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TSUTAYAで旧作DVDを2枚レンタル。無料クーポン券があったので。映画「フリーダム・ライターズ」を観ました。http://www.werde.com/movie/new/freedomwriters.html「物語は1994年、ロス暴動直後のロサンゼルス郊外、人種が激しく対立し、ドラッグとナイフと銃がはびこる、ウィルソン公立高校で始まる。低所得者層の多いこの地域では、貧困による憎悪と犯罪の中、15歳にして出口のない日々を送る子供たちは、卒業まで"生きて"いられれば、それで十分と思っていた。荒れ果てた教室では授業もままならず、ほとんどの教師たちは彼らを見捨てていた。しかし、エリンだけが彼らを信じ、彼らに未来の扉を開く鍵を与える。それは……書くこと。 彼女は、お互いを知ろうともせず憎しみ合うだけの生徒たち全員に、自費でノートを買い与え、自分たちの本当の気持ちを書くように諭す。最初はバカにして抵抗する生徒たち。しかし、想いを綴ることは自分と向き合うこと ─ 次第に、荒れた教室に変化が生まれていく。ギャング抗争に明け暮れていた彼らは、お互いを知り、理解するようになり、やがて、知ることを通じて大きな夢を抱くようになっていく……。1冊のノートと、そして、教師の全身全霊の愛が、多くの生徒を救ったのだ。」教育の理想論?とも思って、観るのに少し抵抗があったのだけど、生徒の日記を読んで教師が現実を知り、お互いに教え合って変わっていく姿にリアリティがありました。15才の生徒は、いつ死んでもおかしくないこんな現実の中で生きていれば心が荒むのも仕方ないけど、この教室の中だけは安心できる家庭・家族なんだと思えるようになり、うれしくて成長できたのですね。エリンが他の仕事までして自腹でノートや本を買い与え、ホロコーストの博物館にまで連れて行く。その分、夫や先輩教師には理解されず、孤軍奮闘することになるのだけど・・・こんな実話が存在したこと自体に驚き、人種差別や暴力が少しでも無くなればいいと思いました。ヒラリー・スワンクはこの原作にほれ込み、製作総指揮も取り、主演したそうです。それだけ熱演!ヒラリー・スワンクがアカデミー賞を取った作品の「ボーイズ・ドント・クライ」も観たくなりましたね。http://www.werde.com/movie/new/boysdontcry.html『ボーイズ・ドント・クライ』はアメリカで最も保守的といわれる地域で起こった実話をもとに、ブランドン・ティーナの生と死を通して、アメリカの若者の心を探ろうとする。と同時に、性的アイデンティティのあり方について考え、同性愛に対する嫌悪と不寛容の本質に鋭く迫っていく。混沌と欲望と暴力の立ちこめるこの映画の中から現れてくるのは、愛を求めてさまよえるアメリカ人の姿なのだ。
2016年06月07日
長女マッキーは友達Tちゃんと一緒にクロアチアに一昨日から旅行中。ドーハに早朝着いたそうで、ドーハの夜明けの写真を送ってくれました。空港ですね。私はマッキーが昨日TSUTAYAで借りたKinki KidsのCDを返却・・・「夢を見れば傷つくこともある」。返さないでクロアチア旅行に行ってしまったからね・・・「魔女の宅急便」のDVDも借りてたけど、それは1週間だから私も観ようかな。クロアチアのドブログニクが魔女の宅急便の舞台のモデルらしい。マッキーからドブログニクと聞いた時、どぶろく肉?どぶろくに浸けた肉?かと思ってしまいました・・・有名な観光地だそうですね。アドレア海の真珠と呼ばれてるらしい。今日「魔女の宅急便」を観ました。キキが海に浮かぶ街に住みたいと言ってましたね。時計台がある。石畳の街。テレビでちらっと見たりはしてたけど、ちゃんと通して観たのは初めて!内容は面白かった。先は予想できてしまうけどね。主題歌の荒井由美の「ルージュの伝言」や「やさしさに包まれたなら」が懐かしい。ジブリは「風立ちぬ」でも、荒井由美の「ひこうき雲」が使われてましたね。私も松任谷由実より荒井由美の頃の歌の方がすきだったなあ。中学生の頃というと年がバレるか、、、マッキーからクロアチアの写真が送られてきました。気候も暑すぎず寒すぎず快適らしい。階段に花?猫。
2016年06月06日
ドラマリーディング「空の村号」を観にいきました。あそびあーと☆こども劇場いるまの高学年以上例会です。立看板です。Kさんが頑張って作ってくれました。うちのサークルが例会当番なのです。劇団の方へのプレゼントのノートカバー。私も一緒に作りました。Oさんが描いた「空の村号」の切り絵。当日パンフレットやチケットの原版です。プレゼント。高学年キャンプの募集もしてました。あそびあーと☆こども劇場いるまは、舞台を観るだけでなく、キャンプやお祭りなども楽しんでるのです。当日パンフレット。劇団は、アート企画陽だまりです。(震災を)「忘れることを拒否するために」 劇作家 篠原久美子。CAST。下見に行って良かったので、総会で私が推し、2年越しでようやく取れた例会です。1度観たのに、また涙ぐんでしまいましたね。笑いながら、泣いてしまうというまるで映画「Life is beatiful」のようですね。妹の海が「私は(原発の放射能で)大きくなっても結婚したり、子どもを産んだりできないから、3.11の前で時間が止まって欲しい。子どものままでいいから」と言っていた。切ないですよね・・・この村は大丈夫だという学者や役人。その講演会の次の日に全村避難と言われる矛盾。子ども達もそれぞれ別のところに避難してばらばらになってしまう。現実から逃れようと、悪の大王を倒せば平和な村が戻るという映画を撮るが、また現実に引き戻される。やるせないけど、もしかしたら?という希望が残ってるかもしれない。そう思いたいです。 公演前の影マイクをやり、その時「福島を忘れないという想いを込めて、会場を空色に染めたいので、プレゼントの前に当日パンフレット(空色)をステージに向けて挙げてください」とお願いしました。「はい、あげてください」とお願いし、会場が空色になっていくのは嬉しかったですね。服装も水色や青を着てきてもらったので、全体が空色みたいになりました。降ろすのがプレゼントを渡してからになったので、ずっとあげていてもらったのは申し訳なかったけど。 公演の後、大広間で交流会。一人ずつ感想を言い合いました。みんないろいろ考えさせられたと言っていたので良かった。途中で、劇団の人も来てくれて、また一人ずつ話してくれましたね。集合写真も撮りました。息子カズと彼女も観たのですが、その彼女のお母さんが長崎諫早こども劇場の方だそうです。彼女自身も入っていたらしい。諫早に入間で事務局長をしていた人が居ると言っていたというので、Nさんだ!と思いました。本当に世の中狭いですね。こんな偶然あるんだなと。縁があるのかも・・・彼女が「面白かったし、感動した。行けて良かった」と言ってくれたらしい。カズも「面白かった」と言ってたので、良かった。二人とも、子どもの頃、親に無理やり劇に連れて行かれたと言ってたらしいからね。次女ミンミは、内容は良かったけど、ドラマリーディングで視線を台本から離さないのが残念と言っていた。劇が好きなのは、俳優が間近に感じられることなのに、そう感じられなかったからと。朗読と劇の中間で、俳優は演出家から「台本から目を離さないように」と言われてたらしいけどね。カズのサッカー仲間のお母さんのOさんとSさんも観に来てくれました。Oさんは元会員です。良かったと言ってくれたので、誘った甲斐がありましたね。 Kさんが生けてくれた花と、劇団の人にもらった色紙。6/19の「福島を聞く」。タイムリーですね。泰三おじちゃんのモデルの長谷川健一さんのお話です。これにも行ってみようかな。以前「遺言」という映画の後、「までいな村、飯館」という本も買いましたが。「空の村号」のポスターを敷地内の電柱に貼ってたのを取りました。
2016年05月29日
Kさんと座・高円寺の2階のカフェ・アンリファーブルで夕食。いろいろおしゃべりした後、座・高円寺で劇「風が吹いた、帰ろう」を観ました。劇団桃唄309の劇で、ハンセン病の療養所の島が舞台です。「とある病気のいまとむかし そしてふへんのあいについて港から、船で二十分のところに、美しい小島がある。無知や誤解の元に「業病」「天刑病」などと呼ばれていた病。ハンセン病。その療養所の島。かつては、わたしやあなたと変わらない人たちでひしめきあっていた。今は、ただ静かな島。まばゆい白砂。青々とした松。手を伸ばせば届きそうな空。想像してみよう。家族と引き離され、社会からほぼ隔絶され、わたしやあなたは、何を感じながらここにいたのだろうか。世の中は、つまりわたしたちは、なにを間違えたのだろうか。繰り返す波が、浜に砂を運び寄せ、時に砂を削る。織りなす思い、その海に漕ぎ出そう。たとえ小舟しかなくても。」劇の前に佐藤達の紙芝居もあり、ほのぼの系で面白かった。劇の後のポストパフォーマンストークでも、戯曲・演出の長谷基弘が「ハンセン病を患者側から描くと寄り添い過ぎて偽善になってしまうから、外周から描こうと思った」と言ってた通り、普通の人々から見たハンセン病のこと。現在は軽いノリだけど、過去に遡った時だけ重くなる・・・劇やジェストダンスで演じようとハンセン病を取材していくうちに、ハンセン病の差別の重さが分かってくる。現在でさえ、祖母がハンセン病というだけで、婚約破棄になるほどだから。当時は離縁され、父親は自殺し、断種させられ、遺骨さえ遺族に受け取ってももらえない・・・それでも今は島を出て、結婚して幸せになれた人も居る。少ないけど・・・シェイクスピアの「テンペスト」は知らなかったけど、内容を聞くとこの大島の療養所の患者と重なりますね。離島に閉じ込められ、帰ることは許されないけど、島の中で結婚し、親代わりになって面倒みる子どもも居る。ささやかな幸せを追い求め、透明になっていく。結婚しても、夫婦寮が無かった時は、通い婚なんて人間扱いされてないけどね。完治しても家族が受け入れ拒否して帰れなかったりもする・・・「帰ろう」という歌が切なくも美しかった。声も曲もよく、楽譜が欲しかったけどないそうです・・・うつ?ひきこもりの少女が、人ごみが怖いと言ってたけど、人は海と言いながら、溶け込み始め、人と関わることで成長していくのも良かったですね。言葉の連想から詩を作るワークショップも面白かった。この劇を誘ってくれたKさんありがとうございます。お嬢さんのYちゃんがバレエの練習で行けなくなって、代わりに誘ってくれたのですよね。ロビーに貼ってあった大島の写真。夕焼けが美しい。空が近いのかな?・・・「療養所の様子」の写真。「未感染児童」と呼ばれた入園者の子どもたち。清瀬にハンセン病の療養所・多磨全生園があるのは知っていたけど、その中に国立ハンセン病資料館があるのは知らなかった。機会があれば行ってみようかな。遺伝病では無く、伝染病としても感染力が弱いのに、業病として救われず、差別され忌み嫌われてきた。「もののけ姫」に出てくるのもハンセン病患者らしい。いろいろ考えさせられる劇でしたね。Kさんにチケット代を出してもらい、駅から家まで車で送ってもらいました。本当にありがとうございます!
2016年05月27日
朝、映画「太陽」の新聞記事で興味を持ちました。橋のロケ地が秩父の大滝ダムの天端で、今日から埼玉県内公開。上映はイオンシネマ浦和美園とユナイテッドシネマ入間のみ。そういえば、ユナイテッドシネマ入間で予告編を見て、面白そうだと思ってたのです。ユナイテッドシネマ入間で上映時間を調べたら、9:05だったので、早速一人で向かいました。主人は昨日潮干狩りの引率で疲れてるから行かないと言う。いつもは主人が選んだ映画に私も同行するので、たまには私も自分で選んだ映画を観たいのですよね。ユナイテッドシネマ入間で、CLUB SPICE会員になりました。近いんだから、またこうして一人でも観に来ようかな。エッグタルトとカフェオレを頼んで、観ながら食べました。「太陽」。http://eiga.com/movie/81836/解説:読売演劇大賞ほか多くの演劇賞を受賞している劇作家・演出家の前川知大率いる劇団「イキウメ」の同名舞台を、「SR サイタマノラッパー」シリーズなどを手がけた入江悠監督のメガホン、神木隆之介と門脇麦の主演により映画化。21世紀初頭、ウイルスによる人口激減から、なんとか生き残った人類は、心身ともに進化しながらも太陽の光に弱くなり夜しか生きられなくなった新人類「ノクス」と、ノクスに管理されながら貧しく生きる旧人類「キュリオ」という2つの階層に分かれて生活していた。ある日、村でノクスの駐在員をキュリオの男が惨殺する事件が起こった。この事件により、ノクスから経済制裁を受け、キュリオはますます貧しくなっていった。キュリオの貧しい村に生まれ、ノクス社会への憧れを隠さずに鬱屈した毎日を送る鉄彦役を神木隆之助が、鉄彦の幼なじみで、ノクスそのものへの反感を糧に村の復興を前向きに考える結役を門脇麦が、それぞれ演じている。パンフレットも買って、読みました。ノクスとキュリオが、固定された格差社会を風刺してる感じです。暗くやりきれない、救いが無いと思いつつ、最後はなぜかハッピーエンド?ちょっとうまく行き過ぎのような気もするけど、希望が無いのも困るからね。神木隆之介が熱演してるのだけど、少しバカっぽさが鼻についてしまう。割と好きな俳優なんだけどな。門脇麦はさすがに上手いなと思う。表情というか瞳が物語る感じ。ノクスの古川雄輝もいいなあ。「イタズラなKiss~Love in TOKYO」で初めて見て素敵だと思ってたのですよね。それにしても、キュリオ(骨董品)の前時代的な不便な生活を、長女マッキーと彼は進んで南伊豆でやろうとしているなあとも思ってしまいました。また、話題の?4DXをハシゴ観なら1000円だそうです。
