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母が4年前に入院していた病院の別棟にある老人ホームから「部屋が空きました」と手紙が、申し込み用紙同封で姉の所へ来た。 「よかったね。受けてくれるとこ無いと思てた」 と姉は母に言って、申し込み書を書いた。 日曜日に母の家へ行くと姉が来ていて、「申し込むのんやめてん」と言う。「ホームはお風呂がきたないねんて。オシッコいっぱいしてるらしい」 そんなことはないと思うけど、そうかとも考えられる。「お風呂も入られへんようになるまで、家におったらええやん」「ユークンがお風呂へ入れてくれるからなあ」 母一人入るだけだから、家のお風呂はきれいだろう。 ところが今日、姉が電話して来た。「病院のホーム、『体験入所してみませんか』いうて来たわ」「体験やったら、ちょっと荷物持って、3、4日行ってみたらええやン」「『面倒くさいで。たいそうやで』ってお母ちゃん言うてるけど、面倒くさいのはうちやんな。ほんま、たいそうやけど、月曜日に連れて行ってくるわ。今日はユークンに外へ出してもうて、車押してちょっと歩いてんと。ちょっと入って歩けんようになったらあかんしね」「介護してくれる人が常駐してると思たら、自分で歩こうとせえへんもんな。『歩く稽古せえへんかったら帰られへんで』言うといたらええねん」「そうやな。体験してみやな、な」「ここはええか悪いか、お母ちゃんが一番ようわかるねんから、『帰る』言うたらすぐに連れて帰ったら?」「そうやなあ。--------エレベーターでも自動車でも、検査したら故障するけどな」
2011.02.28
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抗がん剤で死ぬ人が増えているという。辛い副作用に耐えて、それでも治らない。昨年の6月、私のラクテン友達のおニャンキーさんが、副作用の辛さに「死んだ方がまし」と書いておられた。 昨年の五月、「胃癌と診断された」という日記に、慰めと励ましのコメントが6つあった。私は勿論我が家の家伝薬を薦めた。五月のおわりの日記には、抗がん剤の辛さが書いてあった。 六月、「梅エキスに期待する」とあった。まだお酒が飲めるとか社民党のことなんか平気らしく書いてもあった。 6月12日、「抗がん剤の治療にはもう耐えられない」とドクターに訴え、ドクターは「やめましょう」と言ったそうだ。6月19日の「楽になりたい」という日記に、10通の慰めと励ましのコメントが並んだ。そのあと、おニャンキーさんの日記は更新されなくなった。 あの暑い暑い夏、どうしておられるかなあと時々気になっていたけど、大方は忘れていた。最近、ガン患者の記事を読んで、今日おニャンキーさんのホームページへ行ってみた。日記は19日のままだった。「花かりんさんのコメントを苦く思い出している」という一節があった。11通お見舞いのコメントが続き、12通めに「亡くなられた」という報告があった。あとはお悔みのコメント。 梅エキスで胃癌が治るくらいだったら、「宣告された」と嘆く人も死ぬ人もいない。着る服、住む家、食べるもの、なんでも決めるのは自分だ。楽に生きるか苦しんで生きるかは、運命だ。 ガンは闘うものではない。自分の身体の中の細胞の故障だ。優れた組成の栄養で修復は可能なのだ。 よく、長寿の人に会うと、「あやかりたい」と言う人がいる。だったら同じものを食べて同じような家に住むかといえば、そうではない。口先だけのおべんちゃらは言わないことだ。 「新薬に期待している」と、新聞は何十年も繰り返し書いている。写真は、ラベンダーの花のそばに消え残る雪
2011.02.25
