという妄想癖の女、話すことが全て嘘の虚言癖の男などなど・・・そんな一筋縄ではいかない面々とネッロは、ドタバタなトラブルを引き起こしながらも、無謀ともいえる事業に突っ走っていくが?。イタリアで広がった夢のような挑戦-精神病院の廃止そこで生まれた知られざる実話に、イタリア全土が笑って泣いた!1978年、イタリアでは、バザーリア法の制定によって、次々に精神病院が閉鎖された。それまで病院に閉じ込められていた患者たちを外に出し、一般社会で暮らせるような地域づくりに挑戦したのである。この物語は、そんな時代に起こった、ある施設の夢のような実話を基にした作品である。ともすれば堅くて重い話になりがちなテーマを、愛と笑いに溢れた超絶エンターテインメントに仕立て上げた本作品は、2008年にイタリアで公開されるや異例の大ヒットとなり、社会現象にまで発展した。そしてついに、このイタリア全土が笑って泣いたユーモアあふれるハートウォーミングコメディが、2011年=イタリア統一150周年という節目に日本に上陸する!※「バザーリア法」とは1978年にイタリア全土で実際に制定された世界初の精神科病院廃絶法で、最初に精神病院廃絶を唱えた精神科医フランコ・バザーリアにちなんで名付けられたもの。2011年初夏、シネスイッチ銀座他、全国順次ロードショー監督・脚本:ジュリオ・マンフレドニア/原案・脚本:ファビオ・ボニファッチ製作:アンジェロ・リッツォーリ/撮影監督:ロベルト・フォルツァ編集:チェチリア・ザヌーゾ/音楽:ビヴィオ&アルド・デ・スカルツィ出演:クラウディオ・ビジオ、アニータ・カブリオーリ、アンドレア・ボスカ、ジョヴァンニ・カルカーニョ、ミケーレ・デ・ヴィルジリオ、カルロ・ ジュセツペ・ガバルディーニ【原題:Si Puo Fare(『やればできるさ』)/2008年/イタリア/111分】配給・宣伝:エスパース・サロウ/協力:イメージ・サテラ イト/特別協力:イタリア文化会館/ 後援:イタリア大使館/提供:新日本映画社、朝日新聞社コメディというほど、笑いはなかったけど、精神障害者を温かく見守るという感じ。哀しい場面もあり、これがコメディ?とも思ったけど、最後には救いがあって良かった。パンフレットも買ってきました。パンフレットの中のコメントより共感するところを引用。人間賛歌「人生ここにあり」田丸久美子(作家・イタリア語同時通訳)さんイタリアでは「狂気」を表わす言葉が、テレビでも日常でも頻繁に使われる。一方、日本では、「狂の存在を漢字もろとも抹消したがっているかのように「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいる。そんな日本でこの映画を公開する意義はきわめて大きい。大事なのは、精神分裂病を統合失調症と言い換えることではなく、問題をオープンにして共存の道を模索することなのだ。・・・患者の主張も小気味がよい。「俺達はバカじゃねえ、”クレージー”なんだ。「カッコーの巣の上で」へのオマージュのような台詞は、彼らが胸を張ってそう言える社会を希求する声に他ならない。・・・イタリア映画では、心を病む人をさり気なく登場させ、1つの個性として描くことが多い。半分誉め言葉で、クレージー(matto)を多用する国ならではの現象だろう。 実は、イタリアは世界に冠たる精神医療先進国なのだ。精神科のベッド数は、1万床以下、しかも入院患者数はゼロである。一方、毎年35000もの人が命を絶つ日本の患者数は役70万人、ベッド数は35万床。病院ベッドの1/4は精神科用という事態をみると、イタリアとの差はあまりに大きいと言わざるを得ない。(そんなに多いとは知りませんでした。というより日本は、精神病者をすぐに入院させてしまうということなのでしょうか・・・)繊細かつ複雑な”心”を病んでいる人を入院させると、施設神経症を誘発し、病状が悪化することはよく知られている。そんな閉鎖病棟を、世界に先駆けて廃止したのがイタリアだ。「精神病院を閉鎖し、患者を地域で見守る」―絵に描いた餅とし思えないようなことを実現したのは「やればできるさ」という気楽な姿勢だ。・・・イタリア人は当たり前のように言う。「イタリアで天才が生まれるのは、みんあどこかいかれているからさ。まあ、言ってみれば、国が巨大な精神病院みたいなものなんだ。隔離する必要はない。」他の人と違う個性を尊重する国民らしい感想だ。新体制推進のスローガンは、「よく見れば、みんなどこかアブノーマル」。普通という概念そのものに疑問を投げかける深い言葉だ。(休学して研修生になる長女マッキーに「大学を卒業して、就職して、結婚して、子どもを生んで、という普通の人生を歩いて欲しい」と言ったら、「普通なんて、平均的な人間なんてどこにも居ない」と言われてしまった。「普通になんてなりたくもないし、存在しない」とも・・・確かにそうなんだけどね。親心とすると複雑・・・) 現代社会のストレスで、今、心を病む人が急増中だ。彼らをひとつの個性として受け入れ、地域で支えるシステムを整備する。これが、日本とその国民に与えられた緊急の課題なのだ。気負わず、焦らず、諦めず、できることから始めれば、きっと社会も変わるだろう。やればできる! 映画は、次のような言葉がスクリーンに出て終わった。「今、イタリアには2500以上の共同組合があり、ほぼ3万人に及ぶ異なる能力を持つ組合員に働く場を提供しています。」「能力がない精神障害者」の代わりに使われた言葉、「異なる能力を持つ組合員」を見たとき、私は感動でしばし席を立てなかった。にほんブログ村
2011年08月23日
カズが先日、友達と大学のオープンキャンパスに行ったついでに、映画「うさぎドロップ」を観てきたらしい。私も原作のマンガは読んだことあるが、面白い。カズも面白かったと言ってた。男同士で見るような映画かな?と思いつつ、彼女とはディズニーシーに今日行くらしいから、映画は友達となのだろう。その映画館でもらってきたというチラシ。はやぶさ関連の映画が二本も公開予定というが、時期はずらしているらしい。キャストはどちらも割と豪華とカズは言う。内容より出演者で観るのかな?ネットで調べたら、もう1本あるらしい・・・公開済みのドキュメンタリーを含めたらはやぶさ関連4本か・・・豪華と言えば、三谷幸喜のコメディ映画「ステキな金縛り」の方が豪華らしいが、 友情出演や特別出演が多いのかしら?カズは映画を観たいと言ってたけど、今にまたテレビでやるのでは?「アントキノイノチ」のチラシもあった。私が先日買って読んだ「アントキノイノチ」の映画化だ。さだまさしの小説は「解夏」も買って読んだけど、いいですよね。この「アントキノイノチ」も、遺品整理業という仕事を通して、心の傷を癒していく若者たちを描いていて感動的。映画のスタッフは、「余命1ヶ月の花嫁」と同じで、キャストもヒロインは同じ榮倉奈々らしい。どうせなら、今回もヒーローは岡田将生ではなく、瑛太が良かったな。瑛太は繊細な役が合ってるから。ドラマ「篤姫」、「ラストフレンズ」、「ヴォイス」、「素直になれなくて」、「それでも生きていく」など好きですね。カズの宿題の読書感想文にどうかと思ったけど、読むの遅いから間に合わないかな?にほんブログ村
2011年08月23日
劇「わたしにさようなら」の上演時間に間に合わないので、池袋駅からタクシーに乗って、公演会場のあうるすぽっとまで行ってしまった。東池袋駅まで有楽町線に乗っても良かったのですが、待ち時間もあるだろうし、池袋駅から歩くと10分かかるからね。タクシーの運転手も、あうるすぽっとを知らなかったので、東池袋駅と言って降ろしてもらったから、あまり時間変わらなかったかも。でも東池袋駅の前だったので、すぐわかりました。少し遅れたけど、受付でチケットと現金を交換して、席まで案内してもらいました。あらすじは以下の通りです。「民族と文化、そしてアイデンティティ現代を生きる少女を描いた感動の国際共同製作作品 母の生まれた国は、私の国ではなく父の生まれた国には、私の居場所がなかった。現代に生きる若者の心の悩みや葛藤、自分探しをリアルに描いた感動作品! 日本人と韓国人の両親の間に生まれた少女。2つの異なる文化を持つ家族の問題や、居場所のない周囲の環境から逃げるようにバーチャルなネットの世界にもう一人の自分をつくり、新しい人間関係を築いていく…。ここは、どこなのだろう?そこはおそらく、私の部屋。そこはわたしは浮いている。わたしを取り巻くすべてから、私は浮いている。世界から、教室から、リビングから。朝が来るとわたしは学校に行き、日が落ちるころはここへ戻ってくる。そこには、二つの違う国の言葉を話す私の両親がいて、いつも言い争いをし、時々、母親が殴られている。私の他には、二匹のハムスターがいて、三羽のひよこが啼いている。人形に取り囲まれた私の部屋は 私が捨てられないものたちで溢れかえっている。わたしは泣いている。すべてのいらだちのために。 」 入ったときはもう始まっていて、ラジオ体操みたいな準備体操している場面。体操服みたいな服に、中学生、いじめ、くさい、ひとり、など大きな活字で書かれている。青春編というので、高校生くらいかと思っていたら、中学生だったのですね。父親が日本人、母親が韓国人だから、いじめられているのだろうか、、、セリフはあまりなく、背景に映写した風景や、照明、音楽などで表現してる抽象的な感じ。あまり分かりやすくないけど、自分なりに想像して解釈するということかな?学校にも家にも居場所がなく、孤独からネットに逃げ込む。アバターで変身し、友達を作る。その方がリアルなのかな?私も他人事ではないけど、、、母親役は、実際に韓国人の女優、全リンダ。日本滞在歴も長いそうで、日本語も流暢だったので、日本人かと思ったりもした。まあ、韓国語のセリフも長かったので、韓国人かとも思ったけど、意味がわからないので、字幕が欲しかったなあ。セリフの代わりに背景に字幕が写し出されることもあるのだから、翻訳もあって良さそうなもの。また父親役で参加の中立公平が、戯作、演出だけでなく、音楽まで担当し、生ギターも演奏していた。音楽は途中、すごく大音量になって、隣でイビキかいて寝ていた人も飛び起きたほど。私も時々居眠りしそうになったけど、割と起きていられたかな?少女役は、劇団キオのまいくまこ。中学生には見えないけど、高校生くらい?と思えるほどの若さ。夫婦喧嘩のBGMが思い出?の「愛の賛歌」。シャンソンが合ってましたね。また、母子でシャボン玉を吹きながら、「シャボン玉飛んだ」を交互に歌う。韓国語バージョンもあるのかな?音程が一部違ったけど、韓国ではそう歌うのかしら?最後に可愛がってるクマのぬいぐるみが少女に問いかける。「どんな大人になりたいの?大人になれるの?」中学生くらいが一番こういうこと考えるのかな?高校生くらいになると先が見えてきてしまうかも、、、なんて大人になった私もそんなこと考えてしまいました。よくワケが分からない劇だったけど、まあいろいろ自分なりに感じて考えられればいいのかな?おやこ劇場の例会としてはどうかと思うけどね。にほんブログ村
2011年08月06日
二時から池袋あうるすぽっとで公演の劇「わたしにさようなら」を観に行きます。池袋なら近いかと、あまり調べずに出かけ、途中で携帯で調べてたら、池袋駅から徒歩10分、東池袋駅から徒歩一分だった、、、バスと電車の連絡が悪く、急行ではなく準急だったから、間に合わない、、、池袋駅から歩くか、東池袋駅まで電車で行くか?それとも池袋駅からタクシーに乗るか?チケットは電話で予約してあるけど、受付で現金と交換なので、少し時間かかるかも。もっと早く出てくれば良かったなあ。今更後悔しても仕方ないけど。まあ、せいぜい寝ないようにしないとね。今、電車の中で眠たいのだけど、大丈夫かな?入間おやこ劇場の例会部員として下見に行くから、ちゃんと観ておかないとね。先日の劇「6年3組の阪神大震災」は、寝ないでしっかり観たし、Amazonで原作本も買って読みました。劇で読まれてる通りで、原作に忠実だったなあ、、、6年生であんな文章書けるとはすごい。今回の「わたしにさようなら」は、在日韓国人の少女の話。青春編だから高校生か大学生くらいかな?複雑な問題だけど、興味あります。詳しくは7月5日の日記を読んでみて下さいね。にほんブログ村
2011年08月06日
