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いたずらの影響は未だ続いています。いたずらの主は架空の会社名を使ってネットショッピングの出店まで狙っていたようです。ひとつひとつ丁寧に事情を説明してお断りしていますので、もう少しで落ち着くものと思っています。このいたずら騒ぎの最中、携帯のCメールに頼んだ覚えのない商品の問い合わせが入っていました。送信者はわかっていましたが、(私、自分で頼んでおいて、忘れてしまってたとしたら これこそ若年性痴呆症を真剣に考えなくてはならない・・・)ちょっとためらいながら「誰かと間違えておられませんか?」と返信を打ってみた。すると、今度は実際に電話がかかってきて「703さん、この前、ご注文いただいたときに・・・」「私が、注文したんですか???」「ええ、幼稚園に必要だということで・・・」「幼稚園?F幼稚園ですか?」「え?703さん、え?あ、703さんと間違えてました」どうやら、703さん違いだったようです。ちょっと一安心。連休最終日、昨日の夕方、とつぜん患者さんのご家族の方が海釣りに行ってきましたと言って見たこともないお魚を届けてくださいました。魚を裁くなんてことは、普段全くしませんので出刃包丁すら家にありません。ご丁寧にお礼を申し上げたものの、そのあとは、食卓のメニューも変更で魚と格闘でした。手にひれのとげとげは刺さるし骨は堅いし、内臓は気持ち悪いし・・・でもなんとか頑張って食することができました。ほんとうに目いっぱいの予想外の連休でした。
May 7, 2013
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今日もまだ電話がかかってくる。それに加えてDMもメール便で続々と・・・もしかしたら着払いで何かを送りつけられるかもしれない・・・。普段、家の留守番をすることの多い母に、むやみに荷物を受け取らないでと、注意を促してはみたものの、着払いでないものは拒否できないな・・・。厄介なことに巻き込まれてしまった。
May 5, 2013
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昨日の夕刻より、大変な迷惑を被っている。セキュリティ会社、中古車屋、バイク屋、葬儀屋、水販売会社、結婚相談所・・・すでに20社を超える会社から電話がかかっている。よくよく聞いてみると我が家の電話番号と住所と夫の名前を語る誰かがwebサイトの資料請求に登録をしたらしく、相手はそれに応える形で電話をしてきているのだ。この悪意に、誰かに恨まれているのかもしれないとその気持ち悪さに、ぞっとしてきた。が、かかってくる電話の内容をいちいち確認していくといくつかのことがわかってきた。住所と電話番号は間違いない。しかし、夫の名前の呼び名が違う。夫の年齢が違う。夫の所有してい車の車種が違う。登録されているアドレスが違う。ということは、このいたずらを行っている誰かは、うちの夫が誰であるかを特定しているのではなく何かの名簿か、DM資料で夫の名前を見つけてこんなことをしているのではないだろうか。一応警察にも連絡したが、一軒一軒かかってくる電話に応対するしかないとのこと。確かに、相手に事情を説明すると、「それは申し訳ないことです。 すぐに登録内容を抹消しておきます」と丁寧に答えてくれる。でも、電話って、相手が見えない。かかってくる電話番号も、相手の声も、会社も違うけれど、もしかして、全部グルだったらどうしよう・・・とまで訝しく思ってしまう。個人情報の流出は本当に恐ろしい。それにネット社会も恐ろしい。
May 4, 2013
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1月のある日、飴を口の中でころがしていたら口の中で、飴が2つに増えた。まさか!と、思ったら、左上の奥歯の詰め物がぽろっと外れたのだった。で、新しくできた、近くの歯医者さんで診てもらうことにした。私は、詰め物をもう一度詰めてもらえればそれでいいとしか思っていなかったのだが、診察した歯医者さんが言うには、「下の奥歯も、古い詰め物なので 同じようなことになるのは時間の問題です。 それをやり直してから、かみ合わせを調節したあと 今回の歯の詰め物を直した方がいいと思います。」そう言われれば、「じゃあ、そうしてください」と言わざるを得ない感じだったので、「じゃあ、お願いします」と言ってしまった。次に「歯と歯茎の状態を見せていただきますね」と、言われれば、寝転んで口を開けている私は「ふがふが」としか言えない。また、「歯石をとっておきますね」と言われたときも、同じく、言われるままにされるしかなかった。ところが、歯石をとられた2~3日後、突然、まったく今回の治療の歯とは関係のない歯が痛みだした。すぐに駈け込んで診てもらったら歯の奥の方が炎症を起こしているのだという。「なんで、急にこんなことになったのですか?」と聞けば、「歯茎の方からばい菌が入ったのでしょうね」「え?なんでなんですか?」「それは、わかりません。とにかく膿を抜きましょう」ということで、最初にお願いした歯とは全く関係のない歯の治療まで始まった。その歯の根元の炎症って、歯石掃除に傷をつけたせいではなかったの???と、思ってはみたものの、治してもらわなくては痛くて仕方ないのだから、そんな???も口に出して言えなかった。私、結局、虫歯は一本もないのです。でも、もう5月になるというのに、まだ、歯医者さんから解放されません。コンビニより多い歯医者さん、こんな風に患者を獲得して、放さないようにしているの?と疑心暗鬼になる今日この頃。それに、1回行くたびに3~5千円の治療費・・・う・・・・ん。
May 2, 2013
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少し前のことになりますが、1人暮らしの妹のマンションのノブに量り売りの赤ワインがぶら下がっていたことがあります。妹が言うにはきっと、他の誰かのところに持ってこられたものをマンションの部屋を間違えて、自分の家のドアノブにかけて帰られたのだと思う。自分の知人が持ってきてくれたなら、メモが入っているか、メールか電話で絶対にメッセージがある筈。誕生日でもないし、何かほかのアンバーサリーでもないし、全く身に覚えがない。絶対に、誰かが間違えてドアノブにかけて帰ったのだ。妹は、もしかしたら間違えた誰かが取りに来るかも、としばらくドアノブにかけたままにしておいたといいます。でも、2~3日そのままにしていても、誰も持って行かないので、仕方なく、その赤ワインを部屋の中に取り込み、ずっと置いたままにしておいたらしいですが、飲むわけにもいかないし、処分するのも憚られるので「どうしたらいいと思う? なんか気持ち悪くって・・・」と私に相談してきました。「いいよ、私が引き受けてあげる」そう言って、いじましい私はそのワインを頂いてしまいました。美しい青色の瓶に入った赤ワインです。お店の名前のシールで蓋の上が封印されています。そして、私は、その赤ワインの詮を開けました。そしてワイングラスに注ぎこみ、優雅に頂戴しました。すると、それは初めてのことでした!赤ワインといっても、それは発泡酒だったのです。それが・・・とてもとても美味しくて、思わず妹に電話をして「これ、すごく美味しい! 赤ワインの発泡酒なんて初めてよ! 今度、このお店に行って買ってみるわ!」そして、先日、たまたまそのお店の前を歩いて通ったので、思わず中に入り、「すみません、量り売りの赤ワインの発泡酒を いただきたいのですが・・・」お店の人は、目を丸くして、「赤ワインの発泡酒???」と聞き返されました。「ええ、知人からいただいたのですけれど・・・ 確かにここのラベルが貼ってありました。 とても美味しかったので・・・」すると、少し間をおいて・・、「そのワイン、もしかして、いただかれてから、かなりの時間 放っておかれたのではありませんか? きっと、その間に発酵してしまったのです。 こちらのワインは、量り売りでして、 本来常温保存でもよい赤ワインですが 冷蔵保存をお願いしているのですよ。 きっと常温で長い間放置されていたために 発酵してしまったのだと思います」「え?そうだったんですか?!」なんか、せっかく頂いた赤ワインを私がくださった方の気持ちまで放置して不適切に扱っていたかのように思われた感じがして実は・・・と、「妹」を「知人」に置き換えて事情を説明しておきました。そして、「あんまり、美味しかったので、同じように 放置すれば、もう一度あの赤ワインの発泡酒を飲めると いうことですね? 1本いただきます」と言ってしまいました。お店の人は、なんとも言えぬ顔で、(そりゃそうですね。正しい品質保持をしないと言っているのですから)赤ワインを瓶に詰めてくれました。と、この話を、うちのクリニックのスタッフにしたら「703さん、それはあかん! 赤ワインの発泡酒の話ではない! 何があかんて、マンションのノブにかかっていた 得体のしれない赤ワインを飲むなんて! この世の中、何があってもおかしくない世の中なんだよ!!! もし、そこに毒が入っていたらどうすんの? 格好悪いよ、バカみたいよ! そんないじましいことをしたら絶対あかん!!!」と、ものすごく叱られてしまった。私は、赤ワインの発泡酒の美味しさを見つけたことを告げたかったのに・・・。
