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ちょっと気を抜くと、すぐに「私の人生には、何もない」などと考えてしまいます。これは、私の思考のくせなんだと思われます。そこで最近いいなと思っている著者バイロン・ケイティさんの「ワーク」をやってみます。手順は割愛しますが時間をかけて自分の考えを問い直したり、主語や述語を思いつくいろんなパターンにひっくり返してみます。その結果「私の人生は充実してないから、人に語れることが何もない」よりも「私が自分の人生を充実してないと思っているから、私自身に語れることが何もない」の方が、どうやらしっくりくるということが発見されます。つまり私は他人にではなく、私自身にもっと自分の人生の冒険の話を、聴いてほしかったのだ、ということです。「こんな平凡な人生には、何もないし」と、一蹴して私の人生の日々の小さな冒険の話を、興味を持って面白く聞いてあげてなかったのは実は他の誰でもなく、私自身だったということでした。これには納得しました。この手順は、いつも自分自身に帰ってくるところが、とても好きなところです。他人に何かを求めたり、他人を変えたりする必要がないからです。それは、とても大きな安らぎになります。自分の人生が、他人が変化することにかかっていると思うことほどストレスになることはありませんからね。(^^そこで、もっと自分の小さな冒険の話を聞いてあげようと思いました。何もしてない、と一蹴してた大人の私の傍らでもう一人の子どものような純粋な私は、たぶん毎日会った人、やったこと、見た光景からいろんなことを考えているわけです。そこで最近の冒険といえばこれかなと思ったことがあったので久々にブログに書こうかなと思いました。通常ならこれも、「でも大したことはしてないしなぁ」と思うのですが今日はちょっとした心の中で思ったことなんかも、面白さと捉えて書いてみようかなと。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *ギターを習い始めたのですが、先生が外国人の方です。英語オンリーです。しかし私の英語は片言です。知らないうちに無礼なことを言っていないかと心配しているのですが今のところは、何とかなっているようです。例えば、ガラガラ~こんにちは~、とドアを開けると必ず言われるHi ! How are you today ?に対して、いまだにATMの自動応答かのようにI'm fine, thank you.と答えてしまう自分に苦笑します。日本人だなぁ…教科書通り…と内心苦笑い。しかし悲しいかな反射的に出てくるのでどうしようもない。違うレパートリーを夜な夜な家で自主練するしかなさそうです。しかし、フランス人の先生と、アルゼンチン人の先生がスペイン語で会話しています…すごい。ここは本当に日本でしょうか。なんかスペイン語かな、ということしかわからない。その後でこっそり「今のはスペイン語ですか」と聞きますと「そうそう」と再び英語に切り替えて返答するマイティーチャー。言語学習に苦労しているのは、日本人だけなのでしょうか…というより私だけなのでしょうか。ふだん頑張って勉強しているはずなのに簡単な疑問文すら出てきません…よってDo you ... ?とかひっくり返して聞けず質問は全部、普通の肯定文の最後にはてなをつけて語尾を上げて聞いてるだけです。嘆かわしい私の英語です。海外に住み、そこで仕事をしているというだけで私にとって尊敬の対象です。そこに複数言語を操る力と、音楽の力が乗っております。本当に同じ人間の人生でしょうか……はっ。いかん。また自分の人生をちっぽけだと思う悪いくせが。レッスンが始まりますと、私のつたない英語でも何とかなります。つまり、楽器、音楽がメインになるので深い会話力が必要なく「これ」とか手でさしたりして、何となく言ってることを推測できるので。しかしそれは単に思い込みで、実は推測できてない可能性は十分にありますが。面白いのは、ちょっと日本風なレッスンの流れとして想像してた「テキスト通りやっていきましょう、次はこれ、弾いてみて~」みたいな感じじゃないってことです。いや、たぶん、それをお願いすればやってくれるのだと思いますがとりあえずやりたい曲何?と言われ、それをばーっとやります。1時間のレッスンの後に「はい、じゃ来週次のやりたい曲ね~♪」って感じです(笑)はやっ!家で練習してこよう。その前提があってこその「学び」という感じ。例えるならば、補助輪つけて、できるようになるまでずーっと隣にいてくれる感じじゃないけどわからないこと、聞きたいことは、いつでも何でも答えてくれる感じですね。そういう姿勢は、自分にはすごく合ってる感じがします。もうちょっと英語話せたらなぁ、と思うのは、レッスン自体よりその前後ですね…たまに駅まで一緒に歩く、なんてことになりますと…「は~、今日ももう終わりかぁ、スクール好きだから帰りたくないなぁ」なんて素敵なことを言う先生につたない私の英語では「Really !」としか言えません。「ほんと!」って…ほんとに決まってるだろ…あぁ、もっと素敵なコメントができたらなぁ。と思いながら、次のレッスンまでにギター以上に英会話のネタを仕込むのに必死の私です。
2013年09月23日
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あの世にいったら同僚の天使と話をする。「で、今回の人生はどうでした?」「うん、なかなかのものでした」「今回は、どういう人生にするシナリオで行ったんでしたっけ」「え、そういえば何でしたっけ。あ、そうだ!今回は"家族の絆"がテーマの人生にしようと思って、ちょっとした夫婦のいざこざという障害も事前に設定しておいて、その壁を乗り越えて絆が深まって人間的に一歩先にいくシナリオだったのに、まーた壁にぶつかったところで終わっちゃったよ~、あ~まーたか~、何度設定してもど~も超えられないよ、くやしいな、またちょっと行ってきますわ。今度こそ」「ははは~、頑張ってくださ~い。また帰ってきたら話聞かせてくださいね~」こんな感じで、天使の私たちは再び現世にチャレンジ。この世での人生はこんな感じで、"大枠"のシナリオ設定を向こうにいたときに好きに自分で決めてやってくる。しかし、この世に生まれるとそれは忘れてしまうというところが、ミソなのである。この人生で、自分が避けようとしても、どうもいつも追いかけてくるテーマがあるような気がする場合それは、向こうで決めてきた"大枠"なのであろう。あくまで大枠なので、それを生きない選択肢もある。ただ、追いかけてくることはくる。決めちゃったもんだから。クリアすると、もう追いかけてこない。学びたかったテーマが学べたのだ。次向こうに戻ったら、同僚の天使に自慢げに話してやろう。そして、次は全然違うシナリオにしてみるぞ。音楽家なんていいな。学者なんかもいいな。次はヨーロッパに生まれようかな…なんてね。自分が読んだいくつかの本からイメージを得て、この記事を書きました^^
2013年05月25日
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大好きなアーティストさんのコンサートを聴きに行ったときにびっくりすることがあって、素敵な力のある人で、いつもあぁすごいなぁと思って聴いているんだけどその日だけは何だか、演奏の人のギターの音が抜けちゃったりその人がいつもよりはちょっと元気ないように見えたりしてちょっと「あれ?」って気になりつつ聴いていたりしていつもは安心して聴いているはずなのにその時ふと「こういう人は、ふと頭が真っ白になって歌詞が飛んじゃったりはしないのかな…」と思った瞬間があったんだけどまさにその次の瞬間、その歌い手さんの、歌詞が飛んじゃって。ほんの小さいところで、気づかなかった観客も多いかもしれないけど。それで私はびっくりしてしまって。私の気持ちが波になって伝わってしまったのかと。その時、あぁ本当に波動っていうものはあるのかも知れない、と思った。人の発信する気持ちには、本当にそういう力があるのかも、って。そのアーティストさんは私にとって私がほしくても持てないような天性の力を持っていて私は今まで、届かない遠い人だと思っていたけど自分が思っているより、つながっているのかも知れない。同じ時代に生きていて、こうして出会って同じ場所で彼女は演奏して、私はそれを聴いている。もしかしたら共通しているものをもっていて、それが共鳴したからこうして出会ってそして、音楽を愛し、伝えたいという彼女の思いとそれを素敵だなぁと、感動して優しい気持ちになる私の思いは同じ波動になって共鳴して、今この場を作っているのかも知れないなぁ、と。それで、あぁごめんなさい。聴いてる側の私にも、そんな力があるとしたら私、あなたを応援する波動を出すよ!だってあなたの音楽がとても好きだから。って、もう不安な気持ちで聴いているのはやめて時には一緒に歌詞を口ずさんだりして、向こうからは見えなくてもそんな思いが届くように、って思いながら、それ以降の曲を聴いていた。自分とは違うと思っていたけどもしかしたら心の中に同じものを持っていてだから共鳴して出会ったのかも知れない、という思いはとても嬉しくて。今の状況でもない、環境でもない、行動でもなくてこの思いで、私は同じ波動で共鳴するものを引きつけるんだなぁと思えた。とても素敵なことだと思った。
2013年01月13日
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このあいだ読んだ本に、こう書いてあった。「優れた指導者とはより多くの生徒がいる者のことではなくより多くの指導者を生み出す者のことである」なるほど…その通りだなぁ。ずっと支えるのではなくて相手が自分の足で、立って歩けるようになること。それが、一番素敵な「教える」ということの意味なんだな。それで私は悩んでいる相手を支えなきゃ自分が何かしなきゃと思っていたのは、相手に対して私自身も「害」のひとつになっちゃってたのかなぁ、と思った。支えなきゃ、というのはその人に、あなたは一人では立てないでしょうと無意識のメッセージを発信していたのかなぁ。それで私は「心配する」ことを、やめようかなぁ、と思った。その代わりに「あなたは大丈夫。あなたが自分の足で立てるということについて私は心配していないよ」という内側のメッセージを、発信しようかな、と思った。心配していないのは無関心という意味ではなくて。穏やかな信頼のまなざしをゆるやかに送る、という意味で。で、私は何をするかというと誰かをどうこうしたい、ということはやめて私は、どう生きようかな、ということを考える。自分の足で立って、幸せを感じて生きられるかな。そして、「あ、そうか。私もそうしよう」って、見てる人が思うような。見ている人が、自分の足で、立てるような、ね。いつも変えられるのは、自分のことだけ。外からの力で、人は変わることはなくて内側で気づいたときにだけ、人は変わるから。だからいつも、自分のことをやる。それくらいシンプルなことなんだな。
2013年01月05日
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今年は、いろいろ、頑張れたかなぁ。うん、頑張れたと思う。でも、ひとつ、変えたいことがある。来年は、いつでも物事のいい面を見つけてそこに目を向ける力を身につけたい。そして、いつもどこにいても、何をしていても明るくていい気分になることを、自分で選べるんだって思える人になること。好きなヒックスさんの「引き寄せの法則」シリーズの本を休暇に入ったので、久しぶりにじっくり読んでます。いつも明るくていい気分でいることが引き寄せの法則で一番大事なことなんだって。いつだって、自分が発信している気持ちとぴったり同じものを、人は引き寄せるから、らしい。言葉じゃなくて、気持ち、というのがポイント!言葉でいくら前向きなことを言っていても内心、できないとか、足りないとか、思っているとそっちをベースに、物事が実現するらしい。今年、振り返ると、けっこうネガティブな気持ちも、発信したなぁ(笑)来年と言わず、今から私はいつでも、物事の明るくていい気分になれる面を見つけてそこに関心を注ぐ練習をします。そして、いつでも、自分を明るくていい気分にできる力を身につけること。始めはたまに習慣のままにネガティブな気持ちになっちゃっても気にしないでトライ&エラー&一歩ずつ前進で、気長に楽しんでがんばります。
2012年12月30日
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メッセージはシンプルでないと、伝わらない!っていうのに、すごく共感する。スティーブ・ジョブスのプレゼンを研究した人がそう言っていた。私も、仕事のメールだといつも簡潔、明快を心掛けている。海外の人とやりとりするときは、特に!日本人である私が、外国語の英語でやりとりするわけだし海外の人とは育った背景が違うからなるべくシンプルなほうが、誤解を招かないと思って。それなのになんでいつもブログだと、延々つらつらと物事を複雑に考えて書いちゃうんだろうなぁ。それが、私の今までの人生に対する取り組みかた、そのものだったんだろうなぁ。「いつも、複雑に考えちゃう」っていうのが。ちょっとシンプルにしてみたいな。忙しくて疲れてる人にも普段文章をあまり読まない人にも気軽に読んでもらえてシンプルに気持ちよく、伝えたいことが伝わるような!それでいて、あったかみや私の感じたことがそのシンプルな文からにじみでて伝わって読んだ人をにっこり、ほっこりさせるような。そんな文章を書きたい。結局のところ私は世の中に、いいものをプラスできる人でありたいな。世の中を、読んでくれる人の人生を、複雑にするんじゃなくて。だからまずは、シンプルな簡単な言葉で文章を書くことにトライしてみよう!
