2020.02.19
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カテゴリ: 京の見どころ
 前回壬生大念仏狂言の壬生寺ご紹介しましたが、そのご縁で近くでもあり京都三大念仏狂言の一つがある、千本ゑんま堂をご紹介します

千本ゑんま堂(引接寺 {いんじょうじ} 本尊に閻魔法王を祀ります

開基は小野篁(オノノタカムラ)で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に夜は閻魔の廳に仕えたと伝えられ、京都葬送の地の一つである「蓮台野」の入口に応る朱雀大路(現・千本通)北端に閻魔法王を安置したことに始まり、1017年叡山恵心僧都の法弟定覺(ジョウカク)上人が引接(インジョウ)佛道(衆生を浄土へ導くという教え)の意を以て「光明山歓喜院引接寺」として開山しています そして閻魔法王は地蔵菩薩の別の姿として信仰され堂内沢山のお地蔵さんが祀られています

↓ゑんま堂入り口です お寺らしい門はなく石塔には「小野篁卿霊跡 千本えんま堂 引接寺」と彫られています 


 ゑんま様の怖い形相は地獄の支配者と思われがちですが、実は亡くなった人間をあの世のどこへ送るかを決める裁判長なのです、人を地獄には行かせたくない為に怒りの表情で地獄の恐ろしさを語り、嘘つきは舌を抜くと説いている姿です 子供たちに「嘘をついたら閻魔さんに舌を抜かれるよ」の教えはここからです


↓左は入り口に置かれた道祖神とみられる可愛らしい地蔵さん 右は本堂前にある頭に手をやり涙を見せるお地蔵さん、閻魔さんに怒られでもしたのでしょうか

 ↓精霊堂(開山堂) 祀られている中央は、ゑんま法王本地 地蔵菩薩、右は引接寺開山 定覺上人像、左はゑんま堂開基 小野篁卿の像です


小野篁卿は、遣隋使・小野妹子の子孫で小野道風・小野小町の祖父とされ、平安時代初期の文人・公家官人で参議を勤めています、伝承として昼は朝廷に仕へ、毎夜冥土に入り閻魔庁第二長官として大王のもとで死者に対する裁判に立ち合ったとされています 「精霊迎え」の根本道場としてゑんま堂を拓きます

 ↓「本堂」です


 ↓「本堂入った外陣」 正面は、賓頭盧尊者〝びんつる"さん祀られています



↓本堂上にかかる扁額          ↓本堂前に置かれた内陣説明

 ↓「本堂・内陣」 縁日と御住職の法話を受ける折にのみ開帳されます 
   (写真は引接寺より)
中央は閻魔法王、向かって右は司命尊(検事)で手には裁きを受ける人のすべてが書かれた 閻魔帳 を広げ持ちます、左の司録尊(書記)で筆と木簡を持っています


 ↓天井は極彩色で描かれたいろいろな花の絵です  (同)


 ↑閻魔法王のアップ (写真は引接寺)

 ↑閻魔さんが使っていた萬倍碗
現存の閻魔法王は、1488年に仏師定勢(ジョウセイ)によって造立されたもので高さは2.4mあります 右は本堂正面の鐘の上に置かれた萬倍碗、お賽銭を放り投げ入ると万倍の御利益を得られるとか・・・

 ↓「水燈華供養池」かっての朱雀大路より発掘された地蔵さんを含め沢山の地蔵が安置されています、この池で塔婆流しの行事があります


 ↓ここでご先祖の塔婆を流します 仏道では「塔婆は浄土往生への舟筏なり」と説かれます


 ↓「童観音」 蓮の花を手に持つ高さ2mのブロンズの坐像で、子供達の災難除け息災を守護されます


 ↓「梵鐘」 1379年建てられた鐘つき堂 八月のお精霊迎えの行事に「迎え鐘」、「送り鐘」が突かれご先祖を供養します


小野篁は、塔婆供養と迎え鐘によってこの地を現世浄化の根本道場としました、初めは高野山真言宗に属していましたが、以降宗旨・宗派を問わない民間信仰が続いています

 ↓梵鐘内部は格子天井が設けられ、各格子には梵字が墨書されています


 ↓「普賢象桜(フゲンゾウサクラ)」 今は花葉はありませんが、八重桜で花芯の双葉の芽が普賢菩薩が乗っている象の牙の形に似たところから付けられたと謂われる名で、花冠のまま落ちる珍しい桜です



↓満開時に咲く普賢象桜        と庭に置かれた恵比寿・大黒天像です

 ↓堂内で行われる千本ゑんま堂大念佛狂言 開山・定覺(ジョウカク)上人により始められています
(写真はゑんま堂狂言保存会ページより)


壬生寺と清涼寺との京都三大念佛狂言の内 ゑんま堂狂言は 唯一の有言劇 で京都市無形民族文化財に指定されていて、ここで毎年5月1日から4日かけて行われます

 ↓狂言の一場面 演目は「閻魔庁」で始まり「千人切り」で終ります


 ↑「こんにゃく炊き」振りまわれます「来ん厄」の由縁です

 ↑お供えされた餅をかき餅にして授与されます 「えんま様のお目こぼし」


↓「紫式部銅像」 まだ新しく平成20年に源氏物語千年紀に因み建てられています
 紫式部、云うまでもなく「源氏物語」の作者ですが、当時はこの愛・恋の物語一般民衆からは受け入れられず晩年は寂しく過ごしたとされ、地獄へ落ちたとも謂われてきました
のちに式部の子孫となる圓阿(エンア)上人がこの状況を救いたいと思い、閻魔法王に願いを入れるため小野篁にとりなしを得るためここゑんま堂に供養塔を勧請し建立したとされています


 ↓「十重石塔」高さ6.1mある紫式部供養塔です


1386年に建立された紫式部供養塔は、珍しい貴重な十層の多重石塔(普通は十一か十三の石塔ですが)で、国の重要文化財に指定されています

ここで、ここゑんま堂から東へ1キロ、昔の蓮台野の東端 紫野ですが

 小野篁と紫式部の墓  二人並び葬られています

 元は蓮台野にあった雲林院塔頭の白毫院(ビャクゴウイン)にあったとも謂われますが、その近くにはなりますがお寺でもない場所に二人葬られています
生きた年代が一世紀以上も異なる二人が並び祀られているのは奇異に感じますが、式部は篁の信奉者だったともいわれ、二人共に百人一首の歌人でもありますが(11番 参議・篁と57番 紫式部)、前記ゑんま堂の供養塔建立の由縁であったからという事なのでしょう(が諸説あるようです)
 ↓堀川通りに面した「墓所前」入り口です 通路の左右に分かれ墓地標がたちます  隣は島津製作所紫野工場です


 ↓入れば薄暗い参道



↓一歩入ると苔生しています

 ↓まず手前にある「小野篁の墓」、相公は篁の通称です


 ↓その左奥に「紫式部の墓」並び祀られています 

 式部の墓が篁より奥におさまっている事の疑問は拭えませんが、二人の墓は同じように小さな盛り土の上に石塔が置かれた形となっています、小さく彫られていて判読できませんが両名の顕彰碑も建てられています


 次回は、時期でもあり満開の梅の出番と思っていますが、近くの北野天満宮と二条城は昨年UPしていますので、あとは遠くともなりハテ?.......目下思案中です


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最終更新日  2020.02.19 18:00:06
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