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今日は朝にノモンハンに行きました。 モンゴル国にはもっとあるみたいですが、内モンゴル側にはトーチカを模した小さな陳列館があるだけでした…しかも工事中。 その陳列館には一部の陳列品がありました、日本軍の遺品がほとんどでした。 騎銃、銃弾、鉄兜、缶詰、生活用品などなど…。 お守りもありましたが、帰って来れなかったと思うと…。 これらは残念ながら撮影不可でした。 外に出て周りを見たところきれいな草原ですが…それでもやはり、ここで戦闘があったと思うと複雑です。 昨日と違い曇っていて風が強かったのでかなり寒かったです。 曇るだけでこんなに違うんですよね(>_<) 午後は羊の解体見てました。 テレビでタレントさんが泣くあれですな~。 結構平気で見てました、部品毎にばらしていくような感じでしたね。 で、そのお肉いただきましたが新鮮の一言に尽きますなあ! 全くと言うて良いくらいににおいはありません。 草原地域の羊は全然違いますよ。 旅の事は詳しくは改めて書こうと思います。
2008年07月28日
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昨日の夜8時前に友達の実家に着きました。 ハイラル着いてからしばらく友達らと市内を見て回り、3時半にバス乗車した訳でして。 計40時間以上かけたのですな。 その実家はモンゴル国の東端から数10キロの国境を抱えてる地域で、初めて辺防検査なるものに遭遇しました。 国境に近いからか、そのような検問みたいなのがあるんです。 物々しいものではなく出入りする人のチェックくらいでしたが。 友達の実家に数日ホームステイさせてもらう形ですが、これも初めてです。 気持ち的には今日撮った画像すぐアップしたいですが、延安のもまだやし結局学校のパソコン使わないとダメかもです。 今日は村の近所をみんなで散歩しました…イメージ通りのモンゴルを見ましたね。 草原で羊の放牧、村の外ではモンゴルゲルに住んでいる人もいました。 もちろんお邪魔してひと休みさせてもらいました。 内モンゴルではこのような生活をしてる人はいなくなったと聞いてましたが…この地域ではわずかながらいるのでして。 他にはオボーと言う地域の守神みたいなのや、かつて満州国だったので日本人が住んでいた家も見ました。 草原など周囲を見渡せる丘の上の林業局の監視塔(森の火事が起きやすいので)に行ったのですが、元は日本軍の監視施設やったと聞いて複雑になりましたな。 ソ連軍モンゴル軍が国境のある南からも攻めてきたんやろなあと思って眺めてました。 歴史上の難しい部分はあったとは言え、やはり眺めがきれいだと和みます。 体は疲れても気疲れはしてないですね。 来て良かったべな。
2008年07月27日
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ハイラルに向かって走ってく~あの列車に乗って行こう~ 普段着のままで飛び出して~あの列車に乗って行こう~ もうすぐ内モンゴルの東北に位置する赤峰に着きます。 赤峰越えたあたりから草原見れるらしーな。 9時頃に通遼に着きます、これが今日の山場でしょう。 我らが乗っている軟臥は、4人コンパートメント部屋が固まってます。 相部屋の人はどんなんやろてのが楽しみ(かつ不安)でした、お孫さん連れて国境の満州里まで行く女性ですだ。 彼女はモンゴル人なので少し会話練習にもなってます。 この列車の乗って良かったな思えたのは…これは北京経由して再び内モンゴルに入る列車ですが、北京に入る前に何とスイッチバックがあった事です! 説明めんどくさい言うかしにくいので(苦笑)スイッチバックについては調べて下さい<(_ _)> 人生初スイッチバック!もう日本では無くなったんやったけな!? しかも万里の長城ド定番スポット八達嶺でスイッチバック! 朝に目覚めて窓の外の景色がだいぶ緑がかって外を注視してたら長城見えた、もしやと思ったらビンゴでした。 車内の様子とか、気が向いたらまとめて報告しよ思います(いつになるかわからへんけど)。 寝台車故か意外と疲れへん旅ですな、帰りは飛行機にたのを少し後悔。 でも汽車は時間がかかりすぎるのが一番の難点…北京経由やしオリンピック近いから帰りの切符ゲットしにくいらしい。
2008年07月25日
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明日の夜からホロンバイル(内モンゴルで草原がきれいや言われてる所)に友達と行ってきます。37時間も汽車に乗ります、こんなに乗るのは当然初めて。切符は硬臥と言う二等寝台で行きたかったのですが、メイヨウ(没有、中国語で無いて意味)の一言で玉砕。一等寝台の軟臥か、二等席の硬座しか無いと言われ、仕方なく軟臥に。ハッキリ言えばこの軟臥、金持ち用の切符と勝手に思うてますので快適とは言え若干居心地難しそうです。変な所でビンボー人らしくなってしまうのですな。しかしギュウギュウ詰めの中で病院の待合室の椅子(去年乗った車両の椅子の素材がそっくり)みたいな硬座に37時間座り続けれる気力体力の自信は当然無く(涙)、ならばゴロンと横になれる硬臥で行きたかったのですが...。硬座は日本的感覚で見ると、汚いで終わるのでしょうが僕自身が中汚い生き物なので(笑)それほど気にならなかったです。ケツがひたすら痛くなってしんどいのがかなり厳しいのですわ。要するにゼータクな生き物なんですな、おいらは。しかしまぁ中国の切符はホンマ取りにくいです。つーか中国の鉄道が不便すぎるんですがね。僕的には中国内の移動は長距離バスの方が圧倒的に便利と思っています。ビンボーくさい格好で金持ち車両に堂々と入ったるわい!相手の無いサイレントテロを意地っ張りのように実行します。