2012年12月30日
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いつか知り合いと話していて「そうそう!」と合意した話があってそれは「仕事でストレスや不満がたまると、比例して食費が上がる」という話だ(笑)帰宅が遅くなって自炊ができず、外食が増えるだけではない。ストレスが強い分、「こんなに頑張ってるんだから、いいはず」と妙に甘いものや、ご褒美系の食べ物を買ってしまうようになる、という話。結果、ストレスばかりでなく罪悪感や、食費、最悪なことに体重まで増える。いいことなし。学校ではどうして、一番大切なことはどれもみんな教えないんだろう、と大人になっていろんな分野でよく思う。国の制度が頼れなくなっても「こんなはずじゃなかった」と思わず安心の人生を設計していくための貯金やお金の運用のしかたとか試験のための英語じゃなくて、シンプルな言葉でもいいから実際に海外の人と1対1の会話ができたり日本がどういう国かを聞かれたときに答えられるための英語力とか自分に合う仕事の見つけ方、ストレスを抱えてどうしようもなくなったときにどうやって気持ちを楽にすればいいのか、など。まぁ何でもかんでも学校で教えてくれっていうのは無理があるんだろうから自分はそういう一番大事なことをこそ子どもに教えてやれる親になれたら、と思うけれどさて教えられるんだろうか。なんせ自分でもわからないことだらけだし問題に直面して「これってどうしたらいいの?」って思うまで教えてくれる大人も特にいなかった。しかたないから一生懸命関連してそうな本を読んだりして身近な人と、見つけたことを「こうかなぁ?」と話してみたりそんなことをしてみるのみである。たぶんこういうことは実際に経験して、かつそれを乗り越えて明るく前向きな話を聞かせてくれる人が身近にいたら、それにまさるものはないんだろうなぁ。人によって状況はそれぞれとはいえ、人生で人がぶち当たる問題って昔からある程度共通のはずで、それに対して「経験則からくる教訓」というのは人類の共通の宝として積み重ねられて、後世の人は一から同じものを苦労して学ばなくたって、そこから先に学ぶこともできるはず。もしかしてそれが、他の国では「宗教」とかそういうものになってるのかな、とも思う。前、本…確か「武士道」だったか、を少しだけ読んでみたときに新渡戸稲造が海外の人から「日本には宗教がない?ではどうやって道徳観が次世代に教えられているのですか」と驚いて聞かれた、というくだりがあった気がする。日本では、それに変わるものが武士道だ…という流れだった気がするが。まぁ宗教っていうのもいろいろだし、そこに限らなくてもそういう人の心の根底に流れて伝えられる、広い意味での教え、とでもいうのかな。特別な信仰もなく、そして地域とか人間関係もさらっと、に慣れた今の生活だと困ったときに「どうすればいいの?」って誰も教えてくれなくてわからない、ってことがよくあるような気がする。どうもネットはそこのところの知恵には代わらないような気がする。さて、なぁ。だから江戸時代みたいに長屋で家族同然に暮らしてた時代は良かったよね!なんて言う気は全くないけど現代にも合う、ちょうどいい方法はないもんかなぁ。とは思ったりする。
2012年10月30日
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モーニングページというのをやっている。「朝いつもより30分だけ早く起きてみよう。そして、ノートに3ページ、何でもいいから思いついたことを書く」この本の勧めで。 ずっとやりたかったことを、やりなさい。誰もが本来、創造的。それを邪魔してる心の声とか、過去の誰かの批評とかそういうものを取っ払って、目覚めさせ、育ててみよう!という感じの本。別に芸術家とかを目指す人だけに向けたものじゃない。今よりもうちょっとだけ創造的になりたい、と思うことのあるすべての人に向けた本。で、私は書くのが好きなので自分には3ページなんて楽勝だと思っていたけど一度に連続で3ページとなると、案外そうでもない。かといって、難しいこともない。何たって思いついたことただ書けばいいので。あぁ今日もまた朝だ、洗濯しなきゃ、会社行きたくないな、そういえばあれどうなっていたっけ…なんてことでもいい。とにかく、3ページを埋めさえすれば、何でもいいらしい。これは「脳の排水」とも呼べる作業なんだって。自分と「創造性」の間にある障害物 = 頭の中の雑音を全部外に掃き出す作業らしい。誰にも見せず、始めてしばらくは自分でさえも読み返さないでOK。このように毎朝、雑音を外に出し続けると必ず変化が訪れるときがくるらしい。何が変わるかは、人によっていろいろで書き物などほとんどしなかったのに、ふと詩を書いた人、絵の具やピアノに向かいたくなった人作家だったのに作曲がしたくなって開花した人など、いろいろ事象はあるらしい。とりあえず、続けること。何が変化するのか楽しみだから、やってみている。モーニングページを書いてみて思ったこと。私は以前からも、通勤の電車や、昼休み、外出先あちこちでノートとペンを持ち、何かしら書いている人間だった。一日中、頭の中の雑音と会話しているような感じ。でも、朝、3ページも一番始めにこれらをまず出してしまうとなると何だかそこで、朝一番に話を聞いてもらった自分の心がちょっと満足する部分があるのか日中の雑音が減った。日中の頭の中の声がゼロになるわけではないがそれと格闘したり、むやみに書き留めておかなければという焦りのような思いが目に見えて減った。それで日中は日中で、今まで雑音と会話してるうちに見逃していたような「今その時にやってること」を、もうちょっとよく見られるようになったかも、という感想がある。続けてみようっと。これはとても興味深い本だ。12週間、取り組んで進めていくような作りになっている。「こんなことやって何になるの?」って思ったときにそれに対する「なるほど…」って答えも書いてくれている。単なる「癒しや気分転換のために、たまには好きなことをしよう」って書いているような本ではない。埋もれているような気分の全ての人に原因とツールを教えてくれるとても実用的な、セルフヘルプの本だ。私には、ツボだった。興味のある人は、ぜひ。
2012年10月30日
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念願のマイデスクを購入したため、本やノートに向かったり好きな手作り、手書き作業をしたり、気軽にPCを立ち上げて活用できるようになり、嬉しい限りです。ずっと下に座る生活をしてきましたが、PCも不自然な姿勢で使用していたため、もともと凝りやすい首肩、腰ががちがちな状態でしたが、改善されました!机に向かうのが昔から好きな私。あぁ嬉しい。嬉しい、楽しい、大好き、愛しいこういう気持ちは、大切なんです。自分が思っている以上に…実は人生を変えてしまうほどのすごい力を持っている。こういうことが書いてある本「ザ・パワー」この洋書を買ってオーディオブックの英語朗読を聞きながら読み人生のことも、英語も勉強しちゃうという一石二鳥の素敵な時間を過ごしております。いろいろなことを考え、悩みながら過ごしてきた私の人生。しかし!長年悩んできたことは、解決しただろうか?実は、長年同じな気がする。つまり、ネガティブな面を見つめていると、ネガティブなことは続く。自分が関心を向けたものは、拡大する。引き寄せられる。どうやらそれが自然の法則らしい。嬉しいな。楽しいな。ありがたいな。幸せだな。この物事の、この点が好き。この人の、ここが好き。そんなことに焦点を当てる練習を始めました。悩んでいるほうが、真面目でよく考えている人なのだとそんな思い込みがどこかにあったのかも知れないです。楽天的でいてはいけないと、思っていました。いつも真剣に、何かを考えて問題に対処しなければならないと。それが身近で苦労している人への、誠実な態度だとか。そういういろんな思い込みが。長年、朝起きると、何とも言えず重い気持ちになるくせがありました。今ではそれは、「くせ」なんだと思えるようになりました。人生に実際に何か不幸があるのではなく、単なる考え方の「くせ」です。自分の気分を上げること。いい気分にすること。何でもいいから、ほんの小さなきっかけを見つけて。それは、自分が思っていたよりも、ずっと大事なことだったようです。私が接する人に対しても、そして自分自身の人生に対してもいい気分で、幸せな気分で、愛情ある気分でいることは何よりも素敵な贈り物だと思います。そしてそれこそが、さらなる幸せを磁石のように引き寄せてきてくれる。幸せな人のところには、ものも、人も、お金も、幸せも、みんな寄ってきたいんだろう。そういう流れがあることは、何となくわかります。ところで私は、換気、代謝、入れ替え、が大好きです!仕事から帰宅すると、まず窓を2か所開けて、換気扇もまわす。空気の入れ替え。気持ちがいい!春夏秋はふだんもなるべく窓をあけて、空気の流れを感じるように。空気の流れは、「気」の流れで淀んでいると、それがわかるし、気の流れに乗っていいもの、新しいものも、流れ込んできてくれるように思うから!そして、入ってきたものも、ため込まず、出すのが好き。私は本が大好きですが、お気に入りの自宅の本棚で私が最も大事にしていることは、代謝です。もう読み返すことはない本、そこにあるけど読んでいない本は、どんどん出して、入れ替えていく。出すことで、また新しい知識が入ってくるスペースができるしやっぱりきちんと入れ替えて流れのある本棚は見ていても気が淀んでいなくて気持ちがいいから!手を伸ばさない、本棚の肥やしになったような本が1、2冊あるとやっぱり何となく、流れが滞っている感じがするのがわかります。で、どうやらそれは、お金も同じことらしい。使いたくない、出したくない、と流れを止めていると入っても来ない。お金こそ、いろんな感情がからみあってたりして、難しい(笑)そこで、出て行く時「私の喜びに変わってくれてありがとう!」「誰かを幸せにしに行ってきてください!」「そして、また私のところへもさらに大きくなって帰ってきてね~」なんて、お金を使うことに対するイメージを変えてみることにチャレンジ中。さて、流れは、どう変わるだろうか!!あぁ、ここまでブログの文章を書いていても本当に姿勢が楽でタイピングがスムーズなのが、嬉しいなぁ。ブログもこれから、素敵なことをたくさん書けますように。
2012年09月30日
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読書して考えていて気づいたことがある。不満っていうのは現状を、いつも何かと比べるから起こるらしい。その何かというのは「こうなってほしい」「こうあるべきだ」という自分の希望とか基準。つまり、現状と、自分の基準。2点の視点があってそれを比べるから不満は起こる。西洋の教え=引き寄せの法則は「不満の現状なんて見なくていい、自分の願望だけ見てなさい。そうすれば叶う」東洋の教え=仏教では「比べて不満になるくらいなら願望なんて捨ててしまいなさい。そうすれば悩みそのものが消えてしまう。心が楽になる」全然違う!で、私は両方読んだけどつらいときは、仏教の考え方が楽になれる。心が元気になったら、引き寄せも取り入れてもいいと思う。でも、気づいたことというのはどちらの教えも、見るものを1点に絞りなさいと言っていること。どちらを選ぶかの選択が違うだけだ。2点を比べているから不満は起こる1点だけを見ることすると、不満は消えるものらしい。引き寄せの法則なら自分の夢や望み、心地良いものに焦点を絞ることができ仏教の教えなら現状をそういうもの、と淡々と受け止めることができる。どちらもお好みで。私は今この本を読んでいる。心が楽になる。悩みが消えてなくなる仏教の教え著者:春日了価格:1,365円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るなお、セドナメソッドは上記2つの教えの中間にある感じかな。これも好き。
2012年08月17日
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ピラティスという運動を始めてみた。運動を始めたなどと書くと三日坊主になるのが恥ずかしい。ここに今まで試した数々の運動器具やDVD付きエクササイズ本などを赤裸々に告白するとホットヨガ、普通のヨガ、ラテラルサイトレーナー、スロトレ、バレエエクササイズ、筋トレ、コアリズム、カーヴィダンス(これは一応継続中と言いたい)…ゆえに何かを始めたなどとブログに書くのは、はばかられるのだが今回はめずらしく性に合っている予感がするため、書いてみる。小さい頃、おままごとをする女の子をよそに男の子と外で走り回っていた坂月は武道のできる「強い」アニメの主人公などに憧れ「動ける格好いい身体」に、長年、人一倍の強い憧れを持っている。大学時代にはまったアメリカのテレビドラマ「ダークエンジェル」を見てからは、私の目標は長年ずっと、主人公のマックスである。(こんなことは誰にも言ったことがない)理想はしなやかな筋肉に支えられた、不意の攻撃にも瞬時に反応し、いつでも動ける俊敏な野生動物(ネコ科)のような身体。現在、運動不足のごく普通の会社員として日常生活で不意の攻撃などあるわけもないが、理想ばかり膨らむその目標の身体をこの人生で実現したことは、終ぞ、ない。小学校から大学までずっと運動部には属していたものの大学のバスケ部員時代が、人生で一番太っていた。(練習帰りに皆でごはん山盛りの定食を食べていたため)さて、巷の女性に絶大な人気を誇るヨガだが私もご多聞にもれず、何度も体験してみたもののどうも、それほど性に合っていない感じがある。流派によるというのも知っているのだがあのじっとして一つのポーズをとる感じとか特にチェーンのスタジオに行くと、インストラクターさんの妙に神秘的な雰囲気の話し方とか。それに、私は首を痛めやすいのだがヨガには首の弱い人には向いていないと思われるポーズが、多く含まれているため。そこへきて、先日ピラティスを体験してみたが性に合っている感がある。常に止まらず動いている感じ不必要に精神にうったえない、トレーニングとしてのシンプルな性質筋肉(とくにコア)を鍛え、身体を整える要素負傷した兵士のリハビリとして考案されたという医学的根拠ある背景などなど。今までのエクササイズは「理想の体型を実現するまで、続けなければ…。先は長い」と思っていたのだが、ピラティスを1回やっただけで「私は素敵な体型になる過程にいる」と都合よく思え、今この瞬間から何だか自分に自信が持ててしまう。いろいろ解釈が都合よすぎる点はあるが…やはり性に合っているんだと思う。* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *さて、読みたい本を探すときAmazonのクチコミなどをよく参考にするのだが一般的に評価の高いクチコミなどを参考に本を買っても実際、自分の感覚に訴えるかというと、いまいち、ということがよくある。自分の性に合っているかということなのだがそれは、本屋でその本をめくってみれば感覚ですぐわかることなのだがインターネット上のクチコミなどを必要以上に重視して自分の感覚よりも優先してしまうことがよくある。本でもCDでも、同じなのだがこれは私の好みだ!とぴんとくるものとの出会い、というのがある。先日も、気の向くままにCD店を歩いていたときふとそのような出会いがあり、視聴して、惚れてすぐさま購入して、今では毎日聞いているアルバムがあるのだがそういうときほど、他の人の評価など気にならない。自分はこれが好きだ!というのが、心の底ではっきりわかっているため。つまり、他人の評価が気になるときというのは迷いがあるときなのだと思う。どれを選んでいいのか、わからない。他の人は、どう言っているのかな…など。インターネットで他人の評価やクチコミを何でも調べられる時代でとても便利なのだが自分の感覚を軽んじて、他人の評価の方を優先してしまうことがたまにあるため、もっと自分の感覚に対する信頼を強めたいなぁ、と思っているところである。
2012年07月16日