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21日、ショータンの入っている病院へ、「食事指導」の話を聞きに行った。 わびしい食事なら、わざわざ聞きに行かなくても解っている。なにを食べるか、どれだけ食べるか、は本人が心得るものだ。普段から、ショータンは贅沢過ぎた。食費は私の3倍必要だった。ショータンがいないとヨーグルト(450グラム入り)が3個も無駄になっている。1個を3日で食べるから、3個は9日分。ここ8年ぐらい、毎日欠かさず食べていた。蜂蜜をたっぷり入れて。 指導の栄養士は、1回の分量は50グラムで、甘味は入れないこと、と言った。「え? あんなもん、蜂蜜入れんと食べられまへんで」「じゃ、無理に食べない方がいいです」 なんだ!! 安いスーパーで1個130円。月10個=1300円。年15600円。100万円貯金しても、7年でこれだけの利子はつかない。ブルガリヤヨーグルトだったら、180円だ。 乳製品が値上がりした時、ブルガリヤは内容量を少なくした。それでショータンは別のメーカーのものに変えたのだ。蜂蜜は1年に4個使うとして、4000円。なんと! ヨーグルトをやめるだけで年19600円も浮く。 朝飲む牛乳も多すぎると言われていた。大きなマグカップに9分目入れる。「小さなマグカップにしてください」と。 イ日2回か3回飲むコーヒーも、ショータンはポートワインを入れて飲む。ポートワインは毎月1本買う。5、6年前にテレビでミノモンタが「良い」と言ったからだ。魚だ肉だ野菜だ豆腐だと、いつも山ほど買う。 ショータンがいなくなって9日めだけど、私は食べ物はなにも買っていない。ネーブルがまだ6個も、仏壇の前に置いてある。リンゴも2つある。早く食べないと傷んでしまうと思っても、食べたくない。冷凍庫の中のものは全然減っていない。 「栄養。栄養」といって、栄養過多で病気するなんてバカなはなしだ。しかも30年は病院で薬をもらっているのだから、国にとっても害人だ。勿体ない勿体ない。
2011.02.24
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16日(水曜日)、ショータンを病院へ送って行った。 午前10時半に入院手続きをして、キャリーに乗せた荷物を七の病室まで運び、ロッカーや整理ボックスに仕舞った。面会室兼食堂と同じ方を向いた窓から陽が入っていた。4人部屋で、ショータンは入口側だった。各部屋に洗面台とトイレが付いている。 看護師に、身長、体重、体温、腹囲を計ってもらった。腹囲を計ってもらっている時横を通った窓側の人に、ショータンは「よろしく」と声を掛けた。「オタクもメタボで?」「いいえ。わしは胃が悪うて来てますねん。この前糖尿で入って、それは良うなったんですけど、今度は胃です。」「へええ」 食事指導して貰って、胃が悪くなるというのはおかしい。パジャマの上から見ても、ショータンよりかなり太っている。「嫁はんも糖尿で入ってましてん。今は家におりますけど、足が悪うて、滅多に来ませんわ。家はすぐそこです。タクシーでワンメーター」 話好きらしいから、ショータンは退屈しないだろう。 こんな人はうちの家伝薬を飲めば、夫婦で代わる代わる入院ごっこしなくて済むのに…。胃潰瘍か胃癌か知らないけど、そんなものはすぐに治る。でも宣伝はしない。病院が好きな人は、病気はドクターが治すものだと信じているから。 キャリーを玄関へ戻しに行って、ついでに売店で私のお弁当とテレビ・ガイドを買った。ショータンの食事はかなり粗末だった。ほうれん草とにんじんのゴマよごし。大根の輪切り煮つけ二つ。焼いた鮭の切り身。ご飯は家で食べているより少し多い。リンゴ1/62キレ。みんな殆ど味が付いていないということだった。 私なんか、ショータンが食べるのよりしっかり味の付いたものばかり食べているのに、血圧も高くないし、胃も悪くならない。糖尿の気など全くない。好きなものしか食べないから、ちょっと栄養が偏っているかな? と思ったらうちの薬を飲む。22種類のアミノ酸の組成が人間と同じで、その生体はなにが必要か不足かを勝手に選別して、取り込んだり排除したりする。生物はアミノ酸さへ摂取していれば病気しない。アミノ酸は損傷した臓器を修復したり、作ったりする。だから目の周囲にちょっとつけておけば、老眼にも乱視にも白内障にもならない。 1時半に、「帰る」と言って部屋を出た。