2008年07月23日
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多分こう、ダラダラ書く性質だから分けとく方がええんかなと思ったし、内容もだいぶ違うから別々の日記にしました。ややこしくてすいません。昨日に、留学生友達の紹介で外国語学校(と言っても小規模なもの)に行ってきました。そこでは日本語以外に韓国語や英語教えとるそうで。地元学生友達の地元で日本語の授業お手伝いさせてもらう話は無くなりましたが、その代わりにこの学校で夏休みの間お邪魔することになったんですよね。昨日見学した時に、少し参加させてもらったのです。日本語と文法が近いからか、やはりモンゴル人が多かったですね。大学とは違うので、年齢は少し高いかなと思いました。8月中に教えると言うほどのものではないですが…教える事になりました。面白そうなので、今月のヒマな時間に参観してみようと思います。帰ってきたら凄いヒマなんですよ…これはヤバいです。 以前にも書いたかもですが、トークライブとはまた違う面白さがありそうですな。いや、この方が面白いと思います。将来に繋がればいいのですが…ああため息。僕の脳味噌では受からないでしょうが、日本語教師の資格について調べてみよかと。ある方が断然有利なんですよね。
2008年07月17日
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本日よりネット事情が格段に良くなりました、感謝感謝ですわ。一昨日ですが、陝西省北部からの旅より戻ってきました。延安でびばられぼりゅ~しょんしてきましたです。画像は改めてアップします。延安って、日本への抵抗拠点だけに最初は正直日本人は行きにくいのではと思うてました。もと抗日軍制大学だったホテルがあったし、毛沢東が引きこもっていただけに何か違う!しかし所詮杞憂でしたね…。宝塔山て山に登って展望台にあったでかい太鼓叩いた後で、そこの管理人のおっさんと話しました。日本人やから嫌な顔されるかな思いましたが、日本人が来るなんて珍しいなぁと言われました。で、延安にはどれだけ日本人来るねや聞いたら、ここ延安には滅多に日本人は来ないと。日本人とかの留学生も、いないんではないかなとも。いないのなら、今ここにいる僕らしか日本人いないんすかねぇと聞くと、そうかもなあと。延安の印象は、狭いに尽きますな。中央に川が流れ山々の谷間に無理矢理作ったような街なので、土地も無く道も狭かったです。また、この地方独特のヤオトンと言う崖に穴を掘るような感じの家も、市内にあちこちありました。この家は楡林からしばらく南西に向かい、土地の色が変わってくると高速道路から沢山見えましたね。
2008年07月17日
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明日から15日まで陝西省北部を友達と少し旅してきます。よって、更新も鈍ることになりますが。明日が最後の授業で、今日も授業があったはずですが...。先生らの会議で見事何も無い日になってしまいました。当然昼まで寝る怠惰な日に。昼からガッコの南にあるモンゴル街をぶらつきました。立ち寄った店でお店のモンゴル人としゃべってみましたが、どうやら授業で自然と東北モンゴルの発音が身に付いてしまったようです。あんたのモンゴル語は誰から習ってるんやと聞かれて、先生の地元答えたら、東北のモンゴル語は汚いから駄目だ、と。この手の話は日本でも聞いたことあるし、こっち着て何度も耳にします。内モンゴルでは通遼や赤峰など東北のモンゴル人が一番比率が高いのです。この話はいずれ書きたいなと思いますが、複雑ですね。何せ最も人口が多い地域の言葉が汚いと言われてるのですからね。僕としては、むしろそっちの方に興味があるし、別に東北なまりになったかてエエやないか思うんです。この僕自身が汚い(!?)と言われている大阪弁の話し手ですからね。母方は河内ですわな。日本語教えると自然と関西なまりでやってまいそうです。一応気を付けてはいますけどね、やっぱなまり抜けへんな。きょうはほんとうにへんかんがおそい。。。いっかいさんぷんいじょうかかるし、ほんまにいらいらする!!!いくつAjax IMEのういんどうをひらけばええのかな!?へんかんするだけでこんなにいらいらするのはたまったものではないです。
2008年07月10日