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Happy for No Reason この言葉が気に入っている。Marci Shimoffという著者さんの英語の本のタイトル。まだ読んでいないのだがタイトルだけで、考えるところがたくさんだ。理由もなく、周りの人や環境に依存せず今幸せを感じたいと思う。先日紹介したセドナメソッドの本を読んで知ったこと。悩みや恐れの感情は自分の心の手がつかんでいるもの。きっかけとなった出来事が、本当はもっと小さくても過去に終わったものでも本当は実体のないものでも自分の心の中の手が、ただそれをつかみ続けているだけのことがある。離すのが、ただこわいとかそれを離せば、もっと大きな問題がやってくる気がして。理由もなく。ただその手を、ふっとゆるめる。原因の分析もいらず頭で考えることも必要とせずつかんでいる感情を、ふと手放すこと。にぎったペンが、離すと自然に手から落ちるように。それがセドナメソッドで言う"解放"。いつ、どんな状況でも、誰にでもできると書いている。身近で大切な人が悩んでいるとき。気づいてほしい。それをにぎりしめているのは自分自身だと。でも、その気づいてほしい気持ちも手放す。なぜなら、大切な人を支えたいとき私たち自身の幸せが、その相手に依存してしまってはつまりその人が先に幸せにならなければ、決して幸せになれないのなら自分がいつ幸せを感じられるのか、相手次第になってしまうから。それでは支えるつもりが、問題がひとつ増えただけ。大切な人の笑顔が大事。それは間違いないこと。けど、誰かを支えたいとき、私たち自身は、まず何にもよらず幸せであることが大事だと思う。それでなければ本当に誰かの力になることなどできないから。そして本当には支えるということもおこがましい自分の内側の力で、立つことができると知ってもらえればその例を示せる人になれたらなぁとたまごとにわとりこの問題が解決しなければあの人は幸せになれないあの人が幸せになってくれなければ私は幸せになれないその輪を、ここで止める。誰にも、何にも依存せず理由もなく、ただ自分の内側に幸せの湧き出る泉があれば。---------------------------以前、親戚の不和を目にしていたとき妹にふと言ったことがある。「私、この先何があっても、○○(妹の名前)のこと一生好きでいるから」それはできると私は思ってそう言ったのだがそれは「一生仲良くしていようね」とは違うから。何があっても、例えけんかするようなことがあってもただ私のほうは好きでいようと決めていればそれでいい。どっちかが好きでいれば、そんなけんか別れみたいなことにはならないだろうと。そのときは、妹は突然の姉の発言にびっくりしたのか「えぇ~、…ほんと?」などと言っていたが(おいおい)しばらく経った頃、ふと思い出したかのようにこんな話をした。「あのとき、こう言ってくれたでしょ。 それで私、そうか、これは幸せも一緒だと思った。"これから先何があっても、私は一生幸せだと決めてしまえばいい"って」今、我々姉妹が心配性の母に将来のことだの、娘には幸せになってほしいだのと先を心配されるような言葉をやいのやいのとかけられると妹は「私は、今も幸せだよ」と答えている。
2012年06月05日
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この本を読んでます。 人生を変える一番シンプルな方法著者:ヘイル・ドゥオスキン価格:1,680円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る「セドナメソッド」で感情を手放す、を試し中です。 感情を手放す、というと、感情なんて持たない仙人みたいな人を想像しますが、そういうことではないです。むしろ、自分が今まで押し込めて見ないふりをしていたネガティブな感情も一度向き合って、じっくり感じてあげて、だからこそ手放せる、ということみたい。これはあくまで私の感じる例えですがおばけに似てるのかなと(笑)逃げてると、どこまでも追ってくる。でも、向き合って、何か認めてもらえたり恨めしく思っていた気持ちが解き放たれると成仏できる、みたいな(笑)いいなという感触があります。というのも、「引き寄せの法則」に関する本をたくさん読んだのですが引っかかってうまくいかない部分があって心の中にマイナスの感情があってそれにふたをしたままだと「プラス思考」とか、「いいものを引き寄せる」という試みがうまくいかないんですよね。でね、私が手放したい感情っていろいろありまして。「人に認められたい」という欲求も、その大きなひとつですね。例えばこのブログもそうかな。実は本当は、もっとブログをたくさん書きたいと思っている。いつも「書きたいな、書きたいな」と思って生活している。書くことが好きだし。でも今せいぜい月1回かな。時間が取れないというのはおそらく本当の理由ではなくたぶん「面白い文章を書きたい」という気持ちが強すぎるのかな、と。それで、読んだ人に面白いと思ってもらいたい認めてもらいたい、みたいな気持ちがあり、また自分はこうして書くことがとても好きなためいざ書くのなら、自分なりに納得できる文章に練り上げたいという思いが強いため気楽に5分とか10分で、簡単に、その日にあったことを適当に書いて更新、ということができない。まぁブログはひとつの例ですがそんな感じで、自分自身で作り上げたいろんなルールに気がつくとけっこうがんじがらめになってることが多くて でもこの本はこういうことを言ってます。私たちは感情を握りしめ、握りしめているのが自分だということを忘れてしまいます。そのことは言語からもわかります。怒りや悲しみを感じているとき、「私は怒りを感じている」「私は悲しみを感じている」とは言いません。「私は怒っている」「私は悲しい」と言います。それに気づくことなく、自分=その感情であると誤認してしまうのです。しばしば、感情と自分が一体であると信じこみます。これは真実ではありません。主導権を持っているのはいつでも、感情ではなく、私たち自身です。感情を握りしめることも、手放すことも自由なのです。では目指すところは感情なんて持たない、もしくは感情になんて振り回されない神様みたいな人になることなのか?それは違います。逆に、自分が持つどんな感情も、これからは抑え込むのではなくちゃんと向き合って味わって感じることができるようになる。そして、手放せるとわかっているからこそこの先生きていく上で、怒りや悲しみ、自分が先へ行くのを自分で妨げるようなどんな感情を持つことがあろうともそれを恐れる必要がなくなる、ということだそうです。素敵ですね。この先の人生をずっとともにできる素敵な道具のようですのでじっくり練習してみたいと思います。
2012年05月26日
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本日買った本だがあまりに面白い。日本語を学ぶ外国人とその疑問に答えたい日本人の為に日英対訳で書かれた、れっきとした真面目な言語とコミュニケーションの本である。自覚する明確な動機もないのに長年英語学習に興味の尽きない坂月だが仕事帰りに書店内を物色中日本人の為の英語学習コーナーではなく英語を話す海外の方向けの日本紹介書籍コーナーで見つけた。笑わせる意図などないと思われる真面目な内容なのに読んでいるとそこはかとなく面白い。まずこのページを読んで吹き出し、心掴まれ、読み終わると書棚に並ぶシリーズ2冊を手に即座にレジに向かう自分がいた。以下抜粋「30分しかありませんから......」は「30分だけある」とどう違うか、「暑くなったんですね」は「暑くなりましたね」とどう違うか、「送ってきました」は「送りました」とどう違うか、「こわしてあります」は「こわれました」とどう違うか、「一度お目にかかりたいと思います」は一度だけ会いたいのか、というような、語法的な疑問に答えるものである。また、「高田さんたち」は「高田さん夫婦」か、「~たち」はどう使われるのか、「お茶でも飲みませんか」の場合はお茶のほかの何か飲むのか、「適当にやってください」の「適当に」はどんな意味か、「千円も出せば......」の「も」は何を表すのか、というような語句について、真剣に日本語を学ぼうとする人の疑問に答えようとした。お茶のほかに何か飲むのか!!確かに(笑)帰宅して夕飯も早々に読み始めたが日本人として自分でも意識していなかった日本語の曖昧さを冷静的確に説明する文章にお腹を抱えて笑うことしばしばだった。その他にもいくつか。「さようなら」についての説明~「さようなら」は、家族の間では用いない。用いるのは二度と会わないと考えた時だけである。夫が家を出るとき妻に「さようなら」と言ったとすれば、それは夫婦の別れを意味する。「あなた」という言葉が英語でのYouほどには日本語で多用されないことについて~「あなた」は同年配の女性の間でも用いられる。(同じ場面で男性は「君」または「お前」を使う。)この場合も、影の薄い「あなた」は人名や地位の名称に押しやられてしまう。2人の主婦が話し合うとしたら、次のようになる率が高い。A : 奥さんも行く?B : ええ。奥さんも?これで実際の意味は、"Are you going, too?" "Yes.You,too?"に当たるのである。「ちょっと」が"依頼"と"断り"の場面で使用されることについて~頼みを断る時にも、「ちょっと」は断りたくない気持ちを表すので都合がよい。何か頼んだ時、相手が、それはちょっと……と言ったら、希望に添えないがそう言いたくないという意味である。否定的な評価を示す場合にも、不本意な気持ちを表したほうが礼儀にかなう。人に企画を見てもらった時、その人が、ちょっと......と言ったら、賛意を保留するという意味である。特定の理由を示す場合には、ここがちょっと......とか、費用の点でちょっと......のように言う。こういう調子だ。改めて書かれると、面白いことこの上ない。しかし実際どうかと聞かれれば、仕事で毎日当たり前のように自分が使っている言語だ!!日英対訳ということもあり、同じ内容が英語でも書かれているため英語学習にも最適。興味を持たれた方はぜひどうぞ。 日本語ノート(v.1)著者:水谷修価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 日本語ノート(v.2)著者:水谷修価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
2012年05月23日
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本屋さんで妙に落ち着く坂月。今日こそは服を買うぞと出かけてみても何も買わずに一日うろうろし結局本屋で唯一のお買い物をして帰宅、ということが多々あり。職場の近くの大きな書店で探してた英語の本を見つけて買ってみました。洋書だろうが何だろうが、たいてい見つかる信頼している書店なのであった。しかしなぜか英語の辞書まで買ってしまった。辞書なぞ買うのは学生以来だが妙に惹かれまして...それに日本人学習者用の辞書って感じではなく洋書コーナーにあった英英辞典であり紙もカラーではなくて、ペーパーバックのような軽い紙。う~ん英語圏の人用とかなのかな。とてもお手頃価格だった。右の本より安い(笑)でも手にしっくりときて開きやすく、大きさも重さもちょうどよく相棒として好きになれそうな感じだったので、買ってみた。いまどき電子辞書とかPCで英辞朗とかいろいろあるのだがやっぱりときめく...紙の辞書。言葉を探して、めくる。あぁ浪漫...隣にある派生語や次の言葉に目がいったりしてめくっているだけで言葉と向かい合っているような、これぞ語学の学習、と言える、素敵な時間。PCを立ち上げなくても、いつでも開けるって本当に素敵。あぁもっと早く買えばよかった。久しぶりに原点回帰できたようで、嬉しい。高校の時、たくさん辞書をめくって英語の予習したの懐かしいなぁ。買った洋書は"Become a Better You"というタイトルでオーディオブックサイトAudibleで見つけて気になっていたので。あなたには神様が意図した素晴らしい可能性があるんですよ。もっと素敵なあなたになれるし、もっと素晴らしい人生が送れるんですよ。と言っている本。著者さんは牧師さんのようで、神様という言葉がたくさん出てくる。私はキリスト教というわけではないが、その点は自分なりに解釈すればいいのだし、本のエッセンスとしてはとても素敵で気持ちを前向きにしてくれそうな言葉が並んでいたから。同じ「英語を学ぶ」なら、人生を前向きにしてくれる言葉で学びたいもんね。今読んでますが、何だか希望と可能性を感じさせてくれるあったかい文面で、元気が出てきます。英語もそんなに難しくはない本だと思うんだけどちょっと読んで、わからない単語を見つけては辞書の方をめくって、あっち、こっちと開いては読んですっごく豊かな時間を過ごしております。
2012年04月15日
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おとといあたりから数年ぶりの偏頭痛に悩まされ、昨日は珍しく仕事を休んでみたりした。午前中はごろごろとベッドの中で悶え、ようやく15時頃に人間らしく起き上がることができ食欲がないがおかゆでも作ってみる。しかしわずかな塩と卵のみ入れた質素なおかゆがやけにおいしく、少量ではあったがたいらげる。あぁ、普段の食欲がなんとありがたいことか。甘いお菓子とか、チョコレートとか、たまに楽しむお酒や珈琲、みんな健康だから口にできるしろものなんだなぁ。と、思いつつ、こんなときでも食べられそうだと選んだりんごをしゃくしゃく食べる。その後は比較的穏やかな夜を過ごし体も少し動かせるような気がしたので、本をめくりながら偏頭痛に効くというヨガのポーズなど見つけてやってみたりしていた(笑)食べ物といい、ヨガといい、本当に不調な時に選ぶものはシンプルで体に良さそうなものだけに戻るのであった。何も気にしなくていいとき、イコール、何も問題がないとき。それは幸せなことなのだなぁ、と思うのであった。一抹の不安を抱えつつ就寝したが今朝の目覚めは穏やかだったため、出勤してみた。本調子ではないにしても、一日何とか無事に終わりそうだと落ち着き始めた夕方、前兆はやってきた。私の偏頭痛には、前兆があるのであった。目がチカチカしてよく見えなくなってくると、避けられない頭痛の波がやってくるというしるし。あぁどうしよう、もうだめだ、頭痛がくる、仕事帰りは歌の教室なのに。この調子なら行けると思っていたのに、もう少しだったのに…などと一人心がざわついていたのだが、ふと最近読んでいる引き寄せの法則の本の中の「抵抗を捨てること」という言葉が浮かんでくる。この前兆がきたら、頭痛がくるのは過去のパターンから避けられないと決まっているのだが、それを思いだして抵抗らしい気持ちがあれば、それは捨ててみようと思いつく。心配する気持ちもストップさせ、ただ「大丈夫、良い方向へいく、良い方向へ…」と心の中で繰り返す。目はチカチカするため、開けていてもしょうがないので一人じっと目を閉じていた。両隣の人はもう退社していたため、誰にも気づかれずにしばらく目を閉じていた。聞きなれたはずの、職場の人たちの声にしばらく耳を澄ませていた。頭痛の波はまだこない。目を閉じている。何も見えないけれど、いつもの声。私の不調に気づかない向こう側の人たちの会話がいつも通り平和に続いている。何だか落ち着いてくる。声だけに意識が向いていると、いつもの人たちの声が何だか特別に聞こえてくる。斜めみっつ前くらいに座っている女性が電話している。私よりも年下だけど、私よりも大人な気がするとわかってはいたのだ。わかっていたけど、あぁそれだけじゃない、こうして聴いていると声も素敵だなぁ。などと思う。いや、あっちで聞こえるあの人の声も、気づかなかったがけっこう心地良い。誰かと話している。いつもは聞き流すその声に耳をすませたりする。なんてやっているうちに、そっと目を開ける。ん、さっきより、チカチカが落ち着いたかな…また閉じる。そんな繰り返しで、3回目くらいやり過ごした。最後におそるおそる開けたときには、何だか少し落ち着いていた。一番初めにとっさに飲んだ頭痛薬が効いたのかもしれないがとにかく頭痛の波は、今回だけはそんなに目立った大きなものは、結局こなかった。全ての病が気から、などという気はないのだがもし心の持ち方で少しでも、来ると決まっていた頭痛の波を抑えられたのなら、と思うと、例え偶然だとしても、少し嬉しかった。このままもしかしたら今日は大丈夫かな、いけるかな。歌の教室には行きたかったので最後まで悩んだ。ちょっと足元がふらつくくせに、往生際悪く一駅歩くうちに考えようなどと歩き始めたが、そのうちに観念しやっぱりここでも抵抗を捨てることにした。「大丈夫、今日休んで、来週はうまくいく。いい方向へ。いい方向へ。」そう思いつつ、欠席の電話をしたのだった。いつもの私だったら、抵抗のあげく無理するか、欠席か、どちらをとっても、気持ちが沈んでいた気がする。そうそう、一歩ずつ、方向を変えていけばいい。そんなこんなで、帰路につき相変わらずない食欲でもふと食べられそうだと思いついたコーンフレークと牛乳を道中買って帰る(笑)おとといくらいから、ゼリー、おかゆ、野菜ジュース、りんご、コーンフレークなどでエネルギーをつないでいるが、今の体には感覚的に不足はないようである。これを書いている今は、PCに向かって長文を打てているくらいだからまずまず問題なく回復に向かっているようす。ありがたい、ありがたい。何事も、いい方向へ。いい方向へ。私が信じるところから、全ての創造が働き出す。そう信じてみる。
