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死別・・・何て過酷な運命なんだろう。この年齢で、この運命を背負って・・・。幼い子どもを抱えた未亡人は、どうやって生きていけばいいのでしょう。心のバランスが崩れたまま、もう私は4年以上を過ごしてきました。結婚して、すぐこの暗闇に落とされ、まるで天国から地獄だった。しかも天国での時間は一瞬で、その後の地獄はどれだけ続くというのだろう。満たされない想い・・・。毎日毎日必死でした。夫の病気がわかってから今日まで、本当に必死でした。でも、崩れた心を抱えて、どうやって生きていけるというのでしょう。それでも、私は毎日笑っているのです。生き生き仕事をしているのです。楓、ごめんね。お母さん、もう心のバランスがおかしくなってきました。「今、一番大切な人は誰ですか?」って聞かれたら、皆さんは誰って答えますか?子どもですか?亡くなったご主人ですか?それとも亡くなった奥様ですか?時間がたっても、どれだけ時間がたっても、心は変わらないのかな?苦しいです・・・。
July 18, 2006
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明日13日は夫の月命日・・・。ちょうど半年。あの日から半年たった。もう半年なのか、まだ半年なのか・・・。でも、あっという間のような気がする。あたり前の明日があると思っていたのに、あたり前の明日がなかった・・・。思ってもみなかった今日を毎日生きている。でも、あの日を経験したお陰で、今日という日のかけがえのなさも痛感する。今日、こうして元気に過ごせたことは、決してあたり前ではないということ。ありふれた日常を送れている人たちには、きっとわからないだろうけど、今日生きていることも奇跡かもしれない。だから、今日を大事に生きていけるようになりたい。少しずつ少しずつ、今ある幸せを実感して、そのことに感謝して生きていける自分になりたい。こうしている今だって、きっと誰かが亡くなり、誰かが病気と闘っている。そして、それを取り巻く多くの人たちもいる。知らずにすめば、今日もありふれた日常を私も送っていただろう。でも、でも知ってしまったから・・・。今を生きていきたい。今日生きていたこの奇跡に感謝して生きていきたい。半年たつんだと思って、そんなことを考えつつ仕事から帰ってきました。
July 12, 2006
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先日、楓が幼稚園から、七夕の笹を持って帰ってきました。私も小さいころに作ったのと同じようなたくさんの飾り・・・季節感を感じられるものってやっぱりいいなって思います。その飾りの中にはもちろん願いごとも書かれていました。まだ小さい楓のクラスでは、担任の先生がそれぞれの子どもたちに願いごとを聞いて代筆してくれます。三歳、四歳の子どもたちの願いごとですから「プリキュアになりたい。」とか「○○が欲しい」とかそんな願いがほとんどだったと聞きました。そんな中で、楓の願いごとを読んで、びっくりし、涙が止まらなくなりました。「とっとがお空からずっと楓のことを見守ってくれますように。」彼女が先生に聞かれ、思いついた願いごとがこれだったようです。友達に話したら、私と同じように涙を流してくれました。楓の祈り・・・四歳になったばかりの彼女の思いを考えると、母親として切なくもなり、でも嬉しくもなります。彼女にはいつも、「とっとはお空からずっと、楓のことを見守ってくれているよ。そして、いつも楓の胸の中にもとっとはいるんだよ。だから、見えないけどいつも一緒なんだよ。」って話してきています。そんな私の思いを楓なりに受け止めてくれているんだなって痛感しました。とっと、楓と私とを見守ってくれていますか?私はちゃんと生きられていますか?私が間違っているときは、ちゃんと正しい道を示してね。
July 7, 2006
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気がつけば七月ですね。時は流れていきます。大切な人を失って、こんなに自分は変わっても、周りの時の流れが変わらないことに切なさを感じたりもしますね。 さて、私はいよいよ仕事も忙しくなってきました。現在は期末テストの採点におわれています。来週からは成績だしで忙しくなります。そんなわけで、ブログもなかなか更新出来ず・・・。最近考えること・・・。例えば、8ヶ月後とか、二年後とか、五年後とか、そんな言葉を使うたび、「でも、生きているかわからないもんね」なんて思ったりしてしまいます。夫のことがあるまでは、当たり前の明日があると思っていたのに、当たり前の明日がなくなってしまって、やっぱり価値観は変わってしまいますよね。当たり前の明日を失って、まさかの今日を生きることになってしまったこの運命・・・。だから、あまり先のことを考えすぎず生きていきたいな~なんて思います。先が思い通りにならないことを身をもって知ってしまったから、だったら今日を一生懸命、そして小さな幸せを感じて生きていけたらって思います。私の母が精神的に波があった私によく言ってくれた言葉・・・「とにかく先のことは考えず、今日一日元気に過ごせたことに感謝しなさい。そして、明日も元気に過ごせますように思って眠りなさい」って。まずは今日のことだけ考えて生きてみようと思います。だって、明日は生きているかもわからないんだもの・・・。そんな今日を積み重ねて生きていけたらって思います。
July 1, 2006
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やっと土曜日・・・。今日は今から楓の音楽教室です。私は毎日通勤の車の運転時間が往復二時間強です。その時間が音楽聴きながら唯一自分の時間になるのですが、思考はいつも夫がらみのことです。そして、まだ毎日泣いてしまいます。夫のいない寂しさ・・・もし夫が生きていたら・・・私は夫の苦しみを本当にわかってあげられていたのだろうか・・・などなど、思考はこの5ヶ月堂々巡りです。でも、自分なりに今の自分を肯定しようと必死になっているんだと最近自分で思ったりしています。否定していては生きていけないことはわかっていますから、どうやっても肯定しなければならないと・・・。今の現実の自分をうけとめなければならないと・・・。私の欲しかった幸せはもうどうやっても手にはいりません。夫がいない限り、それはもう絶対無理なのです。「またいいこともあるよ」そんなことよく言われます。確かに、これから先、きっといいこともあるだろうし、「生きててよかった」って思うこともあるかもしれません。でも、やっぱりそれは一番欲しかったものではないんです。これは、マイナス思考で言っているんじゃなくて、その現実を事実を私は目をそらさず受け止めておかねばと最近思うようになってきています。夫を失ったことによって生まれてしまった私の心の空洞・・・。でもそれは決して埋まらないものなんだと・・・。これからはその空洞を抱えた状態で、空洞と上手に付き合っていかねばならないんだと・・・。空洞を何かで埋めようと思うことがそもそも無理な話で、それはもう絶対埋まらないんだから、上手に付き合っていくしかないんだと、そう思えるようになってきたりしています。そう、この空洞はこの先私がどんなに笑顔で暮らせる日がきてもなくならないものなんですよね。思わぬ死別を経験した人はきっと、皆この心の空洞と同居して生きておられるんだろうなって思ったりします。 埋まらない空洞なんだ、そう思えたことは私にとって一歩前進のような気がするのです。一生の病気を抱える人がその病気と上手に付き合って生きていくように、私もこの心の空洞と上手に付き合っていくしかないなって思います。悲しみも苦しみも癒えないなら、もう上手につきあっていくしかないと、そんなこと思いながら昨日も運転していたのでした。
