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娘の高校受験の挑戦が終わった。中学最後を締める最後の挑戦だった。結果、3戦3勝。娘は、中学一年から塾に通い始まる。塾に志望校を表明しなしといけない。娘の第一志望校は兄の通った附属高校だった。娘の試験の結果からするとあまりにも控えめだという。もっと、上を目指して勉強した方がいいと塾の教師からのアドバイスだ。そして、この日から娘の挑戦が始まった。そして、先週最後の挑戦の学校の合格発表があった。見事合格。とても信じられなかった。競争率のきびしい学校だったからだ。塾の同僚も受験した。同僚は早稲田の附属高校に合格した。だが、娘が受験した学校の高等部には受からなかった。それほど、合格が難しい学校だったのだ。娘が受験した高校は、一般で受験して合格したのが、塾で娘が初めてだという。塾の先生からは、最高の祝福を受けた。仕事を終えて、家に帰った。娘に「合格おめでとう」と言うが様子がおかしい。どうしたのかと聞くと、担任の教師に報告した所、「受からなければ良かったのに」と言われたと言う。第一志望校を合格していたからだそうだ。そして、娘が受験に挑戦した学校は、娘が受かったら、落ちる人がいるから可哀想だと言うのだ。なんともおかしなことを言う。受験した学校は、私立の学校だ。補欠はいっぱい取っている筈だ。逆に娘が入学を棄権すれば、繰り上がり合格する。確かに第一志望校は合格した。もうひとつ上のランクを目指して勉強したとはいえ、通う学校が決まったのに、受験に身が入らない。それでも、娘は第一志望校合格後、1ヶ月も勉強していた。もっと、上への挑戦の為に。そして、娘の目には涙がいっぱいだ。どんどん溢れ出て来た。悔し涙だ。3年間頑張って、自分の目標を成し遂げたのに。クラスのみんな、担任の先生からの祝福の言葉を貰いたかっただけだと言う。何の為に自分は頑張ったのか?あまりにも酷い言葉だった。「本来なら人生のうちで一番うれしいはずなのに」しかし、担任の先生から受けた言葉は、の祝福のない言葉だった。それが悔しくて仕方がなく、涙が出るという。先生も、自分の担任の生徒が受験に受かったら普通は誇りに思うのでは?さらに娘は言う。高校に行っても何もいいことなんてないんじゃないか?これからの人生。いいことなんてないんじゃないか?なんて、泣きじゃくっていた。歓喜に包まれていると思って帰宅した私も残念だ。確かに娘は中学1年の頃には、友達に仲間はずれされ友達がいなくなった。登校拒否をしたりしながらも、歯を食いしばって通った。後で、わかったことだが、娘がクラスのかっこいい男の子と親しげにしていたのが気に入らなかった言う他愛もないことからだ。娘の心には兄が通った素敵な学校で、素晴らしい教師と素敵な友達に囲まれて、楽しい高校生活を送りたいと言う夢のみが心の支えだった。私は、黙って見守るしかなかった。同級生からの仲間はずれが失せたかと思った頃、今度は、担任の教師からの嫌がらせだ。ちょくちょく聞いていたがたいしたことはないだろうと思っていた。いやなことを言われても、じっと笑って耐えていたと言う娘。もう少しで卒業だから頑張れ。としか言えなかった。娘の第一志望校の内申書も良くなかった。担任の先生が担当する社会は、評価はすべてAなのに総評価が4だ。なんだか、わけわからない評価だ。つづいて音楽教師だ。この教師は吹奏楽部しか5を付けないと言う。こんな差別するいい加減な教師が公立中学にいていいものか?権力をかざしているだけにすぎないこうゆう教師の給料の為に税金を払っていると思うとちょっと残念だ。しかし、娘は内申書を良くないにもかかわらず、その分試験の成績でカバーした。そして、第一志望校を勝ち取った。ハンディが大きかった分喜びもひとしおだったと思う。そしてさらに続く娘の中学最後の挑戦。塾の先生に言われた言葉を鵜呑みにして頑張った。自分の努力の結晶が実った合格の日に浴びせられた、担任の教師のあまりにも酷い言葉が悔しくてしょうがないと言う。確かにそうだ。正月が過ぎてから、第一志望校の受験日まで1ヶ月を切っていた。受験日は1月22日だった。突然の帯状疱疹。学校、塾を2週間休む。体が痛くて勉強どころではない。そして次は、わけのわからない頭痛だ。これで3日勉強が出来ない。受験の不安が娘を襲う。こんな中で第一志望校を受験する。確かに辛い日々ばかりが娘に次から次へとやって来る。しかし、娘は歯を食いしばって耐えた。担任の教師からの授業中の嫌がらせもたびたび続く。時には、妻に愚痴を言って気を紛らせていたと言う。こんなにも我慢したんだ。こんなに我慢したのに人生で一番嬉しいはずの日を、担任の教師にメタメタにされて、素直に喜べない自分がたまらなく悔しいという。担任に謝罪させたいと言うが・・・。気持ちは、わかるが娘には、人生長いし、もっと素敵なことがきっと待っている。気持ちを前向きにもて。先生に仕返ししたってどうなる。自分に跳ね返ってくるだけだ。忘れて、また新しい目標を掲げて、前を向いて歩め。いざというときは、父がきっちり先生に責任をとって貰うから。先生が否定しても、あなたが挑戦して勝ち取った学校の合格通知は、あなたの努力の結晶であり、自力で勝ち取った、世間が認めた証なんだから。努力は無駄にならない。自信をもって、高校生活に夢をもって生きなさい。そのうちもっと、もっと素敵なことが訪れるよ。と娘に言うが、よけい泣きじゃくる。時が経って、娘にとって、すてきな思い出と変わることを祈りたい父である。そして、最近切れる生徒が増えているというが、教育者である先生方にも、もっと、もっと人格をもって、心のこもった人間らしい授業を望む。未来ある生徒たちのためにも。
February 18, 2008
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久々に東京に雪が。こんなに雪が降ったのは、10年ぶりだろうか?10年前は、もっと積もった。30センチぐらい積もっただろうか?打合せに行く途中だった。高速から降りる頃にはもう15センチぐらいだっただろうか。ものすごく積もっていた。もちろん。タイヤは、ノーマル。いつも雪対策はしていない。高速の出口は急な坂道。そして、カーブだ。けっこう車の列がつながっていた。急な坂だったのでちょっと恐かった。道は、車で固められ雪道となっていた。雪のじゅうたんが、すっかりと道を覆っている。勇気を出して、少しづつ坂を下った。ゆっくりブレーキをかけながら。そして、一番急な場所を通過したとたん。ブレーキをかけても、エンブレを使っても、車がすべりだした。づるづる。次はカーブだ。ハンドルを切るが、ハンドルもきかない。今度は、車が横になって。坂からづり落ちていく。ガードレールが見えたり、前を走る車のバンパーが見えたり、ようように景色が変わる。もう無駄な抵抗を止めて、運にまかせた。ガードレールにぶつかりそうになる。前の車にも。多少、車間距離をとっていたせいで、なんとか無事に一般道にたどり着いた。普段なら、なんともない道なのに、命がけだった、高速の出口。ある日のことを思い出した。今日は、スタットレスを履いていた。娘の受験日に雪が降るという情報があった。そのときの備えのためだった。初めて履いたスタットレスだった。今日、役立った。本日の会社からの雪景色。会社のベランダにこんなに雪が。
February 3, 2008
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