2012年04月13日
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読書歴は長いが私の人生を変えるバイブルだと思える本に初めて出会った。ザ・シークレットという本を読んだことで引き寄せの法則について調べるうちに、見つけた本。 引き寄せの法則著者:エスター・ヒックス価格:1,785円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るいろいろ文章を書くと、何だか内容が薄れるように感じたので本日はただ本の紹介のみ。コメント等は、楽天やAmazonにも多数の人が書いてくれているので。シリーズで何冊かあるのを知り、続けて購入。現在は計4冊が手元にあり、幸せ。このような知恵をわずかなお金で、求めれば自由に読むことができる。この幸せにただただ感謝。本が読めること、文字が読めること自体にも、読みたいと思った本を買えるお給料にも職場の近くにある、素晴らしい蔵書量を誇る書店にも全てに感謝!!そして今私は実験中だ。引き寄せの法則で、心の使い方で、自分の人生がどう変わるかについて。書評はいらず、実践すれば、効果はおのずとわかる。楽しみだ!今私の家にある、他の3冊。 実践引き寄せの法則著者:エスター・ヒックス価格:1,785円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る お金と引き寄せの法則著者:エスター・ヒックス価格:1,785円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 理想のパートナーと引き寄せの法則著者:エスター・ヒックス価格:1,785円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
2012年02月28日
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月に一冊、海外の良書を読むことにして5ヶ月目になりました。もともとは、英語の勉強のために始めたもの。ただし、とても楽チンな方法があるのです。移動中でもどこでも重い本を持ち歩かず、ページをめくらず、目さえ使わず本のほうから、直接頭の中に流れ込んできてくれる魔法のようなすばらしい方法を使っているので。それこそが、耳で読む読書、「オーディオブック」です。何かというと、本が朗読された音声が売っているのでそれを買って聴くというもの。日本では、まだそれほどないが海外では、けっこう普通のことらしい。もちろん、日本の本を日本語で朗読したものもあるのだがもともと英語の勉強だったので、英語の本を英語で朗読したものを買っています。オーディオブック専門のAudibleという海外サイトに登録。毎月1冊読める会員になっている。始めの3ヶ月はキャンペーンで500円ちょっと、それ以降も、日本の本を1冊買うのと同じくらいの料金で世界の良書が読めるのが嬉しい。月一冊というのは、聞き込んで内容を浸透させるのにちょうど良いし。それに著者本人が朗読しているものが多くて、わずか1冊分のお金で、世界の素晴らしい著者たちの講義が直接聞けるなんて!と感謝でいっぱい。※海外サイトなんて、と思われる方日本語がいいな、という方もしiPodユーザーなら、おなじみiTunesでオーディオブックを聴いたり買ったりできます!便利ですね。さて、5ヶ月なので5冊目になるのだが4冊目に購入したのが、日本でも話題となった「The Secret」 ザ・シークレット著者:ロンダ・バーン価格:1,890円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る心に思い描いたことは必ず実現する=「引き寄せの法則」について書かれた本だが、前に日本語版の本を読んだとき、自分の心のタイミングに合っていなかったのだろう。仰々しい装丁とタイトルに比べ、中身にあまりピンとこなかった。ところが、オーディオブックを聞いたら同じ本でもあまりに印象強く自分の中に入ってくるので驚いた。人の声で直接語られることの威力を知ったのだった。「The Secret」が大反響となったあと、「思い描いてもなかなか実現しない」という壁にぶつかった多くの人達から、感想や批判がたくさん届いたという。それに対し、この「The Secret」に登場する人物の一人Joe Vitale氏が書いた、引き寄せの法則の実践版的な本「The Key」これを今月、5冊目に買ってみました。今聴いてます。 ザ・キー著者:ジョー・ヴィターレ価格:1,680円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るまだ途中ですが、勉強になります。私自身、「The Secret」の内容にしたがって自分が本当に望む人生や幸せを引き寄せるために心を正しく使おうと決意したものの多くの人が感じたような壁を、やはり感じることになりました。いわく、「意識」よりもはるかに力を持つのは「潜在意識」である。心の奥底に、「いやぁ自分はやはりそんなものには相応しくない」「そんな良いものが現実になるわけがない」という潜在意識があると引き寄せの法則はうまく働かないそうなのです。心の中に壁があるのなら、それは自分が作ったものだ。それを取り除く「鍵=The Key」について教え、引き寄せの法則を正しく働かせ人生に本心から望むものを現実のものにすることそれについて書かれた本であります。世の中には学ぶべき知恵が、たくさんありますねぇ。「The Secret」を(耳で)読んで以来、世界中の自己啓発本や歴史上に名を残した偉大な人々は、形こそ違え皆同じことを言っているのではないか、と思えるようになりました。それが、この人間の内なる心の力であり、イメージする力であり、引き寄せの法則である。そんな風に思えています。引き寄せの法則は、重力の法則と同じくらい、真実であり、自然の法則である。そのように双方の本の中では言われています。引き続き勉強してみたいと思います。※なおご参考まで今まで私がオーディオブックで読んだ5冊の海外の本を時系列に並べてみます。How Starbucks Saved My Life / (邦題)ラテに感謝!…一流企業の役員から、失業しスターバックスの店員になった著者の話。The Four Agreements / (邦題)自由な人生のための四つの約束…人生を生きるのに必要な4つのシンプルな約束。著者の物静かな語り口も良い。The Seven Habits of Highly Effective People/ (邦題)7つの習慣…成功哲学、人生哲学書として有名な本。難しかったので日本語の本を読んでみたら、なるほど、日本語でも難しかった!The Secret/ (邦題)ザ・シークレットThe Key/ (邦題) ザ・キー
2012年02月14日
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"何もなかったと思える日でも、人は何かしらの行動をしている"最近気づいたことなのだが人生とは、「考えたこと」ではなく「行動」が作っている。ライフログノートというのを始めてみた。この本を参考にしている。人生は1冊のノ-トにまとめなさいその結果「今日、その日」に何が起き、何をやっていたのかどんなことに心動いたのかがわかるようになった。当たり前のようだが、私にはすごいことだった。書くのが大好きな私は、ノートや手帳を持ち歩いては何かを書き続けてきた。しかし過去のノートには「考えたこと」「現状の課題と、それについて思うこと」ばかり書いてあり「その日の行動」「その日がどんな日だったのか」はほとんど書いていない。これが、長年手帳やノートをつけ続けてきても人生が変わらない理由なのではないかと思った。自分ではいろいろ考えてきたつもりなのだが結局、外から見たら、何もやってないのと同じということだ。他人の目に見えるのも人生という旅の記録に残るのも、実は「行動」だけ。それに内省的な文章ばかりが並んだノートはそのときの悩みばかりつらつらと思い返され、息苦しくなって「過去の自分から学ぶ」どころではない。捨てたくなる。何のためのノートなんだ!(笑)だから本のこの部分には心から共感した。"内省的なことはなるべく書かない。その日の行動や出来事など事実だけを時系列に記録していく"やってみたら私の「その日」という歴史が、浮かび上がってきた。今まで、ただ考えているうちにいくつも通り過ぎた「今日」が。スケジュール欄に予定のない、"何でもない日"でさえも人は何かしらは、している。著者の提唱するライフログで楽しいのは文章だけでなく「貼る」こと。例えば電車の切符やレシート、食べたものの写真などもし紙類があったら、とりあえず貼っておけば何も書かなくても、それが記録になる。切り貼りが大好きな私には、ぴったりだった。一週間続けてから、振り返りをしてみた。振り返りは大事だと思う。未来につなげなければ、これもただの記録に終わってしまうので。今までは、ただ悩んで考えていただけで「どうしよう、こうしよう」とノートに書いていたので読み返しても何もわからなかった。でもライフログをやってみたら、違った。一週間の私の「事実」を読み実際に何をしたのか、しなかったのか。これをしたらわくわくしたな。これは続けたい。これをしなかったな。次週はどうする?する、しない…自分の今いる位置と、次に行きたい道を考えるための材料が目に見えるようになった。何よりも、毎日ページとともに自分の人生を刻んでいる実感がある。「私の人生には、何もないなぁ」なんて、もう思わなくてもすむ。実際記録してみて本当に何もしてないだめな日だったな~、と思えば、それも事実としてわかるのがいい。何をしたか覚えていないのに、漠然と何もしていない気がする、と今までは思っていたから。書いてみて、改善したいことなら、次はこうしようとか明日は何かノートに書けることしたいな、と自然に思えるのもいい。そして、今まで見過ごしていたけど実は毎日、何かしらは起こってる小さな"発見"や"事件"に敏感になり、そこから考えることができるようになった。人生という名の旅は、愛すべき日常からできている。自分の人生に何もないなんて今の私にだって起こっている、小さな物語をつかまえられるようになったらきっと大きなことだって起こせる。ということで、引き続きやっていきます。家で書いたり出先のカフェで書いたり。
2012年01月29日
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今日、素敵な本を読んだ。リッツ・カールトン一瞬で心が通う「言葉がけ」の習慣著者:高野登楽天ブックスで詳細を見る 始めのほうに書いてある挨拶のところが特に印象的だった。理想の自分になる一番の方法こそが、「挨拶」らしい。自分はどんな人格の人だと、周りの人に思ってもらいたいだろうか。温かい人、明るい人、元気な人、真面目な人、堅実な人その理想の自分を、「挨拶に込める」らしい。なりたい自分を挨拶に込めるなんて、すごい。よく挨拶が重要とは言うけれど、挨拶がそこまでのものだったとは。私はどんな人格だと周りの人に思ってもらいたいか考えた。優しい、温かい、笑顔、というのはすぐ思いつく大事な要素ではあるけど、自分らしさという意味では少し違うかな、と感じた。ノートに向かったのだが書いたのは、「自然体な人」という言葉だった。それから「人間らしく感性豊かな人」と書いた。そんな人がする挨拶って、どんな挨拶だろう?そこまで考えるのは、初めてだった。* * * * * * * * * * * * * * * * さらに読み進めれば、ほかにも本当に心の勉強になる内容ばかりだった。読んでいて気づいたのは、大切なキーワードとしてよく出てくるのは「お客様のことをよく見て、気づく"感性"の力を高める」といったように、"感性"ということだった。あ、そうか。感性豊かというのは、"気づく"ということなんだ。自分で先ほどノートに書いておきながら感性豊かというのがどういうことなのか、初めて気づいた気持ちだった。感性豊かな人になりたいと漠然と思っていたのに私は本当に"気づいて"いない、と知った。人にあまり興味を持たず、人のことを観察していなかった。電車など、移動の時間は、常にイヤホンの音楽や英語学習で耳を塞いでいたな。外の世界をシャットアウトしていた。通勤電車って無機質だからな。毎日急いで、ホームのアナウンスに急かされて並んで電車に乗って、満員で黙って目的地へそんな生活をしているのだから、しょうがないけど。週末くらいは、イヤホンは外していつもと違う時間の流れる喫茶店で本を読んだり街や人を見て、会話を耳にして何か感じたり、気づいたりなるべくそういう生活をしよう、と思った。あと、もし、『紅茶がおいしかったよ、また楽しみに来るからね』とお客様に言っていただいたのなら、次回までに紅茶の有名なメーカーをあと3社、調べてみようとか有名店に行ってみて、そこで実際に紅茶を飲んでみようとか専門家にならなくてもいい、自分にできる目標を考えて、実行してみる。そういうことで、次回またそのお客様と会話を楽しむことができる。ということが書いてあって、それってお客様だけでなく自分が次に会う人のことを考えて暮らしてみれば何をしてあげられるだろう、どんな話をしよう、ということがわかるのかな、と思った。手帳をちょっと見て、それほどたくさん予定があるというわけではないのだが近々会う予定の人の名前を、会う順に書いてみた。それぞれの人が今興味あること、最近話していたこと、喜びそうなこと、どんな幸せをその人に願うかを、ちょっと短い言葉で書いてみた。こういうことも初めてしたのだが、とてもいいなと感じた。そんなふうに丁寧に心を遣うことを、無機質な仕事に飲まれて本当にしていなかったと感じた。素敵な本に学べて、感謝。今度ぜひ、お茶を一杯飲むだけでもいいからリッツ・カールトンに行ってみよう、と思った。
2011年12月17日