2016年05月22日
映画「スポットライト」は、いつものように主人が選んだのですが、割と良かったですね。主人はチケット買う時「スクープ」と言って、スタッフがえっ?と言う顔をしたので、私が「スポットライト」と言い直しましたが、副題が「世紀のスクープ」だったのですよね。終わってからパンフレットも買いました。http://eiga.com/movie/83636/(解説)新聞記者たちがカトリック教会のスキャンダルを暴いた実話を、「扉をたたく人」のトム・マッカーシー監督が映画化し、第88回アカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞した実録ドラマ。2002年、アメリカの新聞「ボストン・グローブ」が、「SPOTLIGHT」と名の付いた新聞一面に、神父による性的虐待と、カトリック教会がその事実を看過していたというスキャンダルを白日の下に晒す記事を掲載した。社会で大きな権力を握る人物たちを失脚へと追い込むことになる、記者生命をかけた戦いに挑む人々の姿を、緊迫感たっぷりに描き出した。第87回アカデミー賞受賞作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で復活を遂げたマイケル・キートンほか、マーク・ラファロ、レイチェル・マクアダムスら豪華キャストが共演。 ドキュメンタリーのように淡々としてるのかと思ったけど、内容が深く、ぐいぐいと引き込まれました。肉体だけでなく魂まで神父に虐待され、信仰と希望を持てなくなってしまった被害者の少年たち・・・成長してもその傷は癒えず、自殺してしまった人も居る。生き残った生存者の声も無視されてきた。性的虐待をした神父たちを組織的に隠ぺいしてきた教会。妻帯が許されないカトリックの神父の6%が小児性愛者だと言う・・・それを暴き、教会と対抗し、守ろうとする弁護士からも情報を得ようとする記者たち。以前、情報を送られたときに、見過ごしてしまった罪悪感もあるのだろう。それは別の記者かと思ってたのだけど、違ってたのですね。ボストン・グローブ社の定期購読者の半数がカトリック信者で、冒険でもある。アメリカでの教会の権威のすごさは、無神論者の多い日本では想像がつかないけれど。私は一応?プロテスタントのクリスチャンだから、教会や聖職者を貶められるのには抵抗あるけど、これは事実だから仕方ないか。この報道の後、被害者の訴えが全米だけでなく、全世界に広がり、レイプ4000件で、神父3400人が処罰された。ローマ教皇自身も隠ぺいにかかわってたことが分かって、辞任した。賠償で教区が破産するだけでなく、信者の信頼を失い、300万人以上が去った。2000年続いたカトリック教会において、宗教改革などと並ぶ歴史的危機。「こんな事態になる発展するなんて、私たちの誰ひとりも予想していませんでした」と、グローブ社の記者は言っている。本当に地方紙のスクープから全世界が動いたのですよね。文字通り「ペンは剣よりも強し」。でも、今日本ではメディアが政治や権力の言うなりになっている・・・力を持つ組織に対抗するには、つぶされる覚悟を持ってしなければいけないだろうけど頑張ってほしい。
2016年05月04日
劇「ビロクシー・ブルース」(東京芸術座)を、下石神井の東京芸術座アトリエへ観に行きました。行きは、石神井公園駅からバスで。帰りは上井草駅まで歩きました。あそびあーと☆こども劇場いるまに来た招待状で観ました。以前、同じ作家ニール・サイモンの自伝的”B・B三部作”の「思い出のブライトンビーチ」を、あそびあーと☆こども劇場いるまの前身・入間おやこ劇場の例会として観てから、招待状が届くのです。私は割と東京芸術座の劇は鑑賞活動部員として下見してますね。あらすじ:第二次大戦末期。ブルックリンから、コネチカットから、テネシーの田舎町から招集され南の果て、ミシシッピー州ビロクシーの低湿地帯に集められた若者たちは、縮み上がらされ、心をズタズタにされ、一緒に苦しむことで仲間意識を持たされDICK(ディック)-Dedicated Infantry Combat Killer(脇目もふらぬ戦闘殺人者)-になる為の訓練を受ける。それに、反抗するもの、迎合するもの、押し潰されるもの、傍観するもの……たちが織りなす、青春群像。 時代背景の兵役制度の変遷なども、パンフレットに書いてありました。幕にも、星条旗に弾痕が、、、途中の休憩で、アトリエ内の九条の会の売店に行きました。コーヒーを出してもらったので、書いてあった50円をカンパ。戦争法案反対の署名もしました。熊本地震募金もありましたね。劇はとても良かったです。重いテーマだと思ったけど、ニール・サイモンはコメディの名手だそうで、台詞は軽妙。でも軽いだけではなく、通奏低音のように押さえるべきところはしっかり押さえている。サイモンの分身である作家志望のユジーンが書く回想録。そのノートを仲間に盗まれ、読まれてしまった時に、「紙に書いたことはみんな信じる。だからこそ責任を持って書かないといけない」と心に刻む。毎日日記を書いてる私も、そう思わないとね。よく眠ってしまう私がウトウトするどころか引き込まれ、明るくなってもう休憩?と思うほどあっと言う間でした。もちろん、休憩後もですが。トゥーミー教官は反抗するエブスタインを快く思わないが、それでも無視しきれないのは、自分でも規律を強制する軍隊に疑問を持ってるからではないか?だからこそ、最後にエブスタインが最期の望みと言っていた教官に腕立て伏せをさせるということを叶えさせてしまった。教官も反抗的な新兵を、模範兵に育て上げるという最期の望みを果たしたが。古傷の後遺症で病院に送られる教官には、本当に最期の望みになったのかも。劇中でも、パンフレットでも、劇団員はそれぞれ最期の一週間の望みを言っていたが、私だったら、何にしようかな?家族と過ごしたいと言っていたヘネシーに共感したなあ。一緒に旅でもしたいですね。なんて今でもしてるか。ユージンは、童貞も捨て、初恋も叶えた。初恋は実らなかったけど、デージーは子どもの写真を送ってくれるらしい。生き残って、作家にもなれたのだから、望みは全部叶ったのですね。羨ましいです。私も日記は書いてるけど、小説は書けないなあ。拙い小説・童話も途中で書けずに筆が止まってしまっています、、、観劇の帰りがけに見かけた、闇に浮かび上がるような白い花!一重のバラかな?ピンクのカクテルが白くなったような感じですね。今日観た劇のように、苦しい中にも希望はあるのですよね。
2016年04月25日
映画「ルーム」をユナイテッドシネマ入間に観に行こうと思ったら、上映時間が遅かったので、昭島MOVIXに観にいくことにしました。映画館の壁面に植物!どうやって植えてるのかと思ったら、壁面に鉢が並んでるのですね。「ルーム」のチケットを買った時に、チケット売り場に置いてあった「高台家の人々」の原作試し読みBOOKをもらって読みました。綾瀬はるか・斎藤工主演だけど、写真では良くわからなった・・・面白そうだけど、妄想は映画よりマンガの方がいいかも。今日観た映画「ルーム」ではないけど、実写だとマンガ(絵)よりもリアルで本物になってしまうから・・・映画まで時間があったので、向かいのイトーヨーカドーで、サンダルを買ってしまった。履きやすさ優先というのは、もうおばさんですよね・・・映画「ROOM」は良かったです。解説:アイルランド出身の作家エマ・ドナヒューのベストセラー小説「部屋」を映画化。監禁された女性と、そこで生まれ育った息子が、長らく断絶されていた外界へと脱出し、社会へ適応していく過程で生じる葛藤や苦悩を描いたドラマ。第88回アカデミー賞で作品賞ほか4部門にノミネートされ、息子とともに生きようとする母を熱演した「ショート・ターム」のブリー・ラーソンが、主演女優賞を初ノミネートで受賞した。監督は「FRANK フランク」のレニー・アブラハムソン。7年前から施錠された部屋に監禁されているジョイと、彼女がそこで出産し、外の世界を知らずに育った5歳の息子ジャック。部屋しか知らない息子に外の世界を教えるため、自らの奪われた人生を取り戻すため、ジョイは全てをかけて脱出するが……。 17歳で誘拐され、19歳で出産。それなのに、こんなに素敵に子育てできるなんて凄い!と思ってしまいました。時々、抜け殻になってはしまうけど、決して虐待などはせずに。小さい部屋の中で2人きり。監禁という特殊な状況だけど、日本の母子カプセルと共通するものがありますね。狭い世界で可哀相だけど、それなりの幸せはあったのかもしれない。少なくともジャックにとっては、脱出してからも戻りたいと思うほど、ママを一人占めできる場所だったのですよね。また、ジャックが実は女の子で、それを隠すためにジョイは犯人にジャックを見たり触れたりさせないのかと思ってました。成長して自分のように性的虐待を受けないようにと。でも、自分一人の子と思うためにもかかわらせなかったのですね。父親は子どもを可愛がるものだからと。脱出してハッピーエンドではなく、その後が厳しい。TVレポーターが「どうして赤ん坊だけでも助けようと外に出さなかったのか?」と問い詰め、ジョイを追い込んでいく。自殺を図って助かるが、立ち直れないジョイにジャックがパワーのある髪を届けたいとバァバに髪を切ってもらう場面がいいですね。そしてその髪を見て、立ち直らなければと思うジョイ。ジャックに2度助けられるのです。あまり書くとネタバレになるから、これ以上は書きませんが、犯罪のドキュメンタリーというより、母子の再生の物語という感じです。予告や観る前は、少し怖いと思っていたけど、希望や暖かいものが心に残る映画でした。 主人が切りぬいていた新聞記事。この「ルーム」で見事アカデミー主演女優賞を受賞したブリー・ラーソンは、「ショート・ターム」という映画にも出演してます。この映画もルームと近いものがあるし、興味がわきますね。解説:10代の少年少女を対象とした短期保護施設を舞台に、誰にも言えない心の傷を抱えた女性と子どもたちが、大切な誰かとともに生きる喜びや希望を見出していく姿を描いたヒューマンドラマ。ティーンエイジャーを預かる短期保護施設(ショート・ターム)で働いているグレイスは、同僚でボーイフレンドのメイソンとの間に子どもができたことがきっかけで、幸せな将来が訪れると希望を抱く。しかし彼女には、メイソンにも打ち明けられない深い心の傷を抱えていた。2013年のサウス・バイ・サウスウェスト映画祭でプレミア上映されて審査員特別賞を受賞し、そのほか多数の映画賞で話題となった一作。
2016年04月18日
長女マッキーと息子カズと一緒に映画「マネー・ショート」を観にいきました。http://movies.yahoo.co.jp/movie/354963/story/解説:リーマンショック以前に経済破綻の可能性に気付いた金融マンたちの実話を、クリスチャン・ベイルやブラッド・ピットといった豪華キャストで描く社会派ドラマ。サブプライムローンのリスクを察知した個性的な金融トレーダーらが、ウォール街を出し抜こうと図るさまを映し出す。クリスチャンとブラッドに加え、スティーヴ・カレル、ライアン・ゴズリングも出演。『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』などのアダム・マッケイがメガホンを取る。痛快なストーリーと、ハリウッドを代表する4人の男優の競演が見どころ。 行きの車の中で、経済用語を予習したけど、それでもあまり良くわからなかった・・・ 途中、少しウトウト・・・。まあ、行き帰り私が運転だから、居眠り運転するよりはいいよね。マッキーやカズが言うには、肝心の分かりやすい喩えで、何重にも賭けする時に寝てしまっていたらしい。華麗なる大逆転と言うには、苦渋に満ちてましたね・・・リーマンショックの中で、一人勝ちするなんて、さすがに良心が許せなかったのか・・・それにしても2年前から予言のように言い出し、保険をかけるとは凄いです。物の売買ではなく、机上の空論のような売買は、ビットコインもそうだけど、もろいものなのですね。マッキーはそれを再確認したと言っていた。マッキーの彼は貨幣経済に疑問を持ってるらしいけど、こういうのを見たら、ますますかもしれない。オーガニックの農園ならぬ南伊豆市に移住だしね。息子カズは経営学部で、勉強にはなったかな。これを見たいと言いだしたのもカズだけど、見た後も金持ちになりたいと言うのは不思議。
2016年04月03日
仕事から帰って、義母と主人の夕食の支度。代々木オリンピックセンターへ、「ダメじゃん小出ソロライブ」を観にいくので、夕食を作っておくのです。夜外出するたびに、主人に「不良主婦」と言われながらも、夕食の支度だけはしてるのですよね・・・外食して欲しいけど、お風呂上りに外に義母と出たくないと主人が言うのです・・・まあ、今日は私も少しずつ食べてから行くけど・・・代々木オリンピックセンターに早めに着いてしまった・・・花がきれい!売店を見たら、外国人向けの日本のお土産がいろいろ売ってましたね。「ダメじゃん小出ソロライブ」を観ました。最初から拍手を強要するのには少し引いたけど、山手線の駅をサッカー選手に見立てて解説するアイデアは面白い。安倍晋三首相が車掌だったら?と、運転しながらアナウンス。写真のお面をかぶりながら、口元を開け、声色が良く似ていました。麻生太郎元首相の物まねも似てましたね。「右寄りのワンマン運転」で、破滅へと進んでいくのが笑いながらも怖かった・・・老人向けの番組「おじいさんと一緒」では、震える手で余興なども。大田区の区議会選挙に出馬した話や、物忘れ外来を受診した話の体験話が面白かったです。ネタの為に体験したのかと思うほど。久しぶりに笑いましたね。ただ中学生以上が対象だけど、理解できるかな?
