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最近子供たちがハウルの動く城をしょっちゅう見ていて、私も公開当時以来でチラ見してみた。すっかり内容なんか忘れてたのだけど、やっぱ深いなー。ちらっと見ただけだけど「うわっ」と思ったシーン。ハウルがソフィーに「ソフィーはきれいだよ」と言った瞬間、ソフィーは一気に老婆に戻ってしまう。その感じが全然他人事とは思えなかった。ソフィーは私と同じで自分に自信がないんだろう。老婆になってしまう魔法は、ソフィーの存在そのものというより、彼女の「自信のなさ」「卑屈さ」にかけられていたのかもしれない。卑屈な部分が弱まる時、魔法も弱まる。自信のなさ、卑屈さは、何のためにあるんだろう。自分を守るため、だと私は思っている。傷つかないため、傷つけられないために自分を殻で覆っておく。自分を守るよりもっとステキなことを見つけて、夢中でそこに向かっていく時、魔法は解けるんだと思う。殻の中にいると、殻が邪魔でステキなものもステキに見えなかったりする。結果どこにも向かえなかったりする。でもたまに殻越しにでもすんごいソソられる強烈なものがあって、否応なしにそっちに行っちゃって、結果殻も破れたりするんだよなあ。でもふとした瞬間、我に帰って振り向いちゃうことがある。あれ?私どこに殻を置いてきたんだろ?そして急に不安になってしゅるしゅると元の自分に戻ろうとする。ソフィーが老婆になったみたいに。
2009.10.09
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さて、めくるめくジェットコースターな日々も一段落したみたいなので、これから久々にソースプログラムに取り組みます。2年ぐらい前にやって以来、本格的にやり直すのは初めて。これ、大人数でやるともっとスゴイことになるらしいので、ほんとはセミナーとかに参加してみたいんだけどね。とりあえず今回は手軽に一人で黙々と。2年前に比べて随分と変わった私、日々の生活が格段に充実してきたけど、今回のジェットコースターで本当によく分かった。まだまだこんなもんじゃないってこと。閉ざされていたハートがパッカーンと開いちゃって、もっともっとあれもこれもしたかったんだ!というのがやっと感じられた。そして私にはそれだけのバイタリティーがあるということも。・人と関わりたい、つながりたい・冒険したい・ふざけたい・女性性を満喫したい・生命のヨロコビを感じていたい・そしてそれを表現したいここらへんが2年前にはなかった新たな項目かなー。今からソースやったらもっと色々出てくるだろうけど。ヨロコビを主軸に世界とつながっていきたい、という所に進化してきたのが嬉しいところ。それだけのヨロコビが自分の中にあることが。ものすごい躍動感を感じる。
2009.10.05
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決~めた。お豆腐ちゃんな自分にとことん付き合ってあげようっと。誰かが作ってくれた小さい小さいおにぎりを、体育座りしてはぐはぐ食べたい。と思ったので自分で小さいおにぎり作って食べよう。はぐはぐと。そしてあったかいお茶飲んであったかいお風呂に入ってあったかい布団でぬくぬくしよう。小さい頃住んでた町を探検しに行こう。しばらく自分の中のちっちゃい子に思いっきりかまってあげよう・・・。って一人でやってるだけじゃやっぱり寂しいので、周りの人にもいっぱい甘えよう。小さいおにぎり作って食べさせてくれる人ももちろん大歓迎よ~インナーチャイルドって1回癒したら終了、みたいなもんじゃないよね。いつもつながっててあげないと、またすぐスネちゃう。つながってる限りは笑顔でいてくれて、持って生まれた創造力を思いっきり発揮してくれる。鏡を見て笑える時は多分つながってる時かな。うちの子供たちもよく鏡を見てニヤニヤしてます・・・。
2009.10.04
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何だか色々と怒涛な感じのここ最近、ずっと感じていたテーマがあった。それは「寂しさ」。私はものすごく正直で開けっ広げな性格だと思う。バカ正直なぐらいに。ただしそれは自分で気付いている気持ちに関してであって、自分自身すら気付いていない気持ちは、当たり前だけど他人に表現のしようもないのだった。その、自分でも見過ごしてしまいがちな気持ち、それが私にとってはどうやら「寂しさ」。寂しさを寂しさとしてダイレクトに感じることが、ほとんどないのだ。寂しいって何?意味が分かんない、ぐらいの感じで普段は過ごしている。典型的な例。夫にイライラして喧嘩ふっかけて、散々ねちねち絡んだ後に気付く。あれ?なんだ私寂しかっただけじゃん。抱き締めてヨシヨシしてもらいたかっただけじゃん。・・・最初からその気持ちに気付いて、素直に「だっこして~」と言いに行けば話は簡単なのだ。こっちを見て、私はここにいるよ、それが素直に言えないために大幅な回り道をしちゃってるのだ。自分の中の寂しさに初めて気付いたのは、ハタチ前後、イギリスでの突如ハートチャクラ全開事件の時だった。何度も書いたけど、音楽を聴いてたらいきなりどっかーん!!とハートから怒涛の愛が溢れ出してしまったのだ。いまだにあれは何だったのか分からないけど、初めて「完璧に愛で満たされた状態」を知ってしまった私は、それ以前の普段の私がいかに寂しかったか、ということも初めて知った。満たされないのが当たり前すぎて、それまで全然分からなかったのだ。その全開フェスティバルの間は過食も止まっていて、体を維持するためにはほんの少量の食事で足りるんだということに驚き、そして今まで自分が「寂しさを埋めるために」食べていたということも分かった。ほんの少量の食事を心底感激しながら美味しくいただきつつ、横のテーブルでがつがつ食べている太った人を見て「ああ、あの人もきっと寂しいんだなー、でも気付いてないだけなんだ」と切ないような気持ちになったのを覚えている。でもしばらくしてハートは見事にしぼみ、私はその寂しさに気付いた教訓を全く生かすことのないまま、また元の過食症にあっさり戻った。次に気付いたのは、一昨年だったかな?伝説のヒーラーEさんにお世話になっていた時だ。たくさんのネガティブ感情をかき分けかき分けていった時、そこにはお豆腐みたいに寂しさに震えているピュアな私がいた。あまりのピュアな自分に我ながらすっかり驚嘆し、私はしばらく自分を「お豆腐ちゃん」と名付けていたよ・・・。ハート事件の時は満たされた状態と「比較して」自分の寂しさを推し量っただけであって、寂しさそのものをダイレクトに感じたのは、このお豆腐ちゃん事件が初めてだったと思う。それから私は、意識的に自分が寂しがりであることを思い出すようにしてきた。放っておくと見過ごして、他の感情でごまかしてしまうから。私は自分で思ってるより100倍は寂しがり、そう肝に銘じて、別に寂しいと感じてない時でも意識的に人に甘えたりするようになった。自分で気付くぐらい寂しくなってからじゃ遅いのだ。そこまで行ったらもう瀕死に近い状態。なんとも感じてない時点で「愛情供給」するぐらいでちょうどいい。しかし最近またそれを忘れがちになっていたようだよ!ここ最近の怒涛の感情の奥底に、ずっと寂しさが見え隠れしていた。あ、私寂しいんだ、と気付きながらもうまく対処できずにいた。奥底よりも表面の感情に振り回され、やたらエネルギッシュに動きまくっていた。スパイラル効果でブラック樹音が出た余波だろうか、今日も何だか調子がおかしかった。モヤモヤする。朝から非常にモヤモヤする。モヤモヤするままに任せておいたら、それはむくむく膨らんで、何年ぶりだろう、激しい醜形恐怖の症状が出た。とにかく自分がとんでもなく醜い汚いバケモノのように感じて、鏡を見れば死にそうな気分だし、鏡を見なくても死にそうな気分。うわーきっつー。久々すぎて忘れてたけど、これはきっついわー。激しい自己嫌悪のエネルギーを振り払いたくて、モモと一緒にカラオケに行った。だいたいこういうのは発散しちゃえばおさまるんだよな、とか思いつつ。そしてギャーギャー大声で歌いまくり発散しまくったものの、全然自己嫌悪は消えなかった。ちっ、とか思いながら帰ってきた。帰宅して椅子に座っていたら、何だか力が抜けてきた。煮えたぎるような自己嫌悪の勢いは弱まり、ただ力なく無表情で動けない自分が出てきた。そのまま能面のような顔で風呂に入りながら、ひたすら力が出ないままに浴槽の中でだらーんとしていたら、やっと本丸の「寂しさ」が顔を出した。うわー、やっぱりこれだったかー!もうね、醜形恐怖とか怒りとかイライラとか時には恋愛感情とか、いろーーーんな二次的な感情で出てくることが多いけど、結局根底にあるのは寂しさなのよ、私の場合。寂しさをダイレクトに感じてしまうのが怖くて、いろんなもので武装してるんだろう。そっちに振り回されて一喜一憂してれば寂しさ感じなくて済むだろう、ってな具合で。やっぱり最近本当に忘れてたな、寂しい自分にかまってあげること。もっともっと気付いてあげないとな。自分で思ってるよりだいぶピュアなんだぜ!寂しさと言うとネガティブな側面だけど、言い換えればこうだ。私はもっと、人とつながりたい。にほんブログ村
2009.10.04
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そんなわけで半日ほどブラック樹音になりきってましたが、これやっぱりスパイラル効果っぽいよな~!またまた隠し持ってたインナーチャイルドが出てきたって感じ。その子は「愛されないなら生きていたくない」と丸まって動かない子。表情がなくて生気がなくて、ただひたすら愛情に飢えている。かつて私が人生のどん底期にいた時・・・そう眞手を出産して育児ノイローゼで過食もひどくてパニック障害も出てた頃。この子はある意味で私を救ってくれたのでした。そしてその時、もう成仏したと思ってたんだよなー。それまでも結構ドロドロ人生な私だったけど、なぜか本気で死にたいと思ったことは一度もなくて。でもその時生まれて初めて、もう本当に死んでしまおうと思ったの。まさか自分に限って死にたくなることなんてありえないと思ってたから本当にびっくりして、なんで死にたいと思うのか?じっくりじっくり心の中を覗いていった。・なんで死にたいの?・死ぬことに何のメリットがある?・死んじゃったら嬉しいことも楽しいこともないんだよ?・なのになんで?ふつーに自分でも「死にたい」の意味が全然分からなかったので、もーれつ自問自答。したら、分かった。私は愛情が、関心が欲しかった・・・たぶん親から。もちろんオトナの私は、頭ではそんなこと思ってない。今さら親に愛されたいなんて普段は考えない。でもきっと子供の頃に無意識に選択した「親の関心を得るために不幸になろう」というプログラムが、何十年も自動操縦で続いてたのね、潜在意識で。表面の、オトナの、冷静な私は幸せになりたい。当たり前だよね。だから幸せになるために色んなことをする。過食も長年治したくて色々やってきた。ありとあらゆる治療にセラピー、ヒーリング。でも治らない。コドモの私は治したくないから!治ってしまったら困るから。親の関心を引くために一生懸命「不幸」をやってるのに、治ったら見捨てられちゃうー!そんなコドモの思惑はつゆ知らず、オトナの私は一生懸命頑張る。そーんなことを繰り返してきて、表面のオトナより中のコドモの方がパワーは強くて、それで私の人生はじわじわとどんどんひどい不幸に染まっていったんだ、とその時すべてが鮮明に見えた。どんどん不幸になって、これでもかこれでもかと愛されようとしてるのに、まだ愛が感じられない。もうこうなったら自分の命さえ捨ててしまおう、そういう最終手段にまで出ようとしたのが「死にたい」という気持ちだったと分かったの。親への復讐だよね。私を愛さなかった罰として、私の死に苦しみなさいっていう。こわいわー。親の名誉のために言うけど、親は決して私を愛してなかったわけじゃないんだよ。そりゃ色々あったけど、親も人間ですからな。ただ私が感じ取ろうとしなかっただけ。いいことも悪いこともあった子供時代、不幸な部分にだけ「私が」目を向けてただけ。何のために?「愛してくれないから私は何もしたくない」そう言い訳して自分の人生から逃げるために!(もっちろんこれも頭で分かってやってたことじゃない)全てのからくりが分かって、そこから私の生き方は一変した。自分で一生懸命自分を不幸にしてたのが分かったら、それをやめるのも簡単だった。親の愛!?今さらそんなのなくても大丈夫じゃん、とオトナの私は笑って言える。ただそのオトナの私とコドモの私が、まったくつながってなかったのが問題だったんだ。オトナの私は「死んでどうするの?死んでから愛されても何もいいことないよ?」とあっさり思った。そしてコドモもあっさり納得した。そして不幸ごっこは終わった。どんなに向き合っても消えなかった親への憎しみも、消えた。いつもぐっと喉が詰まって言えなかった親への「ありがとう」が、普通に言えるようになった。生まれてきてよかったと思えるようになったんだ。この話、ここまで詳しく書いたことは多分なかったよね。そんなわけで「愛されないなら死んじゃいたい」子はそこで成仏したと思い込んでたのでした。あれ以来私は「誰に愛されなくても、私は私を愛してるから大丈夫!楽しいことして生きていこう!」モードになって、本当にぐんぐん変わってきた。でも今回、何だかスイッチが入ったみたいに、あの子がまた出てきたんだよねー。過去には人生全体をほぼ支配してた強力なインナーチャイルド、今はきっと全然そこまでじゃなくて、もう「燃えカス」みたいなもんだと思うけど。今回超どよーんが出た時、私はもう逆らわないで徹底的に、ノリノリでどよーんとした。無理に元気になろうとかせず、よしよしどよーんしたいんだよね、とその子にしっかり付き合った。大丈夫大丈夫、私は私を大好きだよ、と時々声をかけながら。そんな感じでいたら、半日ですっかり元気になったのでした。にほんブログ村
2009.10.03
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そんなわけでノリノリで「どっよーん」しまくってたら、だんだん無感情状態から怒りに変わってきて、くっそーばかやろーとか言えるようになってきて。怒れるようになったら笑えるようにもなったので、笑ったり怒ったりしてました。変なダンスとかしながら。そしてむかつくので食い過ぎたポンポコリンの腹でベリーダンスしてみたら、そんな自分でもやっぱり好きだと思った・・・。こうなったら多分大丈夫です。あ、一部おともだちに本気で躁鬱なんじゃないかと心配されちゃってるみたいですが、だいじょーぶだよー!私もともとかなりアップダウン激しい方なんです。上がる時も下がる時も大袈裟、そして変わり身が早い・・・。ケンカとかしても、言うだけ言ったらスッキリしちゃって引きずれない。ずっと口きかないで意地張るとか無理。怒りは人一倍派手なんだけどね。まあ一緒にいるとそのうち慣れてくる、ハタ迷惑なタイプでございます。発熱で早退してきたマナテは、体は熱いもののふっつーに元気。インフルかどうかは発熱当日に検査しても分からないそーなので、様子見です。インフルだったら私も便乗していっちょデトックスしとくし、じゃないならじゃないでいいし、オールオッケーさ♪と、子供寝かしてたら一緒に寝ちゃって、変な時間に起きました・・・。
