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昨日の夕方、姫家族と合流。東京駅の八重洲口にバスが到着したのですが、街の明かりが暗過ぎて車の中から目視できず。姫が携帯を手に車を降りて、バス降車場近辺探索後、無事家族を引率してきました。日が暮れても町の明かりは暗いままで、不気味な違和感を感じながら八重洲を後にします。皇居前を通過したのですが、うじゃうじゃいる筈のとランナーを見かける事はありませんでした。さびれた温泉街の夜みたいな首都は、東京大停電の映画の中にいるようだ。一夜明けて本日21日。スーパーの開店時間に合わせて米をGETできるも、未だ納豆はGETできず。朝食の友の納豆はどこに消えたのだろう?仕方ないのでキムチと野菜を購入し、本日の食糧購入を終了。感覚的に、買いだめした人が一巡した感じがあるので、あと数日で納豆が買えそうな予感がするのだが。。我が家は乾燥器がないので、大人数の部屋干し対策で、急遽除湿機を購入する事にしました。早速池袋のヤマダ電機、ビックカメラ、ドンキホーテ(ピカソ)に行ったのですが、ドンキが一番元気なかったですね。ドンキ店内に入るも、視界に入ったのは店員さんのみで、モチベーションが低そうでした。ビックやヤマダの店員さんのモチベーションは意外と高かった。しかし家電店の照明は、間引きモードで薄暗かった。ビックカメラ一階に凄い人だかりを見た。後ろから覗くとワゴンの中には乾電池と懐中電灯、電子ホイッスルが山積み。単2が売り切れました!と店員さんのアナウンスが伝わると、ワゴン横のピラニア軍団は我先にと電池や懐中電灯を握ってました。マツキヨをはじめとするドラッグストアも、間引き照明で気分が滅入る。結局おめあての乾燥器が見当たらず、パン屋さんで出来たてパンだけ買って帰宅しました。明日からの会社は、停電との戦いが始まる。停電は我慢するので、早く余震と原発がおちついてもらいたいです。
2011.03.21
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昨日は、休日出勤日だったので、バス停に向かう。途中で身なりの良い紳士と夫人、そしてお子さんがカメラを持ちながら現れた。卒業式に向かう前に、自宅玄関前で記念写真を撮ろうとしているのだ。3人での写真を写しましょうか?綺麗な奥さんが申し訳なさそうにカメラを預けてくれた。デジカメ越しに見る3人の笑顔を見て、声をかけて良かったと思いました。写した画像を確認してもらい、立ち去ろうとしたら、紳士と夫人が頭を深くさげながら、何度もありがとうございますと言ってくれた。小さな幸せに立会え、満たされた気分で会社に向かいました。会社で仕事をしていると、福島県いわき市の友人から連絡が入った。幸い津波の被害はなかったものの、ライフラインがボロボロで、4日間風呂場の水を飲んでいたそうです。残ったガソリンを集め、栃木ルートで東京まで避難してきたそうです。ライフラインが復活するまでこちらで待機し、復活後は、念の為家族をおいて、1人でいわきに戻って仕事を再開するそうです。現在好意で泊めてもらっている家は3月一杯で出なければならないので、短期物件を探している所だと言ってました。郡山に住む姫実家の家族は、3月20日のバス予約が取れたと連絡がありました。前回はドタキャンに泣きましたが、今回は実績のあるバス会社なので大丈夫だと思います。今日は皆を迎え入れる準備をする為、墓参りに行くことはできませんが、ご先祖さまには、後日報告しに行こうと思います。
2011.03.20
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郡山で被災している義妹から連絡がありました。(一昨日)予約していた郡山→東京のバス会社から運行中止のメールが来たそうです。バス会社にはバス会社の事情があると思いますが、かなりひどいです。本日はJRバスと福島交通が臨時便を出すそうですが、乗れるかどうかわかりません。今朝、なじみのパン屋さんに行ったのですが、なじみでない大人買いのお客さんがレジにいました。トレー一杯に買ってどうするのか分かりませんが、たらふく食べて太るか、食べきれずに捨てることになるのでしょう。我が家では、夜のうちに米を炊いて全てオニギリにしています。夜に1個食べて朝に1個たべて昼に1個食べる作戦です。以前から備蓄してあったラップが本領発揮中です。昨晩炊いたオニギリは今日の昼に食べ終わってしまうので、夕食用にパンを買う事にしました。現在我が家はマグネチュード9クラスの余震に備え、厨房器具、食器のほとんどを高位置から低位置に移し、最低限の調理器具で食事をしています。オニギリ味付け対策はローテーションは、当分の間、ゴマ塩、ゆかり、塩コンブのローテーションになりそうです。あっ、そうそう、今朝、給油待ちの車の列があったのですが、その車と車の間からバイクが飛び出し右の車線の車と接触していました。ストレスがたまるとつまらない事故が増えます。道を渡るときは右見て、左見て渡らなきゃね。
2011.03.18
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震災後初の営業日の月曜日、交通事情が悪い社員も含め、ほとんどの社員が出社しました。自分の家の事、家族の事、被災地にいる親戚友人の安否を気遣いながらも、今の自分に出来る事をやりに出社するのです。もっと出社率が低いかと思ったのですが、通常の日とかわらぬ出社率、ある種の感動というか、がんばろうの気持ちが湧いた出来事でした。昼休みに物資の調達に行ったのですが、個人経営系スーパーは店をあけ、チェーン店のドラッグストアは閉めていました。どちらの経営方針が良いのかわかりませんが、今後、個人経営系スーパーを応援したくなりました。私の職場は計画停電の3グループ。計画停電予定時刻には、大きな交差点に警官4人(白バイ1台)が配置、いつ信号機が止まっても良い状態になっていました。東北に10万人の自衛官を派遣していると聞きます。その上東京電力管轄の国道信号には警官が配置され、規律を守ろうとがんばっています。日本って凄いなぁ、ありがとうニッポン!なじみの生保のおばちゃんから聞いた話です。この生保の仙台支社に所属する職員のうち、869名の安否確認ができてないそうです。1人でも多くの方の安全確認ができると良いのですが...