2016年02月25日
映画「スターウォーズ・フォースの覚醒」を観る前に、昨夜録画した映画「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999年公開)」を見ておきました。奴隷だったアナキン・スカイウォーカーの幼少期が描かれてます。今回の「スターウォーズ・フォースの覚醒」は、その子ルーク・スカイウォーカーの居場所を記す地図を巡っての攻防。「スターウォーズ」の全体像がよくつかめていなかったので、下のサイトを読みました。https://puul.jp/244「スターウォーズ・フォースの覚醒」http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%8F%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%A6%9A%E9%86%92/351301/story/背景をよくわかってなかった私でも楽しめましたね。ハンソロ演じるハリソンフォードのユーモアがいい感じ。ヒロイン・レイが活躍するというのもうれしい。SFのアクションものだと思ってたけど、親子の葛藤など心理描写もある。もう少し深く踏み込んでほしい気もしたけどね。以前のスターウォーズのあらすじを読んだら、やはり父アナキン・息子ルークの軋轢はあったらしい。同じような感じなのかな?以前は善悪が逆だったようだが。人の心の中には善悪の両面あって、どちらに傾くかはその時に応じて違うのだろう。その迷いが今回のハン・ソロの息子カイロ・レンの行動にも表れていたように感じる。それなのに・・・あまり書くとネタバレになるからやめますね。既にもうなってるか・・・まあ楽しめたし、少し考えさせられたからいいかな。
2016年02月01日
今夜は、東京芸術座の劇「勲章の川」を六本木まで観に行きました。あそびあーと☆こども劇場いるまに招待券が来たので、鑑賞活動部員として下見に行くのです。義母が夕食をうちに食べに来るので、ちゃんこ鍋の用意をしておきました。夕食の用意してから出かけると、もう夕焼けでしたね。東京芸術座の劇「勲章の川(花岡事件)」。ロビーで署名もしました。すべての戦争は「平和を守る」という名目で始まる!戦争法廃止の署名。六本木俳優座劇場。暖房が効きすぎて暑くなり、チュニックを脱いでも暑くて、休憩で隣のパブでコーラを飲みました。チラシの裏面。 花岡事件と、あらすじ。 15年振りの再演は、戦争法廃止の為? 本当に戦争が過去のことだとは言えなくなってきている、、、 花岡事件とは、日本の花岡に強制連行され、鹿島組に強制労働・虐待された中国人が抵抗蜂起し、 鎮圧虐殺されたという事件。私もこの劇で初めて知りました。 その事件を30年後、地元の高校で社会科の授業で取り上げ、波紋を呼ぶ。 平和学習というには、身近過ぎて重すぎるかも。 教務主任が応援している振りをして、それを口実に追い出そうとしてるとは、、、 定年が近い校長は、保身の為に授業を止めさせようとする、、、 学校も管理社会で逆らう教師は飛ばされるからなぁ。 劇のテーマは重いけど、最初高校生たちが軽すぎてちょっと不満だった。 戦争を面白がったり、大人をやり込める材料としかとらえてないことも。 まあそれが戦争を知らない若者にとっては自然なのかもしれないが。 でも、真実を知るうちに他人事とは思えなくなり、ついには父の罪が暴き出される。 祖母がジャガイモをあげて助けた中国人を父が竹槍で刺し殺したというのだ。 自分が育てたジャガイモの面は見分けがつくと祖母は言うが、本当だろうか? それほど丹精込めて育てたジャガイモだし、 祖母も父も、その中国人も同じ百姓だということを言いたかったのだろう。 祖母は息子を責めてるように見えたが、 耐えきれずに逃げ出す息子を孫たちに一人にしてあげてとかばう。 長年心を閉ざしていた息子を闇から救い出したかったのだろう。 祖母の演技は存在感がありましたね。 また、帰りの電車で、同じ劇を観た人達の話が聞こえた。 「社会科教師の父の校長の罪が、小学生の生徒に中国人へ石を投げさせたことというのは、 人殺しの罪に比べたら、取るに足らないものだ」と言ってたけど、そうは思わない。 大人の父が苦しんでいたように、小学生だって幼心に強制的にやらされた罪は心に残ってしまっただろう。 今日録画で観たドラマ「ヒガンバナ」で、 「幼いころの心の傷は残る」などと言ってたのが印象的だったのだ。 だからこそ、息子はまた教師になり、子ども達に伝えたかったのかもしれない。 最初の勲章をもらった鹿島組の社長のセリフで、 会社のバックボーンが「人道主義」というのが出てこなくてループしていたが、 あまりにも正反対な言葉だから、セリフを思い出せなかったのでは? 戦後に勲章をもらったというが、なぜ花岡事件などを起こしながらも、 人道主義なんて図々しくも言えるのか? と思ってしまう。 まあ、鹿島組に限らず、135カ所で建設会社、鉱山会社などが 国策として4万人の中国人を強制労働させていたのだからね。 息子の罪滅ぼしにと中国人に蒸したジャガイモを投げ入れた祖母や女達。 その女達に乱暴しようとした日本人から、中国人が女達をかばったという。 それこそ、 戦争より対話ですよね。分かり合えないと決めつけるのが哀しい。 今の子ども達にも過去の戦争から、二度と戦争をしないすべを学んで欲しい。 戦争は普通のひとを狂気の鬼へと変えさせてしまうものだから。 ゲームのように戦争を面白がったり、ネトウヨのように争いを煽ったりしないように。 そのためにも若い人達にこういう劇を見て欲しいなあ。 平日の夜のせいもあるだろうけど、やはり私を含め中高年が多いように感じた。 先ほど書いた帰りの電車で話していたのは、割と若い男性2人だったが、 関係者からの招待のようで、あまり気が進まなかったようだ。 テーマが重くてちょっとついていけないという感じだったけど、 そういう興味のない人達にこそ観て知ってもらいたいですよね。 私が嫌がるのに、カモフラ柄はファッションだと言って身につけたがる息子カズにも、、、
2016年01月28日
今日は朝早くから、映画「リトルプリンス・星の王子さまと私」を主人と観に行きます。昨夜、主人がテレビ番組「SONGS」の松任谷由実の録画を見て、映画「リトルプリンス」を観たいと言い出したのです。松任谷由実が日本語吹き替え版の主題歌を歌うかららしい。ネットで調べたら、入間では今日・明日の朝8:30からしかやってない。それでも終わってなくて良かった。勤務校の子どもや友達も観て良かったと言っていたので、私も興味があったのですよね。本も好きだし、星の王子さまミュージアムや、http://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201303130001/劇も観に行ったりしました。Twitterの星の王子さまbotもフォローしてます。「解説:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる不朽の名作小説「星の王子さま」を長編アニメーション映画化。現代を生きる少女を新たに主人公として設定し、原作の飛行士が老人となって登場。原作の物語を語りながら、原作のその後も描く作品になっている。新しく引っ越した家の隣に住む老人が気になる9歳の女の子。若い頃は飛行機乗りだったという老人は、昼間は飛行機を修理し、夜は望遠鏡で空を眺めて暮らしていた。2人は仲良くなり、女の子は老人から、砂漠で出会った星の王子さまの話を聞かせてもらう。しかし、やがて老人は病に倒れてしまい、女の子は老人が会いたがっている星の王子さまを探すため、オンボロ飛行機に乗って空に旅立つ。監督を「カンフー・パンダ」のマーク・オズボーンが務めた。女の子役の声優は、英語版では「インターステラー」のマッケンジー・フォイ、日本語版では子役の鈴木梨央。飛行士の声はジェフ・ブリッジス(英語版)、津川雅彦(日本語版)。」・津川雅彦飛行士(日本語吹き替え) 鈴木梨央女の子(日本語吹き替え) 瀬戸朝香お母さん(日本語吹き替え) 池田優斗星の王子(日本語吹き替え) 伊勢谷友介キツネ(日本語吹き替え) 竹野内豊ヘビ(日本語吹き替え) 滝川クリステルバラ(日本語吹き替え) 思ったより良かったですね。イメージが崩れるんじゃないかと心配したけど、「星の王子さま」の部分はストップモーションアニメで、木(と思ったら粘土でした)と紙の質感が素朴ですごくいい雰囲気。原作を忠実に再現してる感じ。声優もイメージに合ってて、違和感が無かったです。ヘビの低い声は誰だ?と思って聞いてたら、竹ノ内豊だとわかりました。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。星がきれいなのは、見えないところに花(バラ?)が咲いているから」というのを聞き、女の子が言う。「心で観た時だけ、本当のことがわかる。・・・(その人は)いつもそばにいるって、そういう意味なのね?」「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね、そのバラのためにひまつぶしした(時間をかけた)からだよ。」「俺にとって君は世界にたったひとり。君にとって俺は世界にたった一匹」時間をかけて愛情や友情を育てていく大切さがメッセージに籠められてますね。本を読んで感動したことを思い出しました。 「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。」本当に子どもの頃の考え、感じ方は忘れてきてしまった・・・それを思い出したくてもなかなか出来ない。松任谷由美も主題歌を作るのに、「半年間、最初に読んだ13歳の心を取り戻すための旅をしていような気がします」と書いてました。 CGアニメでの、都会で働き疲れ果ててるビジネスマンの描写が印象に残ってしまった・・・あんなのを見たら、子ども達が大人になるのが嫌になるのではと心配になるほど。子どもは勉強だけでなく、やはり子どもらしく遊ばないと、素晴らしい大人にはなれないのでは?。大事な大人にはなれないかもしれないけど・・・なんて大人自身も遊ばないとね。CGアニメの手の指の動きが繊細で見とれてしまいました。また、映画の半券で抽選に応募出来るというので、松任谷由実のライブに応募と思ったら、もう終わっていたのから、クリスマスコレクションにしてみました。松任谷由美が荒井由美だったころ、デビューのLP「飛行機雲」を買って聴いたなあ。映画館に投函ポストがあるとポスターに書いてあったので、パンフレットを買った時に、セロテープやボールペンを借りて記入したのに、記入してから訊いたら、当館には無く郵送して下さいとのこと!52円切手貼るほどではないかもしれないけど。夫婦50割というのもばれてしまいますね・・・
2015年12月24日
内幸町ホールでの一人芝居「決断・命のビザ(杉原千畝物語)」を観にいきました。1000回を目標にしてるらしいが、今日で222回目の公演だそう。あそびあーと☆こども劇場の鑑賞活動部のMさんと同じ電車に乗り、新橋まで行きました。また、先日PASMOを忘れて買って2枚になったので、自動販売機でレモネードを買い使い切りました。そうしないとカードを換金できないからね・・・Mさんと話しながら乗ってたら、割とあっと言う間に時間が過ぎてしまいました。新橋のSL広場。イルミネーションがきれいです。Google Map片手にようやく内幸町ホールに着きました。ロビーでは、無料の緑茶やお菓子がうれしい! 夕食を食べてないので助かりましたね。みかん、ばかうま・コーンポタージュ、カントリーマアム、海苔せんべい。いつも寝る私が寝るいとまもないほど、引き込まれましたね。最初オーバーアクションと思ったけど、だんだん気にならなくてなってきた。セリフをかんだりしたが、かえって人間臭く感じる。ビザ発給を決断するまでの時間が長く感じたが、それだけ迷ったのだろう。「決断」という題名の通り、国の意向に反してのビザ発給を決心するのには勇気が要ったことだろう。自分や家族の命さえ危ぶまれるのだから。それでも決断したのは人道主義、無条件の愛だったと後で言っていた。クリスチャンだったとも。たとえクリスチャンでもそういうことが出来るとは限らない。私もクリスチャンだが無理かな・・・最後のDVDがなかなか機械に読み込まれず、諦めかけたが、祈りのお蔭で回復?本当に奇跡は起こるのだろうか? とりあえずDVDも観られて良かった。杉原夫人がイスラエルに招待され、救ったユダヤ人6000人の子孫が2万人以上になったという映像でした。終わってからロビーで、杉原千畝ガイドブックを購入。杉原千畝を演じた水澤心吾さんがサインしてくれましたが、その姿がビザを発給してる姿に重なりました。私の前に並んでた知人らしき人には握手してたのに、私には握手してくれなかったのは残念だったけど・・・水澤心吾さんは、昔のドラマ「ふぞろいのりんごたち」で、中井貴一の兄役を演じてたそう。「ビザの記憶」 ユダヤ人難民に日本の通過ビザを発給することによって、ユダヤ人を救ったのですよね。今、ヨーロッパに流入してるシリア難民と重なる感じがする・・・「ユダヤ人とビザ」「ビザ発給後のユダヤ人」 ロシア経由で日本に渡り、そこからアメリカなどに渡ったらしい。「その後の杉原千畝」 東京新聞の記事。「命のビザは私たちの誇り」 「日本のシンドラー」と呼ばれるなど、同じ日本人として誇らしいですよね。杉原千畝の映画も観てみたいな。以前、銅鑼の劇も観たけどね。
2015年12月16日
和食・よへいでランチした後、次女・義母・主人・私で映画「母と暮らせば」を観にいってきました。 珍しく義母が映画を観たいと言いだしたのです。邦画で筋が複雑でないからいいらしい。「母を暮せば」は「父を暮せば」をリスペクトして作ったそうですが、どうなのかな?ミンミは「父と暮らせば」が好きで、井上ひさしの脚本を読み、映画、こまつ座の劇も観ているので、微妙だけど、興味はあったよう。解説:小説家・劇作家の井上ひさしが、広島を舞台にした自身の戯曲「父と暮せば」と対になる作品として実現を願いながらもかなわなかった物語を、日本映画界を代表する名匠・山田洋次監督が映画化。主人公の福原伸子役を「おとうと」「母べえ」でも山田監督とタッグを組んだ吉永小百合が演じ、その息子・浩二役で二宮和也が山田組に初参加。「小さいおうち」でベルリン国際映画祭銀獅子賞(女優賞)を受賞した黒木華が、浩二の恋人・町子に扮する。1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二が現れる。2人は浩二の恋人・町子の幸せを気にかけながら、たくさんの話をする。その幸せな時間は永遠に続くと思われたが……。それなりに感動して、涙も出たのですが、やはり「父と暮らせば」と比べると、少し物足りない・・・黒木華演じる町子がいい子過ぎたり、二宮が芝居がかってる感じ。吉永小百合はさすがだけど、お母さんには無理があるような気がする。最後はネタバレするから言えないけど、やはり唐突ですね。でも、私も息子がいるから、母と息子の感情に共感する部分もあるので、他人事とは思えない。ミンミは微妙と言って、私がパンフレットを買おうとすると、そんなに良かった?と止める感じ。時間が無いから買うのを止めましが、まあそれでも良かったかと思う程度かも。悪くはないけど、それほど良くもないかな。少し期待していただけに、ちょっと残念。「戦争で死ぬのは運命じゃない。地震や津波と違って、戦争は人が変えられるものなのだから」というような母のセリフがあったのですが、それには本当にそうだなと痛感しました。今も、戦後から、戦前になるかもしれないというきな臭い世の中になってきているだけに、昔のことなどとは言ってられませんよね。人が運命を変えられるとしたら、ここから変えないと。唯一の被爆国の日本が、また原発でも被ばくしたのに、それでも懲りない日本人・・・テロとの戦いと言いながら、人種差別や宗教差別を繰り返し、憎しみの連鎖が続いてる。また原爆・水爆が落とされたら、長崎・広島の比ではなくなりますよね。そういうことを考えさせるためにも、こういう映画はやはり必要なのかもしれません。 2月にあそびあーと☆こども劇場いるまで、「父と暮らせば」の人形劇があります。興味のある方は、ぜひ会員になって観てみてくださいね。よろしくお願いします。また、映画の中に出てきた教会に見覚えがあると思ったら、やはり以前長崎で行った黒崎教会でした。http://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201305280001/
2015年12月13日
あそびあーと☆こども劇場いるまの高学年以上例会のオペラ「銀のロバ」を観にいく前に、慌てて夕食を作り、少しずつ食べてから行きました。義母が食べに来るのに主人が車で送り迎えするので、Mさんに乗せてもらって行くのです。夜に外出すると不良主婦と主人は言うけど、車と夕食を置いていけばいいですよね・・・明日、主人と夜飲みに行くのですが、主人と出かけるときは公式行事だからいいんですって・・・オペラシアターこんにゃく座のオペラ「銀のロバ」のちらし。http://www.konnyakuza.com/photopage/2013ginnoroba.html当日パンフ。立看板は撮るのを忘れてしまった・・・http://konnyakuza.tabigeinin.com/repartory/roba.htmlサイトから引用。「ものがたり森の中でふたりの姉妹マルセルとココは、戦場を逃げだしてきたひとりの兵士(チューイ)と出会う。 兵士はちいさな銀のロバを持っていた。そのロバは病気の弟が兄へ渡した幸運のお守りだった。 兵士が語るロバをめぐる物語。 海を越えた故郷の国へ兵士を帰してあげようと、兄パスカールを巻き込んでの姉妹の冒険がはじまった。 兵士は無事故郷へ帰り着くことができるのか。作曲家より森の中での脱走兵との突然の出会いにより、マルセルとココの心のなかの景色は今までとはまったく違ったものとなっていきます。兵士の語る物語に引き込まれ、また兵士のおかれている現実に心を痛めるふたり。家から食べ物や飲み物、着る物や枕などを持ち出し、兵士が生き延びられるよう手助けをする姉妹は優しさとともにすぐれた現実感覚をもっていて、たくましくて魅力的です。相談を持ちかけられた兄のパスカールは、戦争のことも知りたくて仕方がない、ちょうど子どもとおとなの間の年令です。パスカールを通してそういう年頃の子どもの気持ちがよく伝わってきます。物語の舞台はフランスですが、世界中の子どもにとって、自分の身近な出来事と感じることができる物語です。子どもたちのみずみずしい感情の動きと、兵士の語る物語の多彩さを音楽で描きました。このオペラを日本中の、そして世界中のこどもたち、また、子どもの心を持つすべておとなたちに見ていただきたいと思います。(萩 京子)」前半は少し?ウトウトしてしまったが、休憩を挟んだ後半はしっかり見ていました。さすがにこんにゃく座は歌が上手い。しかも当日パンフに書いてある通り、ちゃんと日本語の歌詞が聞き取れる歌唱法になってる。オペラのベルカント唱法だと日本語が分かりにくく、難しいのですよね。セリフと歌が半々?くらいなので、オペラというよりオペレッタという感じだけど。先日やった事前のミニコンサートには、姉のマルセル役の豊島理恵さんと、ファブリーズ役の佐藤久司さんが来て歌ってくれていた。「心コロコロ」の歌は舞台では妹のココ役の熊谷みさとさんが歌うのですね。姉役の豊島さんの方が、熊谷さんより声が高いというか可愛いらしい声なので、妹役の方が合ってるような気がした。まあ、演技ではさすがに姉妹それぞれの役にはまってはいたけど。銀のロバというだけあって、ロバにまつわるエピソードが3つ入っていた。私もパールと銀のピンをしたのだけど、誰も気づかないよね・・・戦争から逃げてきた兵士に、戦争のことを知りたくて訊く兄のパスカール。戦場から離れても、逃げられないと思うほど、PTSDのように悪夢が追いかけてくるというチューイ。これは静かな反戦の音楽劇ですね。今、皮肉にも同じフランスでテロとの戦いが起こってるけど、子ども達まで巻き込まれないでほしい。それでも弱者が巻き込まれてしまうのが戦争なのですよね。パスカールは戦争に志願したいようだったけど、チューイを知ったことで思いとどまってくれるかな。戦争に行きたくても、受け入れられなかった障がい者のファブリーズ。逃亡兵のチューイを助けることで、自分でも人の役に立てるんだと誇りを持てるのだろう。チューイは銀のロバを姉妹に手渡すのではなく、土に埋めて自分の手で幸運をつかませたかったのかな。人の温かさに触れ、希望を持ったことにより、精神的な失明から回復したのではと看護師のMさんが言ってました。Mさんの車に一緒に乗せてもらい、いろんな感想を言い合えて楽しかった。それがまたこども劇場のいいところですよね。Mさん、ありがとうございました!