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「自分のために生きるには限界がある」と、マツコ・デラックスさんが言ったらしい。それを読んで思い出したのだが、うちの母がたばこをやめた。今年の3~4月頃のことだ。いつもとてもかわいいうちの母なのだがたばこは、実に私が小さい頃から、けっこう多かった。大好きな母だし、潰瘍持ち(当時)なのに吸うもんだから、心配で本当に吸ってほしくなくて小学生の頃、母のたばこを取り上げて家の自分の机の引き出しにしまってしまったこともあった。母は家族(特に子ども)のことは健康面をはじめ本当に心配してくれるのに自分の健康には全く気を使わない人なのである。そんな母を心配し、子ども心にたばこは敵という概念が強く植え付けられたのか私も妹も、たばこは全く吸わない人間に育った。 その母が、ぱったりたばこをやめたのである。きっかけは、3月11日の大震災と、その後に起きた原発の問題だった。被災地とは比べものにならないまでも私の住む関東でも、私の人生では最大の震度5強という揺れとその後毎日のように続く余震を経験し、ほどなくして在住地域の水道に放射性物質が検出されたといった報道が頻繁に出るようになった。大きな不安と、家族の健康を守るという強い意志のもと母は毎日のようにメールをしてきては水道の水は飲むなとか、外出時はマスクをしろ、どこどこで買える水は放射性物質が除去されてるらしいとかそういう情報を調べて集めては、私に送ってきてくれた。その母が、ぱったりとたばこをやめたと知ったのは実家に帰った際、駅まで迎えに来てくれた母と話す家までの車中だった。「なんかね、突然『あれ?』と気づいちゃって。こんなに水は飲むなとかね、いろいろなこと言っておいてあれ、実は私が今までたばこを吸ってきてその煙のほうがどれだけ発がん物質が多くていったいどれだけ子どもたちの体に悪かったんだろう...とか思ったら、あ、私、違うじゃん、何やってるんだろうと思ったと同時になんか、すとん、と来ちゃって。で、もう一切吸ってないの」外からいくら言われても小学生の私に、いくら自分の健康のためと言われてもやめなかった母が内側から、すとんときてしまったのだ。この長年の、私と妹の母への進言の日々の歴史を感慨深く思いつつあぁ、そうなんだ。そうなんだ...と思った。以来約半年、母は、体内のたばこ回路が別の納得いく回路と永遠につながってしまったがごとく本当にもう一切たばこを吸っておらず先日帰ったときには「たばこのにおいがすると、あ!この人吸うな!とか敏感になっちゃって。私もそうだったんだ、とか思うと気づかなかった~、って」と言っており、あぁ母からこういうセリフを聞くなんて、とやはり感慨深く思いつつ、目の前の当人はそれをひょうひょうと体現しているのであった。* * * * * * * * * * * *それで、今日は母の誕生日なのだが日付が変わった頃、母におめでとうメールをした。その際、今年は母がたばこをやめて本当によかったと思ってると言及したところ、帰ってきたお礼メールの、後半はいつものように絵文字入りのかわいいメールだったが、前半は妙に神妙に絵文字もなく「本当にかなり思い出深い貴重な年でした。自分の為にはなかなか出来ないことも、誰かの為ならできることもある。」と書いていました。というわけで、ままさん、お誕生日おめでとう。これからも健康で、元気で、家族で笑って話していろいろ人生を乗り越えて歩いていく力をみんなでチャージし合っていけたらと思ってます。
2011年10月29日
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たまたまめくった新聞の書評でタイトルがガンときてこの本を探しに本屋に行った。「日本人の9割に英語はいらない」本屋の店頭で読んでみて非難を恐れずに大胆な書き方をしているけれど、内容としては、なるほど...と思った。最近読んだ、かなりためになる、とある英語学習サイトでも書いてあったことで、以来ずっと自分のテーマとして引っかかっていることと重なったのだけどそれは、英語力なんかよりも、自分が、「話すべき何かを、ちゃんと持っている人間なのか」、それが大事!ということであった。本当にそうだと思いつつこの本を買うというよりも、この本でやれと言われている読書のしかたをやってみようかと、別の本をいろいろ探して買ってきたのであった。私が思ったのは、よし、自分は日本のことをもっと知ってみよう、ということ。海外の人と話すことがあって、おもしろい人間だと思ってもらうには、やはり日本ならではのことをちゃんと理解して、話して、教えてあげられる人だろうな、と思ったので。でも、実は英語とか海外の人とかに限らないのだ。自分って話題がないし、これといった芯がない人間だなぁってその私という人間の基礎力をあげなきゃいけないってことなんだろうから。それから、自分の興味あることや、考えていることもいくつかの分野でいいから、簡潔に言葉にできるようになりたいな。口にしたらほんの1分くらいの量でも、簡潔にまとめて誰かにさらっと話してあげられるって実はけっこうちゃんと知っていないとできないのだ。これは、先日立ち読みした別の本からのアイディア。「1分間アウトプット勉強法」いろいろなところで目にした読み物からのアイディアが混ざり合って、今回の私の思いができあがったのだった。日本は何でこんなにちょこちょこ首相が変わるんだろうとか和を重んじて討論が苦手な日本人って国際ビジネスでは弱いっていうけど本当に日本人ってそんなにだめかなぁ?もっといいとこもあると思うけど、それってどんなとこ?なんてこと、普段何となく考えることはあっても海外から来た人に聞かれたら、ちゃんと答えられないだろうなぁ。たとえ日本語であっても、改めて考えないと答えられない。で、こういう本たちを買って来てみた。まだ全部は読んでいなくて途中だけど、本当におもしろい本もある。「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」「禅 『心の大そうじ』」「武士道」←渋っ。「日本人の誇り」「本は10冊同時に読め!」手段や自己啓発、ハウツー本ばかり読んだり英語そのものばっかりを勉強してきた私が本当に遅いけどようやく気づいた、「どうやるか、よりも、何をやるのか→中身!」ちょっと私の読書が変わる転換期。さて、上記最後のだけはちょっと違って読書についての本。冒頭で書いた本と同じ著者が書いている本を偶然見つけたので。で、この本も、私の今日のブログも、読書がテーマになっているけどこの本の中の著者の過激な発言とはちょっと違って私は、読書って重要だけど、それが全てとも思っていない。本を読まない人をこの著者はさんざんに書いているけど私の友人に、本がそれほど得意ではないと、あまり読まない人がいるがその友人の話は、私や他の友人をお腹を抱えて爆笑させるほと面白い。少なくとも、私よりは確実に話が面白く、話題がたくさんある。その友人は、自分の実体験を楽しんで、面白おかしく話してくれるしいつも最高の笑顔で優しく私よりも明らかに友達が多いのでそもそも得られる情報が多いのだろうしおそらく人間が好きで、身の回りの人や出来事をよく観察しているからそんな風に楽しい話がたくさんできるのだと思う。そんなわけで、読書がすべてではなく、人間力には別のたくさんの要素があるし自分の人生を一番楽しんでいて、何が自分の幸せなのかわかっていて豊かに過ごしている人が一番素敵、なのだとは常に思っている。
2011年10月22日
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朝活、はじめました。といっても、ゆるい感じです。週に一日、仕事が始まる前に講義に行ってます。といっても、三か月で終わるやつ。仕事して、遅い時もあるのに毎日「朝活」なんて、とても無理。でも、週にたった一日だったら次の日のために今日は早く寝る、ってできるかなと。すごく興味のあるテーマで「人生と、すまい」それでこの間の講義のテーマが面白くて「自分は今、なんでこの街に住んでいるんだろう?」ってことをみんなで考えた。その日の本当の大きなテーマは「戦略的すまい選び」2年後に自分はどんな人生を生きていたいかそのためには、どこにどんな風に住んでいるだろう?ってことだったんだけどそうそう誰もが引っ越しとかできるわけじゃないだったら、今自分が住んでいる街について考えてみよう、って。「今の街に住んでいる理由」みんなで順に話していったらいろいろ出てきた。会社の補助が出るエリア内だった。通勤に便利で電車一本で行ける。一度は都心に住んでみたかった。母親が一人になってしまったため実家に戻った。などなど。現実的な問題はたくさんある。家賃とか、通勤とか。でも、よく考えてみたら、その中にもその人らしい、理由がちゃんとあった。例えば都心に住んでみたかったという人に都心でも何でその街を選んだの、と聞いたら「人情味があった。商店街があったり」という答えが返ってきたり。ご実家に帰ったその人だって「住むには理想とは言えない街だけど今は家族を大事にするときだな」と思ったからだった。「自分が人生で大事にしたいもの」が今住んでいる場所を選んだ理由の中には少なくとも入っているんだな。ちなみに私も、通勤の利便性などもあったけど改めて考えたら、大きな影響を与えているのは「家族と、親しい友人に近いこと」かもしれない。家族と距離が近い。精神的にも。地元の友達が来てくれるのにも、苦にならない距離。週末の度に行き来したり、川辺があるから呼んで一緒にピクニックもできる。今自分がなぜこの街に住んでいるのかを考えてみる。自分の人生で大事にしたいものがちょっと垣間見えて楽しいので皆さんにもお勧めです。
2011年07月30日
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会社にはいろんな人がいる。私は、個人主義で動くほうで割と自分で何とかしてしまうタイプなのでそういうことは今までほとんど気にしてこなかった。しかし、最近はひしひしと感じる。「自分にはできない」と思うことをできる人が私の周りにはいると、最近は身にしみて感じる。* * * * * 最近、仕事を教えるのに苦労している。本当に手を焼かされる相手だ。メインで教えているのが私なのでつい、いらいらしていまうことがある。そういうとき、歳と経験が上の同じチームのもう一人の女性の優しさが救いになる。優しく、穏やかなその人は相手を否定しない口調で必要なことを相手に伝えられる人。あ~この人でよかったこの人がいるからチームは成り立っている、と思う。そういうことが最近は多い。私は今まで、職場の他の人たちのことはあんまりよくは見てこなかった。自分ひとりで何とかなると思ってきた部分があったんだろう。今では、自分のチームで一番いなくても困らないのは自分であると本気で思っている。それくらい、自分にできないことを他の人ができる、それで職場が成り立っているのだと感じる。自分のチームの人たちがわずかでも助かるような機能を自分がひとつでも担っていることを願うばかりだがそれについては、何とも今は疑問である。自分が辞めるようなことがあるときたった一人でも、困るとか今まで助かっていたとかそういう類のコメントをくれる人がいたならもう万々歳かなとかそんな程度に思っている。
2011年07月23日
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新入社員君たちが入ってきた。もう何度目だろう、この会社に来て!さて、聞くところによれば全員、一芸を持っている。うちの部署への配属は4人いるわけだが、六大学の野球部やら中国語が話せて世界を周遊してた奴やお天気キャスターをバイトでやってた人やスペイン人や(これ自体が一芸だ)みんなすごいね。年月以外の、自分のこの職場での存在意義って何だろう、とか考えてしまう(笑)(ほんと、何かあるのか?)スペイン人の彼は自己紹介メールで「私の日本語はまだ至らない点もありますが努力します」といった類の文章を書いており外国語でここまで書ける奴は十分日本語操ってるよ、と私は思うのだった。しかしよくよく考えれば去年の新人君たちも各々自己紹介に何かしらの一芸を書いていたが結局、仕事を始めてしまえばそんなのは同じである(笑)学生時代何をしていたとか趣味は何かとか、そういうのはどうでもよくなって大事なのは、人柄と、仕事ができるかだけ、ということになる(笑)採用試験とかではアピールに一芸ってとても重要なのだろうけど入ってみて、一緒に仕事をしてみて、できる人か、とか一緒に仕事がしやすい人か(これってすごく重要だ)、とかそういうのはわからない。一緒に仕事をしてみないとわからないのである。で、何で一緒に仕事をしやすい人がいるかというとそれって忙しい時でも不機嫌にならない穏やかさや心の余裕だったり文句をため込まずに感じ良く伝えたり話したりできる人だったり自分だけで完結せず、チームの忙しい人にすっと手を貸せる優しさだったりそういうわけである。これは履歴書に書いてないのであって逆に一芸がなくてもそういう力がある人って就職や転職ではアピールできなくて弱いのかもしれないけど働き始めたら、職場ではそういうのが一番大事なんだよな。一緒に働いてみないとわからない、アピールとして評価されない力って本当に大事なんだけど、もったいないなぁ。TOEIC何点とか、資格とか、そういうのなら勉強もわかりやすいんだけど上記の力を上げようと思ったら、これは難しい。自分の心の強さ次第だから!(笑)どうしたってさぼりたい気持ちもあるし自分の仕事はこれ以上増やしたくないし残業続きで忙しければ不機嫌になって、他人に感じ良くするとか、人の手助けどころじゃないのである。その上、この力を磨いても転職できるわけじゃないし。ただ、間違いなく自分の人間としての大きさ、レベルは上がるし職場内での評価も、上がるんだよな。職場では、けっこう皆、見てるんだよな。なぜなら自分も、他人をけっこう見ているから。直接仕事で関わりがなくても。隣や向かいに座っている人の電話でのものの言い方をみんなちゃんと聞いていたりするものだし誰かが後輩に何かを教えたりしている姿を人はちゃんと見ていたりする。それで、あぁあの3年目の彼は後輩に厳しいこと言うけどちゃんと筋が通っているなぁ、けっこうお兄ちゃん気質なのかな、とかいつもさっぱりクールな感じの女性だと思っていたけど電話ではいつも感じがよく、物腰が柔らかだなぁ、外部の人の評価が高いのもわかるなぁ、とか思っているわけである。だから、もうこの会社にきて何年目か数えるのが面倒になってきた私は一芸以外の部分で何とか着実に評価を上げていくしかないかなぁ(笑)
2011年05月07日
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今この本を読んでいる。「できる人」が使っている38のアサーティブな言い方気まずくならない!自己主張のしかたこれは自分に決定的にない力だと思う。このほど、本当にこういう力が必要だという状況があったので、ついに本を買った。本文から引用しますと相手との人間関係を良好に保ちつつ、自分の意見を伝え、話し合って問題解決をするという「一対一の自己主張スキル」上司や部下に仕事を依頼する、何かを率直にお願いする、仕事のやり方を注意する、できないことを断るなど、人間関係を気まずくさせるような場面で相手から「なるほど、よくわかった」「納得した」「この人とは仕事ができる」「仕事がやりやすい」と思ってもらえる「自己主張のしかた」とはどのようなものでしょうか。それで思ったのは自分が人間関係をストレスに感じるのはこういう力がなかったからなんだ、ということだった。人にぶつかったり、何かの相違があったりしたが最後それを話し合いで解決したり上手に自己主張なんかできないので違う人間、問題=ストレスでしかなくてそういうのができないために旧知の人以外とはさらりと、さっぱりと接して深入りしないようにしてみたり問題にぶつかっても自分ひとりで悶々と考えて勝手に怒りが大きくなっていたり勝手にストレスを抱えていたり勝手に、相手や現状の問題を、必要以上に悪く考えたりしちゃってる。そういうのはもうやめたくてたぶんこういう力って今の、そして今後の人生に決定的に重要な力だって思った。問題に当たったとしても、話し合ったり上手に解決できる力があればもっと、人と協力していろんなことを一緒にできるようになるかもしれないしきっと仕事をする能力も上がるし人間としての能力が格段に違う気がする。これからの自分の人生の幅が全然違ってくる気がするなぁ。一度、この力を身につけなければいけないなぁ。とりあえず、本を最後まで読んでみてほかにもいろいろ読んでみてその後何か勉強会とかあるなら行ってみようかな...