June 24, 2006
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私は夫の4年という闘病生活を一緒に過ごしているとき、芸能人の離婚というニュースを聴く度とても羨ましかった。まさか、離婚したかったわけではない。夫を嫌いになれることがとても羨ましかったのだ。私が苦しいのは夫をとても愛しているから・・・嫌いにさえなれたらこんなに苦しい思いはしなくていいんだ・・・そんなことを思ったりした。この人がいないと生きていけないと思うくらい愛して愛されて・・・でも、その人が苦しんでいて、いつか自分の前からいなくなるかもしれない・・・そう思うと毎日苦しかった。だから、いっそ嫌いになれたらどんなに楽だろうって・・・だからだから嫌いになって離婚する人が屈折した意味だけど羨ましかった。当時、そんな話を友達にもした。友達にとてもうらやましがられた。「それは究極の愛やね」って。そんなにそんなに純粋に人を愛し愛されることが羨ましいって。確かに、私と夫とは幸せの絶頂で過酷な運命を背負うことになったから、お互い一番いいところで愛が止まってしまったのかもしれない・・・。今から10年くらい前になるだろうか・・・。新聞にこんな話が載っていた。70歳前後の一人の女性の話。ちょうど戦争真っ只中のこと。彼女には好きな人がいた。でも、その思いはなかなか伝えられずだったのだが、その彼が戦地へ赴かなければならなくなった。でも、結局彼女はその思いを彼には伝えられなかった。彼はそんな彼女の思いを知るはずもなく戦地へ行ってしまった。彼が生きて帰ることはその後なかった。しばらくたって、彼女の元へ戦地から一枚のはがきが届いた。何と、その思いを寄せていた彼からだった。「あなたのことがずっと好きでした。」はがきにはそう書かれてあった。お互いにお互いを思い合っていた二人・・・。でも一度も、お互いの思いを目と目を見て語り合えることもななかった恋。それから50年以上もの間、帰ってはこなかった彼を思い続けてその女性は誰とも結婚することなく一人で生きてきた。戦地から届いた、たった一枚のはがきにその50年間を支えてもらいながら・・・。これを読んだ時、声を出して泣いた。何という究極の愛なんだろうって思った。まわりがどう思おうとその女性にとっては、その一枚のはがきが何よりも人生を支え、生きる力になったのだろう。彼以上にはだれも愛せなかったのだろう。 彼を愛し、そして彼にも愛されていたという事実が彼女にとっては何にも代え難いものだったのだろう、きっと。私のこれから先の人生何が起こるかもちろんわからない。でも、夫を愛し、夫に愛されていたというこの事実が私を支えてくれることは間違いないような気がしている。夫に愛し愛されたというこの満たされた究極の思いは、私の心の支え・・・。離婚も多い昨今で、こんな究極の思いを感じられることはある意味幸せだって思う。とっと、私はやっぱりあなたと結婚してよかったよ。ずっとずっと愛してる。
June 19, 2006
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やっと、楓、絶好調になりました。皆様、心配してくださってありがとうございました。たくさんのかたが気にかけてくださること、本当に嬉しく感謝しています。一人じゃないんだ、なんて思えます。 これからもこんな私をどうかよろしくお願いします!!楓が調子悪くなると、いろいろ不安が大きくなります。要らぬ感情を遣ってしまいます。夫が病気になり、亡くなり、人生の思わぬ辛苦を経験したことは、私にとって心の闇、傷になっています。それは、亡くなってから始まったわけでなく、長い闘病生活を過ごしているときからあるものでした。大切な人、かけがえのない人の存在をおびやかされるという経験をしてしまったために、またそんなことが起こってしまうんじゃないだろうかという思いが、心が調子悪くなると襲ってきます。それって、以前に本で、一種のPTSDだということ知りました。大切な人を失うという究極の経験が、心の傷となって、また別の大切な人になにかあるんじゃないかって必要以上に思わされてしまう・・・。でもその本を読んで、「ああ、私の感情はしかたのないものなんだ」って思うと少し、自分の中に起こる不安とも上手につきあえるような気がしてきます。でも、できるだけ要らぬ不安を抱きたくはないですね・・・。これ以上は辛い思いをしたくないから、そんな取り越し苦労はして生きていきたくないです。杞憂は禁物ですよね。
June 16, 2006
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金曜日の夕方から楓、調子がわるくなり、土曜日の朝、病院へ行ってきました。風邪ということで、ゆうべは38度ほど熱もでましたが、今朝には下がってほっと一安心。今はすっかり元気になっています。幼稚園にいくようになってからの数ヶ月、治ってもまた次の風邪をもらってくるという繰り返しです。他の人に聞いても、みんな同じような感じみたいです。念のため明日は休ませようと思っていますが、私は休めないため、実家に預けての出勤になります。楓、ごめんね。この土、日は両日それぞれでかける予定でした。とても楽しみにしていたのですが、楓の体調にはかえられないので仕方ありません。両方キャンセルの連絡をしました。楓が元気でいてくれることにまさることはないのですが、いろいろ悶々としてくる思いもあります。あ~、一人では無理だ~って叫びたくなってきます。平日は仕事に追われ、休日も自分の時間も持てず・・・。もちろん、夫がいても同じような人はたくさんいると思います。でも、「しんどいね~」とか「早く治ってほしいね~」とか「熱下がってよかったね~」とかそんなことを言い合えるだけで何だか救われるというか、楽になれるというか・・・。でも、そんなことを言い合えるはずの夫がいないということは全部が私の肩にかかってきてしまうということで・・・。何もかも、一人でしなければならないという現実だという思いが私を襲ってきます。しんどい現実、辛い現実があっても、それをわかちあえる人がいるということは、甘えられる人がいるということ・・・。私には、もうそんな人がいないから、そんな思いが襲ってきたらひたすら泣くしかありません。母の世代の人たちは(60代)、「みんな、夫を頼りにできなかったから一人でやってきたよ」みたいなことをいいます。でも、今の私の世代の旦那さんはマイホームパパが多く(うちも生きてたらそうでした)、休日はほとんど一緒に過ごしています。子どもの病院だって、多くが夫婦で子どもを連れてきています。子どもの看病に疲れたら、旦那さんが変わってくれるでしょう。仕事も交互で休んでくれるでしょう。どうしてもでかけなければならない用事や、ストレス発散に買い物に出かけるとしても、旦那さんがみていてくれるでしょう。みんながそうじゃないのかもしれませんが、私の周りは幸か不幸かそんな夫婦ばかりです。でも、私は全部一人でしなければなりません。否、全部しなければならないことが苦痛というのではなく、やはり、気持ちを分かち合える人がいないことが何よりも私にとって苦痛なんだと今思えてきています。そして、その相手はやはり親でも友達でもなく、夫しかいなかったのだと・・・。時たま、こんな風に息が詰まってきます。何ともいえないどうしようもない思いにつぶされそうになります。友達が「息抜きしないとだめやよ」って言ってくれても、こんな時て「どうやって息抜きしろっていうのよ~」と叫びたくなる心模様になっています。あ~、少し書いて楽になりました。書き始めた時は、涙でぐしょぐしょでしたが、少し落ち着きました。楓と心落ち着けてまた今から遊んできます。
June 11, 2006