2015年11月23日
夕食は作っただけで、映画「バクマン」までの時間が無いのでほとんど食べずに長女マッキーと息子カズと一緒に出てきてしまった。主人と義母のために作ってきたのですよね。まあ、お茶したからあまりお腹は空いてなかったのですが。映画「バクマン」は、原作と違うところは多々あったけど、それなりに面白かった。ただ、CGのバトルシーンはちょっと長くて冗長だったかな・・・「友情・努力・勝利」を漫画の中だけでなく、実際に漫画家仲間で実践してみせるのはいいと思うけど、病をおしてまで原稿を書き上げるのは、過労死した漫画家・叔父の川口タロウの二の舞にならないかと心配になってしまう。パンフレットも買いました。マッキーが観る前にバクマンを読み返していましたが、13巻から20巻までしか見つからず、それ以前はレンタルコミックとかで読んだのかもしれないと言ってました。私もまた読みたくなってしまうけど、時間が無いから読めないなあ・・・読むと止まらなくなってしまうだろうし・・・映画を観たから、それでよしとしよう・・・マッキー、カズを駅で送り、帰ってきてから入浴。私が入浴してる間に主人が義母を車で送って行きました。体重は、夕食後?、入浴前後変わらず50.2kg。体脂肪率は、24%から23%へ。あまり夕飯を食べなかったからか、やはり減りましたね。
2015年10月18日
図書館司書のUさんの勧めで、図書館開設30周年記念のイベントの中の映画「じんじん」を観に行きました。前売りチケットを買ったのです。12日(土)14:00~16:10の回に行きました。北海道の絵本の里「剣淵」が舞台。それで、図書館のイベントに取り上げられたのでしょうね。チケットと、もらったしおりです。映画の解説とあらすじ。http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%93/345209/story/ほのぼの系かと思ったら、割とシリアスで考えさせられてしまいました。私も、娘たちを連れての再婚で、この映画と状況が似てるだけに複雑な心境でしたが、やはり涙してしまいましたね。つい絵本「クロコダイルとイルカ」まで買ってしまいました。映画の中に出てた絵本とは、微妙に言葉の言い回しなど違ってるけど、これはこれでいいかな。でも、最後の「アヤカに会ってはじめてこの言葉の意味を知った。『愛してる』」というような文章は残してほしかったな・・・
2015年09月12日
映画「戦場にかける橋」をテレビ録画で観ました。この日記は12日に書いてるので、記憶がおぼろげで、最初「明日にかける橋」と書いてしまいました。それはサイモン&ガーファンクルの歌でしたね・・・解説解説にあるように、史実とは違うところもあるけれど、フィクションとして面白ければいいのかもしれない・・・http://plaza.rakuten.co.jp/kurawanko/diary/200509190000/「橋は今も健在であり、その設計段階でも日本人の設計で完成されたものです。今もそうですが、当時の日本人の橋の建設技術は世界トップ水準であり、とてもイギリス人が出る幕など無かったことを言い添えておきます。」日本・イギリス・アメリカの国民性の違いも典型的なステレオタイプかもしれないが。 http://tamakinosuke.blogspot.jp/2014/02/blog-post_19.html原作者が日本軍捕虜になったフランス人ピエール・ブールで、同じ原作者の「猿の惑星」の猿のモデルが日本人と思われてしまってるほどだから、やはり日本人の描き方は、日本人としては不本意だけど、英米の立場から見れば仕方ないかな。それでも、日本人の武士道は認めているのかも。実際にはもっと非道な扱いをしていたと言われるが、死亡者数の統計は逃げ帰った現地人(クーリー)を死亡とみなしてるということもあるという。どちらにしても、戦争が悲惨なことには違いない・・・戦争が必要悪、最終手段というのは確かかもしれないが、最後まで戦争にならないように外交努力をすることが必要ですよね。安保法制なんて、積極的平和主義ではなく、積極的戦争主義・・・もしたとえ、戦争になっても、捕虜の扱いはジュネーブ条約を順守するとか。まあ、士官は指揮だけで労働しないというのは、どうかとも思うけど・・・この映画でも橋の建設に夢中になった英軍大佐が、あんなに反対してくせに自分から士官にも働くように指示したようだしね。自国に不利になるとわかっていながらも、生き甲斐を見出すために橋の建設に賭ける。その矛盾をつくように、アメリカ兵が橋を爆破。ニコルソン大佐が映画のラストでこう自問する…ー What have I done? 私は何のために? ー橋を作りながらも、最後は自分の身をもって爆破してしまう。矛盾を自問自答してるのですよね・・・「クワイ河マーチ」は軽快で、戦争映画の音楽ではないようだけど、それだけに哀しいのかもしれません。「サル、ゴリラ、チンパンジー」という替え歌も歌った覚えがあります。「猿の惑星」と同じ原作者の映画というのは皮肉ですね。
2015年09月08日
ドイツから帰りのルフトハンザ航空の機内で、邦画「マエストロ」を観た後、邦画「さいはてにてーやさしい香りと待ちながらー」を観ました。永作博美演じる生き別れの父親を待つ娘の岬と、佐々木希演じるネグレクトのシングルマザー絵里子。母親絵里子の帰りを待ち、給食費を払う為に、岬の珈琲店で働かせてもらう小3の少女ありすが健気で哀しい。その担任の女教師の本音に共感。この仕事が合ってるか疑問だけど、やり甲斐はあると。漁師の父親が遭難したと信じたくない岬。でも、信じざるを得ない状況になると、父親と過ごした海辺の船小屋には居たたまれず出ていってしまう、、、父親を奪った海の波の音を聞きたくないと。その岬をまた待ち続ける絵里子。しばらくしてから岬が帰ってくると絵里子が「おかえり」と言う。本当に帰ってきたのかわからないと思ったが、岬が「ただいま」と言うので、帰ってきたのだろう。どういう心境の変化?とも思うが、待ってくれてる人が居ると思い直したのかな。辛い現実を受け止めながら、珈琲で癒されてるのかも。なんとなく私も癒されるような気分になりましたね。
2015年08月08日
ドイツのフランクフルトからのルフトハンザ航空の機内で、日本映画「マエストロ」を観ました。行きは香港映画「Little Big Master」を英語字幕で観たら疲れたから、やはり日本映画がいいですよね。だから行きはその後「相棒」も観ました。話が飛びましたが、「マエストロ」に戻ります。松坂桃李演じるコンマス(コンサートマスター)と西田敏行演じる指揮者の軋轢。コンマスの亡くなった父親も、コンマスとして指揮者と一時演奏したことがあったのだが、、、ネタバレになってしまうので、あらすじはあまり書かないようにしますね。心に残ったセリフ。うろ覚えですが。「父親の死や音など、過去に囚われてると前に進めない。だから人を感動させる音が出せないんだ。」「世界で一番美しいものは音楽でしょ。」「死は誰にでも訪れる。音楽と一緒で人も一瞬だ。でも、誰かと共鳴することが出来たら、永遠になる。」「響き合った後の音の無い音。それを天籟と呼ぶ。天上から降ってくる音なんだ。」「運命」と「未完成」を演奏。練習前に楽譜を見せながら解説してくれるのは嬉しい。歌手のmiwaの演技も割と良かった。アマチュアがプロよりフルートが上手い?震災で父親を亡くした時の子役も切ない。指揮者が、それぞれの問題点を厳しく指摘しながらも、解決法を的確に提示して解決していくのは凄いですね。い指揮者は全ての楽器に精通して、指導できなければ通用しないのだと痛感。教師もそうありたいけど、私には無理かな、、、なんて努力はしないと。いろいろ考えてしまいましたね。
2015年08月08日
映画「相棒ー劇場版3」をルフトハンザ・ドイツ航空の機内で観ました。その前に「Little Big Master」を英語字幕で観て疲れたので、日本の映画を探したのです。それほど期待はしてなかったのですが、最後は良かったですね。自衛隊で負傷して退官した自衛官に、防衛大を卒業しながら任官せずに実業家になった男がスポンサーとして援助し、島で民兵を育成させている。その島で長期訓練中の予備役兵が、馬に蹴られて事故死とされた。それをきっかけに、生物兵器疑惑の島に右京と甲斐の二人が乗り込む。成宮が好きなんですよね。最初にミッチーも出てくる。結局事故死ではなく、スパイとして送りこまれた訓練兵をリーダーが殺害していた。生物兵器も自衛隊保管の天然痘ワクチンの元株ウィルスを盗んだものだった。ワクチンの為?それを隠蔽しようと自衛隊の特殊部隊が訓練を装い、警視庁の刑事を拉致して東京に送り返す。それは本来の目的ではなく、実は生物兵器を破壊して証拠隠滅する為の訓練偽装だった。またあまり書くとネタバレになってしまうから、この辺にしておきますね。もうなってるかな?、、、ともかく、リーダーが捕まり、右京や甲斐との取調室での会話がいい。「核兵器を持っていい国といけない国を決める権利があるのか?生物兵器が非人道的というなら、核兵器は人道的なのか?核兵器を持てる国になったら、平和の為に持ちたい。あなた方が平和ボケになったのはアメリカという友達のせい」とリーダーは言う。右京は、「あなたは『国防』という流行り病にかかってしまっている」と返す。本当に今は流行り病のように国防を叫びながら、戦争に突き進もうとしてますよね、、、右京が甲斐に「自分や家族、仲間を守る正当防衛と言って人を殺したら、また仕返しに殺される。それは守ることになるのだろうか?どこかに明るい出口はないかな。」と言うと、甲斐が「きっとありますよ」と言っていた。本当にあればいいのだけど。「戦わずして降伏するのは嫌だ」と女性民兵が言ってたけど、武力で戦う以外にも、外交や話し合いで戦うことも出来ますよね。その為にもディベートなど日本も言葉で戦う術を身につけた方がいいかも。口で敵わないから手が出るなんて、子どもや男のやることみたいです。なんてことまで考えさせられてしまう映画でしたね。
2015年08月01日
ルフトハンザ・ドイツ航空の機内で映画鑑賞。「Little Big Master」(英題)。香港映画。字幕が英語でよくわからないけど、単語と様子でなんとか理解?字幕がドイツ語しかない映画もあったけど、とても無理。ネタバレですが、あらすじを書いてみますね。インターナショナルスクールの校長を退職した直後のルイは、テレビのニュースで廃校を迫られる田舎の小学校を知り、見に行ってすぐ5人の子ども達に教え、校長に着任した。校長といっても1人しか教師は居ないのだが。生徒は5人しかいないのに、家庭の事情で登校できない子ども達もいる。家庭訪問し、両親と話し合って理解すると登校するようになった。あなたの夢は?と子ども達に聞くと、それぞれ夢を持っているが、子ども達が自分の親に夢を聞くと無いと言う。それでも聞くと、昔持っていた夢を思い出していく。なんとか廃校にならないようにと学校公開をするが集まらない。夫は、廃校までの期間だけという約束だろうと責める。ルイを広告塔にと、インターナショナルスクールの校長にヘッドハンティングされるが、断る。過労で倒れると、リンパ癌が発見され、手術。入院してる間、無理解だったはずの夫が代わりに教えたりしている?退院したのは、学校最後の日。学校公開の為に練習していた子ども達のダンス?を家族とルイ夫妻で観る。家族が配ったチラシを手に持ち、近所の人たちも集まってきた。卒業式として、卒業証書を渡す。ルイが最後に校長として、愛情を注いでくれたことに感謝する子ども達と家族。それでも卒業しなくちゃいけないの?と泣く子ども達。結局廃校になったと思ったけど、モデルの小学校には子どもが2人で、5年教えたそうだから、もしかしたら廃校にならなかったのかな?ネタバレになってないかも、、、私も小学校の教師なので、興味があったのです。こんな風に一人一人に寄り添えたらいいのだけど、なかなかできない。考えさせられた映画でした。
2015年08月01日
代々木オリンピックセンターの「子どもと舞台芸術 出会いのフォーラム」に行き、あそびあーと☆子ども劇場いるまの仲間といろんな舞台を観てきました。最初は「キペカペカ」。ディトゥンバというビビリ太鼓の響きが面白い。終わった後に体験もさせてもらいましたが、なかなか上手く響かせられない。叩くというより、軽くタッチというか、弾ませる感じ。最初はコンゴの音楽。客席から男性が出てきてから、女性二人が参加。歌やアーという声もびっくり。蝶の卵が生まれるまでに時間がかかり、かえすのに温めてと幼児の女の子に手を借りてました。参加するのは子ども達にとってもいいですね。 オリンピックセンター内のレストランときで、Mさんとランチしてから、「シモシュ博士の音楽研究所」を観ました。トランプで4人の子ども達に1枚ずつカードを引かせ、その数をドレミに当てはめてそのまま演奏。ミレドソを繰り返すだけでも、シモシュが伴奏すると曲になります!参加型で面白かった。子ども達もはじけて楽しそうでしたね。小学生低学年くらいがちょうどいいかも。大人も、テーマが興味をそそるし、動いたり、パートを歌ったりして楽しめました。小田急線沿線の未来クラブという学童クラブが来ていて、先生が助手に指名され、簡単なピアノを弾いたり、曲に合わせて歩いたりしていました。子ども達も活発に反応し、ノリノリで盛り上がってましたね。終わってから時間があったので、サブステージでのクラウンショーを観ました。割と面白かった。フォーラムカフェでヤクルトを飲みながら、MさんやKさんとおしゃべり。「出会いのフォーラム」では、観るだけでなく、子どもの遊び場もあり、楽しんでましたね。段ボールアクセサリー。段ボール迷路。「みんなの夢の樹」紙コップタワー。劇団うりんこ「のぼるはがんばる」を観ました。対象年齢が5歳から一般と範囲が広いのが、観る前に疑問だったのですが、キャラクターが猫やチューインガムと可愛い割に、内容は恋愛や離婚?、動物間の葛藤など結構大人の心理劇だったのです。幼児や小学生低学年にどこまで理解できたか分からないけど、見慣れてる子どもが多いのか静かに観ていました。内容は割と面白かったけど、いろいろ疑問点や突っ込みどころがあり、モヤモヤも残った。最後に「クラウン・ガムラン・マジックーコラージュライブ」ブッチーとビリーのクラウンはさすがに上手い。サブステージでも他のクラウンショーを観たが、技術や表情など余裕を感じた。また、イチコは、いろんなジャンルの歌やピアノを演奏し、作曲したワニの歌の歌詞やダンスも面白かった。ジンのマジックも、わざと失敗して、子ども達に指摘させたりしていた。表情が豊かでいいですね。最後の歌や楽器・口笛演奏も意外でした。フィナーレでも、シモシュ、たまきこうじと共に活躍してくれてました。フィナーレの後、紙コップタワーの前で遊びボランティアが記念撮影してました。その後、紙コップタワーを子どもに崩させてました。その瞬間です!https://youtu.be/-CPkJZePrrw作るのは大変でも、崩れるのは一瞬。信頼みたい?・・・少し片付けを手伝って、MさんとKさんと打上げ?参宮橋のカフェで夕食がてら少し飲みました。主人に不良主婦と言われても、たまには楽しまないとね。
2015年07月29日
主人と映画「マジック・イン・ムーンナイト」を池袋に観にいきました。始まる前に少し時間があったし、終わってからランチでお腹が空くだろうからと、コーヒーと白いおさつスティック。珈琲に無料のシナモンパウダーも少し入れました。後から考えてみたら、スティックにかけても良かったですね。「マジック・イン・ムーンナイト」解説:ウッディ・アレン監督が1920年代の南仏リゾート地を舞台に描くロマンティックコメディ。出演は「英国王のスピーチ」のコリン・ファース、「アメイジング・スパイダーマン」のエマ・ストーン。英国人マジシャンのスタンリーはニヒリストで毒舌家だが、天才的なマジックの腕前で人気を博していた。ある時、幼なじみのハワードから、ある大富豪が入れあげている米国人占い師の真偽を見抜いてほしいと依頼される。魔法や超能力など存在しないと信じるスタンリーは、ペテンを見抜いてやろうと自信満々で噂の占い師ソフィのもとへ乗り込む。しかし、彼女の透視能力を目の当たりにして価値観を揺さぶられ、さらには容姿も性格も完璧な彼女にほれ込んでしまう。割と面白かったです。3月9日に私が選んだ映画「フォックスキャッチャー」を観て、暗かったせいか、今度は主人が深刻に考えるのは嫌だからと選んだものなので、あまり期待はしてなかったけど、ただのラブコメディというだけでなく、「合理主義だけでは幸せになれない」というのに納得したり、いろいろ考えさせられたりもしました。やはり人間は感情の動物なのですよね・・・