April 27, 2013
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朝、愛犬みずなの散歩をしていたら、一つ目のコーナーを曲がったところで、みずなはいつものように、もよおし始めた。後ろ脚をふんばり、お尻を後ろに押し出す。私は排出されるコロコロを受け止めるためナイロン袋をお尻の下にもっていく。(地面に落ちるのを拾うにはいやなので、 いつもこの方法でキャッチする)そこへ「キャー、なあなあ、何してんの~?」と走り来る小学生二人。低学年の男の子と女の子。「なあ、ウ〇コしてんの?」そのあまりに直接的な問いに、一瞬なんと答えたものか迷ったが、素直に、「そうだよ~」と答えた私。二人はみずなの傍らにしゃがんでその様子をじっと見守る。みずなは、そんな興味津々の二人の眼もものとはせず、出し切るまでふんばり続ける。そして、最後のコロコロがで終わった途端、「なあ、どんなn?見せて、見せて!!! なあ、見せて~!」(見せてって、そんなの見せるものではないでしょう)「ダメ、見せない。じゃあね~」と言って、速足でみずな引いて彼らから離れた。ところが!30メートルほど進んだとき、またみずながもよおした。ふんばって用を足そうとしているのをひっぱるわけにはいかない。すると!「わーまた、ウ〇コしてるー!!! 見にいこ~!」と大声で叫びながら彼らが走ってくる。(おいおい、なんでそんな恥ずかしいこと 大声で叫ぶの?)周りの人みんな一斉にこっちを見るのだから、恥ずかしいことこの上ない。でも、子どもだから、そんな恥ずかしいこと大声で言えるのよね。その天真爛漫さは、ちょっと羨ましく可愛らしかったけれど。やっぱり赤面。怒ってはないけど。
April 21, 2013
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福島からみっちゃんが帰省していた。お母さんの具合が悪いので、最近はよく帰ってくる。中学2年のときからの友だち。もう40年の付き合い。40年か・・・一緒に映画に行ったり、買い物に行ったり、交換ノートしたり、勉強したり、お泊りしたり・・・誰かに恋したり、ケンカしたり、一緒に泣いたり笑ったり・・・。かぐや姫の解散のときには「かぐや姫、私たちの青春」と書いたメモをくれたな。お互い、大切な人に出会い、結婚し、子どもを産んだ。みっちゃんは福島に住んでいる。3月11日の震災のあったときは、きっと大丈夫だと思いながらも、何度電話してもメールをしても、全然つながらなかったので心配で心配でしようがなかった。京都に実家があるにもかかわらず、みっちゃんは福島から出なかった。「私は、今、ここで私にできることをする。 ねえ、友だちなら、それでいいって、言って」母さんの具合が悪くなって、昨年の秋、みっちゃんはお葬式の準備をしに帰ってきた。要らないものは捨てて、お母さんの最期のときの着物も選んだってメールが来た。涙がこぼれた。「年賀状出せないかも」と言っていたけれど、年賀状もちゃんと届いたし、お母さん、今日もまだ頑張っておられる。今年の桜の季節も迎えられたし、今度は5月の節句やね。帰ってくると、美味しいものをつつきながら私たちは果てない会話に明け暮れる。友だちっていいな。一緒に旅行することがお互いの老後の楽しみだけど、私の方が家を空けられず、ちっとも行けない。まだまだ先かなあ。ポーランドの塩の宮殿に行く約束なんだ。どれだけ長く一緒にいても話が尽きない私たちにはちょうどいいかもしれないけれど。
April 16, 2013
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今日は少し肌寒かったですが、美しい春の空が広がりました。午後、「ちょっと散歩に行ってくる」と言い残して一人で鴨川を南下し、植物園を散策してきました。半木の道の紅枝垂れは今が盛りでしたが、ソメイヨシノはもうずいぶん散っていました。桜の季節はもう終わりですが、新芽の出始めた木々の美しいこと!ほら、楠並木がこんなにきれい!それに、ほら、メタセコイヤが春の空に向かって背伸びしてる。気持ちよかった~!
April 10, 2013
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今朝、ほぼ1か月ぶりにお弁当を作った。高校3年生になった制服姿のさなぎ、お弁当と水筒を大きなリュックに詰め込んで穏やかな光の中を出て行った。その数分後、私たち夫婦は今日もクリニックに向かって家を出る。新学期の始まる4月の朝は好きだ。道を急ぐ人たちが各々のベクトルを持って期待と不安の中、新年度を進んでいく。いいことばかりはないにしても、思うようにはいかないことの方が多いかもしれないにしても、新しい出会いが待っていのは間違いない。「行ってらっしゃい」「行ってきます」どこの家でも新しい一日に家族を送り出す今日の光景があったことだろう。色々なことがあった子育ての毎日、エイスケが幼稚園児だった頃からほぼ毎朝作ってきたお弁当。20年の歳月を経て、その役目もとうとう今年で終わりかな。日常の宝物がここにもあったことをしみじみ思う。
April 9, 2013
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イースター、おめでとうございます\(^-^)/ 早朝の雨も上がり、桜は満開。命の息吹きを感じます。 帰省していたエイスケが大学のある場所へ戻って行きました。駅まで送った帰り、京都地方裁判所の脇を通ったら垂れ桜が咲き誇っていました。思わず、夫に車を止めてもらい、パチリ。長男の背中を見送った寂しさも忘れました。
March 31, 2013
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齢53にして、私、今年2月よりヴィオラを始めました。う~ん、これがかなり難しい。弦楽器は音程が命。ピアノとは違って、音そのものを作り出さなくてはなりません。ヴィオラの先生は、エイスケのヴァイオリンの先生でもある「さっちゃん」です。一音出す度、さっちゃんから「高い」「低い」「高い」と注意を受けますが、実は、これがよくわからないのです。本当に微妙な音程の違い。私だって半音くらい違えば、当然高いか低いかくらいわかりますが、絶対音感など持ち合わせていない私はこの微妙な音の高低がわからない。一人で練習しているときなど、全くわからない。とうとう、チューナーを買って参りました。今日はチューナーを前においての練習。お~!これは素晴らしい!!!でも、メトロノームのカチカチに合わない自分が「このメトロノーム間違ってるんちゃう?」と機械のせいにするように、「このチューナーほんまに合ってるんやんな? さっきと同じ場所に指おいているのに、 なんで違うんや?」と機械に文句言ってます。いつかチューナーなしでもわかるようになるのかな?う~ん、この歳ではなかなか無理なことも多そうです。でも、50の手習い、頑張りまする。
March 29, 2013
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昨年の6月に生まれた女の子が3月23日、祈りの甲斐なく、天に召されました。出生前から肺動脈が詰まっていることが確認され、ずっと入院中でした。若いお父さんとお母さんはICUで滅菌服を着てしか抱っこができません。お母さんは毎日母乳を病室に届けました。生きるために3度の手術にも耐えました。染色体の異常も見つかり、お父さんとお母さんは初めて授かった我が子の運命にどれほどつらい思いをされたでしょう。昨年の秋、女の子の頑張っている写真とともにお母さんからお手紙が届きました。「小さな体で一生懸命がんばってくれている姿に 私たちも勇気づけられています。 一日も早く、元気な姿でお会いできる日を 楽しみにしています」そう書いてありました。私は、そのお手紙をファイルに入れて毎日持ち歩いていました。なんのために生まれてきたのだろうなんて思わないでください。辛い中でも、きっと彼女は微笑んだはず。お父さんとお母さんに、笑顔を遺してくれたはず。お二人のもとに生まれてきてよかったと愛してもらえてよかったと思ってくれているはず。どうか、神様、小さな女の子の清らかな魂をあなたの腕に抱いてください。女の子のお父さんとお母さんの上にあなたの慰めと慈しみが限りなくありますように。この哀しみを乗り越え、お二人の絆がより強く結ばれますように。
March 26, 2013
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復活前主日の今日、お二人の方の洗礼式と堅信式がありました。洗礼式も堅信式もそう滅多にあることではありません。でも、こうして立ち会うことができた日はかつての自分を思い出し、もう一度心洗われる新たな気持ちになります。聖歌隊の一員として、祭壇の上で司式の進行を目の前にしていますと按手を受けられている方のお顔、その背後で見守る教父母のお顔、そして主教と司祭とサーバーの後ろ姿に緊張と喜びと決心が溢れているのを見て取れます。「今まで主は待たれた~ 今も、主はあなたが 心の戸を開くのを待っておられる~♪」聖歌隊の歌もきっと人々の心に響いたと思います。聖週に入った今日、祭壇は真っ赤でした。主教の衣装も司祭の礼服も真っ赤でした。自分のなすべきことを考えながらこの1週間を過ごしたいと思います。