2011年04月21日
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一人の態度が皆の心を変えることがある。「また、再建しましょう」地震3日後にようやく救出されたばかりなのに笑顔でテレビに言った、被災地のおじいさん。(これはネット上のニュースで知った)http://www.excite.co.jp/News/society_g/20110315/JCast_90511.htmlそれから各国のメディアが大災害に際しても秩序とマナーを失わない日本人の質を称賛しているともいう。http://sankei.jp.msn.com/world/news/110313/amr11031322200004-n1.htm私は、日本のこういう雰囲気を作る一人になろう。もっとも困難な時を過ごしている東北の方々の比ではないが私の住む関東圏も、毎日毎日、地面が揺れ続けている。震度3程度のものも、かなり頻繁にある。スーパーに行けば、あちこちの空の棚に「入荷未定」という貼り紙。混乱する交通網に、原発の報道。正直、いくら冷静に、と思ってもひしひしと生活に迫る不安要素は、これほどにある。そんな中でも、自分一人のとる態度が、まわりの人の雰囲気をがらっと明るく変えることもできるから。混雑した電車でも誰か一人が文句を言えば、それを車内のみんなが聞いていて関わっていないのに殺伐とした気分になったりもするし誰か一人が、誰かに席を譲ったり、助け合う言葉をかければそれを黙って見ていただけの人たちの心にも実は、静かにじんわりとあたたかさが広がっていったりする。たった一人のできることは、こんなにも大きい。あぁそうなんだ日本はこういう国なんだ助け合って乗り越えていくんだってみんなの心に広がっていくような態度が取れたらなこんな不安な今みたいな時だからこそ。自分の心の弱さに先手を打って不安を消してじんわりまわりに広がっていくような態度が取れたらな、と思う。
2011年03月16日
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昨日と今日、夜を小さな電球の明かりのみで過ごしています。被災地の方々に、少しでも電気がいくように。明日からまた出勤ですがかばんには、ビスケットやペットボトルを。電車が止まり、長時間待機となった場合に備えて。被災地の方々の比ではありませんが当日私も、震度5強という人生最大の揺れを体験し今日に至るまで絶えることない余震を感じている為この震災の被害の大きさが実感となって身に迫っています。今日は断水も経験。あたりまえだと思っていたライフラインがひとつ断たれただけでどんな不自由が生じるのかよくわかりました。地震当日は家に帰れず会社に宿泊。それでもこうしてあたたかい屋内で無事過ごせている。報道を見るにつけ、心が痛むばかりです。今後3日以内の余震の可能性を気象庁が発表していますのでまたいつ会社に泊まってもいい準備をして出かけることにします。明日以降もずっと節電に努めます。
2011年03月13日
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夢だったピクニックギターをしてみた。ギターを持ってピクニックに行くだけ(笑)とっても楽しかった!川辺や公園に座って親しい人と簡単なランチやおいしいワインやポットに入れたコーヒーを持参してもいいなぁそれが私の何より幸せな休日の過ごし方。そこに少し楽器や音楽や、歌があれば、もう最高!どこかミーハーな観光地に行かなくても高い買い物をしなくても、いいんです。食を楽しんで親しい人との豊かに流れる時間を楽しんでイメージは、フランス人の休日!(偏見かしら)2011年に入ってからまだ丸2カ月くらいだけど一生懸命練習しているギター、もっと曲のレパートリーを増やしておかなくっちゃ。本業(といえるほどうまくないけど)のピアノも大好きだけど持ち歩けないのが難点だ!(笑)その点ギターは、身ひとつでどこでも弾ける!ギター大好き。音楽はなくても生きていけるものだけど音楽のある人生は、ちょっと豊かだ小さい頃にピアノを習わせてくれた両親のおかげ。残りの人生でずっと続くこの豊かさの贈り物に、心から感謝。あったかい季節、楽しみ~。フランス人仲間を増やそうっと。
2011年03月01日
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「冒険の書」を作ることに決めた。自分のだ。変わらない人生にはもう飽き飽きしていた。私は書くことが好きだった。いつもいつも何か書いていた。手帳や、日記、小さなノートも持ち歩いていて通勤の電車で、昼休みに、カフェで、いたるところで思ったことを書き連ねていた。人生のいつの時も!しかし2,3年前のノートをふと読み返した。何と今と同じことを悩んでいた。私は、何も変わっていない!私はいつも「思うこと」を書いていた。現状の問題点とかこの先のイメージとかしかしついに今日まで気付かなかったことはすべて思ったことだけで延々とページが埋められてきたことだ。考えて、考えて、ぐるぐる悩んで...自分が成し遂げたことの記録ではなかった。私は考えるだけで何もしていないんだ。だから2,3年前と同じことを悩んでいるんだよ。なんてことだろうか。何もない自分。いつも自分のことをこう思っていたのは何もしてこなかったからなんだ。だから、決めたのだ。自分の「冒険の書」を作ろう。少しゲームめいた響きだが、それがいい。そしてここには、「自分の冒険の歴史」だけを書いていこうと。今までのようにただ思って考えて反省したことを書いたり、もうしない。自分の冒険の「記録」だけを、書いていこう。自分が少し冒険したこと、実際に足を運んで見た、聞いたこと人と会って聞いたこと何かにぶつかって学んだことそれだけを書いて、1ページ1ページを作っていくそういうノートを作ろうって、決めた。こんなことを思ったのは取っているメールマガジンがきっかけで日刊なのだが、いつも私が前日悩んだことどんぴしゃりの内容が翌日に来る、私の波長ぴったりの、不思議なメールマガジンそこにその日、こう書いてあった。人生を、旅だと思ってください、と。すると、変化がない旅よりも、いろんなドラマがある旅の方が面白い。幸福とは、人生という旅全体を楽しむこと。旅は、冒険です。家の中にじっとしていては、何も面白くない。自分から積極的に外に出て行って、人と交わるとたくさんの出会いがある。その出会いの数だけ、人生は楽しくなる。私は今まで、怖がっていたんだ。変化が好きな人間だと自分では思っていたのにそれは憧れだった。気付いてから、今までの人生のいろんなページを思い返せば自分が、どれほど変化を恐れて閉じこもってきたかその証明をしているようなエピソードが山ほど浮かんでその集大成として、今の私がここにいる。遅くたって、まだまだこれからだって、どちらでも構わないがきっと今なんだろう。何かを変える時が昨日入手した私の冒険の書。(と決めたノート。)外国のメーカーっぽいもので真っ白ではなく、少し黄ばんだような黄色の罫線のない紙のノートとおぼろげに決めていた。漂白されたような真っ白の紙に罫線が引っ張ってあるなんて興ざめだったから。私が作っていく、冒険の書。冒険の書たって実際の人生っていうのはファンタジックなことは起きないし魔法も覚えたりしないし、レベルも上がらないし今日も昨日と同じように会社に行って、単調作業したりもするんだよ。でも、そんな私の人生の中で小さな冒険を毎日見つけていくんだ。始めてからまだ2日目だけど、あぁこのままじゃ今日は書く冒険がないなと思って帰り道に違うところに寄ってみたりいつもと違う仕事を依頼されても面倒に思わないでこれが今日の冒険かって思って出向いてみる。この冒険の書の1ページを今日も何か作ろうという思いが確実に私の目をいつもと違うものを見つけるように変えている。だから作っていこうと思う。これで少なくとも2,3年後に何も変わってない私でいるってかなり無理になるだろう。どうなるだろう。明日のページは何も書かれていない空欄で私が作っていく冒険の書。
2011年02月23日
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「自分を透明にすることです。 偏見があって「ここが凝っているはずだ」とか思っていると それ以外の身体の小さなサインを見逃してしまうんです」とは、マッサージの先生と話していたときに出てきた言葉でした。また顎関節症、再発中。首と肩が凝りすぎて、お口が開かなくなるやつです。(筋肉はつながっているのであります)(昨日たこやきに果敢に挑戦したが、やはり一口では無理であった)で、幸運ながらとても腕のいい方が近くにいらしたので先日、まだ2回目ですが行ってみましてそのときの会話。腕の違いって、どういう違いなんだろうなぁって思って施術してもらいながら、いろいろ聞いてたときなんですが。つづき。成長は、どれだけ真摯に勉強、研究しようと思っているか。自分とか相手とか、そういうのがあるとだめらしい。そういう垣根を取っ払わないとならない。自分も人間だから、疲れたとかここが痛いとか嫌だなぁとかそういうのがあると、相手のことがわからない。だから、自分を無にするとか、かっこいい言い方はいっぱいあるかも知れないけど私は、「自分を透明にする」っていう言い方が一番しっくりきますねぇ。と。冗談なんかも言ったりしながらリラックスした雰囲気でやってくれる方なのですがさらりとこんな話をしてくれてあれ、これは、かなり深いなぁ、と。「わ~... それって、かなり深いですね。 むずかしそう」と私が言いましたら「でも、そこを目指さなきゃなんですよね」と、おっしゃっていました。-----------------------------何かを学ぶときに相手のことを知りたいときに自分を透明にすると、その大事な小さなサインに気づけるらしい。あ~、私、きっとできてないなぁ。「なんでうまくいかないんだろう」とかいろんなこと考えて「自分、自分」ってなってる気がするな。って、思いました。自分を透明にする。すごくレベルが高いです。-----------------------------(オマケ)「透明人間」という歌がありまして「東京事変」というバンドの歌なんですが透明人間さんが恋した女性のために歌っていると思われるような椎名林檎さんの作詞しているその歌詞にこんなフレーズが。「あなたが笑ったり飛んだり 大きく驚いたとき 透き通る気持ちでちゃんと応えたいのさ」この歌詞を書いたとき椎名林檎さんにはわかっていたのかなぁ。受け入れたいものに対して自分の心を透明にするっていうその感じ!う~ん。偶然かもしれないけどもし本質的に似たようなことを感じていたのだとしたらちょっとすごいな!
2011年01月17日
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(ピンポンパンポーン)「皆様にお探し頂きました迷子さんは 無事、見つかりました。 ご協力、ありがとうございました。」初売りに沸く新春二日目の地元の百貨店で聞いたアナウンス。...しまった、そうとは知らず協力してませんでした。でも、見つかってよかったね。こういうアナウンスっていいな~、と、ほっこり。テレビって気持ちが暗くなるニュースばかりだけどもっと、こういういいニュースも言ってくれたらいいな~。世の中にはすてきな出来事もいっぱいあってそれに焦点を当ててないだけかな~昨日、20年来の友人が我が家にやってきて定例、家呑み会を開催。友人の一人が話してくれた、職場である介護の現場での心温まる話に、思わず涙。知らないのだな~、20年以上の付き合いでも職場での姿、毎日何を感じて働いているか本当は毎日ドラマがあって、それがふとしたときに出てくる。心温まるいいニュースは、身近な人が持っていたりもします。家族や長年の友人であっても、それぞれがそれぞれの感性を持って、毎日の人生を生きているから。人と話すことは、自分ひとりの何倍もの人生を体験できること、か~。「今年もいいことがいっぱいありますように」とよく言う年賀の言葉だけどいいことは、きっといっぱいある、だから今年もいいことに、いっぱい気づけますように。いつも読みに来てくださる皆さまへ本年もよろしくお願いいたします。坂月
2011年01月09日
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胃潰瘍になりまして。う~ん、私がねぇ。何だかサラリーマンぽくて、やですね。てサラリーマンか、私も。眠っている間に終わった摩訶不思議な胃カメラカイヨウ君はその場で発見。後日、結果が出たころに再診。先生 「どんぴしゃり。胃潰瘍でしたね」私 「はい」先生 「ストレスとかけっこうあったんですかね」私 「はぁ...そうかも知れないですね」...先生 「...じゃ、お薬出しときます」てな感じで、さっくり。何とも不思議なもんですな。ストレスという目に見えないもので実際、体が不調になることがあるんですねぇ。そうそう、現代人にかかってるストレスはけっこうなものでこれを原始時代の人間にかけたとすると一瞬で死んでしまうとか、聞いたことあるんですけれど(本当かどうかはともかく)まぁ、みなさんいろいろあるわけなんですね、きっと。でもたぶん自分たちが作ったルールや文明や決まりの中でくるしんでるだけなんでしょうけれど...人間って。(たぶん猫とか動物から見たら、そう見えるんだろう)* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 朝から夜まで会社員していると本当に時間がないなぁ、と感じることがあって仕事帰りの、夜の時間などにすべき用事をいろいろと詰め込んでいたこともあったのですが時間を効率化、効率化...しようとすると心がどんどん殺伐としてきてしまうんだなぁ、と感じたことがありました。それで最近は時間を効率化して物理的に長くしようとすることよりも「時間を長く感じる過ごし方をすること」いわば心理的に時間を長くすることかな...そっちを大事にしたいと考えています。 ほんと小さなことなんですけどね。夜、寝る前に蛍光灯を消して、電球の光だけにするとかこれだけで、寝る前の30分だけが、ゆっくり流れたり。坂月の家はテレビがないこともありまして山吹色の光とその影がつくる電球タイムはしんしんとあたたかくしず~かで夜が永遠に続くように感じられるので日記などを書いているうちに、夜更かし...ということも往々にしてあるのですが。 あとは週末も。自分がいま学んでいることや、興味のあることやそれから親しい人に会ったり、何かをしたりとにかくそういう週末を過ごせると月曜日に会社でパソコンの前に座ったとき浦島太郎になったみたいな気持ちになりますね(笑)あれ、先週の金曜日って、何だかはるか昔のような...仕事、なんだっけ、みたいな(笑) まぁそんな感じで特に平日なんか気をつけないとはっと気づけばすぐ不機嫌そうな無表情な顔で通勤電車を待ってたりする自分の顔がやってきた電車の窓に映ってたりしますので(笑)少しずつでもそっちのほうの時間を多くして自分の心を幸せ感で満たすことを自分でやっていかねばなぁ~、と思っております。
2010年12月29日
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椅子に座ってただ批評するだけのどんなえらい人たちよりも未熟でも一歩踏み出した人たちのほうが、ずっと素敵! クリスマス発表会が終わりました。で、初心者さんでも頑張っていたたくさんの他の出演者さんたちを見ていた、坂月の感想。経験など関係なく誰でも出られる発表会でしたから歌詞が真っ白になってしまって、苦い顔をしていた人もピアノをつっかえてしまって困ったように何度も弾き直していた人もいっぱいいました。でもねぇそんな人たちのプロフィールを読んでみると「初めてまだ9か月」「やっと4年目」「小さいころからずっとピアノをやりたいと思っていたけれど社会人になってようやく始める機会を得ました」なんて、いっぱい書いてある。それを読んだら、私、応援したくなってしまう。 坂月は、いま先生に教わっている音楽のコードやアレンジのことや弾き語りや、そういうことは全くの初心者ですけれどピアノ自体は、小学校1年生の頃からやっていました。それでたくさんつっかえてしまって4年目と書いてあるあの人だって私で言ったら小学校4年生の頃とおんなじなんだ、って。 大人になっても、そうやって一歩踏み出した人はとっても素敵だと思う。 「小さい頃からずっとやってみたかった」「憧れの曲で、まだ手を出す実力ではないのですが、つい選んでしまいました」「ピアノを両手で弾けたら、かっこいいと思っていたから」 うん、うん。そんな思いを胸に、勇気を出してみんな発表会に出ようって決意した、そんな人たち。みんな頑張れ!!って、すごく思いました。 でねぇ、そんな想いってやっぱりお互いにあるのか出番待ちの裏方でも、「お疲れ様でした!」って声を掛け合ったりにっこりしたり、拍手をしたりね。そういうの、何だかすごく、よかったな。-------------------------------------私自身も、すごく緊張したが先生の紡ぎだす、年季入りギターのあたたかな支えと表情ある彩りの音色により私自身は未熟ながらも、ちょっとしたピアノ&ギターの1曲アコースティックライブのような仕上がりに。出番待ちのとき、いつも通りお話できて知らずに心が解されていたのだが一人だったらきっとガチガチになっていたんだろう。いつもの穏やかな優しさに、心から感謝。 そうそう~、あと、はるばる見に来てくれた、私の大好きな友だちがくれた嬉しい言葉「あんなして、練習してチャレンジしてる姿はとてもかっこよく見えたよ。私もやりた~いって思った」嬉しいなぁ。どうもありがとう。 本当いい経験でした。
2010年12月28日