2011.03.14
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今日の早朝になりますが、福島県中通りで避難中の姫妹と連絡がとれました。地震発生直後に機転を効かせ、水、食糧、ガソリンの確保後、余震対策として車の中に避難していたそうです。こちらから物資を送ると伝えると、ゆうぱっく、宅配便等の受付が停止、しかも100人を超す被爆者が出ているとの情報でした。その時間にはテレビを点けっぱなしで電話をしていたのですが、被爆者は3人の報道でした。(おいおい、全然違うじゃないか、これは報道規制が入っているのか?)この後、3号炉の状況悪化と枝野官房大臣による歯切れの悪い会見、原子力保安院?による意味不明の会見を見て、ヤバそうな予感を感じ、義母に東京にくるよう電話をしました。夜に義母から連絡があり、郡山~須賀川の車による移動は大渋滞で2時間もかかってしまった事。給油も1台10リットル制限なので、とても東京にはいけないと言われました。渋滞さえなければ埼玉あたりまで無給油でいけると思うのですが、渋滞が解消されない限り、最低でも栃木県内での給油が必要です。国道4号栃木県内のガソリンは満タン給油できるのか?それとも給油制限があるのか?情報を持っている方がいたら教えて下さい。現在は運休であろうさくら交通の電話番号を教え、運転再開予定を確認するよう伝え、ネットで調べた給水場所を教えました。放射能の見えない恐怖が続いているだけに、テレビを見るたび心配に心配です。ここからは東京の話になります。前もって備蓄していた水は2リットル×6本。トイレットペーパ-、BOXティッシュは余裕。ラップも売るほどあったのですが、念の為に野菜ジュースを買い足そうとスーパーへ!店内に入ると閉店セール最終日状態でしたが、運よく残った野菜ジュースをGET。目についたシリアルをカゴに入れ、万が一の止血対策で生理用品も購入。念の為に米を買おうとしたら売り切れでした。帰宅時に給油をしに行ったのですが、1件目が在庫切れ、2件目閉店、3件目も閉店。なぜか4件目で満タン給油ができました。今後余震の大地震が来た時の避難場所を姫と親と決めたのですが、なんだか怖い話が入ってきました。なんでも3日以内に70%の確率で、マグネチュード7の地震がきますよと、テレビで放送しているのです。あーやだやだ。地震列島日本ですが、20年後、世界に奇跡の復興見せてやりましょう!
2011.03.13
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巨大地震当日。その日の2時過ぎから、私は品川某所のオフィスビル高層階にいました。セミナー受講中、小さな揺れがだんだんと大きくなり、机に潜りました。ニュージーランドの事があったので、片手にペットボトル、もう片方の手には携帯を握りしめ、第一波の本震が終わったと同時に、「こっちは大丈夫、そっちはどう?」と姫にメール送りました。数分後に返事が来たので一安心。セミナーは急遽中止となり、窓の外を見ると、お台場の方から黒煙があがり、悪夢のような現実を実感しながら階段を下りていきました。港南口の広場に出ると携帯片手の人達がワラワラと集まってました。その中の1人がビルを指差し一言、「うゎーヤバイ」と叫びます。その方向を見ると、古いビルはグラグラ激しく、その後ろにそびえる新しい高層ビルはゆらりゆらりと優雅に揺れているのです。無対応ビルなのか耐震と免震、制震の違いなのかは分からないけど、凄い光景でした。その後、品川から皇居方面に向けて国道15号、国道1号を使って歩きます。前半は、ビル内から路上に退避した人たちが大勢表に出ている位でしたが、そのうち大手町、新橋方面からの帰宅難民の人達とすれ違うようになりました。国道1号に入り、桜田門に向かうのですが、日本の心臓部霞が関は平穏でした。財務省、外務省、総務省は慌ただしい出入りもなく、ヘリの音だけが響いてました。足が痛く体が冷えてきたので丸ビルに一時退避。一階ホールは、ホワイトデーコーナーのお店が空しく目にうつり、大きめのビジョンの東日本大地震映像が生々しかったです。バスが復旧したみたいなので、バス停に向かうのですが、数百人の大行列。革靴の中の足は痛いけど、仕方ないなと歩き始めます。歩きながら色々な人にメールや通話をしたのですが、ウィルコムが一番繋がりやすかったです。auが一番だめだめでした。神保町まできたので、さぬきうどんの有名店で腹ごしらえ。歩き疲れるとお腹が空くものだなぁと大盛りを頂きました。美味かった。東京ドーム横を歩いたけど、帰宅難民を収容する事もなく明りが消えてました。コンビニの陳列棚は空っぽ状態で、トイレ待ちの行列が長かった。この後家に帰るまで、ノロノロ走るバスを徒歩で5台は追い越しました。歩きながらふと考えたけど、以前の阪神淡路大地震の時も政権担当は自民以外。村山とんちゃんの初動遅れに非難が集中したっけな。あれは1995年1月だったけど、その2カ月後に地下鉄サリン事件が起きている。暗い暗い1995年でした。今回の大地震も自民政権ではない。偶然なのか何かあるのか?きっと数カ月後に再度良くない事がありそうで怖いなぁと思いながら帰りました。今日は休日出勤しているのですが、家で地震速報見ていると暗くなりそうなので気を紛らわす事ができていいかなと思ってます。今後断水になっても耐えられるよう、水を箱買いして帰ります。
2011.03.12
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