March 24, 2013
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今日の午前の診療をもって、今年のクリニックのお仕事は終わりました。終わり間際に「今から、奥さんが喜んでくださった黒豆をお届けするから、 もう少しだけ、閉めないで待っていてください」そう言って、Mさんからお電話があった。Mさん、つい2週間前まで入院されていた。少し前にいただいた黒豆がとても美味しくて、「食べだしたらやめられなくて1袋なくなるまで食べてしまった」と、お見舞いのついでにお話ししたら、今日、年末年始を過ごすため息子さんの家に行くついでにそれを持ってきてくださった。「元気そう!」黒豆より何より、Mさんのその姿が嬉しくて二人で抱き合った。おしっこをためる袋を入れるカバン、とても可愛らしいかばん、「嫁が作ってくれたんや」「全然(おしっこの袋が入っているとは)思えないね。 うまく作ってくださってよかったね。」生きている喜び。生きて人と交われる喜び。笑いあえる喜び。受け入れられる喜び。きらりと光る涙に生きていることが輝く。今年、クリニックの患者さんで見送った方は10人。そのおひとりおひとりの笑顔、涙、仕種、温もり、思い浮かべながら、出会えたことに心から感謝。Mさん、息子さんのところで楽しい時間を過ごしてね。来年、また待ってるね!2012年が終わります。すべての出会いと交わりにありがとう。
December 28, 2012
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16日の月曜日・・・その日も朝から忙しくて、私は、分刻みで動いていました。夜はまた、8時から中学生が勉強に来ることになっていたので、夫をクリニックに迎えに行く(7時)前にある程度の夕食の支度をしておかないとと台所に立っていました。これはいつものことなのですが・・・。その日の夕食のメニューは鶏の唐揚げ。ですから、下味をつけて、帰ったら揚げられるまでの準備をしていました。それからついでに茄子をさっと揚げて煮びたしにしようと、唐揚げのために用意した油で、先に揚げておくことにしました。揚げた茄子を油切りして時計を見たら7時5分前になっていたので、ああ、行かなくちゃ!と急いで火を切って・・・そう、私は、火を切ったつもりでいたのです。出かけました。夫を迎えに、車で10分ほどのクリニックまで。クリニックに着くと、たまたま最後の診療も長引かず終わっていたので、(日によっては、患者さんがまだいらっしゃることもあり、そうなると、受付スタッフに代わって私が接遇をします。)でも、その日は何もなかったので、最後の仕舞いをして、お疲れ様とスタッフを見送って夫とともにまた車で10分の道のりを戻ってきました。つまり、全部で30分強の時間を空けて、家に戻ったわけです。そして・・・玄関の扉を開けた途端、私は真っ青になりました。煙で何も見えない!え?!うそ!!!油の火???消したはずなのに!慌てて台所に行ってみるとフライパンから煙がもくもくもくもく上がっているです!火を消しても煙は止まりません。とにかく蓋をして煙の放出を止めました。家じゅうの窓を開けて、うちわであおぎました。でも!充満した煙は容易に外に出ていきません。目は痛くて、涙がぽろぽろ。臭いし、熱いし、息もできない。そこへ車を止めた夫が入ってきて、「なんや、これは!」(怒)当然です。なんと言われようと、火事が起きなかっただけ感謝、感謝、感謝です。神様、亡くなった父、ご先祖様、すべての護りに感謝でした。2階には母とさなぎもいましたが、二人とも「くさいなあ」と思いながら、外から侵入してきた臭いだともっていたそうで、二人が焼け死ななくて、ほんとうによかった。忙しいときほど、大事なチェックは怠らないようにしないと。教訓でした。
June 23, 2012
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昨日、開院のときから置かれている観葉植物の葉にアリがはっているのをスタッフが見つけた。よく見れば、1匹どころか、2匹、3匹、5匹、6匹・・・あれあれ、床にも2匹、3匹、4匹・・・これは大変!と殺虫剤をまき、観葉植物を自動ドアの外に置いて、アリの巣ころりを設置して、一件落着!と・・・先生には内緒にして(うるさいから)おいた。今朝、クリニックのドアを開けたら!「アリがほうてる!」いっぺんに先生にばれてしまった。「ここにも!」「うわあ、あそこにも!」大騒ぎとなった。ティッシュ片手にアリをつぶしながら歩いていくと、黒い道ができているのに気づく。ところどころロータリーのように黒い渦がある。ウイルソンの「アリの行列」だ。小学3年生の教科書だったっけ?え?!うそ!アリは自動ドアの外から待合室を通って、引き戸を抜けて、廊下をつたって検査室に入り、次の扉を抜けてスタッフルームに入り、そこに置いてある食卓テーブルに這い上がってテーブルの上においてある籠の中のチョコレートの包みの中に至っていた!ものすごい距離である。患者さんでも、初めて来た人は「ここは迷路や」とおっしゃるのに、なぜ、アリにはいともたやすく進めるのか!朝からアリ退治でわがクリニックのスタッフはくたくたになっただもし。
June 22, 2012
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遠い過去に通ってきた道に私の今を実現する確かな出会いがあった。今日、電車に揺られながら、かつて通った高校のグランド、体育館、生徒会館を見た。あのグランドを走ったことがある。あの建物の2階で文化祭の企画を練ったことがある。青い空の下、私は未来を見ていた。恋もした。けんかもした。友達を羨んだこともあった。あの時の友達は30年以上たった今も友達。あの時、新任だった先生は、先日夫の患者さんとして私の前に現れた。「先生、あんなに楽しかった高校時代はなかったよ」「ほんまになあ。俺も髪ふさふさで若かったしなあ」と、先生は、昔と変わらぬ笑顔で、薄くなった頭も掻いていた。今日、電車に乗って向かった先は、母校(大学)のオーケストラの定期演奏会の会場。昨日の朝まで、まさか今日そこに行っている予定はなかったのだけれど、後輩で、今、さなぎと同じ高校の保護者であるMさんからお誘いを受けたのだ。その舞台には、彼女のご子息がいて、別の友人のご子息がいて、また別の友人のご子息の友人もいて、当時顧問だった先生のお孫さんがいた。そう、私たちの学生時代のあの日々が、今や私たちの二世の時代になっている。そんな後輩たちの演奏会に出向いたのは何年ぶりのことだろう・・・。今日のメインプログラム。私が卒業前の最後の定期演奏会で吹いた曲、ブラームスの交響曲4番。私は下手なフルート吹きだった。でも、力不足の私は、あの曲のトップを吹いた。あの曲の4楽章の長い長いソロを吹いた。全然うまくできなくて、何度も何度もみんなの前で叱られて練習をあとにした帰り道、何度も泣いた。私を攻撃する指揮者を何度も呪った。そんなに私が嫌いなら別の人をトップに据えたらいいじゃない!でも、その下手なフルート吹きが、本番では120%の力を出し切った。鳴り響く拍手の中、私は晴れやかだった。再び現れた指揮者は、この下手なフルート吹きのところにやってきた。花束を携えて。今日、後輩たちのブラームスの4番を聴きながら、当時のことを思い出した。あの時の私が見えた。2楽章からは涙がこみあげてきた。私は知っている。あのときのブラームスの4番が、その後の私の人生を後押ししてきてくれたことを私は知っている。今日、鳴り響く拍手の中、となりに座る二人の後輩が「先輩のソロを思い出しました! あの時の息遣い、あの時の音が よみがえってきました! 私、あのときの音を覚えています!」私が歩いてきた道、どの場所でも私は輝いていた。いつだって一生懸命だった。苦しんだこともあったけれど、マラソンランナーにも似て、この上ない爽やかな幸福感も味わってきた。これからも、私は歩いていく。過去の私の後押しをエネルギーにして。
June 2, 2012
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さなぎが海の向こうから帰ってきました。およそ10日ぶりに見るさなぎの顔。「お帰り」「うん・・・」「楽しかった?」「まあ」そんな相変わらずの短い会話で自宅に戻ってきた・・・さなぎ。「はい」とチョコの箱とキャラメルの箱をカウンターの上に置く。「まあ。お土産?」「うん、家に」「ありがとう」ところがしばらくすると、スーツケースの中からたくさんのお土産が出てきた。「これは、ばあばの、これはチャコちゃんの、これはお兄ちゃんの・・・」そして、他にも友達や自分のために色々なものが飛び出してきた。いつ、「これは、お母さんに」と言ってくれるのかと期待していたのに・・・お父さんにも、お母さんにも個々にあてたお土産はなかった。「家に」と言って置いたチョコとキャラメルが夫と私へのお土産のつもりだったのだろう。でも・・・ばあばにあてたマグカップや、チャコちゃんにあてた置物やお友達にあてたTシャツや人形や蛇のぬいぐるみを見ていると、こんなに彼のために用意や準備を手伝って送り迎えをして心配して無事を喜んだ私にあてては何もないのかと笑顔の内側で涙がハラハラ流れた。お土産は要らないよ、それより楽しんでおいでと言った私の言葉通りなのだからそれで、本当はいいのだけれど、やっぱりさびしいな。妹は「お姉ちゃんがチョコ好きだからよ」と慰めてくれたけれど、チョコは旅行社に別便で頼んでいたから彼から手渡されなくてもあったんだ・・・。ちょっと愚痴ってみました。