階下へ降りて、廊下の端にある図書コーナーで本を読んだ。「空を見上げるうたを思い出す町」というような題名の本だった。1冊読み終えてから病院を出た。図書カードが使えなくなるという話を聞いたので、駅までの道の途中で本屋に寄って、文庫本を1冊買った。病院の駐車場と駅の前で、写真を14,5撮った。 橋本の駅まで行く電車は来ず、二つ向こうの三日市までだった。三日市で下ろされ、20分待った。橋本の駅前からバス停へ行ってみたら、15時25分発のバスがある。21分だった。椅子がないから立って待った。来ない。24分。発車10分前には来る筈なのに。バスに乗る人がいないというのもおかしい。26分。時刻表は嘘か!? 暖かい日でよかった。 タクシーに乗った。新米らしいドライバーが、一昨日の雪渋滞の話をした。「駅前、人もいっぱい、車もいっぱいですのに、道は走れませんねん。午後から、夜中過ぎまでいっぱいでした」「うちの主人、朝『河内長野の病院へ行く』いうて車で出て、帰って来たのは夜中の12時過ぎでした」「へええ。あの道は幅が狭いですからねえ」 当分いい話題になるだろう。家のそばまでで1070円だった。写真は雪の日の梅の花
2011.02.18
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14日、朝9時にショータンは、「病院へ行く」と言って軽トラで出かけた。昼前から雪が降り出した。12時にも帰らなかった。病院から駅2つ向こうにショータンの従姉が一人で住んでいる。長いこと行ってないから、寄っているのだろうと思った。3時になっても帰って来ない。5時。帰らない。女同士ではないのだから、そんなに喋ることはない筈だ。6時に雨戸を閉めた。7時に夕飯を食べた。門灯も軒灯も点けた。雪はまだやむ気配がない。9時、きっと道が渋滞しているのだろうと思った。2年前にもあの道でワゴンが横転して5時間ほど渋滞した。 10時。もしかしたら、ショータンが崖下へ転げ落ちたのかもしれないと思った。片側山で片側崖の道が2キロほどある。帰りは崖側を走る。藪がある。田んぼが続いている。窪地に人家が少しある。暗い。時間によっては、転落しても目撃者がないということもある。11時。従妹の電話番号を調べて、電話を掛けてみようかと考えた。 警察から連絡があるかも知れないと、服を着替えた。門灯を消した。パソコンをしていては、ログアウトに少し時間がかかるので、編み物をしていた。 12時。まだ-----。テレビは「雪情報」を流している。12時17分。表でかすかに音がした。(帰って来た?) 玄関の灯りを点けた。ドアを開けると、やっぱりショータンだった。「遅かったなあ。渋滞してたん?」「渋滞も渋滞。時速300メートルや。病院も朝からつかえてて、4時に出直して来てくれ、言うことで、あっちの家でテレビ見てた。病院出たんは6時、美加の台ぐらいから渋滞や」「晩御飯は?」「食べてへん。今日に限ってポットも持って行ってない」 いつも出かける時は、お茶を入れたポットを持って行く。私は出たら帰って来るまで飲まず食わずということが多いけど、ショータンは自販機でコーヒーを買って飲んだりする。まあ、無事で帰ってよかった。「病院は、なんともなかったん?」「明後日から入院や」「動脈瘤が大きいなってたん?」「瘤とちがう。血糖値が異常上昇してるねんて」「そやから、うちの薬飲んでたらええのに」世間並のバカだから、仕様がない。お医者さんで病気が治るのなら、死ぬ人はない。最近、あっちの病院こっちの病院と走り回っていた。よっぽど具合が悪いのだろう。 それで今日は、いろいろ買い物に行った。夕食後、入院の荷物を作った。
2011.02.15