代々木オリンピックセンターで開催されてる「こどもと舞台芸術~出会いのフォーラム~」の中の、劇「6年3組の阪神大震災」を観てきました。実際に児童が想いを書いた学級通信を題材にした朗読劇?です。教師や亡くなった女子の母親の想いは、学級通信には書かれていないかもしれないけど、絶版になった同名の原作本があるそうなので、そこには書かれているのかな?調べたら、アマゾンで安い中古があったので、思わず買ってしまいました・・・私はつい劇に感情移入して涙ぐんでしまい、いつも途中眠ってしまう私には珍しく、しっかり起きて見ていました。睡眠不足にもかかわらず、、、一緒に見ていた入間おやこ劇場のMさんに、終わってから「良かったですね」と言ったら、「私はあまりそう思わない」と言われた。「六年生とはいえ、出来過ぎの文章だし、きれいごと、理想論過ぎる」と言うのです。確かに六年生のみんながみんな、あんな素晴らしい希望に満ちた文章を書けるとは思えないし、不満や反対意見を書いた子達も居ると思う。取り上げたのは優等生的な作文が多くて、反発する人も居るだろうし、現実味がないとも、、、確かに六年生の文章に手を入れてるのでは?と思えるほど、文章力や思考力、意志力がすごい。「こどもは、こどもだからこそ?こどもというだけで、すごい。」「人生の短い一時期しかないこども時代を大切に生きろ」というようなことを劇中で言ってた教師の言葉を思い出した。こどもの発想力や転換の早さには目を見張るものがあるけど、震災後1ヶ月で未来への希望を語れるこども達を演ずるのは、ちょっと無理があるかもしれない。学級通信で公開されることが前提の日記、作文にどこまで本音を書けるのか?六年生ともなれば、期待されるこども像を描くことも可能かも。東日本大震災に比べ、被害も復興も違う阪神大震災だけど、立ち直りが早すぎる気もする。PTSDや喪失の絶望感、不安感を持ち続けてるこども達も居るだろうしね。こども達が自分達だけでも明るく元気にと頑張ったら疲れてしまうだろう。「亡くなったマリの分まで二人分生きようとしたら疲れちゃうから、自分の分を精一杯生きて」と言ってたマリの母親の言葉が胸に響いた。まあ、建て前や理想論かもしれないけど、希望を持たないと生きていけない。この劇を被災地で上演したりするらしい。それも今はどうかと思うけどね、、、小学生に劇中のセリフを言わせるという試みもやってるらしく、ワークショップとして取り入れたらともMさんに提案したけど、本当に理解して、心を込めなければ意味がない、本人がやりたがらず、親や教師にやらされてやるのでは、かえって良くないのでは?とも。確かにそうなんだけど、最初からやりたがるこどもはあまり居そうにないし、やってみたら、気持ちが分かってくるということはないかな?私はつい教師根性なのか、戦争とか震災とか、家庭環境とか心的外傷を受けたことを理解したいというか、こども達にも伝えたいと思ってしまう。自分が観たいものを、観てほしいという押し付けになってしまうのかな?そういう意味では、同じ劇団自由人会でチャリティー公演するという「カーリーの青春」も、観てみたいけど、さすがに兵庫県まで見に行く気にはなれない、、、映画やドラマなどでも深刻な題材のものを観たくなる。今なら、ドラマ「それでも生きていく」などとかね。でも、暗いだけでは気持ちも落ち込むからユーモアも交えて欲しいかな。イタリア映画の「人生ここにあり」も観たいです。イタリアが精神病院を全廃した当時の状況を明るく描いた映画だそうで、珍しく主人と観たいという意見が一致しましたね。ナチスの収容所を泣き笑いしながら見せてくれた「Life is beatiful」みたいな感じかな?と期待してるのですが・・・話が飛びましたが、ユーモアという意味では、関西らしく、小さい頃からボケとツッコミも日常的にこなすこども達も描いてました。まあ、学級通信にはそれほど書いてないようですが。こどもの声音で話すのも無理があってイヤとMさんは言ってましたね。私はそれほど思わなかったけど。また、マリの母親からの手紙を読むとき、シャボン玉を吹く演出があり、私は幻想的でいいと思いました。でも、Mさんは、魂を表しているのかもしれないけど、わざとらしいというか好きではないと言っていた。それぞれ感じ方があるのですよね。私はMさんほどたくさん劇を観てはいないので、Mさんの意見を参考にして、影響されてしまうけど、最初にいいと思った自分の第一印象も大切にしないとね。最後にパンフレットに同封されてた新聞記事のコピーも載せますね。字が細かいから読めるかしら?記事を拡大してみました。この劇団員達自身も、阪神大震災の被災者だからこそ、表現できることがあるのですよね。ただもう16年経ち、知らない劇団員も居るから、どう伝えるかも難しいところでしょうが・・・にほんブログ村
2011年07月31日
入間おやこ劇場の例会部員で下見要員なので、おやこ劇場の事務局に送られてきた招待状で、劇団仲間の劇「ふたりのイーダ」を観に行きました。松谷みよ子著の「ふたりのイーダ」か原作なので、観たかったのですよね。六行会チルドレンフェアの一環で、品川こども劇場の例会にもなってるのか、受付が別にありました。遠いから、お昼食べずに来てしまったので、社会福祉法人、福栄会のかもめ工房が販売していた紅茶クッキーと、アセロラ飲料で、腹ごしらえ。新馬場の六行会ホールは、トイレも素敵な赤いタイルのオブジェみたいなのがあったり、洗面ボールも透明で洒落てました。さて、本題の劇「二人のイーダ」。中学の頃、映画「二人のイーダ」を友達に誘われたけど、母に中学生だけで映画なんてと許されず、それ以来、気になっていたものでした。原作本は、以前ミンミが借りた本を又借りして読みました。劇は、幼児のイーダを大人が演じることに抵抗を感じると聞いていたけど、前もってそう言われていたせいか、それほどは感じませんでした。最初のテンションの高さにはついていけない感じがしたけど、段々慣れてきました。途中、少し寝てしまったけど、昨夜の高校役員の飲み会のせいかも?筋は分かってるし、肝心の2幕からはしっかり観たから大丈夫です。涙こそ出なかったけど、原作の意図は伝わってるなと思いながら観てました。最前列で俳優、女優の涙や鼻水まではっきり見え、感情移入しているのだなと感じました。広島の原爆の悲惨さ、戦争の残酷さを痛感。そして放射能を浴び、被害者である人達を差別する人々・・・「ピカの恐ろしいところは、ピカを浴びてない人の心にまで、ピカを植え付けることだ」というようなセリフがありました。本当にこれは今も、福島原発のことでも言えること。放射能は感染したり、遺伝したりはしないのに、、、いろいろ考えさせられる劇で、良かったです。にほんブログ村
2011年07月17日
映画「僕たちは世界を変えることができない」の試写会をマッキーが観てきました。映画の検証に協力したNPO「かものはし」の元インターン、「かものはし」内の学生サークル「ゆるかも」の一員として、試写会を見せてもらったようです。カンボジアのスタディツアーに行ったときのことを思い出したらしい。とても良かったと言っていました。ステディツアーでお世話になった本物のガイドさんが、映画にも出てきて、懐かしく追体験したそうです。以下が映画のあらすじです。「2005年8月、医大に通う大学2年生のコータ(向井理)は、友人の芝山(柄本佑)や矢野(窪田正孝)とそれなりに楽しい日常を過ごしていたが、何か物足りなく感じていた。ありきたりの毎日を変える何かがないだろうか…? そんなことを頭の隅で考えていたある日、ふと立ち寄った郵便局で海外支援案内のパンフレットに目がとまる。「あなたの150万円の寄付で、カンボジアに屋根のある学校が建ちます!」そのパンフレットを手に取った瞬間、コータの明日は変わった――。コータはすぐに知り合い全員にメールで「カンボジアに小学校を建てよう!」と送信。大半の友達がイタズラや無理だと相手にしない中、芝山や矢野に加え、合コンで知り合った本田(松坂桃李)が仲間に加わってくれた。夜のクラブでのナンパ、学校でのビラ配りなどで人集めに奔走してチャリティーイベントを何とか成功させた4人だったが、単なるお金集めだけでは意味がないと、今度は現地のリサーチをするためにカンボジアへスタディー・ツアーを敢行する。しかし、到着した東南アジアの最貧国。そこには、コータたちが想像している以上の現実が横たわっていた。地雷の残る村で生活しなければならない人たち、HIV感染者の現実、そして学校に行けない子どもたち…。現実を目の当たりにし、うなだれて帰国したコータたちを待っていたのは、日本での災難だった。イベントに協力してくれていたIT企業の社長が違法取引の容疑で逮捕され、サークルの評判はガタ落ち、さらにそれぞれの生き方や恋愛、将来の悩みで、ついに仲間割れまで起こしてしまう。果たして、コータたちは目標額を集めることができるのか?カンボジアの子どもたちのために学校を建てることができるのだろうか?」にほんブログ村
2011年07月07日
入間おやこ劇場に案内がきていた劇「わたしにさようなら」 が二種類あり、一つが青春編(日本・韓国・スイス共同制作)と書いてあったから、もう一つの(日本・韓国共同制作)は子ども編なのかな?青春編の華のん企画に内容を問い合わせたけど、もう一つの「わたしにさようなら」には関わってないので、よくわからないとのこと。最初、子ども編?の方に行こうと思っていたけど、勤務日なので、休み取らないといけないし、代官山で、うちから遠いので、池袋「あうるすぽっと」で近い青春編に行こうと思います。まだ休みを取る前でよかった。「わたしにさようなら」青春編のあらすじです。「民族と文化、そしてアイデンティティ現代を生きる少女を描いた感動の国際共同製作作品 母の生まれた国は、私の国ではなく父の生まれた国には、私の居場所がなかった。現代に生きる若者の心の悩みや葛藤、自分探しをリアルに描いた感動作品! 日本人と韓国人の両親の間に生まれた少女。2つの異なる文化を持つ家族の問題や、居場所のない周囲の環境から逃げるようにバーチャルなネットの世界にもう一人の自分をつくり、新しい人間関係を築いていく…。ここは、どこなのだろう?そこはおそらく、私の部屋。そこはわたしは浮いている。わたしを取り巻くすべてから、私は浮いている。世界から、教室から、リビングから。朝が来るとわたしは学校に行き、日が落ちるころはここへ戻ってくる。そこには、二つの違う国の言葉を話す私の両親がいて、いつも言い争いをし、時々、母親が殴られている。私の他には、二匹のハムスターがいて、三羽のひよこが啼いている。人形に取り囲まれた私の部屋は 私が捨てられないものたちで溢れかえっている。わたしは泣いている。すべてのいらだちのために。」 にほんブログ村
2011年07月05日
今日、入間おやこ劇場に来ていた招待状を見て、急遽、文化座の劇「骸骨ビルの劇」を六本木まで観に来ました。 招待日が今日の2時までだったのです。劇の休憩中に、俳優座劇場内のHUBでビーフジャーキー食べてます。お昼は来る途中で、ピリ辛ドッグを食べたけど、まだお腹空いてたので。開演時間に五分遅れで駆け込み、端の席に座らせてもらいました。慌てて走ったせいか、または昨夜遅かったせいか、一部の途中は少し?寝てしまいましたが、休憩で外に出て目が覚め、二部はしっかり観られました。一部寝てしまったからかもしれないけど、イマイチ入り込めず、頭ではいいなと思いつつ、なかなか感動出来なかった。それでも宮本輝の原作の良さや、演技力などは分かったかな。ヒロコ役の女優がセリフをかんで言い直したのは、ちょっと気になったけどね。あらすじは、自分とは縁もゆかりもない戦災孤児たちを、復員兵の青年が、肺結核の友達と共に面倒見て育て上げる。それなのに飼い犬に手をかまれるように育てた娘に性的虐待を受けていたと告発され、美談の主が一転、加害者と思われ失意のうちに亡くなる、、、その娘も、集団生活の中で、自分だけを一番愛して欲しかったのでは?と彼女を探し出して話したチャッピーは言う。チャッピー自身も一度も誉められず、パパさんや茂木のおじちゃんに誉めてもらいたかったと言う。それに対して茂木のおじちゃんが、自分も、パパさんや子供たちによくやってると誉めてもらいたかったと言うのです。大人になっても、人から誉めてもらいたい、認めてもらいたいものなのですよね。私もそう思ってしまう、、、誰にも言ってもらえないなら、自分で自分を認めるしかないけどね。話はまたずれましたが、戻りますね。あまりにも悲惨な物語ですが、大人になった戦災孤児から話を聴いてる骸骨ビルの管理人が呑気そうな善人で、なんとなくノンビリしてしまう。その管理人は人の話を聴くだけで、自分の話はしたがらないから、もしかして話せないような過去があるのかと思ったけど、戦災孤児たちと比べたら、たかがしれてるかもしれませんね。光に導かれ、戦地から命からがら戻ったパパチャンは、トシボウに光の中から来たと言われ、面倒を見る気になる。パンフレットの中に「いとしいあの子たち」という西村滋のコメントがあるのですが、本当の戦災孤児でなければ言えない名台詞を紹介してました。長いですが、引用しますね。「『マジメになれとか、更正しろとかいうけどさ。オレたちが、リッパな人間になったら、戦争の好きな奴らは安心するよ。人間なんて、いくら痛めつけても、ナニクソと負けないで立ち上がってくる動物だからって、、、安心してまた戦争をやらかすに決まってらァ』13歳の少年が言った台詞です。この少年はその言葉を実践するような生き方をして、不幸な生涯を終えます。『雨にも負けて風にも負けて』という、宮沢賢治ファンには怒られそうな題名にしても、やはりある少年の台詞からヒントを得たものでした。『雨ニモマケズ風ニモマケズ。ちがうんだよな。人間はそれで勝ったつもりでいるから、雨も風もいい気になってのさばるのさ。俺たちはもっともっと負けなきゃダメだ。ホントに負ける勇気のない奴は、ホントに勝つこともできやしない』戦災孤児は、子どもの時だけのことではない。戦災孤児になった以上、死ぬまで「孤児」なのです。『太陽の季節』が評判になった頃、まるで便乗するごとく、「もはや戦後ではない」といった人がいたが、とんでもありません。戦争の犠牲者にとっては、死ぬまで『戦後』ではないだろうか?」今もこの震災で孤児になった子どもたちが居る。昔のことだとは言っていられない、、、また、ネグレクトや虐待で、親が居ても、養護施設に預けられている子どもたち。そういう子どもたちが、親でなくても大人の愛情を受けて育って欲しいと願います。にほんブログ村
2011年06月20日