2009.10.02
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歌いまくり踊りまくり、ピアノも弾くわ肌きれいになるわと絶好調だったここ最近。もちろんずっとポジティブだったわけじゃなく、怒りや悲しみや寂しさも頻繁に味わっていて、それも全部込みで楽しかった。怒るときは全力で怒り、泣く時は全力で泣いた。そしてまたスッキリして笑って、歌って踊っていた。全ての感情が鮮烈で、感じたら即表現、滞らずに出ていく感覚。生きてることがうれしい、とても気持ちいい日々。が、来ましたねー、久々のでっかい黒いやつが。これは多分・・・スパイラル効果かしらね。おとといメイクセラピーに行ったあたりから何となくモヤッとしたものを感じていた。昨日恒例の一人カラオケをしながら、何だか力が出なくてソファで1時間もぐうぐう寝てしまった。そして今日・・・ついに心がぽっきり折れた!もう、とにかく体に力が入らない。あんなにイキイキしていた表情が、今は思いっきり「どよーん」・・・死んだ魚の目という感じ。眉毛ハの字。笑おうとしても笑えない。ついこないだまでと同一人物とは思えないほど、とにかく死んでる。折れてる心の、具体的内容については語りません。語れません!が、何だか本当にいろんなことに気付いちゃったよー。いっぱい泣いたりしてみたけど、まだまだ絶賛「どよーん」中。こうなったら徹底的にどよーんしてやる。ノリノリで・・・とか書いてたら保育園から電話来た。マナテが発熱、迎えに来るようにと。そして保育園では今、新型インフルが流行中。ついに我が家にも上陸か!?こうなったら一緒にインフル罹って一気にバージョンアップしとくか俺!?ちゃらっちゃらっちゃら~♪(壊れ気味)
2009.10.02
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エネルギーの循環がハイパー良すぎる日々の中、久々に今朝起きたら何だか停滞した感じ。眠くて眠くて頭ボケボケなので、こんな時は素直にゆっくりするか~なんて思いながらカレンダーをふと見たら、今日は2回目のスパイラルセラピーの日だった。渡りに船!というか危うくすっぽかすとこだったぜ・・・。ここ最近の好調、前回のスパイラルの効果もかなりあると思う。ベリーダンス+スパイラル、というのが大きいかな?特に胸の後ろ、背中の上の方の詰まりが取れた感じが本当に大きくて(それ以前は詰まってることにさえ気付いてなかったけど)とにかく何だか心身ともにものすごく自由で気持ちいい自分になってしまったのだ。そんなわけで、これ以上好調になったら俺どうなっちゃうのかしら、とウキウキしながら大崎へ。パインニードルさんと二度目の対面。入るなり何だか表情が違うとかそんなことを言われる。ええ自分でもそう思います。そして何気に複数の知人から言われました。きれいになったと!ぐふふふふふ!100回ぐらい言ってくれてもいいよ!本当に何と言うか、我ながらイキイキしてきたと思う。体重は微動だにしないのに、明らかに見た目すっきりしてるしね。さっそく例のぶるぶるを当ててもらう。前回は全体的にくすぐったい所が多かったのに比べ、今回は気持ちいい所が増えていた。それでも背中と仙骨周辺はかなりくすぐったい。背中はベリーダンスでだいぶ詰まりが取れ、前回のスパイラルで更に取れ、その後なんだか勝手にエネルギーが動いてもっともっと取れたが、まだまだ何かあるらしい。実際この数日、何だかそこらへんに風邪っぽいモヤッとした「上に上がりたいエネルギー」を感じていたし、それがたまに痰となって排出されていた。その背中を重点的にやってもらううち、時間は残り5分になっていて、最後は駆け足で体の前面と頭・顔をやってもらった。ああ、頭にぶるぶる(えーとエクセラーと言うみたいです)を当ててもらった時の、あの衝撃の気持ちよさ!足の裏まで突き抜ける振動!ヨダレ出そうでした・・・合掌。と、まだまだ詰まりが気になる背中と超気持ちいい頭、いい感じに施術してもらって最後はホワンホワン、温泉に入ったような温かさで着替えに行くと・・・そこは洗面所なのだけど・・・顔色が違う!なんかツヤッツヤしちゃってる!しかーも背中のラインが、また明らかにスッキリしちゃってますよー!ヨロコビのあまりいちいちドアを開けて報告しつつ着替え、しっかり次回の予約もして帰ってきました。最近毎日カラオケに行っては歌い狂ってるのだけど、今日も子供のお迎えまで1時間ぐらい余裕あるし行っちゃおうかしらー、と思ったが、電車に乗ったら吸い込まれるように眠ってしまった。ああ、今日はもうだめかも、と思った。が、最寄駅付近で突如復活。またハイパーでエネルギッシュな自分に戻っていた・・・。というわけで結局カラオケに行き、全力で歌いまくり(1時間だけど)帰宅したら何だか熱っぽい。かといって測ってみると実際熱はない。でも何だかものすごく熱いエネルギーがドクドクと背中から頭へ立ちのぼっていて、体ぜんぶが脈打って、体感としては完全に発熱の感じなのだ。たぶん今まで背中あたりで滞っていた残りカスが、流れ始めた感じ?それから数時間、うわーどうしよう、俺どうにかなっちゃうかも、というぐらい激しいエネルギーに酔って一人ドクンドクンしていた。決して気持ち悪い感じじゃないんだけどね。そして胃腸も何だかすごい音を立てて動いていた。下痢でもするのかと思ったけど何も出なかった。突き上げるエネルギーがすごいので、とりあえずまたニヤニヤ全開で笑いながらベリーダンスする気持ち悪い人と化し、何とか発散して落ち着いた。そしてここ数日に渡る風邪っぽい感じは、どうやら抜けた。その間、膝が左右それぞれちょっと痛くなったりもしたな。そしてすぐ抜けた。前回の経験によるとスパイラル効果はかなり長期間に渡って続くので、これからまた何が起きるのか大変楽しみであります。また古傷の歪みだとか、もう不要なものが色々解除されそうですよー。にっひっひ。んで明日はメイクセラピーというのに行ってくるのだ!にほんブログ村
2009.09.29
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去年インナーチャイルドセラピーを受けた時、私の中に浮かんできたインナーチャイルドのイメージは「ポニョ」だった。そしてこの後しばらくして、ふと街を歩いてる時に浮かんできたイメージはグランマンマーレ。同じくポニョに出てくる「海なる母」というやつ、ポニョのお母さんだ。生命のヨロコビ全開ではじける子供と、女性性の権化のような女神。その2つのまだ見ぬ人格が、自分の中に眠っているのを感じたのだ。まるまる1年経って、自分でも驚くことに、私は今本当にポニョでありグランマンマーレだ。生まれてこのかた抑圧し続けてきた無邪気さと女性性が自然と溢れ出して、基本の下品で男らしい(!)私と統合された。そしてここ2週間ばかしの怒涛の変化に、思う。「私は全て」で「私は宇宙」なんだ、と。大袈裟でなく、頭で思うだけでなく、本当に私の中に全てがあって、どんなひどい悪い気持ち悪いものも崇高な美しいものも何から何まで引き出すことができる、その感覚がとてもとても嬉しい。他人の中に見て羨んでいたものも憎んでいたものも、自分には手が届かないと思っていたものも、私は全部持ってる。
2009.09.29
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今日はもう一日中、ベリーダンスしてピアノ弾いてベリーダンスして(合間に家事しつつ)子供を寝かした後また一人カラオケにも行った。帰宅した今、また一踊りしてから寝たいなんて思っている。おどろいた。己のバイタリティーの高さに。自分の中の、表現されたがっているエネルギーに。そりゃーこんなのを仕舞い込んでたら、病むよねえ。一日何回も食って吐いて食って吐いてクタクタにならないと帳尻合わないってもんだ。過去の自分がいかにエネルギー持て余してたかっていう・・・このブログでも散々書いてたけどさ、それこそ病んでる真っ最中の頃から。整体的に言うと余剰エネルギーなんてね。じゃあそのエネルギーをどこに向ければいいのよ、当時はそれが分からなかったわけで。私は「表現したい人」なんだと思う。いろんな形で。最近ようやく分かってきた。病んでた頃だって文章で表現はしていた。でも違う、それだけじゃなくて、もっと体を使って。この溢れるエネルギーを、なるだけそのままに近い形で、ダイレクトに。ナマで!!・・・簡単に言うとアーティスト気質なんだろう。子供の頃から芸術的なことが圧倒的に大好きだった。音楽の時間に図工の時間、そして国語の時間、何より楽しかった。でも「上手くないから」本気でやっていこうと思わなかったんだ。上手であることに価値があると思っていた。上手であることが人を感動させると思っていた。だからやらずに来た。どうせ上手になんかできないからって。なんて浅はかだったんだろう!そうして私の中の「表現されたがっている」かわいそうなせいめいりょくは、じっと縮こまったまま、死んだようになっていたわけです。ここ数年かけてそれがどんどん解放されて、私はやっと本来の、そうありたかった人になってきて。そんなわけで、実は数ヶ月前から確信してます。ベリーダンスを何よりも第一に、ライフワークにしていくということ。表現することが、私にとって呼吸の次に必要なことだから。食べるよりも寝るよりも。(実際、表現が充実してると食事も睡眠もそんなにいらない)そして多分、いちばん好きな表現方法が踊ることだから。最初に出会って魅入られてから7~8年、何度もやめてしまってやっと気付いた。私にはこれが必要!この前レッスンの後、先生に言われた。すんごくいい顔してたねって。そうだろうと思う。だって踊ってると嬉しくて嬉しくて楽しくて楽しくて、もうどうしても笑っちゃうんだもん!全開で!特にみんなで輪になってノンストップシミーしてる時。上手い下手なんて本当に関係ない。なんでこんなヨロコビに背を向けて生きてきたんだろ!まあ、そういう意味では、カウンセリングは「一番やりたいこと」ではない、のは事実なんだよねー。表現することとはまた全然違うからね。でも2番目でも3番目でも10番目でもいいじゃん、やりたいことは全部やってこーぜ、と思い直しつつあるのでした。
2009.09.25
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わたくしは今もーれつに感動しております!!!昔からアドリブのきかない女だった私。好きにしていいよ、と言われると固まってしまう私。何事もあらかじめ決められた「型」がないと動けなかった。それがここ数年、アドリブの面白さにはまっている。歌うことも踊ることも絵を描くこともただ動くことも、何も考えず何も目指さず、気持ちいいままに。流れるままに。これができるようになってきたことは、私の人生にとってほんとに大きな収穫、なんだけど。ふとさっき思いついて、生まれて初めてピアノでアドリブをやってみた。歌や踊りは散々やっても、ピアノは本当に初めて。録音ボタンを押して、何も考えず、本当に流れるままに指を動かしていった。ら!そしたらですよ!ちゃんと音楽に、なってるー!もちろん下手くそなのでポロンポロン弾いてるだけなんだけど、時々途切れたりもしてるんだけど、確実に聞いてて心地よいメロディになってる。うまく言えないけど、一言で言うと「許し」みたいなものを感じるような、自分でも感動するようなメロディ。今その録音したのを聴きながら書いてるんだけど、わー!わーわー!歌や踊りは体ひとつでできるけど、ピアノはピアノという道具を経由する分、アドリブで行ってみようという気になったことがなかった。そういうのは上手い人がすることだと思っていた。湧き出すものを、技術的な下手くそさがきっと遮ってしまうだろうと勝手に思ってたのだ。違うんだねー!なんかもーいろんなことに感動しまくりです、最近。うわーん。にほんブログ村
2009.09.25
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やっと分かってきた。カウンセリングそのものが、やりたくないわけじゃなかったんだ。こんな私がエラソーに人様の相談なんか乗ってていいのかよ、という罪悪感だったんだ・・・。そうかー私、「こんな私」って思ってたんだ。かわいそうに!(笑)そして人の相談に乗ることを、エラソーだと思ってたんだねー。だから対価を受け取ることが、苦しくなっていた。万年ビンボーの原因発見。いや前から気づいてはいたんだけど、こんなに強力だったとは。「私には受け取る資格なんかない」・・・お金も、愛も、何もかも。自分が閉ざしてただけで、世界には何だって溢れていて、喜んで受け取れば済む話なのに。まだまだ超ガクブルのバンビちゃんな私がいた、そして出てきた、というわけで一安心。今すぐどうこうしようと焦らなくてもいい。とりあえずおめでとう俺!そしてカウンセリングは、続けるにしても何か形を変えたいという漠然とした希望が。もろもろ整理期間ですなー。にほんブログ村
2009.09.25