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今朝、この冬初めての積雪だった。一昨夜は暖かかったので、朝方おこたのコンセントを抜いたけど、今朝はそのまま寝ていた。雨戸を繰る音に起きて、階段を降りる時ちょっと寒いかな? と思っていたらショータンが「雪積もってる」と言った。どれどれ? とガラス戸をあけて見た。真っ白だった。豪雪地方の人だったら「雪」とは言わないほどの20センチぐらい。4、5年前に積もったのよりは多い。昨日6分咲きになったばかりの梅の花が、こんもり雪をかぶっていた。さっそく写真を撮った。アジサイの木が樹氷になっていた。 朝食のあともどんどん降っていた。どうせお昼には止むだろうと思っていたが、なかなか止む気配がない。寒いからすき焼きにしようと、軽トラでネギやうどんを買いに行った。買い物に行くと言えば、運転手つきの車があるから便利だ。道路脇の歩道は、誰もまだ歩いていないらしく、足跡がなかった。北、東、南の山はみんな真っ白だった。スーパーの軒下に並べたパンジーの赤や紫が雪の下から、ちらちらっと覗いていた。道端にいい恰好の樹氷があったけど、カメラを持って出なかったから残念。最初で最後のユキだろうに。父が亡くなった3月に大阪に雪が積もった。64年前のことだ。 雪おろしに難儀している人達は、なんで三角の屋根にしないのだろう? 鋭角の屋根だったら、積もった雪は適当にすべリ落ちるだろうに。毎日毎日雪下ろし、よくやってられることだ。雪おろしで毎年何人か亡くなるなんて、かなしいはなし。招待されても寒い時期に寒いところへは行きたくない。 午後4時ごろ、雪はやんだ。
2011.02.11
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大寒の入りの日、電車のホームに女子大生が大勢いた。 防寒ジャケットに厚手のマフラー、帽子無し、ブーツ、ジャケットの下から覗いているのはひらひらした薄手の夏物スカート、またはまたはノーパンに見える半パン。一番大事な下半身が超冷えるルックス。どうせバカな男がコーディネイトしたマネキンのスタイルをまんま真似ているのだろう。 暑い寒いの感覚はないのか? 近くにいるギャルをよく見たら、ブルブル震えていた。(あ。やっぱり寒いんだ) ヒマだったからよくよく見てみた。私の周囲に震えているのが8人はいた。あっはっは・・・ 少子化対策して(なにを???)る政府さん。これじゃあ女はますます子供を産まなくなるよ。産めなくなる。 膀胱炎、冷え症、老化、子宮頸がん、不妊症、痔、そこまで来てる。 事故……じゃない自己管理方法、と日本語、ばしっと教えなきゃ……ね。 冷やすのはアタマでしょ。 文部大臣っていうの、いまいないんだったか-----
2011.02.07
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3時半になると母は言います。「もう帰らな暗ろうなるよ」 南海電車は終点まで行く電車が少ないので、行は2時間でも帰りは河内長野止まり、三日市止まり、林間田園都市止まりなどで、後から来るのを待たなければなりません。難波のホームで「橋本行き」を待っても同じなのですが、ホームには椅子が無いので、途中止まりの電車に乗ります。途中で折り返しの電車の乗って、下ろされて待つと、3時間ぐらいかかります。 南海沿線が発展しないのは、電鉄のエライさんが賢くないからです。 コートを着ると、「防止、忘れなや」「手袋ええのんあげよか?」「バッグ、ようけあるから好きなん持って行き」「ハンカチ持ってるか?」などと言います。小学校の頃、毎日言われていました。 身支度してからお茶を飲むと、「電車の中でオシッコ行きたいなるで」と言います。姉にはそんなこと言いません。「バスに乗るのん? 電車に乗るのん?」「バス」「小学校の横から乗るのんか? 喫茶店の前から乗るのんか?」 小学校の前からなんて、乗ったことありません。「いつものとこから」「忘れもんないか? 気ィつけて帰りや」 まだよく歩ける頃は、門口まで出て見送ってくれました。 最近は私が行くと、「今晩泊まってくれるのんか?」と言います。私も寒い時に3時間もかけて帰るより泊まる方がらくです。 それより、家から2時間半もかけて行くのが面倒です。
2011.02.04
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