今日は入間おやこ劇場の例会部が10時から事務所でありました。一昨日のJAY'S GARDENチャリティーコンサートの話をしたり、例会のアンケートを見て、来年度は何が見たいか確認しながら、下見に行く劇や人形劇など探していました。招待状が来ている劇などもあるので、見ていたら、文化座の劇「骸骨ビルの庭」が面白そうだなと思いました。日時を見たら、なんと今日の2時が最終招待日!入間の事務所に12時だったので、間に合うか分からないけど、慌てて文化座に電話したらOKでした!それから招待申し込み書を事務局長にFAXしてもらい、私はすぐに事務局を出発。駅ビルの駐車場に停めたら、電話が来て出ると文化座の人。FAX受信中だけど、電話で名前を確認したいとのこと。もしかしたら遅れるかもと伝え、駅に急ぎました。入間市駅から練馬乗り換えで、大江戸線の六本木に行けばいいと、例会部のみんなに教わって、練馬で降りようと思ったら、急行で停まらず池袋まで行ってしまった、、、仕方なくまた練馬まで鈍行で引き返し、六本木に向かいます。練馬駅構内でピリ辛ソーセージパンを買い、ホームで食べてしまった。2時に間に合うかな、、、また、今日から毎日、義母が夕食食べに来るけど、六時過ぎには帰れるだろうから大丈夫かな?マッキーにも電話したけど、留守電で、一応夕食頼んでおいた。ヨシケイの簡単なメニューだから作れるよね。念の為、ミンミやカズにもメール送りました。劇は、原作が宮本輝の「骸骨ビルの庭」。宮本輝好きなので、期待してしまう。あらすじです。「大阪は十三(じゅうそう)にある通称・骸骨ビル。戦後のある時期から戦争孤児たちが住み着き、ビルの持ち主である復員兵の阿部轍正と友人の茂木泰造により、混乱と貧しさの時代を育て上げられてきた。そして平成六(1994)年。ビルの明け渡しを迫られている老いた茂木と今や中年となった孤児たちであるが、不遇のうちに死んだ恩人・阿部轍正に着せられた汚名を晴らすため、骸骨ビルから出ようとしなかった。彼らを立ち退かせる任を負い、管理人としてやってきた八木省三郎は、一癖も二癖もある住人たちと交流する中で、かつての二人の青年と孤児たちの歩んできた人生、そして実の親子以上の深い絆を知るのだった。阿部や茂木は何故、そして如何にして、縁もゆかりもない子供たちを育てるに至ったのか―戦後の日本人の生きてきた道、個性的で魅力的な登場人物たち、そして親子の絆を断たれた者たちが築き上げたより深い絆。宮本輝氏の感動小説を初舞台化!」
2011年06月20日
昨夜、夕食の用意をしていたら、長女マッキーから電話がかかってきて、「(先日前売り券を買った)『マイ・バック・ページ』が21:15から始まるけど、一緒に行かない?」と言う。終わりが遅くなるから、車で来て、乗せて欲しいと言うのです。終電?や、終バスが無くなってしまうからね。義母も夕食を食べに来る予定なのですが、毎週末だし、今日はランチも付き合ったので、いいかな?夕食を作って、みんなに配膳して回ってから出かけました。映画館に着いて、まだマッキーが着いてなく、前売り券を先にチケットに交換しようとしたけど、指定席だったので、一緒に居ないと指定できないということで、マッキーを待ちました。割と自由席が多いので、そう思って交換に行ってしまったのですが。マッキーが着て、交換し、先にパンフレットも買いました。普段は、映画を観て良かったらパンフレットを買うのですが、この映画は2人とも前から観たくて楽しみにしていた映画だしね。朝日新聞の日曜版にもちょうど原作者、主人公のモデルのことを書いたコラムがあったので、それを持っていって、マッキーにも見せました。朝日新聞の元記者だから、朝日は載せますよね。でも、解雇したのに・・・なんて、早く本題の映画に入らないとね。と思ってたら、今朝のテレビの座談会番組「ボクラの時代」に、山下敦弘監督と、主演の妻夫木聡と松山ケンイチが出演してるというので、予約していた録画を見てから書こうと思い、見てました。でも、番宣?かと思うような「マイ・バック・ページ」のメンバーなのに、映画についてはほとんど触れず、個人的なこととか言ってましたね。映画のイメージとは割りと合ってたけど。それではやっと本題の映画についてです。「監督:山下敦弘 出演:妻夫木聡 、松山ケンイチ、忽那汐里、石橋杏奈、中村蒼、韓英恵、長塚圭史、 山内圭哉、古館寛治、あがた森魚、三浦友和 あらすじ:1969年。理想に燃えながら新聞社発行の週刊誌編集部で働く記者、沢田(妻夫木 聡)。彼は激動する“今”に葛藤しながら、日々活動家たちへの取材を続けていた。それから2年後、沢田は先輩記者・中平とともに梅山と名乗る男(松山ケンイチ)から接触を受ける。そして「銃を奪取し武器を揃えて、われわれは4月に行動を起こす」という不可解な話を聞くことになるのだった…。梅山に懸念を抱きながらも親近感を覚える沢田であったが、やがて彼が話したように「駐屯地で自衛官が他殺」という事件が起こるのだった…。川本三郎がジャーナリスト時代に経験した日々を綴った衝撃のノンフィクションが実力派俳優によって遂に映画化。」学生運動にも興味あったし、それがどうして過激化していったのかも疑問だったしね。それにジャーナリズムとの関わりが面白い。映画としてはとても興味深く観られました。マッキーも面白かったと言っていた。過激派の映画だけど、淡々と語られる感じで、徐々に引き込まれていく感じ。ちょっとネタばれになってしまうかもしれないけど、私は、梅山は沢田に自分が本物の思想犯だと信じてもらいたいがために事件を起こしてしまうように思えた。もちろん自分自身や、仲間、思想的リーダーにも本物だと認めてもらいために。自分で自分を追い詰めていってるのですよね。そのくせ、自分の手を汚さず、後輩に「俺を本物にしてくれ」などと抽象的に指示するなんて、まるでオウム真理教?沢田自身も記者としての在り方に疑問を持ち、傍観者という後ろめたさから逃れたいために、梅山に疑心暗鬼を抱きながらも、なんとか信じて関わりたいと思ってる。それなのに、信じた・信じようとした梅山に裏切られる?というか失望させられてしまう・・・私自身、もっとまっすぐな思想犯とそれを応援する記者の映画化と早とちりしていたので、梅山にがっかりというか、後味があまりよくなかったけど、それだからこそ学生運動やその延長の活動を理想化することなく、現実を見据えられたのかもしれない。もちろん、この映画で語られてるものが全てではなく、本当に理想に燃えて、方法論も間違えなかったものもあるかもしれないけど、日本赤軍の内ゲバや、浅間山荘事件など、子ども心に共感できなかった・・・でも、思想的には、反戦とか安保反対とか、いいなと思えるものもあった。そのころはまだ分からなかったけど、高校生になって、民青に入ってた先輩と付き合いだしてからは、いろいろ教え込まれて影響を受けたけどね。同級生と戦争について議論したりもした。なんか、その頃の自分を思い出してしまいました。私でさえそうなのだから、学生運動に参加したり見たりしてしていた人たちなど、この映画をどんな風に観るのだろうか。戦争を知ってる義母は戦争映画やドラマは見たくもないと言うから、やはり思い出したくないのかな?この映画は、この時代に背景を借りてるけど、普遍的な青春の葛藤というか、挫折の物語らしい。確かにどの時代でもあることだけど、この時代はもっと激しかったのかも。沢田と一緒に映画を観て、「きちんと泣ける男が好き」と言う「週間東都」のモデルの女子高校生倉田(忽那汐里)。(今、そばでマッキーが「名探偵コナン」の実写版の録画を見ていて、「蘭が昨日のあの子(忽那汐里)だ!」と言っていた・・・新一役の溝端淳平も可愛い顔で、微妙に妻夫木に似てるかも?)なんて話は飛んだけど、「泣くなんて男じゃないよ」と沢田は言いながらも、泣くことを許されてホッとしたんじゃないのかな。だからこそ、涙をこらえられないとき、思い切り泣けたのかも。彼女との別れの場面も泣くのかと思いつつ、背中が泣いてましたね。始めの場面が、最初意味が分からずにいたけど、後から繋がってきていた。また、今書いてるうちに、もしかしてあの死んだテーブルウサギ達は何かの象徴なのかもと思ってしまった。優しすぎる沢田の思いやりが仇になって犠牲になってしまったウサギ達。それは、梅山かもしれないし、その他の活動家でもあるかも。そんなこと思ってしまう私も考えすぎなのもしれないけどね。にほんブログ村
2011年05月29日
今日は映画をハシゴしてしまった、、、長女マッキーが観たいという「名探偵コナン~沈黙の15分~」 と「パイレーツ・オブ・カリビアン~生命の泉~」を付き合いました。盲腸になったけど、抗生物質と痛み止めで抑えてるマッキー。痛みがあまり無くなったら、退屈していて、明日は主人が義母と車を使うというので、今日行ってしまいました。明日なら水曜日でレディースディで1000円なんだけどね。マッキーは盲腸だから、電車とバスと歩きではきついので、車で行ける今日じゃないとね。 最初、「パイレーツ・オブ・カリビアン~生命の泉~」の3D字幕を観ました。3Dは高いけど、初めての体験なので、面白かった。段々慣れてきて、最初の新鮮な驚きは薄れてきたけど、時々疲れて3Dメガネを外すと、また新鮮になります。元々メガネをかけてるので、3Dメガネを上に重ねてかけたら、ずり落ちてしまいましたが、逆にしたらなんとか納まりました。内容はアクションが主で、あまりストーリー性は感じなかったけど、人魚と牧師の恋愛?は切なかったな。「人魚は冷たいから、悲しみの涙は流さないけど、喜びの涙は流す」との言葉は鋭い、、、女海賊も、意地でも流さないんだろうなあ、、、 昨日観た映画「サムウエア」よりは、楽しめましたね。「サムウエア」は、途中寝てしまったので、あまり酷評は出来ないけど、全部観た主人も、「どこで盛り上がるのか?と思っているうちに終わってしまった」と言ってました。最後、ネタばれになってしまうけど、絶望的になって、自殺でもしてしまうのではと心配したけど、晴れ晴れとした顔をして車を降りてきたから、娘を引き取りに行くのかな?なんて楽天的にも考えてしまった。結末は観客の想像に任せるということなのかも、、まあ映画の分野が違うから、比較の対象にはならないけど、淡々としたドキュメンタリーみたいで、ちょっと退屈でしたね。「パイレーツ・オブ・カリビアン」は娯楽大作?だからなあ。マッキーも、主演が好きなジョニー・デップじゃなければ、こういうアクション映画は見ないとも言ってたけどね。 次に観た「名探偵コナン」も、推理物というよりは、アクション映画のアニメ版でしたね。有り得ないほどのスノボの滑りや展開?「名探偵コナン~沈黙の15分~」は、15周年だけど、マッキーは最初から今回まで、毎年欠かさず観て、パンフレットも集めてるのです。今回のパンフレットは、先に観たカズが買ってきましたが。そのカズも、アクション中心で、面白くなくなってきたと言っていたそう、、、子供の頃は、私も一緒に観ていたのですが、私が映画館で観たのは久しぶり。ちょっと?期待はずれで残念です。まあ、蘭との絡みはいいけどね。マッキーと一緒でなければ、二本とも観ない映画でしたが、他にそれほど観たい映画は今日やってなかったので、よかったかな。他の映画では時間がズレてしまうし、話も合わないからね。映画館の会員になってるので、割引になるし、ポイントが6点溜まると1本映画がただで観られるのです。以前「ブラックスワン」を観たときに会員になり、今日2本見たから、合計3点になりました。「マイ・バック・ぺージ」も今度観るから、4点にはなるなあ。映画の半券を二枚付けて送ると、抽選で、カリブ海旅行か、映画鑑賞券10枚当たると言うので、マッキーの半券も付けて出します。 また、帰りに私もマッキーも観たいと言っていた「マイ・バックぺージ」の前売り券を二枚買いました。特典でミニノートが付くのです。スケジュールは携帯に入力してるけど、メモに困るから、このミニノートにメモしようかな?レディースディの水曜日で草津旅行後に来ようかと思ってたけど、前売り券なら、他の曜日でも同じだから、草津旅行前にも来られるなあ。マッキーは、盲腸が良くなってたら大学の近くで観たいそうです。ダブル主役の妻夫木聡と松山ケンイチも観たいけど、学生運動にも興味がある。マッキーは、図書館から「東大全闘共1968-1969」という本を借りて読んでました。私も読ませてもらったけど、思っていた以上に凄まじかったのですね。私は子供の頃に、浅間山荘事件をテレビ中継で見たくらいだけど、、、 また、「コクリコ坂から」というジブリアニメの予告を観て、いいなと思い、チラシももらってきました。「ブッダ」もいいと思ったのだけど、チラシはなかったですね。「コクリコ坂から」のチラシから引用。「1980年頃『なかよし』に連載され不発に終わった作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)。高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ、挑戦したともいえるだろう。 結果的に失敗作に終わった最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。 少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画になった。「コクリコ坂から」も、映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園紛争が風化しつつも記憶に残っていた時代には、いかにも時代遅れの感が強かったからだ。 今は違う。学園紛争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。」 引用が長くなりなりましたが、「耳をすませば」も好きです!それはともかく「コクリコ坂から」も、前売り券を買った「マイ・バック・ページ」も学園紛争当時のことを描いているけど、こういう映画が急に?ここ最近製作されたのにはこういう理由があったからなのですね。私は学園紛争が終わった後のシラケ時代を過ごし、新人類とか呼ばれた世代だけど、高校で付き合ってた合唱部の先輩が民青に入ってて、戦争反対、部落差別反対、原爆反対など教え込まれたし、その受け売りと自分の意見を交え、同級生の男子と討論したりもした。反戦主義者なのに、一番好戦的な議論をするとも言われたほど。「戦争は、科学の進歩の為の必要悪だ」なんて言われたら、反論したくなるよね。なんて、今でも青いけど・・・それを生徒にも伝えたかったけど、教師になれなかったので伝えられず、自分の子供たちに説いたら、マッキーやミンミはそういうことに興味持ってくれたけどね。私もだんだん情熱が薄れてしまったのか、カズにはあまり伝わらなかったけど・・・マッキーが「マイ・バック・ページ」観たいと言い、学生運動の本を借りて読んだりと興味を持ってくれるのは嬉しい。本当にやったら怖いけど・・・「なんで今の学生は何もしないのかな?」と言うから、「3無主義じゃない?」なんて言ってしまった。「無気力・無関心・無感動・(無責任?)」だよね。今に限ったことではなく、以前からずっとそうだったけど、これからも続きそうで怖いね。自分の好きなことには興味を持つけど、後のことは構わないというのは、私も同じだけど、それだけではいけないんだよね・・・そんなこと考えさせられてしまいました。にほんブログ村