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最近は、「うまく歌おう」と思わなくなってきました。ピアノ弾き語りの話なんですが。ちょっといい先生との出会いがあって月に2回ほど、音楽教えてもらって、半年経ちます。なんとクリスマスに発表会。挑戦してみたかった「弾き語り」やることに決めてしまったのは、無謀でしたが(歌もピアノも、特記するほどの腕前ではなく)まぁ、いいのです。 うまいことよりも、「自分だけの魅力をまっすぐ出せること」だいたい、歌がプロ並みにうまかったら普通の会社員やってないのですからもう、うまさとかじゃないんですよ。勝負どころは。うん。練習のたびに自分の演奏録音して後でみっちり聞くんですけれど録音なんかしちゃうと、もうてきめんなんですね。が~ん!自分が幻想していたほど、うまくないわけです(笑)それなのに、どこかのプロの真似をしてうまく歌おうとするのが、いちばんかっこ悪いなぁと気付いた。そして、まぁうまくはなくても自分の声は割と透き通った素直な声かな、と思ったそれをまっすぐ活かすように出せばいいんだ、と。「人間性、味がある。それが演奏に出る。だからうまいからいいというわけじゃなくて普通の人が歌っても、「なんかいい」というのがある。そういうのが、自分は好き。逆に、歌がうまい人は、それに頼りがちになっちゃうから」と言ったのは、私の先生。 しかし、自分の演奏やアレンジの力=「音楽のひきだし」と、私は呼んでいるは、まだまだなので身につけたいこともいっぱいある。自分にできないことを取り入れて練習してできることに変えていくのも大事だし、自分に今ある力だけを素直に使って、自分の人柄を音にのせて謙虚に誠実に一曲を作り上げようとする姿勢も大事。うん、どっちも大事!その両立が、今の課題かなぁ~。
2010年11月28日
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今日この本を読み終わった。「「いい人」をやめると楽になる」先日立ち読みした、この本も衝撃でした。「考えすぎない生き方」2冊目のほうによると、人付き合いが苦手な人はなんと、「人付き合いを避けて通っていい」そうなんですよ。これには驚きました。ふつう、どうしたらできるようになるだろうかって考えるじゃないですか。実は私、大勢の飲み会に出ると帰り道や次の日、ほんと落ち込みます。私は大勢の飲み会が苦手なんですよ。みんなでわいわい、でも実は誰ひとりとも中身のある会話していない、って感じで大勢でいたはずなのに、帰り道は行く前よりもずっと寂しくなっている。そして、次の日落ち込む。あとは、楽しい会話ができなかったとかそんな理由で自己卑下に陥る。私は、親しい人と、中身のある会話=対話ができると幸せに感じる。「内輪飲み」なら、大好き。(というか内輪なら、お酒がなくてもいい)それに、元来が、友人は多くなくてもいい。少なくても、その人たちと深い話ができたらいい。だから、交流、パーティ、懇親会、とか無理。 それで、今考えるとそんなことは中学校くらいのときからわかっていたことなんですよ。学校が休みの日とかに男女ごちゃまぜで大勢で集まったりするのとかすっごく苦手で行きたくなかった。それなのに、十数年もこの年になるまで付き合いもあるし、とか無理してみたり苦手を克服しなきゃ、なんて考えていた。十数年も変わらないのに、もう直るわけがない。何で今まで、それに気付いて認めてあげなかったんだろうってその本を読んだとき、ほんとに思いました(笑)こうも書いてくれてたんですよ、「人付き合いが苦手なら、飲み会も極力行かなくていい」(笑)あ~、こんなに何度も何度も落ち込む前にもっと早くに、飲み会行かない宣言を自分にしてあげればよかった。単にそれはできないと思っていた。人嫌いの変な人と思われたくなかったしオープンで感じのいい人だと思われたかったから。でも、いい人だから好かれるとは限らないんだった。自分が人を見るときどうかというと、明るくてオープンで面白い人ももちろん好きだけれど本能的に、社交的じゃなくて静かで大人しい感じの人も大好きだった。むしろそういう人といるほうが、とても落ち着けた。その理由も今までよくわかっていなかったがたぶんそういう人といるときは、自分も社交的で明るく感じのいい人のふりをしなくてすむからというのもあったのかも知れなかった。会話が途切れてもいい。私はそういうのも好きだった。そういう理由を改めて考えて気付いたのも、この歳まで生きてきて、ほぼ初めてであった。 人様のこともそうだが自分のことだって、ほんとうによくわかっていないものだ。早くから自分のことを知って、自分の人生を生きてきた人が本当にうらやましい。私はだいぶ遅れている。
2010年11月19日
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自分と縁あった人の人生が突然終わってしまったことについて今はまだ、この心の重さを感じていたいです。いってしまった友人の為にその人のことを思う時間を、まだしばらく取っていたい。でも、これで時間が心を少しずつ軽くしてくれてまた元通りの生活に戻っていくのではなく私の人生の中で、何かにしたいのです。私の友だちの人生が、ともに歩んでいた人の人生が先に終わってしまったのですからただ通り過ぎたくない、何かにしたいという思いがあります。そこで、このことで私が学んだことを考えてみました。ひとつは、「最後かもしれない」ということ。いま目の前にいる人と、会って、笑って、話をして次また会えると、当たり前のように思っていてもそれが最後になるということがあるのだと。だから、私は今後、身の回りの人に対していつも、ありがとうとか、感謝、好意、相手の素敵なところを見つけたとき、いつもそういうことを、伝えるようにしようと。毎回毎回、今生の別れというようにはいかないでしょうが少なくとも、何か伝えられなかったと悔いの残らないようにしようと、思いました。もうひとつは、私はまだ生きていて、もちろん明日死ぬかもしれないにしても今はまだ時間をもらって生きていて私の友人が見たくても見られなかったたくさんのものをこれからの人生で見ることができるのだろうからその友人の分までとはおこがましいですが自分のこの感性を二人分にするつもりでいろんなものを見て、感じて、気付いていこう世界で起こるいろんなこと、素敵なこと、人の心の動きやあたたかいものたちそういうものを、これからは二人分の感性を持ったつもりでたくさん心を動かして、見ていこう、と思いました。今日、これを私の中で「感性二倍の法則」と名付けました。もちろん、その友人はもう旅立った瞬間に別の生命に生まれ変わっているかもしれないしそしたら、私が二人分なんて言ってもそんなことしなくていいのかもしれませんね。でも、それでもいいんですよ。袖すり合うも他生の縁、ということは、この世で同じ年に同じ会社に就職し友だちであったということは、もうものすごい縁なのですからきっとまたその友人が生まれ変わってきたとしてもまたきっと近くにきて会えるのかも知れません。そのときに、あなたの人生が終わったことを何かにしようと、上ふたつのことを決めて、少し人生を変えた私のことを見てください。私はまだ生きているから、あなたが生まれ変わってきたらちょっと歳が違うかも知れませんがまた友だちになって、いろいろなことを話せるといいですね。あなたが最後に私にくれたアドバイスも今は遺言のようになってしまいましたがまぁがんばってみますから、どうぞ見ていてできた日には、私の心にいつまでも焼き付いているその笑顔を見せて、そう、それでいいんだよって言ってね。
2010年11月14日
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先月から今月にかけて、同じ著者の本を2冊読みました。 「きみの友だち」「流星ワゴン」1冊目がとてもよかったので同じ著者さんの本を探して2冊目を読みました。1冊目は、なくなった友だちのこと、そしてほんとうの友だちって何だろうっていう本でした。2冊目は、あの世との境目にいる人たちの案内でどうしようもなく壊れてしまった人生の大切な箇所をやり直すきっかけを与えられる物語。どちらも、人の命や死や、人生にまつわるお話なわけですね。それで、ほんの数日前に、突然友人を亡くした私ですが、神様が、その前に私にこの2冊を贈っておいてこの今のかなしみやいろいろなことを考えるためのもうひとつの視点を、事前に私に与えておいてくれたのかなぁ、と。 それで、今その友人はどこにいるんだろうと考えるのですがまだ、この辺にいるんじゃないだろうか、と思っています。突然のことでしたので、本人も驚いていて受け止める時間が必要でそれくらいは、神様も、くれるんじゃないかと。49日なのでしょうか、それとも、受け止められるまで、いていいのかな。わからないですが。初めは、自分の体か、かなしみに涙を流すご家族の近くかゆかりのあった場所にいるんじゃないかと思っていて、私は、そういう大事なもののあとでいいから私のところにも、会いに来ないかなぁと思っています。だって、今月も会う約束してたんですから。もう来週です。それとも、もう会いに来てくれたのかなぁ。家の近くまで来て、私の顔一目見に来てくれたのなら、嬉しいです。家に入ってくれればよかったのに。私は全然怖くありませんよ。私があなたと友だちである間あなたに笑顔や、喜びや、あちらの世界にも持っていけるような何かあったかい思い出を、少しでもあなたの心に残せていたらいいなぁ、と、毎日思ってます。あ~1カ月少し前、久しぶりに会えて本当よかったなぁ。突然、電話がかかってきて、近くで飲んでるんだけど~って言って私も飛んでいったわけです。前日から泊まりに来てた家族を駅まで見送ってちょうど帰ってきたところで、ふと静かになった家でごはんを食べてたときで。ほんと、会えてよかった。誰か呼ぼうってなったらしいんだけどその人が私のこと真っ先に思い出してくれて、名前があがって電話かけてくれて、ほんとほんとありがとう。それがすっごい嬉しいです。
2010年11月13日
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体は乗り物で、人っていうのは魂だって言いますよねぇ。だから死んでしまったとしても、それはこの世で死ぬだけで魂はまた生まれ変わる。でも、残された人には、やっぱり体は乗り物だけじゃなくて体もその人なんですよね。内側に灯って、確かにその人を動かしていたはずの光私たちの名前を呼んで、目を見て、笑って、話していたのにその光が消えた体が、目を閉じてそこに静かに横たわっているのを見るのはどうしようもなくつらいのです。友人を突然亡くしてからいろいろなことを考えている日々です。私はその人にとって、思い返すと笑顔だとか笑ってるとかあったかいプラスのイメージが思い返されるそんな友達であれただろうか、ってこととか逆に私がもし死んで、周りの人が私を思い返すとき笑った顔、明るい声、優しさや一緒に話した面白いことなどそういうプラスのことばかりたくさん思い返してくれるようなそんな人柄でいられているだろうか人の心にそういうあったかいものを残せているかな、ってことそういうあったかいものをみんなが思い返してくれるようなそういう人でありたいですね。優しさや、笑顔、笑い、包むようなあたたかさ、肯定感、そういうものを、生きているこの人生の道すがら周りの人の心に、確かに、あげていけたらいいなと思います。ちなみに、その友達は、そういう人でした。私、今いろいろ思い返しても、笑顔で私の名前を呼ぶ顔や声や、にこにこ笑って話してる姿、そういうのばかりです。まわりの友人に聞いても、みんなそうみたいです。それって、すごいことだなぁって、思っています。静かに笑ったように目を閉じて横たわり動かないその顔と私の目の前で一緒に飲んで笑っていた顔を交互に思い返しては、心が掴まれたように痛くなります。どちらの顔も、忘れたくなくて何度も何度も、思い返しています。
2010年11月11日
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ここ数日ずっと考えているのは「身の回りの大事な人に、言いそびれてることはないかな」ってことです。友達が、亡くなったのです。急に。学校を卒業して初めて就職した会社の、同期です。転職して数年、しばらく会っていませんでしたが1か月と少し前に、久しぶりに再会して楽しく飲んで、話して想い出話や、近況や人生相談なんかもしました。やっぱり同期っていいなって思って今月、もう来週です、また会うはずだったのです。気の置けない同期をまた呼んで今度は、家飲みしようね朝まで語ろう、なんて言ってまだ、信じられません。 次また、会える、いつでも会えるから、なんて思っていたらこんなふうに、突然、いなくなってしまうことがあるんだって考えたこともなかったそれで、今私の周りにいてくれてるまた何度でも会えると思ってた人たちのことを思ってありがとうとかいつも感謝してるあの人のこんなところがいつもすごいと思ってたあなたのこういうところ大好きもっと仲良くなりたい、もっと話してみたいなとか照れくさかったり、機会がなくて言えてなかったりしたいろんなことも伝えてないことがあったらあぁこんなふうに突然いなくなってしまったらもう知ってもらうことができないんだって思ったらそういうこと、感じたときにちょっとでも、不器用でも一言でもいいからそのとき目の前にいるその人に伝えようとすることにしよう、って思いました。その日、いろいろ人生相談みたいな話もする中でその人がくれたアドバイスの言葉があってその時の笑顔と一緒に、何度も思い返しては考えている日々です。
2010年11月09日
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今、雨が降ってきました。休日の雨は、けっこう大好き。でも、今日は神社にお参りに行こうと思っていたのにそれが残念だなぁ。氏神様っていうのかな?詳しくはわからないけれど自分の住んでる地域の神様にお参りにいくのが一番いいっていうのは聞いてた。けど、この街に越してきて1年この地域の神様には、一度もごあいさつに行ってないなぁ、って思ってたのでした。神様には、お願い事をしにいくんじゃなくて感謝を言いにいくものなんだって、知っていましたか?神様の身になってみると毎日、何千何万の人がお参りに来ては「彼氏ができますように」「大学に受かりますように」って、都合良くお願い事だけして帰っていく(笑)そんな中、「神様、私は本当に幸せな人生で、家族も元気で本当にいつも感謝しています、ありがとうございます」っていう声が聞こえてきたら、「おっ!?」って思うわけです(笑)で、こいつの願い、叶えてやろうか、って思うらしいです(笑)というわけで、私はこの1年、本当に素敵な街で安全に無事に暮らすことができ仕事はまぁ問題もなく家族は皆元気で、とっても仲良し少ないけれど友人はいるし趣味も少しやれているしまったく地味で平凡な人生ですがこれは感謝すべきことなのではないかと。ないものを見つければきりがありませんし自分は未熟でまだまだ足りてないところばかりですけどね(^^)そんなとき、今自分が持っている幸せまであたりまえだなんて思っちゃいけないな、感謝しなくちゃなぁ、って思います。神様、とか、目に見えないものに感謝する気持ちってそういう意味で大事だと思うんです。特定の宗教という意味ではありません。小さな幸せがあったときにも「自分が頑張ったから当然だ」じゃなくて「あぁ~ありがとうございます」って、もっと大きい何かに感謝できる。それって謙虚で素敵だと思うな~。次の週末晴れたら、この街の真ん中にあるという一番大きな神社に感謝のお参りに行こうと思います。
2010年09月23日
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「転生」という小説を読んだ。心臓移植がテーマのミステリー小説だった。小説というのは本当に今まで読んでこなかった。でも、読書における思春期みたいなものがきたらしい本屋で直感で選んでみることにする。すると小説=読まないもの、とひとくくりにしていたがその中でもちゃんと興味を持てるものは見つけられることに気がついた。とても嬉しい発見。自分が知らなかった人生の楽しみの扉がひとつ開いた感じ。平日PCばかり見て仕事をしていると他にやりたいことばかり思い浮かぶのに(笑)週末になると、それが何だったか忘れてしまう。予定がない週末自体は嬉しくて大好きなのだがふと、何をしたいでもなく、空っぽになって部屋に座るときそんな日にも、本を持ってコーヒー店へ行くだけでこんな日記を1ページ書けるような中身ある午後に早変わりする。さて、この本の中でさらりと取り上げられているテーマで私がすごく考えたのは 「その人が、その人であるっていうのは、どこなんだろう」どこというのは抽象的だけど。その人らしさ、って何だろう?自分が自分であるというのは、いったいどの部分がそれだと言えるのだろう。この小説は、心臓移植を受けた主人公にドナーの生前の記憶が受け継がれる、というストーリーで記憶って、脳かな、心臓ではないんだろうけど。そもそも、心とは、いったいどこにあるんだろう。その人らしさって、いったいどの部分なのかな。私が私であって、本を読んだり人生を生きている間経験することに対して絶え間なく湧き上がる感情とかがまるで支離滅裂ではなくてやっぱりいつも一貫して「私」という人間らしいんだと思うんだけどいったいどの部分がそれを作っているんだろうな~ってとても不思議に思った。「私」と自分のことをさす時胸のところに手をあてたくなる。「心」がどこかと言われると、何となく胸のあたりにある気がする。「脳」っていうのは、何となくアタマ、理屈で考えること、って気はするけどやっぱり心は、胸のあたりかなぁ、と。このことは、この小説の中にも書いてあってこれはどの文化的背景をもった人にも共通していることなんだって。どの人間も、心が何となく胸のあたりにあるという体感を持っているらしい。これには、正直とてもびっくり。同時に、自分にもわかる。もしかしたら、これが「魂」ってやつなのかなぁ。きっと体のどこか一部とか、ましてや特定の臓器に存在するものではない。けど、これが私、って言えるその何かのエネルギーみたいなものが間違いなくこの体に宿っていてこれが私らしさを作っている。生物としてのこの体はほんと宇宙みたいにすごくって体の中で起こる消化、免疫、血液が流れ心臓が動いていることすべてが信じられないくらいの奇跡だと思うけどじゃぁこの体がなくなったら、私じゃなくなるのだろうか。「思い」とか「感情」、「記憶」...ただの脳の作りだす信号とは思えない、もっと形がなくて、でももっと確かにどこかに蓄積されているような気がする。もしかしてこれが「魂」なのかなぁ。なんて考えたりした。科学的に説明なんて、きっとできないんだろう。不思議だなぁ。でも自分探し、とか小さいことを考えてた昔の私が本当に何だか目先のことしか見てない小さな自分に見えた。探す必要なんかなくて今この瞬間も、私はいろんなことを感じている。胸に手をあてると、それが理屈でなく私はここだなぁって、そういう感じ。不思議だなぁ。