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怒涛の破壊デイズの中、子供たちを連れてトーマスランドに行っていた数日前。この日は特に一日中、体内のエネルギーの通りがむちゃくちゃ気持ち良くて、ぐるんぐるんのめくるめきまくり。体の中を下から上へ、上から下へと駆け巡るエネルギーを味わって味わいまくっていた。世間は連休ですしトーマスランドは行列しまくりだったのだけど、おかげで退屈しなかった。帰りの電車の立ちっぱなしも全然平気。ひとりエンドレス体内エクスタシー。普段なら行列なんて耐えられないのにねー。エネルギーの動きに身を委ねていると、肉体を動かしたくなってくる。激しい動きじゃなく、太極拳ぐらいにスローで、もっとずっと小さな小さな動き。そしてエネルギーの動きそのままに動くと、それは不思議とベリーダンスの動きに似るのだった。静かな微細なベリーダンス。特に印象的だったのが、胸というか胸の後ろの背骨の部分。胸椎何番だろ?自分で数えようとするといつも途中で分からなくなる。ブラのホックが当たる少し上ぐらいだ。そこに何やら歪みや滞りがあるのか、エネルギーがそこを通過しようとする時、うにょりと回転する動きをしたくなる。微細な回転。ただ気持ちよさに任せながら、自動的に体が調整をしているようだった。帰宅して鏡の前でベリーダンスしてみると、ぬおおお、動きが今までと変わっている!明らかに今までより柔らかく曲線的な動きができるようになっていた。特にやっぱり胸あたり。チェストサークルを初めて気持ちいいと思った。正直、今まで気持ちよく動かしてたのはほとんど腰だけだった。そうか、力任せに筋肉駆使して動くんじゃなく、こうして湧き上がる微細なエネルギーに寄り添って踊ればいいのだねー。というか力まなくても動けるように、体が勝手に調整してくれたようだ。なんて気持ちいいんでしょ!そして翌日、朝からばーばが来て子供たちを連れ出し、ぽっかり予定が空いたので一人カラオケ。相変わらず気持ちよく流れるエネルギーを、今度は喉から出したくて。最初の30分は苦戦した。だいたいいつも最初は苦戦することが多い。思うように気持ちよく声が出ないのだ。自分なりのチェックポイントをいくつも調整して、肉体的精神的エネルギー的に「うまく通る」状態にして初めて気持ちよくなってくる。丹田を地面とつないで、胸を開いて、首をすっと伸ばし、喉を開く。力任せに声を出そうとせず、味わうようにそっと出す。それを少しずつ広げていく。体のムズムズする部分をゆらゆら揺らす。まずはメロディに合わせず、湧き出すままの声を味わう。なーんてここまでやって、やっとまともに「歌える」ようになる。面倒な奴だな。そしてノリノリになってきた頃には子供たちが帰ってくる時間で、泣く泣く帰宅。しかし物足りなかったのでリベンジ!というわけで深夜またカラオケへ。今度は最初から絶好調でかっ飛ばす。私の中で絶好調の基準は「ワダツミの木(元ちとせ)が気持ちよく歌える」なのだけど、楽々クリアだった。すげー!超楽しかったー。でもきっと一人でくねくねしたり唸ったりぴょんぴょんしたり大変あやしかったー。そんなわけで怪しいのでまだまだ人と一緒にカラオケする勇気はない私です。高校の時は彼氏と毎日カラオケしてたんだけどなー。あれ以来ほぼ無いわ。だいたいまずさ、マイクが使えないのよ。なんでみんなマイク使って歌えるの!?それが不思議。マイクを使うと、マイクを通した声と自分で直接聞こえる声、そのギャップの違和感に気を取られて全然歌えない。歌ってる横で誰かに全然違う歌を大声で歌われたら混乱するでしょ?あんな感じ。そして歌うことの何が楽しいって、あくまで私の場合。体をぶるぶる震わす声のエネルギー、そしてそれが空間に広がっていく気持ちよさ、を味わうことなので、マイクなんか通しちゃったら何も楽しくないのです。もう全然意味が分かんないのです。あ、何の話か分かんなくなった。ともかく怒涛の日々のうち、この2日ばかしはあまり破壊という風情でなく、エネルギーをただ味わうことが大変気持ちよかったのでした。もう、なんかひたすら合掌気分。そしてその後、至福から一転、自分の中のでっかい悲しみ寂しさに気付き味わい、そして自分が招き寄せていることの意味を知るフェスティバルもやってきたのだけど、その話はめんどくさいので終了。何だか内面の忙しいことよー。↓これ最近忘れてた。にほんブログ村
2009.09.23
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この10日ぐらいだろか。自分にとって本当でないものを凄い勢いで捨て去ろうとする、怒涛のエネルギーが立ちのぼっている。破壊破壊、そして破壊。たぶん過去なら悩んだり凹んだり暴れたりして浪費してしまっていたエネルギー、本当は創造のために持っていたものだったんだ。創造のための破壊。なんてことを思いつつ。めくるめく至福と激しい怒りや悲しみ、ある時は静かな静かな螺旋状のエネルギーの流れ、あらゆる状態を味わいつつ、何だか新しい世界に突入しそうな感じがしておりますよ。今はまだ真っ最中すぎて全く先が見えないけどさ。どうなるんだろねー?やりたいことやるために生まれてきたんだもん、つまんないことに時間割いてる場合じゃないよねー。そしてここ最近、本当に今までよりずっと深く、生まれてきてよかった!という至福を感じている。怒りや悲しみを感じられる、ことも含めて。どこにぶつけたらいいか分からないぐらいの感謝の気持ち。※あーっ、クレニオ練習台ちゃんをお申し出いただいた方々へのメール作業、完全にストップしちゃってます。しばらく待ってねすみませーん!とりあえず既に2名の方にさせていただきました。ほんとーにありがとうございます。
2009.09.23
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皆さんご存知でしょーか、ゆとじという人を。私は2~3ヶ月前に偶然見てドはまりして、それからアホみたいにエンドレスで観まくってるのですけども。この突き抜けた壊れっぷりが他人とは思えなさすぎ。私もわりと一人でいる時とかごくごく親しい人といる時とかこんな感じなんですが、日頃は世の中の皆さんがあまりにオトナでお上品で不安になってくるー。そして私も一応人前ではオトナでお上品なふりをしてみるー。でも時々ほんとに落ち着かなくなってきて、路上でうんことかちんことか叫びたい!壮絶に皆様にドン引きされそうなひとり妄想劇を披露したい!でもやっぱドン引きされたら傷つく・・・ので・・・しませんけどね。おうちの中だけにしときますけどね。そんな中、こんな人を見ると何だかすごーく・・・安心感が・・・。つーか壊れっぷりだけじゃなくて演技力がすごい。天才的。はまりすぎて、動画に出てくる歌とか完全に覚えきってしまったここ数ヶ月。モモや眞手までもが「マッチョ~マッチョマ~ン♪」とか歌うようになった今日この頃。ついにナマゆとじを見るチャンスがー!ゆとじ、某大学の演劇に出演!もう張り切って出かけていきましたよ。子を実家に預けてな。そして張り切りまくりで最前列でガン見。いやー、なんかすごかった。演劇を最前列で、しかも段差なしの舞台で観たのって初めてなんだけど、ものすごい臨場感。役者さんたちの素晴らしい声の通り、肉体の動きを堪能。ほんとすげーね。そしてたまらなく、自分もやってみたくなってワクワクしてくる。そしてまた一つ学習したよ、自分が何が好きかということを。歌でも踊りでも演技でもいい、人前で肉体を使って、自分の存在そのものを使ってパフォーマンスする、ことが好きなんだ。そしてそれを観るのも好き。でもやる方がもっと好き!そして複数人で一緒にやってエネルギーのぶつかり合いを楽しむこと、が何より好きかもしれない。その場でしか起こりえない、アドリブの壮絶な気持ちよさとか。うーん、いいなあ。歌も踊りも演技も、何気に少しずつかじりながら生きてきたけど(合唱部だったり演劇部だったこともあった)その共通点に初めて気付いた。そうかーそういうことか。そして今のベリーダンスへとつながっている、と。ゆとじは本当に動画で見たままのゆとじで、あの大変すばらしい演技力で「変態ニートな神様」を演じてらっしゃいました。あのねー、何がいいって声がよかったわ。ほれぼれ。あああのゆとじのホンモノだ!ナマだ!と思って頭の先から爪先まで眺め回してしまったわー。舞台終了後、直接話すチャンスがあったので(ゆとじファンならこれがどれだけ大変なことか分かっていただけるかと!)もう緊張しまくり死にまくりで突撃。ゆとじ、でかかった。そしてなんかいい匂いがした・・・。一緒に写真撮ってもらって握手もしてもらいました。死ぬかと思った。そして放心して外に出ると、会場で隣席に座ってた人が喫煙所にいたので思わず話しかける。すると出演者の彼氏さんだそうで、全然知らん人なのに何故か音楽や演劇の話で盛り上がり、果ては何故か靴のサイズの話までして、どの演劇も最終公演は激しくアドリブが加わっていて面白い、という情報をゲット。ええーじゃあ最終公演も見たいじゃないかー、と思いながら帰宅。そしてゆとじと喋り足りなかったという不純な動機ももちろん!というわけで翌日の今日・・・また行っちゃいました。一日激しく昭和記念公園で遊んだ後に。さすがにもう実家に子を預けるのも無理なので、モモ同伴。(マナテと夫は男同士仲良くしててもらったぜ)すると出演者の一人がオカマになってたり、皆さんが随所で何故かいちいち生キノコ食ってたりして大層笑いました。ゆとじも何だか余分に腰振ってました。心配してたモモも、騒ぎ出すことなく見ててくれて助かったー。昼寝してなかったのに寝ちゃうこともなく、食い入るように見てたわ。そしてまた喋った!握手した!写真も撮った!モモには「あのマッチョマンの歌で踊ってたおにいさんだよ」と説明したのだけど、激しく警戒してガッチガチになっておりました。いやー、あのゆとじと自分が一緒に写真に写ってる!ふしぎすぎるー。贅沢すぎるー。ってゆとじ知らない人には完全に意味不明な話ですんません。私にとってはかなり偉大な人なのです!私以外にも来てたゆとじファンの人と喋ったけど、茨城からバスで来た高校生とか・・・気合入ってるぜ。そうまでしても見たいよねー生ゆとじ!そんなわけで2日連続でゆとじパワーをもらい、何だかまた一つ己の好きなことの確認までし、これからも日々楽しく生きていけそうです。ありがとうございますー。なんまんだぶ。
2009.09.20
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気付いちゃった。というか何度もうっすら気付いてはいたんだけど。私の文章が昔に比べて格段につまんなく生気がなくなったのは、改行するようになってからだ。多分。なんかこう、湧き出してくるエネルギーそのままのリズムが改行でぶった切られる。ああ、なんで改行なんかするようになったんだろう。改行した方が読みやすいと思ったのかも。多分そう。整えよう、と思ったのだ。でも整っていないところに多分俺の美点があるのに。この荒々しい鬱陶しい暑苦しいところに。わーわー!改行やめたー!わーい!読みやすくないの万歳。
2009.09.19
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数ヶ月前からじわじわと気付いてはいたんですがそろそろ確信に変わってまいりました。私は、人を癒すことに興味がない!!ぷぎゃー!数ヶ月前、カウンセリングを一時お休みした時はそれが理由だったんだけど・・・そして休んだ途端、びっくりするほど元気が出たのでもうそのままやめちゃうつもりだったんだけど・・・せっかくだからもうちょっと続けてみれば?という変な虫が湧いてきて、続けることにしたのでした。(他にもいろんなことを思った気がするんだけど忘れちゃった)でもねー不思議なことに、自分自身「気付いちゃって」以来お客さんが激減したの。ほんと、くっきり明確に。そして、カウンセリングを続けてはみたものの、お受けしたものには真摯に向き合ってきたものの、何だか他人の人生を生きてるような違和感がやっぱり拭えなかった。「これじゃねーだろ俺!」ていう。そろそろ自分に嘘がつけなくなってきたので、進路変更予定です。変更先は未定だけど。わー、言ったらすっきりしたー!!!笑にほんブログ村
2009.09.18
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前回の記事でクレニオの練習台になってくれる人を募集したところ、予想を超えてたくさんの方からコメントやメッセージをいただき・・・現在お返事が追いつかず、嬉しい悲鳴状態となっております。(私の処理能力が乏しいだけとも言う。すんません)順次お返事してますが、とりあえず今のところ今月の25日(金)と10月の第2週(5~9日)が空いてますので「この日がいい~!」という方はその旨メッセージくださると話が早いです。近場にあまり友達がいない私としては、練習台になってもらえるのは本当に助かります~!練習とは言え、超ソフトタッチなのでどこかがバキッとなっちゃうとか痛くなるとか、困った状態になることはそうそう無いかと思います。(特別敏感な人はどうだか分からないけど・・・)具体的な症状の改善などがあるかどうかは不明ですが、とにかくリラックス効果は抜群かな。今まで練習台にさせていただいた方は、とりあえず全員沈没(爆睡)してらっしゃいましたです。あとは頭が軽いとか、気分スッキリ視界スッキリ的な感想をいただいております~。と、そんな感じで、当分の間は引き続き練習台募集しておりますのでどしどしよろしくでーす。基本的には平日の昼間、我が家に来ていただける方ということで・・・。(場合によってはご近所なら出張しまーす)にほんブログ村
2009.09.16
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金曜日、三谷さんのクレニオWSの最終回だった。途中経過を書いてなかった気がするけど、初回でまずCRI(頭蓋骨の開閉のリズム)を読む練習をしその後は色々と細かなテクニックを教わっていた。で、これがねー何より基本のCRIが難しいの!読めてるのかな~、勘違いかもしれないな~というあやふやなレベルのまま最終回に到達。WS以前に何度か感じたことのある、あの「宇宙!!」みたいな大感動のはっきりした大きな動きを感じることは、なかったんだよねー。そんな基本あやふや状態のまま、それぞれのテクニックは一応習得し(CRIが読めなくてもテクニックは一応使えたりする)微妙に不完全燃焼な感じだったんだけど・・・最終回にしていきなり自分内「わーお!」な出来事が起きました。そして俄然面白くなってしまった!(今頃面白くなるってどうなのよ)眼精疲労を取るテクニックを練習していた時のこと。まずは練習台のMさんのCRIをチェックし、あやふやながらもこんなもんかなーと確認。そして目の近くの骨をゆるめる動作に入る。本当に微細な微細な、ほんの少ーしの動き。指を動かして静かに待っていると・・・ふわっ、とゆるんだ瞬間が分かった。その途端、Mさんからボワ~ッッッ!!と暖かいエネルギーが溢れ出してうわっ、何じゃこりゃーと衝撃を受ける私。そしてまた頭に戻ってCRIをチェックすると・・・もう頭全体がものすごく熱い。熱いと言っても実際の温度じゃなくて、たぶんエネルギー的な。ああ、子供にクレニオする時の感じに似てるな。頭から湯気が出てるみたいに、活発なエネルギーを感じるの。あれって多分「いい状態」なんだろう。せいめいりょくが、うまく回ってる状態?どひゃー、とか思っている間に私の手、腕、背中、とどんどん全身が熱くなりあっという間に汗が噴き出してくる。そして体の中をやさしいそよ風が吹き抜けていくようなどこにもエネルギーが滞っていない、大変気持ちいい状態に!!いやーなんかすごかったです。Mさんの眼精疲労を取るはずだったんだけど、たぶんMさんより私の方がとんでもなく癒されたんじゃないかっていう。その後も数時間は気持ちよすぎる状態が続き、ほとんど酔っ払いみたいにホワンホワンしてたのでした。いやーでも酔っ払いと違って地に足はついてる感じ。ものすごいクリアなんだけど至福感があるの。あのコンディションで常にいられたら無敵だよなー!まあ、数時間したら終わっちゃったんだけどさ。