2011年05月24日
今日、おやこ劇場のオールライツに行こうかと思っていたのですが、主人が映画「サムウエア」を観に、日の出モールまで車を使うというので、一緒に行くことにしました。マッキーが昨日からお腹が痛いと言ってたけど、便秘だというし、歯医者の予約があるから、その後、内科にも行くように言って出かけました。日の出モールの映画館では、「はやぶさ」の映画もやってました。映画「サムウエア」は、金獅子賞を取ったと聞いて、主人は観る気になったらしいけど、こんなに寝てしまった映画は初めて!というほど、退屈?でしたね。ドキュメンタリーみたいな淡々とした映像で、事件が起きるわけでもなく、それほど情感が湧き上がるわけでもないしなあ、、、主人曰わく、「審査員も私のように寝ていたのでは?」というほどです。ヨーロッパ映画かと思うほど、芸術的過ぎて?よく分からないと言いつつ、見てるんですよね。普通のハリウッドの娯楽大作の方がいいみたい。私も主人もついていけないかな?いつもパンフレットを買う私も、買う気になれませんでした、、、にほんブログ村
2011年05月23日
入間おやこ劇場で、文学座の劇「思い出のブライトンビーチ」を観ました。子ども役のユジーンとロリーは研究員から大抜擢で、確かに若さあふれた演技でしたね。<あらすじ>舞台は1937年のニューヨーク、ブルックリン地区の南端にある下層中流階級の住宅地ブライトン・ビーチ。その一角に暮らすユダヤ系アメリカ人家族の物語。4人家族のジェローム家に、母ケート(金沢映子)の妹であるブランチ(八十川真由野)と二人の娘ノーラ(渋谷はるか)とロリー(福田絵里)が同居し、一つ屋根の下に7人が暮らしている。折しもアメリカは大不況の真只中。世の中はヨーロッパからの戦争の波が押し寄せつつあり、暗い雰囲気ばかりが渦巻いている。しかし、ジェローム家の次男坊、ユジーン少年(宮内克也)にはそんな事などお構いなし。野球や小説、そして一つ屋根の下で暮らしている従姉妹のノーラに夢中になっている。このユジーンが解説役となり、兄スタンリー(細貝光司)の職場で起こる給料消失事件やノーラのミュージカル出演騒動、働き者の父ジャック(大滝寛)が過労で倒れるといった事件が巻き起こる。「世界も家族があってこそ」が口癖のケートはこの騒動を治めることが出来るのか? 最初はドタバタ劇?なのかと思うほどのコミカルな始まり。でも、次々と問題が噴出し、心の深淵が浮かび上がっていく・・・ユジーンのコミカルな解説で、深刻にはならないが、いろいろと考えさせられました。昨夜、高校のPTA名簿入力で、夜更かししてしまい、また?寝てしまうのではと思っていたが、とても寝ていられないほど面白かった。親子、兄弟、姉妹、夫婦の愛憎・・・やはり基本は家族なのですよね。言いたいことを言わずに我慢してるといつかは爆発してしまう・・・やはり傷つけないように気遣いながらも、思ってることは言わなければ伝わらない。時には傷つけ合ってしまうこともあるけれど、家族なら許しあえるのでは?母親が娘を愛してるのに、娘は愛されてるとは感じてない・・・なんか他人事とは思えないような気がして怖いです・・・信念を貫くことと、家族のために労働すること。それを両立するのは難しいですよね。子どもと言えども、人の人生を他人が決めることは出来ないし、アドバイスしか出来ない。それを聞くか聞かないかは本人の自由なのですよね。そんな問題だらけの家族の中でも、春の目覚めの真っ只中のユジーンの悩みは可愛いもので笑える。小2から観られる劇だけど、どこまで分かったのかと疑問だが、子どもの笑い声が聞こえたから、楽しめてたらいいな。うちの子供たちにも見せたかったけど、会員でなくなってから久しいからなあ。こういう劇こそ、チケット販売してくれたら買ったのにね。久しぶりにおやこ劇場で大人の劇を観られて嬉しかった。先日の「カシオペアの丘で」も良かったけど、おやこ劇場には金額的に呼べないかな・・・今回も首都圏ツアーで、他のおやこ・子ども劇場と協力し合ってるから呼べたのかも。こういういい劇を、これからもみんなで観られるといいですよね。「首都圏ツアーは、首都圏で活動している子ども劇場・おやこ劇場と創造団体が話し合って日程を調整し、それぞれに会場を用意して、創造団体に公演ツアーをしてもらう企画です。ひとつの劇場だけでは予算や人員の都合でなかなか迎えることができない公演も、ツアーを組むことによってスケールメリットが出て、可能になる仕組みです。普段の鑑賞例会とは違う規模の鑑賞会になりますので、ぜひご覧ください。」にほんブログ村
2011年05月15日
先着順にプレゼントがもらえるとだけ聞いてたので、普通の格好で「ブラックスワン」を初日の朝に見に行きましたが、本当は、黒鳥をイメージする服装でなければもらえなかったとか?でも、みんなもらっていたから、いいのですよね。プレゼントを楽しみに帰ってから開けたら、「ブラックスワン」のポスターでした。パンフレットの表紙と同じだったから、ちょっと残念・・・ このホワイトスワンも青に映えて綺麗。こういうポスターの方が飾りたいけど・・・でも、やはり黒鳥が圧巻かも。この「完璧になりたい」黒鳥が象徴的?「完璧な」人間など居るわけないし、なれるわけもない・・・それでも、彼女は完璧を目指してしまった・・・ 映画解説から引用。「ナタリー・ポートマンが第83回アカデミー賞の最優秀主演女優賞に輝いた話題作。監督は、『レスラー』でミッキー・ロークを見事に復活させた鬼才ダーレン・アロノフスキー。本作では独創的な映像演出で、極限の高みに上り詰めようとするアーティストの孤独と苦悩を描き出している。子供時代にバレエを習っていたナタリーは、10ヶ月の猛特訓の末、本格的な舞踏シーンに挑戦。しかしそれ以上に、激しい内面の葛藤に耐えながら、孤独な闘いを続けるバレリーナになりきった、鬼気迫る演技は必見だ。またライバルのリリー役を演じたミラ・クニス、娘に異常な愛情を注ぐ母親役のバーバラ・ハーシー、ニナに主役の座を追われ、精神が崩壊していく元プリマ役のウィノナ・ライダーと、共演陣のチカラのこもった演技も見事。ヘタなホラー映画よりもよほど背筋にゾクっとくる、衝撃のサイコスリラーだ。」 また、「ブラックスワン」を検索してたら、本が出てきたので、原作本かと思ったら、別の意味での象徴だった。アマゾンの解説の引用。「■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地には黒い白鳥がいることがわかった。白鳥は白いという常識は、この新しい発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。つまり、ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりすることだ。」 こういう「ブラックスワン」の隠喩でもあるのかな?白鳥のイメージの彼女の中に、実は黒鳥も眠っていて、それを叩き起こしてしまったからこその不幸・・・ダークサイドは誰の中にもある。もちろん私の中にも・・・こういう「漆黒の狂気」を怖れながらも、垣間見たい気もする。あちら側に行ってしまえば、もう戻れなくなってしまうかもしれないというのにね。だからこそ、こういう映画を見たくなってしまうのだろうなあ。怖いモノ見たさというか・・・そういう気持ちを満足させてくれる映画でしたね。なぜR15?と思ってたけど、想像してたのより、官能的だったので、見たいと言ってたミンミにはちょっと重いかな?まあ、もう18歳なんだからいいか・・・そんなこと言ってると、この「ブラックスワン」の母親のように娘を縛り付けることになり、追い詰めてしまうかもしれない。私も、中絶した妹と比べられ、「あなたは信じてる」という母の言葉で、がんじがらめにされたからなあ・・・自由にさせつつ、信頼して見守るというのは難しいですよね。そんなことも痛感させられた映画でした・・・ パンフレットから引用。「ニナの母親はニナの成功を望みつつも妬むアンビバレントな人物である。その母子関係は歪で、『キャリー』(76)を思わせる。」 キャリーも調べました。「70年代を代表するホラー映画『キャリー』。主人公のキャリー(シシー・スペイセク)の母親・マーガレットは、性的な行動は罪だと娘に教え込む。しかも彼女は、不思議な能力を持つキャリーを殺そうとするのだった。」どちらかというと、キャリーの母親の方が、私の母と価値観は近いかも・・・ また、パンフレットから引用。「ニナは母のため精神を蝕まれ、自分でも気づかないうちに背中を引っ掻く自傷行為に走る。その傷痕は鳥肌が立っていて、ラストの驚くべき変身へと導かれる・・・ また、ニナは、ウィノナ・ライダー演ずる先輩ダンサーに憧れ、口紅などを盗む。この行為は相手のパワーを自分の物にしようとする一種の呪法に通じ、かけた呪いは自分に返ってくることになる。盗んだ口紅で化粧して演出家を口説こうとしたところはあまりにも罪深いのだ。 そしてニナはライバルのリリーから妨害されるうつ、現実とも幻想ともつかない世界に迷い込むことになる。・・・鏡は現実と似て非なる虚構の象徴であり、そのため、アロノフスキー監督は鏡を多様したのではないだろうか?」 現実と妄想、相手と自分が入り混じり、分身である相手に自分を投影し、鏡の中に見てしまう・・・そんなこと考えると怖くて鏡を見られなくなりますよね。ただでさえ、妄想体質だった?ニナは薬物を使用してから、加速度的に幻想を見るようになってしまった・・・自分を解き放てと言われても、なかなか出来なかったりするから、リリーは、「自分を解放するためにドラッグを利用したら」と言うけど、かえって自分を追い詰める結果になってしまったのですよね。心身とも痛さを感じる映画でした・・・ユナイテッドシネマ入間のクラブスパイス会員にもなったので、次は予告で面白そうだった「マイバックページ」でも、見ようかな?今日も水曜のレディスデーで1000円だったけど、また水曜に見るか、会員デーの金曜は1000円になるから、仕事帰りでもいいかな?いつでも会員は300円引きだし、6回見れば1回ただになるから、会費500円の元取れるかな?にほんブログ村
2011年05月11日
演劇集団円の「カシオペアの丘で」(重松清原作)を観てきました。原作の重松清が好きで、興味を持ったのです。おやこ劇場で割引になってたし、円だから間違いないかな?と思って。平日の仕事帰りで、明日も仕事、歓送迎会とハードだけど、観に行った甲斐はありましたね。仕事が長引いて、開演時間ギリギリに駆け込みましたが、最前列の端という割といい席でした。観劇では、すぐに睡魔に襲われてしまう私には珍しく、最初から引き込まれ、最後まで飽きませんでした。休憩時間に、台本と原作本の両方を買い、カシオペア座の説明と写真を見るほど。涙こそ流さなかったけど、ウルウルきましたね。愛情、友情、親子愛、そして死に直面し、許せるか、許されるかと、深刻なテーマなのに、重松清の原作らしく、暗いだけではない希望が持てるイメージでした。小学五年生の頃の仲良しグループが、中年になってから再会する。子どもでも、こんなに考え、悩んでいたんだと、今、小学生を教える教師として、怖ささえ感じます。仲良しグループの紅一点のミッチョが小学校の教師なだけに、なんか他人事とは思えなかった。また、原作はもちろんいいけど、流石に円だけあって脚本も役者も上手いです。リアクションも割とオーバー?だけど、わざとらしすぎない演技で、良いですね。あまりにも舞台劇っぽく芝居がかってると引いてしまうところがあるので。子どもも子役を使ったのが良かった。大人が子ども役やると、やはり無理を感じてしまうから。おやこ劇場で「二人のイーダ」の劇が観たいと言ったら、幼児役の大人が、知恵遅れの大人に見えてしまうと言われ、諦めました。今回は自然に見えて、受け入れやすい。心にストレートに響いてきます。命のメッセージ?も説教臭くなく、拒否反応を起こしません。建て前を偽善的と感じることもある私だけど、違和感なく入ってくるところが嬉しい。哲生が、父親のシュンに、「応援しなかったから?僕が『ファイトー』って言わなかったから(パパ死んじゃうの)?」と言った時、涙が出そうになりました。シュン「違うよ。違う。誰のせいでもないんだよ。病気になるのは仕方のないことなんだ。悔しいけど、、、仕方ないんだよ。だから、一生懸命生きるんだ。残った時間、短くても一生懸命生きるんだよ。」また、許す、許さないは個人の心の自由だけど、憎しみにとらわれているままでは、やはり幸せにはなれないのですよね。頭で分かっていても、なかなか許せないこともあると思いますが。何か不幸があった時、誰かのせいにしたいと思う。また許されないと思い込み、自分を追い込んでしまうこともある。両方不幸なのですよね。救われるためには、許し、許されることが必要だと思うけど、自分を許すのが一番難しいのかもしれません。自殺者の遺族も救えなかった罪悪感から、自分を許せないというけれど、この劇のシュンも、それに近いかも。あまり書くとネタバレになってしまうから書きませんが、いろいろ考えさせられた良い劇でした。まだ28日まで浅草の田原町、ステージ円でやってるので、是非観に行ってくださいね。おやこ劇場の例会部員として割引で下見したのだけど、おやこ劇場で円を呼ぶのは公演料が高いかな?でも、大人や子ども達に観て欲しい劇ですね。