2015年05月05日
映画「ドラえもん」を観た家族は帰ってきてました。義母と主人と次女ミンミと息子カズが行ったのです。カズがドラえもん好きなので、家族も付き合ったのかな?まあ、義母はカズが子どものころから一緒に見てるから懐かしいのだろうけど。そういうカズは、「ドラえもん」より「博士と彼女のセオリー」の方が観たかったなどと言っていたが、割と面白かったようで、昼食も和食与兵衛で食べてきたそう。ミンミはその後美容院に行ったらしい。ドラえもん「宇宙英雄記」のスペースヒーロードラを持ってる義母とカズ。カズは帰ってからずっと炬燵で寝てましたね。睡眠不足らしい。しばらくぶりに帰ってきたのに、ほとんど話せないなあ。
2015年03月15日
朝霞へ劇「刻(とき)の罠」を観に行きました。Mさんの車ののせてもらい、一緒に乗ったSさんといろいろ話しながら行きました。先日観た映画「フォックスキャッチャー」の話など。劇「刻の罠」は、割と面白かったけど、太鼓と芝居のたまっこ座のせいか、打楽器を打ち鳴らしながら踊る場面が多く、そこは眠くなってしまった。ミュージカル映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ではないけど、唐突に入るのでちょっと違和感。私はあまり音楽やダンスシーンが好きではないのだなあ。セリフの場面は起きたと思うけど、やはりウトウトしてしまってたかも。日本中の人々が戦争の記憶を失くし、歴史からも削除されてしまっている中、ただ一人戦争の記憶を持ち、「戦争への反省・自戒が無ければ今の日本は無い!日本は原爆の実験場」と叫ぶ男は精神病棟へ隔離され、本当に狂ってしまう。中国や朝鮮、他のアジアを踏みにじった歴史も忘れてはならない。原発や平和を訴える人も、人知れず憲兵?に連れ去られる。比喩なのだろうけど、今の日本を象徴的に表していて怖い。このままだとまた戦争になってしまいそうな不安・・・考えさせられてしまったけど、もう少し深く突っ込んでほしかったような。太鼓や打楽器、踊りもいいのだけど、それに費やす時間が長すぎる気がする。その時間をセリフや劇に振り分けて欲しかったなあ。最後がそれで終わるのもさみしい。一言でも何か言葉を言って欲しかった。終わってから、そのまま帰ってきてしまったけど、それでも帰りは夕方。うちまで送り迎えしてもらいました。Mさんありがとうございます。
2015年03月15日
豊島園庭の湯に入って、秋田名物を食べてから、映画「フォックスキャッチャー」を見ました。温泉で疲れ、満腹で眠くなり、最初ウトウトしてしまいましたが、目覚めてからは引き込まれました。パンフレットも買い、帰りの電車で熟読。ともかく考えさせられました。パンフレットの表紙の写真は、デュポン財閥の御曹司ジョンのシルエットとその邸宅。主人がホワイトハウスのようだと言ってた邸宅は、きつね狩りが行われていた広大な所有地に一軒だけ建つ壮麗な豪邸。だが、周りには何もなく、孤独なジョンを暗示してるよう。解説「マネーボール」「カポーティ」のベネット・ミラー監督が、1996年にアメリカで起こったデュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンによるレスリング五輪金メダリスト射殺事件を映画化し、2014年・第67回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したサスペンスドラマ。ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得したレスリング選手マーク・シュルツは、デュポン財閥の御曹司ジョンから、ソウルオリンピックでのメダル獲得を目指すレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に誘われる。同じく金メダリストの兄デイブへのコンプレックスから抜けだすことを願っていたマークは、最高のトレーニング環境を用意してくれるという絶好のチャンスに飛びつくが、デュポンのエキセントリックな行動に振り回されるようになっていく。やがてデイブもチームに加入することになり、そこから3人の運命は思わぬ方向へと転がっていく。「40歳の童貞男」のスティーブ・カレルがコメディ演技を封印し、心に闇を抱える財閥御曹司役をシリアスに怪演。メダリスト兄弟の兄をマーク・ラファロ、弟をチャニング・テイタムが演じた。***************************************************************(あらすじと感想。ネタバレ注意・・・)ジョンは、母の愛に飢えていた。競走馬を愛し、息子を愛さない母に、レスリングは下品なスポーツとさげすまれ、やっとジムを見に来てくれたと思ったら、ジョンが指導してる時に帰ってしまう。その失望感、やるせなさが伝わり、こちらまでいたたまれなくなってしまう。競走馬の代わりにレスラーを囲い込み、トロフィーの代わりに金メダルを棚に飾り、母に見せつけようとする。母が昔、彼の友達を金で買ったように、今は自分でマークを金で買って友達にしようとする。コカインまで吸わせて。一方マークは、兄であり、父であり、レスリングの師でもあるデイブが、家庭を持ち自分から離れていくことに不安や怒りを覚えていた。両親の離婚後、二人っきりで生きてきて、レスリングの練習を通じて培った絆も、尊敬しながらも超えられないコンプレックスで断ち切りたくなってくる。その時に現れたジョンにしがみついてしまう。ジョンは兄デイブも獲得しようとするが、金では動かないとわかると、マークに「君はデイブが居なくても、それ以上に輝ける」と持ち上げる。そう言ってたくせにやはりデイブを家族ごと獲得してくる。ジョンの奇行や罵倒などで傷つき、追い込んこまれたマークは精神的にも不安定になり、試合にも負け、計量オーバーになるほど過食したり自暴自棄になる。だがそこをデイブが支え、立ち直らせていく。ここが兄弟愛のすごいところで感動した。でも、ジョンを排除したことで、怒って自宅へ帰ってしまったのかと思ったら、ジョンの母が急逝したからだとデイブは知る。ジョンは母を憎んでいたが、それは愛されたい心の裏返し。レスリングで金メダル(きつね)を獲らせることで、母に認められたいと思っていたのに、その母が居なくなって生き甲斐を無くしてしまったのではないか?自分を導師としてマークに尊敬してもらいたくても、もうマークの心は離れ、選手としても「フォックスキャッチャー」を離れていった。デイブはドキュメンタリーの撮影で、ジョンを褒め称えるのに耐えがたい苦痛を覚えている。それでも自分がフォックスキャッチャーに残ればマークの分までジョンが給料を払うという約束の為に出ることは叶わない。それはマークへのジョンのセクハラの口止め料だったという噂もあるが、デイブのコーチとしての腕を買われてのことだろう。それなのに、ジョンは自分がコーチだと言い張り、コーナーに入りたがる。マークを支えることはデイブしか出来ないのに。なぜ、ジョンがデイブを射ち殺したのか?それはジョンさえもわかってないかもしれない。もちろん撃たれたデイブも。でも、残されたマークが自分のせいだと責めたりしないかと心配になってしまう。自分とジョンの軋轢にデイブを巻き込んでしまったと。弟思いのデイブが自分から進んで巻き込まれたともいえるが。また、ジョンがデイブに嫉妬したとも言われてるらしい。ジョンは母からもマークからも世間からも認められたかったのでしょうね。お金だけ持ってても、自分で稼いだ金ではないから誰も尊敬してくれない。その金を使って、後援してるレスリングの大会で自分が優勝しても、それは金で買った優勝に過ぎない。それは母もわかってるから認めてもくれない。さみしい人で可哀相になる。はだかの王様ですね。デイブやマークはジョンの被害者だが、ジョンは母の被害者なのかも。母だって、その両親に愛されてなかったから、愛し方が分からなかったのかも。そう思うと負の連鎖が続いていて、いつになったら断ち切れるのかと思ってしまう。ジョンは結局、統合失調症を患っていたと診断され、精神病患者の獄中で死亡した。せめて生き残ったマークだけでも幸せになってほしい。総合格闘技に転向したが、やはり最後はレスリング教室を開いてるらしい。今回の役作りの為にいろんな助言もくれたそうだ。それがせめてもの贖罪になると思ったのかな。この映画を観て、いろいろ考えさせられました。レスリングの競技もすごかったけど、それ以上に心の葛藤、せめぎ合いが見ていて辛く感じられ、居心地が悪い感じがした。それもベネット・ミラー監督の思うつぼだったらしいが。音楽があまりないから、音が印象的に残る。歌も少ないだけに「名声は人を狂わせる」などの歌詞が耳に残る。といっても字幕だから、目に残ると言った方がいいかな。暗い話で主人は嫌いかと思ったけど、やはり心に残って良かったらしい。以前「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を私が選んで観た時は酷評だったからなあ。割と良かったのにね。それ以来、ずっと映画選びは主人に任せていたのですが、今回珍しく私が選びました。豊島園の庭の湯に入るついでに?豊島園ユナイテッドシネマで映画を観るというので、その中で何がいいかという狭い選択枝の中ですが。「アメリカンスナイパー」は興味あったけど、戦争ものでもっと暗いし、結末もわかってしまってる・・・「きっと、星のせいじゃない」も迷ったけど、やはり心理劇が観たかったのです。そういう意味では、淡々とした心理描写がかえって効果的な心理劇だったから、この映画を選んで良かったと思います。映画「レ・ミゼラブル」の感想の中で「ダンサー・イン・ザ・ダーク」についても言ってます。良かったら読んでみてくださいね。
2015年03月09日
私は映画「永遠の0」を見ながら、おやつタイム。「永遠の0」は小説も以前読みましたが、映画もいいですね。これは反戦映画(小説)なのだろうと思うけど、作者の百田直樹氏の言動は反戦とはちょっと言い難い・・・?2013.11.19の日記に読んだ感想をのせてましたね。「永遠の0」百田直樹零戦に乗ってた祖父を調べる孫の話。最初は零戦讃歌?と思ってしまうほど零戦の性能の素晴らしさが描かれていた。確かに後進国だった日本が最強の戦闘機を作り上げ、それを乗りこなす搭乗員達はすごい。でも、臆病者といわれようと、家族の為に生きて帰るために必死な祖父を知り、戦争や平和を改めて考えさせられました。
2015年02月19日
映画「遺言~原発さえなければ」を観にいきました。パステル音楽館の新年会を中座してぎりぎり開始に間に合いました。3時間45分の長丁場だけど目が離せず、ちょっとうとうとしただけで私にしては最後までよく見られました。「福島の3年間―消せない記憶のものがたり・・・苦しみをのり越えて新たな挑戦が始まる」800日間の記録を3時間45分にまとめた福島のドキュメンタリー映画です。一章・汚染、二章・決断 三章・避難、四章・故郷、五章・遺言。「原発さえなければ」人が死ぬことも、苦しんだり、泣いたり、裏切られたりすることもなかったのに・・・地震や津波の被害は、頑張ればなんとか復興できるかもしれない。でも、放射能は目に見えず、半永久的に被害が続くから、頑張っても復興できない・・・見えない戦争だとも言っていた。やはり原発を許してはいけないですよね。安全神話を信じて裏切られたのに、また安全?だと言って再稼働しようとしている。他の発電より経済的なんて言っても、一旦爆発すればよっぽど非経済的なのにね・・・とても興味深かったので、パンフレットや、 この映画「遺言」の主人公の「酪農家・長谷川健一が語る までいな村・飯館」という本も買い、家に帰って早速読みました。飯館村長は酪農家の先輩で、尊敬し協力していたのに、原発の被害を隠され裏切られてしまった・・・その為に飯館市民は避難が遅れ、被ばく量が増えてしまったそうだ。間違えて映画「遺言」の豊田監督にサインをお願いしてしまったけど、快くしてくれました。共同監督の野田雅也さんは、入間市在住の日本画家で、会場の入間市産業文化センターの緞帳の絵の原画を描いた石崎昭三の記録映画も撮ったらしい。「~天然岩絵具の伝統技法により 日本の精神性を描く 最後の日本画家~」だそうです。豊田監督のアフタートーク。飯館村民で今、仮設住宅に住んでる人はほとんどが高齢者。三世代や四世代の大家族だったのが、3・11から分断され別々に暮らしている。若い人たちは他の都道府県に移住したり、自分たちで家を借りたり買ったりしてるらしい。高齢者も以前は、飯館村に主体的に帰りたいと言ってたのが、今では、自分たちだけで飯館村に帰るしかないと若い人達に遠慮してるらしい。またもっと高齢の老人は、自分たちだけでは住めないと帰ることも諦めている。除染が出来たら、放射線量が少なくなったら、と言っていたけど、そのレベルが飯館村は他の村に比べてあまりにも低い・・・帰村と言われても、帰って住めるような環境にはなっていないだろうとのこと。村長が帰村を急ぐあまり、健康を考えずにレベルを下げているのだそうだ。主人公の長谷川健一さんは今、ADRで3000人の飯館市民をまとめ、東電と交渉中。村長など行政側の村民とは対立していて、村が二分されてしまっているそう。以前ドラマリーディング「空の村号」を観て、脚本が載ってる「げき」を買ったのですが、設定が似てると思ったら、やはり飯館村がモデルだったのですね。入間おやこ劇場の総会で私が推して、今年度の高学年例会に選ばれ、観られることになりました。事前に勉強会とかしたいけど、この映画「遺言」は長すぎますね・・・どういうものなら、みんな特に高学年・中学生などの子ども達は興味を持ってくれるかな・・・この映画の中でも避難していた子ども達がお墓詣りなどで一時帰宅する場面があった。魚のつかみ取りやお祭りなど、懐かしいと言ってたけど、もう出来ないのをわかってるからかも・・・
2015年01月18日
先日借りてきた「アナと雪の女王」をやっと見ました。その前に長女マッキーと「フラガール」を見たのですが、それも良かったですね。松雪泰子演じる先生も、蒼井優演じるダンサーの卵も体当たりの演技で感動しました。マッキーがモデルの常磐ハワイアンセンターに友達と泊まりに行く前に見ておきたいと言って借りてきたのを一緒に観たのです。そのついでに「アナ雪」も借りてきたのですよね。カラオケや声楽で「ありのままで」など歌おうと思って楽譜も買いました。CDを借り、歌は知っていたからね。見ながら、「とびら開けて」を歌いました。歌だけ聞いていた時も、こんなにすぐに結婚決めるなんてと思ってたけど、やはり早すぎますよね。悪い王子とも聞いたけど。「ありのままで」も。松たか子の劇中歌バージョンの方が好きです。だいたい筋は分かっていたけど、思ったより面白かったです。なんて、予告の「眠れる森の美女」の魔女「マレフィセント」の方が気になったけど。元の「眠れる森の美女」は、私が子どもの頃初めて観た映画なのですよね。懐かしい・・・ また、「アナ雪」を見た後、続けて一緒に借りた「しあわせのパン」も観ました。http://shiawase-pan.asmik-ace.co.jp/index.html長女マッキーのセレクトで憧れのカフェ・マーニなのかな?あの「月とマーニ」の絵本も読んでみたいなあ。この映画も良かったですね。パンを分け合うのが本当に幸せそうだった・・・「カンパーニュ=仲間=1つのパンを分けあって食べること」だそう。カンパネルラとかと同じ語源かと思ってネットで調べたら違うそうです・・・http://urmamru.blog68.fc2.com/blog-entry-40.html「Campagne(カンパーニュ)は日本語では田舎とか田園とか訳されるようで、 Pain de Campagne(パン・ド・カンパーニュ)は田舎パンと訳されてます。 語源は野原とか平原を意味するラテン語だそうです。 カンパネルラはイタリア語なのでCampanellaかな?こっちは鐘を意味するそうなので、多分別物ですねー。 植物のツリガネソウもカンパニュラとかキャンパニュラとか呼ばれますね。これもラテン語(Campanula)語源みたいですね。 Campagneと同義のイタリア語はCampania(カンパーニャ)に当たるそうな。。。 」