でも何だろう、私やっぱり、こういう「せいめいのしんぴ」を感じる瞬間がたまらなく好きだわー!本当に面白い。面白すぎる。正直言ってね、今はあんまり「治療」とか「治癒」ってことに興味がないの。不調をケアすることも必要だけど、それ以前に不調の根本原因ってのがあってそれは本人にしかどうにもできないから。どんな治療もセラピーも、ある意味対症療法というのかな。出てしまった不調に対してはもちろん使えるけど、それ以前に出さないっていう選択ができることが分かっちゃったからね。とはいえもちろん完璧にその選択する力を使いこなせてるわけじゃなく不調になる時はちょくちょくあるんだけど、もうあんまりそれに振り回されなくなった。そこにフォーカスしていくと永遠のいたちごっこだよな・・・と数年前から薄々感じていたのが、もう確信に変わってしまって。んーとあれだ、簡単に言うと、マイナスをゼロにする行為が、つまんなくなっちゃったの。最初から直球で行きたいとこ行けばいいじゃん、になっちゃったの。もちろんマイナス→ゼロが不必要なわけじゃ決してなくてただ自分の中でメインから超サブの位置に格下げされた感じ。そんなわけで、今回クレニオを習いたかったのもただ生命の神秘に触れたい、いのちといのちのコミュニケーションを深める手段、そういう感じだったわけです。治癒は、まあ起きても起きなくてもどっちでもいいみたいな(笑)生きてる人間の、生きてるエネルギー、これほど面白いものってないよなー!すげー、ほんとにすげー、と最近日々いろんなとこで感じる。今回のこの「ぶわー」事件も私の中でかなり大物だったわ!そして以前きらくかんで整体を習って、そのまま活かさずに来てるけど何だかこのクレニオ、かなり整体と近い世界なんだよねー。というかほとんど同じ。「触れて、ただ感じる」ことがメインであることから始まって、本当に色々と!違うのは、クレニオの方が触り方がずっとずっと繊細だってこと。でも多分ね、整体が荒っぽいってわけじゃなく本当にちゃんとやってる人たちは、きっとクレニオと同じような繊細な感覚で人の体に触れてるんだと思う。ただ私が、講座に通っていた間、そこまでの感覚に到達しなかっただけで。そういう意味で、だいぶ時間差はあったけどあの時の整体で学んだことが、クレニオでぐぐっと深みを増した感じ。そしてまた整体への興味も戻りつつある・・・。深いですなあ!人のカラダとせいめいりょく!うっきうきしちゃうわー。あ、もしよかったらどなたか、クレニオの練習台になってくださーい♪今のところ家族と友人1名、あとはWS仲間にしか試せてないのよー。もっといろんな人の「せいめいのしんぴ」に触れてみたいので、お暇と気力がありそうな方は是非ー!(金は取らないのでご安心を・笑)にほんブログ村
2009.09.12
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少し前、我が家に電子ピアノが来た。ピアノがあった実家時代から約10年、久々だ。3歳から12歳ぐらいまでピアノを習っていたけど、楽譜すら読めるようにならなかったダメ生徒だった。技術的にももちろん超へったくそ。バレエといい、「習ってたのに身にならず」事項が多すぎる俺!でも、ピアノがある生活はやっぱり楽しい。ふと気が向いた時にさっとフタを開けると音楽が奏でられる・・・すてきだー。カラオケとはまた違った音の楽しみができた。昔よく弾いていた曲を、なんとなくまた弾いている。もちろん手が覚えている。でもやっぱりもたつく。スムーズには弾けない。そんなことは気にせず、ほぼ毎日弾いていた。不思議だなーと思うのは、続けて弾いてるとどんどんその場で上達するわけじゃないのね。別にうまくなろうとか思ってないから、弾きたい時だけ弾いている。飽きたら2分でやめる。ほぼ毎日とは言っても、3日ぐらい空くこともある。そんな、ふっと時間が空いた後、また弾いてみると・・・妙に上達してたりするのだ。「あれ?こんなにすらすら弾けたっけ?」とびっくりするぐらいに。うまくなる、ということには何か不思議な独自の仕組みがあるんだろうなー。やればやるだけ直線的にうまくなるわけじゃない。そうだ、あれだ、たぶん子供が言葉を覚える時と同じように。何かが蓄積されていって、ある日あふれるように出てくる。そういうのが何段階も繰り返しやってくるんだ。練習するという実際の行為と、それがふっと身につく瞬間のギャップ。すごく面白い。で、電子ピアノ、これ録音機能ってのがあるんだけど面白いから録音してみるでしょ、やっぱ。するとね、うまく弾けないの。録音してるって意識しちゃうと、どっか力が入るんだろうね。せっかくだからうまく弾こうって、欲が出る。ただ楽しんで弾いてる時より、数段下手くそになっちゃう。つっかえまくってイラッとして録音ボタンを切って、やーめた、と普通に弾くと、また不思議とすんなり弾ける。「うまくやろうとする」ことがどれだけ力を奪うか、ここ1年ぐらい、そういうことばっかり学んでる気がするなあ。ベリーダンスも。ピアノも。料理も何もかも。好きでやってるはずのことに、ふっと入り込んでくる欲・・・。こうありたい、と制御しようとする自分のココロ。やりたい時はやる。飽きたらやらない。ほんとにそれでいいんだよなあー。ピアノなんか本当に全然うまくなる気もなく、ただ暇潰し的な楽しみで買ったので余計にそのことが分かった。真面目に練習なんかしなくても、気が向いた時にちょろっとやってるだけで自動的に「上達」はやってくるんだ。それこそ一日2分とかでも。ベリーダンスに関しては、本当に好きで好きでしょうがなく並々ならぬジョーネツがあるからなー。それが余計に邪魔したよね。うまくなりたい~!!ってすごい思っちゃうもん。でもまあ、かわいいよね、そう思っちゃう自分も。ここんとこ調子が悪くなってきて気付いたら踊るのも楽しくなくなってて。思うように動けない、ダメな部分ばかり目について。これっていわゆる「スランプ」ってやつだと気付いた。(スランプ来るの早っ!)何で気付いたかって、子供が見てた「魔女の宅急便」で。突然魔法が使えなくなって焦るキキに、絵描きのウルスラが言う。「あたしも描けなくなることあるよ」「そんな時はどうするの?」「じたばたするしかないよ。描いて描いて描きまくる」「それでもだめなら?」「散歩したり昼寝したり・・・何もしない。そのうちまた描きたくなってくるんだ」「なるかしら?」「なるさー!」ウロ覚えだけどこんな会話。あー、みんなこういう経験をしながら成長してくんだなーなんて。ジブリのアニメは不思議と、いつ見ても自分にぴったりのメッセージが来る。びっくりするほど奥が深い言葉があちこちに散りばめられてて、でも響かない時には全然響かない、分かる時が来るとドキッとするほど分かるのだ。まあそんなわけで、その会話を聞いていたらあー、なんだ、これっていわゆるスランプじゃん、て思ったの。ただやる、楽しんでやる、純粋にそれだけで行けたらいいけどうまくなりたい、もっと真髄に近付きたい、そういう欲は誰だって持っちゃうから、スランプってあるんだよな。スポーツだって何だって。それをやることが大好きであればあるほど、ねー。ある日突然、楽しいはずのことが楽しめなくなってたら・・・楽しめなくなってしまったことを深く考えたりせず、淡々と続けるか。それともまたやりたくなるまで放っておくか。ウルスラの言う通り、どっちでもいいんだと思う。大丈夫、ほっといたら抜けるから、と信頼してることが一番かな。頭とココロを持ってる以上、そういう時期って何度も来ては去ってくんだろう。にほんブログ村
2009.09.10
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ここ数日、電池切れ状態だった。ひどい頭痛と仙骨痛。何もやる気がしない。いつもならサカってる時期なのに、性欲もない(笑)なんでかなー、多分あれかなー、と薄々気付いていたけどだんだん確信に変わった。あれだ。ベリーダンス。いつの間にかブレていた。楽しんで踊っていたら、上達してきた。うまくなりたい、と欲が出た。楽しんで踊っていたら、スタイルが良くなってきた。もっときれいになりたい、と欲が出た。よくあるパターン。いつの間にか「今」じゃなくて「目的」に焦点がすり替わっていたのだ。気付かないぐらい奥底の方で。もちろん今は今でそれなりに楽しんではいたのだけど。あくまで楽しむ、その先にステキな結果が待っているけど結果に執着したら、途端にブレる。何でもそうだよなー。私は特に、敏感?いや違うな、何て言うんだろ。ちょっとブレると心身ともに即ダメダメになる。人より欲が強いのかもしれない。分かりやすすぎてちょっと不便だー。にほんブログ村
2009.09.09
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なななんとーっっ!12月にベリーダンスの発表会がー!!!まさかこんなに早く、人前で踊る機会が訪れるとは・・・し、しかも・・・みんなで踊るのかと思ったら、ソロですって。曲も好きなのでいいんですって。どうしましょー奥さんーあーウキウキすぎておしっこ漏れそう。踊りますよ!踊っちゃいますよ!ぐーへーへーへー。よし、今から3ヶ月で脱・スットコドッコイだ~!!!がんばれ俺!にほんブログ村
2009.09.04
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スパイラル後、ぞくぞく変化が起きている。書き直すのもめんどくさいので、パインニードルさんに送ったメールからそのまま貼り付けちゃおう。こちらが昨日のメール↓おとといの夜から生理が来て、今日は尾骨が痛いです。映画館なんかで長時間座って尾骨が圧迫されていて、立ち上がったらイテテテ・・・という時のあの感じです。足首や腰、背中は今はすっかり何ともないです。こちらが今日の↓今日、またスパイラルの反応と思われる出来事が・・・2年ぐらい前に骨折した右足の親指が、猛烈に痛いんです!歩くのも辛いぐらい。数時間遅れて、右の腰というか背中?(ウエストの後ろ部分)にも鈍痛が。何だかどんどん古傷が浮上してくる感じで、本当に面白いです~。それと、精神的にも変化があってポッと湧いてきた感情、エネルギーを、ちゃんとした形でなくてもいいからとにかくその場でどんどん出してしまいたい!表現してしまいたい!という感じになっています。うまく説明できませんが・・・特に子供と一緒にいる時、明らかに今までと違います。私自身が子供になって一緒に遊んでる感じ?走ったり踊ったり変な声を出したり、大声で笑ったり。電車に向かって手を振ったり、地団駄踏んだり。エネルギーが滞らず、その場で滑らかに発散されていく感じでとても気持ちがいいですー!とまあ、こんな感じ。右足親指の骨折ってのは、たぶん当時ブログに書いたと思うんだけど・・・料理中に手にヤケドしまして。あまりの熱さと衝撃に、思わず「あっちー!!」とか言いながら壁を蹴った、ら、勢い余って骨折しちゃったという。ええもう世にもマヌケな。泣きっ面に蜂というか何というか。セルフ骨折でございました。ちなみにこれが人生初の骨折。わりと短期間で一応治ったものの、2年経った今でも何となく指が曲げにくい感じはあったんだよね。そして骨が折れるぐらいの衝撃だもの、腰とかにも影響はあったはずで。(逆に骨が折れることで体の中心部への衝撃を和らげてくれたとも言えるけど)整体でよく言う打撲のショック、みたいなやつだよね。何だかいろんな古傷による歪みが勝手に修正されていく感じですよー。面白いね!にほんブログ村
2009.09.01
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夫からのメールに、普段はないハートマークがついていた。(最近の私の構ってちゃんぶりへの彼なりの対処・・・?)そんだけで上機嫌な俺。男子の皆さーん。女子の機嫌はこの程度のひと手間で維持可能ですよー。簡単なのでよろしくー!釣った魚に適度なエサをお願いします。さてさて行ってきました、スパイラルセラピー。初対面のパインニードルさんは親しみやすい雰囲気。さくっとパジャマに着替えて早速横になる。音叉のようなものを体に当てる、とだけオボロゲに知っていたのだけどあの「きーん」と音が出る普通の音叉ではなかった。耳を近づけないと聞こえない、微かな「ぶぶぶぶぶ」という振動。当ててもらう部分によって大変くすぐったい。痛いよりくすぐったい方がヤバイんだそうな。痛い所よりくすぐったい所の方が圧倒的に多かったぞ・・・。気持ちいい部分もありました。私は先日、階段で左足首をひねってしまい以来ふとした拍子に右の腰にビリッと痛みが走るようになった。だいぶ治ってきてビリッの頻度も落ちたのだけど、まだ2日に1回ぐらいは来る。それを事前に申告しておいた。その足首らへんに施術してもらっている時「最近ダンナさんと喧嘩しました?」と言われてびっくり。何?魔法なの?超能力なの!?ええもう喧嘩しまくりウィークもいいとこでしたよー。聞いてみると、足首の捻挫は父親との関係がどうとか、だとか何とか・・・(すいません記憶オボロゲで)年齢的に直接父親との関係というより、夫との関係に出てるんじゃないかと思ったそう。ビンゴ!ほんと、ここ最近の変な情緒不安定、秋だとか生理前だとかもあるんだけど、実はそれだけじゃないのを感じていた。夫の実家から帰ってくる時から、ちらほら同じような出来事が頻発し始めていたのだ。そこには共通のテーマが浮かび上がっていた。「構ってもらえない」「愛されてない」「必要とされてない」「置いていかれる」そんな気持ちになる出来事が、面白いぐらい立て続けに起こっていた。そういう時の私は、大人の冷静な自分ではない。明らかに子供の頃の感情を、現在に投影して見てるのだった。そして完全に子供になってわあわあ泣いてしまう。あー来てる来てる、なんか出てきてるーとは思いつつ何となく何の対処もせずにいた。えーといわゆるインナーチャイルドですな。この日はどうやら、そこに向き合う日になったみたい。音叉(ちっくなやつ)をあちこちに当ててもらいつつ、ホメオパスでもあるパインニードルさん、レメディの話なんかも絡めつつ親子関係やら夫婦関係の話を色々と。夫へのレメディの「盛り方」なんて話も出たりして。施術中は他にも「背中が盛り上がってる」と言われ(最近あんなに背肉ごっそり取れたのに、それでもだよー)終了後に鏡を見ると、ぬおお、ますます背中がすっきりと~!そして体中が熱い、じわじわと。軽い発熱に近い感じ。ちゃっかり次回も予約を入れ、駅へと向かう途中。どうしようもなく寂しい悲しい気持ちが込み上げてきて、駅のトイレに入ってわんわん泣いた。これまで2週間ばかし小出しにしてきた感情、ついに本格的に流出!という感じ。こうなったら出し切ろう、と完全に子供の気持ちになって泣いた。○○したかったよ~!○○してほしかったよ~!とか脳内で唱えつつ。気が済むまで泣いて、マスカラもすっかり落ちて、洗面所でざぶざぶ顔洗ってすっきり。泣き止んでぐったり疲れた私の中の子供は、パパの背中にもたれかかっていた。