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あの日・・・。夫は17時11分に息を引きとった。私は夜中から15時間以上つきっきりで傍にいられた。でも、楓はずっとそれだけの時間、傍ではおらせられず、実家の両親と一緒に出たり入ったりしてもらっていた。その間、私から母へ様子の報告はしたが、母からは一度も電話はかけてはこなかった。それは、あえて控えてくれていたから。病院と実家は近かったので、両親と楓はその日、その間を何往復もしてくれていた。15時ごろのぞいて、また実家で待機してもらっていた。私は普段携帯はカバンの中に入れているが、その日は両親へ連絡したりしていたので、バイブにしてポケットへ入れていた。その哀しい瞬間・・・思い出すだけでも泣けてくるあの瞬間・・・17時11分夫の名前を私が泣き叫んだ瞬間、ポケットの携帯がバイブで鳴った。びっくりしたけど、何よりもナースコールを先に鳴らした。数分後、実家へ連絡と思って携帯を出したら、さっき、夫が息をひきとる瞬間に鳴らしてきたのは母だった。その日、一度も母からはかかってこなかったのに、その瞬間だけ母は「かけなきゃ」と思ったらしい。虫の知らせというものだったんだろうか。とても不思議なことだった。そしてここからは後で聞いた話だが、両親と楓とがすぐ病院へかけつけようとしたとき、父がいつもの腕時計をつけようとしたら、その時計が壊れて17時12,3分頃で止まっていたらしい。その時計は一ヶ月ほど前に電池も替えたところだった。でも、止まってしまい、壊れていてもう使えない状態になっていたということ。夫が、息をひきとったことをそして、私と楓とを頼みますと、息をひきとって真っ先に私の両親に伝えにいったのだと思った。私は宗教とか、死語の世界とか、あんまり信じるとかないし、感じたりすることもないけれども、この夫の息をひきとった瞬間の出来事で、きっと科学とかでは説明できない何か、そう「気」の力みたいなものってあるのかもしれないって思った。人間の力や知識では解明できない何か、そんな力ってあるのかもしれないって・・・。そう考えると夫がきっと傍で守ってくれているような、そんな気もしてくるなあ。
June 9, 2006
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私が思っていた生き方ができないのは仕方がないのかもしれない。だって、思ってもみなかった経験をしてしまったのだから・・・。人と会うのが辛かったり、友達とでさえ関わりにくいのも仕方のないことなんだ。だって、夫が亡くなって、私はやはり以前の私ではなくなってしまったのだから・・・。まわりは何も変わらない。私をとりまく人たちは、私を「旦那を失ったけど、また時間とともに元気になってくるよ」と思っているだろう。でも、もう私はあなたたちがしっている私ではなくなってしまったのです。卑屈になっているんじゃないんです。私は、ここでこの運命を背負った柊子に生まれ変わって生きていかねばならないのです。変わっていくことは仕方がないこと。環境も現実も価値観も変わらなければ、生きていけないそんな運命を背負ってしまったのです。だからだから、思い描いた現実や環境でない日々に、少しずつ慣れていかねば・・・。何がいいたいのかわからない文章でごめんなさい。
June 5, 2006
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もう六月ですね。心の時間は止まったままですが、月日は確かに流れていきますね。休日の今日、朝からご近所の笑い声が響きわたっていました。何家族も外に出ていました。私はなかなか、そこへは入っていけません。わざわざは行きたくないというのが本音です。が、最近娘が外に出たがり、その輪の中へ入っていきます。そうなると、私も出ざるをえなくなります。ご主人もいて、みんな家族の姿で、午後からの予定などを話している中で、私も笑っていろいろ話していますが、何だか自分だけ場違いの人間のような気がしてきます。娘のために仕方ないのですが、今の私にとってはとても苦痛な時間となっています。最近、授業で短歌をやっていたのですが、若山牧水の 「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」という短歌が、今の自分の心模様と同じで、感慨深いものがありました。やっぱり孤独だな~なんて思います。一昨日、友達が無事出産したというメールがきました。昨年も第二子出産した友達が多かったのですが、今年も続きます。みんな、思う通りの人生設計の中で生きていて、これからの希望もいっぱいで、これから先も私が欲しかった楽しい生活を送っていくんだろうな~ってまたそんなこと考えながら、今日をすごしています。私の心は止まったまま・・・月日の流れのなかで、流されてはいくだろうけど、もうあの日から心の底から笑ったこともありません。相変わらず、友達は会おうと誘ってくれますが、私が今会える友達は数えるほどの人たちだけです。携帯で毎日メールしている友達もいますが、「苦しい」という気持ちを言えるのもその友達を含むほんの数人だけです。もちろん、数人いるだけでもありがたいことですが・・・。友達に会えないのは、会うと、また自分の中で要らぬ感情が起こってしまうから・・・。私もこうなりたかったとか、夫が生きていたらとか、また必要以上に考えて落ち込んでしまうから・・・。だから、自分を守るためであり、今自分が倒れないために止むおえないのですが、友達たちはそう思ってない人もいるかもですね。「いつまでもおちこんでても仕方ない」「みんなで会ったら気が紛れるよ」そんな風に声かけられます。先日こんな話もされました。「私の友達のマンションにも、柊子みたいに若くして旦那さん亡くした人いてるらしいんだけど、子どもと二人で生き生き暮らしてるらしいよ。欲しいものもたくさん買って、逆に羨ましいって。毎日楽しんで、暮らしているらしいよ。だから、柊子も、ね。」聞いて涙が出てきました。腹が立ったというんじゃないんです。その、旦那さんを亡くした人のことを思うと切なくて泣けてきました。夫を失って、嬉しい人はいないし、諦められる人もいないと思います。きっと、その人も抱えきれない心の葛藤を抱えつつ、それでも生きなければなりませんから、頑張っておられるんだと思うのです。さっきまで泣いていたとしても、ご近所の人と会う時、泣いているわけにはいかないから、笑顔で話もされていることでしょう。きっと凄く凄く頑張っておられるんだろうなって思います。でも、世間にはその心の葛藤もわかってもらえるはずもなく、立ち直って生き生き暮らしているなんて言われてしまう、そう思うと何だか切なくなってきて涙が止まらなくなったのです。こんなこんな苦しい思いを抱えて、そう簡単に割り切って、前向いて生きていけるはずはないんですよね。笑ってたって、何してたって、ずっと空洞を抱えたままだって、やはりわかってもらうのは無理かもしれないですね。
June 4, 2006
