『とんとこひ・セクスアリテ』

April 10, 2008
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カテゴリ: ヒジリ地名図鑑
『野史辞典』より



戸籍
 “大宝律令”ではヘジャクとよぶ。編戸の民となって農耕の庶民の戸口帳。“六六ヶ国人掃え”と称すは秀吉が刀狩りと共に全国一斉に施行した太閤検地の戸口調査。
 “全国惣体ノ戸籍”と太政官布告によって明治五年徴兵令のため始めて完全なのが作られ壬申戸籍という。 が町村役場の兵役課が軍事目的の戸籍ゆえ、正確といえるかどうか



 私事であるが、“阿魔将軍・源頼朝と北条時代”の中にも書いてあるよう私の父方と母方は宗旨違いだったので、私の兄の節夫が生まれて入籍までに半年の余も掛った。大正三年十二月二二日付け愛知県中島郡祖父江町の町役場に届け出されたが、その二年後矢留節夫は急性感冒であっけなく急死、祖父の目をかすめ父と逢っていた母は今の私を身籠り又も死んでしまった。



 今度はとても矢留の方で入籍すまいと思ったのか。交渉の煩わしさに懲りたのか母方の祖父後東吉雄は、東本重町の塀一つ裏にあった寺内の、後東家代々之墓を動かし亡くなった節夫を埋めて葬り、この私を二代目の節夫にしてのけた。つまり私は私でなく二年遅く生まれたのに死んだ矢留節夫の 戸籍 でそれからは今まで生きてきている。



  大正時代にあってはなにも別に稀しい事ではないと死ぬまで母は口にしていたが、おかげで当時あった八重小学校の校長の許へ、小学校入学も二年早すぎると当人の私はごてったが、祖父が、義務教育法の就学年齢は 戸籍法 に基づきどうともならぬとされ、「白地に赤く日の丸そめて・・・」と皆が歌っていた日から、むりやり通学させられた。



 なにしろ遅れて入ったので東西南北の時間は済んでいたから、いまだに私には方角がよくわかっていない。
 つまり私は矢留節夫という名は自分のではないと避けたり、生年は大正五年とは分かるが、月日は不明ゆえ節夫の 戸籍 面の十二月二二日生れを用いているが、本当の私は生きはしてきたが名なしの生年月日なし、何もわからないのである。




 “八切史観”とよばれる真実を執拗に追究する私の怨念は、この 戸籍 からきているらしい。




 俗に「八切史観」とよばれる私の愚かしき真実の追究は二九〇頁の“ 戸籍 ”の項でふれているが、私が私ではないからである。と言うと唐突で奇妙に想われるだろうが宗旨違いで母方と父方が仲が悪く、私の上の兄の入籍で揉めにもめたのに懲りたのか私自身が生まれた時に、流行性感冒で夭折した兄の 戸籍 を抹消せずその儘で冠せられた。



 つまり私は二年前に生まれて大正五年秋に亡くなった亡兄の名と 戸籍 を背負い今でいえば五歳で小学校へ通わされた。
 ナフタリンを齧ったら死ぬときかされていたせいか齧っている処を一八粒めに見付かって吐かされた。何回となくその後も性懲りもなく繰り返したのも虚しさのためだった。



 それが何故に過去の具象への真実を探求しだしたかといえば、マッカーサー解任時のポスト紙を拾い読みした時からである。切り抜き持ち帰ってきているが、その内容は、
 「近代史でも稀有な反乱が絶無だったのは、彼の統治が偉大であった功績でもなく素晴らしかったと惜しまれるものでもない。



何故かならば彼が統治してきた者らは、かつて大陸勢力によって統治支配の歴史が長く、島国ゆえ他への逃亡は不可能、叛乱すれば殺戮されるしかない運命におかれ、権力に対しては絶対服従の国民性を今に伝えているに過ぎぬからである」
 と大統領補佐官筋のコラムだった。・・・変な国民性である。











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Last updated  April 10, 2008 08:19:40 PM
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