ずっとこうしていたい、と言うのでずっとそうしてていいよ、と言っておいた。(←妄想)さてさて、実はその後急いで昼ごはんを食べて、今度はNAETへ。スパイラルの後に立て続けは微妙かな~と思ったけど、その日しか予約が取れなかったのだ。NAETで出てきたのも、まーもちろん例の感情でした。2歳の頃、両親が仕事のあいだ叔母の家に預けられていた、その時の寂しさ、愛されてない感じ、置いていかれた感じ、だったらしい。そこでもまた治療中、ぶわっと来て軽く涙目になり、しかし不思議とあのブルブルする機械で背中を刺激してもらう時悲しみのエネルギーが背中からスッと抜けたのが分かったのでした。一瞬にして涙目も引っ込んだわ。不思議。いやーなんか本当に、この感情に向き合うための一日って感じだったねー。そしてNAETを終えて阿○ヶ谷駅前の公園でカヘラテでも飲もうとへらへら歩いてたらいきなり、血まみれでうずくまる同年代ぐらいの男子発見!白いTシャツの左半分が血に染まってて、飲んでるカヘラテが一気にまずくなったぜ。だ、大丈夫ですか?(←大丈夫じゃないに決まってる)とか一瞬声をかけそうになったが何だかやばいオーラがむんむん出てたので、何も言わずに通り過ぎた。そして遠くでカヘラテを飲みながらじっと見ていた。腕にごつい刺青が入っている。チェーンのネックレスしてる。うーんいかにもアレな感じ。交番がすぐ目の前なので1分ぐらいで警官がやってきて、いろいろ質問している。しばらくすると救急車も来て、男は連れられていった。「はい、刃物はおまわりさんが預かるからね~」とか言っている。よく分からんけど、たぶんクスリかね・・・?錯乱して果物ナイフで自分の肩を刺したらしい。あーびっくりした。びっくりしたけどこういうのって興味深く見ちゃうよねー!多分ものすごい目がキラキラしてたわ、俺・・・すげー野次馬。周りの知らない人に「なになに?どうしちゃったんですか?」とか聞きまくっちゃった。家に帰り夜になり、そろそろ寝る時間になると。背中が痛い。痛いというか猛烈にだるい。体を起こしていられなくて、寝た。一夜明けて今日。背中の痛みはすっかり消えていた。モモと眞手を連れてカラオケに行った、ら。なんじゃこりゃ~!!!!!すんげー声出ますよ。びっくりするほど声が通りますよ!多分あれだなあ。背中あたりの、エネルギーの通りが良くなったんだなー。歌うのが気持ちよくて気持ちよくて、二度も延長して歌ってしまった。スパイラル効果、すっげー!そして何だか今、やけにすっきりしてまた前に進も~!という気分になってるのでした。よかったよかった。あ、今夜は猛烈に足首が痛くなりました。そしてそれも過ぎ去っていった。あのね、足首ひねった時、眞手の乗ったベビーカー抱えて階段下りてて。痛くて「うっ」となったけど、手を離すわけにも、立ち止まるわけにもいかなくて(重いから)そのまま無理に階段を下りきった。痛みを、なかったことにして押し込めた感じだったの。もう1回味わい直して手放した感じかな、今回で。にほんブログ村
2009.08.29
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秋ですなー。暑さは相変わらずだけど、空気感がくっきり変わった。空が高い。毎年この時期になると、どうしようもなく寂しくなる。宇宙でひとりぼっちみたいな気分。高い空の下にぽつーん・・・子供の頃からの色んな記憶がパカパカ甦り、その遠い感じにまた呆然とし、何だかもうカメラとか持って一人旅に出たい気分になるわけです。行かないけどさ!なんか整体で聞いた気がする話によると秋のこの情緒の変化は純粋に気候と肉体の変化によるものらしい。よく分からないけど、毎年こう決まって来ると、そうだろうなーと思うよね。夏のダイナミックな感受性が、一気に緻密に繊細になる感じ。道端の花の美しさに動けなくなってしまうのもだいたい秋だ。そんでもってそんな秋口に生理前のおセンチ期を迎えている私・・・相乗効果というか、ここ数日は大変なことに。もう超寂しくてウサギちゃんみたいになっちゃって何度も泣いたりして夫には大変なご迷惑を。こう、体とか気候の具合によっていろんな自分が出てくると自分の本来の性格なんて、どこにもないんじゃないかとさえ。季節関係なくても、とりあえず排卵期と生理期の自分なんて完全に別人だしねー。さてそんな中、今日はスパイラルセラピーを初体験しに行ってきますよ。どんなもんかしら!?にほんブログ村
2009.08.28
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さてそんな鬼モモが描いた「布団に入ってるかか」の絵。なんかすげーかわいい・・・最近はいろんな人間の特徴を描き分けるようになったモモだけど、私を描く時はいつもコレ。頭になんか乗っかってるキノコみたいな髪型。私のどこらへんがそういう風に見えてるのだろう・・・ちょっと離れたとこに「かか」と書いてくれてます。そしてこちらは眞手が描いた「へび」の絵。いったんもめんか・・・?子供の絵はすげー面白いのとかアヤシイのとかたくさんあるのでそのうちまた載せます。たぶん。にほんブログ村
2009.08.26
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「野菜を食べると美人になる」と言い聞かせてたら素直に野菜をもりもり食べるようになったモモ。本日ごはん食べながら「モモちゃんは野菜いっぱい食べてるから美人になったんだよ」「ほら、お肌すーべすべ」とか言うので、そうだね~なんて適当に流してたら「かかは野菜いっぱい食べてるのに、なんで美人にならないんだろうね・・・」真剣に不思議そうな顔で言われました。夫が「かかは美人だよ」とフォローすると「でも顔にぶつぶつとかあるよ」ですと・・・鬼なの?にほんブログ村
2009.08.24
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本日またまた気付いてしまった。背中の肉がごっそり取れてる!あの激しく逞しかった背中が・・・超もっさりしてた背中が・・・ちょっとなら見せても平気なぐらいに・・・嬉しすぎる~♪これは単純にいわゆる痩せたとかそういうことじゃなく姿勢が変わったのが大きいだろうなー。なるべく目立たずにいたくて無意識に背中を丸めてたのがすっと胸張って歩けるようになった。ベリーダンス効果でもあり、自分を好きになった効果でもあり。ほんと太いとか細いとかの問題じゃないや。ラインですな。ライン。自分史上いちばん痩せてた頃より、今の方が断然イイ体だもん。あとね、長いこと自分は老け顔だと思ってたけど。確かに顔立ちは決してかわいらしいタイプじゃなく、幼く見られることはありえないんだけど。違う意味で、実際に「老けてた」と思う。パーツ関係なく、生き生きしてなかった。ぴちぴちしてなかった。顔立ちのせいにして逃げてたな。最近、明らかに若い感じになってるよ。もしかしてこれからどんどん若くなってくよ?うひゃー。にほんブログ村
2009.08.23
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気付くポイントは何度かあったと思う。最初は5~6年前、夫と一緒にテレビを見ていた時。中学生の吹奏楽のアツイ番組だった。過酷ながらも楽しい練習、みんなで泣いたり笑ったり。何となく「私に足りないのはコレかも!」とピンと来た。つまり例の「楽しく頑張る」という姿勢。でも何もしたいことが思い浮かばず、どうすればいいのか分からないまま、月日が過ぎた。2度目は眞手を産んで数ヵ月後、最高に育児が辛かった時。子供といるのが辛くて辛くて、どうにかして一人の時間を作ろうとひたすら逃げることばかり考えていた。逃げても逃げても、どうしても逃げきれなかった。「もしかして逃げるのをやめて、こっちから追っかけちゃえばいいのかも?」そうは思ったけど、やっぱり子供といるのなんか楽しく思えないし、ねー。3度目は去年、ボイスヒーリングを受けた時。それまで受けてきた「癒してもらう」ヒーリングと違い、自ら声を出すという能動の姿勢によってどれほど元気が出るか。結構な衝撃だった。受け身では癒されない、自分から動かなければ、と思った。しかも声を出すことは本当に楽しくて「楽しんで動く」ことが大事なんだと思った。4度目は去年だか今年の頭。もしかして今までの人生、あらゆる方面で「逃げるからこそ追われていた」んじゃないかと気付く。本当に生き方そのものが、全面的に逃げていたと。そしてそれが自分を苦しめていたんだと。もうこれ以上苦しみたくない、今すぐ逃げるのをやめようと決意した。その瞬間から過食がほぼ無くなり、各種アレルギー症状がほとんど消えた。が、その後・・・だんだんとまた辛くなってくる心と体。逃げれば自分が苦しくなるだけ、と思うばかりに、無理やり頑張っていた。頑張ることが「ねばならない」になってしまっていた。楽しく頑張ろうと思ったはずなのになあ。まあその後いろいろと徐々にコツをつかみ、現在に至るわけですが。今や見た目も中身もだいぶ別人な感じになっております。あ、見た目の方は特にここ1ヶ月ぐらいで変わったかも。いろんなことがゴチャゴチャになって、身も心もがんじがらめな人はとりあえず「何もしない」ことを試してみるといいかもしれない。罪悪感とか、できる限り投げ捨てて。何もせずにゴロゴロして休んでるつもりでも、そんな自分に罪悪感を抱いてたらそれは全然休んでることにならないからね。(かなり実体験)本気で休む!真剣に休む!堂々と休む!思いっきり息吸って吐いて、俺って自由~!を満喫する。ただ休む、それだけのことだって、上手にできない人はできないんだよね。本気で休んでじっくり自分と向き合うと、自分が本当は何をしたいのかちょっとずつ見えてくると思う。ごっちゃになっていた「やりたい」と「ねばならない」がだんだん区別できるようになってくる。で、損得抜きで、誰のためでもなく、本当に心からやってみたいことが出てきたらもう、しめたもの!とにかくそれをやる。やりたいだけ、楽しんで。やっぱりやりたくないと思ったらやめていいし。やることに意味があるんじゃなくて、楽しむことに意味がある。逆に、やりたいことが出てくるまでは何もしなくていい。休んでた方がいい。焦って変に動くと混乱するから。浮かんでくる前に頭で先回りすると、ややこしいことになる。楽しいことだけをやってると、あら不思議。今まで義務感でやってた「ねばならないこと」・・・家事とか仕事とかそういうのね、それがさほど苦痛じゃなくなってくる。サクサク動けるようになってくる。楽しむことで生まれたエネルギーが、他まで回るようになる感じ。楽しいことをせずに義務だけこなそうとすると、拷問みたいに辛いんだよね。今の私は、まだまだ子供と遊ぶの好きじゃないし、家事もとてもきっちりやってる方とは言えないし、世間一般から見たら多分かなりダラダラしてる方だと思うけど・・・そういうのはもう、向き不向きの問題だと思うようになった。少なくとも前みたいに、拷問みたいに辛く感じないだけありがたい。あんまり好きじゃないことは、テキトーにこなしておけばいいやね。何だろう、こうして毎日生きてるのが楽しくて明日が来るのが楽しみだなーと思える、これってかなり奇跡的じゃん!と思うのです。たのしーぜー。まじで。ただ純粋にヨロコビを求めて動く、能動の姿勢。何かから逃げるんじゃなく、自分から楽しいとこに向かっていく。そっかーこんなに簡単なことだったんだ、と思うけどその簡単なことに気付くまで、結構長い年月がかかったなー。部分的には気付いても、全体としての法則を見落としてるとすぐ同じ落とし穴にはまるしね。そんで抜け方が分からないしね。やっと今年に入ったぐらいから、全体的に楽しい私になってきた感じ。にほんブログ村
2009.08.23
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ベリーダンス再開以来、劇的に体が変わってきた。最初はお腹まわりのラインがきれいになったけど、その後徐々に全体的に変化が。全体が締まってる。顔も引き締まってる。脂肪がどうこうじゃなくて、骨格自体がきゅっとしている。(測ってみたら体重も3キロ減ってたけど)これねー、どう見ても骨盤が締まったんだと思います。そして過去の私の体の不調は、主に骨盤が開き傾向なせいだったのかも、という気が。まあ、いろんな角度から言えるんだけど、一面としてね。だるい、やる気ない、疲れる、テンション上がらない、そしていつもたくさん食べたい。長年当たり前だったあの感じが今はない。いつでもわりとエネルギッシュで、食事は少なめでも満足。本当に数年前のベリーダンスどはまり期と同じなんだけど、骨盤が適切に締まってると、いわゆる「若さ」みたいなものが出てくると思う。私は子供の頃から年寄りくさいテンション低い子だったのだけど、それはもう「そういう体になっちゃってた」だけで、決して性格ではなかったんだと思う。適切に骨盤を締めるために何が必要かというと「好きなことをやってワクワクする」ことなんじゃないかな。前にも書いたけど、楽しく頑張る、気持ちよく頑張るということ。締まる=緊張、緩む=弛緩だけど、いい意味での緊張がいい感じに締まった骨盤を作るのだと思う。以前の私は、前にも書いたけどやりたいことが何もなくてやりたくないことから逃げる、ひたすらリラックスを求める生き方だった。だから基本いつも弛緩している。骨盤も開いちゃってる。で、緊張と言えば悪い意味での緊張ばかり。そういう時の骨盤は、締まるというより「ガチガチになる」だけ。そんなこんなで現在、29歳にして自分史上最高のボデ~になっております。ザ・メリハリ!!!(あくまで当社比です、ほんとすいません)10代の頃やっていた、いわゆる食事制限のダイエット。あれがどれほどアホらしいことだったか、今はよく分かる。痩せるには摂取カロリーを抑えろとか、消費カロリーを増やせとか、そんな単純なことじゃないんだよなあああ。太っているということは、楽しいことに楽しくエネルギーを燃やせていないということ。我慢して食事を減らしたり、ましてもちろん吐いたりしても意味がない。そうした結果待ってるのは栄養不足と欲求不満で、すてきなボデ~ではないんだな・・・。足りなかった栄養は、体が何としてでも取り戻そうとするしね。もちろん欲求だって。エクササイズやなんかだって、消費カロリーがどうこうって問題じゃない。楽しんで気持ちよく動くことだけが体を本当に変えるんだと思う。楽しくないのに頑張って動いて「カロリーを消費」しても、それは疲れるだけ。生まれたストレスを相殺するために、また食べたくなっちゃったりしてね。だいたい楽しくない運動で燃えるエネルギーなんて、ほんと微々たるもの。楽しんで「うぉ~!」ってなってる時こそ、エネルギーはごんごん回るんだもの。楽しんで動くと、骨格も変わるし循環も変わる、結果的にラインが変わるし脂肪も減る。食事の量も自動的に少なめになるし、たまに大食したところで太らない。ヨロコビが勝手に燃やしてくれるから。さて、自分内すてきボデ~になってきたので、いよいよもっと美しいラインを作っていきたいという欲が出てきましたよ!これってほんと、過去の「ここが太いから痩せたい」という感覚とは別物。マイナスをゼロに持っていくんじゃなくゼロもしくはプラスから、より大きなプラスに持っていく感覚。出発点が否定じゃない、そこが重要。すてきなものを、もっとすてきにしちゃおうってこと。一言で言うと「創造」・・・問題解決の生き方から創造の生き方へ、変わってきたなーと思うのです最近。いろんな方面でね。あ、ボデ~の話。具体的には特に「尻」を重点的にステキ化したいと思っております。ブラジリアンみたいな丸くて分厚いぷりっけつにしたいぜ!軽めに筋トレとか始めてるんだけど、ぷりけつ化情報をご存知の方、お寄せくださいましー。にほんブログ村