2011年04月21日
仕事の後、劇を見に浅草まで行きます、演劇集団円の「カシオペアの丘で」(重松清原作)です。重松清の小説好きなので見たかったのですよね。図書館の本が溜まっているのに、カズが読んだ「みぞれ」を先に読んでしまったほど。読書嫌いのカズでさえ読める位だから、面白くて読みやすいのです。ただ、カズは同世代の学生の話しか興味持てないみたいだけど、私は重松清自身と同世代なので、時代背景、流行歌など懐かしい。「カシオペアの丘で」は読んだことないけど、かえって自分とイメージが違うとイヤだから、先に劇を見た方がいいかも。「青い鳥」も映画を見てから、原作本を読んだからね。また、この劇は、おやこ・こども劇場特別割引があるのですが、今日、明日の7時公演だけなのです。明日は離任式、歓送迎会だから行けないので、今日行くことにしました。2連チャンはつらいけど、明後日休みだからいいですよね。感想はまた後でアップしますね。にほんブログ村
2011年04月21日
昨日、DVDで映画「ストンプ・ザ・ヤード」と「ゴールデンスランバー」を今日、「シェルター」を見ました。先日、TSUTAYAで旧作100円になってたので、子供たちと一緒に借りてきたのです。明日は仕事で、その後観劇。明後日は仕事で離任式、歓送迎会で見られそうにないからね。感想もまとめて一つの日記で書きます。「ストンプ・ザ・ヤード」 あらすじ「兄を亡くし心に傷を負ったバトル・ダンサーの苦悩と再生を描いた青春ダンスムービー。ストンプとは、正確なステップを踏みながら手足で音を立ててリズムを刻むステッピングのことで、この伝統のダンスと若者の成長物語を見事に融合させた。主演のコロンバス・ショートをはじめ、キャストにはダンスの素養を持つ若手を起用し、R&Bの人気アーティストNe-Yo、クリス・ブラウンも出演。激しいビートを刻む、一糸乱れぬストンプの群舞は圧巻だ。」 最初のダンスバトル、そして喧嘩と、怖い映画かと思ってしまった・・・マッキーに「なんでこんなの借りてきたの?」と言われ、言葉を返せなかったけど、大学生活のシーンになってからは落ち着いて見られた。伝統的なストンプはあまり面白いとは思わなかったけど、ヒップホップを取り入れたり、凝った演出で興味が湧いてきました。同じ黒人でもこんなに貧富の差があり、それが恋愛まで影響するなんて・・・ドラマ「ゴシップガール」でも、やはりそれは乗り越えられない壁になってる。階級の差なんてまだあるんですね・・・でも、それを乗り越えようとする力があるのは頼もしい。ドラマ「仁」でも言ってたけど、「神様は乗り越えられない試練は与えない」よね。 「ゴールデンスランバー」は、カズが借りてきたのだけど、昨夜、ミンミとカズとで一緒に見ました。 「人気作家・伊坂幸太郎の同名ベストセラー小説を、『アヒルと鴨のコインロッカー』『フィッシュストーリー』に続き中村義洋監督が映画化したサスペンス。巨大な陰謀に巻き込まれ、首相暗殺の濡れ衣を着せられた宅配ドライバーの決死の逃避行をスリリングに描く。主演は、中村監督の『ジェネラル・ルージュの凱旋』でも共演している堺雅人と竹内結子。そのほか吉岡秀隆、劇団ひとり、香川照之、柄本明といった実力派キャストが顔をそろえる。」 吉岡秀隆、堺雅人がいいですよね。劇団ひとりの役が愛称「カズ」と呼ばれていたので、うちのカズと同じで他人事とは思えない?ネタばれしないようにと思うとあまり書けないけど、とても面白かったですね。ミンミは小説も読んで、両方面白いと言ってたけど、私は映画だけでもいいかな。 「シェルター」あらすじ「解離性同一性障害、俗に言う多重人格を認めない精神分析医のカーラ。ある日彼女は、道で倒れていたデヴィッドという青年の診察を行うことになった。すると彼に突然別の人格らしきものが現れ、態度が豹変してしまう。しかしカーラはこの現象をデヴィッドの愉快犯を演じていると考え、彼の身辺を探ってみることに。調べていくうちに、デヴィッドは25年前にすでに亡くなっていることがわかり……。」 多重人格というので、心理、医療物かと期待してたら、ちょっとホラーサスペンスに近いかな?でも、信仰という問題は難しい。強要されるものじゃないよね。私は一応クリスチャンだけど、子どもに強要はしたくない。あまり言うとネタばれになってしまうけど・・・多重人格は否定されていたけど、やはりあるのではないかと思ってしまう。この映画みたいに憑かれてる?ようなこともあり得るかもね。興味深かったです。にほんブログ村
2011年04月20日
池袋でランチの後、TOHOシネマズシャンテ(旧日比谷シャンテシネマ)で、 「わたしを離さないで」を観ました。以前、ラジオで原作の同名小説の雰囲気を忠実に再現してると聞いて、観てみたいと思ってたのですが、今朝、新聞の映画評論を読んで、ますます観たいと思ったのです。仏像の微笑み「アルカイク・スマイル」を思わせる諦念?の微笑みを主人公のキャシー(キャリー・マリガン)が漂わせてると書いてあるのを読んだから・・・本当にそうでしたね。子どもの頃から聡い少女だったキャシーは、笑うというより微笑んでいる。哀しいときも、口角を上げている。もっと淋しげにも見えるけど・・・また、映画評論に「提供」と書いてあったのでそこから連想したことも、やはり的中してしまった・・・それが当たるのは残念なことだけど、見てよかったと思った。「英国王のスピーチ」も良かったけど、この「わたしを離さないで」も心にしみいる感じです。あまりの哀しさ、苦しさの雄叫びに一緒に泣いてしまったけど・・・ランチのついでに付き合ってくれたEさんも良かったと言ってくれてホッとしました。パンフレットを買ったのですが、その中の映画評論の共感した部分を引用します。ネタばれになってしまうので、この映画を見たい方は最後まで読まない方がいいかも・・・ 「特権的な寄宿学校で”特別”な存在と言い聞かせされて成長する子供たち。その毎日を綴る映画が少しずつ開示していく違和感の先に”特別”の容赦ない真相が浮かび上がっていく。人類の命を支える臓器提供源に他ならないクローンたちの悲しい宿命の物語が現出する。never let me goという原題が縁取る「殺さないで」との思い。人類の寿命を支えるためにそうやって寄宿学校で隔離されて育った主人公たち-キャシー、トミー、ルースの恋も友情も嫉妬も後悔の涙も普通の人々と違うようには見えない。あるいは魂の質ではなくその有無こそを知りたかった-と、探し当てたかつての寄宿学校の長(シャーロット・ランプリングの眼差しの力!)から命の実験のモルモットに過ぎない存在の真実を告げられてトミーがあげる壮絶な叫びにしても、魂の軋み、人間らしさの証に他ならないだろう。それでも与えられた役割を全うし限りある命を生きるしかない外部者たち。が、いつかくる死を待つ生とは人類のそれと変わりないものだ。そんな諦めをキャシーが受容する瞬間、輝く未来とは無縁の今に逼塞する人類と文明の真実を彼女の”外からの目”が強かに照らし出すのだ。」 あまりにも残酷な運命を教師に知らされた時でさえ、声を出すことも無く、受け入れてしまった子供たち・・・意味が分からなかったのでは?とも思ったけど、それまで、特別な存在、人のために役に立てるよう、と教え込まれ、自分の運命を悟っていたかのように、抗うことなく淡々と受容したのか?これは、日本人特有のものかと思っていたけど、そうではないのかも・・・でも、今の大震災でパニックを起こすこともなく、じっと耐えてる被災地の方達と重なってしまう・・・もっと哀しみを表現してもいいのでは?と思ってしまうけど、そうするともっと哀しくなってしまうのかな・・・アルカイク・スマイルのキャシーが哀しい・・・原作の同名小説は、イギリスに帰化した日本人カズオ・イシグロが書き、製作総指揮もしている。パンフレットの「カズオ・イシグロ来日インタビュー(新元良一)」から引用します。 「この物語は、クローンの最先端テクノロジーがどこまで進化したかといった技術的な目的で書かれたわけではない。そうした話は、小説以外の形で別の人が書いているだろう。私が表現したかったのは、人間誰しもが持つ過去の思い出だ。生きていく中で、わたしたちは日々新しい人はものと出会うが、いくら時が流れても決して消え去らない、失われない過去がある。登場人物が時代を経てその過去に再び身を投じ、どんなことを得るのかを伝えたかった。小説執筆で、わたしが大切にするのは人間関係だ。今回も主要人物3人の間で、友情や愛情が生まれながらも、やがてお互いの関係が破綻して、時にはぶつかり、傷つけ合うこともある。そこで彼らがどう反応し、関係がどう変わっていくのかを表現したいと思った。」 現代人を魅了するモチーフを用いながらも、物語の核心部分はこれまでの作品と変わらず、揺るぎないものが「わたしを離さないで」にも存在する。それこそが、カズオ・イシグロが目指す、後世の人々にも読み継がれるための小説の普遍性だ。「執筆するにあたって、どんな題材を取り扱っても構わない。だがわたしの場合、小説創作で行き着くところはいつも同じだ。つまり、”人間とは何か?”ということ。それを今後も追い続け、真理を追求していきたい」 日本人として、こういう世界に認められる日本人?作家(正式には帰化したので英国人作家)が居ることを誇りに思います。ちなみにカズオ・イシグロが日本人作家として認めているのは村上春樹だそう。お互い世界に通用する日本人?作家ですよね。にほんブログ村
2011年04月13日
TOHOシネマズシャンテで「わたしを離さないで」を見ました。とても良かったですよ。感想は次の日記で詳しく書きますね。映画見る前に撮ったゴジラ像。映画見た後のゴジラ像。日が落ちてきて、逆光になってしまいました・・・ここは千代田区?”CHIYODA Yes、We love.”ゴジラ像と俳優の手形がある合歓の広場。合歓の広場の向かいの休憩所。映画の後、Eさんとこの休憩所内の自動販売機でレモネードなどを買い、オープンカフェみたいな外のテーブルで、パンフレット見ながら、おしゃべりしました。春らしい陽気で気持ちよかった!トイレもコンテナの中なのに、洗面所もこんなに綺麗!安上がりにゆっくり話せて嬉しいですよね。でも、少し肌寒くなってきたので、引き上げました。Eさん、ランチも映画も付き合ってくれてありがとうございました!またぜひご一緒しましょう!にほんブログ村
2011年04月13日
ランチで話は尽きず、ゆっくりしてようかと思ったけど、次に有楽町で映画「わたしを離さないで」を2人で見る予定だったので、早めに切り上げて有楽町に向かいました。私は最初、一人で行くつもりだったので、夕方の回しか時間をメモして来なかったのですが、Eさんが、出来たらその前の回に間に合えば、それで見たいと言うので、有楽町に急ぎました。有楽町でTOHOシネマズシャンテ(旧日比谷シャンテシネマ)を探したのですが、見つからず、道を聞いたら、映画好きでよく知ってる男性がわざわざシャンテまで案内してくれました。また、行く途中「シャンテ前にハリウッドを真似して俳優・女優の手形が道に捺してあるから、チケット買った後、見た方がいいですよ」とも勧めてくれました。お礼を言って、チケットを買いに行ったら、もうすぐに始まるとのこと。道案内してもらわなければ間に合わないところでした。手形は映画が終わってから見ることにして、映画を先に見ました。映画の感想などは次の日記に詳しく書きますね。手形はいろんな俳優・女優、歌手のがあり、見て回って、何人か写真に撮りました。ゴジラの像のある合歓の広場に手形が並んでます。もっと撮りたかったけど、載せきれないしね。写メールは9枚しか送れないのです。割と好きな俳優・女優・歌手を撮りました。また、文章が書いてある人も。八千草 薫緒形 拳ぺ・ヨンジュン北大路 欣也三浦 友和松田 聖子「すべてのものによろこびを 赤いスィートピー」宮本 信子「タンポポ タンポポ砂浜に 春が目がひらく」三田 佳子「信じることは 美しい」にほんブログ村
2011年04月13日
今日、ミンミの高校のママ友?と池袋でランチしてから、 映画「わたしを離さないで」を有楽町で見ようかと思ってます。映画は一人で行こうかと思ってたのだけど、誘ったら一緒に行ってくれるというのです。今朝、朝刊の映画評を見て見に行こうと思い立ち、パソコンで調べてたのですよね。遠い映画館でしかやってないから、池袋まで行ったついでに見てこようと思ったのです。ラジオでいいと言っていたのも思い出したのですが。日本生まれの英国人カズオ・イシグロの原作本も読んでみたいけどね。誘っておいて、/つまらなかったから申し訳ないけど、イギリス映画らしく?淡々としてる中で、情感あふれるものらしい。先日映画館で見た「英国王のスピーチ」も良かったから、イギリス映画もいいかも。昨日録画で見た「スクール・オブ・ロック」はいかにもアメリカ映画らしい開放的なコメディでしたが、それはそれなりにすごく面白かったです!今日は水曜でレディスディーだから1000円らしい。明日は仕事だからあまり遅くなりたくないけど、休みも楽しまなくっちゃね。にほんブログ村