March 18, 2012
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直接知っている人ではないけれど、一人、また一人と乳がんになったという話を聞かされる。「検診受けてなかったの?」そう尋ねると、「多分ね・・・」病院のポスターに「検診の第一歩は、とにかくあなたに来てもらうこと」というようなことが書いてあったけれど、その第一歩を踏めないのは医療関係者なんだ・・・ということがわかった。自分は大丈夫だと思っているのか、その怖さがわかっているからなのか・・・。検診を受けていれば早期発見だったのではないの?そんな話が舞い込むようになったのもそんな年齢になったからなのね・・・。気持ちが重たいです。
March 16, 2012
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3年前、ソロプチミストのバザーでロミエルの靴を買った。それを履いて出かけた日、路上の溝蓋に躓いて前のめりにこけた。見ると、靴のつま先の皮が裂けてめくれていた。膝の怪我より、靴の破損がショックだった。昨年のソロプチミストのバザーで再びロミエルの靴が売られているのを見て修理を頼めるかと聞いてみた。すると、高島屋へ持っていけば、修理に回してくれると教えてくれた。それで、昨年末、高島屋へ靴を持って出かけ、修理を依頼した。メーカーに送り、見積金額を追って知らせるということだったので、それで結構と靴を置いて帰った。それから3か月・・・私もすっかり忘れていたのだ。そういえば、何の連絡もない。慌てて、預かり証の控えをあちこち探した。どこに片づけたのやら・・・?やっと見つけ出して高島屋へ電話。結局、私の靴はメーカーに送られたものの、工場で放ったらかしになっていたらしいのだ。ひたすら謝罪の店員さん。それで今日、高島屋の店員さんとその上司の方が新しい靴とお菓子を持って詫びにこられた。なんと!修理が必要だった靴の修理代が発生しないばかりか靴はまっさらのものに変わり、その上、ヨックモックのお菓子までいただいてしまった。「私もうっかり忘れていたのですから、 ここまでしていただいたら申し訳ないのですが・・・」と申し上げたのだが、「これはこちらの責任で・・・」と何度も二人は頭を下げられるのでありがたくいただくことにした。なんか、放ったらかしで得をするなんてそんなのあっていいのかなあ~。
March 12, 2012
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3月3日に、ご葬儀に参列しました。89年のご生涯でした。お亡くなりになる寸前までお元気で、誰にも別れを告げず、ご本人にとってもあまりに突然にやってきた死でした。聖歌を歌ううち涙が頬を伝いました。遺影の笑顔がとてもすてきでした。今日もご葬儀に参列しました。クリニックの患者さんでした。3日にご逝去されたそうです。81年のご生涯でした。年末に倒れられ、66日間頑張られましたがとうとう力尽きてしまわれました。ご主人が「分かっていても別れが辛く 涙がとまりません」とご挨拶されました。お優しい笑顔が偲ばれて、涙が頬を伝いました。帰りのバスで、支援学校の子供たちと一緒になりました。一人は車いすでした。ほどなく止まった停留所で降りることになっていたようで、運転手さんが運転席から回って、車いすをおろすための台を据え付けられました。そして「ちょっと斜めになっているから・・」と言いながら車いすを介助して歩道に降ろし、「じゃあ、気を付けてな」と後ろ姿に声をかけられました。車いすの青年は負担をかけていることに少し申し訳なさそうな顔をしていたけれど、あの運転手さんの、その労を厭わぬ声掛けに青年だけでなく、乗客も温かい優しい気持ちになりました。再び発進すると、隣に腰かけていたおばあさんが「あの木は花芽をつけていますか?」と私に尋ねられました。バスの窓から指される方を見ますと、家と家との境界の隙間に伸びている木があって確かに芽をつけていました。「よく、見つけられましたねえ。 本当に、あんな狭いところで芽をつけていますね」その後、しばらく、そのおばあさんとお話をしました。「ところで、今おいくつですか?」「92歳です」「え?!」結婚して1か月でご主人は戦地へ。そのまま帰らぬ人となり、顔さえ覚えていないそうです。「長い、人生、いろいろありました。 悲しいことも、嬉しいことも・・・」今日の日を書き留めておきたくなりました。
March 5, 2012
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今年に入ってクリニックの患者さんが3人お亡くなりになりました。1月 4日 M先生1月 8日 T会長1月 17日 Fさんどの方も、当科の病気が死因ではありませんでしたが、1か月前まではそのような死が間近に押し寄せているなんて思いもよりませんでした。そして今日、またクリニックの患者さんが心筋梗塞で大変シリアスな状態にあることを知らされました。年末お目にかかったときのお元気なお姿が目に焼き付いていて、俄かに信じられません。クリニックでお目にかかる患者さんの多くはご高齢で、もちろん病を抱えておられます。でも、いつも元気に通ってきてくださるので、私は、こういう状態がずっとずっと続くのだと勘違いしていました。病を抱えながらも、クリニックに通ってきてくださる限り、この方たちは健康を維持していかれるのだと思い込んでいました。たとえ難しい、完治の期待できない病気であっても・・・。でも、いつか必ず終わりがやってくる。今日「お大事に」とその方の後ろ姿に声をかけたら、その方は次に来られないかもしれないなんてことを、そんな当たり前のことを、私は全く考えていませんでした。M先生の 素直でない、強がりな態度。 なのに時々見せるはにかんだ笑い。T会長の 謙虚で品のよいお姿。 お優しくて真面目なご性格。Fさんの 孤独で寂しそうな横顔。 お花をお持ちしたときの驚きの目。そしてHさんの 優しくて朗らかで温かい笑顔。 ご快復をお祈りしています。 もう一度お元気になって帰ってきてください。 皆さんと、 もう一度、お目にかかりたいです。 もう一度、お話したいです。 もう一度、「お大事に、お気をつけてお帰りください」と その後ろ姿をお見送りしたいです。 今日という日が二度とこなくて、 どんなに大事な日であるのかということを 今更に感じでいます。
January 26, 2012
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エイスケが先週、指導講師に同行して秋田の学会に行ってきました。今は学生のときから学会に参加できるのですね。知りませんでした。初めての秋田。京都に一旦帰って、そこから秋田に向かいました。新幹線で6時間強かかる遠さです。飛行機はいやだというので、この方法になりましたが、遠いですね。昼過ぎでしたか、「今、どこ?」とメールで尋ねましたら「なんか、白いところ」と返ってきました。次に来たエイスケからの連絡は「寒い、寒い、寒い。滑る、こける、こけた」でした。大学の先生や先輩先生の中に混ぜていただいて、勉強させていただいたようです。きりたんぽをご馳走になって、初めての味に舌鼓を打ったようです。目上の人にかわいがっていただいて、親として本当に嬉しく思います。勉強に、合気道に、室内楽に毎日息つく暇もないほど動き回って、今しかない時間を有意義に過ごしているのを昔の自分を思い出して羨望の眼差しです。エイスケ奮闘中。輝いています。
January 25, 2012
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あとに続けと思っていましたが・・・Mちゃんの願いは神様の思いとは違ったようです。Mちゃんはよく頑張ったし、合格はすぐ眼の前にあったと思います。でも、残念でした。悔しいです。MちゃんもMちゃんママも辛く悲しい試練ですが、これには何か意味があるはずです。エイスケやサナギがそのいい例です。彼らは二人とも受験では大きな失敗を重ねています。でも、今エイスケは医者のたまごとなりつつあり、サナギも難関といわれた進学校で貴重な体験をさせてもらっています。早く吹っ切って前を向いて次の一歩を踏みしめてほしいです。今の失敗は大きな糧です。神様のご計画は私たちにはわからないもの・・・。でも、Mちゃんの未来は神様がきっとよきように用意してくださっています。私のかわいい大好きなMちゃん。3年後、楽しみにしています。
January 19, 2012