2015年01月14日
1月18日に「遺言~原発さえなければ~」というドキュメンタリー映画を観に行くのですが、パンフレットをミンミに見せたら、「カフェスローの代表が応援してる!」と言ってました。長女マッキーが働いてたオーガニックのカフェなのですよね。早速マッキーにも報告。私は入間おやこ劇場で知ったのですが。
2014年12月30日
レトロな椿屋珈琲店でお茶した後、武蔵野館へ映画「ストックホルムでワルツを」を観に来ました。武蔵野館の入り口にもレトロな肖像画。今日は、新宿の天ぷら・船橋屋、椿屋珈琲店、武蔵野館と、好きなレトロ続きで嬉しいです。そういえば、「夫婦50割引き」は廃止されたのですね。主人だけはシニア割引になったけど・・・「解説:スウェーデンの世界的ジャズシンガー、モニカ・ゼタールンドの半生を映画化したドラマ。スウェーデンのアカデミー賞にあたるゴールデン・ビートル賞で監督賞、主演女優賞など4部門を受賞し、人口950万人の同国で50万人以上を動員した。スウェーデンの小さな田舎町で、両親や5歳の娘と暮らすシングルマザーのモニカ。電話交換手の仕事をしながらジャズクラブで歌手活動も行なう彼女は、厳格な父親から「母親失格」の烙印を押されながらも、歌手としての成功を夢見て励んでいた。とある評論家に誘われ、ジャズの聖地ニューヨークでステージに立つという大きなチャンスに恵まれたモニカだったが、ニューヨークでのライブは大失敗に終わってしまう。「自分にしか歌えない歌」を追い求めるモニカは、英語ではなくスウェーデン語でジャズを歌うことを思いつく。物語を彩るジャズの名曲の数々はもちろん、北欧デザインの全盛期である1950~60年代を再現したインテリアやファッションにも注目。」それほど期待してなかったのですが、予想外にとても良かったです。拍手が無ければ5分と一人では居られない寂しがり屋のくせに意地を張って孤独に苛まれ、酒と薬と溺れても歌い続けるモナカ。てっぺんから見た景色が見たくて危険を顧みずに木のぼりしてしまう娘と、落ちることを恐れて途中から降りてしまった父親との葛藤・・・同じ音楽家としての嫉妬や、娘を心配する父親の愛情もあったでしょうが、「てっぺんから見た景色を見せてくれてありがとう」と、葛藤を乗り越えて分かり合えたのを観た時、思わず涙がこぼれてしまいました。異国の地から、冷たくしていた彼への愛情を込めて歌うモナカ。やはり仕事で成功するだけでは生きていけないのですね・・・ネタバレしてしまいますが、愛が通じて良かった。それまでが悲惨だっただけに救われました。シングルマザーで仕事と育児を両立できずに、何度も娘を両親に預けたり、奪われたりするけど、最後は一緒に暮らせてホッとしました。良かったのでついプログラムと、サウンドトラックCDも買ってしまいました。人生の栄光と挫折の場面に挿入されてた「トゥルベル」が特に印象的でしたね。ジャズ歌手のエッダ・マグナソンが演じているのですが、初めて演技したとは思えないほど。歌もうまいけど、演技も自然で、ゴールデン・ビートル賞の主演女優賞を受賞したらしい。
2014年12月08日
映画「猿の惑星・新世紀」を主人と観に行きました。名作SF『猿の惑星』の前日譚(たん)で、以前『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』も観たのですが、その続編です。あらすじ「自らが生み出したウイルスによって、人類の90パーセントが死滅した2020年代の地球。サンフランシスコでは、かろうじて生存している人類と驚異的な遺伝子進化を遂げた猿たちのコミュニティーがゴールデンゲートブリッジを挟んで存在していた。人類のコミュニティーでは、衰退を食い止めるためにも、猿たちと対話すべきだとする者、再び人類が地球を支配するべきだとする者たちが、それぞれの考えに従って動き出す。一方、猿たちを率いるシーザー(アンディ・サーキス)は、人類と接触しようとせずに文明を構築していた。」 「人間は電気無しでは生きられないから、猿より弱い」と人間が言っていた。自覚しているだけましかもしれない。「エイプ(猿)は仲間を殺さない」と言いながらも、最後シーザーがコバの手を離してしまうのが哀しい。コバを助ければまた人間と戦争になってしまうと思ったのか・・・「いつもエイプ(猿)は人間に優ると思っていたが、結局人間と同じだった」とシーザーが言っていたのは、信頼を裏切る仲間が居るということなのかも。シーザーの息子は、シーザーの言葉を理解していても手話でしか話さず、反抗してか決して口で話そうとはしなかったが、シーザーの思いを理解して協力すると思った時、言葉を口にしたのだ。それを主人に言ったら、そうだっけ?と言われてしまった。同じ映画を観ていても、気にするところが違うのですよね。シーザーとマルコム、猿と人間がお互い共存したいと思っているのに、戦争せざるを得ないようになってしまうのが哀しい・・・敵同士だけど、理解し合って友と呼び合っている。それなのに戦わなければいけないのですよね。仲間が信じられなくなったり、裏切られたりと猿も人間のようになってきてしまう。いろいろ考えさせられてしまいましたね。CGやアクションだけでなく、ドラマがしっかりしてるから見ごたえがありました。
2014年09月23日
映画「ディア・ドクター」をDVDで先日観ました。息子カズが借りてきたDVDなのですが、私も観てしまいましたね。鶴瓶演じる医者が、ニセ医者だと途中から気づきながら観ていました。以前、長谷川博己演じるニセ医者のドラマ「雲の階段」を観ていたせいもあるけどね。下の映画レポートにあるように偽物か本物かなんて、免許や資格だけではないのかもしれない。私だって教員免許はあるけど、教師に向いてないと思ってるから偽物みたいなものかな・・・瑛太演じる研修医や余貴美子演じる看護婦など、ニセ医者と薄々気づきながらもかばってるのは、それだけ人間性や技術を信頼して、本物だと思ってるからだろう。刑事の追求にはみんな冷たく答えてるけど、それは巻き込まれないためなのか・・・八千草薫演じる母も自分の要求のせいでニセ医者とばれてしまったのにね・・・無医村に来てくれる医者を探すのがどんなに大変なことか・・・なんて、私の住んでる埼玉県も人口比では最も医者が少ないらしい。高齢化が進み、健康に不安を抱える中、医者不足は深刻な問題ですよね。だからこそ、ニセ医者でもいいから医者に居てもらいたいと思ってしまうのかも・・・*****************************************映画レポート「ディア・ドクター」何かになりすまして生きている現代人の不安を、鶴瓶が体現 「村の外れに脱ぎ捨てられた白衣」の理由をひもとくように語り始めるこの物語は、ニセ医者と彼を必要とした村人たちとの蜜月関係が温かくユーモラスだ。モチーフは僻地医療の現実。しかし、西川美和の過去作「蛇イチゴ」「ゆれる」同様、嘘と誠、善意と悪意をめぐって揺れ動くテーマは一貫し、可笑しくも哀しい人間の本性がさらに露わになっていく。村人の総意を受けて変容する鵺のような鶴瓶の造形はもとより、陰に陽に彼を支える余貴美子が見事。特筆すべきは、自立した子を気遣う病身の母・八千草薫と、医師でありながら拒絶され屈折する娘・井川遥との間に流れる空気。抑制された演技が醸す普遍的な家族像の表現が抜きん出ている。 本作への共感の分かれ道は、生きづらく複雑な社会で所詮自分は何者かになりすましているに過ぎないという不安感に、どれほどさいなまれているか否か。かく言う筆者も、西川美和という傑出した才能に批評を加える行為なんておこがましいのではないかと硬直する瞬間がある。曖昧な自己は、人様や世間と繋がることで初めて形を成す。ホンモノかニセモノか。それは免許や資格という紙切れではなく、周囲からの期待や信頼でこそ決定づけられるのだ。西川作品とは、日本人の原風景が広がる田舎へと連れ出し、身にまとう最後の衣までも脱ぎ捨てさせ、心の扉を開かせる“仮の診療所”かもしれない。「どうしたい?」と問いかけ、患者の意向で処方箋は決まる。観る者に応じて表情を変えるラストカットは、ふくよかな解釈を与えることだろう。(清水節)
2014年09月19日
以前、テレビで映画「手紙」を録画したのだけど、途中で切れてしまっていて結末が気になったので、DVDを借りてきました。あらすじ(これを読めば借りなくても良かったのか・・・)「川崎の工場で働く武島直貴(山田孝之)は周りの人々と距離を置いて生活していた。兄の剛志(玉山鉄ニ)が直貴を大学にやるための学費欲しさに盗みに入った家で誤って人を殺してしまい、千葉の刑務所に服役中だからだ。兄と弟は手紙によって連絡を取り合っていた。一方直貴は子供時代からの親友・祐輔とお笑いコンビ“テラタケ”を組み、プロを目指している。そんな直貴に惹かれた食堂の配膳係・由美子(沢尻エリカ)は何かと彼の世話を焼こうとした。やがて“テラタケ”はブレイクし、直貴は大企業の専務令嬢・朝美と恋に落ちた。しかし、インターネットの書き込みから直貴が殺人者の弟だという噂が広まってしまう。兄のことで散々差別を受けてきた直貴は“テラタケ”を一方的にコンビ解消し、朝美と結婚しようとした。しかし朝美の親にも事実が発覚し、別れざるを得なくなる。更には勤め始めた電気店でもそれが理由で左遷されてしまう。直貴は兄を恨み、手紙の返事も出さなくなった。そんな直貴を現実に向き合わせ、勇気づけたのが、由美子だった。実は由美子は剛志への手紙を直貴のフリをして書き続けていたのだ。直貴は由美子が自分にとって大切な存在であることを強く意識する。数年が経ち、結婚した直貴と由美子の間には一人娘が生まれていた。平穏な生活。しかしここにも差別の波が押し寄せてくる。親たちの指図によって娘から友達が離れていったことを知った直貴はついに剛志に兄弟の縁を切りたいという手紙を書いた。そして全てを清算するために被害者の遺族に挨拶に出かける直貴。そこには剛志が送り続けたという謝罪の手紙の束があった。遺族もこれで全てを終わりにしたいと言う。直貴は祐輔の呼びかけにより、刑務所慰問のため“テラタケ”を一度だけ再結成する決心をした。兄・剛志の服役する千葉の刑務所。服役者の前で“テラタケ”は漫才を演じた。兄に向けて励ますかのようなギャグを演じる弟。爆笑に包まれる観客の中には、泣きながら舞台上の直貴の姿を見つめる剛志の姿があった。」切ない表情の山田孝之がいいですよね。同じ東野圭吾原作のドラマ「白夜行」も合ってたけど、これもはまり役だなあ。つい自分にひきつけて観てしまう。感情移入してしまうのですよね・・・私も巾着田の野外のネイチャーコンサートではソロさせてもらえるかと思って、「曼珠沙華」を歌いたいと言ったら、長すぎると言われた。短い昭和歌謡でもと言っても、時間がないからとソロはさせてもらえなかった・・・チャリティコンサートでは無理だから、せめてネイチャーだけでも思ったのにね。K先生は気の毒そうに、合唱の中の「野菊」だけソロさせてくれると言ってくれたけど。がっかりして落ちこんでしまったが、せめてクリスマスコンサートでは一曲ソロさせてもらいたいなあ・・・パステル音楽館の中では立場(実力)が違い、居場所が無いと思ってしまうけど、今日見たDVDの映画「手紙」の中での「差別のない国は無い。ここで生きるしかないのだから、一本ずつ人と繋がれる糸を増やしていくしかない」という左遷した会社の会長の台詞のように考えよう。差別ではなく区別だから仕方ないとは思うけどね。夢自歌でソロの発表会に出るしかないのかな。
2014年09月15日
入間おやこ劇場に来ていた招待券で、劇「無実」(東京演劇アンサンブル)を観にいきました。武蔵関のブレヒトの芝居小屋は何度も行ってるから慣れましたね。なんて先日は急行とかに乗って乗り過ごしてしまったので、今回は気をつけましたが。割とギリギリに着いたので、席を取ってから、ロビーでチョコパンを買い、客席で食べました。客席でも飲食自由と言われたので。前から2列目の端の席でよく見えました。2時間半休憩無しで、お尻が痛くなってしまったけど、いつも寝てしまう私が眠くならないほど引き込まれました。群像劇で誰に感情移入できるというわけでもなく、哲学的なセリフも多くて難解だけど興味深かった。また、脚本家のデーア・ローアーは男性だと思うが、たとえ子どもが犯罪者になるかもしれなくとも、自分をお母さんと呼んで愛してくれる子どもが欲しかったり、夫に自分を見て認めて欲しいという女性の心理がよく分かっているなあと思ってしまった。翻訳家や演出家も?調べたらデーア・ローアーは女性でした。だからこんなにわかるのですね・・・ブレヒトの後継者とも呼ばれてるほど現代社会をスリリングに描くらしい!初日のせいか、少しセリフを噛んだりした時もあったけど、あまり気にならないほどいろいろ考えさせられた劇でした。盲目のダンサー、アプゾルートがセクシーで魅力的でしたね。アプゾルートは完璧という意味。彼女の両親も盲目で、暗闇の世界が完璧だと信じ、遺伝的に娘も盲目になるとわかっていながら、完璧を求めて産んだのです。アプゾルートは見えるようになることを切望しながらも、実際にエリージオのおかげで手術を受け、ぼんやりと見えるようになってもそれを拒否してまた完璧な暗闇の世界に戻ろうとしている。不法入国者の貧しい黒人エリージオが拾ったお金を投げ出して受けた手術だったのに。神の救いと受けとったエリージオと、神や奇跡は信じないというアプゾルート。せめて見えるようになると祈って欲しいというエリージオの願いも虚しく、またストリッパーに戻っていくアプゾルート。また、連続殺人犯の母親と名乗るミセス・ハーバーザットは、被害者遺族宅に許しを乞うて回るが、実は死産で子どもを喪った母親、、、私の体は死んだ子どもを入れる棺と言う。たとえ犯罪者になろうとも、私をお母さんと呼んで求める子どもが欲しかったと。そして失業中のフランツの妻ローザも子どもを産みたがっている。夫が自分を通して遠くを見てる。子どもが生まれれば鏡のように自分を見てくれると。せっかく遺体処置係の仕事が見つかり、子どもも産めると思ったのに、彼は死体ばかり見て、引き取り手の無い遺骨まで狭い自宅に持ち帰り、ますます自分を見てくれない。ローズの母ミセス・ツッカーは、糖尿病の自分を介護させる為に孫は要らないとまで言う。赤い髪の女性の入水自殺者を救えず、自責の念に苦しむ不法入国者の黒人ファドゥールが、新聞記事の写真を持って、遺体処置係のフランツ宅を訪ねると、写真にそっくりな妻ローザに驚く。実はその自殺者こそローザで、亡霊だったのだ。フランツは妻の遺体を見ても知らないふりをして、無縁墓地に葬らせていた。縁の無い人の遺骨は引き取っていたのに。夫が自分を見てくれないと嘆くのはローザだけではなかった。老いゆく女性哲学者のエラも、金細工師の夫ヘルムートが、会話も無く、自分に目もくれない夫をついには殺してしまう。アフリカのスーダンから不法入国したファドゥールは、ドイツで自殺者が多いのに驚いていた。祖国では内戦でハエのように惨めに死んでいく中、みな必死で生きようとしているのに。なぜ生きられるはずのドイツで、自ら死を選ぶのかと。それは日本も同じですよね。私はいつもうちの子ども達に自殺だけはしないでと言ってはうるさがられているけど、、、「死ぬのはいい気分じゃないだろ、生きているうちに何も残さないなら、死んだら何も出来ないなら、生きているうちに残していく以外に!」(セサル・バジェーホ「窓が震えた」)生きていることが辛くても、いつかはいいことがある、そう思える日が来ることを信じたい、信じて欲しい。神を信じなくても、人間が信じられなくても、夜明けが来ることだけは信じて欲しいですよね。明けない夜は無いのだから。いろいろ考えさせられる劇でした。
2014年09月11日