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心はいったりきたり・・・「曇時々雨」といった毎日です。快晴になる日はまだまだ先になると思います。というか、そんな快晴の心になれる日がくるとは今は思えないのですが・・・。でも、いつかくるって信じていきていかなければとは思っています。そう、「希望」をもたなければ・・・。時間があるといろいろなことを考えてしまいます。誰でもそうなのかもしれませんが・・・。人が生きていくのに必要なものってたくさんあります。その中に、この「希望」というものは大きな位置をしめているとこんな境遇になってつくづく思うようになりました。このありふれた、聞き慣れた「希望」という言葉はとても深い言葉だと、そう思うようになりました。人は何故自殺をするのか・・・。それは、現実が苦しいからだと思うのですが、苦しくても何かしらの「希望」がもてれば生きようと思えるような気がするのです。どう考えても先は闇であり、「希望」を見いだせないとき、人は生きる力を失う=絶望するのではないのでしょうか。「絶望」は「望みが絶える」と書きます。どれだけ現実が苦しくても、先への「希望」が持てたら人はきっと生きられる、でも、私の場合その「希望」が持ちにくい現実だから苦しいんだと思います。もちろん、楓のこと、仕事のこと、いろいろ「希望」を持っています。でも、それらも含んだ私の欲しかった「希望」はもう、「絶望」してしまっているんです。だから、私は毎日苦しいんだと思います。「希望」がないから・・・。でも、私は生きていかねばなりません。生かされている限り・・・。そして、楓のために私は絶対にいきなければなりません。そのためにも、私はその「希望」を胸に抱けるようになっていかねばと思います。どれだけ苦しい思いをしても、どれだけ辛くても、未来への「希望」がもてたら頑張れる・・・。そう簡単に持てるものではないけれども・・・。三月に転勤するとき、そこの生徒たちにも最後こんな話をしてきました。「心」「命」「希望」この3つについて私の思いを話しました。夫を失っていることをみんな知っているせいか、何人か涙しながら聞いてくれました。「希望」こんな、昔から知っている言葉が、今私の中に、深く重くのしかかってきています。
May 31, 2006
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いろいろ書きたいことはありますが・・・。とてつもなく寂しいです。甘える胸も、泣ける胸も私にはありません。すべて一人で背負わなければならなくなりました。喜びも悲しみも分かち合って生きるはずだったのに・・・。甘えたいよ~。泣きたいよ~。わがまま言いたいよ~。強くならなければならなくなりました。一人で娘を育てていかねばなりませんから・・・。頼りたいよ~。安らぎたいよ~。これが私の運命。与えられた運命。でも、寂しいです。 「若いのに、ご主人亡くして気の毒に」そう、私は世間からみたら、かわいそうな人みたいです。近所を歩くと皆がそう思ってみているように思えてきます。「私だったらたえられない」そんなことも何度か言われ続けてきました。私だってたえられなかったし、たえたくなかったんですよ。どうしてなんだろう。どうして、私はこんな寂しい思いを抱いて生きていかねばならないんだろう。何故、何故、ささやかな幸せを与えてもらえなかったんだろう。私が何をしたっていうのですか?一生懸命生きてきました。なのに何故?どうやっても、どうやっても満たされないこの心こ抱えて、私はどうやってこれから生きていけるのでしょうか?こんなにこんなに苦しいのに、私はまた月曜日から、笑って仕事へ行っているのでしょう。そんな自分もわからなくなります。
May 27, 2006
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明日の仕事を考えると早く寝なければと思いつつどうしても吐き出したい思いがあるので、またパソコン開けました。楓のことです。なかなかやりにくくって、しかることとても多いです。ききわけも悪く、大変です。実家の両親にみてもらうことも多いので、甘やかされているからかな?なんて思ったり・・・。この歳で、大切なもの、ほとんどの人が持っているものを持っていないんだから、不憫にも思ったりはしますが、「かわいそう」とだけは思って育てないようにしようと思ってます。私が心の中でそう思うことはあっても、楓にそれは伝わらないように、この子が自分をかわいそうな子だと思うことのないように、「そういえば、家は母子家庭だったんだ」って、そんな風に思ってもらえるように・・・あくまでも、そう自分で意識しているまでですが・・・。でも、ついつい自分の感情で楓をしかってしまうことが多いんです。ジュースをこぼしたりして、わざとじゃないのに、かなり激しくしかってしまったりします。今日も二回もそんなことがありました。たたいたりはしませんが、口でぐちぐち言ってしまいます。「とっとがいないから、何もかも、お母さん一人でしないといけないのに、何でこんな面倒ばっかりかけるの?」そんなひどいことも言ってしまいました。いけないことをやってしまったと思っている彼女に対して、私はなんてひどい対応をしているんだろうって思えてきます。私の顔はとてもきつい顔になっているだろうし、とてもきついひどいことを言っていると思います。今日、ふと、これって虐待?って思ってしまいました。私のこんなしかり方では、楓の心に大きな傷を残してしまうのでは?って怖くなります。反省して気をつけようって思っていても、またやってしまうんですよね。職場で気を遣い、実家で気を遣い、ご近所に気を遣い、いろいろな人に気を遣い、夫のいない辛さに苦しみ、そんな様々な心のストレスの矛先が、一番大切な娘になっていてどうするんだよって、自分の中の自分が叫んでいます。ずーっと気を張って生きていて、それが爆発するときの相手が、楓なんて・・・。楓、ごめんね。本当にごめんね。普通の顔して、暮らしていても、かかえきれない心の闇があります。もう、かかえきれないや~って泣きたくなることもあります。何で、何でってそればかり思う日もあります。とにかく楓に対してだけは、もう少し私が大人になりたいと思います。楓に甘えてるかんじですからね。
May 21, 2006
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毎日あわただしい日々で、なかなかパソコンとゆっくりにらめっこできない日々が続いています。忙しい仕事と、楓の世話で毎日その日暮らしで、また次の日が来るという繰り返しです。ただ、相変わらず夫のことを考えない日はないし、通勤の車では泣けてきますが・・・。夫と出会って、そして結婚してからはほとんどの時間を夫と過ごしてきました。当たり前のように、これからもそんな日が続くと思っていました。だから、夫さえいれば友達とは縁遠くなっていってもいいか、なんて思っていたくらいでした。どこへ行くのも、夫といけるし、夫さえいれば寂しい思いなんてないと思っていましたから・・・。 今も友達はいます。親身になってくれる友達もいます。でも、多くの友達とはつきあえなくなってしましました。私が欲しかった幸せを持っている友達たちとは、なかなかあえないのです。懲りずによく集まりに声をかけてくれます。でも、最近第二子がうまれたばかりの子、もうすでに二人の子がいる子、今二人目妊娠中の子が二人、そんな仲間の集まりに笑って参加はもうできないのです。赤ちゃんや、これから産まれてくる子の話、ご主人の話、家族でのおでかけの話、仲睦まじいそんな話ばかりのなかに、私はやはりいたくはないのです。別のグループからも声がかかりました。同じ職業のお二人さん。二人とも、第二子出産後の育児休業中。素敵な旦那様と子どもが二人の理想的な家族を持っている友達。みんなきっと心配もしてくれているんだろうけど、私はみんなと会うとやっぱり惨めな気持ちにもなるんです。「かわいそう」と思われることも辛いのです。小学校のころからの大親友。彼女だけは、幸せな家族を持っていても、私が素でいられる相手でした。彼女は絶対、子どもは一人しかつくらないと言っていたので、何だか変ですが、安心してつきあっていました。そんな彼女も、まさかの二人目妊娠となり、私の心は複雑になり、会えなくなってしまいました。ひがみ?何なんだろう?私ってこころが狭いのかな?気がつくと多くの友達失ってしまったようです。孤独だな~。夫さえいれば・・・夫と楓さえいれば・・・まさかの人生の中で、友達まで失ってしまいました。
May 19, 2006