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ずっと調子の悪かったパソコンがとうとう年末に壊れていまい、にっちもさっちもいかず、なんとかハードディスクだけは救出したものの新しく買ったパソコンのヴァージョンが7になっているものだから何をするにしてもトラブル発生。極めつけはセキュリテイ。漸くヘルプマンを依頼し、ネットにも繋げるようになりました。ですから、長らくお休みせざるをえなかったブログ、再再開します。さて今日は!とてもいいことがありました。小学1年生のときからお預かりしていたあやちゃんが希望していた私立中学に合格しました。私はあやちゃんを一度破門にしました。何度言っても宿題はやってこない。言われたことをしない。テキストは忘れる。それなのに受験はすると言う。「このような状態で あやちゃんを合格させる自信は私にない!」破門を言い渡した日は、全く存在を無視し、一度も声をかけませんでした。必死でその仕打ちに耐えているのがわかりました。5月、6月の2か月間あやちゃんは私のもとから離れました。いつ自分から「戻りたい」と言い出すかと待ちました。でも、あやちゃんは、自分が悪かったのだから破門は当然とあっさり飲み込んでしまったのです。仕方ありません。私は手紙を書きました。元気にしているか?もう中学受験は諦めたのか?もしまだ諦めていないなら戻ってくつもりはあるのか?戻ってくるなら今度こそ目標に向かって努力をするのか?あやちゃんから返事が来ました。周囲の期待と自分の願望。受かったらどんなにいいいだろう。もう一度戻りたい。戻ってもいいですか?2か月もお休みしたのですから、その分の追い込みは大変でした。同時に大手の夏期講習、日曜特訓、冬期講習、正月特訓には行ってもらうことで、私はできていないところを時間をかけてフォローしていきました。夏以降、やっとあやちゃんは受験生の顔を持ち始めました。そして、今日、「先生、受かりました」とあやちゃんから電話がありました。涙がぽろぽろ出てきました。あやちゃんのママは「先生のおかげ」と言ってくれるけれど、私のしたことなんて大したことではありません。でも、一緒になってこんなに合格を喜べる幸せはあやちゃんの傍で叱咤激励してきたからこそ。「ありがとうございました」の声に、こちらこそ「ありがとう。ほんとうにおめでとう!」明日、もう一人の教え子の発表があります。どうか、受かっていますように。
January 17, 2012
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昨夜、私は宣言して床に入った。久しぶりに何もない日曜日の朝を迎えるはずだったから。「明日は目が覚めるまで寝させてもらいます!」ところが!今朝の5時!電話の音が鳴り響いた!「何事?」「まさか、お母さんに何かあった?」「夫の両親に何かあった?」「もしかして、エイスケに?」慌てて電話に出たら、「そちらにお世話になっていますYですが、 4時半頃から下腹部が痛くて、 血尿が出て・・・」さすがにその時間には、診られないので大きな病院に行くようにお願いして電話を切ったのだが・・・5時に起こされて・・・すぐにまた寝られますか???寝られません・・・。それでも、私は寝るんだ!と布団の中で6時半くらいまでじっとしているとやっとまた眠りにつけた。ところが!信じられません!マンションの勧誘の電話が!朝の8時前にかかってきたのです!!!!!「先生の奥様ですか?大阪の中心地に・・・」ガチャン。どうしてこうなるのでしょう・・・?今日こそ満足のいく睡眠をとれるはずだったのに(泪)
November 20, 2011
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クリニックに来られる患者さんやそのご家族との出会いは私にとってとても貴重なことです。クリニックの役目は患者さんの病と向き合うこと。ただそれだけのことなのかもしれません。が、医師でも看護師でもない私は、患者さんやそのご家族との心の触れあいをとても大切にしています。待合室では色々な話をします。天気の話、趣味の話、昔の話、お仕事の話、ご家族の話、病気の話・・・母の入院している病院にうちの患者さんが今、三人入院されています。とても辛い立場の方もおられます。母の見舞いのついでに、小さな花束を持ってそれぞれの病室を覗いてみました。一人は涙をいっぱい溜めて「ありがとう」と言ってくださいました。一人はびっくりした顔をして「ありがとう」と言ってくださいました。一人は優しい笑顔で「ありがとう」と言ってくださいました。またお見舞いに顔を出すつもりです。きっとみなさん、頑張ってくださることと思います。また、きっとうちのクリニックの待合室でお会いしましょう。また、いろんなお話聞かせてください。
November 19, 2011
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ある患者さんが「これから、病院に絵を描きに行きますねん」と話されました。「絵?」「ええ。 私ねえ、ちょっとここが(頭を指して) おかしなってきたのと違うかなあと思ってね 自分から心療内科に行ってみたんです。 ほな、先生から褒められましたわ。 なかなか自分から来る人はいないって(笑) で、やっぱり軽い認知症だということで、 今薬もらってるんですけど、 今度は、先生に 絵を描いてみないかって勧められたんですわ。 私、絵心なんか全然ないし、渋ってたんやけど、 ちょっと行ってみようかと思って行ってみたら、 これがものすごく楽しいのですわ。 臨床美術士という先生がいたはるんです。 私の下手な絵を見て褒めちぎらはんのです。 何よりね、その先生は言葉やなくて 握手で私を迎えてくれはるのです。 これが、ほんまにええんです。 手の温もりってねえ、ほんまにええもんなんです。 たくさんの人が通ってはります。 ご夫婦で来てはる方もありますし、 息子さんや娘さんと一緒に来てはる方もありますし、 ときどきはお孫さんと来てはる方もあります。 私は、連れ合いをなくしてますし、一人ですけど、 そこにいたら、一人という寂しさは全然ありません。 和やかないい空気が流れてますねん。 下手な絵なんですえ。 でも、ほんまに楽しくて毎月通ってますねん。」 私、この臨床美術士という先生のことを全然知りませんでした。 臨床美術(クリニカルアート)とは、 アートを通して脳の活性化を促す独自のカリキュラムに従って、 絵画などの創作活動を通して、脳の活性化や心の回復を図り、 認知症の症状の予防や治療を行なう仕事 なのだそうです。 でも、これを大病院が取り入れているということは 画期的なことですね! 生きていたら私の父と同い年の そのおじいさんの話を ほのぼのした気分で聞き入った私です。
November 13, 2011
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あちこちで111111が話題になっていましたね。今日は。お勉強にやってきた中学生は「今夜帰ったら11時11分に友だちみんなと 一斉にメール交換するねん」と言っていましたが、同じことを考える人たちのメールの一斉送受信で2011年11月11日11時11分のオンラインは大変な混雑になったのではないのでしょうか?さて、今日母を見舞ったら麻酔の管も導尿の管も心電図の線も全部が取り払われ「とっても元気!」とニコニコ顔で迎えてくれました。2011年11月11日はいつの日か、母の笑顔を思い出す日となるでしょう。
November 11, 2011
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御池東洞院の島薹(しまだい)というところで開かれている「如山会能面展」に行って来ました。能に精通しているわけでもなく、能面というものにこれまで興味を持ったこともなかった私ですが、知人の招待で午後雨の中を出かけて来ました。お教室に通われている方たちの年に一度の発表会だということで、そんなに規模の大きなものではないだろうと思っていたら、とんでもない!会場の部屋にずらりと飾られた能面には圧倒されました。般若や翁、小面くらいしか能の面など知らない私は、手渡された説明書をひとつひとつ読みながらの鑑賞。ふと立ち止まって室内を見渡せば、四方から能面たちの視線を感じます。どの顔も皆、人の内面の顔なのですね。笑い、艶、苦しみ、悲しみ、怒り、怨み、狂、若、老い、男、女…大変興味深かったです。能の観賞にも一度出向きたいと思いました。この地に住みながら、伝統文化のほとんどを知らない私は本当に未熟で、勿体無いことをしていると思います。以上携帯から送信します。
November 6, 2011
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朝、母の病室を見舞ったら、昨日よりも顔色もよくなって、声もしっかり出ていました。母を見舞ったあと映画を見に行ってきました。三谷幸喜の作品「素敵な金縛り」です。確かに面白くはありましたが、面白さに奥深さがなく、ちょっと期待はずれでした。前作のマジックアワーの方がよかったですね。役者さんの存在感に助けられているところも多く、何度も笑いはしましたが、「幽霊」相手ですからね・・・「ありえない」ということが前提になっています。そこがお腹を抱えてまで笑えなかったところかも。映画を見た帰り、再び母の病室を見舞ったら、朝よりも元気になっていました。人の身体の回復力ってすごいですね!