今日は午前中、朝霞での「「子どもと舞台芸術」交流会に行った後、午後、Nさんと一緒に駒場へ劇「妥協点P」を観に行きました。名古屋の劇団うりんこの劇ですが、こまばアゴラ劇場で公演してるのです。教師同士が、お互いの主張を繰り返し、妥協点を見つけることなく怒鳴り合う・・・どこが話し合いなんだろう?と疑問を持たせるのが目的なのか?うるさい中でも、ふっと眠くなってしまうのは、疲れてしまって集中力が切れてしまうのかも・・・途中、それまで一言も発せずに反抗?していた女子高生が、突然大声である男性教師の死を伝え、その後自分も後を追うように死んだと聞き、ここで終わったのかと思った。それはそれでショッキングだが、ドラマチックな終わり方と思ったのだけど、それは想像の世界のことで、その後も冗長にお互いの主張を繰り返すばかり・・・あそこで終わった方がよほど面白かったと思ってしまった。どこが妥協点なのか?妥協点が無く、譲り合わなければ戦争などが始まってしまうという比喩なのか?そう考えるのも後からで、見てる時はただ単調に怒鳴り合うのを聞く疲れと眠気に襲われ、1時間が長く思えた。高学年用の例会にどうかと下見に来たけど、これはとても候補にならないと他の人とも話した。わざわざ朝霞から駒場まで観に行った甲斐はなかったけど、NさんやMさんと話せてよかったかな。ついでですが、朝霞での「子どもと舞台芸術」交流会の話も。入間おやこ劇場の例会部員として参加してきました。私は高学年Bグループで話し合いました。高学年向けの舞台劇は、テーマがしっかりしたメッセージ性の強いものが好ましいけど、戦争の悲惨さなど深刻に訴えるだけでなく、ユーモアのオブラートに包んで、抵抗なく受け入れられるようにした方がいいと言ってましたね。たとえば人形劇「父を暮せば」やオペラ「銀のロバ」のようにと。今日の劇「妥協点P」はそのどれにも当てはまりませんでしたね・・・
2014年08月29日
代々木オリンピックセンターの出会いのフォーラムに行き、むすび座の人形劇「父と暮らせば」を観てきました。申込みが多かったので公演が追加されたそうですが、私はその2回目の公演を観ました。人形が小さいので、後ろの椅子席ではなく、前の床に座って観ました。語りは、人形遣いの人とは別の人がやるから全部で四人。途中で交代したり、ミスしたと見せかけ、笑いを誘ったりしてました。「あらすじ:昭和23年の広島。福吉美津江の自宅。美津江は、父・竹造と二人で暮らしている。竹造は原爆の直撃を受けて死亡したはずなのだが、幻となって美津江の前に現れたのである。美津江は明るく快活だが、心の奥では原爆投下を生き残ってしまったことへの罪悪感をもっており、勤め先である図書館で原爆の資料を集める木下という青年から好意を寄せられているものの、死者への申し訳なさから親密になれないでいる。竹造は、美津江の日々の話し相手として、彼女を楽しませ、ときに諭し、助言を与える。美津江は、木下から故郷の岩手に一緒に行こうと誘われたと竹造に告げる。竹造は、それは結婚の申込みで、ぜひ行くべきだと言うが、美津江はまたも逃げようとする。そして父と娘の最後の会話が始まる…。」瓦礫の下の父に「逃げろ」と言われても、娘は生爪が剥がれるほど土を掘ったりして助けようとする。父は「最後の親孝行として、自分の分まで生きて欲しい」と言う。泣けてしまいましたね。周りからもすすり泣きが聞こえてきました。 それでも娘は見殺しにしたという罪悪感から、自分だけ幸せになってはいけないと思っている・・・娘「一瞬のうちに人の世のすべてがのうなっていました。あんときの広島では死ぬるんが自然で、 生きのこるんが不自然なことやったんじゃ。」父「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいのしごとじゃろが。」 父は、後世に原爆を伝えるのを娘ではなく孫に頼もうとまで言う。ようやく娘は思い直し・・・なんてネタバレになってしまいますが。次女ミンミが宮沢りえが出演していた映画「父と暮らせば」が好きで、こまつ座の演劇も観に行きました。映画とはイメージが違うとは言ってましたが・・・私も映画を観て、筋は知っていたけど、人形劇を目の前で見るとまた迫力が違う。人形と語りの人間が演じているので、舞台劇の要素も少しあるかな。バックに流れる音楽がまたよく合っていましたね。明るいけど、最後が哀しい。聞いたことあるメロディなのだけど歌詞や曲名が思い出せない・・・終わってからむすび座の人に聞いたのですが、武満徹の曲としかわからず、後でメールを教えて欲しいと頼んだのですが、まだ届かないので、自分でネットで調べたら「小さな空」とわかりました。探して聴いたYouTubeです。良かったら聞いてみてくださいね。私も今に歌ってみたいなあ・・・この「父と暮らせば」を思い出しながら。p.s.翌日、むすび座さんからメールで曲名を教えていただきました。ありがとうございます!「小さな空」武満徹 作詞作曲青空見たら 綿のような雲が悲しみをのせて とんでいった(リフレイン)いたずらがすぎて 叱られて泣いた子供の頃を思い出した夕空見たら 教会の窓の ステンドグラスが 真っ赫に燃えてた夜空を見たら 小さな星が涙のように 光っていた
2014年07月29日
代々木オリンピックセンターの出会いのフォーラムで 「木のリズム」を観てきました。 海外作品でドイツ・フランスから来ています。 ウッドチップを床に敷き詰め、丸太や枝など木に囲まれ、 木の素朴な楽器の音色に癒されます。 「こんにちは」などの簡単な日本語は話すけど、他は擬音語みたいなつぶやき、ため息など。 ナタで割った木切れにそれぞれ様子や音でキャラクター付けしていく。 蓑虫みたいな虫が動き回り、大きな龍みたいなのにまとわりついて邪魔にされ、 ウッドチップに埋められても飛び出してくるのも面白い。 また、最後にスコップでウッドチップを除け、道を作り、観客の子ども達を誘っていた。 子ども達は恥ずかしいのか躊躇していたが、一人小学生くらいの男子が歩いたのを皮切りに、 Mさんのお孫さんの幼児のS君がちょこちょこ歩き始め、 ウッドチップの壁を崩しながら歩き回っていたのは、とても可愛く微笑ましかった。 釣られて小さな女の子も歩き回り、木と子どもの世界になりましたね。 拍手を受けて、劇団員と一緒におじぎをしているのも受けました。 言葉は通じなくても、通じ合えるものがあるんだなと思いました。 一緒に観た入間おやこ劇場の仲間と代々木オリンピックセンター内のレストランでランチ。 私は用事があるので先に帰りましたが、帰りがけに出会いのフォーラムの入り口付近を見て回りました。 似顔絵展や、 人形劇のブース、 紙コップタワーなどやってました。 行きは代々木公園駅から歩いたけど、帰りは参宮橋駅へ。 やはり参宮橋駅の方が近いですね。 日焼け対策の長い腕カバーもしたから、ますます暑くて、少しでも歩きたくないなあ。
2014年07月26日
わらび座の劇「ブッダ」を観に、入間市市民会館へ行きました。先日、入間おやこ劇場の事務所に新人の営業ウーマンが券売りに来てたのですが、長女や次女と同じ年代で他人ごととは思えず、つい買ってしまったのですよね。ロビーでビーズのメガネホルダーを買いました。娘たちには、おばさんに見えるからやめてと言われてたけど、どうせおばさんだしね。劇「ブッダ」はミュージカルでちょっと大仰だったけど、まあまあかな。前半は卓球の地区対抗試合の疲れか、半分以上寝てしまったけど、最初と中間と最後は見たから筋は分かりました。休憩中、1階のトイレが混んでたので2階のトイレに行ったりしてかえって目が覚めました。後半はお蔭で寝ずに観られました。迫力もあったしね。最後に、ブッダが「みんな自分の中にきなさい。」というようなことを言っていたのですが、キリスト教の「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)を思い出してしまいました。仏教はよく知りませんが、やはり同じ宗教だから癒されるのだろうなあ。【あらすじ】遥か古代のインド。シャカ族の国に、王子シッダールタは生まれた。 王子は「世の中はなぜこんなにも不幸せと争いに満ちているのだろう?」と悩んでいた。 「なぜ生きるってこんなにも苦しくて怖いのだろう?」 王子は答を見つけるために国を捨てた。 修行の旅に出たのだ。 王子の旅は、大発見の連続だった。 世の中は怖いけれど、生きるエネルギーにあふれていた。 感動する出逢い!戦いと別れ! 女盗賊のミゲーラ。 国を滅ぼされ復讐に生きるタッタ。 母が奴隷だったことに苦しむルリ王子。 森の苦行者たち……。そして答を探す王子の前に、 故郷シャカ族の滅亡が迫っていた……。
2014年07月06日
午前中、入間おやこ劇場の例会部に行きましたが、途中で抜けて、赤坂アクトシアターへ劇「海辺のカフカ」を観に行きました。余裕見て出たつもりだったけど、車を安いけど駅から遠い丸広の駐車場に置いて歩いたので、着いたのはギリギリ・・・トイレと、オペラグラスを慌てて買い、駆け込みました。村上春樹の原作小説は読んでないけど、宮沢りえと藤木直人が見たかったのですよね。オペラグラスはあまり倍率が高くないから、結局あまり使わなかったけど、2人の魅力は遠目からでもよくわかる。声もいい。宮沢りえのスリット入りのタイトスカートとハイヒールが素敵で憧れますね。15歳のカフカが母親では?と思いつつも惹かれていってしまうのも理解できます。S席の割には遠かったけど、全体が見えて良かったかも。ガラスのショーケースに入ったようなセットが滑って移動するのは面白い。少女時代の宮沢りえがガラスの中に入って出てきた時は人形かと思ったほど。無機質だけど、蝋人形のような妖しい雰囲気。哲学的な台詞も多く、考えさせられますね。「僕が求めている強さは勝ったり負けたりする強さじゃありません。僕が欲しいのは外の力を受けとめることができる強さです。不公平さとか、不運とか、悲しみとか、誤解とか、無理解とかーそういうことにじっと耐えていける強さです。」とカフカが言うと、「一番身につけるのが難しい強さね」というようなことを宮沢りえが言ったと思う。また、「人を殺すのも殺されるのも嫌だから戦争には行きたくない。でも、戦争になったら嫌だと言っても免除してもらえるわけでもないから、逃げるしかない・・・」と。昔の話なのに、これからまた戦争になるのでは?・・・集団的自衛権で戦争に行かされるのでは?と思うと他人ごとじゃない。パンフレットや原作本も買いました。綿矢りさのコメントに共感してしまった。引用します。「作中の台詞だが”暴力からは逃がれられない”。カフカが殺してしまったかもしれない父、殺りくを繰り返す、愉快なコスチュームのジョニーウォーカー。彼らは人とのつながりに暴力を介する。そんなつながりを欲しくない人間を無理やり捕まえてきて、心の奥底で眠ってる引き金を暴く。自分を自分自身で無くさせる。残虐は誰の中にもあり、さらされる危険も常にある。嫌なものだけど、生きて命のある限り、暴力との邂逅は最大のハイライトだ。さんさんとライトを浴びるジョニーウォーカーの殺りくの場面を、息をつめて見入りながら、皮肉なものだなと思った。嫌なのに、どの場面より目が離せない。」途中、ちょっとうとうとしてしまったから、ますます原作本を読まないと。昨夜早く寝ないとまずいと思ってたのにね。
2014年06月30日
入間おやこ劇場・所沢子ども劇場合同の高学年例会の人形劇「ウィッシュリスト」を観に行きました。ロビーには、事前に行ったWish a 合宿や、ゴールデンキャンプなどの報告が展示してありました。また、天使の羽や天使の輪も用意され、天使のコスプレ?もできました。「ウィッシュリスト」は、むすび座の高学年(10代)以上向けの人形劇で、人形と人間が一緒に演劇するし、生き生きと動く人形が人間のように思えてまるで舞台劇のようです。演出家の児玉俊介が初めて人形劇を演出するだけあって、どちらの良さも兼ね備えていたかも。睡眠不足で眠気に襲われながらも、それを吹き飛ばすようなエネルギッシュな人形劇。休憩時間も少し寝るほど眠かったのですが、それでも起き上がって見入ってしまいました。普段の?私なら完全に寝てるところですね。天使のフリットの話し方が天然っぽくて可愛い。聖ペテロと一緒にふわふわ退場するのもいいですね。肩ひじ張ってるメグが、ラウリーと一緒に過ごしてるうち、素直に心を開いていく様子がうれしくなりました。父親に虐待されて育ち、愛情を信じられないから非行に走ってしまったのでしょうか。お互いを相棒と呼べるうれしさは、人生がうまくいかず孤独のうちに死んでいくのでは?と思っていたラウリーも同じなのでしょうね。人形だから表情は変わらないのに、なぜか心情が伝わってくる。サタンをやっていた女性が芸達者で、ラウリーの初恋の人のシシリーも演じていたけど、上手いですね。ラウリーの男性は演技も歌も上手。エコーもかかってるのだろうけど、とても響きます。ラウリーがいじめっ子のボールを殴りに行くのに、ボールに先に謝られ許してしまう。いじめられた方はずっと覚えていてトラウマになってるが、いじめた方は覚えていないとよく言われるけど、ボールはよく覚えていて、罪悪感をずっとひきずっていた。それを素直に謝れるのは、やはりもう人生の残りが少なく、今謝っておかなければと思えたからかも。 こんな風にうまくいかないのでは?とも思うけど、こうあって欲しいと思います。もっと早く謝れればいいのだけど、その時は思ってても意地?メンツ?で出来なかったのでしょう。メグを虐待していた父親も最後はベルチからメグを守ろうとする。せめてもの救いですね。だからこそ、メグも父親を許せたのだし、魂の石も父親にあげられたのでしょう。そうしなければ、メグも天国に行けなかったかもしれない。自分の為に使ったら、ダメだったのかも。そういう意味では、あげようと思わせてくれた父親のおかげだったのかな。ラウリーが最後の崖の上で唾を吐くという願いを叶えて、動かなくなってしまった。それはエンディングの為なのか、そこで息を引き取ってしまったのか、それも想像に任せるのかな。観客を見送るように、崖の上に座ったままのラウリー。彼は天国に行けたのでしょうね。
2014年05月18日
文化座のアトリエ公演「明日は風のない日」を駒込に観に行きました。入間おやこ劇場に招待券が来ていたので、例会部員の特権?で使わせてもらったのです。まあ、下見?で感想を書くのですが。FAXで招待申込みを文化座に送ったつもりでしたが、なぜか届いてなかったらしく、受付でまごつきましたが、また発券してもらいました。駒込駅から迷いながら来たのに、ここで帰されたら、うちから一時間半かけて来た意味がないから良かった。FAXの原稿の招待券を持ってきた方がわかりやすかったですね。「舞台は長崎、坂の上に55年前の原爆に耐えた家がある。静かに暮らす姉と妹夫婦の元に、事業に失敗し、多額の借金を抱えた義兄が転がり込んでいた。今日は8月9日。被爆二世として、いまひとつ結婚に踏み込めない姉が縁談相手を連れて来るという…」演技がわざとらしくなく、自然で良かった。戦後55年という昭和レトロな家の内装なのに、携帯を使ってるから、時代設定はいつ?と思ってしまったけど、携帯は脚本の進行上、必要な小道具なのだろうから仕方ないか。漫画の「ガラスの仮面」でも、同じように昭和?に携帯がいきなり出てくるのを思い出してしまった。印象的な言葉は姉が義弟に語った自分の「涙の谷」。「女はいつも泣いてるみたいて悔しい」とも言っていた。本当にそうですよね。ただ、被曝二世の女性の「涙の谷」はもっと深いのでしょう。「涙の谷」が太宰治の『桜桃』や旧約聖書に載ってる言葉とは知っていたけど、ネットで詳しく調べてみました。「太宰治の『桜桃』の中で、主人公に一番汗をかくのはどこか?内股か?と問われた妻が答える台詞が「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」です。この「涙の谷」もまた、旧約聖書の詩篇第84に出てきます。ただ、「涙の谷」と表現されているのは文語訳聖書で、口語訳聖書では「嘆きの谷」(あるいはバカの谷)と表現されています。今売られている聖書で、いくら「涙の谷」を探しても出てきません。」「旧約聖書の詩篇84:5〜7には、神の力を拠り所として生きる信仰者の幸いな姿が書かれています。ここで「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」とありますが「涙の谷」というのは、特定の地名ではなく、荒廃と嘆きのある場所を示しています。人生には、多くの涙の谷があります。人生は涙の谷を行く旅のようです。」借金を抱え、妻子と別れて弟夫婦の家に居候する兄。妻子が長崎に来るから会いに行くと言いながら、実際には来てなかったらしく、一人で交通事故に遭って死んでしまう、、、自殺ではないかと思うけど、「いつまでも雨宿りしていられない」と言っていたのは、これ以上弟夫婦に迷惑をかけられないということなのかな。義妹が「気にしないで下さい」と気遣っていたけど、それがかえって申し訳なく負担に感じていたのかも。思いやりが仇になる?という矛盾、、、姉も村山と西山の間で揺れ動きながらも、村山と結婚することになるんだろうなあ。涙の谷が乾くことはないだろうけど。妹が妊娠を素直に喜べなかったのは、被曝二世だから?と思ってしまった。姉も、涙の谷のアザが被曝とは関係ないと医者に言われたのに、相手にどう思われるか、先回りして考えてしまう自分が嫌だと言っていたから。それでも、チラシに書いてあった通り、最後には希望が見えてホッとした。引用しますね。「背負った人生の重さは違っても、夜明けは等しく人々に訪れる。その光が、明日へと続く希望の灯であることを祈って」最初に兄が夜明けを見ていたのは、これを示唆していたのか。明けない夜はないと。ただ、兄はその時、「人類が滅んで夜明けが来ても虚しい」というようなことを言っていた。義妹は、「それでも夜明けは希望だ」と言っていたが。兄もそう思えれば、自殺することはなかっただろうに。私もいろいろ考えさせられました。