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「サイレントテロ」こんな言葉があるなんて知りませんでした。テロはテロでも、爆弾抱えてドッカーンとかのおっかないものでなく、独り世の中にそっぽを向けるような行動でしょうな。これなら僕でもできそうです。今後の選択肢としては上策ですね。絶望してもサイレントテロがある!とか...。帰国したらサイレントテロリストやな。バイトの傍ら、正体はサイレントテロリストです...みたいな。割を食ってる感が強いもので、独りひっそり抗議してます、と。手軽にできそうなこのサイレントテロ、周囲にそっぽ向ける訳でもあるからとことん不参加づくしか。今後の人間関係に支障が出そうではありますが、全てに絶望したらこれで行く手もありますね...。一時期、世捨人も進路の視野にあったけどこれと結局同じようなものか。このサイレントテロで、「ぼんやりした不安」が消えた訳ではもちろんありません。不平不満を吐き出すには良い案かなと思えました。服や靴はサイレントテロの範疇から離れてしまうな...特に安い古着やセール品、アウトレットやフリマで安く済ませればいいのかね。9年前から着ている長年選手もあるんですがね。とにかく、経済活動から降りるて意味なのかな...。
2008年07月09日
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暗ーい話になるんですいません。今日にちょいと今後のことについて話す機会があったのですが、暗くなってしまいました。どこにも吐き出せないもんで、ここに出すしかありませんわ。4ヶ月経過して、あと半年しか残っていませんな。残り期間考えると、思った以上成果出てないからまずいなと思ってしまいます。ネットせず部屋にいててもする事が無く引こもるだけ。時間を持て余す、てのがいかに恐いか...。帰国してからの事も、かなり鬱になる。年や世代の関係で、背水の陣なのは否めないです。発達障害は...どれだけ影響があるかは正直微妙ですね。むしろ、帰国の時点で28歳(早生れなので29歳とするべきか)職歴ナシてのが痛い!別にアスペでなくても十分危ない条件揃ってますな。こうも未来が無い訳ですが、自殺防ぐために活路見いだそうとしに来たはずが...。硫化水素なぁ...あれはちょっといただけない。楽にならへんわな、被害も与えるし。死ぬのは全部に行き詰まった時の、絶望した時の奥の手と考えているけれど、結局自分は何しに行ったのかと思い悩んで自殺、て筋書きが結構ありえそうです。絶望の矛先が自分に向かうか、秋葉原みたいに他人に向かうかの違いなだけな気がしますな...。まぁ、選択肢が死ぬ事しだけにならないように今やってるのですけどね。でもおしなべて未来は暗いですなぁ、はぁぁ...。
2008年07月08日
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このテーマでは初めて投稿させてもらいます。内モンゴルで僕が写したヘボ写真とか...。今日は図書館のパソコン速度マシやからアップしてみようみよう。 ラクダ乗る時は、遠くに見える列みたく連なって乗っておりました。もちろん走らずゆっくりです。先生から聞いたんやけど、内モンゴル西方のアラシャンではラクダ走るらしい...。 この写真好きですわ、疲れてラクダが寝たはる...!ラクダかて疲れるねんてば。 これがラクダ乗り場の入り口です。降りてから撮ったので、後からでした。ここ響砂湾のモンゴル語名がなかなか覚えられなかったんやけど...今日の授業でやっと覚えられましたわい。 響砂湾全体の地図です。帰りしなに駐車場から撮りました...地平線を収めたかったのですが、当然入らないです。このだだっ広さって実際に見ないとわからんやろなぁと思うてしまいます。
2008年07月07日
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別に書く事もないから更新も全然してなかったのです。しいて言うなテストが終わったけど来週の金曜まで授業があるくらいかなぁ...。画像アップするのも、図書館のパソコン遅いから面倒になってきたし...。最近仲良くなったモンゴル国の留学生連中、一気に帰ってしまいましたわ。なもんで余計寂しいしツマラナクなっております。再びネット引きこもりやなあ。ああ没意思。
2008年07月06日
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とりあえず取り込めた画像をアルバムにしてここに載せたいねんけど...何故かでけへんやないけ。しゃーないので、ブログにチビチビ載せる事にしましょうか。昨晩はこの異常に遅いパソコンで何度ページが表示できませんとなったか...。毎天毎天真慢死了!!!!! 丘登る前に写しました。もっと広く写せたらもっと易いのですが...。 下に見えるゲルみたいな物は、おみやげ屋や休憩所です。まだ上ありましたが、行かなかったですね。ここから少し向こうに行けば、ラクダ乗る所がありました。 ラクダから乗った時に撮りました。周りはイメージ通りの砂漠です。 同じくラクダから撮りました。
2008年07月01日
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