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明日、13日は楓の4歳の誕生日です。今日も寝顔をみながら、大きくなったなと思って、感慨深いものがありました。つい、この前まで赤ちゃんだった気がするのにな・・・。元気に育ってくれて感謝です。とっと、これからも楓がすくすく育っていけるように見守っていてね。楓が産まれたのは、朝5時過ぎでした。大安、吉日、快晴、ちょうど太陽が昇るという時に、産声をあげました。実は、私、陣痛室に5日も入っていました。破水してしまい、入院したのですが、陣痛が起こらずで、結局ずっと陣痛室にいたのです。とはいえ、破水していますから、普通なら48時間以内に出産するべきみたいですが、お腹にいた楓も私も体力的に大丈夫という判断が医師にあったみたいで、帝王切開にはならず、5日もまったのでした。楓はきっと、強い子なんだと思います。でも、かなり精神的には限界が近づいていたのですがね。ただ、分娩そのものは楽で、分娩室では二回ほどのいきみで産まれてきてくれました。夫が女の子を欲しいと言っていたので、「女の子ですよ」と言われた時は嬉しかったです。でも、そのとき、実は夫も同じ病院に入院していました。2月からずっと入院していました。そして、5月14日、つまり次の日に一番大きな手術を控えていました。私と楓は3階、夫は五階にと、私たちは親子三人で同じ病院で一週間過ごしていたことになります。皮肉というか不思議というか・・・。朝日が昇る中、きっと力強く産まれてきた楓。ずっと、逆子で、いよいよ帝王切開の日付を決めると言う日に奇跡的に元に戻っていた楓。逆子の間もいろいろ位置がかわっていたのに、首にへその緒を巻いていなかった楓。とっとが、あなたには凄いパワーがあると言っていたよ。私も思います。楓、これからも元気で、お母さんと楽しい時間をいっぱい過ごそうね。明日はじいじとばあばとお誕生日会です。
May 12, 2006
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うちの夫の闘病生活は4年間でした。4年と言えば、ましになって、また再発してと考えられるのが普通でしょうが、うちは特殊な病気だったので、丸4年、仕事へ復帰することもなくずっと痛みと闘う日々でした。医者からも、宝くじにあたるより難しい確率の病気だと言われました。痛みどめもあらゆるものを使っていました。モルヒネも飲むタイプ、貼るタイプ、いろいろ使いましたし、点滴でもいろいろな痛み止めをおとしてもらいました。漢方や、様々なものにも手を出しましたが、どれも画期的な効果はみられませんでした。それはそれは、大変な4年間でした。夫が一番大変なのに、私の神経も保てなくなることも多く、私も胃に多発性ポリープが発見されたり、じんましんがとまらなくなったり、もうどうなってしまうだろうという4年間でした。それでも、心療内科にはどうしても二の足を踏んでしまい、何度かカウンセリングルームには通ったりしましたが、あまりしっくりこなくて、ただ、耐えるばかりの日々でした。でも、一番辛いのは夫。きっと、家族にも言えないこともあったでしょうから、何度か在宅にきてくれるカウンセラーの話をしましたが、夫は首を縦にはふりませんでした。もちろん、友達にメールをしたりもしていたでしょうが、私自身、自分の辛さより、夫が考えているであろうことを想像することが、一番苦しく辛く切なかったのをよく覚えています。最後の入院になった1月10日、まさかその13日に亡くなるとは思っていませんせしたので、改めて主治医に相談しました。心療内科的なところで、夫の心を解放させてやって欲しいと。彼の苦しみを、おもいっきり爆発させてやって欲しいと。きっと、家族には気を遣って言えないこともたくさんあると思うから・・・と。でも、主治医は私にこう言いました。「奥さん、ご主人が奥さんみたいな性格の方だったら、もう数年前に自殺をしてしまっているかもしれません。それくらい、この病気と闘うことは計り知れない辛さと苦しみです。ご主人は、自分の病気のことも、人生も運命もちゃんと受け止めておられますよ。強い方です。」涙が止まらなくなりました。自殺を考えてもおかしくないほどの苦痛の中で、夫は4年間耐えぬいたのです。主治医の言葉は、夫の病気の苦しみが尋常ではなかったことを私に改めて教えてくれました。強い人だったんだとつくずく思います。私は、どれだけあなたの痛みを共有してあげられたのでしょうか?どれだけ、理解してあげられていたのでしょうか?あなたが、あんなに苦しみながらも生きようとしたこと、闘ったこと、私は必ず楓に伝えながら生きていきます。お父さんがどんな思いで頑張っていたかということを・・・。夫が亡くなってから、呪文のように私が言っていた言葉 「もう、痛くないんだよ、もう痛くないんだよ」そればかり、夫に語りかけていました。
May 5, 2006
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いよいよゴールデンウイークですね。ゴールデンウイークは前から嫌いです。数年前から・・・。うちは夫が生きていたときも、闘病生活がほとんどでしたから、ゴールデンウイークといっても、家族での思い出はほとんどありません。だから、数年前から、ゴールデンウイークは何となく憂鬱でした。家族の幸せな姿をたくさん、目の当たりにしなければならないですもの・・・。私が子どもの頃より、断然マイホームパパが増えていますから、スーパーもどこもかしこも家族連れ・・・。すれ違う車も家族連れや、夫婦らしき姿・・・。やっぱり、まだ慣れません。羨ましくて、羨ましくてどうしようもなくなります。そして、気づくと涙がでてきます。みんなが、当たり前に持っている幸せの形。でも、私はどれだけ努力しても手に入らない幸せの形。どう自分を納得させても、「でも」という言葉が続いてしまいます。まだまだ、この葛藤と上手に付き合っていかねばならないんですよね。更新しても更新しても、暗い心模様でごめんなさい。でも、おつきあい頂いて、優しいコメントを下さる皆さんにとても感謝しています。こんな、暗い日記におつきあいいただいて・・・ホントありがとうございます。日中の私は、この文章からは想像もできない様子で生きていると思います。それも、私・・・。でも、心の中がこの日記の状態であることも、私なんですよね。嫌いなゴールデンウイークですが、楓サービスをして、少しは楽しみたいと思います。
May 2, 2006
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今日は前の学校の歓送迎会でした。子どもを実家に預けてでしたので、ゆっくりはできませんでしたが、楽しくそしておいしい時間でした。今日は電車で行っていたのですが、駅に着くとまた、要らぬ感情が働いてしまいました。夜の駅には、お迎えの車がいっぱいなんですよね。夫が元気だったら、きっと、間違いなくお迎えに来てくれているだろうなと思ってしまいました。夫と結婚して、嬉しかったことはいつでもどこでもお迎えにきてくれること。夫の元気な期間は短かったので、そんなになかったけど、それは幸せなことでした。うちは両親が車に乗らなかったので、車でのお迎えという経験はなかったので、余計に夫のそれは嬉しかったのです。これからは、ずっと、夫に甘えられると思っていたのにな・・・。友達とかでも、「いつでも言ってね。」なんて言ってくれる人もいますが、時間と場所は選びますよね。時間も場所も選ばず、遠慮せず甘えられる人は、やはり夫しかいませんでした。お迎えの車に乗り込む人たちを見ながら、私はバスに乗り込みました。「迎えに来て~。」そんなことを甘えて言える、ちょっとした、ささやかな幸せをもう私はもてないんですよね。14年して楓に免許とってもらって、迎えにきてもらうのを、今から楽しみにしようかな。ただ、楓はお母さんがいつでも、どこでもお迎えに行ってあげるからね!!