2009.08.22
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この本を読んだ。スローセックス実践入門話題になったことは知ってたけど、いわゆるマニュアル的な本だと思って全然興味がなかった。しかし某おともだちとの会話で、案外深い内容らしいと知って購入。いやー。びっくりしました。これね、全ての女子が思ってることを完璧に代弁してくれてるわ!表面的なことじゃなく、ほんとに深いレベルまで。この本はもう、中学とか高校で性教育の一環として配布してほしい。AVに毒された男子たちのジャンクなセックスは、もはや社会問題なんじゃないかと。愛情も、涸れるよねー。家庭、崩壊するよねー。いやマジでさ!シャレになんない。どんだけの女子が不満を抱えていることか。って、私ももうちと若かった時は、若さと勢いで(?)ジャンクでもそれなりに満足というか、こんなもんかと思ってたんだけどさー。アラサーともなると、ちょっとそれじゃもうキツイわけです。この本、女子にしてみれば「ほんとはこうなんだけどなー」と経験から思っている、ほぼ全て分かりきった内容ではあるんだけど。ただ一つ新たに分かったことがある。女子の好むセックスは女子だけにとって気持ちのいいものでそこはもう越えられない壁、どっちかが合わせるしかないものなのか?あちらを立てればこちらが立たないのか?という疑問があった。これ、そうじゃないみたいね。女子がこうであってほしいと思うセックスは、結局男子にとってもすてきなものみたい。ただ、男子はジャンクでもそれなりに満足しちゃうから気付いてないだけ。この点すごく安心しました。で、この本読んでみてほしいと夫に言ったんだけど激しく拒否されました。「それ俺になんかメリットあんの?」ですって。マジ凹み。にほんブログ村
2009.08.21
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根拠もなく、うおー!俺は自分が好きだぜ!という感じが立ちのぼってくる。日に何度も。生きてて嬉しい、という感覚と自分が好き、という感覚はイコールかもしれない。この、謎の力強いうれしいエネルギーが体の中をごーごー駆け巡っているのでやたら元気でばりばりと動いてしまう。そしていつの間にかパタリと力尽きていて、実によく眠れるぜ・・・。この感じ、理想だった。エネルギーを余らせない生活。余ったエネルギーは大概ろくでもない方角に向かうんだよな。そして気付いたら、鏡を見て「こりゃないわ・・・」と自己嫌悪することが全然ない。たぶん欠点であるはずの部分もせいぜい微笑ましいかわいらしさ程度にしか感じなくなった。自分の子供が、どんなに「面白い顔」だろうと世界一かわいい子に見えるみたいに。好きになった異性が、それこそアバタもエクボで全てステキに見えるみたいに。これってすごいこと!なのかも?そういえば帰省中、義母に「去年より痩せた」と言われたけど、昨日たまたま去年の記録を見て分かった。痩せてない。むしろ2キロ太っている(笑)にも関わらず痩せて見えるとしたら、たぶん雰囲気だろう。私を取り巻いていた、もやーんとした自己嫌悪の雲が晴れたからだろう。実際のところ、人を醜く見せるものってパーツとか脂肪とかではなく、その「もやーん」だと思っている。他人は結構敏感に、カタチよりもそっちを感じ取っているよね。そんでもって、このうれしい事態、いい感じのエネルギーの巡りを引き起こしてるのがどうやらやっぱりベリーダンス。数年前にドはまりした時期も、この感じになってたもんなー。相変わらず日々ちまちまと練習しているので、レッスンは月2回にもかかわらず、地味に上達しております。何かと言うと腰でリズムを取るのが癖に。家事なんかしながらついついシミーしてるし。うーん。楽しいなあ!!にほんブログ村
2009.08.17
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夫の実家から戻りました。た、楽しかった・・・マジで!!今年は夫の兄弟が全員集合して、賑やかな大所帯。海でバーベキューしたり、夜中に討論(?)したり、カラオケでみんな泣いたり。アツい家族だ・・・一人っ子の私には別世界で、なんか羨ましくて、でもそこに参加できたのが嬉しかった。帰ってくるのが寂しかった。相変わらずあっちにいる間はうんこが出なかったけど、今年は何の心配もなくごはんが食べられた、それはやっぱり大きかったな。たったそれだけのことで、こんなに楽しく過ごせるとは。もう既に来年が楽しみなぐらい。いいなあ、大家族。一人の時間が何より大切な私だったけど、だんだん人間が好きになってきたのかもしれない。そう、最近・・・どんな人を見ても、何だかその魅力にうっとりする。昔に比べて、何て言うんだろう、表面の顔とか仕草とか言葉じゃなくもっと奥から立ちのぼってくるものを見ているような気がする。そしてそれが、どんな人も本当に、美しいんだよー!たまに泣きそうになる。あ、私、こないだ海で溺れかけました(笑)って笑い事じゃなくて怖かったぜ!眞手を抱いて鼻歌なんか歌いながら歩いてたら、急に深いとこにはまってさ。一瞬二人ともぶくぶく沈んだんだけど、やっべーと思ってとりあえず両手を伸ばして眞手だけは海の上に出した。出したものの、その体勢じゃ自分が泳げない。一瞬ほんとに死ぬかと思ったわ!そっからどうやって助かったのか分からないんだけど、気付いたら足がつくとこにいました。もう子供抱いて入る時は超浅いとこしか行かないわ・・・。そしてもうちょっと泳ぎを練習しよう。ほんと無事でよかった。にほんブログ村
2009.08.15
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あさって12日から15日までの間、夫の実家へ帰省のため留守にしまーす。カウンセリングのお申し込み、その他メールなどお返事は16日以降になりますのでご了承くださいまし。去年の帰省前にド鬱になってたのが嘘のように今年は平静というか、むしろ純粋に楽しみ・・・なのは日数を短くしたから!?だけでもないかも。やっぱり食事の心配がなくなったのは大きい!にほんブログ村
2009.08.10
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この前、某スクールにボイトレを受けに行ってきた。その日はたまたま生徒が私一人で、マンツーマンでのレッスン。延々と技術的な指導が続いた後、終盤になってちょっと様子が変わってきた。マインドマップの雛形のようなものを渡されて周辺に「今まで関わってきた人たち」をジャンル別に、中心に「今まで生きてきた私」を書き込むように言われる。さくさく記入が終わると、それまで練習していたアメージンググレースを「そこに書いた全ての人たちに向けて」歌ってみろとのこと。いったん技術的なことは全部忘れて、ただ彼らの映像だけを思い浮かべて。驚いた。私の声は明らかに柔らかくなっていきなりタマシイがこもり、体の奥底から溢れるような感謝の念で涙腺が決壊寸前。だいたいそもそもアメージンググレースって選曲がヤバめなんだよ!とか思いつつ、とりあえず泣くのはこらえて一曲歌いきる。そして最後に今度は先生が、私に向けて一曲歌ってくれるというサプライズなプレゼント。驚いたことに、選曲はThe Rose!!!(←これ平井堅バージョンもう鳥肌・・・だってこれ、多分私のいちばん好きな歌のうちの一つ!一瞬のひりひりするような緊張を破って、アカペラで歌が始まると・・・もうね、ダメでした。赤の他人の前であんなに泣いたことはないぐらい、ダダ泣きのボロ泣き。プロの歌手だから上手いのは当たり前だし、曲そのものが名曲なのはもちろんなんだけど、何だろう、あんな本当にタマシイのこもった歌を、一対一で正面からぶつけられたら・・・泣きますよ~!しばらく立ち直れないぐらいティッシュとお友達になったのでした。いやーすごかった。実はその日、何となく朝からモヤモヤっとした気分でそれが何なのか自分でもよく分からず、まあいっかと放っておいたのだけど。そこでえぐえぐ泣いたことで、モヤモヤはすっきり消滅。モヤモヤの正体も、泣いたことの意味も、さっぱり頭では分析できないけど。帰り道の夕焼けが神々しくて、油断するとまた路上で泣きそうだった。あのボイトレ良かったなー。技術的なことより最後のほとんどセラピーのような展開が。・・・なんて思ってたけど、翌日になって家で声を出してみて分かった。うわーほんとに今までより断然声が出やすくなってる!普段と違う環境(防音ルーム)ではイマイチ分からなかったけど。技術的な面も本当にかなり役立った感触です。よかったよかった。そして土曜、母と子供たちと行ったデパートでハワイアンフェスティバル的なものをやってて、舞台ではフラのショーが。どこかの教室の先生と生徒さんたちだったみたいなんだけど、最初に生徒さんたちのダンスを見た時は「うん、フラですね」という感覚。しかーし次に先生のソロのダンスが始まると・・・これがやばかった!もう、何がどうとか言葉じゃ言えないのだけどとにかく一目瞭然で「タマシイで踊ってる」のが分かるのでした。これまたもう、ダダ泣き。鼻水ぐしゅぐしゅ。私には大好きなものがたくさんあるけど、それらの共通点というかエッセンスを抽出すると「せいめいのヨロコビに触れたい」なんだなーと、最近本当に強く思う。生命、いのち、タマシイ、もしかして愛?どの言葉でもあまりピッタリな感じはしないのだけどとにかくあれですあれ。言葉にならないあれ。音楽もダンスも絵も、それからセックスも!そうそう、最近習ってるクレニオだって。全部そこに触れたくてやっていること。生命のふしぎ。アタマでは捉えられない圧倒的な何か。ある時はうっかり子供の目の中にそれを見つけるし、お天気雨に打たれた時も、なんでもない空にもそれを感じる。入口は無限にあって、多分どこからだって入れるんだな。そしてそれに触れた時、必ずたとえようもない感謝の念が湧き上がる。人生の目的、なんて言うと大層すぎる響きだけどそんな感じのものがはっきりしてきた感。そうかー私、これを味わいたくて生まれてきたんだーという。生きてる間になるべく目いっぱい味わえたらいいなあ。本当に好きなものが、ブレずにつかめるようになった自分にバンザイ。もう自分で穴を掘ってそこに埋まって「出してくれ~!」みたいな回りくどいことはしなくていい。行きたいところが分からないばっかりに、わざわざ穴掘らないと、掘って埋まってわざわざ這い出さないと、生きてる感触が得られなかったのよ。にほんブログ村
2009.08.01
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昔、私にとって「がんばる」とは悪だった。私は長いこと、がんばるということが、本当に全然できない人間だった。がんばりたくない。がんばれない。だいたいがんばるって何だよケッ。それって無理するってことでしょ。がんばらなくちゃいけないことなんて、全部ウソだ。がんばらなくても生きられる方法があるはずだ。楽になりたい。楽にしてくれ。という感じ。初めて「あれっ?」と思ったのは数年前。ちょうどベリーダンスにドはまりして、異様に元気だった時期だ。本当に生まれて初めて、生きてるのが楽しかった。基本が楽しいので、今まで辛かったいろんなことも難なくこなせるようになった。そしてベリーダンスの練習を「がんばる」のが、楽しかった!がんばるのが楽しいこれは私にとって衝撃的な画期的な、完全に新しい感覚だったのだ。ほんとに丸っきり未経験の。わー何だろうこれ、すごいすごい!とその新しい感覚、新しい自分を興味深く楽しみつつ、なんでそうなったのか、そこらへんは今ひとつ把握できずにいた。なんでそうなったのか分からなかったから、そうじゃなくなった時も、なす術がなかった。ただ去って行った楽しい日々を惜しむだけ。ほんとに惜しかったぜマジで!死ぬほど!それからまた暗黒の数年がやってきて、何だかんだでとりあえず暗黒は抜け平和が訪れ、そしてまた今回の「がんばるのが楽しい」時期!分かった。もう分かったよ。がんばるのは悪いことじゃない。間違ったことじゃない。人は本当に、自分が心の底から楽しいと思うこと、やりたいと思うことなら「気持ちよくがんばる」ことができるのだ。あんなに辛い、体を引きずるような、拷問のような「がんばる」しか知らなかったのはそれが私自身の選択でなく誰かのため、何かのために仕方なく選んだことに対して「がんばっていた」から。それも自分ではそうと気づかずに。自分で選んだつもりで、それは本当の自分の選択ではなかった。頭で、理屈で、ためになるはずだから、と選んだこと。心が伴っていなかった。気持ちよくがんばる感覚を知らなかった私にとって、幸せというのは「ゆるむ」方向にしか見当たらなかった。がんばる=力を入れる、緊張 ×これ苦しいリラックス=力を抜く、弛緩 ○これ気持ちいいという感覚。そんなわけで、リラックスしたいという欲求しかなかったわけ。単純に、そっちしか知らないから。だから果てしなく「食べる」とか「寝る」とかに溺れていったんだな。リラックス!もっともっとリラックス!まだ足りない!もっと!って。でもそれじゃバランスが取れないわけ。人間ゆるみっぱなしってわけにいかないでしょ。ゆるんだら、締まらないと。で、気持ちよく緊張する術を知らないだけに気持ち悪い緊張の仕方でバランス取るわけです。パニック障害とか。育児ノイローゼとか。ただひたすらキレるとか。もう何だ、結局リラックスも気持ち悪けりゃ(過食)緊張も気持ち悪い(パニック)っていう。最悪な。ここ最近は気持ちよいリラックスの仕方をどんどん学習して過食なんかもおさまったわけだけど。ようやくここらへんで分かってきた。気持ちよい緊張、すごい大事!よく適度なストレスは大事とか言うけど、そういう意味合いとちょっと違って。「楽しくがんばる」ということ。この感覚、多分すごく大事。逆に言ったら、楽しくがんばれる何かを見つけるってことが大事なんだろうな。私はいったんそれを見つけたのに、その大事さに気付かず放り出してしまった、だからこの数年また苦しんだんだなー。リラックスの方角ばっか見てたからさ。昔は「がんばれ」とか「がんばろう」という言葉を使う指導者を見るともうそれだけで「この人ニセモノ」と勝手に切り捨てていた。がんばらなくちゃいけないんじゃ、それって幸せじゃないじゃんって。かなり勝手な勘違い。楽しいがんばる、気持ちいいがんばるもある。これ、私の人生にとっては、かなり画期的な発見でした。今まで勝手にニセモノにしてた人、ごめんなさい。にほんブログ村