2011年04月13日
録画しておいた「スクール・オブ・ロック」をやっと見ました。先日、ミンミが見て面白かったから、見たほうがいいと言われてたのです。その通りに面白かったですね。代用教員(臨時教員)という立場も私と同じだから、親近感を抱いたけど、こんな型破りな教師は見たことない?うらやましいくらいだけど、とても出来ないなあ。子どもと一緒にバンドを組んでロックをするなんて、それも授業中、校長や親に内緒でやるなんて、ステキ・・・先日見た「英国王のスピーチ」でも、汚い言葉を言わせて自己解放させてたけど、この「スクール・オブ・ロック」の中でも「くたばれ」などと歌わせて、優等生のいい子ちゃんの殻を破らせてました。型にはめるだけが教育じゃないよね。こんな風に一体感を味わいたいなあ、なんて思ってしまった。自分自身が一番自己解放したいのかもしれないけど。ミンミも取っておいて、DVDに録画するというので、やはり自己解放したいのでしょう。うちの子どもたちの中で一番抑圧されてるような・・・自分自身でだけどね。専門学校に毎日通えるか心配だったけど、今のところ毎日行けてます。この調子で続けて欲しいなあ。にほんブログ村
2011年04月12日
今日は主人と2人とも休みなので、久しぶりの映画。主人お勧めの「英国王のスピーチ」を観ました。まあ、一緒に観るときは大体主人の趣味なのだけど・・・今回は特に?良かったです! ★ストーリー現イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世の伝記をコリン・ファース主演で映画化した歴史ドラマ。きつ音障害を抱えた内気なジョージ6世(ファース)が、言語療法士の助けを借りて障害を克服し、第2次世界大戦開戦にあたって国民を勇気づける見事なスピーチを披露して人心を得るまでを描く。共演にジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム・カーター。監督は「くたばれ!ユナイテッド」のトム・フーパー。第83回米アカデミー賞で作品、監督、主演男優、脚本賞を受賞した。 脚本も面白かったけど、演技も素晴らしかったなあ。吃音の王子・国王を演じたコリンファースは、リサーチを重ね、吃音の症状だけでなく、内面の葛藤・コンプレックスまで表現してた。そう思ってたら、パンフレットでも同様のことが書かれてありました。監督、トム・フーパーのインタビューです。 「コリンはとても頭が良い。吃音に悩むキャラクターを演じるときに大事なのは、どんな音を出すか、どんなふうに言葉を言うのかではない。重要なのは、沈黙だ。それに、その人が感じている孤独感、恐れ、パニックを理解すること。コリンはそれを本能的に知っていて、そこをしっかりとつかんでくれたんだ。」 どもるのは、精神的なものが大きいのですよね。幼児期の辛かった体験、厳しい父親、自由奔放な兄に対するコンプレックス・・・吃音は完全には克服できなかったらしいけど、それに挑戦する素晴らしさを感じる。以下はパンフレットに載ってた精神科医名越康文さんのコメントの引用です。 「ジョージは(失敗を怖れる)過度の自尊心の鎧で自分をかんじがらみにしている。その向こう側にあるのはもちろん劣等感ですが、さらにその向こう側にあるのは、いわば「怒り」でしょう。心理的には不安も恐れも怒りの一種です。それは不甲斐ない自分に対する怒りかもしれないし、あるいはライオネルにそっと告白した話から分かるように、少年期に父親から愛されなかった寂しさ、利き手や脚の矯正などを受けた抑圧への怒りかもしれない。そういった様々な負の感情が、彼の喉を潰していえるといえるわけです。 だから、ライオネルは、ジョージに悪い言葉をいっぱい吐き出させるんですね。少しユーモラスにもみえるシーンですが、ジョージが「クソッ!クソッ!クソッ!」と下品な俗語を長年のストレスを解消するように叫ぶ。でも彼はそのことで、自分の中にたくさん蓄積された負の感情に少しずつ気づけるんです。しかもライオネルがそれを全然否定しないことで、ジョージは親密ささえ覚える。そして一人では渡れなかった、王としての大きな責任という橋を、ライオネルの助けを借りることでついに渡り始めるのです。」 また、そこまでに導く言語療法士のライオネル・ローグを演じるジェフリー・ラッシュ。ここからはパンフレットの精神科医名越康文さんのコメントを読んで分かったので、また引用しますね。 「ところが、この映画が優れて奥深いのは、ライオネルについての心理分析も組み込んでいることです。彼はずっとシェイクスピア役者になりたいという夢を持っていて、「リチャード3世」のオーディションを受けるんだけど、「あなたの言葉からは王の叫びが聞こえてこない」なんて酷評されて落とされてしまう。だからジョージを治療する過程で、自分がやれない”王”という役を立派にやり遂げてほしいと彼に自己投影してしまうのです。でもジョージは非常に繊細な男ですから、自分がライオネルの自己投影の道具にされていることを敏感に察知して、激怒して去ってしまう。もちろん本当は彼のことを必要としているんだけど、素直になれません。ライオネルも、自分の余計な欲望のせいでジョージを傷つけてしまったことにひどく意気消沈してしまう。」 観てるときは、そこまで分からなかったけど、そういえば、ライオネルの妻が、「患者が立派に責任を果たせるはずというのは、あなたが希望していることなんじゃない?」と言ったのが自己投影だったのですね。そして「悪いと思ったら、謝ったらいいのに」と言われ、謝罪に行くけど会わせて貰えない。そこでまた精神科医名越康文さんののコメントの引用です。 「しかし、やがてジョージが腰を上げるんです。「王の贖罪を待つ者は長く待たねばならない」なんて言いながら、ライオネルの診療所を自ら訪ねる。ここは僕の一番好きなシーンですね。大切な友情をつなぎ止めるために、ジョージは自分の見栄を、あんなに高かったプライドを捨てた。一人の人間として勇気を奮った。これぞ僕たち庶民でもできる英雄的行為でしょう。ある種、この映画の真のクライマックスといえるかもしれません。 というのも、僕はこのシーンを観た後、人間は「他人の言葉」より「自分の言葉」に傷ついていることを改めて確信したんです。おそらくジョージもライオネルも、お互い離れている間、何度も心の中で自分を責めたはずです。その痛みに耐えられなくなって、ジョージは行動に出たのでしょう。外部から加えられる他人の言葉は、あくまでもきっかけに過ぎない。やはり自分で内的に反芻する言葉こそが、その人の運命を大きく決定するように思うんです。 そう考えると、この物語の中での吃音は「心の声」の象徴とも読めてくるんです。僕たちは誰もが心の中で絶えず不器用に葛藤している。-つまり潜在的な吃音を抱えていると言えるのかもしれない。だから英国王の葛藤が身近なリアリティとして響いてくるのです。そして、そのその壁はいつでも乗り越えられる可能性があるんだ、と示すことで、特別の立場の人間の物語でありながら、すべての人間に勇気を与えるキャパシティを持った普遍的な作品になったのだと思います。」 妻エリザベスの内助の功も素晴らしい。私はなぜか観損ねて、主人に聞いたのですが、ライオネルが「私に感謝するなら、奥様に感謝してください」とジョージに言ったそうだ。ライオネルのところにジョージを連れて行ったり、付き添ったのは、エリザベスだったしね。まあ、主人が見てたならその方が効果的かな?また、「僕は吃音だから王にはなれない。」と泣き崩れたジョージに、エリザベスは「あなたの求婚を二度も断ったのは王族の暮らしがイヤだから。でも、”ステキな吃音、幸せになれそう”て思ったの」と励ます。素敵なチャーミングな女性でした。そんな風になりたいけど、私にはムリかな・・・にほんブログ村
2011年04月06日
今日は、大河ドラマ「お江」の録画も見たので、上野樹里主演が続きます、、、でも、この「奈緒子」は、「お江」や「のだめ」とはキャラが違いますね。以前、原作のコミックも読んだのだけど、奈緒子はあまり登場しなかったので、映画でどのように描くのか不思議だったけど、ずいぶん脚本が変わって、主役になってるのですね。コミックのキャラ「壱岐雄介:父親の才能と異名を引き継ぎ日本海の疾風(かぜ)と呼ばれる天才ランナー。一般常識が通用しない野生児で年齢以上の力を発揮し短距離・長距離共に数々の記録を打ち立てる。篠宮奈緒子を助けようとして父親が死んだことを知っており、当初は奈緒子に対し厳しい言葉を浴びせたり敵意を抱いていた。」映画は、雄介と奈緒子の心を描くことに重点を置いてるのですね。雄介はいつ奈緒子を許したんだろう?とコミックでは疑問に思っていたけど、映画では見ていれば自然に分かるような展開です。雄介の父が亡くなった時に止まった時間が再び動き始めたのですよね。また、気に入った台詞を書き留めました。 奈緒子「ありがとう。私が走りきれるって信じてくれて。」 陸上部監督「うまいこといかんなあ。どうしょうもないことばっかりや。」奈緒子「どうすればいいんですか?どうしようもないことはやっぱり、どうしようもないんですか?」監督「なあ、篠宮。おれら一体なんのために走るんやろうな。いっつもそのことばっかり考えてしまうわ。」 吉崎「やっぱり僕には無理だよ。・・・・練習を回想・・・監督「雄介の背中を見て走れ!お前ら一生あの背中を忘れないぞ。」・・・・吉崎「僕は走れる。雄介待ってて!」 奥田「俺は雄介、お前が嫌いだ。誰よりも速くて、無邪気でいい奴だよ。でも、もっと嫌いなのは、それを妬む俺だよ。俺は自分が大嫌いだ。」 吉崎「雄介、僕、いい走りしたよ。」雄介「うん、わかってる。いつものオメーなら、『僕いい走りしたかな?』って聞いてる。」 雄介「吉崎、みんなに会いたくないか?」吉崎「うん、会いたいよ。」雄介「バラバラになってさ、また逢うために走る。変な競技だ。」 監督「雄介のとこ行ったってくれ。俺はちょっと腹痛いから、まだここで休みたい。お前が雄介のとこに行って何が出来るかわからないけど、あいつのオヤジが死んでから、あいつと一番長く走ってきたんはお前や。どんな形であれ、お前にしかできんことがある。頼む。」 雄介「早く島に帰りてえ。とうちゃん、走ってなんになるんだよ。」奈緒子「雄介くん、、、、雄介!」 叫んで、伴走する奈緒子。雄介「ずっと走ってきたんかよ」奈緒子「走れ、勝て!。」 雄介「監督、監督は?どこ行ってたんだよ。監督「見てた、見てたよ。」みんな「俺たちやったよ。」監督「そばでよう見んかった。そばで見てられんかった。」雄介「俺たち勝ったよ。」監督「ようやった、ようやった」みんな「やったー!」
2011年02月11日
「太平洋の奇跡」i-modeサイト映画ニュース予告で見て、興味を持ち、調べてみました。「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男」オフィシャルサイト「太平洋戦争末期のサイパン島で、たった47人の兵を率いて4万5000人ものアメリカ軍に立ち向かい、アメリカ兵から“フォックス”と呼ばれて恐れられた陸軍大尉の大場栄。その史実を題材にしたドン・ジョーンズの実録小説「タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」を原作に、絶望的な状況のなか最後まで生き抜いた日本兵たちの真実の物語を、竹野内豊主演で映画化した戦争ドラマ。「OUT」の平山秀幸監督がメガホンをとる。」日本軍人にもこんな人が居たのかと嬉しくなったのです。民間人を犠牲にする軍人は多いけど、民間人をも守るところに感激!映画なかなか見る機会がないけど、見てみたいなあ。映画館が無理なら、DVDでもね。まだ見てないのにお勧めもなんだけど、期待を込めてお勧めします。
2011年02月11日
主人の仕事帰りに映画館で待ち合わせして、「悪人」を観てきました。深津絵里がモントリオール映画祭で最優秀女優賞を取ったから、主人が観たいと言うので、付き合ったのです。主演二人が、今までと違う汚れ役というか、もっとふっきれた演技をするのかと期待してたのだけど、それほどではなかったのが残念・・・主人は期待し過ぎていたのか、がっかりしていましたね。でも、パンフレットは買ってきました。群像劇?みたいなところもあって、それぞれキャストがキャラ立ち?していて面白かった。ベテランの柄本明や樹木希林は流石、存在感があったし、岡田将生や満島ひかりは、悪人だと思わせる演技で、本当に嫌いになるほど。誰が悪人か?と言えば、みんな悪人なのかもしれませんね。出演者のコメントも興味深い。妻夫木聡「頭で考えて演じるのではなく、いつもの自分を殺して、ただ祐一を感じていた。」本当に、死んだような眼をしてましたね。でも、可愛さ?は残ってるから、悪人とは思えない・・・深津絵里「光代という役に私の何かが注ぎ込まれて、はぎ取られてしまいそうな恐ろしさがあった」そこまで鬼気迫るものは感じなかったけど、確かにいつもの深津絵里よりは深いかな?とは思いましたね。他の人のコメントも面白いけど、キリがないので、省かせてもらいます。公式ホームページとかに載ってるかな?柄本明さん演じる被害者の父親役のセリフは良かったです!「あんた、大切な人はおるね?その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人は。今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる。自分には失うものがないち思い込んで、それで強くなった気になっとう。だけんやろ、自分が余裕のある人間て思いくさって、失ったり、欲しがったりする人間を、馬鹿にした目で眺とう。そうじやないとよ。それじゃ人間は駄目とよ」これは心に響きましたね。また映画はともかく?、最後の歌が素晴らしかった!久石譲作曲、胡麻本りさ作詞、福原美穂歌の「Your Story」最後の最後に感動です。ラストシーンにも合ってましたね。最後に希望を持たせてもらえる感じかな?余韻に浸れましたね。