April 28, 2006
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昨晩、夫から電話がありました。「大丈夫?気が変になっちゃった?」って言われそうですが・・・。昨晩、楓を寝かせて、ぼーっとソファーに座っていました。携帯に友人から、メールが来たりして、返信したりしていたのですが、ふと、やはり夫のことを考えてしまっていました。この4年、夫は入退院を繰り返していましたので、入院している時は夜、携帯で話したり、メールをしたりしていました。ふと、そんなことを思い出して、もし、今夫が傍にいないのも、亡くなったのではなく、入院しているのだとしたら、今ごろメールで話しているだろうにな、と思ったその瞬間でした。携帯が鳴ったのです。ホント、その瞬間だったので、びっくりしました。非通知設定となっていた電話、出ようと思ったらすぐ切れてしまいました。そして、「夫からだ、きっと。」そう思ったのです。ワン切りとかだったら、番号がでます。他に、非通知でかかってくる人はいません。夫からに違いない・・・と思いました。「柊子から、僕は見えないだろうけど、僕はいつも柊子の傍にいるよ。忘れないで。ずっと傍で見守っていること忘れないで。」そう言って、夫はその携帯を鳴らしたんだと思いました。苦しくて、辛くて、どうしようもないけど、とっと、私は楓をしっかり育てるから、今日はそんなことを思いながら過ごしました。夫は、私の傍にいる・・・。必ずいる・・・そう確信した夜でした。
April 25, 2006
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最近、夫のことばかり考えてしまう。三ヶ月、忙しすぎて、目をそむけてきたことが見えてきているのかもしれない。あの日のこと・・・また、フリーページで書くつもりだけど・・・。病室で、夫が息を引き取った瞬間・・・思い出すのが辛いのに、思い出されて泣けてくる。こんな悲しい瞬間があるんだと、生きていて初めて知った瞬間かもしれない・・・。その後、私の母が泣きながら、夫に言っていたのをよく覚えている。「○○君、楓を残してくれてありがとうね。本間にありがとうね。」声にならない声だった。私の父も狂ったように泣いた。69年生きてきて、きっと父は一番泣いたんじゃないだろうか。少なくても、私はあんなに泣いた父を初めて見た。病室でも、車でも・・・。そして、葬儀で私が喪主の挨拶をしたときは、泣き崩れていた。私の両親にとっても大切な人でした。
April 22, 2006
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ちょっと息切れしてきたかもしれません。でも、何も変わらない日常を送っています。仕事へ行き、笑って仕事をし、生徒とも楽しく会話しています。ご近所さんとも、とっても普通に話しています。私って二重人格か?って思うくらいです。同僚も、ご近所も、友達も、ひょっとしたら自身の両親も「もう大丈夫そう」って思っているかもしれません。私を、客観的に私が見たとしても、「大丈夫そうかな」って思ってしまうかもしれないですね。それくらい、私は普通に過ごしていると思います。作っている自分ではないけれど、ちょっと疲れてきたかな。電池切れ?叫びたいよ~。一人で何もかもするのは無理だって。寂しくて寂しくて、気が変になりそうだって。まわりが思ってくれるほど、私は強くもないし、平気じゃないんだって。でも、そんな顔も、心も出せません。それは、無理しているんじゃなく、自然とそうなってしまうからです。でも、心は悲鳴をあげているんだな・・・。こんな日はやっぱり寝るしかないですね。
April 18, 2006
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今週は長かった・・・。本当に長~く感じた一週間だった。明日は少しゆっくりしよう・・・。夫が亡くなって3ヶ月が過ぎた。ずっと忙しくて、そのお陰でか何とか毎日立っていられている。この忙しさがなかったら、私は間違いなく気が変になっているんじゃないだろうか。悲しみと向き合っていないわけじゃない。でも、4年という長く辛い闘病生活があったから、夫が亡くなったことを納得づけしようとする自分もずっといる・・・。やっとあの苦しみから解放してやれたんだと・・・。やっと楽にしてやれたんだと・・・。でも、ふと、夫のいない現実にうちのめされそうになる。そして、すぐに涙がでてきてしまう。その涙は、時を選ばないこともあり、昨日は授業中、朗読していて、登場人物が亡くなるというシーンで泣きそうになってしまった。今日も通勤の車の中で、見慣れた景色の中でどうして夫だけ存在しないんだろうと思ったら、涙が止まらなくなった。以前と何も変わらない景色、ありふれた日常・・・。でも、確かに夫はいない・・・。つい、この前までいた夫がいない・・・。この現実が私をおしつぶしそうになる。でも、この感情の波に入っていってしまうと、私はきっともう立てない。仕事へ行くことも、子どもを育てる力も失って、現実逃避してしまうだろう。だから、忙しさの中でその日その日を過ごしている。襲ってくる苦しみを忙しさがかきけしてくれる・・・そんな毎日。でも、苦しい。ふと、夫がいないんだと、そう思ってしまう瞬間に出会うのが苦しい。胸が締め付けられそうになる・・・というのは言葉だけでなく、本当にそうなるんだとつくづく思う。うまく表現できないこの心の空洞・・・。同じ思いをした人だけにはわかってもらえるでしょうか。
April 14, 2006
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毎日があわただしく過ぎていきます。慣れない職場・・・やはり疲れも倍増ですね・・・。職員室でも新しい人間関係を作らねばならないですし、生徒とも新しい人間関係を作らねばならないので、なかなかしんどいです。おまけに始業式の朝、楓の調子が悪くなり、いきなり幼稚園に行けず・・・。でも、私も休めずで、かわいそうだけど、おばあちゃん家に預けて出勤。こんな時、とても心苦しいです。仕事はやはり、休みにくいので、楓のために休んでやることはほとんどできなくて、いつも私の実家の両親におんぶにだっこです。病気の時は親として、少しでも傍についていてやりたいんだけどな・・・。楓ごめんね。明日からは楓も幼稚園行けそうです。仕事も大変で、いろいろ不安もいっぱいですが、どこかで、「怖いものなし」っていう感情があります。夫を失い、あんな辛い思いをしたから、あれに比べたら、仕事やその他の人間関係なんて、たいしたことないや~って思えるようになったのかもしれません・・・。 先日、友達に「柊子は実家が近くていいよね~。旦那を失っても、それが羨ましいわ~。」って言われました。私は少しカチンときて、「だったら、ご主人に転職してもらって実家の傍にきたら?努力したら、実家の傍に来れるでしょ?私はどれだけ努力しても、夫は私の傍には帰ってきてくれないんだよ。」って言ってしまいました。もちろん、かどがたたないようにですが・・・。何をどうやってもどうにもならない私の苦しみと、友達のやろうと思えば叶う苦しみとを同次元にはしてほしくないですね・・・。
April 12, 2006
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考えすぎかもしれないですが・・・。夫が亡くなる数日前、親戚に頼んで夫の車を動かす機会がありました。ノアはもう、エンジンがかからない状態でした。親戚のエスティマとつないでエンジンをかけ、少し走らせようと言った時、夫が「ガソリン満タンにしてきてくれないか。」と言いました。もう乗ることは不可能だと夫自身もわかっていたはずですが、私も深く考えず「了解」と言って、親戚に運転してもらいガソリンを満タンにしてきました。その、ノアは先日のブログでも書いた通りトヨタに泣く泣く引き取ってもらったわけですが、トヨタの人が取りに来てくれたその日の夜中、夫の祖母が息をひきとったのです。祖母は数年前から、老人ホームのようなところに入っていましたので、夫の亡くなったことも伝えてはいませんでした。90歳を超えていましたし、あまりショックを与えたくなかったので・・・。私の考えすぎかもしれませんが、夫はノアに乗っておばあちゃんを迎えにいったような気がするのです。祖母は姑(夫の母)に、とても大事にされているとは私の目からは見えず、私も嫁いでから、姑の祖母に対する言動に心を痛めることが多々ありました。夫もそれをわかっていました。だから、夫がおばあちゃんを迎えにきたような気がするのです。ノアが夕方この家を去って行った、その夜中に祖母が亡くなって・・・。私は夫がノアに乗って、おばあちゃんを迎えに行ったような気がしてならないのです。夫はそのために、ガソリンもわざわざ満タンにしておいた気がするのです。考えすぎかもしれませんが、そんな気がします。またまた葬儀・・・。祖母の葬儀に来る人は、もちろん夫の時と重なる人も多く、またあの日のことがフラッシュバックしてしまいました。私はどうして、またここにいるんだろうって、そんなことも思いました。思いだしたくないのに、夫の葬儀のことが思い浮かび、涙がでてきました。とっと、おばあちゃんはノアの乗り心地どうって言ってますか?おばあちゃん、とっとと一緒に安らかに眠ってね。ゆうべ、とっとが初めて夢にでてきてくれました。内容は全然覚えてないのですが、とっとが笑っていたことだけ覚えています。※フリーページ、少しずつ更新していきますので、また読んでくださると嬉しいです。※