2014年04月25日
今日は、午前中仕事。図書ボランティアの名札を作ったり、算数のTTしたり、音楽の伴奏をしたりしました。帰ってから、長女マッキーと映画「名探偵コナン~異次元の狙撃手」を観にいきました。主人が残業で遅いので、観た後くら寿司で夕食も一緒に食べてしまいましたね。長女はコナンの初回から今回まで18本欠かさず観て、パンフレットも毎回買い、取ってあるのです。小さい頃は、新所沢の映画館まで家族でコナンを観に行くのが毎年の恒例行事でした。入間市に映画館ができてからは、子どもが友達同士で行くようになったけどね。息子のカズも友達と先日観にいってきてました。大学生になったのにとも思ったけど、観にいくメンバーは、子どものころから一緒みたいですね。24歳のマッキーはコナンを一緒に観にいく人が居ないのか、去年も私と観ました。おととしは彼氏と観たらしいけど、サッカーで釣ったら、それほどではなかったらしいので・・・昨年は、イージス艦や海上自衛隊の話ばかりで、ちょっと引いてしまいましたね・・・パンフレットがまるで海上自衛隊の紹介(宣伝?)の為にあるような感じ。今年は、米軍の海軍特殊部隊「ネイビー・シールズ」や、イラク戦争など・・・まあ、パンフレットはそれについてあまり触れてないから良かったかも。ストーリーの中でもイラク戦争のPTSDや、交戦規程など、まだ反戦的?私もかなり偏ってるとカズにも言われますが・・・それはともかく、コナンですよね。今年はマッキーに言わせれば原作者の青山剛昌も原画を多く描いてるせいか、絵が良かったと言ってました。推理物というよりアクション物みたいで、コナンはスーパーマンのように飛んでましたね。「アナと氷の女王」を抜いたそうですが、子どもが多いので興行収入は少ないでしょうが。さすがにマッキーも、子どもの頃のように手放しでは楽しめないと言ってます。それはコナンが面白くなくなったのか、自分が大人になってきたからなのか?と言ってたけど、子どものころと感じ方が変わらないというのも困るよね。私も昨年よりは割と純粋に楽しめたけど、まあまあかな。そういえば、今年の声優デビューは福士蒼汰でした。堅いけど、英語頑張ってましたね。今回は英語の台詞が多かった・・・いつも少年サンデーで募集する素人の子どもが声優をするのですが、その大人版があったのかとマッキーが思ったら、野球選手の赤星憲広だったそう。一昨年はサッカー選手の遠藤が出たそうだけど、それでサッカー好きの彼氏を誘ったらしい。
2014年04月22日
劇「未来」(重松清原作、東京芸術座)を入間おやこ劇場のMさんと観に行きました。劇が良かったので、原作本も買いました。まあ、もともと重松清が好きでこの劇も観に来たのだけど、この本は読んだことなかったのです。「STORY:みゆきは高校を中退し、今はボランティア活動をしている。理由は”いい人”になりたいから…三年前、みゆきが高校生のとき、クラスメートの長谷川君が死んだ。自殺だった。長谷川君とは親しくもないどころか、会話したこともない人だった。その彼が自殺する直前に、みゆきに電話をかけてきた。長谷川君の未来は途切れ、みゆきの未来も無くなった。昨晩、みゆきの弟政人の同級生の赤堀君が自殺した。彼の遺書には『政人を許さない』と…現代の家族、教育をテーマに次々と話題作を発信し続ける重松清氏の問題作『未来』を2014年東京芸術座が初舞台化!ご期待ください。」 重いテーマですが、最後は少し希望が見えてきて良かった。テレビ画面などを表現するのに、バックスクリーンに映写したりと工夫していた。弟の政人の演技がリアルでしたね・・・両親の慌てぶりとかマスコミの騒ぎようとか、想像するだけでも怖い。みゆきが弟と一緒に追体験することで、徐々に回復していく。ネタバレになるので結末は書けませんが、最後は救われました。みゆきが冗談を言えるようにまでなるとは・・・手紙や日記を書くことも心の為になるのですね。私も日記続けようと思います。
2014年04月11日
映画「ウォルト・ディズニーの約束」を主人と観てきました。「あなたを抱きしめるまで」を観に行こうかと言ってたのだけど、銀座か渋谷まで行かないと観られないのでやめて、地元入間で観られるものにしたのです。息子カズが、入間アウトレットでのバイトが終わったら合流して一緒に観たいと言ってたのですが、減税前のセールだからか混んでて、時間延長になって見られませんでした。また、先日断捨離でパンフレットを大量に捨てたので、もう買うまいと思ってたのですが、割と良かったし、細かいところが気になって買ってしまいました。今回は買ってよかったかな。解説: エマ・トンプソンとトム・ハンクスという英米のオスカー俳優が共演を果たし、傑作ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』誕生秘話に迫る感動のヒューマンドラマ。ウォルト・ディズニーの映画製作の舞台裏を初めて描き、原作者と映画製作者の激しい攻防を情感豊かに映し出す。ポール・ジアマッティやコリン・ファレルら名優たちも豪華共演。頑固な作家の心の奥深くに秘められた、ある思いを浮き彫りにする展開に心打たれる。あらすじ: 1961年、パメラ・L・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、ウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)が長年熱望する「メリー・ポピンズ」の映画化について話し合うためにロサンゼルスに向かう。傑作児童文学の著者である彼女は気難しい性格で周りを困惑させる。スタッフたちはどうにかしてトラヴァースに映画化の契約書に署名してもらおうと心を砕くが……。子どもの頃の父親とのトラウマが尾をひいて罪悪感を抱いたままのトラヴァース。その過去の映像が心に刺さる。そのために許せないことが多いのだが、同じようにトラウマを抱えたウォルトが、希望を持たせるラストにすることで父親も救われると説得する。それと同時にトラヴァース自身も救われるのかも。でも、現実には映画化の後でも、トラヴァースはウォルトに原作とイメージが違うと文句を言うが、もう受け入れられずその後一緒の仕事はしてないらしい。やはりディズニーがウォルトを美化して描いているのを知って失望したが、これもハッピーエンディングが信条?のディズニーなのかも。リトルマーメイドも、泡にならない人魚姫だしね。現実が不幸だからこそ、夢を持たせたいのかもしれないけど、砂糖でコーティングしてばかりだと、子どもにもどうなのかな・・・原作のメリー・ポピンズを読んだことないけど、結構厳しいナニーらしいからね。
2014年03月30日
映画「僕たちは世界を変えることができない」をDVDで観ました。息子カズが借りてきたので、途中まで一緒に観ていましたが、カズは約束してた友達の家に行ってしまいましたね・・・私はその後も一人で観ました。長女マッキーが以前、カンボジアの児童買春防止のNGOかものはしのインターンをして、カンボジアにスタディツアーや引率などしていたのですが、その時ガイドしてくれたブティさんも出演してました。マッキーが観た時買ったパンフレットやカンボジアのガイドブックも貸してくれたのです。解説: 楽しい日々を送る医大生が一念発起し、カンボジアの子どもたちのために学校を建設しようと奔走する姿を描く青春ストーリー。『同じ月を見ている』の深作健太が監督を務め、現役大学生・葉田甲太の体験記を映画化した。ボランティアを行動に移す主人公を熱演するのは、本作が映画初主演の向井理。カンボジアの非情な現実を目の当たりにした若者たちが、学校建設ボランティアを通して自分自身と社会を見つめ直す姿が共感を呼ぶ。カンボジアの悲惨さは、マッキーに聞いてはいたけれど、映像でポルポトに虐殺された跡のキリングフィールドなどを見るとやはりリアルできついですね。撮影もドキュメンタリータッチで、実際に見学した反応をそのまま映しているそうです。甲太の心の揺れやサークルの仲間割れなど、紆余曲折も描いています。学校を作るだけでなく、そこに子どもが通えなければ意味が無いと奮闘する甲太。実際、学校を作っても使われなくなったりするそうなので、維持・改修や、教師の育成が必要なのですよね。甲太は医者になっても、維持のために活動してるらしい。本を書いたり、講演したり、ドキュメンタリー映画を撮って上映したりと。学生だけでなく、社会人になってもボランティアは出来るのですね。カズにもまた見直してほしいなあ。学生時代を有意義に過ごしてほしいから。
2014年03月27日
息子カズが選んだ映画「キック・アス」を、うちで一緒に観ました。私が選ばないような感じだけど、思ったより面白かったです。「解説: とあるコミックオタクの平凡な高校生が、自ら“キック・アス”と名乗り、ヒーローとして活躍する姿を描くアクション・ムービー。ブラッド・ピットが製作に名を連ねる本作は、マーク・ミラーの原作を『レイヤー・ケーキ』のマシュー・ヴォーン監督が映像化。『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』のアーロン・ジョンソンが主人公を好演するほか、『(500)日のサマー』のクロエ・モレッツが美少女ヒーローを熱演。実際にアメコミマニアのニコラス・ケイジふんする“ビッグ・ダディ”の名演も見逃せない。」コメディだけど、11歳のヒットガール(クロエ・グレース・モレッツ)が殺しまくるというR15指定・・・こんな殺人鬼がヒーローでいいのかな?と思いつつ、その場面で音楽が入りノッてしまうところが恐ろしい・・・ヒーローになりたいデイブ(アーロン・ジョンソン)の弱さもいいなあ。ゲイと思われて仲よくなったケイティ(リンジー・フォンセカ)もかわいい。息子カズは続編の「キック・アス2」を観るつもりで、これを借りてきたらしい。映画館で見たら、ちょっと怖いだろうけどね。
2014年03月23日
映画「それでも夜は明ける」を主人と豊島園で観てきました。まあ、これを観に行くついでに所沢に寄り、買い物とランチをしたのです。アカデミー作品賞などを取ったし、テーマも興味あったのですよね。昨日観た劇「屠畜場の聖ヨハンナ」も虐げられる労働者の話だったから、二日連続重いテーマで暗いけど、同じような感じだから一緒に考えるにはいいかな。パンフレットも良かったので買ってきました。「あらすじ: 1841年、奴隷制廃止以前のニューヨーク、家族と一緒に幸せに暮らしていた自由黒人の音楽家ソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。狂信的な選民主義者エップス(マイケル・ファスベンダー)ら白人たちの非道な仕打ちに虐げられながらも、彼は自身の尊厳を守り続ける。やがて12年の歳月が流れ、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バス(ブラッド・ピット)と出会い……。」奴隷制がある時代に自由黒人が居たというのも知らなかったのですが、それだけ北部と南部は違っていたのですね。奴隷が輸入禁止になり、北部から誘拐して南部の農場に売る商売が成り立っていたらしい・・・最初に売られた農場主は牧師でもあるフォード(ベネディクト・カンバーバッチ)。優しく、ソロモンを認めていたにもかかわらず、自由黒人と知っても、ティビッツ(ポール・ダノ)のリンチから守るためと言いつつ、借金のカタに残忍なエップス(マイケル・ファベンダー)に売ってしまう。フォードは偽善者?でも、この時代としてはましな方なのだろう・・・ティビッツらに首に縄をかけて木に吊るされる。農園の監督官がティビッツらを追い払うが、フォードが戻るまで、ソロモンは爪先立ちの状態で放置される。奴隷の女性が一口水を飲ませてくれるが、その他は見て見ぬふり。子ども達も周りで楽しそうに遊んでいる。よくある風景なのか・・・助けようとすれば、自分が吊るされてしまうと諦めている奴隷たち。ソロモンは知性と教養ある自由黒人であることを隠し、従順を装いながらも、目は不屈の光をたたえている。若い女性の奴隷パッツィー(ルピタ・ニョンゴ)は、エップスにも弄ばれながらも、誇りを失わないでいたが、エップス夫人に嫉妬から苛め抜かれ、ソロモンに「私の人生を終わらせて」と頼むが、彼にはできなかった。森鴎外の「高瀬舟」を思い出してしまいましたね。エップスはパッツィーを愛してしまうのではないかとの恐怖を打ち消すために?自分で鞭打とうとするができず、ソロモンにパッツィーを鞭打たせる。強く打たなければ、ソロモンだけでなく、他の奴隷も打ち殺すを言われ、ソロモンは泣く泣くパッツィーを打つが打ちきれず、鞭を取り上げたエップスが狂ったように鞭打つ。所有物で遊んで楽しんでるんだと自分に言い聞かせるように言うが、苦しんでるよう・・・奴隷に残忍なエップスも、罪の意識、愛の重さに耐えきれないのだ・・・また、監督官だった白人は、黒人を鞭打った罪悪感を無くすために酒におぼれ、奴隷と同じような農場労働者に転落したほどだ。でも、ソロモンに手紙を投函してくれと頼まれると、ソロモンを裏切ってエップスに密告する。エップスもこの時、ソロモンが自由黒人だと気付いたのでは?必死の思いで紙やインクを手に入れて書いた手紙を燃やすソロモンの悔しさ、虚しさ・・・この映画は声高に叫ばず、淡々と現実を描写していくが、だからこそかえって物悲しい。満席で1列目になってしまったこともあり、スクリーンの中に取り込まれ、追体験しているような感じだった。奴隷制度は無くなっても、差別と格差はなくならない。ブラック企業の奴隷になっている人も居るだろう。住むところも無く、飢えに苦しんでる人は、最低限の衣食住を与えられていた奴隷よりも悲惨かも。ただ、自由があるということは大きな違いか。その自由という希望を胸に生き続けたソロモンが、ついに奴隷解放論者のバス(ブラッド・ピット)によって救われる。プロデューサーでもあるブラピがこんなオイシイ役をやるなんて役得と言うか、ズルですよね。まあ、最後に少しだけの出演だし、自分がかわいいから怖いと正直に言うだけましだけど。 家族に会って、知らない男を夫と紹介された時、奥さんの再婚相手かと焦ってしまった。戦死と知らされた後、再婚したら、死んだはずの夫が戦地から戻ってきたなんてことがあったらしいから。娘の夫で、孫までできるような年になってしまってたのですね。その後、この映画の原作の本を出版し、奴隷解放の講演活動や、地下鉄道という奴隷のカナダ逃亡を援助する秘密結社の手伝いもしたそうだ。昨日にひきつづき、いろいろ考えさせられましたね。
2014年03月21日
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