2010年07月03日
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今日は「モモ」を読んでみた。今まで、小説って全く読まかったんだけどこれは妹に借りて。 時間を節約して心がすさんでいく現代人と時間どろぼうとその時間を人々に取り戻してくれた女の子のお話なんだけど私自身、そんな現代人ぽさに取りつかれていたようで前半のほとんど、時間が惜しくてパラパラと飛ばし読みをしていた(笑)しかし後半になるにつれて、物語のクライマックスでそうなるのと同じように私の時間の進み方は少しずつ止まったようになってきて、最後の数章は、まるまる全部読むことができました。ちょっと不思議でした。私が今まで小説を読んでこなかったのはまさにこれでどこか時間の無駄のように思えてしまっていたところがあったのです。自己啓発本とか、実用書とか日々の生活にすぐつながるとか、役立つことはよく読んできたんだけど。ほんと、今考えると現代人ぽくてやだなぁ。そんな私がこの本を手に取ったことは、きっと神様の粋なはからいだろうと思います。自分に起こったことには、やっぱりいつも意味があって神様が私に足りないものを、身近な人や、出来事に姿を変えて伝えてきてるんだろうなぁ、とよく思ったりします。神様っていうのは、宗教とかそういう意味ではないのですが。それできっと今回、神様は妹の手を借りたんでしょう。うん。ちなみに、読んでいてつい目がとまって離せなくなった一文は「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。」だった。やせほそる、というのがとてもリアルに感じてしばらく、ここから目が離せなかった。そうそう、それから数日前のブログで私は理論立てた文章のほうがどちらかといえば得意で歌詞が書けない、と書いたけどその理由も、何となくこれだったのかなぁ、とわかった。実用的な文章ばかり読んできて物語を読んでこなかったのに読んでこなかったものを書けるわけがないのかも本当にこの物語の中では人は、特に主人公のモモは、本当にかんたんな言葉で言うんだ。すごくはっとすることを。それで私の心は、何だか洗われるようだった。そう、きっと心を表現するってこういうことだって。難しい言葉を使おうとするのは、頭で考えて理屈をつけようとしているんだ。何だかとても、私になかったものをいろいろ知った。
2010年06月27日
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最近私が自分に立てたテーマは「楽しいほうへ行ってみよう」ということ。私はたまに、真面目すぎるところもあり何かをやるとき、ついつい「楽しいか、そうでないか」よりも「こうしなきゃ」ってほうに行ってしまうことがあるのでこれをちょっと変えてみたい。ただ楽しんでるより、ちゃんとやらなきゃ、みたいな意識がありまして何かをやりたいとか、何かを習得しようと思ったとき誰もが良い方法だと認める、とても教科書っぽい方法に忠実にやってみたり。天才肌の人はともかくとして私のような凡人だとやっぱり、楽しいとか直感でなく基本に忠実にいきますか…みたいなほめてくれたり、期待してくれる誰かがいるとやっぱり、その期待に応えたくて真面目になりすぎちゃうとこもあります。まだ知らないことばかりで自己流とかいえるステージでもないし。とかいろいろ考えられる理由はありますが。しかし、そろそろ、たまにはいいのかなぁ、と。最後の学校を出てもう何年も経っているし自分の学んできた基礎を信じてその上にオリジナリティも開花させてみることだから、これからは、ときには少し真面目さを脇に置いて「楽しい」ってほうにも、行ってみたいなぁと思います。「どういう方法でこれをやるべきか」とか、そういうことは考えずに、「何だか、これをしていると、楽しいなぁ」っていう感覚も大事に。思えば小学校くらいの頃は将来につながるか、仕事はどうするか、なんてこと考えずに自分の好きな、興味のあることをただ夢中にやって楽しくて満たされておりましたお父さんの一眼レフカメラを小さな手に抱えて自分がいいと思った景色を夢中で撮っていたり文章を書くのが好きで、毎晩誰かに手紙を書いて書く相手がいなくなっちゃったので日記を書き始めたり。小学校から中学校に変わる自分の心の動きを書きとめておこう!とか思って。好きな歌のCDを借りてきてカセットテープに入れてラジカセの前にかじりついて歌詞カードを見ながらCD通りに歌えるように何度も何度も練習したり。あの小学校の頃の自分、帰っておいで!という気持ち。きっと大人になった今も、心の奥底にまだ眠ってるはず。
2010年06月27日
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私は現在バンドの一員をやっているが、心の中で、自分で曲を書いてみたいなと思っていてたまに歌詞にする為の詞を書いてみたりする。ところが、何となく形にならない自分の言葉が、嫌になってきてしまう。格好つけているのかわざと素敵に、もしくはどこかで聴いたことのある歌詞に似せようとしてしまうのか何だか、理屈っぽくて心の底の核心に迫っていないというのか。心の底の本当の声に触れるのが怖くて理屈っぽい言葉でただ本質の周りをなぞっているような感覚。自分の詞が、自分の心の中を表しているようだ。何となくオープンではなくてどこか閉じていて自然体、力を抜ける強さ、そういうものが足りないような。 世には聴いていて、あぁ心に響くなぁと思うじんわりとよい歌詞を書くアーティストもいる。その人たちの言葉が何で、良いな、と人の心に響くかというといろんな理由があると思うが、たぶん、格好つけた言葉だからじゃなくてその人らしい本音のつぶやきに近いからじゃないだろうか。何とも言葉にしづらい、地味な、日常的な感情をうまく素朴な言葉にして自分の代わりに表現してくれた時、そこに共感を感じたりして人は「あぁ、いいな」と思ったりする。少なくとも私はそういうことが多いと思う。別に格好いい言葉だからじゃないんだと思う。言い方が格好いいから惹かれることも、もちろんあるけれど。こうして理屈っぽく日記やブログのような文章を書くのは私にとっては歌詞よりずっと簡単に思える。でも、もっと素朴で心に響く言葉で「歌詞」というものを書けたらな。心がオープンで、自然体でないとなかなか書けない。取り繕ったりしてしまうんだな。書いていて、自分のそういうところが嫌になるほどわかってしまうんだけどそれはそれで、発見でもあるわけだけど。あぁもっと心がオープンになれたら素敵なことが書けるのかな。素朴で、自分の感性を素直に表したような人の心にすっと届くような、そんな言葉が。もともと自分の思ったことをそのまま言葉にして相手に伝えることがほとんどない性格。それよりも、相手の気分を害さないようにとか頭で考えることを優先してしまうことが多いので。理屈に押されて言葉にならないうちにいつか忘れられて眠ってしまった感性。何かを感じたとき、それをひとりごとでも、つぶやきでもいいからそっと言葉にすることから、始めてみようかな。いつか人の心に響く、歌詞が書けますように。
2010年06月16日
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顎関節症というやつになった。口が開かない。指一本分しか開きません。本当に人生にはいろんなことが起こる。あごの骨の異常ではなく、首周りの筋肉全体のこわばりの問題らしい。これは、あくまで私の場合だが。そういえば、首周りがガッチガチでろくに振り向くこともできない。治療の方はマイペースにやっていくとしてストレス、緊張、こわばりこういうものを放っておくと、こんなことも起こるんだなと思った。人間の体って、強いのか、弱いのか、よくわからない。だって、消化とか、運動とか体の内外で起こっている反応って宇宙みたいにすごいと思う。でも、悪い姿勢とか、筋肉の緊張とか自分でも無意識だった、小さな癖や習慣が原因である日突然、口が開かなくなる。こんなことも起こる。失って始めて、健康というものがわかるのは本当だ。普段、生活する上で、体のどこも特段意識する必要がなく何も困ることなく生活できている状態、これが、「健康」。どこかにトラブルが出て、生活に不便さが生じると途端に、「何も困ることなく生活できる」このことのすごさがわかる。これも、私の人生経験の一部なのかな~。まぁでも、回復できるようにがんばります。
2010年06月16日
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私は先月から、オンラインの英会話をやっているのだが(パソコンさえあれば、自宅の居間に座って海外の先生と英会話ができる時代...すごいですね皆さん。)さてそこで現在私が困っているのが、自分の英語力...というよりも以前に「話すことがないよ」(笑)!!ん~。何を話していいのかわからないのですよ。とりあえず、ビジネス英語とかのレッスンよりもフリートークの方がリラックスできるということに気付いたので、最近はフリートークで先生にお願いしてますが「何を話したい?」と聞かれても「...ん~~...」これは英語力以前の問題でございます。確かにこのようにブログを書いている人間なので考えていることは、なくはないのだと思いますが普段、友達や同僚にでも、あまり自分から口を開いて自分のことを話さない人間なので...人の話を聞いていることのほうが多いですし、実際、人に気持ち良く話してもらうための雰囲気作りやあいづちを研究するのが好きです。そこへきて、「何を話したい?」これは人生よりも深いテーマでございます(笑)つまり、「フリートークしろと言われたときに、いったい何を話す人間なのか、私は。」考えすぎですかね(^^;)でもこれって、「私はいったいどういう人間なのか」ということで、非常に深い問題かと、私の中では。みなさんは、はいフリートークしましょうとなったときにどんな話題を相手に提案しますか。自分の大好きな趣味があれば、それを。現在興味を持っていたり、始めたいことがあるならば、それを。自分の仕事が面白くて仕方がない人は、それを。他になんでしょうか。昨日食べた晩飯がとてつもなく美味かったならば、それを(笑)つまり、何も考えずにただ受身で暮らしているとフリートークするネタがないということに。う~ん、受身で暮らしているのかな、私。こうしてブログを書くほどに、いろいろなことを考えてはいるはずですがまさかこういう内省的な内容を英語でトークするほどの技量(語学力)はありません。むずかしいですね。というより面白いですね。おそるべし、フリートーク。自分が何に興味があって、何を感じ、どんな人間なのかということを浮き彫りにする、なかなかの修行の場です。
2010年05月30日
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あ~やっとブログを書ける環境になりました。本当に古くて、120歳のおじいちゃんの背中を「お願い、もう少し!」と叩きながら歩いてもらっていたようなそんな気分になるほど、ゆっくりでいっぱいいっぱいなmy oldパソコンでしたが、ついに買い替える決心をしました。古かろうが、時代遅れの型だろうが「まだ使えるもの」を差し置いて新しいものを買うことにどうしても抵抗のある、私、坂月の性格です。大学生3年生の秋、就職活動に必須と考えて購入を決断した私の愛機。20万円くらいしたのだが、バイトで貯めていたお金で。パソコンに詳しいわけでもないのに大手家電量販店に行き、一人で決定。普段、意外と保守的なのに、思い立ったら行動の早い私。あぁそれ以来、本当に長いこと、ありがとう。私のパソコン。この旧・愛機のCPU(簡単に言うとパソコンの力を表すらしい)をネットで調べてみると、あんなのは使えないとか絶対買わないこと、なんてコメントもあって(笑)すっかり時代遅れなものという認識らしいです、世の中では。でも、そんなのいいんです。今日ここまで長いこと、私のパソコン生活を支えてくれた。学生時代のあの頃、就職活動を乗り切ったのも、就職して2年くらい経って、悶々とする中でブログを始めたのも、全部この愛機があったからなんです。本当に本当に、ありがとうね。今ではもう、社会人○年目で、転職もしたんだよ。…あぁそうだった。転職活動を支えてくれたのもきみだったんだよね~。もう最後のほうはいっぱいいっぱいで立ち上げるのにも20分以上かかってその上すぐフリーズしちゃったり(笑)思い立った時、気軽に立ち上げてネット検索したり、ブログ更新なんてできるものではなかったけれど(笑)そんないっぱいいっぱいな状態で、私のわがままに答えて本当によく働いてくれて、本当にありがとう。まだしばらく家に置いておくつもりだけど本当に本当に感謝しています。
2010年05月30日
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今おもしろい本を読んでいて、それが「生物と無生物のあいだ」私は学生時代、生物学をちょっと学んだので分子生物学とか生命科学がテーマのこの本はすいすいと頭に入ってくる。一度学んだり、経験したことのある分野だと関連の、少し難しい内容でもすっと頭に入ってくるんだなぁ。と思った。これを自分の「ホーム」の分野ということにする。それでこれは、ちょっとでも経験したことがあると全く素地のない人に比べれば、理解のしやすさが全然違うんだなぁと。というのも、学生時代、私は自分の専攻の分野なんてちっとも真面目に勉強せず、バイトや旅に明け暮れておりました…しかしこうして大人になって生物の本を読むと、あぁ懐かしいというか頭に入ってきます。他の人と比べてどう、とかではなく私にとっては、この分野がホームのひとつなんだなぁと。そしてそのホームをベースにして遺伝子組み換えとかDNAとか、そういうニュースや新聞記事はやはり、理解がしやすいのです。「ホームがあると、関連分野も理解しやすくなる」それで思ったのは、好きだったとかきらいだったとか関係なく一度ある程度の時間をかけて経験したものはその次の土台になっていくということで、例えば私は今船や貿易に関する仕事をしていて自分が何となく選び、続けてきたこの分野に大して興味も、情熱もあるわけではないなぁと思い最近考えていたわけだけど、これからの人生で貿易とか船に関する内容に関わればやっぱり他の人よりは「すいすい」理解できるホームになっているというわけだ。ということで、ちょっと不真面目でもあまり好きになれなくても、目の前のことをある程度時間をかけてやっていると、水玉模様みたいに自分の「ホーム」分野がちょっとずつ増えその「関連分野」もちょっとずつ増えるのでこの世界で「初めて出会ってもイメージしやすい」分野がちょっとずつ増えていくんだな~、と思った。だから、「これじゃない」「あれじゃない」と言う前になんでもちょこっとやってみるもんなのかなぁ、と。それの関連とかまわりの分野で、おもしろいことに出会うかもしれないしその時には土台もできていて入りやすいかも知れないしな~。
2010年04月26日
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今日は、映画「恋するベーカリー」を映画館で見てその後、手紙も書いた。とてもいい過ごし方だったと思う。先日本屋で立ち読みした本で思ったことだが休日特別なことをしなくてもいい。特技まだなくても、特別な人生じゃなくても。もちろん特別な人生を望んでいるが、いつも晴れじゃなくてもいい。曇りでも、悩んでも。つまんないことで。こういうことを日記帳に書いていたら、またブログに書くのもいいかなと。こんどはかっこつけなくてもいい。なんにもなくてもいい。これが私だ。悩んでいても、全部。つまんない私を楽しむことから、日常は生まれる。地に足が着くかな。わからない。これからもずっと悩むだろう。絵を描いたりピアノを弾いたり、料理したりお菓子作ったりそのどれもが一流でもなく一生かけられるものでもないがそのどれかひとつだけでもない、そんなかけらかけらで私ができている。どれかひとつで秀でなきゃなんて特別な何かのある人生にしなきゃなんて私という平凡な人間は毎日ここにいて生活してた。でも全然見てなかった。どこかにいるはずのもう一人の特別な私を探していたんだな~。これからは毎日ここにいて普通に生活してる私という一人の人間を見ることができるかな。そしてそのうち楽しめるようになるのかな。人生の発見って劇的ではなく静かなものなのかも知れない。無理に自分を好きになろうとすることさえしなくてもよくてただよく見てたらそのうち好きになるのかも。今はまだどっちもでなくてもいい。
2010年02月20日
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