母親が理学療法士の上西先生に聞いた
母「もう歩けるようになれへんの?」
先生「神経が繋がらんとなあー」それ以上のことは言わない
あほ女作業療法士の和田なら
主治医「腕は動くのだからまだマシだと思え」
「未来のパラリンピックで頑張れ」上から目線で何をぬかすんだ
友人や同じ部屋の患者たちは
「何年か経ったら歩けるようにならよー」所詮他人事でした
俺は体全体が熱く感じて横になってベッドで寝てる方が楽で
「元には戻らないだろう」と思っていた
頸椎損傷という病名に知識が乏しいから
工夫して車椅子で生きていくならば
琴の裏リハビリテーションへ入所を希望していたが
そんなに簡単に入れるものではなかった
知らない人から観れば生まれてから今まで車椅子の人間だと思うだろう
人にどう思われようが差別されようが同情されようが
気にしないで開き直るメンタル面で強くしてくれたのは
あほ女作業療法士の和田の頸椎損傷の専門的な知識の言葉の数々だろう
言いたいことを遠慮もなくハッキリと言っていた
あれは人間か?おめ〇ついた喋る機械やしてよー
「負けてたまるかあほんだら」が言葉に出てきた俺だった
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