April 8, 2006
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今日は楓の幼稚園入園式でした。とても、いいお天気で、桜も8分咲きくらいでしょうか、とても気持ちのよい朝でした。この日が来るまで、ずっと気になっていたこと、それは、やはり入園式にお父さんの姿は多いのかなということでした。きっと、多いだろうな~と予測もしていて、「落ち込むなよ」って自分に随分前から言い聞かせていました。そして、今日・・・やはり、凄く多かったです・・・。両親と一緒に来ている子どもたち・・・。どこも、お父さんがビデオをとったり、デジカメをとったり・・・。ああ、とっとがいたら、きっとうちもこんな姿だったんだろうなって、また思ってしまいました。楓はわかってか、わからずか、まだ人と比べて落ち込む様子はありません。もうすぐ4歳という年齢から考えて、恐らくよくわかっていないのだと思いますが、でも時折、この子は全部わかってそれをきちんと受け入れているような気もするのです。とっとの苦しみを幼いながらずっとみてきた楓。この子なりに、自分の現実を受け入れているような気がするのです。だったら、私が落ち込んでばかりいられない・・・ってそう思わされたりします。切なくて悲しくて、せっかくのお祝いの式で、少し泣きそうになってしまったのだけれど、きっと夫は傍にいてくれたと思います。スーツを着て、私と楓の傍にいてくれたと思います。でも、もう一つ切なかったこと・・・それは、保護者欄が私の名前になっていたこと。幼稚園に書類を提出したときの保護者は夫の名前でした。今日はもう私の名前になっていました。みんな男の人の名前の保護者名が、楓だけ女の私の名前・・・これも、辛かったです。とはいえ、どれも予想していたこと・・・。これから、何度こういうことを乗り越えていかねばならないだろう・・・。楓、お母さん、すこしずつ強くなるからね。とっと、ずっと傍で守っていてね。
April 4, 2006
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今日、とうとう夫が乗っていたノアを手放しました。一度は決心したものの、踏ん切りがつかなくて、車屋さんに来てもらう日程を延ばし延ばしにしてもらっていました。何回も日を変えてもらっていたので、もういい加減にしないと迷惑かかりそうで、今日来てもらいました。決心したものの、涙が溢れてきて・・・。寂しいです・・・。でも、後ろの席に乗ってみて、この車はやはり私はこの席に乗るために買ったものだったんだから、運転席には乗れなくていいんだ、なんて自分で自分んを納得づけしてしまいました。私にとって、否、私たち家族にとって、ノアは家族のための車でした。私と娘が、夫に乗せてもらうための車でした。だから、娘と二人では、いろんな意味で乗れない車でいいんだ・・・なんて思いました。「乗る車ではなく乗せてもらう車」それが、このノアだった、そう思って車を手放したことを後悔しないようにしたいと思います。でも、今日は泣かせてね・・・、とっと。
April 2, 2006
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残っていた有給休暇を二日間とり、29日の夜から、東京ディズニーリゾートへ行ってきました。ご近所で親しくしているママ友達が家族4人で車で行くから、一緒にと声をかけてくれたのです。でも、まだ旅行という気分でもなかったし、随分悩んだのだけれど、そのママ友達は私のこの4年の心労をよく知ってくれていて、私のためにも楓のためにも絶対一緒にと声をかけてくれたことがよくわかっていたので思い切って行ってきました。楓にも産まれてから、否、お腹にいるときからずっと辛い思いばかりさせてきているので、ある意味、楓サービスをしたかったというのもあります。長距離ドライブと現地の人混みで、かなり疲れましたがとても楽しかったです。シーよりランドの方が凄い人でした。でも、あの夢の国はやはり、家族連れが多いんですよね。そんなことわかっていたのですが・・・。独身時代、夫と二人で行ったことを思い出して泣きそうになってしまったり、もしも夫が生きていたら、楓と三人でノアに乗ってきていただろうなと思ってしまったり・・・とにかく、「夫がいたら」の「・・・たら」の感情の連続でした。楓と同じくらいのお子さんを連れた家族連れをみると、目が釘付けになってしまうこともありました。 一緒に行きたかった。夫と楓と一緒に行きたかった。ブログ書きながらも泣けてきます。楓を肩車する夫の側を歩きたかった。一緒に行った友達も仲良しですが、羨ましい家族・・・。やはり、ちょっと今の私にはきつかったかな・・・?楽しい時間でしたが、夫がいないことをまた目の当たりにしてしまう時間になってしまいました。どれだけ望んでも、どんなに努力しても、私には叶わない家族の姿・・・。この感情は消化していくしかないってわかっているけど、でも辛い・・・。とっと、会いたい。会いたいよ。あなたに支えられていた私の戻りたい。強くなくてもよかった私にかえりたい。
April 1, 2006
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夫のものは、まだなかなか処分できずにいます。焦るつもりもないし、気持ちのままに・・・と思っています。ただ、車だけはそろそろ手離そうかと思っています。私は1300の車に乗っています。夫はトヨタのノアでした。残念ながら、私には大きくて乗れないし(一度も運転したことありません)、家に車はさすがに二台も要らないので・・・。グレードの一番いいやつで、買った時はコミコミで350万くらい支払ったと思います。サンルーフなども付いていてナビもいい物をつけてあります。買ったトヨタさんに買い取りでお願いすると140万くらいと言われました。妥当なところなのでしょうか?ただ、車もとってもきれいだし、走行距離も16000程なので、知り合い何人かに相談すると、恐らく中古車販売のお店に持っていくと、150万超えると言われました。着いていってあげるから、行こうと言われているのですが、面倒だし、10万くらいの差ならいいかと思ったりしているのですが、知り合いたちには、10万は大きいよ~と言われています。心が揺れなくはないのですが、やはりトヨタでお願いしようかなと思っています。その一番の理由は夫の性格を考えてというところです。夫はそういうところ、非常に無欲な人でした。並んだりするのも嫌いな人でしたし、ケチケチしていなくて、損とか得とか金銭的に言わない人でした。夫が生きていたら、恐らく、中古車センターを何軒も回って見積もりを取ったりせず、トヨタでお願いして、言われたままの金額で承諾していただろうなと思うのです。(生きていたら、処分することもなかったでしょうが。)ちょっとでも得をしようという気持ちのない夫の車ですから、夫が考えるであろう売り方をしようかと思っているのです。もちろん、私にしたら、少しでも高く売れることはありがたいのですが、何だか、もうそれもどうでもいいことの一つになってしまってます。とっと、それでいいよね?ホントは売りたくないけどごめんね。もう一年以上ほとんど動かしていないから、このまま置いておくわけにもいかなくなりそうで・・・。この車は夫が病気になってから買ったもので、ほとんど遠出もできずに終わってしまいました。買う時も働けない自分が新車を買うなんてと言って、随分遠慮していましたが、私がおしりをたたきました。車が大好きだった夫に少しでも生きる希望を持ってほしかったから・・・。そのためだったら、350万は安いと思いました。ほとんど夫も乗れずで、約三年間ほどのおつきあいの車でしたが、買ってよかったと思っています。
March 26, 2006
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内示の段階ですが、四月から転勤です。市内で一番荒れている学校へ・・・。かなり不安もあるけれど、きっと、夫が見守ってくれると信じてまた一から頑張ろうと思います。夫が亡くなったところで、現任校残留を強く押そうかとも思いましたが、あえてしませんでした。また、新たな気持ちで出直すには、転勤の方がいいかもと思い会えて選んだ道です。荒れた学校へ行くのも予想の範囲内でした。気持ちを切り替えてやっていけるかな?とっと、見守っていてね。頑張るからね。
March 25, 2006