2010年09月24日
映画「サウンド・オブ・ミュージック」をDVDで観ました。歌は聴いたことあったし、ストーリーもなんとなく知ってはいたけど、ちゃんと観たのは初めてです。主人は、三回位映画館で観たそうです。マリアが修道院に逃げ帰り、院長に「逃げても何の解決にもならない。問題には立ち向かわないと」と言って、「すべての山に登れ」の歌を歌っていた。以前、パステル音楽館のチャリティーコンサートで合唱して初めて知ったのですが、こういう意味なのだとは知らなかった。山は乗り越えないといけないのですね。つい逃げたくなってしまうけどね。マリアみたいに子供に懐かれて、その上、その父親に愛されるとは羨ましい。展開が早いなとも思ったけど、ナチへの抵抗や愛国心もテーマみたいだから、そこに早くもっていきたかったのかな?エーデルワイスが祖国愛の歌だとも知らなかった。去年、音楽専科していた時、三年の学年発表でエーデルワイスをリコーダーで吹かせました。知ってたら、もっと背景や意味を教えたかな。まあ、分からないかもしれないけどね。ともかくやはり名作と言われるだけのことはありますね。沢田研二がジュリーと呼ばれるのは、マリア役のジュリー・アンドリュースのファンだからだそう。それは、前に見たミンミに聞きました。
2010年09月20日
映画「スタンドバイミー」をDVDで観ました。ミンミがTSUTAYAの人気名画コーナーから借りてきたのです。なんとなくは知ってたけど観るのは初めてです。うろ覚えだけど、印象に残った部分を書いてみますね。クリスが、ゴーディに「君のパパは君を理解してない。君は文章を書くのが上手いのに・・・子供は自分の才能をすぐに棄ててしまう。親は子供の才能を守って、伸ばすべきだ。それが出来ないのなら、俺が君の才能を守る。」というようなことを言っていた。実際に、ゴーディは後に作家になって、このスタンドバイミーを書いたのだから、クリスには見る眼があったということだよね。私も子供たちの才能?を見抜いて育てたいけど、まだよく分からない・・・好きなことをやってもらいたいとは思うけど。才能というより、その子を認めて、愛することが一番だよね。ゴーディをそれを求めていたのだと思う。また、クリスの吹き替えは高山みなみで、コナンの声だなと思いつつ、合ってると思った。ネットで確認したら、以前の声優の方が良かったというサイトが多かったのだが、テレビで放映したときの声優を聞いてないので、比較できない。高山みなみの声は好きだから、違和感ないけどね。「名探偵コナン」の原作者、青山剛昌と結婚したのは知ってたけど、離婚していたのは知らなかった。まあ、お互い干渉しないほうがいいのかな?話はずれたけど、こういう名画、特に少年の友情についての映画はカズにも観てほしいなあ。でも、勧めると観ないんだよね。私にはこんないい友達はいないけど、子供たちには友人に恵まれて欲しいというか、友達を大事にして欲しいと思ってしまう。私が親として未熟だから、この映画のように補って欲しいのかな?クリスを演じたリバーフェニックスについて調べていたら、23歳で麻薬中毒死と知り、ショックを受けた。意志的な目をしていた少年だったのにと・・・思ってたら、この「リヴァー・フェニックス逝く」のサイトにたどりついた。カルト集団「神の子供たち」(現ファミリー・インターナショナル)で性的虐待を受けた?という不幸な少年時代を過ごしたとしても、それを克服したと信じたい。
2010年09月18日
映画「DAVE」をDVDで観ました。高3のミンミが借りてきて、良かったと言うので、見てみました。TSUTAYAのジャンル分けがコメディだったので、シリアス好きな私はちょっと?と思ったけど、これは、割とシリアスな中でクスっと笑わせてくれる上質なコメディですね。ストーリーも演技も本当にすごく良かったです。アメリカ大統領の替え玉が、本物になり代わって、いい方向に持っていく・・・韓国ドラマの「復活」も、双子が入れ替わって良くなるけどね。日本ドラマの「チェンジ」に似た感じもある。どちらが先かよく分からないけど。ともかく面白くて痛快です。雇用問題など、今の日本に通じるところもある。こんな政治家が居てくれたらいいのに・・・メイキングで「自分の中の可能性を信じる」というフレーズが、心に残りました。私もまた10月から臨時教師をするけど、今度こそ、生まれ変わって?いい教師になりたいなあ・・・いつもリベンジと思ってるのだけど。教師もハッタリや演技が必要と言われたけど、なかなか出来なくて、素の母親?みたいな叱り方しか出来なかったりする。だから、ただの小言のように聞こえて、聞き流されるのだとも・・・教師の素質ないのかな?と自信がないけど、今度こそ、頑張りたいなあ。そんなことを思わせてくれる元気になるいい映画でした。
2010年09月17日
朝から暗い?映画「心中エレジー」を観てしまった。でも、共感出来てしまうなあ、、、また、好きなセリフ書き出してみますね。 京子「なんかあたしね、心に膿溜まってるみたいなの。」万代「膿?」「あくまでもイメージよ。ほらよくさあ、花粉症の人があんまり目がかゆいんで、眼球取り出してジャブジャブ洗いたいって言うじゃない?あんな感じで、取り出し可能だったら、盛大に洗い流したくなるっていうか、、、あたしね、時々思うんだけど、あたしの当たり前が当たり前じゃないっていうか、あたしの当たり前の風景はみんなに見えてなくて、あたしがみんなの当たり前の風景に合わせてきたんだと思う。それに、うちの父親、厳格な教育者でね。父親の理想の娘にならなきゃ、とか、そんな風に考えたりして、、、それが原因かどうかはよく分かんないんだけど。少しずつ少しずつ心の奥に膿みたいな物が溜まってきてるみたい。唯一の膿抜きの方法はね、体を動かすのよ。そうすると汗と一緒に毛穴から抜ける気がしたんだ。でも結局すぐに膿溜まって、だったらいっそもっと汚して、全部ダメにしちゃえばいいじゃないか、結婚してから、特にそう思えてきたんだよね。膿で膨らんでた時、一緒に居たいって言われて、フリスクもらって、なんかちょっとスッとした。自分ダメにしちゃうのが、少しもったいないなって思ったの。」「じゃあ膿出しちゃおう。」 膿を出す方法が死ぬことなのか?でも、彼らは死に切れない・・・ 京子「(死ねなくて)なんかホッとしちゃった。死にたいんじゃなくて、死のうとしていたいだけなんじゃないかな?」 万代「夕日って淋しい色だよな」京子「オレンジ」「オレンジ」「オレンジってどんな色?」「大事な人と一緒に居るのにそんなこと全部夢だって分かった時の色」「貧乏揺すりってさ、今ここに居たくないっていう意思表示なんだってさ。同じ癖だったんだ。電車の中でずっと見てた。片道二時間、往復一年で960時間。その時間だけ俺救われてた。ずっと一緒に居たいと思った。」「その時私は何色だった?」「水の中の一番深いところにある、、、」「居よう、一緒に。」 京子「あたし達って、死ぬことも出来ないってことだよね。明日ここ解約しておくね。」 万代の妻、麻美「これ舐めて。」同僚「知ってます?ハッカってごまかしなんですよね。だって、元の匂いより強い匂いで抑えこんでるだけでしょ。スッとするから綺麗になると錯覚するだけじゃないですか。」麻美「ハッカ嫌いなの?」「歯磨き粉食べてるみたいだし」 麻美「いろんな所で住民票取ってる人がいるんだって。」万代「それって自己確認だよね。」 万代「来なきゃ良かったな。旦那さん見ちゃった。出来ない癖に死ぬこと考えて、、、」 京子「でも私来るの待っちゃってた生けれないし、死ねないし、なんだろう、こんな状態、、、」「ボウフラ?」「ただ湧いてでて、漂ってる」 万代「今、何考えてる?」京子「ボウフラが二匹、漂ってるなあって。」「ダメだなあ、俺たち。ほんとダメだなあ、、、」「うん」 万代「生き方が下手だから法律家になったんだ。六法全書って生き方のマニュアルあるだって勘違いしてたよ。」麻美「当たり前じゃない」「彼女と出逢って、まだ生きてて、やっと六法全書手放せそうなんだ。」「皮肉なもんね」 ノック五回で「すっごい元気」 死ねなくったって、生き辛くたっていいじゃない。ただ生き続ければいいんだよね。「生きてるだけで丸儲け」って、どこかで聞いたなあ。虚しいけど、生きてれば楽しいこともあるよね。
2010年09月13日
映画「私の中のアイヒマン」をDVDで観ました。演劇部の女子高生たちが「アンネの日記」を演じるために苛酷な収容所でのロールプレイングをしていくうち、精神的におかしくなっていくという話。アイヒマン実験のアイヒマンのことを言っているのでしょうが、実験としてはスタンフォード大学監獄実験に近いような気がする。その実験をもとした映画「es」も観てみたいけど、怖いな・・・ともかく心理実験は人格をも破壊しそうで、危険だと思います。ロールプレイングも限度を超えると怖いのだな。ゲームでもハマる人多いですからね。別人になりたい、変身したいという願望はある。でも、それも実はもう一人の自分で、潜在的にあったものなのですよね。というか誰の中にもサディストもマゾヒストも居るのかも。アイヒマンはただのサディストではなく、命令されると自分で考える責任を放棄して、際限なく虐待できるようになってしまう人のこと。でも、元々そうなる要素があるから、なれるのでは?それは誰でも言えることだけど。私も犯罪心理学などにも興味があって、ミンミとかには怖いと言われるけど、人間のいい所も悪いところもみんな知りたいと思ってしまう。性善説でも性悪説でもなく、人間には両方あって、どちらにも転ぶのですよね。本当に天使と悪魔が棲んでるのかな?怖いけど、怖いもの見たさもある。あまりグロイのは厭だけど、綺麗ごと過ぎるのも嫌なんですよね。ひねくれているのかな?子どものころから、少し斜に構えた所があって、「馬鹿らしい」「面倒くさい」が口癖だったり、ため息ばかりついてると母に注意された。今でもあまり変わらないけどね。そんな私も実はクリスチャンなのです。神が居るかどうかはわからないけど、居る方に賭けた方が自分の精神安定上いいと思ったのです。なんて、クリスマスしか教会に行かない不信心者ですが・・・話がまたずれてしまったけど、映画は興味深いテーマだったし、女子高生役の女優達が、真剣に張り合ってる感じで良かったですね。蛇足ですが、このDVDの予告編に出ていた「ミーシャ」も観たくて、ネットサーフィンしていたら、原作の「少女ミーシャの旅」の狼と一緒に行動したなどという自伝は空想?だったということまでわかってがっかり・・・精神的?虐待を受けると、空想・妄想を抱くということもあるから、わからないでもないけど、それを事実だと偽るのは良くないよね。でも、生きてるうちに告白できただけでも良かったかもしれない。まあ、やはり人間には両面あるのですよね。
2010年09月06日
以前、「陰日向に咲く」を、本で読んだこともあったけど、DVDで映画を観たら、やはり泣いてしまった。ネタばれするといけないので、あまり言えないけど・・・みんな陰でも弱くても頑張って生きてるんですよね。コンプレックスや劣等感に悩まされながらも、必死に生きてるのが、雑草みたいで共感しました。こんなふうにいろんな人生が交差してるんだなあ、なんても思った。自分ひとりだけで生きてるわけじゃないんだよね。本も良かったけど、映画もあまりイメージ変わらず楽しめました。原作書いた劇団ひとりもすごいよね。
2010年08月30日
「鉄の骨」を録画しておいたのだけど、なかなか見られず、今日まとめて見ました。1回目だけは以前見たのだけど、4回分まとめて見てしまった。風邪で体調悪いけど、昨日は寝てばかりいて、今日も朝寝坊・・・前々任校の金管バンドクラブの練習を見に行こうかと思っていたのだけど、体調悪いから止めました。だるいけど、テレビは見られるんだよね。主演の小池徹平は、今まで学生とか若く見られてしまう警察官とか、子どもっぽいイメージがあったけど、今回は、本当に鉄の骨?がある社会人。カズは「小池徹平が社会人役?似合わないんじゃね?」なんて言ってたけど、結構、様になってましたね。談合が犯罪と分かっていても、会社のために手を染めてしまう若手社員の役。それを止める銀行員の彼女。板ばさみで悩んでいる。でも、やはり男性は恋愛より仕事の方が大切なのかな?などと感じてしまった。硬派のドラマで、さすがNHKという感じ。上司と部下の関係と言うより、同士なんだなと思った。笑いはないけど、考えさせられますよね。一日出かけなかったけど、いいドラマを観られて良かったかな。見終わってから、また寝たら、元気になってきて、夕食は作れました。昨日はミンミに作ってもらってしまったからね。小池徹平を最初、小池鉄平と書いてしまった。「鉄の骨」だからつい?でも、イメージ合わないよなと検索したら、やはり徹平でした。ごめんなさい。直しました。
2010年08月02日