2009.07.29
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ベリーダンスの、個人的に超ツボな動画を見つけた。これとこれ(同じ人)すんげーノリノリ。すんげー柔らかい、大きな動き。繊細とか優雅とか神秘的とかよりも、「まつりだまつりだー」みたいな躍動感溢れるのが好きだ。こういうの目指して頑張ろっと!そんでまた、ジルもいいよねー。しゃんしゃかしゃんしゃか、血が騒ぐぜ!買っただけでほぼ練習したことないジル、数年ぶりに出してみたけど、全然できない・・・。踊りながら鳴らそうとするとリズムがダダ崩れになっちゃうし、リズムをちゃんとしようとすると、踊りがグダグダに。(そもそも両方とも単品でもダメダメなわけですが)ジルに限らず、ダンスの練習というもの自体、今まで使ってなかった回路を開通させて、太くしていく作業だと思う。頭と体をつなぐ回路。ピアノだって最初は片手でしか弾けなかったのがいったん覚えたら難なく両手で弾けるし、数年ぶりに弾いてもちゃんと弾ける。自転車だって最初はあんなに練習したのに、今は何年ぶりに乗ってもスイスイだ。同じように、ジルを自在に操りながら踊ることだってできるようになるんだろう。それにはひたすら、繰り返すのみだな、練習を。結果を急ぎがちな私は、単調な練習というものがすごく苦手。今すぐに結果が出ないとつまらなくて逃げてしまう。そうしてわりと激しくダメ人間な人生を歩んできたわけだけど、ベリーダンスに関しては不思議なぐらい自らシコシコ練習してしまうんだなー。そうそう、「がんばる」という言葉についてこの数ヶ月、思うところがあるんだけど、その話はまた今度・・・。にほんブログ村
2009.07.29
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ベリーダンス復活以来、なんというか元気すぎる。意味もなく外に出て、うわーとか叫びながら走りたいぐらい。歩いてる人片っ端からつかまえて、ハイタッチしたいぐらい。まじで生きてるばんざいですよ、これ。さてこの元気、何に使うか。にほんブログ村
2009.07.27
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過食も治って、日々それなりに楽しいし平和だけどイェア!ざっつシアワセ!と言うにはなんか物足りない・・・という感じが何となくあったのだけどベリーダンス復活して分かりました。俺に足りなかったのはコレだあああああ!!!もうね、好きすぎます。楽しすぎます。寝ても覚めても頭の中はベリーだらけ。暇さえあれば鏡の前でちょこちょこ練習。封印していたベリー系DVDやビデオやCDも出してきて、観まくり聴きまくり。そんなわけで、そういえばブログの更新が滞っていたわ・・・。で、ベリーダンスによる様々な恩恵を感じている今日この頃。本当に色々あるんだけど・女性としての自分に、ありのままで自信がついてくる・表情が劇的に明るくなる・お腹のラインが大変うつくしい感じに(当社比)この辺りが大きいところかな。まずさ、鏡を見て踊る時点で、自分を「ステキ!」と思い込まないと踊れない。ただ形だけ体操みたいに頑張っても全然楽しくないわけでどうしたら美しく見えるか、美しく動けるか、というのを嫌でも意識するんだよね。するとこの思い込みが、すごい勢いで現実化してくる模様。踊りながら、つまり動きながらの意識ってところが大きいのかな。(観念浄化なんかも、歩きながらやった方が効果が高いと感じたし)とにかく本当に自分が美しいと思えるようになってくるのよ、普段から。で、実際に姿カタチが美しく変わってくるし、自信がつくし楽しいから表情も明るくなって、それを鏡で見て更に自信が・・・という好循環。来たねー。これはかなり来ちゃったね!で、お腹のラインに関しましても。私はマッチョ体質で、ちょっと鍛えようもんなら即座に腹筋ボコ割れなんだけどベリーでの鍛えられ方はかなり違う。変に逞しいお腹にならないのねー。恐らく表面じゃなく、インナーマッスルを主に使うからなんだと思う。表面の柔らかい女らしいポニョ感は残しつつ、いい具合に引き締まるのよー。食後の出っ腹がかーなり軽減されました。今まで妊婦みたいに出ちゃう人だったんだけど。食べてもあんまり出ない。すごい!そしてまた、体型に関する意識も何だか変わってきた。モデルみたいにス~ッと引き締まってるのが美しいとは、思わなくなった。あの「無駄のなさ」をつまらなく感じるようになった。腹の肉、揺れてなんぼ!たぷたぷしてるからこそ女!むっちりしてなきゃエロくないじゃん!そんなわけで、常にどこか「もうちょっと締まってたらいいなー」と不満ありで眺めていた自分の腹が、本当にありのままで超ステキ、と思えるわけです。腹に限らずだな。最近妙に太くなった二の腕も、たわわなフトモモも。「これだからイイんじゃん」と自信満々になっちゃったわけです。他の人がどう思うかは知らん。でも私はこれがいい。こーれはかなりの意識改革ですよー。そんでまた、ありのままを受容できてるから、そっから更に美しくなってくるわけ。現状を否定してどこかに向かおうとすると、絶対ムリがあるもんね。やっぱりさー、いろんな人のベリーダンスを見てると、細~いモデル体型の人って、正直つまんないんだなー。どんなに上手でも、何だか物足りない。きれいだけど、はじける生命を感じない。それよりやっぱ、ぷにっとしてぷりっとしてる方が絶対ステキ!女性性って多分こういうことなんだろなー。バレエでもなくヒップホップでもなくジャズやレゲエダンスでもなく、ベリーダンス!に私が惹かれたのは、そこに凄まじい「生命のヨロコビ」を感じたから。初めてベリーダンスを見た時の衝撃は本当にすごかった。その人は本当に楽しそうで、楽しそうという言葉じゃとてもとても足りないぐらい楽しそうで、「いきてるのがうれしい!」「おんなにうまれてよかった!」という輝きが全身からもう、ドバドバ溢れまくっていたのだ。生まれて初めて、ダンスで涙が止まらなくなった。あの土くさい、生々しい、せいめいりょくのダンスを踊るためには、私はこのままの、土くさい生々しい私でいいのだ、本当に!きれいきれいな、人形みたいに整った自分にならなくていい、むしろなりたくない。ということが、何だろう、全身で分かってきた感じ。ぐーふーふーふー。この前シミーの練習してたら通りすがりの眞手が「あ、ぶるぶるダンス?」と言ってました。あー知ってる知ってるそれ、ぶるぶるダンスでしょ、みたいな澄ました顔で・・・。(シミーこれ)にほんブログ村
2009.07.25
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ぴろこさんの日記にキンギョクとかの話が出てたので、ふと思い出した件。あのさ。キンギョクね。男子のアレね。伸びーの縮みーの、してるでしょ。あの不思議な動き、何分眺めてても飽きないよね!!頬杖ついてぼんやり観察したいよねー。・・・っていうのはいいとして。あの伸び縮みって、何なの?昔からすんっげー気になってるんだけどー。あのリズムってもしかしてクレニオのリズム?それとも呼吸の?脈拍の?(パッと見、この2つではなさそう)はたまたキンギョク独自の?気になって夜も眠れないので誰か教えてください。さすがにこんなこと、WSでは質問できん。(あ、今日クレニオWS2回目でした・・・力尽きたので詳細はまた今度。)にほんブログ村
2009.07.17
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今月アタマから、久々にベリーダンス復活しております。最初に習ってから6~7年ぐらい?その間、みっちり続けてれば今やプロ級だったろうに(?)残念ながら超途切れ途切れのため、いまだに初心者よ。そして今回の教室は5軒目。もーれつに頭と体の接続が悪く、要するに運動オンチで、ロボットですか!?ぐらいにスットコドッコイな動きしかできなかった私。子供の頃、3~12歳ぐらいまでかな?バレエをやってたんだけどその割に全く成果が残ってないことからも分かる。私ほんとに自分の「からだ」と仲が悪かったんだわ。いや、だって私と同じぐらいバレエやってたような子、大抵みんなそれなりに踊れるし、首がす~っと長かったり「バレエ体型」になってるよね。私に残ったのは、柔軟性ぐらい。本当に何と言うか、いわゆるセンスがないよね・・・。からだを動かすことが、たのすぃー!ヨロコビ!という感覚を知ったのが、ベリーダンスだった。それ以前の私には本当に苦行でしかなかったのに。「たいいくの授業」とかマジで拷問だったのに。ベリーには、スットコドッコイながら超ドはまりして、最高に幸せだった。あれから妊娠出産やら何だかんだ経て、ようやく近場にいい感じの教室を見つけた今回。再びものすごいヨロコビに沸いております。うっひょー!!!今度こそ続けたい、というか続くだろう、これは。初めてベリーダンスと出会った時のタマシイが震えるような衝撃からして、これが私の人生と切り離せるものだとは思えないのよー。ただいま、って感じ。しかしあれだ、私が離れてた間に急速に日本に広がったベリーダンスブーム。私より後に始めて、プロになった人すらいる。完全に置いていかれた気分で、しばらくベリー関係の物事に目を向けるのが辛かった。そんなに好きなら、何が何でもやれば良かったのにね。なんでやらなかったか?妊娠出産とかでできなかった期間もあるけど、それ以外は・・・「問題」と向き合うことに忙しかった、からかな。完全に間違ってたよ、ええ、生き方が。好きなことやってないから「問題」が発生するのにね♪にほんブログ村
2009.07.16
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この前の金曜日、クレニオWSの初日だったわけですが、以来自宅で毎日、睡眠中の子供たちの頭や足や仙骨を触ったりしてます。どーもまだ、前に感じたようなグワ~ンとはっきりした感触が得られないんだなあ。と、それは置いといて、クレニオのリズムを感じようと「感じるモード」に入っている時、基本的には目を閉じてるのだけど、たまにふっと目を開けると、きれ~いに子供たちのオーラが見えます。今日はモモが白っぽくて眞手が黄色だった。頭らへん。私、元々そんなにはっきりオーラが見える人じゃなく、たまーに見える時もあるんだけど、そうねーボケッとしてる時が多いかなーという感じ。オーラじゃなくてプラーナみたいなやつだったら、いつでも見えるけど。でね、ふと思い出した。最近使ってないけど、レイキをやってる時もよくオーラが見えてたなーと。オーラだけじゃなく、レイキの光そのものも見えてた。ついでに、整体をやってる時にもオーラじゃないんだけど、相手の考えてることとか朝食べたものとかがすーっと頭に流れ込んだりしてきたなーと。どうもね、この「感じるモード」になってる時、クレニオでもレイキでも整体でもいいんだけど、とにかく頭というか理性の判断がスローダウンしている時って言うのかな。そういう時ってきっと、普段使ってない第六感的な感覚が解放されるのかも。しかし「あっオーラだ!」とか思ってそっちに集中しちゃうとクレニオのリズムなんか全然どこへやら、なのでした。同時に2つをはっきり、は無理だわ。何だか面白くなってきたぞ・・・いろんな意味で。っていうかクレニオ自体があんまり進展してないんだけどさ。にほんブログ村
2009.07.15
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生理になったよー。私まだまだ真面目だし、頑張ってるし自由じゃないなあ。結果なんてものを本当に考えもしなかったら、やりたいこと沢山あるのに。気付いたら「それ、やっても意味ないし」の烙印を押して味わえるものも味わわず、前にばっかり進もうとしてる。そして、何も残らない。何かを残そうとするばっかりに。本当に自分を大事にしようと決めたはずなのに「もう29歳だし」「子供もいるし」「いい加減・・・」こういう心の声が、本当の本当にパッカーンと外れることはないのかもしれない。一時的にどこかへ追いやることはできても。何だかこういう弱音を、誰に言うこともせずにいたら弱ってきてしまったので昨日だか、夫に一気に話した、ら、少し楽になった。夫が心を開いてくれないと長年思ってきたけど、私の方だって「どうせこんなこと話してもなー」と、心を閉ざしてきたかもなー。私はいつも一人で答えを出したがる。途中経過の、はっきりした形にならないモヤッとした感情は自分だけで処理して最後に「そうか!こういうことか!」と結論が出てから人に話す。このブログも。「分かったことを話す」のが好きで、「自分で分かりたい」のだ。でもねーもうちょっと、人に頼っていいんだなーきっと。私はそれをどこか負けだと思ってたのかも。「助けてもらう」ことを、負い目を作ることだと。本当の本当に困りきって、もうお手上げだーと思った時しか人に相談しなかった。しかも「この人なら絶対いい方法知ってる」と私が勝手に認定した人限定。結局、そうねー、答えに辿り着くことしか考えてなかったのね。身近な人に、答えじゃなくて感情を、ただ話す・・・必要だなあ。にほんブログ村
2009.07.15
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すべてが自分の選択で、すべてが自分の責任で、どんな状況でも今すぐここでラクになれる、握り締めてるものを手放しさえすれば。ということが分かって以来、そう簡単には不幸にならないし、そうそう悩むこともない日々ですがですが自然にやってるようで、意外とアタマの先回りだった、というパターンはわりと健在で気付いたらむっしゃ~~~!!!とものすごく怒ってる自分がいたりするのです。何に怒ってるって、自分に!紛れもなく自分に!本当の本当に腹の底から100%、自分の責任、で生きてるならきっと多分こういうことは起きないんだろうがアタマの理解で「100%自分、なのであるから」とコンマ2秒の迂回をして自分の本当に感じたことを遮断している、時があるわけだ。そのウソに怒っている!「100%自分、で生きるべき」とどこか思っている良い子な自分に!人のせいにしたっていいじゃん~あいつ超うぜーって愚痴愚痴したっていいじゃん~。って、言葉にすると当たり前すぎることなんだけどその当たり前すら、アタマがうっかり抑圧してる時があるのよねー。そりゃーアタマで考えれば結局はぜんぶ自分なんだけど「あいつ むかつく」と感じた時点ではそれが真実なんだからそれを否定したら、かわいそうだ、自分が。でも、その否定しちゃった自分を否定しちゃうのも、かわいそう。どこかで噛み合わなくなった歯車に、気付くのが大抵遅くて気付いたらむっしゃ~~~!!!になってるわけですが、そんな時、脳裏に浮かぶのは大抵ものすごく怒ったアルパカ。何故アルパカ・・・なのかは知らん。しかしそのアルパカとともにしばらく「怒りの樹音」をやってるとだんだん楽しくなってきて、元気になるのでした。・・・あ、この「結局は元気」ってとこに帰着させようとする自分もウザいよね!元気じゃなくてもいいじゃん!(元気ない時に正論吐いてくる人とか超ウザいよねの法則・・・あれ違う?)本当のシヤワセと、偽のシヤワセの区別が、なかなかつかない時があるねー。できればムカついたり、イラついたりせずに生きたい、という欲がある限りどっかポジティブな感情に執着してる限りこれは、あるだろうな、ずっと。にほんブログ村