November 3, 2011
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母の手術が終わりました。9時10分に手術室へ。部屋を出る母に「じゃあ、行ってらっしゃい」と明るく声をかけたら、看護師さんが「入り口まで一緒に行けますよ~」「何の入り口ですか?」「手術室の入り口です」なるほど・・・といういわけで、一緒にエレベーターに乗って4階まで行ったら、エレベーターのドアが開いた途端、「では、ここで」と看護師さん。「え?」一緒に窮屈にエレベーターにほんのわずか乗っただけでした。帰りは階段を使いました。麻酔がうまくかからなかったようで手術開始が大幅に遅れ、病室に帰ってきた時間も聞いていた予定時刻よりも1時間半遅れていました。手術は無事終わったようですが、母はずっと「痛い、痛い」と言っています。膝の手術をした色々な人を知っていますが、皆「全然痛くなかった」とおっしゃるし、医師からも「痛みは全然ないですから、安心してください」と聞いていたのに・・・母が痛みに敏感すぎるのか・・・もしかして麻酔医が下手だったのか・・・何にせよ、今夜を越えたら痛みは随分楽になるらしいですから、明日の朝はちょっと元気になっているかもしれません。たくさんの方が心配してくださいました。この場を借りてありがとう。
November 2, 2011
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母が、膝の人工関節術をうけるため本日、入院しました。明後日の2日が手術で4週間~6週間の入院が必要ということです。不安と緊張でちょっと母の顔はこわばっていましたが、歩く痛さから解放されたら、またいろんなところへ出かけて行ける!やっぱりそれに勝る幸せはないでしょう。私はその間、いつもに増して多忙に見舞われることになりますが、得意の手抜きでなんとか乗り切ります。それに、今日は、私ども夫婦の24回目の結婚記念日です。来年は銀婚式?!よくもまあ、こんなに長い間付き合ってこられました。知人の離婚話を聞くにつけ、「私は、よう我慢してるな~」と思います。そして、夫にもそう言っております。「わたしでなかったら、とっくに離婚されてるよ!」ハロウィンのジャックがニヤッと笑っています。ところで、今日はそのハロウィン、そう10月31日です!スタッフの勤務表を集めて、給与計算をしなければならない日でした。税理士さんにそのデータを送らなければ、約束の日に給与が振り込めません!ところが、うっかり忘れて帰ってきてしまったのです!その勤務表を・・・。仕方なく、ついさっきクリニックまで取りに行ってきました。車を停めて、鍵を開けて、靴を脱いで・・・そこは真っ暗なクリニック。電気を点けて、するべき仕事して、ああ、そうだ!ついでにハロウィンの置物も片付けておこう・・・と、待合室に行ったら 声も出なかったです。カサカサカサ カサカサカサ黒く光るかなり大きなヤツが走ったのです!とにかくなんとかしなくては!なんとかしなくてはなりません!そのまま放置したらもっと恐ろしい思いをしなくてはなりません!ああ、あった!スリッパ!追いかけるも、もちろんヤツも必死です。パチン!バシン!パチン!バシン!かすかにひっかかり足がもげました。そして最後は大きな紙ですくいとってトイレに流しました。私も不運だと思いましたが、ヤツもまったく不運だったと思います。私が勤務表を取りに、こんな時間に行かなければヤツは私と遭遇することはなかった。運命とはこういうものなのですね。
October 31, 2011
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クリニック開院から1年が過ぎました。ブログに書くことで何かを特定されてしまうことになりはしないかと書くことから少し遠ざかっていましたが、日々起きたことや感じたことを書き留めずに終わってしまうことはやはり勿体ない・・・こんなに意義深い日々を送っているのに・・・!少し用心しながらになりますが、またこの場でブログを再開します。エイスケは大学3年生になり、室内楽と合気道と勉強に寸暇を惜しんで励んでいます。帰省してもほんの少ししか家にいません。さなぎは中学入試の雪辱を果たし、無事第一志望の高校に合格ししました。最近になってほんのちょっと良い変化が見られます。将来に向けての目標や希望も見えてきたように思います。私は相変わらず朝から晩まで、日曜日から土曜日までずっと動きっぱなしです。先日ある人から「もしかして、止まったら死ぬ人ですか?」と聞かれ、周囲も自分も爆笑してしまいました。そうなのかもしれないです。自ら望んでいることではありませんが、それが私の宿命なのでしょう。そうそう、夫を誘ってタップダンスを始めました。これは画期的なことです!では、また明日。
October 30, 2011
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福島の親友からメールが届く。原発の心配も重なってであろう、お姉さんからひっきりなしに「京都へ帰って来い」とメールが届くそうである。親友は福島市内で旅館業を営んでいる。それで、無料でお風呂を開放し、被災者にご飯と部屋を提供しているそうだ。「お金送ろうか?」「何かできることはないか?」そう尋ねる私に、返ってきた言葉は、「お金はあるから大丈夫。 でも、なあ、一言、言って! そこで頑張れって、一言言って! そこにいていいのだと、私に言って! 私には将来の病より、 今ここにある命の方が大切やねん!」。泣きそうになった。お姉さんの気持ちも痛いほどわかるけれど、私が彼女でも同じことを言っただろうと思う。「そこにいていいよ。 あなたたちだからこそできることをしてあげて。 いつだって、私はあなたの味方。 祈っているから。」とメールを打った。すぐに、「頼むで!」と返ってきた。
March 15, 2011
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未曾有の規模の地震、津波の被害。 金曜日の午後2時40分。 クリニックから帰宅した私は、 母に帰ったよ~と声をかけに2階に上がった。 テレビの前にいた母が 「石原さんが都知事選に出馬するんやって」 と言うので、ふ~んと言いながら これから開かれる記者会見の準備の様子を見たとき、 スタジオが揺れ始めた。 本当にリアルタイムの地震をテレビを通じて見てしまった。 「大阪も揺れています」とテレビが言ったとき、 天井の電灯の紐がゆらゆら揺れていた。 すぐに津波警報が発令されて、 これはひどいことになるかもしれない・・・と思った。 奥尻島の津波のときのことを思い起こしたのだ。 すぐに福島の親友に 「大丈夫やんな?」とcメールを入れるも 既に届かない。 電話をしても通じない。 メールを入れても返信がない。 災害ダイヤルに電話をしても安否はわかならい。 報道される画面の向こうの悲惨な景色は この世のものとは思えず、 これが映画やCG映像ではないということを 頭で理解するのに時間がかかった。 親友は内陸の方に住んでいるから 滅多なことはないだろうと思ってはいたが、 もしかして海岸線のほうに遊びにいっていたかも知れず、 地震そのもので建物が破損していたり、 土砂崩れやがけ崩れに巻き込まれてしるかもしれない。 漸く連絡がとれたのは昨夜になってから。 「生きています」 「家の壁にはひびが入りました。 でも、家があるだけで幸せです」 「子どもと手を繋いで寝ています」 「今はメールが繋がっているけれど また繋がらなくなるかもしれません」 「ありがとう」 と返ってきた。 友だちや知人には安否不明の人もいるそうだ。 今日、礼拝で被災地の方々のために祈りを捧げた。 「あなたはそのときどこにいらしたのですか?」 と神様の不在を嘆いてしまう・・・。 説教者の言葉に深く頷く。 でも、その言葉は続く。 神様の不在から神様を求めることは始まる。 必ず、神様はすべての人のそばにいてくださる。 どこか空しくも聞こえてしまうが、 ただ非力な私にできることは 祈ることと、クリニックを通じて援助の手を 差し出せるように行動を始めることかと思っている。 小さな力を大きく役立てるように考えてみる。 関電のチェーンメールは10通届いた。 これが善意の気持ちから出されたものだと信じたいが 私からは配信しませんと 丁寧にお断りした。 なんでこんなときにこんなことするかなあ・・・
March 13, 2011
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「これ、わたしが作った塩こぶなの。 食べていただこうと思って 持ってきたの」 クリニックの待合室で バッグの中から ナプキンで包んだ容器を 手渡してくださった。 45年前に、ご主人を亡くされ、 一人で二人のお子さんを育ててこられたと言う。「ご苦労されたのですね?」 「いいえ。 わたしね、ちっとも苦労なんてしてないの。 主人はずっとわたしのそばにいてくれたし、 子どもたちも、わたしを心配して ちょっと煩わしいなあと思うくらいに 世話をやいてくれる。フフフ。 癌も、早期に先生に見つけていただいて、 今はなんともないし。」 でもね・・・ひとつだけ・・・「今から15年前・・・ 孫がね、亡くなったの・・・。 10歳で・・・。 足の付け根に癌ができてね、 足を切断して命を残すこともできなかったの。 主人が亡くなったときよりも 辛くて悲しくて・・・ 長い間誰にも話せなかった・・・ 今、やっと、話せた」 食卓に出した塩こぶの味は、 おばあちゃんの喜びと悲しみと苦しみがぎゅっと詰まって こぶの出汁と醤油の辛さに 少しだけ苦味がまじって あつあつの白ごはんにとてもよく合った。 おばあちゃんの人生の味がした。