図書館で借りたDVD「ゴッホ」と「アンナ・カレーニナ」を観ました。本当は先週日曜が返却期限でしたが、パステル音楽館の練習や、卓球の練習、試合、打ち上げで観られなかったのですよね。今週もパステル音楽館の練習はあるけど、選挙で体育館使えないので卓球はないし、さすがに今週は見て返さないとね。「ゴッホ」は、実際に描いた場所と絵が対比されたりしていて、興味深かった。本格的な絵の勉強をしたわけではないのに、あんな素晴らしい絵が描けるとはすごい。でも、狂気を孕んでいたからこそ、あの独特なタッチと渦巻くような線が出るのでしょうね。以前、ゴッホの劇を観ましたが、若い時から、神経過敏だったらしい。やはり兆候があったのかな。ゴーギャンとのいきさつも大体知ってはいたけど、実写で見ると、無惨ですよね。献身的な弟テオの援助のお陰で絵を描き続けられて、ゴッホは幸せだったと思うけど、最期は自殺で終わるというのが哀しい。「アンナ・カレーニナ」も自殺だっただけに、虚しくなってしまいますね。不倫して自業自得とはいえ、子供と会えない悲しみと、そこまでして愛した男性に置いていかれた淋しさにやりきれなくなってしまったのでしょうね。気持ちは分かるけど、生きてさえいれば、いつかはいいことがあったかもしれないのに。今の日本も自殺者が多過ぎますよね。希望が持てない世の中だけど、どこかに救いはあるのでは?うちの子供達にも、生徒達にも、自殺だけはしないよう言ってます。親より先に死ぬのは逆縁の親不幸で、自殺は最大の親不幸だとも。遺された人たちがどれだけ悲しむか考えて!と。私がクリスチャンだからというだけでなく、一人の親として、そう思います。でも、日本の社会が自己責任と突き放さず、もっと寛容で優しい社会だったら、自殺も減るのかな。どうせ変わらないと選挙を棄権したら、いつまで経っても変わらないかも。明日は選挙に行きますね。
2010年07月10日
今日は勤務校の学校公開の振替休日。久しぶりに映画館に行って「告白」を観てきました。昨日は「KIDS]、今日は「アマルフィ」とDVDで映画を観て、「KIDS」は良かったけど、「アマルフィ」はちょっと物足りなかったな。大学3年のマッキーが「せっかくイタリアで撮ってるのに、映像が良くなくて勿体無い」と言っていた。確かに「踊る大捜査線」のイタリア版という感じですよね・・・「告白」は原作も読んだので、映画を見に行くとイメージ違うかな?と思いつつ、まあ、キャストも思い浮かべながら読んだから違和感ないだろうと思って行きました。整形外科に行ってから、マッキーを誘いに家に戻ったけど、マッキーが寝ていたから、私一人で行ってしまった。上映時間ぎりぎりに滑り込みました。まず松たかこの告白部分。私も一応教師をしてるので、他人事とは思えないけど、生徒の話の聞かなさ・・・それでも、段々集中して息を呑む。冷静に感情を押し殺して言う告白が鬼気迫ります。松たか子をマッキーや次女のミンミも嫌いだというし、私もあまり好きではないけど、この演技はすごいな、合ってるなと思いました。また、木村佳乃演じる過保護な母親役。もっと迫力ある演技を期待してたのだけど、ちょっと物足りないかな。でも、母親の悲しみは出てましたね。私も感情移入してしまいました。同じ年頃の中3の息子を持つ母として、怖さも感じましたね。いい子だと信じていた息子の裏の顔を知り、心中しようとしても、息子を殺しきれず、逆に殺されて、息子を犯罪者にしてしまう・・・ネタばれですみません・・・マッキーは原作とマンガを読み、マンガの犯人Aの修哉はとても格好良く、犯人Bの直樹は可愛かったから、映画のパンフレットを見て、観たらがっかりしていたかもと言ってました。確かに美月役の橋本愛は綺麗でイメージ通りだったけど、修哉と直樹はいまいちだったかな。演技は頑張っていたけどね。修哉は昔の本郷奏にやってもらいたかったなあ。今は中学生役きついだろうけど。「青い鳥」は良かったなあ。命の重さを考えさせるのって難しい。この映画を観て逆説的に感じるのもいいかもしれない。ただ命は大切と言ってもなかなか心に響かない。人身事故で電車が止まると困ると言って、自殺したひとのことを考えないようなもの・・・「いいことをしても認められないけど、悪いことをすれば注目される」という修哉の言い分も分からないでもない。でも、自分を捨てたお母さんに誉めてもらいたいなら、いいことしないとね・・・そんなに母親に認めてもらいたいんだなんて、思ってしまった。NHKドラマ「チェイス」でも、自分を誘拐させ、腕を切らせた母親に誉められたくて父親に復讐する息子、arata演じる村雲シュウジが出てきた。やはり母親の愛情は必要なんだよね。でも、過剰もいけないみたいだけど・・・私は息子のカズにウザイと言われる方なので、木村佳乃演じる母親が他人事とは思えなかったけど。いろいろ考えさせられる映画でした。
2010年06月14日
TSUTAYAで先週の日曜から借りてきていたのですが、勤務先の学校公開などで見られず、やっと観られました。玉木宏が好きなんですよね。「のだめカンタービレ」でも良かったけど、「KIDS」のタケオもいいですね。人の痛みを自分に移すという能力を持つ小池鉄平演じるアサトも割といい。もともとあまり好きではなかったのだけどね。人と痛みを分け合うとか、偽善的?とも思えるけど、友達なら出来るのかな。荒れた町ですさんでいたタケオがアサトに会って変わっていく。子供の頃暴力を振るう父親を怖れていたけど、嫌いになりきれないタケオ。化け物と呼ばれながらも母親を慕うアサト。親子って哀しいなと思います。人間ってそれほど悪くないなと思えた映画でした。
2010年06月14日
大学三年のマッキーと2人で「のだめカンタービレ後編」を見てきました。前編もマッキーと見に行ったのです。やっぱり千秋は素敵ですね。のだめも嫉妬や劣等感、焦燥感に苛まれるところが人間らしくていいです。私も教師に向いてないと悩んでいるから、共感してしまいました。ピアノやバイオリンも実際に演奏してるのかな?リアルでしたね。見た後、2人でポティロンというレストランへ。前菜、主菜、パン、デザート、コーヒーのセットで、私は牛フィレ肉の黒胡椒焼き、マッキーは牛のホワイトソース和え?よく分からない名前で、聞いたらグラタンみたいなソースだという。確かにグラタンに似た名前とソースでした。半分食べてから交換したのです。いろんなものを食べたいものね。デザートも美味しかった!マッキーと恋話したり、将来の話をしたりと盛り上がりました。友達みたいなママで良かったと言われたけど、喜んでいいのかな?対等に話せるようになったんだよね。高3のミンミとも話せるようになってきたけど、中3のカズとはいつのことやら。息子とは大人になっても無理かな?主人と義母はよく話しているけどね。ああなりたいけど、そこまでは無理かも。主人はマザコン気味?だしね。カズはなりそうもない、、、なられても困るけど。
2010年05月02日
入間おやこ劇場に入ってるのですが、西グループ合同の中学生以上例会で、「時代横町」という劇を見ました。高3のミンミと2人です。ミンミはもう退会してますが、会員外のチケットを買って見ました。ラジオドラマというあまり動かずにやる劇で、馬の頭などは、人形劇の要素も取り入れてます。また、地獄が舞台の劇では、鬼の顔を座布団を使って表現したりしてました。その劇の方が面白かったなあ。またアンコールを修学旅行という歌に合わせてスローモーションでやるのもユニークでした。6月に入間市市民会館でやる「ザ・ニュースペーパー」も誘われたけど、どうしようかな?その後、ミンミとジョナサンで夕食を食べました。ミンミはミートソースポテト、私は冷製稲庭うどんです。デザートは抹茶アイスとキャラメルプリンパフェ。ドリンクバーも頼み、いろいろ話していたら、時間を忘れ、遅くなってしまいました。楽しかったですね。
2010年04月10日
今日は仕事を早退けして、買い物したついでに、TSUTAYAでDVDをレンタルしてきました。ペ・ヨンジュンの「スキャンダル」とフランス映画の「かげろう」両方良かったですよ。ペ・ヨンジュン好きなんですよね。やはり哀愁があるなあ。「かげろう」も戦争中の話だけど、少年と女性の交流が興味深かったですね。
2010年03月18日
大学二年の長女マッキーと一緒に映画「のだめカンタービレ」を観に行きました。のだめの漫画もドラマも好きなんです。映画は割と漫画に忠実ですね。一部、千秋にピアノを指導してるのが、ニナではなくシュトレーゼマンだったりしたけど。変態の森のアニメーションは長すぎて、ちょっと食傷気味だったけど、他は良かったですね。さすがに映画館だと音響もいいから、臨場感があるなあ。なんて言いながらも、昨夜はスペシャルをテレビで見て遅くまで起き、朝早くカズを起こして練習に送り出したから、眠くて、オケのシーンでちょっとうとうとしてしまった、、、パンフレットを買い、マッキーと読んでましたが、帰りのバスにパンフレットを忘れてしまったようです、、、まあ、大体読んだからいいかな?昼食は、まるひろデパートの上のトンカツ店で食べました。エビフライ、カキフライ、カニクリームコロッケ、ヒレカツのセットで、美味しかったです。帰りがけ、マルペ通りの豊岡小跡も見ました。小学校で使われていた木の椅子が並べられているのです。うちに帰り、今度はミンミを広島派遣団の壮行会?に送りました。ミンミは去年参加したのですが、今年は広島に持って行く千羽鶴を作って渡したのです。待ってる間に、マッキーと近くのイオンに行き、スーツケースなど買いました。以前、カンボジアのスタディツアーに参加したのですが、主催していた、かものはしプロジェクトのインターンに最近なり、今度はスタディツアーのスタッフとして付いていくのです。先日、内閣府主催の日本ASEANユースリーダーズサミットにも参加したのですが、カンボジアのグループに入り、友達になった人たちとまた会いたいと言ってました。また、藤沢のイオンも様変わりしていて、気に入ってた洋服店が無くなったのは残念だったけど、ケンタッキーが新しく出店してたから、つい食べてしまいました。また、マッキーが生牡蠣も食べたいと言うので、夕方、スーパーで生牡蠣も買いました。夕食は、マッキーのリクエストのトマト鍋。あまりうちで食べないので、マッキーの希望を聞かないとのね。最後はオムライスにしました。また、デザートは、ミンミ手作りのゆずシャーベット。さっぱりして美味しかったです。
2009年12月19日
「夕凪の町・桜の国」。広島の被爆者は、その後も辛い目に遭っていたのですね。広島派遣団に参加したミンミは、見覚えのある風景を見ながら、折鶴を折ってました。辛いけど、直視しないとね。
2009年10月04日
中島みゆきの「2/2」が原作とのこと。小説も書くとは知らなかった!主演の渡部篤郎も好きなんですよね。少し怖いけど、心理描写が面白かった。
2009年10月04日
今日もバーベキューに出かける前に、映画「ツォツイ」を観ました。これもマッキーが借りてきたのだけど、南アフリカの非行少年の話。車を盗んだら、その車に赤ちゃんが乗っていて、育てようとする話です。赤ちゃんに自分の本名を付け、自分の身代わりにしようとしているのかな。不幸な生い立ちを取り戻したいのかも。ネタバレするからあまり書かないけど、良かったですよ。
2009年09月22日
またまたマッキーが借りてきたDVDです。南アフリカのアパルトヘイト時代の黒人虐待を暴く「民族和解委員会」の話です。詳しくは下のサイトをみてください。http://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%AF-%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%B9%E3%83%88-DVD-%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC/dp/B001QUQ3PY拷問に耐えた英雄で政治家になった黒人アレックスと、白人弁護士のサラ。サラは若い頃、黒人男性と交際しているということで、逮捕された過去を持つ。アレックスと一緒に逮捕されたジゼラの行方を白人警察官に追求していくうちにアレックスがジゼラを仲間と認めた過去が暴かれる。真実を全て言えば恩赦が受けられるという民族和解委員会のシステムは、許すことが前提になっている。許せずに憎む気持ちはどうしたらいいのだろうか。許さなければいつまでも過去に捕らわれて、前に進めないということなのだろうけど。割り切るのは難しいですよね。黒人と白人の溝を埋めるためには必要なことなのだろうなあ。人種だけに限らないと思うけど。許すということが大切なのでしょう。私もなかなかできないけどね。ジゼラを裏切ったアレックスが、ジゼラの両親に許された場面にホッとしました。いろいろ考えさせられる映画でした。
2009年09月20日
マッキーが借りてきたDVDを観ました。以前も「ショーシャンクの空に」は観たことあったけど、やはりいいですね。興行成績や、賞レースではあまり芳しくなかったようだけど、ビデオ、DVDの販売、レンタルは良くて、好きな映画としてもよく名前が挙げられるらしい。私も好きです。「Life is beautiful」が一番好きだけどね。 刑務所の放送室をジャックして、オペラ「フィガロの結婚」のアリア「手紙」二重唱を流す場面があるけれど、原作にはなく、オペラにはまっていた脚本、監督が作った場面らしい。でも天使の歌声のようで希望を持たせる感じが、この映画のテーマに合ってますよね。字幕4には監督自身の映画の解説も入っていて、この映画に対する思い入れが感じられました。完成直前に亡くなった親友に捧げるとも。マッキーはボロボロ泣いたと言っていた。私は潤んだだけだけど、泣きそうになりました。良かったら見てみて下さいね。
2009年09月20日
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