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結婚して、わずかでこの悲しい運命を背負うことになったとき、何故私だけと何度も思った。まわりの友達は大なり小なり悩みを抱えつつも、こんな悲しい運命を背負った人はいなかったから・・・。ごく当たり前の夫婦、家族という幸せを持っている人たちがどれほど羨ましかったことか・・・。「私だったら耐えられない。」そう言った人も何人かいた。「私だって耐えられない。」そう叫びたかったけど、私の口は「ホントに参るよね~。」なんて言ってごまかしてしまっていた。だれだって、好きでこんな人生を背負ったわけじゃない。私だって耐えたくなかったよ・・・。でも、ネットの世界で、こんなにもたくさんの自分と同じ経験をしている人たちがいることを知った。どれだけ、励まされたかわからない。ずっと長くつきあってきている友達よりも、会ったこともないネットの向こう側の人の存在をどれだけ近くに感じたことか・・・。だからブログを始めてみようと思ったのかもしれない。 私だけじゃないって思えることは、明日への励みです。
March 23, 2006
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年度末で仕事は大忙しです。明後日で一段落ですが、世間の人が思うような春休みや夏休みがあるわけではなく、毎日出勤で仕事しています。楓にもう少しかまってやらなければと思いつつ、なかなかです。毎日、寝かせてその寝顔をみつつ、「ごめんね。」と思います。時々、「一人では全部無理だ~。」って叫びたくなります。男の人とも肩を並べて仕事して、一人で幼い子を育てていくのは無理だ~って思ってしまうのです。夫婦そろっていたって、子育てと仕事の両立は大変なのに・・・。でも、楓のため、そして自分のため、ここで弱音をはきつつ、明日からも頑張らねば・・・。きっと、同じような思いをしているのは私だけだはないと思うから・・・。
March 22, 2006
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もしも夫が元気だったら・・・そんなことを夫の闘病中によく考えてしまった。ああなって、こうなって、そんなことを考えて、でも現実は程遠くて苦しくなってたなあ。今日も考えてしまった。夫が元気だったら、今頃第二子を出産しているころだろうか。私は産休、育休をとり、しばし専業主婦の仲間入り・・・。楓が幼稚園へ行くようになっても、ご近所の専業主婦のママたちと一緒にお迎えしてあげられただろうな。休日は家族で買い物へ行って、年に一度は家族で旅行へ行って・・・。 夫は海外出張の多い人だったから、寂しい日も多かっただろうけど、今の私の寂しさとは比べものにならないものだろう。そんなありふれた幸せが私にも来るんだと思ってた。友人たちが皆持っていた当たり前の幸せ・・・。私には与えられなかった。何にも多くを望んだわけではないのに・・・。ごく普通のありふれた家族の日常が欲しかった。仕方ないんだけど・・・ね。
March 20, 2006
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今日は久しぶりに電車に乗って娘とお買い物へ行ってきました。楓も大喜び!!娘の温かい手を握りながら歩いていて、「ああ、このぬくもりがあるんだもの、幸せだわ。」ってつくづく思ったのでした。夫を失ったけど、今ある幸せを大事にしていかなくっちゃと思えた今日でした。でもこの思いにはまだまだ波があるんです。今ある幸せを大切にと思える日と、何で私だけこんな辛い思いをって思う日といろいろあります。でも、少しづつ少しづつ歩んで行きます。今日はまたまた、楓の服をたくさん買ってしまいました。楓の服を買うのは私のストレス発散でもあるので、「ま、いっか。」と開き直っています。夫が生きていたときも、夫もあきれるほどでしたが、優しい夫はいつも笑って見ててくれました。でも、今日は自分の靴とカバンも買いました。もうすぐ楓の幼稚園入園なので、入園式のために買いました。買い物はやはり楽しいですね。夫もきっと、天国から、また私が紙袋をたくさんさげて帰ってきたところを笑いながら見ててくれたんだろうな・・・。
March 18, 2006
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とっと~どうしてここにいないの?どうして私と楓(娘)をおいていっちゃったの?今、どこにいますか?私と楓のそばにいますか?いつも見守ってくれていますか?いつでもどこでも泣けてきます。少し、気が緩んだらすぐに涙がこぼれてきます。 いつも坐っていたソファー・・・。使っていた電動ベット・・・。ただ、見ただけで涙がでてきます。 まだいないことが信じられません。でも苦しかっったから・・・とっても苦しかったから・・・。ね、苦しかったんだもんね。見ているのがかわいそうなくらいの痛みとの闘いの4年間でした。とっても寂しいけど、とっとはやっと楽になれたんだよね。そう思うことで、自分を納得させるしかありません。
March 12, 2006
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特に親しくない知り合いに会って、夫が亡くなったことを話さざるをえなくなりました。別に隠して生きるつもりはないんだけど、わざわざ言うのも何だか辛いものです。「明るいから大丈夫だね」って。トホホ・・・。夫を失って、二ヶ月足らずで大丈夫なわけないんだけどね。「元気そうだね」「もう落ち着いた?」とか・・・最近、そんな言葉をよくかけられます。まわりもかける言葉を選んでくれているだろうから、それに対してどうこう言うつもりも言うこともできませんが・・・。でも、ちっとも大丈夫なんかじゃないんですよォォォォォ。毎日一人で泣いているんですよォォォォォォ 。苦しくて苦しくて。それでも私は生きていかねばならないんです。
March 11, 2006
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私は以前、カウンセラーの先生から、「まわりに気を遣わせないために、表面を繕っているようにしているのは、自分を守るために昔から身についた技かもしれません。」と言われたことがあります。心に闇を抱えていても、周りからは、そんな風に見えないような振る舞いで日々過ごしています。それは、決して無理をしているわけでもないんです。自然とそうできてしまいます。でも、心の中はぐちゃぐちゃです。毎日、仕事へ行って、以前と変わらず、元気いっぱい仕事しています。ご近所のかたとも、笑顔で挨拶しています。きっと、みなさん、「もう元気になられて。」と思っておられるでしょう。でも、心の中はぐちゃぐちゃです。それでも、私は笑顔で、元気な顔ができてしまうんです。毎日、通勤の車で泣いているのに。でもそれは、やはり自分を守る自分に身についてしまっている技なのかもしれないと、最近つくづく思います。
March 9, 2006
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夫を失っていろいろな思いはありますが、娘の存在に癒されています。この子のためにも、前をむかなくては・・・、そう思いながら何とか立っています。寂しくて、狂いそうになるときもあるけれど・・・。今あるものを大切にしなければですね。でも、心は浮いたり沈んだりです。
March 8, 2006
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どうして夫は死ななければならなかったのだろう。何も悪いことをしてきていない誠実な夫がどうして・・・。何故、あんなに病気と闘わなければならなかったのだろう。考えても仕方のないことが、日々頭の中をかけめぐります。 あの日、病院で息をひきとった日のことを思い出すと、苦しくなります。「幸せだったよ」と私が言ったら、「ありがとう」と言って、数時間後に息を引き取りました。人生のどうしようもないこと、仕方のないこと・・・。でも、そう簡単に整理はできないですよね。
March 7, 2006
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仕事、家事、育児に追われ、なかなか更新できないかもしれないなあ。でも、心の赴くままに書いていきたいです。私の知り合いは誰もこのブログの開設を知りませんが、また新しい出会いがあると嬉しいです。時間に余裕ができたらフリーページを使いながら、これまでのいろいろないきさつなども書いていきたいと思っていますが、しばらくは、日々の心模様を書くことになるかな~と思います。さあ、娘を寝かせなくては・・・。
March 6, 2006
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自分の精神復興のためにブログを初めてみることにしました。誰にも知らせず、細々と書いていけたらって思っています。生きる力を得るために・・・。
March 5, 2006
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