November 30, 2010
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「陸軍中野学校」と言われても、私には、なんのことだかわからなかった。「スパイの学校です」そう言われても、無知な私には、期待通りの反応は返せなかった。後で、夫に話すと、「お前、そんなんも知らんの?! 諜報機関の学校で、 優秀な人しか入れへんかったんやで」と、教えられた。陸軍中野学校にいたという、今は88歳の患者さん。決してご自身の自慢から、そんな話になったのではない。あの時、自分だけ東京で任務に当たっていた間に、仲間はみんなサイパンに送られ、全員玉砕した。「自分も一緒に行く!」と懇願したのに、自分だけ取り残され、自分だけ生き残った。自分だけ生き残ってしまった・・・その申し訳なさは消えることがなく、「3年前、息子たちに、 やっと連れて行ってもらったんです。 サイパンに・・・ やっとお参りすることができました。」戦争をずっと引きずって、一人暮らしのその88歳の患者さんは、きりりとつつましく、凛と気をはって、今も尚、生かされていることに甘んじることなく、応えておられる。失っても仕方なかった命と思えばこそ、今も、大事に、大事に、生きておられる。
November 24, 2010
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クリニックに来られる或るご夫婦の患者さん。「いつも仲がよろしいですね。」と、私が話しかけると、「私たち二人とも、施設で育ったんです。 父親は戦死で、母親も早くに亡くなりました。」と、身の上話を始められた。「私たちには子どももいなくて、 ほんとうに、まったく、身寄りがなくて、 夫婦二人きりで 訪ねてくる人も誰もなくて、 ほんとうに寂しくて・・・」 奥さんの大きな目から、涙がにじんでそれが見る見る大きな水の玉になってぽろっと落ちた。「初めてここに来たときから、 おくさん、私らに優しくしてくれて・・・ 先生も優しくしてくれて・・・ ・・・・・・・・・・・」 思わず、私は、奥さんの小さな肩を軽く抱いて、「診察ではなくても、あんまり寂しいときは いつでも寄って行ってください。 こうして、今、出会えたのだから、 寂しいことばかりではないですよ!」 もしも、支えあっている孤独な二人のどちらかに 何かあったなら、どちらも一人では生きていけない・・・ 奥さんの涙は、未来を見ることのできない寂しい涙だった。 夫にその話をしたら「そういう人こそ、お前らの教会に招いたら いいのとちがうのか?」 その問いに私は首を横に振った。 教会というところは、人にそんなに優しくない。 そう思うのは私だけ? でも、私のいるところには、 神様がいてくださる。 教会でないからこそ、 その働きは自由である。 どうか、神様、 私を使って、孤独な人に癒しと恵みを 行わせてください。
November 23, 2010
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2か月以上、更新が途絶えてしまいました。皆さん、お元気でお過ごしでしたか?お察しの通り、私は混沌の中におりました。開院準備から開院後の今日に至るまでこれまでの自分の生活と知らない医療の現場と経営者という立場の中でその責任を果たすべく日夜明け暮れておりました。ここにきて漸く調子がつかめつつありますが、開院後1週間くらいのときには、自分のしなくてはならない仕事の量に途方にくれ知らぬ間に涙がぽろぽろこぼれてくる始末。毎日、夫と一緒に朝からクリニックに通勤し、受付の手伝いや裏方の仕事をしています。午後3時ころには家に帰るのですが夕方には塾の仕事が待っています。その仕事が終わったら、またクリニックに出向きます。その日の締め処理をしなくてはならないからです。それから夕食の支度となります。ほっこりする間もなく犬の散歩にでかけ、受験生のさなぎを迎えに塾に行きます。ふと時計を見ると11時を回っています。ただ眠たくて眠たくて・・・塾の報告書を書いたり、授業の準備をしたりするのもやっとこさ・・・。塾の仕事は自分の天職だと思っていましたが、クリニックの開院は、それをずっと続けていけるほど甘いものではなく、すべてを続けていくことは不可能と思われます。703先生でないと・・・と思ってくださる方たちには悪いのですが、1週間一日も休みのない今の生活はちょっと厳しいものがあり、一部辞めさせていただけるよう、今働きかけています。なかなか近しい人たちとも会えず、趣味の活動も滞っているのですが、反対に、開院の知らせを聞いて、もう10年も20年も30年も会うことのなかた人たちがお祝いに来てくださるので、その再会を喜んでいます。学生時代が急に前に現れたような錯覚に陥りますが、目の前にある友人たちの顔は皆もう中年、壮年の様相です。みんなそれぞれにキャリアを積んで、今を楽しみながら一生懸命に生きています。元気をもらいます。クリニックを訪れてくださる患者さんたちとの出会いやお喋りも私に元気をくれます。患者さんにはご高齢の方が多いのですが、長い道のりを歩いてこられた方たちだからこそ、お話には深いものがあります。もちろん、クリニックにこられているのですから、病を得た人たちばかりです。でも、病人にも、その齢の方にも見えないくらい、驚くほど前向きでお元気な方が多いのです。教えられます。生き方そのものを。一朝一夕でその生き方はできないでしょう。再会した友人と対峙していると、自分が何も積み重ねてきていないことに恥じ入り悲しくもなるのですが、中断して継続がかなわないことはたくさんあっても否応なくではありますが、新しい世界に次々踏み出さなくてはならないことも素敵なことかもしれないなと今は納得しています。まだまだしばらくは大変なことが続くと思いますが、ブログを辞めたわけではないので、また書き込みにきますね。忘れないでいてください。皆さんのブログは時々拝見しています。
October 11, 2010
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いつも私の行く道には不思議が満ちている。今回の夫の独立開業に際しても、既にいくつかの不思議が起こっていた。その度、ああ、これは神様が示してくださった印なのだと、このまま進んでよいのだという証しなのだと思うようにしていた。でも、今回の不思議にはほんとうに鳥肌がたった。1年前の9月1日の日記に私は、私の塾生のお友達のSちゃんという小学2年生の女の子が白血病で天に昇ったということを書いた。2ヶ月くらい前のこと、私のその塾生のお母さんは看護師さんなので、今回の開業に備えて、誰か良い看護スタッフはいないものかと相談したところ、Sちゃんのお母さんが、Sちゃんのことで、医療の現場で恩返しをしたいと医療事務の勉強をされているのだけれど、どうですか?といわれた。でも、事務スタッフは一応既に人数がそろっていたので残念ながら・・・と、その申し出はお断りした。話は変わって、先週のこと、開業先のビルの管理を委託されているHさんという方に2度お目にかかり、話をした。お名刺を頂戴したが、家に帰ってそのまま名刺ホルダの片付けた。先週末のこと、事務スタッフとして夫がお願いしていた方から、突然ご主人が転勤することになり、お手伝いすることができなくなったと残念なお電話が入った。それならばと、塾生のお母さんの話しておられたSちゃんのお母さんのことを真っ先に思い出し、早速、連絡をとってもらった。ここからが、不思議な不思議なお話。初めて電話口でお話するSちゃんのお母さんの声。芯のしっかりした方だとわかる。Sちゃんのお母さんのおっしゃるには、ご主人は、私たちの開業先のビルの管理を委託されている会社にお勤めだとのこと。え?!Sちゃんのお母さんのお名前はHさん。そして、当然そのご主人の名前はHさん。え?!ちょっと待ってください!私は急いで名刺ホルダを開ける!Hさん!「私、先週、二度、ご主人に会っています!」昨年の9月1日、私は、「私の知らないところで 一度も知りえないまま、 小さな一つの小さな命が 天に昇った。 直接は出会えなかったけれど、 短い命を懸命に生きたSちゃんのことを ここに書き込むことで 覚えていたいと思います」そう、書いている。もう少しで1年になる。そんなとき、Sちゃんのお母さんとお父さんが私の前に現れた。ぶるぶると身体が震えた。
July 30, 2010
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内装工事の中間検査に行ってきました。前回行ったときは、まだ金属の枠組みがなされていただけで、何もなかった空間が狭くしきられた感じがしただけでしたが、昨日、その金属の枠にボードが貼られ一つ一つの部屋が完成していました。まだクロスははられておらず、備え付けの家具類も照明器具も入っていないので、大まかな部屋が完成したに過ぎませんが、形になってきたその場所に立てば、そこは三人目の子どものように愛しく感じられます。夫が決心して始めた開業準備、私はただ言われるままについてきただけでしたが、「ここが待合」「ここげ受付」「ここが・・・」とその空間の役割がはっきりしてくると、私の役目もはっきり見えてきたように思います。一緒に作り上げていかなければなりません。工事には、名前も知らない人が多く働いてくださっています。生活の糧のため、たまたまうちの現場にいらしてくださっているのでしょうが、ひとつのものを作り上げていくのに、本当にたくさんの人のお世話になっていることを感じます。これからますます忙しくなります。この夏、へばらないように乗りきらなければなりません!