2009.07.13
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う、うちのかわいいモモを・・・狩らないで~!!すいません、妄想劇場でした。ちなみに写真にちっこく写ってる「モモずきんちゃん」のタオルハンカチ、モモが愛用中。まさにモモのためにあるようなキャラ・・・にほんブログ村
2009.07.09
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三谷さんから「WS前に地獄の猛特訓をする」と言われ、ぶるぶる震えながら行ってきた。うそ。普通に油断してのこのこ出かけていった。当日の打ち合わせ的なことを話したのち、さっそく特訓。三谷さんの頭を触らせてもらう。数年前に同じように触らせてもらった時、たった2回だけど波を感じたし、この前寝ているモモの足を触った時は結構がっつり長時間感じられたし、まあ大丈夫だろ、と思っていた。が、これが分からない!しばらく触っていても、波が感じられないのだった。三谷さんは横になったら2分ぐらいでぐうぐう寝てるのでウケつつ、「ん~??」と集中するがぜーんぜん分からん。頭じゃ分からなかったので、足に移動。「もしかしてこれか?」という感触を若干感じるものの、すごく曖昧。話にならないぐらい曖昧。次は仙骨に移動。すると仙骨が私には一番分かりやすかったようで、ようやく少しはっきり感じる。とはいえ、これでワークをどうこうとか、とてもできそうもない微妙さ。おっかしいなー、前はもっとこう「海!」を通り越して「宇宙!」みたいなとんでもなく大きいうねりに乗ってるように感じられたのに・・・。途中、交代して三谷さんに私の足を触ってもらう。すると「右の胸郭の動きが悪い」とのこと。普段のセッションでもそうだけど、足触っただけで全身の状態が分かるって、すごいよね・・・。そして肋骨の右後ろ側、つまり背中を、ロルフィング的にぐりぐりしてくれた。あとは右肩も。さらに右の「手」自体も。自覚は全然なかったけど、どうもだいぶゴリゴリになってた様子。カバンを持つ時、左右で持ち替えるようにしてるけど、何となく右で持つ方が多いので、そのせいもあるのかな・・・?単純に右利きだから?そして右をゆるめてもらった状態で再び三谷さんに触らせてもらうと、なんと見事にさっきより動きが読みやすくなってたのでした。びっくり!そういえば、最初に三谷さんの頭に触れた時「なんか右手が細かく震えちゃって触りにくいなー」と思ってたんだけどまさにその右側に、緊張があったからなんだね。手というか、もっと根っこの胸郭に。おいおいどうするよー。カラダに緊張があると、触覚だけでなくあらゆる感覚が鈍くなるのでWSの時はストレッチなりで体をほぐしてから行こう、あと精神的な緊張もアレなので慌てたりしないよう、余裕を持って行こうなんて思ってたけどさ。こんな「全然自覚なしレベル」の緊張でさえ、ここまで差が出てしまうなんて!自力じゃここまでの調整は絶対できないっす。クレニオ繊細すぎ・・・。で、ここらへんで三谷さんに重要なコツを教えてもらう。「動きについて行くようにする」これね、私には大きなポイントだったみたい!動きについて行くようにしたら、途端にドーンと動きが感じられるようになった。それまで私、自分の手は固定したまま、そこに「当たってくる」動きを感じようとしてたのね。そうじゃなくて自分の手も相手の体と一緒に動きつつ感じる、んだねー!数年前の時やモモの時、わりとはっきり波が感じられたのはたぶん無意識というか偶然に「動きについて行く」のが出来てたんじゃないかな。そこんとこ、はっきり言語化してコツとして分かったのは、ものすごい収穫。そういえばさ、整体を習ってた時も、相手の体を触ってると時々「海!」とか「宇宙!」みたいな感覚になることがあってあれも意図せずにクレニオのリズムを感じてたのかな?と思うんだけどやっぱり整体だって相手の動きに同調しながら触るもんね。そもそも呼吸に同調するとこから入るしね。感じようとするあまり、自分の手を「固定」しちゃだめなんだなー。うんうん、なるほどなるほど。いやーそれにしても思った以上に苦戦したので、むしろ燃えるよね!くっそーモノにしてやる、みたいな。しかしさーほんと、自覚的には特に緊張してない状態でもこんなだったのに、時々なる「頭バリバリ仙骨バリバリ」みたいなド緊張状態の時なんてマジでクレニオなんか絶対できやしないね・・・。これまた整体の時にも感じたけど、「感じる」ことができる状態に自分を持っていくことが必要でそれは何というか少しずつ海の底に沈んでいくような感覚。日常のガチャガチャした世界から、ちょっと違うチャンネルに降りていくような。で、これが「感じよう!」という力みじゃなく、むしろ逆方向の努力なので意図的にやるのが結構難しいんだよなー。これを毎日仕事としてやってる人って、一体どうやって調整してるわけー?と思うんだけど、そのうち慣れて一瞬で切り替わるようになるのかな。そうであってほしい・・・。特訓終了後は異様に腹が減っていて、思わず回転寿司に駆け込んで5皿。(初めて遭遇したホタテ缶の軍艦79円がうまかったぜ!)立て続けに隣のミスドでドーナツ1個。夕飯前の微妙な時間だっちゅーのにがっつり食べて急いで帰った。いやもうほんとに我慢できない空腹感で!そして帰宅後は死ぬかと思うほど、ぐったり疲れていた・・・。その時点になってやっと「ああ、地獄ってこれか」と。普段使わない神経をめいっぱい使った感じ。特訓自体は、胸郭の調整までしてもらって、むしろ至れり尽くせり。どこが地獄?って感じだったんだけど、意外とものすごくエネルギー使ってたんだなー。あの空腹も尋常じゃなかったもん。そんなわけでいよいよ明後日、じゃないもう明日、WSが始まります。頑張っちゃうぜ!うひひひひひひ。にほんブログ村
2009.07.08
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最近ふっと思いついて、過食克服のためのワークショップを画策中。内容はもうばっちり決まってるので、あとは会場と日程ぐらいかな~。カウンセリングで一人一人と向き合いながら話すのも楽しいし、個人の事情に合わせて細かい部分をじっくり話せるんだけど、実は基本的な流れ、伝えたいことは8割方みんなに共通。あとはただ「応用」とか「発展」とかそういう感じなのよね。だから何気に、同じ話を繰り返し繰り返ししてるよなー、と思うことも。だったらみんなでまとめて話した方が手っ取り早いじゃーん!?他の人の話もまた、お互い参考になるしさ。というわけで思いついた瞬間は超ウキウキしましたです。ワークショップの詳細が決まったら、またこのブログに載っけますよん。今日もありがとねー。にほんブログ村
2009.07.07
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モモが幼稚園に入って、そろそろ3ヶ月。「幼稚園ってママ同士の付き合いが面倒らしいよ~」とか「お茶しないとハブられる」とか「年季の入ったボスみたいなママが怖い」とかいろんな噂を聞いており、若干身構えておりました・・・。そういうノリ、だいぶ苦手。いわゆる「ママ友」もいない。「公園デビュー」もしてない。ぜってー溶け込めね~!というか、溶け込む気もないしー、ぐらいの気持ちでいたんだけど。フタを開けてみたら、母ちゃんたちみんなフレンドリー。いかにもな雰囲気はどこにもなく、それぞれが好き勝手に個性的で、その割に誰と話しても結構いい感じに盛り上がる。変な派閥とかもないみたいだしねー。(もしかして私が鈍くて気付いてないだけかもしれないけど!)年齢も性格もファッションも何もかもが激しくバラバラなただ「子供が幼稚園児」というだけが共通点の女子たち。プライベートだったら絶対接点はなさそうなんだけど、話してみたら意外と面白い、という新発見。いきなりパァァ~と世界が広がったみたいで、面白かった。いやー、よかった、なんか嬉しいよ。しかも先生たちも、これまたみんないい人だしさ。期待してなかった、というかむしろマイナスを想定してただけに思わぬプラスに思わず感涙。モモももちろん、ぐんぐん世界を広げていて、怖がりで乗れなかったブランコもいきなり立ち漕ぎしてるし、鉄棒なんか私より上手くなってるし、英語なんか習ってきて「キャァァット」とか言ってるし、「しんたいそう習いたい」とか言い出すし、プリキュアの何たらがどうだとか言ってるし、どんどん勝手に育ってますなーという感じ。保育園の時より成長が目覚ましいわ。そしてただいま、好きな男の子が3名いる模様。そのうちの1人と先日、スーパーで遭遇したんだけどモモと彼のイチャつきっぷりが想像を超えてて驚愕。手~握り合っちゃって、見つめ合っちゃって、頬寄せ合っちゃって。いやん!若いってステキ!何だろうなー、私はすごく地味で引っ込み思案で友達少ない子供だったので私に似ず社交的で若干ギャルっぽいキャラの彼女を見てると自分が生きられなかった別次元の子供時代を追体験してるみたいですごく楽しい。それとね、子を産む前は「自分が子供だったらこういう風に育てられたかった!」という各種理想があって、幼稚園なんかも結構こだわりの泥んこ系とか野山移動系とかシュタイナーとかそういうのを当然想定してたわけ。当然ね。だってそういうの好きなんだもん。楽しそうじゃん!?(子供目線)が、実際に子を産んでからの激動の数年、を経て「もうそういうのどうでも良くね?」と次々にいろんなとこが崩れまくり、幼稚園も何となく保育園からの持ち上がりで「超フツー」のとこに入れた。いやーシュタイナーとかも一応見学には行ったんだけどね。ビビりました、恐れ入りました、母ちゃんたちの「て い ね い に 暮 ら し て ま す」オーラに・・・あまりに母ちゃんたちのムードに統一感がありすぎて、それこそ私には溶け込めない世界だった。うん、自由じゃない、感じだったんだよねー。どこかピンと張り詰めた空気があると言うのかな。掲げた理想に反することを恐れている空気。ほんの無意識の。何だか結局、回り回って子供にとっても「楽しくなさそう」に感じたの。それよりは、別に特に私の好きな要素はなくても、何でもアリの普通の幼稚園がいいかなー、モモも友達と持ち上がりだし、と思って。その選択が、思った以上に正解だった感じ。本当に「普通」だからこそ、何の特色もないからこそ、逆に色とりどりの特色ある、共通点のない、おもしろ母ちゃんたちに出会えたわけで。なんか、みんな濃いんだよねー。たのしいよ、ふつーのようちえん!あまりに「スピリチュアル」とか「摂食障害」じゃない話が多いので↓こんなカテゴリにも入ってみましたとさ。これなら何でもアリじゃろう。にほんブログ村
2009.06.29
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男子二人と、でっかいベッドの上でゴロゴロしながら窓の外のお天気雨のキラキラを見ながら何だかんだとお喋り・・・しつつふと男子のうち1名のことを「そういえばこの人、夫じゃなかったっけ」と気付く。もう一度窓の方を見ると、窓枠にでっかい蝶が止まっていて(マジででかい、30センチぐらいのハデハデなやつ)その蝶が飛び立ちながら、私にテレパシーで「自分自身で飛べ」と言った。・・・という夢を見た。夢じゃなかったらキ○ガイ日記ですな。いやー、お天気雨きれいだったなー。ちょうちょ、でかかったなー。夢の中って現実では味わえないような、妙に懐かしくて切ない空気がいつも漂っていて私はたまにあの世界に「帰りたい」と思ってしまう。本当に言葉ではうまく言えないんだけど、あの強烈な懐かしさは何だろう。あと現実ではありえないぐらい、世界がキラキラしてること多し。庭の苔の鮮烈な黄緑色、そこに光るしずく、とか。深い森で出会う不思議な生き物とか。マクロレンズで撮った写真のように、あらゆる小さいものの存在が際立っている。出てくる生き物とは、大抵テレパシーで会話している。もちろんたまに怖い夢を見る時もあって、そういう時の夢の世界は、現実ではありえないほどホラー調。人間が水銀みたいに液体化していて、ねばーんどろーんと歩いていたり。何にしても全てが現実より鮮烈なんだよな。たまに「見る夢はカラーですか?」という質問があるけど夢がモノクロの人っている・・・?あと「夢じゃないかとほっぺをつねる」というのがよくあるけど私の五感は夢の中の方が鮮明だぞ。夢って自分自身の潜在意識の世界なのかな?死んだらずっとああいう世界にいるのかしら。↓今日もスピリチュアル・・・ではなさげ?ランキングに登録したら、どうでもいい日記を書くのが若干申し訳ない気分に。おほほ。にほんブログ村
2009.06.25
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夫との会話で、私が例え話を出す。話題になっているのはAというモノだとして、例えとしてBというモノを出して説明する。すると夫は「それは例えにならない、だってAとBはここがこう違うから」と言う。(そしてその相違点は、私が例えたいポイントとは全然関係ない)このパターン、夫とだけじゃなく、今まで付き合った全ての男性との間で繰り返している。私が例え話を出すと、男性みんな同じ反応をするのよー。揃いも揃って!で、毎度納得がいかないわけ。だってAとBが違うのなんて当たり前で、全く同じものじゃ例えになんないじゃんね?そしてAとBの相違点を探すことに、何の意味があるんだろう・・・。共通点を使って話をしようとしてるのにな~。えーとAとかBとかじゃ分かりづらいかしら!誰か話について来てる?で、こうまで同じパターンが続くと、これはもしかして男女の脳の仕組みの違いなのか!?とか思うわけです。皆さんのところではどうですか・・・?同じような会話をしてるカップルはいませんかねー。↓とりあえず、スピリチュアル・・・ではないだろう。にほんブログ村
2009.06.19
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