June 24, 2010
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我が家の一大事とは夫の開業です。明日から工事に入ります。今日、司祭にお願いして祈っていただきました。癒しの働きが、主の祝福により、守り支えられますように。明日からの工事のため。設備のため。スタッフのため。患者さんたちのため。医師のため。開業はほんとうに我が家の一大事です。不安がないわけはありません。でも、祈っていただけたことで、まっすぐそのことの準備のために進んでいけそうです。今までより一層ブログが途切れがちになるかもしれませんが、どうかみなさん応援してください。よろしくお願いします。
June 1, 2010
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今年度、さなぎの学校の委員を受けることになった。これは自分から受けた委員である。先日、オール委員会があり、それに出席したら、まさか!!!そこにさちこさんの姿があった。クラス委員を決めるとき、選挙のために名簿が配られる。でも、配られる名簿の順番が50音だと、あ行の人か、わ行の人の名前の人しか選ばれないため名簿はコンピュータでシャッフルされた50音ではないバラバラの順序のものとなる。でも、結局、その上位、下位に名前があがった者の名前が書かれる。そして、その人たちが委員に選出される。コンピュータによる「当選」なのだ。私はクラス委員とは違う委員を引き受けたので、この選挙からは除外されたのだが、さちこさんは、不運にもコンピュータによる上位に名前があがったために票が入ってしまった。断れなかったんだって・・・。でも、ねえ、これ絶対におかしいと思う!さちこさんのご主人が亡くなられたことは周知のこと!誰もが知っていること。大変なことも、まだまだ哀しみが癒えないことも・・・それでも、上位にあるからといって、名前を書き入れますか????なぜ、そんなに人は優しくないの・・・?ところで、委員に選ばれた者の中からは、委員長、副委員長がくじ引きで選ばれる。そして、くじを引いてしまった人は、たとえどんなに大変な状況にあっても、絶対にまぬがれることはない。泣きそうになってどうしてもその責任を負うことはできないと訴えても、「私だって」「私だって」と悲惨な身の上話の応酬になってしまう。結局、埒はあかず・・・くじを引いた人が受けることになる。そうやって選ばれた委員達・・・私の仕事は、行事のときに駐車禁止の場所にポールを立てること、パトロールをすること、まだ、実がある。まだ役に立っているでも、さちこさんが受けた委員の仕事って、PTAの大会に出す壁新聞を作るんですって!「学校便り」を年に2回出すんですって!でも、壁新聞なんて見たことないし、学校便りだって、私は、さなぎが手紙を出さないので、読んだことがない!PTAの仕事って、家庭を犠牲にして、人と人との関係をぎすぎすさせて、誰のために、何を目的としてやってるの?壁新聞と学校便り、どうしても必要なの?一度、聞いたことがある。「何のためのPTA?すると返ってきた答えは「補助金をもらうためのPTA」おかしいやん!!!
May 29, 2010
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2月にご主人を亡くされたさちこさん。前向きに頑張れる日もあれば、落ち込んで泣いてばかりの日もある。小学5年生の娘さんに、「もし、お父さんが帰ってきたらどうする?」ってふと聞いてみたんだって。娘さん、最初は「わからへん」と言ったらしいけれど、しばらくして「どこ行ってたん?って聞く」と答えたんだって。その子どもらしい答えを聞いて一層哀しくなってまた、おいおい泣いてしまったんだって。それを聞いて私の胸も空しさと切なさでいっぱいになって、涙がじわ~とたまってきた。悪い夢を見てたって笑って話せればどんなにいいだろう・・・。
May 23, 2010
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昨日、コピーをしにセブンイレブンに行ったら、宮崎の口蹄疫に対する義援金の募金箱に気づいた。小銭しか持っていなかったけれど、コピーをした残りのお金、全部入れてきた。そんなことで何かをした気分には全然なれないけれど、ここ連日、ニュースで知る宮崎の惨状に、心がつぶれそうだ。たくさんの牛、たくさんの豚、殺されなくてはならないのは・・・本当に仕方のないことなの?農家の人たちの悲痛と苦悩はこんなに遠くにいてもひしひし伝わってくる。ニュースを見る度、私の目からも涙がほろりと流れ落ちる。
May 22, 2010
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甲子園阪神巨人戦!エイスケは高速バスと新幹線、そして地下鉄、阪神電車と乗り継ぎ、5時間半もかけて甲子園へ。先に甲子園に着いていた夫から「ほんまに来よったで!」と嬉しそうに電話があった。さてさて、甲子園に応援に行って一度も負け知らずのエイスケ君!今日も快勝!!!5時間半が無駄にはならずよかったよかった!今10時半、あと一時間足らずで帰ってくるだろう。今、ご飯を炊いたところ。お茶漬けの用意をして待つことにしよう。エイスケ君、一晩泊まって、明日の朝カットに行って、午後3時の高速バスでまた帰る予定。
May 1, 2010
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5月1日の甲子園ナイター巨人阪神戦チケットが手に入るとかで「お前いかへんか?」とトラキチの夫が私を誘った。「行ってもいいけど・・・。 私なんかより、エイスケの方が 喜ぶやろうし、価値はあるなあ」エイスケはトラキチジュニア。「今年のGWは、忙しいから帰れない。 次に会えるのは夏やな」そう言って下宿先に戻っていったエイスケであるが・・・まあ、一応知らせてやろうと思って、電話をかけてみた。すると!「え? それは・・・ なんとかする。 巨人阪神戦と聞いて、 断ることなんかできひん!!!」6日に解剖の試験があるそうだが、無理は精一杯、そのゲームだけのために帰ってくるそうだ。1日は甲子園に直行。一泊して翌日の2日の午後にまた下宿先に戻る。連休中なのに、よく切符がとれたものだ。これまで、エイスケが行った阪神のゲーム、負け無しなのである。5年前は優勝の瞬間に居合わせたほど幸運の持ち主なのである。トラキチの親も「へ~、帰ってくるか~」と苦笑いである。
April 26, 2010
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月に二回、お茶のお稽古に通っています。その時間、先生一人、生徒一人・・・私だけです。私が懇願して教えて頂いているからです。毎回、お稽古だけで終わるのではなく、古い貴重なお軸やお道具を拝見させていただき、奥深いお話をたくさん聞かせていただきます。「ていねいに生きましょう。 どんなにお金を積んでもらっても、 今日の一日を もう一度生き直すことはできません。」当たり前のことだけれど、先生のその言葉で身がぴんと引き締まる思いがしました。お茶の席の、あのけじめのよい時間が好きです。無駄なく、美しい。お茶の世界も、色々ですが・・・、私は、良い先生に出会えて、心を大切にできるよい時間を過ごせています。
April 22, 2010
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一大事のために「教える」仕事を減らそう。木曜日の授業はこの夏いっぱいで閉じることにしよう。これは、知人に頼まれて私的に開講した塾で会場を借りて行なっているもの。でも、その知人のお子さんも無事、私を卒業してくれたので、他のお子さんには申し訳ないけれど、この辺で区切りとさせて頂こうと、決心したのだ。ところが、その決心の矢先、別の知人からてんかんの持病を持ったお子さんを見てあげてはもらえないかと頼まれた。さて、困った。どうしたらいい…?てんかんのことを持ち出されなかったら、すぐにお断りしたのだけれど…。
April 19, 2010
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